2021年12月19日日曜日

キリストの降誕(2021年12月19日 クリスマス礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
クリスマス讃美歌メドレー 奏楽・長井志保乃さん 字幕:富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きいただけます

週報(第3599号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

「キリストの降誕」

ルカによる福音書2章8~20節

関口 康

「天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

クリスマスおめでとうございます。

昭島教会の2021年度のクリスマス礼拝です。クリスマスは世界の大多数の教会で12月25日がそれだとされています。そして12月25日に近い日曜日にクリスマス礼拝をするのが日本の多くの教会が採っている形です。

「大多数が」と言いましたのは例外があるからです。今はインターネットで何でもすぐ調べることができます。アルメニアという国では、1月6日がクリスマスだそうです。クリスマス礼拝を日曜日にすることも、教会によって考え方が違うので、例外なく、おしなべて、世界共通の、という言い方をしないほうがよいです。

昭島教会のことを申し上げます。11月7日に「昭島教会創立69周年記念礼拝」を行いました。つまり、今日は昭島教会の「第69回」クリスマス礼拝です。来年は「第70回」です。

今日の週報の通し番号が「第3599号」です。この番号は昭島教会の聖日礼拝の回数を表しています。今日は昭島教会の3599回目の礼拝であり、来週は3600回目の礼拝です。「3600」を一年の日曜日の回数の「52」で割ると「69.2307…」です。

その間、石川献之助先生が今日に至るまで昭島教会の牧師を続けてこられたことは、みなさんのほうがご存じです。しかし、牧師がひとりでいることが礼拝ではないし、教会でもありません。教会のみなさんが教会であり、みんなで集まることが礼拝です。来週3600回目の聖日礼拝を行う昭島教会の69年の歩みの中で、牧師以外だれもいない礼拝が行われたことはないことを意味していると思います。これは本当に素晴らしいことです。

昭島教会の話をしているのに私の話をするのは場違いですが、来週12月26日の日曜日が私の受洗記念日です。ちょうど50年前の1971年12月26日も日曜日だったのですが、日本キリスト教団岡山聖心教会のクリスマス礼拝の中で私の洗礼式が行われました。

50年前は私は小学校に入学する前で、岡山聖心教会の附属幼稚園の年長組に属する6歳だったのですが、はっきり言わせていただきたいのですが、だれから勧められたわけでもなく、明確な自分の意志で「洗礼を受けたい」と志願して、洗礼を授けていただきました。

その日から来週で50年です。自分で志願しましたので、責任があります。50年、風邪を引いたとき以外は聖日礼拝を休んだことがありません。1年52回の日曜日を50年で掛けると2600回の礼拝です。昭島教会より1000回足りませんが、今年56歳の私が50年、礼拝に通ってきました。

いばっているのではなく、教会とはそういうものだと申し上げたいのです。1回1回の礼拝は地味な営みです。私は50年、昭島教会は70年、石川先生は94年、続けてきたその中で得られるものがあったかもしれない、なかったかもしれないという程度です。「なかったかもしれない」は余計ですが、自分では分からないという意味です。子どものころ、自分の身長が伸びたことを、周囲の人から「大きくなった」と言われて初めて自覚するのに似ています。

今日の聖書の箇所とは関係ない話をしているつもりはありません。先週イザヤ書40章についてお話ししたこととも関係あります。イザヤ書40章は紀元前6世紀にユダヤ人の国が新バビロニア帝国によって滅ぼされ、3千人とも1万人とも言われるユダヤ人がバビロニアの首都バビロンに連行された「バビロン捕囚」という歴史的事件と関係あると申し上げました。イザヤ書40章には、約70年の捕囚から解放されたユダヤ人がパレスチナに帰還する状況が描かれています。

ユダヤ人たちがパレスチナに戻れたのは、彼らを支配していたバビロニアをペルシアが倒したからですが、彼らが独立したわけでなくペルシアの支配下に移されただけです。その後ペルシアをギリシアのアレクサンダーが滅ぼし、ギリシアからシリアがパレスチナを奪い、さらにシリアからローマへとパレスチナの支配権が移っていきます。

イエス・キリストがお生まれになったのは、ユダヤ人がローマ帝国に支配されていた頃です。「バビロン捕囚」言い換えれば「敗戦と国家滅亡」から数えて500年の時間が経過しています。ユダヤ人の願いは、もう一度自分たちの独立国家を立て直すことでした。彼らが待ち望んでいた「救い主」は、自分たちの国を取り戻してくれる強い政治的指導者でした。

しかし、大切なことは、ユダヤ人の願いが叶うかどうかではなく、神が何を願っておられるかです。神の御心は何かです。ベツレヘムの羊飼いたちに天使が告げた神の御心は「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるだろう。これがあなたがたへのしるしである」(11~12節)というものでした。

この意味は、「ダビデの町で生まれる救い主」は、小さく弱く貧しく目立たない姿でお生まれになった、ということです。強力な政治的指導者になって強大な権力と軍事力を手に入れてローマ帝国だろうとどこだろうと戦争を仕掛けて勝利して、国土を取り戻し、500年前に失った自分たちの独立国家を立て直す、そのような存在が生まれることが神の御心ではない、ということです。

そうではなく、小さく弱く貧しく目立たない、社会の中で無きものと同然の扱いを受けているような人々と共に生き、助け、慰めてくださる存在。その方こそ「救い主」であり、そのような方がお生まれになったことこそが、神の御心である、ということです。

なぜこの話と、昭島教会の話や、私の話が関係あるか。教会の歩み、クリスチャンの歩みは、イエスさまがそうであると言われているように、布にくるまれて飼い葉桶の中に寝かされるような小さく弱く貧しく目立たない存在であるし、そうであってよいのです。

礼拝を何千回続けようと、社会に影響があるわけでなし、有名人になれるわけでなし、どこにメリットがあるか分からないと言われれば、そのとおりです。しかし、イエスさまがそういう方だったのですから、わたしたちの心がくじけたり、折れたりすることはありません。

地味で地道な歩みのほうが長続きします。若者のために、教会の活性化のために、というような理由で大騒ぎしたり興奮したりする要素が礼拝に求められることがありますが、息切れします。

ベツレヘムの羊飼いたちが、イエスさまを囲んでささげた最初のクリスマス礼拝は動物たちの鳴き声が聞こえていただけです。この教会の牧師館で初めて朝を迎えたとき、幼稚園のにわとりがコケコッコと鳴いて私を起こしてくれたことを思い出します。のんびりした心地よい朝でした。

わたしたちの教会は、それでよいのです。小さく弱く貧しく目立たない存在であり続けてよいのです。これからも地味で地道な礼拝を重ねて行こうではありませんか。そのような礼拝こそが、わたしたちの人生をしっかり支える力になります。

(2021年12月19日 クリスマス礼拝)