2009年1月24日土曜日

K. ヘンドリクセ著『存在しない神を信じること―無神論牧師のマニフェスト―』について

http://ysekiguchi.reformed.jp/2009/01/post-7208.html?cid=34906152#comment-34906152



アメリカの波勢様、うれしいコメントありがとうございました!



「無神論牧師」のことは、私もオランダで知りました。問題の書は以下のURLで紹介されています。
http://www.nieuwamsterdam.nl/gelovenineengoddienietbestaat



日本の『キリスト新聞』も大きく取り上げています。
http://www.kirishin.com/2009/01/2009131-2.html



著者はオランダプロテスタント教会(Protestantse Kerk in Nederland)の牧師であるクラース・ヘンドリクセ(Klaas Hendrikse)氏。書名は『存在しない神を信じること―無神論牧師のマニフェスト―』(Geloven in een God die niet bestaat. Manifest van een atheïstische dominee)です。たしかアムステルダム自由大学の書店コーナーだったか、ユトレヒト大学近くの一般書店のキリスト教書コーナーだったかにたくさん平積みされていたはずです。表紙だけ見て「へえ、オランダではこんなのが流行ってるのか」と思ったことを憶えています。



私はまだこの本を買ってもいないし、読んでもいませんが、タイトルだけ見るかぎり、おそらく全く同意できない(あるいは「決して同意すべきでない」)ものだろうと想像しています。しかし、興味はあります。とくに気になっていることは、オランダ語のbestaan(存在)の意味です。



もしそれが「目で見ることができ、手で触ることができる地上的な事物としての何ものかが存在すること」を意味しているとしたら、「わたしたちの神はそういうモノではありません」と言わなければならないかもしれません。「神を見た者はいない」というヨハネによる福音書1章に表明されている真理との関係が気になっています。あるいはまた、「無神論はキリスト教の敵である」と単純に語ることができるかどうかという点が、とても気になっています。ユダヤ教も、イスラム教も、そして日本の神道なども(「無神論」の対立概念としての)「有神論」なのですから。



オランダの人々にとってはなるほど日本は「地の果て」でしょうけれど、私にとってはオランダこそが「地の果て」でした。私は海外旅行はもうたくさんです。勝手は分からないし、言葉は通じないし。観光とかそういうことにはまるで関心がないし。言語能力の面はもちろんのこと、美的感性の面に何か根本的な欠落があるようだと、改めて自覚させられるばかりでした。毎日どんより曇っている季節の「美しくない」オランダに(事実、連日ほぼ雨天でした)わざわざ行く私も私ですが。



ちなみに、アムステルダムで四泊した「ホテルアクロ」(Hotel Acro)の最寄りトラムステーションの目の前が、かの有名な「国立美術館」(Rijksmuseum)でした。フェルメール作品が数点あるそうで、普通の日本人観光客ならば、ほぼ確実に立ち寄るところ。ところが、私ったら、四泊「も」しながら、その前を素通りでしたヨ。「あほか!」と罵られますね、きっと。



ですから、あとのことは波勢さんにすべてお任せいたします。翻訳だけなら、日本で十分できます。それ以上の何かを望んだことは、いまだかつて一度もありません。「私の」神学の場は「日本の」教会であると信じています。また、「日本語で神学すること」(doing Theology in Japanese)の意義を、オランダに行ってみてますます確信させられました。しかし、「海外の」教会を場とする日本の神学者がいることを否定するつもりはありません。



以上、まとまりませんが、お礼のつもりで書きました。どうかこれからも元気にがんばってください。心から応援しております。