2008年6月29日日曜日

キリスト教の核心


使徒言行録25・13~27

「『告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです』」(18~19節)。

今日の個所の使徒パウロは、まだカイサリアにいます。牢獄に閉じ込められています。しかしそうしておくことが、カイサリアに駐在していたローマ人総督フェストゥスの知恵でもありました。牢獄から出してしまいますと、パウロがユダヤ人たちに暗殺される危険性があったのです。

フェストゥスのなかにパウロが宣べ伝えているキリスト教信仰を擁護してあげようなどという意思があったわけではありませんでした。おそらくそのようなことは、彼にとってはどうでもよいことでした。フェストゥスにとって重要な意味を持っていたことは、今日の個所の中に、少なくとも二つ記されています。

第一は、被告が告発されたことについて、原告の面前で弁明する機会も与えられず引き渡されるのはローマ人の慣習ではない(16節)ということです。

第二は、囚人を護送するのに、その罪状を示さないのは理に合わない(27節)ということです。

このフェストゥスの判断は、わたしたち現代人にとっては非常に納得できるものであり、うれしいことでさえあります。

この二つの点に共通していることがあります。それは、裁判やその結果としての処分は、できるだけ公明正大でなければならないということです。内容はどんなことであれ、誰かが誰かに一方的に責めたてられるばかりで、弁明や釈明の機会を与えられないまま、または罪状が明らかでないままで、処分を受けなければならないというようなことがあってはならないということです。たとえどんな人であっても闇から闇へ葬り去られるというようなことは間違っているということです。また、疑わしきは罰せず、です。

救い主イエス・キリストがお受けになった裁判とその結果としての十字架刑は、これとは全く異なる判断のもとに行われました。ポンティオ・ピラトがフェストゥスのような人であったとしたらどうなっただろうかと思わないではいられません。

もっとも、イエスさまは、十分な意味での弁明の機会が与えられたとしても、何もおっしゃらなかったかもしれません。イエスさまは、御自身の十字架刑を「父なる神の御心」として、全くお受け入れになっていたからです。

しかし、イエスさまが弁明ということを全く行われなかったからといって、そのことを理由にわたしたちが、弁明することは見苦しいことであるとか、恥ずかしいことであると考えるべきではありません。パウロは、どんな状況であれ、どんな場所であれ、遠慮なく堂々と弁明しました。それは、決して見苦しいことでも恥ずかしいことでもありません。

それどころか、パウロにとっては、そこで口を開くことをせず、弁明の機会を逃すことのほうが間違っていると考えていたに違いありません。なぜなら、パウロにとって「弁明」とは、単なる自己弁明ではなく、キリスト教信仰の正しさについての弁明であり、それがそのまま、彼にとっての“伝道”だったからです。

この点では、わたしたちも同じであるはずです。しかし、わたしたちは、このあたりの確信において怪しくなってしまいがちです。遠慮しすぎの面があります。これは皆さんに言っていることではなく、私自身に向かって言っていることです。

たとえば、わたしたちが日曜日に教会に通っているのは、わたしたちの個人的な趣味でしているというようなことではありません。救い主イエス・キリストにおいて神御自身が、わたしたちにそれを命じていることであるゆえに、していることです。そのような信仰は教会に通っていない人々には理解してもらえないことかもしれませんが、だからといって、わたしたちがその人々に対して必要以上に遠慮すべきではありません。よい意味で堂々としていればよいのです。

また、わたしたちは“伝道”のなかに押しつけがましい要素があることを、つい恐れてしまいがちです。しかし、そのことをわたしたちは、必要以上に恐れすぎるべきではありません。何か悪いことでもしているかのようにコソコソする必要は全くないのです。

もちろん、わたしたちの周りには、聞かれもしないことをこちらから畳みかけるように伝えようとすると、嫌がったり逃げて行ったりする人々は大勢います。うまくやる必要があるでしょう。

しかし、もし聞かれたら、はっきりと答えましょう。「あなたが信じていることについて話してほしい」とマイクを渡されたら、そのときは堂々と話しましょう。弁明の場が与えられたら遠慮なく語りましょう。それこそが“伝道のチャンス”だからです。そのような時と場所で、口ごもったり、ごまかしたり、逃げの一手を打ったりすべきではありません。聞かれたことに答えればよいだけです。

ところで、今日お読みしました範囲内には、パウロ自身の言葉は、一言も書かれていません。そのような範囲を私があえて選びました。私にとってたいへん興味深いと感じるものがあったからです。たいへん興味深いと感じたのは今日の範囲内に登場する三人の人物(アグリッパ王、ベルニケ、フェストゥス総督)のうち、ベルニケを除くアグリッパ王とフェストゥス総督がパウロについて語り合っている会話そのものです。

これを読みながら私がとくに面白いと感じたのは、パウロ本人がいないところで、この二人がいわば勝手にパウロのことをあれこれ言っている点です。また、二人ともパウロに対して明らかに興味をもっている点です。さらにフェストゥスがパウロから頼まれもしないのにパウロの生命と立場を擁護してくれようとしている点です。

おそらくわたしたちにも、これと同じようなことが時々、あるいはしょっちゅう、あるのかもしれないと、私には感じられました。どなたでもいいです。横田先生でも高瀬先生でもいいです。どなたか長老さんでもいいです。皆さんのうちのどなたかでもいいです。その方がいないところで、その方のことが話題になり、その方のことについていわば勝手に話が進んでいるとしたらどうでしょうか。しかも、その話は悪いほうに進んでいるのではなく、良いほうに進んでいる。こういうことは、しばしば起こるものです。

関口牧師の話が関口牧師のいないところで勝手に(?)どんどん進んでいる。「あの牧師は、どうやら最近、礼拝中に倒れたらしい。大丈夫だろうか。心配である」。先々週浜松で行われた大会役員修養会で、会う方会う方から「倒れたんだって?大丈夫?」と心配していただきました。岐阜県の先生も、香川県の先生も、長老たちも心配して声をかけてくださいました。「(関口牧師が倒れた話は)みんな知ってるよ」とも言われました。

私のことを、私の知らないところで、心配してくださっている方がいる。こういうのは、面映ゆいし、全く不思議なことだと感じました。

私の話はともかく。フェストゥス総督とアグリッパ王とが、パウロのことを、パウロがいないところで、あれこれと一生懸命に喋っている。とくにフェストゥス総督は、パウロについてユダヤ人の告発者たちがなんだかんだと文句をつけて言い立てたが、そのなかに予想していたような罪状は見当たらなかったとか、パウロとユダヤ人たちが争っているのは彼らの宗教上の問題のようだとか、パウロが間違っているかどうかを調査する方法が私には分からないとか、こういうことをいろいろと一生懸命言っているように見える。この様子が面白いと私には感じられたのです。

わたしたちにも同じようなことがあるのではないでしょうかと言いましたのは良い意味で言ったことです。申し上げたいことは、そのようなことは多かれ少なかれわたしたちにはあるのだから、わたしたち自身がいないところでわたしたちのことを勝手に話題にして、勝手に話を進めている人々に良い意味で任せたらよい面もあるでしょうということです。

もし弁明の機会が与えられたならば、そのときには、遠慮なく、堂々と語るべきです。しかし、わたしたちが全く関知しないところであれこれと噂話をしてくれていたり、良い意味でも悪い意味でも勝手に話を進めてくれていたりしている人々のところにまで、無理に押し入って、何でもかんでも聞き出す必要は全くありません。任せたらよいし、放っておけばよい。「どうぞご自由に」と思っていればよい。気にしすぎたり疑心暗鬼になったりする必要はないのです。

悪い意味で自意識過剰になるべきでもありません。どこかで誰かが私のことを心配してくれていることはありがたいことだと感謝していればよいのです。

そしてまた、そういうときに、今日の個所に出てくるフェストゥスのような人もいると考えることができたら、わたしたちの気持ちは、かなり楽になるはずです。

わたしたちは「世の中の人はすべて悪い人である」と考えるべきではありません。教会やその信仰のことを悪く言う人も、もちろんいます。しかし、人の悪口を黙って聞くことそれ自体が嫌だと感じる人も、必ずいるのです。教会の悪口を大きな声で言う人がいれば、その周りには、悪口を言っているその人のことを「嫌だなあ」と思っている人が何人かいると思ってほぼ間違いありません。

「世の中の全員がわたしたちの信仰の敵である」などと夢にも思うべきではありません。わたしたちの全く関知しないところで、わたしたちのことを応援してくれている人がいたり心配してくれている人がどこかにいるだろうと安心していればよいのです。

わたしたちは「人を信頼すること」を学ぶべきなのです。人に対していつでも必ずけんか腰で立ち向かうような態度は、間違っているのです。

18節から20節までに書かれていることに、ぜひ注目してください。先ほど少しだけですが触れたところです。この個所から分かることは、フェストゥスはパウロとユダヤ人たちとの間の「言い争い」の本質をきちんと正しく把握していたということです。「彼(パウロ)について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした」と。問題となっていることは「彼ら自身の宗教に関すること」と「死んでしまったイエスとかいう者のこと」であると。「このイエスが生きていると、パウロは主張している」と。「わたしはこれらのことの調査の方法が分からなかった」と。

事柄の本質は、まさにフェストゥスの言っているとおりです。パウロは何も悪いことをしていません。救い主イエス・キリストを信じる信仰を宣べ伝えているだけです。イエス・キリストは死人の中から復活され、今も生きておられますと語っているだけです。それがキリスト教信仰の核心だからです。イエス・キリストの死者の中からの復活、また、死者そのものの復活を信じないようなキリスト教は、キリスト教ではありません。

キリスト教と復活を信じない人がおり、また信じることができない人がいるということは、ある意味で仕方がないことです。しかし、もしそれらを信じることができるならば、人生に希望が与えられ、喜びが与えられるのです。これらのことを信じない人は、人生において大きな損をするのです。

そして、そのことをひたすら語り続けることこそが、教会の使命であり、伝道者の使命なのです。この件に関しては、黙れと言われても黙ることができません。パウロにとっては語らないことは不幸なのです。信じることをやめろと言われても、それをやめることができないのです。

この点は、わたしたちも全く同じです。

(2008年6月29日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年6月24日火曜日

カルヴァンの神学における《人間的なるもの》の評価

昨日6月23日(月)、「第18回日本カルヴァン研究会」(会場・青山学院大学)において、「カルヴァンの神学における《人間的なるもの》の評価――Dr. J. van Eckの研究(1992年)に基づいて――」という研究発表を行いました。発表後の質疑応答のなかでいろいろと有益なご指摘をいただくことができ、楽しく充実したひとときを過ごせました。以下は、会場で配布したレジュメです(語句や翻訳の誤りなどは、若干修正いたしました)。





関口 康 「カルヴァンの神学における《人間的なるもの》の評価――Dr. J. van Eckの研究(1992年)に基づいて――」(レジュメ) ←Please Click!











2008年6月22日日曜日

法廷の価値


使徒言行録24・24~25・12

使徒パウロは、総督フェリクスの前で裁判を受けました。パウロを訴えたのはユダヤ教団の指導部の人々でした。彼らはパウロのことを「疫病のような人間」(24・5)と呼び、またキリスト教会をユダヤ教団の「分派活動」(同)と決めつけて、徹底的に攻撃しました。

しかし、パウロは全く怯みませんでした。彼を訴えた人々が教団の指導部であろうと、裁判を受けている場所が総督の前であろうと、パウロは恐れるということを知りませんでした。パウロは、自分のほうが間違っているとは少しも考えなかったからです。間違ったことは一つも言っていないという絶対的な確信を持っていたからです。

なかでも、彼が特別な確信をもっていたことは、「死者の復活」の教えでした。パウロにとってそれは、聖書の研究と読書に基づく確信を超えるものでした。パウロは、真の救い主イエス・キリストのお姿を光の中にはっきり見たのです。また、その声を聞きました。その光と声が、パウロを「死者の復活」に対する絶対的な信仰へと導いたのです。

その裁判はどうなったでしょうか。「フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので・・・裁判を延期した」(22節)と書かれています。

「この道」とは、キリスト教信仰のことです。フェリクスは、キリスト教信仰についてかなり詳しく知っていました。

その意味は、フェリクス自身がキリスト教信仰を受け入れ、洗礼を受けて教会のメンバーに加わっていたということではありません。教えの内容を詳細に把握していたということであり、敵対的な態度をとらなかったということです。好意的な態度をとってくれたとは言えないかもしれませんが、パウロの裁判を延期してくれました。

「延期する」と訳されている言葉の原意は「和らげる」「緩和する」「猶予する」などです。うまい具合にパウロをかばってくれたのです。

パウロを監禁するように百人隊長に命じましたが、それはパウロを暗殺しようとするユダヤ人たちからパウロを守るためであると見るべきです。パウロにある程度の自由を与え、友人たちがパウロの世話をすることを妨げないようにしてくれました。そのようにして、パウロの命は守られたのです。

ところで、今日お読みしました個所の最初の部分には、総督フェリクスについての興味深い話が記されています。

「数日の後、フェリクスはユダヤ人である妻のドルシラと一緒に来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスへの信仰について話を聞いた。しかし、パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなり、『今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする』と言った。だが、パウロから金をもらおうとする下心もあったので、度々呼び出しては話し合っていた。」

フェリクスは、先ほども申し上げたとおり、どこで聞いたのか、だれから学んだのかは分かりませんが、キリスト教信仰の内容をかなり詳しく知っていました。おそらく興味も持っていました。しかし、洗礼は受けておらず、キリスト者になっていませんでした。

ある日フェリクスは、妻のドルシラと共にパウロの話を聞きに来ました。そこでパウロはこの夫婦の前で、イエス・キリストを信じて生きるとはどういうことかを話しました。彼らは「信仰とは何か」「救いとは何か」というような点については喜んで聴いていた様子が伺えます。彼らがそれを喜んで聴いていた理由はだいたい分かります。

キリスト教信仰における救済理解は、我々はただイエス・キリストを信じる信仰によってのみ、神の恵みによってのみ救われるというものです。人間の努力や行いや実績によって救われるのではない。わたしたちの側は「ありのまま」でよい。救いの一切は神の恵みとして与えられるものです。この面のキリスト教信仰は、とてもありがたい教えなのです。フェリクス夫妻がパウロの話を聞きながら喜んだ部分は、おそらくそのようなものです。

ところが、パウロの話が「正義や節制や来るべき裁き」という点に及ぶや否や、つまり倫理的・道徳的な点に話が及ぶや否や、フェリクスは非常に恐怖心を抱き、今回はこれでおしまいとばかりに、パウロの話を中断させたのです。

たとえて言えば、フェリクスは、あのローマの信徒への手紙の前半部分(とくに1~8章)に書かれている「信仰とは何か、救いとは何か」という部分については、喜んで聴くことができたのだということです。しかし、ローマの信徒への手紙の後半部分(12章以降)にある「キリスト者の生活とはどういうものであるか」というような点に話が及ぶと、急に耳をふさぎはじめたのです。

キリスト教信仰は「恵みと信仰による救い」という点だけで終わるものではありません。「イエス・キリストによって救われた者たちはどう生きるか」というテーマが、必ず続くのです。わたしたち一人一人の生き方が厳しく問われるのです。ハイデルベルク信仰問答やウェストミンスター信仰規準も、前半は「信仰編」であり、後半は「道徳編」であるという仕方で区分されています。

つまり、フェリクスの態度は、「信仰編」は受け入れるが、「道徳編」は受け入れないというのと同じです。要するに彼は、キリスト教の“良いところ取り”をしたかったのではないでしょうか。とてもありがたくて、都合のよい部分だけを受け入れ、都合の悪い部分は受け入れない。キリスト教信仰の半分だけを受け入れて、もう半分は受け入れたくないという態度をとったのです。

この総督フェリクスについて伝えられていることは、実際の彼はかなり残虐非道な人物だったということです。そのような人物にとってキリスト教信仰における倫理的な要素は恐ろしいと感じるものであり、自分が責められている、裁かれていると感じるものだったわけです。妻ドルシラは、フェリクスの三人目の妻だったようですが、他人から奪って妻にした人であったと言われています。

とはいえ、彼が「恐ろしくなった」ことは、まだ救いようがあると感じられます。自分が大きな罪を犯していても、悪いことをしていても、そのことを恐ろしいと思わない人は、恐ろしい人です。もし本当に神がおられるなら自分の犯した罪を見逃すことはありえないと感じ、そこで全く観念し、神の前に頭(こうべ)を垂れて自分の罪を悔い改め、救い主イエス・キリストの教えに従う新しい人生を始めることができた人は幸いです。そういうふうになれない、自分自身を省みることができず、罪深い自分の姿を鏡に映してみることができず、神の前からも、自分自身からも逃げることばかり考えている人は不幸です。

フェリクスの場合は微妙です。恐怖を感じたということは、彼に良心が残っていた証拠であると言えるかもしれません。しかしフェリクスには「パウロから金をもらおうとする下心もあった」(26節)とか「ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた」(27節)と書かれています。こうなると良心のかけらもない感じです。パウロは監禁状態から解放されるたびに、釈放金を払わされていたようです。

それでも、釈放されるたびに、フェリクスに対してキリスト教信仰を宣べ伝えることができる。もしかしたらこの人が信仰を受け入れ、教会のメンバーになってくれるかもしれない。パウロは、そのことに希望を見出していたように思われます。伝道者は、相手が話を聞いてくれているかぎり、さじを投げたりしないのです。決してあきらめないのです。

「さて、二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、『だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか』と言った。フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが、彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言いたてたが、それを立証することはできなかった。パウロは、『私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません』と弁明した。しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。『お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。』パウロは言った。『私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。』そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、『皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように』と答えた。」

24・27以下には、フェリクスの次に総督として赴任したフェストゥスの話が記されています。フェストゥスもどこかしら怪しげな人物として描かれています。この人も「ユダヤ人に気に入られようとして」(9節)という動機で何事かをなすところがありました。そのようなフェストゥスの性格を、パウロ暗殺をたくらみ続けるユダヤ教指導部の人々が鋭く見抜き、彼をなんとか利用しようとしました。今日の個所にはその顛末が詳しく記されています。

しかし、フェストゥスは、ユダヤ教指導部の人々に踊らされることはありませんでした。パウロに不都合なことがあるなら、あなたたち自身が告発すればよいと言ってくれました。これは正当な判断です。陰でこそこそしないで、正々堂々と法廷の場でやりあえばよいではないかということです。こういうふうに言ってくれる総督の存在は、パウロにとってはありがたい存在であったと思われます。

実際パウロはおそらく法廷に立ちたかったのです。彼は律法学者でした。法そのもの、そして法廷という場所の意味と価値を熟知していました。法廷とは、正々堂々と戦う場所です。ただし、武器を持たないで。法に基づいて。法廷で闘うことは、陰でコソコソやることのちょうど正反対です。暗殺や密約というような、どす黒くて薄暗いやり方の正反対です。パウロはフェストゥスの前で、はっきりと言いました。「私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません」(10節)。悪いことをしていないのに私は訴えられている。暗殺されようとしている。これは理不尽ですということでしょう。

そしてパウロは、ついに言いました。「私は皇帝に上訴します」(11節)。「皇帝」とは、もちろんローマ皇帝のことです。ローマ帝国の王者であり、主権者です。その人のところまで自分は行く。私は間違っていないと言いに行く。

しかし、パウロの目的は、自己弁護のためではありませんでした。パウロがローマ皇帝のもとに行きたかった目的は、ただ一つ、伝道でした。それしか考えられません。ローマ皇帝に「救い主イエス・キリストを信じてください。洗礼を受けてください」と迫ることでした。たとえ相手が巨大な帝国の王者であれ、パウロにとっては、神に造られた一人の人間にすぎませんでした。恐れる理由など、何もなかったのです。

(2008年6月22日、松戸小金原教会主日礼拝)


説教における「反射性」の問題

オランダの改革派神学者A. A. ファン・ルーラーが聖霊論において重んじた概念の一つは「反射性」(reflexiviteit)です。この概念の正確な意味を説明することは難しいですが、とりあえずすぐに言えそうなことは「跳ね返ってくること」であり、いくらか敷衍して言えば「(コミュニケーションにおいて)一方通行でないこと。レスポンスがあること」くらいでしょうか。



この「反射性」を現代の説教学に応用した一人が、ドイツの説教学者R. ボーレンです。説教はたしかに「反射性」を有しています。すなわち、神の言葉(verbum Dei)としての説教は、決して一方通行的なものではない。聖霊論的な「反射性」におけるコミュニケーション的な相互性を有するものであると言わねばならない何かです。この言い方はややこしいかもしれません。説教者は、説教において会衆との(心の中での)対話を行うものであるというくらいに言うほうがよいかもしれません。



しかも私自身の感覚では(“私自身”の“感覚”では、です)、説教者と会衆との対話とは、単なる(心の中での)「言葉のやりとり」だけではありません。あくまでもたとえですが、会衆は説教者のネクタイの色やネクタイピンの有無、あるいはブラウスの色や眼鏡のデザインなどに関心があります。説教者の髪型、そして髪の色や量(?)に関心があります。説教者の目線や目つき(?)にも関心があります。語り口のスピードや声の高さ(または低さ)を気にしています。あるいは、会衆は説教者がいま語っていることと、これまで語ってきたこと、また他の説教者の口から聞いた説教の内容との“整合性”があるかどうかを直感的に見抜きます。



以上はほんの一例です。すべてを逆にして考えることができます。説教者は会衆の存在を意識しながら語ります。会衆の存在における上に挙げたような事柄のすべてを気にしています。疲れた表情をしておられる方を見ると、まず最初に「私の説教のどこかに問題があるからか」と疑ってみますが、同時に「昨日までの一週のあいだに何かつらいことでもあったのか」と説教の最中に想像をめぐらします。それが、説教の内容に影響を及ぼすのです。会衆の表情が全く見えておらず、ただひたすら(徹夜で書き上げた)説教原稿だけに目を落として棒読みしているだけの“説教”を「説教」と呼ぶことはできません。



語っている最中に選挙演説やウグイス嬢の大音量の黄色い声が聞こえてきて、説教が中断されそうになることもあります。突然の暴風雨や地震が起こり、わが家の安否を気遣ってソワソワしはじめる会衆の表情や態度も、説教者にははっきりと見えています。しかしまた、その説教者の目を会衆は見ています。「そんなに気にしなくてもよい」というアイコンタクトを送ってくださる方もいますが、「そろそろ説教を締めくくってほしい」と無言で訴えておられる方もいます。その真剣な訴えに気づくこともなく、自分が書きあげた説教原稿を何が何でも最後まで読みとおす“説教者”は、「良い説教者」でしょうか。私には疑問が残ります。



説教における「反射性」は、まさにこれらすべての要素を含んでいます。そこで起こるのは言葉の反射だけではなく、“空気”の反射が起こるのです。そのような“雰囲気”(atmosphere)ないし “環境”(environment)のなかで説教は、よく弾むスーパーボールのように部屋中をビヨンビヨンと飛び回るのです。



私自身は、このようなことが説教においては不可欠であると信じています。また、それゆえにこそ、私は、「インターネット伝道」というものはきわめて困難、またはほとんど不可能であると考えています。電気信号のやりとり、せいぜい“文字”や“画像”や“動画”のやりとりは「説教」を成り立たしめるほどの“雰囲気”ないし“環境”までは伝達できないと信じているからです。



「自分の掲示板への書き込みにだれもレスポンスしてくれない」という理由で孤独を感じて暴走した人がいましたが、それは孤独を感じる人のほうが悪いのです。インターネットとはそういうものであるという認識が足りない、または欠如しているのです。「反射性」は、最少でも“同じ部屋にいる”というくらいのことなしには、ほとんど期待できません。残念ながらというべきかもしれませんが、それが現実です。



2008年6月21日土曜日

神学における「実現性」の問題

今週、火曜日から昨日まで静岡県浜松市で日本キリスト改革派教会の「大会役員修養会」が行われました。その中で近藤勝彦先生の講演が行われました。日本キリスト改革派教会の多くの教師・長老たちにとっては近藤先生との初顔合わせの機会だったようです。多くの人々がとても喜んで近藤先生の講演を聴いていた様子が印象的でした。



私にとって近藤先生は「恩師」(かぎかっこをつけておきます)です。ファン・ルーラーの存在を最初に教えてくださったのも近藤先生です(リューラーですけどね)。24年前、東京神学大学一年(当時18歳)のときに、ドイツ語と哲学とを教えていただきました。組織神学(教義学・倫理学・弁証学)の講義は、近藤先生からは受けていません。



教義学と弁証学の講義は大木英夫先生から、倫理学の講義は佐藤敏夫先生から受けました(今「砂糖と塩」と誤変換しました)。芳賀力先生はまだハイデルベルクにおられた頃です。また、近藤先生には卒業論文(ティリッヒの霊的現臨の概念について)と修士論文(トレルチの倫理思想について)の指導教授にもなっていただきました。もし「あなたは近藤シューレか」と聞かれれば「そうかもしれません」と答えるかもしれません。



しかしまた、私にとって近藤先生の存在は、ある意味での“格闘相手”であり続けました(すべての学問が「恩師への批判」から始められるべきであると別の方から教えられたことがあります)。もっとも、私が直接的な仕方で近藤先生に立ち向かったことはありませんし、近藤先生が私の“相手”をしてくださったこともありません。コドモの相手をしてくれるほど近藤先生はヒマではありません。



ただ私は、「近藤理論は(少なくとも私の生きている間の)日本基督教団の中には実現(リアライゼーション)の場がない。手がかりさえもない」という確信を得ました「ので」、今からほぼ10年前のことですが、日本基督教団の教師であることをやめて日本キリスト改革派教会の教師として加入させていただくという経緯をたどりました。ですから、このたび日本キリスト改革派教会の教師と長老が近藤先生の講演を聴いて「我が意を得たり」と喜んでおられる姿を見ることができたとき、私が10年前に抱いた“確信”は外れていなかったようだと、ちょっとだけほっとしました。



ただし、今の私は「近藤理論」のすべてに同意したままではありません。大きく違ってきているところもあるということを、このたび確認できました。「神学」には「実現(リアライゼーション)の場、あるいは最低でも実現の手がかりとなるような“教団”(Kirche)」が欲しいと願うのは、私だけでしょうか。おそらくファン・ルーラーならば、「神学」は“教団”(kerk)を要求するだけではなく、“国家”(staat)をも要求する、と語るでしょうけれども(23世紀くらいの日本の神学者には「国家の神学」を大いに論じてもらいたいと願っています)。



ともかく「神学」は我々の脳内妄想であるべきでないと思います。美文の並ぶ二次元の紙面から立ち起こして事柄を三次元化していかねばならない。そのとき美文は乱れ、思想の構造は傷を負い、“売れない本”になっていくでしょうけれども、それでよいのではないでしょうか。



しかし、「説教」は支離滅裂化すべきではありません。できるかぎりクリアであるべきです。「説教」をクリアにするためにこそ「神学」がさまざまな傷を負うべきであると思います。別の角度から換言すれば、神学校(神学大学)は教会のために存在するのであって、その逆ではないということです。「神学校(神学大学)の存続のために教会が犠牲にされる」という事態が一瞬でも起こるとしたら、それは本末転倒なのです。



2008年6月15日日曜日

事実こそ力


使徒言行録24・1~23

今日の個所で使徒パウロはカイサリアという町にいます。パウロをここまで連れてきたのは、千人隊長クラウディウス・リシアが召集した四七〇名の兵隊たちでした。彼らは、パウロを暗殺しようと計画していた四十人以上のユダヤ人たちの手から、無実のパウロを助け出しました。千人隊長リシアの目から見ると、パウロの側に死刑にされたり投獄されたりする理由はないことが分かったからです。

しかし、パウロの苦難の日々が終わったわけではありませんでした。今度はカイサリアの町のローマ総督フェリクスの前に引き出されました。そして、そこで裁判が始まったのです。

「五日の後、大祭司アナニアは、長老数名と弁護士テルティロという者を連れて下って来て、総督にパウロを訴え出た。パウロが呼び出されると、テルティロは告発を始めた。『フェリクス閣下、閣下のお陰で、私どもは十分に平和を享受しております。また、閣下の御配慮によって、いろいろな改革がこの国で進められています。私どもは、あらゆる面で、至るところで、このことを認めて称賛申し上げ、また心から感謝しているしだいです。さて、これ以上御迷惑にならないよう手短に申し上げます。御寛容をもってお聞きください。実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を起こしている者、「ナザレ人の分派」の主謀者であります。この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました。閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発したことがすべてお分かりになるかと存じます。』他のユダヤ人たちもこの告発を支持し、そのとおりであると申し立てた。」

この個所で分かることは、当時パウロの宣べ伝えていたキリスト教信仰に敵対していたユダヤ人たちが、パウロ自身とキリスト教信仰に対してどのような言葉で批判していたかということです。パウロに対する批判の言葉は「疫病のような人間」というものでした。また、キリスト教信仰に対する批判の言葉は「ナザレ人の分派」というものでした。

これらはもちろん批判の言葉として語られたものですから、気持ちのよいものではありません。しかし別の見方をすれば、彼らの言っていることは、ある面の真理を言い当てていると考えることができるかもしれません。

パウロは、もちろんまさか「疫病のような人間」ではありません。しかし、そのことを彼に敵対していた人々が認めたということから分かることは、パウロの影響力は、まさに疫病のように、広い範囲に力を及ぼすものであったということでもあるでしょう。

わたしたちの教会の存在、また教会が行う伝道活動は、もちろんまさか「疫病」のようなものではありません。しかし、もしわたしたちがあまりにも遠慮しすぎていると、そのうち「あの教会は毒にも薬にもならない」という批判が聞こえてくることになるかもしれません。

教会の存在が社会にもたらす影響力というものは、目に見えて華々しいものとか、状況を劇的に変貌させるものではありません。しかし、それは、ゆっくりじわじわと、そして確実に進んでいくものです。たとえばの話ですが、今のわたしたちがしているような一回30分程度の説教を聴いていただくだけでも、10年間礼拝に通えばどれくらいの時間になるだろうか、40年通えばどうだろうかというふうに考えてみていただくとよいでしょう。

「説教の内容を全く覚えていない」とおっしゃる方もいます。42才の私も、まさに42年間教会に通い続けてきまして、いろんな牧師の説教を聴いてきましたが、説教で聴いたことは、ほとんど忘れてしまいます。とくに、いつ、どの牧師が言ったかというようなことは全く覚えていません。それでいいと思っています。ですから、どうかご安心ください。

それはちょうど、わたしたちが、大人になった今となっては、小学校や中学校で教えていただいた先生の顔も名前も思い出せないことが多いのと同じだと思っています。皆さんの中に算数や国語や社会や理科についての知識を、どの先生が、いつどんなふうに教えてくださったかをはっきりと覚えているという方がおられるでしょうか。私は、全く覚えていません。先生たちの顔さえ思い出せません。たぶんそれでいいのです。

重要なのは先生ではなく、教えられた内容です。今わたしたちが持っている知識です。あるいは、いつかどこかで受けた影響そのものです。心と体の中に残っているものがあり、浸透しているものがあるというこの事実が重要なのです。宗教もそれと同じなのです。

それでももちろん、我々の存在を指して「疫病」などと言われることは、あまり気持ちのよいものではありません。しかし、強いて言うならば、パウロの宣べ伝えたキリスト教信仰には、単なる“薬”という面だけではなく、ある意味での“毒”の面が含まれていたと言えるかもしれません。

キリスト教信仰には、癒しや慰めなど爽やかな快感をもたらす面だけでなく、厳しい裁きと罪の悔い改めを迫る面がたしかにあります。「あなたが今まで信じてきたことは間違いです」と告げる面があり、「これまでの生き方を根本的に変えねばなりません」と迫る面があるのです。その要素がないような説教は説教ではありません。キリスト教信仰を受け入れることがなく、自分自身の罪を悔い改めることもなかった人々にとっては、パウロの説教は、なるほど「疫病」だったかもしれません。

キリスト教信仰に対する「ナザレ人の分派」という批判の言葉についても、いろいろと考えさせられるところがあります。当時のユダヤ人たちにとって、キリスト教会の存在は、ユダヤ教の異端的分派、つまり“ユダヤ教キリスト派”であると思われていたことの一つの証拠と言えるでしょう。

この点も、ある意味で彼らが言うとおりでした。イエス・キリスト御自身も、弟子たちも、そしてパウロも、新しい別の宗教団体をつくろうと願っていたわけではありません。むしろ、言ってみればユダヤ教そのものの全面的改革、神の民イスラエルの再建と再出発を願っていたのです。そのことを嫌がったのはユダヤ教団指導部です。イエス・キリストを殺し、弟子たちを迫害し、パウロを殺そうとしたのです。パウロたちが分派活動をしたのではなく、ユダヤ教団指導部がパウロたちを「分派」と呼んで異端視したのです。

わたしたち改革派教会、またプロテスタント教会全体も、似たような経緯を辿りました。16世紀の宗教改革者たちは、ローマ・カトリック教会の教えや活動の内容に強く反対しましたが、だからといって、新しい別の教会をつくろうと願っていたわけではありませんでした。我々もローマ・カトリック教会から追い出されたのです。追い出されるようなことを言ったりしたりしたほうが悪いと言われると立場がありませんが、わたしたちとしては、宗教改革者たちが主張した真理に耳を傾けなかった人々の責任も重大であったと言わなければなりません。

「総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。『私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。確かめていただけば分かることですが、わたしが礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが「分派」と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。』」

先ほど私が申し上げた点を、パウロはカイサリアの総督フェリクスの前で、はっきりと述べています。それは、キリスト教会とその信仰を指して「分派」と呼んでいるのは彼らユダヤ人であるということです。しかし、我々は「分派」などではありえないとパウロは主張しています。なぜなら、キリスト教会は「先祖の神を礼拝している」からです。また「律法に即したことと預言者の書に書いてあること」、つまり(旧約)聖書を「ことごとく信じている」からです。

これはわたしたちにとって、非常に重要な点です。今でも繰り返し誤解されていることは、ユダヤ教の神とキリスト教の神は別の神であると思われることがあるということです。旧約聖書の神は、裁きの神であり、恐ろしい神である。新約聖書の神は、愛の神であり、優しい神である。旧約聖書はユダヤ教の書物であり、新約聖書だけがキリスト教の書物である、など。これは全く根本的な誤解です。わたしたちにとっては、旧約と新約のすべてが「聖書」です。

この聖書全体に示されている神の言葉を信じて生きていくのがキリスト者であり、キリスト教会です。キリスト教信仰は、分派としての「ユダヤ教キリスト派」であるどころか、ある意味で本来のユダヤ教であり、神の民イスラエルの本来の宗教なのです。「分派」であるとか「異端」であると言われるようなものではありえないのです。

「『更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。………もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ閣下のところに出頭して告発すべきだったのです。さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。彼らの中に立って、「死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ」と叫んだだけなのです。』」

しかしまた、パウロが総督フェリクスの前で、まさに声を大にして、強く語ったのは、キリスト教信仰の核心部分である「死者の復活」という点でした。「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望」は「この人たち自身」、つまりユダヤ人たち自身、とくにファリサイ派の人々は信じていることでした。死者の復活を信じないユダヤ人たち、とくにサドカイ派の人々もいました。しかし、「死者の復活」を信じるからといって、キリスト教が異端視される理由にはならないということを、パウロは語っているのです。

特にパウロの場合、彼が信じていた「死者の復活」は、聖書というこの書物についての読書や研究によって得られた知識や確信というような次元にとどまるものではありませんでした。この点はわたしたちの場合とパウロの場合は違うというべきです。

わたしたちは、聖書を読むこと、すなわち“読書”によって「死者の復活」を信じています。しかしパウロは違いました。生ける真の救い主イエス・キリスト御自身が、彼の目の前に現れたのです!パウロとキリストは、神秘的・奇跡的な仕方で出会いを経験したのです。この出会いは、パウロにとっては二度と否定することができない事実だったのです。

自分が現実に体験した出会いの事実を否定することができない。パウロの信仰は、聖書以上に事実に基づくものでした。そのためパウロは、裁判所であれ、国会議事堂であれ、どのような場所に立たされようとも、また目の前に敵がたくさんいるような危険な場所であっても、彼の信仰を曲げることができませんでした。

パウロは、事実を事実として語っただけです。事実こそが力なのです!

(2008年6月15日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年6月14日土曜日

2008年度研究発表計画

今年度の研究発表を以下のように計画しています。



(1)「第18回 日本カルヴァン研究会」(2008年6月23日(月)午前10時~4時、青山学院大学、東京都渋谷区渋谷)の午後の部で、「カルヴァンの神学における《人間的なるもの》の評価―Dr. J. van Eckの研究に基づいて―」という研究発表を行います。久米あつみ先生、宍戸基男先生の研究発表、永井恵一氏によるジュネーヴ詩編歌の指導があります。一般聴講料1,000円(茶菓付き)、どなたも参加できます。



(2)「日本基督教団改革長老教会協議会教会研究所主催 第8回研究会」(2008年6月30日(月)午後2時~7時、日本基督教団洗足教会、東京都品川区旗の台)で、「現代の改革派神学における《人間的なるもの》の評価―A. A. ファン・ルーラーの神学の核心―」という講演を行います。落合建仁先生、松島保真先生、塚本栄興先生の研究発表があります。会費1,000円(夕食代等)、夕食不要500円(当日申込可)、どなたも参加できます。



(3)神戸改革派神学校紀要『改革派神学』第35号(2008年10月1日発行予定)に、「説教・教会形成・政治参加、そして神学―A. A. ファン・ルーラーの《教会的実践》の軌跡―」という文章を掲載していただけることになりました。これは2007年9月10日ファン・ルーラー研究会第5回神学セミナーでの研究発表「伝道と教会形成、そして神学」をもとに、大幅に加筆修正したものです。



まだ加わるかもしれません。チャンスを与えてくださった皆様に感謝しています。ご支援いただけますとうれしいです。



2008年6月8日日曜日

正義とは何か


使徒言行録23・12~35

「この者がユダヤ人に捕らえられ、殺されようとしていたのを、わたしは兵士たちを率いて救い出しました。ローマ帝国の市民権を持つ者であることが分かったからです」(27節)。

今日は、日曜学校の子どもたちがいちばん前の席に座っています。この礼拝が終わった後に、日曜学校の花の日の行事をします。日曜学校タイム、バザー、作品展示。みんなで楽しい時間を過ごしましょう!

日曜学校の皆さん。今日、皆さんにお話ししたいことは、皆さんに心からお願いしたいことです。ぜひ覚えておいてください。それは、皆さんにはぜひ将来“良い大人の人”になってほしいということです。

皆さんにはぜひそういう人になってほしいと願っている“良い大人の人”とは、他の人の話をちゃんと聞くことができる人です。とくにちゃんと聞いてほしいのは、いま困っている人や、いま助けてほしいと願っている人の話です。そしてその話を聞いた後に、その人のためにしてあげられることは何かをよく考えて、それが分かったときには一生懸命に助けてあげてほしい、ということです。そういうことができる人が“良い大人の人”です。私はそう信じています。

そういう大人の人が、聖書に登場します。今日は、その人の話をします。

今から約二千年前に、世界中を旅して、わたしたちの救い主イエスさまのお話を広めた人がいます。パウロ先生です。しかし、パウロ先生がしていることを、よく思わなかった人々がいました。その人々はイエスさまのことが大嫌いでした。パウロ先生のことも嫌いでした。だからその人々はパウロ先生のことを捕まえて殺そうとしました。陰でこそこそと相談して、四十人以上も仲間を集めて。パウロ先生は一人でした。四十人対一人です。とてもずるいと思います。

その人々がパウロ先生を捕まえて殺そうとしていることを知った、パウロ先生の味方がいました。それは、パウロ先生の親戚の人だったようです。聖書には「パウロの姉妹の子」と書いています。男の子か女の子かは分かりません。男の子なら甥(おい)、女の子なら姪(めい)と言います。その人(「子」と書いていますが、小さな子どもだったのか、大人になっていたのかということまでは分かりません)が、その話をパウロ先生に知らせました。「おじさんを殺そうとしている人々がいます。四十人以上も集まっています。何とかしたほうがよいですよ」と。

その話を聞いたパウロ先生は、「困ったことになった」と感じたと思います。パウロ先生は何も悪いことをしていなかったからです。良いことをしていました。救い主イエスさまのお話を多くの人々に広めていたのです。

パウロ先生は殺されるのが怖かったのでしょうか。どうもそういう話ではありません。殺されるのが怖かったから、死ぬのが怖かったから、「困ったことになった」と感じたのではなさそうです。パウロ先生は一人でも多くの人にイエスさまのお話を広める仕事を続けたかっただけです。自分が殺されてしまったら、死んでしまったら、仕事を続けることはできません。また、少しも悪いことをしているわけではないのに、良いことをしているのに、嫌われたり・憎まれたり・殺されたりするのは誰でも嫌なことです。どうしてそんなことをされなければならないのか、意味が分かりません。

だからパウロ先生は、助けを求めました。詳しい話は省略しますが、パウロ先生が助けを求めたのは、「千人隊長」と呼ばれていた人でした。クラウディウス・リシアさんという名前の人でした。

この人が“良い大人の人”であると私は思います。話を聞いたリシアさんは、すぐに、パウロ先生を助けることにしました。パウロ先生を殺す計画を立てていた四十人以上の人からパウロ先生を守ることにしました。そのためにリシアさんがしたことは「四七〇人」(!)の人に集まってもらい、みんなで力を合わせて一人のパウロ先生を守ることでした。

四十人の相手に四七〇人、というのは、ずるいでしょうか。そんなことはありません。パウロを殺そうとしている人たちは、陰でこそこそしていました。どこに隠れているか、待ち伏せしているか分かりません。そういう人たちからパウロ先生を守るためには、大勢の人で見張っている必要があったのです。また千人隊長リシアさんがしようとしたことは、パウロ先生を殺そうとしていた人々をやっつけたり捕まえたりすることではありませんでした。その人々と戦争をすることではありませんでした。たった一人のパウロ先生の命をみんなで守ることでした。この先生には、だれかに捕まえられたり殺されたりしなければならない理由はないことが分かったからです。

だれかに捕まえられたり殺されたりしなければならない理由がある人もいる、という話をしたいわけではありません。パウロ先生にはそういう理由は全くありませんでした、という話をしているだけです。先生がしていたことは、イエスさまのお話を広めることだけでした。本当にそれだけでした。イエスさまを信じて生きる人生は素晴らしいものです、ということを一人でも多くの人々に伝えることだけでした。

そういうことをしている先生のことを捕まえて殺そうとする人々は、やっぱりちょっとどこかおかしいということに、千人隊長リシアさんは気づいたのです。だからパウロ先生のことを、みんなで力を合わせて守ることにしました。

今日、日曜学校の皆さんにお願いしたいことは、皆さんにはぜひ、そういう大人の人になってほしい、ということです。よいことをしている人を憎んだり、その人に悪いことをしたり、殺そうとしたりする、そういう悪い大人ではなく、今困っている人を一生懸命に助けてあげることのできる、良い大人の人になってほしいのです。

そういう人が、私は「正義の味方」であると思います。正義の味方とは、悪い人をやっつける人ではなく、悪いことをしていない人、よいことをしている人を守ってあげることができる人です。また、いろんな人が言っていることをよく聞いて、その人々がしていることをよく見て、それが正しいことか、間違っていることかをきちんと見分けて、正しいことをしている人のほうの味方になってあげることができる人です。

日曜学校に通ってくれている子どもたち、またこの教会に通ってくださっている大人の人たちも、私はやはり、「正義の味方」になってほしいと願っています。私自身もそういう人になりたいと願っています。教会は神さまのこと、イエスさまのことを信じる人たちの集まりです。神さまのこと、イエスさまのことを信じているわたしたちは、この世の中でも正しい生き方をしなければならないのです。

聖書には、この千人隊長リシアさんは、神さまのこと、イエスさまのことを信じていた、とは書かれていません。教会に通っていた、とも書かれていません。でも、私はこの人のことを立派な人だと思いますし、良い大人の人だと思います。神さまのこと、イエスさまのことを信じなくてもよいとか、教会に通わなくてもよいという話をしたいのではありません。神さまのこと、イエスさまのことを信じているわたしたち、教会にまたは日曜学校に通っているわたしたちは、この千人隊長リシアさんと同じか、それ以上に正しい生き方をしなければなりません、と言っているのです。

立派な大人の人になるとか、良い大人の人になるというのは、えらそうな人になることではありません。周りの人たちがその人の前でひれ伏すとか、言うことを聞くとか、そういう人になってほしいと言っているのではありません。そんなことは、はっきり言えば、どうでもよいことです。また、私はそういうのは、あまりよいこととは思いません。

パウロ先生は、このリシアさんに助けてもらえたことが、たぶんうれしかっただろうと思います。

これから先も、イエスさまのお話を多くの人々に伝えることができる!

「皆さん教会に来てください。イエスさまのお話を聞いてください。神さまを、イエスさまを信じてください。聖書の言葉をみんなで学び、神さまに喜ばれる正しい生き方をしましょう」。こういう話を、これからも続けていくことができる!

そのことがパウロ先生にとっては本当にうれしいことだったと思います。パウロ先生は「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」(コリントの信徒への手紙一9・16)と書いた人です。イエスさまのお話ができなくなることが、他のどんなことよりもつらいことだったのです。

(2008年6月8日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年6月1日日曜日

復活の望みを抱いて生きる者


使徒言行録22・30~23・11

「翌日、千人隊長は、なぜパウロがユダヤ人から訴えられているのか、確かなことを知りたいと思い、彼の鎖を外した。そして、祭司長たちと最高法院全体の召集を命じ、パウロを連れ出して彼らの前に立たせた。そこで、パウロは最高法院の議員たちを見つめて言った。『兄弟たち、わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました。』すると、大祭司アナニアは、パウロの近くに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じた。パウロは大祭司に向かって言った。『白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる。あなたは、律法に従ってわたしを裁くためにそこに座っていながら、律法に背いて、わたしを打て、と命令するのですか。』近くに立っていた者たちが、『神の大祭司をののしる気か』と言った。パウロは言った。『兄弟たち、その人が大祭司だとは知りませんでした。確かに「あなたの民の指導者を悪く言うな」と書かれています。』パウロは、議員の一部がサドカイ派、一部がファリサイ派であることを知って、議会で声を高めて言った。『兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。』パウロがこう言ったので、ファリサイ派とサドカイ派との間に論争が生じ、最高法院は分裂した。」

今週学びましたとおり、使徒パウロがエルサレム神殿にいたユダヤ人たちの前で語ったことは、このわたしが救い主イエス・キリストとの出会いによって回心し、ダマスコの地でキリスト者となる洗礼を受けましたということでした。そして、そのイエス・キリストがこのわたしを遠く異邦人のためにお遣わしになりました、ということでした。

そのパウロの言葉を聞いたユダヤ人たちは、声を張り上げ、「こんな男は、地上から取り除いてしまえ。生かしてはおけない」と言い始めました。そのユダヤ人たちの様子を見た千人隊長は、このパウロが生まれたときからローマ帝国の市民権をもっていることを知り、そのような人を裁判なしに処刑することはできないことが分かったので、パウロをユダヤ人の手から匿いました。今日の個所に描かれているのは、その翌日の出来事です。

この千人隊長の名前はクラウディウス・リシアでした(23・26)。この人は、この後にも大きな役割を果たす人ですので、ぜひこの名前を覚えておいてください。リシアの関心は「なぜパウロがユダヤ人から訴えられているのか確かなことを知りたい」ということだけでした。異邦人リシアの目から見ると、パウロのほうが間違っているというふうにはどうしても見えなかったのです。その意味でリシアは物事を公平かつ客観的に見る目をもっていたと言えるでしょう。

このリシアの視点は重要です。それは物事を外から見て判断する目です。想像してみていただきたいのはこの場面の様子です。パウロは一人でした。一人のパウロに大勢の人が寄ってたかって暴力を働いている。文字どおりの多勢に無勢でした。

リシアにとって我慢できなかったのは、おそらくこの点です。単純に言ってユダヤ人のやり方は卑怯です。弱い者いじめです。たとえ仮に百歩譲ってユダヤ人たちの言っていることが正しく、パウロのほうが間違っていたとしても、ユダヤ人たちのこのようなやり方は汚すぎると、リシアには感じられたに違いありません。

外から客観的に見る目が果たす役割は、事柄の内容的な核心部分にまでは踏み込まないものです。しかしそれは、どちらのやり方が卑怯であり、公平性に欠き、犯罪性をもっているかを冷静に見抜くことができます。たとえそれがどれほど正しい真理であったとしても、それを暴力的に人に強要したり、それを受け入れない人を暴力的に迫害したりすることは、端的に言って犯罪なのです。

宗教には、よくも悪しくも、自分たちの信じていることに対する絶対的な確信が伴うものです。しばしば、自分のほうが間違っていると認めることができなくなりますし、熱狂に陥ります。熱狂の中では公平な判断ができません。そこに外から客観的に見ている人の目がどうしても必要になります。

それは、もしかしたら、わたしたちの家族の目かもしれません。あるいは、友人たちや会社の同僚の目かもしれませんし、社会の人々の目かもしれません。病院の先生や学校の先生、あるいは弁護士のような人々。そういう人の目から見ると、わたしたちの姿が良い面だけではなく、悪い面もしっかり見えているということがありうるのです。

そういうことを指摘された場合には、反発するのではなく静かに耳を傾けるべきです。宗教の問題、教会の問題でわたしたちの頭がカッカしているようなとき、そのような人々がわたしたちの姿を冷静に見て、助け船を出してくれる場合があるのです。

決して間違うべきではないと思うことは、神を信じている人々の言葉や行いは常に絶対的に正しく、神を信じていない人々の言葉や行いは常に絶対的に間違っているというふうに考えてはならないということです。ユダヤ人も十分な意味で神を信じる人だからです。

このときリシアは、一緒に来た兵士と百人隊長と共に、武器をもって、パウロの身柄をユダヤ人たちから引き離しました。私自身は、武器をもって人々を威嚇する軍隊の存在を肯定する者ではありません。しかし、そうでもしないかぎりパウロは弁明の機会さえ与えられないまま殺されていたに違いないと思うとき、リシアが果たしてくれた役割には感謝しなければならない面があると考えざるをえません。

そして驚くべきことに、ローマ軍の千人隊長リシアは、当時、祭司長たちと最高法院の議員全体を召集する権限をもっていました。リシアはその権限を行使して彼らを召集した上で、その人々の前で弁明することをパウロに命じたのです。

パウロが最高法院の議員たちの前で語りはじめたとき、大祭司アナニアはパウロの口を打つように命じました。この仕打ちはイエス・キリストがお受けになったのと同じです。ヨハネによる福音書18・19以下をご覧ください。当時大祭司であったカイアファの義理の父である元大祭司アンナスがイエスさまにいろいろと質問し、それにイエスさまがお答えになったところ、大祭司の下役の一人が「大祭司に向かってそんな返事のしかたがあるか」と言ってイエスさまを平手で打ちました。そのときイエスさまは次のように言われました。「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか」(ヨハネ18・23)。

今日の個所でパウロの口を打つように命じた大祭司アナニアは、アンナスやカイアファよりも少し後の時代に大祭司になった人ですが、先輩たちの築いた悪い伝統を忠実に受け継いでいたことが分かります。返事の仕方が悪いと言っては暴力をふるう。だれかが自分の前で語っている言葉の内容が気に食わないと言っては暴力をふるう。ここまで来ると、ほとんどやくざです。知性のかけらもない。腹立たしいかぎりです。

実際、パウロは非常に腹を立てたようです。相手がだれであろうと、恐れをなして黙るような人ではありません。「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる」とパウロは言いました。

イエスさまも、同じようなことを言われたことがあります。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」(マタイ23・27~28)。

パウロが大祭司アナニアに向かって言った「白く塗った壁よ」は、イエスさま律法学者やファリサイ派の人々に言われた「白く塗った墓よ」と内容的にほとんど同じことです。外側は美しく見えるが、内側は壊れかけ、崩れかけの弱い柱しかない。そのような建物はすぐに崩れる。あなたがたの権威など張り子の虎であると言っているようなものです。

とても勇気ある発言であると思います。しかし、イエスさまの場合と大きく異なるのは、パウロの背後にはローマ軍の千人隊長が仁王立ちしていて、彼の命を守ってくれていたことです。だからでしょうか、パウロがかなり辛辣な言葉を言っても、それですぐに彼の口が打たれることはありませんでした。イエスさまの背後には、だれ一人、後ろ盾になってくれる人はいませんでした。状況はかなり違います。

イエスさまと比べてパウロはずるいと言いたいわけではありません。パウロという人は、自分の置かれている状況を冷静に分析し、また自分にとって好都合な要素が少しでもあれば最大限に利用し、その点では徹底的に計算づくで、語るべきことを語ることができた人であると思われるのです。それは決して悪い意味ではなく、賢いやり方なのです。

そして、パウロは、近くに立っていた者たちから「神の大祭司をののしる気か」と忠告されたとき、「兄弟たち、その人が大祭司だとは知りませんでした」と答えました。

考えられることは二つです。第一は、本当にパウロはこの人が大祭司だと知らなかったということです。第二は、要するに“とぼけた”ということです。

このときパウロが当時の大祭司はだれであるかを知らなかった可能性は、もちろんあります。かつてパウロは、ダマスコのキリスト者を迫害するために、ダマスコの会堂宛ての手紙をもらうために「大祭司」のところへ行ったことがあります(9・1)。そのときパウロは間違いなく、当時の大祭司に直接会っています。しかし、もしかしたらその後、大祭司が別の人に交替したかもしれません。パウロとしては自分が知っている大祭司ではない別の大祭司から口を打たれそうになったので「白く塗った壁よ」と言った。しかし、その人が新しい大祭司であると教えられたので、自分の言ったことを反省したのかもしれません。

しかし、もう一つの読み方としてパウロが“とぼけた”という可能性も否定しきれないと思います。かつてパウロがダマスコの会堂宛ての手紙を書いてもらったときの大祭司の名前が使徒言行録のどこにも書かれていないからです。もしかしたら同じ大祭司アナニアだったかもしれません。その昔、頭を下げて手紙を書いてもらった大祭司を今度は「白く塗った壁よ」と批判する。

もしこれが正しいなら、パウロの立場や心境に起こった大きな変化を読み取ることができそうです。かつての上司に対する事実上の決別宣言です!

ここにも、パウロが計算づくで語っている様子が描かれています。自分がこれから発言することが、サドカイ派とファリサイ派のあいだに亀裂をつくるものであることをパウロは熟知しています。そのことを意識しながら、故意にそういうことを言っているのです。しかし、サドカイ派とファリサイ派の違いについて詳しく申し上げる時間はありません。パウロが語っている言葉の中の重要なポイントに集中したいと思います。

パウロが語っている言葉は「死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判をかけられているのです」というものです。つまり、彼の容疑は復活信仰であったということです。復活を信じることが罪であると言われているのです。もっとはっきり言えば、キリスト教を信じることが罪であると言われているのです。

しかし、復活信仰は罪でしょうか。冗談ではありません。言ってよいことと悪いことがあります。キリスト教の全体がこの点にかかっていると言っても過言ではありません。

この裁判は、パウロにとっては、一歩も後ろに引き下がることができないものでした。命をかける価値のある裁判だったのです!

(2008年6月1日、松戸小金原教会主日礼拝)