2011年2月16日水曜日

A. J. ジャンセン著『神の国、職制、教会』(2006年)

アメリカ改革派教会(Reformed Church in America 以下RCA)のアラン・J. ジャンセン牧師がアムステルダム自由大学神学部に提出した神学博士号請求論文『神の国、職制、教会』(Allan J. Janssen, Kingdom, Office, and Church, 2006)はファン・ルーラーの教会職制論を扱ったものです。ジャンセンはこの本の最後の最後で、ファン・ルーラーの神学がアメリカのオランダ系改革派教会の分裂状況、とくにRCA(アメリカ改革派教会)とCRC(北米キリスト改革派教会)との分裂した仲を和解させ、対話と再一致に導きうるものであるという点を論じています。

二つの教派(RCAとCRC)は19世紀半ばに分裂したまま今日に至っていますが、どちらの教派もドルト教理基準を重んじる「改革派敬虔主義」(オランダ語でgereformeerde pietisme)の伝統を受け継いでおり、また「体験主義」(オランダ語でbevindelijkeheid)の宗教性を受け継いでいることなどの点で同じ流れにあるとジャンセンは見ています。しかしまた、RCAの自己認識としては「自分たちはpublic Dutch church(オランダ王室公認教会)の子孫である」とか「我々はestablished church in the American colonies(アメリカのオランダ人植民地の国教会系教会)として歩んできた」というような考えを持っていて、CRCの人たちの反感を買ってきたこともジャンセンは知っています。

また、「敬虔主義」だ「体験主義」だというとアメリカのコンテキストの中ではすぐにいわゆるリバイバル運動と結び付けられてしまいますが、オランダ改革派教会のより古い伝統と、より最近のリバイバル運動との間には、緊張関係がある、とも言っています。

それではジャンセンは、ファン・ルーラーの教会職制論のどのあたりがRCAとCRCの対話にとっての良き材料になると考えているかと言えば、それはファン・ルーラーの三位一体論的視点(trinitarian perspective)である、と考えています。

ジャンセンによると、ファン・ルーラーの三位一体論的視点は、「神が教会へと来てくださる」(God comes to the church)という神理解を持つハイチャーチ(high church)の発想と、「聖霊なる神は教会において(in)また教会を通して(through)働いてくださる」という神理解を持つ体験主義の発想との両方を包括するものです。言葉を補うとしたら、どちらかといえばよりハイチャーチ的な発想を持っているのがRCAであるとしたら、より体験主義的な発想をもっているのがCRCなので、ファン・ルーラーの三位一体論的神学は両方の発想を包括していると言える、ということです。

あるいは、私自身はあまり好きな表現ではないし、適切な表現でもないと思っているのですが、もしそう言いたい人がいるなら、ファン・ルーラーの教会職制論は「上から」(from above/ top-down)の発想と「下から」(from below/ bottom-up)の発想との両面を持っている、と言えるかもしれません。

日本キリスト改革派教会の中では周知のことですが、私と松戸小金原教会が現在属している「東関東中会」は、2006年7月に設立されたばかりの新しい中会なのですが(まもなく五周年)、所属している12の群れ(11教会・1伝道所)のすべてが過去50年以内に北米キリスト改革派教会(CRC)の日本伝道会(Japan Mission)によって生み出された群れです。

その意味では東関東中会が「純CRC産中会」であることは間違いないことであり、「これはあくまでもジョークですが」と断りながらではありますが「我々はCRC日本中会です」と自己紹介して笑いをとったりすることがあるくらいの状況です。

そのようなわけで、CRCとRCAの関係や、この両者の和解を成り立たせうるとジャンセンが信じてやまないファン・ルーラーの神学とCRC・RCA両教派との関係や、さらにそれら一切と日本キリスト改革派教会との関係がどうなっていくかは、私にとっては決して他人ごとでも絵空事でもなく、きわめてリアルな問題になりつつあります。

「日本におけるRCAの伝統」が十分な意味で残っているのかどうかは私にはあまりよく認識できないのですが、150年前の日本に来たプロテスタント宣教師の中の主要な数名がRCAの人であったことは確実な歴史的事実ですし、広い意味ではそういう「伝統」の上に日本プロテスタント教会史のメインラインが築かれてきた、と言えるかもしれない。そこに今、とても小さいながら「純CRC産中会」が日本に誕生した。アメリカにはRCAとCRCの対話と再一致を模索する人々が現れている。

大げさに言えば、今起こっていることは、日本プロテスタント教会史上前例が無かった事態ではないでしょうか。