2010年10月26日火曜日

愛と友情と遊び

「ブログなんて、書くことがないときは書かなきゃいい」などという無駄な文章を以前この場所に書いたことがありますが、そういうことを書いているときは大抵、本当は書きたいこと、言いたいことがあるのだけれど、もやもやしたまま言葉にならないものを胸に抱えている、というようなときだったりします。



実は今がまさにその状態なので、再び無駄な文章を書いているわけですが、「もやもやしたまま言葉にならない」状態だと言った通りですので、それを文章化するのは私には無理な話です。



断片的なキーワードくらいは書きとめておけるような気はしますが、スパイの通信文か何かかと間違えられてしまうかもしれませんので、それはやめておきます。



断片的なキーワードと書いて思い出すのは、3年くらい前に大流行した「脳内メーカー」というサイトです。すっかり忘れていましたが、今でもあるようですね。



「関口康」と何べん打ち込んでもいつも同じ結果になるのですが、脳が描かれたイラストの中に、「愛」という字が47個、「友」という字が5個、「遊」という字が4個、浮かび上がります。「愛」と「友情」と「遊び」で満ち満ちた脳だなんて、まるでどこかの牧師さんみたいじゃんと、苦笑したものでした。



そうであればいいのですが。



しかし、現実の「関口康」の脳内は「憎」と「敵」と「苦」という字で満ち満ちている、かもしれません。爆発寸前のマグマが煮えたぎっている、かもしれません。



そういうとき、私はどうするか。行動パターンはいつも決まっています(この、なんだか自己啓発本的な書きっぷりはお見逃しください)。



(1)なるべく「ひとり」になる。私のマグマの煙火が周りの人に燃え移らないように。



(2)できるかぎり「しらふ」になろうとする。冷静に判断できる状態を確保するために。



(3)机に広げられた新聞や雑誌などから目に入ってくる文字はとりあえず追うが、関心を持てないことを無理に理解しようとはしない。



(4)腹が立っているときに好きな本を読むとその本が汚される気がするので(このくだりは半分以上ジョークです)、そういうときは本は読まない。聖書も読まな・・・(以下省略)。



(5)テレビやパソコンは、うるさいと思えば消すが、うるさくなければそのままにしておき、目から入るまま、耳から聞こえるままを受けとる。特にパソコンは、完全に消してしまうと「メールが来ていないか」などかえって気になることがあり、消すことが逆効果になる場合がある。



(6)あとは、美味しいミネラルウォータかウーロン茶(甘みが無くて冷たい飲み物)を500cc飲んで、布団かぶって「ねる」ですね。



私が特に意識もしないで長年やってきたことは、おそらくは「脳の機能回復」なのだと思います。実際問題として、このようなこと以外に、何をすることがあるのでしょうか。



以上、無駄な文章も、ここまで長々と書けば何かの意味を持ち始めているかもしれませんので、「何かを書いた」ことにしておきましょう。