2012年12月9日日曜日

イエス・キリストの生まれた場所はどこですか


ルカによる福音書2・8~20

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださたその出来事を見ようではないか』と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に留めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」

クリスマスの当日、あるいはアドベントの日曜日には、だいたい毎年、いまお読みしました個所を開いて説教してきました。私がこの教会の牧師として参りましてから来年3月で丸9年になりますので、この個所で9回目の説教になると思います。

ただし、この10時半からの朝の礼拝で毎年必ずこの個所で、ということではなく、9時半からの日曜学校の礼拝でおこなった年もありますので、この礼拝で正確に9回目ということではありません。

しかし私は、この個所の説教をするたびに、本当に難しい個所だと感じてきました。何が難しいのでしょうか。昨年も同じようなことを申し上げたかもしれませんが、いったい私はどのような顔をしながら、この個所に書かれていることを皆さんにお話しすればいいのかが分からないのです。

また、いま言ったのと同じことを反対から言い直しただけのことを申します。私が説教するときは皆さんの顔がよく見える位置にいます。この個所の話をしているときの皆さんが、難しそうな顔をしておられるのがよく見えるのです。

どうしてそうなってしまうのか、その理由はいくつか思い当たることがあります。

そのなかで私が最も申し上げたいことは、とにかくこの個所には「天使」が登場するということです。それがこの個所を難しくしている一番の原因ではないかと、私は考えています。しかも、天使が登場しなければ決して話が成り立たないほど、彼らは非常に重要な役割を果たしているのです。

しかし、天使とは何でしょうか。これが分からないのです。どのような顔をして話せばいいのかが分かりません。

聖書に出てくるので、私は天使の話をします。しかし、教会を一歩離れて、たとえば、すぐそこのマルエツのスーパーとかでお会いするご近所の方々に天使の話をできるかといえば、私にはできません。ふだんなら決してしない話を、私は、教会の中で、礼拝の中で、聖書に基づいてしています。

皆さんはどうでしょうか。今日それぞれご家庭にお帰りになって「今日は天使の話を聞いてきた」とお話しになると「大丈夫?」と心配されてしまうのではないでしょうか。

これを私はふざけて言っているわけではなくて、大真面目に言っています。真剣に言っています。くれぐれも誤解が無いように申し上げておきますが、私は、聖書に書かれていることを信じることができないというようなことを言っているのではないのです。天使の存在を信じることができないとも言っていません。

言い方はおかしいかもしれませんが、天使がいても、私は全然構いません。「いるか、いないか」と問われれば、「いるでしょうね」と答えたい人間です。しかし、「それはどのような存在なのかを説明してください」と言われても、それは答えられません。そのことが私には難しいのです。もしかしたら、私の性格が少し真面目すぎるのかもしれません。

このように考えるのは私だけはないと思うのですが、何かの話をすることを求められている者たちがその話を聞いてくださる方々に願っているのは「今日の話はよく分かった」と思っていただけることです。その内容に納得も理解もできないとしても、この人は何を言いたいのかとりあえず分かったと感じていただくことができればそれでよいと思っています。

しかし私は、天使の話をどのようにすれば、皆さんにそう感じていただけるのかが分かりません。頭を抱えてしまいます。

その点においては、先週お話ししましたマタイによる福音書に出てくる東の国の占星術の学者たちの話のほうが、まだ簡単にできるものがあります。

彼らが見たのは天使ではありませんでした。彼らは星の動きを研究しました。当時の高等な数学や天文学を駆使して、世界の運命であるユダヤ人の王の誕生を言い当てました。彼らなりの理論があり、彼らなりの合理的な結論に基づいて、イエスさまのもとにやってきたのです。

しかし、今日の個所に出てくる羊飼いたちには、学問も理論もありませんでした。彼らが見たのは彼らの前に突然現われた「主の栄光」であり、「天使」であり、「天の大軍」でした。そして、彼らは天使の声を聞き、その中で語られた救い主の誕生についてのお告げを聞いて信じたのです。

星の動きを天文学的に観察して、理論的な結論を出してきた占星術の学者たちと、全く違う方法でイエスさまのもとにたどり着いた羊飼いたちとは、大違いなのです。

私も心から尊敬している改革派教会の先輩牧師である榊原康夫先生が、今から40年も前の1972年に出版されたルカによる福音書の解説書(『ルカの福音書』いのちのことば社、1972年)の中で、今日の個所について重要な言葉を書いておられます。「羊飼いは、野宿のため神殿儀式などに参加できないので、ユダヤ教から破門され、裁判の証言も許されませんでした」(43ページ)。

これがどういうことを意味するのかといえば、羊飼いたちはふだんから聖書の言葉を学ぶことさえ許されていなかったということです。ですから、たとえばの話ですが、彼らが聞いた天使の声の内容は、彼らがふだんからユダヤ教の会堂や神殿に足を運び、ユダヤ教の祭司や律法学者たちから聖書に基づく説教を聞いていたので、その言葉を思い出したのだというような合理的な説明は成り立たないということです。

彼らは天使の夢を見たのでしょうか。つまり、彼らは野宿しながら居眠りをしていたのでしょうか。もしかしたら、そのような説明のほうがまだ成り立つかもしれません。マタイによる福音書の最初のほうに出てくる、イエスさまの母マリアの夫ヨセフについて書かれている個所には、「主の天使が夢に現れて言った」(マタイ1・20)と記されています。これで分かるのは、天使は夢の中にも現れる存在であるということです。

もしそうなら、羊飼いたちが見た天使についても、「実をいえば彼らは仕事中に居眠りしていました。それで天使が出てくる夢を見たのです」と説明したとしても、それは絶対に間違っていると責められることまでは無いはずです。天使は夢にも出てくる存在だからです。しかし、今日の個所に羊飼いたちは眠っていたとか、夢の中に天使が現れたとは、どこにも書かれていません。

しかし、このことについて、私は今日、ああでもない、こうでもないとしつこく言うのはやめます。一つのことだけに絞ってお話しします。それは、先ほど少し触れました、先週学んだ個所に出てくる東の国の占星術の学者たちと、今日の個所の羊飼いたちとの違いという問題です。

はっきり言いますが、「占星術」は、わたしたちには全く受け容れられない異教の立場です。たとえそれがどのような学問の研究に基づいていようとも、太陽や月や星の動きによってわたしたち人間と世界の運命が決定されているということはありえません。わたしたちは、そのようなことを信じることができません。それは運命論です。わたしたちが受け容れている信仰はそのようなものではないのです。

それに対して、羊飼いが見たのは「天使」でした。彼らが聞いたのは、天使の声であり、天の大軍の歌声でした。天使の存在、またその姿やその声には科学的な根拠があるのかと問われるなら、そんなものは無いと答えざるをえない。そんなのは神話だと言われればおっしゃるとおりだと答えざるをえない。そんなものを当てにして、ベツレヘムの羊飼いたちはイエスさまのもとへとやってきたのです。

今日私が申し上げたいことは、わたしたちが受け容れている信仰とはそのようなものだということです。わたしたちの信仰に科学的な根拠などはありません。

そして、今日も思い起こしていただきたいことは、わたしたちが最初に教会の門をくぐり、礼拝に出席し、説教を聞いた日のことです。

私から皆さんにお尋ねしたいことは、皆さんが初めて教会に来られたときの理由やきっかけは、太陽や月や星の動きのようなものによって決定づけられた動かしがたい運命だったのでしょうかということです。科学的理論に裏打ちされた不動の真理が、皆さんを教会の中まで運びこんだのでしょうか。そんなことはありえないと思うのです。わたしたちは、そういうふうな信じ方はしていません。

羊飼いたちが聞いた天使の声は「恐れるな」というものでした。その続きはこうです。「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」。

これは運命論ではありません。夜通し野宿をして羊の番をすることでユダヤ教から破門されていた、過酷な労働や社会的な差別に苦しんでいた名もなき人たちへの励ましの言葉でした。そのあなたがたのために救い主が来てくださったのだという慰めの言葉でした。あなたがたは価値なき人間ではない。あなたがたのために救い主が生まれてくださったゆえに、という喜びの知らせでした。

そのしるしは「飼い葉桶に寝ている乳飲み子」である。羊飼いたちが生きている彼らの現実に近い場所で、救い主がお生まれになったのです。

イエス・キリストが生まれた場所はどこでしょうか。この質問にはいろんな答え方が考えられます。「ユダヤのベツレヘムです」という答え方もあれば、「地球です」という答え方もあります。今日の私の答えは「苦しんでいるあなたのところ」です。あなたのためにキリストが来てくださったのです。

わたしたちが教会に来て、神を礼拝することは、わたしたちの運命なのでしょうか。こうするしかない、他にどうすることもできない抗いがたい運命だから教会に来ているのでしょうか。そんなことはないのです。わたしたちには自分の意志があります。運命のリモコンに遠隔操作されているわけではないのです。

人生の苦境に立たされ、嫌な思いを味わい、逃げ場を求めていたそのとき、夢なのか現実なのか、どこからともなく、このわたしを慰め、励ましてくれる声が聞こえた。ような気がした。それでいいのです。

科学的根拠などはない。とにかく教会に来ました。このわたしのために救い主が生まれてくださった。それを信じる。

それがわたしたちの信仰なのです。

(2012年12月9日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年12月2日日曜日

クリスマスの意味は「キリスト礼拝」です


マタイによる福音書2・1~12

「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」』そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、『行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう』と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を献げた。ところが、『ヘロデのところへ帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」

12月を迎えました。今年のクリスマス礼拝は12月23日に行います。そして今日からアドベント。クリスマスに向けての準備を始めたいと思います。

いまお読みしました聖書の個所に書かれているのは、約二千年前、ユダヤのベツレヘムでイエス・キリストがお生まれになったときの出来事です。占星術の学者たちが東の国からイエスさまのもとにやってきました。そのときの様子が書かれています。

「占星術の学者」と訳されるようになったのは、日本語の聖書の中では、新共同訳聖書がおそらく初めてです。すべての日本語聖書を調べることができたわけではないので確実なことを語れないのが残念ですが、おそらくそうです。

新共同訳聖書以前は、ほとんどすべて「博士」と訳されていました。ギリシア語でマギと呼ばれる人たちでした。マギは、わたしたちがよく知っている英語マジシャンの語源です。マジシャンならば意味が分かるでしょう。手品師のことです。あるいは奇術師です。「二千年前にイエスさまのもとにやってきたのは手品師でした」と説明するのは間違っていると思います。しかし、「彼らは占星術の学者でした」という説明は正しいのです。

占星術は大昔から、そして今でも行われています。いわゆる星占いのことです。皆さんの中にも、自分の誕生日は何座であるかをご存じの方は多いでしょう。

私も知っています。11月16日生まれですから、さそり座です。1965年生まれですから、へび年です。へび年の、さそり座生まれです。だから毒気の多い人間になったのだと、冗談のような話をすることがあります。そういう話は私にとっては冗談以外の何ものでもないです。しかし、ある人々にとっては大真面目な話かもしれません。

占星術は、大昔から高等な数学や天文学を駆使して営まれてきた一つの学問でした。その意味では、一昔前の日本語聖書で「博士」と訳されていたことには、それなりの理由があったと考えるべきなのです。

わたしたちは知らなくてもよいことだと思うのですが、世間の人たちの中には今月(2012年12月)に人類が滅亡するということを、わりと大真面目に信じている人たちがいるようです。興味のある方はインターネットでお調べになれば、そういうことがたくさん書かれていることが分かるでしょう。

そのことについて今日私は詳しく説明したりはしません。しかし、一つのことだけを申し上げておきます。それは、わたしたちはそのようなことを信じていません、ということです。今月、人類は滅亡しません。どうかご安心ください。

しかし、そのようなことを大真面目に信じている人たちは、一種の占星術や暦のようなことを根拠にしてそのようなことを言っています。ですから、私が申し上げたいことは、今月人類は滅亡しないということだけではありません。いわゆる占星術であるとか、暦であるとか、そのようなことを根拠にして主張される人類と世界の運命論のすべてをわたしたちは断固として拒否しなければなりません。そのようなことを申し上げたいのです。

なぜ断固として拒否しなければならないのでしょうか。それは結局、一つの宗教の形をとっているからです。わたしたちの宗教は、星や太陽や暦そのものが人類と世界の運命を決定するというような立場とは全く相容れません。それは、わたしたちが信じているのとは異なる、一つの宗教思想です。

先ほど申し上げた「私はへび年のさそり座です」というような話も、冗談として話すことはあっても、本気で言ったりすることはありません。冗談が通じないことが分かっている人の前では、口にすることもありません。

二千年前にイエスさまのもとにやってきた東の国の占星術の学者たちについても同じことが言えると私は考えています。

彼らについて聖書に「東の方からエルサレムに来た」とわざわざ書かれているのは、彼らがユダヤ人ではないこと、すなわち、聖書の教えを信じていたわけではなく、聖書の神を信じていたわけでもない、異なる宗教思想の持ち主であったことを示そうとしていると考えられます。

そのような人々のことを、聖書は「異邦人」と呼びます。それは、異なる教えに立つ人という意味での異教徒のことです。「異」という字を使いますと、異質な存在を差別しているとか、みくだしているとか思われてしまう可能性があるので気をつけなくてはならないのですが、わたしたちはそのようなことまでは言っていません。違いがあることは事実なので、事実を事実として述べているだけです。

しかし、ここから先が重要な点です。今日の個所に書かれていることは、聖書の教えとは異なる宗教思想の持ち主である東の国の占星術の学者たちがユダヤのベツレヘムまでやってきた、ということです。そして、そのような人々が、まだお生まれになったばかりのイエスさまの前にひれ伏して拝み、「宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(11節)と書かれています。

彼らは、どのような方法でイエスさまがお生まれになったことを知ったのでしょうか。その方法が次のように書かれています。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(2節)。

彼らが見たのは「その方の星」でした。つまり、彼らは占星術という彼らなりの方法で調べた「星」の動きや現われ方などによって、イエスさまのご降誕を知るに至ったのです。星の動きや現われ方というようなことでイエスさまのご降誕を知ることができるのであれば、占星術というのもそれなりに信頼できるのではないか、というふうな気持ちになるかもしれません。しかし、私自身はそういうことまでは考えませんし、そのように考えるのは危険だと思っています。

しかし、それでも私には、一つのことだけは語ってよいかもしれないと思っていることがあります。それは、たとえどのような方法であれ、どのようなルートを通ってであれ、彼らがイエスさまのもとにやってきて、イエスさまの前にひれ伏し、イエスさまを拝み、自分の宝箱を開けてイエスさまへの献げものをしたこと自体は神が喜んでくださる素晴らしい礼拝だったのだ、ということです。

彼らはイエスさまを拝みました。イエスさまを拝むことが「礼拝」です。いまここで、わたしたちが行っているこの礼拝も「礼拝」です。わたしたちは今イエスさまを拝んでいます。そのことを二千年前に、異教徒である占星術の学者たちも行ったのです。彼らがしたことと、今わたしたちがしていることとは、本質的に同じことなのです。

そのように考えてみるときに、私には思い当たることがあります。それは、わたしたち自身も必ず体験したことです。それは、わたしたちにも、初めて教会の門をくぐり、礼拝に出席した最初の日が必ずあるということです。そのときわたしたちは決して、純粋な動機だけで教会に来たわけではないはずなのです。

実際私はいろんな人からいろんな動機を聞いてきました。「彼女が欲しいと思っていました。それで教会に行ったら、青年会に素敵な女性がたくさんいたので洗礼を受ける決心をしました」という話を聞いたことがあります。「音楽が好きでした。教会に行ったら素敵な賛美歌をたくさん歌っていたので、洗礼を受ける決心をしました」という話も聞きました。例を挙げれば、きりがありません。

最初の動機やきっかけは、人それぞれです。方法もルートも、人それぞれです。だれがどのような経緯をたどって教会までたどり着いたのかについて、そういう動機は不純だとか、そういうきっかけは間違っているなどと、他人のことを責めたり裁いたりすることができる人は一人もいないのです。

もしそのことを受け容れていただけるなら、占星術の学者たちがイエスさまのもとへとやってきたときの彼らの方法や動機を間違っているとか、そういう人には来てもらいたくないと考えたりすることが、いかに間違っているかを理解していただけるだろうと思うのです。

私はいま、皆さんのことをどうこう言いたいのではありません。私はかつて、牧師になりたての頃、スーパーとかデパートとか遊園地とかレストランとか、そのようなところでクリスマス、クリスマスと大騒ぎしているのを快く思っていなかったことがありました。そのことを正直に告白しておきます。

そして教会のポスターや看板やチラシの中に「本物のクリスマスをお祝いしているのは教会だけです」というような言葉を好んで書いていたことがあります。教会以外の場所で、クリスマスの何たるかも知らない人たちが大騒ぎしているのは、偽物のクリスマスであると主張したくて仕方がありませんでした。

しかし、今の私は少し変わりました。完全に変わってしまったわけではなくて、少しだけですが。しかし今の私は、動機が不純な人たちにはクリスマスのことなど口にしないでほしい、というようなことを考えなくなりました。そのようなことを考えているときのわたしたちは、自分が初めて教会に来た日のことをすっかり忘れてしまっているのです。

わたしたちのうちのだれが最初から純粋だったでしょうか。初めから神の御心のすべてを理解して教会に通いはじめる人など一人もいないのです。もしそういう人がいるなら、教会は要らないのです。教会で聖書のみことばを学ぶ前から神の御心のすべてを理解できる人がいるのなら、教会も、聖書も、そして牧師も要らないのです。

クリスマスの意味は「キリスト礼拝」です。そのことは確実に言えることです。しかし、その礼拝において礼拝されるイエス・キリスト御自身がすべての人をみもとに招いておられるのです。どんな人でも、どんな動機でも、どんな理由でも、イエス・キリストが歓迎してくださいます。

救い主は、あなたのためにお生まれになったのです。

(2012年12月2日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年11月26日月曜日

イミンク先生とファン・ルーラーの関係について

現在来日しておられるヘリット・イミンク先生とファン・ルーラーの関係については、そのうちご紹介しなければならないと思っていました。ぼくでよければ、近いうちにちゃんと論文を書きますよ。

ファン・ルーラーが62歳で突然亡くなった1970年の翌年の1971年にイミンク先生はユトレヒト大学神学部に入学されましたので、直接の面識は無いそうです。でも、イミンク先生にファン・ルーラーの影響が顕著であることは断言できます。

2008年12月10日の「国際ファン・ルーラー学会」においても、イミンク先生は何人かのメイン講師の一人として講演をなさいました。そのときの講演集は立派な本として出版されていますので、日本語に翻訳することも可能です。

「神の言葉の神学に立つ」という点ではファン・ルーラーも全く同じ出自ですし、そもそも20世紀のオランダ改革派教会の中で神の言葉の神学と無関係でありえた神学者は皆無と言っていいくらいです。

しかし、彼らの問題意識は、神の言葉の神学にも限界や欠点があるので、その限界や欠点をどうしたら乗り越えることができるのかということだったわけです。

そして、その克服すべき重要なポイントは「視野を広げること」にあったと言えます。神の言葉の神学はファン・ルーラーあたりに言わせれば「視野が狭すぎる」んです。

「キリスト論的集中」はバルト神学のチャームポイントでもありますが、反面の「視野の狭さ」を併せ持っています。

神は御子だけではなく、御父も御霊もおられます。神は「キリストのみ」(solus Christus)ではなく、父・子・聖霊なる「三位一体の神」です。

「キリスト論的視点」からだけの考察で神学的真理は已まず、「父神論的視点」からも、また「聖霊論的視点」からも、同時に徹底的に考え抜かなくてはなりません。

一つの物事を、オモテからもウラからも、ウエからもシタからも、ナナメからもショウメンからも観なくてはなりません。まるで大道芸人のジャグリングのように、複数のピンを同時に投げ上げ、同時にキャッチしなくてはなりません。

ファン・ルーラーの神学は、そういう神学です。そもそも「きわめて教会的実践に即した神学」でしたので、ファン・ルーラーの神学は、そもそも「実践神学」との親和性がきわめて高い組織神学だったのです。

分かりました。論文、ぼく書きます。一つだけヒントを明かしておきます(ネタバレ)。

それは、ファン・ルーラーが「視野を広げる」ための方法です。

ファン・ルーラーにとっては、神学以外の諸学(社会学や心理学や政治学など)、あるいは神学諸科における組織神学以外の諸教科(聖書神学、教会史、実践神学)の手を借りることの意義を否定することはありえないことでした。

しかし、もしその手を借りないとしても、組織神学、とくに教義学の中に本来的に潜在・伏在している「論理」を用いて「視野を広げる」ことが可能であると彼は考えていました。

そこに、彼の神学の面白さがあります。

教義学はまだ「終わって」いません。「オワコン」ではないのです。

2012年11月25日日曜日

天国は平等です


マタイによる福音書20・1~16

「『天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、「あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう」と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と尋ねると、彼らは、「だれも雇ってくれないのです」と言った。主人は彼らに、「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、「労働者たちを呼んで、最後に来た者から初めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい」と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。」主人はその一人に答えた。「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。』」

今日も最初に少し、説教のタイトルのことに触れることから始めさせていただきます。「天国は平等です」と書きました。これは、今お読みしました聖書の個所でイエスさまがおっしゃっていることを短く一言でまとめるとこうなる、という意味で書かせていただきました。

そうしましたところ、ご覧になった方から「本当ですか」というご意見をいただきました。「とても信じられない」というニュアンスでした。なぜ信じられないのか、その理由は何となく分かります。おそらく、天国は不平等なところに違いないと思っておられるのです。

なぜそう思われるのでしょうか。その理由もだいたい分かります。天国は不平等であると思っている人は、この地上の世界こそが不平等であると感じているのです。

地上の世界は不平等です。それははっきりしています。世界にはいろんな人がいるということは、小さな子どもでも知っています。背が高い人や低い人、体力や能力や財力がある人と無い人、国籍や人種や性別。平和な国と戦争の絶えない国。世界は不平等である。しあわせな人と、ふしあわせな人がいる。

そのことを納得しなさい、受け入れなさい、我慢しなさいと言われても、それは無理だと反発する人は多いでしょう。「地上の世界なんて所詮そんなもんだ」というようなニュアンスの理解を示すことくらいはできるという人はいるかもしれません。

しかし、深刻な問題はそこから先です。「天国は平等である」という字を見ると「本当ですか」と反応し、「信じられません」という気持ちを抱く人たちは、本当は、この世界が不平等であると思っているのではないのです。あなたがた教会はどうなのですか。教会は不平等ではありませんか。そういう気持ちを抱いているのです。

このような問いかけに教会はどのように応えるべきでしょうか。今日皆さんと一緒に考えたいことは、この問題です。しかし、回りくどい話はしたくありません。すぐ結論を言っておきます。

それはイエスさまの出された結論です。イエスさまがおっしゃっていることは「天国は平等です」ということです。もしそうであるならば、教会においてもできるかぎり平等を実現していかなくてはならないのです。「天国は平等かもしれないけれども、教会は不平等であってもよいのだ」などと開き直るべきではありません。わたしたちは、他人に厳しく、自分に甘いというようであってはなりません。

わたしたちは主の祈りの中でいつも「御心が天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ります。その意味は、神の御心が天国で実現しているように、地上でも実現できるようにしてくださいということです。地上の教会は完全なものではなく、不完全なものです。しかし教会は、天国において実現されている神の御心を、不完全ながらも地上で実現することを目指すことが求められているのです。

そのため、もし天国が平等なところであるならば、地上の教会もまた平等であることを目指さなくてはならないのです。

今日の個所に書かれているのは、イエスさまのたとえ話です。「天の国は次のようにたとえられる」と書いてあるとおりです。その内容は次のとおりです。

ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行きました。その主人は、一日働けば一デナリオンを支払いますという約束で労働者を雇い、ぶどう園に送りました。

そうしたところ、九時ごろ行くと、何もしないで広場に立っている人たちがいました。「きみたちは何もしていないなら、ぼくのぶどう園で働いてくれ。一日働けば一デナリオン支払うから」と、彼らを雇ってくれました。

十二時ごろにも三時ごろにも、何もしないで広場に立っている人たちがいたので、またその主人は、その人たちを一日一デナリオンでぶどう園に雇ってくれました。五時ごろにも行くと、同じように、何もしていない人たちがいたので、彼らも同じように雇ってくれました。

夕方になって、その日の給料を払う時間になったので、その支払いが始まりました。最初に給料を受け取ったのは、いちばん最後、五時ごろに雇われた人たちでした。約束どおり彼らに一デナリオンが支払われました。

それを見て、朝早く雇われた人たちが、ある期待を抱いたのです。五時ごろからたった一時間だけ働いた人たちに一デナリオンが支払われたのであれば、朝早くからまる一日働いたぼくたちには、もっと多くの支払いがあるだろうと考えました。しかし、その人たちに主人が支払ったのも一デナリオンだったのです。

それで、彼らは不満を感じました。しかし、主人は次のように答えました。

「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか」。

これが、イエスさまがお語りになった「天国のたとえ」です。天国というのは、このようなところであるとイエスさまはたとえを用いて説明なさったのです。

これは何の話なのか皆さんにはお分かりでしょうか。話が分かりやすくなるようにするとしたら、イエスさまがおっしゃっている「天の国」という言葉を「救い」という言葉で言い換えた上でもう一度最初から読み直してみるとよいのです。そのように言い換えることは可能です。聖書の中で「天国に行くこと」と「神の救いにあずかること」「神に救われること」は同義語だからです。

それでは「ぶどう園に雇われて働くこと」で、イエスさまは何をたとえておられるのでしょうか。これも結論だけを言います。

それは、わたしたち人間がこの地上の世界において神の御心を行うことを指しています。しかも、わたしたちがこの地上で神の御心を行うために、その前にしなければならないことは、そもそも神の御心とは何かを知ることであり、それを信じることです。具体的にいえば、神の御心が記されている聖書のみことばを学ぶことであり、それを信じることです。

聖書のみことばを学ぶためにわたしたちにできることは、地上の教会に属し、礼拝に参加することです。そのことをイエスさまも考えておられます。イエスさまもまた(シナゴーグで)安息日ごとに行われた礼拝の中で、聖書のみことばを説教しておられたからです。

ここまで申し上げれば、朝早くから雇われた人と、九時ごろ雇われた人と、十二時ごろ雇われた人と、三時ごろ雇われた人と、五時ごろ雇われた人の区別においてイエスさまが何をたとえておられるのかがお分かりになるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。まだ分からないでしょうか。

これも結論だけを言います。ぶどう園での「一日」は、わたしたちの一生です。朝早くと、九時と、十二時と、三時と、五時。これはわたしたちの年齢です。「朝早く」は生まれたばかりのとき、「九時」は子ども時代、「十二時」は青年、「三時」は中年、「五時」は高齢であると考えてよいでしょう。

たとえば私は先々週、47歳の誕生日を迎えました。47年間のすべてにおいて教会に通ってきました。これは威張って言うことではありません。べつに威張るようなことではありません。しかしとにかく私は47歳で47年間、教会に通ってきました。そのような者である私は「朝早くから雇われた人」に当てはまると考えることができるはずです。

このように考えれば、イエスさまのおっしゃっていることの意味はもうお分かりになるでしょう。このぶどう園の主人は、一時間しか働かなかった人にも、まる一日働いた人にも、同じ一デナリオンを支払ってくださるという、とても気前の良い方です。その方は、子どもの頃から教会に通ってきた人にも、高齢になってから教会に通いはじめた人にも、天国においては全く等しい報いを与えてくださる方であるということです。

イエスさまがおっしゃっていることは、まさにそのことです。地上における教会生活にはたくさんの苦労が伴います。つらいことだらけ、嫌なことばかりという面も無きにしもあらず、です。しかし、だからといって、天国においては教会生活の長い人と短い人との差別は無いのです。天国に別の部屋は無いのです。神はどちらの人にも等しい天国の恵みを与えてくださるのです。それが今日の説教の「天国は平等です」というタイトルの意味です。

このような話を聴いて「ねたみ」を起こすのは、教会生活が長いほうの人々かもしれません。神はずるいとか、教会生活の長さは関係ない、天国の報いは同じであるというなら、教会生活そのものがばからしいなどと言い出しかねないのは。

教会生活の経歴が長い人たちは、地上において、すでに長い間、神の恵みと祝福を豊かにいただいてきたことに感謝すべきです。しかし、教会も間違いを犯すことがありえます。教会生活の長い人と短い人とで差をつけようとする。奇妙な配慮が働いたりする。

そういうことを教会がしてしまうとき、「天国は平等です」と教会が言っても「本当ですか」と疑われてしまうのです。そのようなことで教会が間違いを犯さないようにイエスさまが戒めておられるのです。

(2012年11月25日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年11月20日火曜日

日本人の神学者はもっと「英語の」論文を書くべきか

日本の神学(聖書学、教会史、組織神学、実践神学)の国際的評価を上げるために、日本人の研究者たちは、もっと「英語の」論文を書くべきか。

この問題は、大学や神学校の教育に一度も関わったことがないぼくごときでも、一度ならず悩んできたことです。

ぼくは、18歳から「神学」なるものに接し、いま47歳ですから、かれこれ29年になります。

大先輩たちにはとてもとても敵いませんが、ぼく的には、よくも飽きずに続けて来られたものだと、自分に呆れる思いです。

それくらいのスパンで「神学」なるものを続けてきた者としての、上の問いへの(暫定的な)答えは、「否」です。

       * * *

聖書学に関してはガチのシロウトなので、的外れのことを感じているだけかもしれません。

しかし、こと聖書にとっての重要な問題が「翻訳」にあるとぼくは考えているので、英語の論文が多産されるよりも、日本においてなら「日本語の」論文がたくさん書かれるべきだと思う。

ヨハネ福音書ならヨハネ福音書の、この言葉・あの言葉が、現代の日本語においてどのようなニュアンスと響きを持ち、意義と価値があるかが解明されていくほうに、もっともっと時間と力が注がれるべきではないかと、愚考するばかりです。

たとえばの話ですが、もしぼくがヨハネ福音書について、論文という形で何か書けと言われた場合に選ぼうとするのは、3章16節の「神はそのひとり子をお与えになったほどに《コスモス》を愛された」の《コスモス》で、現代人は何をイメージすればよいのか、というようなテーマだったりします。

それが英語(圏)でイメージされていることと、日本語でイメージすべきこととがズレている気がしているから。

それを日本語でどう「翻訳」すべきかを徹底的に考え抜き、苦悶し、それをまとめて論文にする。

この論文は、ぼくは日本語でしか書けないと思うし、翻訳不可能なものだと思う。

これは聖書学だけのことではないですよね。教会史でも組織神学でも実践神学でも同じです。

最初から日本語の言語体系の中で考え抜いて書かなければ、決して表現できない神学というのがある。

それは翻訳不可能です。

本来的に翻訳不可能なものが「英語」に訳されていなければ国際的に評価されない、というのであれば、それは国際学会のあり方自体が歪んでいるんだと思います。

       * * *

まあ、でも、二つに分かれますよね。

ぼくが関わったことがある国際学会といえば、「アジア・カルヴァン学会」とか「国際ファン・ルーラー学会」くらいですが、この二つの学会はまさに対照的でした。

「アジア・カルヴァン学会」は、原則として毎年一回、日本、韓国、台湾等に集まっています、どの国で開催する場合でも、集まる人たちがアジア人ばかりでも、すべて英語で発表します。アジア・カルヴァン学会は国際カルヴァン学会のブランチで、会長はオランダ人ですが、その会長が英語で講演します。

「国際ファン・ルーラー学会」は、史上一回しか行われたことがありませんが、オランダ人、ドイツ人、アメリカ人、南アフリカ人、そして我々日本人が合計200人ほどアムステルダムに集まりましたが、レジュメ一枚配られず(?!)、全員が自分の母語で(!!)講演しました。

「分っかるかい!」と腹が立ちましたが、すっごいビックリしたし、目からうろこが落ちました。これこそ「本来の」国際学会だと思いました。200人の神学者たちは、それぞれの言語を聞きわけて、うなずいたり、笑ったりしていました。

       * * *

日本の評価を上げるために、日本の研究者が、なにがなんでも「英語で」論文を書かなくてはならないということになるでしょうか。それこそ自虐かもしれませんが、日本の研究者が英語で書いたような論文を、海外の研究者がどれくらい読み、評価してくれるでしょうか。あまり期待しないほうがよいのではないか。

「グローバルスタンダード」という美名のもとなる英語至上主義みたいなものも、趨勢としてはやむを得ない面もあるでしょう。

だけど、英語は万能なわけじゃない。こと微細なニュアンスを考え抜かなくてはならない文系の学問では、英語なんかに訳せっこない論文もあるはずですよね、と思う。

「コスモス」の話を繰り返せば、英語ならworldとかuniverseとか訳しておけばいいかもしれませんが、それは宇宙なのか万有なのか、世なのか世界なのか、世間とか俗世とか訳さなくてはならないのか、そんなふうに訳して今の子たちに意味が理解できるのか、みたいなことをえんえんと、あーでもない・こーでもないと考えてみることが、日本のコンテキストでは重要だと、ぼくは思う。

そういうのって、他国の言葉に訳せますかね?

オランダのライデン大学神学部で長く教えた著名な教理史家のハイデルベルク信仰問答やベルギー信仰告白やドルトレヒト信仰規準の研究書など見ると16、17世紀のオランダ語と現代のオランダ語の比較とかしている。

それ、どうやって日本語に訳すんですかね?英語にさえ訳せそうにないです。

アタマ抱えますよ、ガチで。

2012年11月15日木曜日

オトナたちの、その「永遠の被害者意識」がコドモたちの邪魔になっている(3)

仕事が「収入」で、勉強は「支出」。

それ、単純すぎる考え方だと思いますよ、ね?

仕事ができる(=収入を得られる)ようになるために勉強する(=投資的に支出する)、のかなあ。

それも違うと思うにゃー。

勉強って、やればやるほど自分の無知が分かって謙遜になれると、大昔の人は考えた。

なんか、今さらながら、そういうことじゃないかなっと思うんですけどね。

つまりは、勉強を完全に放棄してしまったオトナみたいな感じになることが、いちばん傲慢な態度だってことですね。

やだなー。自戒、自戒。

しかし。

今の子どもたちの多くは、よほど資産家の子弟でもなければ、大学を卒業した時点で、500万以上の「借金」(多くは「日本育英会の奨学金」という名の「借金」)を抱えています。

それは「将来の就職のために必要な先行投資。就職すればすぐに取り返せる」という“見通し”に基づく話でしたが、今は大学を卒業して10年経っても20年経っても定職に就けない人が少なくない。

言っておきますが、定職に「就けない」(cannot)のは、その人のせいではないですよ。どこの会社も新規採用の門を極端に狭めているのだから。”ある世代”の人たちを保護するために。

だから、子どもたちは、大学に支払った分の「借金」を返すことができない。請求書は怒涛のごとく。「人から借りたものは返すのが人の道ってもんよのお」という任侠道の人たちの出番が生じる。

しかし、仕事は無い。その「借金」を返済できるほどの「収入」はない。

それで、多くの人が、”逆算して”後悔している可能性が高い。

(1)あの「借金」(=奨学金貸与)は無駄だった。「大学」なんか行かなきゃよかった。

(2)しても意味の無い(=「借金」の返済もできず、見ず知らずの任侠系の人たちから脅迫を受け続ける人生を送らなければならなくなるような)「勉強」など、しなきゃよかった。

(3)勉強よりも、「体で」稼げば良かった。

こういう悶絶ものの歯車(実践的三段論法!)の中で、今の若者たちは切り刻まれています。

「人間が勉強すること」を資本主義的な集金システムの中に組み込みすぎた現代社会を、ぼくは心のどこかで憎んでいるのかもしれません。

ぼくごときが何を言っても、多勢に無勢ですけどね。

オトナたちの、その「永遠の被害者意識」がコドモたちの邪魔になっている(2)

データ的な根拠があるわけではありません。社会学者や政治学者や心理学者に正確な調査をお願いしたいです。

また、ぼくの出会ってきた人たちの悪口を言いたいのでもありません。

しかし、反論や批判を覚悟であえて言えば、1930年代から40年代までの間に生まれたコドモたちの中に、ぼくがそう感じるところの「永遠の被害者意識」をいまだに持ち続けている人たちが少なくないように思います。

彼らの共通点は、当時はまだコドモで、戦地には行く由も無く、ただ親や友人や町を失い、ひたすらひもじい思いに苦しんだという、まさに戦争の「被害当事者」としての意識だけを鮮明に持っている、ということです。

しかし、その人々の意識内容は、いずれにせよ早晩「戦争を知らないコドモたち」にとっては「神話化」するところとなり、アンタッチャブルなものになった。

そこに悲劇も始まったのだと思います。

まあ、でも、ほんのちょっとだけ、ぼくの言いたいことを明け透けに書いておきますよ。ほんのちょっとだけですけどね。

やっぱりぼくは、自分の子どものことをどうしても考えます。ぼくがまもなく47歳。長男が来月18歳です。長女も来年2月で15歳。

「彼らの世界」は、まだ始まったばかりなんですよ。どう考えてもね。

歴史の終末だ、世界の終わりだと、やたら終わらせたがっている人たちがいるのが、ぼくは気になります。勝手に終わらせるなよ、と言いたいです。

で、ぼくは47歳、中年男子、二児の父。

62年間(も)の「豊かさ」を享受してきた世代のオトナたちと、

「失われた二十年」だ、いや、まだまだ続くかもと、経済不況、就職氷河期、長期継続中。そこに加えて震災、原発事故と、これでもか・これでもかと降り注ぐ災難の中、それでも「新しい世界」を始めようとしているコドモたちと、

どちらの支援を選ぶべきかと問われれば、迷わず後者を選ぶ。

そう言いたいだけです。

今のオトナたちが全員いなくなった後も、今のコドモたちが「彼らの世界」を生き続けますよ。

そうやって歴史は続いてきたんですよ。

それでいいじゃん、みたいなことです、ぼくが考えていることは。

2012年11月13日火曜日

オトナたちの、その「永遠の被害者意識」がコドモたちの邪魔になっている(1)

ひとりごと。

第二次大戦後の「食糧難」は、5年間(1945年~1950年)だったそうですね。

まあ、でも、その後、1950年から2012年までの62年間は、

よく食べ、よく飲み、よく遊んだわけですよね。

「たった5年間」とは言いませんよ。

だけど、「その後の62年間」が、まるで無かったことかのように、

いつまでも「永遠の被害者意識」を持ち続けるのって、どうなんだろうと、

この数年、しきりと考えさせられています。

オトナたちの、そのコドモじみた「永遠の被害者意識」が、

これからの世界を作ろうとしているコドモたちの邪魔になっています。

戦争肯定論じゃないです。維新にも改憲にも(老害新党にも)明確に反対。

だけど、オトナたちの「永遠の被害者意識」はコドモたちの迷惑だ。

「そんなの関係ねえ」ことだもん。

ぼく、今週47歳になるんですけど、まだ言わせてもらえませんかね。

ずっと我慢してきたんですけど。

ガチそのとおりだと思うよ

そうだよ、オトナ。

勝手にあきらめんなよ。

勝手に絶望して、勝手にぶっ壊すな。

「我らの世界は まだ始まったばかりだ」〔※)

この世界はもう、てめえらのもんじゃねんだよ。

コドモの分までオトナが食うな。

もう枯れてもいんじゃねーの。

(※)ももいろクローバーZ 「サラバ、愛しき悲しみたちよ」より


2012年11月12日月曜日

キリスト教記者クラブの「オフ会」にお招きいただくことになりました。

http://blogs.yahoo.co.jp/cjc_skj/30281506.html

えーっと、こういうの(↑)に出させていただくことになりました。キリスト教記者クラブの「オフ会」とのことです。

富士見町教会は「アジア・カルヴァン学会 第2回講演会」(2006年9月22日)のときにお借りして以来です。

あの講演会は、『カルヴァン説教集 命の登録台帳 エフェソ書第1章(上)』(キリスト新聞社、2006年)の出版感謝会を兼ねて行いました。講師は野村信先生(現在、東北学院大学教授)と久米あつみ先生(フランス文学者)でした。

ぼくは、翻訳の総責任者である野村信先生の発題に対するコメンテーターとして、ステージ側に並びました。なんだか懐かしいです。