【1965年生まれのサブカル遍歴】
4つ上の兄との2人兄弟で、マンガやアニメや音楽などは、ある意味当然、兄の影響を強く受けた。ウルトラセブン1話の音声が入ったソノラマシートを聞かせてもらった。「ウィンダム戻れ!」とカプセル怪獣を呼び戻すモロボシダンのセリフが好きで何度も聞いた。松本零士の『男おいどん』も兄のを読んだ。
とはいえ、兄との4歳の差は、体力が違いすぎて一緒に遊べた時期は少なかったし、関心の差も大きくなった。宇宙戦艦ヤマトが再放送でヒットした1975年に私は小4、兄は中2。同年のグレンダイザーがマジンガーZ、グレートマジンガーよりカッコよく思えることを当時兄に話したらあまり興味なさそうだった。
私がリアタイで観て好きになった最初のアニメは、1968年(私3歳)の巨人の星、サイボーグ009、サスケだと思う。同年のゲゲゲの鬼太郎や妖怪人間ベムは、観るには観たが、好きになれなかった。翌1969年(私4歳)のハクション大魔王は好きだったが、ルパン3世、タイガーマスクは4歳児には不向きだった。
1970年(私5歳)のみなしごハッチは観るたびに私が泣いたと母が覚えていた。同年いなかっぺ大将、翌1971年天才バカボンが幼稚園。小1(1972年)でガッチャマン、マジンガーZ、ド根性ガエル。小2(1973年)のアニメはピンと来ず、ウルトラマンタロウに行った。小3(1974年)はゲッターロボとロボコン。
そこからの1975年のヤマト再放送とグレンダイザー。その頃から私の左目の視力が右目と比べて極端に落ちたことに両親が対応。家からテレビが撤去され、私が高校を卒業するまでテレビが無かった。ダイアポロン(1976年)、ザンボット(1977年)などは全部観ておらず、友人の家や祖母の家で断片的に観た。
小6(1978年)の999とハーロックも祖母宅で断片的に観た。映画は観た。アニメージュ創刊号(1978年)をリアタイで買った。1979年(中1)のガンダムも祖母宅で断片視聴。1980年以降アニメを観なくなった。視聴再開は20年の空白後、2000年のワンピースとデジモン。私の子どもが関心を持ち、一緒に観た。
20年の空白期間を経てアニメ視聴再開、と言っても、実際にはほとんど観ていない。子どもたちが観ているテレビの音声が私の書斎まで聴こえて来て、たまに気まぐれな興味をもつ程度。覚えているのは、ケロロ軍曹、コナン、けいおん!ぐらい。エヴァンゲリオンあたりは10年ほど前にネットで観ただけ。