私が「病床聖餐」ないし「訪問聖餐」の反対者であることについては、ブログ上に一度だけ、「基本的立場と主張」というタイトルをつけた文章の中に書いたことがあります。こういうふうにたくさんの文字の中にちょっとだけ書いておけば、誰の目にもとまらず騒ぎも起きないだろうと思いながら、そっと書きました。しかし、反対の理由はそのとき書いた程度の二、三の点にとどまるものではなく、(ルターを模倣して)95カ条くらいは挙げることができます。それほどまでに私はそれに反対しています。1992年に牧師に任職されて以来「病床聖餐」ないし「訪問聖餐」なることを一度も行ったことはないし、(神学的良心に基づいて)「私は行うことができない」と信じてきました。
2009年10月21日水曜日
2009年10月20日火曜日
牧師のブロガー化の行き着く先(2)
かつて親しい友人と議論する中、彼が次のように言いました。
「説教のほうはインターネットで聴くことができるが、聖餐式はそうは行かない。したがって、我々が日曜日に教会に集まる意味を失わないための鍵は聖餐式である」。
しかし、私はそのような解決策に対して半信半疑です。どちらかといえば疑う気持ちのほうが強い。はっきり言えば否定的です。「そんなふうにウマい具合に事が運ぶだろうか」と首を傾げています。
半信半疑である(はっきり言えば否定的である)理由の一つは、今のトレンドとしての「病床聖餐式」の流行です。あのようなことが流行しているかぎり、聖餐式の意義の強調による問題解決の道はきわめて疑わしいものであると判断せざるをえません。
「病床聖餐式とは何か」ということについての説明は省略しますが、「聖餐式が行われるゆえに、日曜日に教会に人が集まる」というシナリオとは、ちょうど正反対の方向にあるものです。なぜならそれは、聖餐のデリバリーサービスなのですから。「集まる・集める」ベクトルではなく「散る・散らす」ベクトルにあるのが「病床聖餐式」です。
これを明かすと多くの人から嫌われるのでできるだけ書くのを避けてきたのですが、実を言うと、私は「病床聖餐式」の確信的な反対者です。今の流行が去っていくことを心待ちにしています。
私の「病床聖餐反対論」の詳細な内容を親しい人たちは知っていますが、激論を起こしかねないのでこういうところには書かないでおきます。もし個人的にお会いする機会があれば(「もしあれば」です)そのときお話しいたします。逃げも隠れもいたしません。
「病床訪問」が教会役員(牧師、長老、執事)の重要な務めであることは確実です。この点に議論の余地はありません。しかし、それが「病床聖餐式」とセットであることの必然性は全くありません。そのあたりが大抵いつもゴチャ混ぜにされるので、冷静な話ができなくなります。
2009年10月19日月曜日
牧師のブロガー化の行き着く先(1)
「新しい時代の宣教」と題するサイトは、深く広く展開していける自信を持てなくなりましたので廃止しました。
ただ、「インターネット時代の宣教」という点の問題意識を失ったと言っているのではありません。“書かざるをえない衝動”のようなものを感じるときに、随時、この日記に書いていくことにします。
ともかくしきりと考えさせられていることは、言うならば、バランスのとり方のようなことです。
今の「若い人」(※)は、情報のほとんどの部分をインターネットから得ていると言っても過言ではないほどなのです。その人たちにとっては、インターネット内の「公の場」(ブログ、SNSなど)に何も書かないとしたら「何も言っていない」のと同義語なのです。
※日本の教会では70歳くらいの方まで「若い人」と呼ばれることがありますので慎重に言葉を選ぶ必要がありますが、ここでは一応40台くらいまでの人たちのことを言おうとしています。その中には私自身も含めています。
しかし、そのときにこそ考えさせられることは、「教会をブログ化してしまうことができない理由は何か」です。もしそれが何もないとしたら、いわゆる「教会」は不要になります。ブログの書き手と読み手だけで、すべてが成立してしまいます。日曜日に教会堂またはどこかの建物に集まることの意味がもしあるとしても、それはいわゆるインターネット用語で言うところのただの「オフ会」になってしまいます。教会は「情報を得る場」ではなく、純粋に「視認と親睦の場」となります。
しかし、日本の教会の中で昔から(少なくとも私が子どもの頃から)繰り返し使われてきた(が、私は嫌いな)表現は「聞きに行く」です。何のことかといえば、「日曜日に教会の礼拝に出席すること」です。何を「聞きに行く」のかといえば、「牧師の説教」です。つまり、礼拝に出席するとは「牧師の説教を聞きに行くこと」を意味していたというわけです。礼拝の他の要素に関心が無かったのです。賛美歌も祈りも奉仕も交わりも。そういうのはウザいと。今でも「聞きに行く」という言葉をたまに耳にすることがありますので、同じ見方が教会の中で思わず知らず伝承され、再生産されているのだなと感じます。
事実、再生産されているのだと思います。「聞きに行くこと」こそキリスト者が日曜日にすることであると考えてきた人々にとっては、いまは「教会」の存在は不要になってしまっているはずです。なぜなら、パソコンを開きさえすれば、日曜日の朝の数時間を用いて教会堂まで(苦労して)移動して得られるよりもはるかに膨大かつ「正確な」キリスト教に関する情報を得られるからです。賛美歌も祈りも奉仕も交わりも、そのような“ウザい”要素は一切抜きにして、自宅の快適な環境で、ひとりコーヒーでもすすりながら、あるいはベッドに寝そべりながら、「聞きに行くこと」が、インターネットによって可能になってしまったのです。
この趨勢は止められません。止められないからこそ、上記のとおり「バランスのとり方」を考えざるをえなくなります。
私の問いは、「この趨勢の中で牧師は何をすべきか」です。繰り返しいえば、今の「若い人」にとっては、自分のブログを持たない牧師は「何も言っていない」のと同じです。実際たとえば、私がブログやメールを書けない期間が続いたりでもすると「病気にかかられたのですか」と本気で心配していただくことがあるほどです。
だから、牧師もブログを始めざるをえないし、始めた以上続けざるをえない。私がブログを続けているのは、これ、別に、私のひまつぶしではありません。私の言葉を伝えるためにはこの方法以外にはありえない人々が大勢いることが分かっているので、続けているのです。
しかし「牧師のブロガー化」の行き着く先は、日曜日に集まる意味の喪失です。そのことも痛いほど分かっているつもりです。
実際「日曜日に集まる意味など何もない」と考えている人が多いからこそ、日曜日の教会堂はどこも閑散としているのです。日曜日の教会堂が閑散としているのを寂しいと思っているのは牧師も同じです。
このように書くと「別に我々は、牧師に会いに行くために教会に通っているわけではないし、まして牧師を喜ばせるためなどではありえない」という反発を招くだけかもしれませんが(そのような反発を期待したいくらいですが)、もしその要素が完全に否定されるべきなら、牧師は要らないのです。「牧師がいない」という問題で悩み苦しんでいる(いわゆる無牧の)教会の労苦はむなしいものだということになります。
それほど遠くない将来には、パソコンの前に座ってブログを書くだけの牧師(かどうかも分からない人)だけが存在意義を持つようになるでしょう。そのようになって(して)しまってはならないと私自身は(いまだに)信じているので「パソコンの前に座ってブログを書きながら」悩んでいるのです。
2009年10月18日日曜日
わたしの命を守ってくださる方
ヨハネによる福音書8・1~11
「イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。『先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。』イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。』そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者たちは、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。』女が、『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。』」
今日は松戸小金原教会の特別伝道集会です。毎年10月にこの集会を計画し、地域の方々にチラシを配ってご案内させていただいています。今日初めて教会の門をくぐってくださった方々を心から歓迎いたします。どうかよろしくお願いいたします。
さて、今日、皆さんと共に行いたいと願っておりますことは、聖書のみことばを学ぶことです。今お読みしましたのは、新約聖書のヨハネによる福音書8章のみことばです。この個所にはたくさんの人が登場します。まずわたしたちの救い主イエス・キリストが登場いたします。二番目にイエスさまのところにひとりの女性を連れて来た大勢の人たちが登場します。そして三番目にその人々に連れて来られたひとりの女性が登場します。
このときイエスさまがなさっていたことは、エルサレムの神殿の境内で、多くの人々の前で、聖書に基づいて神を信じて生きるとはどのようなことであるかをお話しすることでした。つまり、今ここで私がしていることと同じです。ただし、私は今、立ってお話ししていますが、イエスさまは座ってお話ししておられたと書かれています。
そのイエスさまの前に大勢の人々が、どやどやと押しかけてきました。イエスさまのお話を聞いていた人々ではありません。イエスさまが話しておられるのを多くの人々が静かに聞いているその場所に、その話の邪魔をするために、異様な雰囲気の人々が押しかけてきたのです。
その人々がイエスさまのところに来た目的が6節に書かれています。「イエスを試して、訴える口実を得るために」、つまり、彼らはイエスさまの話を聞く気などさらさら持っておらず、ただイエスさまを試すために、イエスさまを罠にかけるために、その場所に押しかけてきたのです。
そのためにこの人々がしたことは、ひとりの女性を連れてくることでした。連れてくるといっても、「どうぞこちらにおいでください」というような紳士的な態度ではなく、服かあるいは髪の毛かでもつかんで引きずって来るというような乱暴な態度で、女性を引っ張って来たのです。
その女性は「姦通の現場で捕らえられた女」(3節)であったと書かれています。捕らえられたとき、あるいはイエスさまの前に引きずって来られたときに、この女性がどんな姿であったかは書かれていませんので分かりません。もしかしたら裸同然だったかもしれません。どのような連れて来られ方をしたかにもよりますが、多くの人々の前に立たされること自体が、本人にとっても、彼女を見る人々にとっても、耐えられないような姿だったのではないかということは容易に想像がつきます。
連れて来た人々は、得意そうな顔をしていたはずです。現行犯逮捕でしたと。疑いの余地はありませんと。また、この女性が連れて来られたときに、イエスさまのお話を聞いていた人々の中にもその女性の姿を興味津津で眺めた人々もいたはずです。ゴシップ記事に興味が集まることは今に始まったことではなく、いつの時代にもあることです。
そして彼らは言いました。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
彼らが言っていることは正しいことです。正しすぎるくらい正しい。なるほどたしかにイスラエル社会では、いわゆる姦通罪は重罪でした。法律的には死刑に値するものでした。しかも、この女性は現行犯でした。現場を押さえられたとなると、言い逃れの余地はありません。
この女性を連れて来た人々の言い分としては、こいつは最悪の罪を犯した人間であり、言い逃れの余地もない状態で押さえられたのだから、どんなに乱暴に扱おうと、公衆の面前にさらそうと構いやしないとばかりに、引きずり出したのです。
しかし、彼らの関心は、この女性をどうするかということ自体には無かったということは、先ほど申し上げたとおりです。彼らの関心は、イエスさまを試すことでした。別の言い方をすれば、イエスさまの化けの皮をはがすことでした。このイエスという人は、なんだかきれいごとを言っているようであるが、本当は違うのだと。
そして、そのことは、この現行犯で捕まった、死刑に値する罪を犯した人間をどのように扱うかを見れば分かる。もし「死刑にすればよい」と言えば、このイエスがいつも言っている愛だの罪の赦しだのというきれいごとは、たちまち崩れてしまうであろう。また、「死刑にしてはならない」と言えば、この男もこの女と同罪である。法律を無視し、罪人に加担する、ひどい人間であると告発することができる。さあ、どっちだと、彼らは手ぐすね引いてイエスさまがどう答えるかを待ちわびたのです。
さて、イエスさまの答えは何だったでしょうか。ここには二つのことが書かれています。私はそのように理解します。第一に書かれているのは「イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた」ということです。これがイエスさまの答えであると私は理解します。何も答えていないではないかという見方も、当然ありえます。実際、イエスさまは何も答えておられません。私が申し上げたいことは、要するにそういうことです。つまり、「何も答えない」という答え方があるということです。
イエスさまはしゃがみこまれ、指で地面に何か字を書かれ始めました。何を書かれたのでしょうか。はっきり言いますが全く分かりません。ここにはイエスさまがどんなことをお書きになったかを証明するための根拠は何一つありません。
ところが、実はいくつか説があります。それは、私に言わせていただけば全くデタラメな説です。その中で「こんなことをよく思いついたものだ」と感心しながら読んだ説を、一つだけ紹介します。それは、このときイエスさまがお書きになったのは、旧約聖書の次の御言葉であるというものです。それは「あなたは根拠のないうわさを流してはならない。悪人に加担して、不法を引き起こす証人になってはならない」(出エジプト記23・1)と「罪なき人、正しい人を殺してはならない。わたしは悪人を、正しいとすることはない」(出エジプト23・7)であると。
しかし、これは本当にデタラメな説です。彼女の罪は、現場を押さえられたと言われている以上、疑いの余地のないものだったはずです。彼らは確かなる根拠をもって連れて来たのであり、罪ある人、正しくない人を連れて来たのです。そのことを、詭弁を使って、ごまかしてはいけません。
事実として言えることは、このときイエスさまが何をお書きになっていたかはわたしたちには全く分からないということです。そしてそれに加えて申し上げたいことは、わたしたちはそれを知る必要もないということです。私も今からデタラメなことを言います。最も考えられる可能性として言えることは、おそらくイエスさまは、何か意味のあることをお書きにならなかったのではないかということです。昔のイスラエルに「へのへのもへじ」は無かったと思いますが、それに似たようなことではないでしょうか。そのように考えるほうが、はるかに当たっていると感じます。意味ある言葉を書く必要など全く無かったはずです。彼らを無視すること、相手にしないことこそが、イエスさまの目的であったと思われるのですから。
それどころか、イエスさまは彼らのほうを向いてさえおられません。目を合わせることもしておられません。下を向いて、地面に落書きをされていたのですから。わたしたちなら、アンパンマンの絵でも描いたらいいのです。そのような“抵抗”の仕方が、わたしたちには可能です。
もう一つの点に進みます。今度こそはイエスさまがきちんと口を開いてお答えになった言葉です。彼らがしつこく問い続けるのでイエスさまは身を起こされ、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」とお答えになりました。
このお答えは、これを聞く人々の側でいろんな意味を持ちはじめる言葉だったと思われます。どうとでも解釈できる言葉です。ただし、この場面で直接問題になっていることが姦淫でしたから、その意味で考えた人もいたはずです。「あなたたちの中で、おくさん以外の女性に興味を持ったことが一度もないと言える人がおられるのであれば、どうぞその人から順にこの女性に石を投げて、この女性を打ち殺しなさい」と。
このイエスさまのお答えは「あなたがたに、この女性についてとやかく言う資格がありますか」という逆質問であると理解することも、もちろん可能でしょう。しかし、もう少し深く考えてみる必要がありそうです。なぜなら、ここで問題になっていることは死刑だからです。死刑とは、一人の人間の命を断つことです。「もう二度とこんなことはしません」と反省する余地を与えないことです。そのことを、あなたがたにできますかと、イエスさまは問うておられるのです。ただ単に、どうせあなたたちにもやましいことの一つや二つあるのだから、人を裁く資格などないはずだと言っておられるのとは違うものがあると思われるのです。
ここまでお話ししますと、皆さんの中には、さあこれから関口さんは死刑反対の演説でも始めるのではないかと思われる方がおられるかもしれませんが、今日はそういう話をしたいのではありません。もう少し身近なこと、あるいは日常的なことです。それは、わたしたちが毎日のように体験していることです。
それは、ある人が誰かから責められているときに、どうしたら助けてあげることができるかです。もちろんその場合、責められても仕方がないようなことをした人のことも含まれます。しかし、その人々の中には、死刑にならない場合でも、自分で命を絶とうとする人もいるはずです。責められて、責められて。生きている価値もないと罵られて。周りのすべての人に追い詰められて。
もちろん、わたしたち自身にも、どうしても赦すことができない人がいるという場合もあります。徹底的に責め抜くこと。わたしたちの追及によってその人が追い詰められようと、その先どうなろうとお構いなしに。あるいはまた、わたしたち自身が責められる立場に立つこともあります。長い人生の中で、何度となく。
しかし、そのときに、体を張ってわたしたちの命を守ってくださる方がおられるとしたら、どうでしょうか。イエス・キリストは、この女性の命を守ってくださったのです。悪意に満ちた人々と興味本位の野次馬たちと、このわたし、彼女自身との間に挟まってくださることによって。
彼女もまた、多くの人々の前で罪を暴露された以上、人々が死刑にしなかったとしても、自分で命を断つという道を選んだかもしれません。もし、彼女をかばってくれる人が誰もいなかったとしたら、です。彼女の言い分に耳を傾けてくれる人が一人もいなかったとしたら、です。
私が今日皆さんにお尋ねしたいことは、皆さんは、そのようにして皆さんのことをかばってくれる方を持っておられるでしょうかということです。おくさん、またはだんなさんは、どうでしょうか。子どもさんたちはどうでしょうか。私は別に、皆さんのご家庭に不和をもたらそうとしているわけではありません。けんかしないでください。しかし、家族は最後の最後に頼れますか。頼れるならば、もちろん幸いなことです。しかし、わたしたちが知っている現実は必ずしもそれだけではありません。むしろ決して少なくないケースは、家族の誰かのことで家族全員が第三者から責められる立場に立たされたりすることになるというようなことだったりする。あるいは家庭内に不和があり、互いに責め合うことこそが日常茶飯事になっていたりする。
会社はどうでしょうか。町内会はどうでしょうか。学校時代の同級生や同窓生はどうでしょうか。最後の最後まで皆さんをかばってくれるでしょうか。
私に限ってはそういう人が思い当たりません。友達が少ないなあと思っています。家族は味方してくれると信じていますが、甘いかもしれません。他でもない私自身が家族を傷つけている張本人かもしれませんので。
しかし、私は、それでも生きていくことができます。イエスさまを信じているからです。最後の最後までイエスさまは私をかばってくださると信じているからです。このイエスさまの前で生きているかぎり、ひどい罪を犯すことはできないと自分に言い聞かせることができる。そして私もイエスさまにかばっていただいている者なのだから、責められている人をかばって生きていこうと決心することができます。
困ったときには、どうぞ教会を訪ねてください。皆さんにとって耳触りのよい話ばかりできるわけではありません。罪は罪です。イエスさまがこの女性に最後におっしゃったように「これからはもう罪を犯してはならない」と言わなくてはならない場面もあるでしょう。自分の罪を悔い改めることからしか始めることのできない新しい人生というものがあるのです。
しかし、ひとりで思い詰めないでください。絶望しないでください。生きることをあきらめないでください。わたしには教会があると信じてください。
責める人々の前で、私が地面に何の絵かを描いてみても、それ自体が何の解決にもならないことは分かっています。しかし、皆さんと共にイエスさまが生きておられます。そのことを信じていただくときに必ず道は開けます。イエスさまが皆さんの側に立ってくださり、皆さんの命を守ってくださいます。そのことをどうか信じてください。
(2009年10月18日、松戸小金原教会特別伝道集会)
計画変更です
オランダで2007年より刊行が続いている新訂版『ファン・ルーラー著作集』の未刊分の計画が、このたび大きく変更されました。この件が出版社サイトを通して発表されました。全8巻(11冊)にするとしてきた従来の予定が、全9巻(12冊)になったようです。しかも、第八巻として「説教と黙想」が収録されることになりました。これはとても素晴らしいことです。
巻数を増やすことになった理由は、たぶん間違いなく既刊分(第一巻から第三巻まで)の売れ行きが良いからだと思います。もしかしたら『著作集』の今後の売れ行き次第では、第八巻も二冊ないし三冊くらいまで分冊を出しましょうということになるかもしれません。ぜひそうなってほしいです。
ファン・ルーラーの説教や黙想は存命中から(ある意味、彼の神学以上に)高い評価を与えられてきたというのは、この筋では有名な話です。「『著作集』に説教や黙想を収録する予定はない」と主張してきた従来の出版計画に大いに不満を感じてきただけに、嬉しさひとしおです。
『ファン・ルーラー著作集』全巻タイトル
http://www.aavanruler.nl/index.php?cId=663
Deel 1 De aard van de theologie (prolegomena)
Deel 2 Openbaring en Heilige Schrift
Deel 3 God, schepping, mens, zonde
Deel 4 Christus, Heilige Geest en het heil
Deel 5a en b Koninkrijk, apostolaat en kerk
Deel 6a en b Politiek, staat en theocratie; Ambt en oecumene
Deel 7 In gesprek: relatie Rome-Reformatie en theologen/filosofen
Deel 8 Preken en meditaties
Deel 9 Register en archiefverwijzingen
2009年10月16日金曜日
バルトとハルナックの論争について
以下は本日、ある牧師に送ったメールの内容です(ブログ公開用に若干修正しました)。
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カール・バルトとアドルフ・フォン・ハルナックの論争を初めて知った場所は、東京神学大学2年生(1985年、19歳)のときに受講した大木英夫先生の「教義学講義」ですので、24年前です。当時は日本語版訳者の水垣渉氏なる方の存在を(名前も)知る由も無かった頃です。
1985年当時は新教出版社版『カール・バルト著作集』既刊巻の初版がだいたい完売した頃だったようで、キリスト教書店の本棚には新刊として第八巻と第十巻が並んでいるだけで、後のすべては非常に入手困難であったことを懐かしく思い起こします。
とくに第一巻は人気があったのか、古本屋で見かけることが滅多に無く、たまに見つけると一万円近い値段がついていたりするシロモノでした。私が持っている第一巻もかなり苦労して古本屋で買ったものです。外の箱がついていないものでしたが、九千円くらいしたはずです。
さて内容に関してですが、先生のおっしゃる「バルトとハルナックのどちらが言っていることも正しい」という点は同感です。ただ、結論の部分に今の私の考えと違うところがあるというか、よく考えてみる必要があると思っている点がありますので、ちょっとだけ書かせていただきます。二点あります。
第一点は、「ただし」以下にお書きになったことです。「どちらも結局、『これが学問的だ』『これが聖霊の導きだ』と言いながら、主観的な言葉に陥っていく危険から逃れられないと思いました」とおっしゃるときの「主観的な言葉」はおそらくネガティヴな意味でおっしゃっているはずです。しかし、「主観的な言葉」のどこが悪いのでしょうか。ここに疑問を感じました。
私の長年の問題意識は「(大学の)学問は客観的なるものであるが、(教会の)信仰は主観的なるものである」→「客観的なるものこそ真理であり、主観的なるものは虚妄である」→「したがって、大学教授になることこそ栄誉であり、田舎牧師のままの一生は悲惨である」という図式をこそ問題にしなければならないというものです。この図式を丸呑みするくらいなら首吊って死ぬ方がましです。
現代思想のトレンドを見ても、純粋な意味での「客観性」を言い張る人々は物笑いのネタにされるのが落ちです。少し目が覚めている人々は「相互主観性」(inter subjectivity)ということを必ず言います。私もそのトレンドに同意しています。
現実に可能なことは、すべての人が「主観的なること」を主張し合うことだけであり、それを互いに調整し合うことによってなるべく普遍的な一致点を見いだしていくしかないのです。その意味ではノーベル物理学賞受賞者の学説も「単なる一つの主観的見解」にすぎません。
第二点は、先生に対する疑問ではなく、引用してくださった岡田稔先生の見解に対する疑問です。
なるほど、岡田先生は『改革派教理学教本』(新教出版社、1969年)で、バルトとハルナックの論争の解決の糸口を「キリストの二性一人格論」に求め、問題解決の模範を四世紀のアウグスティヌスに見いだしています。そして、この岡田先生の解決方法を日本キリスト改革派教会が60年間守り続けて来たのだろうということは、容易に想像できることです。
しかし、この道が問題解決になるとは私にはどうしても思えません。そのように言いうる根拠は以下の二つです。
第一の根拠は、バルト自身がハルナックとの論争後、とくに『教会教義学』の中で求めた道がまさに「キリストの二性一人格論」(「キリスト両性論」でも同じ)における解決であったということです。まさにこの解決方法をこそバルト自身は「キリスト論的集中」(Christological concentration)と呼びましたし、同じことをバルト神学に批判的な人々(この中にファン・ルーラーが含まれます)は「キリスト一元論」(Christ monism)と呼んだのです。
すると、どうなるか。バルト研究者たちは、ハルナックと論争した頃のバルトを「初期バルト」というカテゴリーの中に押し込み、『教会教義学』執筆中のバルト(後期バルト)と区別します。その上で、彼らは次のように説明するでしょう。
「ハルナックとの論争を経たバルトは、キリストの二性一人格論(「キリスト両性論」でも同じ)に信仰と学問との(キリスト教的に)正しい関係を構築するための根拠を見出した。それゆえ岡田氏のバルト批判は当たっていない。アウグスティヌスからカルヴァンへと受け継がれたキリスト教の『キリスト論的な』正統路線は、カール・バルトとバルトの後継者にこそ受け継がれた。的外れな言葉でバルトを批判する岡田氏の一派は、『立場はともかく論は稚拙』である」。
これで岡田説はパーです。
キリストの二性一人格論はバルト‐ハルナック論争の解決にならないと私が考えている第二の根拠は、お察しのとおり、ファン・ルーラーの「キリスト論的視点と聖霊論的視点の構造的差異」についての議論に依拠しています。
キリストの二性一人格論の構造を考えていくと、その「神性」と「人性」は常に対立関係にあるものとしてしか描きだすことができません。しかもその関係のあり方は「受肉」(assumptio carnis)の関係、つまり「永遠のロゴス(言)がサルクス(肉)を摂取した」というものです。そして、その「サルクス(肉)」には、それ自体で自立した「人格」はありません。サルクスは、肉屋に売っている(焼肉の材料と同じ)あの「肉」と同じ物体にすぎません。
すると、どうなるか。「キリストの二性一人格論」に基礎づけられた信仰と学問の関係性は、最終的にはすべての学問を「教会の御用学問」とみなすしか無くなります。もし我々が「サルクスをまとった永遠のロゴス」こそすべての学問が追い求めるべき普遍的な永遠の真理であると考えるならば、です。「神学は諸学の女王であり、諸学は神学の婢である」というあれです。
この論理を神学が抱え込み続けるかぎり、神学の諸学に対する軽蔑心が半ば必然化し、神学者たちを超然化します。「諸学の徒よ、お前らは何も分かっちゃいねえ。我々神学者こそが万物の全真理の把握者である」とでも言いたいかのよう。一種の独裁者(裸の王さま)が教会内を跋扈し続けるでしょう。ともかくこの道は非常に危険なものです。
我々が追い求めるべき道は、「キリスト論的集中」(キリストの二性一人格論への固執)に基づく神学の諸学に対する侮蔑ないし超然化の道(この点ではバルト神学も岡田神学も行き着く先は同じです)ではなく、むしろファン・ルーラーの提案する「三位一体論的・聖霊論的な解決方法」に基づく神学と諸学の共存ないし共生の道であるだろうと、今の私は信じています。
三位一体論的・聖霊論的に考え抜いて行くならば、「神性」と「人性」の関係は対立的な関係ではなく、「友情」にあふれた関係であるということを明らかにすることが可能です。その関係のあり方は「内住」(inhabitatio Spiritus sancti)、つまり「神が人間の内に居まし、人間と共に住んでくださること」なのですから。「友情」(amicitia アミシティア)は、17世紀のヨハネス・コクツェーユスが用いた概念です。
2009年10月15日木曜日
新しい時代の宣教
「新しい時代の宣教」と題するサイトを新設しました。はじめのことばを書きました。
「新しい時代の宣教」URL
http://apostolaat.reformed.jp
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教会の課題としての「新しい時代の宣教」
21世紀になってまもなく10年。この10年間で我々の生活環境は大きな変貌を遂げました。私見によれば、とりわけインターネットの普及が我々にもたらした変化は甚大です。
人間の表現手段の中にこの新しい選択肢が加わったことによって、我々の思想や内的感情のみならず、外面的な生活形態までが良い意味でも、しかし悪い意味でも「変質した」と言わざるをえません。
世界のありとあらゆる情報が、パソコンの前にじっとしたまま全く動かずにいる我々のもとに大量に舞い込んでくる時代になったのですから。「もっと体を動かせ」「外の空気を吸え」と、インターネットを通して教えていただく時代になったのですから。
体を動かさず、外の空気を吸わなくとも、文字や写真や映像などの情報、あるいは著名な思想家の提供する学説や研究成果のほとんどが得られてしまう時代における宗教と教会の役割とは何でしょうか。
この問いは、我々にとって真剣かつ深刻なものでありえます。ここで「我々」とは日本のキリスト教会に仕える者たちです。ぜひ一緒に考えていただけませんか。
2009年10月14日水曜日
ファン・ルーラー研究会結成八周年記念メッセージ
ファン・ルーラー研究会の皆様、
去る2月20日(火)はファン・ルーラー研究会の結成八周年の記念日でした。毎年、同日には記念メッセージを書かせていただいて来ましたが、今年は意図的に、少し遅らせました。
実を言いますと、明日、3月6日(火)に、われわれファン・ルーラー研究会の「顧問」(adviseur)である牧田吉和先生の「神戸改革派神学校教授・校長退任記念最終講義」が、神戸改革派神学校で行われるのです。
牧田先生は、ファン・ルーラー研究会の結成の最初期から、ずっと「顧問」をしてくださいました。神戸改革派神学校では20年間の長きにわたり、校長を務めてこられました。その20年間の後半8年間を、神学校長の激務の中にもかかわらず、われわれファン・ルーラー研究会のご指導をも、喜んで引き受けてくださいました。
わたしがはっきり申し上げることができることは、牧田先生がおられなかったら、ファン・ルーラー研究会は、誕生もしなかったし、八年間も存続し続けることもありえなかった、ということです。
牧田先生はたいへん謙遜な方ですので、「関口さん、そんなこと言わなくてもいいよ」とか何とか言ってくださるような気もするのですが、少なくとも私は、牧田先生の存在を支えにして来ましたし、他の多くの本研究会メンバーも、同じ気持ちであろうと信じています。
牧田先生は、今月、神戸改革派神学校の校長職・教授職を退任され、来月からは高知県にある「日本キリスト改革派山田教会」の牧師になられます。
牧田先生は、牧師に戻られてからもファン・ルーラー研究会の「顧問」であることに変わりはありませんし、いやいや、それどころか、翻訳活動に関しては、これからが本番と考えておられます。
われわれ、ファン・ルーラー研究会の側からすれば、この日(牧田先生の神学校長退任の日!)を心待ちにしていた、という面もあるほどです。
ファン・ルーラー研究会八周年。「八」という数字を見ると、早く「十」にしたいと思うのは私だけでしょうか。まだ一冊の書物もキリスト教書店に並べえていないことを毎年謝罪し、悔いているものですが、「十」の数字を見る頃には驚くべき変貌を遂げていたいと願う今日この頃です。
今年の8月には、われわれの研究会とは姉妹関係にあるアジア・カルヴァン学会主催の「第10回アジア・カルヴァン学会日本大会」が東京で行われます。心から期待し、また応援したいと願っております。
皆様、どうかこれからもよろしくお願いいたします。とくに牧田先生、長年の任務でお疲れのことと思います。くれぐれもご自愛くださいませ。そして、ファン・ルーラー研究会を、これから一層、よろしくお願いいたします。
(2007年3月5日)
ファン・ルーラー研究会結成十周年記念メッセージ
関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)
ファン・ルーラー研究会の皆様、
昨日は本研究会の「結成10周年記念日」でした。そのようなおめでたい日にもかかわらず、夜遅くまで外出しておりましたので(青山学院大学で「カルヴァン生誕500年記念集会実行委員会」を行っていました)、毎年恒例の「メッセージ」を日付が変わるまでの間に、書くことができませんでした。どうかお許しください。
さて、結成10周年の記念としてファン・ルーラーの講義を一つ翻訳しましたので謹んでご紹介いたします。予定論の講義です。おそらくは本邦初訳です。訳文を現在アペルドールン神学大学修士課程留学中の石原知弘先生にチェックしていただきました。石原先生に心より感謝いたします。
ファン・ルーラー研究会、これからも続けていきます。皆さま、どうかよろしくお願いいたします!
(2009年2月21日)
ファン・ルーラー研究会結成九周年記念メッセージ
関口 康 (ファン・ルーラー研究会代表、日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)
ファン・ルーラー研究会の皆様、本日は、研究会結成9周年の記念日です。毎年、記念メッセージを書かせていただいていますので、今年も書きます。
○昨年2007年は、わたしたちにとって大きな動きを感じられた年でした。主な動きは以下のとおりです。
(1)8月には、教文館からファン・ルーラーの三冊目の訳書として『キリスト教会と旧約聖書』(矢澤励太先生訳)が出版されました。この本についての素晴らしい書評を牧田吉和先生が『本のひろば』にお書きになりました。
(2)9月には、二年ぶりとなる我々の研究会の「神学セミナー」を日本基督教団頌栄教会で開催することができました。牧田吉和先生が「ファン・ルーラーの喜びの神学」について力強い講演をしてくださいました。
(3)また同月、アメリカのニューブランズウィック神学校で「国際ファン・ルーラー学会」が開催され、アメリカのファン・ルーラー研究者が一堂に会しました。
(4)さらに同月、ついにオランダで新しい『ファン・ルーラー著作集』の第一巻が出版されました(第二巻は今年4月出版予定です)。その『著作集』第一巻の「編集者序」の中に「日本にファン・ルーラー研究会(Van Ruler Translation Society)がある」ことが大々的に紹介されました。『著作集』で紹介されたということは、それが収められる全世界の大学や神学校の図書館にも、我々の研究会の名前が永久に覚えられることになったことを意味しています。
(5)そして、その『著作集』出版記念祝賀会の席で、ファン・ルーラーの息子さんであるケース・ファン・ルーラーさんが、牧田先生がファン・ルーラー家を訪問されたときのエピソードをオランダの碩学たちの前で紹介してくださいました(その音声がインターネットを通じて世界的に紹介されました)。
○日本語版『ファン・ルーラー著作集』の実現の夢はまだ叶いませんが、コツコツとした活動は、続けています。
(1)たとえば、昨年は、日本キリスト教会神学校の紀要『教会の神学』に栗田英昭先生の「ファン・ルーラーの聖霊論におけるキリストとの神秘的合一」と題する堅実な研究論文が掲載されました。
(2)また私も、神戸改革派神学校の紀要『改革派神学』に「地上における神のみわざとしての教会」という論文を書きました。日本基督教団改革長老教会協議会の『季刊 教会』誌にも「改革派神学・長老主義・喜びの人生」という論文を書きました。
○さらに、我々ファン・ルーラー研究会の少し先輩である「アジア・カルヴァン学会」にも、昨年は大きな動きがありました。
もちろん、言うまでもなく、東京代々木・青少年センターで行われた「第10回日本大会」の開催です。世界最高レベルのカルヴァン学者、ライデン大学のヴィム・ヤンセ教授をメイン講師にお迎えし、日本、韓国、台湾、インドネシアから約100名の参加者が東京に結集しました。
○今年の抱負も少し述べておきたいと思います。現在計画中なのは、念願の日本語版『ファン・ルーラー著作集』への道備えとしてのいくつかのステップです。以下のようなことを計画し、具体的に動きはじめています。
(1)「ファン・ルーラー研究会シリーズ」(仮称)の自費出版(発売元を著名な出版社に依頼する計画です)
(2)著名な雑誌へのファン・ルーラーの訳文(訳注・解説つき)の連載
(3)神学セミナーの開催(これは毎年一回開催を原則としてきたものです。内容・日程等は未定)
(4)なお、今年2008年12月10日(水)は、ファン・ルーラー生誕百年記念日です。当日、アムステルダム自由大学で記念講演会が行われます。メイン講師はユルゲン・モルトマン博士です。日本からも参加できる人がいるとよいのですが。
(5)あとは、オランダ語の翻訳にひたすら取り組むこと、そして同時に、繰り返し問われる「なぜ今、日本でファン・ルーラーなのか」という問題にきちんと答えられるように、我々自身の研究と洞察を深めていくことだと思っています。
○メーリングリストは、このところ少し低調気味ですが、これを「命綱」と感じてくださっている方々もおられることを知っております。ありがたく感謝いたします。
どうかこれからもよろしくお願いいたします。どなたもお元気でお過ごしくださいませ。
(2008年2月20日)