2022年7月24日日曜日

見えるようになる(2022年7月24日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 402番 いともとうとき(1、3節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「見えるようになる」

マルコによる福音書8章22~26節

関口 康

「イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、『何か見えるか』とお尋ねになった。」

今日の箇所のイエスさまは「ベトサイダ」(22節)におられます。地図によると、ベトサイダはガリラヤ湖の北端です。

パレスティナとは、北にガリラヤ湖、南に死海、両者をつなぐヨルダン川、そして西に地中海があるあたりを指します。イエスさまがお生まれになったベツレヘムは死海、そしてエルサレムに近い南側にあります。しかし、イエスさまが幼少期に過ごされたナザレや、イエスさまが宣教活動を開始されたカファルナウムは北のガリラヤ湖の近くです。

「都会か田舎か」という大雑把なくくりで言えば、エルサレムを中心とする南側は「都会」で、ガリラヤ湖側は「田舎」です。このようなことからいえば、イエスさまは、田舎育ちの人で、田舎伝道をなさった方だと、そのように説明することもできなくはありません。

そして、今日の箇所の出来事も「ベトサイダ」でのことだと書かれていますので、イエスさまの宣教活動の本拠地に近いあたりでの出来事であることが分かります。書かれていることによると、イエスさまと弟子たちがベトサイダに到着されたとき、人々がひとりの盲人を連れてきて、イエスさまに触れていただきたいと願いました。

「盲人」とは、目が不自由な人のことだと説明する以外にありません。それ以上のことは今日の箇所からは分かりません。生まれつき何も見ることができなかった人なのか、人生の途中までは見えていたけれども、だんだん見えなくなったのか。だんだん視力を失ったという場合、何らかの事故や病気で突然視力を失ったのか、それとも高齢になってきて自然に視力が衰えていったのか。そもそも全く見えないのか、少しは見えるのか。光を認識することができたのか、できなかったのか。そのようなことが分かるデータは提供されていません。

ここに書かれているのは、ただ「一人の盲人」ということだけです。このベトサイダでの出来事は、他の3つの福音書には出てきません。マルコによる福音書だけが記していることですので、他と比較することができません。そのことはつまり、この人の目のイエスさまに出会う前までの状態がどのようなものだったか、どの程度見えなかったかについて想像力を膨らませて考えることは可能であるということになります。

そうすることは今日のテキストによって禁じられてもいません。「一人の盲人」と書かれているだけですので、ふたり以上ではなかったことと、とにかく「盲人」と呼びうる程度の目の障がいを持つ人だったということだけが分かります。言葉が多い、説明が詳しいというのは、人間ならだれでもする、自分の想像力を勝手にどんどん膨らませていくことを禁じ、「そうではなく、こうである」と想像力の範囲を限定することを事実上意味します。しかし、今日の箇所でそのことはなされていませんので、勝手な想像を膨らませることは可能だということになります。

ですから、今日の箇所をわたしたちが読む場合、何通りでも考えうる可能性の中でわたしたちにとって受け入れやすい選択肢を選ぶことができると言えます。私はそれで構わないと考えます。どの選択肢が最も受け入れやすいかは、人それぞれの違いがあるでしょう。この箇所を読む読者自身の経験や体験に引き寄せて読むことも可能ですし、大事なことでもあります。なぜ「大事」なのかといえば、この「一人の盲人」は私によく似ている、私自身かもしれないと、この人のことを身近に感じることができ、親近感を抱くことができれば、それが最もよいことだからです。

ここでいきなり私の話をさせていただきます。私の目の話です。小学生のころ、「仮性近視」という病名をつけられたことがあります。右目と左目の視力が極端に違いました。それをきっかけに私の親が考えたのは家の中からテレビを追い出すことでした。もともとテレビがあったのですが、私が観すぎのところがあったようで、それで目が悪くなったと、本当にそうなのかどうかは分かりませんが、とにかく親がテレビを撤去しました。それ以来、私が高校を卒業するまで我が家にテレビはありませんでした。

それ以後はむしろ、よく見える目になりました。「見えない」という意味が分からないと思うほどよく見えました。眼鏡をかけるようになったのは30歳からです。「一生はずせない」と言われました。実は眼鏡なしでもよく見えるのですが、乱視になりました。眼鏡を外したままで3時間も過ごせば目・肩・背中・腰が痛みはじめます。いまかけている眼鏡は乱視矯正用です。

しかし、それだけでなく、次第に老眼です。「見えない」というほどではありませんが、「よく見えない」ことが増えてきました。

私の話はこれで終わります。どこにでもある、普通の話です。私が申し上げたいのは「見える」とか「見えない」というのは、実に多種多様な可能性があるということです。「目の前にあるのに見えていない」ものは、わたしたちにはいくらでもあります。その時々の主観的な興味や関心との関係で見えたり見えなかったりするのも、わたしたちの目です。聖書を開いても関心がなければ、ただの字の羅列です。

今日の箇所の「盲人」の目がどのような症状だったかは分かりません。比較的受け入れやすいと私に思えるのは、もともとはよく見える目の持ち主だったが、中途で失明された可能性です。失明といっても、全く光を認識できないほどではないし、もしかしたらある程度の何かは見える。ものの動きも分かる。もともと見えていたので、今ははっきり見えなくても想像力を働かせることができる。そういう「盲人」だったのではないかということです。その可能性を排除しなければならないデータがありません。

イエスさまはその人の目を見えるようにしてくださいました。何をなさったかは、この箇所に書かれているとおりです。「イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、『何が見えるか』とお尋ねになった」(23節)というのです。ひとつの言い方をすれば、手をつないで一緒に散歩なさったということです。「唾をつける」のは汚いとか、効き目があるのかとか思われるかもしれませんが、キスの一種だと考えてよいはずです。

つまり、イエスさまがなさったことをわたしたちに理解しやすい言葉で言い換えれば、一緒に散歩してくださる友達になってくださり、キスするほど愛してくださったというのに最も近いと、私には思えます。このように理解する可能性を排除する根拠はありません。

この人は視力を失って以来、寂しい毎日を過ごしていたのではないでしょうか。心がふさぎ、周囲で起こる出来事への関心を失い、喜びも感動も失って、孤立していたのではないでしょうか。

その人が最も求めていたものを、イエスさまがくださいました。それは愛と友情です。それが与えられたとき、周囲の人と世界に対する関心が呼び戻され、「見えるようになった」のです。

(2022年7月24日 聖日礼拝)

2022年7月17日日曜日

奇跡の意味(2022年7月17日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)


輝く日を仰ぐとき 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

「奇跡の意味」

マルコによる福音書8章14~21節

関口 康

「イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない」(12節)

こんなことは言い訳にならないのですが、昨日が私が今年度非常勤講師をしている高校の期末試験の採点結果を学校に報告する日だった関係で、特に金曜夜から土曜朝まで徹夜で高校2年生250人の答案の採点をして、昨日の早朝から夕方まで学校にいましたので、教会に戻ったらすぐに寝込んでしまい、気が付くと午前4時でした。他のことがいろいろおろそかになっていることを心からお詫びいたします。今週から夏休みです。

いま所属している学校は、中高全体で1200人の生徒がいます。私は1990年4月に24歳で日本キリスト教団の補教師になり、2016年4月に千葉県のキリスト教主義学校の常勤講師になるまでの26年間はもっぱら教会の牧師の仕事をしていましたので、言い方はまずいかもしれませんが、常に少人数の団体(教会)の中にいました。

よく言えば少数精鋭かもしれませんが、悪く言う必要はないかもしれませんが、甘えがあったというか、なんでも「なあなあ」で済む狭い世界に閉じこもっていたとしか言いようがない面がありました。そういう人間が大きな団体(学校)にも所属するようになりました。いまだに慣れないところと、早く慣れなければならないところとあるのを自覚させられています。学校で働くようになって今年で7年目です。

今日の聖書の箇所には、マルコによる福音書の8章1節から始まる一連の出来事を背景としてイエスさまがお語りになった言葉が記されています。

その出来事は、マルコによる福音書では2か所、よく似た内容の記事がありますが、共通するのはイエスさまのもとに集まった群衆にイエスさまご自身が食事をお配りになった点です。1度目は6章30節以下で、5千人の群衆に5つのパンと2匹の魚をお配りになって群衆みんなが満足した、というものです。そして、今日の箇所は8章ですが、4千人の群衆に7つのパンをお配りになってみんなが満足した、というものです。

「そんなことが起こるはずはない、うそに決まっている、全く信じられない」と反応する方がおられるのは当然です。ありえないことが起こることが「奇跡」です。予測可能なことや、物理的にありうることが事実として発生することを「奇跡」と呼びません。その意味ではわたしたちはこの出来事が「どのようにして」(how)起こったのかを考える必要はありません。種も仕掛けもあるマジック(手品)をイエスさまがなさったわけではないからです。

そのことより大事なことがあります。5千人の群衆に対するときと4千人の群衆に対するときとで共通する要素があることに気づかされます。ひとことで言えば、イエスさまはご自身のもとに集まった群衆のひとりひとりを心から愛しておられた、ということです。

5千人のときに次のように記されています。「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」(6章34節)。

そして4千人に対するイエスさまの言葉はこうです。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れ切ってしまうだろう。中には遠くから来ている者もいる」(8章2~3節)。

奇跡を信じられない方がおられるのは大きな問題ではないと思います。私自身にとっても他人事ではありません。しかし、イエスさまのお気持ちがどうだったかについて記されている、いま読んだ2か所の言葉については、ぜひ信じようではありませんか、と強く訴えたいです。

イエスさまは群衆のひとりひとりを愛しておられました。5千人、4千人と、ひとくくりにして、まるで飛行機の上から豆粒のように見える人を見るようにではなく、ひとりひとりを大切な存在として愛しておられました。その全員をなんとかして元気づけたいというイエスさまの願いが、奇跡を引き起こしたのです。そのことが大事です。

最初に私の学校の話をさせていただいたのは、自慢話や愚痴を言いたかったのではありません。いま申し上げている4千人、5千人という規模の人々が集まって聖書を学ぶ場がどのようなものかを想像するときのヒントを、私個人は学校で得ていると申し上げたいのです。

今はコロナで取りやめになっていますが、キリスト教主義学校の基本は毎朝の学校礼拝で全校生徒が一堂に会することから一日を始めることです。学校によって施設規模の違いがあり、全員が集まることができない場合もありますが、形式はともかく「千人礼拝」を毎日行っているのは、日本ではキリスト教主義の学校だけだと思います。教会でその真似はできません。

みなさんにもご経験がきっとおありでしょうから、私の自慢話をしているのではありません。学校礼拝のような場所で説教壇から見るとみんなの顔がよく見えます。居眠りしているのもすぐ分かるし、おしゃべりは論外ですが、機嫌が悪そうだとか、興味を持って話を聞いてくださっていそうだとか、ひとりひとりの気持ちや感情が、意外なほど分かります。

昨日学校で廊下ですれ違った2人の高校3年生に「ぼくらの名前を覚えていますか」とテストされました。昨年度1年間教えた生徒たちです。2人の名前をちゃんと言えたら、すごく驚かれ、喜んでくれました。全員の名前を言える自信はありません。しかし、私がもっと若ければ、全員の名前を覚えたい気持ちです。寄る年波には勝てません。

今日の箇所でイエスさまが弟子たちに「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」(15節)と戒められていることの意味は何でしょうか。弟子たちは、自分たちがパンを持って来るのを忘れたことをイエスさまから叱られているのだろうと思い込んでそういう議論をしたようですが、イエスさまがおっしゃったことはそういうこととは全く違います。

ひとつの解説書によると、「ヘロデのパン種」と言われているのはサドカイ派のことではないかということですが、本質的な違いはないと言われています。「どちらにも同じ欠陥がある。つまり、人間が自己を誇り、自己を神の上にさえ押し上げ、自分の邪悪な性情を敬虔さの装いで飾る」点でファリサイ派もサドカイ派も共通していると言われています(シュラッター『新約聖書講解2 マルコによる福音書』新教出版社、1977年、87頁)。

言い方を換えれば、自己愛ばかりが強く、自己実現の欲求ばかりが強く、他人に対する関心が足りず、愛が欠けているということになるでしょう。

「奇跡」がどのように(how)起こったかの仕組みを知る必要はありません。レシピがあれば誰でも同じことを再現できるので「奇跡」でもなんでもなくなります。今日の箇所の最後の「数字合わせ」の意味も分かりません。「12」や「7」は聖書において特別な意味があると言われますが、どうでもいいことです。大切なことは、そこに「愛」があるかどうかです。

(2022年7月17日 聖日礼拝)

2022年7月10日日曜日

喜びと聖霊(2022年7月10日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌532 ひとたびはしにしみも
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「喜びと聖霊」

使徒言行録13章41~52節

関口 康

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません」(ガラテヤの信徒への手紙5章22~23節)

今日も先週の礼拝に続いて、使徒言行録を開いています。今日の箇所も日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に基づいて選びました。使徒言行録が続いているのは、わたしたちが今、教会暦で言うところの聖霊降臨節を過ごしている関係で、教団の聖書日課で選ばれる聖書箇所が「聖霊とは何か」「聖霊の働きとは何か」「聖霊降臨後の教会の歩みはどのようなものか」といった問いに答えを与えるものになっているからであると申し上げることができます。

それで、先週の箇所が使徒言行録の11章19節から26節でした。「アンティオキアの教会」という小見出しを新共同訳聖書がつけている箇所です。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」(11章26節)という感銘深い言葉が記されている箇所です。それが意味することは、「初代」ないし「原始」キリスト教会の出発と発展の中で特に際立つ仕方で活発な宣教がなされた教会のひとつがアンティオキア教会だった、と言ってよいでしょう。

そして、やはり特に、このアンティオキア教会と結びつく存在として使徒言行録が描いているのが、まだ「サウロ」という名前で呼ばれていたころの、後の使徒パウロです。当時のアンティオキア教会にいた宣教者バルナバがサウロをタルソスから連れ帰ったうえで、バルナバとサウロがアンティオキア教会に丸一年間一緒にいて多くの人を教えました。この使徒パウロにとって最初の宣教拠点になったのがアンティオキア教会であるという点が歴史的に重要な意味を持ちます。

そしてさらに、今日選ばれている箇所には、いまご紹介した出来事よりも少し先に進んだ出来事が描かれています。ひとことでいえば、バルナバ・サウロ両名がアンティオキア教会から派遣されて海外宣教を行うことになりました。それは、使徒パウロの生涯における宣教という観点からいえば「第一回宣教旅行」と呼ばれるものになりました。その宣教旅行に先立って派遣式が行われました。13章1節以下をご覧いただくと大変興味深いことが記されています。

「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。』そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」。

どこが興味深いかといえば、このとき一体何が起こったのかと特別な興味をかき立てられる文章として、このことを「聖霊が告げた」(?)と記されているところです。

「聖霊」がしゃべったのでしょうか。それはどういう言葉で語られたのでしょうか。何語だったのでしょうか。ヘブライ語でしょうか、ギリシア語でしょうか。どういう声または音だったのでしょうか。男声だったでしょうか、女声だったでしょうか。人間の耳に聞こえる物理的な音声だったでしょうか。それとも「心の声」のようなものだったでしょうか。などなど、いろいろ考えてしまう方がおられないでしょうか。

しかし、ここは良い意味でご安心いただきたいです。恐ろしいことが起こったわけではありません。理解する鍵は、13章1節以下の文章の中にも出てくる「預言する者」(預言者)の存在です。預言者は旧約聖書だけでなく新約聖書にも登場します。

「聖霊が告げた」というのは、預言者が「聖霊のお告げ」として語った言葉を指します。これは私が想像で言っていることではなく、根拠ある解釈です。F. F. ブルース『使徒行伝』(聖書図書刊行会、いのちのことば社、1958年)のような比較的保守的な註解書にもそのように記されています。預言者が「聖霊が告げた」と自ら信じた言葉を語り、その言葉を聴く人々が預言者の言葉を「聖霊のお告げ」だと信じたのです。そのような信仰の様式(ありかた)が昔の教会にあったという言い方が可能です。

今のわたしたちはこのような信仰を全く失ってしまったかと言えば、必ずしもそうではありません。教会のみんな、あるいは何人かで集まって行う会議、たとえば役員会や教会総会は、その本質を厳密に考えれば、使徒言行録13章1節以下の記事に記されている意味での「聖霊のお告げ」を求めるために開くものです。そういう感覚をわたしたちが全く失ってしまっているとしたら、教会は世俗的な集団と変わらないものになり果ててしまっています。

教会の会議に集まるひとりひとりの心のうちに信仰と祈りを持ち寄って相談し、「神の御心は何か」を共に見出していくのです。わたしたちが教会の会議で求める「神の御心」と、預言者が語った「聖霊のお告げ」は、本質的に同じものですし、同じでなくてはいけません。

さて、使徒パウロにとっての「第一回宣教旅行」にはバルナバが一緒にいましたので、公平を期すれば「バルナバの宣教旅行」とも言わなくてはならないはずですが、その旅行がどのようなものだったかは、使徒言行録の13章と14章に詳しく記されています。はっきり分かることは、なんらスムーズに進んでおらず、ひたすらドタバタ騒ぎの連続だったということです。偽預言者と対決したり、反対者にののしられたり、ねたまれたり、暴力を振るわれたり。しかし、信じる人もいた、増えていった、そこに未来の教会の土台ができた。

宣教(伝道)は、楽しいことばかりでも、つらいことばかりでもありません。両面あります。それはどの仕事も同じです。しかし、「聖霊」が与えてくださる「喜び」は格別です。

そして、14章の最後の段落を見ますと、バルナバとパウロの二人は再びアンティオキア教会に戻ります。自分たちを海外宣教に派遣した教会に戻って報告するためです。彼らは純粋に自分たちの遊びとしての海外旅行を楽しんでいるのではありません。会社の海外出張と同じです。旅行資金も派遣元の本部から支出されている関係にありますので、必ず本部に戻って報告しなくてはいけません。

言い方を換えれば、宣教活動には初めと終わりがあるということにもなります。終わりがなくいつまでも続けるものではありません。もちろん期間に長短はあります。1年、2年、5年、10年、20年、50年、70年。人それぞれ、教会それぞれです。しかしそれでも、ひとりの宣教者の働きはいつか必ず終わります。その働きは別の宣教者へと受け継がれていく必要があります。

しかし、そこで起こる問題は、宣教そのものと宣教者の存在とをどこまで区別できるか、ということです。たとえば、わたしたちは二千年を経ても、いまだに「使徒パウロの宣教」と言うでしょう。それは、パウロというひとりの人格と、彼が宣べ伝えた宣教内容としての福音は完全に切り離して考えることはできないととらえているからです。しかし、パウロが二千年生きているのではなく、彼の生涯は終わり、別の人が宣教を受け継いだのですが、受け継いだ人たちの名前と存在は忘れられています。

しかし、そのときこそ「聖霊」の出番です。ひとりの偉大な宣教者の名前と結びつく宣教ではなく、「聖霊なる神の宣教」が今日まで受け継がれてきたものです。名もなき無数の宣教者こそ偉大です。

(2022年7月10日 聖日礼拝)

2022年7月3日日曜日

宣教の使命(2022年7月3日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 405番 すべての人に
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「宣教の使命」

使徒言行録11章19~26節

関口 康

「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった。」

今日の箇所は先週の週報で予告したところから変更しました。先週突然亡くなられた教会員の葬儀を明後日行います。そういうときに読む聖書の言葉は論争的な内容でないほうがよいと考えました。気持ちの問題で変更することをお許しください。

しかし、使徒言行録であることに変わりありません。使徒言行録は、最初期のキリスト教会の宣教ないし伝道の様子を描いている書物です。しかも今日の箇所はとても躍動感があって端的に面白いです。元気が出てきます。

あらすじを申し上げます。「ステファノの事件」(19節)については、使徒言行録6章と7章に詳細が記されています。ステファノはキリスト教会最初の殉教者になった人です。イエスさまと行動を共にした12人の使徒ではありません。

聖霊降臨後のキリスト教会が成長しはじめ、信徒の数が増えてきて、それに伴って教会の中で人間関係のトラブルも増え、交通整理が必要になったので、12人の使徒を助ける人たちが必要だということになりました。

このとき使徒たちが用いた論法はたいへん興味深いものです。6章2節以下に記されています。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、霊と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい」。その7人の中に選ばれたのがステファノでした。

この論法のどこが興味深いか。おそらく誤解もされやすい言葉であるということをあらかじめ申し上げます。誤解のほうを先に言うほうが分かりやすいと思います。

ありそうな誤解は、「神の言葉」と「食事の世話」を比較したうえで「神の言葉」のほうがどう考えても大切で価値があることで、それは我々のような専門家にしかできないことだけれども、「食事の世話」などという相対的に価値の低いことは、だれでもできることだから、わたしたちに押し付けないでくれと使徒たちが「食事の世話」を他人任せにしようとした、というものです。

まるで自分たちのほうが身分か何かが上で、価値の低いことは自分たちよりも身分が低い人にやらせればいい、と使徒たちが考えたかのように。

しかし、そんなふうに読むのは間違いです。もしそうなら、使徒たちは二度とごはんを食べてはいけません。このように言う私には、使徒たちをかばう気持ちがあります。はたして本当に、彼らの中に「神の言葉」と比較して「食事の世話」を下に見る思いが全く無かったかどうかは、分かりません。そうではないと信じたいだけのところがあります。

「神の言葉」を宣べ伝えるという大切な働きをすべき我々を「食事の世話」などという煩わしいことに巻き込んで邪魔しないでくれと使徒たちが考えたのではなく、その正反対だと。教会の存在理由(レゾンデートル)の中に「神の言葉」と「食事の世話」が必ず両立しなければならないと使徒たちが考えたのだと。「食事の世話」は「神の言葉」と匹敵する同等の価値を持つことだと。そのように使徒たちが考えたのであれば、これからもごはんを食べてくださいと言いたいです。

脱線が長くなりました。今申し上げた文脈の中で選ばれた7人の奉仕者のひとりがステファノだったというわけです。しかしそのステファノがキリスト教会最初の殉教者になりました。どのようにしてステファノが殺害されたかについては使徒言行録7章14節以下に記されていますのでぜひお読みください。

このステファノの事件をきっかけにして迫害が強まったため、人々が「散らされて」いました(19節)。「フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行った」(同上節)とあるのはエルサレムからの逃亡先ですが、「フェニキア」は都市の名前ではなく地域の名前、「キプロス」は地中海に浮かぶ島の名前、「アンティオキア」は都市の名前です。

この中で特に重要な拠点になったのが、アンティオキアです。地図で見るとエルサレムの真上(北の方角)です。エルサレムから直線距離で460キロメートル。東京から大阪までが直線距離で400キロメートル。東京から盛岡(岩手県)までが460キロメートルで、ぴったり同じです。そこまで歩いて逃げたのは大変だったと想像できます。

しかし、そのアンティオキアに当時の国際都市の様相があり、ヘブライ語を話すユダヤ人だけでなくギリシア語を話す人々にもイエス・キリストの福音を宣べ伝える交流の場が与えられて、その教会が成長したというのです。

その東京からすればだいたい大阪、あるいはぴったり盛岡の距離があるアンティオキアの教会が成長しているといううわさが、エルサレムにとどまっていた使徒たちの耳に届いたので、強力な応援団としてバルナバが派遣されることになりました。

バルナバは使徒言行録に3か所登場します(4章36~37節、9章27~30節、15章36~40節)。ユダヤ人のレビ族出身、バルナバは通称でその意味は「慰めの子」、本名はヨセフ。キプロス島で生まれる。自分が持っていた畑を売り払ったお金を使徒たちに渡した人。

今日の箇所にも「バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」(24節)とありますが、自分の畑を売ったお金を教会に献金したから立派だという話ではありません。「聖霊」と「信仰」が並べて書かれていることにどのような意味があるかは、はっきり分かりません。代々の教会の信仰によれば、「聖霊」は父・子・聖霊なる三位一体の神であり、聖霊なる神が我々人間の心と体のうちに宿ってくださることによって、その人に「信仰」が与えられるという関係にあります。

しかしまた、その「信仰」は、あくまでも人間の側に属するものでなくては意味がありません。それはわたしたちが毎週の礼拝で告白する使徒信条にあるとおりです。「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。我は聖霊を信ず」と、「我信ず」(I believe)を3回繰り返します。「信仰」はあくまでも「私がすること」です。神が「信じてくださる」のではありません。バルナバは熱心な信者だと語ることに問題はありません。

そのバルナバがまだ「サウロ」を名乗っていた、後の使徒パウロを、パウロの出身地タルソスまで捜しに行って、見つけてアンティオキアまで連れ帰り、コンビで1年間アンティオキア教会にとどまって、多くの人にイエス・キリストの福音を宣べ伝えました。

そして、そのアンティオキアで「弟子たち」(26節)すなわちイエス・キリストこそ真の救い主であると信じた人々が、初めて「キリスト者」(クリスティアーヌス)と呼ばれるようになったというのです。自ら名乗ったのでなく、周囲の人につけられたニックネーム(あだ名)です。それが今日まで二千年、わたしたちの呼び名になっているのですから驚きです。

アンティオキア教会を模範にしながら、わたしたちの教会のあり方を考えることが大事です。

(2022年7月3日 聖日礼拝)

2022年6月19日日曜日

復活を宣べ伝える(2022年6月19日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 聖霊よ、降りて 343番(1、4節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「復活を宣べ伝える」

使徒言行録4章1~22節

関口 康

「しかし、ペトロとヨハネは答えた。『神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。』」

今日の聖書の箇所に描かれているのは、最古のキリスト教会の宣教の様子です。

登場する使徒は、ペトロとヨハネです。「二人が語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった」(4節)と記されています。大変な影響力をもって宣教が拡大しました。

しかし、その前に書かれていることが気になります。祭司長たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々がこの2人の使徒を逮捕して翌日まで牢に入れたというのです。それは「イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えている」(2節)ことが犯罪とみなされたという意味です。

死んだ人が生き返るはずがないという普通の常識に反することを言っているとみなされた面もあるでしょう。しかし、それだけでなく、使徒たちの宣教にイエスを十字架にかけた人々に抗議する意図が含まれていることを、抗議されている本人たちが最も自覚していたからでしょう。

なぜそのように言えるのか。ペトロとヨハネが牢に監禁された翌日の出来事として、「次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった」(5節)と記されている、これはユダヤの最高法院(サンヘドリン)のことですが、そのような場で勇気をもってペトロが語った言葉の中に「あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリスト」(10節)と言われていることが証拠になります。

ペトロが明確に言っているのは、最高法院のあなたがたがイエスを十字架につけて殺したのだ、つまり「殺害した」のだ、ということです。「あれは死刑ではなく殺人だった」ということです。

死刑が正当な審判の方法かどうかについて、今日においては世界的な議論があり、多くの国が死刑廃止の方向に進んでいます。私個人の考えは申さないでおきます。各人各様の考えがあるでしょう。しかし、古代社会に今日と同じような議論があったとは思えません。

もしイエスの十字架が当時の社会において正当性を持つ「死刑」だったとすれば「あれは殺人だった」とペトロが語れば、国の決定に反対することを意味するので、多くの人の支持を得るのは難しかったでしょう。しかしペトロの言葉、そして最古のキリスト教会の宣教の言葉に説得力があったので、多くの支持者を得ることができました。

ペトロが言っているのは、イエスを十字架につけたのは、あなたがた最高法院の人々にとって都合が悪い存在を抹殺しただけであって、正当な理由など何もない。あなたがたは「殺人者」であり、犯罪者であると言っているのと同じです。

直前の3章1節から始まり26節まで続くペトロの説教は民衆向けに語られていますので、最高法院の人々への抗議と全く同じではありませんが、かなり近いです。「あなたがたは、命の導き手である方を殺してしまいました」(15節)とあり、ここでも「殺す」、つまり「殺害する」という言葉が用いられています。

民衆はあくまでも最高法院の人々に心理的に誘導された面があるので情状酌量の余地はある。しかし、イエスを「殺した」点では共犯であり、犯罪に加担したのだと言っているのと同じです。

ですけれども、このようなことを発言すること自体が当然大問題になりますし、証拠がなければ決して言ってはならないことです。必要な証拠は最低でも二つです。そのひとつは、イエスは死刑に値する罪を犯していないことの証拠です。もうひとつは、そのイエスを地上から抹殺しなければならないと考えるほどに最高法院の人々がイエスを憎んでいたことの証拠です。

前者の証拠はイエスさまと共に生きたすべての人々にとって明らかでした。それはイエスさまの弟子たちや、イエスさまに助けてもらった人たちです。死刑だなんてとんでもない、悪いことどころか、良いことをなさった記憶しかないと、だれもが認める存在でした。だからこそイエスさまは、多くの人に信頼されたし、やがて信仰の対象になりました。この方こそ救い主キリストであると信じられるようになりました。

後者の証拠は、最高法院の人々の考え方や行動様式を知る内部の人には分かるでしょうけれども、外部で裏付けを得るのは難しいことです。しかし、イエスさまと弟子たちが行く先々で登場する、宣教を妨害する人たちの言葉や行動から、その人々の大元締めの最高法院の人々の考え方や行動様式を類推することは、ある程度はできたでしょう。

それは、マタイによる福音書5章から7章の「山上の説教」の中でイエスさまが「偽預言者に警戒しなさい。(中略)すべて良い実は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。(中略)あなたがたはその実で彼らを見分ける」(マタイ7章15~20節)と語られていることに通じます。

社会の仕組みの頂上にいる人たちと直接会って話せる人は少ないけれども、その根元から出てくる結果を見れば、総本山にいる人たちの考え方や行動はだいたい想像が付くということです。

この点と関係してくるのが、ペトロとヨハネの告発行為を見た最高法院の人たちの反応です。13節に記されていることです。「議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも彼らが無学な普通の人であることを知って驚き」(13節)。

「無学な普通の人」の意味は、文字通り「学問をしたことがない」です。しかし、裏返して言えば「我々最高法院の者たちとは異なる」という意味になるでしょう。我々は学校に通って学問をした、社会の中で上位に位置する者たちであるというわけです。

その人々がなぜ使徒たちの態度に驚いたのかといえば、学問をしていないこの人たちに我々の正体を見抜かれたと思ったからでしょう。イエスさまと弟子たちの洞察力が、多くは初対面だったに違いない最高法院の人たちの正体を見抜いたのです。「実を見て木を知った」のです。

使徒たちが彼らの何を見抜いたのか。正当な理由など何もなく、あなたがたがイエスを殺したのだ、あなたがたは殺人者であるということです。そのことを使徒たちは、最高法院の人たちに対しても民衆に対しても、はっきり言いました。それでも使徒たちの言葉を信じた人が多かったのはなぜでしょうか。その理由は何かをよく考える必要があります。

自分たちが責められている、殺人者呼ばわり、犯罪者呼ばわりされていると感じれば、反発心が起こるだけでしょう。しかし、そのとき多くの人が、反発ではなく信仰へと導かれました。

それは、「あなたがたが殺したイエスを神が復活させられた」という教えに「罪の赦し」があることが分かったからです。我々はもうイエスを殺したことを悔やむことはないらしいと分かり、慰めを得たからです。

イエス・キリストの復活を信じるとは、そのようなことです。そのとき初めて「罪の赦し」が起こり、「良心の呵責からの解放」が起こります。最高法院の人々も同じです。自分たちが殺したイエスを神がよみがえらせてくださったことを信じることができれば彼らも慰められたはずです。

(2022年6月19日 聖日礼拝)

2022年6月12日日曜日

子どもを愛する(2022年6月12日 三位一体主日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌第二編 ちいさなかごに
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます

「子どもを愛する」

マルコによる福音書10章13~16節

関口 康

「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」

今日の週報に「三位一体主日」とも「子どもの日(花の日)」とも書きました。すべてキリスト教会内部で祝われてきた記念日ですので、特に日本国内で一般的に知られるものではありません。

しかし「子どもの日(花の日)」を毎年第2日曜に祝うことに関しては、歴史的起源が19世紀後半のアメリカのプロテスタント(特にメソジストの)教会だったことで、ほぼ同じ時期にアメリカの宣教師たちが日本に来てプロテスタントの教会をたて、ミッションスクールをつくった関係で、日本国内のミッションスクールでは早い時期から「子どもの日(花の日)礼拝」を行ってきた経緯もあります。

何をする日かといえば、要するに「子ども中心の礼拝」を行い、礼拝堂にきれいな花を飾り、礼拝後にその花を子どもたち自身の手で近くの病院や警察署や高齢者施設などに配ることでした。そのことを日本の教会でも、かなり前から最近まで行ってきましたし、今でも行っている教会があるはずです。

昭島教会がこれまでどのようにして来られたかが分からないのを申し訳なく思います。私が教会で働くようになったのは32年前の1990年からですが、当時は全国のどこの教会もかなり盛んに子どもの日(花の日)礼拝を行っていました。その後も毎年、病院や警察署や老人ホームに花を届けに行きました。最初に赴任した高知県の教会でも、その後の転任先の福岡県、山梨県、千葉県の教会でも。

しかし、いつの間にか途絶えてしまいました。なによりの理由は教会に子どもがいなくなったことです。病院も警察署もなんとなく敷居が高くなってきたことも衰退の原因だと思います。そして今はコロナです。お花を届けるどころか、病院や施設に訪問や面会にも行けない状態です。

それでは「子どもの日」のほうはどうか。はっきり言いたくありませんが、日本全国どこの教会も「子どもがいない子どもの日礼拝」になっています。子どもたちが教会に来ないのは紛れもない現実ですが、それに加えて少子化です。学校も幼稚園も存続の危機です。

どうすればいいのかは私には分かりません。私自身もそうでしたが、牧師の子どもたちが教会学校の生徒だったころには学校の友達を教会に連れてくるので比較的子どもたちが教会に集まりやすいのですが、彼らが学校を卒業すると同時に教会学校が衰退しました。

別の言い方をすれば、教会の中に子どもたちを集める求心力となる子どもたちがいるときには盛り上がりやすいですが、大人たちがいくら旗を振っても、きれいなお花を飾っても、おいしいごちそうを作っても、それが子どもたちにとって教会に来る理由にはなりにくい。知らない大人に囲まれながら教会に通い続けることができる子どもがどれほどいるだろうか、という問いでもあります。

今日のみことばは、マルコによる福音書10章13節から16節です。イエス・キリストの言葉です。マタイによる福音書(19章13~15節)にもルカによる福音書(18章15~17節)にも並行記事がありますが、読み比べると少しずつ違いがあることが分かります。

共通している内容は、イエスさまのところに人々が子どもたちを連れてきたら、弟子たちがその人々を叱った、しかしイエスさまは「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」とおっしゃって、弟子たちをお叱りになった、ということです。

それに対して、比較的目立つ違いは、マタイによる福音書とマルコによる福音書で「子どもたち」と記されているところが、ルカによる福音書では「乳飲み子たち」になっていることです。しかし、趣旨に大きな違いはないように思えます。

なぜ大きな違いはないと言えるのか。この箇所でわたしたちが考えなければならないことは、それが「子どもたち」であれ、「乳飲み子たち」であれ、大人たちがイエスさまのところに連れて来たことを、なぜ弟子たちが叱ったのか、という点にあると思われるからです。

その答えは難しくないでしょう。「うるさい」と思っているからです。騒ぐからです。泣くからです。イエスさまの話が聞こえなくなるからです。落ち着かないからです。

3つの福音書に描かれている状況が、安息日の礼拝の最中だったかどうかは、そのように記されてはいませんので分かりません。そうであっても、そうでなくても、イエスさまの近くに子どもたちが行くことを弟子たちが拒もうとしたのは、イエスさまにとってご迷惑だろうと考えたからではありません。自分たちの迷惑だったからです。敷居を高くしたのは弟子たちです。イエスさまではありません。

そうだったからこそ、人々を叱った弟子たちがイエスさまから叱られました。「子どもたちが来るのを妨げてはならない」と。子どもたちをイエスさまから遠ざけようと妨害しているのは、あなたがたであると。自分たちの静寂と安心を確保するために。

ご承知のとおり、私はいま、学校で聖書を教える働きにも就いています。学校というところは基本的に、今日の箇所の弟子たちの言い分を全面的に受け入れるところです。礼拝中や授業中におしゃべりする生徒がいれば容赦なく叱られます。それはやむをえないことです。

しかし教会はどうでしょうか。教会も学校と同じでなければならないでしょうか。赤ちゃんが泣けば親がにらまれ、子どもが騒げば「しー」と叱られるような場所でなければならないでしょうか。

こういうふうに正面から言いますと、多くの人は「それは違う」と否定してくださいます。しかし、現実の場面では異なる反応が起きることを私なりに体験してきました。「礼拝中に子どもが騒ぐ教会には申し訳ないけど通えません」と去って行かれる方々もおられました。そうなるのも困るので、結局は子どもたちを礼拝から締め出すか、黙らせるかという選択を余儀なくされました。

厳しい話になっているかもしれませんが、ぜひ考えていただきたいのです。「教会に子どもがいない、子どもがいない」と、どの教会でもよく聞くのですが、教会から子どもを締め出しているのは誰なのかという問題のほうがよほど深刻だと思えてなりません。

3つの福音書の並行記事を比べると、今日のマルコによる福音書だけが「イエスはこれを見て憤り」(14節)と記しています。子どもたちを締め出そうとした弟子たちにイエスさまが激怒されました。イエスさまはいつも笑顔で優しいだけの方ではなかったことが分かります。

私が怒っているわけではありませんので、悪しからず。難解なお話をして子どもたちがイエスさまのもとに集まるのを妨げている張本人かもしれませんので。

かろうじてひとつだけ提案できそうなことがあります。それを言う前に、メソジスト教会の創始者ジョン・ウェスレー(John Wesley [1703-1791])による、この箇所(14節)の解説文を引用します。

「私がこの世に打ち立てる国に加わる者は、このような子供たちであり、また子供のような心情を持つ成人たちである」(『ウェスレー著作集 第1巻 新約聖書註解上』新教出版社、第二版1979年、175頁、下線は関口康が付した)。

ウェスレーの言うとおりです! 大人たちが「子ども」になればいいのです。そうすれば、すべての教会が「子どもがたくさんいる教会」になり、子どもたちにとって魅力あふれる教会になるでしょう!

(2022年6月12日 聖日礼拝)

2022年6月5日日曜日

聖霊降臨の喜び(2022年6月5日 ペンテコステ)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌500 みたまなるきよきかみ(1、3節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「聖霊降臨の喜び」

使徒言行録2章1~11節

関口 康

「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」

今日はペンテコステ礼拝です。クリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大祝祭日です。今日はおめでたい日です。聖霊の働きによって初代教会が誕生したことをお祝いする日です。

今年は11月6日に昭島教会の創立70周年記念礼拝を行います。その日もおめでたい日です。聖霊の働きによって昭島教会が誕生したことをお祝いする日です。

いま2つ申し上げました。大げさに言ったつもりはないし、矛盾していません。「教会の誕生は聖霊の働きによる」というのは、わたしたち教会の自己理解です。それは時代も状況も超えます。どの教会も例外なく聖霊の働きによって誕生しました。

わたしたちが所属している日本キリスト教団には前史があり、いくつかのルーツがあります。そのひとつである日本で初めてのプロテスタント教団は「日本基督公会」でした。1872年3月に創立しました。今年で150周年です。

13年前の2009年の「日本プロテスタント宣教150周年」は宣教師の初来日から数えられていましたが、琉球伝道開始はもっと前であることは知っておくべきです。しかし、いま申し上げているのは別の話です。宣教開始ではなく教団設立の話です。

150年前の1872年に「日本基督公会」が誕生したときの様子が、1929年に出版された山本秀煌(やまもとひでてる)著『日本基督教會史』に記されています。著者は牧師ですが、明治学院の教授でもありました。少し長いですが、引用します。今日の聖書箇所と関係しています。

「折しも明治5年〔1872年〕正月2日横浜において数十名の日本人相集まりて祈祷会を催せり。(中略)これぞ日本人最初の祈祷会にして、また実に日本における最初の教会の出発点なりき。(中略)宣教師ジェームズ・バラ師の指導の下に、数名の学生有志の男女相集まりて使徒行伝の講義を聴き、熱烈なる説明に感じて互いに相祈りつつありしが、出席者意外に多く、少なきも20名、多き時は3、40名に達するの盛況を呈し、祈祷に次ぐ祈祷をもってし、感激の念、熱誠の情あふるるばかりにして感興尽くる時なく、予定1週間の祈祷会は、ひいて数週間の長きにわたりてなお止まず、祈祷会の進行につれて熱情ますます加わり、なかには感泣〔かんきゅう〕して神に祈り、初代教会設立当時のペンテコステの日のごとく、日本にも聖霊の降臨ましまして、キリシタン禁制のこの異教の地に、救世主イエス・キリストのご栄光のあらわれんことを切願せしもの少なからざりしが、その応験〔結果、効き目などの意味〕とや言わん、不思議にもここに数名の回心者を起こし、ついに基督公会の設立を見るに至りぬ」(山本、同上書、23~24頁。旧い漢字や送り仮名を新しく変えた。〔 〕内は関口康による補足)。

著者によると、これが「日本人最初の祈祷会」の様子です。人数は毎回20人から40人くらいだったようですが、1週間の予定が数週間に延長され、アメリカから来たジェームズ・バラ宣教師の使徒言行録の解説を感動しながら聴き、泣きながらお祈りした人たちがいました。そこに日本で最初のプロテスタント教団がつくられた、というわけです。

この文章の「初代教会設立当時のペンテコステの日のごとく、日本にも聖霊の降臨ましまして」が今日の聖書箇所そのものです。今日の箇所の聖霊降臨の出来事と同じことが日本で起こったという意味です。大げさに書いているのではありません。教会の誕生は聖霊の働きによる、というのは、教会の自己理解です。その理解に忠実に基づいて記されています。

このことを申し上げるのは、みなさんに安心していただきたいからです。「聖霊の働きとは何か」という問題への答えのひとつをお話しできると思うからです。

「聖霊の働き」とは具体的に言って何でしょうか。聖書の解説を聴いて泣くことでしょうか。泣いてはいけないという意味ではありません。しかし、聖霊が働いた証拠は、そこにいる人たちが泣くことでしょうか。そうなのかどうかは考えてみる価値があります。

聖書を自分で読んだり教会で説教を聴いたりして涙が出るほど感動できたとしたら素晴らしいことです。しかし、涙が出なかった日は聖霊が働かなかったことになるでしょうか。

あるいは、「回心者が起こること」が聖霊の働きでしょうか。使徒言行録の今日の朗読範囲の中には出てきませんが、2章41節に「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった」と記されています。洗礼を受ける人、教会員になる人が増えることが聖霊の働きでしょうか。そうでないときは、聖霊は働いていないことになるでしょうか。

また2つ言いました。涙が出たから聖霊が働いたとする。あるいは、洗礼を受ける人がいたので聖霊が働いたとする。話としては分かりやすいかもしれません。しかし、結果主義、業績主義の思想が潜んでいないでしょうか。結果からさかのぼって原因を突き止めるわけですから。

そして、それは多くの場合、現実の教会への批判や落胆という形で表明されます。聖霊の働きを感じられない説教だった、聖霊の働きを感じられない礼拝だったなど。

教会や牧師への批判には、真摯に耳を傾けるべきです。しかし「ちょっと待ってください」と申し上げたいところがあります。批判は批判として大事です。しかし「聖霊の働き」が「あった」の「なかった」のと言われると「それは別の問題です」と反論しなくてはならなくなります。

なぜならわたしたちは、「聖霊」は父・子・聖霊なる三位一体の神であると信じているからです。「教会の誕生は聖霊の働きによる」という教会の自己理解の意味は、「教会の設立者は神である」ということ以外にありません。人間の働きは不要であるという意味ではありませんが、人の働きは神の助けによります。教会の設立者は神です。この点を揺るがせにすることはできません。

みなさんに安心していただきたいと申し上げました。涙が出なくても、洗礼を受ける人が現れなくても聖霊は働いてくださっています。わたしたちが眠っているときも、病気や疲れで倒れているときも聖霊は働いてくださっています。聖霊は「神」ですから、人間存在を超越しています。

今日の箇所の6節では「自分の故郷の言葉」と、8節では「故郷の言葉」と訳し分けられているギリシア語は、原文では同じ言葉(ιδια διαλεκτω)です。直訳すれば「自分の言葉」です。

最初のペンテコステの出来事は、使徒の言葉をそこにいたすべての人たちが「自分の言葉」だと「分かった」ことに尽きます。それはもちろん、日本人にとって日本語という意味での各国の言語の話かもしれません。そのようにも理解できることが前後の文脈に書かれています。

しかし大切なことは、神の御心が「分かること」、そして「自分の言葉」(ιδια διαλεκτω)になることです。〝手話〟で伝えることも、〝生き方〟や〝背中〟で伝えることも、それで「分かった」になれば、聖霊が働いてくださっています。感動と興奮と成果だけが聖霊の働きではありません。いま私が申し上げていることが「分かった」方には聖霊が働いてくださっています。大丈夫です。

(2022年6月5日 ペンテコステ礼拝)


2022年5月22日日曜日

喜びに変わる(2022年5月22日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 インマヌエルの主イエスこそ 356番(1、4節)
奏楽・長井志保乃さん 動画・富栄徳さん

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「喜びに変わる」

ヨハネによる福音書16章16~24節

関口 康

「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」

今日の箇所もヨハネによる福音書です。しかも、先々週の5月8日日曜日に取り上げた箇所からの続きで、今日を含めて3回連続で、イエスさまと弟子たちとの最後の晩餐での「遺言(ゆいごん)」に属する箇所を今日もお話しします。先週の「わたしは真のぶどうの木」とイエスさまがお語りになっている箇所とも同じ文脈です。

わたしたちはやはり「自分と関係ある」と思えることに興味を持ちます。このように申し上げてから続けると「違います」とおっしゃられるかもしれません。先々週の箇所を私がイエスさまの「遺言」としてご紹介したことに強く関心を持ってくださった方がおられました。「自分と関係ある」と思われたからではないでしょうか。

私自身はまだ、自分の「遺言」を書いたことがありません。必要ないかどうかの判断は難しいです。いつ何が起こるか分からない、明日の予測すら難しい、それがわたしたちの人生です。まして今、世界を大混乱に陥れている感染症、世界を巻き込み始めている戦争。「自分とは関係ない」と考えるほうが難しいことばかり。そしてもちろん、わたしたちは確実に1年ごとに年齢がひとつずつ加わります。自然の意味での「高齢化」が無関係な人は、ひとりもいません。

もうすっかり絶望してしまって人生をあきらめる思いで述べる、または書く「遺言」も、きっとあるでしょう。お勧めする意味で言うのではありません。しかし、そういう気持ちになる人をだれが責めることができるでしょう。

しかし、そのような気持ちや考えで述べる、または書くのではない「遺言」もきっとあるでしょう。私は自分で書いたことはないので現時点では想像にすぎません。しかし、そのように言ってよいのではないかと思います。

希望と喜びに満ちあふれた「遺言」があるでしょうか。そうでなければならないという意味で言うのではありません。しかし大切なことは、「遺言」の読者はそれを書く人自身ではないということです。今は話す声を録音したり、ビデオで録画したりすることもできます。しかし、それを聴くのも観るのもその人自身ではありません。

もしそうであれば、「遺言」の目的ははっきりしています。地上に遺される人たちに託すことです。わたしが命がけで守ってきた、愛する人たちを、家族や仲間を、この世界を、そしてこの教会をあなたに託すと明確に意思表示すること、それが「遺言」の目的です。

イエスさまの「遺言」も同じです。イエスさまの意志を、そしてそれは永遠の神の御子なるイエス・キリストを通して表された父なる神ご自身の御心を、あなたがたに託すという意思表示でした。

今日の箇所を一読して分かるのは、イエスさまが弟子たちに繰り返し「悲しみが喜びに変わること」をお語りになっていることです。悲しみは過ぎ去り、喜びが訪れるということを。

特に注目したいのは、20節です。「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる」(20節)。

イエスさまがお語りになっている直接の相手は弟子たちです。「あなたがたは泣いて悲嘆に暮れる」と言われているのも、第一義的には弟子たちのことです。

なぜ弟子たちが「泣いて悲嘆に暮れる」のでしょうか。イエスさまとの死別は彼らにとって恩師との別れであり、心の支えを失うことを意味します。しかし、ここで再びブルトマンの註解書(『ヨハネの福音書』日本キリスト教団出版局、2005年)を参照します。「それ〔悲しみ〕は愛する者の喪失や偉大な人間の逝去についての個人的な悲嘆ではない」(455頁)と解説されています。私の乏しい想像力では思いつかない解釈でしたので、とても驚きました。

それでは「悲しみ」とは何か。ブルトマンによると、「むしろそれ〔悲しみ〕は、イエスによって世(コスモス)から呼び出されていながら(15章19節、17章16節)、まだ世にとどまり(17章11節)、世の憎悪にさらされている(15章18節~16章4節a)という世における孤独の状況」です(同上頁。ギリシア文字をカタカナ表記に変更)。

「世から呼び出されている」のは「教会」です。教会が世から孤立していて、世の憎悪にさらされていることが「悲しみ」の意味です。ブルトマンの解説の紹介を続けます。

「世(コスモス)はイエスの退去を喜ぶ。イエスの出現は世の確かさを疑わしくしたからである。世は教会を憎む。教会の実存は躓きの継続を意味するからである。だが教会はイエスに属しているゆえに世における孤独と世の憎悪を引き受けなければならない。まさに教会はイエスに属していて、もう世には属していないからである(15章19節)。それは教会にとって『悲しみ、苦難(33節)、動揺(14章1節)』を意味する。教会の状況は自明なものではないからである。教会は道を見出さねばならない」(455~456頁)。

興味深い解釈です。納得もできます。言われているとおり、イエスさまとの出会いは「世の確かさ」を疑わしくします。世に来られたイエスさまを、世が十字架につけて殺したからです。その事実を目の当たりにし、世に信頼を置けなくなり、真実を求める人々が呼び集められたのが「教会」です。だからこそ「教会」は世から憎まれ、孤立します。それは悲しいことです。

「分かりました。それではその『悲しみ』がなぜ『喜びに変わる』のでしょうか」と疑問を抱く方がおられるでしょう。この点のブルトマンの解釈にも驚きました。次のように記されています。

「その喜びの本質はどこにあるのか。それは恍惚という心霊状態としてではなく、信仰者がもう何も問う必要がない状況として規定されている。次に彼らはもう無理解な者ではないし(17~18節、14章5節、8節、22節)、これまで彼らの状況にふさわしかった問い(5節)は消えている。(中略)そのときイエスはもう彼らにとって謎ではなくなる。だれももう問いをもたない!」(460頁)。

「信仰者がもう何も問う必要がない状況」になることが「喜び」だというのです。そのとおりです。わたしたちも同じ経験をしてきました。わたしたちも、イエスさまを知り、世の確かさに疑いを抱き、真理を求めて生きようとして、孤立する日々です。わたしたちは、義人ヨブが理由の分からない苦難に悶える姿さながらです。「もし神がおられるなら、なぜこれほど人生は苦しく、世界はひどいのか」と問い続けるばかりです。

しかし、そのわたしたちに「もう何も問う必要がない状況」が訪れます。それこそが、わたしたちの喜びであり、希望です。

「もう何も問う必要がない」のは、十字架につけられたイエス・キリストがすべての悩みと苦しみを引き受けてくださる方だと分かり、心から信頼して生きていけるようになるからです。その日がまだ来ていないとしても、これから必ず来ます。そう信じるのが「教会」です。

(2022年5月22日 聖日礼拝)

2022年5月15日日曜日

真の葡萄の木(2022年5月15日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 すべての民よ、よろこべ 327番(1、3節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます

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「真の葡萄の木」

ヨハネによる福音書15章1~11節

関口 康

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしがその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」

私は今日のこの箇所のみことばを読むたびに、避けて通ることができない記憶と立ち向かうことになります。それは、私が生まれると同時に両親に連れられて通い始めた教会に関する記憶です。

日本キリスト教団岡山聖心教会です。近くに岡山地方裁判所があるなど、岡山県岡山市の市街地の中心に位置します。今も存在し、日本キリスト教団の最大規模(何位かは知りません)の教会です。

昭島教会と同じで、太平洋戦争後、自給開拓伝道の形で始まった教会です。なぜ私の出身教会がその教会なのかといえば、私の母の実家があった場所から徒歩3分の距離にあった江戸時代の武家屋敷が礼拝堂として用いられていたからです。今は同じ場所にコンクリートの巨大な礼拝堂が立っています。

その武家屋敷の住所は、母の実家と同じ町名でした。岡山市は1945年6月29日にアメリカ軍のB-29爆撃機140機による無差別爆撃を受け、市街地が一気に焦土と化しました。当時14歳の母も戦火の中を逃げ惑う体験をしたそうですが、家屋を失うまでには至りませんでした。

岡山聖心教会が開拓伝道を始めた江戸時代の武家屋敷も、灰にならずに残りました。岡山聖心教会の創立は、日本基督教団年鑑によれば1947年5月ですので、母は16歳ですが、開拓伝道が始まった直後、最初期の教会員になりました。母は熱心な仏教徒(日蓮宗不受不施派)の家庭に生まれましたが、実家の近くに教会ができたので、そこに通い、まもなく信仰を与えられ、教会員になりました。

その後、私の父が独身の頃、岡山に引っ越して来て、岡山聖心教会の教会員になります。父は群馬県前橋市の出身者で、岡山とは無縁でしたが、大学卒業後、農業高校教員になることを志し、就職のために岡山に移住しました。そして、父は大学時代に日本キリスト教団松戸教会で洗礼を受けてキリスト者になりましたので、岡山で通う教会を求めて岡山聖心教会にたどり着きました。

そこで両親が出会い、結婚し、兄と私が生まれました。両親とも教会学校の教師になりましたので、日曜日の朝は家族で教会に行き、多くの時間を教会に費やし、帰宅する生活でした。

そのような中、私が物心つく3歳くらいからの記憶は1960年代後半から始まりますが、私の記憶の中の岡山聖心教会は、日曜の礼拝でも、日曜午後7時半からの夕拝でも、水曜の夜の祈祷会でも、日曜の教会学校の礼拝でも、朗読される聖書箇所はすべて、今日の箇所でした。

それが、私が高校を卒業する18歳まで続きました。3歳引いた15年間は間違いなく、私の記憶の中の岡山聖心教会で朗読される聖書の箇所はすべて今日の箇所だけでした。

理由は分かりません。高校卒業後は東京神学大学に入学し、神学大学卒業後は日本キリスト教団南国教会に赴任しましたので、岡山の記憶は高校卒業と同時に終わります。

私がはっきり覚えているのは、物心つく頃から高校を卒業するまでの15年間で岡山聖心教会が急激に成長し、私が高校生の頃には現住陪餐会員が500名を超え、礼拝出席者が250名を超え、3つの附属幼稚園を有する教会になったことです。250名が武家屋敷の大広間に敷き詰められた座布団の上に正座して礼拝をささげました。

私が高校を卒業するのが1984年ですので、岡山聖心教会は当時で創立37年です。今年75周年です。戦後の自給開拓伝道教会が、37年後には礼拝出席者250名を超える教会になった理由も私には分かりません。私に分かるのは、私が憶えているかぎり15年間ずっと今日の箇所だけが、どの礼拝でもどの集会でも読まれ続けた事実だけです。

私の話が長くなりすぎましたので、そろそろやめます。しかし、もうお気づきでしょう。私がこのことを必ずしも良い意味でお話ししていない、ということに。

今日の箇所は、イエス・キリストご自身が語られたみことばとして、ヨハネが記しているものです。しかし、この箇所のイエスさまのお言葉の印象は、どちらかといえば、肯定的な言葉よりも、否定的な言葉のほうが前面に出てきていることにお気づきいただけると思います。

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」(1節)は肯定的です。しかし、その次は「わたしにつながっていながら、実を結ばない枝は、父が取り除かれる」(2節)と否定的です。

「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」(4節a)は、肯定的です。しかし次は「ぶどうの枝が、木につながっていないならば、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」(4節b)と否定的です。

否定的な言葉はまだ出てきます。「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」(5節)、「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう」(6節)。

岡山の牧師はこの箇所を朗読するだけで一度も説明してくれませんでした。そのことも確実に証言できます。実はかなり長いあいだ疑問を抱いていましたので直接質問すべきだったかもしれませんが、1906生まれで私より59歳も年上の方でしたので、質問する勇気がありませんでした。

疑問を抱いていたのは、私だけではなかったかもしれません。「わたし」につながっていなければ、実を結ぶことができない、「わたし」を離れては、あなたがたは何もできない、「わたし」につながっていない人は、枝のように外に投げ捨てられて枯れ、集められて、火に投げ入れられて焼かれてしまう。

この「わたし」は誰のことかを牧師が説明しないので、各自が自由に解釈し、なかにはひどい誤解を抱き、信じた方がいたかもしれない、いなかったかもしれない。そのように考えざるをえません。

はっきり申します。この「わたし」はイエス・キリストただおひとりだけです。他のいかなる存在とも結び付けることは不可能です。ヨハネによる福音書の「わたしは~である」(エゴー・エイミー)は排他的・絶対的な意味を持つとブルトマンが書いていることは、先日ご紹介したとおりです。

しかも、この箇所で、イエス・キリストに「つながる」か「離れる」かという問題と、ひとつの教会のメンバーかどうかという問題、あるいは日曜日の礼拝に来るか来ないかという問題は、完全に区別して考えないと、ひどい誤解を生むことに必ずなります。

「わたしは~である」(エゴー・エイミー)形式の「わたし」は、イエス・キリストおひとりだけであって、「教会」も該当しません。「教会」から離れた人は「火に投げ入れられて焼かれてしまう」のでしょうか。礼拝をしばらく休むと焼かれるのでしょうか。そういう話であっていいわけがありません。

私の出身教会の批判をしているのではありません。申し上げたいのは、わたしたちは今日の聖書の箇所をどう読むかです。もしこの箇所に恐怖を抱くとしたら読み方が間違っていると考えるべきです。

イエスさまは「わたしの愛にとどまってほしい」と心から願っておられます。「木から枝が離れたら、その枝は枯れる」というのも大自然の法則です。反対者は処罰するという話ではありません。

イエスさまはどこまでも愛してくださる方です。わたしの愛のうちにとどまってほしい、愛の関係を続けてほしいと願っておられます。恐怖と脅迫による支配は、イエスさまとは一切無縁です。

(2022年5月15日 聖日礼拝)

2022年5月8日日曜日

互いに愛し合いなさい(2022年5月8日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 ハレルヤハレルヤ 328番(1、4節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

ヨハネによる福音書13章31~35節

関口 康

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

今日の聖書のみことばは教会の教えにおいて根本的な意味を持っています。わたしたちの救い主、神の御子イエス・キリストご自身の言葉としてヨハネによる福音書が記しているものです。

これはイエス・キリストが十字架にかけられる前の夜に行われた最後の晩餐のとき、弟子たちに語られた言葉です。しかし、「ユダが出て行くと」(31節)と記されていますので、そこにいたのは11人の弟子たちだということになります。

しかし、いま申し上げたことを狭くとらえて、イエスさまが「互いに愛し合いなさい」と命令されたのはイスカリオテのユダを除く11人だけであって、ユダは愛の対象外であるというような意味が含まれている、などと考えるべきではありません。裏切り者がやっと部屋から出て行ってくれたから安心して真実を話せるようになった、というような話ではありません。

それどころか、むしろ正反対に、イエスさまはユダにこそ、このことをおっしゃりたかったのではないかと、私には思えてなりません。なぜ愛し合うことができないのか。なぜ裏切るのか。もう一度考え直してほしいと。しかし、この点は私個人の想像の域を出ません。

そして、もっと大事なことがあります。この教えが最後の晩餐の席で語られたということは、人間的な言い方をお許しいただけば、つまりそれは、イエスさまが御自身の処刑と死を強く意識なさったうえでの遺言(ゆいごん)であることを意味します。もしそうなら、ユダを含むか含まないかはともかく、その場にいた弟子たちだけにイエスさまがおっしゃっているのではないことは明らかです。

なぜなら、最後の晩餐でイエスさまが弟子たちにお語りになったことのすべては、全世界の全歴史の全人類に対して、ご自身の言葉を伝えてもらいたいというご意志をお持ちだったからです。

「互いに愛し合いなさい」という新しい掟を守ってもらいたいという願いをイエスさまが具体的にだれに対してお持ちになったのかと、もし考えるとすれば、狭い範囲に限定して考えてよいことでは全くなく、全世界の全歴史の全人類に対してであると、わたしたちは躊躇なく考えなければなりません。例外があるかどうかはイエスさまがお決めになることです。わたしたちが勝手に決めることはできません。

「あの人は愛せるが、この人は愛せない。わたしたちの愛は選り好みをする。互いに愛し合いなさいと、たとえイエスさまがおっしゃったことだと言われても、だめなものはだめ。愛せない人は愛せない。そのような罪深いわたしたちの身代わりにイエスさまは死んでくださって、わたしたちの罪を赦してくださった。わたしたちが選り好みをしてしまうこともイエスさまは赦し、受け入れてくださっているので、安心してよい」という論法が成り立つかどうかは、ぜひ考えていただきたいことですが、私個人は無理だと考えています。

今日もまた、いつもとはいくぶんか趣向を変えたことをお話ししたいと思い、そのような準備をしてきました。「母の日」のことを話すべきかもしれませんが、申し訳ありませんが、その準備はありません。

今日お話しするのは、私個人がまだほとんど全くその正体を見抜くことができておらず、本質を理解することができていない、現在起こっている「戦争」についてです。

ただし、「戦争」が始まると、一方に偏っていない情報を入手することが困難な状況になりますので、現時点で第三者の立場にいる者は、不用意な発言を控えなければなりません。

特に今はインターネットがあります。宣教要旨をメールで配布したりブログで公開したりしています。予想がつかない範囲に悪影響を及ぼす可能性が否定できません。

しかし、比較的最近になって報道されるようになったことの中に、この「戦争」の一方の当事者とその国のキリスト教の指導者が深い関係にあるという情報があります。

キリスト教についてはわたしたちに責任があります。無視することはできません。

そう考えて、その人の著書を探し、4月21日にインターネットで注文しました。ロンドンの書店で、4月25日に発送され、ようやく昨日(5月7日)届きました。注文から16日、発送から12日かかりました。

本のタイトルは『自由と責任』(Freedom and Responsibility)で、副題が「人権と個人の尊厳の調和についての研究」です。原著はロシア語ですが、とても読みやすい英語で訳されています。読書に夢中になりそうでしたが、読みふけると日曜日に差しつかえるので最初だけ読みました。

実に明快な文章です。英訳者が優れているのだと思います。そして驚くほどプロテスタントに対する強烈な敵意が表現されていました。核心部分と思える箇所を、拙訳でご紹介いたします。

「真の問題は、現在の世界において国民が霊的に健全さを保つために、彼らの宗教的・歴史的な自意識をエイリアンの破壊的な社会的文化的要素から保護するバリアがないことにある。世界の脱工業化に影響された、いかなる伝統(tradition)とも無関係の新奇な生活様式からも、彼らを守れない。

新奇な生活様式の土台にリベラル思想があり、それが異教的な人間中心主義と手を結んでいる。その人間中心主義は、ルネッサンス期にヨーロッパ文化に入り込んで来た、プロテスタント神学とユダヤ人の哲学思想である。啓蒙主義の時代が終わりを迎え、彼らの思想がひとつのリベラル原理を形成した。その精神とイデオロギーの絶頂点が、フランス革命である。あの革命の根本にあったのは、伝統(tradition)が持つ規範的な意義を拒絶することだった。

あの革命はどこで始まったか。宗教改革である。宗教改革者たちが、キリスト教の教義を扱う場で、伝統(tradition)が持つ規範的な意義を拒絶した、あのときから始まっている。

プロテスタントでは、伝統(tradition)は真理の基準ではない。信者の個人的聖書理解や個人的宗教体験が彼らの真理の基準である。プロテスタンティズムの本質は、キリスト教のリベラルな解釈である」(Patriarch Kirill of Moscow, Freedom and Responsibility: A Search for Harmony – Human Right and Personal Dignity, Moscow Patriarchate, 2011, p. 5-6)。

この文章を紹介するのは、「理解」が必要だと思うからです。「戦争」を肯定する意図は私には全くありません。残虐行為にいかなる言い逃れの道もありません。しかし、いかなる「戦争」も必ず終わらせなければなりません。問答無用だとは思いません。何度でも平和を取り戻すために、「互いに愛し合う」ためにわたしたちにできるかもしれないことは、まだ残っています。

(2022年5月8日 聖日礼拝)