日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
讃美歌21 459番 飼い主わが主よ
ルカによる福音書9章18~27節
関口 康
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」
今日の箇所に記されているのは、イエスさまと弟子たちの対話です。イエスさまが弟子たちに「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになったとき弟子たちが答えたのは、イエスさまについてのうわさ話でした。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます」(19節)と答えています。
これで分かるのは、イエスさまの時代のユダヤ人の中に「死者の復活」を信じる信仰があったということです。繰り返し解説されてきたように、ユダヤ教のサドカイ派の人々は「死者の復活」を信じませんでした、ファリサイ派の人々は信じていました。旧約聖書の中に「死者の復活」の教えがあり、それを根拠にすることができたからです。この件はあとで再び取り上げます。
イエスさまは弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(20節)とお尋ねになりました。この問いは弟子たちに態度決定を求めています。ペトロが弟子たちを代表して「神からのメシアです」と答えました。これが弟子たちの態度決定でした。
そのペトロの答えをお聞きになったイエスさまは、弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないようにお命じになりました(21節)。禁止の理由は明白です。イエスさまがメシアであることが多くの人々の前で明らかにされるのは、イエスさま御自身が「多くの苦しみを受け」「殺され」「三日目に復活する」(22節)という出来事を通してでなければなりませんでした。
イエスさまに「王になってもらうために連れて行こう」とした人々がいたことがヨハネによる福音書6章15節に記されています。ユダヤ人のメシア待望論の実際の中身は、イスラエル王国の再建を目指し、特に最大の英雄とみなされたダビデ王の時代の栄光を回復することであり、そのためにダビデの子孫を政治的な王にすることでした。
しかし、イエスさまは全く正反対の道を歩まれました。イエスさまが選ばれたのは、十字架の死に至るまで、罪ある人々を赦し、かばい、心から愛することにおいて徹底的に苦しむ道でした。その苦しみを通り抜けたときに初めて死者の中から復活する光栄にあずかるでしょう。しかし、それまではどこまでも苦しみ続ける道、それがイエスさまがお選びになった道でした。政治的な権力を行使し、国家と社会を統制する道と、イエスさまの道とは、正反対の方向を向いています。
ここで再び「死者の復活」の件を取り上げます。興味深い解説を読みました。うかつにも私は気づいていなかったことです。それは今日の箇所でイエスさまが「人の子は三日目に復活する」と言われており、それはマタイとルカ、そしてパウロも同じように記していますが、マルコだけが「三日の後に復活する」(マルコ8章31節、10章34節など)と書いている、ということです。「三日目」と「三日後」は違います。「三日目」は「二日後」です。
なぜこの違いが起こったのでしょうか。その理由は旧約聖書のホセア書6章2節にあるというのが、私が読んだ解説のポイントです。ホセア書6章2節には「二日の後、主は我々を生かし、三日目に、立ち上がらせてくださる」と記されています。この「二日の後」と「三日目」は、同じ意味です。そしてこのホセア書6章2節の教えがユダヤ教の伝統になったというのです。
ホセアが「我々」と言っているのはユダヤ人のことを指しますが、比喩として語られています。そして、この解説で大事な点は、イエスさまはホセア書6章2節をご存じであり、ご自身の存在に重ね合わせてお読みになっただろうということです。そう考えるほうが偶然の一致であるとか後代の教会が旧約聖書の言葉をイエスさまと結びつけたと考えるより説明しやすいというのです。
マルコひとり「三日後」と書き、マタイもルカもパウロも「三日目」と書いているのは、マルコ以外はホセア書6章2節のギリシア語訳を正確に理解していたからだろうとも解説されています。間違い探しをしたいのではありません。最も大事なことは、「三日目の死者の復活」という教えは旧約聖書とユダヤ教の伝統に根ざしているということです。
このことを明らかにされたうえでイエスさまが「皆に」、すなわちすべての弟子たちにお求めになったのは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(23節)ということでした。
このイエスさまの言葉の中に「自分を捨てること」と「日々、自分の十字架を背負うこと」と「わたしに従うこと」という三つの動詞が出てきますが、同じ意味のことが言い換えられていると解説されていました。
「自分を捨てる」の意味は自己否定です。しかし、それは自分の存在を自分で消去することではありませんし、単なる自己卑下でもありません。自分をあえてさらけ出し、あえて無防備にし、そのうえでイエスさまの意志と判断に服従し、イエスさまの後についていくことです。
「日々、十字架を背負う」は、ルカによる福音書では23章26節に登場するキレネ人シモンと同じようにイエスさまの十字架を背負い、イエスさまの後ろについて運ぶことと関係があります。しかも、それを「日々」すなわち「毎日」行うことが求められています。
これは、一般的な意味でわたしたちが毎日味わう苦労のことではありません。そうではなく、イエスさまに従って生きることの苦しみを指しています。イエスさまと初代教会の時代にユダヤ人やローマ人から受けたような迫害を、すべての時代のキリスト者が必ず受けるとは限りません。しかし、イエスさまに従って生きる人の人生は、どの時代であろうと危険な面を必ず伴います。わたしたちはあらゆることについて、日々、態度決定をしなくてはならないからです。死を覚悟することが求められるのは、信仰と人間存在は切り離せない関係にあるからです。
だれもが同じだと思いますが、苦しいのは嫌なことであり、逃げたくなります。イエスさまに従って生きることが苦しいことであると言われるならば、だれが好き好んで信じるのか、理解に苦しむ、と自分で考えたり他者から言われたりすることはきっとあるでしょう。
しかし、その後のイエスさまの御言葉の中に「わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる」(26節)とあります。厳しい言葉ですが、納得できます。
ここにペトロとパウロの違いがあるという解説を読みました。イエスさまの弟子であることを恥じたペトロは、鶏が泣く前に三度イエスさまを「知らない」と言いました。パウロは「わたしは福音を恥としない」とローマの信徒への手紙(1章16節)に記しました。
付かず離れずの態度をわたしたちが互いに責め合うことはできません。それは間違っています。しかし、どうやらイエスさまは、わたしたちをお責めになります。「態度を決めて、わたしに従いなさい」とお求めになります。「わたしを恥じる者を、わたしは恥じる」とおっしゃいます。
厳しい先生のほうが、一生忘れない大事なことを教えてくれます。厳しい愛があります。
(2023年3月12日 聖日礼拝)