2025年7月23日水曜日

1965年生まれのサブカル遍歴


【1965年生まれのサブカル遍歴】

4つ上の兄との2人兄弟で、マンガやアニメや音楽などは、ある意味当然、兄の影響を強く受けた。ウルトラセブン1話の音声が入ったソノラマシートを聞かせてもらった。「ウィンダム戻れ!」とカプセル怪獣を呼び戻すモロボシダンのセリフが好きで何度も聞いた。松本零士の『男おいどん』も兄のを読んだ。

とはいえ、兄との4歳の差は、体力が違いすぎて一緒に遊べた時期は少なかったし、関心の差も大きくなった。宇宙戦艦ヤマトが再放送でヒットした1975年に私は小4、兄は中2。同年のグレンダイザーがマジンガーZ、グレートマジンガーよりカッコよく思えることを当時兄に話したらあまり興味なさそうだった。

私がリアタイで観て好きになった最初のアニメは、1968年(私3歳)の巨人の星、サイボーグ009、サスケだと思う。同年のゲゲゲの鬼太郎や妖怪人間ベムは、観るには観たが、好きになれなかった。翌1969年(私4歳)のハクション大魔王は好きだったが、ルパン3世、タイガーマスクは4歳児には不向きだった。

1970年(私5歳)のみなしごハッチは観るたびに私が泣いたと母が覚えていた。同年いなかっぺ大将、翌1971年天才バカボンが幼稚園。小1(1972年)でガッチャマン、マジンガーZ、ド根性ガエル。小2(1973年)のアニメはピンと来ず、ウルトラマンタロウに行った。小3(1974年)はゲッターロボとロボコン。

そこからの1975年のヤマト再放送とグレンダイザー。その頃から私の左目の視力が右目と比べて極端に落ちたことに両親が対応。家からテレビが撤去され、私が高校を卒業するまでテレビが無かった。ダイアポロン(1976年)、ザンボット(1977年)などは全部観ておらず、友人の家や祖母の家で断片的に観た。

小6(1978年)の999とハーロックも祖母宅で断片的に観た。映画は観た。アニメージュ創刊号(1978年)をリアタイで買った。1979年(中1)のガンダムも祖母宅で断片視聴。1980年以降アニメを観なくなった。視聴再開は20年の空白後、2000年のワンピースとデジモン。私の子どもが関心を持ち、一緒に観た。

20年の空白期間を経てアニメ視聴再開、と言っても、実際にはほとんど観ていない。子どもたちが観ているテレビの音声が私の書斎まで聴こえて来て、たまに気まぐれな興味をもつ程度。覚えているのは、ケロロ軍曹、コナン、けいおん!ぐらい。エヴァンゲリオンあたりは10年ほど前にネットで観ただけ。

2025年7月8日火曜日

この人を見よ

ニーチェとボンヘッファーの『この人を見よ』

【この人を見よ】

ボンヘッファーのドイツ語版の編者註に「LBでボンヘッファーが下線を引いた箇所は…」と出て来て「LB何?」になった。ボンヘッファーがリビングバイブル(The Living Bible)を愛読していた可能性があるかとよぎったが、すぐ打ち消した。ルター訳聖書をLBと略すのね。ドイツ神学知らなくてすみません。

加齢で目が弱る前に勉強しとけよと30年前の自分に言いたいが、当時はネットが無かったので今ほど調べられなかった。元気なうちは勉強より楽しいことに誘惑されて身も心も費やすだろう。くたびれた頃に追い詰められて、自分の体を打ち叩いて勉強することになる。これからの人の反面教師だけにはなれる。

蔵書を減らそうとしているほどでキルケゴールは買わないことにしてきたが、ボンヘッファーがキルケゴールのドイツ語版から引用していることが分かり、引用元テキストのネット公開版を読むも、原著のどの文献に基づくものかが分からない。情報が欲しくて日本語版の著作集が欲しくなっている。やめとけ。

国籍問わず昔の本にありがちだったと認識しているが、訳書なのに(なのに)原著についての情報が「訳者序文」に見当たらず、自分の言いたいことだけ言う訳者がいたと思う。キリスト教会に舌端火を吐くキルケゴールの言葉に自分の思いを託したいのは理解できなくないが、少し冷静になってねと言いたい。

何をしているのかといえば、ヨハネ19章5節の釈義。ラテン語訳ecce homoがタイトルのニーチェの自伝と、ボンヘッファー『倫理』(Ethik, 1949)の一節がある。後者抜粋版が新教新書『この人を見よ』。後者ドイツ語版編者註にキルケゴールもecce homoを用いているとあり、引用元の確認を完了したところ。

ボンヘッファー『倫理』の新訳が出ているのは知っているが、高くて手が出ない。旧訳とドイツ語版でなんとかする。「この人を見よ」と歌う旧讃美歌121番(21-280番)もecce homo。視野が広がるのはありがたいが、沼の中にいるようだ。朝からまだ何も食べていない。冷蔵庫もカラ。買い物に行かなくては。

2025年7月3日木曜日

片思い

 【片思い】

片思いかもしれないが、昨年3月に転任してきたばかりながら、足立梅田教会に来てよかったと思っている。初代牧師は生涯「補教師」だったためご自身で聖礼典を執行なさったことがない。青山学院高等部の聖書科教員としてご勤務されながらご自宅を教会になさった。教会創立は1953年9月。今秋創立72周年。

初代牧師の在任期間はトータルで35年。創立72周年の教会の歩みの半分。その間にしっかり土台が据えられた。それでいて前記の理由から初代牧師は教会のどなたにも洗礼をお授けにならなかった。それと教会として戦前の教団合同前のどの旧教派の系譜にもない。どの教団内旧教派グループの傘下にもいない。

私の出身教会も、私が過去に働いた教会のうち1つを除いてすべても戦後開拓教会だった。旧教派縛りに馴染みがない。私には日本基督教団の教師であること以外の標識は無い。どことでも誰とでも協力関係を結べる。何の妨げもない。こういう教会が珍しいかどうかは分からないが、私にはたぶん合っている。

ファン・ルーラーは改革派神学者だが、全キリスト教の一部ではなく全キリスト教を継承する「改革された公同教会」(ecclesia catholica reformata)に属していると考えていたので、古代教父から現代神学者までのだれからでもどこからでも引用できた。スイカの細切りではなく丸ごと一個抱えるから強い。

何度となく書いたが、私にはこの人の教えを受け継いでいると言える先生がいない。指導教授は2つの神学校でそれぞれ1人ずつお世話になったし、あからさまに反抗したことはないが、ファン・ルーラーの言うことのほうが正しいと思うので距離がある。おふたりとも80代になられた。敬意を忘れたことは無い。

2025年7月2日水曜日

教理説教の副産物

『ファン・ルーラー著作集』翻訳中


【教理説教の副産物】

教理説教が助かるのは、聖書と今を教理史でつなげること。「聖書はこう。我々はどう」と途中2千年分を無視する話し方をせずに済む。教派性を加味して「聖書はこう。宗教改革者はこう。我々はどう」と言ったところで、500年ほど無視している。哲学や心理学でつなぐのは、わざわざ教会で聞く話かどうか。

教理説教の準備として『ファン・ルーラー著作集』をまず読むようにしている。ファン・ルーラーがすごいのは、古代教父から現代神学まで引き出しが多いこと。衒学的につまみ食いで名前を挙げているだけのようなのと全く違う。どの教父、どの神学者についても、長文なのに平易で的確な解説をしてくれる。

この先私が何をどれだけ学んでも、アウトプット先は日曜日の礼拝説教とブログだけ。かつて「ファン・ルーラー研究会」でしていたように、キャッキャ言いながら面白がってファン・ルーラーを読む会を再開できるといいが、そこまでの気力がまだ戻っていない。当時は合宿研修や公開講演会までしていた。

言うだけ番長でないところをたまには見せないと信頼してもらえないので、今撮った。「ファン・ルーラー著作集」を急ピッチ翻訳中。出版は夢のまた夢。私の仕事ではない。もっと売れる人の名前でないと。私は教会の役に立てばいい。翻訳はごく限られた専門家向けになるだろう。リソグラフで間に合う。