日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん
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「喜びと聖霊」
使徒言行録13章41~52節
関口 康
「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません」(ガラテヤの信徒への手紙5章22~23節)
今日も先週の礼拝に続いて、使徒言行録を開いています。今日の箇所も日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に基づいて選びました。使徒言行録が続いているのは、わたしたちが今、教会暦で言うところの聖霊降臨節を過ごしている関係で、教団の聖書日課で選ばれる聖書箇所が「聖霊とは何か」「聖霊の働きとは何か」「聖霊降臨後の教会の歩みはどのようなものか」といった問いに答えを与えるものになっているからであると申し上げることができます。
それで、先週の箇所が使徒言行録の11章19節から26節でした。「アンティオキアの教会」という小見出しを新共同訳聖書がつけている箇所です。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」(11章26節)という感銘深い言葉が記されている箇所です。それが意味することは、「初代」ないし「原始」キリスト教会の出発と発展の中で特に際立つ仕方で活発な宣教がなされた教会のひとつがアンティオキア教会だった、と言ってよいでしょう。
そして、やはり特に、このアンティオキア教会と結びつく存在として使徒言行録が描いているのが、まだ「サウロ」という名前で呼ばれていたころの、後の使徒パウロです。当時のアンティオキア教会にいた宣教者バルナバがサウロをタルソスから連れ帰ったうえで、バルナバとサウロがアンティオキア教会に丸一年間一緒にいて多くの人を教えました。この使徒パウロにとって最初の宣教拠点になったのがアンティオキア教会であるという点が歴史的に重要な意味を持ちます。
そしてさらに、今日選ばれている箇所には、いまご紹介した出来事よりも少し先に進んだ出来事が描かれています。ひとことでいえば、バルナバ・サウロ両名がアンティオキア教会から派遣されて海外宣教を行うことになりました。それは、使徒パウロの生涯における宣教という観点からいえば「第一回宣教旅行」と呼ばれるものになりました。その宣教旅行に先立って派遣式が行われました。13章1節以下をご覧いただくと大変興味深いことが記されています。
「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。』そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」。
どこが興味深いかといえば、このとき一体何が起こったのかと特別な興味をかき立てられる文章として、このことを「聖霊が告げた」(?)と記されているところです。
「聖霊」がしゃべったのでしょうか。それはどういう言葉で語られたのでしょうか。何語だったのでしょうか。ヘブライ語でしょうか、ギリシア語でしょうか。どういう声または音だったのでしょうか。男声だったでしょうか、女声だったでしょうか。人間の耳に聞こえる物理的な音声だったでしょうか。それとも「心の声」のようなものだったでしょうか。などなど、いろいろ考えてしまう方がおられないでしょうか。
しかし、ここは良い意味でご安心いただきたいです。恐ろしいことが起こったわけではありません。理解する鍵は、13章1節以下の文章の中にも出てくる「預言する者」(預言者)の存在です。預言者は旧約聖書だけでなく新約聖書にも登場します。
「聖霊が告げた」というのは、預言者が「聖霊のお告げ」として語った言葉を指します。これは私が想像で言っていることではなく、根拠ある解釈です。F. F. ブルース『使徒行伝』(聖書図書刊行会、いのちのことば社、1958年)のような比較的保守的な註解書にもそのように記されています。預言者が「聖霊が告げた」と自ら信じた言葉を語り、その言葉を聴く人々が預言者の言葉を「聖霊のお告げ」だと信じたのです。そのような信仰の様式(ありかた)が昔の教会にあったという言い方が可能です。
今のわたしたちはこのような信仰を全く失ってしまったかと言えば、必ずしもそうではありません。教会のみんな、あるいは何人かで集まって行う会議、たとえば役員会や教会総会は、その本質を厳密に考えれば、使徒言行録13章1節以下の記事に記されている意味での「聖霊のお告げ」を求めるために開くものです。そういう感覚をわたしたちが全く失ってしまっているとしたら、教会は世俗的な集団と変わらないものになり果ててしまっています。
教会の会議に集まるひとりひとりの心のうちに信仰と祈りを持ち寄って相談し、「神の御心は何か」を共に見出していくのです。わたしたちが教会の会議で求める「神の御心」と、預言者が語った「聖霊のお告げ」は、本質的に同じものですし、同じでなくてはいけません。
さて、使徒パウロにとっての「第一回宣教旅行」にはバルナバが一緒にいましたので、公平を期すれば「バルナバの宣教旅行」とも言わなくてはならないはずですが、その旅行がどのようなものだったかは、使徒言行録の13章と14章に詳しく記されています。はっきり分かることは、なんらスムーズに進んでおらず、ひたすらドタバタ騒ぎの連続だったということです。偽預言者と対決したり、反対者にののしられたり、ねたまれたり、暴力を振るわれたり。しかし、信じる人もいた、増えていった、そこに未来の教会の土台ができた。
宣教(伝道)は、楽しいことばかりでも、つらいことばかりでもありません。両面あります。それはどの仕事も同じです。しかし、「聖霊」が与えてくださる「喜び」は格別です。
そして、14章の最後の段落を見ますと、バルナバとパウロの二人は再びアンティオキア教会に戻ります。自分たちを海外宣教に派遣した教会に戻って報告するためです。彼らは純粋に自分たちの遊びとしての海外旅行を楽しんでいるのではありません。会社の海外出張と同じです。旅行資金も派遣元の本部から支出されている関係にありますので、必ず本部に戻って報告しなくてはいけません。
言い方を換えれば、宣教活動には初めと終わりがあるということにもなります。終わりがなくいつまでも続けるものではありません。もちろん期間に長短はあります。1年、2年、5年、10年、20年、50年、70年。人それぞれ、教会それぞれです。しかしそれでも、ひとりの宣教者の働きはいつか必ず終わります。その働きは別の宣教者へと受け継がれていく必要があります。
しかし、そこで起こる問題は、宣教そのものと宣教者の存在とをどこまで区別できるか、ということです。たとえば、わたしたちは二千年を経ても、いまだに「使徒パウロの宣教」と言うでしょう。それは、パウロというひとりの人格と、彼が宣べ伝えた宣教内容としての福音は完全に切り離して考えることはできないととらえているからです。しかし、パウロが二千年生きているのではなく、彼の生涯は終わり、別の人が宣教を受け継いだのですが、受け継いだ人たちの名前と存在は忘れられています。
しかし、そのときこそ「聖霊」の出番です。ひとりの偉大な宣教者の名前と結びつく宣教ではなく、「聖霊なる神の宣教」が今日まで受け継がれてきたものです。名もなき無数の宣教者こそ偉大です。
(2022年7月10日 聖日礼拝)