昨夜の自作料理「海老と鶏肉のクリーミーマカロニグラタン」 |
でも、私がいままで幸せだったのは、日本のすべての教会に当てはまるとは思わないが、牧師の上下関係がうるさくない環境で過ごせたことだ。若いうちは先輩のカバン持ちをしろだとか言われたことがないし、持ったことがない。自分のカバンくらい自分で持てよ。茶坊主になることを求められたこともない。
カバン持ちだ茶坊主だを見ると「気持ち悪い」と反応する感覚を共有する、世代を超えた牧師仲間の中で24から49まで過ごすことができた。これはラッキー。失礼を省みず書けば、今のローマのフランシスコ教皇もたぶん我々と同類だ。自分のカバンくらい自分で持てよ、と言ってくれそうな勢いを感じる。
日本の教会、これからどうなっていくのだろう。失望はしていない。「失望される側」(または「失望させる側」)であっても「失望する側」ではないという自意識くらいは持っている。世界だ社会だを論じる力はないし、人生の残りの時間はそんなにない。日本の教会をなんとかしたい。ひたすらそれだけだ。