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| 昭島教会の教職(左から関口康、石川献之助、秋場治憲) |
讃美歌21 520番 真実に清く生きたい(1、3節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん
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| 昭島教会の教職(左から関口康、石川献之助、秋場治憲) |
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| 日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
「神と隣人を愛する」
マルコによる福音書12章28~34節
関口 康
「イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、『あなたは、神の国から遠くない』と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。」
先週の礼拝後のご挨拶のときに申しましたが、岡山にいる父の命の時間がわずかであることを医師から告げられました。もう全くコミュニケーションはとれません。1933年11月生まれですので、今年の誕生日を迎えることが許されれば89歳になりますが、たどり着けそうにありません。
基本的にあっけらかんとした信仰の人です。死ぬことに対して、ずっと昔から全く恐れる様子がない人でした。とはいえ、やや口が重いタイプでしたので、本心がどうかは分かりません。
皆さんがきっと体験してこられたことを私はこれから体験することになります。悔しいという感情とは違うものを感じますが、神さまがお決めになった日まで、私は父に対して何をすることもできないことを寂しく思うところはあります。神に委ねるとはこのことかと実感しています。
兄が実家を守ってくれていますので、私は自由気ままに生きています。先日、秋場治憲先生が2回に分けてルカによる福音書15章の「放蕩息子のたとえ」をお話しくださいました。私はあのたとえ話の弟息子そっくりです。父は父で、あのたとえ話の父親のような人なので、今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいです。
さて今日の聖書の箇所に、イエスさまがひとりの律法学者から「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」(28節)と問われたことに対してお答えになる場面が描かれています。
当時は「新約聖書」はありませんでしたので、「あらゆる掟」が旧約聖書の律法を指していると説明することは大きな間違いではないはずです。明文化されていない口伝などまで含めることを考えなくてはならないかどうかは分かりません。はっきり分かるのは当時のユダヤ教がとにかく戒律ずくめだったということです。「248の命令と365の禁止事項」に区別されていたと言われています(Strack-Billerbeck I, p.900 vlg)。
その多くの戒律の中で「どれが第一でしょうか」と律法学者がイエスさまに問うているのは、イエスさまを試したのだと思います。すべての掟を比較したうえで、その中で最も重要な内容を持ち、他よりも秀でて最も質が高い掟はどれなのか、という意味の質問です。
その質問に対するイエスさまのお答えが、29節から31節までに記されています。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け。わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない」(29~31節)。
「第一の掟」は申命記6章4~5節(新共同訳、旧約291ページ)です。「第二の掟」はレビ記19章18節(同、192ページ)です。
第一の掟の「イスラエルよ、聞け」は、ヘブライ語で「シェマー・イスラエル」と言います。「シェマー」(聞け)は、ユダヤ教の最も簡潔な信仰告白です。ユダヤ教では一日2回、朝と夕に「シェマー・イスラエル」を唱えます。
申命記はモーセの遺言です。しかし、イエスさまはそれをユダヤ人だけに関係する掟であると、とらえておられません。世界のすべての人が対象です。
それを「心」と「精神」と「思い」と「力」を尽くして行います。この4つを合わせて「人間存在すべて」を意味します(G. Wohlenberg, p. 319. Vlg. M.H. Bolkestein, Marcus, PNT, 1966)。
第二の掟のレビ記19章18節は、文脈が大事です。「心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない」の次に「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ記19章17~18節)と記されています。
「同胞を率直に戒めなさい」とあるように、ユダヤ人仲間(同胞)に限定されているのが旧約聖書の掟の限界と言えるかもしれません。イエスさまにとって「隣人」とは、ルカによる福音書10章の「善いサマリア人のたとえ」で示されたほど広い意味です。すべての人が「隣人」です。
しかし、レビ記19章18節の内容で大事な点は、たとえ「同胞」であるユダヤ人であっても、あなたに罪を犯すならば、あなたの「敵」になりうる存在であるということが前提されたうえで、その相手を憎むことも、復讐することも、恨むこともしないことが相手を「愛する」ことを意味すると教えられていることです。つまり「身内の中の敵を愛する」という意味が含まれています。
この掟に付加されている「自分を愛するように」という言葉の解釈は、真っ二つに分かれています。「自己愛を肯定している」ととらえる人もいれば(テルトゥリアヌス、クリュソストモス、アウグスティヌス、トマス・アクィナス、キルケゴール)、「自己愛の肯定ではない」ととらえる人もいます(ルター、カルヴァン、カール・バルト)。
この問題の詳細が、バルトの『教会教義学 神の言葉 Ⅱ/1 神の啓示〈下〉』新教出版社、2版1996年、353ページ以下に記されています。どちらの理解が正しいかの判断するための助けになります。私個人は、肯定する側に近いです。
ところで、このときイエスさまは、律法学者から「どれが第一でしょうか」と問われたのに、ひとつの掟でなく、ふたつの掟をお答えになっていることを、わたしたちはどのように考えればよいでしょうか。問い方を換えれば、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」というふたつの掟を比べると、どちらのほうが上なのかと問うこともできます。
「神」が「人間」よりも上であるのは自明のことであり、やはり結局、どこまで行っても「神を愛すること」が「第一」なのであって「隣人を愛すること」は二次的・副次的・従属的な掟であると言わなくてはならないでしょうか。それともイエスさまは「そうではない」とお考えになったからこそ、あえて「ふたつ」お答えになったのでしょうか。
この問題について、オランダの聖書学者が次のように記しています。「第一の掟〔神への愛〕は第二の掟〔隣人愛〕よりも劣ってはいない。イエスは旧約聖書に従っている。神秘主義に起こるように、神への愛が隣人愛を飲み込んではならないし、リアリズム(現実主義)に起こるように、隣人愛が神への愛に置き換えられてもならない」(Bolkestein, ebd.277)。
この意見に私も同意します。「神」と「人間」という次元が違う存在同士を比較して、どちらが大切かと考えること自体が間違っています。「神への愛」と「隣人愛」は同時に成り立ちます。
「教会を第一にするか、それとも家庭を第一にするか」という問いとも次元が違います。教会は「神への愛」だけでなく、十分な意味で「隣人愛」を実現する場でもあります。教会において、わたしたちが互いに助け合い、励まし合い、祈り合うことによって、どれほど大きな試練や難局を乗り越えてきたかは、数えきれないほどです。
イエスさまが「ふたつ」答えてくださったことが、わたしたちの慰めです。
わたしたちは「神を愛するように隣人を愛する」ことができます。
(2022年9月11日 聖日礼拝)
| 日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
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「ぶどう園のたとえ」
マルコによる福音書12章1~12節
関口 康
「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石になった。これは主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。」
先週8月28日(日)私は昭島教会の皆様から1日だけ夏季休暇をいただき、他の教会の礼拝に出席しました。休暇中の行き先についての報告義務はないかもしれませんが、興味を持っていただけるところもあるだろうと思いますので、この場をお借りして短く報告させていただきます。
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| 日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
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「友なるイエス」
ルカによる福音書18章9~14節
関口 康
「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」
今日の聖書箇所は私が選びました。いつもは日本キリスト教団聖書日課『日毎の糧』どおりに選んでいますが、『日毎の糧』の今日の箇所が6月12日(日)の花の日・子どもの日礼拝の聖書箇所と同じだと気づきましたので、変更しました。しかし、今日の準備のために読み直した結果、解釈がとても難しい箇所であるということが分かりました。後悔先に立たず、です。
まずこれは「たとえ話」です。「イエスは次のたとえを話された」と書かれているとおりです。分かりやすく大げさな表現が用いられている可能性があることは否定できません。イエスさまが例示されたことを実際に言ったりしたりしていた特定の誰かが本当にいたかどうかは不明です。
しかし、イエスさまがこの話をなさったとき、共感する人がいたに違いありません。ただし、その共感には2種類ありました。なぜ「2種類」なのかといえば、このたとえ話の登場人物の姿を、自分に当てはめて「自分のことが言い当てられた」と感じるか、それとも自分以外のだれかに当てはめて「あの人のことだ」と感じるかの、どちらかの可能性しかないからです。
これが「何のたとえ」なのかは、はっきり記されています。「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対する」たとえです。「対する」の意味は「反対する」です。抗議です。「自分は正しい人間だとうぬぼれてはいけない。他人を見下してはいけない」という非難です。
だからこそ、この話にどういう意味で共感するかが重要です。イエスさまのお言葉に共感しているときの自分の心の中に自分自身の姿が浮かぶか、そうでないかで、読み方が変わります。
私は今すでに結論的なことを申し上げています。イエスさまのご趣旨を考えれば、このたとえ話は自分以外のだれかに当てはめてはいけません。「あの人のことだ」と決めつけてはいけません。私自身も強く自戒します。このたとえ話を他人を非難する手段に使うだけなら最も悪いことです。もしほんの少しでもそのような誤解が広まるようなら、今日この箇所を取り上げて話さないほうがよかったと思えてきます。
中身に入ります。登場人物は2人です。ひとりは「ファリサイ派の人」、もうひとりは「徴税人」です。「ファリサイ派」の説明は新共同訳聖書巻末付録「用語解説」39頁以下に記されています。
「ハスモン王朝時代に形成されたユダヤ教の一派。イエス時代にはサドカイ派と並んで民衆に大きな影響力を持っていた。(中略)ヘブライ語『ペルシーム』は『分離した者』の意味であり、この名称の由来については種々の説があるが、恐らく律法を守らない一般の人々から自分たちを『分離した』という意味であろう」。
この説明によるとファリサイ派は「分離派」です。だれからの分離かといえば「一般人」です。最近は「芸能人でない人」が「一般人」と呼ばれます。私の嫌いな言葉です。「一般」の対義語が「特別」か「特殊」かで意味が変わってくるからです。自分たちは「特別」な存在だと自負する人が言う「一般人」は見下げる響きをまといます。逆に「一般性」が重んじられる場合(「一般常識」など)の対義語は「特殊」でしょう。見下げる響きがあるかどうかは、文脈に拠ります。
ファリサイ派の場合は、自分たちが「特別」であり、かつ「上の者」であると自負しているからこそ「見下す」のです。英語聖書ではlook down(ルックダウン)、オランダ語聖書ではneerkijken(ネールケイケン)(neer(ネール)が「下」の意味)という言葉です。いずれも「下を見る」という意味なので、見る人が「上」にいなければ成立しません。「上から」が省略されています。
このたとえ話に登場するファリサイ派の人が、どこで(where)、どのようにして(how)、だれ(who)を見下したかについてはイエスさまのお言葉に従うしかありません。
「どこで」(where)は「神殿」です。ただし、たとえ話ですので意味を広げて考えるほうがいいです。宗教施設です。「教会」も含めて。その最も典型としての「神殿」です。
「どのようにして」(how)は「祈り」です。この箇所に多様な解釈があると分かりました。この人が祈るとき「立って」いた(11節)ことが傲慢であるとか、「心の中で」祈った(同上節)のは、神に対してでなく自分に対する祈りなので、これも傲慢であるという解釈があるそうです。
結論を言えば、祈るときに立っていたことも、心の中で祈ったことも、そのこと自体が傲慢であることを意味しません。当時のユダヤ教で普通になされていたことです。普通だからこそ問題の範囲が広がります。わたしたちの祈りと本質的に同じ「祈り」で「他人を見下した」のです。
「最善の堕落は最悪」(corruptio optimi pessima コラプティオ・オプティミ・ペッシマ)というラテン語の格言があります。私の好きな言葉です。神殿で祈る行為は、人間の最高善です。最高善を用いて「他人を見下げる」最悪の行為に及ぶ人をイエスさまが描き出しておられます。
「だれを」(who)見下したのか。イエスさまはいろんなタイプの人を例に挙げておられます。「奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者、この徴税人のような者」(同上節)。しかし、イエスさまがおっしゃっていることの趣旨に照らして最も意味がある言葉は「ほかの人たちのように」です。その意味は「自分以外の全人類」です。自分だけを除いて、残るすべての人を見下げています。
違うでしょうか。このファリサイ派の人は、イエスさまが例に挙げておられないタイプの人のことは尊敬するでしょうか。そうではないと私には思えます。どんな相手であれ、あら探しをし、どんな小さな欠点や落ち度であれ見つけて、「神さま、私はあの人のようでないことを感謝します」と祈るだけです。相手はだれでもいいし、落ち度や失敗の内容もどうでもいい。「自分がいちばん上である」と言いたいだけです。「自分以上の存在はいない」と無差別に見下げるだけです。
この人のことを私が弁護するのは変かもしれません。もちろんすべて想像です。おそらくこの人は孤独です。人の目がこわいし、他の人から批判されることを最も嫌がります。だからこそ、常に自分以外のすべての人を攻撃し、批判する側に自分の身を置こうとします。その究極形態が「神殿で全人類を見下げる祈りをささげる人」の姿です。
もうひとりの人は、正反対の祈りをささげました。「徴税人」はユダヤ社会で見下げられる存在でした。その人が「神様、罪人のわたしを憐れんでください」(13節)と祈りました。
どちらの祈りが「義とされる」(=「正しいと神さまに認めていただける」)ものであったかを考えてみてくださいというのが、このたとえ話の意図です。答えも記されています。「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない」(14節)。
そしてイエスさまは、「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(14節)とおっしゃいました。「低くする」ではなく「低くされる」、また「高める」ではなく「高められる」と受け身で言われていることが大事です。「神さまが」そのことをしてくださる、という意味です。
イエスさまは、傲慢な人たちに踏みつけられている人を弁護してくださいます。イエスさまは、そのような苦しみの中にいる人たちの「友」です。
(2022年8月21日 聖日礼拝)
| 日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
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「子どもを守る」
ルカによる福音書17章1~4節
関口 康
「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。」
お気づきの方がおられるかもしれません。今日の聖書箇所は、先週の週報で予告した箇所から変更しました。今日開いたのはルカによる福音書17章1~4節ですが、先週予告したのはマルコによる福音書9章42~50節でした。
両者は「並行記事」ですが、先週予告したマルコの箇所は読めば読むほど「逃げ道がない」ことが分かりましたので、「逃げ道がある」ルカに切り替えました。「逃げてはいけない」かもしれませんが、とにかくお許しください。
しかしわたしたちは、イエスさまの本心の内容まで、都合よく勝手に決めてよいわけではありません。マルコ(9章42~50節)の内容は、わたしたちの救い主、神の御子、イエス・キリストが、「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい」(42節)とおっしゃった、ということです。
さらにイエスさまは、人間の体に2つある「手、足、目」のどちらか一方があなたをつまずかせるなら、つまずきの原因になっているほうの側を「切り捨てなさい」とか「えぐり出しなさい」とおっしゃった、ということです。
もちろんこれは、いま私たち自身が聖書を開いて目で見て確認しているとおり、聖書に確かに記されている言葉です。しかもイエスさまがおっしゃった言葉として紹介されているのですから、権威ある言葉に属しますし、見て見ぬふりなど絶対できません。
しかし、だからといって、この言葉どおりに本当に実行しなくてはならないと、わたしたちが考えなければならないかどうかは別問題です。
実例があるのです。多くは「手」ないし手首です。「足」や「目」の可能性がないわけではありません。「切り捨てる」「えぐり出す」までは行かなくても、「切り刻む」方々がおられます。
今はインターネットがあります。自分で自分の体を傷つけた写真をメールで特定の相手に送信したり、ソーシャルメディアで全世界に公開したりすることができます。
私も受け取ったことがあります。インターネットを私が使い始めたのは1998年ですので24年前です。これまでに何通かそのようなメールを受け取りました。1度2度ではありません。
「大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれるほうがましだ」のほうは、そういうことを本当にすれば二度と浮かび上がって来ませんので、「試してみました」というわけに行きません。しかし、それに近いこと、あるいはそれに等しいことを実行する方々が現実におられます。
そのようなことをなさる方々が、聖書の言葉、イエス・キリストの言葉、神の言葉に基づいてなさるかどうかは、その方自身しか分からないことです。しかし「そうである」と言われたことがあります。「聖書にそう書かれていたのでしました」。そういうことが現実にあるということを、わたしたちは認識する必要があります。大げさな作り話ではありません。
私がいま申し上げていることは、イエスさまに対する批判ではないし、聖書に対する批判でもありませんが、だからといって、自分の体を自分で傷つける方々を責めているのでもありません。「だれが悪い」「だれのせいだ」と言い合って解決する問題ではないと私には思えます。
しかし、たとえイエスさまであっても、言いたい放題ではまずいのではないでしょうか、いくらなんでも言い過ぎではないでしょうか、酷すぎではないでしょうか、くらいは言っておくほうがよさそうに思います。本当に実行する方々がおられるからです。実行する方々を責めているのではありません。「お願いですからやめてください。そんなことをなさらないでください」と懇願したい気持ちがあるだけです。
しかし、なぜイエスさまはこれほどまでに過激なことをおっしゃっているのでしょうか。その意図を考える必要があります。
「小さい者」(マルコ9章42節、ルカ17章2節)の意味は「子ども」です。「つまずかせる」と訳されているギリシア語は「罠(わな)」や「餌(えさ)」という意味を持つスカンダロン(σκανδαλον)という名詞の動詞形のスカンダリゾー(σκανδαλίζω)で、英語「スキャンダル(scandal)」の語源であるという話は、教会生活が長い方はお聞きになっているでしょうし、今日初めての方は、これから何度も聞かされる話ですので、ぜひ覚えてください。
「つまずかせる」というと、柔道の足払いや大外刈りのように足をひっかける技を仕掛けること、あるいは石や木の棒などを地面に置いてだれかの足を引っかける悪さをすることなどを連想するでしょう。
しかし、ギリシア語の意味はそちらのほうでなく、餌を仕掛けて動物や鳥などをおびき寄せ、餌を食べている隙を狙って上から網をかけて、捕縛することです。そのような意味だという意味のことが、岩隈直(いわくま・なおし)氏の『新約ギリシア語辞典』に記されています。
いま申し上げたことをまとめれば、「小さい者の一人をつまずかせる」の意味は、子どもに餌を与えて罠にかけるような騙し方をして、罠をかけた側の人(「子ども」と比較される存在は「大人」)の食い物にすることで、その子どもの心身をめちゃくちゃに破壊し、将来と人生から光を奪い、落胆と絶望へと陥れることです。
そのようなことが許されていいはずがないと、イエスさまが、実際に罠にかけられて食い物にされてボロボロに傷つけられ、自分の言葉で物も言えなくなってしまっているかもしれないその子どもたちの代わりに、ほとんど怒り狂うほどの勢いで激しい言葉を発しておられるのです。
「大人になるまでは誰からも傷つけられたことがなく、大人になって初めて傷つけられた」という方々が、現実の世界にどれくらいおられるかは、私には分かりません。しかし、傷を受けた年齢が低ければ低いほど、その傷を背負って生きなければならない年月が長くなります。
私は今、算数の問題のような話をしました。治る傷ならば問題ないと言えるかどうかも難しい問題です。しかし、まだ子どもであるときに、一生治ることのない傷を、大人である人から明確な悪意をもって、または悪ふざけで、心身につけられて、それを70年も80年も90年も背負って行かねばならないとなれば、だれにとっても大問題でしょう。
そのようなことを大人がしてはいけない、させてはいけない、という明確な警告をイエスさまが発しておられると考えることができるなら、最初に申し上げた自傷行為の問題とは違った次元と角度から、今日の箇所のイエスさまの言葉を理解することができるのではないかと思います。
しかし、今日マルコでなくルカを選んだ理由は、子どもを罠にかけて騙して食い物にするような悪党でさえ、子どもだけでなく大人相手の犯罪をしでかす人でさえ、もしその人が悔い改めるなら「赦してやりなさい」(3節、4節)と、イエスさまがおっしゃっているからです。
「そんな都合のいい話があるか」と私も何度も言われてきました。「キリスト教はずるい教えだ」と。たしかにそうかもしれません。しかし、今こそわたしたちは、自分の胸に手を当てて考えるべきです。「私は今までだれも傷つけたことがないだろうか。私のために苦しんでいる人がいないだろうか。赦してもらわないかぎり生きてはならないのは私自身ではないだろうか」と。
しかし、覆水盆に返らず、考えることしかできないし、考えても無駄かもしれませんが、全く考えないよりは、少しはましです。私も他人事ではありません。重い言葉であることは確実です。
(2022年8月14日 聖日礼拝)
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「平和に過ごす」
マルコによる福音書9章33~41節
関口 康
「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」
今日は8月第1日曜日です。日本キリスト教団が1962年に定め、翌1963年から実施している「平和聖日」です。1960年の日米安全保障条約に反対する国内の平和運動との関係で定められた日です。そのことを昨年度も申し上げました。
しかし、私には軍隊経験はありませんし、戦争の現場にいたことも無いし、キリスト教や他の平和運動の団体に属していません。私にできることがあるとすれば、聖書の中で「平和」は何を意味するかを解説することと、戦争が終わることを祈ることです。
無力さを痛感していないわけではありません。しかし、長年私を支えている言葉があります。メールのやりとりでした。20年ほど前です。現在、首都圏の国立大学で政治学を教えておられる教授です。私とほぼ同世代で、日本キリスト教団の教会に属するキリスト者の方です。
なぜ20年ほど前か。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件への報復を理由に始まったアフガニスタン戦争の勃発当初、私は30代でしたが、そのときも何もできない無力さを痛感し、悩んだからです。戦地に乗り込んで平和運動をする人がいることを知り、「あんなふうにできたらいいのに」と考えました。私はそういう人間です。考えるだけで行動が伴いません。
私の思いをその先生に伝えたところ、慰めの言葉をくださいました。「戦地に行って平和のために行動することと、自分が今いる場所で平和を享受し、平和に過ごすことは、本質的に同じ意味と価値を持つので、悩むことはない」(大意)というものでした。
目から鱗が落ちる思いでした。平和運動を日々展開しておられる方々には、まるで言い逃れをしているかのように響く言葉かもしれません。しかし、決して言い逃れではありません。事柄の本質に迫る言葉です。まさに20年、大切に受け止めてきました。
「自分が今いる場所で平和を享受し、平和に過ごすこと」は簡単で当たり前のことでしょうか。何十年も前から「平和ボケ」という言葉を耳にしますが、失礼極まりない言いがかりです。
平和憲法があるかぎり、わたしたちが徴兵されることはなく、自分が武器を取って戦地に立つこともありません。その平和憲法を、現政府が力ずくで変えようとしています。
徴兵が始まれば、戦地に行かされるのは今の子どもたちです。「教え子を戦地に行かせない」という言葉をまさか私が学校の教室で高校生たち相手に力説する日が来るとは想像していませんでした。本当にそうなる可能性がゼロでなくなっています。肯定する意味ではありません。
今日の聖書箇所の中で特に取り上げたいのは、40節の「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」というイエス・キリストの言葉です。
聖書のどの言葉も同じですが、ひとつの言葉だけを前後の文脈から切り離して、勝手な意味を押し付けてはいけませんので、本来ならば文脈の説明を欠かすことはできません。しかし、今日は特別に、別の方法を採らせていただきます。
今日ご紹介したいのは、新約聖書の最初の3つの福音書の中に、いずれもイエスさまの言葉として紹介され、おおむね同じ趣旨でありながら、内容が異なる並行記事がある、ということです。
マタイによる福音書12章30節(新共同訳22ページ)には「わたしに味方しない者は、わたしに敵対し(ている)」と記されています。ルカによる福音書9章50節(新共同訳124ページ)は「あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである」と記されています。
今日の箇所のマルコ福音書の言葉に近いのはルカ福音書のほうですが、マルコで「わたしたち」と書かれているところが、ルカでは「あなたがた」になっています。
言葉どおりに考えれば、イエスさまが範囲に含まれるかどうかの違いです。「わたしたち」にはイエスさまが含まれ、「あなたがた」にはイエスさまは含まれません。その場合「あなたがた」の意味は「教会」です。そして同時に「聖書の読者」です。あなたのことです。
マルコ福音書の言葉と、もしかしたら正反対の意味にもとれるのが、マタイ福音書の言葉です。「味方でない者は敵である」と言うのと、「わたしに逆らわない者」つまり「わたしの敵でない者は味方である」と言うのとで正反対の意味になるかどうかは考えどころですが、かなり違います。
いま挙げた3つの福音書の並行記事の中で、本当にイエスさまがおっしゃった言葉はどれなのかを決定するのは不可能です。それよりも大事なことは、3つすべてが同じひとりのイエスさまから発せられた言葉であると受け入れたうえで、その意味を重層的に考えることです。
このようなことは、私の考えを披歴するより、信頼されてきた参考書の言葉を紹介するほうがよいと思います。日本の教会で古くから読まれてきたアドルフ・シュラッター(Adolf Schlatter [1852-1938])の『新約聖書講解2 マルコによる福音書』(新教出版社、1977年)の今日の箇所のところにマタイ福音書12章30節についての素晴らしい解説があることが分かりました。
「決意のある、忠実な交わりだけが、どこまでもイエスに結びついて行く道である。真心からイエスの側に立たない人は、イエスの戦いの相手、戦って雌雄を決する、世の戦いの相手であるもろもろの力に奉仕し続けている。そこには真剣で、痛切な悔い改めへの呼びかけがあり、決断と決意を求め、どっちつかずの人びとを奮い立たせ、中途半端を裁き、ひそかな敵意を明るみに出し、その人がわれとわが身を投げ込む危険を教えている」(同上書105ページ)。
私なりの言葉で言い換えれば、マタイ福音書のほうの「わたしの味方でない者は敵である」というイエスさまのみことばは、その「敵」とイエスさまが戦闘なさるのではなく、「戦って雌雄を決する世の戦い」から決別して、「戦わないわたしの側につきなさい」という呼びかけを意味するということです。「戦わない決心と約束をしなさい」ということです。
この理解で正しいならマタイ福音書とマルコ福音書は矛盾していません。シュラッターが次のように整理してくれています。「前者〔マタイ〕は、私たちが自分たちのなまぬるいどっちつかずの行き方が気に入ってしまわないように防ぎとめる。後者〔マルコ〕は、私たちが自分たちの弱々しく、未熟な在り方のために気落ちしてしまわないよう防ぎとめている」(同上書106ページ)。
もう一度読みます。シュラッターによるとマルコのイエスさまの言葉には「私たちが自分たちの弱々しく、未熟な在り方のために気落ちしてしまわないように防ぎとめる」意味があります。
自分は安全地帯にいて、平和のために具体的な行動を起こせず、何をすればよいか分からないし、手をこまねいて状況を観察しているだけであることを苦にし、ただ悩むばかりだとしても、「戦わない決心と約束」をお求めになるイエスさまに逆らわないならば、その人々と共にわたしはいると、イエスさまが慰めてくださっている、ということです。
決して言い逃れではありません。「わたしたちが戦いを避け、平和に過ごすこと」が「イエス・キリストの味方」であることを意味します。それは日々の平和運動です。
(2022年8月7日 平和聖日礼拝)
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「見えるようになる」
マルコによる福音書8章22~26節
関口 康
「イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、『何か見えるか』とお尋ねになった。」
今日の箇所のイエスさまは「ベトサイダ」(22節)におられます。地図によると、ベトサイダはガリラヤ湖の北端です。
パレスティナとは、北にガリラヤ湖、南に死海、両者をつなぐヨルダン川、そして西に地中海があるあたりを指します。イエスさまがお生まれになったベツレヘムは死海、そしてエルサレムに近い南側にあります。しかし、イエスさまが幼少期に過ごされたナザレや、イエスさまが宣教活動を開始されたカファルナウムは北のガリラヤ湖の近くです。
「都会か田舎か」という大雑把なくくりで言えば、エルサレムを中心とする南側は「都会」で、ガリラヤ湖側は「田舎」です。このようなことからいえば、イエスさまは、田舎育ちの人で、田舎伝道をなさった方だと、そのように説明することもできなくはありません。
そして、今日の箇所の出来事も「ベトサイダ」でのことだと書かれていますので、イエスさまの宣教活動の本拠地に近いあたりでの出来事であることが分かります。書かれていることによると、イエスさまと弟子たちがベトサイダに到着されたとき、人々がひとりの盲人を連れてきて、イエスさまに触れていただきたいと願いました。
「盲人」とは、目が不自由な人のことだと説明する以外にありません。それ以上のことは今日の箇所からは分かりません。生まれつき何も見ることができなかった人なのか、人生の途中までは見えていたけれども、だんだん見えなくなったのか。だんだん視力を失ったという場合、何らかの事故や病気で突然視力を失ったのか、それとも高齢になってきて自然に視力が衰えていったのか。そもそも全く見えないのか、少しは見えるのか。光を認識することができたのか、できなかったのか。そのようなことが分かるデータは提供されていません。
ここに書かれているのは、ただ「一人の盲人」ということだけです。このベトサイダでの出来事は、他の3つの福音書には出てきません。マルコによる福音書だけが記していることですので、他と比較することができません。そのことはつまり、この人の目のイエスさまに出会う前までの状態がどのようなものだったか、どの程度見えなかったかについて想像力を膨らませて考えることは可能であるということになります。
そうすることは今日のテキストによって禁じられてもいません。「一人の盲人」と書かれているだけですので、ふたり以上ではなかったことと、とにかく「盲人」と呼びうる程度の目の障がいを持つ人だったということだけが分かります。言葉が多い、説明が詳しいというのは、人間ならだれでもする、自分の想像力を勝手にどんどん膨らませていくことを禁じ、「そうではなく、こうである」と想像力の範囲を限定することを事実上意味します。しかし、今日の箇所でそのことはなされていませんので、勝手な想像を膨らませることは可能だということになります。
ですから、今日の箇所をわたしたちが読む場合、何通りでも考えうる可能性の中でわたしたちにとって受け入れやすい選択肢を選ぶことができると言えます。私はそれで構わないと考えます。どの選択肢が最も受け入れやすいかは、人それぞれの違いがあるでしょう。この箇所を読む読者自身の経験や体験に引き寄せて読むことも可能ですし、大事なことでもあります。なぜ「大事」なのかといえば、この「一人の盲人」は私によく似ている、私自身かもしれないと、この人のことを身近に感じることができ、親近感を抱くことができれば、それが最もよいことだからです。
ここでいきなり私の話をさせていただきます。私の目の話です。小学生のころ、「仮性近視」という病名をつけられたことがあります。右目と左目の視力が極端に違いました。それをきっかけに私の親が考えたのは家の中からテレビを追い出すことでした。もともとテレビがあったのですが、私が観すぎのところがあったようで、それで目が悪くなったと、本当にそうなのかどうかは分かりませんが、とにかく親がテレビを撤去しました。それ以来、私が高校を卒業するまで我が家にテレビはありませんでした。
それ以後はむしろ、よく見える目になりました。「見えない」という意味が分からないと思うほどよく見えました。眼鏡をかけるようになったのは30歳からです。「一生はずせない」と言われました。実は眼鏡なしでもよく見えるのですが、乱視になりました。眼鏡を外したままで3時間も過ごせば目・肩・背中・腰が痛みはじめます。いまかけている眼鏡は乱視矯正用です。
しかし、それだけでなく、次第に老眼です。「見えない」というほどではありませんが、「よく見えない」ことが増えてきました。
私の話はこれで終わります。どこにでもある、普通の話です。私が申し上げたいのは「見える」とか「見えない」というのは、実に多種多様な可能性があるということです。「目の前にあるのに見えていない」ものは、わたしたちにはいくらでもあります。その時々の主観的な興味や関心との関係で見えたり見えなかったりするのも、わたしたちの目です。聖書を開いても関心がなければ、ただの字の羅列です。
今日の箇所の「盲人」の目がどのような症状だったかは分かりません。比較的受け入れやすいと私に思えるのは、もともとはよく見える目の持ち主だったが、中途で失明された可能性です。失明といっても、全く光を認識できないほどではないし、もしかしたらある程度の何かは見える。ものの動きも分かる。もともと見えていたので、今ははっきり見えなくても想像力を働かせることができる。そういう「盲人」だったのではないかということです。その可能性を排除しなければならないデータがありません。
イエスさまはその人の目を見えるようにしてくださいました。何をなさったかは、この箇所に書かれているとおりです。「イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、『何が見えるか』とお尋ねになった」(23節)というのです。ひとつの言い方をすれば、手をつないで一緒に散歩なさったということです。「唾をつける」のは汚いとか、効き目があるのかとか思われるかもしれませんが、キスの一種だと考えてよいはずです。
つまり、イエスさまがなさったことをわたしたちに理解しやすい言葉で言い換えれば、一緒に散歩してくださる友達になってくださり、キスするほど愛してくださったというのに最も近いと、私には思えます。このように理解する可能性を排除する根拠はありません。
この人は視力を失って以来、寂しい毎日を過ごしていたのではないでしょうか。心がふさぎ、周囲で起こる出来事への関心を失い、喜びも感動も失って、孤立していたのではないでしょうか。
その人が最も求めていたものを、イエスさまがくださいました。それは愛と友情です。それが与えられたとき、周囲の人と世界に対する関心が呼び戻され、「見えるようになった」のです。
(2022年7月24日 聖日礼拝)
| 日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
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「喜びと聖霊」
使徒言行録13章41~52節
関口 康
「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません」(ガラテヤの信徒への手紙5章22~23節)
今日も先週の礼拝に続いて、使徒言行録を開いています。今日の箇所も日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に基づいて選びました。使徒言行録が続いているのは、わたしたちが今、教会暦で言うところの聖霊降臨節を過ごしている関係で、教団の聖書日課で選ばれる聖書箇所が「聖霊とは何か」「聖霊の働きとは何か」「聖霊降臨後の教会の歩みはどのようなものか」といった問いに答えを与えるものになっているからであると申し上げることができます。
それで、先週の箇所が使徒言行録の11章19節から26節でした。「アンティオキアの教会」という小見出しを新共同訳聖書がつけている箇所です。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」(11章26節)という感銘深い言葉が記されている箇所です。それが意味することは、「初代」ないし「原始」キリスト教会の出発と発展の中で特に際立つ仕方で活発な宣教がなされた教会のひとつがアンティオキア教会だった、と言ってよいでしょう。
そして、やはり特に、このアンティオキア教会と結びつく存在として使徒言行録が描いているのが、まだ「サウロ」という名前で呼ばれていたころの、後の使徒パウロです。当時のアンティオキア教会にいた宣教者バルナバがサウロをタルソスから連れ帰ったうえで、バルナバとサウロがアンティオキア教会に丸一年間一緒にいて多くの人を教えました。この使徒パウロにとって最初の宣教拠点になったのがアンティオキア教会であるという点が歴史的に重要な意味を持ちます。
そしてさらに、今日選ばれている箇所には、いまご紹介した出来事よりも少し先に進んだ出来事が描かれています。ひとことでいえば、バルナバ・サウロ両名がアンティオキア教会から派遣されて海外宣教を行うことになりました。それは、使徒パウロの生涯における宣教という観点からいえば「第一回宣教旅行」と呼ばれるものになりました。その宣教旅行に先立って派遣式が行われました。13章1節以下をご覧いただくと大変興味深いことが記されています。
「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。』そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」。
どこが興味深いかといえば、このとき一体何が起こったのかと特別な興味をかき立てられる文章として、このことを「聖霊が告げた」(?)と記されているところです。
「聖霊」がしゃべったのでしょうか。それはどういう言葉で語られたのでしょうか。何語だったのでしょうか。ヘブライ語でしょうか、ギリシア語でしょうか。どういう声または音だったのでしょうか。男声だったでしょうか、女声だったでしょうか。人間の耳に聞こえる物理的な音声だったでしょうか。それとも「心の声」のようなものだったでしょうか。などなど、いろいろ考えてしまう方がおられないでしょうか。
しかし、ここは良い意味でご安心いただきたいです。恐ろしいことが起こったわけではありません。理解する鍵は、13章1節以下の文章の中にも出てくる「預言する者」(預言者)の存在です。預言者は旧約聖書だけでなく新約聖書にも登場します。
「聖霊が告げた」というのは、預言者が「聖霊のお告げ」として語った言葉を指します。これは私が想像で言っていることではなく、根拠ある解釈です。F. F. ブルース『使徒行伝』(聖書図書刊行会、いのちのことば社、1958年)のような比較的保守的な註解書にもそのように記されています。預言者が「聖霊が告げた」と自ら信じた言葉を語り、その言葉を聴く人々が預言者の言葉を「聖霊のお告げ」だと信じたのです。そのような信仰の様式(ありかた)が昔の教会にあったという言い方が可能です。
今のわたしたちはこのような信仰を全く失ってしまったかと言えば、必ずしもそうではありません。教会のみんな、あるいは何人かで集まって行う会議、たとえば役員会や教会総会は、その本質を厳密に考えれば、使徒言行録13章1節以下の記事に記されている意味での「聖霊のお告げ」を求めるために開くものです。そういう感覚をわたしたちが全く失ってしまっているとしたら、教会は世俗的な集団と変わらないものになり果ててしまっています。
教会の会議に集まるひとりひとりの心のうちに信仰と祈りを持ち寄って相談し、「神の御心は何か」を共に見出していくのです。わたしたちが教会の会議で求める「神の御心」と、預言者が語った「聖霊のお告げ」は、本質的に同じものですし、同じでなくてはいけません。
さて、使徒パウロにとっての「第一回宣教旅行」にはバルナバが一緒にいましたので、公平を期すれば「バルナバの宣教旅行」とも言わなくてはならないはずですが、その旅行がどのようなものだったかは、使徒言行録の13章と14章に詳しく記されています。はっきり分かることは、なんらスムーズに進んでおらず、ひたすらドタバタ騒ぎの連続だったということです。偽預言者と対決したり、反対者にののしられたり、ねたまれたり、暴力を振るわれたり。しかし、信じる人もいた、増えていった、そこに未来の教会の土台ができた。
宣教(伝道)は、楽しいことばかりでも、つらいことばかりでもありません。両面あります。それはどの仕事も同じです。しかし、「聖霊」が与えてくださる「喜び」は格別です。
そして、14章の最後の段落を見ますと、バルナバとパウロの二人は再びアンティオキア教会に戻ります。自分たちを海外宣教に派遣した教会に戻って報告するためです。彼らは純粋に自分たちの遊びとしての海外旅行を楽しんでいるのではありません。会社の海外出張と同じです。旅行資金も派遣元の本部から支出されている関係にありますので、必ず本部に戻って報告しなくてはいけません。
言い方を換えれば、宣教活動には初めと終わりがあるということにもなります。終わりがなくいつまでも続けるものではありません。もちろん期間に長短はあります。1年、2年、5年、10年、20年、50年、70年。人それぞれ、教会それぞれです。しかしそれでも、ひとりの宣教者の働きはいつか必ず終わります。その働きは別の宣教者へと受け継がれていく必要があります。
しかし、そこで起こる問題は、宣教そのものと宣教者の存在とをどこまで区別できるか、ということです。たとえば、わたしたちは二千年を経ても、いまだに「使徒パウロの宣教」と言うでしょう。それは、パウロというひとりの人格と、彼が宣べ伝えた宣教内容としての福音は完全に切り離して考えることはできないととらえているからです。しかし、パウロが二千年生きているのではなく、彼の生涯は終わり、別の人が宣教を受け継いだのですが、受け継いだ人たちの名前と存在は忘れられています。
しかし、そのときこそ「聖霊」の出番です。ひとりの偉大な宣教者の名前と結びつく宣教ではなく、「聖霊なる神の宣教」が今日まで受け継がれてきたものです。名もなき無数の宣教者こそ偉大です。
(2022年7月10日 聖日礼拝)
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宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます
「宣教の使命」
使徒言行録11章19~26節
関口 康
「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった。」
今日の箇所は先週の週報で予告したところから変更しました。先週突然亡くなられた教会員の葬儀を明後日行います。そういうときに読む聖書の言葉は論争的な内容でないほうがよいと考えました。気持ちの問題で変更することをお許しください。
しかし、使徒言行録であることに変わりありません。使徒言行録は、最初期のキリスト教会の宣教ないし伝道の様子を描いている書物です。しかも今日の箇所はとても躍動感があって端的に面白いです。元気が出てきます。
あらすじを申し上げます。「ステファノの事件」(19節)については、使徒言行録6章と7章に詳細が記されています。ステファノはキリスト教会最初の殉教者になった人です。イエスさまと行動を共にした12人の使徒ではありません。
聖霊降臨後のキリスト教会が成長しはじめ、信徒の数が増えてきて、それに伴って教会の中で人間関係のトラブルも増え、交通整理が必要になったので、12人の使徒を助ける人たちが必要だということになりました。
このとき使徒たちが用いた論法はたいへん興味深いものです。6章2節以下に記されています。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、霊と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい」。その7人の中に選ばれたのがステファノでした。
この論法のどこが興味深いか。おそらく誤解もされやすい言葉であるということをあらかじめ申し上げます。誤解のほうを先に言うほうが分かりやすいと思います。
ありそうな誤解は、「神の言葉」と「食事の世話」を比較したうえで「神の言葉」のほうがどう考えても大切で価値があることで、それは我々のような専門家にしかできないことだけれども、「食事の世話」などという相対的に価値の低いことは、だれでもできることだから、わたしたちに押し付けないでくれと使徒たちが「食事の世話」を他人任せにしようとした、というものです。
まるで自分たちのほうが身分か何かが上で、価値の低いことは自分たちよりも身分が低い人にやらせればいい、と使徒たちが考えたかのように。
しかし、そんなふうに読むのは間違いです。もしそうなら、使徒たちは二度とごはんを食べてはいけません。このように言う私には、使徒たちをかばう気持ちがあります。はたして本当に、彼らの中に「神の言葉」と比較して「食事の世話」を下に見る思いが全く無かったかどうかは、分かりません。そうではないと信じたいだけのところがあります。
「神の言葉」を宣べ伝えるという大切な働きをすべき我々を「食事の世話」などという煩わしいことに巻き込んで邪魔しないでくれと使徒たちが考えたのではなく、その正反対だと。教会の存在理由(レゾンデートル)の中に「神の言葉」と「食事の世話」が必ず両立しなければならないと使徒たちが考えたのだと。「食事の世話」は「神の言葉」と匹敵する同等の価値を持つことだと。そのように使徒たちが考えたのであれば、これからもごはんを食べてくださいと言いたいです。
脱線が長くなりました。今申し上げた文脈の中で選ばれた7人の奉仕者のひとりがステファノだったというわけです。しかしそのステファノがキリスト教会最初の殉教者になりました。どのようにしてステファノが殺害されたかについては使徒言行録7章14節以下に記されていますのでぜひお読みください。
このステファノの事件をきっかけにして迫害が強まったため、人々が「散らされて」いました(19節)。「フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行った」(同上節)とあるのはエルサレムからの逃亡先ですが、「フェニキア」は都市の名前ではなく地域の名前、「キプロス」は地中海に浮かぶ島の名前、「アンティオキア」は都市の名前です。
この中で特に重要な拠点になったのが、アンティオキアです。地図で見るとエルサレムの真上(北の方角)です。エルサレムから直線距離で460キロメートル。東京から大阪までが直線距離で400キロメートル。東京から盛岡(岩手県)までが460キロメートルで、ぴったり同じです。そこまで歩いて逃げたのは大変だったと想像できます。
しかし、そのアンティオキアに当時の国際都市の様相があり、ヘブライ語を話すユダヤ人だけでなくギリシア語を話す人々にもイエス・キリストの福音を宣べ伝える交流の場が与えられて、その教会が成長したというのです。
その東京からすればだいたい大阪、あるいはぴったり盛岡の距離があるアンティオキアの教会が成長しているといううわさが、エルサレムにとどまっていた使徒たちの耳に届いたので、強力な応援団としてバルナバが派遣されることになりました。
バルナバは使徒言行録に3か所登場します(4章36~37節、9章27~30節、15章36~40節)。ユダヤ人のレビ族出身、バルナバは通称でその意味は「慰めの子」、本名はヨセフ。キプロス島で生まれる。自分が持っていた畑を売り払ったお金を使徒たちに渡した人。
今日の箇所にも「バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」(24節)とありますが、自分の畑を売ったお金を教会に献金したから立派だという話ではありません。「聖霊」と「信仰」が並べて書かれていることにどのような意味があるかは、はっきり分かりません。代々の教会の信仰によれば、「聖霊」は父・子・聖霊なる三位一体の神であり、聖霊なる神が我々人間の心と体のうちに宿ってくださることによって、その人に「信仰」が与えられるという関係にあります。
しかしまた、その「信仰」は、あくまでも人間の側に属するものでなくては意味がありません。それはわたしたちが毎週の礼拝で告白する使徒信条にあるとおりです。「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。我は聖霊を信ず」と、「我信ず」(I believe)を3回繰り返します。「信仰」はあくまでも「私がすること」です。神が「信じてくださる」のではありません。バルナバは熱心な信者だと語ることに問題はありません。
そのバルナバがまだ「サウロ」を名乗っていた、後の使徒パウロを、パウロの出身地タルソスまで捜しに行って、見つけてアンティオキアまで連れ帰り、コンビで1年間アンティオキア教会にとどまって、多くの人にイエス・キリストの福音を宣べ伝えました。
そして、そのアンティオキアで「弟子たち」(26節)すなわちイエス・キリストこそ真の救い主であると信じた人々が、初めて「キリスト者」(クリスティアーヌス)と呼ばれるようになったというのです。自ら名乗ったのでなく、周囲の人につけられたニックネーム(あだ名)です。それが今日まで二千年、わたしたちの呼び名になっているのですから驚きです。
アンティオキア教会を模範にしながら、わたしたちの教会のあり方を考えることが大事です。
(2022年7月3日 聖日礼拝)