2022年1月16日日曜日

漁師を弟子にする(2022年1月16日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)


讃美歌21 7番 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「漁師を弟子にする」

マルコによる福音書1章16~20節

関口 康

「イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。」

昨年11月7日の昭島教会創立69周年記念礼拝のときから申し上げているのは、今年(2022年)は「70周年」であるということです。今年11月6日に70周年記念礼拝を行います。みんな元気にその日を迎えようではありませんか。

「70年」ということで聖書の中身と関係あるのは何かと考えてみました。すぐ思い出したのはバビロン捕囚ですが、教会生活をバビロン捕囚にたとえるのは、直感的に言えばかなり違和感が私にはあります。私たちは教会に囚われているわけではありません。しかし視点を換えて考えれば全く当てはまらないとも言えません。

バビロン捕囚とは、イスラエル人が新バビロニア帝国との戦争に負けて自分たちの独立した国を失い、捕囚の民として70年の歳月をバビロンで過ごした出来事を指します。捕囚の地において、細々とではあっても信仰を守り続け、解放後パレスティナに戻ってエルサレム神殿の再建に着手するまでの彼らの70年は信仰と忍耐が試された年月です。

70年前に大人だった人たちはほとんど天の御国に召され、70年前はまだ子どもだった人たちや、その後生まれた子どもたちが信仰と忍耐を受け継ぐ歴史。そのイスラエルの人たちの姿は、そのまま今のわたしたちであると言えるのではないでしょうか。

しかし、教会の歩みや、わたしたちひとりひとりの個人的な信仰者としての歩みは、長く受け継がれてきたことをただ繰り返すだけ、何も変えずにただ受け継ぐだけではないし、我慢比べをしているわけでもありません。改革すべきことは改革すべきです。

そのことを考えて、私は年頭から繰り返し「新しいことを始めましょう」と申し上げています。さっそくひとつ新しいことが始まります。今日の週報で初めて情報公開しました。秋場治憲さんを今年4月から本教会の伝道師として招聘することを役員会として承認し、2月27日に予定している教会総会に提案することにいたしました。

秋場さんのことは秋場さんご自身がお語りになるべきですが、客観的事実については、私からご紹介させていただきます。秋場さんは41年前の1981年に、日本キリスト教団補教師検定試験に合格されましたが、補教師登録をされませんでした。しかし、このたび補教師に登録することを決心されました。昭島教会を助けてくださるためです。尊いお志に心から感謝いたします。

牧師、伝道師の異動の件は教会総会の取扱事項ですので、現時点ではまだ正式な決定であるとは言えません。しかし、現在の役員であられる秋場治憲さんとわたしたちは水臭い関係では全くありませんので、皆さんに喜んでいただきたく謹んでご報告いたします。

さて、今日の聖書の箇所です。イエスさまが神の国の福音を多くの人に宣べ伝える宣教活動を開始されるにあたり、イエスさまと共に働く人をお求めになりました。聖書においてその人々はイエスさまとの関係上「弟子」と呼ばれています。弟子たちは、イエスさまに「従う」関係です。だからといって、イエスさまと弟子たちの関係は軍隊式の上下関係ではありません。水平の関係です。協力者です。パートナーと言うと別の意味になるかもしれません。表現は難しいです。

「軍隊式ではない」と強調して申し上げるのは、当時のユダヤ教の指導者やローマ帝国の軍人とユダヤの民衆との関係と、イエスさまと弟子の関係とが大差ないようなものだったとすれば、彼らが「救い」を感じることはなかっただろうと思うからです。

イエスさまがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとその兄弟アンデレが湖で網を打っておられるのをご覧になりました。彼らは漁師でした。そこでイエスさまは、その二人に「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました。

イエスさまが彼らを「ご覧になった」(16節)と訳されている言葉に深い意味があるかどうかが気になりました。調べてみたらいろんな意味がありました。目で見る、心を向ける、注意する、理解する、経験する、訪問する、面会するなどの意味が含まれていることが分かりました。

そのことが気になったのは、ただ見えた、視野に入った、ぼんやり見た、ということだけではなく、じっと見る、注意深く観察するというような意味があるかどうかを知りたいと思いました。結論を言えば、それくらいの意味があると考えることができます。それが分かって安心しました。イエスさまにとって、彼らを弟子にしたのは手当たり次第で、実はだれでも良かったのだというような感覚とは違うのではないかと思うからです。

イエスさまが彼らを「ご覧になった」のは、マルコによる福音書では、彼らが漁をする姿です。ルカによる福音書では、ひと晩漁をしても何もとれずに落胆して陸に戻り、網を洗って片付けていた彼らの姿をイエスさまがご覧になっています。とにかくそのような彼らの「漁師としての」姿をイエスさまが、ただ見た、視野に入った、ぼんやり眺めたというのではなく、じっと見る、観察するという姿勢で、まさに「ご覧になった」のではないかと私には思われるのです。

それは、彼らが真面目に仕事をしているかどうか、というようなことが含まれている可能性は否定できません。それも大事なことです。しかし、そういうことよりもむしろイエスさまが関心をお持ちになったのは、漁師たちが漁をするその仕事内容や動作や、それに必要な技能は何かというようなことです。収穫が無かったときの心の動きや、その場合の生活のあり方までも含めて、イエスさまは「漁師としての」彼らをじっと観察されたのです。だからこそ、イエスさまは彼らに「人間をとる漁師にしよう」とおっしゃったのです。

言い方を換えれば、「漁師として」身につけた技能が、そのまま福音を宣べ伝える伝道の働きに役立つということです。それが、イエスさまが彼らにおっしゃった「人間をとる漁師にしよう」の意味です。イエスさまは人間を「魚」呼ばわりなさったわけではありません。趣旨は逆です。漁師として身につけたその技能を伝道のために活かしなさいということです。

もちろん漁師だけではありません。会社や役所や学校で働く人が、それぞれの場で身につけた技能が、そのまま伝道に役立つということです。伝道者になるために必要なことは、極端に特殊なことでも何でもなく、日常生活で必要な普通の営みを身につけることや、社会での働きの中で徹底的に鍛えられる技能の延長線上にある、ということです。

ただし、教会は軍隊式ではありません。その点だけ間違えなければ、すべての社会的な技能が伝道に役立ちます。「社会のルールを教会に持ち込むこと」の弊害がもしあるとしたら、軍隊式が持ち込まれてしまうときです。教会を教会でないものにしてしまいますので気をつけましょう。

もうひとつ、そして最も大事なことは、「伝道者」は教職者だけではないということです。教会のみんなが「伝道者」です。役員、運営委員として伝道の働きを担うこともできます。

みんなで一致協力して、昭島教会の「これからの」歴史を築いていこうではありませんか。

(2022年1月16日 聖日礼拝)

2022年1月9日日曜日

イエスの洗礼(2022年1月9日 聖日礼拝)

マルコによる福音書1章9~11節

関口 康

「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。」

今日開いたのも、救い主イエス・キリストの生涯を描いた箇所です。先週の箇所には、12歳になられたイエスさまが描かれていました。その後、イエスさまは大人になられ、「神の国の福音」を宣べ伝える宣教活動を開始されました。

しかし、イエスさまは宣教活動をお始めになる前に、いくつかの準備段階を踏まれました。

第1にイエスさまは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられました(9~11節)。

第2にイエスさまは、荒れ野でサタンから誘惑を受けられました(12~13節)。

第3にイエスさまは、ガリラヤで宣教活動の開始を宣言されました。その言葉は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」というものでした(14~15節)。

第4にイエスさまは、ガリラヤ湖で漁をしていた漁師を御自分の弟子にされました(16~20節)。

なぜイエスさまはこのようなことをなさったのでしょうか。ひとつひとつの意味を考えるのも大事です。しかし、少し距離を置いて、これら4つの段階全体の流れを見ていくと、わたしたちと同じだということが分かってきます。

今年は昭島教会の70周年を迎えます。新しいことを始めようではありませんか。具体的に何をするかを、私もいま真剣に考えています。わたしたちも新しいことを始める。そのための準備をする。その場合、イエスさまが踏まれた段階とだいたい同じようなことをすると思います。

イエスさまの場合は、その最初が「洗礼を受けること」でした。わたしたちに当てはめれば、居住まいを正すことです。姿勢をまっすぐにする。これまでしてきたことをこれからも繰り返すだけなら居住まいを正す必然性がありません。居眠りしたりよそ見したりしながらでも、できるかもしれません。しかし、新しいことを始める場合はそうは行きません。

準備の第2段階は、イエスさまの場合は「荒れ野でサタンの誘惑を受けること」でした。それは心の訓練を受けることです。新しいことを始めれば、毎日が緊張の連続です。何が待ち受けているかが分かりません。そのとき必要なのは、何が起こっても動じない心です。

第3段階は、イエスさまの場合は「活動開始宣言」です。それはわたしたちも同じでしょう。いつ始まったのか、本当に始まったのか、まだ始まっていないのか、他の人には全く分からない。厳しくいえば無責任です。新しいことを始める場合は、旗を上げ、目標を公にするのが大事です。

第4段階は、イエスさまの場合は「弟子」を得られることでした。しかし強い上下関係を想像するのはイエスさまらしくないです。とにかく仲間を得ることです。協力者を得ること。ひとりで抱え込まない。助けを求めることです。それが、新しいことを始める場合に必要です。

以上申し上げたのは「わたしたちにも当てはまる」イエスさまの宣教活動の準備段階についての説明です。いわば応用編です。しかし、わたしたちとイエスさまが全く同じであると言いたいのではありません。特に最初の「洗礼を受けること」については、わたしたちとイエスさまとで意味が違うということを申し上げる必要があります。今日開いているマルコによる福音書にも、その違いが分かるように記されています。

イエスさまに洗礼を授けたのは洗礼者ヨハネでした。このヨハネが授けた洗礼の意味は「罪の赦しを得させるため」の「悔い改めの洗礼」(4節)であると、はっきり記されています。そして「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼(洗礼者ヨハネ)から洗礼を受けた」(5節)とも記されています。

ここでわたしたちが考えなければならないのは、もしヨハネが「罪の赦しを得させるため」の「悔い改めの洗礼」を授けていたのであれば、イエスさまがそのヨハネの洗礼をお受けになったことの意味は、イエスさまが御自分の犯した罪を神とヨハネの前で告白し、その罪を神に赦していただき、「もう二度と罪を犯しません」と決心し、約束することだったかどうか、です。

「そのほうが人間らしいイエスさまで親しみやすい」と感じる方がおられるかどうかは分かりませんが、イエスさまがヨハネからお受けになった洗礼の意味はそのようなことではないということが、今日の箇所だけでは分かりませんが、マタイによる福音書を読めば分かります。

マタイによる福音書には、イエスさまがヨハネに洗礼を授けてほしいと願われたとき、ヨハネは「それを思いとどまらせようとした」(3章14節)と記されています。ヨハネは「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか」(同上)とまで言いました。しかし、イエスさまは「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」(3章15節)とお答えになったので、ヨハネはおっしゃるとおりに洗礼を授けたということが記されています。

ヨハネがイエスさまを思いとどまらせようとしたことの理由は明白です。ヨハネの洗礼の意味は「罪の赦しと悔い改めの洗礼」でしたが、ヨハネの目から見て、イエスさまは罪を悔い改める必要のない存在だったからです。自分が授ける洗礼の意味には該当しないとヨハネは考えました。

また、もうひとつ、ヨハネの洗礼の意味を考える場合に忘れてはならないことが、今日の箇所の直前に記されています。ヨハネ自身が言ったのは「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない」(7節)ということです。それは、人々がヨハネの洗礼を受けて罪の赦しと悔い改めに導かれることは、イエスさまを真の救い主としてお迎えする準備段階に過ぎないことであって、真の救い主が来られたら自分の役割は終了するとヨハネが信じていた、ということを意味します。

ところが、イエスさまは、ヨハネのすすめをさえぎることまでされたうえで、ご自身が洗礼をお受けになりました。その理由は分かりません。それは「正しいこと」だとおっしゃった意味も分かりません。わたしたちにできるのは、その意味を想像してみることだけです。

私の考えはこうです。イエスさまはたとえ御自分は罪人でないとしても、だからといって罪人から距離をとるのではなく、罪人に寄り添い、同じ立場に立とうとなさったのです。

その意味は、へりくだり、謙遜です。罪人から距離をとり、指差して、「私は悪くない。赦しを得る必要はないし、悔い改める必要もない。世界の悪と人類の不幸の原因は私ではない。あの人が悪い、あの人たちが悪い」と言い張るだけなら、おごり、たかぶり、傲慢です。イエスさまは、ご自分以外のすべての人を悔い改めさせるために来られたのではありません。そのような傲慢さは、宣教の態度ではありません。そのような宣教の言葉で悔い改める人はいないでしょう。

教会も同じです。教会が「この悪い世界を悔い改めさせてやる」と言い出したら、イエスさまから「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。まず、自分の目から丸太を取り除け」(マタイ7章3節、5節)と厳しくたしなめられるでしょう。

(2022年1月9日 聖日礼拝)

2022年1月2日日曜日

少年イエス(2022年1月2日 新年礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
  
讃美歌第二編152番 古いものはみな 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「少年イエス」

ルカによる福音書2章41~52節

関口 康

「すると、イエスは言われた。『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』」

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨日は元旦礼拝を行いました。今日は新年礼拝です。ついこのあいだクリスマス礼拝を行ったばかりです。毎年のことですが、年末年始の教会は慌ただしい空気に包まれます。

しかし、それがよいことかどうかは分かりません。年末年始を逃しては仕事を休むことができないし、家族水入らずの時を過ごすことができないという方もおられるでしょう。教会のことは良い意味で牧師に丸投げしていただいて、なるべく皆さん自身の時間を大切にしていただきたいと、私はそう考える人間です。

先ほど朗読していただいた聖書の箇所に、まだ子どもだった頃の、しかも「12歳になったとき」(42節)とそのときの年齢がはっきり記されているイエスさまとご両親が、親子水入らずで旅行なさる場面が描かれています。

「水入らず」という言葉は年配の方々はよくご存じだと思いますが、若い世代の方々はあまり使わない言葉かもしれませんので、一応説明します。と言っても、私が持っている古い国語辞典に書かれている意味を紹介するだけです。「内輪の親しい者ばかりで、中に他人を交えないこと」(広辞苑第4版、1991年)。書かれているのは、それだけです。

そして、このときイエスさまが「12歳」だったということは、はっきり記されていますので、そのことを前提としてこの箇所の意味を考える他はありません。12歳は今の日本の教育制度では小学6年生になる年齢です。

私の話になって申し訳ありませんが、今年度、私は神奈川県茅ヶ崎市の平和学園小学校の5年生と6年生に聖書の授業をしていますので、ちょうど今日の聖書箇所に登場なさるイエスさまと同じ年齢の子どもたちに聖書を教えていることになります。しかし、偶然の一致にすぎません。

それより、いま皆さんの子どもさんやお孫さんが小学生であるという方がおられるでしょう。また私の話ですが、私も息子と娘がいます。彼らが小学生だった頃のことは覚えています。もうだいぶ前ですので、そろそろ記憶が怪しくなっていますけれども。

なぜ今このような話をしているかと言いますと、現実の12歳の子どもがどのような存在であるかは、実際にその年齢の子どもたちと向き合っているときと、そうでないときとで、イメージがずいぶん違ってくるだろうと思うからです。

言いにくい部分があります。しかし、実際に自分の子どもとして生まれた男の子であれ女の子であれ、赤ん坊から育てて12歳くらいになったときに、その子の親がどのような感情を持つかは、自分自身が体験してみる以外にどうしようもないところがあります。だれも口出しできません。親子水入らずの状態は、神聖不可侵な領域です。

いま申し上げたのは親の視点です。父親であるか母親であるかで大きく違うかもしれませんが、その問題には触れないでおきます。喧嘩になりますので。それより今日申し上げたいのは、今日の箇所のイエスさまと同じ12歳くらいの子どもをどのように見るかは、これまた言いにくい要素が多く含まれていますが、親の視点だけで考えられてはならない、ということです。

それは当然のことだと、きっとご理解いただけるはずです。なぜかといえば、いま「大人」と呼ばれている人たちには、例外なく12歳だったときがあるからです。当時のことを正確に覚えていなくても、その頃の記憶も記録もすべて失われているとしても、「12歳だったことがない大人」はいません。そして、意外なほどその頃のことは覚えているものです。

そのことをお認めいただけるとすれば、ぴったり12歳でなくてもいいです、そのくらいの年齢の子どもたちを見る視点の中に確実に数えなければならないのは、子どもたち自身の本人の視点です。もう十分すぎるほど自覚的に主体的に責任的に生きる力を持っています。

実はそのことを、また私の話に戻ってしまいますが、私はその年齢の子どもたちに聖書の授業をする責任と光栄を今年度与えられている者として証言できると思っています。

それは、彼らは聖書の言葉を理解することにおいて十分な力を持っている、ということです。「子ども扱い」などは全くできませんし、してはいけません。二千年前の12歳と今の12歳とが全く違う存在であるわけではありません。全く同じです。

そのことを私は、現実の小学生と対面で向き合って、聖書の授業をしながら認識しています。私は教育学者ではなく教育現場の人間です。その立場からの証言もたまには貴重でしょう。

ところが、今日の聖書の箇所の話を今しているわけですけれども、ここに出てくるイエスさまの両親はもちろんヨセフとマリアのことですが、彼らは12歳になった自分の子どもを悪い意味で「子ども扱い」した様子が描かれていると、はっきり言わせてもらいたいと思う次第です。

この家族は毎年親子水入らずで、ユダヤ教の過越祭のたびに、彼らが住んでいたガリラヤの町ナザレから遠くエルサレムまで旅行して、エルサレム神殿のお参りをしていました。エルサレムの宿屋に何日か滞在してからまたナザレに帰ろうとして、1日分の道のりを歩いたところで長男イエスがいないことに気づきました。

12歳の子どもと手をつないで歩く親がいるかどうかは知りませんが、そうしていなかったのでしょう。一緒にいると信じて歩き、いないと分かって信頼を裏切られてがっかりしたのでしょう。

しかし、12歳のイエスさまはエルサレム神殿にずっとおられたという話です。まさか携帯電話はありませんし、連絡の取りようがない。親の視点から見れば、イエスさまは3日間も「迷子」になっていた、ということになります。しかし、イエスさま自身の視点からすれば、「お父さんもお母さんも一体何を考えているのですか」と反論なさりたいお気持ちだった様子です。

判明した事実は、「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられた」(46節)ということです。「聞いている人は皆、イエスの賢い答えに驚いていた」(47節)とも記されています。

イエスさまが特殊だったとは思いません。小学生にこれくらい十分可能です。想像ではなく、このとおりのことを学校でしています。関心をもって学んでいるのを邪魔しないでほしいです。

12歳のイエスさまがその模範を示してくださいました。いま小学生のお子さんがおられる方は、ぜひ聖書を学ぶことをおすすめください。

昭島教会の教会学校に、大切なお子さんをぜひお預けください。よろしくお願いいたします。

(2022年1月2日 新年礼拝)

2022年1月1日土曜日

新たな一歩を(2022年1月1日 元旦礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)



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2022年礼拝予定表を作成しましたのでご利用ください(変更の可能性があります)

「新たな一歩を」

ルカによる福音書5章1~11節

関口 康

「話し終わったとき、シモンに『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。」

あけましておめでとうございます。

2022年の元旦礼拝の聖書箇所として選ばせていただきましたのは、ルカによる福音書5章1節から11節までです。救い主イエス・キリストが最初の弟子をお選びになった箇所です。

その場所が「ゲネサレト湖畔」(1節)と書かれています。イスラエルの北部のガリラヤ湖です。ガリラヤ湖で漁をする漁師たちの住む町が近くにありました。その町ひとつのカファルナウムをイエスさまは最初の宣教拠点とされました。

イエスさまがゲネサレト湖畔あるいはガリラヤ湖畔に立っておられたとき「神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た」(1節)と記されています。特に気にせず読み流していましたが、改めて読むとはっとさせられる言葉が書かれています。

「群衆」とあるのは大勢の人というくらいの意味だと思われます。大勢の人がまだ宣教活動をお始めになったばかりで、若くて、それほど広く知られているわけでもないイエスさまのもとに「神の言葉」を聞こうとして「押し寄せて来た」というのです。

もしそうだとしたら、イエスさまの語る言葉は「人の言葉」でなく「神の言葉」であるという認識がその人々の中にあったということになります。しかし、それがどういう意味を持っていたかは考えさせられます。

そのひとつの可能性は、「神の言葉」は「人の言葉」よりも権威があるという認識がその人々の中にあった、ということではないでしょうか。権威ある言葉を語ってもらえる存在を探し求めた結果、イエスさまがそうだと信じることができたので集まってきた、ということではないだろうかということです。

ところが、そのときイエスさまは、突飛と言いうる行動をおとりになりました。ガリラヤ湖に浮かぶ2そうの舟の近くで、夜通し漁をしても一匹の魚もとれず、心身ともに疲れ果てた状態の2人の漁師が舟から上がって、網を洗っていました。その姿を御覧になったイエスさまが、2人のうちの1人のシモンの舟に乗り込まれ、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになったというのです。

なぜこれが「突飛と言える行動」なのかといえば、3つくらいの理由を思いつきます。いちばん深刻な問題から考えていくとしたら、徹夜で働いても何の収穫もなく身も心も疲れ果てた労働者にまだ「働け」とイエスさまが言われているということです。勘弁してくださいよと断っていい場面です。気が短い労働者であればイエスさまに腹を立ててつかみかかるかもしれないほどです。そのことをイエスさまは分かっておられて、あえておっしゃっています。

2つめも今申し上げたことに関係します。漁師にとって漁はプロの仕事です。魚がとれないとなれば自分と家族の生活に影響する、自分の存在をかけた仕事でもあります。しかし、その日は何も収穫が無くて肩を落としながら、汚れた網や道具を洗って片付けて、さあこれからひと眠りしようとしていた場面です。

その彼らにとっての神聖なる領域である舟に、イエスさまが、彼らに断りもなく乗り込まれ、沖に漕ぎ出してくれと頼まれたというわけです。人として職業人としてのプライドがずたずたにされ、土足で踏みにじられているようです。そのことをイエスさまがあえてなさっています。

3つめは、逆の視点です。最初に申し上げたことですが、群衆は「神の言葉」(1節)を求めて押し寄せて来たと記されています。その意味は権威を求めてきたということではないでしょうか。しかし、もしそういう意味だとして、イエスさまがその群衆の要求どおりにお応えになる考えをお持ちになったとすれば、イエスさまが向かうべき先は、ガリラヤ湖に浮かぶ舟の上ではなく、カファルナウムにもあったことが聖書に明記されている会堂(シナゴーグ)だったのではないでしょうか。

権威ある言葉を求める人に語るにふさわしい場所は権威ある建物なり、何らかのセッティングでしょう。しかしイエスさまは真逆の方向に進まれました。宗教的権威が認められた施設のほうではなく、労働者が仕事をする現場のほうに向かわれました。そこからイエスさまは「神の言葉」を求めて押し寄せて来た群衆に「神の言葉」をお語りになろうとしたのです。

3つ理由を挙げました。心理的に考えると、どれも「迷惑」なことばかりです。徹夜で働いても収穫なく心身疲れ果てた労働者にまだ働けと言い、彼らの労働者の神聖な道具を荒らし、「宗教家の行くべき場所はこちらでなくあちらでしょう」とあしらわれてしまうような場所に入って来る。「そういうのは目新しい方法かもしれませんが、あまり長続きしませんよ」と皮肉を言われてもおかしくないような行動をイエスさまがあえておとりになっています。

しかし、その結果どうなったかは今日の聖書の箇所に書かれているとおりです。網が破れそうなほど魚がとれたとか、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので舟が沈みそうになったとか、それを見たペトロがイエスさまの足もとにひれ伏したとか。

なぜペトロがイエスさまにひれ伏したのかの理由は分かります。その前に「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(5節)とペトロが言ったのは、彼のプライドを賭けた皮肉だったからです。

「わたしたちは漁の専門家です。そのわたしたちにできなかったことですが、それでもやれと言うならやります。結果は同じでしょうけどね。わたしたちの苦労を少しは分かってもらいたいですよ」という皮肉で舟を出したのです。しかし、その結果がとんでもないことになったので、ペトロは謝罪しているのです。

聖書の話はここまでにします。ペトロの姿はわたしたちにそっくりではないかと思えてなりません。自分が今までしてきたこと、自分の領域を守りたくて必死です。私もそうです。他人の話をしているのではありません。教会も同じです。しかし、何の成果も無い。ますます先細りするばかり。もしそうだとしたら、発想をすっかり逆転させて、何もかも新しくやり直すしかないではありませんか。

わたしたちは今年こそ「新たな一歩」を踏み出そうではありませんか。具体的な提案については次の機会に改めてお話しします。イエスさまが、わたしたちが苦労して守ってきた神聖な領域に踏み込んで来られ、従来のやり方を全部ひっくり返され、何もかもめちゃくちゃに破壊されるかもしれません。しかし、もしそれをイエスさまがなさるなら、歓迎しようではありませんか。今年こそ、舟が沈みそうなほどの魚がとれると信じようではありませんか。

(2022年1月1日 元旦礼拝)

2021年12月24日金曜日

クリスマスの平和(2021年12月24日 イブ礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

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ルカによる福音書2章1~7節

関口 康

「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」

クリスマスおめでとうございます。クリスマスイブ音楽礼拝にお集まりいただき、ありがとうございます。

昨年は行うことができませんでした。今年はこんなに大勢の方々がご出席くださり、本当にうれしく思います。

私は今年、昭島教会の牧師をしながら、3つの学校で聖書を教えています。どうもその悪影響が出ているようです。教会の方から「最近の関口先生の説教は聖書の知識についての話ばかりで、まるで学校の先生のようです」というご指摘がありました。学校に染まりすぎかもしれません。

しかし、今日もお許しください。今日の箇所に登場する「皇帝アウグストゥス」とは何者なのかの説明から話を始めます。歴史的な説明を避けることができません。

ジュリアス・シーザーの名前は、ご存じでしょうか。シェークスピアの劇で、暗殺されるとき「ブルータス、お前もか」と叫ぶ人。あのシーザー(ユリウス・カエサル)の後継者がアウグストゥスです。

シーザーまでのローマは共和制でした。まだ比較的みんなで相談して決める政治の形が残っていました。しかしシーザーが独裁者になって暴走しはじめたので、それを食い止めるためにブルータスたちによって暗殺されました。それは悲劇でした。

しかし、そのシーザーの後継者がアウグストゥスです。アウグストゥスはシーザー以上の独裁者になりました。地中海沿岸のほとんどの地域を強大な軍事力で制圧し、支配しました。

ところが、その独裁者とは真逆の姿で真の救い主がお生まれになったというのが、今夜の箇所の主旨です。「皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た」(1節)のは、ローマ帝国に税金を納める人の人数を調べるためです。

それでやむをえず、イエスさまがお腹にいる母マリアと夫ヨセフが、その住民登録のために遠くまで旅をしなければなりませんでした。強いられた感、やらされている感の中で、ひきずりまわされ、ひどく辛い目に遭わされました。

しかし、同じ目的で移動中の宿泊者が多く、宿屋に空き部屋が無かったので、なんと惨めなことに、家畜小屋で出産となり、なんと見すぼらしい飼い葉桶の中に生まれたばかりのイエスさまを寝かさざるをえなかった、という話です。

しかし、今日お話ししたいのはもう少し先のことです。実は今夜開いているルカによる福音書と、もうひとつ新約聖書の使徒言行録という書物は、同じ著者が書いたものです。そして、使徒言行録の最後に書かれているのは、使徒パウロがローマ帝国の首都ローマにたどり着き…イエス・キリストについて教え続けた(使徒言行録28章31節)事実です。

つまり、ルカによる福音書と使徒言行録の2冊の書物を書いた人は、イエスさまがお生まれになった時代のローマのひどい独裁者のせいでイエスさまも含めた多くの人々がひどい目にあった事実から書きはじめて、使徒パウロがローマでイエス・キリストの福音を宣べ伝えはじめるまでのすべてを関連付けて考えたうえで、今日の箇所の出来事についても書いていると言えます。

これで私が何を言いたいか。今夜はクリスマスイブです。クリスマスにおいてわたしたちが、イエスさまがお生まれになったことをお祝いするのも大事です。しかし、「イエスさまがお生まれになった」で話が終わらないことが大事です。

真の救い主としてイエスさまがお生まれになったことを信じて受け入れ、イエスさまの教えと生きざまに倣って生きて来た「教会」が世界中に生まれたことこそが、イエスさまの存在に匹敵するほど大事である、ということです。

クリスマスが12月25日であるのは、イエスさまが「12月25日生まれ」であるということではありません。詳しい説明はやめますが、今から1600年ほど前に、イエスさまのお誕生をお祝いする日を「12月25日」にしましょうと決めただけです。そしてそれ以来、毎年教会でクリスマスが祝われるようになりました。それをしたのは「教会」です。

今日お話ししたいのは「教会なしにクリスマスはない」(No Church No Christmas)ということです。今では世界中でクリスマスが祝われています。しかし「教会のことが忘れられていませんか」と思うことが多いです。

「教会、教会」としつこく言いますと、クリスマスイブ音楽礼拝の楽しい時間を台無しにしてしまいますので、これでやめます。

しかし、「教会」を忘れないでいただきたいです。もし可能でしたら、日曜日に教会に通ってください。昭島教会が遠い方は近所の教会に通ってください。ぜひよろしくお願いいたします。

(2021年12月24日、クリスマスイブ音楽礼拝)


2021年12月19日日曜日

キリストの降誕(2021年12月19日 クリスマス礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
クリスマス讃美歌メドレー 奏楽・長井志保乃さん 字幕:富栄徳さん

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「キリストの降誕」

ルカによる福音書2章8~20節

関口 康

「天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

クリスマスおめでとうございます。

昭島教会の2021年度のクリスマス礼拝です。クリスマスは世界の大多数の教会で12月25日がそれだとされています。そして12月25日に近い日曜日にクリスマス礼拝をするのが日本の多くの教会が採っている形です。

「大多数が」と言いましたのは例外があるからです。今はインターネットで何でもすぐ調べることができます。アルメニアという国では、1月6日がクリスマスだそうです。クリスマス礼拝を日曜日にすることも、教会によって考え方が違うので、例外なく、おしなべて、世界共通の、という言い方をしないほうがよいです。

昭島教会のことを申し上げます。11月7日に「昭島教会創立69周年記念礼拝」を行いました。つまり、今日は昭島教会の「第69回」クリスマス礼拝です。来年は「第70回」です。

今日の週報の通し番号が「第3599号」です。この番号は昭島教会の聖日礼拝の回数を表しています。今日は昭島教会の3599回目の礼拝であり、来週は3600回目の礼拝です。「3600」を一年の日曜日の回数の「52」で割ると「69.2307…」です。

その間、石川献之助先生が今日に至るまで昭島教会の牧師を続けてこられたことは、みなさんのほうがご存じです。しかし、牧師がひとりでいることが礼拝ではないし、教会でもありません。教会のみなさんが教会であり、みんなで集まることが礼拝です。来週3600回目の聖日礼拝を行う昭島教会の69年の歩みの中で、牧師以外だれもいない礼拝が行われたことはないことを意味していると思います。これは本当に素晴らしいことです。

昭島教会の話をしているのに私の話をするのは場違いですが、来週12月26日の日曜日が私の受洗記念日です。ちょうど50年前の1971年12月26日も日曜日だったのですが、日本キリスト教団岡山聖心教会のクリスマス礼拝の中で私の洗礼式が行われました。

50年前は私は小学校に入学する前で、岡山聖心教会の附属幼稚園の年長組に属する6歳だったのですが、はっきり言わせていただきたいのですが、だれから勧められたわけでもなく、明確な自分の意志で「洗礼を受けたい」と志願して、洗礼を授けていただきました。

その日から来週で50年です。自分で志願しましたので、責任があります。50年、風邪を引いたとき以外は聖日礼拝を休んだことがありません。1年52回の日曜日を50年で掛けると2600回の礼拝です。昭島教会より1000回足りませんが、今年56歳の私が50年、礼拝に通ってきました。

いばっているのではなく、教会とはそういうものだと申し上げたいのです。1回1回の礼拝は地味な営みです。私は50年、昭島教会は70年、石川先生は94年、続けてきたその中で得られるものがあったかもしれない、なかったかもしれないという程度です。「なかったかもしれない」は余計ですが、自分では分からないという意味です。子どものころ、自分の身長が伸びたことを、周囲の人から「大きくなった」と言われて初めて自覚するのに似ています。

今日の聖書の箇所とは関係ない話をしているつもりはありません。先週イザヤ書40章についてお話ししたこととも関係あります。イザヤ書40章は紀元前6世紀にユダヤ人の国が新バビロニア帝国によって滅ぼされ、3千人とも1万人とも言われるユダヤ人がバビロニアの首都バビロンに連行された「バビロン捕囚」という歴史的事件と関係あると申し上げました。イザヤ書40章には、約70年の捕囚から解放されたユダヤ人がパレスチナに帰還する状況が描かれています。

ユダヤ人たちがパレスチナに戻れたのは、彼らを支配していたバビロニアをペルシアが倒したからですが、彼らが独立したわけでなくペルシアの支配下に移されただけです。その後ペルシアをギリシアのアレクサンダーが滅ぼし、ギリシアからシリアがパレスチナを奪い、さらにシリアからローマへとパレスチナの支配権が移っていきます。

イエス・キリストがお生まれになったのは、ユダヤ人がローマ帝国に支配されていた頃です。「バビロン捕囚」言い換えれば「敗戦と国家滅亡」から数えて500年の時間が経過しています。ユダヤ人の願いは、もう一度自分たちの独立国家を立て直すことでした。彼らが待ち望んでいた「救い主」は、自分たちの国を取り戻してくれる強い政治的指導者でした。

しかし、大切なことは、ユダヤ人の願いが叶うかどうかではなく、神が何を願っておられるかです。神の御心は何かです。ベツレヘムの羊飼いたちに天使が告げた神の御心は「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるだろう。これがあなたがたへのしるしである」(11~12節)というものでした。

この意味は、「ダビデの町で生まれる救い主」は、小さく弱く貧しく目立たない姿でお生まれになった、ということです。強力な政治的指導者になって強大な権力と軍事力を手に入れてローマ帝国だろうとどこだろうと戦争を仕掛けて勝利して、国土を取り戻し、500年前に失った自分たちの独立国家を立て直す、そのような存在が生まれることが神の御心ではない、ということです。

そうではなく、小さく弱く貧しく目立たない、社会の中で無きものと同然の扱いを受けているような人々と共に生き、助け、慰めてくださる存在。その方こそ「救い主」であり、そのような方がお生まれになったことこそが、神の御心である、ということです。

なぜこの話と、昭島教会の話や、私の話が関係あるか。教会の歩み、クリスチャンの歩みは、イエスさまがそうであると言われているように、布にくるまれて飼い葉桶の中に寝かされるような小さく弱く貧しく目立たない存在であるし、そうであってよいのです。

礼拝を何千回続けようと、社会に影響があるわけでなし、有名人になれるわけでなし、どこにメリットがあるか分からないと言われれば、そのとおりです。しかし、イエスさまがそういう方だったのですから、わたしたちの心がくじけたり、折れたりすることはありません。

地味で地道な歩みのほうが長続きします。若者のために、教会の活性化のために、というような理由で大騒ぎしたり興奮したりする要素が礼拝に求められることがありますが、息切れします。

ベツレヘムの羊飼いたちが、イエスさまを囲んでささげた最初のクリスマス礼拝は動物たちの鳴き声が聞こえていただけです。この教会の牧師館で初めて朝を迎えたとき、幼稚園のにわとりがコケコッコと鳴いて私を起こしてくれたことを思い出します。のんびりした心地よい朝でした。

わたしたちの教会は、それでよいのです。小さく弱く貧しく目立たない存在であり続けてよいのです。これからも地味で地道な礼拝を重ねて行こうではありませんか。そのような礼拝こそが、わたしたちの人生をしっかり支える力になります。

(2021年12月19日 クリスマス礼拝)


2021年12月17日金曜日

私は現代人ではない

 

2021年12月17日撮影


【私は現代人ではない】

テレビを観ず、ラジオを聴かず、書店に行かず、情報はもっぱらネット経由だが、課金界には踏み込まず、無料で得られる範囲の記事の見出しや断片を目にする程度。話題が佳境に入ると「これは有料記事です」と出てきて読めなくなる。すべて私の話。情報弱者なのだろうけれども、特に不自由していない。

それでもつい最近、高校生たちの自主企画集会を見る機会があったとき、そこで流れる歌と音楽を私がひとつも知らなかったのは、老いた証拠だと思った。私の記憶と意識の中に流れる曲とはまるで違う。悪い意味ではない。ひと山越えて次の時代になったことを、それを願ってきた者として喜ぶばかりである。

書店に行かないだけでなく、ネットでも本を買わなくなった。事物への関心を失いつつあるかもしれないが、私の自覚はそうでない。事実ベースの個別事象はそのときかぎりのものなので緻密なデータが必要であるのは当然としても、そのデータに基づく対策の提案に新発想を感じないので、端的につまらない。

最近の音楽を自主的に聴こうとしない理由も、今書いたことと同じ。私が覚えている範囲の「昭和」以来の流行歌の枠を越えるものがない。大昔のクラシック音楽を参照できる教養が私にはないので、ちまたで流行した当時のだれでも知っている曲しか私には分からない。それの「焼き直し」としか聴こえない。

焼き直しなら焼き直しで、たとえば「サード」さんのようなザードさんのトリビュートであることを明示するグループは愛することができる。毎日聴いちゃうよ。「ザード学派のサードです、よろしく」と名乗っているようで潔いし、次第に師匠超えをしてきてもいる。でも「サード」さん以外はそうでもない。

だんだん悪口を書いている気分になる。高校の軽音楽部あたりで「オリジナル曲です」と言って歌われ演奏される作品が、どれもこれもちょっと昔どこかで聴いたことがあるようなのになるのを、数年前に体験的に知った。そのことを思い出している。師匠を明示した忠実なコピーバンドのほうがよほどましだ。

テレビを観ずラジオを聴いていないので、最近の音楽と触れ合う接点はテレビドラマのOPやEDではないし、15秒とか30秒でサビだけ流れる商品広告ソングでもない。ネットの動画の途中の広告でもない。それではどこかといえば、駅前の日高屋でたまに食事をするときに流れている有線放送だ。あれ大事だね。

ラーメンをすすり、ギョウザやチャーハンをつつきながら拝聴する「熱烈中華食堂」日高屋さんの有線放送で、たまに心惹かれる曲がある。だれが歌っているかもタイトルも分からない。そのときは歌詞の一部をメモして、その場で持っていたらタブレットで、持っていなかったら帰宅後PCで検索して見つける。

出身地や年齢や世代と関係あると言いたいが、そうでもないかもしれないので自信はない。「推し」だ「追っかけ」だの経験がない。岡山市民会館に来てくれた当時のアイドルで観に行ったのは三田寛子さんくらいかな。岡山球場に来た巨人・阪神のオープン戦は父親と行った。ピッチャー定岡、ファースト王。

単身赴任が苦でない理由は、まだ十分ではないが、そろそろ言葉になってきている。次のように言いうる。「人はある程度の年齢になると、過去の良かった頃の記憶だけで、ごはん3杯くらいおかわりできるようになる」。もっとも今は牛丼もカレーもラーメンも「並」を注文するようになった。大盛は無理だ。

どうでもいい自分の話を書きながら、マーケティングをする人たちの参考になるかもしれないと思っているところがある。私は1965年生まれの56歳。このあたりのレンジをターゲットにする場合のポイントをこっそり教えているつもり。「あの世代は大盛は無理と。メモメモ」など、ぜひ活用してもらいたい。

2021年12月12日日曜日

主の道を備える(2021年12月12日 待降節礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

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「主の道を備える」

イザヤ書40章1~11節

関口 康

「呼びかける声がある。主のために荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために荒れ野に広い道を通せ。」

今日の聖書の箇所は旧約聖書のイザヤ書40章です。イザヤ書についてはだいたい定説になっている読み方があることを確認する必要があります。それはイザヤ書の1章から39章までを書いた預言者イザヤと、40章以下を書いた預言者とは、別の時代の別の人であるということです。

なぜそのように言えるか。1章から39章までを書いた預言者イザヤは、この人が紀元前8世紀の南ユダ王国のウジヤ王の顧問官だったことが分かる内容が記されています。それに対し、40章以下に描かれているのは紀元前6世紀の出来事です。特に44章28節に出てくる「キュロス」という名前の人物は、紀元前6世紀のペルシアの王です。

そのため、紀元前8世紀の「本来の」イザヤが2世紀も隔たりがある紀元前6世紀のペルシアの王の名前を知っていたはずがないという推論が働き、要するに40章以下は紀元前6世紀の人が書いたとしか言いようがないという結論になったという次第です。イザヤ書40章以下を、39章までの預言者と区別するための学説上の名称は「第二イザヤ」と言います。

さらにもう少し言えば、「第二イザヤ」の範囲は40章から始まってイザヤ書の最後まで、ではなく、「第二イザヤ」の終わりは55章までで、56章から66章まではさらに別の預言者が書いたものだと言われます。その部分の著者を、学説上の名称で「第三イザヤ」と言います。

「第三イザヤ」の時代は「第二イザヤ」と同じ紀元前6世紀です。しかし、「第二イザヤ」との違いは思想や用語が違うと言われます。ヘブライ語の聖書を読むことができる学者がイザヤ書を読むと、55章から56章に移るところでがらっと文体や語調が変わる様子が分かるそうです。

しかし、このような、同じ「イザヤ書」の中に異なる時代の別の預言者の言葉が含まれているという学説は、それが定説として受け入れられるまでにしばらくの年月がかかったと思われます。もっとも私は、この学説が教会に受容された詳しい消息を知っているわけではありません。

しかし、このような聖書に関する、聖書に直接書いてあるわけでない学説上の知識の話を教会の中でするだけで嫌悪感や拒絶反応を表明されることがあるので要注意だと思っています。私も、自分が知っていることのひけらかしをしたいわけではありません。聖書という書物を歴史的背景や文脈を無視して、まるで占いの本であるかのように読んではいけないと思うだけです。

かろうじて21世紀まで生きた私たちです。しかし、2世紀後の23世紀の世界がどうなるかを知ることは不可能です。そのとき世界はどうなるかについて勝手なことを言うのは、ある意味で簡単です。しかし、23世紀にもなお日本という国があるとして、そのときもまだ天皇や総理大臣などの制度が仮に存続しているとして、その人たちの名前を今のわたしたちが言い当てることは不可能です。それとイザヤ書の時代的区分の話は同じだと思っていただきたいです。

イザヤ書40章からの「第二イザヤ」は紀元前6世紀の人です。紀元前11世紀に成立したイスラエル王国が初代サウル王時代、二代目ダビデ王時代、三代目ソロモン王時代を経て、ソロモンの子どもたちが王位継承権を争い、北と南の2つの国へと分裂しました。それが前10世紀です。

その後、北王国は紀元前8世紀にアッシリア帝国によって滅ぼされ、南王国は紀元前6世紀に新バビロニア帝国によって滅ぼされます。

特に、南王国が新バビロニア帝国によって滅ぼされたときは、南王国の指導者層の人々(その人数は3千人とも1万人とも言われる)と、両眼をつぶされ、青銅の足かせをかけられた南王国最後の王ゼデキヤとが新バビロニア帝国の首都バビロンに連行され、そこで約70年とらえられた状態にありました。それを「バビロン捕囚」と言います。

その後、新バビロニア帝国はペルシア帝国によって滅ぼされ、ペルシアの王キュロスはユダヤ人をバビロンにとらえたままにする必要がないと判断し、ユダヤ人をパレスチナに返しました。それで、バビロンから解放されたユダヤ人たちは、祖国の首都エルサレムに戻り、新バビロニア帝国によってめちゃくちゃに破壊された町や神殿を、時間をかけて再建しました。

今日開いたイザヤ書40章以下の「第二イザヤ」は、キュロスによってバビロンからユダヤ人が解放され、祖国再建の夢を抱いてパレスチナに帰還したその出来事をまさに描いています。これは紀元前6世紀の出来事なので、紀元前8世紀の本来のイザヤがそれを知りえたはずがない、というのが今日の最初に説明したことです。

私は聖書の講義をしているわけではありません。聖書の言葉を歴史的な文脈を無視して読んで、その中の印象的な言葉を書にして、額縁に入れて飾るだけでは何の意味もないと思っているだけです。それだけであれば、聖書はただのファッションです。聖書の言葉は自分を心地よい気持ちにしてくれるだけのアクセサリーではありません。

しかも、今日の箇所を含むイザヤ書40章以下の「第二イザヤ」が描いている状況は、ユダヤ人たちがバビロン捕囚から解放されてエルサレムに戻って祖国を再建する夢と希望を抱く場面です。「バビロン捕囚、バビロン捕囚」と言いますが、それは要するに戦争とその結果です。自分の国が負けて敵国の支配下に置かれ、自分たちの思い通りにならなくなることです。

高齢者になって、若いころにはできたことができなくなって、若い人たちに支配された状態に置かれることも、ある意味で似ているかもしれません。自由でない状態に我慢ができなくなって爆発的に騒ぐ人たちがいますが、それも似ています。戦争に負けて自分たちの自由を奪われた人たちの希望と目標は、自分たちの思いどおりにできるようになることでしょう。彼らにとってはそれが「バビロン捕囚からの解放」の意味です。

このイザヤ書40章以下の言葉と、ユダヤ人のバビロン捕囚からの解放の出来事が、新約聖書のマタイによる福音書に直接影響を与えていることは明白です。マタイ1章1節以下の「イエス・キリストの系図」の最後に「アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまで14代」(17節)と書かれているのは、マタイによる福音書がキリストを「バビロン捕囚からの真の解放者」だと考えているからだと私は考えます。

しかし、イエス・キリストはユダヤ人を政治的に解放して新しい国を作るために来られたわけではないというのがマタイによる福音書を含む新約聖書の教えであり、わたしたちキリスト教会の信仰です。「バビロン捕囚」は「敗戦」という言葉に置き換えることができます。敗戦を実際に体験した世代の方々には「敗戦」と言うほうがピンと来るかもしれません。

戦争に負けた敗戦国がめざすことは、敵国への復讐を果たして戦争以前の国を取り戻すことではなく、人と人が争い合うこと自体をやめ、真の平和の実現のために人間の心の問題に取り組み、神による魂の救いを体験することです。イエス・キリストが来てくださったのは、そのためです。

(2021年12月12日 待降節礼拝)

2021年12月5日日曜日

受胎告知(2021年12月5日 待降節礼拝)

日本キリスト教団昭島教会〔東京都昭島市中神町1232-13)

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「受胎告知」

ルカによる福音書1章26~38節

関口 康

「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』そこで、天使は去って行った。」

今日から、礼拝の司会を牧師が行う緊急事態方式を終了し、本来の方式に戻します。現時点では日本国内は爆発的感染と言えるような状況にないからです。またどうなるか分からないというのが正直な気持ちであり、みなさんも同じお気持ちでしょう。しかし、それでも「できることをできるうちにする」という姿勢が大事です。

礼拝の司会の件は、それをだれがすべきかという議論が目的ではなく、礼拝当番表を作成するのを中止することが目的でした。教会のすべての奉仕は自発的なものでなければならず、義務や責任という観点からうんぬんされるべきではありません。しかし、当番表があると礼拝の出席や奉仕が強制的なものと感じられ、感染症対策の観点から外出を控えたくても義務感が生じるので、当番表の作成自体をストップしましょうと役員会で決めた次第です。

しかし礼拝の司会をすべて牧師が行う方式は長く続けるべきではありません。礼拝の雰囲気がどうしても一本調子になります。慣れるとそのほうが良くなるかもしれませんが、まさにそれが危険です。

学校も似ている面があります。感染症対策の観点から校舎での対面授業をすべて取りやめて、インターネットを活用したリモート授業に切り替える措置をとった学校が多くありました。それにみんなが慣れてくると、もうずっとそのほうがいいという空気になりそうな勢いを感じました。しかし、リモート授業は本来の形ではなく、緊急措置です。対面授業とリモート授業は全く別のものです。良し悪しの問題ではなく、異なるものを同一視してはいけません。

教会の礼拝も、牧師の声だけが響く形でなく、教会のみんなで作り上げていく形が、昭島教会の本来の礼拝です。異なるものを同一視してはいけないという観点を忘れずにいましょう。再び状況が悪化してきたら、いつでも緊急自体方式に移行するという柔軟な姿勢でいたいと願います。

さて、今日は待降節第2主日です。クリスマス礼拝が再来週の12月19日に迫りました。会社の方々は年末年始は忙しいでしょうし、学校は期末試験の最中です。受験生は大詰め段階です。そのような中で迎えるクリスマス礼拝ですので、とにかく安心できる、ほっとする、慰められる、ほめてもらえる礼拝になりますようにと願うばかりです。

先ほど司会者に朗読していただいた聖書の箇所に記されていました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(28節)。天使ガブリエルがマリアに告げた言葉です。

1989年版の改定英語訳聖書(The Revised English Bible)で「おめでとう」は“Greetings”と訳されています。英語でメールを書く仕事をしておられる方がおられると思います。特に公式のメールを書くとき、毎回のようにGreetingsと、冒頭か末尾に書くならわしがあることを私も知っています。その意味は「おめでとう」でもあり「こんにちは」でもあります。

もちろん、この「おめでとう」という天使ガブリエルの言葉を聞いた直後のマリアの反応が、ただ戸惑いでしかなく、もっとはっきりいえば恐怖でしかなく、あまりに大きな精神的ダメージを受けて立ち直れなくなりそうなほどであったことをわたしたちは知っています。

結婚する前のマリアであったということもさることながら、天使ガブリエルの言葉によると、生まれる子どもは「偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」(32~33節)というのですから、マリアに求められたのが王の母になる覚悟と準備であるのは間違いありません。

それがマリアにとって「おめでたい」話だったとは思えません。当時の状況を考えると、天使ガブリエルの言葉を聞いたマリアが何の驚きもためらいもなく「了解です」と反応したとしたら、皮肉な言い方になりますが、マリアは相当おめでたい人です。

なぜそう言えるかといえば、当時の状況を考えれば、「ダビデの王座」や「ヤコブの家の支配」は、あのヘロデ王が継承しているとみなされていた時代です。地域差別や職業差別をする考えは、私にはありません。しかし、ナザレというガリラヤの町で大工を営むヨセフといいなずけの関係にあったマリアが、自分から生まれる子どもに王位継承権があると本気で信じたのだとすれば、マリア自身が自覚しなければならなかったのは、自分から生まれる子どもは、現政権を維持するために生まれるのではなく、それを根本的に破壊し、くつがえし、新しい国にするほどの革命家の母になることの覚悟と準備であったとしか言いようがありません。

しかし、ルカによる福音書に記されているマリアの反応は、今申し上げた方向ではなく、私はまだ結婚していないのにどうして子どもが生まれるのだろうとか、そちらの方向に膨らんでいるのは、いかにも幼稚です。そんなことはどうでもいいとは申しません。しかし、本気で政権交代をめざす子どもの親になりなさいと、まるでそう言われたかのような天使の声に対して、マリアがそのとき何を考え、どう応えるべきだったかは、別の問題に属する気がします。

しかし、かなり混乱しながらも、最終的にマリアが出した結論と答えは素晴らしいものです。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(38節)とマリアは天使ガブリエルに答えました。

先ほどご紹介した1989年版の改定英語訳聖書(REB)には、次のように訳されています。“I am the Lord’s servant. May it be as you have said”.この英語は理解が難しいかもしれません。もっと前の1946年版の改定標準訳聖書(Revised Standard Version)では、次のように訳されています。“I am the handmaid of the Lord; Let it be to me according to your word”.

そうです、ビートルズです。レット・イット・ビーは「なるがままに」とか「放っておけ」などと訳されます。ビートルズの場合は、困ったときにマリアが来てくれて「レット・イット・ビー」と言ってくれる歌です。しかし、改定標準訳聖書(RSV)に従えば、「レット・イット・ビー」は、マリアが天使ガブリエルに答えた言葉です。

しかし、それは「どうにでもなれ」「そんなの知るか」という自己放棄ではなく、「神の言葉がこの私の存在において実現しますように」という祈りです。「私は一切関わりたくありませんが、神の言葉は実現しますように」という祈りでもありません。「私をどのようにでもお用いください。私はあなたに服従いたします」という神への信頼と服従の表明であり、態度決定です。

わたしたちはどうだろう、私はどうだろうと、何度も自分に問いかける必要がありそうです。

(2021年12月5日 待降節礼拝)

2021年12月2日木曜日

あとは哀しみをもて余す異邦人

【あとは哀しみをもて余す異邦人】

正常なのか、どこかネジが抜けているのか、楽しすぎたり幸せすぎたりすると、そうあるまい、そうなるまいと心理的に強いブレーキがかかる。どうやら私の正体は禁欲主義者らしい。そして私は今、楽しすぎて幸せすぎるらしい。ごはんがおいしいし、体調がいい。だからブレーキがかかる。夜は眠いらしい。

アイパッドのナビに原付バイク専用のルート検索機能があればいいのに。ないかわりにクルマか自転車か徒歩のルートを選択できる。速度を鑑みてクルマのルートを選ぶが、有料道路も高速道路も「利用しない」に設定しているのに、事実上の高速道路と化している恐ろしい国道に原付を誘導したがって泣ける。

中神から湘南まではクルマなら国道16号や圏央道を使えば1時間で行けるらしいが、原付だってば。ナビに逆らうと「経路に進む。経路に進む。経路に進む」と壊れたように連呼しはじめて、なんとかして恐ろしい道まで戻そうとする。ナビを黙らせて再計算してくれる位置まで振り切るとひどく回り道になる。

特に湘南からの復路は、圏央道(高速だってば)は論外として、国道16号も避けたくて、ナビに逆らって東のほうに進むことが多い。一昨日(11月29日火曜日)は「海軍道路」というのを初めて通る。横浜市瀬谷区。道は狭いがクルマが猛スピード。原付の逃げ場がないのでやめてくれ。ナビに従うべきだった。

しかし、原付での長距離通勤は今だけだと思っている。雪だ氷だの状況が始まれば論外だし、往復5時間だ6時間だかかっているので、一昨日のように途中で突然の大雨になったりする。まさか乗り捨てるわけに行かないので、大雨の中を走らざるをえない。早く帰りたい場合は恐ろしい国道を通らざるをえない。

またバイクの話になってしまった。今書いていることの主旨は、どうやら今の私は楽しすぎて幸せすぎるらしいということだ。だから自分の過去を全否定したくなる衝動も起こる。「なぜ初めから原付以上のバイクの免許をとらなかったのか」とか「なぜ初めから学校に就職しなかったのか」とか邪念が過ぎる。

しかし、そうではなかったのだ。それが私の現実なのだ。私に原付以上のバイクは不可能だし、教会の牧師になること以外の可能性を考えたことがなかったのだ。あとから取ってつけた話ではないのだ。私にとって学校は隣の青い芝生なのだ。学校にとって私は、ちょっと振り向いて見ただけの異邦人なのだ。

だからといって、遊び半分のような中途半端な気持ちで学校にかかわっているつもりは全く無い。そんなことができるほど甘い領域ではありえない。学校に丸抱えしてもらえる年齢はとっくに過ぎてしまっていることの自覚を表明しているにすぎない。「全力でちょっと振り向く異邦人」の線で行くしかない。