2009年9月6日日曜日
生きた水が川となる
ヨハネによる福音書7・32~39
「ファリサイ派の人々は、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを耳にした。祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを捕らえるために下役たちを遣わした。そこで、イエスは言われた。『今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所へに、あなたたちは来ることができない。』すると、ユダヤ人たちが互いに言った。『わたしたちが見つけることはないとは、いったい、どこへ行くつもりだろう。ギリシア人の間に離散しているユダヤ人たちのところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか。「あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない」と彼は言ったが、その言葉はどういう意味なのか。」祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。」
今日の個所のイエスさまは、まだエルサレムにおられます。先週の個所でイエスさまはエルサレム神殿の境内で説教なさいました。また、説教の内容をめぐって、人々といろんなやりとりをなさいました。そうしましたところ、「人々がイエスを捕らえようとした」(7・30)というのです。この「人々」は、いわゆる群衆のことです。普通の人、一般の人です。イエスさまの命を狙っていたファリサイ派や祭司長や律法学者たちではありません。その彼らがなぜイエスさまのことを捕らえようとしたのでしょうか。これは考えてみる必要がある点です。
思い当たることは、彼らはおそらく非常に腹を立てたのだろうということです。問題点はいくつかあります。第一は、イエスさまが「わたしをお遣わしになった方」と言われるのを聞いたとき、彼らが最初に思い浮かべたのは天地の造り主なる父なる神さま御自身のことだったはずですが、そのとき「まさか、そんなはずはない」と思ったに違いないという点にかかわります。なぜなら彼らは父なる神さまのことを知っていると思っていたからです。わたしたちは聖書を繰り返し学んできたし、神を信じてもいる。それなのに、この人は「あなたたちはその方を知らない」と我々に向かって言い放つ。我々のことを侮辱しているのかと腹を立てたに違いありません。
しかし、理由はそれだけではなさそうです。第二に考えられることは、イエスさまは「学問をしていなかった」からです。この場合の「学問をする」の意味は、エルサレム神殿の律法学校を卒業することであると、先週申しました。そしてそれは、我々が「神学校を卒業する」と言うのと同じ意味であるとも申しました。イエスさまは神学校を卒業していません。そうであるにもかかわらず「わたしをお遣わしになった方」のもとから来たなどと言う。そのことで彼らは腹を立てたに違いありません。
なぜそのようなことに腹が立つのかと言いますと、彼らはおそらく悪い意味での権威主義者だったのです。あの学校を卒業した人の言うことだから間違いない。そうでない人の言葉は信用できない。このような道筋で事柄を把えようとする人々だったのです。だからこそ、イエスさまの説教を聴いた彼らにとって、「あの人は学問をしたわけでもないのに、どうして」という点が問題になったのです。
校長から卒業証書を受け取ってもいない。何かの試験に合格したわけでもない。客観的な意味でこの人が「教師」と呼ばれるための根拠は、どこにもない。だとしたら、この人が「わたしを遣わした方」と言っているのは、ただの思い込みである。しかしこの人は、自分はそうだと言い張る。それならば、この人は嘘つきである。この人を誰も遣わしてなどいない。まして、父なる神が遣わしたなどということはありえない。彼らの心の中にこのような一種独特の三段論法が駆け巡った可能性があるのです。
しかしこのような考え方はやはり、悪い意味での権威主義です。このことは一般論としても言えることです。その人が卒業した学校がその人の価値を決めるわけではありません。その学校を卒業した人のすべてが必ず真理を究めつくした権威者であると思いこむことは、事情を知らなすぎる見方です。あえて変な言い方をしますが、どの学校にも優秀な人とそうでない人が必ずいるものです。勉強するのは自分自身です。学校は勉強の仕方を教えてくれるだけです。極端な言い方をすれば、自分で勉強することができる人は学校になど行かなくてもよいのです。
教会の場合も同じですし、教会こそそのことが当てはまります。自分のことを全く棚に上げて言いますが、神学校の学業成績が優秀だった人々の中にも牧師としては全くふさわしくないと判断される人々がいます。逆も然り。成績が悪かった人の中にも立派な牧師はたくさんいます。あの学校を卒業した人だから、何々先生の弟子だから、絶対に間違いないなどということは全くありえないのです。
話がまた脱線しかかっています。私はいま、イエスさまのことを考えております。「学問をしたわけでもないのに、どうして」と疑惑の目がイエスさまに向けられました。わたしをお遣わしになった方のもとから来たと言い張るこの人は嘘つきであると、腹を立てられ、捕まえられそうになりました。イエスさまがそのような目に遭われたのは、イエスさまが悪いわけではなく、イエスさまをそのように見た人々の価値観、とくにその権威主義的な意識感覚に問題があったに違いないと申し上げているのです。
しかし、イエスさまがおっしゃっていることは嘘でも何でもなく、まさに真理であり、真実でした。そして、これはイエスさまだけに当てはまる真理であり真実であるというだけではなく、イエスさまの体なる教会にかかわるすべての事柄にも当てはまることなのです。
たとえば、教会とは誰のものでしょうか。牧師の所有物(もの)でしょうか、長老や執事のものでしょうか、会員一人一人のものでしょうか。「そうでもある」と答えたい気持ちが私にはありますが、そのように決して語ってはならない場面があると思っています。教会は、人間のものではありません。神御自身のものであり、神の御子イエス・キリストのものです。
教会がこの地上でなすすべてのわざは、誰が行うのでしょうか。「それは我々人間自身でもある」と私自身は声を大にして言いたいところを持っていますが、このことも我慢しなければなりません。教会が行うすべてのわざは、神御自身のわざです。わたしたちは神の道具になることに徹する必要があります。
いまここで私がしている説教とは、なんでしょうか。「これは関口さんのお話である」と思われても仕方ない面があることを私自身は否定しません。しかしそれでもなお、わたしたちが信じなければならないことがあります。説教とは、本質的に神御自身の言葉なのです。説教者もまた、神の道具になりきる必要があるのです。
ですから、説教者としてのイエスさまが父なる神さまのことを「わたしを遣わした方」とお呼びになったことは、イエスさまだけに許された特別な言葉遣いであるわけではなく、この宗教にかかわるすべての人に許されているし、そのように語ることを命じられていることでさえあるのです。
しかし、彼らはイエスさまの言葉を受け入れることができませんでした。嘘を言っていると思ったか、あるいは芝居がかったきれいごとを言っているとでも思ったか、ともかく現実味のない話であると聞いたのです。だから彼らはイエスさまが「わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない」(34節)とおっしゃった言葉を聴いて「ギリシア人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか」と、つまり外国旅行でもするつもりなのかと誤解したのです。宗教的な話を聴いても、それを宗教的な次元で捉えることができなかったのです。
イエスさまが「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない」(7・33~34)とおっしゃった意味を、わたしたち自身は知っています。イエスさまは死ぬ覚悟をなさったのです。その言葉を、外国旅行に行くつもりなのかと全く違う意味で聞かれてしまったのです。イエスさまの言葉をなかなか理解できない人々の姿が、ここに描き出されています。
イエスさまは、祭りの最終日に大声で言われました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(7・37~38)。
この御言葉もまた、宗教的な次元の事柄としてとらえる必要があります。「生きた水」とは“霊”のこと、つまり「聖霊」のことであると説明されています。そしてそれは同時に、聖霊なる神がわたしたちに与えてくださる「信仰」のことです。イエス・キリストが十字架にかかって死んでくださり、三日目によみがえってくださった後に、天の父なる神のみもとにお戻りになりました。そしてその後、イエス・キリストを信じる弟子たちのうえに聖霊が注がれました。その聖霊が「生きた水」となってわたしたちの心に信仰を呼び起こしてくださいました。そして信仰はわたしたちの内から溢れだし、川となってとうとうと流れ続けるのです。
「川」とは継続性と広がりのイメージです。これはわたしたちの信仰生活や教会の伝道を指しています。信仰は一瞬で終わるものではなく、継続的なものです。わたしたちの信仰は神から恵みとして与えられ続けるものなのです。
「イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかった」とあります。「イエスが栄光を受ける」の意味は、十字架の上で全人類の罪を贖うみわざを成し遂げられ、かつ、そのイエスさまを父なる神が復活させてくださることを指しています。イエスさまの栄光とは、すなわち、わたしたち罪人の身代わりに死ぬこと、死んでくださることなのです。しかしまたイエスさまが天に昇られたあと、イエスさまの代わりに聖霊なる神が地上に来てくださり、信仰をもって生きる人々の心の中に住み込んでくださるのです。
ですから、イエスさまが目に見えない存在になられた後も弟子たちは寂しくはありませんでした。聖霊の助けによって力強くイエス・キリストの御言葉を宣べ伝え、教会を建て上げていきました。
「生きた水が川となる」とは、それらすべてを指しています。もちろんそれはわたしたちにも当てはまります。松戸小金原教会が来年30周年を迎えます。「生きた水」としての聖霊がわたしたちの教会を導いてくださいました。この地に30年間、一度も尽きることの無い「川」を流し続けてくださいました。そのようにして、信仰者の群れを守り続けてくださったのです。そのことを神に感謝したいと思います。
(2009年9月6日、松戸小金原教会主日礼拝)
はじめのことば
「『キリスト教民主党』研究」の「はじめのことば」を書きました。
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はじめのことば
関口 康
日本国内で「キリスト教民主党」(Christian Democratic Party)を云々することがどれほど困難で危険を伴うことであり、また、どれほど虚しさや惨めさが漂う取り組みであるかは、よく分かっているつもりです。
そして、そのようなものがわが国に生まれる可能性というような次元に至っては、どれほど早くても半世紀ないし一世紀以上先のことであるという点も明言しておかねばならないほどです。
しかし、国際社会に目を転じてみますと、「キリスト教民主党」を名乗る政党が世界80数か国に存在し、力強い活動を続けていることが分かります(「世界のキリスト教民主党一覧」参照)。なかでもオランダとドイツの「キリスト教民主党」は、現在の政権与党を担当していることで特に有名です。
これで分かることは、「キリスト教民主党」という具体的な形式をもってのキリスト者の政治参加(Christian Political Engagement)は、理論上の空想にすぎないものではなく、世界史の過去と現在において多くの実践事例があるということ、平たく言えば、成功と失敗の歴史があるということです。
そして私がしきりに考えさせられていることは、日本におけるキリスト者の社会的発言と実践の目標は何なのかということです。どうしたらこの国の政治の場に、わたしたちキリスト者の声が、歪められることなく正しく届くのでしょうか。
「教会は政治問題を扱う場ではない」と語られることが多くなった昨今、それではキリスト者は、いつ、どこで、どのようにして政治に参加すべきでしょうか。
それとも、そもそも「キリスト者としての政治参加」(Political Engaging as a Christian)ということ自体がもはや無理なことであり、今日においては時代遅れであると言われなければならないのでしょうか。我々が「キリスト者として」立ちうるのはもっぱら教会の内部だけであり、せいぜい日曜日の朝の一時間だけである。社会と政治の場においては、中立者のふりでもして、自分の信仰を押し隠して立つというような、世事に長けた使い分けをするほうがよいでしょうか。あるいは、「素人どもは黙って手をこまねいていなさい。どうせ歯が立ちっこないのだから」というご丁寧なアドバイスに聞き従うべきでしょうか。
あなたに謹んでお尋ねしたいのは、このあたりのことです。
「キリスト教民主党」について誰かが、ただ《研究》するだけで、わが国にもそのような政党が即座に誕生するというようなことがたとえ奇跡としてでも起こりうるのであれば、誰も苦労しません。私自身はそのようなことは夢想だにしておりませんので、どうかご安心ください。
しかし、《研究》そのものは、誰にでも、そして今すぐにでも始めることができます。とにかく誰かが研究し続けているということが重要です。同じテーマについての先行の研究者たちを批判する意図などは皆無です。どのような協力でもさせていただきますので、お気軽にご連絡いただけますとうれしいです。
なお、このサイトはこのたび全く新規に開設したものというわけではなく、「ファン・ルーラー研究会」や「信仰と実践」(廃止)という名前のサイトで公開してきた政治ジャンルの情報提供サイトを引き継ぐものです。また、「キリスト教民主党」と「改革派教義学」は姉妹関係にあります。両者の歴史的かつ思想的な相互関係はそのうち明らかにしていきます。古くからお付き合いいただいている方々には、これからもお世話になりたく願っております。
2009年9月5日土曜日
「キリスト教民主党」研究(4)
たった今、私のブログにコメントが付きました。いわく、「キリスト教を使った侵略者は国外退去」だそうです。そのコメントは、即刻削除しました。
この種の誤解や馬鹿らしい中傷誹謗に、いちいち答えていくことはできません。それをやりはじめると、この国のほとんど1億人ほどの人々を相手にしなくてはならなくなり、その状態が少なくともあと百年は続くでしょう。その苦痛たるやローマのコロシアムでライオンの前に立たされた初代のキリスト者たちと同じか、それ以上でしょう。それに耐えられる人間は、たぶんいません。
インターネット上の中傷誹謗には、人をとことん追いつめるものがあります。日本ではキリスト者として社会的発言をするだけで、なんと「キリスト教を使った侵略者」扱いですから。やれやれです。
「キリスト教民主党」研究(3)
政治の話題をもう一つ。
ちょうどぴったり一年前の今日のことだったと今気づいたのですが、2008年9月4日(木)に「『46週間内閣』の謎」という一文を、このブログに書きました。「安倍内閣メールマガジン」と「福田内閣メールマガジン」がいずれもキッカリ「第46号」をもって終了したことに奇妙な一致を感じ、思わず書いてしまったものです。
もっとも、一年前に私が書いた内容は、半分以上ジョークでしたが、カルト団体がしばしば用いる「謀略説」の一種でしたので(「UFOはナチスの残党が作ったものである」とか「世界のすべてはユダヤ金脈によって牛耳られている」といったたぐいの言説)、「実に恥ずかしいことを書いたものだ」と苦にしながら、「ま、いいか」と放置したままでした。
ところが、です。昨日届いた「麻生内閣メールマガジン」の最終号がなんと「第44号」でした。きっかり46週間というわけではありませんでしたが、わずか二週間違い。ここまで来ると、謀略説、俄然有利です。「フィクサーは誰か。出てこい悪党!」と言いたくなります。
しかし、しかし。謀略説はお詫びして取り下げたいと思います。一年前に「フィクサー」(って・・・)を疑った人物は、違っていたようですから。
今回の選挙に大きな意味を感じた一つは、「公明党」の大敗ならびに与党からの転落、そして「幸福なんとか党」に一議席も与えなかったことです。
私自身は「宗教多元主義」という呼び名で知られる有名な立場、すなわち「あの富士山も、静岡県側から登ろうと、山梨県側から登ろうと、頂上では皆同じである。宗教も、どれを選択しようと、何も信じなかろうと、結果は同じである」とする立場に賛成することができません。正しい宗教的理念に立って政治的に行動する人々がいることを応援する気持ちさえあります。そのため、宗教政党ないし“教会政党”としての「キリスト教政党」の存在を否定することができません。もし日本に「キリスト教政党」が誕生した日には心から喜んで支持したいと思っています。
しかし、そのことと「政治のカルト化」は全く別のことです。わが国の多くの人々に願うことは、「カルト」と「宗教」をどうかきちんと区別していただきたいということです。この区別をなかなかしていただけないことが「キリスト教政党」について真面目に議論することを困難にしている大きな理由にもなっています。
最近は、中学生くらいになっても「神社」と「寺」の違いも知らないという子どもたちが増えているようです。「牧師」と「神父」の違いなど知る由もないといった具合です。だからこそカルトの出る幕があると言えるのか(我々としてはますます警戒心を強めなければならないのか)、それともカルト自身も行き悩んでいるのか(少しは安心してよいのか)は、まだよく分かりません。
2009年9月4日金曜日
「キリスト教民主党」研究(2)
一昨日の「『キリスト教民主党』研究」という文章に、もう少しだけ付言しておきます。
たった今知ったことなのですが、今月18日にバルト神学受容史研究会というグループの編集による『日本におけるカール・バルト 敗戦までの受容史の諸断面』(新教出版社、2009年)という本が発売されるようです。素晴らしいことだと、感動しました。これはぜひ買われ、読まれるべき書物です。まだ手に取って見たわけではありませんが、今からお勧めしたいと思います。
バルト神学受容史研究会編
『日本におけるカール・バルト 敗戦までの受容史の諸断面』(新教出版社、2009年)
http://www.shinkyo-pb.com/post-1031.php
一昨日書いたことも、まさにこの「日本におけるバルト神学受容の歴史」という問題にストレートにかかわることなのです。これは逆説であり皮肉でもあるのですが、「20世紀最大の神学者」にして「反ナチ教会闘争の理論的指導者」とまで言われた「社会派キリスト者のスター」であるカール・バルトがその神学思想によって現代のキリスト教会に残した結果は、「教会の政治的無効化ないし無能化」でした。今や「教会の預言者的な叫び声」など誰の耳にも届かないし、関心ももたれません。
もちろん「キリスト教だの教会だの牧師だのというようなものには、どうか引っこんでいてもらいたい。あのような連中は放っておくと面倒なことになるので、何とかして政治的・社会的に無効化ないし無能化しておかなければならない」とでも願っている方々はバルト神学をどうぞいつまでも信奉し続けてください。あるいは「現時点でそういう結果になっていることの責任はバルト自身には無く、もろもろのバルト主義者たちが悪かったのだ」とでも言って、どうぞあなたの尊敬する教父をかばい続けてください。しかし、私はそういうあなたに全くついて行くことができません。
この問題の重要性の大きさたるや、もしこれを無視するならば、すなわち、この問題が含む重大な問いかけに我々自身が真剣に取り組むことなく、未来を切り開くべく努力することも怠るならば、日本の神学の寿命はあと二十年ももたないのではないかと思うほどです。
そして「神学の死」は「教会の霊的生命の死」を意味します。教会の立派な建物は残るでしょうし、何らかの集会も残るでしょう。「いっそ神学(シンガク)などという質草にならないものには死んでもらったほうが、集会の人数が増えてくれてよいのだが」という正直で真っ当な意見があることも知っています。しかしだからといって譲るつもりはありません。「神学の死」は「教会の死」です。「神学を殺すこと」は「教会を殺すこと」です。神学なき説教、あるいは「神学が杜撰(ずさん)な教会」に苦しめられた過去の日々には、もう戻りたくありません。
しかし、同時に言わなければならないことは、現在の我々がまさに真剣に取り組むべき課題は、疑いなく日本のキリスト教界に最も大きな影響を与えてきたカール・バルトの神学の問題点を鋭く見抜いた上で、「バルト神学」そのものと「日本におけるバルト受容史」とを徹底的かつ全面的に「歴史化」すること、すなわち「過去のものとすること」です。
それはちょうど、前世紀の初頭のバルトが19世紀の神学的巨頭シュライアマッハー(Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher [1768-1834])を「過去のものとした」のと同じことです。今度はバルト自身が、そして彼の神学そのものが「過去のものとされる」番です。
「バルトなどとっくの昔に『過去のもの』になっているではないか。何を今さら」と言われるかもしれませんが本当にそうでしょうか。「カール・バルトという妖怪」が、いつまでも日本の教会に徘徊し続けているのではないでしょうか。あの「神学者」が、あの牧師が、あの教会が、大きな力を持ち続けているかぎり、そう判断せざるをえません。
2009年9月3日木曜日
信仰の道を共に歩もう
ブログを使い始めた頃はこれを「伝道」のために用いるつもりなどは全く無かったのですが、結局私の関心は「伝道」へと向かっていくようだということを改めて自覚させられます。
信仰の人生とはどうしてこれほどまでに楽しく愉快なものなのかと日々感嘆している人間(私)が、この楽しさを何とかして多くの人々に伝えたいと願っているこの気持ちには偽りも揺らぎもありません。
そんな私ですので、どこに何を書いても、結局「伝道」になっていくようです。
ブログのトップページに長らく「リフォームド / プロテスタント ウェブライブラリー」といういかにも適当に(いいかげんに)考えた大仰な名前をつけてきましたが、このたび大きく路線を変更し、「信仰の道を共に歩もう」という名前にしました。
信仰の道を共に歩もう
http://www.reformed.jp/
くどいようですが、私のブログがこんなふうなものになっていくことを当初は全く予想も期待もしていませんでした。自分でも何がしたいのか、どういうことを目指しているのかが分かっていませんでした。
しかし私は今や、おそらく頭の天辺からつま先まで「牧師」なのです。これ以外の何も私にはできそうもありません。どんなに辛い日々が待ち受けていようとも、なんとか耐えていきます。
「キリスト教民主党」研究(1)
わが国に「民主党政権」が誕生したことに触発されて何か新しいことを始めたくなりました。手始めに「『キリスト教民主党』研究」というサイトを新設しました。そして、そのトップページに「世界のキリスト教民主党一覧」をアップしました。日本国内にこの種の情報はほとんど皆無ですので、「こんなにたくさんあったのか」と驚かれる方が多いのではないでしょうか。
「キリスト教民主党」研究(新設)
http://cdp.reformed.jp/
キリスト者がきわめて少数であるわが国に、公党としての「キリスト教民主党」が誕生するのは、たとえどれほど強く願ったとしても、半世紀か一世紀以上先のことでしょう。しかし、ただ手をこまねいているというのでは、無策のそしりを免れないでしょう。誰かが何かを始めなければ、どんなに小さくても何らかのアクションを起こさなければ、永久に何も生まれないでしょう。
日本の特にプロテスタント教会が「キリスト教政党」を求めてこなかった(あるいは意図的に拒否してきた)理由は必ずしも明らかにされてきませんでした。もちろん単純に「キリスト者の数が少なすぎて為すすべがなかった」と言えばそれまでであり、説得力もあります。実際、日本のキリスト者の多くは「キリスト教政党」という言葉を聞くとジョークだと思って腹を抱えてゲラゲラ笑いだすのです。そのような現実があることを私は知っています。
しかし、数の問題以上に思想的ないし「神学的な」理由もあったと思われます。少なくともその一つにバルト神学の圧倒的な影響を数えなければならないと私は考えています。
「キリスト教政党」の成立の要件は、「神学」(theologia)以上に「キリスト教哲学」(philosophia christiana)です。換言すれば、「キリスト教」(christiana)と「哲学」(philosophia)との《順接的》関係性の確保です。そのとき我々に問われることは、教会の外(extra ecclesiae)なる「世界」(mundum)における政治、経済、文化、教育、芸術といった一般的・普遍的な事柄を「キリスト教へと改宗した人間であるならば」どのように見、どのように態度決定するのかです。
ところがバルトは「キリスト教哲学」を全面的に退けました。次のように述べています。「キリスト教哲学(philosophia christiana)は事実上、いまだかつて決して現実のことであったためしはなかった。それが哲学(philosophia)であったなら、それはキリスト教的(christiana)ではなかった。それがキリスト教的(christiana)であったら、それは哲学(philosophia)ではなかった。」
(Karl Barth, Kirchliche Dogmatik, I/1, S. 5 カール・バルト著『教会教義学』第一巻第一分冊、原著5ページ)
今はこれ以上詳述できませんが、書きとめておきたいことは、このバルトの神学的思惟の呪縛から解放されないかぎり、日本に(公党としての)「キリスト教政党」が誕生する日が訪れることは永久にありえないだろうということです。
バルトにおいて「キリスト教」と「哲学」との関係性は《逆接的》ないし対立的なものとしてしか描かれません。彼にとって「キリスト教」とは(『ローマ書講解』から『教会教義学』に至るまで一貫して)永久に「数学的点」であるところの「イエス・キリストにおける神の自己啓示」のみにとどまり続けるのであって、決して「線」にも「面」にもなっていきません。したがって、それが「世界」において形態(ゲシュタルト)を獲得することもありえないのです。
日本で「キリスト教政党」の問題に取り組むためには、このバルトの問いかけを回避できません。「キリスト教」と「哲学」との関係は、バルトが示唆したように、ただ逆接的・対立的なものでしかありえないのでしょうか。キリスト者である人間は「世界」に対して批判的・攻撃的なスタンスしか採りえないのでしょうか。この難問が我々の喉元に突き付けられています。
なお、新サイト開設に伴い、従来サイトの一つのURLを変更しました。
関口 康 小説(URL変更)
http://ysekiguchi.reformed.jp/novel.html
2009年9月2日水曜日
復活の光(2008年)
「まず最初に胃を膨らませる薬。そのあとバリウムね。」
生まれて初めての経験てのは恐ろしい。言われるままにするしかなかろう。
「金具のついた服は脱いでください。」
「・・・はい。」
ベルトのバックルは金具だ。ここでズボン脱ぐの?
「棚の上の籠の中のを穿いて。」
パジャマのズボンだ。しわくちゃだ。
「穿きました。」
「じゃ、これ飲んで。」
ん?結構飲めるぞ。お腹がすいてるからかな。豆乳のようだ。ちょっと冷たいし。
「では、レントゲン室に入ってください。」
前の人が出てきた。次に僕が入る。ガラス張りの部屋の扉が閉まる。
SCENE002 寝坊
「お父さん!お父さん!遅刻する!」
・・・ナ、何だあ?・・・あ、いけね!
「うわ!ごめん、ごめん。寝坊しちゃった!」
「何か食べていかなきゃ。何か買ってきてある?」
やべ、また買い忘れた。
でも食パンはまだ二、三枚残っている。昨日の朝は食パンじゃなかったはずだし(どうだっけ?)。
「これをトーストして、ハムとチーズを載せよう。それでいいな。」
「うん、分かった。」
「トイレ行って歯磨きしたら、車で学校まで送ってやる。早く準備しろ。」
「はい。」
今夜の献立は何にしようか。
SCENE003 買い物
昨日も来たスーパーの中を今日も歩いている僕。大根の前にしゃがんでいる女性店員の横を通過。
「いらっしゃいませー。」ハイハイ、いらっしゃいましたー・・・。
この時間に男性の客はいない。目立ってるのかなあ。まあ、そんなことに誰も関心ないか。
買い物と言っても昼に食べるものだけだ。
ごはんはもうすぐ炊ける。レトルトカレーでいいや。いざというとき用に、四つほど買い込んでおこう。
夕食の材料は、またあとで買いに来なければ。昨日と同じメニューじゃ、子どもたちがかわいそうだ。
それから、ペットボトルのウーロン茶。
今日は温かい。子どもたちが帰ってきたら「のどが渇いたよお」と言うだろうから、2リットル。
お、レジに男性が並んでいる。75才というところか。
「1230円でございます。それでは、2030円お預かりいたします。800円おつりでございます。
ありがとうございました。またお越しくださいませー。」
毎日来てるよー!
・・・最近、ひとりごとばっかり言ってるよ、オレ。
SCENE004 結婚指輪と片頭痛
僕の日課は定まらない。名刺には「哲学者」と書いてみたいのだが、小説家のようなイベント屋のような仕事に不定期で取り組んでいる。会社勤めはしたことがない(ことにしている)。
それでも一つだけ決まっていることがある。朝起きるとすぐに結婚指輪をはめ、夜眠る前に外すことだ。
指輪の内側には二人の名前が書いてある。ノビタとシズカ(ウソ)。しばらくサイズが合わなくなっていたが、数年前にダイエット大作戦を敢行してからは、爪楊枝が二本入る余裕ができた。右手でくるくる回すことだってできる。
「そう。」
もう一つ日課があった。
最近、片頭痛がひどい。薬局で買える頭痛薬を飴玉のように口に放り込む癖がついた。一種の薬物依存だ。
原因は分かっている。僕は今、深い暗闇の前に立っている。
SCENE005 深い暗闇
深い暗闇とは何か。答えが分かるなら、それは暗闇ではないのだ。
不気味ではある。何かとんでもないものが僕を待ち受けている。
被害妄想ではない。生傷はすでにある。
強いて名づけるとしたら「現実という名の暴力」。
しかし、無理しても耐えて行こうと思う。行く先は他にはない。
まあ何とかなるだろう。道はないかもしれないが地面はありそうだ。
温泉に興味はないが風呂につかれば安眠もできる。
生温かい血が、僕の中をゆっくりと流れている。
根拠なき勇気なら、誰にも負けない。
SCENE006 帰宅
ギ・・・。
「ただいまー。」
「あ!おかえり。ど?」
「にゃ、別に。」
「そ。ま、おつかれ。」
「ん。」
「ねる?」
「ん。あ、駅前でパン買ったけど。食べる?」
「お、ありがと。一緒に食べよか。」
「・・・。」
振り向くと、もう夢の中。
ホント、お疲れさま・・・。
SCENE007 復活のひかり
少しずつ少しずつ、確実に時間が流れている。
さびしい。
賑やかなところが好きなわけではない。
「あなた」を独り占めしたいだけだ。
でも、叶わない。しばらくのあいだは。
「しばらくのあいだは」? そうだ!!
僕は必ずまた立ち上がる。
死ぬまでにしなければならないことがある。
動け、指。動け、足。お願いだから。
脳からの命令に反応してくれ。
僕に残された日は、限られている。
SCENE008 傷心
198X年、第三京浜。横浜に向けて時速17Xキロで疾走中。
「・・・やばいな。」
アクセルをゆるめる。助手席には僕より背の高い、五歳上の女性。
何の感情もない。ありえない。あるのは違和感と、冷え切った手足。
前の夜、僕はひとりで泣いていた。察してくれたようだった。
自動車を近くの駐車場にとめ、コンサート会場まで歩いた。
僕は左。「恥ずかしい」という感情が芽生え、二歩ほど離れて。
顔を直視できなかった。
SCENE009 口笛
それでもその日、女性は恩人になった。
転機は三ヶ月後に訪れた。
富士山は見えなかった。バックミラーの中に「あなた」がいた。
隣から話しかけてくる友人の声は耳に入らなかった。うるさいよ。
僕は心の中で口笛を吹いていた。
下り坂のワインディングロードに沿って巧みにハンドルを操る。
アクセルも、ブレーキも、そっとやさしく、やわらかに。
夕方、10円玉を30個つかんで電話ボックスに駆け込む。
よし、また会える。
SCENE010 大雪の翌日
申し訳ないことに、雪が嫌いだ。
良い思い出がひとつもない。あのことも、このことも、雪の日に起きた。
右足に軽い障碍が残っている。最初で最後のスキーで捻挫したからだ。
交差点を曲がり切れず、後輪が大破したこともある。チェーンは面倒くさい。
上り坂を自動車ごと後ずさりしたこともある。渋滞中だったので冷や汗をかいた。
でも、こんなのは大したことじゃない。
透きとおった人と初めて出会ったのは大雪の翌日だった。
雪はずるい。
うっかりボルテージが急激にピークまで上がってしまったではないか。
人があれほど美しいものかと。
「赤いマフラーが僕を狂わせたんだよな。」
今はそう思うことにしている。
『改革派教義学教本』改訂委員会(仮称)設置の提案
「『改革派教義学教本』改訂委員会(仮称)の設置」を提案いたします。ただしこの「提案」を持ち込む先がまだ見つかりません。しかし、日本の教会の「神学的再生」を求めていくならば結局こういうことに至らざるをえないと信じています。私自身はこの仕事のためならこの命をささげてもよいと思っています。この一事のために涙をこらえて苦心してきました。この件に限ってはある程度ファナティックであることを認めます。しかし「あなたにこの仕事はふさわしくない」と言われるならば、引き下がります。私などよりもっとふさわしい人にお委ねいたします。その方々の仕事を遠くから静かに見守らせていただきます。
改革派教義学の「改訂」の流れ(要旨)
http://dogmatics.reformed.jp/prologue.html
2009年9月1日火曜日
民主党に期待します
土肥隆一氏の当選を新聞で確認しました。土肥氏は現在日本で唯一の、牧師の国会議員です。また参議院議長の江田五月氏のことは、社会民主連合の代表をなさっていた時代(1980年代)から応援してきました(私の祖母と母は父・江田三郎氏の時代から応援しています)。
江田氏が日本新党に参加したという報せを聞いたとき(1994年)には喜びましたが、次に新進党のほうに合流なさったとき(同年)には「判断を誤ったのでは」と強い不満を抱きました。
しかし、その後(1998年)民主党に参加なさったことで安心し、爾来一貫して支持してきました。他の民主党議員のことは分かりませんが、新鮮さを感じます。
選挙区が遠いこともあって有効で実質的な協力ができたわけではありませんが、自分にもできることからと、土肥氏と江田氏のメールマガジンを読み、そこから見えてくる日本の現在と将来の姿を心に刻みながら、キリスト者と教会の役割や責任を考えてきました。
世代は全く違いますが、土肥氏は大学(東京神学大学)の先輩、江田氏は高校(岡山朝日高校)の先輩でもあります。江田氏とは面識がありませんが、土肥氏は応援メールをお送りしたところ、なんと松戸まで自動車でかけつけてくださったことがあります。
「自民党時代」を過去のものにしてほしい。不可逆運動が長く続いてほしい。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、ひたすら走り続けることです。
土肥氏と江田氏のお二人にはぜひとも入閣していただき、この国をドラスティックに変革していただきたく願っております。