2025年9月8日月曜日

敬老ハガキの聖書の言葉

焼き秋茄子と丸揚げイワシ丼(2025年9月8日 自作昼食)


【敬老ハガキの聖書の言葉】

気にしすぎかもしれないが、敬老ハガキに聖書の言葉を、と考えはじめるも、落ち着く言葉が見つからない。どれもこれもずけずけ言い過ぎ感があって、身も蓋もないというか、すべてお見通しですよ的というか、当てに行っていると疑われても仕方なさそうな危険球的というか、クッションが欲しいというか。

よく知りもしないことを書くのはよすほうがよさそうだが「もののあはれ」とか「わびさび」とか?そういう感じの方向を持つ感覚を私も全く共有していないわけではない。逃げるつもりはないけど言われなくても分かってて準備中なのでちょっと黙っててくんないかな的というか、皆まで言うな的というか。

私はまだ敬老ハガキを受け取る側にいないが、そう遠い未来でもなくなった。自分が受け取るようになったときに初めてどういう聖句が書いてあれば慰めを得られるかが分かるのだろう。「神は愛である」とあると「どうせ私には愛がないと言いたいんでしょ」的な反発を感じる人間になっていそうな気がする。

やっとひとつ無難な言葉を詩編に見つけて引用。敬老ハガキ投函完了。翌日配達とかしてくれなくなったので早めに投函しないと9月15日に間に合わぬ。聖書の言葉はそのまま使うと致死レベルのものが多い。うまくたとえられないが何かの原液とか原石のよう。希釈やよほど上手に料理しないとただの毒物だ。