2010年9月20日月曜日

神学的孤独感

このところ、そういう(どういう?)年齢になって来たからか、何をどう考えればいいのかが分からないことが多くなりました。



教会的・中会的・社会的責任が重くなって来る年齢に差しかかっているからなのか、それとも、単なる若年性認知症なのかは分かりません。



ファン・ルーラーのオランダ語テキストは、ほぼ毎日開いて少しずつでも訳し続けていますが、そのことが自分自身の目の前の現実の教会的実践や、歴史におけるカルヴァンと改革派教会の歩みとどのように絡み、関係しているのかというあたりまで十分に考え抜くことができません。



また、事務系の仕事に忙殺されればされるほど神学的コミュニティから引き離される時間が長くなるわけですが、そうなればそうなるほど「神学的孤独感」(theological lonliness)が深まり、自分の考えていることが虚しく感じられることが多くなります。



私はもしかしたら神学校のようなところで教えがっているのかもしれません。「私は“亡命者”にすぎず、語学力に乏しく、カリスマは皆無で、かつ、あくまでも教会の牧師として召された者なのだから」と、自分では打ち消して来た感情なのですが・・・。改革派神学研修所の東関東教室は、つまらない事件で崩壊しましたし。



ともかくそんな感じの状態ですので、カルヴァンも改革派神学もファン・ルーラーも、すべてが断片化し、まとまらないまま私の脳内とパソコン内に漂っている状態です。思想面においてはカオティックで非生産的な状態であると自覚しています。



そのような状態に加えて、私は最近、自分のメールのシステムを全面的に変更しました。10年以上利用してきたMicrosoft Outlook(有料版)を使用するのをやめ、すべてをGmailに移行しました。その関係で、とても便利になった面と、不便になった面が出て来て、喜んだり困ったりしています。



「Gmailって何?」な方に・・・



Google社が提供する無料メールアドレスです。
詳しくはこちら→ http://mail.google.com



便利になった面は、Gmailは「ウェブメール」なので、どのパソコンから開いても、過去のメールをすべて読むことができること。不便になった面は、Gmailは「スレッド式」という方式を採用しているため、過去のメールが時系列順に並ばず、届いたメールに返信したかどうかがだんだん分からなくなってしまうこと、です。



スター(星)を付ければ既返信か未返信かを見分けることができるとか何とか、そういう機能があるようですが、そういうテクを勉強している時間が無いのです。



「最近、関口のメールが(以前よりも)少ない」とか、「あいつにメールを送ってもなかなか返って来ない」と思われているとしたら、Gmailへの移行に伴う若干の混乱と関係していることは間違いありませんので、心からお詫びいたします。



Gmailのメールアドレスはyasushi.sekiguchi@gmail.comです。従来のysekiguchi@nifty.comに送っていただいても、全く問題なく届きます。