2013年5月14日火曜日

「体」と「欲」と「罪」の関係は「当然」でも「必要」でも「必然」でもない


えっとですね、

哲学や神学の思想的文脈でかなり重要なのは、「体」と「欲」と「罪」の区別と関係はどうなっているのかという問題だとぼくは思います。

いまぼくは日曜日の礼拝で、使徒パウロの「ローマの信徒への手紙」の連続講解説教をしていますのでね、上記の問題は、この手紙の中心テーマと言ってもよいのではないでしょうか。

ややもすると、全部一緒くたにされてしまうんですね。「体」と「欲」と「罪」が一緒くた。

まあ、たしかに、本人の意識感覚だけからすると、区別がつきにくいですしね。「体」が「欲」を持ち、「欲」が余って「罪」へと暴走する。

すべてが切れ目なく、なだらかに・なめらかにつながっていたりすると、どこからどこまでが「体」で、ここからは「欲」で、ここからは「罪」というあたりが自分では分からなくなる。

ですが、「体」と「欲」と「罪」の関係を「当然だ」とか「必要だ」とか「必然だ」とか言いのけて開き直るのは、罪に市民権を与えることになるので、思想的には最悪の部類です。

あとは、「欲」と一言でいっても、衣・食・住その他いろんなこと・もの・ひとを求めて生きるのが人間ではありますが、

「衣・食・住」だけ言っても、「衣の欲」と「食の欲」と「住の欲」は、それぞれ内容が異なるものです。

なんでもかんでも一緒くたにしてはなりません。

というわけで、ぼくはとりあえず昼食にします。

若干出足が遅かったので、300円台の弁当は残っていませんでした。残念!


豚スタミナ丼 460円 698キロカロリー

2013年5月11日土曜日

「第8回 カール・バルト研究会」を行いました


(日付変わって)昨日(2013年5月10日金曜日)21時から23時まで「第8回 カール・バルト研究会」を行いました。






今回からの大きな変更点は、前回まで利用してきたスカイプ(プレミアム)ではなく、グーグルプラス(Google+)の「ハングアウト」を試してみたことです。

「ハングアウト」スゴイです!全くエラーもストレスもなく実にスムーズなコミュニケーションができました。

夕方、「ハングアウト」への移行の準備をしているときに、一人の先生が外出先からアイフォンでビデオ連絡してくださいましたが、これまた全くストレスなく、美しい映像が送られてきて、たまげました。まさに昔見たSF映画の世界そのものでした。

今日のテキストはカール・バルト『教義学要綱』の「5.高きにいます神」(§5 Gott in der Höhe)でした。大いに盛り上がりました。

「第8回 カール・バルト研究会」参加者名簿(五十音順、敬称略)

小宮山裕一(茨木県)
関口 康(千葉県)
中井大介(大阪府)
藤崎裕之(北海道)

次回(第9回)は、2013年5月24日(金)21時から23時までです。

なお、新規参加者を募集いたします。グーグルプラス(Google+)の「ハングアウト」は10名までの同時ビデオ通話が可能だそうです。まだまだ余裕があります。

2013年5月10日金曜日

「名誉」な人たちと大差ない年齢であることに気づくのに時間がかかります


こういうのをどう言ったらいいのか、「遠近感がおかしい」というか、とにかく最近、違和感の連続です。

世間では当たり前のことなのでしょうけど、60代くらいで「名誉教授」とか名乗っておられる方々を、最近よくネットで見かけます。

「名誉教授」って昔はひたすらおじいさん、という感覚でしたし、とがったヒゲとかはやした人というイメージなんかもあって、果てしなく遠い存在でした。

しかし、最近では、まだかなり若く見える、年齢的にはぼくのちょっと上の先輩?というくらいの人たちが「名誉」うんぬん...。

だけど、

そうじゃないんだ、そうじゃないんだ。

そこでぼくが考えなくちゃならないことは、若いのに「名誉」とかなんだい、のほうじゃなくて、

あのね、もうぼくは若くないんだよ、「名誉」な人たちと大差ない年齢なんだよ、

ということなのだと気付くのに、けっこう時間がかかるし、切り替えが難しい。

ぼくも「名誉」が欲しい、という話ではないですよ、要らん要らん。邪魔そうだし。

称号とか要らないけど、ぼくには欲しいものがあります。

説得力が欲しい。それだけですね。

あと、日本の大学を無料にしてほしい。

かないそうもない夢ばかりです。

2013年5月9日木曜日

デジタルから紙にしても、またデジタルに戻されるなら、初めからデジタルのままでも同じかも(という主旨です)

最近のパターンは、Facebookに書き散らして、ブログで清書して、Twitterで広報する「三段ロケット方式」です。

そこまでは、まあいいんですけど、その先にはなっかなか進めないもんですねぇ。

「紙の本を目指してます」とか言うと「デジタルでいいじゃん」とか言われてしまうし。

あ、出版社の若い人に、「リソグラフで刷ってホッチキスどめするの手伝いましょうか」とか言われたこともあるな(むかむか)。

デジタルだけなら相当やってきたつもりなので、ぼくの仕事はもう終わりですね。紙にしたところで「自炊」とかされちゃう時代ですしね。

あーあ、サインとか握手会とかしたかったなあ(ウソです。したくありません)。

2013年5月8日水曜日

祈祷会でハイデルベルク信仰問答の学びを始めました



午前中は祈祷会でした。今日からハイデルベルク信仰問答の学びを始めました。

テキストは『ハイデルベルク信仰問答』(吉田隆訳、新教新書252、新教出版社)とW. ガウルーズ『ただひとつの慰め ハイデルベルク信仰問答案内』(吉川八郎訳、新教出版社)です。

ガウルーズの解説書は今でも売ってるものと思い込んでいましたが、絶版のようですね。アマゾンの「中古品」で9,979円とか高額がついてるのを見て、飛びあがりました。この本は、かぎ付きの金庫に隠すことにします(笑)。

というわけで、無事に祈祷会が終わりましたので、ハイデルベルク城を眺めながら、美味しいごはんを食べたいと思います。

幕の内弁当         398円 676キロカロリー
午後の紅茶おいしい無糖 128円  0キロカロリー

論文の原稿を雑誌の編集者に送りました



10か月の苦悶を経て、やっと今夜、2万字弱の論文原稿を、ある雑誌の編集者(某大名誉教授)に送りました。

感無量と言うべきところですが、爽快感はほとんど無いです。

調べれば調べるほど謎は深まるばかり。しらしらなぞふか、です(意味不明)。

パソコンの壁紙のテーマは「ある日のカール・バルト研究会」です。今夜開いたわけではありません。

就寝前のデトックス。

役職の責任が強まるとネットの住民を妙に攻撃しはじめる官僚牧師さんたちは、ちょっといただけないなあ。

「ネットにリアルを求める錯覚に陥るな」

「ネットの○○を安易に継ぎ接ぎするな」

「ネットで人格が変わるのは如何なものか」

そういう言葉で、ぼくが批判されたわけじゃないですよ。

言ってる人は、ぼくのことも同じように言ってるんでしょうけどね。

ぼく相手に面と向かって言える度胸のある人は、少ないみたい。

言われたら、ぼく冷静に言いますよ。

「べつに人格変わってませんから」とね。

ただ、ネットにリアルを求めることが錯覚、みたいな言い草って、どうなんですかね。

相当リアルだと思いますけどね。

どこがどう錯覚なんだろ、これとか(カール・バルト研究会のことです、笑)。

2013年5月6日月曜日

「なんでやねん」は否定の言葉じゃないですよね?


土曜日からひとりで悶々と考え込んでることは、「ボケ」と「ツッコミ」の関係はどうなってるんだろうかとか、「ノリツッコミ」ってどういう構造してるんだろうか、というようなことです。

ぼく岡山で生まれ育ちましたので、関西人ではないんですけど、子どもの頃から吉本新喜劇のテレビ観てたクチです。

その程度なので、関西文化には全く詳しくないどころか、直接の接点は無いですし、それほど深い興味をもってるわけではないので、関西系のディープネタでマニアックにからんでこられても何の反応も出来ないタイプでもあるんですけど、まあ、でも、親近感はあるほうです。敵意とかは皆無です(この段落は自己防衛本能発動)。

まあ、でも、その程度のぼくにでもわりとはっきり分かるのは、「なんでやねん」は否定の言葉じゃないということです。

あれ否定でも肯定でもないですよね?

じゃあ何なのかと聞かれてもサッとは答えられないのですが、強いて言えば「余裕」みたいなことですかね。違うのかな。

ここから先は、本場の人にご登場いただかなくては、ぼくにはなんとも分かりません。

ツッコミとボケの関係は、柔道の「剛」と「柔」の関係だろうかとか、いや、「北風」と「太陽」かなとか、「三角」と「円」かなとか。哲学的な言い方をすれば「受容」と「否認」かな、いや、ツッコミは「否認」じゃキツすぎるなとか。

ノリツッコミっていうのは、途中で加速装置がカチッと入る感じだな、とかね。

そんなことをね、ぼくはいつも考えながら生きてますよ。

こういうのも「説教黙想」の一環なのであります(たぶん)。

2013年5月5日日曜日

いまだに「アメリカの圧力」なんですかね。古くさッ!


「改憲て何なのよ?」と、今さらながらバカみたいな、というか純粋にバカな書き込みしときますけどね。

いまだに「アメリカの圧力」なんですかね。いつの話?古くさッ!昭和?

だけど、アメリカの人たちさ、

悪いけど、「一ドル360円時代」の幻想をいまだに抱いて、日本をいつまでも下に見てると間違いますよ。

え、いま、一ドルいくらよ?え、100円玉よりまだ下なの?小学生のお小遣いレベル?

金の切れ目が縁の切れ目。

カネもってない相手に屈従する人、いませんからっ!

・・・とか言ってみたい。英訳してFacebookに貼るかな(笑)。無力だ(悲報)。

2013年5月4日土曜日

日本の教会と神学は“二重否定”っぽい言葉づかいを口癖のように繰り返しています


ポジティブ言い換え教えます 「辞典」著者の授業人気

(朝日新聞デジタル2013年5月4日)

 【芳垣文子】ネガティブな言葉をポジティブな表現に言い換える例を集めた「ネガポ辞典」(主婦の友社)の著者で、北海道内の大学に通う2人の女子大学生が、今年に入って学校などに招かれ、ユニークな授業を繰り広げて活動の場を広げている。

http://www.asahi.com/national/update/0504/HOK201305030009.html

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この記事というか、この辞書、興味あります。いつ買えるか分かりませんけど。

ぼくは何年か前から意識的にやってきたつもりですが、説教原稿を書き終わったら、それを二度三度読み直してみて、ネガティヴな言葉が見つかれば、その言葉をポジティヴな表現に言い換えて書きなおすだけで、説教の雰囲気がぐっと明るくなります。

逆にいえば、説教以外のことで多忙に巻き込まれ、説教原稿の読み直しさえできないヨクナイ状態になっていると、説教の言葉がどんどんネガティヴになっています。だから、その説教を聞く教会のみんなの表情も暗くなっている。

弁証法神学の影響を受けすぎた日本の教会と神学は(ぼくもいまだにどっぷり浸かったままですからね、他人事として書いてるわけではありませんよ)、まさに「弁証法的な論理」(「正→反→合」ですね)に慣れ過ぎている。

だからだと思うのですが、”二重否定”っぽい言葉づかいを、ほとんど無意識に口癖のように繰り返しているようです。

「しないわけにはいかない」とか。「○○でないわけではない」とか。

あとは、いかに人間は罪深いかをひたすらに強調する。教会は当然悪いけど、社会も悪い。目に見えるものや手で触れうるもの、要するに地上のすべては何もかも悪い、みたいな絶対的な否定を経なければ、「神」を絶対的に肯定できない、みたいな論理とか。

なんかね、そういうの暗い。キザだしね。もったいぶった言い回しっていうか。ナニかっこつけてんのって感じ。

「しないわけにはいかない」は「します」でいいんじゃないでしょうかね。

「○○でないわけではない」は「です」でいいんじゃないでしょうか。

あ、そうそう、

あのね、説教原稿とかに「○○であります」って書くの、ケロロ軍曹みたいですよ。

「です」と2文字で書けるのに「であります」と5文字も書くのは水増しですよね。

2013年5月2日木曜日

「激辛メンチカツカレー(サラダ付)330円」の時代



実際、生きるってたいへんだと思いますよ。

たとえば、これ、レトルトカレーですけどね、グリコの「リー」の20倍。からいからい。これが239円。

メンチカツは90円。サラダのコストは70円くらい。ごはんもうちで炊きました。タダじゃないですけど一合で70円くらいでしょうかね。

だから「激辛メンチカツカレー(サラダ付)」は、ちょっと丸めて「330円」ですよ。まあ、もちろんレトルトの話ですけどね。

これでも、もちろん、ある見方をされてしまえば「贅沢してる」とか見えてしまうでしょうね。

「こら!カロリーが高いぞっ」とかね。

あ、いや、それより何より、「一食に330円もかけるのはけしからんっ!」とか叱られてしまうかな。

「そのメンチカツ、そのサラダが無駄だ。まだ削れる、もっと削れる」とかね。

ほんとは一食200円くらいで抑えられるといいのでしょうけどね。

いや、200円でも贅沢ですかね。「世界の貧しい国の人たちのことを考えろ!」とか言われちゃうかな。

で、いま考えこんじゃってるのは、うちの家計の話じゃなくてね、

かなり大げさにいえば、日本の景気どうなる、みたいなことですよ。

だって、このレトルトででっち上げた「激辛メンチカツカレー(サラダ付)330円」、ほんっとに美味しいですもん。

わざわざ飲食店まで出かけなくても、これだけ美味しいものを、自分の家でパソコンとかスマホとか楽しみながら、味わえる時代なんですよ。

お店の人たちとか、ほんっとにたいへんだと思う。

だけど、ごめんなさい。うちで食べちゃいました。

あー美味しかった。ごちそうさまでした。