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讃美歌21 459番 飼い主わが主よ
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「ノアの箱舟」
創世記7章1~24節
関口 康
「地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも、寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、やむことはない」
今日の朗読箇所はノアの洪水物語です。この物語を歴史的事実であると教えることは教会でも学校でも少なくなったと思います。転換点は19世紀の終わりごろ。発掘された粘土板に古代メソポタミアの勇敢な王ギルガメッシュの活躍を描く「ギルガメッシュ叙事詩」が刻まれ、その11章に聖書の洪水物語とそっくりの物語が出て来ることが分かったときです。それを「バビロニアの洪水物語」と呼ぶとしたら、聖書よりも古いものです。メソポタミアは洪水多発地帯で、洪水物語は他にもあります。
いま申し上げたことの意味は、聖書の洪水物語には下敷きとして用いられたモデルがあったということです。ただし、完全なコピーではなく、聖書独自の視点から書き直されました。このことは長年、日本のキリスト教主義学校の聖書科の教科書として用いられてきた本に記されています。私も学校ではその線に従っています。心配は無用です。聖書と信仰の価値は少しも失われません。
現代人は「創作物語」と聴くだけで「うそなのか」と反応することがありえます。しかし聖書は悪意をもって人をだます目的で書かれていませんので「うそ」ではありません。そもそも、聖書が書かれた古代社会に、現代人が思い描くような科学的立証を求める「歴史」は存在しません。
聖書の洪水物語は創世記の中で特別な位置を占めています。6章4節に「大昔」と記されています。その「大昔」と呼ばれている古い時代と、創世記の著者が生きている新しい時代の境目になったのが「ノアの洪水」です。6章5節に「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になった」と記されます。創世記1章31節に「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」と記されていることの正反対です。人間は、最初は良かったのに悪くなりました。人間が悪くなったのは、人間を創造した神の責任ではなく、人間の責任です。
そして、神は「地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた」(6章6節)と記されます。「神の後悔」という思想が初めて登場します。「神の後悔」と、人間が自分の罪を「悔い改める」というときに用いられる言葉は同じです。「神が後悔する」と言われると奇妙に聞こえます。しかし、旧約聖書では、神について「悔い改め」が記されている箇所が29 回あるのに対して、人間の悔い改めは 6 回しか語られていません。神の悔い改めのほうがはるかに多いです。もっとも29回のうち8回分は「神は~について悔い改めない」と記されている箇所なので差し引く必要があります。それでもまだ21回も神の悔い改めを記した箇所があることが記憶されるべきです。
「後悔」であれ「悔い改め」であれ、聖書の場合の最も基本的な意味は、くよくよするのをやめることです。優柔不断をやめること。良いことは良い、悪いことは悪いと決断し、その判断にふさわしい行動をとることです。正反対の意味で考えている場合は、まだ悔い改めに至っていない証拠になります。
「神が後悔する」と言われると、まるで神が「失敗は成功の母」と言いながら試行錯誤を続ける発明家であるかのようです。しかし、「神の後悔」は違います。聖書の神は、人間に都合よく動いてくれる「機械仕掛けの神」(デウス・エクス・マキーナ)ではありません。だからといって優柔不断に態度を変えたり、支離滅裂な行動をとったりすることはありえず、すべてにおいて首尾一貫しておられます。しかし、人間が絶えず変化するので、神が人間に対応してくださるのです。それが「神の後悔」です。
6章7節に「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう」とあります。「ぬぐい去る」は、使用済みの食器を洗わずに放っておくと臭くなるので洗うというのと同じです。腐敗したものを洗い流すことです。「魚」が含まれていないことに注目する解説を読みました。魚は神の後悔の対象外だったというのは、罪があるのは人間だけで、動物にも植物にも罪はないことの証拠だというのです。
ノアが選ばれた理由は「ノアは神に従う無垢な人だった」(9節)ことだけです。完璧な聖人であるという意味ではありません。同じ時代の人たちとは一線を画す仕方で「神と共に歩む」という生き方を貫いた人であるという意味です。洪水の最中もノアは、箱舟の中でじっとしていただけです。
箱舟の素材に指定された「ゴフェルの木」(6章14節)の意味は分かりません。聖書の中でここだけに出て来る名前です。「編んだ木の幹」と訳すことができるという解説があります。
バビロニアの洪水物語の箱舟は正方形でした。しかし、聖書の箱舟は長さ300アンマ、幅50アンマ、高さ30アンマ。アンマは前腕の長さで約45センチ。長さ135メートル、幅22.5メートル、高さ13.5メートルの巨大な箱。舵もなく、かい(オール)もなく、帆(マスト)もありません。自力で移動することができず、ただ水の上に浮かぶことができるだけの、いわば「巨大な棺桶」です。
箱舟の中でのノアと家族の食べ物は野菜です。箱舟の中の動物たちは、彼らの食糧ではありません。神の関心は、新しい時代に子どもが生まれ、人類の歴史が続くことです。7章2節を見ると「清い動物」だけでなく「清くない動物」も箱舟に入れと言われています。新しい時代に残るのは「清いもの」だけであるという思想ではないことの証拠です。
8章6節以下の「鳥を放す」エピソードは、バビロニアの洪水物語との最も顕著な類似点です。昔の船乗りは鳥を飛ばして岸が近いかどうかを調べるのが一般的でした。「鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった」(8章12節)は美しい表現です。箱舟の中のどの存在も、ノアの所有物ではありません。神の恵みのもとで自由に生きるべき存在です。
鳩がノアのもとから去ってから、さらに1か月待ってやっと地上の水が乾きました。そのときノアは601歳でした。ノアたちが水の上に浮いていた期間は1年と10日です。その間、箱舟の中でノアが聞いていたのは水の跳ねる音だけでした。神の言葉すら語られていません。
箱舟を出て新しい時代に生きることは、創世記1章の天地創造の状態からのやり直しを意味します。天地創造の物語が安息日で終わるように、洪水物語は祭壇建設で終わります(8章20節以下)。祭壇を意味するヘブライ語の意味は「屠殺場」です。供え物は丸ごと焼かれます。人間はそれを食べません。あくまでも神への贈り物です。焼けた肉の「宥(なだ)めの香り」は神の怒りを和らげます。いけにえによってノアは感謝の気持ちを表し、主は感謝のしるしとしてこのいけにえを喜びます。
その香りをかいだ神は「御心に言われた」(8章21節)とは、ご自身の胸に誓われたということです。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いころから悪いのだ。わたしはこの度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい」と神はご決意されました。
人の悪を神が放置するという意味ではありません。しかし、人類と自然を消去するという方法で罪に対する罰をくだすことは二度としない、ということです。この教えの意味は、「自然」に罪はなく、人間の意志の中にだけ罪がある、ということです。悪いのは、環境でもなければ、自分自身の肉体でもなく、あなたの心の中にあるものが悪い。変わらなければならないのは、あなたの心です。
ノアの洪水物語の意味は、神がどこまでも私たち人間の心を罪から救い出そうとする決意を示してくださったことにあります。
受難節の意味は、イエス・キリストを十字架につけたこの私の罪を悔い改めることです。
(2023年3月5日 聖日礼拝)
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「五千人の食事」
ルカによる福音書9章10~17節
関口 康
「しかし、イエスは言われた。『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。』」
今日の箇所の小見出しに「五千人に食べ物を与える」と記されています。この記事は4つの福音書すべてにあります。どの福音書にも共通しているのは、この奇跡の後、イエスさまがご自分の死と復活についてお語りになることです。十字架において真の神の愛をお示しになることこそが、イエスさまが救い主としてお生まれになったことの意味であり、目的です。そのことをイエスさまが弟子たちにお語りになる前に「五千人の食事の奇跡」が行われたことは記憶されるべきです。
そして、いま申し上げたこととの関連でもうひとつ言えるのは、イエスさまは十字架にかけられる前の夜、弟子たちと共に最後の晩餐を囲まれました。そのときイエスさまはパンをお取りになり、感謝の祈りを唱えてパンを裂かれ、弟子たちにお与えになって、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である」とおっしゃいました。またぶどう酒の杯をおとりになって、「この杯はあなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」とおっしゃいました。
この最後の晩餐でイエスさまが示されたのも、まさに十字架における真の神の愛そのものでした。つまり、「最後の晩餐」と「五千人の食事の奇跡」とに明らかに共通する要素がある、ということです。
その「最後の晩餐」を記念する聖礼典が「聖餐式」です。今日の週報をご覧ください。先週の役員会で4月12日のイースター礼拝をもって聖餐式を再開することにしました。3年前の2020年3月1日に最後の聖餐式をして以来の再開です。ぜひ重んじてご出席いただきたくお願いいたします。
しかし、今日これからお話しすることは、「聖餐式」の意義ではありませんし、「最後の晩餐」の意義でもありません。「明らかに共通する要素がある」と申し上げましたが、しかし、明らかな違いもある「五千人の食事の奇跡」についてお話ししたいと願っています。違いについては最後に申し上げます。
「使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた。イエスは彼らを連れ、自分たちだけでベトサイダという町に退かれた」(10節)とあります。
12人の弟子は「村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやし」ていました(6節)。しかしどの働きであれ休みなく続けることは不可能です。それで彼らはイエスさまのもとに戻りました。すべてをイエスさまに報告する義務があったわけではありません。もっと自由な関係です。楽しい報告だったかもしれませんし、愚痴を聞いていただいたかもしれません。
なぜそう言えるのか。イエスさまは疲れた弟子たちを連れて「自分たちだけでベトサイダという町に退かれた」は、プライベートな慰安旅行を意味するからです。わたしたちでいえば、携帯電話の電源を切る場面です。他の福音書はベトサイダを「村」と呼びますが、ルカは「町」(ポリス)と呼びます。ベツサイダは「村」でした。しかし、ヘロデ大王の子どものヘロデ・フィリポ(在位前4~後34年)が父の死後ガリラヤ湖東岸地方の領主になりました。そしてベトサイダにローマ皇帝アウグストゥスの娘ユリアスにちなんで「ユリアス」と名付けて再建した湖畔のリゾート地でした。イエスさまの弟子たちに対する優しさと思いやりに満ちた、粋な計らいであると言えます。
しかし、どこから情報が漏れたのか、群衆がイエスさまの居場所を突き止めて追いかけてきました。するとイエスさまは、その人々を歓迎され、神の国について語り、治療の必要な人々をいやされた、というのです(11節)。ここで用いられている「語る」や「いやされる」という言葉が繰り返しの行為であることを意味する未完了形であるという解説を読みました。休みたいのに休めない、遊びたいのに遊べない。残業と休日出勤。それでもなお、どこまでも優しく温かい姿勢を貫かれたということです。
「日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。『群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです』」(17節)とあります。日没がユダヤ教の一日の終わりです。夕食の通常の時間でした。周りの村や里に「宿」があったことが分かります。しかし、そのときイエスさまと弟子たちと群衆は「人里離れた所」にいたというのは砂漠の無人地帯だったことを意味します。その場所はガリラヤ湖の東部の、ユダヤ人が住んでいなかった異邦人の住むデカポリスではないかという解説があります。
「しかし、イエスは言われた。『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。』彼らは言った。『わたしたちはパン五つと魚二匹しかありません。このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり』」(13節)。弟子たちは明らかに驚き、困惑します。彼らはイエスさまに皮肉を返しているのではありません。ひたすら困っているだけです。
それでイエスさまが行われたのが「五千人の食事の奇跡」です。イエスさまが弟子たちに命じられたのは、まず「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」(14節)です。この「五千人」という数は大人の男性だけなのでもう少し多かったと考えられますが、「女性と子どもははるかに少なかった」という解説を読みました。五十人ぐらいずつ分ければ百組。五千人、五十人という数と「五つのパン」が関係あるのかという問いには「何らかの関係があるとは考えにくい」という解説があります。
そしてイエスさまは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで祝福し、裂いて弟子たちにお与えになりました。イエスさまがなさったのは、ユダヤ社会で主人または家長が行う通常の食事前の行いでした(レビ記 19章24節参照)。ユダヤ教が重んじる『タルムード』には「感謝しないで何でも楽しむ者は神を盗んだようなものだ」と書かれているそうです。
しかし、パンをお裂きになったり、祈られたりしたことに、イエスさまの「最後の晩餐」や初代教会から今日まで受け継がれている「聖餐式」との共通点を見出さないわけには行きません。しかし明らかな違いがあることも見逃すべきではありません。対比してみます(参考:マーシャル)。
| 五千人の食事の奇跡 | 最後の晩餐 |
| 過越祭「ではない」 | 過越祭「である」 |
| 12弟子でない人が食べ、12弟子は手助け | 12弟子だけが食べた |
| パンと魚の「量が増えた」 | パンとぶどう酒の「量は増えていない」 |
| バンと「魚」(「ぶどう酒」ではない) | パンと「ぶどう酒」 |
| イエスさまによる解釈の言葉が「無い」 | イエスさまによる解釈の言葉が「ある」 |
| 「身体的な休息」との関係が強調される | 「霊的な食物」であることが強調される |
| イエスさまが「天を見上げた」 | 天を見上げる場面は「ない」 |
この奇跡の意味の説明は、聖書のどこにも見当たりません。わたしたち自身が考えることができるだけです。はっきり言えるのは、イエスさまの十字架において示された真の神の愛は「最後の晩餐」と「聖餐式」に表される「霊的な祝福」だけでなく、「五千人の食事」と、教会が重んじる「愛餐会」に表される「身体的な休息」においても鮮やかに示されるものである、ということです。
イエスさまはわたしたちの心も体も強めてくださいます。そのように信じようではありませんか。
(2023年2月19日 聖日礼拝)
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「起きて歩きなさい」
ルカによる福音書5章12~26節
関口 康
「そして、中風の人に、『わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい』と言われた」
今日の朗読箇所に描かれている出来事は大きく分けてふたつあります。欲張らないでどちらかを選ぶことも考えましたが、両方読むことにしました。共通するテーマがあります。どちらも、イエスさまが「病気の人をいやされた」出来事です。
ルカによる福音書の著者ルカは「医者」だった可能性があります。ひとつの根拠は、コロサイの信徒への手紙4章14節に見つかる「医者ルカ」という言葉です。もうひとつの根拠は、まさに今日の箇所などに、医者である人しか用いない医学の専門用語が出て来ることです。
そのひとつが「全身重い皮膚病にかかった人」(12節)です。「重い皮膚病」と訳されています。ギリシア語で「レプラ」と言いますが、初期の新共同訳聖書では「らい病」と訳されていました。
「らい病」と訳された聖書をお持ちの方は「重い皮膚病」と訂正していただきたく願います。大きな問題になった点です。ギリシア語の「レプラ」が「らい病」または「ハンセン氏病」と同じかどうかは不明であるというのが、今日通用している見解です。不明なのにそうだと決めつけてしまいますと、聖書の言葉がその病気で苦しむ方々に対する差別や偏見の原因になりかねません。
しかし、今申し上げた点を踏まえたうえで、この福音書の著者がこの重い皮膚病は「全身」に広がるものであることを描いているのは医学的症状への知識がある人だと考えることができます。また、今日の箇所に出て来るもうひとつの医学用語が「中風を患っている人」(18節)です。体の一部に麻痺している箇所がある人を指します。
最初に登場する重い皮膚病にかかった人のことから申します。どの皮膚病かは特定できません。しかし、今日の箇所に記されているのは、その皮膚病にかかった人のその病気が治ったときは、祭司のところに行って自分の体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をする必要がありました(14節)。「祭司」は宗教家です。
なぜそのようなことをしなければならなかったのかといえば、あくまで古代社会の話ですが、この皮膚病にかかった人は、過去になんらかの罪を本人か親か先祖が犯したと考えられました。そしてその罪の結果としての神の罰がその病気であると考えられました。「応報思想」と言います。善いことをした人には神から善い報いをいただける。しかし、悪いことをした人には神から悪い報いを受ける、「天罰が下る」と信じられていました。つまり、病気の問題は宗教の問題でした。
17節以下の「中風の人」についても同じことが言えます。この話はルカだけでなくマタイにもマルコにも記されています。比較すると違いがあります。しかし、共通しているのは、この病気の人をなんとかしてイエスさまのところに連れて行こうとした人たちがいた、という点です。
「医者ルカ」と記されているとおり、紀元後1世紀のユダヤ社会に病気治療の専門家としての「医者」はいました。しかし、イエスさまは医者ではありません。福音を宣べ伝える宣教者です。宗教的な存在です。その方のところに人々が病気の人を連れて行こうとしたのも、病気の問題は宗教の問題だったからです。その人がかかった病気は「天罰」だと考えられていたからです。
イエスさまは、「重い皮膚病」にかかった人の皮膚病も、また「中風」にかかった人も、お癒しになったことが今日の箇所に記されています。これも宗教の観点からとらえる必要があります。今日の医学の観点から考えても正しい答えは出ません。次元が違うとしか言いようがありません。
しかし、だからといって私は、今日の箇所の2人の人の病気をイエスさまがいやされたことを疑っているわけでも否定しているわけでもありません。病気とは何を意味するか、病気が治るとは何を意味するかと、根本問題を考えています。
病気を甘く考える意図はありません。ひどい苦しみに疲れ果てて身動きがとれなくなっている状態からほんの少しでも解放されて動けるようになれば、それはそれで「治った」と言えるのではないでしょうか。「病気」の問題についてはいろいろ微妙で、複雑で深刻なお立場におられる方が多いと思いますので、これ以上のことは申しません。医学を否定する意図は全くありません。
もうひとつ大事な点があります。今日においてはもはや病気の問題は、いかなる意味でも宗教の問題ではないのでしょうか。決してそうではないと私は考えます。今日の箇所の2人にイエスさまがなさったことが、まさに当てはまります。
重い皮膚病にかかった人がイエスさまのもとに来て、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることができます」(12節)と願ったとき、イエスさまはその人の体に直接手でさわられ、「よろしい。清くなれ」(13節)とおっしゃいました。皮膚病の患部に直接さわられました。それは「あなたは宗教的な意味で忌み嫌われなくてはならない存在では断じてない」という強い意思表示です。
また、その人が遠慮がちに言った「御心ならば」という言葉に対するイエスさまの返事としての「よろしい」は、「あなたがだれからも遠ざけられたり偏見で見られたりしないようになることこそが神の御心である」というその人の存在への全面的な肯定です。
さらにイエスさまは、中風の人に対して「あなたの罪は赦された」(20節)とおっしゃったことに疑問を抱いた律法学者やファリサイ派の人々に「『あなたの罪は赦された』というのと、起きて歩けと言うのと、どちらが易しいか」(23節)と尋ねられました。
どちらが易しいかの模範解答は、昨年もお話ししました。簡単なのは「あなたの罪は赦されたと言うこと」のほうです。なぜか理由はお分かりでしょうか。どれも古いですが今回3冊の註解書(Plummer (ICC):1896, Marshall (NIGC):1978, Nielsen (PNT):1979)を丁寧に読みました。どれも同じ理由でした。罪が赦されたかどうかは「確認できない」ので言うだけなら簡単だが、起きて歩けるようになったかどうかは「具体的な証拠が必要」なので難しい、ということです。
だからこそ、イエスさまはその人の罪が本当に赦されたことの具体的な証拠を見せるために、その人に「起きて歩きなさい」と言われ、その人は本当に起きて歩くことができました。「あなたの罪は赦された」とイエスさまがおっしゃったのは、その人の犯した罪が原因で病気にかかっていたことを意味しません。そうではなく、あなたの病気とあなたの罪は関係ないという切り離しです。応報思想に対する全面的な抵抗です。「あなたの病気は天罰ではない」という宣言です。
それを立証するのは、わたしたちには不可能です。イエスさまは奇跡を起こすことがおできになりました。立証できないわたしたちは「言葉」が必要です。言うだけなら簡単ならば、言えばいいではありませんか。「あなたの罪は赦された」と。「あなたは神に愛されている」と。「あなたの人生は肯定されている」と。そのように遠慮なくどんどん言えばいいではありませんか。
教会の役割が今日まだ残っています。それは、神がわたしたちを全面的に肯定してくださっていることを語り続けることです。イエスさまがしてくださったことを受け継ぐことです。
(2023年2月12日 聖日礼拝)
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「忍耐して実を結ぶ」
ルカによる福音書8章4~15節
関口 康
「良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである」
今日の聖書の箇所に記されているのは「種を蒔く人のたとえ」です。共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)のすべてに記されています。たとえ話はクイズの一種です。質問と正解がペアになっています。テストであるとも言えますが、成績はつきません。点数の問題ではなく、よく考えることが大切です。イエスさまは、どのたとえ話においても、趣旨や意図を考えてほしいと願っておられます。
ただしその場合、すでに入門しているかまだ入門していないか、弟子であるかそうでないかは区別されます。その区別自体が、イエスさまがたとえを用いて語られた理由です。このように言うと困惑する方がおられるかもしれません。しかし、イエスさまは意地悪な方ではありません。ご自分の弟子でない人たちをからかったり非難したりする方ではありません。
もしそうでないとしたら、区別の意図は何でしょうか。まだ弟子でない人々には「神の国の秘密」(10節)がたとえで伝えられます。秘密の答えが分かる弟子とそうでない人に明確な違いがあります。その違いは「知識」の差です。「彼らが見ても見えず、聞いても理解できない」(10節)と言われます。
それなら話は簡単です。勉強すればいいだけです。知らないことがあるから我々は学び続けるわけでしょう。イエスさまは、知識が無い人をからかったり非難したりしておられるのではなく、真理を知るために光の中に入ってきてほしい、同信の仲間に加わってほしいと強く呼びかけておられます。
ある人が種蒔きに出て行きました。道端に落ちた種は、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまいました。石地に落ちた種は、芽は出ましたが、水気が無いので枯れてしまいました。他の種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまいました。「茨」はパレスチナの畑を悩ませたとげのある雑草の総称です。その茨が若芽のときに、良い種と一緒に落ちたと理解する必要があります。一緒に成長したとき、茨が「押しかぶさった」とは、良い種が「窒息」したことを意味しています。しかし、他の種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結びました。
イエスさまはこのように言われて、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われました。「大声で言われた」のギリシア語の原意は「大声で泣く」です。イエスさまが泣かれたという意味かどうかは分かりません。泣くほどの勢いで感情をこめて強く激しく訴えられたと考えることができます。
このたとえ話は、畑にとうもろこしを蒔くパレスチナの農夫のイメージが用いられています。このたとえの趣旨は、多くの実を結ばなければならないという成果主義の教えなのかどうかが必ず問題になると思います。そうではないと私は申し上げたいですが、そのように言うための根拠が必要です。
11節以下に記されているのがイエスさま御自身によるこのたとえの説明です。道端のもの(12節)、石地のもの(13節)、茨の中に落ちたもの(14節)、良い土地に落ちたもの(15節)と四者の存在が描かれていることは明白ですし、四者が比較されていると考えることは可能です。
それぞれの特徴も描かれています。道端のものとは、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たち(12節)。石地のものとは、試練に遭うと身を引いてしまう人たち(13節)。茨の中に落ちたのは、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟すまで至らない人たち(14節)。そして、良い土地に落ちたのは、忍耐して実を結ぶ人たち(15節)。
四者は確かに比較されています。しかし、強調されているのは、神の言葉を聞く人の側の責任ではなく、神の言葉それ自体の行方です。聞き方が悪いとか、根がないことが悪いとか、悪魔による妨害や、試練や、人生の思い煩いや富や快楽の支配下にいるのが悪いと人間の態度や状況を責めているのではありません。
そうではなく、このたとえの趣旨は、神の言葉の宣教には、失敗する場合も成功する場合もあるということです。「はたらけど はたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」と石川啄木が詠んだあの詩と同じ言葉をつぶやきながら宣教する教会と説教者を慰めることにあります。
だいぶ古い英語の註解書に危険な解釈を見つけました。それによると、このたとえはキリスト者の中に4つの「階級」があることを教えています。たとえば、イスカリオテのユダは第3の「階級」に属しています。しかし、我々自身や他の人々がどの「階級」に属するかは人間の目で見分けることはできないので、自分のことかもしれないと、常に自分の胸に手を当てて考えなければなりません。
これは危険な解釈です。なぜ危険かといえば、わたしたちは、そのように言われても、自分の胸に手を当てて考えたりはしないからです。他の人に当てはめて責める道具にしはじめるからです。あの人は道端の人、この人は石地の人、その人は茨の人であると、他人の言動の分析に明け暮れ、差別と排除の論理に用いはじめるからです。
いや、そうではない。私は自分の胸に手を当ててばかりであると、反発を感じる方がおられるかもしれません。まさに自分のことだと、自分を取り巻き、がんじがらめにしている環境を恨む。夫婦、親子、兄弟、親戚、地域社会、国、経済、政治、時代、運命。そういうものに苛まれて、私は信仰を失った。私のせいではない。私が悪いなどとだれにも言わせない。私は十分すぎる意味で石地の上や茨の中にいるし、鳥だろうと怪獣だろうと絶え間なく容赦なく襲いかかって来るので、信仰など持つ余裕も理由もありません、と言いたい方がたくさんおられるかもしれません(いえ「おられます」)。
しかし、今申し上げた線の上に立っておられる方々にとっては、この種蒔きのたとえは、解釈さえ間違えなければ慰めになるはずです。特に思うのは、第3の「思い煩いや富や快楽」という茨の問題です。この茨と無関係でいられる人がどこにいるでしょうか。お金の心配も欲望も関係ないほど裕福な「階級」の人だけが真のキリスト者でしょうか。非常に愚昧な結論です。
しかも、「道端のもの」や「石地のもの」と「茨のもの」との違いは時間の差です。踏みつけられたり食べられたりするのは一瞬です。しかし、茨が覆いかぶさるまでには時間がかかります。この点は大事です。そして、その時間の問題と、第4の「良い土地に落ちたもの」が「忍耐して実を結ぶ」と言われていることが関係しています。「忍耐」は時間的な概念だからです。一瞬の忍耐には意味がありません。ずっと長く、とにかく耐えることが「忍耐」です。
「忍耐して実を結ぶ」という言葉は、同じたとえ話が出て来る他の福音書(マタイ、マルコ)には記されていません。記しているのはルカだけです。どういう意味だろうと調べてみましたが、「忍耐」という言葉の意味が説明されているだけで、なぜこの文脈で「忍耐」なのかは分かりませんでした。ですから、これから申し上げるのは、あくまで私の解釈です。
「種は神の言葉である」(11節)と言われているのですから、「忍耐して実を結ぶ」のはわたしたちの功績ではなく、「神の言葉」それ自体の力です。わたしたちの努力や辛抱強さではなく、神御自身が圧倒的な恵みの力で、わたしたちの中に多くの実を結んでくださいます。そのことを信じようではないかという呼びかけです。わたしたちが絶望しているときも、神はわたしたちをあきらめません。イエス・キリストはわたしたちをあきらめません。そのことを教えるたとえ話です。
(2023年2月5日 聖日礼拝)
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「神は耐えられない試練を与えない」
コリントの信徒への手紙一10章1~13節
関口 康
「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせるようなことはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」
今日の聖書の箇所は、使徒パウロのコリントの信徒への手紙一10章1節から13節までです。ひとつの段落であるこの箇所の最後の13節にとても印象的な言葉が記されています。短くすれば「神は耐えられない試練を与えない」という意味になる言葉をパウロが記しています。
私は昭島に来てからテレビを観なくなりました。「忙しいので」を理由にしておきます。それで私に不足している知識はテレビドラマや情報番組の内容です。ニュースはインターネットで把握しています。それで感じるのは、聖書やキリスト教とは無関係な場面で「神は耐えられない試練を与えない」という言葉を頻繁に見かけるようになったことです。
とても慰められる言葉ですので、愛唱聖句にしておられる方がきっといらっしゃるでしょう。私も同じです。とても慰められます。しかし、この言葉が嫌いだとおっしゃる方がおられることも知っています。
いま味わっているこの過酷な現実を、神が与えた試練だと信じること自体はやぶさかでない。しかし、だからといって、これ以上の苦しみはないと思えるほどの苦しみを味わっている最中にこの言葉に接すると、「つまりそれは、私が味わっている苦しみは耐えられる程度の軽いものなので耐えなさいという意味でしょうか」とどうしても聞こえ、反発心を抱くきっかけになります。その気持ちもよく分かります。
いま私が申し上げていることで大事なことは三つです。
第一は、これは聖書の言葉であるということです。パウロの言葉です。テレビドラマや有名人に由来する言葉ではありません。
第二は、この言葉には文脈があるということです。文脈から離れたところで用いてはいけないという意味ではありません。言葉が独り歩きするのは当然です。しかし、元々の文脈の中でどういう意味で言われたかも大事です。別の意味で用いるべきではないという意味でもありません。しかし、気を付けなくてはならないことがあります。
それが第三の大事な点です。たとえ慰めに満ちた聖書の言葉であっても、使い方次第で相手を深く傷つける場合があります。取り扱いに細心の注意が必要です。
しかし、今申し上げた点を踏まえたうえで、もう一歩先のこととして申し上げたいのは、この段落にパウロが記している内容は解釈がとても難しいということです。分かるのはごく大づかみなことだけです。
この段落に記されているのは旧約聖書の出エジプト記の物語です。モーセに率いられたユダヤ人が奴隷の地エジプトから脱出して約束の地カナンをめざすあの物語です。
しかし、解釈が難しい言葉が、いきなり出てきます。「わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属する洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました」(1~4節)。
なぜここで「雲」の話になるかといえば、モーセたちが出エジプトの旅の中で「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた」(出エジプト記13章21節)からです。
彼らにとって「雲」は保護のしるしです。「海を通り抜け」は背後に迫るエジプト軍からユダヤ人が逃れるためにモーセが葦の海を杖で割った奇跡物語(出エジプト記14章)を指しています。つまり「海」は解放のしるしです。
そして「雲」と「海」はどちらも「水」でできているというのがパウロにとって大事な点です。雲と海という「水」でユダヤ人の先祖は、モーセから洗礼を受けたのだとパウロは言っています。この解釈は私が参考にしているオランダ語の註解書(F. J. Pop, De eerste brief van Paulus aan de Corinthiers, De prediking van het Nieuwe Testament (PNT), 1965)の立場です。
これ以外にもこの段落には解釈が難しい言葉が次々に出てきます。見落としてはならないのが5節と6節です。「しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです」。
これでパウロが言いたいことは、「洗礼」を受けたすべての人が、「海」と「雲」で表わされた神の保護と解放のみわざの中にとどまったとは言えないということです。もっとはっきり言えば、洗礼を受けて信者になった人が、その後に何をしでかそうと、深く人を傷つけるようなことをしようと、すべて神が見逃してくださるので罪を犯し続けても構わないという教えは成り立たないということです。パウロこそ信仰義認の教えを強調した人ですが、それとこれとは矛盾しません。
この段落でパウロが禁じている「悪事」は、はっきり分かるのが三つです。「四つある」という説明を見かけましたが、意味がよく分かりませんでした。第一は「偶像礼拝」(7節)です。第二は「みだらなこと」すなわち淫行(8節)です。第三は「不平を言うこと」すなわち短気(10節)です。これらの悪事を繰り返している人があなたがたコリント教会の中にいる、それはいけないことだと、パウロは強く警告しています。
以上の内容が「神は耐えられない試練を与えない」という言葉の文脈です。どうつながるかが分かりにくいとお感じになる方が多くないでしょうか。つながりにくさの原因は「試練」という訳語にあるかもしれません。誤訳であるとは言えません。しかし、文脈とつながりにくいです。
パウロとコリント教会の関係という文脈という観点から最もふさわしい訳語は「誘惑」です。「神は耐えられない誘惑を与えない」です。誘惑の具体的な内容は、上に述べた偶像礼拝、淫行、短気、そしてそれ以外にも多くあります。
誘惑の共通点は、逃げ道を奪われることです。それが罠です。入ったら出られなくされます。客がいなければ商売は成立しません。しかし、神は罠の網を引き破ってくださって「逃れる道」、しつこく付きまとう悪の誘惑からの「出口」を作ってくださいます。その「出口」こそ、ユダヤ人の先祖が体験した出エジプトの出来事であり、キリスト教信仰にも当てはまるということです。
まるで神御自身が罪の作者(the creator of Sin)であるかのように、すなわち、神が人間を「罪を犯さないことができない」(non posse non peccare)存在に創造されたかのように考えるのは間違いです。自分の罪を神のせいにしてはいけません。堕落の責任は人間の側にあります。罪を犯すことに必然性(Necessity)はありません。罠の網を神が引き破り、逃げ道を作ってくださいます。わたしたちは罪を犯し続けることをやめることができるし、やめなければなりません。これが「神は耐えられない試練を与えない」という使徒パウロの言葉の元々の意味です。
(2023年1月22日 聖日礼拝)
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「家族も救われる」
使徒言行録16章25~34節
「二人は言った。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます』」
今日の聖書の箇所は使徒言行録16章25節から34節までです。この箇所に大勢の人が登場します。主役は使徒パウロと同行者シラスです。この二人以外の「ほかの囚人たち」(25節)もいます。「看守」(27節)もいます。そして最後に「看守とその家の人たち全部」(32節)が登場します。
囚人や看守がいるのは刑務所です。つまり、この物語に描かれているのはパウロとシラスが刑務所の牢に入れられ、そこから解放されるまでの出来事です。場所はマケドニア州のフィリピ(16章12節)。パウロの第二回宣教旅行の最中でした。
使徒言行録でパウロが刑務所に収監されるのは、この箇所だけです。ローマ兵に縄で「縛られ」たり(22章22節)、「鎖」をかけられたり(22章30節参照)、「留置」されたり(23章35節)しましたが、「牢に入れられた」とまでは記されていません。しかし、刑務所は人生一度でもごめんです。
パウロとシラスがなぜこのような目に遭ったかを知るためには16章16節から読む必要があります。発端はフィリピにいた「占いの霊に取りつかれている女奴隷」(16節)との出会いです。「占いの霊」(プニューマ・ピュトナ)の意味は「ピュトンの霊」です。ピュトン(英語「パイソン」)はギリシア神話に登場する蛇です。アポロンの神託を守り、アポロンによって殺された蛇です。
そして「ピュトンの霊に憑依された人」というその言葉自体が「腹話術師」を意味します。そして、それが「占い師」です。つまり、この女性(おそらく少女)は、腹話術を使って占いをする人でした。蛇を体に巻き付けて、脇の下から蛇の頭を出して、腹話術で占いの言葉を話して、蛇がしゃべったように見せ、お客さんから受け取った占いの料金を雇用主に渡すために働かされていた奴隷でした。
しかし、それは聖書の教えとは全く異質です。使徒言行録には、キリスト教の伝道者が異教的な魔術的宗教に立ち向かう場面が何度か出てきます。この箇所はそのひとつです。他にも、魔術師シモンVSフィリポ (8章9節以下)、魔術師エリマ VSサウロ(後の使徒パウロ)(13章8節以下)、エフェソでアルテミス神殿の模型を作っていた銀細工師デメトリオVSパウロ(19章23節以下) などがあります。
今日の箇所の女性は、パウロたちにつきまとって幾日も同じことを叫び続けました。それでパウロがたまりかねて、その霊に「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」と言ったら、「霊が彼女から出て行った」(18節)というのが、パウロとシラスが刑務所に収監された理由です。
「たまりかねて」(ディアポネーセイス)の意味は「不快、不機嫌、憤慨、激怒、当惑」などです。パウロが感情むき出しで腹を立て、おそらく大声で怒鳴りつけたことを表しています。パウロのこういうところは直すほうがよいかもしれません。伝道者の粗暴な性格はつまずきの元です。しかし問題は、パウロがなぜ、または「何」に激怒したかです。ふたつ考えられます。ひとつは、この女性が毎日付きまとい、大声で騒ぎ続けたその迷惑行為そのものです。しかし、それだけではありません。パウロはこの女性の背後にある悪魔信仰と占いの世界そのものにも反対しています。
後者に対する不快感が、付きまとい行為に対してよりも比重が大きいと言えます。「悪を憎んで人を憎まず」は孔子の言葉ですが、パウロにも当てはまります。だからこそパウロは、「イエス・キリストの名によって」この女性に、ではなく「霊」に向かって、この女性から「出て行け」と命じたのです。
すると、この女性から「占いの霊」が出て行き、正気に戻りました。二度と占いができなくなったという意味です。それで激怒したのがこの女性の雇用主です。「悪を憎んで人を憎まず」だと言いました。「占いが悪なのか」と疑問を感じた方がおられるかもしれません。難しい問題です。しかし、明らかに悪いのは、奴隷を脅して働かせて、その奴隷が稼いだ金を巻き上げて生きている悪党どもです。パウロがしたことには、悪党集団からひとりの少女を助け出した面があります。
「金もうけの望みがなくなってしまった」(19節)主人たちは、パウロのしたことが原因だと知って激怒し、捕まえて高官(法務官)のもとに連れて行き、でたらめな理由を並べて、パウロたちを告発しました。群衆も一緒に騒ぎ出したため(22節)、高官たちはパウロたちを裸にし、鞭で打つように命じ、いちばん奥の牢に投げ込み(文字通り「投げた」)、足に木の足枷をはめて看守に見張らせました。
「鞭で打つ」(23節「ラブディゾー」)は、ローマ人のやり方では木の棒または杖(ラボス)で叩くことを意味します。ユダヤ人の鞭打ちは、ひもで叩きます。「杖」は職権のしるしであり、「杖を持つ人」は職権を有する人です。つまり、ローマの「鞭打ち」はローマ帝国の権力を背後に持つ屈辱極まりない刑罰です。パウロがコリント教会に宛てた書簡に「鞭で打たれたことが三度」(Ⅱコリント11章25節)と書いているのも「棒で叩かれた」(ラブディゾー)です。
状況説明が長くなりました。パウロとシラスが刑務所に収監されるまでの経緯の概略は以上です。想像するだけでぞっとする、全く堪えがたい仕打ちだと私には思えます。
ところが、様子が変です。体も心も傷ついたパウロたちが沈み込んでうずくまっていたかというと、正反対でした。「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」(25節)(?!)。
キリスト者には、大なり小なりこういう面があります。状況から考えれば苦痛のどん底にいるはずなのに、どこかしらひょうひょうとしていて、明るい性格のようだけれども、世間離れしているようでもあり、とらえどころがない。刑務所のいちばん奥の牢に厳重な足枷までかけられて閉じ込められているのに、讃美歌を歌ったりお祈りしたり。それを他の囚人たちが聞き入っていたというのです。笑いごとではありませんが、笑いがこみあげて来て、なごめるものがあります。
すると、次に起こったことが大地震です。刑務所の土台が揺れ、ドアが開き、鎖が緩みました。そのことを神が介入してくださって起こった出来事だという意味で使徒言行録は記しています。
しかし、驚くべき記述がまだ続きます。大地震ですべてのドアが開いた刑務所からすべての囚人が脱走したかといえば、そうではありませんでした。他の囚人も全員いたかどうかまでは分かりません。しかし、パウロとシラスは逃げませんでした。囚人脱走の責任をとらされると思い込み、自害しようとした看守に「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」(28節)と呼びかけ、食い止めました。
すっかり驚き、恐怖すら抱いた看守が、パウロに魂の救いを求めました。「先生がた、救われるためにはどうすべきでしょうか」(30節)。「すべき」の意味は、神の御心にかなう道は何かです。パウロとシラスの答えは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(31節)でした。
なぜ「家族も救われる」のかについての詳しい説明はありません。しかし理由は分かります。パウロとシラスの賛美と祈りの声を他の囚人たちが聞き入っていたというあたりにヒントがあります。
ひとりの人が救われると、家庭内にひとり「異次元」に立つ人が生まれます。それが嫌われる原因になるかもしれません。しかし、破局の防波堤になる場合があります。家族みんなが一蓮托生で絶望して破滅の道を突き進むのではなく、たったひとりでも神に期待し、讃美を歌い、祈る人がいれば、常識や社会通念とは異なる、全く別次元からの問題解決の道が生まれ、必ず出口が見つかります。
(2023年1月15日 聖日礼拝)
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「すべての人の神」
使徒言行録10章34~43節
関口 康
「預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」
今日の聖書の箇所は使徒言行録10章34節から43節です。この箇所に記されているのは使徒ペトロの言葉です。
この言葉が「いつ、どこで、だれに、なぜ」語られたのかを学ぶことは、とても大事です。「文脈」を無視すべきではありません。しかし、今日は踏み込みません。別にお話ししたいことがあります。
文脈に踏み込まなくても分かることがあります。それは、使徒ペトロは初代教会の代表者だったということです。代表者の発言は初代教会の信仰告白の基本線を表していると言える、ということです。
それではこのペトロの言葉の核心部分はどこでしょうか。それを見抜く必要があります。34節から43節のすべてが核心部分であるとも言えますが、長いです。たとえば「20字以内で要約してください」と問われたとき、どう答えればよいだろうかと考えてみることも大事です。
私なりの答えは「イエス・キリストこそ、すべての人の主です」(20字以内)です。「神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存じでしょう」(36節)。
しかし、これだけでは意味不明です。やはり「文脈」が大事です。「神は人を分け隔てなさらない」(34節)、「どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」(35節)、「イエスは方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされた」(38節)、「また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています」。
注目すべき言葉は「どんな国の人でも」「すべて」「だれでも」「神は人を分け隔てなさらない」です。間違えてはなりません。これはイエス・キリストの弟子であるわたしたち教会の問題です。教会はだれに伝道するか、だれの悩みや苦しみに寄り添い、助けるかの問題です。そのことについて、教会が差別してはいけないということです。「イエス・キリストはすべての人の主」だからです。
しかも、イエスさまと神さまが区別されてはいますが、36節の「この方こそ、すべての人の主です」の「主」(ギリシア語「キュリオス」)は、神ご自身、あるいは神と等しい存在を指します。したがって、「すべての人の〝主〟」を「すべての人の〝神〟」と言い換えても趣旨に変更は生じません。イエス・キリストにおいてご自身を啓示された神は、人を分け隔てなさいません。
しかも、「イエス・キリストはすべての人の主である」と言われる場合の「すべての人」はキリスト者に限らず、という意味を含んでいます。これも教会の宣教にかかわる問題であることをわたしたちは忘れてはなりません。教会はキリスト者の専有物ではありません。わたしたちは信じているから(because)教会に通うのではなく、信じるために(in order to)教会に通うからです。信仰に至っていない人や、疑いだらけで信じきれない人に居場所がないようなところは「教会」ではありません。
ここまでが今日の聖書箇所の説明です。これから申し上げるのは一冊の本の紹介です。日本語版は2014年10月に発売されましたので、すでにお読みになった方がおられるかもしれません。
昨年亡くなられましたが、アメリカの宗教社会学者ロドニー・スターク教授(Prof. Dr. Rodney Stark [1934-2022])の『キリスト教とローマ帝国』(穐田信子訳、新教出版社、2014年)です。本書の主題は、西暦1世紀にパレスチナの片田舎で産声を上げたキリスト教が西暦4世紀(392年)にローマ帝国の「国教」になった理由は何か、です。その問題をスターク教授は統計学を駆使して解明しました。
それを今日取り上げるのは、特に年頭に際し、わたしたちの「これからの」宣教にとって大いに参考になると思うからです。
スターク教授によると、紀元40年のキリスト者人口はわずか1000人でした。ちょうど今日の聖書の箇所の頃です。ローマ帝国の総人口における比率は0.002パーセント。
しかし、紀元100年に7,530人(0.0013%)、紀元150年には40,496人(0.07%)、紀元200年に217,795人(0.36%)、紀元250年に1,171,356人(1.9%)、紀元300年には6,299,832人(10.5%)、そして「国教化」目前の紀元350年には33,882,008人(56.5%)になりました。
大事なことは、数字そのものよりも「なぜ増えたのか」です。その理由としてスターク教授が挙げているのが、紀元165年を発端として西暦2世紀のローマ帝国に襲い掛かった「ガレン(ガレノス)の疫病」です。死者総数に諸説ありますが、スターク教授は「ローマ帝国の人口の4分の1から3分の1が死滅した」という説に説得力があるとします。この疫病の流行のピーク時には、ローマだけで1日に5千人死んだという報告があるほどの大惨事でした。
その悲惨な状況の中でキリスト者による病者の看護が目覚ましかった、というのが本書の結論です。キリスト者は「死を恐れない」信仰を持っていたので、自分が疫病に感染する危険をいとわず、果敢に病者に近づき、病者がキリスト者であろうとなかろうと分け隔てせず、その人の口に忍耐強くスープを運び、とりなしの祈りをささげたので、その手厚い看護によってキリスト者生存率が高まり、また配偶者を疫病で失った異教徒が手厚い看護をしてくれたキリスト者に愛情を抱き、再婚したり、新しい配偶者が信じているキリスト教へ改宗したりしたため、キリスト者の人口が増えたという結論です。特に、キリスト者女性の働きは目覚ましいものでした。
キリスト者が「増えた」理由はまだあります。キリスト者は「子だくさん」でした。そのことがなぜ異教徒との差になるのかといえば、この時代のギリシア・ローマ世界において生まれた子どもの選別(間引きや中絶)をするのが当たり前だったからです。特に、女の子と障がいを持って生まれた子どもが対象とされました。しかし、キリスト者はそれを断固として禁じ、拒否し、生まれた子どもはすべて受け入れて育てたので、異教徒よりも人口が増えた、という結論です。
もうひとつの大事な点は、「キリスト者はユダヤ人伝道に成功した」という分析です(67頁以下)。キリスト者はユダヤ人への宣教を断念しなかったし、ユダヤ人の中からキリスト教へ改宗する人々が大勢いたことも「増えた」理由であるとします。ユダヤ人は西暦2世紀に国土を完全に失い、世界各地への離散の民(ディアスポラ)になりますが、長い伝統に基づくユダヤ人ネットワークがありました。そのユダヤ人ネットワークの中で、旧約聖書を捨てなくてよく、新約聖書を加えればよいキリスト教への改宗の動きが拡大した、というのです。(以上、関口による要約)
今のわたしたちにとって大いに参考になるではありませんか。神が人を分け隔てしないのですから、わたしたちも人を分け隔てすべきではありません。今はコロナ、戦争、不況の時代です。キリスト者であろうとなかろうと、手厚くもてなし、看護し、性別や障がいの差別などは断固拒否し、命を大切にし、互いに愛し合い、多種多様なネットワークを用いて広く深く永続的なかかわりを築いていくこと。
それこそがわたしたちの「これからの」宣教の目標です。古代教会の歩みから学ぶことは多いです。
(2023年1月8日 聖日礼拝)
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「新しい希望」
ローマの信徒への手紙12章1~8節
「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」
今日開いていただいたのはローマの信徒への手紙12章1節から8節です。この箇所から新しい部分が始まります。15章13節まで続き、その後、個人的な知らせと挨拶があります。
「ローマの信徒への手紙は8章まで読めばよい。9章以下は余計な部分で、12章以下は問題外だ」という読み方をする人たちを、私は知っています。
「イエス・キリストの十字架の愛の本質は無条件の赦しである。しかし、ローマ書12章以下には、キリスト者はどうあるべきだ、こうすべきだと細かい指示を伴う行動原理が記されている。それを受け容れたら、新たなる律法主義になるではないか。」
それは言い過ぎです。ローマ書12章以下のキリスト者の行動原理は、信仰義認の教えにとって重要な意味を持ちます。罪人を義と認めて受容してくださる神は、わたしたちを罪と悲惨の中に置き去りにされません。そのほうがはるかに冷たいです。
神はわたしたちを、神の前で誠実に生きる、神の義にかなう証し人へとつくりかえることを望んでおられます。神は応答(レスポンス)を求めておられます。イエス・キリストの十字架の愛によって罪赦されたわたしたちが神の恵みに応答すること(レスポンシビリティ=「責任」)を求めておられます。
もっともパウロは、12章以下の内容を体系的に記していません。大雑把にとらえれば、12章は個人的な生活を扱い、13 章は市民としての義務を扱い、第14 章はメンバーとしての義務を扱っていると言えなくはありません。しかし、パウロ自身がその順序で書こうと構想を練ったとは考えにくいです。
それでも結果的に、ある程度の図式化が可能なのは、出発点が明確だからです。この言葉が語られた状況は、おそらく主の日の礼拝です。礼拝の説教です。そこを出発点とし、説教者自身を含めてすべての人が、自分の家へと、社会へと、国へと出ていき、入り込み、あらゆることにたずさわります。
その意味で、主の日の礼拝は「扇の要」(おおぎのかなめ)です。キリスト者が主の日の礼拝を中心に広がっていく様子が描かれていると考えることができます。だからと言って個々人の行動が計画的に制限されることはありません。すべては自由です。わたしたちは神の操り人形ではありません。教会の中の「強い者」が「弱い者」を従わせることでもありません。
1節の「勧めます」(パラカレイン)の原意は「忠告する」とか「呼びかける」です。日本キリスト教団式文などの「勧告」も同じです。新約聖書では、祈りの助けを求めるときや、神の御心への応答を求めるときに用いられています。特にパウロの手紙で多く用いられています(Iテサロニケ4章1節、11節、5章14節、Iコリント1章10節など)。
「忠告」というかぎり、ある種の命令性があることは確かです。民主的な社会に生きている私たちは命令口調に敏感です。すぐに警戒心を抱きます。ですから、パウロが用いているこの言葉の意味を十分に考え抜く必要があります。表現は難しいです。
「勧める」とは、ある人が他の人に命令することではありません。「神がそのことを命じておられる」と人に告げることを神から委ねられた人の口を通しての、神ご自身による呼びかけが「勧告」です。多くの場合、「兄弟たち」に呼びかけるのは使徒です。しかし、使徒でない教会員にも、忠告(勧告)の賜物が与えられることがあります(8 節)。
キリスト者の生き方の内容は、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げる」ことです。印象的なのは、「いけにえ」や「礼拝」という精神的な言葉が用いられていることです。
パウロの特徴と言えるのは「いけにえ」や「礼拝」という言葉を、旧約聖書における祭儀のイメージから移してくることです。「いけにえ」という言葉に旧約聖書の祭儀を思い起こさせる「神に喜ばれる」「聖なる」「生ける」という3 つの形容詞が結びつけられています。ユダヤ教では、生きたままの傷のない動物が神に献げられ、祭壇の上で屠られ、焼かれました。その香りは神に喜んでいただく甘い香りでした。わたしたちの体は、その動物の代わりです。
わたしたちがするのは自分の体を焼くことではありません。パウロが述べていることの背景にあるのは、肉体そのものは汚れた存在ではなく、罪が肉体の内面を汚すという教えです。しかしわたしたちは、イエス・キリストの十字架によって罪が取り除かれたので、肉体はきよくなりました。しかもそれは外面のきよさではなく、内面のきよさです。そのきよい体を神に献げることが求められています。
しかし、それはわたしたちにとっては、どこまで行っても「~と私は考える」としか言いようがありません。「わきまえる」(2節)は、自分でよく考えることです。新共同訳聖書では消えてしまいましたが、かつて長く広く用いられた口語訳聖書では「あなたがたのなすべき霊的な礼拝である」と訳されていました。
この「霊的」を「合理的」と訳す例があります。なぜ「合理的」(理性にかなう)なのかといえば、神の御心は何なのかを結局最後は自分の頭と心で考えなくてはならないことを言わなくてはならないときです。わたしたちは神を信じるからと言って、理性が操られるわけではないからです。
内面のきよさが求められているのは、それが必ず私たちの行為と関係してくるからです。外面性をいくらつくろっても、内面が変わらないかぎり、何も変わりません。しかし内面が変われば、すべてが変わります。世間に調子を合わせるのではなく、神の御心は何か、何が善かを考え抜く、自分自身の内面に新しく生まれた行動原理に従って生きはじめるときに、わたしたちの人生も世界も変わります。
新約聖書に描かれている初代教会には、まだ「役職」などは存在せず、みんな平等で、他を圧倒する人はいなかったと言われることがあります。もしそれが事実なら、パウロが記している「(わたしが)あなたがたに勧めます」は、正当な権限を与えられているわけでもないのに自分の思い込みで一方的に威嚇しているだけであるかのようです。しかし、それはおかしいです。パウロは明らかに、教会が公式に認めた使徒的権威において語っています。初代教会においてすでに役職があったのです。
使徒の職務以外にも多くの役職がありました。7 節と 8 節に役職名がリストアップされています。それをパウロは「霊的賜物」(カリスマ)と呼んでいます。教会で役職につくことは、尊大になることの反対です。この世的な役職と同じ意味はありませんので、出世とか昇進とか栄転とか左遷とか、そういう考え方を断じて持ち込むべきではありません。
しかし、それではなぜ教会に役職が必要なのかといえば、私たちは神から与えられた恵み(カリス)の賜物(カリスマ)を無視する危険があるからです。人は自分のことを軽視しすぎることがあります。いばる必要は全くありません。しかし、自分には存在意義も価値もないと思い込むのも危険です。自分に与えられた恵みの賜物への過大評価も過小評価もどちらも危険です。
しかも、自分の価値は自分では分からないものです。だからこそ、(健全な)教会の交わりの中に自分の身を置く必要があります。そうすれば、生きる意味が分かります。存在への勇気(Courage to be)が与えられます。
本日の説教題「新しい希望」の意味は、いま最後に申し上げたことです。ぜひ教会の交わりに入ってください。教会の奉仕に参加してください。それが「生きがい」になります。「生きていてよかった」と言える人生になります。
今年もどうかよろしくお願いいたします。
(2023年1月1日 元旦礼拝・新年礼拝)