2010年10月6日水曜日

それを言うならインターネットそのものがいまだに十分に気色悪い

オンラインストレージにせよ、ブログにせよ、そしてそれら一切の総称としての「クラウド」(その意味は雲)にせよ、それが我々にとって便利であればあるほど気色悪さの度合いが強まる気がしてならないのですが、それを言うなら、インターネットそのものが、私にとっては、いまだに十分に気色悪いものであり続けています。



たった今書きました「私にとっては」の意味は、自分自身で独自のサーバーを立ち上げることができない、その資金も技術もない一般庶民としての私にとっては、です。



これって実に不思議なものですよね、インターネット。本格的には1998年7月以来、12年ほど続けてきて(といっても、実際にやってきたことは、日々のメール書きと、メーリングリスト運営と、ホームページ作成と、ブログ更新くらいですが)分かったことがいくつかあります。



分かってきたことの第一は、インターネット導入以来、私にとって最も忙しい状態の意味するところは、「キーボードを打つこの指先だけが、ただひたすら高速の無酸素運動を続けているものの、体全体はパソコン机の前に縛り付けられ、全く動けない状態」になってしまったということです。



その結果として、



「私が忙しければ忙しいほど、私は太る」ようになりました。だって、体を動かすことができないのですから、余計な脂肪だと分かっていても、燃焼しようがありません。私がダイエットに取り組むことができるのは、時間的に余裕があるときだけです。



また、



「私が忙しければ忙しいほど、私を端から見ている人々から、何もしていないように見られてしまう」ようになりました。だって、私が「死に物狂いで」働いている姿は、一つの部屋の、一つの机の上の、一台のパソコンの、一つの画面だけを丸一日でも睨み続け、動いているのは目玉と指先だけで、体の他のどの部分も動いていないように見えますから(事実、動いていませんし)。



分かってきたことの第二は、第一点とほとんど同じことの言い換えですが、インターネット導入以来、私の言動が最も「社会性」を持っている状態、つまり、もう少し平たく言えば対外的影響力が(発言者の意図と無関係に)高まっている状態(あんまり平たく言えてませんね)は、「私がもっぱら自室に引きこもっている状態」ということになってしまったということです。



その結果として、



インターネット導入の前と後とで、私の「牧師」としての仕事スタイルが(悪い意味で)180度変わってしまったと、特に家族の者たち(妻子)から思われるようになってしまいました。目の前にいる「夫」であり「父」である私の動き方が、ある時期を境にすっかり変容してしまったのですから、彼らの戸惑いは当然です。家族の者たちは私が忙しくしていることについてはよく分かってくれていますが、「忙しさ」の質ないし内容が変わってしまったのです。



私は決して(!)いまだかつて(!)教会員の顔と生活から目を背ける仕方で、ただパソコンだけを睨みつけている人間であったことはないのですが(どなたかこのことについて証言していただけますでしょうか)、私の牧師としての日常を知らない、パソコンの画面の向こう側におられる方々からは、私がまるでそのような者(パソコンだけを睨みつけて教会の会員とその現実から逃避している牧師)でもあるかのように思われているらしいということを、今ほどインターネットが普及していなかった何年か前までは、しきりと(寂しさと共に)感じたものでした。



ただ、インターネット導入以来、どうしても、自室(というか「パソコンが置かれている場所」)にいることが多くなったことは否定できません。だからこそ、私はメールやブログにわざわざ「今日はここに行った」「今日はあそこに行った」と、移動の事実を書かざるをえませんでした。



私の感覚では、まだ数年前までは、「自室にいる時間が多い、体を動かさない牧師」は概念矛盾であり、まるで人間のクズのように思われていましたので。



「たしかにパソコンもやっていますが、体も常に動かしていますよ」ということを常に公報しつづけなければ、私がメールやブログを書けば書くほど「あのクズ牧師は、また自室に引きこもっているのか」という腹立たしい無理解ばかりがはびこり(忙しければ忙しいほど!)、悪質な嫌がらせを受けるのがオチでしたので。



しかし、この二年ほどの間にノートパソコンが安くなってくれたおかげでパソコンの所有台数が増えたり、また「クラウド」が発展してきてくれたりで、ただひたすら「パソコンの前に」体と心の動きを固定させられるというようなことは、だんだん少なくなってきました。その意味では、ブログにもオンラインストレージにも(そして総称としての「クラウド」にも)感謝しているのです。



しかし、クズ牧師が「パソコン部屋」という停留所から発車し、次の目的地に、あるいは全く自由な目的地に動いていくために必要な「モバイル」と「クラウド」が、結果的に他人のコンピュータ(プロバイダ会社のデータセンターのサーバーコンピュータ)への依存度を高め、その会社への半永久的な支払いを強いられることになるのだとしたら、私は本当に困ってしまいます。



その会社と私、半永久的にお付き合いさせていただくほど、親しくないですって。長年お世話になりながらこんなことを言っては失礼とは思いますが、一ユーザーとしては料金が安ければ安いだけ有難いと思っているだけです。あと、どんなサービスも要りません。安くしてください、ただそれだけです。



この「気色悪い」インターネットとの付き合いや戦いがこれからもしばらく続きそうです。ホント、真面目な話、「おえー、ぎぼぢわるい(気持ち悪い)」って感じですよ。