2008年11月30日日曜日

わたしたちの本国は天にあります


フィリピの信徒への手紙3・17~4・1

「兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきことを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。」

前々回の説教の中で申し上げましたことは、パウロはこの手紙を3・1の「では、私の兄弟たち、主において喜びなさい」という言葉で締めくくろうとしたということです。「では」という言葉は手紙などを締めくくるときに用いられるものだからです。

しかしパウロは、実際にはそうしませんでした。その理由として考えられることについてもお話ししました。パウロはこの手紙を「喜び」というキリスト教信仰の肯定的な側面を語ることだけで済ますことに、おそらく躊躇を覚えたのです。

実際のパウロは「あの犬どもに注意しなさい」(3・2)と続けました。キリスト教信仰に敵対する人々がいるということを、強く激しく語りはじめました。あからさまに書かれているのは当時のユダヤ教徒のことです。しかしキリスト教信仰に敵対してきた人々はユダヤ教徒だけではありません。あらゆる国の、あらゆる時代の、そしてあらゆる宗教の持ち主たち、あるいはいかなる宗教をもまじめに信じようとしない人々もまたキリスト教信仰に敵対してきました。あらかさまに敵対しない場合でも、危険視する、禁止する。無視する、右から左へ聞き流す、無関心を決め込む。あるいは軽く見る、笑うというような態度をとってきました。

最近はあまり聞かなくなったような気がしますが、日本でも私が子どもだった頃には「アーメン、ソーメン、冷ソーメン」だのと言われることがありました。実に嫌な気分を味わいました。多勢に無勢でしたので食ってかかることはしませんでしたが、何も言いたくないと思わされました。教会に通っているということを誰にも言いたくありませんでした。トラブルに巻き込まれるのが嫌でした。

しかしまた、私の場合は、だからこそ牧師という仕事を選んだという面もあります。トラブルのようなことに巻き込まれたくはないのです。しかし、教会に通っているということを誰にも言いたくないという気分を味わわされていること自体が嫌でした。「私は悪いことをしているわけではない!」という思いがあったからです。

教会に通うことが悪いでしょうか。わたしたちはここで何かひどいことをしているでしょうか。どうして悪口を言われたり、けんか腰で食ってかかられたり、冷たい目で見られなければならないのでしょうか。そのような何かをわたしたちがしているというならば話は別ですが、何も悪いことをしていないのにひどいことを言われるのは理不尽だと感じました。

“隠れキリシタン”のままでいることは神さまに対して申し訳ないことだと思いました。教会に通っていること、洗礼を受けていること、キリスト者であることを早く“カミングアウト”したかった。そのための、当時の私にとっては“唯一の”と感じられた方法が「牧師になること」でした。

なんだか私の話になってしまっていることをお許しください。しかし、この機会にまとめてお話ししておきたいことがあります。

それは、私にとって「牧師になること」は、自分の弱さのゆえであったということです。早い話、味方になってくれる人々が欲しかったのです。私はこの世のなかで、ひとりでキリスト者であるわけではないということを確認したかったのです。多勢に無勢のなかで孤立していました。トラブルに巻き込まれるのが嫌でした。しかしそのような理由で「教会に通っていること」を隠している状態を続けて行くことに耐えがたいものを感じたのです。

そういうのは自己目的的であると非難されるかもしれません。動機が不純であると思われるかもしれません。しかし、私が牧師になることを決心したのは高校生のときでした。自慢するわけではありませんが、高校生がたったひとりで戦っていたのです。

私の卒業した高校は、創立134周年になる古い学校です。数万人の名前が記されているであろう分厚い同窓会名簿の中で、牧師という仕事を選んだのは私を含めて3人か4人くらいです。

進路指導の先生に「牧師になるための大学に行きます」と伝えましたところ、「はあ、そうですか。どうぞご勝手に。そういう話は凡人の私には分かりません」と突き放されました。「はい、勝手にします」と言い残して立ち去りました。私のクラスの担任の先生でもありましたが、その日から二度と口を聞きませんでした。伝道的な態度ではないかもしれませんが、高校生としての精一杯の抵抗でした。

わたしたちが教会に通っていること、洗礼を受けていること、キリスト者であることで「世間を狭くしている」という面が無いかと言えば、「ある」と言わなければならないかもしれません。信仰者としての人生には喜びや楽しみの要素ばかりではなく、苦しみや失望の要素もたくさんあるということを率直に認めなければならないことも知っているつもりです。

私はけんかが嫌いなので、たとえ売られても、買いません。泣き寝入りもしませんが、我慢していることのほうが多いです。しかし、黙っていることができないときがあります。私のことならば何を言われても構いません。しかし、教会のこと、神さまのことを馬鹿にするようなことを言われると、黙っていることのほうが罪深いと感じてしまいます。自分の父親を他人から馬鹿にされるときに感じるのと似たような感情が芽生えます。

私の話はこれくらいにします。今日の個所をパウロは、泣きながら書いています。そのように彼自身がはっきり書いています。「何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです」。これは大げさに書いていることではありません。おそらくパウロは本当に泣いていた。このあたりの字が、涙でにじんでいたのではないかと思うくらいに。

しかし、パウロが泣いていたのは、自分が信じている宗教を馬鹿にされたからとか、自分のしていることを貶されたからというようなこととは少し違うように思います。続きを読みますと「彼らの行き着くところは滅びです」とあります。「彼らは腹を神とし、恥ずべきことを誇りとし、この世のことしか考えていません」。

ここでパウロが考えていることは、救い主としてのイエス・キリストに、あるいは宗教としてのキリスト教に、敵対する人々の「先行きを案じている」というのが最も近い。要するにパウロは、彼らのことを心配しているのです。

余計なお世話であると言われれば、それまでです。他人の心配をするよりも自分の心配をしなさいと言われるだけかもしれません。あなたがたの切り口から世界をとらえて、信仰を持たない人の行く先は滅びであるとか、あなたがたは腹を神としているだけだと言いだすのは一方的すぎるし、傲慢であると反論されるだけかもしれません。


「腹を神とする」とは何のことでしょうか。これと同じ意味の「腹」という言葉をパウロはローマの信徒への手紙16・18にも用いています。「こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです」(ローマ16・18)。

この「自分の腹に仕える」と「腹を神とする」は同じ意味です。自分の腹をまるで神であるかのように礼拝することです。もちろんこれは比喩であり、また皮肉です。パウロが書いている意味での「腹」は間違いなく欲望の象徴です。食欲だけではなく性欲や所有欲などすべてがその中に含まれます。

欲望を満たすことのすべてが悪いと言いたいわけではありません。そのようなことを私が言っても説得力はありません。しかし問題は、自分の腹と神を引き換えにすることです。自分の腹を選ぶか、それとも神を選ぶかという二者択一を迫られる場面がもしあるとしたら、そのとき迷わず腹を選ぶということになるならば、それは自分の腹と神とを引き換えにすることを、事実上意味しています。

しかし、よく考えてみれば、わたしたちが自分の欲望ないし欲求を満たすことと、神を信じること、教会に通うこと、礼拝に参加すること、洗礼を受けてキリスト者になることとは、それほど激しく対立することではないはずです。欲望だの欲求だのといいますと、まるでそのすべてが罪深くて悪いことであるかのように響いてしまうのですが、わたしたちが毎日生活していく中で間違いなく必要な要素でもあるはずです。

そしてまた、わたしたちが神を信じて生きるとは、神の祝福のもとに置かれること、神の恵みが豊かに注がれることを意味しているのですから、それは言葉の正しい意味での幸福な人生であり、満足できる人生でもあると言ってよいものです。満足することと、欲望ないし欲求が満たされることは、矛盾することでも対立することでもありません。

ところが、両者がまるで対立するものであるかのようにとらえ、神か腹か、宗教か欲望か、教会か社会かというような二者択一を考え、神と教会とを切り捨てる選択肢をえらんでいくときに、パウロの言う意味での「自分の腹を神とする」という批判の言葉が該当しはじめるのです。

もちろん、どの宗教を信じても同じという意味ではありません。そのようなことを私が言うはずがありません。パウロもそのようなことを言っているのではありません。彼は、ただひたすら心配しているのです。あの突然のイエス・キリストとの神秘的な出会いを体験して以来、神と教会から離れて生きることができなくなった者として。彼自身が深く大きな罪をもっていることを自覚している者として。自分は弱い人間であることを知り、神と教会に頼らなければ、このわたしはどんなふうになってしまうのかを悟っている者として。誰が何と言おうと。

「わたしたちの本国は天にあります」と、パウロは書いています。文脈的にはやや唐突に出てくる言葉ではありますが、パウロの意図は分かります。「本国」と訳されているギリシア語(ポリテューマ)は、「コロニア」というラテン語に訳されてきたものです。コロニーという言葉をご存じの方は多いでしょう。「植民地」などと訳されます。しかし、このパウロの言葉を「わたしたちの植民地は天にあります」と訳してしまいますと、ちょっとおかしいし、誤解を生むと思います。

この手紙の最初の読者、フィリピの教会の人々はローマ帝国の植民地(コロニア)に住んでいました。彼らがローマ帝国に逆らうことはそのまま死を意味していました。ローマ帝国は支配下の人々に対し、ローマ皇帝を神のごとく崇拝すること、皇帝礼拝を行うことを強制しました。キリスト教信仰に敵対していたのはユダヤ教徒たちだけではなく、ローマの皇帝礼拝を強制する人々でもありました。

しかし、「キリスト者のコロニアは天にある」。このパウロの言葉には、ローマ帝国が強制する皇帝礼拝への明確な拒絶があります。わたしたちの真の支配者は、父なる神と、救い主イエス・キリストだけであって、ローマ皇帝ではない。真の神がわたしたちを愛してくださり、守ってくださる。そのことを信じて生きていこうではないか。神の他に何も恐れるものはない。そのようにパウロは彼らを励ましているのです。

(2008年11月30日、松戸小金原教会主日礼拝)

2008年11月28日金曜日

国際ファン・ルーラー学会に出席します

来月12月10日(水)にオランダで開催される「国際ファン・ルーラー学会」(ファン・ルーラー生誕100年記念シンポジウム、会場:アムステルダム自由大学)の主催者から私宛てに招待状が届きました。驚き、また光栄に思いましたので、私も出席することにしました。出席を決意した時点(今月の初めのことでした)ではパスポートさえ持っていない状態でしたので、準備に少し手間取りましたが、なんとか整えることができました。学会の中で短時間ながら「日本からのメッセージ」(Message from Japan)と題するスピーチをさせていただけることになりました。オランダ国内からはもとより、ドイツ、アメリカ、南アフリカなどから集結した碩学たちの前ですので、当然ですが緊張するでしょう。原稿は自分で書き、それを日本語が堪能なアメリカ人宣教師に英訳していただきました。費用については松戸小金原教会の皆さんが「学会参加支援カンパ」を始めてくださいました。このようなうれしい日を迎えることができましたことを、感謝しています。旅程は、12月8日(月)正午に成田を発ち、午後4時30分ごろ(現地時刻)にアムステルダム・スキポール空港到着。学会の前後(火曜日、木曜日、金曜日)にはファン・ルーラーゆかりの地(出身教会や出身大学、勤務した教会や大学など)を巡ろうと思っています。そして、12日(金)午後7時(現地時刻)アムステルダムを発ち、翌13日(土)午後2時30分ごろ成田に帰ってくる予定です。14日(日)には、もちろん松戸小金原教会で説教を行います。現地では留学中の先生たち(野村信教授、石原知弘牧師、青木義紀牧師)と感動の再会を果たしたいと願っています。帰国後はできるだけ詳しい報告をさせていただくつもりですので、ご期待ください。なお、「国際ファン・ルーラー学会」のプログラムの内容が最初に公開されたものから少しずつですが動いているようです。おそらくは、ご苦労なことに主催者が調整に走り回っておられるところでしょう。最新情報はhttp://www.aavanruler.nl (「Events」→「Internationaal Van Ruler Congres」→「Programma」をクリック)に公開されています。カルヴァン神学校(アメリカ)のジョン・ボルト教授も急遽、「ファン・ルーラーとセオクラシーをめぐる近年のアメリカの議論について」という講演をなさることになったようです。



2008年11月23日日曜日

あなたの人生の目標は何ですか


フィリピの信徒への手紙3・12~16

「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。」

今日の個所にパウロが書いていることは、単純明快なことではありますが、深くて重い意義があります。語られていることは、ただ一つです。まとめていえば、わたしパウロはまだゴールにたどり着いていないということです。まだ走っている最中である。何ひとつ諦めないで、投げ出さないで、わたしはまだ走り続けている。一等賞をもらってもいないが、ビリでもない。何の決着もついていない。勝敗は決していないのです。

もちろんこれは、パウロの人生そのものについて彼自身がそのようにとらえていたことを表わすものです。彼の人生観であると言ってもよいでしょう。人生とはいわばひとつのレースである。スタートがあって、ゴールがある。そのあいだをひたすら走り続けるのがわたしたちの人生であるということです。

もちろん、人生の時間の長さには人それぞれの面があります。客観的・時間的な意味で短かったと言わざるをえない人生もあり、長い人生もあるでしょう。しかし言い方は少しおかしいかもしれませんが、人生は長ければ長いほど必ず良いというわけではなく、短い人生が必ず悪いというわけでもありません。レースには短距離走も長距離走もあります。重要なことは、スタートからゴールまで走り切ることです。やるべきことは、すべてやる。途中で諦めないこと、嫌にならないこと、投げ出さないことです。すべての道を自分なりの力を尽くして走り終えることができたと思えるなら、人生の時間的な長さそのものは、あまり大きな問題ではないのかもしれません。

ただし、今申し上げましたことの中では「やるべきこと」と「やりたかったこと」とは一応区別しておく必要がありそうです。「やりたかったこと」とは、主にわたしたちの欲求に属することです。あれもやりたかった、これもやりたかった。しかし、その欲求を満足させることができなかった。この意味での欲求不満は誰にでもあるものですが、あってもよいものですし、なければならないものでさえあります。一人の人間が抱く欲求のすべてを人生の中で満たし尽くす。そのことをどこまでも、とことんまで追求しようとする人がいるとしたら、はっきり言えばモンスターです。

やりたかった。だけど、できなかった。そこにはもちろん、地団太を踏みたくなるほどの悔しさもあるでしょう。しかしその悔しさは、わたしたちの人生の中で与えられる宝物であると信じなくてはなりません。すべての欲求を満たし尽くすことはできないし、してはならないことです。それを最後までやり遂げようとする人はモンスターなのです。

しかし、今の点は横に置きます。「やるべきこと」については、しなければなりません。わたしたちの人生がたとえどれほど短かろうとです。ごく幼いうちに、あるいは生まれて間もなく命が奪われる場合もありますので、その場合は親たち大人たちが「やるべきこと」という意味でご理解いただきたいところです。

わたしたちの人生には「やるべきこと」があります。果すべき役割があり、目指すべき目標があります。「そんなものはありません」と感じている人がおられるかもしれません。「今それを探している最中である」と考える人もいるでしょう。「人生の目標を探すことがわたしの人生の目標です」と、ちょっぴり格好をつけて言いたくなる人もいるでしょう。それらの考えはすべて尊重されるべきです。

しかし、今日取り上げておりますのはパウロの手紙です。彼が書いている、キリスト者としての人生の目標は何かという問題です。それについてパウロはどのように書いているのでしょうか。

注目していただきたいのは、12節の「既にそれを得たというわけではなく」の「それ」が指している内容です。それは10節から11節までに書かれています。「わたしはキリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」。

これがパウロの人生の究極目標です。彼自身の目標は、はっきりしています。ところが、そのことをパウロは、やや遠慮がちに書いているように感じられます。

今申し上げましたことの根拠は、15節です。「だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます」。

「このように考えるべき」とある「このように」の中に、パウロがここまで書いて来たこと、とくに彼が10節以下に記している「わたし」の人生の目標の内容がすべて含まれています。ということは、パウロの意図は明らかに、「わたし」の目標は「わたしたちの中で完全な者」のすべてにとっての目標でもあるべきだということです。

ところが、ここから先が遠慮がちです。あなたがたには「わたし」とは「別の考え」もあるかもしれませんと続けています。わたしが確信していることをあなたがたに何が何でも無理やり押しつけるつもりはありません。ここから先はどうぞ各自で判断してくださいというくらいの意味ではないかと思われます。

しかし、パウロの本音は、どうやら違います。彼自身のなかでは、すべてのキリスト者が、いえいえ、地上に生きているすべての人、まさに全人類(!)が人生の目標とすべきことはこれであると、はっきり言いたいものをもっているのです。それが先ほど一度読みました10節から11節までに書かれていることです。それは四点に分けられます。

第一は「キリストとその復活の力を知ること」です。

第二は「キリストの苦しみに与ること」です。

第三は「キリストの死の姿にあやかること」です。

第四は「何とかして死者からの復活に達すること」です。

何のことでしょうか。書いてあることをただ読むだけでは、ほとんど意味が分からないと思います。それでもわたしたちにとって少しくらいは引っかかりがありそうなのは第二と第三の点です。すなわち、キリストの苦しみにあずかること、そしてキリストの死の姿にあやかることです。

なぜこの点が、わたしたちに引っかかるのでしょうか。そうです、わたしたちの人生にも多くの「苦しみ」があるからです。また、わたしたちは人生の最後に必ず「死」の日を迎えるからです。皆さんの中にも「死ぬほどの苦しみを味わったことがある」と自覚しておられる方は少なくないでしょう。人生のなかで二度や三度は、そのようなことを体験します。それがわたしたちの人生の現実なのです。

しかしまた、今申し上げたことのすぐ後に言わなければならないことがあります。それは、パウロが書いていることは、わたしたちが人生の中で体験するのと全く同じ意味での単なる苦しみ、また単なる死でもなさそうだということです。なぜなら、ここで語られているのは「キリストの苦しみ」だからであり、また「キリストの死の姿」だからです。

「キリスト」とは、もちろん、わたしたちの救い主イエス・キリストのことです。このお方は歴史上に実在した人物です。この方が地上の人生において深く味わい続けなさった苦しみ、そしてこの方が多くの人の前にさらされたあの十字架上の死の姿、この苦しみと死とにこのわたしも与るのだ。それが、それこそが、このわたしの、わたしたちの人生の目標であると、パウロは語ろうとしているのです。

「与(あずか)る」とは、第一義的には「参加すること」です。参加するとは、英語でparticipate(パーティシペイト)と言います。その意味は、パートになること、パートを受け持つことです。全体の中の一部分を構成する要素になるということです。

このことがパウロの言葉にもそのまま当てはまります。キリストの苦しみにわたしたちが与るとは、キリストの苦しみの一部をわたしたち自身が受け持つことです。

もちろん、わたしたちはキリスト御自身ではありませんので、キリストが味わわれたのと全く等しい苦しみをわたしたち自身が味わうことはできないし、そこまでのことがわたしたち自身に求められているわけではありません。しかし、キリストの苦しみの一部を分け与えられていただき、その一部を受け取ることができ、味わうことができる。そのことをわたしたちの光栄とし、誇りとし、喜びとする。それこそが「キリストの苦しみに与ること」の意味なのです。

これは難しい話ではないはずです。キリストが苦しまれた理由を、わたしたちは知っているからです。父なる神の御心に忠実であり続けることにおいて、赦しがたい人類の罪を赦すことにおいて、助けを求める人々のもとを訪ね、力を尽くして助けることにおいて、わたしたちの救い主イエス・キリストは、苦しみ続けられたのです。つまり、「キリストの苦しみ」とは、イエス・キリストが現実に働いてくださったこと、まさに働きに伴う苦労や疲労と決して無関係ではないし、むしろ、まさにそのことを指していると言ってよいものであるということです。

これなら十分に理解可能でしょう。「キリストは労働者である」と表現するのはおかしいかもしれませんが、ある意味でそのとおりです。わたしたちもまた、その意味での労働者です。教会のなかで、教会を通して、さまざまな奉仕を行うことにおいて、苦労があり、疲労があります。わたしたちが教会のなかで、教会を通して味わう苦労や疲労は、歴史のなかで活躍されたキリストから受け継いだものなのです。

実際たとえば、わたしたちが聖書を読んで正しく理解すること、この中に描かれているイエス・キリストが地上でなさったのと全く同じことを真似してみることは一苦労です。イエスさまは、毎週会堂で説教なさいました。また病気の人々を訪問なさいました。信仰に反対する人々と戦われました。集会を開くこと、団体を運営すること、それらすべてのことをイエスさまもなさいました。それを今、わたしたちもしているのです。

それらの苦労や努力を避けて通らないことです。それをやってみたらよいのです。教会活動に参加することによってそれが十分可能です。それこそが「キリストの苦しみに与ること」なのです。

しかしまた、それは単に教会のなかで、教会を通して、ということだけに限定すべきものではありません。ご本人を前にして申し上げるとちょっとお困りになるかもしれませんが、たとえば佐々木冬彦長老のハープコンサートのことを考えるとよいでしょう。また、先週は千城台教会の田上雅徳長老(慶應義塾大学法学部准教授)が立教大学でオランダのカルヴィニズムについての講演をしてくださいました。私はその講演会の司会をしました。

教会の外へと出て行くこと、社会のなかで、多くの人々の前でキリスト者としての証しを立てること、喜んでもらうこと、このこともわたしたちにとっては多くの苦労を味わうことですが、やりがいのあることです。

あなたの人生の目標は何ですか。パウロの場合は、はっきりしていました。わたしたちも、はっきりしています。「まだ分からない」という方は、ぜひ教会に通ってください。

(2008年11月23日、松戸小金原教会主日礼拝)

2008年11月17日月曜日

国際ファン・ルーラー学会が開催されます

国際ファン・ルーラー学会



○日時 2008年12月10日(水)



○場所 アムステルダム自由大学講堂 De Boelelaan 1105 Amsterdam



○主催 アムステルダム自由大学神学部
      アムステルダム自由大学オランダプロテスタンティズム歴史文書センター
       オランダプロテスタント神学大学
       ファン・ルーラー協会



神学者アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(1908~1970年)の生涯と著作をみなおす協議会を行うべきであるという関心が高まっています。その協議会がファン・ルーラーの誕生日である2008年12月10日(水)にアムステルダム自由大学の講堂で行われることになりました。



ファン・ルーラーは、オランダ改革派教会(NHK)の牧師として、ユトレヒト大学の教授として、著述者であり講演者として、常に独特の音色を奏で、第二次世界大戦後の四半世紀間のオランダ改革派教会の内外に多大な影響を及ぼしました。彼は戦後の教会と文化における明るく前向きな姿勢と正統的な改革派神学との関係を知っていました。そのことが、オランダ改革派教会(NHK)の1951年版『教会規程』に及ぼした彼の影響の中に、彼のセオクラティック(神政政治的)な思想モデルの中に、救済と存在とを造形的に生き生きと結びつけることの中に、具体的に表れています。



本協議会においては、ファン・ルーラーの著作と生涯の諸側面が議論されます。彼の国内的・国際的影響、彼の神学的主題、オランダ改革派教会(NHK)における彼の立場ならびに他の教団・教派や思想的潮流との関係など。ファン・ルーラーの著作を知る国内外の精鋭たちが、発表の任を喜んで引き受けてくださいました。



入場は無料です。休憩時のコーヒー、紅茶も無料です。



昼食はアムステルダム自由大学の学生食堂を各自負担で利用していただけます。



○プログラム

〈全体講演〉



10.00「開会の辞」
    G. ハーリンク教授 Prof. dr. G. Harinck



10.10「ファン・ルーラー神学の概要」
       A. ファン・ド・ベーク教授 Prof. dr. A. van de Beek



10.40「教会と文化においてキリストが形をとること:ファン・ルーラーの想い出」
    J. モルトマン教授 Prof. dr. J. Moltmann



11.30 休憩



11.50「実践神学におけるファン・ルーラーの位置づけ」
    F. G. イミンク教授 Prof. dr. F.G. Immink



12.20「ファン・ルーラーと聖霊論」
    C. ファン・デア・コーイ教授 Prof. dr. C. van der Kooi



12.50 昼食



〈分科会〉



13.50「ファン・ルーラーと改革派スコラ神学」
    W. J. ファン・アッセルト教授 Prof. dr. W.J. van Asselt



13.50「ファン・ルーラーとセオクラシーの幻」
    J. P. ド・フリース氏 Drs. J.P. de Vries



13.50「ファン・ルーラーと積極的教会規程」
    P. ファン・デン・フューフェル博士 Dr. P. van den Heuvel



13.50「ファン・ルーラーと『真のカルヴァン』:改革派的伝統の行方」
    C. ロムバルト教授 Prof. dr. C. Lombard



〈分科会〉



14.30「オランダ改革派教会(NHK)におけるファン・ルーラー」
    G. ファン・デン・ブリンク教授 Prof. dr. G. van den Brink



14.30「オランダの改革派信徒へのファン・ルーラーの受容」
       M. E. ブリンクマン教授 Prof. dr. M.E. Brinkman



14.30「ファン・ルーラーとウルトラ保守派」
    W. J. オプ・トホフ教授 Prof. dr. W.J. op ’t Hof



14.30「ファン・ルーラーとアメリカ改革派教会(RCA)」
    A. J. ジャンセン博士 Dr. A.J. Janssen



15.00 休憩



〈全体講演〉



15.30「ファン・ルーラーの神概念:最高度に時宜にかなったそれ」
   L. J. ファン・デン・ブロム教授 Prof. dr. L.J. van den Brom



16.00「ファン・ルーラーにおける喜び」
   D. ファン・ケーレン博士 Dr. D. van Keulen



16.30 オランダ日報社刊『古典の光』シリーズに収録されたファン・ルーラーの代表的著作の紹介



16.40 茶話会



○より詳しい情報をお知りになりたい方は、以下までご連絡ください。
 アムステルダム自由大学オランダプロテスタンティズム歴史文書センター
 電話 (020) 5985270 電子メール hdc@ubvu.vu.nl



2008年11月16日日曜日

キリストはどのように生きられたか


フィリピの信徒への手紙3・1~11

「では、わたしの兄弟たち、主において喜びなさい。同じことをもう一度書きますが、これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです。あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。切り傷にすぎない割礼を持つ者に警戒しなさい。彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です。わたしたちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らないからです。とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」

注解書を調べていまして非常に興味深く感じましたことは、最初の「では」の意味です。この「では」は手紙を締めくくるときに用いる言葉であるというのです。「というわけで」、「要するに」、「結局」、「とどのつまり」などと訳すことができる言葉なのです。

このことが意味することは明白です。パウロは3・1の前半、すなわち「では、わたしの兄弟たち、主において喜びなさい」という言葉をもってこの手紙を書き終えようとしたのだということです。書きたいと思っていたことはすべて書き終えた。そろそろ筆を置くことにしよう。そのような気持ちが表れている言葉が、この「では」なのです。

しかしまた、今申し上げました事実にもかかわらず、わたしたちが知っていることは、実際の手紙はここで書き終えられることはなかったということです。続きが書かれました。ここにパウロの揺れる思い、微妙な心の動きを読み取ることが可能です。

この点にこだわってみたいと思ったことにはもちろん理由があります。フィリピの信徒の手紙は、これまで多くの人々から「喜びの手紙」と呼ばれてきました。理由は単純です。この手紙には「喜び」という言葉が繰り返して出てくるからです。

しかし私が感じてきたことは、事柄はそれほど単純ではないということです。この手紙の中には苦しみや悲しみを強調している個所も、たくさんあるからです。これは「喜びの手紙」であると言われることに絶対的に反対したいわけではありませんが、「苦しみの手紙」とか「悲しみの手紙」と呼ばなければならない面もあると思われてならないのです。

わたしたちが知っている事実は、この手紙は喜びを勧める言葉をもって書き終えられることはなかったということです。しかも、続けられたのは、非常に衝撃的な言葉であり、ぞっとするほど恐ろしい言葉です。「あの犬どもに注意しなさい」。喜びという要素を繰り返し強調して語ろうとする同じ人の言葉とは思えないような、まことに辛辣な、人の胸をえぐるような言葉が続けられたのです。

1節の後半に「これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです」と書かれています。しかしこの文章はちょっと意味不明な感じです。翻訳の問題があるような気がします。「煩わしい」と訳しますと「同じことをもう一度書くこと」に関して言われていることであると感じられます。何度も同じことを書くことは私にとって煩わしいことではない。面倒でも億劫でもない。これでも意味は一応通じます。

しかし問題は、煩わしいことではないと言われている「これ」は、本当に「同じことをもう一度書くこと」を指しているのかです。私は違うと思います。「これ」という代名詞が指しているのは「主において喜ぶこと」です。救い主イエス・キリストの救いに与った者として喜びの生活を送ることは、わたしには煩わしいことではないと言われているのです。

しかしここから先は日本語の問題です。「喜ぶこと」について煩わしいとか煩わしくないと言われますと私にはぴんと来ない面が残ります。それでも私の場合、「喜ぶこと」をもう少し具体的に「笑顔を絶やさないこと」くらいに言い換えてみる。そして「煩わしい」を今の若者言葉の「ウザい」などに言い直してみる。これならば少し分かるものがあります。「笑顔でいることはウザい」。何か無理しているようだし、どこか引きつっているところがある。感覚的に分かります。しかしパウロはそうではないと言っているわけです。「笑顔でいることは、わたしにとってはウザくない」。これならぴんと来るものがあります。

「あなたがたにとって安全なことなのです」のほうは、どうでしょうか。「いつも笑顔でいることは、あなたがたにとって安全なことなのです」で、理解できるでしょうか。いやむしろ危険ではないかと思わなくもありません。「うれしそうにしている人を見ると無性に腹が立つ」と言いだす人々がいるからです。しかし、「安全」という訳は間違っていません。パウロの意図は、「あなたがたが喜びの生活を送ることは、あなたがたの“身を守る”ための最善の方法である」というようなことだからです。

ややこしい話になっているかもしれません。願っていることは、今日の個所に書かれている事柄を掘り下げて理解することです。ここでも指摘したいことは、この手紙が教会に宛てて書かれたものであるという点です。「主において喜ぶこと」が求められているのは、教会です。いつも笑顔を絶やさないでいることは、教会にとって安全なことです。

思い起こしていただきたいのは、わたしたちが初めて教会に足を踏み入れたときのことです。あるいは、わたしたちが信仰をもつ前に、教会を外側から眺めていた頃のことです。教会を外側から見たとき、そこにいる人々が喜んでいた。このわたしが初めて教会に来たとき、喜んで迎えてくれた。そのときわたしたちが感じたことは何だったかです。

(もちろんそのときの虫の居所によるかもしれませんが)、通常の感覚からすれば喜んでいる人々を見て腹を立てる人は多くはないでしょう。いないとは言えませんが、おそらく少ない。むしろ好意をもつ。「安全である」の意味はおそらくこのあたりに関係しています。喜んでいる人々をどこまでも責め立てようとする人の姿は、第三者から見れば狂っている感じです。喜んでいる人々には好意をもって味方してくれる人々が現れるでしょう。

パウロが勧めていることは、「無理して笑え」ということではないでしょう。しかしまた、いつも笑顔でいることは、周囲の人々に好意をもってもらえることでもあり、親しい仲間を増やせることでもあるでしょう。それは、恐ろしい顔で人々を遠ざけ、むやみやたらな反発を招くこととは反対であるという意味で「安全である」と言えることでもあるのです。

しかしパウロは、ここでこの手紙を終わらせませんでした。キリスト者が喜んで生きている姿を快く思わず、むしろ反発し、攻撃する人々のことを書き始めました。「あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい」と。これは明らかに当時のユダヤ人です。ただしユダヤ教徒だけに限定できるかどうかは微妙です。「働き手」は、もしかしたらキリスト教の伝道者のことを指しているかもしれないからです。使徒言行録の学びの中で確認したことは、キリスト教の伝道者の中に「割礼を受けなければ救われない」と主張してパウロと対決した人々がいたということです。その人々が「あの犬ども」の中に含まれているかもしれません。

キリスト者として生きていこうと決心し、約束し、実際にそのような生活を始めた人々は、パウロが「犬ども」と呼んでいるような人々とも向き合わなければならない。これはどう考えても嫌なことであり、煩わしいこと、面倒なことです。しかしそれでもそのことを指摘せざるをえないパウロがいることを思うとき、この手紙を「喜びの手紙」と呼んで単純化して済ませることができないものを感じるのです。

パウロが辛辣な言葉を書きはじめた理由は理解できるものです。ここで彼が痛烈に批判しているのは、一言で言えば、彼の元同僚たちです。もう少し広く言えば同胞たちです。パウロは彼らのすべてを知り抜いていますし、逆に、彼らはパウロのことを知り抜いています。パウロの側に甘えのような感情があったとは思いません。しかし、パウロはその人々に対しては遠慮なく語りました。どんなに厳しいことを言ってもあの人々は許してくれるに違いないという意味ではなく、むしろ事実は逆なのですが、しかしパウロの側の思いとしては、彼らに対する独特の意味での“愛情”があったことを否定することはできません。

パウロは彼らに変わってもらいたかったのです。5節以下に書かれているパウロの出自に関する記述の意図は、もともとわたしはあなたがたの側に属する者であったということを明らかにすることです。しかし、わたしは変わりました。キリストを信じる者となり、教会の側に属する者となりました。わたしが変わったのだから、あなたがたにも変わってもらいたい。そのような思いがパウロの中にあったことを否定することができません。

「喜び」の強調にも裏面があると思われてなりません。今のわたしはキリストにあって喜びの生活を送っている。しかし、かつてはそうではなかった。昔の同僚であったあなたがたの生活にも、今のわたしが感じているような喜びはないはずだ。あなたがたが求めているのは「律法から生じる自分の義」であろう。しかし今のわたしは「キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられている義」を求めることにおいて喜びの根拠を得ている。ここにわたしとあなたがたの違いがある、と言いたいのです。

このように書いているパウロの心の中に満たされていたのは「喜び」だったでしょうか。そうは思えません。かつての同僚を「この犬ども」呼ばわりしながら喜んでいるとしたら、パウロは相当ひどい人です。彼の心は傷ついていたはずです。悩みながら、苦しみながら、この個所を書いていたはずです。そうでなければ、説得力も生まれないでしょう。

はっきり分かることは、パウロにとってユダヤ人たちは敵ではなかったということです。他人でもありませんでした。むしろ、彼にとってユダヤ人は、鏡に映して見る自分自身のようなものでした。パウロの敵はユダヤ人ではなくユダヤ人たちが求めている「律法から生じる自分の義」でした。それはどんなに求めても手の届かないものである。なぜなら、わたしたち人間には罪があり、律法を完全に行うことはできないからである。そのことがなぜ、あなたがたには分からないのかという思いがパウロの中にあったに違いありません。

10節にやや唐突な感じに出てくるのは、新しく生まれ変わったパウロが求めているものです。「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」。

さっと読むだけでは理解しにくい言葉です。しかしここでパウロが言わんとしていることは「わたしはこれからも苦しみ続けます」ということです。パウロの関心は「キリストはどのように生きられたか」です。イエス・キリストが十字架の上で苦しまれたように、わたしも苦しみます。今も愛しているかつての同僚たち、また同胞であるユダヤ人の救いのために。彼らの無理解にもかかわらず。彼らの救いのために苦しんで死んでも構わない。イエス・キリストと同じように、このわたしも復活させていただけるでしょうと。

この手紙は「喜びの手紙」であるだけではなく「苦しみの手紙」でもあるのです。この点を見落とすと、大きな間違いを犯します。昨年から二年目に入っている松戸小金原教会の標語「喜びに満ちあふれる教会」は、「キリストの死の姿にあやかる教会」でもなければならないのです。

(2008年11月16日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年11月9日日曜日

再会によって悲しみが和らぐ


フィリピの信徒への手紙2・25~30

「ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。」

今日の個所にパウロが詳しく書いているのは、エパフロディトのことです。男性でした。年齢は分かりませんが、想像できるのは若い人です。この手紙をパウロが書いているとき、エパフロディトはパウロの近くにいました。その人を目の前に見ながらこの手紙を書いていたかもしれません。

しかしこの人をパウロはフィリピ教会のみんなのもとに帰さなければならないと考えています。パウロの側から言えば、淋しいけれどエパフロディトとはそろそろお別れしなければならないということです。エパフロディトはフィリピ教会のメンバーだったからです。パウロを助ける役目を果たすために、フィリピ教会から送り出された人だったからです。そして彼はその役目を立派に果たしました。その彼を、パウロとしてはいつまでも自分のところに引きとめておくのではなく、フィリピ教会に帰す責任があると考えているのです。

しかしまた、この話には、今申し上げたようなことだけではなく、もう少し複雑な事情があったようです。エパフロディトはパウロを助けるためにフィリピ教会から送り出され、その務めを果たしているなかで「ひん死の重病」にかかってしまったというのです。その病気が具体的にどのようなものであったのかは記されていません。しかし、高い可能性として考えられることは、その病気はエパフロディトが具体的に担った役割そのものと深く関係していることだったであろうということです。もしそうであるなら、エパフロディトがかかった病気は何だったのかを考えるためにわたしたちが問うべきことは、彼はパウロのために具体的にどんなことをしたのだろうかということです。

ヒントはこの手紙の中に二個所あります。一つは「彼は・・・あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれました」(2・25)です。またもう一つは「わたしはあらゆるものを受け取っており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」(4・18)です。

これでエパフロディトの果たした役割の内容がほぼ分かります。要するに彼はパウロが伝道のためのお金や物資に行き詰ったとき、フィリピ教会のみんなから献金や献品を集め、それをパウロのもとまで持ち運ぶ仕事をしたのです。

このようなことは、言葉にして言うと少し変なふうに受けとられてしまうことかもしれませんが、現実の教会においては非常に大切なことです。しかし、気になることは、そのような働きがなぜ、エパフロディトをひん死の状態にまで追いやってしまったのかということです。

いつ病気にかかったのかという点で考えられることは、まさか教会のみんなから献金や献品を集めるときではないでしょうから、その次の段階の、それをパウロのもとまで持ち運んでいるときであろうということです。おそらく彼は、とても長くてつらい旅をしたのではないでしょうか。もちろんこれは昔の話です。教会のみんなから預かった大切な献げものを抱えて。重い荷物をもって、海を越え、山を越え。体を張って盗賊からそれを守り抜き、また自分自身もまたそれをうっかりどこかに落としたり無くしたりすることがないように緊張しながら。人のお金を預かり、それを運ぶ仕事というのは今も昔も決して楽なものではありません。

しかしまたわたしたちが決して見誤ってはならないことは、エパフロディトが果たしたその仕事の意義です。

「教会も結局お金か」と、そんなふうには考えないでいただきたいのですが、それでもお金は重要です。パウロの場合もそうでした。伝道そのものがストップしてしまうのです。事柄が何一つ前に進んで行かないのです。伝道旅行は中断を余儀なくされたでしょうし、元いた場所に帰ることもできなかったでしょう。遠い外国の地でのたれ死ぬしかなかったでしょう。そのことをフィリピ教会の人々は十分に理解し、何とかしてパウロを助けたいと願い、彼らの力と思いを集めてそれをエパフロディトに託したのです。

エパフロディトもまた、「わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうとした」とパウロが書いているとおり、まさに教会の委託と期待を一心に背負いつつ、自分に託された使命はイエス・キリストの教会の宣教を支えるために重要なものであるという自覚とプライドをもって、その仕事に熱心に取り組んだに違いないのです。

ところがです。そのエパフロディトが、おそらく無理もしたのでしょう、ひん死の病気にかかってしまいました。そして、その情報がフィリピ教会の人々に伝えられたのです。それで彼は非常に苦しんだのだと思います。このわたしを信頼し、活躍を期待してくれた教会のみんなに申し訳ないという思いがあったでしょう。また大切な任務を彼に託した人々の側からすれば、旅先で彼が病気にかかったという話を完全には信用しない人もいたに違いありません。大げさに言っているだけではないかと考える人も当然いたでしょう。あるいは「パウロに渡す」と言いながら病気を装って使い込みや持ち逃げをしようとしている可能性はないのだろうかと疑った人々もいたかもしれません。そのような疑いをもつこと自体が完全に間違っているとも言いきれません。エパフロディトとしては、教会の人々からそのようなことを思われたり言われたりすることは責任上当然のことでもあるだけに、病気そのものよりもつらかったに違いないのです。

ですから、このように考えていきますと、今日の個所にパウロが書いていることの意図がだんだん分かってくると思います。

この段落のなかにパウロは、エパフロディトの病状の重さについて「ひん死の重病」と書き、また「死ぬほどの目にあった」と書いて、同じことを二度繰り返しています。このように書いてパウロが力説していることは「フィリピ教会の皆さん!エパフロディトさんは本当に病気にかかったのです!」ということです。

皆さん、彼をどうか信頼してください。疑わないでください。彼についてあなたがたが聞いていることは、うそや誇張ではありません。距離が遠くなればなるほど不安が募り、疑心暗鬼になることもあるでしょう。しかし、エパフロディトさんはあなたがたのところにいたときと変わらぬ忠実さをもって、自分に託された使命を立派に果たすことができました。彼のおかげで、あなたがたの献げものはわたしのもとに届きました。それによってイエス・キリストの福音は今なお力強く前進しています。

このように、パウロは、エパフロディトの潔白を証明するために、事実と真実をもって弁護しているのです。それこそが今日の個所におけるパウロの意図であると理解することができるのです。

ここから先はやや余談的なことではありますが、私が考えさせられたことを申し上げておきます。三つほどあります。

第一は、パウロのような力強い弁護人を得ることができたエパフロディトは幸せであるということです。他人のお金を預かって管理する仕事をする人は、あらゆる疑惑や憶測、さらに中傷誹謗に至るまでを受けることが避けがたいからです。

第二は、わたしたちは、どんなことであれ、誰かがしていることや言ったことが真実であるか虚偽であるかを、どこかで聞いたような噂話や憶測のようなもので判断してはならないということです。

第三は、フィリピ教会の人々の前でエパフロディトの潔白を主張し、弁護するパウロのような人間に私もまた、なれるものならなってみたいということです。

言い方はおかしいかもしれませんが、パウロがこのように書いていることの裏側に秘められている思いは、フィリピ教会の人々は、このわたしパウロの言うことならきっと信頼してくれるだろうということです。本来ならばエパフロディトはフィリピ教会のメンバーなのですから、教会の人々が信頼すべきは彼自身です。またエパフロディトは本当に病気にかかっていたのですから、彼が疑われるのは酷なことであり、彼はむしろ十分な意味でかばってもらわなければならない存在であったわけです。ひん死の重病にかかったうえに愛する教会の人々から疑われるという二重の苦しみを味わうことがどれだけその人の心を傷つけるものであったかは想像に難くありません。しかし、その信頼関係に翳りや歪みが生じたときには、そのあまりよろしくない雰囲気を払拭するために、(相撲で言えば)行司役、(野球で言えば)審判員のような人が必要なのです。教会にとって牧師の存在は、そのようなものでありたいし、そのようなものでなければならないと思うのです。

しかしまたパウロは、いま私が申し上げた点に甘んじるような態度は取りませんでした。そのことも重要です。わたしの言葉を信頼してください。エパフロディトは本当に病気にかかりました。しかしそれにもかかわらず、きちんと役割を果たしましたと、そのようにフィリピの教会の人々に伝え、パウロ自身の言葉によって説得することだけで済まそうとしませんでした。エパフロディト自身をフィリピ教会に帰すことを願い、そのようにしました。それによってパウロは、エパフロディトが自分の口と自分の存在をもって、彼自身の証しを立てることを願ったのです。あなたの病気はもう治ったのだから、あとは自分で説明してくださいと、彼自身の説明責任を求めているのです。

「そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい」とパウロは書いています。

今日の個所の読み方として重要なことは、ここにパウロが書いている「再会の喜び」の中身は、かつて教会員だった人と久しぶりに会うことができてああ嬉しい、というようなこととは全く違うことであるということです。何度も申し上げるようですが、今日の個所の大前提は、エパフロディトとは教会の人々のお金を預かってパウロのもとまで運ぶ仕事をした人であるということです。教会の大きな責任を託された人であるということです。その信頼関係の歯車が、少しおかしい状態になった。ねじが何本か外れているような感じになった。そのことをどのように解決するのかというテーマが裏側に隠されている個所であるいうことです。この点を抜きにして今日の個所を読むことは不可能なのです。

その解決策は単純です。とにかく顔を合わせることです。そして真実を知っている人がきちんと弁護してあげることです。また中立の立場にある審判者も必要です。もしどこかに弁護できない事実があるのなら、それを率直に示すことです。しかしまた、本人の反論や弁明の機会も確保されるべきです。そのようにして本人が説明責任を果たすことこそが重要です。

それが、そしてそれだけが、教会にふさわしい解決策なのです。

(2008年11月9日、松戸小金原教会主日礼拝)

2008年11月2日日曜日

親身になってあなたを思ってくれる人は誰ですか


フィリピの信徒への手紙2・19~24

「さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを思い求めています。テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり、息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました。そこで、わたしは自分のことの見通しがつきしだいすぐ、テモテを送りたいと願っています。わたし自身も間もなくそちらに行けるものと、主によって確信しています。」

今日の聖書の個所からはっきりと伝わってくることがあります。それは、使徒パウロがフィリピの教会の人々のことを心の底から愛し、心にかけ、心配しているということです。彼は何とかしてフィリピに行き、教会の人々に再び会いたいと切望しています。しかし、その願いが叶いません。このときパウロは監禁されていたからです。

しかしそのような中で、パウロはある意味で潔い態度を取りました。彼自身が今すぐに獄中から出てフィリピの町に行くということだけにこだわりませんでした。もちろん本心では彼自身が行きたいと思っているのです。しかし今のわたしは自分の思いどおりにならない。そのことを静かに受け入れています。そしてパウロは彼の代理人を立てることにしました。フィリピの教会の人々の安否を気づかう役割を他の人に任せることにしたのです。何が何でもこのわたしが行かなければ気が済まないという態度を取らなかったのです。

このことはもしかしたら見過ごされてしまう点かもしれませんが、実はとても重要です。わたしたちが「教会とは何か」という問題を考えていくことにおいて重要です。単純な事実は、教会はだれか個人のものではないということです。どんなに間違っても教会は牧師個人のものではないし、長老のものでもありません。目立つ位置に立っている特定の個人のものではありません。教会とは第一義的にはイエス・キリストのものです。このことは声を大にして語る必要があります。この点はだれが何と言おうと決して譲ることができません。そして、そのうえで、教会はイエス・キリストを信じるすべての人のものであると語ることができます。このことを、パウロはよく知っていました。

そしてまた同時に言えることは、教会の働きもまた、この中の誰か特定の個人の働きではなく、教会にかかわるすべての人々の協力の中で行われるものであるということです。パウロとフィリピの教会の関係ということも、個人的な関係という面が全く無いとは言えませんが、その面だけで終わるものでもないと言わねばなりません。なぜなら、繰り返し申し上げてきましたように、パウロの伝道旅行もしくは海外派遣は、彼の個人的な活動ではなかったからです。それはどう間違えても、彼のスタンドプレーというようなものではありえません。あくまでも教会による正式で公的な任職と派遣行為に基づく活動なのです。

そのため次のように語ることができます。パウロがいちばん最初にフィリピの町に行き、そこで伝道したときでさえ、そこにいたのは個人としてのパウロではなく、教会の代表者としてのパウロであったということです。パウロにとって重要であったことは、フィリピに行くべき人が彼であるかどうかではなく、その人が教会の代表者であるかどうかでした。何が何でもこのわたしでなければならない理由は無かったのです。

さらに言い換えることができます。先ほど申し上げましたとおり、教会とは第一義的にはイエス・キリストのものです。ということは、教会の代表者であることの意味はイエス・キリストの教会の代表者であるということです。またその意味は同時にイエス・キリスト御自身の代理人であるということにもなります。パウロがフィリピに行ったとき、そこにいたのは、もちろんパウロです。しかしパウロにその役割を委ねたのはイエス・キリスト御自身です。パウロはイエス・キリストの代理人としてフィリピに行ったのです。代理人とは当の本人の意思と判断を伝えるために正式に任命された者ですから、そこにいたのは代理人に自らの意思と判断を委ねたイエス・キリスト御自身でもあったということです。

これは、わたしたち一人一人のこととして考えることができる内容です。わたしたちもまた、日常生活の中では、それぞれの置かれた場所に、教会の代表者として立っています。ということは、わたしたちが立っているその場所にイエス・キリストも立っておられるということです。また、わたしたちが言葉を発しているその場所でイエス・キリストも言葉を発しておられるということです。わたしたちの存在がイエス・キリストの存在を表わし、わたしたちの言葉がイエス・キリストの言葉を表わしているのです。

実際、わたしたちの周りにいる人々は、わたしたちの姿を見ながら、わたしたちの言葉を聞きながらイエス・キリストとはどのようなお方なのかを考えています。わたしたちを見てイエス・キリストは素晴らしいと称賛してくれる人もいるかと思えば、わたしたちを見てイエス・キリストはがっかりだと落胆する人もいるでしょう。代理人の責任は、それほどに重大なのです。

話が少し横道にそれてしまったかもしれません。今日の個所で重要なことは、パウロは何が何でも自分自身がフィリピの教会まで行かなければならないとは考えなかったということです。「何が何でもこのわたしでなければならない」ということにこだわりすぎるとき、教会の私物化が始まっているのではないかという点を疑わなくてはなりません。

しかし、です。今日の話は、今申し上げた点だけで終わってはなりません。加えて申し上げなければならないことがあります。それは要するに、パウロの代理人は誰でも良いというわけでもなかったということです。信頼できないと感じられる相手に自分の代理人を任せる人はいません。信頼できる相手を、だれでも探すでしょう。パウロも同じでした。わたしの代理人はわたしが心から信頼できる相手でなくてはならない。その相手はテモテであるとパウロは信じました。この点にはパウロ自身の個人的な判断が重要なのです。

このことはわたしたちにも十分に当てはまることでしょう。言い方はおかしいかもしれませんが、わたしたちはあまりにもお人よしすぎるべきではありません。人の本質を鋭く見抜く眼を持たなければなりません。この人が本当に信頼できる人なのかどうかを冷静に判断できる力を持たなければならないのです。

しかも、その判断だけは人任せにすることはできません。ある人にとっては信頼できる相手であっても、このわたしにとっては信頼できない相手であるということがありえます。それは別におかしいことではありません。職業的な弁護士の人々のことを考えるとよいかもしれません。ある人の弁護をするとき、他の人々から憎まれることがあります。それが弁護士の仕事でもあります。憎まれ役を買って出る仕事です。

パウロにとってこのわたしの意思と判断を委ねようと信じることのできる人は、彼自身が選ばないかぎり他の誰が選んでくれるわけでもないのです。その選択はきわめて主観的なものであってよいです。なぜならば、パウロが代理人に委ねる事柄の中には、教会の人々に対する批判的な要素をも含んでいたからです。パウロが選んだ人はフィリピの教会の人々から憎まれる可能性を含んでいたからです。誰からも愛される人、あるいは誰からも信頼される人というのは、実はあまり信用できない人かもしれません。

パウロは次のように書いています。「テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。」「ほかにいない」とパウロが書いているのを見たとき、テモテ以外の他の人々は腹を立てたかもしれません。パウロはテモテばかりをえこひいきする。冗談じゃない。わたしたちだってテモテ以上に親身になってフィリピ教会のことを心にかけている。しかしここから先は誰が何と言おうとパウロの判断です。ある人を選ぶことの裏側には他の人を選ばないという面が必ず付随します。選ぶ人も相当悩むでしょうけれど、選ばれた人は「なぜわたしが選ばれたか」に悩み、選ばれなかった人は「なぜわたしは選ばれなかったか」に悩むでしょう。しかし、ここから先は問うても仕方がない。答えは見つかりません。

この続きにパウロは非常に興味深いことを書いています。その内容は、パウロがテモテを代理人として選んだ理由ないし根拠です。テモテがパウロと同じ思いを抱いてフィリピ教会の人々のことを親身になって心にかけている人だからという点はすでに触れました。この点に関してはテモテ以外には誰もいないとパウロは断言しています。この件に関して大変興味深いと私に感じられましたのは21節以下です。「他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています」とあります。そして「テモテが確かな人物であることはあなたがたが認めるところであり」とあり、続きに「息子が父に仕えるように、彼はわたしと共に福音に仕えました」とあります。

これのどこが興味深いのか。驚くべき言葉であるとも感じられました。ここに書かれていることの内容をよく考えてみていただきたいのです。考えてみていただきたいことは、ここでパウロが言っていることはわたしたちが通常の日本語で考えているようなこととはかなり隔たっているのではないかということです。

通常、わたしたちが「親身になって心にかける」という言葉を聞くときに連想することは、だれかのことに関心を持つこと、またその相手のことをひたすら考えることではないでしょうか。同情心をもつこと、そして共感することではないでしょうか。

しかし、です。続きに書いていることはパウロがテモテを選んだ理由です。その理由として挙げていることを裏側から言い直しますと、テモテは他の人とは違い、自分のことではなく、「イエス・キリスト」のことを追い求めているからだということです。またテモテはパウロと共に「福音」に仕えているからだということです。

わたしたちの通常の感覚は、おそらくこれとは大きく異なるものです。「あなたのことを親身になって心にかける」とはまさに「あなた」のことを追い求めることであり、「あなた」に仕えることであると考えるのではないでしょうか。「あなた」に関心を持ち、「あなた」に同情し、「あなた」に共感することです。

しかし、テモテが示した模範はそういうものではなかったのです。テモテが示した模範は、フィリピの教会の人々を「親身になって心にかけている」からこそ「イエス・キリスト」を追い求めることに熱心であり、また「福音」に仕えることに熱心であるというあり方でした。これは非常に重要な点であると私には思われるのです。

パウロの趣旨ははっきりしています。パウロが書いている意味での「親身になって心にかける」とは、ただ単なる同情心や共感とは明らかに異なるものであるということです。どのような例を挙げれば、このことをわたしたちが正しく理解できるようになるでしょうか。教会の中にはさまざまな立場の人やいろんな意見の人がいます。すべての人に対する同情心をもつことと「親身になって心にかけること」とは別の話であるということです。

「親身になること」の中には「親になること」、つまり息子または娘に対する父または母として「心を鬼にする」面が含まれて然るべきです。もっとも、「鬼」は不適切な表現かもしれません。申し上げたいことは、厳格な態度を貫くことも必要であるということです。同情できないことに同情しないこと、共感できないことに共感しないことも必要なのです。わたしたちは「信仰生活をやめたい。教会を離れたい」という願いをもつ人々に同情することはできないのです。

テモテのように、ひたすらイエス・キリストを追い求め、福音に仕えつつ、厳しい意見を言ってくれる人こそが、あなたのことを「親身」に思ってくれているかもしれません。わたしにとってそれは誰なのだろうかということを、ぜひ考えてみてください。

(2008年11月2日、松戸小金原教会主日礼拝)