2004年9月19日日曜日
キリストのかたち
ガラテヤの信徒への手紙4・19~20
「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。」
パウロは、今日の個所に、たいへん印象的な言葉を記しております。
「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。」以前広く用いられていた口語訳聖書では、次のように訳されていました。「あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする。」
ほとんど変わっていない感じですが、細かく見ればいくらか違いもあり、どちらの訳にもそれなりの魅力があります。しかし、今日は細かい話をするつもりはありません。
ここでパウロが語っていることは、要するに何なのか。このような、ごく大づかみな話をしたいと願っています。
ここには、「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで」、口語訳では「あなたがたの内にキリストの形ができるまで」、わたしは苦しんでいます、と書かれています。しかも、その苦しみは「産みの苦しみ」であると言われます。そして、その産みの苦しみを感じている「わたし」とは、もちろんパウロ自身のことです。
ここまでのところで明らかなことを、以下、三点にまとめておきます。
第一点は、パウロによると、イエス・キリストには「かたち」がある、ということです。
その「かたち」は、まさに「キリストのかたち」と呼ぶことができるほどの何かである。もちろん、それは目に見える「かたち」です。目に見えないものではありません。わたしたちの救い主は、目に見える「かたち」を持つ存在であられる、ということです。
第二点は、パウロによると、「キリストのかたち」ができる場所があるとしたら、それは「あなたがたの内」である、ということです。
ここで「あなたがた」とは、第一義的にはもちろん、ガラテヤ教会の人々です。しかし、彼らだけに限定される話ではありません。すべてのキリスト者の内に、「キリストのかたち」ができるのです。「心の内側に」というだけでは、おそらく足りないと思います。体の内側にも、わたしたち人間の存在そのものの内側にも、「キリストのかたち」ができるのです。
第三点は、パウロによると、「キリストのかたち」を「あなたがた」ガラテヤ教会の人々の「内」に形づくるのは、パウロ自身であるということです。
わたしが「産みの苦しみ」をする、と言っているのですから、そのように考えざるをえません。産みの苦しみというものを感じることができるのは、産む人だけです。産んだことがない人、産まない人が、産みの苦しみを感じることはありません。パウロが、ガラテヤ教会の人々の存在の内側に「キリストのかたち」を産むのです。それ以外のことを考えることはできません。
第一の、わたしたちの救い主イエス・キリストには、目に見えるかたちがある、という点から考えて行きたいと思います。まず、ここでパウロが言っている「かたち」の意味を考えます。
英語には「かたち」という意味の表現がいくつかあります。わたしたちが日常的によく使う言葉としてフォームとかスタイルとかタイプとかパターンなどがあります。「キリストのかたち」の場合はどれに当たるのか、と考えてみることもできるかもしれません。
しかし、わたしの答えは、どれか一つではなく、どれでもある、というものです。「キリストのフォーム」という意味もあるし、「キリストのスタイル」でもあるし、「キリストのタイプ」でもあるし、「キリストのパターン」でもあると申し上げておきます。
フォームとスタイルとタイプとパターンという四つの「かたち」を挙げました。これら四つに共通する点は、いずれも目に見えるものであるということです。その意味は、外面的ないし表面的な要素がある、ということです。自分だけが認識でき、他の人々には認識できないような、その意味で心の内側だけで表現しうるような「かたち」というよりも、むしろ、他の人々にこそ、第三者にこそ認識することができる外面的・表面的な「かたち」が、フォームであり、スタイルであり、タイプであり、パターンです。
もっと分かりやすく言い直す必要があるかもしれません。ここでわたしたちがぜひとも思い起こしたいことは、イエス・キリストというお方は、わたしたちと同じ人間の肉体を持っておられる神の御子である、という点です。この意味で、キリストは、わたしたちと全く同じ人間であられる、という点です。
わたしたちは、人間として、この地上の人生の中で、必ず、常に、ある種の「かたち」を持つ生活を送っています。砂を噛むような、とでも言うのでしょうか、大して面白くもない、ワンパターンな生活かもしれません。しかし、そうであっても、いえ、そうであるからこそ、わたしたちは、「パターン」という意味での「かたち」のある生活を送っていると語ることができるでしょう。
また、わたしたちは、人と付き合うときに、その相手をいろいろと分析しようとします。「あの人は、こういうタイプである。ああいう人に対しては、こういう付き合い方をしたほうがよい」というようなことを、必ず考えます。わたしたちは人から見ると、たいていの場合、どれかのタイプに属するようです。
そしてまた、わたしたちは、必ずや、何らかのスタイル、何らかのフォームを持つ生活をしています。この場合のスタイルとかフォームは、形式とか姿勢などの意味です。日本の中でわたしたちがキリスト者であるというとき、わたしたちは、明らかに、他の人とは少し違うスタイルやフォームを持つ生活を送っているはずです。日曜日には、朝早くから家を出て教会に行く。他の人々はそんなことをしていないようなことをしている。これは間違いなく、異なるスタイルないし異なるフォームを持つ生活です。
ここでパウロが「キリストのかたち」と呼んでいる場合の「かたち」の意味は、まさに今わたしが申し上げました外面的・表面的な意味でのフォームであり、スタイルであり、タイプであり、パターンであると説明することができます。
それは、別の言い方をするなら、新約聖書の最初に出てくる四つの福音書が描き出しているイエス・キリストの地上のご生涯には、まさに外面的・表面的な意味でのフォームがあり、スタイルがあり、タイプがあり、パターンがあった、ということでもあります。
ユダヤ教の安息日は土曜日ですから、みんなが会堂に集まるのは、土曜日です。そこでイエスさま御自身が、聖書の御言に基づいて説教をされる。また、イエスさまは説教だけをなさった方ではなく、もっと多くのことをされました。多くの人々と共に喜びを分かち合う、恵みに満たされた生活を送られました。
たとえば、そのようなイエスさまの人生そのもの、生き方そのものです。まさしくそのようなことを指して、今日の個所でパウロは「キリストのかたち」と呼んでいるのです。
ここで、第二の点に移ります。そのような「キリストのかたち」は、パウロによると、あなたがたの内に形づくられるものである、と言われます。これは、どういう意味でしょうか。
この文脈にあって、おそらく最も理解しやすいであろうと思われる表現は、「キリストの生活スタイル」という意味での「キリストのかたち」が、あなたがたの内にも形づくられる、という言い方です。
つまり、こういうことです。キリストの生活スタイルが、このわたしの生活スタイルになる。逆の言い方をするなら、このわたしの生活スタイルが、キリスト的な生活スタイルとなる。要するに、キリストに似たものになること、キリストの真似をすること、です。
十四世紀後半から十五世紀前半のドイツで活躍したローマ・カトリック教会の修道士であり、司祭にもなったトーマス・ア・ケンピスの名前は、日本でも多くの人々に知られています。この人の主著『キリストにならいて』(イミタチオ・クリスチ)の意味はキリストに似たものになることであり、キリストの真似をすることです。
イミタチオは、イミテーションの語源です。イミテーションというと、わたしたちは、すぐに「偽物」という言葉を思い浮かべてしまいます。しかし、トーマス・ア・ケンピスの場合のイミタチオは、決して悪い意味ではありません。良い意味で「真似すること」です。「まねび」とも言われます。しかも単なる真似でもありません。「信頼して服従すること」です。キリストの弟子になって、キリストの後ろからついて行くことです。
まさにこの「イミタチオ・クリスチ」、キリストの真似をし、キリストに似たものになること、そして、キリストの生活スタイルが、このわたしのものとなっていくこと、まさにこのことを、今日の個所でパウロが「キリストがあなたがたのうちに形づくられる」という言葉で、表現しているのです。
もちろん、ここに至って、改めて問うておきたいことは、はたして、わたしたち自身の生活スタイルは、本当に、キリストに似たものになっているだろうか、ということです。
それはかなり疑わしいと、きっと誰もが感じることでしょう。おそらくそれは感じてよいことですし、感じなければならないことであるとさえ言えるように思います。
その反対を考えてみるとよいのです。「わたしの生活は、キリストそっくりです」というようなことを、堂々と、胸を張って言い出す人がいるとしたら、どうでしょうか。「はたしてそれは本当のことだろうか」と疑う気持ちを、おそらく誰もが持つのではないでしょうか。
これは、ヒガミやヤッカミというような次元のことだけではありません。わたしの最も尊敬する一人の改革派神学者(A. ファン・ルーラー)が言っていることは、「キリストのかたち」の意味は、「謙遜であること」に他ならない、ということです。まことに神御自身の御子であられる方が、人となられた。ここに、キリストが示された謙遜、へりくだりの道があります。キリストに似ている、ということは、キリストと同じように謙遜であること、控えめであることに他ならないのです。
わたしはこの神学者の考えに、心から賛成します。そして、この意味で「わたしの生活は、キリストとそっくりです」と胸を張って言うことは、必ずしも「謙遜な態度」とはいえない場合がある、と申し上げておきたいのです。「キリストとそっくりです」と語るまさにそのことにおいて、キリストから最も遠ざかっている場合があるということを、覚えておかなければなりません。
そして、第三の点に移ります。パウロによると、あなたがたガラテヤ教会の人々の内にキリストのかたちを産み出すのは、他ならぬパウロ自身である。産みの苦しみを感じるのは、他ならぬパウロである、と言われている点です。
最初に触れましたように、新共同訳聖書では「わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」とありますが、以前の口語訳聖書では「わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする」と訳されていました。「あなたがたを産む」というのと、「あなたがたの内なるキリストのかたちを産む」とでは意味の違いを感じます。
しかし、内容的には同じことです。パウロがそれを産み出すために苦しんでいるのは「あなたがたの内なるキリストのかたち」であることは、全く明白なことです。
しかし、ここで立ち止まって考えておきたいことがあります。それは、今さら、なぜ、それをパウロが産み出さなければならないのか、という点です。パウロはガラテヤ教会を離れた人間です。言ってみれば、その直接的な関係は終わっています。しかし、いまだに、なぜパウロが苦しまなければならないのか、という点です。
この問いに対して、分かりやすい答えは無いかもしれません。差し当たり、この場合の「キリストのかたち」の意味は、先ほどから申し上げているとおり、ガラテヤ教会の人々の生活スタイルがキリストに似ているものであるかどうかにかかっています。彼らの生活スタイルの中に以前にはあった「キリストのかたち」が今では見えなくなってしまった。このことに、パウロは責任を感じ、苦しんでいるのです。牧会者なら当然の悩みである、と言うべきでしょう。
「かたち」ということで、わたしの頭に思い浮かぶのは、プリンとかゼリーのようなものです。プリンやゼリーが「かたちあるもの」になるまでには、少しの間、じっとさせておく時間が必要です。しっかり固まらないうちに、ジャカジャカと、せっかちに動かしてはならないのです。みんな崩れてしまいます。すべてが台無しです。
わたしたちの内なる「キリストのかたち」ができる過程においては、牧師の果たすべき責任も大きいところです。一例だけ挙げておきますと、頻繁に牧師が交代しているような教会は、この「じっとしていること」が難しいと言えます。
パウロの場合も、同じでした。パウロが去った後のガラテヤ教会が乱れました。「異なる福音」を宣べ伝える教師とそのグループによって、かき乱されました。ガラテヤ教会は、できてまもない群れでした。産まれたばかりの赤ちゃんでした。しかし、せっかくパウロが宣べ伝えた福音と、ガラテヤ教会の人々の内に産まれてきた「キリストのかたち」が、ジャカジャカと動かす人々によって、崩れてしまったのです。
もう一度、あなたがたを産みたい。
あなたがたの内なる「キリストのかたち」を元通りに復元したい。
これが、パウロの切なる願いでした。
(2004年9月19日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年9月12日日曜日
人の弱さを担う善意
ガラテヤの信徒への手紙4・12~18
「わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください。兄弟たち、お願いします」。
「あなたがたもわたしのようになってください」。これは、パウロの他のいくつかの手紙(一コリント4・16、11・1、フィリピ3・17、二テサロニケ3・7)にも出てくる「わたしのようになりなさい」とか「わたしに倣うものになりなさい」と全く同じ意味で書かれています。なんとなく自信過剰な人の言いそうなことだ、とお感じになるかもしれません。しかし、決してそういうことではありません、と申し上げておきます。
「あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです」(4・7)と書かれていました。しかし、そのあなた、すなわち「神の子」とされたあなたが「なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか」(4・9)と、パウロは問いました。その続きに「わたしのようになりなさい」と書かれているのです。
わたしは今や「神でない神々」の奴隷ではない。そのようなものの奴隷にはならないし、なりたくない。奴隷なんて、まっぴらだ。今、わたしは、全く自由の身である。あなたもわたしと同じように自由になったではないか。それなのに、なぜもう一度、逆戻りするのか。なぜ、不自由な人生に戻ろうとするのか。ぜひ、このわたしと一緒にこの自由を守り抜いて行きましょう。全く自由で喜びに満ちたこの人生を楽しみ続けましょう。どうか、わたしのように自由な者になってください。これがパウロの言葉の真意です。
ただし、これは、やはり、自分の生き方に自信や確信をもつことができる人だけが語りうる言葉である、ということは、おそらく事実です。今の時代、「自信たっぷり」というのは、あまり流行らないかもしれません。「人生いろいろ」と口を濁しておいたほうが無難かもしれません。しかし、真の神さまだけが与えてくださる自由なる人生は、わたしたちの大切な宝物です。それこそが、価値ある人生です。そのことを、できるだけ多くの人々に知っていただくことが、教会の伝道の目的です。
「あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました」。
ここでパウロは、自分自身とガラテヤ教会の人々との間で過去に起こった一つの出来事を回想しています。パウロがガラテヤ教会の人々と知り合った、そもそものきっかけは何であったか、という話です。
そのことをパウロは、「この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました」と表現しています。弱くなったのは、パウロ自身の体です。彼の体が何かの病気に冒されたのです。そのことが「きっかけ」であると書いています。
おそらくパウロは伝道旅行の最中に病気にかかったのです。そして、休むためにガラテヤの町に立ち寄り、教会の人々に看病してもらったのです。そして、おそらく彼が看病してもらっている最中か、癒された後に、福音を宣べ伝えたのです。あなたがたガラテヤ教会の人々は、わたしパウロに対してとても親切にしてくださいました、と言っているのです。パウロは、彼らに心から感謝しているのです。
「わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあった」とあります。これはどういう意味でしょうか。
ここで「試練」とは、誘惑されるという意味です。何に誘惑されるのでしょうか。ここでも考えられることは、真の神の子になる前の生活、「神ではない神々」の奴隷として仕えていた頃の生き方に逆戻りしてしまうことへの誘惑ということです。しかし、そういうことが、実際にあるのでしょうか。
その方は、まだ元気に生きておられますので、名前は伏せておきます。わたしの親しい人(年配の方)が、あるとき言いました。「わたしの牧師が病気で死ぬことは、ありえない」。まるで、牧師が病気にかかってはならないかのようでした。
しかし、そういう信仰というのが実際にはありうるのだと思います。この世の中には、あまり堂々と病気にかかってはいけない人というのがいるように思います。「人を助けなければならない人が、人に助けられてはならない」と言われてしまう人々がいるでしょう。その人が病気で苦しんでいる姿を他の人に見られることは「証しにならない」とか「つまずきになる」と言われることが実際にはあるのだと思います。そういうのは間違っている、と言っても仕方がないのです。パウロは、ガラテヤの人々に看病してもらっていたとき、そのあたりのことを、とても気にしていた様子が伺えます。
しかし、彼らは、パウロのことを、さげすんだり、忌み嫌ったりしませんでした。それどころか、パウロのことを神の使いであるかのように、イエス・キリストであるかのように、受け入れることができました。パウロは、その日そのときの、ガラテヤ教会の人々の優しさ、温かさを忘れていません。
「あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。」
パウロの病気は何だったのかということが、しばしば問題になります。その答えの根拠として引き合いに出される個所の一つが、ここです。
ガラテヤ教会の人々は、自分の目をえぐり出してもパウロに与えようとした。それくらいに、彼らは、パウロのことを大切な存在として扱った、ということです。しかし、ここに「目」ということが書かれていますので、パウロの病気は、おそらく目の病気であったに違いない、と言われるのです。
ただし、これは決定的な答えではありません。いくつかの説のうちの一つにすぎません。
もう一つ、しばしば引き合いに出されるのはコリントの信徒への手紙二12・7の「わたしの身に一つのとげが与えられました」という言葉です。「目にとげがささった」と、無理に関連づける必要はないでしょう。「とげのごとく刺すような痛み」であると説明されます。神経痛のようなものではないかとか、精神的な原因から来るものではないかと説明する人もいます。
しかし、わたしは、とくに最近になって、だんだん分かってきたことがあります。それは、人の病気というものは、どこが悪いと一言で言えないほどに、複雑に絡み合っているというか、互いに関係しあっているらしい、ということです。
少し仕事をしすぎた。すると、目が疲れて、肩がこって、頭が痛くなって、背中も腰も痛くなって、足も痛くなって、そのうちお腹も痛くなって、熱も出てきて、ついに倒れてしまう。どこが悪いと、一言では言えないのです。
この機会に、いちおう、お話ししておきたいことがあります。
わたしの体の中には健康のバロメーターがあります。疲れてくると最初に痛くなるのが、3年前にヘルニアを発症した椎間板です。もちろん、目も肩などは、しょっちゅう痛んでいます。もう少し疲れてくると、13年前に発症した尿管結石が、ゴロゴロと活動を再開します。最後に親知らずが痛みはじめると、終わりです。抵抗力がだんだん無くなっていく様子がよく分かります。段階を踏んで、力尽きていきます。
16世紀スイスの宗教改革者カルヴァンも、病気で苦しんだ一人です。
カルヴァンは55才で亡くなりました。ものの本によりますと、カルヴァンは主著『キリスト教綱要』の初版を書いていた頃、「一睡もせずに夜を徹し、昼も食事をしないくらいに勉強に精出して」いたそうです(ベノア著『ジァン・カルヴァン』森井真訳、日本基督教団出版部、1955年、32ページ)。そして、晩年のカルヴァンは「偏頭痛と胃痛と肺結核、尿路結石、神経痛」を患っていたと言われます(久米あつみ著『カルヴァン』講談社、192ページ)。
先ほど、パウロが「わたしのようになりなさい」と言っていました。しかし、それは、わたしのように病気になりなさい、という意味ではありません。また、わたしたち改革派教会の者たちはカルヴァンを尊敬しますが、病気の数や種類まで、カルヴァンをみならうべきではありません。そういうことではないのです。
しかし、実際には、悲しいかな、牧師とか伝道者とか神学者などと呼ばれる人々の中に、考えられないほどの数や種類の病気を患ってしまう人々がいることも事実です。
とはいえ、わたしは、自分の不摂生の言い訳のようなことは言いたくありませんし、同僚の牧師たちをかばうようなこともしたくありませんし、そんなことはすべきではない、と思っております。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんと、謝罪したい気持ちがあるだけです。本当に、ただ申し訳ございません。
しかし、実際には、そういうときには本当に、教会だけが頼りです。わたしの話をしているわけではありません。パウロの話です。パウロが重い病気にかかったとき、心を尽くして優しく看病し、祈りをもって支えた教会の人々がいたのです。「人の弱さを担う善意」を持っていた人々がいたのです!
「すると、わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵になったのですか。あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです。わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです。」
ガラテヤ教会の人々の心は、パウロが去った後、パウロから離れて行きました。本当に悲しいことです。しかし、パウロの悲しみは、単なる感傷ではありません。
パウロが宣べ伝えた「福音の真理」から彼らが離れていくことを、パウロは悲しんだのです。
(2004年9月12日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年9月5日日曜日
なぜ逆戻りするのか
ガラテヤの信徒への手紙4・8~11
「ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。しかし、今は神を知っている。いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です」。
ここでパウロが書いていることは、何でしょうか。最初に少し丁寧に、ゆっくりと分析してみたいと思います。
初めの文章に「あなたがたはかつて」とあり、次の文章に「しかし、今は」とあります。「あなたがた」とは、もちろんガラテヤ教会の人々のことです。「かつてのあなたがた」と「今のあなたがた」。まるで二種類のあなたがたがいるかのようです。
そして、明らかに言いうることは、二種類のあなたがたを区別するものは、彼らの人生の中で起こる時間の流れである、ということです。「過去のあなた」と「現在のあなた」とが区別されているのです。
どれくらいの時間が流れていたのでしょうか。5年くらいか、10年以上か。パウロは何も書いていません。時間の長さは、問題ではないのかもしれません。ここでパウロが問題にしていることは、「過去のあなた」と「現在のあなた」とでは、明らかに違いがある、ということです。
「過去のあなた」は、神を知らずに生きていた。しかし、「現在のあなた」は神を知っている。ここに大きな違いがある。パウロの言葉をさっと読むと、とりあえずこんな感じになると思います。しかし、続けて「いや、むしろ神に知られている」とも書かれています。これは何でしょうか。この問題は、少しあとで取り扱います。
それより前に扱っておきたい第一の問題は、「神を知らなかった過去のあなた」と「神を知っている現在のあなた」とでは、たしかに大きな違いがある、ということです。
「神を知っている」ということで思い浮かぶのは、神についての知識とか、その知識を身につけるための勉強、というようなことでしょう。「教会でも勉強しなければならないのか。勉強するのは学校である。教会は学校なのか」と思われるかもしれませんし、実際にそのように問われることがあります。
しかし、事実はそのとおりです。おそらくわれわれの多くが洗礼を受ける前に参加したでありましょう「受洗準備会」とか「求道者会」などと呼ばれる時間に行われることは、ひたすら勉強です。教会には学校的な面があります。わたしたちは、教会で、神について勉強しなければならないのです。
しかし、です。ここで、ちょっとだけ、ケンカ腰っぽい言い方をさせていただきます。
はたして、わたしたちは、教会で、どのくらい神について勉強したことがあるでしょうか。「毎週の礼拝も、聖書の勉強の時間である」と言えば、そのとおりです。しかし、時間は短いと思います。受験生と同じくらい、長い時間をかけて、まさに徹夜で、猛勉強をしたことがあるでしょうか。「しました」という方がおられるかもしれません。しかし、どれくらい分かったでしょうか。わたしたちは、神について、何を、どれくらい知っているのでしょうか。「全部分かりました」という方がおられるかもしれません。しかし、それは本当でしょうか。
こういうところに引き合いに出されると、ご本人は嫌がると思いますが、わたしが今、心から尊敬している先輩教師の一人は、神戸改革派神学校の校長をしておられる牧田吉和先生です。つい先々週、同じ研究会でご一緒しました。
この先生は本当によく勉強される方です。若い頃、ドイツとオランダに5年間留学してこられたご経験をお持ちです。今は60才を越えておられます。にもかかわらず、今でも毎日のように朝早くから夜遅くまで、辞書と首っ引きで猛勉強を続けておられます。
しかし、そのような先生が、先々週お会いした折にも頻りにおっしゃっていたことが「分からん、分からん」ということでした。「先生が分からないのに、なぜわたしたちに分かるのですか」と言いたくなるほどでした。牧田先生に限って、「わたしはすべてを知っている」というような顔や態度を見たことがないのです。
もちろん、牧田先生はたいへん謙遜な方である、ということも事実です。だからこそ、多くの尊敬を集めておられます。しかし、これは牧田先生お一人の話ではないでしょう。おそらくわたしたちのすべて、まさにすべての人間は、完全な意味で「神を知っている」と語ることができないのです。
そこで注目していただきたいのは9節です。「しかし、今は神を知っている。いや、むしろ神から知られている」。先ほど「少しあとで扱います」とお断りしました「神から知られている」とはどういう意味であるか、という今日の第二の問題を考えたいのです。
ご覧いただけばお分かりのとおり、ここでパウロは、最初に「あなたがたは神を知っている」と書き、「いや、むしろ」と続け、その後すぐに「あなたがたは神から知られている」と言い換えています。原文でも、このとおりになっています。「いや、むしろ」(マーロン)という言葉がはっきりと書かれています。英語のratherです。敷衍しながら意訳するとしたら、「よりよく語るとしたら」とか「もっとふさわしい言い方をするとしたら」というふうに訳すことができます。
パウロによるこの言い換えの意図は、明らかです。
思い浮かべていただきたいのです。パウロは、この手紙の、この個所の文章を書いています。「かつてのあなたがたは神を知らずに生きていた。しかし、今のあなたがたは、神を知っている」と、ここまで書きました。しかし、そこで筆が止まってしまった。「いや、むしろ」(マーロン)と続けたくなった。そのときパウロは、「神を知らなかった過去のあなた」と「神を知っている現在のあなた」との対比を描くだけでは、満足できないものを感じてしまったのです。
「いや、むしろ」、よりよく語るとしたら、もっとふさわしい言い方をするとしたら、「あなたがたは神から知られている」と書かなければならないのだ。このように、パウロは感じてしまったのです。
なるほど、確かなことは、「神を知っている」ということと、「神から知られている」ということとでは、全く正反対の方向を向いている、ということです。
わたしたちは、もちろん、神を知らなければなりません。神を知るために、神について勉強しなければなりません。このことも確かな真実です。
しかし、ここで付け加えなければならないことがあります。それはパウロの言葉どおり、「いや、むしろ」(マーロン)です。「もっとふさわしい言葉で語るならば」です。ありのままのわたしたちは「神から知られている」と語ることができるだけである、ということです。
そして、このことは、「神から知られている」ということは、だれにでも、はっきりと、遠慮なく、躊躇なく、大胆に、自信をもって語ることができます。
ただし、「だれにでも」という意味は「洗礼を受けている者ならば、だれにでも」ということです。洗礼を受けていないならば、このようなことを自信をもって語ることは難しいと思います。
すでに学んだとおり、このガラテヤの信徒への手紙の3・26以下に、「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」と書かれていました。「洗礼を受けること」と「キリストに結ばれること」とが、まさに一つのこととして語られていました。
洗礼は、結婚にたとえられるものです。「洗礼とは、キリストと結婚することである」と言い切っても構わないほどです。
しかも、神が(キリストを通して)わたしたちを知りたもう、と語られるときの「知る」の意味は、単なる「知識」ではありえません。神は何でもご存じの方ですから、「わたしたちを知る知識」という言い方は、変です。むしろ、ここでこそ、創世記4・1に出てくる「アダムは妻エバを知った」という場合の「知る」を思い浮かべるべきです。それは結婚関係、あるいは結婚的な関係において「愛しあう」という意味です。
洗礼を受けるとは、まさにそういうことです。「神がこのわたしを愛してくださっている」ということを知ることです。神とこのわたしが結婚関係、ないし結婚的な関係を結ぶことです。まさしくそのとおり、「神を知る」とは「わたしが神を愛すること」です。「神から知られる」とは「神がわたしを愛してくださること」です。
ですから、今日の個所のパウロの言葉は、次のように言い換えることができるでしょう。「あなたがたはかつて、神を愛していませんでした。もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。しかし、今は神を愛している。いや、むしろ、神から愛されている」。
はっと気づかされることがありました。ああそうか、と深く納得するものを感じました。それは、「神を愛する」という意味の「神を知る」という言葉は、「もともと神でない神々に奴隷として仕えること」ということの反対の意味で使われているに違いない、ということです。
もっと短く言い直します。「愛すること」の反対が「奴隷として仕えること」である、ということです。
「奴隷として仕えること」は「隷属する」とも言い直せるでしょう。しかし、実際的に考えると、「隷属」の実態は「させられること」でしょう。強制的に引きずり回されることでしょう。
むりやり引きずり回されることを自ら好む人もいるのでしょうか。人それぞれである、と言われたら、それまでです。しかし、それはまさか「愛」ではないでしょう。
愛のかたちはいろいろある、と言われたら、それまでです。しかし、奴隷として引きずりまわされる関係と、愛の関係は、全く異なるものです。
このことを、ガラテヤ教会の人々は、よく知っていました。そのことを彼らがよく知っている、ということを、パウロはよく知っていました。だからこそ、パウロは、彼らに、そのことを何とかして思い出させようとして、この手紙を書いているのです。
あなたがたは「神から知られている」、すなわち「神から愛されている」者になったではないか。神を愛し、神から愛される関係、神との結婚関係、すなわち洗礼を受けて、教会のメンバーに加わる、という神との契約関係に入ったではないか。もはや、すでに結婚の関係は、成立しているではないか。
それなのに、です。
あなたがたは「なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか」とパウロは続けています。
そして、こうも言っています。「あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です」。
ここでパウロが告白している「心配」を、わたしたちは、文字どおり受けとるべきです。
パウロも牧師の一人です。おそらく牧師ならばだれでも、教会から離れようとしている人がいるとか、信仰を捨てようとしている人がいるとか、そしてもちろん神から離れようととしている人がいたら、間違いなく、まさにここでパウロが書いている意味での「心配」をするでしょう。「うるさい」とか「わたしの勝手でしょ」とか「お節介を焼かないでもらいたい」と思われることを覚悟しながら、「心配」いたします。この意味での「心配」をしないような牧師は、如何なものか、と思います。もちろん、牧師だけではなく、教会全体が「心配」します。
しかし、その「心配」の中心にあるものを、ぜひ理解していただきたいのです。
あなたの非を責めているのではありません。「神の愛」から離れて生きようとするあなたの人生の行く末を「心配」しているのです。「無力で頼りないもの」へと逆戻りすることは、あなたにとって何の益にもならない、ということを「心配」しているのです。礼拝の出席者が減ると困る、というような次元の話をしているのではないのです。
まことの神だけが、あなたを自由にし、まことの喜びで満たしてくださるのです。
(2004年9月5日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年8月29日日曜日
献身の意味 ~何のための人生か~
マタイによる福音書9・35~10・15
松戸小金原教会の関口です。今朝、新浦安伝道所の皆さんと共に礼拝をささげることができます幸いに心より感謝しております。よろしくお願いいたします。
今朝開いていただきました聖書の個所は新約聖書マタイによる福音書9・35〜10・15です。少し長めに三つの段落を続けて読んでいただきました。まず最初に、この個所に何が書かれているかを申し上げたいと思います。
まず第一番目の段落に書かれていることは、わたしたちの救い主イエス・キリストが飼い主のいない羊のように弱り果てている群集の姿をご覧になったとき、深く憐れまれたということです。
続く第二番目の段落に書かれていることは、イエスさまがそのように困っている人々を何とかして助けるために十二人の弟子たちを特別にお選びになり、お遣わしになったということです。
そして第三番目の段落に書かれていることは、イエスさまがその十二人の弟子たちを派遣するに際し、非常に具体的な内容のアドバイスをお与えになったということです。ここにはイエスさまの弟子としての生き方が記されていると言えます。
しかし、今朝わたしがまず最初に申し上げたいことがあります。それは、この三つの段落に書かれている内容は、いわば当然のことながら、互いに深い関係を持っているということです。そして、この三つの段落の関係をよく理解することが、今日読んでいただきましたこの個所全体の内容を正しく理解するために重要であるということです。
それはどういうことかについてもう少し説明が必要であると思います。たとえば、今日の第二番目と三番目の段落にはイエスさまの十二人の弟子たちの派遣という出来事が記されているわけですが、その派遣の意味と目的は何かということを正しく理解するためには、第一番目の段落の内容をよく見る必要があるということです。
そして、その場合わたしたちがよく見る必要があるのは、「群集が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」というこの御言です。
このことは何を意味するのでしょうか。おそらくすぐにお分かりかと思います。弟子たちの派遣の意味と目的は、まさに彼らの目の前に「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」群集がおり、その人々には具体的な救いと助けとが必要であったというその事実そのものであるということです。
逆に言い直せば、もう少し分かりやすくなるかもしれません。ただし少し言葉が過激になってしまうかもしれません。しかし、あえて言葉に出して言うならばこうなります。もしそこに「弱り果て、打ちひしがれている」人々が一人もいなかったとしたら、イエスさまによる弟子たちの派遣は不必要であったということです。
ところが事実はそうではありませんでした。そこには実際に困っている人々、実際に弱っている人々、実際に打ちひしがれている人々がいたのです。だからこそイエスさまは彼らのことを憐れに思い、特別な十二人の弟子たちをお選びになり、その弟子たちを人々の中にお遣わしになったのです。
しかもここには「群集」と書かれています。一人や二人では「群集」とは言いません。一つの町や村の人口に当たるような規模の人々を「群集」と呼ぶのだと思います。
また「打ちひしがれている」とあります。この意味は何でしょうか。広辞苑を見ますと「打ちひしがれる」の意味は「強い衝撃で意気・意欲を完全になくすこと」です。ここでマタイが書いている意味も、まさにそのようなことです。
彼らの身に何が起こったというのでしょうか。とにかく彼らはおそらく生きる気力さえ失っていた。がっくりと肩を落とし、背中が曲がり、暗い顔で佇んでいた。そのような姿が思い浮かぶのです。
しかしこれはどういうことでしょうか。思わず考え込んでしまうような内容があると感じます。
私自身、ここで思わず考え込んでしまうことがあります。それは「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」そのような状態の人々にイエスさまが出会われた場所はどのようなところであったのだろうかという点です。
それはもちろん書かれているとおりです。イエスさまは「町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え」とあります。ここで「会堂」とは明らかに、当時のユダヤ教の礼拝堂のことです。シナゴーグのことです。イエスさまが回られた町や村には、イエスさまが行かれる前からユダヤ教の礼拝堂が存在したということです。
しかも、イエスさまが御国の福音を宣べ伝えられたのも、まさにそのユダヤ教の会堂(シナゴーグ)においてであったということです。
しかし、考えてみてください。そこにユダヤ教の会堂があったということは、いわば当然のこととしてユダヤ教の祭司や律法学者や長老たちもいたということを意味するのです。シナゴーグが建てられている町や村にはそのシナゴーグを仕事場にして働いている宗教の専門家たちもいたということです。建物だけがあったわけではないのです。
しかしそうなりますと事態はますます深刻なものに思われます。イエスさまが回られた町や村にはユダヤ教の会堂(シナゴーグ)は存在した。これは明言されています。そして、それならば、そこで働く祭司や律法学者や長老たちもまた存在したということも当然考えられるのです。
しかし、それにもかかわらず、です!その町や村の中に「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」群集、すなわち大勢の人々がいたと言われているわけです。
その町には教会の建物がある。伝統のある古い建物である。またそこには牧師も長老もいる。「いない」わけではないのです。それなのにそこには「飼い主がいない」と言われる。これはなんだかものすごく深刻な状況ではないでしょうか。
少なくとも私自身は、このような個所を読みますと、とても激しく胸が痛くなるものを感じます。
私は、今年で牧師という仕事を始めて14年目になります。そういう者として、ここで「群衆」と呼ばれている人々の立場や状況はよく分かるつもりです。しかしそれと同時に、ここで「会堂」と呼ばれている場所に住んでいる住人の気持ちも分かってしまうのです。
その町には「会堂」がある。牧師や長老もいる。もちろん信徒もいる。それなのに会堂の外側にも内側にも「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている群集」がいると言われる。これは会堂が、牧師や長老が、教会が、少しも人々の霊的なニード(必要)に応えていないということの何よりの証拠ではありませんか!
しかしそれが現実です。イエスさまの目は節穴ではありません。イエスさまの周りに集まってきた群集は、心の底から飢え渇き、助けを求めていた。ところが会堂の住人たちはこの群集の霊的ニードに少しも応えていなかった。そのことを鋭く見抜かれたイエスさまが十二人の弟子たちを、この群衆の中へと遣わされたのです。
だからこそイエスさまは、十二人を派遣するにあたり次のように命じられたのです。
「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。」
「イスラエルの家」の中にはユダヤ教の会堂も含まれています。会堂の中に「失われた羊」がいるというのです。その人々のところに行きなさいとイエスさまは弟子たちに命じられました。
そしてイエスさまは言われました。
「病人をいやし、死者を生き返らせ、らい病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。」
先ほども一度、仮定の話として、しかし、現実にはありえない話として申しました。もしそこに「弱り果て、打ちひしがれている」人々が一人もいなかったとしたらイエスさまによる弟子たちの派遣は不必要なことでした。しかし実際には一人もいないどころか大勢いました。だからこそ弟子たちの派遣が必要でした。
そのように考えますと、弟子たちが果たすべき役割ははっきりしたものになります。
イエスさまの弟子たちの仕事は、彼らの目の前にいる、現実に助けを求めている人々の(霊的)ニードに応えることです。病気の人がいればその病気をいやすことです。死者がいれば生き返らせることだと言われます。重い皮膚病を患っている人がいれば清くすることです。悪霊にとりつかれている人がいればその悪霊を追い払うことです。
このことも、逆の言い方をすればもっとはっきりするでしょう。
病気で苦しんでいる人々が求めていることは、間違いなく「その病気がいやされること」です。しかしそのとき、もしイエスさまの弟子たちが、その人々が少しも求めていないものを一生懸命に与えようとするなら、彼らは何を感じるでしょうか。
「そんなものはどうでもよい。わたしが今求めているものを与えてほしい」と思うでしょう。そして、それを与えてくれるところに出かけていくでしょう。自分のニードに応えてくれない人々には何も期待しないでしょう。それが現実なのです。
イエスさまは弟子たちに対し、続けてこうも言われました。
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。」
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」わたしたちは、これを文字通りのこととして理解すべきです。ここでイエスさまがお語りになっていることと同じようなことをユダヤ教も教えていたと言われます。ただしユダヤ教ではこんなふうに言いました。
「律法学者たちが律法の知識を私利私欲のために用いることは間違いである。なぜなら律法は金儲けの道具ではないからである。」
わたしたちの場合は「律法学者」という部分を「牧師」や「長老」あるいは「神学者」、そして「律法」という部分を「聖書」と読み替えることができると思います。
「牧師や神学者たちが聖書の知識を私利私欲のために用いることは間違いである。なぜなら聖書は金儲けの道具ではないからである。」
おそらくこれがイエスさまのお語りになる「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」の意味です。
ここで考えさせられることは、イエスさまが弟子たちになぜこのようなことを言わなければならなかったのかということです。その理由については、ここでは何も書かれていません。しかし、思い当たることがないわけではありません。
それは、繰り返しになりますが、イエスさまの周りに集まってきた群集がなぜあれほどまでに飢え乾いていたのかという点です。
彼らの町や村には会堂が存在しなかったわけではなく、祭司や律法学者や長老たちがいなかったわけでもありませんでした。ですから、もちろん彼らが聖書の御言の説教を耳にする機会が無かったわけではありませんでした。
それなのに、です。彼らは非常に飢え乾いていました。会堂で語られる説教、会堂の住人たちが提供する宗教的な行事や行為によって彼らの霊的ニードが満たされることは無かったのです。
その原因は何だったのでしょうか。少なくともその一つとして思い当たることがあります。
それがまさに、律法の知識を私利私欲のために用いる律法学者があまりにも多すぎたのではないかという点です。律法を悪い意味での金儲けの道具にしていた人があまりにも多すぎたのではないかという点です。
どうでしょうか。わたしたちの目も節穴ではありません。聖書の知識を私利私欲のために用いる教師、聖書を金儲けの道具にする教師の説教がどんなものであるかをわたしたちはすぐに見抜くことができるはずです。
そのような説教には人を救う力がないのです。それは助けを求めている人々に何も与えず、ただ奪うだけです。力を与えるどころか力が抜けていくのです。
イエスさまがおっしゃっていることは、助けを求めている人々には与えなければならないのであって、奪ってはならないということです。
イエスさまの弟子となり、またとくにイエスさまの御言葉を宣べ伝える者になることをわたしたちは、特別な意味で「献身」と呼びます。「献身」の一般的な意味を、これも広辞苑で調べてみました。「一身を捧げて尽くすこと。自己の利益を顧みないで力を尽くすこと。自己犠牲」と書かれていました。
意味はこのとおりで良いと思います。この意味のままわたしたちは、とくにイエスさまの弟子たちであるわたしたち自身に当てはめるのです。わたしも「ただで」救われたのだから、「ただで」与える人生を送るということです。
こんなふうに真剣に考え、生きていた人がイエスさまの時代にはいなかったのではないでしょうか。誰も彼もが自分の利益のために生きている。宗教家たちでさえそうである。だからこそ、さまよう人々も後を立たない。
わたしたちの時代はどうでしょうか。「飼い主のいない羊のように弱り果てている人々」はどこにいるでしょうか。わたしたち自身がそうでしょうか。
わたしたちの一度しかないこの人生をイエスさまの弟子として生きること、そして目の前にいる困っている人々を助けること、すなわち「献身」のために用いることができる人は幸いです。
新浦安伝道所のこれからの歩みのためにお祈りさせていただきます。
(2004年8月29日、新浦安伝道所主日礼拝、東関東伝道協議会講壇交換)
2004年6月27日日曜日
わがうちに生くるキリスト
ガラテヤの信徒への手紙2・17~21
「もしわたしたちが、キリストによって義とされるように努めながら、自分自身も罪人であるなら、キリストは罪に仕える者ということになるのでしょうか。決してそうではない。」
ここでパウロが書いている第一のことは、「キリストによって義とされた人」は、しかし依然として罪人のままである、ということです。「義とされる」と訳されています。「義と認められる」とか「義とみなされる」という訳もあります。いずれにしても微妙な言葉づかいであることには、変わりありません。
なぜ微妙でしょうか。どの訳を採用するとしても、結局のところ義とされた人々はただ単に「義とされた」だけであり、「義と認められた」だけであり、「義とみなされた」だけである、というように、常に何となく奥歯にものが挟まったような言い方になるからです。これらの言葉づかいの裏側に「実際にはそうではない」という、非常に強い否定の言葉が隠されているのです。
しかし、まさにこの"奥歯にものが挟まったような言い方"こそが、キリスト教信仰の特徴です。あなたは、ただ「義とされた」だけである。実際に「義人」になったわけではない。このような、聞く人によっては「詭弁でも聞かされているのではないか」と感じてしまうに違いないような、きわめて微妙な言葉で、わたしたちは、キリスト教信仰の核心部分を説明しようとします。
実際、たしかに、キリストを信じる信仰によって義とされた人は、しかし、その時点でもう二度と絶対に罪を犯すことがない、という意味で完全な義人になることができるわけではありません。
ちょ、ちょっと待ってください。そこのところで、「完全な義人になることができます」と言ってほしいです、と思われる方がおられるかもしれません。
しかし、それは無理な話です。すべてを捨てて新しく生まれ変わりたいという願いをもって洗礼を受けた人に、「いいえ、あなたはこれからも罪人のままなのです」と言わなければならないのが牧師の仕事です。夢も希望も無いかもしれません。しかし、それが現実です、と言うしかありません。
ここでパウロが語っていることは、そういうことです。パウロはきわめて現実主義者なのです。
しかし、もしそうであるならば、どうなるか。そのような、あいかわらず罪人のままであるような人間を、まるでそうではない者であるかのように義なる者とみなしてくださるキリストというお方は、結局のところ、罪を犯し続ける人間を、ただかばうだけの存在であるということになるのでしょうか、という問いが、当然のように出てくるでしょう。
それが「キリストは罪に仕える者ということになるのでしょうか」というパウロの問いの意味です。それが、ここでパウロが言おうとしている第二の事柄です。
「罪に仕える者」を原文から直訳すると「罪の奉仕者」となります。ここでパウロは、キリストは罪の奉仕者なのか、と問うています。あいかわらず罪人のままである者たちを、まるで罪人ではないかのようにみなすキリストは、黒いものを「白い」と言い張るだけの詭弁をあやつる悪徳弁護士なのか、という問いであると理解することができるでしょう。
「決してそうではない」とパウロは書いています。そんなことはありえません、と断言しています。そのような言葉でキリストを侮辱する人々を許すことができない、パウロの怒りの表明が、ここにあると言えます。
「もし自分で打ち壊したものを再び建てるとすれば、わたしは自分が違犯者であると証明することになります。わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。」
少し理解が難しい言葉が続いています。「自分で打ち壊したものを再び建てる」とは、何のことでしょうか。
ここでパウロは、おそらく律法について語ろうとしています。パウロは、律法を打ち壊したのです。しかし、それは、自分が持っている聖書を破り捨てた、というような意味ではないでしょう。そんなことをしても、意味がありません。そうではなく、律法の行いによって救われるという、パウロがキリストへの信仰に入る前に信じていた、ユダヤ教の律法主義的な生き方そのものを捨てたのだ、という意味であると思われます。
そのような生き方を、パウロは、全く捨てました。同じように、ペトロも捨てたはずでした。しかし、ペトロは、自分が一度捨てたものを、再び拾おうとしたわけです。ここが、ペトロとパウロとの決定的な違いとなりました。
何事においても、できるだけ、腹は立てないほうがよいと思います。しかし、少し長く生きてきますと、腹が立つ場面は、たくさんあります。何に腹が立つかといって、自分が捨てた者を拾おうとする人がいるときに、腹が立ちます。
大した価値の無いものであればともかく、少なくともかつての自分自身にとっては大いに価値があると信じてきたものに裏切られ、いわば泣きながら捨てたものを、易々と拾おうとする人がいる。しかも、その人自身も、一度は同じものを捨てたはずである。きっとあの人も、わたしと同じ思いで、必死の思いで捨てたのだろう、と思っていたら、そうではなかった。
なんだ、あの人の決意は、それほどのことでしかなかったのか。パウロがペトロに対してあからさまに示した怒りは、このあたりに真相があると思われます。心の底から、がっかりしたのです。
一度捨てたなら、もう二度と拾ってはなりません。最初に捨てたことの意味が無くなります。
なぜ捨てたのでしょうか。ユダヤ教的律法主義は、渋滞続きの旧国道です。何時間たっても前が見えず、目的地に到達することができません。だからこそ、父なる神は、イエス・キリストによる救いという別の道、パイパスを通してくださったのです。
せっかく便利な道が開通し、そこを通ってどんどん前に進んでいるのに、なぜまた渋滞している旧国道に戻ろうとするのか。それは愚かな人のすることです。二度と戻らない。戻りたくない。一度捨てたものをわたしは二度と拾わない。わたしはもはや「律法に対しては律法によって死んだ」のだから、とパウロは語っているのです。
「わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」
わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。 ここでパウロが明らかにしていることは、パウロがもはや過去の道、渋滞の道、ユダヤ教の律法主義の道に戻りたくないし、戻ることができない理由は、単なる彼の熱情とか、決心とか、決意によるものだけではないということの、いわば根拠です。
「わたしは、キリストと共に十字架につけられています」。わたしは、今や十字架につけられ"ちゃっている"。「ちゃっている」というのは、もちろん変な言い方です。しかし、パウロの心境を考えると、おそらくこんな感じになると思います。
「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」。パウロは、十字架に張り付けられているのです。自分で動くことは、もはやできない。ぷらぷらすることができない。なんだか都合よく、「今日はユダヤ教で行きます。明日はキリスト教で行きます」というふうに、思いのままに行ったり来たり。そんなことは、わたしにはできない、と言っているのです。
わたしの中には、もうすでに、キリストがおられるのだから!
ここはもう少し丁寧に、聖霊の働きによってキリストがわたしの中におられる、というべきところかもしれません。しかし、ここでパウロは、あまり神学的ではないように感じます。激しい愛の力をもってキリストに捕らえられている、自分自身のありのままの状態を、まったく率直に告白しているのです。
「わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」。ここでパウロは、「わたし」という言葉を繰り返しています。「わたしたち」ではありません。このわたしを、神の子イエス・キリストは愛してくださり、このわたしのために身を献げてくださった。この神の子を信じる信仰によって、このわたしは、今ここで、生きているのです。
この愛、キリストの愛によって、パウロは捕らえられました。わたしの中にキリストがおられる。この告白へと導かれました。それが、彼に与えられた救いそのものなのです。
「わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそキリストの死は無意味になってしまいます。」
もうあまりしつこく言葉を重ねる必要はないかもしれません。キリストに対するパウロの思いは、十分に理解していただけたのではないでしょうか。
パウロとキリストを結ぶ絆(きずな)は、愛です。このわたしを愛してくださるキリストを、わたしは愛している。プロポーズはキリストのほうが先です。だからこそ、その愛は「神の恵み」なのです。
どちらが先にプロポーズしたかということが、結婚してからも、いつまでも問題になることがあります。先に惚れた者の負け、という面もあります。
キリストは、愛されるよりも先に、愛してくださいました。だからこそ、その愛は真実です。まだ罪人であるときに、愛してくださいました。これからも罪人であり続けることが分かっていても、愛してくださいました。
そのようなお方を裏切ることはできない。キリストの死を無駄にしてはならない!
この思いが、パウロの信仰を支えました。
(2004年6月27日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年6月13日日曜日
ただ信仰によって
ガラテヤの信徒への手紙2・15~16
「わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。」
わたしたちがこの御言を正しく理解するために必要なことであるとわたしが考えている、少なくとも一つのことは、この御言を、前後の文脈から切り離さないで読むことです。
使徒パウロは、これまでご一緒に学んできましたように、この手紙の冒頭に、自分自身の身に起こった出来事、身の上話を、詳細に、縷々(るる)、述べてきました。
ちょっと皆さん、聞いてください!わたしの身にこんなことがあったのです、という感じに、全くあからさまに、あっけらんと、自分自身のこと、とくに過去に起こった出来事を、さらけだしてきました。
また、その中には当時のキリスト教会の最高指導者であった使徒ペトロに対する、これまたあからさまな批判も書かれていました。わたしはペトロに言いたいことがあったので、面と向かって罵倒しました、と。
読む人によっては"なんという言いたい放題か"とさえ感じるに違いないほどに、遠慮も反省もなく、ズケズケと書いてきました。
これまでの個所を読んできて、まず最初に分かることは、この人は、要するに、最後は黙っていられない人である、ということです。
それは、もちろん、正義感と責任感が強い人である、という意味です。悪い意味ではありません。どうしても今、語らなければならないことがある。そう感じたときには、たとえ相手が目上の人であれ、お構いなしに語る。自分の立場が危険にさらされようとも語る。ここまで来ると、だんだん悪い意味が含まれてくるかもしれません。
一般的に言って、こういうタイプの人が、はたして、牧師の仕事に向いているかどうかは、微妙です。牧師の仕事は、最も大きく分けるなら、説教と牧会の二つです。もし牧師の仕事が説教だけであるならば、黙っていられない人は、牧師に向いています。
しかし、牧師は牧会もしなければなりません。牧会の仕事の本質は、ひとの語る言葉に黙って耳を傾けることです。黙っていられない人は牧会には向いていません。説教と牧会は、互いに矛盾しあうところがあります。ここに難しさがあります。
しかし、わたしは、ここで、パウロは牧師に向いていない、と断定するつもりは、全くありませんし、そんなことをわたしに言えるはずがありません。
パウロは、だれでもかれでもお構いなしに、言いたい放題を言い放ったわけではありません。相手を選びました。相手がペトロだから、言ったのです。ペトロが教会の最高指導者にふさわしくない行動をとったことが、どうしても我慢できなかったのです。
ペトロが何をしたのかについては、先週学んだとおりです。ペトロは、ある人々が来るまでは、割礼を受けていない異邦人と一緒に食事をしていた。しかし、その人々が来て、何かを言った。その言葉を聞いたペトロは、異邦人たちと一緒に食事をすることをやめてしまった、というのです。
割礼を受けていない人とは、食事をしない。ということは、逆に言えば、このわたしと一緒に食事をしたければ割礼を受けなさい、ということを、教会の最高指導者たるペトロが異邦人キリスト者たちに対して暗に要求した、ということを意味するわけです。
だからこそ、パウロは、ペトロに向かって言いました。「どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」。今日の個所は、この文脈の中で理解されなければなりません。「わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません」とある中の「わたしたち」とは、だれのことでしょうか。このことをパウロは、文脈から言えば明らかに、ペトロに向かって言っています。
"なあ、ペトロさん、あなたとわたしは、なるほど、たしかに生まれながらのユダヤ人ではありますよ"、という感じです。
もちろん、パウロがここで語りかけている相手を、ペトロ一人に限定することはできないかもしれません。しかし、少なくともペトロのことが、他のだれよりも念頭に置かれている。ペトロに同意を求めている言葉であると、理解できます。
「異邦人のような罪人ではありません」とは何でしょうか。ここでパウロは、異邦人はすべて生まれたときから邪悪で罪深いが、ユダヤ人は生まれたときからすべて清く正しい人々である、というようなことを言いたいわけではありません。パウロは、ユダヤ人たちの犯した罪を、よく知っているわけですから、そんなことを言うはずがありません。
もう少し意味深長な言い方です。「異邦人という意味での罪人ではない」というくらいの意味です。異邦人たちは、ユダヤ人たちのように、生まれたときから教会に通っているとか、幼い頃から聖書を学んでいるとか、宗教的な道徳教育やしつけも行き届いている、というような人々ではないという意味で罪人であるということです。ユダヤ人たちがすべて善人であるとか、罪を犯したことがない、という意味ではありえません。
そして、パウロは言います。「けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました」。
なあ、ペトロさん、あなたもわたしも、イエス・キリストを信じるこの信仰によって義とされる、ということが分かったから、イエスさまを信じた者たちではないですか!そのことを、あなたは覚えているはずです!
それとも、あなたは、律法の実行によって義とされたと言いたいのですか。そうではなかったはずです!
こんなふうに、ここでパウロは語っています。
このように、わたしたちは、ここでパウロが語っている言葉の向けられている相手は誰なのか、ということを、理解することができます。
第一義的にはペトロです。しかも、それは、異邦人キリスト者たちを、事実上、教会の交わりから締め出そうとした教会の代表者ペトロです。割礼を受けていない人々と一緒に食事をしない。一緒に食事をしたければ、割礼を受けて、ユダヤ人のようになりなさい。しかし、このようなことは、教会の交わりに加えられるための条件ではありえないはずだとパウロは言いたいのです。
教会の交わりに加えられるために必要なことは、ただイエス・キリストを信じる信仰、それだけではないですか。それ以上の何が必要だと言うのですか。ペトロさん、あなたは、なぜ、異邦人たちに、これ以上、余計な負担を負わせようとするのですか、と非難しているのです。
そして、このパウロのペトロに対する言葉は、いわば、そのまま、教会全体に向かっても語りかけられていると、読むことができます。今日の個所を前後の文脈から切り離さずに読むと、パウロの意図が、明らかな教会批判であることが分かります。伝道という観点からの、教会の敷居はもっと低くあるべきだ、という要求であることが分かるのです。
そして、これは本当に厳しい言葉です。ひとが教会の交わりに加えられるために必要なものは、イエス・キリストを信じる信仰だけである。それ以外のことが条件とされるようなことは、それがたとえどんなことであれ、決して認められるものではありません。
ところが、実際の教会の中には、実にさまざまな条件が持ち込まれてきたし、今も持ち込まれ続けているのかもしれません。敷居がいつの間にか高くなっている。具体的な例を挙げることは控えます。
しかし、どうでしょう。あの人はああだから、この教会の交わりにはふさわしくない。この人はこうだから、この教会にはふさわしくない。こういうことを、わたしたちは、つい考えたり口にしたりしていないかどうか、よくよく反省してみることが大切です。
わたしたちは、教会には、できるだけたくさんの人々に集まってもらいたいと、心から願っています。だからこそ、いろいろな機会に、いろいろな方法で、何とかして、初めての人々にも、遠慮なく、教会の門をくぐっていただけるように、全力を尽くします。あの人はダメ、この人はダメと最初から人を選んだりしませんし、そんなことをしている教会は、決して成長しないでしょう。そんなやり方は、少しも面白くありません。
いろんな人がいるからこそ、教会です。そもそも、わたしたちは教会に、救いを求めてきたのです。自分には問題があり、神の助けが必要であるということを痛いほど身にしみている人々が、教会の門をくぐってきたのです。わたしたちがさまざまな問題を抱えていること自体が、人間の尊厳でもあります。
何の問題もない人間など、一人もいないのです。だからこそ、イエス・キリストは、わたしたちの身代わりに十字架にかかって、死んでくださいました。わたしたちの問題を全部引き受けてくださったのです。
この方がわたしの救い主であると信じる信仰。
これだけが、これだけが、わたしたちを義とするのです。
(2004年6月13日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年6月6日日曜日
牧者の責任
ガラテヤの信徒への手紙2・11〜14
「さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。」
ガラテヤの信徒への手紙の中にパウロが描いているペトロとの会見の場面は、これで第三回目です。
しかし、この第三回目の会見は、前二回と比べてみますと、いくつかの点で非常に違ったものになってきていることは、明らかです。
違いの第一は、会見が行われた場所です。第一回目と第二回目の会見場所は、いずれもエルサレムでした。当時の全世界のキリスト教会の"総本山"と言うべき教会が置かれていたエルサレムです。そのエルサレムに、当時の教会の最高指導者であった使徒ペトロがいました。そのペトロのもとに、パウロが出かけて行って、二人の会見が行われました。
ところが、第三回目の会見場所は、アンティオキアでした。そこにも、教会がありました。アンティオキア教会はパウロをはじめとする異邦人伝道に従事する伝道者たちが"ベースキャンプ"にしていた教会です。
その教会に、今度はペトロのほうが訪ねて来たのです。そして、そこで、パウロはペトロに会いました。これは大きな違いです。
会見がどこで行われたかという点は、じつは非常に大きな事柄であると言えます。エルサレムにいるときのペトロは、自他共に認める教会の最高権威者としての外見を持っていたはずです。会社の社長が社長室にいるようなものです。近づくのも恐れ多いと感じさせるような場所です。
ところが、パウロとペトロの第三回目の会見は、言うならば、少し低い場所で行われました。もちろん、どこにいようともペトロはペトロです。しかし、自由に語り合える場所というのは、たしかにあると言えるでしょう。
違いの第二は、パウロ側に見られる顕著な変化です。これは、読んでいただくと、すぐにお分かりいただける点です。前二回の会見は、パウロもペトロもお互いに非常に穏やかな態度でなされました。
第一回目のときは、パウロがまだ、洗礼を受けて教会のメンバーになってまもない頃でした。迫害者だった頃の反省や悔い改めの思いが強く残っていたに違いない頃です。どちらかというと控えめで、謙遜で、少し頭を下げているようなパウロの姿が目に浮かびます。
第二回目のときは、パウロが伝道者としての活動を活発に展開しはじめて、まもない頃です。その頃のパウロは、なお控えめで、謙遜なものではありましたが、神の御言を宣べ伝える伝道者としての誇りと自信、福音の真理の確信に満たされていました。自分の歩むべき道を自覚しつつ、しっかりとした足取りで歩んでいるパウロの姿が目に浮かびます。
しかし、と言うべきでしょう、第三回目の会見のときのパウロの様子は、これまでとは明らかに違います。
「ペトロに非難すべきところがあったので、面と向かって反対した」。口語訳聖書では「面と向かってなじった」と訳されていました。新改訳聖書では「面と向かって抗議しました」と訳されています。面罵という言葉がありますが、まさにこれです。広辞苑での意味は「相手の面前で罵ること」です。
罵倒することです。いずれにせよ、そこには、いささかの穏やかさもありません。非常に攻撃的で、乱暴で、破壊的でさえあります。まるで喧嘩腰。怒りに任せて、相手かまわず、大声を張り上げて、怒鳴りつけている感じがしてならないのです。
こういうのは、できればやめてほしいという感じがしなくもありません。大の大人同士が、直接向き合って、口から唾を飛ばしながら対決している姿というのは、周囲の人々に恐怖や躓きを与えかねません。少なくともパウロ側は、完全に激怒しています。ほとんど許せない思いを持っています。
そのことを、パウロは、この手紙に書きながら、また腹を立てている感じです。あのときは腹を立てて申し訳なかったというような反省の言葉は、全くありません。むしろ、今でも怒っている。ペトロのしたことは許せない、という思いが消えていないのです。一体、何があったのでしょうか。
「なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。」
書き残されている事実は、これだけです。これ以上のことは、分かりません。いつ、どこで、こういう事件が起こったのか、ということについては、全く触れられていません。また、だれが、ということについても、「ある人々が」とか「彼らが」とあるだけで、まるで伏字だらけのイニシャルトークでも聞いているようです。当時の人々には手に取るように分かったのかもしれませんが、時代の違う人々には、全く分かりません。
しかし、逆に言うならば、パウロがここで問題にしている相手は、名前を伏せられている"だれそれさん"のことではなく、ひたすらペトロ一人であった、ということの証拠である、と考えることもできるわけです。つまり、問題はペトロにある、ということです。ペトロが問題なのです。ただし、一個人としてのペトロではなく、一公人としてのペトロが問題です。彼のしたことは一体何だ、とパウロは怒っているのです。
ペトロは、異邦人たちと一緒に食事をしていた。しかし、あるときを境に、そのことをやめてしまった。きっかけは、ある人々が来たこと、その人々がおそらく何かを言ったこと。そのことでペトロは、ユダヤ人たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしはじめた。他のユダヤ人たちも、異邦人たちと一緒に食事をしなくなってしまった。
そのようなことを、パウロと一緒に伝道旅行をした伝道者バルナバさえしはじめた。これは一体何なのだと、開いた口がふさがらないほど、あきれ果てているパウロの姿が、目に浮かびます。
一緒に食事をする、というのは、象徴的な行為です。ユダヤ人と異邦人とがキリストの福音に基づいて、罪の赦しと和解のテーブルに着くことです。しかも、この文脈における「異邦人」の意味は、いわゆる"異邦人キリスト者"のことであると思われます。つまり洗礼を受けている異邦人です。すでに教会の正式なメンバーに加わっている異邦人です。
わたしたち日本キリスト改革派教会の場合、洗礼式のときに読まれる式文の中に、次のような感銘深い言葉が記されています。
「あなたは、今ここに信仰を告白し洗礼を受けました。それゆえ、あなたは、神の教会のすべての特権を与えられ、聖餐の礼典にあずかることができます」。
他教会からの転入式や他教派からの加入式の式文には、次のように書かれています。
「あなたは、今この教会に転入し、私たちの交わりに入れられました。それゆえ、あなたは、この教会の会員としてすべての特権を与えられたことを宣言します」。
そのとき厳かな宣言をもって約束されることは、神の御前で一人の信仰者に与えられる「神の教会のすべての特権」であり、「この教会の会員としてのすべての特権」です。そこに差別は無いのです。あってはならないのです。
いろんな意味での自分自身の出所(でどころ)のことを"出自(しゅつじ)"と言います。多くの場合、教会は、出自が違う人々の集まりです。出身地、出身学校、出身教会など、それぞれみんな違います。生まれも育ちも違う。言葉も性格も違う。年令も体験も違う。なにもかも違います。すべてが全く同じ人間は、一人もいません。
そしてわたしたちは、多くの場合、良い意味でも悪い意味でも、それぞれの過去を引きずっています。過去を引きずることのすべてが、悪いわけでもありません。過去の記憶や体験、過去の宗教が、現在のわたし、このわたしを決定しているのです。わたしがわたしであり、わたし以外の何ものでもないというこのことは、わたしがこれまで体験してきたすべてのことを引きずり続けるときに、初めて自覚できるのです。
そして、しかし、そのように過去を引きずりながら生きているわたしたちが、キリストの福音によって救われ、キリストの体なる教会に集められたとき、そこで起こることは、わたしたち一人ひとりが根本的に全く自由なものにしていただける、というこのことも、忘れてはなりません。悪い意味で過去を引きずってきた人々が教会の中に加えられるとき、もはやそれを引きずらなくても良い、ということを深く知らされるのです。
だからこそ、です。ユダヤ人がキリストに救われるとき、ユダヤ的律法主義というものから全く解放され、まるで異邦人のように生きることが許されるのだ、というのがパウロの信仰であり、またペトロ自身もその信仰を持っていたはずなのです。
ところが、一体何なのか。ある人々が現われて、ちょっと言われただけで、自分の立場を変えてしまう。そして、その結果として、異邦人キリスト者たちに対しても約束されているはずの「教会のすべての特権」を奪い去ってしまう。教会の中でさえ、異邦人とユダヤ人を差別してしまう。パウロが激怒した理由は、このあたりにあると言えるでしょう。
しかも、ペトロ自身は、異邦人のような、かなり自由な生活を続けていました。ユダヤ的律法主義に戻ることは、もはやできませんでした。一度味わった自由の味を忘れることができませんでした。それなのに、異邦人たちに対しては、ユダヤ的律法主義を強要する。
人に厳しく、自分に甘い。そのような最も模範的でないペトロの生き方を、わたしたちは、とくに教会における伝道・牧会の責任を負う牧師や長老たちは、他山の石とすべきです。
(2004年6月6日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年5月23日日曜日
神与えし任務
ガラテヤの信徒への手紙2・1~10
「その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。」
パウロは、再びエルサレムに上って行きました。「その後十四年たってから」とあります。おそらくパウロが使徒ペトロとの第一回目の会見を許された日から14年後の意味であると思われます。
そのときパウロは、彼一人ではなく、バルナバとテトスという二人の伝道者と一緒に行きました。この三人がエルサレムに上った目的は、はっきりしていました。それはもちろん、エルサレムにいた当時のキリスト教会の最高指導者であった使徒ペトロに、再び会いに行くためでした。つまり、使徒ペトロとの第二回目の会見を果たすためであったと考えることができます。
ただし、第二回目の目的は、ペトロ一人だけに会いに行くことではなかったようです。2節に「おもだった人たち」とあります。この人たちの名前は、9節に書かれています。ヤコブとケファとヨハネです。ケファは使徒ペトロのことです。ヤコブとペトロとヨハネです。9節には「柱と目されるおもだった人たち」とあります。この三人が当時の教会の中で「柱」と呼ばれていたことが分かります。
教会の三本柱です。柱が倒れると、家全体が倒れます。「柱」と呼ばれたこの三人は、当時の教会において、まさに彼らが立つか倒れるかによって、教会全体が立つか倒れるかが決まるというほどに重要な存在であったということです。
「エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。」
「エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした」という一文の中で、パウロ自身が最も強調を置いているのは、「啓示」という言葉です。原文では「啓示」という言葉に、定冠詞がつけられています。「the啓示」です。「まさに啓示によって」です。この定冠詞つきの「啓示」には、神御自身がパウロに「エルサレムに行け」という命令を、何らかの仕方で啓示された、という意味が込められていると思われます。
どういう仕方かについては書かれていません。そのような夢を見た、ということかもしれません。聖霊の働きというべきかもしれません。書かれていないので分かりません。
しかし、パウロが言わんとしていることは明らかです。この手紙の冒頭から繰り返し強調されてきた、あのことです。「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされた」というこのことです。人間によるのではなく、神による。神の啓示によって、わたしは使徒とされ、伝道者とされた。エルサレムに行くことも、人間によるのではなく、神の啓示による、というこのことを、パウロは、とにかく強調しているのです。
ここで二つの問題が残っています。
第一に、パウロはなぜ、エルサレムに行く際にバルナバとテトスという二人の伝道者を連れて行ったのか。第二に、パウロはエルサレムの使徒たちに、具体的に何を言いたかったのか、です。
第一の問題を考える際に重要であると思われるポイントは、バルナバとテトスとの間にあったと考えられる国籍の違い、という点です。
バルナバの国籍についての明確な記録は見当たりませんが、テトスについてはギリシア人であったと、3節にはっきりと書かれています。テトスはギリシア生まれのギリシア人、生粋のギリシア人でした。
これに対して、バルナバは、おそらくユダヤ人であったと思われます。「バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」と使徒言行録11・24に書かれています。彼は有能な伝道者でした。パウロがバルナバを伝道のパートナーとして選び、また、エルサレムに行く際にもパートナーとして選んだ理由は、この点にあると思われます。
しかし、テトスについては、いくらか別のことを考える必要がありそうです。テトスはギリシア人であった、というこの点が、パウロが彼を、エルサレム行きのもう一人のパートナーとして選ぼうと決心する際に決定的に重要な意味を持っていたと思われるのです。
第二の問題は、パウロはエルサレムの使徒たちのところに行って、具体的に何を言いたかったのか、ということです。
2節には「自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました」とあります。これだけでは何のことか、ほとんど分かりません。日本語がおかしい感じもします。
それでもいくらか分かることは、要するにパウロは、イエス・キリストの福音というものを、異邦人と呼ばれていた人々に宣べ伝えていたということです。
異邦人とは、ユダヤ人たちから見た外国人という意味以上に、異教徒という意味を持ちます。異邦人伝道とは、すなわち異教徒伝道です。別の宗教を信じている人々、そして、そこには現代的な意味の無神論者も含まれてよいと思いますが、聖書の神を信じていない人々を信仰へと導くこと、です。少し耳障りの悪い言葉を用いて言えば、その人々に改宗をしていただくことです。
パウロの仕事は、これでした。しかし、そのパウロが自分の仕事としていることとしての異邦人伝道ということ自体が、無駄なことであり、全く意味の無いことをしている、というふうに、教会の人々から見られているのではないか、ということが、少し不安になったのではないでしょうか。
ただし、今わたしが「不安になったのではないか」と言いましたのは、パウロが自分のしていることに自信を持てなくなった、という意味では全くありません。パウロはむしろ、非常に自信を持っていました。彼が不安になったのは、自分のしていることに対する自分自身の確信に揺らぎが生じたからでは全くなく、むしろ教会の人々に対する彼自身の不安、ないし不満があったからです。
わたしのしていることを無駄なことだと見る人々がいないかどうか。いるとしたら、そういう人々にはぜひとも考え方を変えてほしいと訴えるために、パウロは、エルサレムの使徒たちのもとに、乗り込んで行ったのです。これが第二の問題、パウロはエルサレムに具体的に何を言いたかったのか、という問題の答えです。
このとき、パウロは、ユダヤ教団から離脱してキリスト教会のメンバーになってから、17、8年たっていたと思われます。その頃になりますと、最初の遠慮は、そろそろ無用になるでしょう。なんでもかんでもズケズケと言うというのは、礼儀や常識という観点から言えばどうかと思うところがあります。しかし、教会に対してでさえ、はっきりと言わなければならないことがあるならば、遠慮なく言わなければならない。少なくとも伝道者たちには、教会の内部の問題に対して、率直な言葉を語らなければならない、その責任があるのです。
そして、まさにそのことを訴えるために、パウロは、テトスを、エルサレムまで連れて行ったのだ、と考えることができます。
ここで第一の問題に帰ります。先ほど申しましたとおり、テトスはギリシア生まれのギリシア人、生粋のギリシア人であるという意味で、ユダヤ人たちにとっての異邦人、そしてユダヤ教徒にとっての異教徒でした。そういう人が、しかし、イエス・キリストを信じて生きるキリスト者になり、キリストを宣べ伝える伝道者になりました。そしてその際、テトスは、ユダヤ教徒の男子が受けることになっていた割礼という儀式を、受けないままで、キリスト者になりました。
ここで間違いなく言えることは、テトスに洗礼を授けた人がそのように判断したということです。テトスが割礼を受けていないことの全責任は、彼に洗礼を授けた教師にあります。テトス自身が割礼を受けることを拒否した、という事実はありませんし、拒否する理由がテトス側にあったとは思えません。
そして、その場合、割礼を受ける意味は、そのとき、そのひとはユダヤ教徒になる、ということです。反対に、割礼を受けないということは、ユダヤ教徒にはならない、ということです。つまり、テトスに洗礼を授けた教師が判断したことは、異教徒であるギリシア人テトスは、キリスト者になるために、ユダヤ教徒になる必要は無い、ということでした。それは要するに、ユダヤ教徒になることとキリスト教徒になることとは別のことである、ということでした。
このようなことは、今のわたしたちにとっては、当たり前のことです。しかし、そのことは、当時のキリスト教会全体の中では、必ずしも、十分な意味で一致した考えや立場にはなっていませんでした。
と言いますのは、当時においてはまだ新しく生まれたばかりのキリスト教会のメンバーの大半は、生まれてすぐに割礼を受けることを習慣づけられていた(ただし、男子のみ)ユダヤ人たちだったからです。
そういう中で、当時のキリスト教会を構成していたメンバーの大半がユダヤ人であり、常識的に割礼を受けていた人々である、その中で、割礼を受けないままでキリスト教会のメンバーでありうると主張する人々が現われてきたときに、それは正しい判断かどうかということが、新しい問題として起こってきたのです。
そもそも、イエス・キリストを信じて救われるとは、罪の中から救い出されて、全く自由になること、心の重荷が取り去られて、軽くなることです。しかし、もしキリスト者になる前にユダヤ人にならなければならないということになれば、軽くなるどころか、負担がもっと増えます。たいへんだなあ、ということになるのです。
負担が減り、軽くなることが救いです。そのことを、パウロは、まさに全教会の全信徒に、受け入れてもらいたかったのです。だからこそ、パウロは、割礼を受けていないキリスト者の代表としてテトスを選び、エルサレムに連れて行ったのです。
「しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。」
当時の教会のおもだった人々、つまりエルサレムの使徒たちは、テトスに洗礼を授けた教師の判断を是としました。彼らはテトスの存在を認めました。それが意味することは、異邦人・異教徒がキリスト教会のメンバーに加わる前に、まず割礼を受けてユダヤ教徒にならなければならないというようなことは、必要ないことであり、全く意味のないことである、という判断を、使徒たちが正式に下したのだ、ということです。
このことは、逆に考えてみることも大切です。もし、そうではなく、エルサレムの使徒たちが、異邦人・異教徒が割礼を受けないままで、洗礼だけを受けて、キリスト教会の仲間とみなされているテトスの存在を認めなかったとしたら、このテトスのような人々をたくさん生み出している教師の授けている洗礼は、意味が無いものである、と教会が認めることを意味することにもなったのです。
そのような洗礼を授けていた教師の、少なくとも一人は、間違いなくパウロです。テトスの洗礼が全教会の全信徒に受け入れられるかどうかという問題は、パウロの伝道方法や洗礼方法には意味があるかどうか、という問題に、直接関係していたということです。
自分が喜びと確信と誇りをもって携わっている仕事に対して、あなたのしていることは無駄であるとか、意味が無いと言われて気持ちが良い人はいないでしょう。
しかし、誤解がありませんように。パウロがエルサレムで主張したかったことは、パウロが自分の仕事に対して持っていたプライドとか自信が傷つけられることが許せなかった、というような次元に留まるものではありませんでした。
そのために、教会の教師が一人の人に洗礼を授けることの持つ意味の大きさということが、正しく理解される必要があります。それは、まさか、その教師の手柄だとか勲章だというようなことではありえません。冗談でも、そんなことを言ってはなりません。
「割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。」
洗礼の意味は、一人の人がイエス・キリストのものとされるということです。神がその人を、イエス・キリストのものにするということです。洗礼は神御自身の行為です。とりわけ聖霊なる神のみわざです。洗礼はそれを受けた人の人生にかかわり、生命にかかわります。そのために、教師が用いられるのです。
割礼を受けないままで受けた洗礼は有効である、ということは、エルサレムの使徒たちが認めた真理です。こうしてパウロは、異邦人たちに授けてきた洗礼は有効であると公に認められました。
それは神が認めたことです。その洗礼が無駄であるとか、意味が無いというようなことを言われるなら、その教師は、生命をかけて戦わなければならないのです。
(2004年5月23日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年5月16日日曜日
今は福音
ガラテヤの信徒への手紙1・18~24
「それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの人にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。」
ここに記されておりますのは、この手紙の著者である使徒パウロが、イエス・キリストを救い主として信じることができるようになり、キリスト教の洗礼を受けて間もなくの頃の話です。
いわゆる初心者の時代です。悪い意味ではありません。当たり前のことですが、あの偉大な伝道者パウロにも、そのような時代があったのです。
もちろんそれは、だれにでもあります。すべてのキリスト者に初心者の時代があります。今は立派な長老たちにも、教会の中でいろいろな奉仕を熱心にくださっている人々にも、もちろん牧師たちにも、初心者の時代がありました。その頃の思い出や体験は、たいへん貴重なものです。
ただし、これから申し上げることは、少し悪い意味を含みます。おそらくすべての人に当てはまることです。神の恵みと憐れみによって、わたしは、イエス・キリストを、わたしの真の救い主として信じることができました。そして、洗礼を受けて、キリスト者としての人生を、新しく始めることができました。しかし、その後、しばらく経つと、良い意味でも、少し悪い意味でも、そのことにすっかり慣れてしまうということが起こります。
悪い意味だけではありません。どんなことでも、いつまでも初心者ということはありえません。成長していくことが望ましいし、成長していくべきです。
しかし、すっかり慣れてしまうとき、私たちは、イエス・キリストを信じて生きる者として体験する、さまざまな出来事の一つ一つを、最初の頃ほど、重く、あるいは深く受けとめないようになり、感動しなくなる、さらりと流してしまい、あまりよく覚えてもいない、というふうに、つい、なっていってしまうのです。
信仰生活は、しばしば結婚の生活にたとえられるものです。よい出会いがあり、やがて結婚した。最初は、すべてのことが、うれしくて、うれしくて、どんなことにも感動して、感謝して。しかし、そのうちすっかり慣れてしまい、一緒にいても、いないかのごとく。よく言えばお互いが空気のような存在になります。一緒に居て当たり前。居ないと困る。しかし、一緒に居るからと言って、特別に感謝するわけでもなし。
夫婦はそれでよいと思います。いつまでも、何かあるたびに大げさに騒ぐのも、わざとらしいものがあります。でも、最初の情熱を忘れることは、少し寂しいことでもあります。
イエス・キリストを信じる信仰の生活も、まさにそのようなものです。良い意味でも、少し悪い意味でも、すっかり慣れてしまうときが来る。すべて当たり前のことであるかのように感じる。新鮮さや初々しさを失い、不平や不満をたくさん口にするようにさえなる。避けがたいことですが、寂しいことでもあります。だからこそ、時間と共にますます重要な意味を持ち始めるのが、いわゆる初心者の時代の思い出であり、記憶であり、証しです。
このわたしは、どのようなきっかけで教会に通うようになったのか。どのような思いと感動をもってイエス・キリストを救い主として受け入れ、洗礼を受けたのか。内村鑑三氏の有名な書物に『余は如何にして基督信徒となりし乎』(How I become a Christian)というのがありますが、まさにこれです。このことを常に思い起こすことが大切です。
使徒パウロにも、かつてキリスト者でなかった時代がありました。しかし、心を入れ替えて、キリストを受け入れ、洗礼を受けた。「見よ、すべてが新しくなった」と力強く告白し、全く新しい人生の歩みを始めた頃があったのです。その頃、何があったのでしょうか。今日はそのことを学びたいと思います。
パウロが洗礼を受けた場所は、ダマスコという町でした。その一連の出来事についての比較的詳しい記録が使徒言行録9章にあります。もちろん当時、そのダマスコの町にも、私たちがそう呼ぶところの"教会"が存在したわけです。
ダマスコの教会でパウロに洗礼を授けた人は、その町に住んでいたアナニアという人でした。そしてパウロは、しばらくの間、ダマスコの町にとどまって、イエス・キリストの福音を宣べ伝えること、すなわち伝道の働きを行いました。こうして、ダマスコは、パウロの人生におけるまさに決定的な転換点となり、思い出の場所となりました。
こういうことは非常に大事なことです。すべてのキリスト者にパウロにとってのダマスコがあるはずです。そこで全く心を入れ替えた場所。イエス・キリストを受け入れた場所。人生の新しい出発における原点。このわたしの人生が決定的な仕方で全く方向転換してしまった場所。
皆さんにとって、それはどこでしょうか。松戸市小金原である、という方もおられるでしょう。そして、これからも、この町、この教会が、このわたしのダマスコである、と告白する人々が生み出されていくでしょう。
まさにこの意味で、私たちの人生において教会の果たすべき役割は、非常に大きいのです。
こうして、パウロは洗礼を受けた後、しばらくダマスコの町を中心に、活動していました。「それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しました」とある中の「ケファ」とは、使徒ペトロのことです。その意味は「岩」です。
これはイエスさまご自身が付けた名前です。ペトロの本名、彼の親がつけた名前は、シモンでした。このシモンにイエスさまがペトロと名づけ、しばしばシモン・ペトロと呼びました。ペトロの意味がケファ、つまり岩です。これは覚えていただく必要があります。
ところで、パウロがなぜ「ケファと知り合いになろうとして」エルサレムに上ったのか、その理由は何でしょうか。
ケファ、すなわち使徒ペトロは、いちばん最初にイエスさまの弟子になり、イエスさまが最も愛された弟子の一人であったことから、イエスさまの復活以後に生まれたキリスト教会における最高指導者になっていました。この教会の最高指導者としてのペトロと知り合いになるために、パウロは、ペトロのいるエルサレムに上っていったのです。
そして、そのときペトロは、パウロとの会見を許可しました。「十五日間彼のもとに滞在しました」と書かれているとおりです。
一つ、細かいことですが、別の翻訳の聖書の中には、「十五日間」ではなく「二週間」と訳されているものがあります。「二週間」ならば、十四日間です。どちらが正しいかは、わたしには判断がつきません。
ただ、はっきりしていることは、教会が公の礼拝を行うのは日曜日です。滞在が十五日間であれ、十四日間であれ、その間に二度、公の礼拝が行われ、そこに大勢のキリスト者が集まったはずです。もちろん、それ以外の日にも、祈祷会はじめ、いろいろな集まりが行われていましたので、そこにもパウロは出席したはずです。そして、個人的にペトロと会い、いろいろなことを語り合ったに違いありません。
ただの観光旅行ではありません。滞在先の町の教会で行われる礼拝に出席するために、出かけていくのです。二週間あれば、その地の礼拝に、少なくとも二回は出席できます。私たちにとっても、比較的長期の旅行は、いずれにせよ、"教会訪問"の意味を持ちます。
そして、先ほど、わたしは「そのときペトロは、パウロとの会見を許可しました」と申しました。あえて少し微妙な言い方をしました。ペトロは、当時のキリスト教会の最高指導者として、そのとき初めて訪ねてきたパウロとの会見を拒否する権限も持っていた、と理解すべきです。
そのように理解しなければならない理由は、はっきりしています。パウロはかつて、まさに熱心なユダヤ教徒として、まさに熱心なキリスト教迫害者だったからです。
パウロは、教会の「敵」でした。より正確に言えば、パウロが教会を「敵」とみなしていました。そして、教会に対する実際的な暴力や虐待もパウロ自身の手によって行われていました。当時の教会の中には、パウロ自身によって殺された人々の家族や仲間もいたはずです。そんなパウロと教会の最高指導者であるペトロとが、どうして会わなければならないのでしょうか。
易々と会ってよいはずがない。会うとなれば、それはまさに歴史的な大事件です。
しかし、その会談は実現しました。ペトロがパウロとの会見を許可したのです。パウロというあの凶暴なキリスト教迫害者が、全く心を入れ替え、洗礼を受けて、キリスト者になり、教会の仲間に加わったということが、正式かつ公に認められたのです。
別の言い方をするなら、そのとき、教会が公にパウロの罪を赦したのです。ですから、ここで理解しなければならないことがあります。この個所にパウロが書いていることは、「ちょっとエルサレムまで旅行してきました」とか、「ちょっとペトロさんに会ってきました」というような軽い調子の話ではありえない、ということです。
それは、パウロ自身にとっても、教会にとっても、重大な歴史的事件であった、ということです。少なくともパウロ自身にとっては、教会に対して自分が犯した罪を、教会が赦してくれたということを、感謝と喜びをもって実感し、体験することができた、決定的な瞬間を意味しています。
わたしは間違っていた、ということを、深く反省もしたでしょう。そして、彼は、救われたはずです。
そして、そのことは、教会の側にとっても、必ず大きな意味を持ちます。自分たちを迫害していた人を、自分の家族や仲間を殺した相手を、赦して受け入れるというわけですから。そんなことは、簡単にはできないことです。そうではないでしょうか。
「その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。ただ彼らは、『かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている』と聞いて、わたしのことで神をほめたたえておりました。 」
なんとなく、さらっと書いているように感じなくもありませんが、ここに書かれていることは、ものすごい内容を持っている、ということは、これまでお話しいたしましたことで、理解していただけるはずです。
ペトロとの会見を許されたパウロの後日談です。教会が、正式かつ公に、パウロをキリスト教会の仲間として受け入れることができた、その後のことが、書かれています。
「その後、パウロが、シリアおよびキリキア地方の教会に行ったとき、その人々とは顔見知りではなかったのに、彼らは、わたしのことで、神をほめたたえていた。」
このわたしが救われたこと、そして「かつての迫害者が、あの当時は滅ぼそうとしていたこの信仰を、今は福音として告げ知らせている」ことを、喜んでくれていた。
エルサレムにいるペトロや他の使徒たちだけがパウロを受け入れただけではなく、世界のキリスト教会全体が、このわたしを受け入れてくれた。
そのことを実感したパウロの心に、感謝と喜びがあふれたに違いありません。
ひとの罪を赦すことも、赦されることも、簡単なことでも、当たり前のことでもありません。たとえ、それが救い主イエス・キリストのご命令であっても、そこがキリストの体なる教会の要請であっても、です。しかし、それが実現するとき、ひとの心は、感謝と喜びに満たされます。
パウロ自身が、その感謝、その喜びを、最も深く知っている一人です。このわたしの罪が赦された、というその思い出、その記憶、その証しが、その後の彼の人生を支える力となりました。
だからこそ、彼もまた、ひとの罪を赦すために来てくださった救い主イエス・キリストを信じる信仰を、「今は福音として」宣べ伝えることができました。そして、イエス・キリストの体なる教会を、この地上に建て上げていく仕事のために、全生涯をささげることができたのです。
(2004年5月16日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年5月9日日曜日
母の胎から
ガラテヤの信徒への手紙1・11~17
「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。」
わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではない。パウロが福音を告げ知らせたのは誰に対してか。もちろん、「あなたがた」です。この手紙の宛先であるガラテヤ教会の人々です。
福音とは、パウロ自身が語った言葉です。あなたがたガラテヤ教会の人々は、わたしが告げ知らせた福音をたしかに聴いた。しかし、あなたがたが聴いたわたしの言葉は、人によるものではない、とパウロは言います。
別の翻訳の聖書によりますと、「人によるものではない」の部分は、「人間の事柄ではない」と訳されています。「人間的な事柄ではない」と訳すこともできます。福音の言葉は「人間の事柄」あるいは「人間的な事柄ではない」としたら、誰の事柄、あるいは誰的な事柄だというのでしょうか。
「わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。」
これは驚くべき言葉です。パウロは、福音の言葉を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされた、と書いています。
しかし、パウロは、たしかに彼自身が書いたとされる別の手紙の中で、次のように書いています。コリントの信徒への手紙一15・3を見てください。
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。」
ここでパウロが「最も大切なこと」と言っているのは、福音のことです。福音とは、喜びの知らせという意味です。父なる神が、キリストを通して、わたしたちこの地上に生きる人々を、罪の中から救い出してくださる。わたしたちは、罪から全く自由なものとして生きることができるようになる。それは喜ばしいことです。まさにその喜び、救いの喜びを告げ知らせる喜ばしい知らせのことを、福音と呼ぶのです。
この喜ばしい知らせとしての福音を、パウロは、「わたしも受けた」とコリントの信徒への手紙には、たしかに述べています。福音とは、自分で考え出すもの、瞑想を通して悟るものではありません。全く正反対です。福音とは、伝え聞くもの、受け継ぐものです。
しかし、パウロは、コリントの信徒への手紙においても、その福音を人から受け継いだとは書いていません。「わたしも受けた」と書いているだけです。
それでは、だれから受けたのか。イエス・キリスト御自身から受けた、とパウロは主張します。どうやって?「イエス・キリストの啓示によって知らされた」とあります。啓示とは、日本語の文字通り「啓き示すこと」です。雲に覆われた太陽が、雲の後ろから出てくるごとくです。隠されたものが明らかにされることです。
「イエス・キリストの啓示」とあります。これは誤訳ではありませんが、事柄をいくらか分かりにくくしてしまう訳かもしれません。
事柄に即して言えば、「イエス・キリストという啓示」です。救い主イエス・キリストは神の啓示そのものです。啓示そのものとしてのイエス・キリストです。雲に覆われた太陽はイエス・キリストの父なる神でもありますが、神の御子なるイエス・キリスト御自身でもあります。
イエス・キリストは、神の御子であると同時に、世界の中に生まれ、生活し、生きた一人の歴史上の人物でもあります。一人の歴史上の人物が、父なる神からこの地上に遣わされ、父なる神御自身の御言を世界の人々に宣べ伝えてくださったのです。
パウロは、このイエス・キリストを知りました。しかしパウロは、イエス・キリストを信じる者になる前に、イエスさまの地上におけるお姿を見たことがあるとか、実際に語り合ったことがある、ということを、書いている個所はありません。
たとえば、イエスさまがゴルゴタの丘の上で十字架につけられたとき、多くの人々がその場面を見ていますが、その中にパウロがいたかどうかということは、聖書のどこにも書いていないので、分かりません。反対に、全く見たことがない、ということも、どこにも書いていません。
しかし、パウロにとって、そのこと自体は、あまり問題ではなかったようです。パウロにとって「イエス・キリストの啓示」とはどのようなものであったかを知るために決定的に重要な聖書の個所は、使徒言行録9・1以下です。
この個所で、パウロはまだ「サウロ」と呼ばれていましたが、主の弟子たち、すなわち救い主イエス・キリストを信じる人々を脅迫し、殺そうと意気込んでいました。その様子は、今日の個所にもはっきりと書かれています。
「あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒ととして、どのようにふるまっていたかを、聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。」
パウロは、かつて、人一倍熱心なユダヤ教徒として、キリスト教徒を迫害し、血祭りに上げ、抹殺することを、自分の使命としていました。この人がのちに熱心なキリスト教徒になることなど、その当時のパウロを知っている人にとっては、考えられないようなこと、想像を絶することであった、と言えるほどです。
皆さんの中には、「あなたがクリスチャンになるだなんて、想像を絶することでした」と言われたことがある方は、おられませんか。
ところが、そのパウロがキリスト教徒迫害のための旅をしていたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らし、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた、というのです。
それに対してパウロが「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがありました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」。このような声が聞こえてきた。この声をパウロは、イエス・キリスト御自身の声であると信じたのです。信じることができたのです。
「そんなの、おかしいよ!」と感じる方がおられるかもしれません。どこからともなく聞こえてくる声が、イエス・キリストの声かどうか、どうして分かるのか。それはあなた自身の心の声かもしれない。だれかが言った言葉を心のどこかで覚えていて、それを思い出しただけだ、というような見方もありうるだろうと思います。
しかし、これは、真実が何であれ、パウロ自身の信仰なのです。パウロが聞いたのは人の声ではなく、キリストの声であった。この出来事を、彼が、そのように受けとめたこと自体を、だれもとやかく言うことはできません。
少し開き直ったような言い方を許していただくならば、わたしたちにとって信仰というのは、いずれにせよ、そんなようなものです。わたしがこれをそのように信じる、と言いきってしまえば、それはもう、だれも手をつけることができない、一つの聖域を作り出すことになります。
わたしは、このことを、悪い意味で言っているわけではありません。信仰とは、いずれにせよ、そういうものだと言いたいだけです。
16世紀スイスの宗教改革者カルヴァンは、まさにこの事態を「キリストとの神秘的結合」と呼びました。イエス・キリスト御自身とキリストを信じるわたしたちの関係は、まさに神秘的に結合し、一体となっているのです。
それは人間同士の結婚関係にたとえられるものです。その関係の中に、第三者が介入する余地は全くありえない。いや、介入の余地があってはならないのです。だれが何と言おうと、このわたしがキリストから引き離されることはありえないのです。他の誰からも、文句を言われたり、注文をつけられる筋合いにもないのです。
たとえば、牧師になるという決心をして、神学校に入学する人がいます。彼らは一様に「神がわたしをお召しになった」と言います。そのように言わない、または言えない人には、神学校は入学を許さないでしょう。
ところが、そのことを、たとえばキリスト者ではない家族の人々の中には「ホントかいな?」と疑う人もいるに違いない。彼がまだ小さな子どもだった頃からよく知っている人々にとっては、「あの子がねえ」と、思わず笑ってしまうようなことでさえある。
しかし、これはまさに信仰であり、信仰以外の何ものでもない、と認めざるをえません。その信仰を抱いた人々は、自分勝手な思い込みだとか何だとか、だれから何を言われても、甘んじて受けるしかありません。
ただし、その信仰を抱いた人々が、その次にしなければならないことがあります。それは、一言で言えば、証しです。その信仰を自分の身をもって証明することが、求められるのです。
わたしはイエス・キリストの声を聞いた。キリストの御言を宣べ伝える者になるように、キリスト御自身がこのわたしにお命じになった。このことを信じた人は、実際にキリストの御言を宣べ伝えなければなりません。そして、御言を宣べ伝えることをやめてはなりません。
いや、やめることができません。彼は、キリストの言葉を聞いてしまった人なのです。
ある先生から教えられたことです。キリストの福音を宣べ伝えるとは、ちょうど、うわさ話を、人から人へと耳打ちしていくことに等しい、と。「こんなことがあったんだって、すごいでしょ?」「え、ホント?」。
わたしたちは自分に耳打ちされた言葉が、驚くべき内容を持ち、非常に興味深く、かつ面白いものであれば、おそらく必ず、別の人にも伝えたいと感じます。だれかに言いたくて言いたくて、たまらなくなります。
「松戸小金原教会に新しい牧師さんが来たんだって」「え、うそー、どんな人」「えーとねー」。
残念な話を聞いたときは、別の人に話したいと思わないかもしれません。
伝道とは何かを、考えさせられます。あるいは、とくに教会ということを考える場合、毎週日曜日に行われる礼拝の説教とは何かを考えさせられます。
イエス・キリストの御言を聞いたのは、パウロだけではありません。十二人の使徒たち、そしてまた、多くの主の弟子たちも聞きました。彼らは、イエス・キリストから聞いた言葉を、別の人々に耳打ちしました。それが驚くべき言葉であり、興味深い言葉であり、面白い言葉であったから、それを聞いた人々は、さらに別の人々にも耳打ちしました。
今日わたしたちが福音の御言を聞くことができるのは、この耳打ちが二千年間も続けられてきた結果なのです。
「しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこからダマスコに戻ったのでした。」
ここでパウロが書いていることは何でしょうか。これは明らかに、彼が宣べ伝えた福音は人によるのではない、ということを、極限まで突き詰めていくと、こういう話になる、という一つの究極表現である、と言えます。
「母の胎内にあるときから」と、パウロは言い切ります。これは間違いなく、非常に過激な言葉です。聴く人によっては腹を立ててしまうかもしれないほど過激です。なぜなら、これは、いわゆる教育の賜物というべき要素を、根本的に問いに付す言葉になりうるからです。
わたしたちは、教会とそれぞれの家庭において、信仰教育ということを考えざるをえません。自分の子どもたち、日曜学校の生徒たち、自分自身が、教会や家庭で聖書を学ぶ。教会が学校になり、先生がいて生徒がいる。家庭が学校になり、親が先生になり、子どもが生徒になる。そのこと自体が間違っているわけでは、決してありません。
ところが、だれかある先生のおかげで、わたしは信仰を持つことができたとか、御言を宣べ伝える伝道者になることができたという言い方に根本的・究極的な疑問符を付けるのが、このパウロの言葉です。
「母の胎内にあるときから、神がわたしをお選びになった」。
恩知らずな言葉かもしれません。しかし、信仰に関しては、恩知らずでもよいのです!恩知らずであることが許されるのです。
だれのおかげでもない、神よ、あなた御自身が、このわたしが母の胎内にあるときから、だれの教育も影響も受けていないそのときから、このわたしを召してくださっていたのである、というこの一点を信じることができるときに、その信仰が本物の信仰になるのです。
人の支えによって立つのではなく、神御自身の支えによって立つ信仰になるのです。
(2004年5月9日、松戸小金原教会主日礼拝)
「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。」
わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではない。パウロが福音を告げ知らせたのは誰に対してか。もちろん、「あなたがた」です。この手紙の宛先であるガラテヤ教会の人々です。
福音とは、パウロ自身が語った言葉です。あなたがたガラテヤ教会の人々は、わたしが告げ知らせた福音をたしかに聴いた。しかし、あなたがたが聴いたわたしの言葉は、人によるものではない、とパウロは言います。
別の翻訳の聖書によりますと、「人によるものではない」の部分は、「人間の事柄ではない」と訳されています。「人間的な事柄ではない」と訳すこともできます。福音の言葉は「人間の事柄」あるいは「人間的な事柄ではない」としたら、誰の事柄、あるいは誰的な事柄だというのでしょうか。
「わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。」
これは驚くべき言葉です。パウロは、福音の言葉を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされた、と書いています。
しかし、パウロは、たしかに彼自身が書いたとされる別の手紙の中で、次のように書いています。コリントの信徒への手紙一15・3を見てください。
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。」
ここでパウロが「最も大切なこと」と言っているのは、福音のことです。福音とは、喜びの知らせという意味です。父なる神が、キリストを通して、わたしたちこの地上に生きる人々を、罪の中から救い出してくださる。わたしたちは、罪から全く自由なものとして生きることができるようになる。それは喜ばしいことです。まさにその喜び、救いの喜びを告げ知らせる喜ばしい知らせのことを、福音と呼ぶのです。
この喜ばしい知らせとしての福音を、パウロは、「わたしも受けた」とコリントの信徒への手紙には、たしかに述べています。福音とは、自分で考え出すもの、瞑想を通して悟るものではありません。全く正反対です。福音とは、伝え聞くもの、受け継ぐものです。
しかし、パウロは、コリントの信徒への手紙においても、その福音を人から受け継いだとは書いていません。「わたしも受けた」と書いているだけです。
それでは、だれから受けたのか。イエス・キリスト御自身から受けた、とパウロは主張します。どうやって?「イエス・キリストの啓示によって知らされた」とあります。啓示とは、日本語の文字通り「啓き示すこと」です。雲に覆われた太陽が、雲の後ろから出てくるごとくです。隠されたものが明らかにされることです。
「イエス・キリストの啓示」とあります。これは誤訳ではありませんが、事柄をいくらか分かりにくくしてしまう訳かもしれません。
事柄に即して言えば、「イエス・キリストという啓示」です。救い主イエス・キリストは神の啓示そのものです。啓示そのものとしてのイエス・キリストです。雲に覆われた太陽はイエス・キリストの父なる神でもありますが、神の御子なるイエス・キリスト御自身でもあります。
イエス・キリストは、神の御子であると同時に、世界の中に生まれ、生活し、生きた一人の歴史上の人物でもあります。一人の歴史上の人物が、父なる神からこの地上に遣わされ、父なる神御自身の御言を世界の人々に宣べ伝えてくださったのです。
パウロは、このイエス・キリストを知りました。しかしパウロは、イエス・キリストを信じる者になる前に、イエスさまの地上におけるお姿を見たことがあるとか、実際に語り合ったことがある、ということを、書いている個所はありません。
たとえば、イエスさまがゴルゴタの丘の上で十字架につけられたとき、多くの人々がその場面を見ていますが、その中にパウロがいたかどうかということは、聖書のどこにも書いていないので、分かりません。反対に、全く見たことがない、ということも、どこにも書いていません。
しかし、パウロにとって、そのこと自体は、あまり問題ではなかったようです。パウロにとって「イエス・キリストの啓示」とはどのようなものであったかを知るために決定的に重要な聖書の個所は、使徒言行録9・1以下です。
この個所で、パウロはまだ「サウロ」と呼ばれていましたが、主の弟子たち、すなわち救い主イエス・キリストを信じる人々を脅迫し、殺そうと意気込んでいました。その様子は、今日の個所にもはっきりと書かれています。
「あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒ととして、どのようにふるまっていたかを、聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。」
パウロは、かつて、人一倍熱心なユダヤ教徒として、キリスト教徒を迫害し、血祭りに上げ、抹殺することを、自分の使命としていました。この人がのちに熱心なキリスト教徒になることなど、その当時のパウロを知っている人にとっては、考えられないようなこと、想像を絶することであった、と言えるほどです。
皆さんの中には、「あなたがクリスチャンになるだなんて、想像を絶することでした」と言われたことがある方は、おられませんか。
ところが、そのパウロがキリスト教徒迫害のための旅をしていたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らし、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた、というのです。
それに対してパウロが「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがありました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」。このような声が聞こえてきた。この声をパウロは、イエス・キリスト御自身の声であると信じたのです。信じることができたのです。
「そんなの、おかしいよ!」と感じる方がおられるかもしれません。どこからともなく聞こえてくる声が、イエス・キリストの声かどうか、どうして分かるのか。それはあなた自身の心の声かもしれない。だれかが言った言葉を心のどこかで覚えていて、それを思い出しただけだ、というような見方もありうるだろうと思います。
しかし、これは、真実が何であれ、パウロ自身の信仰なのです。パウロが聞いたのは人の声ではなく、キリストの声であった。この出来事を、彼が、そのように受けとめたこと自体を、だれもとやかく言うことはできません。
少し開き直ったような言い方を許していただくならば、わたしたちにとって信仰というのは、いずれにせよ、そんなようなものです。わたしがこれをそのように信じる、と言いきってしまえば、それはもう、だれも手をつけることができない、一つの聖域を作り出すことになります。
わたしは、このことを、悪い意味で言っているわけではありません。信仰とは、いずれにせよ、そういうものだと言いたいだけです。
16世紀スイスの宗教改革者カルヴァンは、まさにこの事態を「キリストとの神秘的結合」と呼びました。イエス・キリスト御自身とキリストを信じるわたしたちの関係は、まさに神秘的に結合し、一体となっているのです。
それは人間同士の結婚関係にたとえられるものです。その関係の中に、第三者が介入する余地は全くありえない。いや、介入の余地があってはならないのです。だれが何と言おうと、このわたしがキリストから引き離されることはありえないのです。他の誰からも、文句を言われたり、注文をつけられる筋合いにもないのです。
たとえば、牧師になるという決心をして、神学校に入学する人がいます。彼らは一様に「神がわたしをお召しになった」と言います。そのように言わない、または言えない人には、神学校は入学を許さないでしょう。
ところが、そのことを、たとえばキリスト者ではない家族の人々の中には「ホントかいな?」と疑う人もいるに違いない。彼がまだ小さな子どもだった頃からよく知っている人々にとっては、「あの子がねえ」と、思わず笑ってしまうようなことでさえある。
しかし、これはまさに信仰であり、信仰以外の何ものでもない、と認めざるをえません。その信仰を抱いた人々は、自分勝手な思い込みだとか何だとか、だれから何を言われても、甘んじて受けるしかありません。
ただし、その信仰を抱いた人々が、その次にしなければならないことがあります。それは、一言で言えば、証しです。その信仰を自分の身をもって証明することが、求められるのです。
わたしはイエス・キリストの声を聞いた。キリストの御言を宣べ伝える者になるように、キリスト御自身がこのわたしにお命じになった。このことを信じた人は、実際にキリストの御言を宣べ伝えなければなりません。そして、御言を宣べ伝えることをやめてはなりません。
いや、やめることができません。彼は、キリストの言葉を聞いてしまった人なのです。
ある先生から教えられたことです。キリストの福音を宣べ伝えるとは、ちょうど、うわさ話を、人から人へと耳打ちしていくことに等しい、と。「こんなことがあったんだって、すごいでしょ?」「え、ホント?」。
わたしたちは自分に耳打ちされた言葉が、驚くべき内容を持ち、非常に興味深く、かつ面白いものであれば、おそらく必ず、別の人にも伝えたいと感じます。だれかに言いたくて言いたくて、たまらなくなります。
「松戸小金原教会に新しい牧師さんが来たんだって」「え、うそー、どんな人」「えーとねー」。
残念な話を聞いたときは、別の人に話したいと思わないかもしれません。
伝道とは何かを、考えさせられます。あるいは、とくに教会ということを考える場合、毎週日曜日に行われる礼拝の説教とは何かを考えさせられます。
イエス・キリストの御言を聞いたのは、パウロだけではありません。十二人の使徒たち、そしてまた、多くの主の弟子たちも聞きました。彼らは、イエス・キリストから聞いた言葉を、別の人々に耳打ちしました。それが驚くべき言葉であり、興味深い言葉であり、面白い言葉であったから、それを聞いた人々は、さらに別の人々にも耳打ちしました。
今日わたしたちが福音の御言を聞くことができるのは、この耳打ちが二千年間も続けられてきた結果なのです。
「しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこからダマスコに戻ったのでした。」
ここでパウロが書いていることは何でしょうか。これは明らかに、彼が宣べ伝えた福音は人によるのではない、ということを、極限まで突き詰めていくと、こういう話になる、という一つの究極表現である、と言えます。
「母の胎内にあるときから」と、パウロは言い切ります。これは間違いなく、非常に過激な言葉です。聴く人によっては腹を立ててしまうかもしれないほど過激です。なぜなら、これは、いわゆる教育の賜物というべき要素を、根本的に問いに付す言葉になりうるからです。
わたしたちは、教会とそれぞれの家庭において、信仰教育ということを考えざるをえません。自分の子どもたち、日曜学校の生徒たち、自分自身が、教会や家庭で聖書を学ぶ。教会が学校になり、先生がいて生徒がいる。家庭が学校になり、親が先生になり、子どもが生徒になる。そのこと自体が間違っているわけでは、決してありません。
ところが、だれかある先生のおかげで、わたしは信仰を持つことができたとか、御言を宣べ伝える伝道者になることができたという言い方に根本的・究極的な疑問符を付けるのが、このパウロの言葉です。
「母の胎内にあるときから、神がわたしをお選びになった」。
恩知らずな言葉かもしれません。しかし、信仰に関しては、恩知らずでもよいのです!恩知らずであることが許されるのです。
だれのおかげでもない、神よ、あなた御自身が、このわたしが母の胎内にあるときから、だれの教育も影響も受けていないそのときから、このわたしを召してくださっていたのである、というこの一点を信じることができるときに、その信仰が本物の信仰になるのです。
人の支えによって立つのではなく、神御自身の支えによって立つ信仰になるのです。
(2004年5月9日、松戸小金原教会主日礼拝)
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