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ニーチェとボンヘッファーの『この人を見よ』 |
【この人を見よ】
ボンヘッファーのドイツ語版の編者註に「LBでボンヘッファーが下線を引いた箇所は…」と出て来て「LB何?」になった。ボンヘッファーがリビングバイブル(The Living Bible)を愛読していた可能性があるかとよぎったが、すぐ打ち消した。ルター訳聖書をLBと略すのね。ドイツ神学知らなくてすみません。
加齢で目が弱る前に勉強しとけよと30年前の自分に言いたいが、当時はネットが無かったので今ほど調べられなかった。元気なうちは勉強より楽しいことに誘惑されて身も心も費やすだろう。くたびれた頃に追い詰められて、自分の体を打ち叩いて勉強することになる。これからの人の反面教師だけにはなれる。
蔵書を減らそうとしているほどでキルケゴールは買わないことにしてきたが、ボンヘッファーがキルケゴールのドイツ語版から引用していることが分かり、引用元テキストのネット公開版を読むも、原著のどの文献に基づくものかが分からない。情報が欲しくて日本語版の著作集が欲しくなっている。やめとけ。
国籍問わず昔の本にありがちだったと認識しているが、訳書なのに(なのに)原著についての情報が「訳者序文」に見当たらず、自分の言いたいことだけ言う訳者がいたと思う。キリスト教会に舌端火を吐くキルケゴールの言葉に自分の思いを託したいのは理解できなくないが、少し冷静になってねと言いたい。
何をしているのかといえば、ヨハネ19章5節の釈義。ラテン語訳ecce homoがタイトルのニーチェの自伝と、ボンヘッファー『倫理』(Ethik, 1949)の一節がある。後者抜粋版が新教新書『この人を見よ』。後者ドイツ語版編者註にキルケゴールもecce homoを用いているとあり、引用元の確認を完了したところ。
ボンヘッファー『倫理』の新訳が出ているのは知っているが、高くて手が出ない。旧訳とドイツ語版でなんとかする。「この人を見よ」と歌う旧讃美歌121番(21-280番)もecce homo。視野が広がるのはありがたいが、沼の中にいるようだ。朝からまだ何も食べていない。冷蔵庫もカラ。買い物に行かなくては。