2022年1月2日日曜日

少年イエス(2022年1月2日 新年礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
  
讃美歌第二編152番 古いものはみな 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「少年イエス」

ルカによる福音書2章41~52節

関口 康

「すると、イエスは言われた。『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』」

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨日は元旦礼拝を行いました。今日は新年礼拝です。ついこのあいだクリスマス礼拝を行ったばかりです。毎年のことですが、年末年始の教会は慌ただしい空気に包まれます。

しかし、それがよいことかどうかは分かりません。年末年始を逃しては仕事を休むことができないし、家族水入らずの時を過ごすことができないという方もおられるでしょう。教会のことは良い意味で牧師に丸投げしていただいて、なるべく皆さん自身の時間を大切にしていただきたいと、私はそう考える人間です。

先ほど朗読していただいた聖書の箇所に、まだ子どもだった頃の、しかも「12歳になったとき」(42節)とそのときの年齢がはっきり記されているイエスさまとご両親が、親子水入らずで旅行なさる場面が描かれています。

「水入らず」という言葉は年配の方々はよくご存じだと思いますが、若い世代の方々はあまり使わない言葉かもしれませんので、一応説明します。と言っても、私が持っている古い国語辞典に書かれている意味を紹介するだけです。「内輪の親しい者ばかりで、中に他人を交えないこと」(広辞苑第4版、1991年)。書かれているのは、それだけです。

そして、このときイエスさまが「12歳」だったということは、はっきり記されていますので、そのことを前提としてこの箇所の意味を考える他はありません。12歳は今の日本の教育制度では小学6年生になる年齢です。

私の話になって申し訳ありませんが、今年度、私は神奈川県茅ヶ崎市の平和学園小学校の5年生と6年生に聖書の授業をしていますので、ちょうど今日の聖書箇所に登場なさるイエスさまと同じ年齢の子どもたちに聖書を教えていることになります。しかし、偶然の一致にすぎません。

それより、いま皆さんの子どもさんやお孫さんが小学生であるという方がおられるでしょう。また私の話ですが、私も息子と娘がいます。彼らが小学生だった頃のことは覚えています。もうだいぶ前ですので、そろそろ記憶が怪しくなっていますけれども。

なぜ今このような話をしているかと言いますと、現実の12歳の子どもがどのような存在であるかは、実際にその年齢の子どもたちと向き合っているときと、そうでないときとで、イメージがずいぶん違ってくるだろうと思うからです。

言いにくい部分があります。しかし、実際に自分の子どもとして生まれた男の子であれ女の子であれ、赤ん坊から育てて12歳くらいになったときに、その子の親がどのような感情を持つかは、自分自身が体験してみる以外にどうしようもないところがあります。だれも口出しできません。親子水入らずの状態は、神聖不可侵な領域です。

いま申し上げたのは親の視点です。父親であるか母親であるかで大きく違うかもしれませんが、その問題には触れないでおきます。喧嘩になりますので。それより今日申し上げたいのは、今日の箇所のイエスさまと同じ12歳くらいの子どもをどのように見るかは、これまた言いにくい要素が多く含まれていますが、親の視点だけで考えられてはならない、ということです。

それは当然のことだと、きっとご理解いただけるはずです。なぜかといえば、いま「大人」と呼ばれている人たちには、例外なく12歳だったときがあるからです。当時のことを正確に覚えていなくても、その頃の記憶も記録もすべて失われているとしても、「12歳だったことがない大人」はいません。そして、意外なほどその頃のことは覚えているものです。

そのことをお認めいただけるとすれば、ぴったり12歳でなくてもいいです、そのくらいの年齢の子どもたちを見る視点の中に確実に数えなければならないのは、子どもたち自身の本人の視点です。もう十分すぎるほど自覚的に主体的に責任的に生きる力を持っています。

実はそのことを、また私の話に戻ってしまいますが、私はその年齢の子どもたちに聖書の授業をする責任と光栄を今年度与えられている者として証言できると思っています。

それは、彼らは聖書の言葉を理解することにおいて十分な力を持っている、ということです。「子ども扱い」などは全くできませんし、してはいけません。二千年前の12歳と今の12歳とが全く違う存在であるわけではありません。全く同じです。

そのことを私は、現実の小学生と対面で向き合って、聖書の授業をしながら認識しています。私は教育学者ではなく教育現場の人間です。その立場からの証言もたまには貴重でしょう。

ところが、今日の聖書の箇所の話を今しているわけですけれども、ここに出てくるイエスさまの両親はもちろんヨセフとマリアのことですが、彼らは12歳になった自分の子どもを悪い意味で「子ども扱い」した様子が描かれていると、はっきり言わせてもらいたいと思う次第です。

この家族は毎年親子水入らずで、ユダヤ教の過越祭のたびに、彼らが住んでいたガリラヤの町ナザレから遠くエルサレムまで旅行して、エルサレム神殿のお参りをしていました。エルサレムの宿屋に何日か滞在してからまたナザレに帰ろうとして、1日分の道のりを歩いたところで長男イエスがいないことに気づきました。

12歳の子どもと手をつないで歩く親がいるかどうかは知りませんが、そうしていなかったのでしょう。一緒にいると信じて歩き、いないと分かって信頼を裏切られてがっかりしたのでしょう。

しかし、12歳のイエスさまはエルサレム神殿にずっとおられたという話です。まさか携帯電話はありませんし、連絡の取りようがない。親の視点から見れば、イエスさまは3日間も「迷子」になっていた、ということになります。しかし、イエスさま自身の視点からすれば、「お父さんもお母さんも一体何を考えているのですか」と反論なさりたいお気持ちだった様子です。

判明した事実は、「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられた」(46節)ということです。「聞いている人は皆、イエスの賢い答えに驚いていた」(47節)とも記されています。

イエスさまが特殊だったとは思いません。小学生にこれくらい十分可能です。想像ではなく、このとおりのことを学校でしています。関心をもって学んでいるのを邪魔しないでほしいです。

12歳のイエスさまがその模範を示してくださいました。いま小学生のお子さんがおられる方は、ぜひ聖書を学ぶことをおすすめください。

昭島教会の教会学校に、大切なお子さんをぜひお預けください。よろしくお願いいたします。

(2022年1月2日 新年礼拝)

2022年1月1日土曜日

新たな一歩を(2022年1月1日 元旦礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)



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「新たな一歩を」

ルカによる福音書5章1~11節

関口 康

「話し終わったとき、シモンに『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。」

あけましておめでとうございます。

2022年の元旦礼拝の聖書箇所として選ばせていただきましたのは、ルカによる福音書5章1節から11節までです。救い主イエス・キリストが最初の弟子をお選びになった箇所です。

その場所が「ゲネサレト湖畔」(1節)と書かれています。イスラエルの北部のガリラヤ湖です。ガリラヤ湖で漁をする漁師たちの住む町が近くにありました。その町ひとつのカファルナウムをイエスさまは最初の宣教拠点とされました。

イエスさまがゲネサレト湖畔あるいはガリラヤ湖畔に立っておられたとき「神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た」(1節)と記されています。特に気にせず読み流していましたが、改めて読むとはっとさせられる言葉が書かれています。

「群衆」とあるのは大勢の人というくらいの意味だと思われます。大勢の人がまだ宣教活動をお始めになったばかりで、若くて、それほど広く知られているわけでもないイエスさまのもとに「神の言葉」を聞こうとして「押し寄せて来た」というのです。

もしそうだとしたら、イエスさまの語る言葉は「人の言葉」でなく「神の言葉」であるという認識がその人々の中にあったということになります。しかし、それがどういう意味を持っていたかは考えさせられます。

そのひとつの可能性は、「神の言葉」は「人の言葉」よりも権威があるという認識がその人々の中にあった、ということではないでしょうか。権威ある言葉を語ってもらえる存在を探し求めた結果、イエスさまがそうだと信じることができたので集まってきた、ということではないだろうかということです。

ところが、そのときイエスさまは、突飛と言いうる行動をおとりになりました。ガリラヤ湖に浮かぶ2そうの舟の近くで、夜通し漁をしても一匹の魚もとれず、心身ともに疲れ果てた状態の2人の漁師が舟から上がって、網を洗っていました。その姿を御覧になったイエスさまが、2人のうちの1人のシモンの舟に乗り込まれ、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになったというのです。

なぜこれが「突飛と言える行動」なのかといえば、3つくらいの理由を思いつきます。いちばん深刻な問題から考えていくとしたら、徹夜で働いても何の収穫もなく身も心も疲れ果てた労働者にまだ「働け」とイエスさまが言われているということです。勘弁してくださいよと断っていい場面です。気が短い労働者であればイエスさまに腹を立ててつかみかかるかもしれないほどです。そのことをイエスさまは分かっておられて、あえておっしゃっています。

2つめも今申し上げたことに関係します。漁師にとって漁はプロの仕事です。魚がとれないとなれば自分と家族の生活に影響する、自分の存在をかけた仕事でもあります。しかし、その日は何も収穫が無くて肩を落としながら、汚れた網や道具を洗って片付けて、さあこれからひと眠りしようとしていた場面です。

その彼らにとっての神聖なる領域である舟に、イエスさまが、彼らに断りもなく乗り込まれ、沖に漕ぎ出してくれと頼まれたというわけです。人として職業人としてのプライドがずたずたにされ、土足で踏みにじられているようです。そのことをイエスさまがあえてなさっています。

3つめは、逆の視点です。最初に申し上げたことですが、群衆は「神の言葉」(1節)を求めて押し寄せて来たと記されています。その意味は権威を求めてきたということではないでしょうか。しかし、もしそういう意味だとして、イエスさまがその群衆の要求どおりにお応えになる考えをお持ちになったとすれば、イエスさまが向かうべき先は、ガリラヤ湖に浮かぶ舟の上ではなく、カファルナウムにもあったことが聖書に明記されている会堂(シナゴーグ)だったのではないでしょうか。

権威ある言葉を求める人に語るにふさわしい場所は権威ある建物なり、何らかのセッティングでしょう。しかしイエスさまは真逆の方向に進まれました。宗教的権威が認められた施設のほうではなく、労働者が仕事をする現場のほうに向かわれました。そこからイエスさまは「神の言葉」を求めて押し寄せて来た群衆に「神の言葉」をお語りになろうとしたのです。

3つ理由を挙げました。心理的に考えると、どれも「迷惑」なことばかりです。徹夜で働いても収穫なく心身疲れ果てた労働者にまだ働けと言い、彼らの労働者の神聖な道具を荒らし、「宗教家の行くべき場所はこちらでなくあちらでしょう」とあしらわれてしまうような場所に入って来る。「そういうのは目新しい方法かもしれませんが、あまり長続きしませんよ」と皮肉を言われてもおかしくないような行動をイエスさまがあえておとりになっています。

しかし、その結果どうなったかは今日の聖書の箇所に書かれているとおりです。網が破れそうなほど魚がとれたとか、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので舟が沈みそうになったとか、それを見たペトロがイエスさまの足もとにひれ伏したとか。

なぜペトロがイエスさまにひれ伏したのかの理由は分かります。その前に「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(5節)とペトロが言ったのは、彼のプライドを賭けた皮肉だったからです。

「わたしたちは漁の専門家です。そのわたしたちにできなかったことですが、それでもやれと言うならやります。結果は同じでしょうけどね。わたしたちの苦労を少しは分かってもらいたいですよ」という皮肉で舟を出したのです。しかし、その結果がとんでもないことになったので、ペトロは謝罪しているのです。

聖書の話はここまでにします。ペトロの姿はわたしたちにそっくりではないかと思えてなりません。自分が今までしてきたこと、自分の領域を守りたくて必死です。私もそうです。他人の話をしているのではありません。教会も同じです。しかし、何の成果も無い。ますます先細りするばかり。もしそうだとしたら、発想をすっかり逆転させて、何もかも新しくやり直すしかないではありませんか。

わたしたちは今年こそ「新たな一歩」を踏み出そうではありませんか。具体的な提案については次の機会に改めてお話しします。イエスさまが、わたしたちが苦労して守ってきた神聖な領域に踏み込んで来られ、従来のやり方を全部ひっくり返され、何もかもめちゃくちゃに破壊されるかもしれません。しかし、もしそれをイエスさまがなさるなら、歓迎しようではありませんか。今年こそ、舟が沈みそうなほどの魚がとれると信じようではありませんか。

(2022年1月1日 元旦礼拝)

2021年12月24日金曜日

クリスマスの平和(2021年12月24日 イブ礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

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ルカによる福音書2章1~7節

関口 康

「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」

クリスマスおめでとうございます。クリスマスイブ音楽礼拝にお集まりいただき、ありがとうございます。

昨年は行うことができませんでした。今年はこんなに大勢の方々がご出席くださり、本当にうれしく思います。

私は今年、昭島教会の牧師をしながら、3つの学校で聖書を教えています。どうもその悪影響が出ているようです。教会の方から「最近の関口先生の説教は聖書の知識についての話ばかりで、まるで学校の先生のようです」というご指摘がありました。学校に染まりすぎかもしれません。

しかし、今日もお許しください。今日の箇所に登場する「皇帝アウグストゥス」とは何者なのかの説明から話を始めます。歴史的な説明を避けることができません。

ジュリアス・シーザーの名前は、ご存じでしょうか。シェークスピアの劇で、暗殺されるとき「ブルータス、お前もか」と叫ぶ人。あのシーザー(ユリウス・カエサル)の後継者がアウグストゥスです。

シーザーまでのローマは共和制でした。まだ比較的みんなで相談して決める政治の形が残っていました。しかしシーザーが独裁者になって暴走しはじめたので、それを食い止めるためにブルータスたちによって暗殺されました。それは悲劇でした。

しかし、そのシーザーの後継者がアウグストゥスです。アウグストゥスはシーザー以上の独裁者になりました。地中海沿岸のほとんどの地域を強大な軍事力で制圧し、支配しました。

ところが、その独裁者とは真逆の姿で真の救い主がお生まれになったというのが、今夜の箇所の主旨です。「皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た」(1節)のは、ローマ帝国に税金を納める人の人数を調べるためです。

それでやむをえず、イエスさまがお腹にいる母マリアと夫ヨセフが、その住民登録のために遠くまで旅をしなければなりませんでした。強いられた感、やらされている感の中で、ひきずりまわされ、ひどく辛い目に遭わされました。

しかし、同じ目的で移動中の宿泊者が多く、宿屋に空き部屋が無かったので、なんと惨めなことに、家畜小屋で出産となり、なんと見すぼらしい飼い葉桶の中に生まれたばかりのイエスさまを寝かさざるをえなかった、という話です。

しかし、今日お話ししたいのはもう少し先のことです。実は今夜開いているルカによる福音書と、もうひとつ新約聖書の使徒言行録という書物は、同じ著者が書いたものです。そして、使徒言行録の最後に書かれているのは、使徒パウロがローマ帝国の首都ローマにたどり着き…イエス・キリストについて教え続けた(使徒言行録28章31節)事実です。

つまり、ルカによる福音書と使徒言行録の2冊の書物を書いた人は、イエスさまがお生まれになった時代のローマのひどい独裁者のせいでイエスさまも含めた多くの人々がひどい目にあった事実から書きはじめて、使徒パウロがローマでイエス・キリストの福音を宣べ伝えはじめるまでのすべてを関連付けて考えたうえで、今日の箇所の出来事についても書いていると言えます。

これで私が何を言いたいか。今夜はクリスマスイブです。クリスマスにおいてわたしたちが、イエスさまがお生まれになったことをお祝いするのも大事です。しかし、「イエスさまがお生まれになった」で話が終わらないことが大事です。

真の救い主としてイエスさまがお生まれになったことを信じて受け入れ、イエスさまの教えと生きざまに倣って生きて来た「教会」が世界中に生まれたことこそが、イエスさまの存在に匹敵するほど大事である、ということです。

クリスマスが12月25日であるのは、イエスさまが「12月25日生まれ」であるということではありません。詳しい説明はやめますが、今から1600年ほど前に、イエスさまのお誕生をお祝いする日を「12月25日」にしましょうと決めただけです。そしてそれ以来、毎年教会でクリスマスが祝われるようになりました。それをしたのは「教会」です。

今日お話ししたいのは「教会なしにクリスマスはない」(No Church No Christmas)ということです。今では世界中でクリスマスが祝われています。しかし「教会のことが忘れられていませんか」と思うことが多いです。

「教会、教会」としつこく言いますと、クリスマスイブ音楽礼拝の楽しい時間を台無しにしてしまいますので、これでやめます。

しかし、「教会」を忘れないでいただきたいです。もし可能でしたら、日曜日に教会に通ってください。昭島教会が遠い方は近所の教会に通ってください。ぜひよろしくお願いいたします。

(2021年12月24日、クリスマスイブ音楽礼拝)


2021年12月19日日曜日

キリストの降誕(2021年12月19日 クリスマス礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
クリスマス讃美歌メドレー 奏楽・長井志保乃さん 字幕:富栄徳さん

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「キリストの降誕」

ルカによる福音書2章8~20節

関口 康

「天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

クリスマスおめでとうございます。

昭島教会の2021年度のクリスマス礼拝です。クリスマスは世界の大多数の教会で12月25日がそれだとされています。そして12月25日に近い日曜日にクリスマス礼拝をするのが日本の多くの教会が採っている形です。

「大多数が」と言いましたのは例外があるからです。今はインターネットで何でもすぐ調べることができます。アルメニアという国では、1月6日がクリスマスだそうです。クリスマス礼拝を日曜日にすることも、教会によって考え方が違うので、例外なく、おしなべて、世界共通の、という言い方をしないほうがよいです。

昭島教会のことを申し上げます。11月7日に「昭島教会創立69周年記念礼拝」を行いました。つまり、今日は昭島教会の「第69回」クリスマス礼拝です。来年は「第70回」です。

今日の週報の通し番号が「第3599号」です。この番号は昭島教会の聖日礼拝の回数を表しています。今日は昭島教会の3599回目の礼拝であり、来週は3600回目の礼拝です。「3600」を一年の日曜日の回数の「52」で割ると「69.2307…」です。

その間、石川献之助先生が今日に至るまで昭島教会の牧師を続けてこられたことは、みなさんのほうがご存じです。しかし、牧師がひとりでいることが礼拝ではないし、教会でもありません。教会のみなさんが教会であり、みんなで集まることが礼拝です。来週3600回目の聖日礼拝を行う昭島教会の69年の歩みの中で、牧師以外だれもいない礼拝が行われたことはないことを意味していると思います。これは本当に素晴らしいことです。

昭島教会の話をしているのに私の話をするのは場違いですが、来週12月26日の日曜日が私の受洗記念日です。ちょうど50年前の1971年12月26日も日曜日だったのですが、日本キリスト教団岡山聖心教会のクリスマス礼拝の中で私の洗礼式が行われました。

50年前は私は小学校に入学する前で、岡山聖心教会の附属幼稚園の年長組に属する6歳だったのですが、はっきり言わせていただきたいのですが、だれから勧められたわけでもなく、明確な自分の意志で「洗礼を受けたい」と志願して、洗礼を授けていただきました。

その日から来週で50年です。自分で志願しましたので、責任があります。50年、風邪を引いたとき以外は聖日礼拝を休んだことがありません。1年52回の日曜日を50年で掛けると2600回の礼拝です。昭島教会より1000回足りませんが、今年56歳の私が50年、礼拝に通ってきました。

いばっているのではなく、教会とはそういうものだと申し上げたいのです。1回1回の礼拝は地味な営みです。私は50年、昭島教会は70年、石川先生は94年、続けてきたその中で得られるものがあったかもしれない、なかったかもしれないという程度です。「なかったかもしれない」は余計ですが、自分では分からないという意味です。子どものころ、自分の身長が伸びたことを、周囲の人から「大きくなった」と言われて初めて自覚するのに似ています。

今日の聖書の箇所とは関係ない話をしているつもりはありません。先週イザヤ書40章についてお話ししたこととも関係あります。イザヤ書40章は紀元前6世紀にユダヤ人の国が新バビロニア帝国によって滅ぼされ、3千人とも1万人とも言われるユダヤ人がバビロニアの首都バビロンに連行された「バビロン捕囚」という歴史的事件と関係あると申し上げました。イザヤ書40章には、約70年の捕囚から解放されたユダヤ人がパレスチナに帰還する状況が描かれています。

ユダヤ人たちがパレスチナに戻れたのは、彼らを支配していたバビロニアをペルシアが倒したからですが、彼らが独立したわけでなくペルシアの支配下に移されただけです。その後ペルシアをギリシアのアレクサンダーが滅ぼし、ギリシアからシリアがパレスチナを奪い、さらにシリアからローマへとパレスチナの支配権が移っていきます。

イエス・キリストがお生まれになったのは、ユダヤ人がローマ帝国に支配されていた頃です。「バビロン捕囚」言い換えれば「敗戦と国家滅亡」から数えて500年の時間が経過しています。ユダヤ人の願いは、もう一度自分たちの独立国家を立て直すことでした。彼らが待ち望んでいた「救い主」は、自分たちの国を取り戻してくれる強い政治的指導者でした。

しかし、大切なことは、ユダヤ人の願いが叶うかどうかではなく、神が何を願っておられるかです。神の御心は何かです。ベツレヘムの羊飼いたちに天使が告げた神の御心は「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるだろう。これがあなたがたへのしるしである」(11~12節)というものでした。

この意味は、「ダビデの町で生まれる救い主」は、小さく弱く貧しく目立たない姿でお生まれになった、ということです。強力な政治的指導者になって強大な権力と軍事力を手に入れてローマ帝国だろうとどこだろうと戦争を仕掛けて勝利して、国土を取り戻し、500年前に失った自分たちの独立国家を立て直す、そのような存在が生まれることが神の御心ではない、ということです。

そうではなく、小さく弱く貧しく目立たない、社会の中で無きものと同然の扱いを受けているような人々と共に生き、助け、慰めてくださる存在。その方こそ「救い主」であり、そのような方がお生まれになったことこそが、神の御心である、ということです。

なぜこの話と、昭島教会の話や、私の話が関係あるか。教会の歩み、クリスチャンの歩みは、イエスさまがそうであると言われているように、布にくるまれて飼い葉桶の中に寝かされるような小さく弱く貧しく目立たない存在であるし、そうであってよいのです。

礼拝を何千回続けようと、社会に影響があるわけでなし、有名人になれるわけでなし、どこにメリットがあるか分からないと言われれば、そのとおりです。しかし、イエスさまがそういう方だったのですから、わたしたちの心がくじけたり、折れたりすることはありません。

地味で地道な歩みのほうが長続きします。若者のために、教会の活性化のために、というような理由で大騒ぎしたり興奮したりする要素が礼拝に求められることがありますが、息切れします。

ベツレヘムの羊飼いたちが、イエスさまを囲んでささげた最初のクリスマス礼拝は動物たちの鳴き声が聞こえていただけです。この教会の牧師館で初めて朝を迎えたとき、幼稚園のにわとりがコケコッコと鳴いて私を起こしてくれたことを思い出します。のんびりした心地よい朝でした。

わたしたちの教会は、それでよいのです。小さく弱く貧しく目立たない存在であり続けてよいのです。これからも地味で地道な礼拝を重ねて行こうではありませんか。そのような礼拝こそが、わたしたちの人生をしっかり支える力になります。

(2021年12月19日 クリスマス礼拝)


2021年12月12日日曜日

主の道を備える(2021年12月12日 待降節礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

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「主の道を備える」

イザヤ書40章1~11節

関口 康

「呼びかける声がある。主のために荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために荒れ野に広い道を通せ。」

今日の聖書の箇所は旧約聖書のイザヤ書40章です。イザヤ書についてはだいたい定説になっている読み方があることを確認する必要があります。それはイザヤ書の1章から39章までを書いた預言者イザヤと、40章以下を書いた預言者とは、別の時代の別の人であるということです。

なぜそのように言えるか。1章から39章までを書いた預言者イザヤは、この人が紀元前8世紀の南ユダ王国のウジヤ王の顧問官だったことが分かる内容が記されています。それに対し、40章以下に描かれているのは紀元前6世紀の出来事です。特に44章28節に出てくる「キュロス」という名前の人物は、紀元前6世紀のペルシアの王です。

そのため、紀元前8世紀の「本来の」イザヤが2世紀も隔たりがある紀元前6世紀のペルシアの王の名前を知っていたはずがないという推論が働き、要するに40章以下は紀元前6世紀の人が書いたとしか言いようがないという結論になったという次第です。イザヤ書40章以下を、39章までの預言者と区別するための学説上の名称は「第二イザヤ」と言います。

さらにもう少し言えば、「第二イザヤ」の範囲は40章から始まってイザヤ書の最後まで、ではなく、「第二イザヤ」の終わりは55章までで、56章から66章まではさらに別の預言者が書いたものだと言われます。その部分の著者を、学説上の名称で「第三イザヤ」と言います。

「第三イザヤ」の時代は「第二イザヤ」と同じ紀元前6世紀です。しかし、「第二イザヤ」との違いは思想や用語が違うと言われます。ヘブライ語の聖書を読むことができる学者がイザヤ書を読むと、55章から56章に移るところでがらっと文体や語調が変わる様子が分かるそうです。

しかし、このような、同じ「イザヤ書」の中に異なる時代の別の預言者の言葉が含まれているという学説は、それが定説として受け入れられるまでにしばらくの年月がかかったと思われます。もっとも私は、この学説が教会に受容された詳しい消息を知っているわけではありません。

しかし、このような聖書に関する、聖書に直接書いてあるわけでない学説上の知識の話を教会の中でするだけで嫌悪感や拒絶反応を表明されることがあるので要注意だと思っています。私も、自分が知っていることのひけらかしをしたいわけではありません。聖書という書物を歴史的背景や文脈を無視して、まるで占いの本であるかのように読んではいけないと思うだけです。

かろうじて21世紀まで生きた私たちです。しかし、2世紀後の23世紀の世界がどうなるかを知ることは不可能です。そのとき世界はどうなるかについて勝手なことを言うのは、ある意味で簡単です。しかし、23世紀にもなお日本という国があるとして、そのときもまだ天皇や総理大臣などの制度が仮に存続しているとして、その人たちの名前を今のわたしたちが言い当てることは不可能です。それとイザヤ書の時代的区分の話は同じだと思っていただきたいです。

イザヤ書40章からの「第二イザヤ」は紀元前6世紀の人です。紀元前11世紀に成立したイスラエル王国が初代サウル王時代、二代目ダビデ王時代、三代目ソロモン王時代を経て、ソロモンの子どもたちが王位継承権を争い、北と南の2つの国へと分裂しました。それが前10世紀です。

その後、北王国は紀元前8世紀にアッシリア帝国によって滅ぼされ、南王国は紀元前6世紀に新バビロニア帝国によって滅ぼされます。

特に、南王国が新バビロニア帝国によって滅ぼされたときは、南王国の指導者層の人々(その人数は3千人とも1万人とも言われる)と、両眼をつぶされ、青銅の足かせをかけられた南王国最後の王ゼデキヤとが新バビロニア帝国の首都バビロンに連行され、そこで約70年とらえられた状態にありました。それを「バビロン捕囚」と言います。

その後、新バビロニア帝国はペルシア帝国によって滅ぼされ、ペルシアの王キュロスはユダヤ人をバビロンにとらえたままにする必要がないと判断し、ユダヤ人をパレスチナに返しました。それで、バビロンから解放されたユダヤ人たちは、祖国の首都エルサレムに戻り、新バビロニア帝国によってめちゃくちゃに破壊された町や神殿を、時間をかけて再建しました。

今日開いたイザヤ書40章以下の「第二イザヤ」は、キュロスによってバビロンからユダヤ人が解放され、祖国再建の夢を抱いてパレスチナに帰還したその出来事をまさに描いています。これは紀元前6世紀の出来事なので、紀元前8世紀の本来のイザヤがそれを知りえたはずがない、というのが今日の最初に説明したことです。

私は聖書の講義をしているわけではありません。聖書の言葉を歴史的な文脈を無視して読んで、その中の印象的な言葉を書にして、額縁に入れて飾るだけでは何の意味もないと思っているだけです。それだけであれば、聖書はただのファッションです。聖書の言葉は自分を心地よい気持ちにしてくれるだけのアクセサリーではありません。

しかも、今日の箇所を含むイザヤ書40章以下の「第二イザヤ」が描いている状況は、ユダヤ人たちがバビロン捕囚から解放されてエルサレムに戻って祖国を再建する夢と希望を抱く場面です。「バビロン捕囚、バビロン捕囚」と言いますが、それは要するに戦争とその結果です。自分の国が負けて敵国の支配下に置かれ、自分たちの思い通りにならなくなることです。

高齢者になって、若いころにはできたことができなくなって、若い人たちに支配された状態に置かれることも、ある意味で似ているかもしれません。自由でない状態に我慢ができなくなって爆発的に騒ぐ人たちがいますが、それも似ています。戦争に負けて自分たちの自由を奪われた人たちの希望と目標は、自分たちの思いどおりにできるようになることでしょう。彼らにとってはそれが「バビロン捕囚からの解放」の意味です。

このイザヤ書40章以下の言葉と、ユダヤ人のバビロン捕囚からの解放の出来事が、新約聖書のマタイによる福音書に直接影響を与えていることは明白です。マタイ1章1節以下の「イエス・キリストの系図」の最後に「アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまで14代」(17節)と書かれているのは、マタイによる福音書がキリストを「バビロン捕囚からの真の解放者」だと考えているからだと私は考えます。

しかし、イエス・キリストはユダヤ人を政治的に解放して新しい国を作るために来られたわけではないというのがマタイによる福音書を含む新約聖書の教えであり、わたしたちキリスト教会の信仰です。「バビロン捕囚」は「敗戦」という言葉に置き換えることができます。敗戦を実際に体験した世代の方々には「敗戦」と言うほうがピンと来るかもしれません。

戦争に負けた敗戦国がめざすことは、敵国への復讐を果たして戦争以前の国を取り戻すことではなく、人と人が争い合うこと自体をやめ、真の平和の実現のために人間の心の問題に取り組み、神による魂の救いを体験することです。イエス・キリストが来てくださったのは、そのためです。

(2021年12月12日 待降節礼拝)

2021年12月5日日曜日

受胎告知(2021年12月5日 待降節礼拝)

日本キリスト教団昭島教会〔東京都昭島市中神町1232-13)

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「受胎告知」

ルカによる福音書1章26~38節

関口 康

「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』そこで、天使は去って行った。」

今日から、礼拝の司会を牧師が行う緊急事態方式を終了し、本来の方式に戻します。現時点では日本国内は爆発的感染と言えるような状況にないからです。またどうなるか分からないというのが正直な気持ちであり、みなさんも同じお気持ちでしょう。しかし、それでも「できることをできるうちにする」という姿勢が大事です。

礼拝の司会の件は、それをだれがすべきかという議論が目的ではなく、礼拝当番表を作成するのを中止することが目的でした。教会のすべての奉仕は自発的なものでなければならず、義務や責任という観点からうんぬんされるべきではありません。しかし、当番表があると礼拝の出席や奉仕が強制的なものと感じられ、感染症対策の観点から外出を控えたくても義務感が生じるので、当番表の作成自体をストップしましょうと役員会で決めた次第です。

しかし礼拝の司会をすべて牧師が行う方式は長く続けるべきではありません。礼拝の雰囲気がどうしても一本調子になります。慣れるとそのほうが良くなるかもしれませんが、まさにそれが危険です。

学校も似ている面があります。感染症対策の観点から校舎での対面授業をすべて取りやめて、インターネットを活用したリモート授業に切り替える措置をとった学校が多くありました。それにみんなが慣れてくると、もうずっとそのほうがいいという空気になりそうな勢いを感じました。しかし、リモート授業は本来の形ではなく、緊急措置です。対面授業とリモート授業は全く別のものです。良し悪しの問題ではなく、異なるものを同一視してはいけません。

教会の礼拝も、牧師の声だけが響く形でなく、教会のみんなで作り上げていく形が、昭島教会の本来の礼拝です。異なるものを同一視してはいけないという観点を忘れずにいましょう。再び状況が悪化してきたら、いつでも緊急自体方式に移行するという柔軟な姿勢でいたいと願います。

さて、今日は待降節第2主日です。クリスマス礼拝が再来週の12月19日に迫りました。会社の方々は年末年始は忙しいでしょうし、学校は期末試験の最中です。受験生は大詰め段階です。そのような中で迎えるクリスマス礼拝ですので、とにかく安心できる、ほっとする、慰められる、ほめてもらえる礼拝になりますようにと願うばかりです。

先ほど司会者に朗読していただいた聖書の箇所に記されていました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(28節)。天使ガブリエルがマリアに告げた言葉です。

1989年版の改定英語訳聖書(The Revised English Bible)で「おめでとう」は“Greetings”と訳されています。英語でメールを書く仕事をしておられる方がおられると思います。特に公式のメールを書くとき、毎回のようにGreetingsと、冒頭か末尾に書くならわしがあることを私も知っています。その意味は「おめでとう」でもあり「こんにちは」でもあります。

もちろん、この「おめでとう」という天使ガブリエルの言葉を聞いた直後のマリアの反応が、ただ戸惑いでしかなく、もっとはっきりいえば恐怖でしかなく、あまりに大きな精神的ダメージを受けて立ち直れなくなりそうなほどであったことをわたしたちは知っています。

結婚する前のマリアであったということもさることながら、天使ガブリエルの言葉によると、生まれる子どもは「偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」(32~33節)というのですから、マリアに求められたのが王の母になる覚悟と準備であるのは間違いありません。

それがマリアにとって「おめでたい」話だったとは思えません。当時の状況を考えると、天使ガブリエルの言葉を聞いたマリアが何の驚きもためらいもなく「了解です」と反応したとしたら、皮肉な言い方になりますが、マリアは相当おめでたい人です。

なぜそう言えるかといえば、当時の状況を考えれば、「ダビデの王座」や「ヤコブの家の支配」は、あのヘロデ王が継承しているとみなされていた時代です。地域差別や職業差別をする考えは、私にはありません。しかし、ナザレというガリラヤの町で大工を営むヨセフといいなずけの関係にあったマリアが、自分から生まれる子どもに王位継承権があると本気で信じたのだとすれば、マリア自身が自覚しなければならなかったのは、自分から生まれる子どもは、現政権を維持するために生まれるのではなく、それを根本的に破壊し、くつがえし、新しい国にするほどの革命家の母になることの覚悟と準備であったとしか言いようがありません。

しかし、ルカによる福音書に記されているマリアの反応は、今申し上げた方向ではなく、私はまだ結婚していないのにどうして子どもが生まれるのだろうとか、そちらの方向に膨らんでいるのは、いかにも幼稚です。そんなことはどうでもいいとは申しません。しかし、本気で政権交代をめざす子どもの親になりなさいと、まるでそう言われたかのような天使の声に対して、マリアがそのとき何を考え、どう応えるべきだったかは、別の問題に属する気がします。

しかし、かなり混乱しながらも、最終的にマリアが出した結論と答えは素晴らしいものです。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(38節)とマリアは天使ガブリエルに答えました。

先ほどご紹介した1989年版の改定英語訳聖書(REB)には、次のように訳されています。“I am the Lord’s servant. May it be as you have said”.この英語は理解が難しいかもしれません。もっと前の1946年版の改定標準訳聖書(Revised Standard Version)では、次のように訳されています。“I am the handmaid of the Lord; Let it be to me according to your word”.

そうです、ビートルズです。レット・イット・ビーは「なるがままに」とか「放っておけ」などと訳されます。ビートルズの場合は、困ったときにマリアが来てくれて「レット・イット・ビー」と言ってくれる歌です。しかし、改定標準訳聖書(RSV)に従えば、「レット・イット・ビー」は、マリアが天使ガブリエルに答えた言葉です。

しかし、それは「どうにでもなれ」「そんなの知るか」という自己放棄ではなく、「神の言葉がこの私の存在において実現しますように」という祈りです。「私は一切関わりたくありませんが、神の言葉は実現しますように」という祈りでもありません。「私をどのようにでもお用いください。私はあなたに服従いたします」という神への信頼と服従の表明であり、態度決定です。

わたしたちはどうだろう、私はどうだろうと、何度も自分に問いかける必要がありそうです。

(2021年12月5日 待降節礼拝)

2021年12月2日木曜日

あとは哀しみをもて余す異邦人

【あとは哀しみをもて余す異邦人】

正常なのか、どこかネジが抜けているのか、楽しすぎたり幸せすぎたりすると、そうあるまい、そうなるまいと心理的に強いブレーキがかかる。どうやら私の正体は禁欲主義者らしい。そして私は今、楽しすぎて幸せすぎるらしい。ごはんがおいしいし、体調がいい。だからブレーキがかかる。夜は眠いらしい。

アイパッドのナビに原付バイク専用のルート検索機能があればいいのに。ないかわりにクルマか自転車か徒歩のルートを選択できる。速度を鑑みてクルマのルートを選ぶが、有料道路も高速道路も「利用しない」に設定しているのに、事実上の高速道路と化している恐ろしい国道に原付を誘導したがって泣ける。

中神から湘南まではクルマなら国道16号や圏央道を使えば1時間で行けるらしいが、原付だってば。ナビに逆らうと「経路に進む。経路に進む。経路に進む」と壊れたように連呼しはじめて、なんとかして恐ろしい道まで戻そうとする。ナビを黙らせて再計算してくれる位置まで振り切るとひどく回り道になる。

特に湘南からの復路は、圏央道(高速だってば)は論外として、国道16号も避けたくて、ナビに逆らって東のほうに進むことが多い。一昨日(11月29日火曜日)は「海軍道路」というのを初めて通る。横浜市瀬谷区。道は狭いがクルマが猛スピード。原付の逃げ場がないのでやめてくれ。ナビに従うべきだった。

しかし、原付での長距離通勤は今だけだと思っている。雪だ氷だの状況が始まれば論外だし、往復5時間だ6時間だかかっているので、一昨日のように途中で突然の大雨になったりする。まさか乗り捨てるわけに行かないので、大雨の中を走らざるをえない。早く帰りたい場合は恐ろしい国道を通らざるをえない。

またバイクの話になってしまった。今書いていることの主旨は、どうやら今の私は楽しすぎて幸せすぎるらしいということだ。だから自分の過去を全否定したくなる衝動も起こる。「なぜ初めから原付以上のバイクの免許をとらなかったのか」とか「なぜ初めから学校に就職しなかったのか」とか邪念が過ぎる。

しかし、そうではなかったのだ。それが私の現実なのだ。私に原付以上のバイクは不可能だし、教会の牧師になること以外の可能性を考えたことがなかったのだ。あとから取ってつけた話ではないのだ。私にとって学校は隣の青い芝生なのだ。学校にとって私は、ちょっと振り向いて見ただけの異邦人なのだ。

だからといって、遊び半分のような中途半端な気持ちで学校にかかわっているつもりは全く無い。そんなことができるほど甘い領域ではありえない。学校に丸抱えしてもらえる年齢はとっくに過ぎてしまっていることの自覚を表明しているにすぎない。「全力でちょっと振り向く異邦人」の線で行くしかない。

2021年11月21日日曜日

信仰を受け継ぐ(2021年11月21日 主日礼拝)

収穫感謝礼拝(2021年11月21日)
讃美歌21 358番 小羊をばほめたたえよ! 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「信仰を受け継ぐ」

サムエル記上16章5b~13節

関口 康

「サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼(ダビデ)に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。」

先週の説教の冒頭で申し上げたことを繰り返します。いま私が毎週の聖書箇所を決めるために用いている日本キリスト教団聖書日課『日毎の糧』で、クリスマスの前に旧約聖書を取り上げることになっていることには意味があります。

イエス・キリストのご降誕をお祝いするのがクリスマスです。イエス・キリストのご降誕には旧約聖書に示された神の約束が実現したという意味があります。その意味を明らかにするために、クリスマスの前に旧約聖書を学ぶことが大事です。

信仰の父アブラハムから始まるイスラエルの歴史の中で待ち望まれたキリストが本当に来てくださったと、十字架にかかって死に、三日目に復活されたナザレ人イエスと初めて出会った人々が信じました。イエス・キリストは苗字と名前ではありません。「旧約聖書に約束されたキリストがこのイエスである。このイエスこそあのキリストである」という関係をあらわす言葉です。

「イエス」は固有名詞です。「キリスト」はいわば肩書きであり、職務です。「キリストという仕事」があるという意味になります。そのことを具体的にあらわすために、イエスとキリストの間に中黒(・)ではなく、等号(=)を書く人がいます。新約聖書の中にも「イエス・キリスト」という語順だけでなく、「キリスト・イエス」と逆になっている箇所があります(ローマの信徒への手紙1章1節、テサロニケの信徒への手紙一2章14節、テトスへの手紙1章4節など)。

しかし、日本語の旧約聖書のどこを開いても「キリスト」は出てこないではないかと思われる方がおられるかもしれません。それは日本語の聖書だからです。「キリスト」はギリシア語ですが、旧約聖書はヘブライ語で書かれました。ヘブライ語の「メシア」(マーシアハ)のギリシア語訳が「キリスト」(クリストゥス)です。メシアは旧約聖書に登場します。「旧約聖書にはキリストは出てこない」という説明は間違いです。しっかり登場しています。

しかも旧約聖書に「メシア」はたくさん出てきます。たとえば、今日開いている聖書の箇所にまさに出てきます。旧約聖書の「メシア」の意味は「油を注がれる者」という意味です。この意味の「メシア」が「キリスト」です。言い方を換えれば、旧約聖書に「油を注がれる者」と記されている箇所のすべてを「キリスト」と訳しても間違いではないということです。

今日の箇所はサムエル記上16章です。何人かの人が登場しますが、この中で特に重要な人物はサムエル、サウル、ダビデ、エッサイの4人です。サムエルは預言者です。サウルはイスラエル王国の初代国王です。ダビデは第2代国王です。エッサイはダビデの父親であり、羊飼いです。

この4人の中に3人「キリスト」がいます。サムエルもサウルもダビデも「キリスト」です。それは、この3人は「油を注がれた者」(メシア)であるという意味です。この3人だけが「油を注がれる者」(メシア)であるという意味ではありません。旧約の時代には、預言者、王、祭司の3つの職務に就く人々の頭に油が注がれました。それらすべての人が「キリスト」です。

今日の箇所に記されているのは、預言者サムエルがイスラエル王国の初代国王のサウルに油を注いだけれども、サウルが職務を継続するのが不可能になったために、サウルを退け、サウルの代わりに新しい王としてダビデを選び、ダビデの頭に油を注いだ場面です。

最初に申し上げたとおり、イスラエル民族の歴史はアブラハムから始まりましたが、最初は遊牧民の一家族にすぎませんでした。しかし、神の約束の通り、空の星の数ほど、大地の砂粒の数ほど、数えきれない多くの子孫を与えられ、ついにひとつの国家を作ることになりました。

それで、預言者サムエルが王国としてのイスラエルを率いる初代国王になるサウルの頭に油を注ぎましたが、サムエルはイスラエルが王国になることに否定的でした。そのことがサムエル記上8章にはっきり記されています。ぜひじっくり読んでみていただきたいです。

サムエルはなぜイスラエルが王国になることに対して否定的だったかといえば、イスラエルは本来的に信仰共同体であるべきであるという認識をサムエルが持っていたからです。信仰共同体の勢力が増したからといって国家になり、政治の共同体になってしまうと、「神」を信じる信仰が、いつの間にか、強いリーダーシップと権力を持つ「人間」への信頼や期待に置き換えられ、それによって共同体の内実が変質してしまうからです。

教会も同じです。教会に集まる人々は、神への信仰を求めて集まります。しかし、教会の勢力が拡大してくると、強いリーダーシップや権力を持つ人が、おのずから登場する面があるのと、そのようなリーダーをみんなが要求しはじめる面もあり、教会の内実が変質します。神に従っているのか、強いリーダーに従っているのかが分からなくなってしまうのです。

しかし、イスラエルの人々の中から強いリーダーを求める声が強くなり、それに逆らうことができなくなったので、サムエルは王を選ぶことにし、初代の王としてサウルに油を注ぎました。サウルは最初の頃は良かったのですが、高齢になって晩節を汚す言動を繰り返すようになったので、サムエルがサウルに代わる2代目の王を探すことになりました。

それで、サムエルは羊飼いだったエッサイの子どもたちの中からダビデを選び、その頭に油を注ぎました。サウルは自分が職務から退けられ、自分の代わりにダビデが新しい王になることを知ったとき、嫉妬にかられて怒り、ダビデを殺そうとします。しかし、ダビデは、自分がサウルから殺されそうになったときも、その後も一貫してサウルに対する敬意を持ち続けました。

なぜダビデが自分のことを殺そうとまでする先代の王サウルに対して敬意を持ち続けることができたのかといえば、その理由がまさに「サウルは油を注がれた人だから」ということでした。そのことがはっきり記されているのがサムエル記上26章です。「主が油を注がれた方に、わたしが手をかけることを主は決してお許しにならない」(11節)とダビデが語っています。

ダビデはサウルの人間性やリーダーシップを尊敬したのではありません。その面には失望し、軽蔑すらしていたでしょう。しかし、ダビデは最後までサウルを尊敬しました。それがダビデにできたのは、サウルが「油を注がれた者」であること、つまり、神がなされた行為に対する畏れと信仰を最後まで重んじたからです。

教会も同じです。これからも教会の歴史は続いていくでしょう。それはいま生きている私たちの信仰を、次の世代の人々が受け継いでくれることを意味します。しかしそれは、今の私たちを尊敬してほしいと次の世代の人々に要求することとは違います。「私たち」でなく「神」を信じてほしいと願うだけです。その点が不明であれば次の世代の人々の中に不信感が生まれます。

(2021年11月21日 主日礼拝)

2021年11月14日日曜日

信仰と決断(2021年11月14日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 474番 わが身の望みは 奏楽・長井志保乃さん、字幕・富栄徳さん

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「信仰と決断」

創世記13章8~18節

関口 康

「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。」

先々週、先週、そして今日と、3回続けて旧約聖書の創世記を開いています。日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に従っています。

この時期に旧約聖書の学びをするのは、クリスマス礼拝が近づいていることと関係あります。新約聖書とキリスト教会の視点から言うと、わたしたちの救い主イエス・キリストがお生まれになったことには旧約聖書の神の約束が実現したという意味があるからです。

今日の箇所の登場人物も、先週と同じアブラハムです。「信仰の父」と呼ばれることがある存在です。イスラエル民族の初代族長です。アブラハムが旧約聖書で初めて登場するのは創世記11章27節です。

それはアブラハムの父の名がテラと言い、そのテラの系図の中にアブラハムの名前が出てくる箇所です。ただし、そこに記されているのは「アブラム」という名前です。「テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれた」と書いてあるとおりです。

この「アブラム」がその後「アブラハム」と名前を変える場面も、創世記の中にしっかり記されています。17章5節に神さまの言葉として「あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである」と書かれているとおりです。

この改名にはもちろん意味があります。「アブラム」という名前の意味は「偉大な父」であるのに対し、「アブラハム」の意味は「多くの民の父」です。

このアブラハムが「イスラエル民族の初代族長である」と先ほど言いましたが、「イスラエル」という呼び名はアブラハムの頃にはまだなく、この名前が登場するのは創世記32章29節です。アブラハムの孫の三代目族長ヤコブに(おそらく)神が「お前の名はもうヤコブではなく、これからイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」とお話しになったことに由来します。

しかし、だからといってイスラエル民族がヤコブから始まったわけではありません。初代族長はアブラハム、二代目はアブラハムの長男のイサクです。ヤコブは三代目です。このようなことはすべて創世記、ひいては旧約聖書の中に記されています。

しかし、イスラエル民族の最初の出発点のアブラハムは、まだアブラムだったころ、妻サライ(創世記17章15節以降は「サラ」と改名)、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、父テラと共に生活していたハランの地で加わった人々を連れて、カナン地方に向けて旅をはじめました。そのときは「民族」ではなく、ひとつの「家族」でした。

「アブラムはハランを出発したとき75歳であった」(創世記12章4節)とも書かれています。亡くなった年齢は「175歳」だったことが創世記25章7節で明らかにされています。今の私たちと同じ年齢の数え方なのかそうではないのかを判断する根拠を、私は勉強不足で知りませんが、「アブラハムは長寿を全うした」(創世記25章8節)とは書かれていますので、「長寿」であるという認識はあったと思われます。

しかし、しかし、と何度も話を引き戻さなくてはなりません。今日開いている箇所に記されているアブラハムの姿も、先週の箇所の彼の姿も、「偉大な父」あるいは「多くの民の父」になっていく前の、むしろ孤独で小さな存在であった頃の彼であるということを言わなくてはなりません。

そして、このようなことを学びながらわたしたちが考えるべきことは、教会のことです。聖書の時代の族長物語についての知識を得ることも大事です。しかし、単なる知識に終始するだけだと「だからどうした」という疑問がわいてきます。

むしろ大切なのは、アブラハム自身にせよ、その後のイスラエル民族のあり方にせよ、わたしたち自身の姿、教会の姿と重ね合わせて読んでいくことで、わたしたちのあり方、教会のあり方を考えることです。

アブラハムも最初は、実家を飛び出して、むしろ孤立した夫婦と甥と一緒に働く人だけだった。そこから一大民族になるまで相当の時間がかかったということを学ぶべきです。教会も同じです。教会の規模が小さい、人が少ないといろいろ言いたくなるのも分かりますが、規模が大きくなるまでに世代を重ねて行かなくてはなりません。

しかし、まだ今日の箇所である創世記13章に書かれていることには、触れていません。やっと前提の話をし終えたところです。今日の箇所に記されているのは、アブラハムとサラの夫婦と、甥のロトが別れて、その後は別の道を進むことにした、その決断の場面です。

なぜ別れることになったかは13章5節以下に記されています。「アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた」が、「その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた」など、その経緯が縷々明らかにされています。

このままの状態が続くとけんかになると考えたアブラハムがロトに提案したのが、別々の道を進んでいくことだったというわけです。「わたしたちは親類どうしだ。わたしたちとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう」(9節)とアブラハムのほうから提案しました。

これが意味することは、アブラハムの側が譲歩したということです。右に行くか左に行くかの選択の優先権が私のほうにあるとアブラハムが主張せず、むしろロトの側に優先権を手渡したということです。こういうところにアブラハムの偉大さを私は感じます。

ロトが選んだのは、「ヨルダン川流域の低地一帯」で、「主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた」(10節)ほうでしたが、そちらに悪名高き滅びの町「ソドムとゴモラ」があったことが、後で分かります。

アブラハムに残されたのは、ヨルダンの低地と比較すると高く、牧畜に適さず、厳しい環境の「カナン地方」でした。そのカナン地方に数百年後、イスラエル王国が築かれます。

歴史の分かれ目に、そこに立ち会う人々の信仰と決断が問われます。決して悪い意味ではなく、むしろ大いに良い意味で「人の思いが働く」のです。人間が何もしないで手をこまねいたままで歴史が勝手に動くわけではありません。

教会も同じです。わたしたちの信仰と決断が、明日の教会、未来の教会を作り出すのです。

(2021年11月14日 主日礼拝)

2021年11月7日日曜日

神の民(2021年11月7日 教会創立69周年記念礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

オリジナル讃美歌「善き力にわれかこまれ」


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週報(第3593号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

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「神の民」

創世記15章1~15節

関口 康

「主は彼を外に連れ出して言われた。『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。』そして言われた。『あなたの子孫はこのようになる。』」

今日は「昭島教会創立69周年記念礼拝」です。今日の週報に記しましたように、1952年11月2日に日本キリスト教団昭和町伝道所として最初の礼拝を守り、今年は数えて69年になります。

昭島教会50周年誌『み足のあと』(2002年)の「年表」によると、1952年11月2日の週報が「第1号」です。そして今日の週報が「第3593号」です。それは3593回の聖日礼拝が行われたことを意味します。最初の礼拝から今日まで69年間、石川献之助先生が昭島教会の伝道と牧会を続けて来られました。途中で一度隠退されましたが、協力牧師の立場にとどまられ、その後主任牧師に復帰されました。今年からは名誉牧師になられました。

ただし、今日の礼拝を含めた3593回の礼拝の中に、昨年(2020年)4月からたびたび出された緊急事態宣言との関係で「各自自宅礼拝」として行った回が含まれています。週報についても、合併号を作成して発行部数を少なくした時期もありますが、礼拝の回数は間違っていません。

しかし、『日本基督教団年鑑』では昭島教会の設立日は「1951年4月30日」であるとされています。そのとおりであれば、今年は創立70周年です。なぜこの違いが生じたのでしょうか。これも昭島教会50周年誌に答えがあります。教団年鑑記載の「1951年4月30日」は青梅教会の久山峯四郎牧師が兼務担任教師として昭和町伝道所の設立届を提出した日です。しかし教会員はゼロでした。だれもいないところに石川先生が招聘されました。そして最初の礼拝を行ったのが69年前の「1952年11月2日」ですので、その日が創立記念日であることに十分な理由があります。

この問題には「教会とは何か」という根本的な問いが含まれています。『み足のあと』によると、昭和町に阿佐ヶ谷教会員の石黒トヨ姉と淀橋教会の本多弥蔵兄がおられ、両家が集まる家庭集会で「この地に教会が与えられるように」と祈りがささげられていました。

また在日米軍横田基地で働いていた近藤駿兄が基地内教会で洗礼を受け、昭和町で街頭子ども会を開いていたのを基地内教会のチャプレンのハプソン氏が応援して、献金を集めて木造の教会堂を八清公園に建てて、日本キリスト教団東京教区に寄贈しました。それを教会にしようと考えた東京教区伝道委員会が、久山先生に伝道所設立届を出してもらったというわけです。

それが「教会」なのかというと、そうではありません。それがわたしたちの立場だと私は理解します。建物があるから、この地に教会が与えられるようにと祈っていた人々がいたから、伝道所設立届が教団に受理されたから、だから「教会」なのか。そうではありません。69年前の今日は石川先生が専任教職として赴任された日でもありません。最初の聖日礼拝が行われた日です。この「礼拝が行われた」という生きた事実が出発点であるという理解に立つことが重要です。

しかしまた、今申し上げた理解に立って「教会」をとらえることは、わたしたちにとっては、ある意味で厳しい問いと絶えず向き合っていることも意味します。なぜなら、あえて逆の考え方をすると、もし日曜日にだれも集まらず、「礼拝」を行うことができなくなったら、それが「教会」の終わりであることを意味せざるをえないからです。

そのような日が来ることはありえないとどうして言えるでしょう。牧師である者たちのみんながみんな同じではないかもしれませんが、教会の皆さんに対して失礼な言い方に違いなくて申し訳ありませんが、土曜日を迎えるたびに「明日の礼拝に、もしだれもいなかったらどうしよう」と悩む牧師は、たぶん少なくありません。私がどう思うかは言わないでおきます。内緒です。

石川先生は69年間、その問いと向き合ってこられたはずです。私も牧師の末席を汚す者として、どれほどのプレッシャーであるかを知らずにはいません。私の言動のせいで、あの人もこの人もつまずいて礼拝に来られなくなってしまった、と悔いる思いは、私にもあります。

しかし、今申し上げたことは、言わないほうがよかったもしれないと、言ったそばから悔いています。これはやはり、教会の皆さんに対して失礼な言い方です。まるで牧師がひとりで教会を切り盛りしているかのようです。それは甚だしい誤解です。牧師ひとりでは何もできません。

今日は「昭島教会の」69歳の誕生日です。それは、教会の皆さんの汗と涙の歴史を思い起こし、それでも教会は生きていること、そして、生きた礼拝が今日まで続けられてきたし、これからも続けられていくであろうことを喜び、感謝し、お祝いする日であることを意味します。

それはまた、別の観点から言い直せば、昭島教会に連なるわたしたちひとりひとりの「信仰」の問題であると言えます。わたしたちに問われているのは、今日朗読した聖書の箇所に登場するアブラハムが神から問われた「信仰」と本質的に同じです。

アブラハムはイスラエル民族の初代族長です。アブラハムは生まれ故郷を離れ、妻サラと共に旅人になります。生まれ故郷は異教の神々が礼拝される異教の地でした。そこから飛び出して、真の神を信じる信仰を求めるために旅を出かけたとも言われます。

そのアブラハムに神さまが「あなたを大いなる国民にする」(創世記12章2節)という約束をしてくださいました。その約束の意味は、多くの子孫を与えるということでした。

しかし、その約束を示されてから何年経ってもアブラハムと妻サラとの間に子どもが与えられませんでした。神の約束を疑う思いを抱いた日が全く無かったわけではありません。その疑いの言葉が今日の箇所にも記されています。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません」(2節)。あの約束は嘘だったのですかと。

アブラハムに神が改めて約束してくださいました。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」(5節)。この約束をアブラハムは信じ、その信仰を神さまが「彼の義と認められた」(6節)と記されています。

アブラハムが生きていた時代は紀元前2000年頃だと考えられています。今から4000年前です。そう考えると途方も無い昔の話に思えます。しかし、そのアブラハムのことを今から2000年前の使徒パウロがローマの信徒への手紙の4章で大きく取り上げています。特に「アブラハムの子孫」の意味は、彼の血縁関係にあるユダヤ人だけでなく、「信仰を受け継ぐ者」のことであり、イエス・キリストへの信仰を持つ「わたしたち」のことだと書いています。

その線で言えば、今日のわたしたち「教会」は「アブラハムの子孫」です。わたしたちが週末を迎えるたびに「明日の礼拝にひとりもいなかったらどうしよう」と悩む思いと、アブラハムが神の約束を疑った思いは本質的に同じだということです。だとしたら、わたしたちもアブラハムのように、星の数ほど多くの人と共に礼拝をささげる日が訪れることを信じようではありませんか。先週の永眠者記念礼拝で覚えた132名の信仰の先達がたは、昭島教会の星です。もっと多くの、さらに多くの星を見上げながら、昭島教会の歴史をこれからも築いて行こうではありませんか。

(2021年11月7日 昭島教会創立69周年記念礼拝)