2017年9月26日火曜日

ヘッペ『キリスト教倫理』オランダ語版(1882年)を入手しました

久々に古書を買った。注文して6日で届いた。ヘッペ『キリスト教倫理』フニンク訳オランダ語版(1882年)(中央)。発行者序によると本書は看過された手稿の没後出版。私のヘッペ蔵書は3冊目。左から『改革派教義学』『キリスト教倫理』『特にオランダの改革派教会における敬虔主義と神秘主義』。




ヘッペ(Heinrich Ludwig Julius Heppe)は1820年3月30日ヘッセン州カッセルに生まれ、1879年7月25日マールブルクで没したドイツの神学者、教会史学者。1844年マールブルク大学で博士号の学位を得た。1845年からカッセルの聖マルティン教会の牧師。

1850年マールブルク大学神学部助教授、1864年正教授。ヘッペの専攻分野は教義学とヘッセン教会史研究。マールブルク大学でヘッペはルーテル派の信条主義者フィルマー教授(August Friedrich Christian Vilmar [1800–1868])のけんか相手だった。

ヘッペが1861年に出版した『改革派教義学』(原題Die Dogmatik der evangelisch-reformierten Kirche)は、1935年にカール・バルトの巻頭言がついたビツァー編集版となり、そのビツァー版をトムソンが英訳して1950年に英国で出版された。

カール・バルトは、ゲッティンゲン大学教授だったときヘッペの『改革派教義学』(1861年)を読んで触発されたことが『教会教義学』執筆の足掛かりになった。ファン・ルーラーは、ヘッペ『改革派教義学』のビツァー編集版(1935年)をユトレヒト大学神学部の教義学講義の教科書として採用した。

19世紀のドイツ国内で「改革派教義学」を教えたヘッペが「ルーテル派の信条主義者フィルマー教授のけんか相手(アンタゴニスト)」だったという点は非難されるべきではない。ルーテル派の圧倒的優位のドイツの中で改革派(カルヴァン主義)の立場に立つ少数の人々を神学的に擁護していたに違いない。

そのドイツ人ヘッペが書き残して出版に至らなかった手稿『キリスト教倫理』を、オランダ改革派教会の著名な神学者J. H. フニンク(Johannes Hermanus Gunning [1858-1940])がオランダ語に訳して出版していたことを今日初めて知った。驚き、興奮している。

目次を見るとキリスト教倫理の歴史的概観に始まり、各論では結婚、家庭、国民としてどう生きるか、教会の信徒としてどう生きるかなどに踏み込んでいることが分かる。19世紀のドイツで改革派(カルヴァン主義)の神学者がそれらをどのように教えていたかを知ることができるようになったのはうれしい。