2009年8月8日土曜日

拡散はまずい、収斂せよ

TwitterとFacebookを始めてみて一週間経ちました。今の感想は微妙です。



意識がどんどん拡散していくのを実感しました。いま「実感」と書きましたが、正しくは「痛感」です。パソコンの前にいるときには、メールと、ブログと、mixiと、Twitterと、Facebookと、ついでにWassrというのも加わって6ポイントを順繰りにチェックし続けている状態になり、小さなパニックでした。メールの返信やブログの更新に支障をきたすほどでした。



もう少し慣れれば変わってくるものがあるのかもしれませんが、いまの状態のままが続くようだと私のキャパを超えます。「ダメだこりゃ」です。パソコンの命は「いかに一極集中しうるか」にかかっていると考えている私としては、意識が拡散されていく方向へと自分を追いこんでしまうことは、ポリシーに反します。



まあ、もう少し実験したり様子を見たりしてみたいとは思っていますが、結局はメールとブログだけのところまで戻ってしまいそうな気がしています。



欲を言えば、本当は私はそろそろネットから・・・いえ、これは言わないでおきます。



2009年8月7日金曜日

理想と現実

ちょっと大げさなタイトルを付けました。先ほどのことですが、Facebookにファン・ルーラーに関するページが無いことが分かりましたので、さっそく新設しておきました。表題は「Arnold Albert van Ruler」です。興味がある方はぜひ探してみてください。



この話題、「Facebookが何のことか分からない」という方は無視してくださって結構です。私としても、新しいページを設置はしましたが、「管理人」のようなことを自任するつもりは全くありません。ぜひいろいろ教えてください、という気持ちです。



それに、Facebookに期待したいのは、何と言ってもやはり「国際的な」関係構築でしょう。日本語のやりとりにはあまり向いていない感じです。外国語のコミュニケーションが得意でない私は、ただ傍観するのみです。



ところで、これはまだ私見ですが、「ファン・ルーラー研究会」(Van Ruler Translation Society)を今後どのように続けていくべきかを考えています。



いまからちょうど10年前(1999年)にメーリングリストの形でスタートした研究会ですが、メーリングリストを介しての神学議論は、あまりにもダイレクトすぎるからでしょう、心理的にショックが大きすぎるものがあることを互いに認識し、現在はメールのやりとりを停止しています。



しかし、ファン・ルーラー研究会そのものは解散したわけでも消滅したわけでもなく、今でも存続しています。我々の最終目標である日本語版『ファン・ルーラー著作集』(仮称)の出版が実現するまで、研究会は存続するでしょう。とはいえ、メーリングリストでのやりとりを再開することはかなり難しいだろうと私は考えています。



それではどうするか。最も理想に近いのは、FacebookのようなSNS(ソーシャルネットワークサーヴィス)を利用したやりとりかなと思っています。ただし我々の研究会の本質は「翻訳会」(Translation Society)ですから、もっぱら日本語でやりとりできるSNSであることが重要な意味を持ちます。



mixiが利用できるかと少し期待しましたが、匿名性が高く、馴染まないものがあると分かりました(mixiそのものを批判しているのではありません。「ファン・ルーラー研究会」の活動の場にはなりにくいと言っているだけです)。



どうしたものかと悩んでいます。



脱稿

ストライキしていたわが脳みそくんを叱咤激励しながら、ようやく今日、一つの原稿を書き上げて編集者に送ることができました。ファン・ルーラーについて書いたものですが、ある大学の出版会が発行する教材誌に掲載していただける予定です。しかし、この安堵感も束の間、もう一つ、ピリピリしながら待たれている原稿が残っています。がんばらねば。


2009年8月6日木曜日

それではブログとは何なのか

Twitterに自分のアカウントを登録し、他の何人かのつぶやきのフォローを始めました。勝間和代さんのつぶやきが非常に面白くてハマり気味です。「仕事ができる人ほど多くつぶやく」という命題を思いつきました。「つぶやきが少ない人は仕事ができない」という逆命題が真理かどうかは不明です。



Twitterを始めてから考えさせられたことは、「これ(Twitter)とブログの違いは何だろうか」ということです。単に字数が140字に制限されているだけで、ブログと同じだろうと予想していましたが、実際に始めてみると明らかに何か違うものを感じます。チャットとも全く違います。



いろんな見方があることは尊重します。しかし現時点の私の率直な感想を書きとめておきますと、伝統的な意味での「日記」(diary)というカテゴリーに最も近づいたのが、実はこのTwitterではないかと思いました。



前にも「ブログは『日記』ではありえない」というタイトルのもとに書いたことがあるとおり、このブログに「関口 康 日記」と名付けているにもかかわらず、これを「日記」であると考えることは私にはどうしてもできません。前に書いたことの趣旨は、「日記」には個人情報など「最高機密事項」を書くことがありうるが、不特定多数に閲覧可能なブログというこの場所にそういうことを書くことはありえないだろうということでした。



この点ではTwitterも同じです。Twitterに「最高機密」を書いてしまう愚に陥らないように気をつけなければなりません。しかし、この点(最高機密をこんなところに書いてはならないこと)を除いては、Twitterは、私のカテゴリー表の中では限りなく「日記」に近いものです。どうやら私は、こういうものを長年求めていたのです。



しかし、今書いたことが分かった時点でふと考えさせられたことは、「それではブログとは何なのか」です。



さっそく私の中で始まってしまったのは、短くつぶやきたいときはTwitter、長くつぶやきたいときはブログ、というふうな使い分けです。それは明らかに、Twitterとブログはベツモノであると私の感性が認識した証左です。



ブログに一行、二行といった短い文章しか書かないと、どうも見てくれが悪い。ある程度の分量を書かないと、格好がつかない。これに対してTwitterの字数制限は140字ですから、分量ある文章を書きたくても書けません。



まだ確信には至っていませんが、ひょっとしたらこんな(↓)感じかな、とも思いました。



Twitterに書くのは「歌詞」、ブログに書くのは「その歌詞の解説」。



う~ん、違うか。



2009年8月5日水曜日

当然の成り行き

いま相当スランプです。何も書きたくないし、何も考えたくない。わが脳みそがご主人さまに逆らってストライキを起こしています。



原因は分かっています。今年の前半ものすごく忙しかったですから。昨年立てた予定では、のんびり過ごす一年のはずでした。それが、あれよ、あれよ。予定外の仕事がどっかんどっかん目の前に積み上げられて行きました。



「150年に一度」とか「500年に一度」という仕事ばかりで、未体験ゆえの手探り作業の連続でしたので、十分な働きができたかどうかは分かりませんが(どの程度が「十分な」働きなのかが比較する前例が無いので分からない)、とにかくみんなで力を合わせてやり遂げました。



その喧噪状態から「解放された」と言える状態にやっとなったのが先週の土曜日でした。



案の定、今週はがっくりです。頭の中に力がわき上がって来ません。脳みそが偉そうにどっかりあぐらをかいて「おれは何も考えないぞ」と腕組みしながら頑張っています。



しかし、ありゃりゃ、私がその状態になった途端に私設ブログのすべてのアクセス数が急激にダウンしております。昨日は今年前半の好調時の2割ほどのアクセスしかありません。



書き続けるかぎり、読んでいただけるものもある。書けなくなったら読者も失う。当然の成り行きですが、「人生とは厳しいものである」と、わが貧しき脳のかい主が、恨めしそうにつぶやいています。



2009年8月2日日曜日

キリストの肉と血


ヨハネによる福音書6・41~59

「ユダヤ人たちは、イエスが、『わたしは天から降って来たパンである』と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。『これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、「わたしは天から降って来た」などと言うのか。』イエスは答えて言われた。『つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に、「彼らは皆、神によって教えられる」と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。』それで、ユダヤ人たちは、『どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか』と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。『はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。』これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。」

いまわたしたちは、ヨハネによる福音書の6章を学んでいます。わたしたちの救い主イエス・キリストが五つのパンと二匹の魚で五千人の空腹を満たしてくださいました。またその後イエスさまは湖の上を歩いて行かれ、嵐の中の弟子たちを励ましてくださいました。そしてイエスさまは弟子たちの前で「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と言われました。

これらの話は全部つながっています。そのように読むことができます。どのようにつながっているかを説明するのは難しいことではあります。きちんと納得していただけるほどきちんとお話しすることは、今日はできません。キーワードだけを申し上げておきます。それは、先週も用いた表現ですが、「イエス・キリストとの距離感」です。あるいは「親密度」と言っても構いません。言いたいことは「近づくこと」であり「距離がないこと」です。

友人、恋人、夫婦、親子と、いろんな人間関係がありますが、満足や納得が得られる関係になっていくためにどうしても必要なことは、「近づくこと」です。「距離がないこと」です。この「距離感」という点が、6章で紹介されているイエス・キリストと群衆との関係、ないしイエス・キリストと弟子たちとの関係においても問題になっていると考えられます。そのような言葉が書かれているわけではありませんが、事柄をよく考えてみれば、そのようなことだと分かっていただけるはずです。

「食べる」とは、口の中に入れることです。外のものを中に入れることです。そして、その日そのときまではこのわたしと縁もゆかりも無かったものが、このわたしの中に入り、このわたしと一体化することです。言葉にすると大げさな言い方になってしまうかもしれませんが、そこで起こっていることをじっくり考えていただくと、大げさでも何でもなく、そのとおりのことが起こっていることに気づいていただけるでしょう。

イエスさまがお求めになったのは、イエスさまの肉を食べるということであり、イエスさまの血を飲むということでした。「もうやめてください。勘弁してください」と大きな声で言いながら耳をふさぎたくなるようなことをイエスさまは言われました。しかしわたしたちがそのような感想を述べたくなるのは、イエスさまがお考えになっていることとは全く異なる事柄を思い浮かべているからです。

しかしそのことがイエスさまから求められているのですから、イエスさまを信じて生きようとしている者たちはイエスさまのその求めに何とかして応えなければなりません。イエスさまの肉を食べること、イエスさまの血を飲むことを達成しなければなりません。

それは、繰り返しますが、事柄の内容からすれば、イエスさまとの距離感の問題です。イエスさまを、このわたしの中に入れることです。あるいは、入っていただくことです。このわたしとイエスさまが一体化することです。イエスさまとこのわたしは一つの存在として永遠に離れない関係になっていると、信じることができる状態に達することです。肉を食べ、血を飲むとはそういうことです。

今日の個所は、イエスさまが御自分を指して「天から降って来たパンである」とおっしゃったことにユダヤ人が反発したという話から始まっています。あいつはヨセフの息子ではないか。あいつの父ちゃんも母ちゃんもよく知っている。なんであいつが「わたしは天から降って来た」などと言ってるんだ。バカじゃないだろか。デタラメも休み休みに言えと、小馬鹿にして笑っている人あり、むきになって怒っている人ありの状況だったと思われます。

しかし、このような反発の仕方にはいろいろな問題を感じさせられます。まず何よりも先に言えることは、イエスさまは事実を述べておられるのですから、それを笑ったり怒ったりすることは失礼に当たるという点があります。しかし、それだけではなく他にもいろんなことを考えさせられます。

その一つは、「天から降って来る」という言葉づかいを否定してしまうならば、宗教など一つも成り立ちようがないということです。聖書において「天」とは、神がおられるところを意味しています。ですから「天から降って来る」とは「神のもとから来る」とか「神によって遣わされる」と言うことと同じです。これを笑ったり怒ったりしはじめるとしたら宗教は成り立ちません。教会も牧師も存在する意義さえありません。

しかし他方でわたしたちは、逆の方向を向いている「天に昇っていく」という言葉のほうは、使いたくて使いたくて仕方がありません。宗教や信仰というようなものを全くもっていないし、信じてもいないと言っているような人々でも「天国に行きたい」という願いをもっているはずです。「ご冥福をお祈りいたします」などとも言う。冥福の「冥」は冥土の「冥」でしょう。「冥土」とはどこでしょうか。聖書で言うところの「天国」のようなところでしょう。そういうところがあるということ、そういうところにわたしたち人間が行く日が来るということは、非常に多くの人が認めたり願ったりしています。

しかし、その反対の方向の話になると、急に心を閉ざす人がいる。自分や他人が「天に行く」話は受け入れても「天から来る」人の話は受け入れない。よく考えてみれば、二つの話は本質的にほとんど違いがないということにお気づきいただけるはずです。事柄の中心にあることは天と地の関係です。すなわち、天上なるものと地上なるものとの関係、神とこの世界との関係です。天と地の間には相互関係があり、行ったり来たりできる関係があります。両者の間にコミュニケーションがあるのです。行くことができるなら、来ることもできるでしょう。「天から降って来た」という言葉を聴いて笑う人々は、宗教や天国といったすべてのことを否定しているのと同じなのです。

イエスさまが、パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを割いてお渡しになりました。「パンを割いて弟子たちに手渡すこと」を、わたしたちの教会でも行っています。礼拝の中で行うあの聖餐式です。聖餐式のたびに牧師が読む言葉は「これはわたしの体です」、「これはわたしの血です」というイエスさまのみことばです。このみことばをイエスさまは、十字架にかけられる前の夜、弟子たちにパンとぶどう酒を手渡されながら言われました。そのときイエスさまが願っておられたことは、御自身の命を与えてくださることでした。イエスさまは愛する弟子に御自身の命を与えてくださったのです。

そしてとても大事なことは、イエスさまが愛してくださったのは今から二千年前の弟子たちだけではなく、その後の長い歴史の中でイエスさまを信じる信仰をもって生きてきたすべての人でもあり、これからイエスさまを信じて生きていこうとしている人でもあるということです。その中にはここにいるわたしたちももちろん含まれているのです。ですから、聖餐式のたびにわたしたちが知ることができるのはイエスさまの深い愛です。わたしたちはイエスさまに愛されているのです。

「わたしは神さまを信じている」と自覚できる人は、洗礼を受けましょう。また、幼児洗礼を受けている人の場合は、信仰告白をしましょう。そうすることによって、神さまが喜んでくださいます。そして洗礼を受けた人、信仰告白をした人は「聖餐式」に参加しましょう。

聖餐式はお祝いです。お祝いのときに暗い顔をしていることはマナー違反です。お祝いの席には明るい笑顔で参加しなければなりません。イエスさまは、わたしたち罪人が本当は受けなければならなかった神の罰を身代わりに受けてくださいました。イエスさまがわたしたちの代わりに十字架にかかってくださり、死んでくださったことによって、わたしたちの罪がゆるされました。わたしたちは、イエス・キリストが十字架の上で示してくださった愛によって救われたのです。わたしたちに求められることは、それらのことを喜びつつ聖餐式に参加することです。

聖餐式では、パンとぶどう酒が配られます。今日はとくに、ぶどう酒の話をします。前にもお話ししたことがありますように、ぶどう酒の代わりにぶどうジュースを用いている教会も、たくさんあります。どちらでなければならないという決まりはありません。大切なことはお酒かジュースかではなく、色であると言われます。イエスさまは「これはわたしの血です」と言われながら、ぶどう酒を配られました。それは、ぶどう酒が血の色の飲み物だったからです。

「赤い飲み物ならなんでもいいのか。たとえばトマトジュースでもいいのか」というような質問が出てくるでしょうか。難しい問題です。イエスさまが最後の晩餐のときに用いられたのが「ぶどう酒」だったので、教会は伝統的にぶどうを用いて来たのです。そしてぜひ安心してほしいことは、わたしたちの教会の聖餐式のぶどう酒は「これはわたしの血です」と言いながら配られるものであっても、血なまぐさい臭いがするわけではないということです。聖餐の食卓には、ぶどうのさわやかで豊かな香りがあふれています。それは、人の心を幸せにする、祝いの席にふさわしい香りです。

(2009年8月2日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年7月31日金曜日

FacebookとTwitterを始めました


友人に勧められて、Facebook(フェイスブック)とTwitter(ツィッター)を始めました。こればかりは全くもって時流に乗せられた格好です。「もうね、どうぞどこでも連れてってくださいな」という気持ちです。でも、しばらくは面白く使えそうだと予感しています。昨日だったか「ビル・ゲイツ氏がFacebook(フェイスブック)を退会した」というニュースが流れていましたので、ある人々にとってはすでに用済みのツールなのかもしれません。

Facebook(フェイスブック)
http://www.facebook.com/yasushi.sekiguchi.jp

Twitter(ツィッター)
http://twitter.com/ysekiguchi


2009年7月26日日曜日

わたしが命のパンである


ヨハネによる福音書6・30~40

「そこで、彼らは言った。『それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。「天からのパンを彼らに与えて食べさせた」と書いてあるとおりです。』すると、イエスは言われた。『はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。』そこで、彼らが、『主よ、そのパンをいつもわたしたちにください』と言うと、イエスは言われた。『わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。』」

今読みましたのは、ヨハネによる福音書に記された、イエス・キリストの御言葉です。これは弟子たちとの会話の中で語られたものです。弟子たちが「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」とイエスさまに願いました。「そのパン」とは、この直前に語られている「神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである」(33節)を指しています。つまり、弟子たちがイエスさまに願ったのは、天から降って来て世に命を与える神のパンです。しかも、ここで「パン」とは人間の食べ物の総称です。それは日々の糧であり、生活必需品です。またそれは、人間の命そのものと呼んでもよいものです。わたしたちの命を支える力と言い直しても構いません。

ここで考えさせられることは、わたしたちは毎日何を食べて生きているのだろうかということです。かつてイエス・キリストは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と語られたことがあります(マタイ4・4)。しかもそれは旧約聖書の申命記8・3からの引用でした。つまり、旧約聖書と新約聖書とに共通している教えは、人間はパンだけを食べて生きているのではないということです。言い方を換えれば、わたしたちの命を支える力としての食べ物は八百屋で材料を買ってきて台所で調理して食卓に並べられる、あの品々だけではないということです。

それならば、わたしたちに必要なものは何でしょうか。イエスさまは「神の口から出る一つ一つの言葉」の必要性を強調されました。そしてまた、今日の個所で語られていることは、さらに一歩踏み込まれています。それは「神の口から出る一つ一つの言葉」の具体的な内容であると言ってもよい。それこそがまさに「わたしが命のパンである」というイエスさまの御言葉に集約されている内容です。つまり、「神の口から出る一つ一つの言葉」とは「命のパン」そのものとしてのイエス・キリスト自身であるということです。

ここで少し整理しておく必要がありそうです。イエスさまが弟子たちに教えていることをまとめて言えば、要するに、あなたがたの食べ物はこのわたし自身であるということであることが分かります。「このわたしがあなたがたの食べ物である」と言っておられるのです。もっとはっきり言えば「このわたしを食べなさい」と言っておられるのです。

この件に関してイエスさまが明言しておられる最もはっきりした言葉が、6・55以下に出てきます。「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」。

これは少し冷静に考えれば、そんなことができるはずはないと、誰もが思うようなことです。弟子たちの目の前に立っておられたイエスさまの姿は、どこから見ても、一人の生きた人間でした。人間の姿をしたイエスさまが弟子たちに向かって「わたしの肉を食べなさい」とか「わたしの血を飲みなさい」などと言われている様子は、奇妙で不気味なものです。心の底からぞっとするという気持ちを持つ人がいてもおかしくないようなことを、イエスさまはおっしゃっています。

事実、この話をイエスさまがなさった直後に弟子の多くが感じたことは「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」ということでした(6・60)。このような話をイエスさまがなさったばかりに弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった、と記されています(6・66)。

しかし、ここでわたしたちは、イエスさまがこのことをいわゆるたとえ話としておっしゃったわけではないということも理解しておくべきです。たとえ話という言葉を聞いてわたしたちが通常思い浮かべることは、それは事実でも現実でもない空想であり、作り話(フィクション)であるということでしょう。ところが、イエスさまがおっしゃっていることは、その意味でのたとえ話ではありません。もっとリアルなことです。事実であり、現実です。わたしたち人間は本当にイエスさまを食べることを求められているのです。

しかし、もしそうであるならば、わたしたち人間が次に問題にしなければならないことは、わたしたちはイエスさまをどのような方法で食べればよいのだろうかということです。イエスさまの食べ方は何かと問わねばなりません。しかしこうなりますと、いよいよ不気味な話になっていくでしょう。イエスさまの体のどの部分は美味しいとか、どの部分は苦いとかいうようなことをまともな顔で語り合うことは、ほとんど不可能です。だからこそ、わたしたちはつい、このイエスさまのお話はたとえ話であると考えたくなるのです。

しかし、わたしたちはここでよく考えてみるべきです。たしかに「イエスさまを食べる方法は何か」と言われると、わたしたちはほとんどお手上げ状態です。しかしそれではわたしたちはイエスさまのおっしゃりたいことの結論部分まで全く分からないと感じるでしょうか。いや、そんなことはない、と言える要素も残っているのではないかと私には思われます。

答えを導き出すためのヒントは、先ほど引用した6・56の御言葉です。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」。ここで教えられていることは、わたしたちがイエスさまを食べる方法ではなく、むしろイエスさまを食べた結果です。イエスさまを食べた人は「いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」。

つまり、その結果として起こることは要するに、その人がイエスさまの所有物になり、かつイエスさまがその人の所有物になるということです。わたしがイエスさまのものとなり、かつイエスさまをわたしのものにすることです。それは、誤解を恐れずに言えば、イエスさまの私物化とさえ呼ぶことができることでもあります。もちろんそれはほとんど誤訳であるというべきです。しかし、たしかにそれは誤訳なのですが、しかし、限りなく真理に近い誤訳であるというべきです。

別の観点を持ちこんでおきます。私がいま語ろうとしていることは、わたしたち人間とイエスさまとの距離感に関することであると表現し直すことができます。わたしたちが私物化という言葉を使うときは99%悪い意味で使います。しかしそのようにでも言わないかぎり決して縮まらない距離があります。イエスさまを食べて私物化する。腹の中におさめてしまうことによってイエスさまとわたしが一体化する。そのとき初めてイエスさまとわたしたちの距離がゼロになるということが起こるのです。

そのときこのわたしとイエスさまはたしかに全く一体化しています。ここまではわたし、ここからはイエスさま、というふうに区別することができない状態にあるでしょう。食べるとはそういうことです。お腹の中に入ったもの、胃袋の中で消化されはじめたものをこのわたしと区別して考えることはできません。それはわたしです。大根であろうと人参であろうと、牛肉であろうと豚肉であろうと、いったんそれがお腹の中に入った時点でそれはわたし自身なのです。

イエスさまとわたしたちの関係においてもまさにそのような一体的な関係になることが求められています。今「わたしたち」と言いました。それは第一義的にはイエスさまの弟子である者たちです。イエスさまを救い主と信じる信仰を持って生きる者たちです。もし皆さんの中にイエスさまの存在に対していまだに赤の他人のような感覚しか持てないままでいる方々がおられるとしたら、その方々はまだイエスさまのことを食べておられないのです。その方々にとってのイエスさまは、食べる前の、口の中に入れる前の、大根や人参、牛肉や豚肉のままです。調理はすでになされているかもしれない。しかし、まだその料理を味わっておられないのです。

ところが、イエスさまは、わたしの肉を食べなさいと言われ、わたしの血を飲みなさいと言われています。つまり、イエスさまは弟子たちに対して、このわたしをあなたのものにしなさいと言われているのです。わたしがあなたになりますから、あなたはわたしになりなさいと言われているのです。

この個所を読む人々の中に、ここでイエスさまが「わたしが命のパンである」と言われているのは聖餐式のパンを指していると理解したがる人々がいます。しかしその理解に私は反対します。聖餐式は全く関係ないと申し上げたいわけではありません。しかしここで問題になっていることは聖餐式のことだけではありません。それは事柄の矮小化に通じます。聖餐式のあの小さなパンを食べさえすればイエスさまを食べたことになるでしょうか。私はそうは思いません。そのような理解をイエスさま御自身が否定しておられます。イエスさまは「わたしが命のパンである」と言われているからです。

それでは、日曜日の礼拝に出席することだけで事が済むでしょうか。それもイエスさまが否定しておられます。「パン」とは毎日食べるものの総称だからです。その意味では「命のパン」と訳すことは誤訳とは言えないとしても、やはり事柄の矮小化に通じる要素を提供してしまっていると言わざるをえません。

「命」とはライフ、すなわち「生活」です。そして「パン」は食べ物全体、すなわち「糧」です。イエス・キリストは日常生活を支える糧です。わたしたちは毎日イエスさまを自分のものとする必要があり、日々一体化すべきです。そのようにしなさいと、イエスさま御自身がわたしたちイエスさまを信じて生きる弟子である者たちに命じておられるのです。

そのためにわたしたちにできることは何でしょうか。ここから先は月並みな言い方しかできません。聖書をとにかく毎日読むことです。あるいは毎日の祈りの中でイエスさまと交わり続けることです。そのときイエスさまとの距離がゼロになります。それこそが「イエスさまを食べること」なのです。

(2009年7月26日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年7月19日日曜日

神のみわざとしての信仰


ヨハネによる福音書6・22~29

「その翌日、湖の向こう岸に残っていた群衆は、そこには小舟が一そうしかなかったこと、また、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことに気づいた。ところが、ほかの小舟が数そうティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に人々がパンを食べた場所へ近づいて来た。群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、『ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか』と言った。イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。』そこで彼らが、『神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか』と言うと、イエスは答えて言われた。『神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。』」

今日の個所に記されていますことは、イエス・キリストと「群衆」との間で交わされた対話の前後の様子と、その対話の内容です。対話は25節から始まります。最初に見ておきたいのは、その対話の前後の様子です。

「その翌日」(22節)とあります。何の翌日であるかははっきりしています。その日はイエスさまが大人の男性だけで五千人、また女性と子どもたちを含めれば一万人とも思われる人々のお腹を満たすために、大麦のパン五つと魚二匹を取り分けてくださり、それによってすべての人が満腹したというあの奇跡的なみわざが行われた日の翌日でした。

しかし、それだけではありません。湖の上に浮かぶ舟の中で激しい嵐に苦しんでいた弟子たちのもとにイエスさまが湖の上を歩いて助けに来てくださるというあの奇跡的なみわざが行われた日の翌日でもありました。

これら二つの出来事は間違いなく非常に驚くべきものでした。また「ほとんど信じがたい」と多くの人が感じたであろう出来事であったということも否定できません。しかし、そのことは多くの人々の前で、目に見える事実としてなされたのです。だからこそ、このように聖書に記されているのです。

しかしまた、イエスさまがなさったことは確かに驚くべき出来事であり、かつほとんど信じがたい出来事でもありました。それは明らかに、当時の人々に非常に強いショックを与えたのです。我々の目の前で何かとんでもないことが起こった。人類はこれからどうなっていくのだろうかと思うほどの衝撃を感じ、事実上のパニックの状態が始まったのです。今申し上げたようなことが「湖の向こう岸に残っていた群衆」(22節)の状況であったと考えることができるでしょう。

わたしたちなら、どうなるでしょう。私でしたら、かなりびっくりすることは間違いありません。私はパン五つと二匹の魚だけで群衆を満足させた人を見たことがありません。また水の上を歩いたという人も一度も見たことがありません。皆さんは、そういう人を見たことがあるでしょうか。ご覧になった方は教えてください。私もそのような人にお会いしてみたい。できれば一緒に写真を撮らせてもらいたいです。

おそらくこのようなものではないかと思われるのです、二つの奇跡が行われた翌日の群衆が抱いていた気持ちは。彼らはイエスさまが行われた奇跡的なみわざを目の当たりにして驚き、パニック状態にあったのです。そして彼らは、イエスさまに何とかして近づきたいと考えました。できればお知り合いになりたいと願って。握手でもしてもらいたい。人気のある人を一目見たいと思う気持ちは昔も今も変わりません。イエスさまもそのような対象として見られたのです。

ところが、イエスさまは群衆の前から立ち去られました。なぜでしょうか。逃げられたのですというと語弊が出てきますが、おそらくそういう面もあったはずです。だってそこには五千人ないし一万人もいたのですから。かたや、イエスさまはおひとりだけ。イエスさまが「群衆から離れてひとりになりたい」とお感じになったとしても、おかしくはないでしょう。

しかし、イエスさまが群衆の前から立ち去られたことには、ただお逃げになったということだけではなく、もう一つの面があったと思われます。イエスさまはそのときの群衆が抱いた気持ちの中身に対する批判的な意図というべきものをお持ちであった。そのように説明できるでしょう。

イエスさまは御自分の意思や願いで人気者になろうとなさったことは一度もなく、むしろそのようなことを非常にお嫌いになったのです。イエスさまに「先生は何が苦手でしょうか」と質問したときに返ってきそうな答えは「人からチヤホヤされることです」ということです。「あなたは偉い人だ」と言われたり、誰かから褒めそやされたりすることをとにかく苦手とされていたのではないでしょうか。そのようなことを言われれば言われるほど苦痛を感じる。そのようなことを言われるたびに「わたしが偉いのではない。わたしの父なる神が偉いのである」と反論なさっていたであろうイエスさまの姿を思い起こすことができます。

ところが、イエスさまがひとりになることを群衆は許そうとしなかったのだということが、今日の個所から分かってきます。

彼らはイエスさまを捜し回っているうちに、小舟が一そうしかないこと、しかも、その舟にイエスさまは乗っておられなかったということに気づきました。ところがイエスさまは舟にお乗りになっていなかったにもかかわらず、彼らの村にも見当たらない。それではイエスさまはどこにおられるのかということが大きな騒ぎになったようです。イエスさまは、舟にお乗りにならなかった代わりに湖の上を歩いて行ってしまわれたのです。

ですから、「湖の向こう岸でイエスを見つけると、『ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか』と言った」(25節)とありますのは、これを書いているルカの気持ちを察すれば、人々の驚きの様子を描いたものでもあるように見えます。しかし、それと同時に、何となく呆れるというか、開いた口がふさがらないというか、そのとき何が起こったのかを理解できないというか、非常に疑わしいものと感じている人々の様子を描いたものでもあるように見えます。彼らがイエスさまに問うていることは「おやおや、今ここにおられるはずのない先生が、どうしておられるのですか。どのようにして来られたのですか。舟に乗ること以外の方法はありえないと思うのですが」ということです。驚いているというよりは、怪しんでいるのです。

しかし、イエスさまは彼らのこの問いには一言もお答えになりませんでした。そのときイエスさまがお語りになったのは、この人々に対する厳しい言葉でした。「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」(26節)。要するに、あなたがたはわたしに興味があるのではなく、食い意地が張っているだけだと言っておられるのです。与えられたパンと魚を食べてから時間が経ち、お腹がすいたので、新しい何かを欲しがっているだけであると。しかし「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である」とイエスさまはお続けになりました。

ここではっきりと示されていることは、わたしたちの救い主イエス・キリストがこの地上の世界に来てくださった目的です。それはあなたがたに朽ちる食べ物を与えるためではなく、朽ちない食べ物、すなわち永遠の命に至る食べ物を与えるためである。そのようにおっしゃっています。

しかし「永遠の命に至る食べ物」とは具体的に言えば何のことでしょうか。またそのために「働きなさい」と言われているその「働き」とは何をすることなのでしょうか。これについてイエスさまが教えてくださったことは、「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」(29節)ということでした。「神がお遣わしになった者」とはイエスさまのことです。イエスさまを信じること、すなわち、信仰というわざ(神のみわざ!)を行う人々に、父なる神が永遠の命というものを与えてくださるのだと、イエスさまはお語りになったのです。

ここで注目すべき点は、イエスさまが信仰を「神の業」と呼んでおられることです。しかし、信仰とは「わざ」でしょうか。つまり、それは「働き」でしょうか。「行い」でしょうか。わたしたちは、おそらくそのように考えてこなかったと思います。わたしたちが長く聞いてきたのは、人が救われるのは、わたしたち人間の側で行うわざによるのではなく、ただ神の恵みによるのであるというふうな言葉です。信仰を「わざ」とか「行い」というような言葉で説明することには、いろんな意味で躊躇を感じてきたはずです。

しかし、ここでイエスさまが語っておられるのは紛れもなく「行い」ないし「わざ」としての信仰です。信仰とは名詞ではなく動詞であると、説明することができるでしょう。つまり、ここでイエスさまが問題にしておられるのは、「信じる」という人間の行為であるということです。あるいは「信仰者として生きること」、すなわち「信仰生活を送ること」という意味での人間の生きざまや生活態度を問うておられるのです。

このイエスさまの問いかけは、ここにいるわたしたち一人一人に対しても投げかけられています。わたしたちそれぞれに与えられている信仰というものは、絵に描いた餅のようなものにしてしまってはならず、わたしたちの生き方そのものでなければならないということです。信仰とは、その意味での行いなのです。しかも、信仰とは、神が与えてくださる恵みの賜物であるという意味での「神のみわざ」なのです。神の賜物としての信仰は、わたしたちの中で永遠に失われることはありません。わたしたちは、生涯、神を信じ続けることができるのです。

(2009年7月19日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年7月18日土曜日

ジュネーヴ礼拝式を再現 カルヴァン生誕500年で記念集会(キリスト新聞)

キリスト新聞 2009年7月18日号

ジュネーヴ礼拝式を再現 カルヴァン生誕500年で記念集会(キリスト新聞)

カルヴァン生誕500年を記念する集会が7月6日、東京神学大学(東京都三鷹市)で行われ、教派を超えて約240人が礼拝堂を埋め尽くした。同集会は「礼拝者カルヴァン」とのテーマを掲げ、アジア・カルヴァン学会日本支部と日本カルヴァン研究会を中心とする実行委員会(久米あつみ委員長)が主催して行われた。

初めに芳賀力(東京神学大学教授)、秋山徹(日本基督教団上尾合同教会牧師)、菊地純子(日本キリスト教会神学校講師)の各氏がそれぞれ、「讃美と応答――この世を神の栄光の舞台とするために」、「カルヴァンのジュネーヴ教会の礼拝」、「ジュネーヴ詩編歌という世界」との題で講演した。

芳賀氏は、カルヴァンの思想が世界を肯定する性格を秘めており、カルヴィニストたちが近代世界の形成と変革の担い手となったことを論証した上で、カルヴァンの霊性を段階ごとに整理した。

秋山氏は、カルヴァンの礼拝理解を実際の聖餐礼拝の順に即して解説し、当時の礼拝を「再現」することで今日の礼拝のあり方を再確認したいと強調した。

菊地氏は、今井奈緒子氏(東北学院大学教授)によるジュネーヴ詩篇歌の演奏を聴き、参加者と共に歌うことで、その歴史的背景と意義について共有した。

講演の後、ジュネーヴ教会の礼拝式、聖餐式が1562年版の式文に基づいて再現され、詩編46編によるカルヴァンの説教も全文が読み上げられた。

参加した神学生(32)は、「カルヴァンの世界肯定・否定両方の態度が、讃美・応答へと有機的に結びつくことを教えられた」と感想を語った。

全体の進行を務めた関口康氏(日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)は、「盛会のうちに閉幕できたことを感謝したい。教団・教派を超えた協力体制は見事であった。100年前や50年前の日本で『カルヴァン生誕記念集会』が行われた形跡はない。日本史的な意義を持つ集会になったと思う」とふり返った。

(キリスト新聞、2009年7月18日号の切り抜き)