2014年5月4日日曜日

恐れるな、語り続けよ

日本キリスト改革派草加松原教会 礼拝堂

日本キリスト改革派草加松原教会 主日礼拝説教(2014年5月4日)

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使徒言行録18・1~11

「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。『あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。』パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。』パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。」

今日、私が草加松原教会で説教させていただくことになりましたのは、代理牧師の櫻井良一先生に私から無理に頼み込んだからです。私のほうから櫻井先生に直接お電話して説教者のローテーションに加えていただきました。そのことを皆様にお許しいただきたく願っています。

私は、ちょうど10年前の2004年4月に松戸小金原教会に転任しました。その前は山梨栄光教会の牧師でした。私は草加松原教会と同じ東部中会に属していました。松戸小金原教会も、10年前は東部中会の教会でした。しかしその2年後の2006年に東部中会から東関東中会が分離しました。それ以降は、草加松原教会と松戸小金原教会は別の中会の所属になりました。

しかし私は、今でも東部中会に心を残しています。私にとっては当然のことだと思っているのですが、東部中会の教会のことが心配で心配でたまりません。

しかし、このことは実際に体験してみなければ分からないことだったのですが、中会が分かれるということは、私にとっては情報が全く入らなくなることを意味していました。東関東中会の私には、東部中会の教会のことが本当に何も分からなくなりました。

私にとって草加松原教会は、10年以上前から特別な思いを抱いてきた教会です。この教会の会員のOさんは山梨栄光教会のご出身の方です。Oさんは仕事の休みで山梨のご実家にお帰りになるときには必ず山梨栄光教会に出席してくださり、草加松原教会のことを教えてくださいました。

また、これもやはり山梨栄光教会に関係する話なのですが、私が山梨栄光教会にいた頃の日曜学校の生徒の一人がこの教会の出身教師になったK先生です。独協大の学生時代のK先生からこの教会のことをいろいろと教えていただいたことをよく覚えています。

また、S長老をはじめこの教会の何人かの方々には東部中会の定期会や臨時会、また夏期信徒修養会など、あるいは定期大会といった場所でお会いする機会があり、とても親しくしていただきました。草加松原教会の皆様にお会いするたびに、私は励まされてきたのです。

しかし、中会が別になり、ほとんど全く東部中会の情報が私の耳に入らなくなりました。そして、ある日突然、草加松原教会が今は牧師がいない状態だというような話を、風の便りのような形で知らされ、ただただ驚くばかりでした。

しかし、中会の違いが大きな壁のようにも感じられ、草加松原教会のお話をうかがっても、驚くことしかできず、心配することしかできず、どうしたらいいのか分からない状態がずっと続きました。何かお手伝いできることはないだろうかと、ずっと考えていましたが、ただ考えているだけでした。

昨年の夏に一週間の夏期休暇を教会からいただいたとき、平日でしたが、車を飛ばしてこの教会の前まで来たことがあります。

外環道を使えば、松戸から草加までは一時間弱です。今日は日曜日で、出勤ラッシュがありませんので40分ほどで着きました。松戸と草加は、すぐ近くです。日本キリスト改革派教会としては、三郷教会を挟んで、草加松原教会と松戸小金原教会は「隣の隣」の教会です。

しかし、中会が違うゆえに何もできない。手をこまねいているしかない。そのような歯がゆい思いをずっと持ちながら、今日まで過ごしてきました。

それでとうとう我慢できなくなり、櫻井先生に頼みこんで説教をさせていただくことにしたのです。これは私の本当の気持ちです。

先ほどお読みしました聖書の個所、使徒言行録18・1~11は、たいへん僭越な言い方ではありますが、草加松原教会の皆様をなんとかしてお励まししたいその一心で選ばせていただきました。

イエスさまが幻の中で使徒パウロの前にお姿を現わしてくださいました。そして、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」(9~10節)という力強い励ましの言葉を、パウロに語りかけてくださいました。

これと全く同じ御言葉を、イエスさまは今日、草加松原教会の皆様おひとりおひとりに語りかけてくださっています。

しかしこのように申し上げますと、疑問を感じる方がおられるかもしれません。もちろんいろんな疑問が考えられるわけですが、私自身も考えさせられたことがあります。それは次のような疑問です。

パウロのようなきわめて突出して英雄的な個人が経験したイエス・キリストとの出会いの出来事を、他の誰にでも当てはめることができるのだろうかという疑問です。

たしかにパウロは英雄的な伝道者でした。いかなる迫害をも恐れず、孤立を恐れず、主のご命令とあれば、どこにでも行く、何でもする。そのようなことができた人です。そのパウロのような生き方や働き方は、他のだれでも真似できるようなものではありません。

パウロのような人だったからこそ、イエスさまは彼自身の幻の中に現れてくださって「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」と語りかけてくださったのであって、それと全く同じ言葉をイエスさまがわたしたちにも語りかけてくださっていると考えるのは間違っているのではないか、という疑問です。

しかし、私の結論は、そのように考えることは間違っていないというものです。パウロが経験したイエスさまとの出会いの出来事について、この個所の前後に書かれていることをよく読めば分かることは、このときパウロは実際にはかなり追い詰められていて、ある意味どうしようもない苦境にあり、もう伝道をやめてしまおう、伝道者であることをやめてしまおうという決心に至る一歩手前のところに立たされていたのではないかと考えられる、ということです。

「パウロはアテネを去ってコリントへ行った」(1節)と書かれていますが、パウロのアテネ伝道は事実上失敗だったと、多くの人が否定的に評価しています。詳しい説明をするいとまはありませんが、「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。それでパウロはその場を立ち去った」(17・32)と記されている点は重要です。パウロのアテネ伝道は、町の人からあざ笑われ、あしらわれたものでした。

その次に「しかし、彼について行って、信仰に入った者も、何人かいた」(17・33)とも書かれていますので、パウロのアテネ伝道は失敗だったと断定的に評価することまではできないのではないかと主張する人もいます。しかし、いずれにせよ、アテネを去りコリントへ行ったときのパウロは相当がっかりした気持ちを抱き、残念な思いをかかえていました。聞く耳を持たないアテネの人々の前から逃げるような格好で立ち去ったのです。

しかも、コリントに到着したパウロは、今日の個所に書かれているとおり、アキラとプリスキラというユダヤ人夫婦の家に住まわせてもらい、この夫婦がしていたテント造りの仕事を一緒にしながら伝道することになりました。この個所に基づいて、伝道者パウロは教会からはお金を一切受け取らず、もっぱらテント造りの収入だけで伝道したのだと説明する人がいますが、本当にそうでしょうか。

たしかにパウロはコリントの信徒への手紙一9章に「わたしとバルナバだけには、生活の資を得るための仕事をしなくてもよいという権利がないのですか」(6節)と書いていますし、その後の個所に「しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした」(12節)と書いています。しかし、これはある意味でコリント教会に対する一種の批判として書いていることです。実際のパウロは、どの教会からも経済的な支援を全く受けなかったわけではありません。他の手紙には、教会の人々の献金と彼自身に対する経済的支援への感謝の言葉が書かれています。

そのことを考えますと、パウロのコリント伝道がテント造りの副業収入だけで続けられたということについても、それは彼にとっては必ずしも喜ばしいことではなかったとも考えられます。むしろ、経済的に追い詰められて、他にどうしようもなくなって、そうせざるをえなかったということのほうが近いのではないかと思われるのです。

そして、そのパウロの重苦しい状況に追い打ちをかけたのが、コリントのユダヤ人たちからの迫害です。「彼らが反抗し、口汚くののしった」(6節)と書いてあるとおりです。そのユダヤ人たちの態度にパウロは激怒しました。服の塵を振り払って、「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く」(6節)と言い放ちました。

要は、パウロはキレたのです。「伝道者はキレてはいけない。牧師はキレてはいけない」と、よく言われます。私も最近だんだん怒りっぽくなり、キレやすくなっていることを深く反省しています。伝道が思うように行かず、経済的にも追い詰められる。それに追い打ちをかけるように、容赦ない批判を浴びせられ、攻撃される。こういうことが続きますと、人はキレやすくなります。

しかし、キレた牧師はそのことだけで失格者と言われてしまう。「伝道者としても、キリスト者としても、人間としても失格者である」というような負の烙印を押されてしまうのです。

しかし、このようなことは、パウロでなくても、狭い意味での伝道者あるいは教会の牧師でなくても、多くの人が体験することではないでしょうか。そして、そのような場面に実際に出くわし、自分自身がそのようなことを体験するとき、わたしたちは、それでも伝道を続けていこう、聖書に基づく神の御言葉を語り続けよう、説教をしようという思いを強く維持し続けることができるでしょうか。それは不可能であるとまでは言いませんが、非常に難しいことではないかと思うのです。

ですから、幻の中でパウロがイエスさまの御言葉を聞いたこの出来事には一つの背景があると考えられます。それはどういう背景なのか。このイエスさまの御言葉を聞く直前までパウロが抱いていた思いは、すべてこの御言葉の正反対だったのではないか、ということです。

彼は恐れていました。語り続けることは不可能だと確信しそうになっていました。もう黙ろう、と思いはじめていました。書くのもやめだ、断筆宣言だ、というようなことまで考えていたかもしれません。孤立感を深めていました。経済的にもじり貧でした。誰も助けてくれない。主は本当にわたしと共にいてくださるのだろうかと、疑いの思いが去来するほどでした。この町には、自分に敵対する人しかいない。伝道者の言葉を受け容れ、イエスさまへの信仰を受け容れる人などほとんどいないと、絶望しかかっていました。

そのパウロの、逆の意味での確信、悪いほうの確信を打ち砕く言葉を幻の中でイエスさまが語ってくださったのです。そのように理解することが可能です。

先ほどから幻、幻と言っていますが、パウロが眠っている間に夢でも見たのでしょうか。その夢の中にイエスさまがご登場なさったのでしょうか。ある意味そのとおりかもしれません。しかし他方で、わたしたちは「伝道のヴィジョン」という言葉をよく使います。この意味でのヴィジョンも幻です。

わたしたちが「伝道のヴィジョン」という言葉を使うときにだいたい考えていることは、実際はまだそのことは目に見える現実になっていないけれども、将来そのようになっていくことを望み、希望をもって計画を立て、その計画を実行に移すことです。

パウロにも、わたしたちと同じ意味での伝道の計画、伝道のヴィジョンがなかったわけではありません。彼は、その場限り、思いつき、行き当たりばったり、成り行き任せ、無軌道、無計画の伝道をしていたわけではありません。結果的に自分の思うように行かなかったこと、計画どおりに事が進まなかったことはいくらでもあるのですが、だからといって無計画だったということではありません。

それでは、わたしたちの伝道のヴィジョンのほうは、それは単なる計画であって、それはつまり、予定は未定であって決定ではないというようなことを言えば済まされるようなことなのでしょうか。あるいはまた、それは自分たちの人間の思いで立てた計画だから実現しなかったのだ、計画など最初から立てなければよかったのだ、というような総括で済まされるようなことなのでしょうか。

そうではないはずです。わたしたちの「伝道のヴィジョン」は、多くの人の熱心な祈りの中で立てられたものであり、聖書の教えに基づき、神の御心に従って立てられた主の計画であり、そのようにして与えられた希望であるはずです。もしそうであるならば、わたしたちの教会にかつて与えられた「伝道のヴィジョン」の中で、その幻の中で、イエスさまは、今でも強く語りかけてくださり続けていることを信じることができるはずです。

「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」。

このイエスさまの言葉が、わたしたちの「伝道のヴィジョン」の中でも強く響き渡り続けています。この言葉は、パウロという突出した英雄的な個人だけに語られているものではなく、すべての教会に語りかけられています。

しかもそれは、わたしたちでいえば、中会とか大会という単位へと語りかけられているのではありません。この御言葉は、一つ一つの教会、各個教会、この教会、そして、わたしたち一人一人に語りかけられているのです。


2014年2月24日月曜日

カール・バルト先生の「全くネイティヴの発音でない」英語講義に慰めを覚えます



これはカール・バルト先生(スイス人)の英語での講義の音声です。

全くネイティヴの発音ではないことに慰めを覚えます。

まるでぼくらの英語みたい。

そんなもんですて。

ネイティヴじゃない人がネイティヴの発音ができないことを笑うな。

ぼくは岡山生まれだけど、

岡山弁のネイティヴの発音ができない人を笑ったりはしない。

かえって、とってつけた岡山弁を偽装的にしゃべる人はイヤだと思う。

どの町の出身者でも同じようなことを感じてるんじゃないの。

なんで英語だけネイティヴ発音を求めるの?

で、できない人を笑うの?  

演劇やるなら別だけど、大切なのは言いたい内容を正確に伝えること。

発音なんかどうでもいいよ。

自信がなきゃ、完全原稿配ればいいだけ。

2014年2月22日土曜日

日記「『発話しにくいこと』と『真理・真実でないこと』は区別しなくてはならない」

私は、ごく最近、ある場所で  「発話しにくいこと(Things that are difficult to speech)と真理・真実でないこと(Things that are not truth)は区別しなくてはなりませんよね?」 と言いました。

どのような文脈で、私がこういうことを言ったのかについては、まさしく「発話しにくいこと」なので、今は書きません。その代わり、もう少し発話しやすい例を一つ挙げておきます。

太った人(私のことです)に「太ってますね」と言うのは、ある人たちにとっては「発話しにくいこと」かもしれません。しかし、それがいくら「発話しにくいこと」だからといって、実際の私は「太っていない」のかと言うと、決してそんなことはありません。たしかに太っています。

しかし、その「発話しにくいこと」と「真理・真実でないこと」とが混同されていることがあるような気がします。

「失言」というのは、「発話しにくいことを発話してしまった場合」と、「真理・真実でないことをあたかもそうであるかのように虚偽的に発話してしまった場合」とがあるのかな、ということも考えさせられました。しかし、後者は「失言」とは呼ばれないかもしれません。分かりません。

これ、ここ数日の「政治」の話ではありませんので、悪しからず。「あの子は大事な場面で必ず転ぶ」とか「戦後教育はマインドコントロール」とか言っているあの人たちを庇う意図などは一ミクロンもありません。

私はオブラートに包んでも言えないクチです。思っていることの1割も口にできません。だけど心の中では思っていますので、もっと悪いですよね。ズケズケ物を言えるのは牧師たちだけです。相手が先輩であろうと恩師であろうと、牧師相手なら「あなたの説教は異端です」とかくらいまで言えます。

だけど、牧師以外の人たちには全く言えません。だから、はっきり言われたことありますよ、「あなたは『生かさず殺さず』なんですね」と。それは自覚ありますし、終始一貫、そうです。ネットでもリアルでも、ぼくの基本は「生かさず殺さず」です。だから友達少ないんでしょうね(涙)。

2014年2月21日金曜日

「飼い慣らされたネムイ神学」がぼくの理想です

たぶん何度となく書いてきたことですが、

聖書も、教会の教義も、そして説教も、教会という重くて硬い鎖にしっかりとつながれているとき初めて、凶暴化をある程度防ぐことができると、私は信じてきました。

だって、言い方は乱暴になってしまいますけどね、実際問題として「神」とか語っちゃうわけですからね。鎖につながれていない存在が「神」とか言っちゃうのは危険すぎるわけです。

そして、その話を耳を澄ましてよく聞けば、「神」とか語っているその本人自身が「ぼく/あたしが神だ~、ぼく/あたしが神だ~」と言ってる話なんだな、これは、と感じてしまうケースは多々あります。そういうふうにならないために、聖書、教義、説教は「教会」につながれていなければならない。

しかし、そういう「教会」にがんじがらめにされた聖書、教義、説教は、まあその、なんて言うか、あんまり面白いものではないです。保守的で、事務的で、無難。結論は予定調和で、驚嘆する要素はほとんど皆無で、だいたいネムイ。

まあ、そんなもんですよ、と言いたいだけです。

「飼い慣らされたネムイ神学」が、ぼくの理想です。

あ、ほんとにネムクなりましたので、今夜はこれにて。

2014年2月16日日曜日

あの宮台真司さんも出ている『ミニストリー』誌にぼくが出ています

次世代の教会をゲンキにする応援マガジン

『ミニストリー』2014年冬号(キリスト新聞社)が、

見開き2ページも使って、ぼくの写真付きで

カール・バルト研究会を紹介してくださいました。

ありがとうございます。

でもって、この記事の中で、

ぼくは「電脳牧師」だそうです。

別の場所で、「ブロガー牧師」と紹介されたこともあります。

もうね、ナニ牧師でもいいや。

『ミニストリー』誌、初めて手に取りました。

申し訳ないことに、触ったことがなかったです。

でもこれ、けっこう面白いです。驚くほど面白い。

ええっ、「あの」宮台真司さんが出てる。すごい!

この内容で「1,575円」(税込)は安いぞ。いいね!

2014年2月14日金曜日

フレッド・サンダース氏の「キリスト論は聖霊論ではない(A. A. ファン・ルーラー)」という文章の一部を訳しました

リンク先の記事の前半3分の1くらいを訳してみました。

誤訳や読みこみすぎのところがあるかもしれませんが、あくまでもご参考までに、という程度でお許しください。

しかし、訳してみて分かったことは、サンダース氏の見方、そしてサンダース氏が紹介しているオランダの二人の神学者の見方には、同意できるところと、同意できないところがある、ということです。

ファン・ルーラーのことに限っては「あとだしじゃんけんだ」というようなことは言われたくない私ですが、彼らが指摘している点については、私もずいぶん前から気づいていました。しかし、私の見方は、彼らが言っていることよりも、あと一歩先のことです。彼らの指摘だけでは不十分だと、私には思えます。

私の見方は、3月24日(月)の「日本基督教学会関東支部会」(会場・東京女子大学)で申し上げます。それまでは、な・い・しょ、です。

フレッド・サンダース氏は、現在、米国バイオラ大学の組織神学の助教授です。

出典URL
http://www.patheos.com/blogs/scriptorium/2009/07/christology-is-not-pneumatology-aa-van-ruler/

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「キリスト論は聖霊論ではない」(A. A. ファン・ルーラー)

フレッド・サンダース

『組織神学国際雑誌』(International Journal of Systematic Theology)最新号でヘイスベルト・ファン・デン・ブリンク氏とシュテファン・ファン・エルプ氏が、20世紀のオランダの神学者による三位一体論的神学の再発見への貢献が欠如していたことを嘆いている。 論文のタイトルは「神が三位一体であることを無視しているのか――オランダ神学における三位一体論について」である。彼らは次のように述べている。「いくつかの重要な教理史的な研究書を除けば、20世紀オランダのプロテスタント神学において三位一体論とその影響について論じた本は一冊も出版されなかった」。この点はオランダのカトリック教会のほうがましだったと彼らは証言する。ファン・デン・ブリンク氏とファン・エルプ氏の報告によれば、オランダの有力なすべての神学者は三位一体論を無視し、放置した。あるいは自己目的に適応するようにねじ曲げ、大胆に再解釈した。あるいは完全に否定した。

二人の論者はアーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])も取り上げている。しかし、彼らはファン・ルーラーを、影響力のあるオランダの神学者ではあるが、三位一体論自体に関心があったわけではなく、自己目的のために三位一体論を利用した神学者の一例として取り上げている。それで私は驚いた。これまで読んできたファン・ルーラーの本は三位一体論の諸命題で満ちていたからである。ファン・ルーラーがしばしば述べたことは、「キリスト論的神学だとか、聖霊論的神学だとか、そのようなものはあってはならない。キリスト論も聖霊論も神学全体の中の部分にすぎない。我々の目標は三位一体論的神学であるとしか言いようがない」ということであった。

しかし私は、ファン・デン・ブリンク氏とファン・エルプ氏の指摘を受けて、ファン・ルーラーの文章を自分で確かめた。それで分かったことは、ファン・ルーラーが実際に関心を持っていたのは神学の包括性(comprehensiveness)の問題であったということである。彼は三位一体論のカテゴリーを、神学の包括性を獲得する方法であると考えていたのだ。彼が好んで用いた言葉は「○○だけではなく(not only)、△△もまた(but also)」である。彼が願ったことは、なるべく広く網を張ることであり、より多くの知識や情報を獲得することだったからである。二人の論者は、ファン・ルーラーの方法を「三位一体論的拡張」(trinitarian spreading)の技法であるとみなす。そして、この点こそが「ファン・ルーラーは自己目的のために三位一体論を利用した神学者である」という彼らの指摘の根拠になっている。「開放的な多様性において、ありとあらゆることが未解決のままであり続けること」を確保することがファン・ルーラー自身の計画でもあったということが、「三位一体論的神学の必要性」という彼の論文を読むと分かる。多くの現代的な神学者がいまだにそうであるように、ファン・ルーラーは、多様性(三位!)についてのきわめて抽象的な概念が同時に究極的に一致すること(一体!)に興奮を覚えた人である(ちなみに私は、現代神学者たちの三位一体論の捉え方は間違っていると考えている)。そして彼は、三位一体の神存在に秘められた「区別性と関係性」という概念を発見した。その線に沿ってどこまでも進んでいけばよい。そうすれば、「三位一体論的発想法」(trinitarian thinking)という大いなる関心事に辿り着くだろう。しかしそれは、三位一体論そのものについて考えることではないのである。

ファン・ルーラーは依然として、読むと非常に刺激を受ける本を書いた神学者である。彼の株価は今後数十年で上昇するだろうと私は予想する。彼の著作集を出版し続ける愛読者がいる。英語や日本語に翻訳されている。あなたは二色の蛍光ペンを用いて彼の本を読むことができる。そのペンの一本は、彼の全作品に見つかる燦然と輝く黄金の命題をチェックするために用いればよい。もう一本は、これもまた彼の本のすべてのページの至るところに散りばめられた、ひどく間違っていて危険極まりない言葉をチェックするために用いるべきだ。ファン・ルーラーの三位一体論についての発言が三位一体論そのものとは異なる関心によって動機づけられていたことを指摘してくださったファン・デン・ブリンク氏とファン・エルプ氏に、感謝を申し上げたい。

2014年2月13日木曜日

日本基督教学会関東支部会(3月24日)の研究発表に加えていただきました

2014年3月24日(月)「日本基督教学会関東支部会」(会場 東京女子大学)の研究発表に加えていただきました。


拙論掲載誌『途上』第28号の広告が出ています

『途上』第28号の広告です。

「キリスト新聞」第3301号(2014年2月15日付け)の一面に掲載されています。

拙論「A. A. ファン・ルーラーの神学思想の特質」も掲載されています。

税込1,785円です。ぜひお買い求めください。


2014年2月8日土曜日

「第24回 カール・バルト研究会」報告


2014年2月7日(金)午後9時から午前0時30分まで

「第24回 カール・バルト研究会」を行いました!

参加者は以下の5名でした(五十音順、敬称略)

小宮山裕一(茨城県ひたちなか市)
齋藤 篤(いま東京都内某所)
関口 康(千葉県松戸市)
中井大介(大阪府吹田市)
藤崎裕之(北海道七飯町)

齋藤先生は時差ボケ中とのことでしたが、

カール・バルト研究会で目が覚めたとのことです(たぶん)。

今日も面白かったです。

次回は2月21日(金)午後9時からです。

2014年2月7日金曜日

今年のテーマは「神学一筋30年」で行きます

2014年のテーマは「神学一筋30年」にしておきます。

実践神学部門の教科別の紹介です。

「実践神学概論」

イチオシは、左から4冊目の本です。

アムステルダム自由大学神学部で長らく牧会学を教えたヘルベン・ヘイティンク教授の『実践神学』です。右隣は英語版です。

Gerben Heitink, Praktische Theologie, Kampen, 1993.


「説教学」

説教学は今の日本の教会の「ブーム」と言ってよいのではないでしょうか。

ぼくは完全に乗り遅れてしまっていますけどね。


「説教学」(真ん中から左)
「牧会学」(真ん中から右)

左から二番目の大きな二巻本は、1948年に出版された『説教の手引き』(Handboek voor de prediking)という本です。

ユトレヒト大学神学部のファン・ルーラーのポストの前任者だった教義学者S. F. H. J. ベルケルバッハ・ファン・デア・スプレンケル教授とフローニンゲン大学の実践神学者P. J. ロスカム・アビンク教授を中心に編纂されたオランダ改革派教会(NHK)の説教黙想集です。


「礼拝学」

いちばん左の本は、改革派教会の礼拝学についての博士論文です。

1950年にフローニンゲン大学神学部に受理されたE. ファン・デア・スコート著『改革派教会の礼拝 オランダ改革派教会(NHK)のリタージカルな発展について』です。

Ebel van der Schoot, Hervormde eredienst : de liturgische ontwikkeling van de Ned. Herv. Kerk (Rijksuniversiteit Groningen 1950)


「賛美歌・聖歌・詩編歌」

讃美歌21は持っていません。