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讃美歌21 280番 馬槽の中に
「栄光は主にあれ」
ローマの信徒への手紙14章1~10節
「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」
(2023年8月27日 聖日礼拝)
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「心の支えがあるか」
テサロニケの信徒への手紙一1章1~10節
「この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来たるべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。」
今日の聖書の箇所は、使徒パウロのテサロニケの信徒への手紙一1章1節から10節までです。この手紙はパウロがキリスト教の伝道者としての生涯の最も早い時期に書いたものです。
この手紙の趣旨は、はっきりしています。パウロにとってテサロニケ教会は、いわば自分自身にとっての命の恩人たちであり、思い返すたびに感謝の思いを抱いていたので、その思いを言葉にしてテサロニケ教会の人々になんとかして伝えようとしている、ということです。
言い方を換えれば、テサロニケ教会の存在は伝道者パウロにとっての「心の支え」だったとも言えます。その教会を思い起こすたびに感謝があふれてくるというのですから。人生の中でそういう教会に出会えた人は幸いです。
自分の「心の支え」が教会でなければならないことはありません。家族や友人が「心の支え」であるという方もおられるでしょうし、学校や会社がそうだという方も、動物や自然がそうだという方も、哲学や趣味がそうだという方もおられるでしょう。しかし、教会の存在が「心の支え」である方々もおられる、というくらいで止めておきます。人の考え方や感じ方は自由ですので。
キリスト者の「心の支え」が「神」であり「イエス・キリスト」であることは、そうだと言われればそのとおりです。しかしまた、地上に現実に存在する/した特定の教会と、その教会に集うキリスト者たちの存在が「心の支え」であると言ってはならないわけではありません。使徒信条の「われは教会を信ず」という信仰箇条を思い起こすべきです。しょせん教会は人間の集まりにすぎない。人間に頼ると裏切られる。神とキリストだけを頼りにするのがキリスト者であって、教会は信仰の対象ではないという考えは、退けられるべきです。
ただし、いま申し上げたことは教会によるところがあります。パウロにしても、すべての教会に対して同じことを言えたわけではありません。きわめて厳しい言葉で非難しなければならない教会がパウロにもありました。たとえばコリント教会です。内部に道徳的な腐敗が発生し、混乱と分裂をきわめていました。あるいはガラテヤ教会。パウロも激昂して「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち」(ガラテヤ3章1節)とまで書いています。テサロニケ教会はコリント教会やガラテヤ教会のようでなかった。だからパウロの「心の支え」になったということは考えてよいでしょう。相対評価には残酷な面があります。しかし、地上の教会は複数あります。「この教会」と「あの教会」を比較してどちらがよいかと考えることを止めることはできないでしょう。
テサロニケ教会がどういう教会だったかについてパウロが書いている言葉には、美しい響きがあります。3節がそれです。「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです」。
ここでパウロは「信仰、愛、希望」という順で書いています。希望と愛を入れ替えて、「信仰、希望、愛」という順に並べ替えるとパウロの別の手紙の一節を思い起こされる方が多いでしょう。コリントの信徒への手紙一13章13節です。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」。
パウロが「信仰、希望、愛」の三つを一組にして書いた手紙はまだあります。ガラテヤの信徒への手紙です。この手紙もパウロが若い頃に書いたものです。5章5~6節に「信仰、希望、愛」の三つが出てきます。「わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、霊により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」。
ここで大事なことは、テサロニケの信徒への手紙一とガラテヤの信徒への手紙はパウロが若い頃の著作であるのに対し、コリントの信徒への手紙一は晩年の作であるということです。これで浮かび上がる可能性は、パウロは若い頃から晩年に至るまで「信仰、希望、愛」の三つを一組にして語ることにおいて一貫していたであろうということです。偶然の一致でなく、パウロが意図的に三つを結び付けたのです。
パウロが説いた「信仰、希望、愛」の三つを「キリスト教の三元徳(さんげんとく)」と言い、特に西暦4世紀に活躍したラテン教父アウグスティヌスが強調したと、高校向けの倫理の教科書に記されています(濱井修・小寺聡他2名著『現代の倫理』山川出版社、2016年、58ページ)。高校の教科書に記されているということは、日本社会で一般教養に属しているということです。
テサロニケ教会の人々と知り合う前のパウロの身に何があったかについては、使徒言行録16章に記されています。エルサレムで行われた使徒会議(使徒言行録15章)終了後の第2回伝道旅行の途中、パウロはテサロニケでしばらく過ごします(同上書17章)。そのテサロニケに行く直前のフィリピでパウロは逮捕・収監されます(同上書16章)。
フィリピで何があったのかといえば、奴隷の少女が占いの商売をさせられていたのをパウロがやめさせました。すると、その少女で商売していた人たちが金もうけできなくなったと激怒し、パウロと同行者シラスを暴力で捕まえて、役人に引き渡して逮捕させる事件に発展しました。
そして、パウロとシラスが牢の中でも讃美歌を歌い、お祈りをするといういつも通りのことをしている最中に地震が起こり、牢の扉がみな開いてしまい、そのことに責任を感じた看守が自害しようとしたとき、パウロが「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」と大声で叫んで食い止め、看守が「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」とパウロたちに尋ね、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と答える場面も、フィリピでの出来事です。そのフィリピの次にパウロが訪ねたのがテサロニケでした。
テサロニケでパウロは安心できたかと言うと、そうではありませんでした。またもや騒動です。テサロニケのユダヤ人の集会で「3回の安息日にわたって」聖書を引用しながら、十字架につけられたイエスこそ真のメシアであることをパウロが論証したら何人かの人たちが信じて受け入れました。特に「神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人(パウロとシラス)に従った」(同上書17章4節)という点が重要です。それを見たユダヤ人たちが嫉妬して、暴動を扇動しました。そのときパウロたちの命を救ったのが、テサロニケでイエス・キリストを信じた人々でした。彼らがテサロニケからアテネまで、二人を連れて行ってくれました(同上書17章15節)。その人々がその後、テサロニケ教会の基礎を築きました。
苦労の多い人生の中で、「心の支え」になる教会に出会えた人は幸いです。感覚の問題が含まれますので、強制はできません。自由意志で「自分の教会」を選ぶことが、すべての人に可能です。
(2023年8月13日 聖日礼拝)
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「悪を憎み、敵を愛せよ」
ローマの信徒への手紙12章9~21節
関口 康
「悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」
先週予告しましたとおり、今日は日本キリスト教団の定める「平和聖日」です。78年前の1945年8月15日の日本敗戦の日を思い起こし、戦争に反対し、平和を祈るために設けられました。
今日の聖書箇所は、ローマの信徒への手紙12章9節から21節です。全体を詳しく話すことはできません。戦争の問題、平和の問題と直結する言葉を中心に見ていきたいと願っています。
最初に申し上げるのは、この箇所を取り上げるたびに同じ説明をしていることです。ローマの信徒への手紙12章9節「愛には偽りがあってはなりません」から始まり、13章10節「だから、愛は律法を全うするのです」までのすべてが「愛とは何か」をテーマにして書かれた部分であるということです。「愛とは何か」というテーマとは無関係に思える部分があるとしても無関係ではありません。少なくとも著者パウロの中で「愛とは何か」という問いに結びついています。
その点との関係で特に問題になるのは13章1節から7節までの箇所です。この中に登場する「支配者」ないし「権威者」が警察や軍隊を伴う国家権力を指していることは明らかです。そのような存在に「従うべきである」(5節)とパウロは述べています。軍隊のことまでは言及されていませんが、剣をもって悪を取り締まる存在を指していますので警察の存在は肯定されています。
しかし、そのことと「愛とは何か」というテーマとがどのような関係にあるのかを、よく考えなければなりません。パウロが言おうとしていることをまとめれば、警察の存在はわたしたちが愛し合うために必要である、ということになります。
13章3節の言葉が、比較的理解しやすいでしょう。「実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい」。
警察を恐れるのは悪事を働いている人たちだけであって、そうでない人たちまで警察を恐れることはないと言い換えれば、よく分かる話になるでしょう。その意味での「悪」は社会的な犯罪行為です。殺人、窃盗、詐欺、偽証、姦淫、性犯罪。その意味での「悪」を「憎む」ことと「神と隣人を愛する」という聖書の教えは一致している、ということになります。
しかし、今の説明で納得していただけるとは思っていません。警察もまた悪事を働くからです。法律の中にも他国から見れば犯罪に加担しているとしか言えないような悪法が存在するからです。法律を決める人々の中にとんでもない悪人がいるからです。そのような人たちに「従いなさい」などと、なぜパウロは言えるのかとお考えになる方々がおられるでしょう。
しかし、矛盾しません。聖書の言葉はすべて「神の存在」を前提しています。権力者はどんな犯罪をいくらおかそうと、だれからも裁かれない絶対不可侵の存在などではなく「神」が鉄槌で打つのです。
権力者はどんな犯罪をおかそうと裁かれることはないというほうが真実であるならば、「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」(12章19節)という教えを受け容れることなど、わたしたちには到底できません。人間は悪事を黙って堪えられるほど忍耐強くないからです。精神と肉体を鍛えても無理です。もし神が復讐してくださらないなら自分で復讐するしかなくなります。そのときこそ問われるのが、私の代わりに悪を倒してくださる「神」を信じる信仰です。
私は抽象的な話をしているつもりはありません。ウクライナ戦争が始まっても、教会で私が何も言わないでいるのは関心がないからではありません。
戦争は、いったん始まればどちらが善で、どちらが悪でと区別できなくなります。他国に届く情報は必ずどちらか一方を利するものです。教会が、あるいはどなたか個人が真実の情報を常に確保できる情報源を持っているなら別ですが、どちらが勝つどちらが負けると、勝負ごとに教会が加担すべきでないと私は考えていますので、教会では何も言わずにいます。
しかし、日本が戦争に直接巻き込まれることになれば話は別です。どのような求人方法になるのか、徴兵なのか志願兵なのかは分かりませんが、いずれにしても兵隊になるのは若者たちです。
そうだと思うので、今は夏休みですが、高校の授業で私はほぼ毎週のように、生徒に戦争反対を訴えています。そのことを生徒たちは知っています。私は教会で言わないでいることを、学校では口を酸っぱくして言っています。
しかし、わたしたちに、今の教会に、何ができるでしょうか。昭島教会に来る前の私のことは、皆さんとは関係ないので言わずに来ました。
2012年の原発再稼働反対官邸前デモにも、2013年の特定秘密保護法反対の国会前デモにも、2015年7月の安保関連法案の国会前デモにも、ひとりで参加しました。無力さを痛感しながら、そこにいた人々と一緒に声を上げました。
教会も、ほかのだれも、私の態度決定に引きずり込むことはできないと思い、デモに行くときは必ずひとりで行きました。千葉県松戸市に住んでいましたので、千代田線直通常磐線で、国会議事堂前駅まで片道55分、往復1000円で行けました。
だから何ができたと私は思っていません。私たちは悪を憎まなければなりません。そのために私にもできそうだと思えた行動を起こしただけです。
神さまは、ご自身がお造りになったこの世界と人間をとても愛しておられますので、罪を憎み、罪をなくしたいと神ご自身が望んでおられます。
悪を憎むことは、人間を憎むことではありません。人間の心の中から悪が取り除かれることを求めるだけです。「敵を愛しなさい」とイエスさまがおっしゃったこととそれは矛盾しません。
昨日の午前中、今日の礼拝のための看板を書いていたときに、「悪を憎み、敵を愛せよ」という説教題の中に「心」という字が3つもあると気づきました。「悪」と「憎」と「愛」です。
聖書は日本語で書かれた本ではありませんので、漢字の話は余談です。しかし、悪も憎しみも愛も「心の問題」であることは確かです。
心が変われば人は変わります。戦地に出かけた兵隊たちが戦後も敵への殺意に満ちたままなら、戦後復興は無かったでしょう。
日本の敗戦から78年。日本と世界の平和のために祈ろうではありませんか。
(2023年8月6日 平和聖日)
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「苦しみの意味」
ペトロの手紙一3章13~22節
関口 康
「神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい」
来週8月6日(日)は日本キリスト教団の「平和聖日」です。78年前の1945年8月15日の日本の敗戦を想起し、戦争反対を貫き、平和のために祈るために「平和聖日」が設けられました。
来週の「平和聖日」の礼拝で取り上げる聖書の箇所を本日の週報で予告しています。ローマの信徒への手紙12章9節から21節です。その箇所の冒頭の12章9節以下に「悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい」と記され、14節に「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません」とあり、さらに17節に「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい」とあります。
ローマの信徒への手紙の著者は、使徒パウロです。その中でも特に「悪を憎み、迫害する者のために祝福を祈りなさい」という教えは、イエス・キリストの「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイによる福音書5章44節)という教えの系譜につながるものです。
そのように考えて、私は来週の「平和聖日」の宣教題を「悪を憎み、敵を愛しなさい」とさせていただきました。あえて分けるなら前者の「悪を憎みなさい」のほうは使徒パウロの言葉であり、後者の「敵を愛しなさい」のほうは主イエス・キリストの言葉としてマタイによる福音書の著者マタイが書いた言葉であるという違いがあります。しかし出所が違う2つの言葉をひとつなぎにしたのは、両者の教えの間に何の矛盾もないことを言い表したいからに他なりません。
ここまで申し上げたのは、来週の「平和聖日」の聖書箇所についての予告です。今日の箇所は主イエス・キリストの言葉でも使徒パウロの言葉でもなく、使徒ペトロの言葉です。先ほど朗読していただいたのはペトロの手紙一3章19節以下ですが、少し前の3章8節には「終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」と記されています。これも、主イエス・キリストの教えとも使徒パウロの教えともつながる、同じ系譜の教えであることは明らかです。
そしてその教えの流れの中に今日の朗読箇所があります。「もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません」(13~14節)とあり、さらに「神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が悪を行って苦しむよりはよい」(17節)とあります。
今日の問題は、たったいま読んだばかりのペトロの手紙一3章17節の「善を行って苦しむ方が悪を行って苦しむよりはよい」という言葉の意味は何か、ということです。それを考えるための材料または土台として、先ほどは主イエス・キリストの言葉と使徒パウロの言葉を紹介しました。
主イエス・キリストと使徒ペトロと使徒パウロという3者の教えが本質的に一致していて全く矛盾がないとすれば、新約聖書の教え、ひいては二千年のキリスト教の教えとして確定したものだと言えるかどうかは、よく考えなければならないことです。
なぜそう言わなければならないかといえば、「悪を憎みなさい」という教えも「敵を愛しなさい」という教えも、たとえそれがイエスさまの御言葉であろうとだれの言葉であろうと、わたしたち自身が日々営んでいる現実の生活とその中で形成される生活感情が、その教えを拒絶し、生理的な不快感や反感を抱き続けるかぎり、それは決してわたしたち自身の心の中で納得し、受け入れ、喜んで従う教えになることはありえないからです。聖書と教会の教えは、現代社会においては、どこまで行っても参考意見にすぎず、不服であれば拒否すれば済むことだとみなされています。
今日の問題が「善を行って苦しむほうが、悪を行って苦しむよりはよい」の意味は何かであると先ほど申しました。この言葉で分かる一つのことは、苦しみそのものが悪ではないということです。わたしたちは、人から苦しめられること、あるいは自分自身に原因や発端が無いと感じることで苦しむ経験をするとどうしても、苦しみそのものが悪であるかのように感じてしまいます。私自身はどこまで行っても善であり続けているのに対し、あくまでも私を苦しめる人/事/物が悪であると言いたくなります。しかし、そうではないということを17節の言葉が教えています。悪を行って味わう苦しみとは区別される、善を行って味わう苦しみがある、というのです。
この意味での「善」が「悪を憎むこと」と「敵を愛すること」を少なくとも必ず含んでいることは明らかです。具体例を挙げれば、すぐ分かることです。
悪を憎めば、たちまちわたしたちに苦しみが襲いかかってきます。政治の問題、社会の問題、経済の問題、そして信仰の問題においても、正義に反すること、すなわち「悪」が行われる場所や状況は、ほとんどの場合、光のもとではなく、陰や闇に隠れています。それを明るみに出そうとすると、必ずや激しい抵抗にあい、抹殺されかねませんので、その抵抗や殺意に堪えなくてはなりません。それが悪を憎み、善を行って苦しむことの意味です。
敵を愛すれば、味方が敵になりかねません。敵でなかった相手から敵視され、拒絶され、孤立する可能性が生じます。たとえイエスさまが「敵を愛しなさい」とおっしゃったとしても、味方を失いたくないから、仲間外れにされるのが嫌だから、孤立するのが怖いから、そのこと自体が苦しみだから、苦しみそのものが悪だから、私は敵を愛することなどできないし、自分のことを愛してくれるほんの一握りの人たちとだけ一緒に生きていきたいと願うなら、「善を行って苦しむこと」になっていないと言われても仕方がありません。
今日の箇所の後半、特に18節から始まる箇所に、イエス・キリストが十字架のうえで味わわれた苦しみの意味が記されています。「霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました」(19節)と記されているのは、旧約聖書のノアの洪水物語(創世記6~9章)で、箱舟に入らず滅ぼされた人たちのところまでイエス・キリストが行かれ、福音を宣べ伝えられた、ということです。それは、イエスさまが地獄の底まで罪人を追いかけて愛してくださった、という意味になります。イエス・キリストは、悪を悪でないと白黒を差し替えるのでなく、悪を憎んだうえで、敵をどこまでも愛し抜くために、十字架のうえで地獄の苦しみを味わわれました。
「わたしたちは罪ある人間なのであって、イエス・キリストではないのだから、敵を愛することなど絶対できない」と言い張り、善のために苦しもうとしないわたしたちのためにイエスさまが苦しみの模範を示してくださいました。
実際には、イエスさまの教えのとおり「敵を愛すること」なしに、戦争が終わることも平和が実現することもありません。敵を愛する苦しみは、愛さないで苦しむよりはよい。どれほど堪えがたかろうと、憎い相手を受容し、共存する道を探ることが、わたしたちに求められています。
(2023年7月30日 聖日礼拝)
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「重荷を負う務め」
ガラテヤの信徒への手紙6章1~10節
関口 康
「兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、霊に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気を付けなさい。」
今日の聖書箇所は、使徒パウロのガラテヤの信徒への手紙6章1節から10節です。この箇所を理解するために大事な点は、パウロが書いていることはすべて教会の内部のことであるということです。一般論ではありません。この箇所は教会の中で読まれ、教会の中で出会う様々な出来事と結びつけて理解されるとき初めて、意味が分かるようになります。
ご承知のとおり私は4年半前の2019年4月から明治学院中学校東村山高等学校(東京都東村山市)で聖書科非常勤講師をしています。学校の授業で繰り返し言ってきたのは「学校は教会ではない。学校は学校である。教会は教会である」ということです。私の授業に出席した生徒は覚えているでしょう。
私がそれを言うのは「なぜ自分はクリスチャンでもないのに聖書を読まされて、期末試験を受けさせられて成績まで付けられるのか」と思っている生徒がいるからです。説明する必要があります。
しかし、だからといって私は、教会と学校とで、人が変わったように変貌するわけではありません。そのようなことはできませんし、したくありません。それでも学校の授業が成り立っているということは、教会と学校の間で通じ合う点があることを意味していると、私なりに理解しています。
さて、今日はいつもと少し趣の違う話をさせていただきます。昭島教会を含む日本キリスト教団は歴史的にいえば、プロテスタント教会の系譜を受け継いでいます。プロテスタント教会のはじまりが16世紀のドイツの宗教改革者マルティン・ルターの名前と結びつくことは確実ですが、スイスの宗教改革者ジャン・カルヴァンの存在も忘れることができません。
そこで今日はルターとカルヴァンが今日の箇所、特に6章1節と2節について何を書いているかをご紹介したいと思い、準備してきました。両方とも日本語版があり、多くの人に読まれてきました。
パウロは2000年前の人です。ルターとカルヴァンの時代は500年前です。パウロと比べて1500年分はわたしたちに近い感覚の持ち主たちです。本を読んで理解可能な要素があると思います。
今から14年前の2009年に「カルヴァン生誕500年記念集会」が日本で行われました。開催委員会の書記は私でした。会場は東京神学大学(東京都三鷹市)を借りました。参加者約200人。カルヴァン生誕500年祭は世界中で行われました。その後、今から6年前の2017年に「宗教改革500年記念集会」が、これも世界中で行われました。ルターが1517年10月31日にドイツ・ヴィッテンベルク城教会に95か条の提題を貼りだしたときから数えて500年を記念したものです。
ルターのほうから紹介します。今日の私たちのテキストであるガラテヤ書6章1節についての解説文だけで、日本語版で9ページ分も割かれていました。どういう内容かといえば、ルターの論争相手だった当時のローマ・カトリック教会の人たちが、このガラテヤ6章1節の言葉を用いて、教会の中で大事なのは「柔和な心」なのだから、ルターが問題にしているような教会の教義上の小さな問題に振り回されて教会の一致と平和を乱すべきではないなどと説教しているが、それは断じて違う、という趣旨のことを日本語版で9ページ分も書いています。よほど腹に据えかねる事件があったのではないでしょうか。ルターの立場からすれば、今日の箇所の「柔和な心」は、読み方次第で諸刃の剣になる、ということです。真理を語り、正義を貫こうとする人々の口封じの一手になりえます。
しかし、そのルターが、次のガラテヤ6章2節について書いている言葉は重くて深くて温かいです。「愛するということは、詭弁家たちが想像するように、他の人のためによいことを願うことではない。他の人の重荷を負う、すなわち、あなたにとって大変な、できれば負いたくないものを負うということである。それだから、キリスト者はがっちりした肩と力強い骨を持って、兄弟たちの肉、すなわち弱さを負うことができるようであるべきである」(『ルター著作集 第二集』第12巻「ガラテヤ大講解下」徳善義和訳、1986年、400頁)。
ルターが述べているキリスト者が持つべき「がっちりとした肩と力強い骨」は、もちろん比喩です。心の問題であり、信仰の問題です。
カルヴァンは何を書いているかを、次にご紹介します。だれが言い出したか、ルターは豪放磊落な人だったのに対し、カルヴァンは学者肌で神経質で厳しい人だったというような評価があるようですが、今日はぜひそのピリピリした評価を吹き払えるようなカルヴァンの良い面をご紹介したいです。
ガラテヤ6章1節についてカルヴァンは、人の心の中の「野心」の問題から書き起こしています。ただし、これもルターと同様、あくまでも教会の内部の話です。人に野心がある。外見上は熱心のように装いながら、実は傲慢で、他人を軽蔑したり侮辱したりしている。他人の欠点を見つけると、それを材料にいつでもその人を抗議できると考え、ますます追い打ちをかける。野心があるゆえ相手を非難することに熱心だからそういうことになると、カルヴァンは書いています。
しかし、カルヴァンはこのことを、自分自身を棚に上げて言っていません。それが大事です。教会の中で起こる問題を扱っていることは明らかですし、カルヴァン自身も当事者のひとり、ないし代表者として、自分の胸に手を当てながら書いている文章だと思います。
そして、とても素敵な言葉がありました。「酢の中には油も混ぜておかねばならない」(『カルヴァン新約聖書註解』第10巻「ガラテヤ書・エペソ書」森井真訳、新教出版社、1962年、135頁)。
私はいま毎日自分で食事を作っているので、この意味が分かりました。ここで「酢」の意味は、人の過ちを非難する辛辣な言葉です。酢は生のままで飲むと焼け付いたように喉がしびれます。しかし、「酢」に「油」を混ぜると美味しいドレッシングになります。酢に卵黄と塩を加えて泡立てながら油を少しずつ加えると、美味しいマヨネーズになります。いろいろ混ぜると酢は人に優しくなり、肉も野菜も美味しくなります。カルヴァンが書いている意味は、きつい言葉は控えるべきだ、ということです。
そしてカルヴァンは、この箇所の解説で「キリスト教的な𠮟責の目的」は、「倒れたものを引き立て、建て直すことであり、すなわち、まったく回復させることである」(同上書、同上頁)と書いています。
6章2節についてカルヴァンは、「パウロは我々の弱さや悪徳を『重荷』と呼んでいる」と解説したうえで、次のように書いています。「他人の重荷を背負うことをパウロが命じているのは、むしろ我々が自分の荷をおろすためである。それは、柔和で友情に満ちた正し合い(日本語版「矯正」)によって初めてなしうることである」(同上書、137頁)。
わたしたちの教会が「自分の荷をおろせる」教会であるかどうかは、わたしたちに任されています。人の重荷を背負う務めが教会にあると言えますし、それが教会の存在理由であるとも言えます。野心も、外見上の熱心も、傲慢も、わたしたちにこびりついた性質のようなものなので、努力や手術で取り除くことはできません。しかし、そのわたしたちの性質こそがイエス・キリストを十字架につけたのだと十字架を見上げて心を落ち着けることが大事です。最後に申し上げたのは、私の言葉です。
(2023年7月16日 聖日礼拝)
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「主は必ず来てくださる」
ルカによる福音書8章40~56節
関口 康
「イエスは言われた。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。』」
今日の朗読箇所は長いです。しかし、途中を省略しないで、すべて読むことに意義があります。
なぜなら、この箇所には2つの異なる出来事が記されていますが、もしそれを「第一の出来事」と「第二の出来事」と呼ぶとしたら、第一の出来事が起こっている最中に横から割り込んで来る仕方で第二の出来事が起こり、それによって第一の出来事が中断されますが、その中断の意味を考えることが求められているのが今日の箇所であると考えることができるからです。別の言い方をすれば、その中断は起こらなければならなかった、ということです。
出だしから抽象的な言い方をしてしまったかもしれません。もっと分かりやすく言い直します。
たとえていえば、教会に長年通い、教会役員にもなり、名実ともに信徒の代表者であることが認められているほどの方に、12歳という今で言えば小学6年生の年齢なのに重い病気で瀕死の状態の子どもさんがおられたので、一刻も早くそのお子さんのところに行ってください、来てくださいと、教会役員からも、その子どもさんのご家族からも緊急連絡が入ったので、イエスさまがすぐに行動を起こされ、その家に向かっておられる最中だった、と考えてみていただきたいです。
しかし、イエスさまがかけつけておられる最中に、見知らぬ女性がイエスさまに近づいて来ました。その女性はイエスさまが急いでおられることは理解していたので、邪魔をしてはいけないと遠慮する気持ちを持っていました。しかし、その女性は12年も病気に苦しみ、あらゆる手を尽くしても治らず、生きる望みを失っていましたが、イエスさまが自分の近くをお通りになったのでとにかく手を伸ばし、イエスさまの服に触ろうとして、そのときイエスさまが着ておられたと思われるユダヤ人特有の服装、それは羊毛でできたマント(ヒマティオン)だったと考えられますが、そのマントについていた、糸を巻いて作られた2つの房(タッセル)のうちのひとつをつかんだとき、イエスさまが立ち止まられて「わたしに触れたのはだれか」と探し始められた、という話です。
しかしそのとき、イエスさまには先約がありました。イエスさまのお仕事は客商売ではありませんので「上客」という言い方は当てはまりませんが、教会生活が長く、多大な貢献を果たし、教会内外で多くの人から絶大な信頼を獲得していた方のご家族が危篤であるという一刻の猶予もない状況の中で、まるでイエスさまが寄り道をされているかのように見えることをなさっているのを快く思わなかった人が、そのとき少なからずいたであろうことは、想像するに難くありません。
次のような問い方をすれば、そのときの状況をさらにリアルにご理解いただけるかもしれません。まるでイエスさまは、教会生活が長い信徒のわたしたちは後回しにしてもよいかのようにお考えで、わたしたちなどのことよりも、初めて出会う人とか、通りがかりの人とか、ふだんは教会に来ようともしない人とかばかりに夢中になられ、そういう人たちを優先する方でしょうか、それはわたしたちへの侮辱ではないでしょうかと疑問を抱いた人がいるのではないか、ということです。
このたび私はたいへん興味深い解説を読みました。それは、今日の箇所の46節に、「しかし、イエスは『だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ』と言われた」とありますが、この「わたしから力が出て行った」というイエスさまのお言葉には、もうひとつの翻訳の可能性がある、という解説です。それは「その力はわたしから出たものだ」という訳です。
私はこのイエスさまの言葉の意味を理解できていませんでした。通りがかりの女性がイエスさまの服に触ったら「わたしから力が出て行った」というのであれば、まるで風船に穴が開いて空気が抜けるようにイエスさまが脱力なさったのだろうかと想像していました。それだとまるでイエスさまが迷惑な通行人がいたものだと認識なさり、しかし私に助けを求めている人がいるようだから仕方ないとでもお考えであるかのようで、腑に落ちたことがありませんでした。
しかし、そういう意味ではないかもしれないと分かりました。「わたしから力が出て行った」のではなく、「その力はわたしから出たものだ」とイエスさまがおっしゃったとしたら、話は変わります。
たしかに、たまたますれ違っただけの人には違いないし、イエスさまには大切な先約があり、急いで駆けつけておられる最中であったことは間違いないけれども、それでもなお、今このとき、この瞬間に、12年もの間、病気に苦しんできた女性に神の力が働き、その人の病気がいやされるというみわざが起こったのだ、その神の力とみわざはこのわたしから出たものであると、イエスさまがその女性のいやしと救いの保証人になってくださった話に変わります。風船から空気が抜けた話ではありません。今このとき、この人を助け、救うことが神の御心であると、イエスさまが公に宣言なさったのです。
しかしその出来事は、最初に申し上げたことを繰り返せば「第二の出来事」であり、「第一の出来事」が起こっている最中にそれを中断する形で割り込んできたものであることに変わりはありません。
教会役員のような存在だったと、先ほど説明しました。ヤイロという男性は「会堂長」(ルーシュ・ハーケセット)と呼ばれるユダヤ教のシナゴーグ(会堂)の管理責任者でした。それは、安息日ごとに行われる礼拝に必要なあらゆる準備の責任者でした。名誉ある職責だったことは間違いありません。
その男性に「12歳ぐらい」の「一人娘」がいて「死にかけていた」(42節)と記されています。その家にイエスさまが駆けつけている最中に「第二の出来事」が起こり、そのために時間も削られ、会堂長ヤイロの危篤の娘さんが息を引き取る時刻までに、イエスさまは間に合いませんでした。
それで、会堂長ヤイロの家から人が来て「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません」とイエスさまに伝えに来ました。丁重な物言いですが、「もう来てくださらなくて結構だ」と訪問を断っているようでもあります。ヤイロの中ではもはやイエスさまの存在は不要になっていたし、憎しみや怒りの対象になっていた可能性すらあります。
よく似た話が、ヨハネによる福音書11章に出てきます。弟ラザロの臨終の瞬間に間に合わなかったイエスさまに対してあからさまに腹を立てて非難する姉マルタと妹マリアの物語です。姉マルタも妹マリアも同じ言葉で「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(ヨハネ11章21節、11章32節)と、イエスさまに抗議しています。まるで「わたしたちの弟が死んだのはあなたのせいです」と言わんばかりです。会堂長ヤイロもイエスさまに、マルタとマリアと同じような感情を抱いたのではないでしょうか。
しかし、イエスさまは、ご自分が遅れたとは全く考えておられません。イエスさまにとっては、事柄は終わっていませんし、始まってもいません。人は死んだらすべて終わりだというお考えが、そもそもありません。イエスさまがヤイロの家に到着なさり、「娘よ、起きなさい」(アラム語「タリタ・クム」)と呼びかけられたとき、その子は起き上がりました。
主は必ず来てくださいます。必ず助けてくださいます。イエスさまは、12年も病気で苦しんでいた女性も、12歳の少女も、どちらも助けてくださいました(両者の「12年」という年数は関係していると思われます)。優先順位を争うのは、イエスさまに求めすぎです。後回しにされたと腹を立てないでください。主は救いの約束を必ず果たしてくださいます。
(2023年6月18日 聖日礼拝)
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