2025年7月29日火曜日

転々としてきた牧師

カワサキニンジャ1000(2012年式)。記事とは関係ありません。


【「転々としてきた牧師」てんてんてん】

東京神学大学の卒業生の初任地を学長が決める伝統が今も続いているかどうかは知らないが、私の頃はそうだった。私の初任地は自分で選んでいない。夏期伝道実習先ですらなかった。完全な初対面。赴任時24歳。35歳年上の主任牧師の下で働き始めた。24+35=59。そうか、主任牧師は今の私の年齢だったか。

東神大在学中の奉仕教会は、出身教会の牧師から命じられた旧ホーリネス教会に2年半、東神大から斡旋された旧メソジスト教会に3年半。私の初任地を決めた学長は左近淑先生。私の卒業年の1990年の秋に59歳で突然亡くなられた。私は後ろ盾を失う形で「改革派・長老派」を打ち出す初任地での働きを開始した。

私が初任地に赴任したのが1990年4月。その教会の主任牧師のお連れ合いが岡田稔先生のご長女だったことから、私と改革派教会のつながりが生まれた。岡田稔先生(1902-1992)は、神戸改革派神学校初代校長で、戦後最も早く日本基督教団から離脱して日本キリスト改革派教会を創立した人々の神学的牽引役。

しかし今書いていることに改革派教会は関係ない。私の初任地の主任牧師は「弟子訓練」の影響を受けて「7つの燭台計画」という論文を書き、これから6つの教会を開拓し、相互関係を維持するために改革派教会のウェストミンスター信仰規準(信仰告白、大・小教理問答)を用いるという幻を抱いておられた。

こだわるべき主義主張は私に無かったし、初めて赴任した教会で59歳の主任牧師の下で24歳の伝道師にできるのは「助けること」と「仕えること」だけだと思ったので、教会内外から多くの批判を受けていた(その事情も赴任後に認識した)「7つの燭台計画」を面白がって、どうしたら実現できるかを考えた。

私なりの結論は「無理」だった。日本基督教団の内部でウェストミンスター信仰規準と長老主義の理念を具体的な形にするのは無理。しかし、私はまだ20代の駆け出しの牧師。初任地の教会や主任牧師が私の人生の責任を取ってくれるとは思えなかった。それで、改革派教会に個人的にお世話になることにした。

これが、1997年に私が日本基督教団から日本キリスト改革派教会に移籍した理由の1つ。私が考えたわけでない「7つの燭台計画」なる幻の実現の道すじを考える中で、長老主義の意味での「中会ないし連合長老会(プレスビテリ)」の意義を知ったこと。その実現の場は日本基督教団の中には無いと悟ったこと。

その私を使えると神さまが思ってくださったようだった。1998年7月に日本キリスト改革派教会で最初に赴任した教会が「東部中会」所属。その4年後の2006年に東部中会から「東関東中会」が分離・新設。その分離作業を管理する委員会の書記に私が任命された。2004年には私が「新しい中会」側の教会に転任。

私が神学研究に没頭しはじめたのも「新中会設立」の流れに巻き込まれたことと関係ある。「改革派教会の《中会》は(日本基督教団の《教区》などと違って)神学的一致が必要だが、神学力が不足しているあなたがたに新中会設立は無理」と罵倒する人々がいて、黙ってもらうために神学せざるをえなかった。

こういうことを時々書きたくなるのは、悔しい思いを持っているからである。私の経歴が「転々としている」という印象になることは分かっている。「新しい教会」を生み出すことと「新しいプレスビテリ」を生み出すことのために努力した、つもりだった。私の名前や働きを思い出してもらいたいのではない。

2025年7月26日土曜日

原付は高速に乗れない

ニンジャ400Rとジョグ50のコラボ(2023年9月12日撮影)

【原付は高速に乗れない】

2018年3月から単身赴任。四輪を廃車。転居先で譲り受けた自転車に3年半。2021年10月原付ヤマハジョグ50を譲り受けて2年乗る。2023年8月普通二輪免許取得、ニンジャ400R購入。同年10月大型二輪免許取得、ニンジャ1000購入、今秋2周年。「自転車→原付→中型→大型」とステップを踏んでいる(言い方)。

趣味でステップアップしたつもりはない。副業との関係とコロナの影響。副業先が片道5キロのアマゾン倉庫だったときは自転車。次の副業先が片道10キロになりしばらく電車、コロナ始まり密を避けたく原付。副業先が片道60キロになっても電車と原付。原付の往復120キロはきつく、二輪免許が欲しくなった。

当たり前だが、原付は高速に乗れない。片道60キロは、東京の多摩地区から茅ヶ崎への通勤だったので、圏央道を使えば苦も無く行ける。スマホのナビもしきりと高速に誘導しようとする(やめてくれ)。原付は30キロ制限で、二段階右折で、車体が軽くて大型トラックの風圧でちょっと浮く(勘弁してくれ)。

逆に言えば、片道60キロ原付通勤を経験しなかったら、二輪免許を取ろうとは思わなかった。こういう経緯を知らない人から「いい歳してニンジャ1000か」的な目を向けられる。言い分は理解できる。「分かってくれとは言わないが、そんなにおれが悪いのか」(チェッカーズ)と心の中で歌っている。以上。

2025年7月24日木曜日

がらんどう

各個教会は「教室」の規模がいいと思う

 

【がらんどう】

未明3時ごろ、寝付けなくて、ふだん観ないテレビに画面を切り替えたら、NHK「ヨーロッパ トラムの旅」でポーランド・クラクフ。名所の多くが教会堂で、興味をひかれたが、あの古くて大きな会堂を維持するための費用はどれぐらいかとか、ミサ出席者はどれぐらいかとか考えてしまい、余計に目がさえた。

キリスト教と教会の「見せ方・見え方」を気にしないネット発信者はいないと思う。私なりに気を遣っているつもりだが、格調の問題は難しい。日本の「歴史的な」教会でもプロテスタントで200年はまだない。古ければ古いほど格調が高いと言えるかどうかも謎。「教会は見世物ではない」と言いたくもなる。

テレビを観なくなって久しいが、ネットの番組も最近までほとんど観なかった。やっと後者をいくつか観るようになったが、課金のハードルが大きく、情報のつまみ食いをしがち。いったん課金すると何年分も観られるが、消費スピードが速いし、発信者の思考パターンにそのうち飽きて、観るものが無くなる。

私の毎週の「板書説教」をユーチューブで配信すればいいのではとすすめてくださった方がおられる。うれしい気持ちでお聴きしたが、ありえない。人によるだろうが、私に限っては、教会の説教も、学校の授業も、ビデオカメラが回っていないからできる。「見世物ではない」と同じ言葉を繰り返したくなる。

だいぶ前から言ったり書いたりしてきたことだが、無名で影響力がない人間なので何度言っても構わないだろう。日本だけかどうかは分からない。長年の悲願と、多くの信仰の先達の尊い捧げものの蓄積であろうことは考慮するとしても、大きな礼拝堂を建てるだけ建てて、文字通りのがらんどうになっている。

「ここから先はある人々以外は入ってはいけない」領域とか「専門家以外決して触れてはならない」器物が設けられたりしている(そうでない教会も多い)ためデリケートで、かつ巨大な建物を維持するために、人を増やして献金を集めなくてはならないという、火を見るより明らかな本末転倒が起こっている。

「3密を避ける」原則は、いったん導入されるとなかなか元に戻らない。献堂時に「詰めれば何人座れる礼拝堂」だったとしても、今はその半分以下で「満堂」という感覚ではないか。問題は、現状の感覚の「満堂」に達している教会が今どれほどか。「ハードルが高すぎる」と苦しんでいる教会が多くないか。

足立梅田教会で、3密を避けつつ「満堂」を目指せば、最近の中高の1クラスの生徒数ぐらい。互いを尊重しながらのコミュニケーションがスムーズ。当教会創立者が長年青山学院高等部の聖書科教諭をなさったことと関係ある気がする。創立者も「板書説教」をなさっていた。しばらくぶりに私の代で再開した。

私が過去に、トータルで6年間、複数のキリスト教主義学校で聖書の授業をしながら考えたのは、各個教会の礼拝堂はキリスト教主義学校の「教室」に近いのか、それとも「チャペル」に近いのか、ということ。「どちらでもあるが、どちらでもない」というのが最適解だろうが、けむに巻く論法は好まない。

私は、各個教会は「教室」の規模がいいと思う。大会議なり冠婚葬祭なり音楽コンサートなりは、各専門業者所有の建物がいくらでもあるだろう。「(巨大な)礼拝堂を用いてそれら(冠婚葬祭やコンサート)をすること自体が伝道である」という論法を過去20年ぐらい聞かされてきたが、それは事実だろうか。

2025年7月23日水曜日

1965年生まれのサブカル遍歴


【1965年生まれのサブカル遍歴】

4つ上の兄との2人兄弟で、マンガやアニメや音楽などは、ある意味当然、兄の影響を強く受けた。ウルトラセブン1話の音声が入ったソノラマシートを聞かせてもらった。「ウィンダム戻れ!」とカプセル怪獣を呼び戻すモロボシダンのセリフが好きで何度も聞いた。松本零士の『男おいどん』も兄のを読んだ。

とはいえ、兄との4歳の差は、体力が違いすぎて一緒に遊べた時期は少なかったし、関心の差も大きくなった。宇宙戦艦ヤマトが再放送でヒットした1975年に私は小4、兄は中2。同年のグレンダイザーがマジンガーZ、グレートマジンガーよりカッコよく思えることを当時兄に話したらあまり興味なさそうだった。

私がリアタイで観て好きになった最初のアニメは、1968年(私3歳)の巨人の星、サイボーグ009、サスケだと思う。同年のゲゲゲの鬼太郎や妖怪人間ベムは、観るには観たが、好きになれなかった。翌1969年(私4歳)のハクション大魔王は好きだったが、ルパン3世、タイガーマスクは4歳児には不向きだった。

1970年(私5歳)のみなしごハッチは観るたびに私が泣いたと母が覚えていた。同年いなかっぺ大将、翌1971年天才バカボンが幼稚園。小1(1972年)でガッチャマン、マジンガーZ、ド根性ガエル。小2(1973年)のアニメはピンと来ず、ウルトラマンタロウに行った。小3(1974年)はゲッターロボとロボコン。

そこからの1975年のヤマト再放送とグレンダイザー。その頃から私の左目の視力が右目と比べて極端に落ちたことに両親が対応。家からテレビが撤去され、私が高校を卒業するまでテレビが無かった。ダイアポロン(1976年)、ザンボット(1977年)などは全部観ておらず、友人の家や祖母の家で断片的に観た。

小6(1978年)の999とハーロックも祖母宅で断片的に観た。映画は観た。アニメージュ創刊号(1978年)をリアタイで買った。1979年(中1)のガンダムも祖母宅で断片視聴。1980年以降アニメを観なくなった。視聴再開は20年の空白後、2000年のワンピースとデジモン。私の子どもが関心を持ち、一緒に観た。

20年の空白期間を経てアニメ視聴再開、と言っても、実際にはほとんど観ていない。子どもたちが観ているテレビの音声が私の書斎まで聴こえて来て、たまに気まぐれな興味をもつ程度。覚えているのは、ケロロ軍曹、コナン、けいおん!ぐらい。エヴァンゲリオンあたりは10年ほど前にネットで観ただけ。

2025年7月8日火曜日

この人を見よ

ニーチェとボンヘッファーの『この人を見よ』

【この人を見よ】

ボンヘッファーのドイツ語版の編者註に「LBでボンヘッファーが下線を引いた箇所は…」と出て来て「LB何?」になった。ボンヘッファーがリビングバイブル(The Living Bible)を愛読していた可能性があるかとよぎったが、すぐ打ち消した。ルター訳聖書をLBと略すのね。ドイツ神学知らなくてすみません。

加齢で目が弱る前に勉強しとけよと30年前の自分に言いたいが、当時はネットが無かったので今ほど調べられなかった。元気なうちは勉強より楽しいことに誘惑されて身も心も費やすだろう。くたびれた頃に追い詰められて、自分の体を打ち叩いて勉強することになる。これからの人の反面教師だけにはなれる。

蔵書を減らそうとしているほどでキルケゴールは買わないことにしてきたが、ボンヘッファーがキルケゴールのドイツ語版から引用していることが分かり、引用元テキストのネット公開版を読むも、原著のどの文献に基づくものかが分からない。情報が欲しくて日本語版の著作集が欲しくなっている。やめとけ。

国籍問わず昔の本にありがちだったと認識しているが、訳書なのに(なのに)原著についての情報が「訳者序文」に見当たらず、自分の言いたいことだけ言う訳者がいたと思う。キリスト教会に舌端火を吐くキルケゴールの言葉に自分の思いを託したいのは理解できなくないが、少し冷静になってねと言いたい。

何をしているのかといえば、ヨハネ19章5節の釈義。ラテン語訳ecce homoがタイトルのニーチェの自伝と、ボンヘッファー『倫理』(Ethik, 1949)の一節がある。後者抜粋版が新教新書『この人を見よ』。後者ドイツ語版編者註にキルケゴールもecce homoを用いているとあり、引用元の確認を完了したところ。

ボンヘッファー『倫理』の新訳が出ているのは知っているが、高くて手が出ない。旧訳とドイツ語版でなんとかする。「この人を見よ」と歌う旧讃美歌121番(21-280番)もecce homo。視野が広がるのはありがたいが、沼の中にいるようだ。朝からまだ何も食べていない。冷蔵庫もカラ。買い物に行かなくては。

2025年7月3日木曜日

片思い

 【片思い】

片思いかもしれないが、昨年3月に転任してきたばかりながら、足立梅田教会に来てよかったと思っている。初代牧師は生涯「補教師」だったためご自身で聖礼典を執行なさったことがない。青山学院高等部の聖書科教員としてご勤務されながらご自宅を教会になさった。教会創立は1953年9月。今秋創立72周年。

初代牧師の在任期間はトータルで35年。創立72周年の教会の歩みの半分。その間にしっかり土台が据えられた。それでいて前記の理由から初代牧師は教会のどなたにも洗礼をお授けにならなかった。それと教会として戦前の教団合同前のどの旧教派の系譜にもない。どの教団内旧教派グループの傘下にもいない。

私の出身教会も、私が過去に働いた教会のうち1つを除いてすべても戦後開拓教会だった。旧教派縛りに馴染みがない。私には日本基督教団の教師であること以外の標識は無い。どことでも誰とでも協力関係を結べる。何の妨げもない。こういう教会が珍しいかどうかは分からないが、私にはたぶん合っている。

ファン・ルーラーは改革派神学者だが、全キリスト教の一部ではなく全キリスト教を継承する「改革された公同教会」(ecclesia catholica reformata)に属していると考えていたので、古代教父から現代神学者までのだれからでもどこからでも引用できた。スイカの細切りではなく丸ごと一個抱えるから強い。

何度となく書いたが、私にはこの人の教えを受け継いでいると言える先生がいない。指導教授は2つの神学校でそれぞれ1人ずつお世話になったし、あからさまに反抗したことはないが、ファン・ルーラーの言うことのほうが正しいと思うので距離がある。おふたりとも80代になられた。敬意を忘れたことは無い。

2025年7月2日水曜日

教理説教の副産物

『ファン・ルーラー著作集』翻訳中


【教理説教の副産物】

教理説教が助かるのは、聖書と今を教理史でつなげること。「聖書はこう。我々はどう」と途中2千年分を無視する話し方をせずに済む。教派性を加味して「聖書はこう。宗教改革者はこう。我々はどう」と言ったところで、500年ほど無視している。哲学や心理学でつなぐのは、わざわざ教会で聞く話かどうか。

教理説教の準備として『ファン・ルーラー著作集』をまず読むようにしている。ファン・ルーラーがすごいのは、古代教父から現代神学まで引き出しが多いこと。衒学的につまみ食いで名前を挙げているだけのようなのと全く違う。どの教父、どの神学者についても、長文なのに平易で的確な解説をしてくれる。

この先私が何をどれだけ学んでも、アウトプット先は日曜日の礼拝説教とブログだけ。かつて「ファン・ルーラー研究会」でしていたように、キャッキャ言いながら面白がってファン・ルーラーを読む会を再開できるといいが、そこまでの気力がまだ戻っていない。当時は合宿研修や公開講演会までしていた。

言うだけ番長でないところをたまには見せないと信頼してもらえないので、今撮った。「ファン・ルーラー著作集」を急ピッチ翻訳中。出版は夢のまた夢。私の仕事ではない。もっと売れる人の名前でないと。私は教会の役に立てばいい。翻訳はごく限られた専門家向けになるだろう。リソグラフで間に合う。

2025年6月25日水曜日

ジークアクス全話視聴完了

 


【ジークアクス全話視聴完了】

ジークアクス最終回を昨夜から4回観ました。関連があるようなので初ガンダム全話、Z(ゼータ)ガンダム全話を当時は1話すらまともに観ていませんが、ジークアクス最終回直前5分前までに視聴完了。正史(というそうで)で、まだZZ(ダブルゼータ)と逆シャアがあるそうですね。近日中に観終えたい所存。

かれこれ半世紀前のアニメファン(オタクだとかは私は断じて言わない。後代の加筆っぽい)を見下げる思いは私は無い。スリム&スマートなバスケ部員(限定)と応援者がたか、大学受験のことしか関心がなかった方々以外は、大なり小なりアニメファンだったのではないかと思うし、私も例外ではなかった。

「ガンダム」はリアタイで観ていない。私だけでないかもしれないが、私だけかもしれない。私がテレビの観すぎで左目だけ仮性近視になったことに両親が対応して1972年から1984年まで家からテレビが撤去された。1984年大学入学と同時に実家にテレビが再導入されたので、私が理由であることは間違いない。

「ガンダム」は正直どうでもよかったが、ジークアクスを全話観た感想として意外なほど面白かったのかもしれないと思わされた。「向こう側のキラキラ」とかは、私個人とは微妙にずれる数年から十数年あとの後輩(と言わせていただく)の感覚かもしれないが、私は知らない。メタ視点で観ることができた。

亡き両親に感謝すべきかもしれない。たぶん観たかったのだろうテレビを、私の左眼視力減退を理由に家から取っ払った。そうかどうか必然性の証明はできそうにないが、私はテレビ漬けの洗脳から解放されている。今の私はかれこれ10年以上、テレビ漬けの生活をしていない。中毒性を回避できていると思う。

(別に反応を求めていませんよ)

2025年6月20日金曜日

「教会の外に救いなし」のキプリアヌスの生涯を調べる

私の書斎のキプリアヌスについて書かれた本


【「教会の外に救いなし」のキプリアヌスの生涯を調べる】

手持ち資料を頼りにキプリアヌスについてまだ調べている。あるのは『偉大なる忍耐・書簡抄』日本語版(初版1965年)、F. L. クロス『教父学概説』(1969年)、E. ファーガソン編『初期キリスト教辞典』(1990年)、「聖なるキュプリアヌスの行伝」『殉教者行伝 キリスト教教父著作集22』(1990年)。

西暦200年頃生まれ。誕生日不明。アフリカのカルタゴの比較的裕福な家庭出身。学者として名声を得た後、45歳頃キリスト教入信。私財を売り払って施し、教会の長老になる。48歳か49歳の頃カルタゴの司教に選ばれる。入信からの期間が短すぎたため反対者が多かったが、教会員からの厚い支持を得ていた。

50歳(西暦250年)のとき、ローマ皇帝デキウスがローマ古来の宗教を再興するための政策として大規模なキリスト教迫害開始。自分は目立つ人間だと自覚していたキプリアヌスは、身をさらすと教会員が危険な目に遭うと考えて潜伏。書簡を用いて牧会しようとした。このあたりは評価が分かれそうなところ。

多くの教会員が帝国軍の迫害に堪えられず、数週間で棄教。後日、教会への復帰を求める人たちにキプリアヌスは、最初は厳しい態度を取るが、やがて方向を改める。自分も潜伏したことと態度の軟化が関係あったかどうかはまだ分からない。「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」と言える状況だったかどうか。

キプリアヌスは55歳から2年間、異端や分派で洗礼を受けた人が教会復帰する場合には「再洗礼」を授けるべきかどうかでローマ司教ステファノ1世と論争。キプリアヌスは「授けるべき」、ステファノは「授ける必要はない」。論争中ローマ総督に逮捕され、斬首。F. L. クロスによると「258年9月14日」死去。

ここから先は私の想像を多く含む。キプリアヌスにとって洗礼において大事なことは、水そのものの効力でなく、三位一体の神への信仰告白が伴っているかどうか。「偽りの水を恐れるな!」と喝破する線。私はこういう人は嫌いではない。『行伝』に描かれているキプリアヌスの殉教前のやりとりも意志の人。

「なぜなら教会の外に救いはないからである」の一文を含む「第73書簡」は西暦256年の半ばに書かれたものとされる。この内容も「洗礼」の問題。三位一体の神への信仰を伴わない入会儀礼は「洗礼ではない」ので、異端や分派から「教会」に来た人に「洗礼」を授けるべきであるという論理。整合性がある。

キプリアヌスの生涯は実に興味深い。ロドニー・スターク『キリスト教とローマ帝国』(新教出版社、2014年)で取り上げられていた西暦2世紀から3世紀にかけてローマ帝国で大流行した疫病の罹患者への献身的対応とキリスト教宣教の進展との関係の件は、キプリアヌスとの関係が重要であることに気づいた。

2025年6月19日木曜日

キプリアヌスの「教会の外に救いなし」の意味を調べる

キプリアヌス『偉大なる忍耐・書簡抄』(創文社)


【キプリアヌスの「教会の外に救いなし」の意味を調べる】

昨日(6月18日)、キプリアヌス『偉大なる忍耐・書簡抄』(創文社)が古書店から届く。第73書簡の「なぜなら教会の外に救いはないからである」(quia salus extra ecclesiam non est)の意味を調べたかったが、本『書簡抄』には全81書簡中5、8、52、54、56、57、77の計7書簡しかないことが分かった。

今日(6月19日)、キプリアヌスの「教会の外に救いなし」のテキストをドイツ語版でやっと見つけた。ドイツ語は責任を持てないが、要は「異端の洗礼もどきは洗礼ではないので、異端から教会への入会者に対して洗礼式を執行すべき」という話のようで、現代でも受け入れられているルールのように読める。

キプリアヌス『書簡集』第73書簡21(ドイツ語版)
https://bkv.unifr.ch/de/works/cpl-50/versions/briefe-bkv-8/divisions/421

初見の印象にすぎないが、この箇所にキプリアヌスが「教会の外に救いはないからである」(ドイツ語版 weil es außerhalb der Kirche kein Heil gibt)と書いているときの「教会」(der Kirche)は、父・子・聖霊なる三位一体の神への信仰を共有していない「異端」(der Ketzerei)の対義語である。

そして、この箇所全体(第73書簡21)でキプリアヌスが最も言おうとしていることが「異端から教会に来た方々には洗礼を受けていただかなくてはなりません」(Und darum müssen sich diejenigen taufen lassen, die von der Ketzerei zur Kirche kommen)であることは、ドイツ語が苦手な私でも分かる。

言い換えれば、キプリアヌスは「異端の洗礼の無効性」を語っているだけである。異端にだまされた人々にきっぱり手を切ることをすすめる流れといえる。それと、もしかして当時「教会の外に救いなし」という標語かことわざのようなものがすでにあって、それをひょいと持ち出しただけのような印象もある。

キプリアヌスの意図がかろうじて判明して、私は安堵している。西暦3世紀(200頃-259頃)の人が書いた「教会の外に救いはないからである」(quia salus extra ecclesiam non est)という一言が、文脈から切り離されて独り歩きし、時空のはざまを漂流し、1800年後の我々の心をざわつかせる。いろいろすごい。