2009年1月25日日曜日

荒れ野で叫ぶ声


ヨハネによる福音書1・19~28

「さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、『あなたは、どなたですか』と質問させたとき、彼は公言して隠さず、『わたしはメシアではない』と言い表わした。彼らがまた、『では何ですか。あなたはエリヤですか』と尋ねると、ヨハネは『違う』と言った。更に、『あなたは、あの預言者なのですか』と尋ねると、『そうではない』と答えた。そこで、彼らは言った。『それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。』ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。『わたしは荒れ野で叫ぶ声である。「主の道をまっすぐにせよ」と。』遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。彼らがヨハネに尋ねて、『あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか』と言うと、ヨハネは答えた。『わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。』これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。」

今日の個所に出てくる「ヨハネ」はこの福音書を書いたヨハネではありません。イエス・キリストに洗礼を授けたことで知られるバプテスマのヨハネです。次のように書かれていました。「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しするために来た」(1・6~8)。

このヨハネが今日の個所のヨハネです。ヨハネがそれをするために来たと言われている「証し」の内容が今日の個所に具体的に紹介されているのです。それはどのような「証し」だったのでしょうか。いくつかのポイントに分けて説明していこうと思います。

その説明をしていく前に一つ確認しておきたいことがあります。それは、今日の個所でバプテスマのヨハネが立たされている、明らかに危険な状況です。

19節に「エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとに遣わして、『あなたは、どなたですか』と質問させた」と書かれています。しかし、彼らがしているのは「質問」というよりも「尋問」です。「祭司やレビ人たち」と呼ばれているのは宗教家を引き連れた警察官のような存在であったと説明する人々がいます。祭司が宗教家、レビ人が警察官というわけです。

おそらくこの説明は当たっています。彼らがバプテスマのヨハネを質問攻めにしている意図は、取り調べです。「エルサレムのユダヤ人たち」は彼らの上司です。おそらく彼らは一つの噂を聞きつけたのです。ヨハネという名の怪しい人間がいる。この男は人を集めて新しいグループを作っている。集まった人に洗礼を授け、「これから来る救い主を待ち望め。そのために準備せよ」というようなことを呼びかけている。このヨハネとはいったい何者なのか。現地に行って本人に会って調べてこい、というわけです。

ですから、先ほど申し上げました、ヨハネが置かれた危険な状況とは、次のようなものであると考えることができます。一人のヨハネを大勢の取調官が取り囲んでいる。彼らはヨハネに対して矢継ぎ早に質問を繰り出すことによって事実上の尋問をしている。そして、もしヨハネが少しでも隙を見せたりぼろを出したりすれば、たちまちのうちに逮捕して、エルサレムに連行し、処刑しようとしている。そのような危険極まりない状況にヨハネは立たされていたと見ることができるのです。

その状況の中でヨハネが「証し」をしました。彼がこの「証し」の中で語っていることの要点は、次のようなものです。

第一は、ヨハネ自身はメシアではないということです。「あなたはどなたですか」という質問に対して「わたしはメシアではない」と答えています。メシアとは、救い主キリストのことです。「わたしはキリストではない」と言っているのです。

第二は、ヨハネ自身は偉大な預言者でもないということです。「あなたはエリヤですか」という質問に「違う」と答え、また「あなたはあの預言者ですか」と問われて「そうではない」と答えています。

「エリヤ」とは旧約の時代に活躍した預言者の一人です。彼らの質問の意図は「あなたはあの偉大な預言者エリヤの生まれ変わりだと自称するつもりですか」ということです。「あの預言者」と呼ばれている存在は不明です。しかし、彼らの質問の意図は「あなたは自分を特別な預言者だと思っているのですか」ということでしょう。ヨハネはそのことをすべて否定しています。私は偉大な預言者などではないと言っているのです。

しかし、です。第三のポイントとして申し上げておきたいことは、ヨハネが答えている「わたしはメシアではない」とか「わたしはエリヤ(のような偉大な預言者)ではない」という言葉の中の強調は、明らかに「わたしは」という点に置かれているということです。

ヨハネの意図ははっきりしています。「メシアはわたしではない。別の方がメシアである」ということです。これはもちろん、ヨハネの責任逃れのようなことではありません。取り調べを受け、質問攻めにされ、「いやいや、それはわたしではありませんよ。どこかのだれかとお間違えではないでしょうか」と、しらを切っている。ほかのだれかに責任を転嫁し、追及を免れようとしている。そのような情景を思い浮かべることは、完全に間違いです。

ヨハネの意図はそういうことではありません。「わたしはメシアではない。メシアは別の方である。あなたがたはその方を知らないが、わたしは知っている」と言っているのです。

ここまで言いますとヨハネを追及している人たちは「あなたはメシアがだれかを知っているというのか。それならば、それは誰かを今ここで言いなさい」と、口を割らせようとしたことでしょう。しかし、ヨハネは吐きませんでした。もしヨハネがそれをしゃべってしまっていたら追及の手はすぐにでもイエスさまのところへと及んだでしょう。それこそが責任転嫁です。しかしヨハネはそうしませんでした。イエスさまをお守りしたのです。

第四のポイントは、「わたしはメシアではない」というヨハネの答えの真意は何かという問いの、もう一つの答えです。

この問いの最初の答えは「メシアはわたしではなく、別の方がメシアである」とヨハネが言っているということでした。これは事実です。ヨハネはこの事実を事実として語っているだけである。これも一つの答え方です。しかし、次に問わなければならないことは、ヨハネがこの事実を事実として語っていることの意味は何かということです。「責任転嫁ではない」という点はすでに申し上げました。しかしそれだけでは、説明としては不十分でしょう。責任転嫁でないなら何なのか。それが問題になるでしょう。その答えを出す必要があるでしょう。

この点で考えられることは、二つあります。第一はヨハネの謙遜です。第二はヨハネの信仰です。もちろん両方ともイエスさまとの比較ないし関係で申し上げることです。

第一の「ヨハネの謙遜」は、「その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」(27節)というヨハネ自身の言葉の中に表われています。イエスさまはヨハネよりも年齢的に若かったわけですし、(来週学ぶ個所に出てきますが)イエスさまはヨハネから洗礼を受けたのであって、その逆ではありませんでした。しかしヨハネは、自分自身はイエスさまよりも劣っている者であり、またイエスさまの下に立つ人間であると告白しているのです。

優劣の関係とか上下関係とか、そのような話は今日ではあまり好まれません。私自身もこのような話や言葉をなるべく避けたいと願っているほうです。しかし問題となっている事柄が「謙遜」という点にかかわっている場合は、優劣とか上下という関係づけを避けて通ることはできません。

なぜなら、「謙遜」とは、相手に対してこのわたしは徹底的に下であると自覚すること、そして実際に相手よりも下の位置に自分の身を置いてしまうことを意味しているからです。別の言い方をすれば、「謙遜」とは、力(ちから)にかかわる概念であるということです。話や言葉として「謙遜」を口にするだけでは足りません。文字どおり相手の持っている力の前に圧倒され、押しつぶされ、粉々に砕かれることが求められるのです。

ヨハネはそのことを知っていました。これから来られる真のメシア、イエス・キリストは、わたしなど足もとに及ばない真の力、救いの力を持っておられる方であると、ヨハネは告白しているのです。

第二の「ヨハネの信仰」は、彼が預言者イザヤの言葉を用いて語った「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道を真っ直ぐにせよ』と」(23節)という言葉に表われています。

このイザヤの言葉は、実際には次のようなものです。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」(イザヤ書40・3)。

実際のイザヤ書の言葉とヨハネが引用している言葉が少し違っているのは、この引用がヘブライ語の旧約聖書からではなく、ヨハネ福音書が書かれた頃には広く使用されていた七十人訳(しちじゅうにんやく)と呼ばれるギリシア語訳旧約聖書からのものだからです。新共同訳聖書はヘブライ語の原典から訳されていますので少し違っているというわけです。

この点は勘案するとしても、ヨハネがこのイザヤの言葉を引用している意図ははっきりしています。

「主の道」とは、すなわち神の道です。ヨハネにとってこれから来られる救い主なるメシア、イエス・キリストは、主なる神御自身です。イエスさまは自分よりも年齢が下だとか、後輩だとか、そのような次元のことは、ヨハネにとってはどうでもよいことでした。イエスさまは端的に「神」であられるとヨハネは信じたのです。これが「ヨハネの信仰」の内容でした。真の神であられる救い主イエス・キリストが来てくださる、そのための道備えをしなければならないと、ヨハネは自覚したのです。

ところで、ヨハネが引用しているイザヤ書40章の言葉は、旧約聖書を読む多くの人々を慰め、励ましてきたものです。わたしも大好きな御言葉です。

イザヤが立たされた現実は、最初は悲惨そのものでした。神の民イスラエルが分裂してできた北イスラエル王国と南ユダ王国が争い合いました。そして、分裂した二つの国は、それぞれの隣国アッシリアとバビロンに滅ぼされました。エルサレム神殿は打ち壊されました。神の民の多くが奴隷として隣国に連れ去られました。ところが、70年間の捕囚期間の後に神の民がエルサレムに戻ることが許されました。打ち壊された神殿を再び建て直す希望が与えられたのです。

イザヤ書40章の状況は、今最後に申し上げた、神の民の希望が取り戻された状況です。イザヤが語っている「荒れ野」は、ただ単なる地理的な意味での砂漠を意味しているだけではありません。宗教的・精神的・内面的に荒廃した人間の心の砂漠をも意味しています。

ヨハネが自分自身を「荒れ野で叫ぶ声」であると呼んでいる意図も、まさにそれです。宗教的・精神的・内面的に荒廃した人間の心の砂漠の中で、彼は叫ぶのです。「真の救い主が来てくださる!あなたの心の砂漠は、豊かな恵みにあふれる地に変えられる!イエス・キリストを信じてください!」

この叫び声は、わたしたちの時代、この状況のなかで、今なお響き続けています。

もし今、あなたの心が砂漠のように荒れ果てているならば、どうか、ヨハネの叫び声に耳を傾けてください。イエス・キリストを信じてください。

そして、真の救い主イエス・キリストを礼拝するあなたの神殿を建てなおしてください。松戸小金原教会を、あなたの神殿にしてください。お願いいたします。

(2009年1月25日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年1月24日土曜日

K. ヘンドリクセ著『存在しない神を信じること―無神論牧師のマニフェスト―』について

http://ysekiguchi.reformed.jp/2009/01/post-7208.html?cid=34906152#comment-34906152



アメリカの波勢様、うれしいコメントありがとうございました!



「無神論牧師」のことは、私もオランダで知りました。問題の書は以下のURLで紹介されています。
http://www.nieuwamsterdam.nl/gelovenineengoddienietbestaat



日本の『キリスト新聞』も大きく取り上げています。
http://www.kirishin.com/2009/01/2009131-2.html



著者はオランダプロテスタント教会(Protestantse Kerk in Nederland)の牧師であるクラース・ヘンドリクセ(Klaas Hendrikse)氏。書名は『存在しない神を信じること―無神論牧師のマニフェスト―』(Geloven in een God die niet bestaat. Manifest van een atheïstische dominee)です。たしかアムステルダム自由大学の書店コーナーだったか、ユトレヒト大学近くの一般書店のキリスト教書コーナーだったかにたくさん平積みされていたはずです。表紙だけ見て「へえ、オランダではこんなのが流行ってるのか」と思ったことを憶えています。



私はまだこの本を買ってもいないし、読んでもいませんが、タイトルだけ見るかぎり、おそらく全く同意できない(あるいは「決して同意すべきでない」)ものだろうと想像しています。しかし、興味はあります。とくに気になっていることは、オランダ語のbestaan(存在)の意味です。



もしそれが「目で見ることができ、手で触ることができる地上的な事物としての何ものかが存在すること」を意味しているとしたら、「わたしたちの神はそういうモノではありません」と言わなければならないかもしれません。「神を見た者はいない」というヨハネによる福音書1章に表明されている真理との関係が気になっています。あるいはまた、「無神論はキリスト教の敵である」と単純に語ることができるかどうかという点が、とても気になっています。ユダヤ教も、イスラム教も、そして日本の神道なども(「無神論」の対立概念としての)「有神論」なのですから。



オランダの人々にとってはなるほど日本は「地の果て」でしょうけれど、私にとってはオランダこそが「地の果て」でした。私は海外旅行はもうたくさんです。勝手は分からないし、言葉は通じないし。観光とかそういうことにはまるで関心がないし。言語能力の面はもちろんのこと、美的感性の面に何か根本的な欠落があるようだと、改めて自覚させられるばかりでした。毎日どんより曇っている季節の「美しくない」オランダに(事実、連日ほぼ雨天でした)わざわざ行く私も私ですが。



ちなみに、アムステルダムで四泊した「ホテルアクロ」(Hotel Acro)の最寄りトラムステーションの目の前が、かの有名な「国立美術館」(Rijksmuseum)でした。フェルメール作品が数点あるそうで、普通の日本人観光客ならば、ほぼ確実に立ち寄るところ。ところが、私ったら、四泊「も」しながら、その前を素通りでしたヨ。「あほか!」と罵られますね、きっと。



ですから、あとのことは波勢さんにすべてお任せいたします。翻訳だけなら、日本で十分できます。それ以上の何かを望んだことは、いまだかつて一度もありません。「私の」神学の場は「日本の」教会であると信じています。また、「日本語で神学すること」(doing Theology in Japanese)の意義を、オランダに行ってみてますます確信させられました。しかし、「海外の」教会を場とする日本の神学者がいることを否定するつもりはありません。



以上、まとまりませんが、お礼のつもりで書きました。どうかこれからも元気にがんばってください。心から応援しております。



2009年1月20日火曜日

本末転倒の極み

礼拝出席者数の落ち込みを気にする教会員は少なくないと思います。その声を聞いて牧師や教会役員たちは、責任を痛感して落ち込むばかりです。しかしみんなの話をよく聞くと、30年から40年くらい前との比較だったりします。「時代は変わったんだ!」と少し大きめの声で言いたくなりますが、ぐっとこらえます。別に教会員のみんなも牧師や教会役員たちのことを責めたい・攻めたいわけではなく、ただ先行きに不安を感じているだけだからです。



“わたしの教会”が将来消滅してしまうかもしれないとほんの少しでも予感できてしまう要素を感じとることは、だれにとっても嫌なことです。「たとえ各個教会は滅びようとも、日本キリスト改革派教会が存続するなら、いやいや、“改革派神学”さえ生き残ることができるなら、永遠の真理は保たれるゆえに、すべては安泰である」というようなクレージーな論理は徹底的に超克されるべきであると私は確信しています。事情はちょうど正反対でなければならない。「神学栄えて教会滅ぶ」などというのは本末転倒の極みです。神学は(カール・バルトが主張したのとは異なる意味で)「教会の学」でないならば、ほとんど無意味なのです。



2009年1月18日日曜日

恵みの神が世に来られた


ヨハネによる福音書1・14~18

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。『「わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである」とわたしが言ったのは、この方のことである。』わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」

今日はヨハネによる福音書の学びの三回目です。まだ始まったばかりです。とても難解な序文がまだ続いています。

しかし、今日の個所には驚くべきことがあります。それは、ここに来て初めて「イエス・キリスト」という名前がやっと出てくるということです。

これまでの文章の中に、この名前は一度も出てきませんでした。イエス・キリストのことについて、ただ「言(ことば)」とだけ呼ばれていました。イエス・キリストの御生涯を描くことが目的で書かれている福音書という分野(ジャンル)に属する文書の中で、です。これは、どう考えても正常なことではありません。しかし、ここに来てやっと名前が出てきて、ほっとする。ああ、これまでの話はイエスさまの話だったのですねと分かる。このことについてはやはり、ヨハネ自身の側に何らかの意図があると見てよいでしょう。

それでは、そのヨハネの意図とは何でしょうか。考えられることを申し上げておきます。14節に「言は肉となった」と記されています。これは誤訳であるとまでは言えませんが、かなり大きな誤解を生みかねない訳です。「なった」(become)は、なるほど、原文を直訳したものです。しかし、原文で用いられている言葉(エゲネトー)の意味は、この文脈に限って言うなら、「成り変わった」とか「変化した」というようなことではありえません。むしろ「生まれた」(was born)です。

そして「肉」は、お肉屋さんに売られているのと同じあの「肉」ですが、その意味は、この文脈においては明らかに「人間」です。そして「言」はイエス・キリストです。そのためヨハネの意図に従って訳しなおすとしたら、「イエス・キリストは人間としてお生まれになった」ということです。

そのことを、しかしヨハネは、直訳すればたしかに「言葉は肉となった」と訳すことが不可能ではない、独特の不可思議な文章で表現していることも事実です。ですからここでわたしたちが考え込んでしまうのは、なぜヨハネはこのような表現を用いているのだろうかという点です。もう少し分かりやすく親しみやすい言葉で書いていてくれたらよかったのに、と思わずにはいられません。

はっきり言いますと、ヨハネの意図は今日ではよく分かりません。有力な注解書でさえ「『肉となる』という言葉の意味を確定することは困難である」と書いています(C. K. Barrett, 165など)。しかし、私は、少なくともこれから申し上げる一つの点についてだけはぜひとも注意深くありたいと願っています。それは、他のどこを間違っているとしても、ここだけは決して間違ってならないと思う点です。

それは、ヨハネあるいは聖書が、人間を「肉」と呼ぶとき、「人間は肉に過ぎないものである」とか「人間とは汚らわしいものである」というようなことを言いたいのではないという点です。

「霊的なものは清いが、肉体的なものは汚らわしい。」このような、あるいはこれに似た考え方や言い方は、わたしたち日本人にとっては馴染み深いものがあり、わりとすんなり受け入れることができる、いわばごくありふれたものです。「肉体」と聞けば「汚れた」という形容詞をすぐに思い起こす、といった具合です。

しかし、このような見方は、ヨハネの時代の教会を脅かし、その後のキリスト教会をも脅かし続けた、グノーシス主義の思想です。つまりこれは端的に言って、キリスト教会にとっては異端の思想なのです。教会の歴史の中でこのような考え方や言い方が見出されるとしたら、それらのものはすべて、教会の外から紛れ込んできたものなのです。

そしてわたしたちが信頼してよいことは、ヨハネ自身が異端思想のなかへと巻き込まれ、巻き取られてしまっていたわけではないということです。実際たとえば、この福音書の中には「肉」という言葉をことさらに下に見るような表現や、汚らわしいものを連想させるような表現は見当たりません(もしそれがこの福音書のなかのどこかにあるようでしたら、ぜひ教えてください)。今日の個所でもただ「肉となった」と書かれているだけであって、「汚らわしい肉へと落ちぶれた」というようなことが書かれているわけではありません。そのような考え方は、ヨハネの中には、そもそもないのです。

そのためヨハネが書いていることは、「イエス・キリストは人間としてお生まれになった」ということ、本当にただそれだけなのです。あるいは、もう少しだけ言葉を補うとしたら、「わたしたちと同じ人間としてお生まれになった」と言うことは構わないでしょう。

しかしそれでも、一つだけお断りしておかねばならないことはあります。それは、この文章の中には上下関係を示す内容が全く含まれていないと言い切ることまではできませんということです。天の神のおられるところが「上」だとしたら、わたしたち人間が生きている、ここは、たしかに「下」です。その意味から言えば、そしてその意味だけに限って言えば、イエス・キリストは、上のほうから下のほうへと「降りて」あるいは「下って」来られた方であると語ることは間違っていません。

しかし、はっきりさせておきたいことは、この上下関係は、神と人間との関係という点に関してだけ当てはまるものであるということです。霊的なものと肉体的なものとの関係ということに当てはめることはできません。なぜなら、この比較の中での「霊的なもの」の意味は、明らかに、人間存在の全体を構成する一つの要素としての「精神的な事柄」を指していると思われるからです。

しかし、その意味での「精神的な事柄」は、なんら神ではありません。精神もまた人間そのものです。現在流行中の脳の研究者たちの言い方に倣って言うとしたら、「精神というようなものは脳という臓器の中の化学反応のようなものに過ぎない」というようなことにもなるでしょう。私はそこまで言い切るつもりはありませんが、「精神」との比較で「肉体は程度が低い」だの「薄汚れている」だのと言い出すくらいなら、今の脳の研究者たちの言っていることのほうがはるかに聖書的であり、キリスト教的に正しいことを言っていると弁護しなければならなくなります。

少し話題がそれてしまっているかもしれません。私がなるべく明らかにしたいと願っているのは、ヨハネ自身の意図です。「言は肉となった。」イエス・キリストは、わたしたちと同じ人間としてお生まれになった。その意味は「汚れたものになった」ということではありません。わたしたちが「肉体」について語るときにはいつでも「汚れた」という枕詞をつけなければならないわけではありません。そのような言い方はキリスト教本来のものではないのです。

むしろヨハネの意図は「神の御子がわたしたちと同じ地平に立ってくださった」です。それを聞けばわたしたち人間が理解できるように噛み砕かれた「ことば」として、あるいは、わたしたちの心に届く「ことば」として、神の御子イエス・キリストがわたしたちの目線までおりて来てくださったのだということです。

そして、ここまでお話ししてきてやっと申し上げることができる点があります。それは、最初に触れました、先週学んだ個所にも、先々週学んだ個所にも、「イエス・キリスト」という名前が出てこず、ただ「言」とだけ呼ばれていたことの理由は何でしょうか、という問題の答えに当たることです。

これは、答えを言ってしまえば単純なことです。要するに、「イエス・キリスト」という名前は、この方の地上における名前であるということです。「イエス」という名前はこの方が地上にお生まれになったときに付けられたものです。生まれるよりもはるかに前から、すなわち永遠から、この方が父なる神から「イエス・キリスト」と呼ばれていたわけではないのです。

私は今、なぜこのような点にこだわっているのでしょうか。もちろん理由があります。そして根拠もあります。それは「イエス」という名前の意味です。イエスとは「救う」という意味です。そのように、マタイによる福音書にはっきりと記されています。「その子をイエスと名づけなさい。この子は自分の民を罪から救うからです」(マタイ1・21)。

この点で申し上げたいことは、次のことです。イエスという名前の意味としての「救い」を必要としているのは地上に生きる人間だけであるということです。父なる神にとっては「救い」は必要ありません。救われなければならないのは人間なのであって、神ではありません。「神を救う」という言い方は、言葉の矛盾であり、何の意味もありません。地上に来られる前の段階で、永遠の次元におられるときから、神の御子が「イエス」と呼ばれる理由はなかったのです。

救い主が必要なのは、あくまでも、どこまでも、わたしたち人間です。しかも、加えて言うなら、救いが必要なのは罪を犯した人間だけであって、罪を犯していない人間に救いは必要ありません。救いとは「罪からの救い」だからです。

「わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」とヨハネが書いています。ここに出てくる「恵みと真理に満ちた栄光」という言葉には、抽象的な響きがたえずつきまとっています。具体的な内容は何なのかということまでは分かりません。

しかし、わたしたちは、イエス・キリストがこの地上にもたらしてくださった「恵み」とは何か、「真理」とは何かを知っています。それは結局「救いの恵み」であり、「救いの真理」です。神の御子は、罪を犯して神の栄光を汚したわたしたち人間を罪の中から救い出してくださるために「人間になって」、地上に来てくださったのです。

神の御子がどうして「人間」にならなくてはならなかったのかという事情については、ハイデルベルク信仰問答の第12問から第18問までに詳しく書かれていますので、どうぞご参照ください。

ハイデルベルク信仰問答が教えていることを短く要約すれば、わたしたち人間の犯した罪があまりにも重すぎるため、それを償うためには、動物の命はもちろんのこと、人間の命をささげても足りないということです。人間の命など軽いものだと言っているわけではありません。人間の命ほど重いものをすべて差し出しても償いきれないほど、わたしたちの罪は重いということです。わたしたちの罪が真に償われるためには、真の神でありつつ真の人間でもあるお方(仲保者)の命の価が必要であったということです。

わたしたちが覚えるべき大切なことは、それほどまでに人間の罪は重いのだということであり、それほどまでに神の恵みは大きいということです。人間の存在、その精神や肉体そのものが汚らわしいのではなく、人間の犯した「罪」が汚らわしいのです。

罪から救い出された人間は清いのです。わたしたちの存在そのものは、なんら汚れていないのです。私たちを清めるためにイエス・キリストは来てくださったのです。それこそが「恵み」であり「真理」なのです。

(2009年1月18日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年1月13日火曜日

デザインを変更しました

この「関口 康 日記」を書きはじめて一年が経過しました。子どもの頃から飽き性でして、とくに日記は完全に三日坊主でした。しかし「ブログなら書ける」。そのことをはからずも証明してしまった格好です。二年目になりましたので、気持ちを切り替える意味でデザインを変更しました。加えて、過去のホームページ上にあった「関口 康 著作目録」(「「著作」だとか「目録」だとか、自分でこんなふうに書くと尊大な奴だと想像されるのでしょうねえ。やれやれ)をブログ版として再構築中です。



関口 康 著作目録(1988年~2009年)
http://ysekiguchi.reformed.jp/inventory.html



2009年1月12日月曜日

「伝道」が「平和集会」を必然化する

『中会ヤスクニ』(日本キリスト改革派教会東部中会社会問題委員会・東関東中会伝道委員会共同発行)の最新号(第 号、2008年12月発行)の巻頭言を書きました。



PDF版はここをクリックしてください



■ 「伝道」が「平和集会」を必然化する



関口 康



再び東関東中会の話をさせていただきます。2009年2月11日(水)に「第一回東関東中会平和の集い」を行います。2006年7月に日本キリスト改革派教会の第六の中会として誕生したわたしたちの中会が初めて独自で企画する、画期的で記念すべき平和集会です。講師は袴田康裕先生、主題は「平和についての教会的一致のために~ウェストミンスター信条をもつ教会として~」です。会場は船橋高根教会、主催は東関東中会伝道委員会です。



中会伝道委員会が平和集会を企画すること。このことは東関東中会の中では当然のこととして受けとめられています。しかし、読者各位の中には、いまだに(「いまだに」です)このこと――中会の「伝道」委員会が「平和集会」というような社会的な問題に主体的・積極的に取り組むこと――に違和感を覚える方がおられるかもしれません。消極的な意見に接するたびに少なからず残念に思います。とはいえ、物事のイロハから説明することも「伝道」には避けがたいことですので、ため息をつくばかりで沈黙をもって受け流すような態度は、わたしたちには相応しくないでしょう。



単純なところから申せば、「わたしたちは誰に伝道しているのでしょうか」という問いをお考えいただけば自ずから答えが見えてくるでしょう。通常の理解では、すでにキリスト者である人々に対してわたしたちは「伝道」はしません。それはいまだにキリスト者ではない人々に対して行うことです。そう、教会の伝道の目的は(やや大上段にふりかぶって言えば)「人類と国家をキリスト教化すること」です。



「伝道」を使命とする教会の存在理由もまた然りです。わたしたちが願っていることは、今まで一度も教会の建物や交わりの中に足を踏み入れたことがなかったような人々を教会の中に招き、教会の教えや雰囲気、さらに伝統や文化の内容を理解していただき、それらに良い意味で「馴染んでいただくこと」です。小池正良引退教師のお言葉をお借りすれば「伝道とは異文化間コミュニケーションでもある」のです。



別の文化からわたしたちの文化(改革派的キリスト教文化)へと入ってくる人々がある種の違和感を覚えるのは、当然のことです。しかし、だからこそ、時間をかけて馴染んでいただく必要があります。教会の役割は、その人々の前で言葉を尽くして説明し、理解を求めることです。



しかし、そうは言いましても、この「馴染んでいただくこと」や「理解を求めること」が決して簡単なことでも単純なことでもないということを、わたしたちは体験的に知っています。もしそれが簡単で単純なことであるならば、日本伝道はもっとスムーズに進んできたでしょうし、今のような沈滞ムードに悩むこともなかったでしょう。そこで生まれてくる問いが「教会はもっと敷居を低くすべきではないか。社会問題などを持ち出してその判断を迫るようなことをするから教会に人が集まらないのではないか」というものであることも、わたしたちは知っています。ジレンマがあることは否定できません。



たしかに言えることは、人々が教会に求めるものは多様であるということです。ある人は教会に「地上の現実を越えた安らぎ」を求めますし、他の人は「地上の現実を生き抜く勇気」を求めます。しかし、です。ここから先がわたしたちの真骨頂です。問うべきことは「改革派教会」の選択肢は何かです。



それは、疑いなく後者です。わたしたちが教会に求めるべきは「地上の現実を生き抜く勇気」です。わたしたちは、天地万物を「はなはだ良きもの」(創世記1・13)として創造された神と、わたしたちを罪の中から救い出してくださる神は、同一の方であると信じています。その意味は、わたしたちをとりまく地上の現実がたとえ罪と悪に染まりきったものであると感じるものだとしても、「この世界は神が創造されたものである」という一点の真理ゆえに、神を信じる者たちは地上の世界に固く留まり続けるべきであり、かつこの世の中に満ち満ちている罪と悪の問題に正面から真剣に向き合うべきであるということです。創造者なる神への信仰が、わたしたちにこの世の中で生き抜くこと(地上の現実から逃避しないこと!)を強く要請すると共に、わたしたちのなすべきことを自覚させるのです。



「平和の問題」(そしてその裏側にある「戦争の問題」)は、この世界における罪や悪の問題のうちでも最も典型的で顕著なものです。この問題を扱うことが「伝道」に直結するのです。逆から言い直せば、「伝道」が「平和集会」を必然化するのだということです。



なるほど、ある国は「偽証してはならない」という神の戒めに逆らって立っているかもしれませんが、だからといって、神を信じる者たちがその国を徹底的に打ちたたくことにおいて「殺してはならない」という神の戒めに逆らうことが単純に許されてよいわけではありません。また、新約聖書の真理に立つ人々は「殺人を犯した人は必ず殺されなければならない」というようなことをストレートに語ることはできません。すべては複雑怪奇な問題です。しかし難しいことには近寄らないというのでは「それは逃避ではないのか」とのそしりを免れないでしょう。わたしたちが選ぶべきは判断中止による逃避でしょうか、それとも・・・どうすべきでしょうか。



もちろん、教会になしうることは、ごく僅かです。日本の教会は国民の少数派であり、その中の「改革派教会」はなおさらです。わたしたちの命すべてを投げ出したところで、大きなアクションを起こす力にはならないかもしれません。しかし、それが何でしょう。あきらめること、絶望することこそ、わたしたちが犯しうる大罪です。「できやしない」という声を聞いて立ち止まるくらいならば、わたしたちは、どんなに小さくても何かを行い続けるべきです。



私はつい最近、中部中会の『日曜学校教案誌』の小学生向け教案例に、「戦争しなければならない理由」を主張する人々の言葉に説得されそうになったときには「戦争してはならない理由」を一生懸命探して、それを大きな声で伝えましょうねと書きました。「みんなが賛成してくれるかどうかは分かりません。でも、皆さんの言葉に賛成してくれる人たちは必ず見つかります。その人々とぜひ協力してください」とも書きました。



これは、子どもたちだけに言いたいことではなく、すべての人に言わなければならないことです。勇気をもって、声を大にして!



(日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師、東関東中会伝道委員会書記)



2009年1月11日日曜日

世を照らす神の光


ヨハネによる福音書1・6~13

「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」

先週からヨハネによる福音書を学びはじめています。何とも言えないとっつきにくさがある書物です。しかしとても興味深いものです。じっくり味わいながら学んでいきたいと願っています。

今日の個所にはヨハネという人物のことが紹介されています。このヨハネはこの福音書を書いたヨハネではありません。イエスさまに洗礼を授けたことで知られるバプテスマのヨハネです。しかしこの点はあまりすんなりとは行きません。二人が同じ名前であることには、やはり何らかの意味があると言わざるをえないのです。

この福音書を書いたヨハネが、バプテスマのヨハネの話をしながら自分自身の姿を重ね合わせていると考えている人々がいます。その見方は正しいと思います。先週私は、この福音書には著者の思想的立場が前面に現われていると申しました。明らかにヨハネがこの福音書を書いた時代の教会の戦いが背景にあります。しかし今日の個所に出てくるヨハネは、直接的にはバプテスマのヨハネです。そのことを無視してはいけません。

バプテスマのヨハネは神から遣わされたと記されています。「光について証しをするため、またすべての人が彼によって(ヨハネによって!)信じるようになる(光を信じるようになる!)ために」、ヨハネは神から遣わされたのです。

「光を信じる」とは、どういうことでしょうか。

先週の個所に「命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」と書かれていました。そして「人間を照らす光」としての「命」が「言(ことば)の内にある」とも書かれていました。この「言」がイエス・キリストです。イエス・キリストの内に、命の光があるのです。その命の光が人間を照らしているのです。そして、その光が暗闇の中で輝いています。

「暗闇」とはわたしたち人間が生きているこの世界に重くのしかかっている闇です。隣人の姿が見えなくなり、自分のことしか考えられなくなる闇です。しかしヨハネは(この福音書を書いたヨハネは、です!)、世界の暗闇の中で絶望していません。暗闇はイエス・キリストの内に輝いている命の光によって、取り払われつつあるからです。

イエス・キリストが来てくださったことによって、地上の世界に生きているわたしたち人間は誰一人、暗闇の中で絶望しなくてもよいのです。そのことを「すべての人が信じるようになるために」、二人のヨハネ(!)は神から遣わされたのです。バプテスマのヨハネが、そしてこの福音書を書いたヨハネが、多くの人々の前で証言したのです。

別の言い方をしておきます。二人のヨハネが神から遣わされたことの目的は、救い主が来てくださったということを世のすべての人に伝えることでした。逆の言い方をすれば、それは彼らの人生にはある一つの目的があったということであり、もしその目的を果たすことができさえすれば、彼らの人生はいわばゴールを迎えたと信じてよいものであったということでもあります。

どういうことかお分かりでしょうか。わたしたちの人生にも、おそらく何らかの目的があります。もちろんそんなものは持っていないと思っておられる方もおられるでしょう。そのように感じることが悪いことだと言いたいわけでもありません。

「人生の目的が一つだなんてことがあるはずはない。人生はそんなに単純ではありません。いろんな仕事があり、いろんな楽しみがあります。一つに絞ることなんてできません」。そのように言いたい人もおられるでしょう。「一つの目的を果たしさえすれば、私の人生は終わっても構いません」という言い方は傲慢であると感じる方もおられるかもしれません。人生の目的が神であるとか信仰であるとか、そんなのは御免ですと言いたい方もおられるでしょう。私自身は、そのようにおっしゃる方々の気持ちを理解できてしまう一面をもっています。

しかしまた、その一方で私が考え込んでしまうこと、それはやや言いにくいことですが、わたしたちの人生はそれほど長くないということです。一つのことのためだけに生きることでも精一杯です。

「あれもしたい、これもしたい。」もちろんそのとおりです!しかし、おそらくだいたい人生の半分くらい生きてきた頃にわたしたちが痛感させられることは、「あれもできなかった、これもできなかった」ということではないかとも思わされます。人生の目的が多ければ多いほど絶望感にさいなまれます。逆に言いますと、わたしの人生の目的はこれだと絞ることができるなら、心が楽になる面もあるような気がするのです。

バプテスマのヨハネの人生の目的は、これから来てくださる救い主をお迎えにするためにわたしたちは準備しなければならないということを、多くの人に知らせることでした。そして、そのことを知らせた後、彼は殺されたのです。

このヨハネにとって、イエス・キリストは永遠の主人公でした。彼自身は永遠の脇役でした。人間関係的に言えば、ヨハネのほうが年上で、イエスさまは年下でした。しかし、ヨハネは自分自身をイエス・キリストに従う者の位置に置いたのです。

自分の人生を永遠の脇役として理解し、位置づけ、覚悟を決めて生きること、それは決して容易いことではないかもしれません。わたしの人生はわたしのものだ。主人公の椅子は誰にも渡さない。そのように考える人々にとってバプテスマのヨハネの生き方は、共感どころか理解すらできないものかもしれません。ところがヨハネは、「わたしの人生はそうではない!」ということを確信し、心定めたのです。

そのことにこの福音書を書いたヨハネは、自分自身の姿を重ね合わせていると思われるのです。後者のヨハネの場合は、西暦一世紀の終わり頃、まさに存亡の危機の中にあった教会の正しい信仰を守りぬくための熾烈な戦いに自分の人生のすべてを賭けたのです。

イエス・キリストをこのわたしの救い主として信じること、そしてまた自ら信じた方の救いを広くこの世界の人々に宣べ伝えることは、少なくとも二人のヨハネにとって、自分の人生すべてをそこに賭けてしまう意義と価値があると信じることができるものでした。だからこそ彼らは確信をもって自分を脇役の位置に置くことができました。

「世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」とヨハネは書いています。先週の個所には「暗闇は光を理解しなかった」と書かれていました。ヨハネが「世」とか「自分の民」とか「暗闇」と呼んでいるのは、みな同じものであると考えることができるでしょう。それはもちろん、イエス・キリストを受け入れない人々と、その人々が生きているこの世界です。イエス・キリストの前には、この方を受け入れる人々もいれば、受け入れない人々もいるのです。

しかし、ここでわたしたちは読み間違えてはなりません。ヨハネは、イエス・キリストを受け入れない人々のことを冷たく裁くためにこのように書いているのではありません。「あの連中はダメな奴らだ」というようなことを言いたいわけではありません。彼の意図は正反対です。

ヨハネが言おうとしていることを短く言えば、イエス・キリストを通して現わされた神の恵みであり、神の愛です。救い主は、世界に暗闇があることを十分ご存じでありながら、御自分のことを理解せず、受け入れず、認めることさえしようとしない人々のところにも、いえ、そのような人々のところにこそ来てくださったのです。たとえ人々に嫌がられようと、罵られようと、です。

救い主は、世界が暗闇のままであることが我慢できないのです。あなたの心が暗い闇に覆われ、どんよりとした憂鬱な気分のままであることを放っておかれないのです。

その意味で言えば、イエス・キリストという方は、感覚的にはお節介焼きな面をもっておられる方です。「どうぞわたしのことはもう放っておいてください」と言って他者の干渉や介入をシャットアウトしたい人々にとっては、圧力を感じるかもしれないほどの、「もう勘弁してほしいです」と感じるかもしれないほどのお節介焼きです。

私にはイエスさまのこの点がなかなか真似できません。そのことを気に病んでいます。「わたしのことは放っておいてください」と言われたが最後、「ハイ分かりました」とそれ以上近づくことができなくなります。御本人の意思を尊重して、つい本当に放っておいてしまうところが私にはあります。そのような姿勢が牧師としてどうなのかという点を反省しなければなりません。イエス・キリストは、「わたしは救いというものなど必要ない」と思っているような人々をこそ、お救いになろうとされたのです。

ヨハネは続けて「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである」と書いています。これについても、たった今申し上げたこととほとんど同じことを申し上げなければなりません。

ここでもヨハネは、「その名」、つまりイエス・キリストの名を信じる人々に「神の子となる資格」をお与えになる方はイエス・キリストを信じない人々にはその資格を与えないという点ばかりを強調したいわけではありません。論理的にはそのようなことが言えるかもしれませんが、ヨハネの意図がその点にあるわけではありません。

ここでわたしたちが考えるべきことは、生まれたときから先天的に信仰をもって生まれた人は誰一人いないということです。信仰は血によって遺伝するようなものではないということです。そのことを、ヨハネは「血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく」という言葉で表現しています。

ヨハネの意図は、すべての人は「神の子となる資格」などは持たずに生まれてきたのだということです。しかし、それにもかかわらず、イエス・キリストは、すべての人がその資格を得ることを望んでおられ、何とかして救いたいと願っておられます。「わたしは神の子となる資格など無い人間である」と自覚しているあなたのところ、このわたしのところにこそ、イエス・キリストは来てくださったのです。

ヨハネはイエス・キリストを「人間」を照らす、または「世」を照らす命の光をもつ方であると信じました。「世を照らす神の光」という今日の説教のタイトルを教会の前の看板に書いていただいている字を見ながら先週一週間を過ごしておりましたとき、不謹慎かもしれませんが、「天照大神(アマテラスオオミカミ)」という字を思い出してしまいました。

字面だけ取り上げてあれこれ言うことは控えなければなりませんが、毎日看板を見ながら私がますます確信を得たことは、わたしたちの神の光、救い主イエス・キリストの光は「天」だけを照らしているものではないということです!

イエス・キリストの光が「天」を照らしているということを否定する意図はありません。しかしそれは天国だけを、教会だけを、信仰をもって生きている人々だけを照らしているのではありません。地上の世界全体を、地上に生きているわたしたち自身を、そして未だに信仰に至っていない人々を照らしているのです。

伝道に命を賭けた人々は、世界と自分の人生の暗闇の中でその光を見た人々です。絶望したままで生きていける人は、どこにもいない。すべての人に「救い」と「希望」が必要である。「わたしたちはまだ生きていける!」そのことを知っている人々です。

(2009年1月11日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年1月8日木曜日

「今週の説教」のブログとメールマガジンについて

ブログ「今週の説教」の説教は、現在245件です。今の松戸小金原教会に来て半年後の2004年9月から、説教のブログ掲載とメールマガジン配信を始めました(夕拝説教はあまり載せられていません)。



やり方は、東神大同級生の清弘剛生先生が大阪のぞみ教会時代にしておられたことを受け継いだというか、真似しました(ご本人の了解を得ました)。



清弘先生のメールマガジンはかなりの購読者数を得ておられたようですが、私のメールマガジンの購読者は礼拝出席者よりも少ないです。教会員の方々からは「耳で聞くだけでは分からなかったことがメールマガジンを読んで分かりました」と言っていただけることがあります。メールマガジンのほうはそれくらいの用途でしかありません。



でも、自分の説教をすべてブログにさらすこと(勝間和代氏の表現を借りれば「自分をグーグル化すること」)は、説教集を書店の本棚に並べて印税収入を得ているような人々とは違って一円の収入にもならないし、有料のブログシステム「ココログ」や独自ドメイン「reformed.jp」などを利用していますので持ち出すもののほうが多いのですが、「読みました」と言っていただける方々の数が多く、範囲が広いことを実感しています。



自慢するわけではありませんが、「今週の説教」という検索語でサーチしていただくとgoogleとyahooとMSNでは第1位から第3位くらいの間で私のブログに到達するようです。他の検索エンジンもそのうち調べてみたいです。



まあ、でも、うちの子どもたちも大きくなってきて、塾だの習い事だの出費が家計に重くのしかかるようになりましたので、持ち出しの多いことを続けていくのはそろそろ潮時かな、と感じています。ブログに「献金お願いします」の広告を出さねばならない日が来るかもしれません(わりと真剣な話です)。



ブログ掲載を始めようと思った理由は、いろいろありますが、いちばん単純な理由は、われわれの説教の「一回性」です。



我々の説教原稿は、どれだけ苦労して書いたものでもたった一回読むだけですべて用済みです。私は整理とか苦手なので、書類の山の中に埋もれ、そのうちゴミ箱行きです。そうなることが分かっているので、いっそ全部をブログに置いておけば、自分の整理にもなるし、誰かの役に立つものもあるかもしれないと思ったまでです。



これから牧師になる人たちに勧めたいことは、ぜひ私と同じようにしてほしいということです。人目にさらすつもりで原稿を書こうとすれば、「てにおは」レベルの言葉遣いにも真剣にならざるをえませんし、盗作・剽窃のたぐいなどもすぐにバレてしまいます。ただし、「多くの人に読んでもらおう」という思いでブログに書くと、閲覧者数の少なさにがっかりすることになるでしょうから、あくまでも自分の修行のためにする。



前にも書きましたが、「説教の塾」にお通いになって高名な大先生の指導を仰ぐ時間と元気があるくらいなら(そうなさることが悪いと言っているわけではありませんが)、自分の説教をブログでさらし、もっと多くの人々の講評(ないし審判)を仰いだらよいと本気で思っています。



説教のオーディエンスは、まさか「塾長」や「塾生」だけであるはずはなく、教会員だけでもなく、それよりもはるかに広い世界に生きている人々であるはずです。どんなことであれ、それに習熟することのためには、一度は狭いゲットーの中に閉じこもることも必要であることは認めますが、いつまでも(免許皆伝されてから何年たっても)同じところに閉じこもり続けるというのでは、基本姿勢としてどこか変です。



2009年1月6日火曜日

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いいたします。



多くの方々から年賀状をいただくことができました。返信まもなく届くと思いますのでご笑覧いただけますとうれしいです。



新年より、ヨハネによる福音書の連続講解説教を開始いたしました。さっそく昨日の説教をブログにアップしておきました。これもよろしければご一読くださいますようお願いいたします。



今週の説教
http://sermon.reformed.jp/



この謎に満ちた「第四福音書」の釈義に際して特に考慮していきたいと願っていることは、この書物における「グノーシス主義との対決」というモチーフです。この見方は聖書学に明るい方々にとっては御承知のとおり、C. K. バレット(英国ダラム大学名誉教授)著『ヨハネによる福音書注解』(C. K. Barrett, The Gospel according to St. John. An Introduction with Commentary and Notes on the Greek Text. The Westminster Press-Philadelphia, Second Edition, 1978.)から学びうることです。



「第四福音書」と「グノーシス主義」の関係についての現代神学における諸議論の流れの概略については、G. R. Beasley-Murray, John, Word Biblical Commentary 36, Word Books-Waco, Texas, 1987, p. lv-lviにまとめられています。



両者の密接な関係を前世紀において最も声を大にして語ったのは、ブルトマン学派です。彼らの見方には説得力があります。しかし、ブルトマン流の様式史的研究の線をおしすすめていくと、この福音書がまるでグノーシス主義のテキストであったかのようになってしまう。



それに対してバレットが主張したことは、両者のポジティヴな関係を認めつつも、「第四福音書」の著者ヨハネはグノーシス主義のヴォキャブラリを「キリスト教的に翻訳しなおして」用いただけであり、そうすることによってヨハネは「グノーシス主義が発した問いへの最も完全な答えを与えた」のであり、そのようにして「自分の武器を用いてグノーシス主義を打ち負かした」のだということです(C. K. Barrett, Idem, p. 134.)



「グノーシス主義との対決」、この件で私の念頭にあるのはファン・ルーラー神学の基本モチーフです!私にとってヨハネによる福音書との取り組みの意図は、神学的構造的にいえば、バレットとファン・ルーラーのコラボレーションから見えてくるパースペクティヴに立って「第四福音書」を読むときに現代社会に生きる人々に向かって語りうるメッセージは何かというあたりにあります。



まあしかし、ややこしく言えばこんな感じになりますが、説教そのものをことさらに難しくするつもりはなく、できるだけ平易にみんなが元気になれるような言葉を語っていきたいと願っています。



ファン・ルーラーの翻訳のほうもコツコツと続けております。そのうち公開できると思います。オランダ旅行記も続きを書かねばなりません。応援していただけますと幸いです。



2009年1月4日日曜日

初めに言(ことば)があった


ヨハネによる福音書1・1~5

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」

今日からヨハネによる福音書を学んでいくことにしました。この福音書は、全体で21章あります。全体を学ぶには、またかなりの時間がかかってしまうと思います。どうか最後まで(ひとりも欠けることなく!)お付き合いいただきたく願っております。

この書物を学びはじめることをお伝えしましたとき、教会のある方が「私にとって何度読んでも未だによく分からない福音書です」とメールでお知らせくださいました。だからこそこれからの学びを楽しみにしていますという旨、書き添えてくださいました。しかし、事実はその方のおっしゃるとおりです。なるほどたしかに、ヨハネによる福音書は、何度読んでもよく分からない書物です。学び続けていくためには、いくらか忍耐が求められるかもしれません。

ごく大雑把で常識的なことから申し上げておきます。新約聖書のなかに救い主イエス・キリストのご生涯を描きだす「福音書」と呼ばれる四つの書物があり、その四番目に位置づけられるのがヨハネによる福音書です(そのため「第四福音書」と呼ばれます)。時代的に見ても四つのうち最後に書かれたのがヨハネです。書かれた時期は西暦一世紀の終わり頃であるという見方が有力です。

他の三つはマタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書です。これらは性格的に似ているものです。似ていることには当然理由があります。今の聖書学者たちの見方によりますと、最初にマルコが書かれ、次にマタイ、三番目にルカが書かれました。しかも、最初のマルコはともかく、マタイはマルコを参考にしながら書き、さらにルカはマルコとマタイの両方を参考にしながら書いたのです。まるごと引き写しているところも少なくありません。このように互いに見比べ合いながら書かれたものが似ているのは当然です。この三つの福音書は、教会の長い歴史の中で「共観福音書」と呼ばれてきました。

それではヨハネによる福音書はどうでしょうか。四つのうちでいちばん最後に書かれたものが他の三つを参考にして書かれていることは当然というべきです。しかし、他の三つとは全く似ていないとは言えないにしても、かなり違いがあることは間違いありません。聖書学者が目をつけるところは、他の三つの福音書(共観福音書)とヨハネによる福音書(第四福音書)との違いの原因ないし理由は何かという点です。

これについてはいろんな人がいろんなことを言ってきました。それらを紹介することはできません。しかしその中で私にとっていちばん納得が行くというか腹にうまく納まるというか説明しやすいと感じてきましたのはヨハネによる福音書が書かれた時代の時代的な背景からの説明です。すなわち、西暦一世紀の終わり頃の教会が直面した厳しい現実とこの福音書との関係という点です。これについてもややこしいことはなるべく言わないでおきます。一つの点だけ。

ごく一般論的に考えていただきますとき、ある書物が書かれるとき、それを書く人にはその人自身の言いたいこと(著者自身の主張)があるということは、お分かりいただけるはずです。もちろん「福音書」とは、イエス・キリストの生涯を描きだす目的で書かれるものですので、著者の主張などは、本来はできるだけ後ろに引き下がったところにあるべきものなのです。実際たしかに、共観福音書の場合には著者自身の主張が出てくるようなところがあってもどこか遠慮がちであり、イエスさまの背中のうしろに隠れるような仕方で出てきます。しかしヨハネの場合はそれが前面に出てくる。遠慮なく出てくる。ここに違いがあると言えます。

そしてその違いの原因が、ヨハネによる福音書が書かれた時代的背景にあるという説明が私にとっては最も理解しやすいものです。西暦一世紀末、それはキリスト教会がまさに存亡の危機に直面していた時代です。この時期のキリスト教会はさまざまなグループに分かれ、その中に異端も発生して混乱の極みにあった。そのように考えていただいて間違いありません。その様相たるや、もしその時代の教会がさまざまな異端との戦いに敗北していたとしたら、その後の千九百年間のキリスト教の歴史は存在しなかったであろうと言われているほどです。

なかでも、この時代にはすでに流行の兆しを見せていた「グノーシス主義」との戦いは熾烈を極めたものでした。グノーシス主義については一度どこかできちんと説明しなければなりませんが、今日は簡単に済ませます。いちばん理解しやすいと思われるところだけ言いますと、それは要するに、この地上の人生を軽んじる立場です。グノーシス主義者は、「天国」だとか「天使」だとか、この地上の現実を超えた向こう側の事柄には強い関心や憧れを抱くのですが、地上の人生、世界の現実に対しては、ほとんど絶望に近いものを感じとったり、無関心を決め込んだり、それはもっぱら汚れたものであるゆえに憎むべきものでさえあると考えたりする。要するに、それ――地上の人生!――を軽んじていたのです。

もちろんある見方をすれば、「天国」や「天使」をもっぱら強調する人々こそが宗教的に熱心であったりしますので、そちらのほうが正しいのではないかと感じることがあるかもしれません。しかし、グノーシス主義はやはり、キリスト教会にとっては異端です。教会が重んじるべきことは、「天国」があり、「天使」がいるというようなことだけではありえないからです。「地上の世界」があり、そこに「人間」がいるということ、このことも教会は十分重んじなければならないのです。

もちろん、ヨハネによる福音書の歴史的な背景は、グノーシス主義との戦いということだけで説明できるものではありません。もっといろんな要素が複雑に絡み合っています。しかし、この要素――グノーシス主義との戦いという要素!――が確かにあったということは語りうることです。ややこしいことは分かりませんとお感じの方のために別の言葉を用意しておきます。それは、「この福音書の裏側には地上の人生を軽んじる人々との戦いという意図があります」ということです。

ただし、ここでもう一つだけややこしいことを申し上げなければ、この先に話を進めて行くことができません。今日明らかにされてきていることは、この福音書を書いたヨハネはグノーシス主義との戦いという意図ないし動機をもってこの書物を書きながら――実にややこしいことに!――そのことのためにグノーシス主義者たちが当時好んで用いていた言葉をあえて採用したのだということです。

どういうことかお分かりいただけますでしょうか。分かりにくい話を理解していただくためには譬えを用いるとよいのでしょうけれども、あまりうまい譬えが思いつきません。たとえば仏教の人々にわたしたちがキリスト教信仰を説明しようとする場合、わたしたちが普段用いているキリスト教用語を用いるのではなく、相手がいつも用いている仏教の言葉で説明するとどうなるかという問題を考えていただくとよいかもしれません。もちろん相手は仏教でなくても別の宗教でも構いません。あるいは「キリスト教」を名乗る異端(統一協会、エホバの証人、モルモン教など)の人々の場合を考えてもよいでしょう。

わたしたちが体験的に知っていることは、キリスト教信仰をキリスト教の用語で説明しようとしても相手が理解してくれない場合があるということです。相手の言葉を用いて語ること、わたしたちの教会の用語を異なる宗教や異なる立場の人々の用語へと“翻訳すること”によって初めて相手に伝わるものが生まれる場合があるのです。

ヨハネによる福音書を理解することの困難さの最も深い原因はおそらくそのあたりです。しかしそれは同時に、面白さでもあるはずです。共観福音書におけるイエス・キリストは、旧約聖書的な背景を持ちつつ、キリスト教会の言葉で描き出されたものです。しかしヨハネによる福音書は、まさにこの点が違うのです。この書物には、当時の異端の人々が好んで用いていた言葉が積極的に採用されているのです。しかし採用の意図はヨハネが異端に巻き込まれていたからではありません。事情は正反対です。ヨハネの意図は異端の人々を正しいキリスト教信仰へと招き入れるためでした。この点はものすごく力をこめて強調しておきたいことです。

今日は、うんと回りくどい話になりました。しかし、せめてこれくらいのことだけでもお話ししておかないかぎり、今日の個所を理解していただくことはできそうもないと思いました。今日の個所に記されているのは、共観福音書の場合にはイエス・キリストの御降誕の次第、つまり、わたしたちがクリスマスのたびに学ぶ、天使や博士や羊飼いが登場する、あの聖誕物語、あれと内容的に同じことです。ところがヨハネの場合は、全く異なる表現で書かれています。この違いは何なのかを理解していただくために今日のこれまでのすべての説明があったとお考えいただけると幸いです。

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」この「言」(ロゴス)とはイエス・キリストのことです!ヨハネの意図は次のように説明できます。「初め」とは天地創造よりも前です。3節に出てくる「万物は言によって成った」とあるのが天地創造の出来事です。それ(天地創造)より前の時点を指しているのが「初めに」です。天地創造より前にイエス・キリストがおられた。イエス・キリストは父なる神と共におられた。イエス・キリストは神御自身であった。


「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」ヨハネの意図をくみつつ大胆に言い換えますと、次のような感じになります。天地万物はイエス・キリストによって形づくられた。形あるものでイエス・キリストによらないものは何一つなかった。ヨハネが述べていることは、神の御子イエス・キリストは、父なる神と共に天地創造のみわざに関与しておられたということです。別の言い方をしておきます。この地上にあるすべてのもの、すべての人は天地創造に関与なさったイエス・キリストと無関係に存在しているわけではないということです!「わたしはイエス・キリストなど信じていませんので、そういうものとは一切関係ありません」と言っている人の人生にも、イエス・キリストは関わっておられるのです!「この国はキリスト教の国ではありません」と言っているような国や社会にも、イエス・キリストは関わっておられるのです!

「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」イエス・キリストのうちに人間を照らす光としての命があった。その光が暗闇の中に輝いている。しかしその暗闇は光を理解しなかった。この最後の「光と闇」の対比などは、これこそグノーシス主義者たちが好んで用いた言葉であると言われています。しかし、ヨハネの意図は、彼らとは全く異なります。ヨハネが語ろうとしていることは、天地万物の創造に関与してくださった神の御子イエス・キリストだけが光り輝いていて、地上の世界はひたすら暗黒であるということではありません。むしろ逆です。ヨハネはむしろ「暗闇の中で輝く光」としてのイエス・キリストの光がすでに世界を照らしはじめているのだと言っているのです。世界は全くの暗黒ではありえない。夜明けは来ている。希望のあさひは地上を照らしている。わたしたちの人生は輝いているのです!

(2008年1月4日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年1月1日木曜日

初めに神は天地を創造された


創世記1・1~5

「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」

あけましておめでとうございます!今日は新年礼拝です。昨年同様、日曜学校との合同礼拝として行っています。

今日開いていただきましたのは、旧約聖書のいちばん最初のページです。「初めに、神が天地を創造された」と書かれています。新しい年の初めにみんなで思い起こしたいことは、これです。この世界は神がお造りになったものであるということです。神がわたしたちのために最初に行ってくださったみわざは、この地上の世界をお造りになることであったということです。

この個所に書かれていますのは、この世界が神さまによって造られたときの最初の様子です。「地は混沌であった」とありますが、「混沌」という言葉を子どもたちは知らないと思います。説明するのがとても難しい言葉なのですが、ぐちゃぐちゃであるとか、乱れているとか、整っていないというような意味です。

しかしこれは、学校の教科書に書いてあるような、この地球ができたばかりの頃の様子を言っているのではありません。聖書に記されている、神が創造してくださった「天地」の意味は、この地球だけのことではないからです。ぐちゃぐちゃとか、乱れているとか、整っていないというのは神さまとの関係です。神さまがともかく最初に造ってくださったこの天地には、神さまがこの天地を支配してくださるために必要な、他の何もなかったということです。

そこに町や家などはもちろんありませんでした。テレビやゲームもありませんでした。だって人も住んでいなかったのですから。草も木も生えていませんでした。要するに何もなかったのです。あるのは空と土だけでした。そのような風景を想像してみてくださるとよいでしょう。

空と土しか見えない。そのような場所はこの地球上に今でもあります。私はそこに一度だけ行ったことがあります。それは砂漠です。この話は前にもしたことがありますので、覚えておられる方がおられるかもしれません。

しかし、残念なことに私はそこにバスで行きましたので、砂漠の真ん中にアスファルトの道路が見えました。ですから、完全な意味でそこに何もないと言える場所に行ったわけではありません。しかし、ほとんど何もない、そのような場所を見ることができました。文字どおり空と土だけ。まっすぐな地平線の上は鮮やかな青色の空、地平線の下は小麦色の砂。二色刷りの風景でした。

この日本に住んでいますと、そのような風景を見る機会がほとんどありません。地平線を見る機会さえめったにありません。あらゆるところに建物がたち、物があふれています。それらはみな、人間が作ったものです。ですから、この世界を神がお造りになったという話があまりピンと来ないと感じる人がおられても、無理もありません。

私自身がそうです。生まれたときから今に至るまで、そこに何もないという場所に立つことが、ほとんどありませんでした。今の子どもたちは、もっとそうでしょう。生まれたときからパソコンがあり、超高層ビルが立ち並び、スペースシャトルが飛んでいました。そのような時代に生まれた子どもたちに「何もない世界を想像してください」と言っても明らかに無理があります。

しかし、わたしたちは、それぞれの人生の中で、そこに何もない世界というものを全く想像することができないとは言い切れない、「あ、もしかしてこれがそうなのか」と感じることができる場面に遭遇することがあります。いくつか例を挙げてみたいと思います。

第一の例は、そこに立っていた家が無くなったというような場面を見るときです。

昨年末、牧師館の隣の家が取り壊されました。これから新しい家が建てられるようです。その家に以前住んでいた家族の中に、うちの長男の同級生の子どもがいました。その子は何年か前に、別の町に引っ越しました。長男にとってはこの町に引っ越してきたときに最初にできた友人でしたので、長男はずいぶん寂しい思いを味わいました。そしてついに家も壊されました。今は地面だけが見えています。

そこにあったもの、そこにいた人が、少しずつ少しずつ目の前から失われていく、そのような場面を見ました。大げさな言い方かもしれませんが、まるで時計が逆に回っているような感じさえしました。

第二の例は、子どもたちには難しいかもしれない話です。大人たちにも難しいかもしれません。しかし、今の70歳以上の方々にはピンと来るものがあるかもしれません。

それはたとえば戦争のようなことです。自分の住んでいた家や町が無くなってしまった。食べるもの飲むものにさえ困ってしまった。そのような経験をなさった方々がおられます。

また、勤めていた会社が倒産してしまったとか、一緒に暮らしていた大切な家族が亡くなってしまったというようなことです。

その日そのときまではそこに当たり前のようにあったもの、当然のように一緒に生きていた人が目の前から失われてしまう。そのようなことをわたしたちは実際に体験します。「子どもたちには難しいかもしれません」と言いましたが、子どもたちの中にもそのような体験をする子たちが現実にいます。

今日、私はなぜこのような話をしているのかと言いますと、もちろん理由があります。今の日本全体、世界全体を見渡すとき、会社が無くなったとか、お金や家が無くなったということで苦しんでいる人々、困っている人々が大勢いるということを思わずにはいられないからです。わたしたち自身も、決して楽な暮らしをしているわけではないでしょう。持っていたものが無くなってしまった。生活が行き詰ってしまった。すっかり絶望してしまった。生きる理由が無くなった。自分の命を絶ってしまった。そのような話を聞かない日はないほどです。

そういう話を聞くのも辛いことです。しかし、何もかも失って絶望した人々は、もっと辛い思いをしたことでしょう。もし何かわたしたちにできることがあるならば、どうにかしたいという思いがないわけではありませんが、何をどうしたらよいのか分からないでいます。そういうことを、まさに今、この話をしながら考えさせられています。

しかし、です。わたしたちが知っていることは、もう一つある。そう言いたい気持ちを抑えることができません。それが今日の御言葉であると言いたくなります。わたしたちは知っていること、それは、わたしたちの目の前にあるもの、形があって手で触れることができるもの、それらすべてのものが無くなってしまった、目の前から失われてしまった、そのときにも、それがわたしたちにとっての完全な絶望の理由ではないということです。

そこには空と砂しかない、まさに砂漠のようなところに立たざるをえなくなったときにも、わたしたちは絶望しないでいることができます。なぜなら、わたしたちは、その空と砂、天と地を、神というお方がお造りになったという“事実”を信じているからです!

わたしたちの神は、何もない世界の上にすべてのものを築き上げてくださった方です。まさにゼロからすべてを作り上げてくださった方です。その方がわたしたちと共に、今も、そして永遠に生きておられるのです。

「牧師さん、あなたはゼロからスタートしたことがないでしょう」と言われてしまうかもしれません。しかし、あまり説得力がない話かもしれませんが、私は私なりのゼロからのスタートを味わったことがあると思っています。

たとえば、今の私の書斎にはたくさんの本がありますが、25年前に高校を卒業して大学に入学したときには聖書一冊しか持っていませんでした。その頃のことを今でもはっきり覚えています。もちろん妻もいませんでしたし、子どもたちもいませんでした。

ついでに恥ずかしいことを言いますと、私の高校時代は成績が最悪の落ちこぼれでした。英語や数学のテストで0点をとったこともあります。先生たちから完全に見捨てられていました。

このように私は、まさに何も持っていない、また何も知らない、そのような者でした。しかし、今では多くのものを与えられています。もし私の持っているすべてが無くなってしまったらどうなってしまうのだろうかと時々考え込んでしまいます。とても寂しくなるでしょうし、絶望してしまいそうになるかもしれません。しかしまた、もしそのような日が来たら、私はもう一度、今日の聖書の御言葉を開いて、繰り返し噛みしめなければならないと思っています。

わたしたちの神は、たった一本の地平線を引くところから、この世界を始めてくださいました。そこに何もない世界を造ること。神さまが最初になさった仕事は、ただそれだけでした。神さまもゼロからスタートなさいました。しかし、その神がその何もない世界の上にすべてのものを生み出してくださったのです!

ゼロからの再スタートを余儀なくされた人々を、神さまは決してお見捨てになりません。すべてをお造りになった神御自身が、すべてを失った人にもう一度(いいえ何度でも!)豊かな恵みを与えてくださいます。そのことをぜひ信じていただきたいのです。

今日の話も子どもたちには難しかったかもしれないことをあやまります。ごめんなさい。

日曜学校の皆さんに覚えてほしいことは、「どんなことがあっても大丈夫だからね!神さまがみんなを守ってくださるからね!今年一年もがんばろう!」ということです。

(2009年1月1日、松戸小金原教会新年礼拝)