日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
讃美歌21 405番 すべての人に
「さらに開かれた教会へ」
使徒言行録11章1~18節
関口 康
「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」
(2023年7月2日 聖日礼拝)
今日の聖書の箇所に記されているのは、イエス・キリストの十字架と復活、そして聖霊降臨の出来事を経て人類の歴史における最初のキリスト教会が誕生した紀元(=西暦)30年代からそれほど後に起こったことではないと思われます。10年から20年後くらいでしょう。
最初のキリスト教会の最初のリーダーになったのは、使徒ペトロです。教会ですからペトロを「初代牧師」と呼んでも大きな問題はないはずです。そして、最初の教会が置かれた出発の地はエルサレムでした。しかも最初のキリスト教会がユダヤ人中心の集まりだったことは確実です。ペトロや他の使徒、そしてイエス・キリストの死後に使徒になったパウロも、ユダヤ人でした。
だからといってユダヤ人でない人は、教会の仲間に加わることができなかったのかと言えば、決してそうではありません。「ユダヤ人でない人」のことを聖書は「異邦人」と呼びます。ただし、それは単なる民族や人種の問題ではなく、信仰の問題です。「異邦人」は、いわばもともと異教徒だった人です。その意味での「異邦人」に対して、キリスト教会は最初から開かれていましたし、今も開かれ続けています。
なぜそう言えるのかといえば、イエス・キリストが異邦人に対して開かれた姿勢を終始一貫、示されたからです。最初のキリスト教会も、歴史における教会も、さらに現代の教会も、それはわたしたちのことですが、その全員がイエス・キリストの弟子なのですから、イエス・キリストが示されたのと同じ、どんな人にも開かれた姿勢を持つ必要があります。
しかし、それは単純な話ではありません。哲学用語で「所与(しょよ)」という言葉があります。定義や説明は難しいですが、強く意識したり努力したりしなくても容易に得ることができる自明(=当たり前)の前提として、すでにあらかじめ先に与えられている事柄を指して言います。
たとえば、もしわたしたちが「教会はだれに対しても開かれた姿勢を持っている団体である」と言えば、「そんなことはない」と必ず反発されるでしょう。実態に即していないし、そうでない現実の中で苦しんだり戦ったりした経験を持つ人たちからすれば、虚偽でしかありません。いま申し上げたことを「所与」という言葉を用いて言い直せば、「どんな人に対しても開かれた姿勢を持つことは、教会にとっては必ずしも所与とは言えない」となります。
「所与」でないとしたら何なのかといえば「教会とはだれに対しても開かれた姿勢を持つべき団体である」ということです。つまり、そのことに対して強い意識や努力が必要であるということです。放っておいてもそうであるとか、自動的にそうであるというわけではありません。
事実は逆です。放っておくと教会はあっと言う間に閉鎖的になります。新しい考え方や新しいやり方を外部から持ち込まれることを嫌います。従来の方式を学び、なじみ、受け入れ、従ってくれる相手は歓迎しますが、そうでない相手は問答無用で拒絶します。
今申し上げているのは、教会がだれに対しても開かれた姿勢を持つことは「所与」ではなく、強い意識と努力が必要であると申し上げたことの意味を説明しているだけです。「そうだ、そうだ、そのとおり。教会は閉鎖的な団体だ」とシュプレヒコールがあがるとしたら、私は悲しいです。
現実の教会は、最初から今日に至るまでその努力を積み重ねてきました。何もしなかったとは言われたくありません。今ある教会の現実は、キリスト教史二千年の努力の結晶です。それでもなお、教会に閉鎖性ゆえの葛藤や対立があるとしたら、わたしたちの努力がまだ足りていないと言う他はありません。
「それはいくら努力しても無理なのだ」とあきらめて、放り投げて、新しい要素が加わることを拒否し、守りの姿勢に終始しようとするのは「もはや教会ではない」と言わざるをえません。
私はいま、今日の聖書の箇所の話をしようとしています。要するに何が書かれているかといえば、最初はユダヤ人中心だったキリスト教会でしたが、その後次第に異邦人が洗礼を受けて教会の仲間に加わり、その数が多くなった頃に、教会の中でユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者が険悪な関係になり、対立し始めたという歴史的な事情と関係しています。
ユダヤ人と異邦人の決定的な違いは、生まれてすぐに割礼を受けたかどうかという外見で判断できるところがあります。割礼そのものは男性だけにかかわるわけですが、男性の性器の包皮を切り取る行為です。それをユダヤ人は、まさに「所与」として与えられていますが、異邦人ではそうではありません。
異邦人は割礼を受けることができないかというと、当時も今も変わりなく不可能ではなく可能です。しかし、成人になってからの割礼は、麻酔技術が発達している現代社会でならともかく、古代社会でそれをするとなると死ぬほどの苦しみを伴うことだったことは想像に難くありません。異邦人があえて割礼を受けようとすることは無かったと思います。
ところが、西暦1世紀の教会の中で、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者が対立したときユダヤ人キリスト者の側が持ち出した論点が、要するに、我々はモーセの律法に基づく「割礼」を受けている、由緒正しい信仰の持ち主である、ということでした。それはつまり我々ユダヤ人キリスト者のほうが優位にあり、割礼を受けていない異邦人キリスト者は、我々と比べれば下位または劣位にある、ということでした。
そして、そのような考えを持っていたユダヤ人キリスト者が、ペトロがしたことを見たときに腹を立てました。ペトロがしたことは3節に書かれています。「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」。しかし、ペトロは事の次第を順序正しく説明して、理解を得ようと努力しました。
そしてペトロは結論的に言いました。「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」
この箇所がわたしたちに教えていることは、最初のキリスト教会が気づいたことは、わざわざ痛い目をしてまで異邦人たちが割礼を受ける必要は無いし、仮に割礼を受けたからと言って他の異邦人キリスト者より優れた信仰の持ち主とみなされて、より上位にいるユダヤ人キリスト者の仲間入りができるというような変化が起こるわけでもないということです。そもそも、ユダヤ人キリスト者が異邦人キリスト者よりも上位にいるかどうかも考え方次第の面がありますが、神の目から見れば大差ありません。
そもそも、あの人よりも私のほうが上だと競ったり争ったりすること自体が「もはや教会ではない」ということです。その結論にペトロもパウロも到達しました。
わたしたちも、「さらに開かれた教会」を目指すなら、この種の競争をやめることが最優先です。
とにかくみんな仲良くしましょう。幼稚なほど単純ですが、それがいちばん大事です。