2017年3月18日土曜日
最後の昼餐
今日(2017年3月18日土曜日)は勤務校最後の出勤。新1年生の入学説明会の仕事。来週から任期満了日まで休暇をとり自宅待機。昼休みに「最後の昼餐」。最後に机の整理。パソコンにたまった学事データを勤務校のサーバーに保存し、ハードディスククリーンアップ。生徒との別れを惜しみつつ退勤。
同僚の先生から「ぼくの下駄箱の中に関口先生宛ての手紙が間違って入っていました」と渡されたのは、受け持ちだったクラスの男女生徒数名の寄せ書きだった。私の高校時代に下駄箱の中に手紙が入っていたことは一度もなかった。感無量。離任式まで黙っていてごめん。寄せ書き大切にします。ありがとう!
2017年3月17日金曜日
退職のお知らせ
私こと関口康は2017年3月31日付けで千葉英和高等学校宗教科常勤講師を退職します。本日の離任式で全校に発表されました。1年間の代用教員として、聖書の授業や礼拝の説教等を担当させていただきました。愛する生徒の皆さんを忘れません。本当に楽しかったです。1年間ありがとうございました!
※よい子の皆さんへ。私は「3月31日まで」教員ですので、私のツイッターをフォローするのは「4月1日以降」にしてください。フェイスブックもしていますので、ぜひ「友達」になりましょう。ただしフェイスブックに書いている内容は基本的にツイッターと同じです。よろしくお願いいたします。
来週3月20日(月)から3月31日(金)まで休暇をいただきました。休暇中の私への連絡はメール(yasushi.sekiguchi@gmail.com)またはSNS(フェイスブック、ツイッター)のメッセージでお願いいたします。
| 最も似合わないものをいただきました |
来週3月20日(月)から3月31日(金)まで休暇をいただきました。休暇中の私への連絡はメール(yasushi.sekiguchi@gmail.com)またはSNS(フェイスブック、ツイッター)のメッセージでお願いいたします。
2017年3月14日火曜日
久々の有給休暇を味わい尽くす
| 羽田空港(2017年3月14日火曜日) |
羽田空港再到着後、第1旅客ターミナル内の「そば処 竹生(ちくぶ)」で昼食。私はカレー南蛮そばセットを注文。紙エプロン付きでありがたかった。昼食後、遠来のお客様がたと語らう。その後お別れし、羽田空港→首都高(湾岸線→中央環状線)→四つ木→国道6号→自宅。実に有意義な有給休暇だった。
早朝の都心は通勤ラッシュでひどく渋滞していたが、その後は高速道も一般道も順調だった。ひとつ残念だったのは今日はずっと雨か曇だったこと。レインボーブリッジの上からベイエリアも東京タワーも東京スカイツリーもほとんど見えなかった。観光目的の都心ドライブではなかったので問題なしとしよう。
やーそれにしても今日いちばんは、妻が作ってくれたパエリアが美味しかったこと。疲れストッパー。サイボーグ009(豪華版)は7巻まで読了。「ギルモア博士に言われたことを忘れたのか。『どちらの兵も傷つけてはならん。我々の敵は黒い幽霊団(ブラック・ゴースト)だけなんだ』と」(7巻より)。
遠来のお客様と共に羽田空港を起点とする都心ドライブを楽しむ有意義な有給休暇を過ごし、妻が作ってくれた絶品パエリアをまったり味わった日の夜は、ガラケーで日本対キューバを観ながら、サイボーグ009(豪華版)を読みながら、ツイッターとフェイスブックとブログに四の五の書いている。贅沢だ。
2017年3月13日月曜日
それゆけ伝道 どこまでも
| ガラケーで日本対オランダを観ているの図(記事とは関係ありません) |
まあ宗教というのは、補助輪とか松葉杖とか車椅子のようなものかもしれないわけで。宗教ウゼえとかよく言われるので、言われ慣れているところがある。なくてもスタスタ歩ける人にとっては邪魔もの以外の何ものでもない。だけど「ぼく歩けないの」状態になったときに、あるとちょっと助かることもある。
毎回「この日この時のために私は生きてきた」と思えるほどの歓喜の瞬間があるが、その後まもなく冷め、次また「この日この時のために私は」とか言っているわけだから、前回の「この日この時」は何だったのかということになると思うので、「この日この時のために私は」という考えを持たないことにした。
単線のステップアップのような道を来ている方には「この日この時のために私は」の連続としてとらえることでいいかもしれない。だが私は複線が入り乱れている迷路さながらの中でもがき続けてきたので、ぱっと視界がひらけたかと思った次の瞬間また袋小路。他の方々はともかく連続性の感覚は私にはない。
上も下もないし、出世も栄転も左遷もないのが牧師だと、なったときから思っていたし、その考えは微動だにしていないので、牧師とか神学部卒業の輩のくせに栄転だ左遷だと、口に出さないとしても内心で思っていそうな向きに接すると、腹は立たないが、ほぼ呆れる。そういうの、ほんとにどうでもいいし。
自虐かもしれないが、哲学や神学など思想系の研究や仕事をしている人自身が「将来性ないよ~」とか言わないほうがいい気がする。将来性がないのはそういうことをたとえ自虐であれ口にする人自身かもしれないが、それを哲学や神学のせいにしないほうがいいのではと思う。哲学や神学はあなたより偉いよ。
我田引水と思われるのかどうか分からないが、「エルサレムでもゲリジム山でもないところで」とイエスが言うとか、復活先がガリラヤとかいう話は出世とか栄転とか左遷とかいう感覚を真っ向から否定していると思うし、パウロの伝道旅行の行き先は左遷先なのかとかね。単純におかしいだろと言いたくなる。
使う方が少なくないので否定するつもりはないし、尊重してきたつもりだが、連れ合いという言い方がいつまで経っても私になじまないのは、送り仮名をとると「連合」になるとか、「連行」とか「連座」とかいう語をなんとなく連想してしまうとかかなあと今気づく。単身赴任もありだよねえと、なぜか思う。
アブラハムは「行き先も知らずに出発した」んだぜいと、なんで私が胸を張っているのかは謎。そういうのこそが「信仰」だと、聖書に書いてあるではないか。アテネのアカデメイアをめざすとか、天竺をめざすとか、そういうのとはまるで違う話なわけよ。なに意味不明なことをやたら力説しているのかも謎。
2017年3月12日日曜日
目標めざしてひたすら走る(千葉若葉教会)
フィリピの信徒への手紙3章12~14節
関口 康(日本基督教団教務教師)
「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標をめざしてひたすら走ることです。」
先月も、と言っても2週間前ですが、同じことを申し上げました。千葉若葉キリスト教会で1年間、説教の機会を与えていただき、ありがとうございました。今日もよろしくお願いいたします。
先ほど朗読していただいたのは使徒パウロのフィリピの信徒への手紙です。フィリピはパウロ自身の伝道地です。パウロのフィリピ伝道の様子は使徒言行録16章11節から40節までに描かれています。第3回伝道旅行の最も重要な滞在地のひとつです。
使徒言行録に基づくパウロのフィリピ伝道の概要は次のとおりです。フィリピにはシラスとテモテがパウロに同行しました。紫布商人のリディアがパウロの説教を聴いて洗礼を受けました。その後、リディアの家が彼らの伝道の拠点となりました。
しかし、フィリピはパウロがひどく苦しんだ町にもなりました。パウロが占い師の女性から「占いの霊」を追い出しました。それで、その女性が占いの仕事をやめたため、その女性の占いを収入源にしていた人々が腹を立て、パウロを告訴しました。パウロはシラスと共に逮捕され、投獄されました。
ところが大地震が起こり、監獄の土台が揺れ、牢の戸がすべて開きました。逃げようと思えばいつでも逃げられる状態になったのに、パウロは逃げませんでした。囚人がみんな逃げてしまったと思い込み、責任を感じた看守が自害しようとしたとき、パウロが「自害してはならない」と止めました。
その後、その看守がパウロとシラスに「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と言い、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒言行録16章31節)と教え、看守とその家族が洗礼を受けました。それがフィリピ伝道最大の出来事となりました。
「占いの霊」を追い出す(?)とか、大地震で監獄の戸がすべて開く(?)とか、そのようなことが書かれている箇所を読むと、それは一体どういう現象なのか、本当にそういうことが起こったのかと、いろいろ疑問に思う人は必ず出てくるでしょう。
よくできた作り話だと言い出す人がいても、それはそれで構いません。はすに構えた聖書の読み方がすべて間違っていると、私は思いません。霊だの奇跡だのというような次元で出来事をとらえるのではなく、ごくふつうの感覚で理解できる話であれば納得できるということであれば、それでも全く問題ありません。
たとえば、「占いを商売にしていた人がその商売をやめた」ということだけを言えば、そのほうが納得していただけるかもしれません。そういうことはよくあることだからです。あるいは、「偶然起こった大地震でたまたま監獄の戸が開いた」と言えば、納得していただきやすいでしょう。すべては神の御心だった、神の計画だったという話にわざわざしなくてもいいでしょう。
今の私もそうです。過去25年、教会の牧師だけしてきた人間が、今年たまたま学校で宗教科(聖書科)教員をさせていただきました。たまたま私が宗教科の教員免許を持っていて、たまたま学校でおやめになる先生や大学院で1年間お勉強なさる先生が出て、たまたま空席ができました。それで私が学校で教えることになりました。
「すべて偶然だった」と説明することもできます。しかし「すべて神の導きだった」と信じようと思えば信じられますし、そのように私が説明するとしてもだれから文句を言われる筋合いのことでもないわけです。
そして実際、私が仕えてきた伝道と教会形成のわざのすべては神の御心であり、神の計画であると私は心から信じています。正直言ってつらいことのほうが多いです。しかし、「これは神の御心であり、神の命令である」と信じることができるからこそ、どんなにつらくても取り組むことができます。そのような次元でとらえるのでないかぎりとても耐えがたいと言わざるをえない過酷さが、伝道と教会形成のわざにはあります。
いま申し上げているのは、牧師だけが過酷だということではなく、教会の信徒の方々すべての働きが過酷であるということです。「すべては神の御心である」という告白は、そのように信じるのでもないかぎりとても耐えることができない究極的な限界状況に立っている人の告白であると、私自身は考えています。
さて、そのようにパウロがひどく苦しんだ結果としてフィリピに生み出された教会に宛てて書かれた手紙が、このフィリピの信徒への手紙です。
「わたしは既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです」(12節)と記されています。
この中の「それ」という指示代名詞は直前の文章にかかっています。直前の文章は「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」(10~11節)です。
いろんな要素が複合されているこの文章の中のどの言葉が最も「それ」なのかといえば、「キリストの死の姿」です。この特定が私にできるようになったのは、石黒義信先生(千葉英和高等学校チャプレン、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会牧師)のもとで青野太潮先生の「十字架の神学」を学んできた成果です。
ここでパウロが言っているのは「わたしは既にキリストの死の姿を得たというわけではない」ということです。「キリストの死の姿との一致において既に完全な者となっているわけでもありません」ということです。言い方を換えれば、「まだ完全に死にきれていない」ということです。「まだ自分が生きている」ということです。
そのように青野太潮先生がこの箇所を説明しておられるかどうかは分かりません。私が青野先生の受け売りをしているという意味ではありません。青野先生の「十字架の神学」の立場に立ってこの箇所を読むと、こういうふうに読むことができるのではないかと思っているだけです。
「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(13~14節)と記されています。
この「目標」も「キリストの死の姿」であると考えることができます。それは、裸にされ、ずたずたに傷つけられ、十字架上にはりつけにされたうえで、「他人を救っても自分を救えない」と罵られるという、肉体的にも精神的にも追いつめられた、惨めで弱いイエスの姿です。
そのイエスの姿、キリストの死の姿こそが、パウロの「目標」です。その目標を目指してひたすら走る人生を私は送っているのだ、とパウロが言っています。そのことは前後の文脈からも分かります。3章2節から始まる話題との関係が特に重要fです。
「あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です」(2~3節)と記されています。
「割礼」と書かれていますので、ここに書かれているのはきっとユダヤ教徒に対する警戒の問題だろうと単純に読んで早とちりしてしまいそうですが、そうではありません。ここに書かれていることは、パウロの第1回伝道旅行が終わって第2回伝道旅行に出かけるまでの間に行われたいわゆる「エルサレム会議」(使徒言行録15章)で取り上げられた問題との関連で理解されるべきです。
エルサレム会議で取り上げられた問題とは、「人は洗礼を受けるだけでは救われない。洗礼に加えて割礼を受けなければ救われない」というようなことを教えるようになった人々とパウロとのあいだの対決の問題です。
こともあろうに、そのようなことを教えるようになった人々の側のリーダーが使徒ペトロだったことは非常に厄介だったに違いありません。しかし、エルサレム会議の結論は、パウロの主張を支持するものでした。しかし、詳細に立ち入るいとまはありません。今申し上げたいのは、3章2節以下に記されていることの歴史的背景だけです。
「切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい」と書かれているのは、ユダヤ教徒に対する警戒ではなく、むしろキリスト教の伝道者の中にいる人々に対する警戒であるということです。その人々はもしかすると、当時のキリスト教会の中の主流派だったかもしれません。そのような人々に対する対抗の意味でパウロが書いているのが3章4節以下です。
「とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ちどころのない者でした」(4~6節)。
しかしパウロは、「キリストの死の姿」を「目標」にして生きるようになってからは、過去においては拠り所にしていた「肉の誇り」は、今の自分にとっては「損失」であり「塵あくた」であると思うようになりました。
「十字架の神学」も、ただエラそうに論じるだけなら、いとも簡単です。自分に都合がよいように引用するだけなら、いとも簡単です。自分自身が「イエスの死の姿」を「目標」にして生きようとしないなら、否、死のうとしないなら、全くの「損失」であり「塵あくた」です。
最後に私の話をするのをお許しください。私はまだ教会の牧師の仕事に復帰することを諦めているわけではありません。ずっと祈り求めていますが、どの教会からもいまだ確約をいただいていません。かっこよくいえば「フリーエージェント」です。
私はパウロほど腹をくくれていません。しかし、今の私は、いろいろ取り去られた結果、以前より少しくらいは「イエスの死の姿」に近づくことができているのではないかと思っています。
私も「肉の誇り」を持っています。私は生まれたときからずっと教会に通っています。6歳で成人洗礼を受けました。小学校に入学する前の幼稚園児の私が、自分の意志で牧師のところまで行き、「私に洗礼を授けてください」とお願いしました。その日のことを今でもよく覚えています。
高等学校を卒業してすぐに東京神学大学(東京都三鷹市)に入学しました。24歳から25年間、牧師の仕事だけをしてきました。
私の出身教会は、日本最大のプロテスタント・キリスト教団である「日本基督教団」の中の最大規模の教会です。「日本基督教団岡山聖心教会」(岡山県岡山市)です。
私の出身教会のルーツは「ホーリネス派」です。熱心さの点では太平洋戦争中に日本政府から弾圧を受け、日本基督教団南京教会の牧師として特高警察に逮捕抑留された永倉義雄牧師から、私は洗礼を受けました。
そして私は、今は元に戻っていますが、19年もの間、「日本基督教団」を離れていました。その間は「日本キリスト改革派教会」に教師として在籍していました。
「日本キリスト改革派教会」に在籍していた間は、教会の牧師としての仕事のかたわら、新しい中会(プレスビテリ)を生み出す仕事をしました。大会(ジェネラルアッセンブリ)では教師学科試験委員会に属し、新しく牧師になる人々の試験問題の作成や採点や面接などをしました。
そういうことを私が誇ろうと思えば誇れないわけではありません。しかし、それらすべては今の私にとってはどうでもいいことです。「損失」であり「塵あくた」です。「後ろのもの」は忘れました。「キリストの死の姿にあやかること」のほうがはるかに大事です。
(2017年3月12日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会主日礼拝)
関口 康(日本基督教団教務教師)
「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標をめざしてひたすら走ることです。」
先月も、と言っても2週間前ですが、同じことを申し上げました。千葉若葉キリスト教会で1年間、説教の機会を与えていただき、ありがとうございました。今日もよろしくお願いいたします。
先ほど朗読していただいたのは使徒パウロのフィリピの信徒への手紙です。フィリピはパウロ自身の伝道地です。パウロのフィリピ伝道の様子は使徒言行録16章11節から40節までに描かれています。第3回伝道旅行の最も重要な滞在地のひとつです。
使徒言行録に基づくパウロのフィリピ伝道の概要は次のとおりです。フィリピにはシラスとテモテがパウロに同行しました。紫布商人のリディアがパウロの説教を聴いて洗礼を受けました。その後、リディアの家が彼らの伝道の拠点となりました。
しかし、フィリピはパウロがひどく苦しんだ町にもなりました。パウロが占い師の女性から「占いの霊」を追い出しました。それで、その女性が占いの仕事をやめたため、その女性の占いを収入源にしていた人々が腹を立て、パウロを告訴しました。パウロはシラスと共に逮捕され、投獄されました。
ところが大地震が起こり、監獄の土台が揺れ、牢の戸がすべて開きました。逃げようと思えばいつでも逃げられる状態になったのに、パウロは逃げませんでした。囚人がみんな逃げてしまったと思い込み、責任を感じた看守が自害しようとしたとき、パウロが「自害してはならない」と止めました。
その後、その看守がパウロとシラスに「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と言い、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒言行録16章31節)と教え、看守とその家族が洗礼を受けました。それがフィリピ伝道最大の出来事となりました。
「占いの霊」を追い出す(?)とか、大地震で監獄の戸がすべて開く(?)とか、そのようなことが書かれている箇所を読むと、それは一体どういう現象なのか、本当にそういうことが起こったのかと、いろいろ疑問に思う人は必ず出てくるでしょう。
よくできた作り話だと言い出す人がいても、それはそれで構いません。はすに構えた聖書の読み方がすべて間違っていると、私は思いません。霊だの奇跡だのというような次元で出来事をとらえるのではなく、ごくふつうの感覚で理解できる話であれば納得できるということであれば、それでも全く問題ありません。
たとえば、「占いを商売にしていた人がその商売をやめた」ということだけを言えば、そのほうが納得していただけるかもしれません。そういうことはよくあることだからです。あるいは、「偶然起こった大地震でたまたま監獄の戸が開いた」と言えば、納得していただきやすいでしょう。すべては神の御心だった、神の計画だったという話にわざわざしなくてもいいでしょう。
今の私もそうです。過去25年、教会の牧師だけしてきた人間が、今年たまたま学校で宗教科(聖書科)教員をさせていただきました。たまたま私が宗教科の教員免許を持っていて、たまたま学校でおやめになる先生や大学院で1年間お勉強なさる先生が出て、たまたま空席ができました。それで私が学校で教えることになりました。
「すべて偶然だった」と説明することもできます。しかし「すべて神の導きだった」と信じようと思えば信じられますし、そのように私が説明するとしてもだれから文句を言われる筋合いのことでもないわけです。
そして実際、私が仕えてきた伝道と教会形成のわざのすべては神の御心であり、神の計画であると私は心から信じています。正直言ってつらいことのほうが多いです。しかし、「これは神の御心であり、神の命令である」と信じることができるからこそ、どんなにつらくても取り組むことができます。そのような次元でとらえるのでないかぎりとても耐えがたいと言わざるをえない過酷さが、伝道と教会形成のわざにはあります。
いま申し上げているのは、牧師だけが過酷だということではなく、教会の信徒の方々すべての働きが過酷であるということです。「すべては神の御心である」という告白は、そのように信じるのでもないかぎりとても耐えることができない究極的な限界状況に立っている人の告白であると、私自身は考えています。
さて、そのようにパウロがひどく苦しんだ結果としてフィリピに生み出された教会に宛てて書かれた手紙が、このフィリピの信徒への手紙です。
「わたしは既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです」(12節)と記されています。
この中の「それ」という指示代名詞は直前の文章にかかっています。直前の文章は「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」(10~11節)です。
いろんな要素が複合されているこの文章の中のどの言葉が最も「それ」なのかといえば、「キリストの死の姿」です。この特定が私にできるようになったのは、石黒義信先生(千葉英和高等学校チャプレン、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会牧師)のもとで青野太潮先生の「十字架の神学」を学んできた成果です。
ここでパウロが言っているのは「わたしは既にキリストの死の姿を得たというわけではない」ということです。「キリストの死の姿との一致において既に完全な者となっているわけでもありません」ということです。言い方を換えれば、「まだ完全に死にきれていない」ということです。「まだ自分が生きている」ということです。
そのように青野太潮先生がこの箇所を説明しておられるかどうかは分かりません。私が青野先生の受け売りをしているという意味ではありません。青野先生の「十字架の神学」の立場に立ってこの箇所を読むと、こういうふうに読むことができるのではないかと思っているだけです。
「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(13~14節)と記されています。
この「目標」も「キリストの死の姿」であると考えることができます。それは、裸にされ、ずたずたに傷つけられ、十字架上にはりつけにされたうえで、「他人を救っても自分を救えない」と罵られるという、肉体的にも精神的にも追いつめられた、惨めで弱いイエスの姿です。
そのイエスの姿、キリストの死の姿こそが、パウロの「目標」です。その目標を目指してひたすら走る人生を私は送っているのだ、とパウロが言っています。そのことは前後の文脈からも分かります。3章2節から始まる話題との関係が特に重要fです。
「あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です」(2~3節)と記されています。
「割礼」と書かれていますので、ここに書かれているのはきっとユダヤ教徒に対する警戒の問題だろうと単純に読んで早とちりしてしまいそうですが、そうではありません。ここに書かれていることは、パウロの第1回伝道旅行が終わって第2回伝道旅行に出かけるまでの間に行われたいわゆる「エルサレム会議」(使徒言行録15章)で取り上げられた問題との関連で理解されるべきです。
エルサレム会議で取り上げられた問題とは、「人は洗礼を受けるだけでは救われない。洗礼に加えて割礼を受けなければ救われない」というようなことを教えるようになった人々とパウロとのあいだの対決の問題です。
こともあろうに、そのようなことを教えるようになった人々の側のリーダーが使徒ペトロだったことは非常に厄介だったに違いありません。しかし、エルサレム会議の結論は、パウロの主張を支持するものでした。しかし、詳細に立ち入るいとまはありません。今申し上げたいのは、3章2節以下に記されていることの歴史的背景だけです。
「切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい」と書かれているのは、ユダヤ教徒に対する警戒ではなく、むしろキリスト教の伝道者の中にいる人々に対する警戒であるということです。その人々はもしかすると、当時のキリスト教会の中の主流派だったかもしれません。そのような人々に対する対抗の意味でパウロが書いているのが3章4節以下です。
「とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ちどころのない者でした」(4~6節)。
しかしパウロは、「キリストの死の姿」を「目標」にして生きるようになってからは、過去においては拠り所にしていた「肉の誇り」は、今の自分にとっては「損失」であり「塵あくた」であると思うようになりました。
「十字架の神学」も、ただエラそうに論じるだけなら、いとも簡単です。自分に都合がよいように引用するだけなら、いとも簡単です。自分自身が「イエスの死の姿」を「目標」にして生きようとしないなら、否、死のうとしないなら、全くの「損失」であり「塵あくた」です。
最後に私の話をするのをお許しください。私はまだ教会の牧師の仕事に復帰することを諦めているわけではありません。ずっと祈り求めていますが、どの教会からもいまだ確約をいただいていません。かっこよくいえば「フリーエージェント」です。
私はパウロほど腹をくくれていません。しかし、今の私は、いろいろ取り去られた結果、以前より少しくらいは「イエスの死の姿」に近づくことができているのではないかと思っています。
私も「肉の誇り」を持っています。私は生まれたときからずっと教会に通っています。6歳で成人洗礼を受けました。小学校に入学する前の幼稚園児の私が、自分の意志で牧師のところまで行き、「私に洗礼を授けてください」とお願いしました。その日のことを今でもよく覚えています。
高等学校を卒業してすぐに東京神学大学(東京都三鷹市)に入学しました。24歳から25年間、牧師の仕事だけをしてきました。
私の出身教会は、日本最大のプロテスタント・キリスト教団である「日本基督教団」の中の最大規模の教会です。「日本基督教団岡山聖心教会」(岡山県岡山市)です。
私の出身教会のルーツは「ホーリネス派」です。熱心さの点では太平洋戦争中に日本政府から弾圧を受け、日本基督教団南京教会の牧師として特高警察に逮捕抑留された永倉義雄牧師から、私は洗礼を受けました。
そして私は、今は元に戻っていますが、19年もの間、「日本基督教団」を離れていました。その間は「日本キリスト改革派教会」に教師として在籍していました。
「日本キリスト改革派教会」に在籍していた間は、教会の牧師としての仕事のかたわら、新しい中会(プレスビテリ)を生み出す仕事をしました。大会(ジェネラルアッセンブリ)では教師学科試験委員会に属し、新しく牧師になる人々の試験問題の作成や採点や面接などをしました。
そういうことを私が誇ろうと思えば誇れないわけではありません。しかし、それらすべては今の私にとってはどうでもいいことです。「損失」であり「塵あくた」です。「後ろのもの」は忘れました。「キリストの死の姿にあやかること」のほうがはるかに大事です。
(2017年3月12日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会主日礼拝)
2017年3月6日月曜日
カール・バルト「シュライエルマッハーとわたし」(1968年)と「第三項の神学」(上)
ここに来て、まだ対面していない方からのご質問に応えるべくカール・バルト最晩年の文「シュライエルマッハーとわたし」(1968年)を読み直している。ユルゲン・ファングマイアー『神学者カール・バルト』(加藤・蘇共訳、日本基督教団出版局、初版1971年、再版1973年)「第二部」にある。
「シュライエルマッハーとわたし」(1968年)はバルトの自伝文書に分類しうる。とにかく面白い。今だから理解できる。染みる。圧巻なのはブルトマンを「シュライエルマッハーの実存主義的なエピゴーネン」であり「明瞭なシュライエルマッハーの再来」と言い放つくだり。溜飲が下がるものがある。
バルトはブルトマン学派の「公分母」はシュライエルマッハーだと断じる。シュライエルマッハーの特徴である「同時代の社会や世界の要求を規準として耳を傾けつつキリスト教的勧告を与えること」「神学と哲学の共生」「神学の人間学化」「主観と客観の緊張的統一」をブルトマン学派が繰り返している。
もっともブルトマンとその学派はシュライエルマッハーの「感情」の代わりに「少しばかり聖書に近く、あるいは宗教改革に近く『信仰』を語る」(110頁)。ルターを引用し、言葉・出会い・出来事の体験・十字架・決断・限界・審きを語るが、シュライエルマッハーの人間学的地平の隘路は越えていない。
「シュライエルマッハーからと同様、今日のエピゴーネンからしても、イスラエルの歴史記述者・預言者・賢者...イエス・キリストの生涯と死と甦りを語る人々...使徒の言葉…イエス・キリストの父、アブラハム・イサク・ヤコブの神…キリスト教会の大いなる伝統へ通じる道はない」(116頁)。
「君たちの間で、君たちの学派で、君たちの生み出すものの中で、その大きさにおいて、その次元において、シュライエルマッハーという人物のそれに、たとえ遠くからでも匹敵すると言いうるような人格や業績が、今日に至るまで、どこで、いつ現われたであろうか」(124頁)とバルトは書いている。
こうしてバルトはシュライエルマッハーと「実存主義的エピゴーネン」としてのブルトマンを厳しく批判した上で「シュライエルマッハーの関心事をよりよく評価するための」新しい可能性としての「第三項の神学」すなわち「聖霊の神学」の可能性を示唆している(134頁以下)。実に興味深いではないか。
(下に続く)
2017年3月5日日曜日
口で伝わらないことは字では決して伝わらない
| 2017年3月3日金曜日、有志伝道会議(上野「アメ横」の近くにて) |
役所や職場や商品購入などの書類にも、すべて自分の携帯電話の番号を記入している。そのほうがかえって安全だ。全くありえないと言い切れないトラブルやクレームに家族を巻き込むことがなくて済む。私に言いたいことがある人は、家族に伝えて間接的に「言わせる」のでなく、直接言ってもらうしかない。
そのせいだろうか、最近は電話というものがほとんどかかってこない。仕事の連絡はメールかSNSで事足りるし、そのほうが確実だと歓迎される。週末にうっかり職場に携帯電話を忘れて帰ることがたまにあるが、週明けまで誰からもかかってこなかったことを着歴で知って、がっかりすることがあるほどだ。
電話は不要だと考えているのではない。むしろ重要度が増している。メールやSNSではどうしても伝わらないことがある。字数を多くすればするほど誤解の泥沼にはまることがある。私の長年の持論は「口で伝わらないことは字では決して伝わらない」だ。直接話すのが最も良い。会えないならせめて電話で。
しかし、最も良いのは直接話すことだ。個人的に話すもよし、仲間で話すもよし。先週末は上野「アメ横」近くで有志伝道会議。そういうのが最高に良い。でもそれは物理的距離の問題をクリアできる関係の中だけで実現することだ。その意味でもせめて電話。メールやSNSでは伝わらないことがあるからだ。
どうでもいいことを流暢にしゃべる技術を磨くことなのか
| 記事とは関係ありません |
同時通訳者が学生たちの質問を日本語に訳してくださったので、日本語しか分からない私も含め、その式典に出席していた多くの人にも彼らの質問内容が理解できたはずだ。学生たちの果敢さは絶賛に値すると思った。しかし、質問の内容は「え?は?」と私ごときが驚くくらいレベルが低いことばかりだった。
「内容がないよう」と、つぶやいてしまった。彼らが使う外国語の流暢さがスーパーハイレベルだっただけに、中身の無さはがっかりだった。その某国首相は自国の歴史や自分が尊敬する人物と、日本の歴史やその大学の創始者との「類似性」を話していたのに、そのことに触れる質問をする学生がいなかった。
恥ずかしいとまでは思わないし、そんなふうに言えるだけの実力が私にないので黙るしかなさそうだが、それでもそのとき私が考えたのは、日本語しかできなくても、それはそれで同時通訳者が助けてくれるので、それよりもっと自分で本を読み、自分の頭で考えられるようになってほしい、ということだった。
いま書いていることに特に何かの脈絡があるわけではない。ただ、グローバル教育とは何なのかということを、わりと毎日疑問に感じているひとりであることを付け加えておこう。雑な言い方をお許しいただけば、どうでもいいことを流暢にしゃべる技術を磨くことがそれなのかと、わりと毎日考えこんでいる。
2017年3月4日土曜日
サイボーグ009豪華版が来ました
| 石ノ森章太郎『サイボーグ009』豪華版(全23巻) |
豪華版にしたのは、老眼にやさしそうだったのと、古いのを捨てるためのつもりだったが、サイボーグ009マニアの人たちのサイトなど読んでいるうちに、古い版のものがすごい高値で取引されているらしいと知り、捨てるのが急にもったいなくなって、そっちも集めようかなという思いが浮かんできた次第。
マニアでもない私が009のことを書くなどおこがましいかぎりだが、今こそ読み直されるべきマンガだと思う。原子力開発、ロボット、サイボーグ、ドローン、クローンなどなどの問題を網羅。描かれるツールやマシン(電話とか車とか)のデザインはレトロそのものだが、かえって斬新でおしゃれでもある。
手塚治虫と並び称される石ノ森章太郎先生だが、私は実は手塚のマンガが昔から苦手。どれも共感できたためしがないし、単純に面白いと感じられない。石ノ森先生のマンガはどれもこれも面白い。すべて私の主観だけで言わせていただけば、石ノ森先生のマンガにはハズレがない。手塚のマンガは(以下略)。
100%私の主観だが、どこが最も大きな相違点だと感じるのだろうと、こんなの初めて考えたことだが。それで思い至ったのは、石ノ森先生はどの戦いにも悲哀を描き、どの主人公も心であるいは実際に涙を流しながら敵を倒すこと。手塚はそうでない気がする、とか書くと手塚ファンから叱られるだろうか。
たしか私が高校か大学の頃から、手塚とか石ノ森先生とか松本零士さんとかのマンガの大きなサイズのハードカバー本が出るようになって、「マンガのくせになんでこんなエラそうなの?」(失礼!)みたいなことを感じていた。でも、今やっと豪華本の意味が分かった。読みやすい!永久保存版!すばらしい!
2017年3月1日水曜日
命令したことがない
ほとんどもっぱら高齢者対象の仕事を長年続けてきたこともあり、だれかに指示したり命令したりしたことがない。だれに対しても「しなさい」と言ったことがない。そもそも自分が子どもの頃から、だれからも「しなさい」と言われたことがない。「せられえ」とか「せー」と言われたことはある(岡山弁)。
お願いならしたことがある。「もしよろしければ、これこれをしていただけませんでしょうか。なにとぞどうかよろしくお願いいたします」というようなことを言ったり書いたりはよくしてきた。しかしそれは指示でも命令でもありえない。「人を使う」ということも全くしたことがないし、考えたこともない。
協力を要請したことならある。「もしよろしければ、お助けいただけませんでしょうか。ご多忙中のところ申し訳ございません。ありがとうございます」と言ったり書いたりはよくしてきた。しかしそれは指示でも命令でもありえない。緊張しているわけでもない。それが「自然」であり「普通」であるだけだ。
妻にも子どもたちにも「しなさい」と、いまだかつて一度も言ったことがない。妻には「もしよろしければ~」で、子どもたちには「しろ」。そのどちらかだ。家庭内のことなので何の問題もない。よそさまに「しろ」も「しなさい」もない。ありえない。言い方の問題ではなく基本姿勢の問題だと思っている。
いま書いているのは「私はそうだ」ということだけで、すべての人が私と同じでなければならないと言いたいのではないし、考えているのでもない。ただ、聞こえてくるたびに嫌だと思っているし、不快に感じているし、腹が立っているし、軽蔑している。口に出して言わないだけだ。私はそういう人間である。
ほとんどもっぱら高齢者対象の仕事を長年続けてきたことと、命令も指示もしたことがないことがどうつながるのかといえば、仮に(相対的な意味での)高齢者に命令したり指示したりしても、言うこと聞いてくれるわけがないからだ。へそまげて、頭から湯気が出るだけだろう。そんなの当たり前ではないか。
まだ終わらない仕事を抱えているが、今夜はもう休ませてもらう。明日なんとか仕上げよう。
お願いならしたことがある。「もしよろしければ、これこれをしていただけませんでしょうか。なにとぞどうかよろしくお願いいたします」というようなことを言ったり書いたりはよくしてきた。しかしそれは指示でも命令でもありえない。「人を使う」ということも全くしたことがないし、考えたこともない。
協力を要請したことならある。「もしよろしければ、お助けいただけませんでしょうか。ご多忙中のところ申し訳ございません。ありがとうございます」と言ったり書いたりはよくしてきた。しかしそれは指示でも命令でもありえない。緊張しているわけでもない。それが「自然」であり「普通」であるだけだ。
妻にも子どもたちにも「しなさい」と、いまだかつて一度も言ったことがない。妻には「もしよろしければ~」で、子どもたちには「しろ」。そのどちらかだ。家庭内のことなので何の問題もない。よそさまに「しろ」も「しなさい」もない。ありえない。言い方の問題ではなく基本姿勢の問題だと思っている。
いま書いているのは「私はそうだ」ということだけで、すべての人が私と同じでなければならないと言いたいのではないし、考えているのでもない。ただ、聞こえてくるたびに嫌だと思っているし、不快に感じているし、腹が立っているし、軽蔑している。口に出して言わないだけだ。私はそういう人間である。
ほとんどもっぱら高齢者対象の仕事を長年続けてきたことと、命令も指示もしたことがないことがどうつながるのかといえば、仮に(相対的な意味での)高齢者に命令したり指示したりしても、言うこと聞いてくれるわけがないからだ。へそまげて、頭から湯気が出るだけだろう。そんなの当たり前ではないか。
まだ終わらない仕事を抱えているが、今夜はもう休ませてもらう。明日なんとか仕上げよう。
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