礼拝出席者数の落ち込みを気にする教会員は少なくないと思います。その声を聞いて牧師や教会役員たちは、責任を痛感して落ち込むばかりです。しかしみんなの話をよく聞くと、30年から40年くらい前との比較だったりします。「時代は変わったんだ!」と少し大きめの声で言いたくなりますが、ぐっとこらえます。別に教会員のみんなも牧師や教会役員たちのことを責めたい・攻めたいわけではなく、ただ先行きに不安を感じているだけだからです。
“わたしの教会”が将来消滅してしまうかもしれないとほんの少しでも予感できてしまう要素を感じとることは、だれにとっても嫌なことです。「たとえ各個教会は滅びようとも、日本キリスト改革派教会が存続するなら、いやいや、“改革派神学”さえ生き残ることができるなら、永遠の真理は保たれるゆえに、すべては安泰である」というようなクレージーな論理は徹底的に超克されるべきであると私は確信しています。事情はちょうど正反対でなければならない。「神学栄えて教会滅ぶ」などというのは本末転倒の極みです。神学は(カール・バルトが主張したのとは異なる意味で)「教会の学」でないならば、ほとんど無意味なのです。