2004年9月12日日曜日
人の弱さを担う善意
ガラテヤの信徒への手紙4・12~18
「わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください。兄弟たち、お願いします」。
「あなたがたもわたしのようになってください」。これは、パウロの他のいくつかの手紙(一コリント4・16、11・1、フィリピ3・17、二テサロニケ3・7)にも出てくる「わたしのようになりなさい」とか「わたしに倣うものになりなさい」と全く同じ意味で書かれています。なんとなく自信過剰な人の言いそうなことだ、とお感じになるかもしれません。しかし、決してそういうことではありません、と申し上げておきます。
「あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです」(4・7)と書かれていました。しかし、そのあなた、すなわち「神の子」とされたあなたが「なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか」(4・9)と、パウロは問いました。その続きに「わたしのようになりなさい」と書かれているのです。
わたしは今や「神でない神々」の奴隷ではない。そのようなものの奴隷にはならないし、なりたくない。奴隷なんて、まっぴらだ。今、わたしは、全く自由の身である。あなたもわたしと同じように自由になったではないか。それなのに、なぜもう一度、逆戻りするのか。なぜ、不自由な人生に戻ろうとするのか。ぜひ、このわたしと一緒にこの自由を守り抜いて行きましょう。全く自由で喜びに満ちたこの人生を楽しみ続けましょう。どうか、わたしのように自由な者になってください。これがパウロの言葉の真意です。
ただし、これは、やはり、自分の生き方に自信や確信をもつことができる人だけが語りうる言葉である、ということは、おそらく事実です。今の時代、「自信たっぷり」というのは、あまり流行らないかもしれません。「人生いろいろ」と口を濁しておいたほうが無難かもしれません。しかし、真の神さまだけが与えてくださる自由なる人生は、わたしたちの大切な宝物です。それこそが、価値ある人生です。そのことを、できるだけ多くの人々に知っていただくことが、教会の伝道の目的です。
「あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました」。
ここでパウロは、自分自身とガラテヤ教会の人々との間で過去に起こった一つの出来事を回想しています。パウロがガラテヤ教会の人々と知り合った、そもそものきっかけは何であったか、という話です。
そのことをパウロは、「この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました」と表現しています。弱くなったのは、パウロ自身の体です。彼の体が何かの病気に冒されたのです。そのことが「きっかけ」であると書いています。
おそらくパウロは伝道旅行の最中に病気にかかったのです。そして、休むためにガラテヤの町に立ち寄り、教会の人々に看病してもらったのです。そして、おそらく彼が看病してもらっている最中か、癒された後に、福音を宣べ伝えたのです。あなたがたガラテヤ教会の人々は、わたしパウロに対してとても親切にしてくださいました、と言っているのです。パウロは、彼らに心から感謝しているのです。
「わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあった」とあります。これはどういう意味でしょうか。
ここで「試練」とは、誘惑されるという意味です。何に誘惑されるのでしょうか。ここでも考えられることは、真の神の子になる前の生活、「神ではない神々」の奴隷として仕えていた頃の生き方に逆戻りしてしまうことへの誘惑ということです。しかし、そういうことが、実際にあるのでしょうか。
その方は、まだ元気に生きておられますので、名前は伏せておきます。わたしの親しい人(年配の方)が、あるとき言いました。「わたしの牧師が病気で死ぬことは、ありえない」。まるで、牧師が病気にかかってはならないかのようでした。
しかし、そういう信仰というのが実際にはありうるのだと思います。この世の中には、あまり堂々と病気にかかってはいけない人というのがいるように思います。「人を助けなければならない人が、人に助けられてはならない」と言われてしまう人々がいるでしょう。その人が病気で苦しんでいる姿を他の人に見られることは「証しにならない」とか「つまずきになる」と言われることが実際にはあるのだと思います。そういうのは間違っている、と言っても仕方がないのです。パウロは、ガラテヤの人々に看病してもらっていたとき、そのあたりのことを、とても気にしていた様子が伺えます。
しかし、彼らは、パウロのことを、さげすんだり、忌み嫌ったりしませんでした。それどころか、パウロのことを神の使いであるかのように、イエス・キリストであるかのように、受け入れることができました。パウロは、その日そのときの、ガラテヤ教会の人々の優しさ、温かさを忘れていません。
「あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。」
パウロの病気は何だったのかということが、しばしば問題になります。その答えの根拠として引き合いに出される個所の一つが、ここです。
ガラテヤ教会の人々は、自分の目をえぐり出してもパウロに与えようとした。それくらいに、彼らは、パウロのことを大切な存在として扱った、ということです。しかし、ここに「目」ということが書かれていますので、パウロの病気は、おそらく目の病気であったに違いない、と言われるのです。
ただし、これは決定的な答えではありません。いくつかの説のうちの一つにすぎません。
もう一つ、しばしば引き合いに出されるのはコリントの信徒への手紙二12・7の「わたしの身に一つのとげが与えられました」という言葉です。「目にとげがささった」と、無理に関連づける必要はないでしょう。「とげのごとく刺すような痛み」であると説明されます。神経痛のようなものではないかとか、精神的な原因から来るものではないかと説明する人もいます。
しかし、わたしは、とくに最近になって、だんだん分かってきたことがあります。それは、人の病気というものは、どこが悪いと一言で言えないほどに、複雑に絡み合っているというか、互いに関係しあっているらしい、ということです。
少し仕事をしすぎた。すると、目が疲れて、肩がこって、頭が痛くなって、背中も腰も痛くなって、足も痛くなって、そのうちお腹も痛くなって、熱も出てきて、ついに倒れてしまう。どこが悪いと、一言では言えないのです。
この機会に、いちおう、お話ししておきたいことがあります。
わたしの体の中には健康のバロメーターがあります。疲れてくると最初に痛くなるのが、3年前にヘルニアを発症した椎間板です。もちろん、目も肩などは、しょっちゅう痛んでいます。もう少し疲れてくると、13年前に発症した尿管結石が、ゴロゴロと活動を再開します。最後に親知らずが痛みはじめると、終わりです。抵抗力がだんだん無くなっていく様子がよく分かります。段階を踏んで、力尽きていきます。
16世紀スイスの宗教改革者カルヴァンも、病気で苦しんだ一人です。
カルヴァンは55才で亡くなりました。ものの本によりますと、カルヴァンは主著『キリスト教綱要』の初版を書いていた頃、「一睡もせずに夜を徹し、昼も食事をしないくらいに勉強に精出して」いたそうです(ベノア著『ジァン・カルヴァン』森井真訳、日本基督教団出版部、1955年、32ページ)。そして、晩年のカルヴァンは「偏頭痛と胃痛と肺結核、尿路結石、神経痛」を患っていたと言われます(久米あつみ著『カルヴァン』講談社、192ページ)。
先ほど、パウロが「わたしのようになりなさい」と言っていました。しかし、それは、わたしのように病気になりなさい、という意味ではありません。また、わたしたち改革派教会の者たちはカルヴァンを尊敬しますが、病気の数や種類まで、カルヴァンをみならうべきではありません。そういうことではないのです。
しかし、実際には、悲しいかな、牧師とか伝道者とか神学者などと呼ばれる人々の中に、考えられないほどの数や種類の病気を患ってしまう人々がいることも事実です。
とはいえ、わたしは、自分の不摂生の言い訳のようなことは言いたくありませんし、同僚の牧師たちをかばうようなこともしたくありませんし、そんなことはすべきではない、と思っております。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんと、謝罪したい気持ちがあるだけです。本当に、ただ申し訳ございません。
しかし、実際には、そういうときには本当に、教会だけが頼りです。わたしの話をしているわけではありません。パウロの話です。パウロが重い病気にかかったとき、心を尽くして優しく看病し、祈りをもって支えた教会の人々がいたのです。「人の弱さを担う善意」を持っていた人々がいたのです!
「すると、わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵になったのですか。あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです。わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです。」
ガラテヤ教会の人々の心は、パウロが去った後、パウロから離れて行きました。本当に悲しいことです。しかし、パウロの悲しみは、単なる感傷ではありません。
パウロが宣べ伝えた「福音の真理」から彼らが離れていくことを、パウロは悲しんだのです。
(2004年9月12日、松戸小金原教会主日礼拝)