2010年10月16日土曜日

繰り返すが、私はパソコン遊びをしているつもりはない

今日も一生懸命に働いてぐったり疲れましたので、そろそろ布団にもぐるつもりでした。

でも、気になることが・・・。

パソコンのスイッチを切る前に一応チェックして・・・とスカイプ(ビデオ通話ソフト)のアップデートを確認したところ、な、なんと新しいヴァージョンのプログラムがリリースされていました。さっそくダウンロードして開いてみたところ、な、な、なんと最新ヴァージョンのスカイプは「9人まで(!!)同時にビデオ通話ができるようになった」ようで!

もちろんすべて無料で!

私がずっと待っていたのは、これなんです。いま、かなり興奮しています(写真は「スカイプ5.0.0.152」のデフォルトビュー)

New_skype_2

一体いつ頃から「こういうの」を待っていたかといえば、山梨の教会で働いていた頃(1998年7月から2004年3月まで)です。私がインターネットを始めた初期の頃ですので、かれこれ10数年前になります。

当時はまだ東部中会に所属していました(現在は東部中会から分かれた東関東中会の住人です)。山梨での教会の牧師としての仕事は、とてもやりがいがあって、楽しいものでした。

しかし、嫌だったのは中会の活動でした。中会内のいろんな委員会のほとんどが東京で行われていたため、一回せいぜい2、3時間ほどの委員会に出席するだけのために、山梨・東京間をほとんど一日がかりで往復しなくてはなりませんでした。

とくに参ったのは、甲府・新宿間の中央本線特急(あずさ号、かいじ号)が原則一時間に一本しかないとか、いわゆる「振り子式」で知られるこの電車が八王子・大月間の山あいを高速で蛇行運転するときに感じる目まいや吐き気、など。

一つ一つの委員会が取り組んでいる議事の内容が重要なものであると分かれば分かるほど、その委員会への「出席」が必要不可欠であることが痛いほど分かるだけに、体力や気力との勝負で、涙が出ました。

あの苦しみから、もしかしたら、解放される、かもしれません。

あの無駄で過酷な時間を、なんとか節約したかった。ビデオ会議ができさえすれば(ただしすべて無料でなければ我々には手が届きません)かなり多くの問題が解決しそうなのに、と夢想していました。当時はまだインターネットを始めたばかりで、パソコンは(日本キリスト改革派教会の牧師としての初任給で購入した)富士通のFMVのミニタワーだったかな。Windowsはまだ98、Officeは97、「スカイプ」のことなどは存在も名前も知りませんでしたが。

昨日はTeam ViewerとLive Captureという二つのソフト(どちらも無料)をウェブ上で見つけてダウンロードしました。そしてそれらを、先日一応完成した自作デスクトップと、以前から使っていたデスクトップと、友人から「使わなくなったので」と譲り受けたネットブック(ミニノート)との計3台にインストールしました。

前者Team Viewerは、一言でいえば「パソコン遠隔操作ソフト」。そして後者Live Captureは、いわゆる「監視カメラソフト」です。

こんなふうに文字にするとなんだか物騒で怪しげな感じがしてきますが、私が求めていることはSF映画やスパイ映画さながらの曲芸ではなく、ただひたすら上記のこと、つまり、我々牧師たちが中会や大会の会議に伴う「物理的移動」によって体力や気力を消耗することから、どうしたら免れることができるかという一点だけです。

そもそもインターネットを使い始めた動機がそれでしたし、これまで書いてきた数万通に及ぶメールにしても、メーリングリストやホームページやブログやSNS(MixiやFacebookなど)にしても、最近はまっている(が警戒もしている)「クラウド」にしても、みな根っこが同じです。私はこれらを「教会と神学に関する会議のために」使いたかったし、使いたいだけなのです。

なぜ「パソコン遠隔操作ソフト」が「会議のために」必要なのかといえば、私が「クラウド」の仕組みを今一つ信用しきれないために、出張先から自宅のパソコンに直接アクセスして、必要なデータを獲得することができるようにするためです。

これは私にとっては、今はまだどの会議においても「物理的移動」が不可欠とみなされているゆえに必要になるツールであるわけで、近い将来にも「物理的移動」をしなくて済むビデオ会議が正式に導入されることになった日には「パソコン遠隔操作ソフト」なる怪しげなツールは不要になります。

また、「監視カメラソフト」が「会議のために」必要である理由は、「監視カメラ」と書くといかにも物騒な響きになってしまいますが、お互いの顔を見ながらオンラインで会議するためには「監視カメラ」(という表現はともかく)がどうしても必要になるではありませんか。ただそれだけです。

繰り返しになりますが、中会や大会の会議が扱っている問題は、どれもこれも、ものすごく重要なものです。私は今、中会の一つの委員会の委員長職にありますので、そのことは痛いほど分かっています。

しかし、だからこそ、それらの委員会に出席するために苦労している牧師たちの気持ちがよく分かります。中会や大会は、物理的な移動の義務から牧師たちを解放することが必要です。

前回のブログに「パソコン遊びをしているつもりはない」と書いた意図は、ここにもあります。牧師たちが、自分が遣わされ、仕えている教会に「もっと張り付いて」伝道することができるようにするために、インターネットを活用する必要がありますと、声を大にして主張したいのです。

「そんなに嫌でつらいなら、中会や大会になど出席しなければいいではないか。長老主義とか何とか面倒なことにこだわっているから、改革派教会は伝道が下手なんだよ」と言いたい人は、どうぞご自由に。私は無視しますけど。