2009年10月27日火曜日

砂上の楼閣

過去10年間求めてきたもう一つの願いは、我々の神学研究に「経済的裏打ち」が欲しいということでした。「神学、神学、神学」といくら叫び続けても、お金がなければ資料を購入することができないし、パンフレット一冊、自著一冊出版することもできません。資料的裏付けに乏しい本は、出版する価値がありません。紙資源の無駄であり、環境破壊以外の何ものでもありません。神学に関していえば、一冊の本を書くために数百万円規模の基礎資料が必要です。それくらいの費用がかかっていない本は、読む価値がありません。出版費用の問題は「印刷・製本費用」の問題だけではないのです。より深刻な問題は中身のほうです。



しかし他方、「本にならない神学」はいつでも必ず趣味、妄想の扱いです。実際これまで何度となく「関口牧師はなんだかいつもパソコンで遊んでばかりなんですね」と言われて悔しい思いをしてきました。これは私にとって最も言われたくない痛い言葉です。何度も言われてきましたのでいくらか打たれ強くもなりましたが、それでも実はいまだに寝込んでしまいそうなほどきついです。「本にならない字」をどれほどたくさん書こうとも、趣味、妄想のたぐいだと思われてしまうことに変わりはないのです。そういうことは自分自身が一番よく分かっていますので、これを言われると本当につらいです。私の最大の弱点です。



このところ日本のキリスト教出版社が進めている事業のひとつは、絶版となった名著の「オンデマンド化」です。あるいは世界的に見ても、版権の切れた名著の多くがインターネットで全文公開されるようになりました。しかし、我々の場合は、言ってみれば「初めからオンデマンド」です。一度もきちんと印刷・製本されたことがないし、表紙がついたこともない。物笑いの種以上のものになったことがない。



我々の言葉が「本にならない」理由は「お金がないから」です。私が求めてきたことを一言で言えば「改革派神学の日本における地位向上」です。そのために必要なことは「本にすること」です。そして、そのために「神学の研究ならびに出版資金を得るための制度を構築すること」が必要不可欠であると信じ、10年以上頑張ってきたつもりです。



その願いがもしかしたら実現するのではないかと期待できるまで状況が整ったのは、今年の前半のことでした。手が届きそうな距離にやっと近づいたと感じました。



しかし、この願いが、今年の夏頃、無残にも破壊されました。砂上の楼閣はあっという間に崩れ落ちました。そのことが夏以降、私の大きな悩みとなり、物事に取り組む意欲がガクンガクンと減退しています。何のために頑張って来たのかが分からなくなってしまいました。



正面玄関の改装

トップページ(旧「信仰の道を共に歩もう」)の名称を「改革派信仰の新しい視点」に変更し、デザインを更新しました。一応ここ(トップページ)が正面玄関からフロントにかけての場に当たる部分ですので、お客さまにはできればここから入っていただきたいなと思いつつ作りました。



「改革派信仰の新しい視点」
http://www.reformed.jp



mixi退会しました

mixiを退会しました。plaxoも退会しました。ブログの情報量や更新頻度も、これからは大幅に制限していくことにしました。



何度も書いてきましたとおり1998年以降インターネットにかかわるようになった動機は、苦しみと涙をもって地方伝道に従事している牧師と教会員に「神学」に関する情報を提供することでした。



そのために、最初はメーリングリスト、次にブログ、そしてmixiなどSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を用いてみました。その実験に成功したとは思っていませんし、満足感なども一向にありませんが、地方(≠首都圏ならびに大都市部)では得られないような質の情報提供をめざしてきたつもりです。喜んでくださる方々も少なからずいました。



地方伝道の何が苦しいのかといえば、情報不足が苦しいのです。情報格差による孤立感はとにかくひどいものです。他のことは大したことではありません。私も苦しみました。自ら苦しみながら、互いに助け合うことができる方法を模索しはじめました。しかし最初は何をどうしたらよいのか、さっぱり分かりませんでした。インターネットの活用方法が分かりませんでした。それでいろいろ手を出してみました。mixiもその一つでした。



ともかく、いつまでもダラダラ続けるつもりは最初からありませんでした。そろそろ潮時です。



2009年10月25日日曜日

伝道の神学 喜びの人生をめざす旅人の力

ファン・ルーラーが幼少期に通ったアペルドールン改革派教会
(2008年12月9日 関口康撮影)

講演「伝道の神学 喜びの人生をめざす旅人の力」

関口 康

Ⅰ 「伝道の神学」の主体としての「地域性密着型中会」

この改革派神学研修所東北教室は、厳密に言えば東北中会とのダイレクトな関係にはない、あくまでも有志のグループであるという事情はよく理解しているつもりです。しかしまた、このグループが日本キリスト改革派教会東北中会に所属する教会・伝道所との緊密な関係の中で営まれて来たものであるということは明言してよいはずです。

私は以前、東関東中会議長書記団を代表して東北中会の定期会を問安させていただいたことがあります。そのときが東北中会の皆さまとの正式な形での初顔合わせでした。そのときの会場も、今日と同じ東仙台教会でした。その日を含めると、東関東中会のメンバーになって以来二回目の「東北中会訪問」ということになります。

私は、東北地方とは縁もゆかりもない岡山県岡山市の出身者です。しかしそのような私でも、日本キリスト改革派教会の教師にしていただいて以来、東北中会の諸教会のために祈らなかった日はありません。伝道の戦いにおいては同志であり、同労者であると信じています。伝道に伴う苦しみや悩みは、それに携わったことがある者にしか分かりません。私も今、毎日のように涙を流していますので、皆さんの思いは痛いほど理解しているつもりです。

「おやおや、東関東中会は東北中会よりもラクチンではないのですか」と思われてしまうかもしれませんが、決してそんなことはありません。都会には都会なりの悩みがあり、独特の誘惑や罠が手ぐすね引いて待ち受けています。伝道がラクチンな地域など、地上には存在しないのです。

しかしまた、この日本の国土環境や経済状況などを考えますと、首都圏の伝道と地方都市や農村部の伝道とを全く一緒くたに丸めてしまうような議論や、各地の個性や固有性や特色を完全に無視してアイロンやローラーのようなもので均してしまうようなやり方がきわめて乱暴であることも事実です。

イエス・キリストの福音を宣べ伝えることを本旨とする「伝道」においても「地域性」(locality)というものが最大限に尊重される必要があると信じています。象徴的な言い方をお許しいただくなら、 伝道とは、飛行機の上から種をまき散らすような(大雑把で当てずっぽうな)仕事ではなく、ミミズの目を探すような(緻密で繊細な)仕事であると考えております。

東関東中会をわたしたちが2006年7月に設立したときに掲げた、自己紹介のための理念は「地域性密着型中会」(locality-oriented presbytery)というものでした。この理念を考えたのは私ですが、 初代中会議長になられた横田隆先生が、大会向けにお書きになった文章に採用してくださいました。

この「地域性密着」という表現は、私の中では、一般的な意味での「地域密着」とは異なる概念です。しかし、このことについては中会設立時点の私にはきちんと説明する場も立場も与えられていませんでしたので、一緒くたにされたまま誤解されています。

現に、たとえば「地域性密着型中会としての東関東中会」という言葉を見た他中会の人々の中に、「東関東中会のような地域癒着型で利益誘導型の中会では、日本キリスト改革派教会としてのアイデンティティを保つことができない」という理由で批判している人がおられるということを後で知りました。その話を最初に聞いたとき、私は心底がっかりしたのです。人間の耳と心というものは、かくも歪んでいるのかと。

そして、もう一つのことを考えさせられました。それは「それでは改革派教会のアイデンティティとは何なのか」ということでした。

改革派教会のアイデンティティとは何なのでしょうか。大会決議を守ることでしょうか。それならそれでも結構です。しかしそれでは大会決議とは何なのでしょうか。それは、都会の有力教会の多数意見を力任せに押し通すことであってはならないでしょう。そもそも大会決議なるものは、地方の教会の現実が反映されていないようなものであってはならないでしょう。「地域性密着型中会」が無いようであっては、健全な大会決議もありえないでしょう。

突き詰めていえば、「地域性」(locality)というものに関心を払わないような教会、すなわち、各中会の意見を反映することを怠る大会のもとにある一全体としての教派は、真の意味での「改革派教会」ではありえないでしょう。我々の大切な教派が、そのようなものになっては、あるいは「しては」なるまいと、私は考えました。

「地域性密着型中会」という東関東中会の理念を「地域癒着型中会」だとか「利益誘導型中会」などと聞きまちがえた人たちを責めたい気持ちは、私にはありません。故意や悪意であるとも思っていません。ただひたすら、ぜひ正しく理解していただきたいと願っているだけです。

しかしまた、私は今日ここに、東関東中会を代表して来ているのではなく、あくまでも個人的な奉仕として来ています。これから申し上げることはすべて、私の個人的見解にすぎません。誰とも相談していません。発言の責任もすべて関口個人にあります。

しかしまた、そうであるという事情をあらかじめしっかりと確認したうえで、私が掲げた「伝道の神学」というテーマの中には、私自身の眼前に常に現実に存在する「東関東中会」の存在が念頭にあるのだということも否定できない事実であると明言しておきます。

そしてもし可能でしたら、定期大会記録に明記されている東関東中会が掲げた「地域性密着型中会」という理念を思い起こしていただきたいと願っています。この理念の本当の意味は何なのかということを正しく理解していただくことが、今日の講演の第一の目標であると申し上げておきます。

そして、この講演の第二の目標として考えておりますのが、講演のタイトルとして掲げた「喜びの人生をめざす旅人の力」としての「伝道の神学」とは何かということを理解していただきたいということです。

もちろん第一の目標と第二の目標は直接つながっている関係にあると私は信じています。すなわち、第一の目標である「地域性密着型中会」とは何かを理解していただくことと、第二の目標である「伝道の神学」とは何かを理解していただくこととが、私の中ではっきりとつながっています。

第一のつながりは、「伝道の神学」なるものを展開していく具体的な場は、大会でも神学校でもなく、「中会」であるということです。「いや、それは各個教会ではないのか」と思われるかもしれませんが、各個教会が単独で「神学」を営むことにはちょっと荷が重すぎる面があります。もちろん、伝道そのものの主体は各個教会であると言わなければなりません。しかし、「伝道の神学」を構築し、展開していくための場ないし主体は「中会」でなければなりません。

ですから、私の思いからすれば、各中会に「神学委員会」のようなものが設置されることが理想です。しかし、それが叶わなくても、せめて各中会に(東北中会にあるような)「改革派神学研修所○○教室」のようなものが置かれるべきです。

しかも、その場合の中会とは「地域性密着型中会」、すなわち、その中会が置かれている地域の地域性 (locality)を最大限に尊重すべきことを自覚し、かつ実践する人々の集まりでなければなりません。

 同じ一つの日本キリスト改革派教会に属する同志であっても、たとえば「東北中会の伝道の神学」と「東関東中会の伝道の神学」と「東部中会の伝道の神学」とその他の中会の「伝道の神学」との間には(一致点や共通点とともに)相違点があって然るべきです。

すべてが同じでなければならないと、自分たちの「伝道の神学」を押し付け合うことは問題を抽象化することであり、妄想に通じるとさえ言わざるをえません。

第二のつながりは、第一に申し上げたことのほとんど繰り返しであり、同じことの別の観点からの言い換えです。それは、そもそも「神学」とは個人のわざではなく、共同体のわざであるということです。それは信仰共同体としての教会のわざであり、教団・教派のわざでなければなりません。

神学とは個人的な思想・信条ではありません。ですから、はっきりいえば「中会なしに神学なし」です。そして逆も然りです。「神学なしに中会なし」でもあります。

まとめていえば、「中会の第一義は神学共同体である」ということです。神学を放棄した中会は、本来の意味での「中会」ではありえません。「中会」とは神学、とくに「伝道の神学」を共有する場なのです。

そして、中会には教師だけがいるのではなく、少なくとも(「教会の会議において、教師と同等の権威を有する」)長老がおり、そして すべての教会員が属しています。

もしそうであるならば、「地域性密着型中会の神学」としての「伝道の神学」は、(何らかの学位や留学経験をもった)神学教授職にある人の専売特許ではなく、すべての 教会員のものでなければならないのです。

Ⅱ ファン・ルーラーの「伝道の神学」

さて、序論的な話をひとまず終えて、次の話に進めます。以下の主題は伝道の神学とは何かという ことです。この件に関して私は一つのモデルをご紹介したいと願っています。

それは〝国教会系〟等 と称された、歴史的に古いほうの「オランダ改革派教会」(Nederlandse Hervormde Kerk)の中で、1950 年代に考案された「伝道の神学」の例です。

発案者は、アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])です。私はこの神学者についての研究を10年ほど続けてきました。この神学者はオランダ改革派教会 (NHK)の牧師であり、ユトレヒト大学神学部において「オランダ改革派教会担当教授」の職務に 就いた人でもあります。

このように紹介しますと、先ほど申しあげた、「伝道の神学とは神学教授職にある人の専売特許ではない」という話と矛盾するとお感じになるかもしれません。しかし、この点で申し上げておきたいことは、ファン・ルーラーが「伝道の神学」を考案した動機は、その時代に実施されていたオランダ改革派教会の『教会規程』の全面的な改定作業という歴史的大事業に寄与することであったという点です。

改定以前の古い版の同教会の『教会規程』は、なんとナポレオン統治時代のものでした。そのような古文書(こもんじょ)を改訂する委員会における主要なメンバーの一人がファン・ルーラーでした。

つまり、ファン・ルーラーの「伝道の神学」は、抽象的な机上の空論などではありえず、きわめてリアルなプレゼンスを持つ一つの「オランダ改革派教会」をそれに基づいて動かすこと、さらに「カルヴァン主義の国」とまで呼ばれたオランダの歴史と伝統そのものを動かすことを目標にした、きわめて具体的で現実的で実際的な提案であったということです。

そのファン・ルーラーの「伝道の神学」とはどのようなものだったのでしょうか。その概要をこれからご説明していきたいと思います。

しかし、まずそのテキストについて申し上げておくべきことがあります。ご存じの方もおられると思いますが、ファン・ルーラーの「伝道の神学」(Theologie van het Apostolaat)の日本語版が 2003年に教文館から出版されました。しかし、非常に残念なことに、これがものすごく読みにくい訳でした。はっきりいえば、ちんぷんかんぷんの、ひどいものでした。

私はこれを訳した人を個人的に知っていますので、悪口のようなことはなるべく言いたくないのですが、このようなひどい訳を流通させたままではファン・ルーラー先生に申し訳ないという思いさえ持っています。

ファン・ルーラーのこの書物は、国際的に高い評価を得ている、非常に優れた「伝道の神学」のモデルなのです。これを私は日本の教会の多くの人々に読んでいただきたいと願っています。そのために私は、今の訳本が早く絶版にされ、一刻も早く新訳で紹介し直されることを願っています。

ファン・ルーラーは「伝道の神学」を順序立てて考えて行くために、次の五つの教義学的な視点を設定しました。第一は終末論の視点であり、第二は聖定論の視点であり、第三は聖霊論の視点であり、第四は人間論の視点であり、第五は教会論の視点です。

これらすべての内容をご紹介する時間はありませんし、ファン・ルーラーの説明そのものを詳細に紹介することもできません。

そのため私は、わたしたち日本の教会的文脈の中で比較的理解しやすいと思われる視点をいくつかピックアップして私なりの言葉で解説していくことにします。それは最初の「終末論の視点」です。もう一つ挙げておきたいのが第四の「人間論の視点」です。

Ⅲ 終末論の視点から見た「伝道」

終末論から話を始めるというのは、人によっては奇妙な見方であると感じるものでもあるでしょう。なぜなら、ファン・ルーラーが登場するよりも前の時代の教義学において、終末論が置かれる位置は、「巻末付録」とまでは言われないにしても、ほとんど例外なくいちばん最後のほうの数ページの部分に割り当てられることになっていたからです。

実際、ファン・ルーラーの神学は「終末からの思惟」 (thinking from the End/ Denken vanuit einde)などと評せられるものであり、終末論からすべての神学を出発することが、彼の神学の特徴であるとさえ考えられています。

しかし、このファン・ルーラーの終末からの思惟は、「伝道の神学」を考えて行くためには、わたしたちにとって非常に有益であると思われます。なぜなら、間違いなくわたしたちの多くは、「終末」(the End)という言葉には「目的」(purpose)ないし「目標」(goal)という意味があるということを知っているからです。

なぜわたしたちの多くがそのことを知っているかといえば、わたしたちが常日頃から慣れ親しんでいるウェストミンスター信仰規準(とくに、ウェストミンスター小教理問答の第一問答)に何が書かれているかを知っているからです。

「問 ひとの主な目的(end)は何であるか。

 答 人の主な目的(end)は神の栄光を表し、永遠に神を喜ぶことである。」 

そうです。わたしたちがウェストミンスター小教理問答の第一問において「目的」と訳してきた言葉こそがendなのです。

つまり、この問い(ウ小教理 1 )の趣旨を考えますと、これは endを問うている問いである以上、そのままで「終末論的な」問いかけでもあるのだということを、わたしたちは知っているのです。

すると、どうなるでしょうか。たった今申し上げたことからお分かりいただけることは、ファン・ルーラーの伝道の神学の特徴である「終末からの思惟」とは、将来においてわたしたちが実現すべき目的、ないし到達すべき目標のほうから現在のあり方を考えるということを意味するのだということです。

この点がわたしたち自身の「伝道の神学」を考える際に非常に役立ちます。なぜなら、「目的」ないし「目標」を定めることが、伝道にはどうしても必要不可欠だからです。

ただし、問題は、わたしたちはそれをどのようなものと定めるかです。ここから先はファン・ルーラーが言っていることではなくて、私が申し上げたいことです。

伝道の目標とは、たくさんの人数を集めることでしょうか。伝道の目的とは、大きな教会堂を立てることでしょうか。もちろん、それらのことも重要であるとは思います。しかし、あえて問いたいことは、それだけでしょうかということです。

いみじくもわたしたちは、ウェストミンスター信仰規準(とりわけウェストミンスター小教理問答の第一問答)と共に、わたしたちの人生の目標とは「神の栄光を表し、永遠に神を喜ぶこと」であると、声を大にして告白し続けてきたのです。

このことは、伝道の目標にも通じるはずです。ただし、「神の栄光を表し、永遠に神を喜ぶこと」を伝道の目標にすると私が言いますと、この人は問題を抽象化していると感じられてしまうかもしれません。しかし、これは決して問題の抽象化ではないと申し上げておきます。

考えていただきたいのは、 このウェストミンスター小教理問答における最も重要な点は「わたしが喜ぶこと」にあるということです。この答えを短く言い直せば、「わたしの目標ないしわたしの人生の目的は、このわたしが喜ぶことである」と言っているのと同じであるということです。

このことを伝道の神学に当てはめて言えば、こうなります。「伝道の目標もまた、このわたしが喜びの人生をめざすことにある」ということです。「喜び」とは、もちろん人間的・主観的・感情的・生理的な要素です。私が申し上げたいのは「伝道の神学」からそのような要素(人間的・主観的・感情的・生理的な要素)を切り落としてはならないということです。

わたしたちは、そのような要素を非常に強く抑制してきた面があります。「人間的な考えをやめよ」、「主観に陥るな」、「感情に走るな」、「生理的なことを教会に持ち込むな」。このような考えは、まさに悪い意味での禁欲主義なのだと思います。

しかし、わたしたちの教派においては、ウェストミンスター小教理問答第一問が「わたしが(神を)喜ぶこと」を人生の目標に定めていることにおいて、悪い意味での禁欲主義というものが禁止されているのだと読むことが可能です。そしてわたしたちは次のように考えることができます。

「伝道の目標とは、このわたしの喜びにこそある。このことを終末論的に考え直すならば、わたしの喜びを究極的に実現するための伝道とはどのようなものであるのかということこそが重要な問題なのである」。このような順序で、わたしたちは、伝道の神学を考えて行くことができるのです。

この文脈でファン・ルーラーが主張するもう一つの重要な点は、伝道のキリスト論的位置づけです。 彼によると、伝道は「キリストの昇天」と「キリストの再臨」の中間時(ちゅうかんじ)になされるものであり、かつ両者の間をつなぐ要素はローマ・カトリック教会が考えたような連続性(キリストの受肉の継続としての教会など)や自然的要素(血縁、血統、遺伝など)ではなく「飛躍」(sprong)であると言っています。

いま、私は二つのことを申し上げました。第一は、「伝道とは中間時の事柄である」ということです。 第二は、「キリストの昇天と再臨をつなぐ要素は飛躍である」ということです。

前者の「伝道とは中間時の事柄である」という命題から引き出される帰結は、伝道の未完結性です。伝道が未完結であるということは、わたしたち自身の信仰も、信仰者としての実存も、そして教会の存在や活動も、すべては未完結のままであるということです。

この点は、牧会的にいえば非常に大きな意味を持つはずです。とくに日本の教会には、家族揃ってあるいは夫婦揃って教会に通っているという方々は少なく、家族の中で一人だけ通っているという方々が非常に多いことを、私はもちろん知っています。その場合にわたしたちが関心を持たざるをえない問題は、家族の救いということです。

そして、この文脈の中で、わたしたちが「伝道の未完結性」という点から考えていくことができるのは、いわゆる「未信者」とは、まさに読んで字のごとく「未だ信仰に至っていない人」のことであり、しかしまたそれは「今は未だ信仰に至っていないが、これから信仰に至るであろう人」のことでもあるという、希望の告白をなすこともできるということです。

さて、ファン・ルーラーが書いているもう一つの点としての「伝道とはキリストの昇天と再臨との中間時を橋渡しする飛躍である」という言葉の意味は何でしょうか。あらかじめ申しあげておきたいのは、これもわたしたちにとっての希望のメッセージになりうるものであるということです。先ほど少しだけ触れましたように、ファン・ルーラーは、この「飛躍」の意味を連続性や自然というものとは反対の意味を持つ言葉としてとらえました。その場合のとくに「自然」とは、血のつながりや民族的一致のことなどを意味しています。

しかし、「伝道」とは、なるほど「飛躍」であるかぎり、「自然的な連続性」という概念では決してとらえることができないものです。この点でわたしたちが知っている現実は、信仰こそは血縁あるいは遺伝によって自動的(オートマティック)に継承されるものではありえないということです。

もしそういうことが現実に起こるであれば、わたしたちが伝道のために死に物狂いで戦うことなど全く無駄で無意味なことになります。子どもたちを苦労して日曜学校に通わせる必要もありません。もし信仰というものが、血から血へと、自動的に、遺伝的に継承されるものであるとするならば、です。

しかし、そのようなことは起こりえないということを、わたしたちは知識の上でも体験の上でも知っています。信仰の継承には、伝道というプロセスがどうしても必要不可欠です。そこに、洗礼を受けた信仰者としての「人間」の存在が必要不可欠であり、かつ信仰者の共同体としての「教会」が必要不可欠なのです。

なぜこのことが、ここにいるわたしたちにとっての希望のメッセージになるのかといえば、「伝道」の意味を考えるときにこそ、わたしたちが教会に集まる理由がはっきりと分かり、さらに教会の存在理由(レゾンデートル)そのものがはっきりと分かるからです。

わたしたちは、日曜日のたびごとに無駄で空しいことをしているわけではありません。神がこの地上で「伝道」のみわざをお進めになるための「道具」として、わたしたち、キリスト者としての個々人と教会とが選ばれ、用いられているのです。

これらの議論が、ファン・ルーラーの『伝道の神学』における第二点の「聖定論的視点」と 第五点の「教会論的視点」の項で扱われています。

人間論的視点から見た「伝道」

次に見ていきますのは、「伝道の神学」を構築していくためにファン・ルーラーが設定した「人間論の視点」とは何なのかということです。

ファン・ルーラーが「人間論」(anthropologie)という概念を用いる場合の意味は、言うまでもなく「神学的人間論」のことであり、とくに改革派神学、あるいは改革派教義学におけるそれのことを指しています。そのことが分かるのは、彼が「人間論的視点」において重要であるとする概念が「神との契約のもとにある人間」、そして「神のかたちとしての人間」の二つであることです。

ファン・ルーラーは、「神との契約」という概念は「人間とは生ける神が御自身の歴史的なみわざに おいて御自身の周りに創出される共同体にはめこまれ受容された、神の協力者(パートナー)である」 ということを我々に理解させるものであるとしています。

また、「神のかたち」という概念は「人間と は神と向き合う位置にある者であり、神は人間においてこそ御自身の本質を表され、映し出してくださる」ということを理解させるものであると言っています。ファン・ルーラーによると、「神のかたち」 という概念のほうが「神との契約」という概念よりも広い範囲を包括している、とも言っています。

そして、このあたりからファン・ルーラーならではの独特の議論が開始されるのですが、彼は「神のかたちとしての人間」という命題の中の「神」を、とくに「聖霊なる神」と結び合わせてとらえています。すると、どうなるか。

「聖霊(なる神)は終始一貫、人間的な姿をおとりになる。聖霊の判断は、人間の判断という形態をとる。聖霊のみわざは人間の体験の中に具体性を持つ。聖霊(プネウマ) 全体は、人間的なるものの中で形態を獲得するのである。」

この個所でファン・ルーラーが描いているのは、伝統的な神学的概念を用いて言えば「聖霊の内住」 (inhabitatio Spiritus sancti)の事態です。つまり、それは、聖霊(なる神)が人間存在の内側に 「住む」ないし「宿る」という事態です。

そして、この「聖霊の内住」という事態は 17世紀の改革派神学者ヨードクス・ファン・ローデンステインの言葉を借りて言うと「三位一体の内住」(inhabitatio Dei trinitatis)でもあるのだと、ファン・ルーラーは他の書物の中で書いています。

つまり、彼に言わせると、「聖霊なる神が人間の中に住んでくださる」ゆえに、結局は、父・子・聖霊なる三位一体の神御自身の判断とわたしたち人間自身の判断とは重なり合うものになっていくのであり、そのようにして、「神御自身のみわざは・わたしたち人間の体験の中で・地上的な形態を獲得するのである」と語ることができるようになるのです。

そして、ファン・ルーラーは次のような衝撃的な命題に至ります。「キリスト教とは啓示と異教主義の混合(アマルガム)である」。

この命題によって彼が何を問いたいのかといえば、たとえば、芸術や科学、また「異教的本性をもつ生の衝動や霊性から生まれる文化」といったものが神の御前に有する価値は何なのかという問いです。たとえば、わたしたちキリスト者は、芸術や科学のすべてを「それは虚偽である」とか「それは偶像礼拝である」などとそっけなく拒否することができるのだろうかという問いです。あるいは、「キリスト教的芸術」や「キリスト教的文化」とは結局何を意味しているのかという問いでもあります。

そのようなものは成り立ちうるのか。わたしたちは何をもってそれらが「キリスト教的」であると判断しうるのかという問いです。この文脈においてファン・ルーラーは、「我々は広範な人間関係の土台をもたず、いかなる具体的な形ももたず、常に狭い稜線を歩くような仕方で、ひたすら潔癖な信仰生活を送らなければならないのだろうか」と書いています。

このファン・ルーラーの問いは、わたしたちの伝道にとって根本的な意義を持っていると思います。 伝道が異教主義に飲み込まれてしまうようなことは決してあってはならないことであるということは よく分かる話です。

この異教の国日本の中で徹底的に非妥協主義の線をとることこそが伝道であるという理解は、ある意味で正しいし、正しすぎるほど正しいものです。しかし、その次にすぐに間違い なく起こる問いは、「それでは、わたしたちは、どこに生きればよいのでしょうか」ということです。

もし異教の要素というものが全く存在しない、いわば「真空領域」というようなものがもはや地上のどこにも無いのだとしたら、わたしたちは「生きる場を失った」、つまり「死ぬしかない」と考えなければならないのでしょうか。

わたしたちの信仰的確信によると、異教とは罪です。しかし、文化そのものは罪でしょうか、芸術は罪でしょうか。いわゆる「俗世間」と呼ばれる何かに対してわたしたちがポジティヴにかかわることは決して許されてはならないことなのでしょうか。キリスト者はそれらのものと常に対立し続ける存在でなければならないのでしょうか。

そうではないはずだということを、ファン・ルーラーは訴えています。この神学者に聞くべきことは多いと、私は信じています。

具体的な提案

最後に、各個教会の伝道の実践に寄与するための具体的な提案をさせていただきます。何の具体性も持たないような「伝道の神学」は概念矛盾です。

しかしまた、これから私が申し上げることの中に、目新しいことはほとんどありません。伝道の新しい方策を私が知っているようなら、松戸小金原教会は今よりもっと成長しているでしょうし、自らの成功例をひっさげて日本キリスト改革派教会と日本の教会全体に向かって大いにアピールしていることでしょう。しかし、そのようなことを私はできていませんし、できません。

第一の提案は、「とにかく〝教会〟を重んじましょう」ということです。わたしたちの主なる神は、「教会を用いて」御自身のみわざを行ってくださるのです。わたしたちが教会において、また教会として行っている奉仕の働きは、それ自体が「神のみわざ」なのです。

第二の提案は、「教会においてこそ、とにかく〝人間〟を重んじましょう」ということです。これを言うと、つまずきを感じるという方がおられるかもしれません。「教会とは、人間を重んじる場所ではなく、神を重んじる場所である」と語るほうが、その方々には納得していただけるかもしれません。しかし、ここでこそ、もう一度思い起こしていただきたいことは、たった今申し上げた「教会は神のみわざである」ということです。

教会においては、神御自身が人間を重んじてくださるのです。神は教会において、教会を通して、わたしたち人間を、神御自身のみわざを推進するための道具として、尊く用いてくださるのです。神がわたしたち人間と「このわたし」を重んじてくださるのですから、神と共に判断すべきわたしたちもまた、〝人間〟 を重んじなければならないのです。

ただし、いま申し上げていることは、わたしたちは「教会に通っている人」だけを重んじるべきであって、それ以外の人々は軽んじるべきであるというような意味ではありません。そのようなことを神がお考えになるだろうかと考えてみるべきです。

そもそも伝道とは、誰に向かってすることでしょうか。わたしたちは、通常の理解によれば、すでに洗礼を受けている人々、すなわち、すでに教会の内側にいる人々に対して「伝道」はしないのです。わたしたちは、いまだに洗礼を受けていない人々、すなわち、いまだ教会の外側にいる人々に対してこそ「伝道」するのです。

事の真相がそうであるという場合に、わたしたちが繰り返し自分自身に問い続けなければならないことは「伝道は嫌味や皮肉や喧嘩腰で可能だろうか」ということです。「俗世間」を一方的に批判し、攻撃するばかりの、常にワサビと辛子を練り合わせたような、辛辣でネガティヴな言葉を重ねることが「伝道」でしょうか。

私には、そのようなやり方で「伝道」は無理だと思われてなりませんので、このことを一つの問いとして、皆さんの前に置いておきます。

第三の提案は、「伝道においてこそ、とにかく〝ノーマルであること〟を重んじましょう」ということです。

ファン・ルーラーの有名な言葉に「我々はキリスト者になるために人間なのではない。人間になるためにキリスト者なのだ」(英訳We are not human in order to become Christian, but we are  Christian in order to become human.)というのがあります。これを別の言葉で言い換えるとしたら、 伝道の目的とは「特殊な人間」を生み出すことではなく、わたしたちが「普通の人間」になることにこそある、ということです。

私は、このファン・ルーラーの命題は非常に正しいものであると信じています。どう間違えても、傲慢の高みに立って「俗世間」を見くだすことが、わたしたちの伝道の目的ではありえないからです。

(2009年10月25日、改革派神学研修所東北教室神学講演会、日本キリスト改革派東仙台教会)

2009年10月21日水曜日

牧師のブロガー化の行き着く先(3)

私が「病床聖餐」ないし「訪問聖餐」の反対者であることについては、ブログ上に一度だけ、「基本的立場と主張」というタイトルをつけた文章の中に書いたことがあります。こういうふうにたくさんの文字の中にちょっとだけ書いておけば、誰の目にもとまらず騒ぎも起きないだろうと思いながら、そっと書きました。しかし、反対の理由はそのとき書いた程度の二、三の点にとどまるものではなく、(ルターを模倣して)95カ条くらいは挙げることができます。それほどまでに私はそれに反対しています。1992年に牧師に任職されて以来「病床聖餐」ないし「訪問聖餐」なることを一度も行ったことはないし、(神学的良心に基づいて)「私は行うことができない」と信じてきました。



2009年10月20日火曜日

牧師のブロガー化の行き着く先(2)

かつて親しい友人と議論する中、彼が次のように言いました。



「説教のほうはインターネットで聴くことができるが、聖餐式はそうは行かない。したがって、我々が日曜日に教会に集まる意味を失わないための鍵は聖餐式である」。



しかし、私はそのような解決策に対して半信半疑です。どちらかといえば疑う気持ちのほうが強い。はっきり言えば否定的です。「そんなふうにウマい具合に事が運ぶだろうか」と首を傾げています。



半信半疑である(はっきり言えば否定的である)理由の一つは、今のトレンドとしての「病床聖餐式」の流行です。あのようなことが流行しているかぎり、聖餐式の意義の強調による問題解決の道はきわめて疑わしいものであると判断せざるをえません。



「病床聖餐式とは何か」ということについての説明は省略しますが、「聖餐式が行われるゆえに、日曜日に教会に人が集まる」というシナリオとは、ちょうど正反対の方向にあるものです。なぜならそれは、聖餐のデリバリーサービスなのですから。「集まる・集める」ベクトルではなく「散る・散らす」ベクトルにあるのが「病床聖餐式」です。



これを明かすと多くの人から嫌われるのでできるだけ書くのを避けてきたのですが、実を言うと、私は「病床聖餐式」の確信的な反対者です。今の流行が去っていくことを心待ちにしています。



私の「病床聖餐反対論」の詳細な内容を親しい人たちは知っていますが、激論を起こしかねないのでこういうところには書かないでおきます。もし個人的にお会いする機会があれば(「もしあれば」です)そのときお話しいたします。逃げも隠れもいたしません。



「病床訪問」が教会役員(牧師、長老、執事)の重要な務めであることは確実です。この点に議論の余地はありません。しかし、それが「病床聖餐式」とセットであることの必然性は全くありません。そのあたりが大抵いつもゴチャ混ぜにされるので、冷静な話ができなくなります。



2009年10月19日月曜日

牧師のブロガー化の行き着く先(1)

「新しい時代の宣教」と題するサイトは、深く広く展開していける自信を持てなくなりましたので廃止しました。



ただ、「インターネット時代の宣教」という点の問題意識を失ったと言っているのではありません。“書かざるをえない衝動”のようなものを感じるときに、随時、この日記に書いていくことにします。



ともかくしきりと考えさせられていることは、言うならば、バランスのとり方のようなことです。



今の「若い人」(※)は、情報のほとんどの部分をインターネットから得ていると言っても過言ではないほどなのです。その人たちにとっては、インターネット内の「公の場」(ブログ、SNSなど)に何も書かないとしたら「何も言っていない」のと同義語なのです。



※日本の教会では70歳くらいの方まで「若い人」と呼ばれることがありますので慎重に言葉を選ぶ必要がありますが、ここでは一応40台くらいまでの人たちのことを言おうとしています。その中には私自身も含めています。



しかし、そのときにこそ考えさせられることは、「教会をブログ化してしまうことができない理由は何か」です。もしそれが何もないとしたら、いわゆる「教会」は不要になります。ブログの書き手と読み手だけで、すべてが成立してしまいます。日曜日に教会堂またはどこかの建物に集まることの意味がもしあるとしても、それはいわゆるインターネット用語で言うところのただの「オフ会」になってしまいます。教会は「情報を得る場」ではなく、純粋に「視認と親睦の場」となります。



しかし、日本の教会の中で昔から(少なくとも私が子どもの頃から)繰り返し使われてきた(が、私は嫌いな)表現は「聞きに行く」です。何のことかといえば、「日曜日に教会の礼拝に出席すること」です。何を「聞きに行く」のかといえば、「牧師の説教」です。つまり、礼拝に出席するとは「牧師の説教を聞きに行くこと」を意味していたというわけです。礼拝の他の要素に関心が無かったのです。賛美歌も祈りも奉仕も交わりも。そういうのはウザいと。今でも「聞きに行く」という言葉をたまに耳にすることがありますので、同じ見方が教会の中で思わず知らず伝承され、再生産されているのだなと感じます。



事実、再生産されているのだと思います。「聞きに行くこと」こそキリスト者が日曜日にすることであると考えてきた人々にとっては、いまは「教会」の存在は不要になってしまっているはずです。なぜなら、パソコンを開きさえすれば、日曜日の朝の数時間を用いて教会堂まで(苦労して)移動して得られるよりもはるかに膨大かつ「正確な」キリスト教に関する情報を得られるからです。賛美歌も祈りも奉仕も交わりも、そのような“ウザい”要素は一切抜きにして、自宅の快適な環境で、ひとりコーヒーでもすすりながら、あるいはベッドに寝そべりながら、「聞きに行くこと」が、インターネットによって可能になってしまったのです。



この趨勢は止められません。止められないからこそ、上記のとおり「バランスのとり方」を考えざるをえなくなります。



私の問いは、「この趨勢の中で牧師は何をすべきか」です。繰り返しいえば、今の「若い人」にとっては、自分のブログを持たない牧師は「何も言っていない」のと同じです。実際たとえば、私がブログやメールを書けない期間が続いたりでもすると「病気にかかられたのですか」と本気で心配していただくことがあるほどです。



だから、牧師もブログを始めざるをえないし、始めた以上続けざるをえない。私がブログを続けているのは、これ、別に、私のひまつぶしではありません。私の言葉を伝えるためにはこの方法以外にはありえない人々が大勢いることが分かっているので、続けているのです。



しかし「牧師のブロガー化」の行き着く先は、日曜日に集まる意味の喪失です。そのことも痛いほど分かっているつもりです。



実際「日曜日に集まる意味など何もない」と考えている人が多いからこそ、日曜日の教会堂はどこも閑散としているのです。日曜日の教会堂が閑散としているのを寂しいと思っているのは牧師も同じです。



このように書くと「別に我々は、牧師に会いに行くために教会に通っているわけではないし、まして牧師を喜ばせるためなどではありえない」という反発を招くだけかもしれませんが(そのような反発を期待したいくらいですが)、もしその要素が完全に否定されるべきなら、牧師は要らないのです。「牧師がいない」という問題で悩み苦しんでいる(いわゆる無牧の)教会の労苦はむなしいものだということになります。



それほど遠くない将来には、パソコンの前に座ってブログを書くだけの牧師(かどうかも分からない人)だけが存在意義を持つようになるでしょう。そのようになって(して)しまってはならないと私自身は(いまだに)信じているので「パソコンの前に座ってブログを書きながら」悩んでいるのです。



2009年10月18日日曜日

わたしの命を守ってくださる方


ヨハネによる福音書8・1~11

「イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。『先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。』イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。』そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者たちは、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。』女が、『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。』」

今日は松戸小金原教会の特別伝道集会です。毎年10月にこの集会を計画し、地域の方々にチラシを配ってご案内させていただいています。今日初めて教会の門をくぐってくださった方々を心から歓迎いたします。どうかよろしくお願いいたします。

さて、今日、皆さんと共に行いたいと願っておりますことは、聖書のみことばを学ぶことです。今お読みしましたのは、新約聖書のヨハネによる福音書8章のみことばです。この個所にはたくさんの人が登場します。まずわたしたちの救い主イエス・キリストが登場いたします。二番目にイエスさまのところにひとりの女性を連れて来た大勢の人たちが登場します。そして三番目にその人々に連れて来られたひとりの女性が登場します。

このときイエスさまがなさっていたことは、エルサレムの神殿の境内で、多くの人々の前で、聖書に基づいて神を信じて生きるとはどのようなことであるかをお話しすることでした。つまり、今ここで私がしていることと同じです。ただし、私は今、立ってお話ししていますが、イエスさまは座ってお話ししておられたと書かれています。

そのイエスさまの前に大勢の人々が、どやどやと押しかけてきました。イエスさまのお話を聞いていた人々ではありません。イエスさまが話しておられるのを多くの人々が静かに聞いているその場所に、その話の邪魔をするために、異様な雰囲気の人々が押しかけてきたのです。

その人々がイエスさまのところに来た目的が6節に書かれています。「イエスを試して、訴える口実を得るために」、つまり、彼らはイエスさまの話を聞く気などさらさら持っておらず、ただイエスさまを試すために、イエスさまを罠にかけるために、その場所に押しかけてきたのです。

そのためにこの人々がしたことは、ひとりの女性を連れてくることでした。連れてくるといっても、「どうぞこちらにおいでください」というような紳士的な態度ではなく、服かあるいは髪の毛かでもつかんで引きずって来るというような乱暴な態度で、女性を引っ張って来たのです。

その女性は「姦通の現場で捕らえられた女」(3節)であったと書かれています。捕らえられたとき、あるいはイエスさまの前に引きずって来られたときに、この女性がどんな姿であったかは書かれていませんので分かりません。もしかしたら裸同然だったかもしれません。どのような連れて来られ方をしたかにもよりますが、多くの人々の前に立たされること自体が、本人にとっても、彼女を見る人々にとっても、耐えられないような姿だったのではないかということは容易に想像がつきます。

連れて来た人々は、得意そうな顔をしていたはずです。現行犯逮捕でしたと。疑いの余地はありませんと。また、この女性が連れて来られたときに、イエスさまのお話を聞いていた人々の中にもその女性の姿を興味津津で眺めた人々もいたはずです。ゴシップ記事に興味が集まることは今に始まったことではなく、いつの時代にもあることです。

そして彼らは言いました。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」

彼らが言っていることは正しいことです。正しすぎるくらい正しい。なるほどたしかにイスラエル社会では、いわゆる姦通罪は重罪でした。法律的には死刑に値するものでした。しかも、この女性は現行犯でした。現場を押さえられたとなると、言い逃れの余地はありません。

この女性を連れて来た人々の言い分としては、こいつは最悪の罪を犯した人間であり、言い逃れの余地もない状態で押さえられたのだから、どんなに乱暴に扱おうと、公衆の面前にさらそうと構いやしないとばかりに、引きずり出したのです。

しかし、彼らの関心は、この女性をどうするかということ自体には無かったということは、先ほど申し上げたとおりです。彼らの関心は、イエスさまを試すことでした。別の言い方をすれば、イエスさまの化けの皮をはがすことでした。このイエスという人は、なんだかきれいごとを言っているようであるが、本当は違うのだと。

そして、そのことは、この現行犯で捕まった、死刑に値する罪を犯した人間をどのように扱うかを見れば分かる。もし「死刑にすればよい」と言えば、このイエスがいつも言っている愛だの罪の赦しだのというきれいごとは、たちまち崩れてしまうであろう。また、「死刑にしてはならない」と言えば、この男もこの女と同罪である。法律を無視し、罪人に加担する、ひどい人間であると告発することができる。さあ、どっちだと、彼らは手ぐすね引いてイエスさまがどう答えるかを待ちわびたのです。

さて、イエスさまの答えは何だったでしょうか。ここには二つのことが書かれています。私はそのように理解します。第一に書かれているのは「イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた」ということです。これがイエスさまの答えであると私は理解します。何も答えていないではないかという見方も、当然ありえます。実際、イエスさまは何も答えておられません。私が申し上げたいことは、要するにそういうことです。つまり、「何も答えない」という答え方があるということです。

イエスさまはしゃがみこまれ、指で地面に何か字を書かれ始めました。何を書かれたのでしょうか。はっきり言いますが全く分かりません。ここにはイエスさまがどんなことをお書きになったかを証明するための根拠は何一つありません。

ところが、実はいくつか説があります。それは、私に言わせていただけば全くデタラメな説です。その中で「こんなことをよく思いついたものだ」と感心しながら読んだ説を、一つだけ紹介します。それは、このときイエスさまがお書きになったのは、旧約聖書の次の御言葉であるというものです。それは「あなたは根拠のないうわさを流してはならない。悪人に加担して、不法を引き起こす証人になってはならない」(出エジプト記23・1)と「罪なき人、正しい人を殺してはならない。わたしは悪人を、正しいとすることはない」(出エジプト23・7)であると。

しかし、これは本当にデタラメな説です。彼女の罪は、現場を押さえられたと言われている以上、疑いの余地のないものだったはずです。彼らは確かなる根拠をもって連れて来たのであり、罪ある人、正しくない人を連れて来たのです。そのことを、詭弁を使って、ごまかしてはいけません。

事実として言えることは、このときイエスさまが何をお書きになっていたかはわたしたちには全く分からないということです。そしてそれに加えて申し上げたいことは、わたしたちはそれを知る必要もないということです。私も今からデタラメなことを言います。最も考えられる可能性として言えることは、おそらくイエスさまは、何か意味のあることをお書きにならなかったのではないかということです。昔のイスラエルに「へのへのもへじ」は無かったと思いますが、それに似たようなことではないでしょうか。そのように考えるほうが、はるかに当たっていると感じます。意味ある言葉を書く必要など全く無かったはずです。彼らを無視すること、相手にしないことこそが、イエスさまの目的であったと思われるのですから。

それどころか、イエスさまは彼らのほうを向いてさえおられません。目を合わせることもしておられません。下を向いて、地面に落書きをされていたのですから。わたしたちなら、アンパンマンの絵でも描いたらいいのです。そのような“抵抗”の仕方が、わたしたちには可能です。

もう一つの点に進みます。今度こそはイエスさまがきちんと口を開いてお答えになった言葉です。彼らがしつこく問い続けるのでイエスさまは身を起こされ、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」とお答えになりました。

このお答えは、これを聞く人々の側でいろんな意味を持ちはじめる言葉だったと思われます。どうとでも解釈できる言葉です。ただし、この場面で直接問題になっていることが姦淫でしたから、その意味で考えた人もいたはずです。「あなたたちの中で、おくさん以外の女性に興味を持ったことが一度もないと言える人がおられるのであれば、どうぞその人から順にこの女性に石を投げて、この女性を打ち殺しなさい」と。

このイエスさまのお答えは「あなたがたに、この女性についてとやかく言う資格がありますか」という逆質問であると理解することも、もちろん可能でしょう。しかし、もう少し深く考えてみる必要がありそうです。なぜなら、ここで問題になっていることは死刑だからです。死刑とは、一人の人間の命を断つことです。「もう二度とこんなことはしません」と反省する余地を与えないことです。そのことを、あなたがたにできますかと、イエスさまは問うておられるのです。ただ単に、どうせあなたたちにもやましいことの一つや二つあるのだから、人を裁く資格などないはずだと言っておられるのとは違うものがあると思われるのです。

ここまでお話ししますと、皆さんの中には、さあこれから関口さんは死刑反対の演説でも始めるのではないかと思われる方がおられるかもしれませんが、今日はそういう話をしたいのではありません。もう少し身近なこと、あるいは日常的なことです。それは、わたしたちが毎日のように体験していることです。

それは、ある人が誰かから責められているときに、どうしたら助けてあげることができるかです。もちろんその場合、責められても仕方がないようなことをした人のことも含まれます。しかし、その人々の中には、死刑にならない場合でも、自分で命を絶とうとする人もいるはずです。責められて、責められて。生きている価値もないと罵られて。周りのすべての人に追い詰められて。

もちろん、わたしたち自身にも、どうしても赦すことができない人がいるという場合もあります。徹底的に責め抜くこと。わたしたちの追及によってその人が追い詰められようと、その先どうなろうとお構いなしに。あるいはまた、わたしたち自身が責められる立場に立つこともあります。長い人生の中で、何度となく。

しかし、そのときに、体を張ってわたしたちの命を守ってくださる方がおられるとしたら、どうでしょうか。イエス・キリストは、この女性の命を守ってくださったのです。悪意に満ちた人々と興味本位の野次馬たちと、このわたし、彼女自身との間に挟まってくださることによって。

彼女もまた、多くの人々の前で罪を暴露された以上、人々が死刑にしなかったとしても、自分で命を断つという道を選んだかもしれません。もし、彼女をかばってくれる人が誰もいなかったとしたら、です。彼女の言い分に耳を傾けてくれる人が一人もいなかったとしたら、です。

私が今日皆さんにお尋ねしたいことは、皆さんは、そのようにして皆さんのことをかばってくれる方を持っておられるでしょうかということです。おくさん、またはだんなさんは、どうでしょうか。子どもさんたちはどうでしょうか。私は別に、皆さんのご家庭に不和をもたらそうとしているわけではありません。けんかしないでください。しかし、家族は最後の最後に頼れますか。頼れるならば、もちろん幸いなことです。しかし、わたしたちが知っている現実は必ずしもそれだけではありません。むしろ決して少なくないケースは、家族の誰かのことで家族全員が第三者から責められる立場に立たされたりすることになるというようなことだったりする。あるいは家庭内に不和があり、互いに責め合うことこそが日常茶飯事になっていたりする。

会社はどうでしょうか。町内会はどうでしょうか。学校時代の同級生や同窓生はどうでしょうか。最後の最後まで皆さんをかばってくれるでしょうか。

私に限ってはそういう人が思い当たりません。友達が少ないなあと思っています。家族は味方してくれると信じていますが、甘いかもしれません。他でもない私自身が家族を傷つけている張本人かもしれませんので。

しかし、私は、それでも生きていくことができます。イエスさまを信じているからです。最後の最後までイエスさまは私をかばってくださると信じているからです。このイエスさまの前で生きているかぎり、ひどい罪を犯すことはできないと自分に言い聞かせることができる。そして私もイエスさまにかばっていただいている者なのだから、責められている人をかばって生きていこうと決心することができます。

困ったときには、どうぞ教会を訪ねてください。皆さんにとって耳触りのよい話ばかりできるわけではありません。罪は罪です。イエスさまがこの女性に最後におっしゃったように「これからはもう罪を犯してはならない」と言わなくてはならない場面もあるでしょう。自分の罪を悔い改めることからしか始めることのできない新しい人生というものがあるのです。

しかし、ひとりで思い詰めないでください。絶望しないでください。生きることをあきらめないでください。わたしには教会があると信じてください。

責める人々の前で、私が地面に何の絵かを描いてみても、それ自体が何の解決にもならないことは分かっています。しかし、皆さんと共にイエスさまが生きておられます。そのことを信じていただくときに必ず道は開けます。イエスさまが皆さんの側に立ってくださり、皆さんの命を守ってくださいます。そのことをどうか信じてください。

(2009年10月18日、松戸小金原教会特別伝道集会)

計画変更です

オランダで2007年より刊行が続いている新訂版『ファン・ルーラー著作集』の未刊分の計画が、このたび大きく変更されました。この件が出版社サイトを通して発表されました。全8巻(11冊)にするとしてきた従来の予定が、全9巻(12冊)になったようです。しかも、第八巻として「説教と黙想」が収録されることになりました。これはとても素晴らしいことです。



巻数を増やすことになった理由は、たぶん間違いなく既刊分(第一巻から第三巻まで)の売れ行きが良いからだと思います。もしかしたら『著作集』の今後の売れ行き次第では、第八巻も二冊ないし三冊くらいまで分冊を出しましょうということになるかもしれません。ぜひそうなってほしいです。



ファン・ルーラーの説教や黙想は存命中から(ある意味、彼の神学以上に)高い評価を与えられてきたというのは、この筋では有名な話です。「『著作集』に説教や黙想を収録する予定はない」と主張してきた従来の出版計画に大いに不満を感じてきただけに、嬉しさひとしおです。



『ファン・ルーラー著作集』全巻タイトル
http://www.aavanruler.nl/index.php?cId=663



Deel 1 De aard van de theologie (prolegomena)
Deel 2 Openbaring en Heilige Schrift
Deel 3 God, schepping, mens, zonde
Deel 4 Christus, Heilige Geest en het heil
Deel 5a en b   Koninkrijk, apostolaat en kerk
Deel 6a en b Politiek, staat en theocratie; Ambt en oecumene
Deel 7 In gesprek: relatie Rome-Reformatie en theologen/filosofen
Deel 8 Preken en meditaties
Deel 9 Register en archiefverwijzingen



2009年10月16日金曜日

バルトとハルナックの論争について

以下は本日、ある牧師に送ったメールの内容です(ブログ公開用に若干修正しました)。



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カール・バルトとアドルフ・フォン・ハルナックの論争を初めて知った場所は、東京神学大学2年生(1985年、19歳)のときに受講した大木英夫先生の「教義学講義」ですので、24年前です。当時は日本語版訳者の水垣渉氏なる方の存在を(名前も)知る由も無かった頃です。



1985年当時は新教出版社版『カール・バルト著作集』既刊巻の初版がだいたい完売した頃だったようで、キリスト教書店の本棚には新刊として第八巻と第十巻が並んでいるだけで、後のすべては非常に入手困難であったことを懐かしく思い起こします。



とくに第一巻は人気があったのか、古本屋で見かけることが滅多に無く、たまに見つけると一万円近い値段がついていたりするシロモノでした。私が持っている第一巻もかなり苦労して古本屋で買ったものです。外の箱がついていないものでしたが、九千円くらいしたはずです。



さて内容に関してですが、先生のおっしゃる「バルトとハルナックのどちらが言っていることも正しい」という点は同感です。ただ、結論の部分に今の私の考えと違うところがあるというか、よく考えてみる必要があると思っている点がありますので、ちょっとだけ書かせていただきます。二点あります。



第一点は、「ただし」以下にお書きになったことです。「どちらも結局、『これが学問的だ』『これが聖霊の導きだ』と言いながら、主観的な言葉に陥っていく危険から逃れられないと思いました」とおっしゃるときの「主観的な言葉」はおそらくネガティヴな意味でおっしゃっているはずです。しかし、「主観的な言葉」のどこが悪いのでしょうか。ここに疑問を感じました。



私の長年の問題意識は「(大学の)学問は客観的なるものであるが、(教会の)信仰は主観的なるものである」→「客観的なるものこそ真理であり、主観的なるものは虚妄である」→「したがって、大学教授になることこそ栄誉であり、田舎牧師のままの一生は悲惨である」という図式をこそ問題にしなければならないというものです。この図式を丸呑みするくらいなら首吊って死ぬ方がましです。



現代思想のトレンドを見ても、純粋な意味での「客観性」を言い張る人々は物笑いのネタにされるのが落ちです。少し目が覚めている人々は「相互主観性」(inter subjectivity)ということを必ず言います。私もそのトレンドに同意しています。



現実に可能なことは、すべての人が「主観的なること」を主張し合うことだけであり、それを互いに調整し合うことによってなるべく普遍的な一致点を見いだしていくしかないのです。その意味ではノーベル物理学賞受賞者の学説も「単なる一つの主観的見解」にすぎません。



第二点は、先生に対する疑問ではなく、引用してくださった岡田稔先生の見解に対する疑問です。



なるほど、岡田先生は『改革派教理学教本』(新教出版社、1969年)で、バルトとハルナックの論争の解決の糸口を「キリストの二性一人格論」に求め、問題解決の模範を四世紀のアウグスティヌスに見いだしています。そして、この岡田先生の解決方法を日本キリスト改革派教会が60年間守り続けて来たのだろうということは、容易に想像できることです。



しかし、この道が問題解決になるとは私にはどうしても思えません。そのように言いうる根拠は以下の二つです。



第一の根拠は、バルト自身がハルナックとの論争後、とくに『教会教義学』の中で求めた道がまさに「キリストの二性一人格論」(「キリスト両性論」でも同じ)における解決であったということです。まさにこの解決方法をこそバルト自身は「キリスト論的集中」(Christological concentration)と呼びましたし、同じことをバルト神学に批判的な人々(この中にファン・ルーラーが含まれます)は「キリスト一元論」(Christ monism)と呼んだのです。



すると、どうなるか。バルト研究者たちは、ハルナックと論争した頃のバルトを「初期バルト」というカテゴリーの中に押し込み、『教会教義学』執筆中のバルト(後期バルト)と区別します。その上で、彼らは次のように説明するでしょう。



「ハルナックとの論争を経たバルトは、キリストの二性一人格論(「キリスト両性論」でも同じ)に信仰と学問との(キリスト教的に)正しい関係を構築するための根拠を見出した。それゆえ岡田氏のバルト批判は当たっていない。アウグスティヌスからカルヴァンへと受け継がれたキリスト教の『キリスト論的な』正統路線は、カール・バルトとバルトの後継者にこそ受け継がれた。的外れな言葉でバルトを批判する岡田氏の一派は、『立場はともかく論は稚拙』である」。



これで岡田説はパーです。



キリストの二性一人格論はバルト‐ハルナック論争の解決にならないと私が考えている第二の根拠は、お察しのとおり、ファン・ルーラーの「キリスト論的視点と聖霊論的視点の構造的差異」についての議論に依拠しています。



キリストの二性一人格論の構造を考えていくと、その「神性」と「人性」は常に対立関係にあるものとしてしか描きだすことができません。しかもその関係のあり方は「受肉」(assumptio carnis)の関係、つまり「永遠のロゴス(言)がサルクス(肉)を摂取した」というものです。そして、その「サルクス(肉)」には、それ自体で自立した「人格」はありません。サルクスは、肉屋に売っている(焼肉の材料と同じ)あの「肉」と同じ物体にすぎません。



すると、どうなるか。「キリストの二性一人格論」に基礎づけられた信仰と学問の関係性は、最終的にはすべての学問を「教会の御用学問」とみなすしか無くなります。もし我々が「サルクスをまとった永遠のロゴス」こそすべての学問が追い求めるべき普遍的な永遠の真理であると考えるならば、です。「神学は諸学の女王であり、諸学は神学の婢である」というあれです。



この論理を神学が抱え込み続けるかぎり、神学の諸学に対する軽蔑心が半ば必然化し、神学者たちを超然化します。「諸学の徒よ、お前らは何も分かっちゃいねえ。我々神学者こそが万物の全真理の把握者である」とでも言いたいかのよう。一種の独裁者(裸の王さま)が教会内を跋扈し続けるでしょう。ともかくこの道は非常に危険なものです。



我々が追い求めるべき道は、「キリスト論的集中」(キリストの二性一人格論への固執)に基づく神学の諸学に対する侮蔑ないし超然化の道(この点ではバルト神学も岡田神学も行き着く先は同じです)ではなく、むしろファン・ルーラーの提案する「三位一体論的・聖霊論的な解決方法」に基づく神学と諸学の共存ないし共生の道であるだろうと、今の私は信じています。



三位一体論的・聖霊論的に考え抜いて行くならば、「神性」と「人性」の関係は対立的な関係ではなく、「友情」にあふれた関係であるということを明らかにすることが可能です。その関係のあり方は「内住」(inhabitatio Spiritus sancti)、つまり「神が人間の内に居まし、人間と共に住んでくださること」なのですから。「友情」(amicitia アミシティア)は、17世紀のヨハネス・コクツェーユスが用いた概念です。