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構造上は「居間」だが、くつろぎの空間とは程遠い |
【空白】
自分以外の誰のせいでもないが、教団を出たり戻ったりしたのが関係して、妻子以外に「半生」と言えるほど長い年数に及ぶ共通記憶を共有していると思える方が、私には存在しない。両親は亡くなった。恩師の多くも亡くなられた。単身赴任が長くなって来ていて、妻子との共有記憶にも空白部分が増えてきた。
SNSつながりの中には、最古で私の小学生時代を覚えてくださっている方もおられるし、中高大の同級生もいるが、10年から30年ほどまで空白部分がある。風のうわさはあれど事実かどうかは分からない。「言わなくても分かる」記憶を共有している密な関係が続いている方々が羨ましいと少しぐらいは感じる。
今書いた「自分以外の人々との共有記憶の空白期間」の多さのゆえに「孤独」を感じている今の私だが、悪いことだけではない。青少年時代からの親しい関係が30年、40年と続くうちに教団のヒエラルキーまで決定してしまう可能性が無いとは言えない。そういう組織票的な関係性の中に組み込まれずに済んでいる。
年齢の近い牧師たちは私に付き合いにくさを感じていそうに思える。教団から19年抜けていた間も牧師は続けていたので経験値は同じだが、ヒエラルキー的には私はリセット扱いだろうから。私は小学生にも敬語で話すタイプだが、少しでも下に見えると「お前」とか言いたいタイプの人には面倒くさいだろう。