2021年12月12日日曜日

主の道を備える(2021年12月12日 待降節礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

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「主の道を備える」

イザヤ書40章1~11節

関口 康

「呼びかける声がある。主のために荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために荒れ野に広い道を通せ。」

今日の聖書の箇所は旧約聖書のイザヤ書40章です。イザヤ書についてはだいたい定説になっている読み方があることを確認する必要があります。それはイザヤ書の1章から39章までを書いた預言者イザヤと、40章以下を書いた預言者とは、別の時代の別の人であるということです。

なぜそのように言えるか。1章から39章までを書いた預言者イザヤは、この人が紀元前8世紀の南ユダ王国のウジヤ王の顧問官だったことが分かる内容が記されています。それに対し、40章以下に描かれているのは紀元前6世紀の出来事です。特に44章28節に出てくる「キュロス」という名前の人物は、紀元前6世紀のペルシアの王です。

そのため、紀元前8世紀の「本来の」イザヤが2世紀も隔たりがある紀元前6世紀のペルシアの王の名前を知っていたはずがないという推論が働き、要するに40章以下は紀元前6世紀の人が書いたとしか言いようがないという結論になったという次第です。イザヤ書40章以下を、39章までの預言者と区別するための学説上の名称は「第二イザヤ」と言います。

さらにもう少し言えば、「第二イザヤ」の範囲は40章から始まってイザヤ書の最後まで、ではなく、「第二イザヤ」の終わりは55章までで、56章から66章まではさらに別の預言者が書いたものだと言われます。その部分の著者を、学説上の名称で「第三イザヤ」と言います。

「第三イザヤ」の時代は「第二イザヤ」と同じ紀元前6世紀です。しかし、「第二イザヤ」との違いは思想や用語が違うと言われます。ヘブライ語の聖書を読むことができる学者がイザヤ書を読むと、55章から56章に移るところでがらっと文体や語調が変わる様子が分かるそうです。

しかし、このような、同じ「イザヤ書」の中に異なる時代の別の預言者の言葉が含まれているという学説は、それが定説として受け入れられるまでにしばらくの年月がかかったと思われます。もっとも私は、この学説が教会に受容された詳しい消息を知っているわけではありません。

しかし、このような聖書に関する、聖書に直接書いてあるわけでない学説上の知識の話を教会の中でするだけで嫌悪感や拒絶反応を表明されることがあるので要注意だと思っています。私も、自分が知っていることのひけらかしをしたいわけではありません。聖書という書物を歴史的背景や文脈を無視して、まるで占いの本であるかのように読んではいけないと思うだけです。

かろうじて21世紀まで生きた私たちです。しかし、2世紀後の23世紀の世界がどうなるかを知ることは不可能です。そのとき世界はどうなるかについて勝手なことを言うのは、ある意味で簡単です。しかし、23世紀にもなお日本という国があるとして、そのときもまだ天皇や総理大臣などの制度が仮に存続しているとして、その人たちの名前を今のわたしたちが言い当てることは不可能です。それとイザヤ書の時代的区分の話は同じだと思っていただきたいです。

イザヤ書40章からの「第二イザヤ」は紀元前6世紀の人です。紀元前11世紀に成立したイスラエル王国が初代サウル王時代、二代目ダビデ王時代、三代目ソロモン王時代を経て、ソロモンの子どもたちが王位継承権を争い、北と南の2つの国へと分裂しました。それが前10世紀です。

その後、北王国は紀元前8世紀にアッシリア帝国によって滅ぼされ、南王国は紀元前6世紀に新バビロニア帝国によって滅ぼされます。

特に、南王国が新バビロニア帝国によって滅ぼされたときは、南王国の指導者層の人々(その人数は3千人とも1万人とも言われる)と、両眼をつぶされ、青銅の足かせをかけられた南王国最後の王ゼデキヤとが新バビロニア帝国の首都バビロンに連行され、そこで約70年とらえられた状態にありました。それを「バビロン捕囚」と言います。

その後、新バビロニア帝国はペルシア帝国によって滅ぼされ、ペルシアの王キュロスはユダヤ人をバビロンにとらえたままにする必要がないと判断し、ユダヤ人をパレスチナに返しました。それで、バビロンから解放されたユダヤ人たちは、祖国の首都エルサレムに戻り、新バビロニア帝国によってめちゃくちゃに破壊された町や神殿を、時間をかけて再建しました。

今日開いたイザヤ書40章以下の「第二イザヤ」は、キュロスによってバビロンからユダヤ人が解放され、祖国再建の夢を抱いてパレスチナに帰還したその出来事をまさに描いています。これは紀元前6世紀の出来事なので、紀元前8世紀の本来のイザヤがそれを知りえたはずがない、というのが今日の最初に説明したことです。

私は聖書の講義をしているわけではありません。聖書の言葉を歴史的な文脈を無視して読んで、その中の印象的な言葉を書にして、額縁に入れて飾るだけでは何の意味もないと思っているだけです。それだけであれば、聖書はただのファッションです。聖書の言葉は自分を心地よい気持ちにしてくれるだけのアクセサリーではありません。

しかも、今日の箇所を含むイザヤ書40章以下の「第二イザヤ」が描いている状況は、ユダヤ人たちがバビロン捕囚から解放されてエルサレムに戻って祖国を再建する夢と希望を抱く場面です。「バビロン捕囚、バビロン捕囚」と言いますが、それは要するに戦争とその結果です。自分の国が負けて敵国の支配下に置かれ、自分たちの思い通りにならなくなることです。

高齢者になって、若いころにはできたことができなくなって、若い人たちに支配された状態に置かれることも、ある意味で似ているかもしれません。自由でない状態に我慢ができなくなって爆発的に騒ぐ人たちがいますが、それも似ています。戦争に負けて自分たちの自由を奪われた人たちの希望と目標は、自分たちの思いどおりにできるようになることでしょう。彼らにとってはそれが「バビロン捕囚からの解放」の意味です。

このイザヤ書40章以下の言葉と、ユダヤ人のバビロン捕囚からの解放の出来事が、新約聖書のマタイによる福音書に直接影響を与えていることは明白です。マタイ1章1節以下の「イエス・キリストの系図」の最後に「アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまで14代」(17節)と書かれているのは、マタイによる福音書がキリストを「バビロン捕囚からの真の解放者」だと考えているからだと私は考えます。

しかし、イエス・キリストはユダヤ人を政治的に解放して新しい国を作るために来られたわけではないというのがマタイによる福音書を含む新約聖書の教えであり、わたしたちキリスト教会の信仰です。「バビロン捕囚」は「敗戦」という言葉に置き換えることができます。敗戦を実際に体験した世代の方々には「敗戦」と言うほうがピンと来るかもしれません。

戦争に負けた敗戦国がめざすことは、敵国への復讐を果たして戦争以前の国を取り戻すことではなく、人と人が争い合うこと自体をやめ、真の平和の実現のために人間の心の問題に取り組み、神による魂の救いを体験することです。イエス・キリストが来てくださったのは、そのためです。

(2021年12月12日 待降節礼拝)

2021年12月5日日曜日

受胎告知(2021年12月5日 待降節礼拝)

日本キリスト教団昭島教会〔東京都昭島市中神町1232-13)

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「受胎告知」

ルカによる福音書1章26~38節

関口 康

「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』そこで、天使は去って行った。」

今日から、礼拝の司会を牧師が行う緊急事態方式を終了し、本来の方式に戻します。現時点では日本国内は爆発的感染と言えるような状況にないからです。またどうなるか分からないというのが正直な気持ちであり、みなさんも同じお気持ちでしょう。しかし、それでも「できることをできるうちにする」という姿勢が大事です。

礼拝の司会の件は、それをだれがすべきかという議論が目的ではなく、礼拝当番表を作成するのを中止することが目的でした。教会のすべての奉仕は自発的なものでなければならず、義務や責任という観点からうんぬんされるべきではありません。しかし、当番表があると礼拝の出席や奉仕が強制的なものと感じられ、感染症対策の観点から外出を控えたくても義務感が生じるので、当番表の作成自体をストップしましょうと役員会で決めた次第です。

しかし礼拝の司会をすべて牧師が行う方式は長く続けるべきではありません。礼拝の雰囲気がどうしても一本調子になります。慣れるとそのほうが良くなるかもしれませんが、まさにそれが危険です。

学校も似ている面があります。感染症対策の観点から校舎での対面授業をすべて取りやめて、インターネットを活用したリモート授業に切り替える措置をとった学校が多くありました。それにみんなが慣れてくると、もうずっとそのほうがいいという空気になりそうな勢いを感じました。しかし、リモート授業は本来の形ではなく、緊急措置です。対面授業とリモート授業は全く別のものです。良し悪しの問題ではなく、異なるものを同一視してはいけません。

教会の礼拝も、牧師の声だけが響く形でなく、教会のみんなで作り上げていく形が、昭島教会の本来の礼拝です。異なるものを同一視してはいけないという観点を忘れずにいましょう。再び状況が悪化してきたら、いつでも緊急自体方式に移行するという柔軟な姿勢でいたいと願います。

さて、今日は待降節第2主日です。クリスマス礼拝が再来週の12月19日に迫りました。会社の方々は年末年始は忙しいでしょうし、学校は期末試験の最中です。受験生は大詰め段階です。そのような中で迎えるクリスマス礼拝ですので、とにかく安心できる、ほっとする、慰められる、ほめてもらえる礼拝になりますようにと願うばかりです。

先ほど司会者に朗読していただいた聖書の箇所に記されていました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(28節)。天使ガブリエルがマリアに告げた言葉です。

1989年版の改定英語訳聖書(The Revised English Bible)で「おめでとう」は“Greetings”と訳されています。英語でメールを書く仕事をしておられる方がおられると思います。特に公式のメールを書くとき、毎回のようにGreetingsと、冒頭か末尾に書くならわしがあることを私も知っています。その意味は「おめでとう」でもあり「こんにちは」でもあります。

もちろん、この「おめでとう」という天使ガブリエルの言葉を聞いた直後のマリアの反応が、ただ戸惑いでしかなく、もっとはっきりいえば恐怖でしかなく、あまりに大きな精神的ダメージを受けて立ち直れなくなりそうなほどであったことをわたしたちは知っています。

結婚する前のマリアであったということもさることながら、天使ガブリエルの言葉によると、生まれる子どもは「偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」(32~33節)というのですから、マリアに求められたのが王の母になる覚悟と準備であるのは間違いありません。

それがマリアにとって「おめでたい」話だったとは思えません。当時の状況を考えると、天使ガブリエルの言葉を聞いたマリアが何の驚きもためらいもなく「了解です」と反応したとしたら、皮肉な言い方になりますが、マリアは相当おめでたい人です。

なぜそう言えるかといえば、当時の状況を考えれば、「ダビデの王座」や「ヤコブの家の支配」は、あのヘロデ王が継承しているとみなされていた時代です。地域差別や職業差別をする考えは、私にはありません。しかし、ナザレというガリラヤの町で大工を営むヨセフといいなずけの関係にあったマリアが、自分から生まれる子どもに王位継承権があると本気で信じたのだとすれば、マリア自身が自覚しなければならなかったのは、自分から生まれる子どもは、現政権を維持するために生まれるのではなく、それを根本的に破壊し、くつがえし、新しい国にするほどの革命家の母になることの覚悟と準備であったとしか言いようがありません。

しかし、ルカによる福音書に記されているマリアの反応は、今申し上げた方向ではなく、私はまだ結婚していないのにどうして子どもが生まれるのだろうとか、そちらの方向に膨らんでいるのは、いかにも幼稚です。そんなことはどうでもいいとは申しません。しかし、本気で政権交代をめざす子どもの親になりなさいと、まるでそう言われたかのような天使の声に対して、マリアがそのとき何を考え、どう応えるべきだったかは、別の問題に属する気がします。

しかし、かなり混乱しながらも、最終的にマリアが出した結論と答えは素晴らしいものです。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(38節)とマリアは天使ガブリエルに答えました。

先ほどご紹介した1989年版の改定英語訳聖書(REB)には、次のように訳されています。“I am the Lord’s servant. May it be as you have said”.この英語は理解が難しいかもしれません。もっと前の1946年版の改定標準訳聖書(Revised Standard Version)では、次のように訳されています。“I am the handmaid of the Lord; Let it be to me according to your word”.

そうです、ビートルズです。レット・イット・ビーは「なるがままに」とか「放っておけ」などと訳されます。ビートルズの場合は、困ったときにマリアが来てくれて「レット・イット・ビー」と言ってくれる歌です。しかし、改定標準訳聖書(RSV)に従えば、「レット・イット・ビー」は、マリアが天使ガブリエルに答えた言葉です。

しかし、それは「どうにでもなれ」「そんなの知るか」という自己放棄ではなく、「神の言葉がこの私の存在において実現しますように」という祈りです。「私は一切関わりたくありませんが、神の言葉は実現しますように」という祈りでもありません。「私をどのようにでもお用いください。私はあなたに服従いたします」という神への信頼と服従の表明であり、態度決定です。

わたしたちはどうだろう、私はどうだろうと、何度も自分に問いかける必要がありそうです。

(2021年12月5日 待降節礼拝)

2021年11月21日日曜日

信仰を受け継ぐ(2021年11月21日 主日礼拝)

収穫感謝礼拝(2021年11月21日)
讃美歌21 358番 小羊をばほめたたえよ! 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「信仰を受け継ぐ」

サムエル記上16章5b~13節

関口 康

「サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼(ダビデ)に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。」

先週の説教の冒頭で申し上げたことを繰り返します。いま私が毎週の聖書箇所を決めるために用いている日本キリスト教団聖書日課『日毎の糧』で、クリスマスの前に旧約聖書を取り上げることになっていることには意味があります。

イエス・キリストのご降誕をお祝いするのがクリスマスです。イエス・キリストのご降誕には旧約聖書に示された神の約束が実現したという意味があります。その意味を明らかにするために、クリスマスの前に旧約聖書を学ぶことが大事です。

信仰の父アブラハムから始まるイスラエルの歴史の中で待ち望まれたキリストが本当に来てくださったと、十字架にかかって死に、三日目に復活されたナザレ人イエスと初めて出会った人々が信じました。イエス・キリストは苗字と名前ではありません。「旧約聖書に約束されたキリストがこのイエスである。このイエスこそあのキリストである」という関係をあらわす言葉です。

「イエス」は固有名詞です。「キリスト」はいわば肩書きであり、職務です。「キリストという仕事」があるという意味になります。そのことを具体的にあらわすために、イエスとキリストの間に中黒(・)ではなく、等号(=)を書く人がいます。新約聖書の中にも「イエス・キリスト」という語順だけでなく、「キリスト・イエス」と逆になっている箇所があります(ローマの信徒への手紙1章1節、テサロニケの信徒への手紙一2章14節、テトスへの手紙1章4節など)。

しかし、日本語の旧約聖書のどこを開いても「キリスト」は出てこないではないかと思われる方がおられるかもしれません。それは日本語の聖書だからです。「キリスト」はギリシア語ですが、旧約聖書はヘブライ語で書かれました。ヘブライ語の「メシア」(マーシアハ)のギリシア語訳が「キリスト」(クリストゥス)です。メシアは旧約聖書に登場します。「旧約聖書にはキリストは出てこない」という説明は間違いです。しっかり登場しています。

しかも旧約聖書に「メシア」はたくさん出てきます。たとえば、今日開いている聖書の箇所にまさに出てきます。旧約聖書の「メシア」の意味は「油を注がれる者」という意味です。この意味の「メシア」が「キリスト」です。言い方を換えれば、旧約聖書に「油を注がれる者」と記されている箇所のすべてを「キリスト」と訳しても間違いではないということです。

今日の箇所はサムエル記上16章です。何人かの人が登場しますが、この中で特に重要な人物はサムエル、サウル、ダビデ、エッサイの4人です。サムエルは預言者です。サウルはイスラエル王国の初代国王です。ダビデは第2代国王です。エッサイはダビデの父親であり、羊飼いです。

この4人の中に3人「キリスト」がいます。サムエルもサウルもダビデも「キリスト」です。それは、この3人は「油を注がれた者」(メシア)であるという意味です。この3人だけが「油を注がれる者」(メシア)であるという意味ではありません。旧約の時代には、預言者、王、祭司の3つの職務に就く人々の頭に油が注がれました。それらすべての人が「キリスト」です。

今日の箇所に記されているのは、預言者サムエルがイスラエル王国の初代国王のサウルに油を注いだけれども、サウルが職務を継続するのが不可能になったために、サウルを退け、サウルの代わりに新しい王としてダビデを選び、ダビデの頭に油を注いだ場面です。

最初に申し上げたとおり、イスラエル民族の歴史はアブラハムから始まりましたが、最初は遊牧民の一家族にすぎませんでした。しかし、神の約束の通り、空の星の数ほど、大地の砂粒の数ほど、数えきれない多くの子孫を与えられ、ついにひとつの国家を作ることになりました。

それで、預言者サムエルが王国としてのイスラエルを率いる初代国王になるサウルの頭に油を注ぎましたが、サムエルはイスラエルが王国になることに否定的でした。そのことがサムエル記上8章にはっきり記されています。ぜひじっくり読んでみていただきたいです。

サムエルはなぜイスラエルが王国になることに対して否定的だったかといえば、イスラエルは本来的に信仰共同体であるべきであるという認識をサムエルが持っていたからです。信仰共同体の勢力が増したからといって国家になり、政治の共同体になってしまうと、「神」を信じる信仰が、いつの間にか、強いリーダーシップと権力を持つ「人間」への信頼や期待に置き換えられ、それによって共同体の内実が変質してしまうからです。

教会も同じです。教会に集まる人々は、神への信仰を求めて集まります。しかし、教会の勢力が拡大してくると、強いリーダーシップや権力を持つ人が、おのずから登場する面があるのと、そのようなリーダーをみんなが要求しはじめる面もあり、教会の内実が変質します。神に従っているのか、強いリーダーに従っているのかが分からなくなってしまうのです。

しかし、イスラエルの人々の中から強いリーダーを求める声が強くなり、それに逆らうことができなくなったので、サムエルは王を選ぶことにし、初代の王としてサウルに油を注ぎました。サウルは最初の頃は良かったのですが、高齢になって晩節を汚す言動を繰り返すようになったので、サムエルがサウルに代わる2代目の王を探すことになりました。

それで、サムエルは羊飼いだったエッサイの子どもたちの中からダビデを選び、その頭に油を注ぎました。サウルは自分が職務から退けられ、自分の代わりにダビデが新しい王になることを知ったとき、嫉妬にかられて怒り、ダビデを殺そうとします。しかし、ダビデは、自分がサウルから殺されそうになったときも、その後も一貫してサウルに対する敬意を持ち続けました。

なぜダビデが自分のことを殺そうとまでする先代の王サウルに対して敬意を持ち続けることができたのかといえば、その理由がまさに「サウルは油を注がれた人だから」ということでした。そのことがはっきり記されているのがサムエル記上26章です。「主が油を注がれた方に、わたしが手をかけることを主は決してお許しにならない」(11節)とダビデが語っています。

ダビデはサウルの人間性やリーダーシップを尊敬したのではありません。その面には失望し、軽蔑すらしていたでしょう。しかし、ダビデは最後までサウルを尊敬しました。それがダビデにできたのは、サウルが「油を注がれた者」であること、つまり、神がなされた行為に対する畏れと信仰を最後まで重んじたからです。

教会も同じです。これからも教会の歴史は続いていくでしょう。それはいま生きている私たちの信仰を、次の世代の人々が受け継いでくれることを意味します。しかしそれは、今の私たちを尊敬してほしいと次の世代の人々に要求することとは違います。「私たち」でなく「神」を信じてほしいと願うだけです。その点が不明であれば次の世代の人々の中に不信感が生まれます。

(2021年11月21日 主日礼拝)

2021年11月14日日曜日

信仰と決断(2021年11月14日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 474番 わが身の望みは 奏楽・長井志保乃さん、字幕・富栄徳さん

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「信仰と決断」

創世記13章8~18節

関口 康

「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。」

先々週、先週、そして今日と、3回続けて旧約聖書の創世記を開いています。日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に従っています。

この時期に旧約聖書の学びをするのは、クリスマス礼拝が近づいていることと関係あります。新約聖書とキリスト教会の視点から言うと、わたしたちの救い主イエス・キリストがお生まれになったことには旧約聖書の神の約束が実現したという意味があるからです。

今日の箇所の登場人物も、先週と同じアブラハムです。「信仰の父」と呼ばれることがある存在です。イスラエル民族の初代族長です。アブラハムが旧約聖書で初めて登場するのは創世記11章27節です。

それはアブラハムの父の名がテラと言い、そのテラの系図の中にアブラハムの名前が出てくる箇所です。ただし、そこに記されているのは「アブラム」という名前です。「テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれた」と書いてあるとおりです。

この「アブラム」がその後「アブラハム」と名前を変える場面も、創世記の中にしっかり記されています。17章5節に神さまの言葉として「あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである」と書かれているとおりです。

この改名にはもちろん意味があります。「アブラム」という名前の意味は「偉大な父」であるのに対し、「アブラハム」の意味は「多くの民の父」です。

このアブラハムが「イスラエル民族の初代族長である」と先ほど言いましたが、「イスラエル」という呼び名はアブラハムの頃にはまだなく、この名前が登場するのは創世記32章29節です。アブラハムの孫の三代目族長ヤコブに(おそらく)神が「お前の名はもうヤコブではなく、これからイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」とお話しになったことに由来します。

しかし、だからといってイスラエル民族がヤコブから始まったわけではありません。初代族長はアブラハム、二代目はアブラハムの長男のイサクです。ヤコブは三代目です。このようなことはすべて創世記、ひいては旧約聖書の中に記されています。

しかし、イスラエル民族の最初の出発点のアブラハムは、まだアブラムだったころ、妻サライ(創世記17章15節以降は「サラ」と改名)、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、父テラと共に生活していたハランの地で加わった人々を連れて、カナン地方に向けて旅をはじめました。そのときは「民族」ではなく、ひとつの「家族」でした。

「アブラムはハランを出発したとき75歳であった」(創世記12章4節)とも書かれています。亡くなった年齢は「175歳」だったことが創世記25章7節で明らかにされています。今の私たちと同じ年齢の数え方なのかそうではないのかを判断する根拠を、私は勉強不足で知りませんが、「アブラハムは長寿を全うした」(創世記25章8節)とは書かれていますので、「長寿」であるという認識はあったと思われます。

しかし、しかし、と何度も話を引き戻さなくてはなりません。今日開いている箇所に記されているアブラハムの姿も、先週の箇所の彼の姿も、「偉大な父」あるいは「多くの民の父」になっていく前の、むしろ孤独で小さな存在であった頃の彼であるということを言わなくてはなりません。

そして、このようなことを学びながらわたしたちが考えるべきことは、教会のことです。聖書の時代の族長物語についての知識を得ることも大事です。しかし、単なる知識に終始するだけだと「だからどうした」という疑問がわいてきます。

むしろ大切なのは、アブラハム自身にせよ、その後のイスラエル民族のあり方にせよ、わたしたち自身の姿、教会の姿と重ね合わせて読んでいくことで、わたしたちのあり方、教会のあり方を考えることです。

アブラハムも最初は、実家を飛び出して、むしろ孤立した夫婦と甥と一緒に働く人だけだった。そこから一大民族になるまで相当の時間がかかったということを学ぶべきです。教会も同じです。教会の規模が小さい、人が少ないといろいろ言いたくなるのも分かりますが、規模が大きくなるまでに世代を重ねて行かなくてはなりません。

しかし、まだ今日の箇所である創世記13章に書かれていることには、触れていません。やっと前提の話をし終えたところです。今日の箇所に記されているのは、アブラハムとサラの夫婦と、甥のロトが別れて、その後は別の道を進むことにした、その決断の場面です。

なぜ別れることになったかは13章5節以下に記されています。「アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた」が、「その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた」など、その経緯が縷々明らかにされています。

このままの状態が続くとけんかになると考えたアブラハムがロトに提案したのが、別々の道を進んでいくことだったというわけです。「わたしたちは親類どうしだ。わたしたちとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう」(9節)とアブラハムのほうから提案しました。

これが意味することは、アブラハムの側が譲歩したということです。右に行くか左に行くかの選択の優先権が私のほうにあるとアブラハムが主張せず、むしろロトの側に優先権を手渡したということです。こういうところにアブラハムの偉大さを私は感じます。

ロトが選んだのは、「ヨルダン川流域の低地一帯」で、「主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた」(10節)ほうでしたが、そちらに悪名高き滅びの町「ソドムとゴモラ」があったことが、後で分かります。

アブラハムに残されたのは、ヨルダンの低地と比較すると高く、牧畜に適さず、厳しい環境の「カナン地方」でした。そのカナン地方に数百年後、イスラエル王国が築かれます。

歴史の分かれ目に、そこに立ち会う人々の信仰と決断が問われます。決して悪い意味ではなく、むしろ大いに良い意味で「人の思いが働く」のです。人間が何もしないで手をこまねいたままで歴史が勝手に動くわけではありません。

教会も同じです。わたしたちの信仰と決断が、明日の教会、未来の教会を作り出すのです。

(2021年11月14日 主日礼拝)

2021年11月7日日曜日

神の民(2021年11月7日 教会創立69周年記念礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

オリジナル讃美歌「善き力にわれかこまれ」


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「神の民」

創世記15章1~15節

関口 康

「主は彼を外に連れ出して言われた。『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。』そして言われた。『あなたの子孫はこのようになる。』」

今日は「昭島教会創立69周年記念礼拝」です。今日の週報に記しましたように、1952年11月2日に日本キリスト教団昭和町伝道所として最初の礼拝を守り、今年は数えて69年になります。

昭島教会50周年誌『み足のあと』(2002年)の「年表」によると、1952年11月2日の週報が「第1号」です。そして今日の週報が「第3593号」です。それは3593回の聖日礼拝が行われたことを意味します。最初の礼拝から今日まで69年間、石川献之助先生が昭島教会の伝道と牧会を続けて来られました。途中で一度隠退されましたが、協力牧師の立場にとどまられ、その後主任牧師に復帰されました。今年からは名誉牧師になられました。

ただし、今日の礼拝を含めた3593回の礼拝の中に、昨年(2020年)4月からたびたび出された緊急事態宣言との関係で「各自自宅礼拝」として行った回が含まれています。週報についても、合併号を作成して発行部数を少なくした時期もありますが、礼拝の回数は間違っていません。

しかし、『日本基督教団年鑑』では昭島教会の設立日は「1951年4月30日」であるとされています。そのとおりであれば、今年は創立70周年です。なぜこの違いが生じたのでしょうか。これも昭島教会50周年誌に答えがあります。教団年鑑記載の「1951年4月30日」は青梅教会の久山峯四郎牧師が兼務担任教師として昭和町伝道所の設立届を提出した日です。しかし教会員はゼロでした。だれもいないところに石川先生が招聘されました。そして最初の礼拝を行ったのが69年前の「1952年11月2日」ですので、その日が創立記念日であることに十分な理由があります。

この問題には「教会とは何か」という根本的な問いが含まれています。『み足のあと』によると、昭和町に阿佐ヶ谷教会員の石黒トヨ姉と淀橋教会の本多弥蔵兄がおられ、両家が集まる家庭集会で「この地に教会が与えられるように」と祈りがささげられていました。

また在日米軍横田基地で働いていた近藤駿兄が基地内教会で洗礼を受け、昭和町で街頭子ども会を開いていたのを基地内教会のチャプレンのハプソン氏が応援して、献金を集めて木造の教会堂を八清公園に建てて、日本キリスト教団東京教区に寄贈しました。それを教会にしようと考えた東京教区伝道委員会が、久山先生に伝道所設立届を出してもらったというわけです。

それが「教会」なのかというと、そうではありません。それがわたしたちの立場だと私は理解します。建物があるから、この地に教会が与えられるようにと祈っていた人々がいたから、伝道所設立届が教団に受理されたから、だから「教会」なのか。そうではありません。69年前の今日は石川先生が専任教職として赴任された日でもありません。最初の聖日礼拝が行われた日です。この「礼拝が行われた」という生きた事実が出発点であるという理解に立つことが重要です。

しかしまた、今申し上げた理解に立って「教会」をとらえることは、わたしたちにとっては、ある意味で厳しい問いと絶えず向き合っていることも意味します。なぜなら、あえて逆の考え方をすると、もし日曜日にだれも集まらず、「礼拝」を行うことができなくなったら、それが「教会」の終わりであることを意味せざるをえないからです。

そのような日が来ることはありえないとどうして言えるでしょう。牧師である者たちのみんながみんな同じではないかもしれませんが、教会の皆さんに対して失礼な言い方に違いなくて申し訳ありませんが、土曜日を迎えるたびに「明日の礼拝に、もしだれもいなかったらどうしよう」と悩む牧師は、たぶん少なくありません。私がどう思うかは言わないでおきます。内緒です。

石川先生は69年間、その問いと向き合ってこられたはずです。私も牧師の末席を汚す者として、どれほどのプレッシャーであるかを知らずにはいません。私の言動のせいで、あの人もこの人もつまずいて礼拝に来られなくなってしまった、と悔いる思いは、私にもあります。

しかし、今申し上げたことは、言わないほうがよかったもしれないと、言ったそばから悔いています。これはやはり、教会の皆さんに対して失礼な言い方です。まるで牧師がひとりで教会を切り盛りしているかのようです。それは甚だしい誤解です。牧師ひとりでは何もできません。

今日は「昭島教会の」69歳の誕生日です。それは、教会の皆さんの汗と涙の歴史を思い起こし、それでも教会は生きていること、そして、生きた礼拝が今日まで続けられてきたし、これからも続けられていくであろうことを喜び、感謝し、お祝いする日であることを意味します。

それはまた、別の観点から言い直せば、昭島教会に連なるわたしたちひとりひとりの「信仰」の問題であると言えます。わたしたちに問われているのは、今日朗読した聖書の箇所に登場するアブラハムが神から問われた「信仰」と本質的に同じです。

アブラハムはイスラエル民族の初代族長です。アブラハムは生まれ故郷を離れ、妻サラと共に旅人になります。生まれ故郷は異教の神々が礼拝される異教の地でした。そこから飛び出して、真の神を信じる信仰を求めるために旅を出かけたとも言われます。

そのアブラハムに神さまが「あなたを大いなる国民にする」(創世記12章2節)という約束をしてくださいました。その約束の意味は、多くの子孫を与えるということでした。

しかし、その約束を示されてから何年経ってもアブラハムと妻サラとの間に子どもが与えられませんでした。神の約束を疑う思いを抱いた日が全く無かったわけではありません。その疑いの言葉が今日の箇所にも記されています。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません」(2節)。あの約束は嘘だったのですかと。

アブラハムに神が改めて約束してくださいました。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」(5節)。この約束をアブラハムは信じ、その信仰を神さまが「彼の義と認められた」(6節)と記されています。

アブラハムが生きていた時代は紀元前2000年頃だと考えられています。今から4000年前です。そう考えると途方も無い昔の話に思えます。しかし、そのアブラハムのことを今から2000年前の使徒パウロがローマの信徒への手紙の4章で大きく取り上げています。特に「アブラハムの子孫」の意味は、彼の血縁関係にあるユダヤ人だけでなく、「信仰を受け継ぐ者」のことであり、イエス・キリストへの信仰を持つ「わたしたち」のことだと書いています。

その線で言えば、今日のわたしたち「教会」は「アブラハムの子孫」です。わたしたちが週末を迎えるたびに「明日の礼拝にひとりもいなかったらどうしよう」と悩む思いと、アブラハムが神の約束を疑った思いは本質的に同じだということです。だとしたら、わたしたちもアブラハムのように、星の数ほど多くの人と共に礼拝をささげる日が訪れることを信じようではありませんか。先週の永眠者記念礼拝で覚えた132名の信仰の先達がたは、昭島教会の星です。もっと多くの、さらに多くの星を見上げながら、昭島教会の歴史をこれからも築いて行こうではありませんか。

(2021年11月7日 昭島教会創立69周年記念礼拝)

2021年10月31日日曜日

救いの約束(2021年10月31日 永眠者記念礼拝 宗教改革記念礼拝)

讃美歌21 510番 主よ、終わりまで 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「救いの約束」

創世記45章1~8節

関口 康

「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。」

今日の礼拝は「永眠者記念礼拝」です。同時に「宗教改革記念礼拝」でもあります。さらに来週11月7日(日)は「昭島教会創立69周年記念礼拝」です。この3つの「記念礼拝」は、昭島教会で毎年この時期に行っていますので、ぜひご予定ください。

その中で「永眠者記念礼拝」は世界のキリスト教会が重んじ、日本キリスト教団も準じている教会暦にある「聖徒の日(永眠者記念日)」が11月1日で、「記念礼拝」は11月の第1日曜日に行うことになっているので、教会暦どおりなら今年は11月7日(日)です。

しかし、昭島教会はいつからそうするようになったかは私には分かりませんが、その教会暦の「聖徒の日(永眠者記念日)」よりも1週前に永眠者記念礼拝を行うことにしています。教会暦はわたしたちが絶対守らなければならないものではありません。あくまでも参考にするだけです。

1週ずらして行う理由は2つあると聞いています。ひとつは、永眠者記念礼拝の午後に墓前礼拝を行いますが、昭島教会墓地の周囲一帯がキリスト教墓地で、他の教会の墓前礼拝と重なって混み合うケースがあるので、それを避けるため、という実際問題です。

もうひとつは、必ず11月の第1日曜日には昭島教会の創立記念礼拝を行うので永眠者記念礼拝と重ならないようにするためです。昭島教会は1952年11月2日に「日本基督教団昭和町伝道所」として伝道を開始しました。その日から数えて今年で69年になります。

3つの「記念日」はすべて日付が決まっています。早い順でいえば、10月31日が宗教改革記念日です。翌日の11月1日が聖徒の日です。その翌日の11月2日が昭島教会の創立記念日です。それぞれの「記念礼拝」は最も近い日曜日に行います。

説明に時間を割いているのは、3つの「記念日」は関係あると申し上げたいからです。宗教改革記念日が10月31日になったのは、11月1日の「聖徒の日」の前日だったからです。古い本ですが、ベイントン『宗教改革史』(出村彰訳、新教出版社、第5版1977年)から以下引用します。

「ルター自身の領主、ザクセンのフリードリヒ賢公(1463~1525)は、毎年、万聖節(11月1日)の前夜に贖宥券を頒布する特権を与えられていた。1516年中に、ルターは二度にわたってこの慣習に抗議した。贖宥券は聖徒の余剰の功徳という誤った仮定に基づいているゆえに、欺瞞的かつ邪悪であり、痛悔よりも自己満足をもたらすことは確かである」(45頁)。

「万聖節」と訳されているのが「聖徒の日」です。16世紀にはすでに「聖徒の日」があったということです。その前日の10月31日に、「贖宥券」が頒布されたというわけです。「厳密に言えば、贖宥券は売られたのではなく、恵与されたのであるが、この恵与は支払い能力に応じて定められた献金と、全く時を同じくして行われた」(同上頁)ともベイントンが記しています。

その「贖宥券」(「免罪符」とも呼ばれる)を手に入れるとどうなるかについては、これも古い本ですが、岸千年『改革者マルティン・ルター』(聖文舎、1978年)に次のように記されています。

「中世の民衆は、地獄よりも煉獄を恐れていたが、その理由は、地獄における刑罰は悔い改めによってのがれることができるが、煉獄の刑罰は、教会が定めた苦行によるほかはないと教えられていたからである。この苦行はきびしく、パンと水だけで数年間の断食をしたり、長い年月にわたる巡礼をしたりしなければならなかった。民衆は、こうした苦行をどうにかして軽くしようと考えていたが、教会においても、よい行為の報酬として苦行の一部をゆるす方法を考え出した」(76~77頁)。それが「贖宥状」(免罪符)だったというわけです。

しかし、そのような思想そのものが間違っていると抗議したのがマルティン・ルターでした。その抗議の内容を記した「95か条の提題」をドイツ・ヴィッテンベルクの城教会で公開した日付が、ザクセンのフリードリヒ賢公が贖宥券を頒布する日である聖徒の日前夜の1517年10月31日だったので、その10月31日が「宗教改革記念日」になりました。つまり、「宗教改革記念日」と「聖徒の日(永眠者記念日)」は歴史的に明白な関係があるということです。

その関係をひとことで言えば、ルターの宗教改革の出発点は、「人は死んだらどこに行くのか」という最も根本的で深刻な問いに対して当時のローマ・カトリック教会が示した結論が間違っていることに対する徹底的な抗議だったということです。2つの記念日は表裏の関係にあります。

それでは、昭島教会の創立記念礼拝はどういう関係にあるか。69年前から「宗教改革記念日」と「聖徒の日」との関係を考えて1952年11月2日をもって伝道を開始なさったかどうかは私には分かりません。しかし、そのことよりもむしろ、年月を重ね、今日この礼拝堂に飾られている多くの信仰の先達がたのお写真を拝見しながら深まる思いが私にはあります。

教会は歴史的な存在です。地上で生を営んでいるわたしたちだけでなく、今は天国におられる信仰の先達がたこそ、教会の歴史を築き、作り上げてくださいました。

昭島教会の「創立記念礼拝」の関心は、69年前にどうだったかではなく、むしろ逆に、69年後の今がどうなのか、です。そして、今は「聖徒の日」として、「永眠者記念礼拝」として、教会の歴史を築き上げてくださった方々のことを覚えつつ、さらにこれからの昭島教会の歩みを続けていくことの決心と約束をすることこそ「教会創立記念礼拝」の趣旨でなければならないでしょう。その意味で、3つの記念礼拝は相互に関係している、ということです。

最後に今日の聖書箇所について短く説明します。ここに登場するのはヨセフです。アブラハム、イサク、ヤコブと3代続く族長の3代目のヤコブの12人の子どもの11番目のヨセフです。

ヨセフは父ヤコブの寵愛を受けたため、10人の兄たちから憎まれ、エジプトの奴隷商人に売り飛ばされます。しかし、エジプトで苦労して王のもとで司政官になり、エジプトやカナン地方を襲った大飢饉の中でエジプト人を救い、またカナンに住んでいた父ヤコブとその子どもたちにも食糧を分けて助けました。ヨセフは、自分を憎み、金で自分を売り飛ばした兄たちの罪を赦し、受け入れました。そのことがヨセフにできたのは、彼には神を信じる深い信仰があったからです。兄たちが自分をエジプトに売り飛ばしたのは、神が自分を兄たちよりも先にエジプトへと遣わし、兄たちを救うためだったと、そういう信仰をヨセフが持っていた、ということです。

神を信じる信仰とは、そういうものです。救いの約束はしばしば隠れています。人間には最初は分からないし、むしろ人間にとっては理不尽なことだらけです。神がわたしを見放されたのではないかと絶望する思いになることの連続です。しかし、理不尽の中で神が常に働いてくださり、ご自身のご計画を進め、世界を救ってくださいます。「信仰」こそがわたしたちの最後の砦です。

(2021年10月31日 永眠者記念礼拝 宗教改革記念礼拝)

2021年10月17日日曜日

天国(2021年10月17日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)


讃美歌21 504番 主よ、み手もて 奏楽・長井志保乃さん

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「天国」

ヨハネの黙示録7章9~17節

関口 康

「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」

今日は新約聖書のヨハネの黙示録を開いています。旧約聖書39巻、新約聖書27巻、合計66巻の最後の66番目の書物です。旧約と新約の書物の数は「さんく、にじゅうしち」と九九(くく)の語呂合わせで覚えると忘れません。

ヨハネの黙示録が書かれた時代的背景として考えられているのは西暦1世紀末、特に紀元81年から96年までローマ帝国がドミティアヌス皇帝によって支配されていたことと関係あるだろうということです。

ドミティアヌス皇帝は、ローマ帝国が支配する地域の至るところに自分の像を建てさせ、その像の前で自分に対する忠誠を誓わせた人です。ローマ皇帝を神として礼拝させる行為です。像を拝もうとしない人々は迫害し、殺害しました。そのような行為は偶像礼拝であるとみなして拒否するユダヤ人やキリスト者は、迫害と殺害の対象でした。

今のわたしたちにそのようなことはないと言い切れるかどうかは、考え方次第です。私自身は体験的には知らない世代ですが、80年前の大日本帝国の時代には、それときわめて近い、または同じと言いうる状況だったことを実際に体験なさった方々がおられるでしょう。

戦後はどうでしょうか。宮城遥拝をしない者は逮捕抑留されるという状況はなくなりました。しかし、違う形のもっと巧妙な方法による宗教抑制が今でも続いていると私は感じます。うまく説明できませんが、何かしら抑制をかけられている気がしてなりません。

日本のキリスト者人口が何十年も国民の1%を越えないことは、諸外国の教会の謎だそうです。以前もお話ししましたが、アメリカ人の宣教師から直接聞いたのは、日本でキリスト教を広めるために多くのアメリカ人の献金と人材を送ってきたのに一向に伸びない。同じだけのお金と人材をミャンマー伝道へと振り替えれば日本の教会の何十倍も多くの信徒を得られることが分かったので、日本伝道から撤退しようという提案が何度となくなされるという話です。

しかし、その話をしてくれた宣教師たちはなんとか日本にとどまって伝道を続けたいので本国教会で事情を説明しなくてはならないが、うまく説明できなくて悩むというのです。

作り話ではなく、まだ10年ほど前に、私のこの耳で、しかもアメリカ教会と日本教会の正規の会議の場で実際に聞いた話です。

そういう話を聞くと「わたしたちは」と言っておきますが、日本のキリスト者は真面目なので、自己責任を感じやすいところがあり、自分たちの努力が足りないから教会が伸びない、キリスト者人口が増えないと当然考えるわけですが、本当にそうなのか、理由はそれだけなのか、わたしたちの努力不足なのかという点は、一向に分からずじまいです。

それでも何らかの説明をしなければならないので、「日本の風土や伝統文化にキリスト教は適合しにくい」とか「日本古来の強大な宗教の壁はあまりにも厚い」などの理由を考えることになりますが、私に言わせていただけば、どの説明を聞いてもよく分からないし、納得が行きません。

これだけは言わせてほしいです。個人的な努力や小さな集団の努力だけでは如何ともしがたい、政治や経済という大きな力が働いているような気がしてならないということは、決して責任逃れの意味ではなく思うところです。今のわたしたちはまるで、ローマ帝国の全領土の住民にローマ皇帝の像を拝むように強いられた只中にいた、西暦1世紀の教会さながらです。

そのような圧力も障害も何もないと言うかどうかは考え方次第です。私には、どうしてもそのように思えないです。圧力も障害も「ある」としか言いようがありません。

その中で、イエス・キリストへの信仰を守り、かつ信仰共同体としての教会の存在にとどまり続けた人々に待ち受けるのは迫害と殉教の道だったわけですが、その道を貫いた人々を神御自身が、神の小羊なるイエス・キリストがそこで待っておられる「天国」へと受け入れてくださるというのが、ヨハネの黙示録の基本思想であると言えます。

ヨハネの黙示録が描く「天国」だけが聖書における天国の意味ではないと言うべきかもしれません。確かに「天国」にはもっと他にも多くの異なる意味があります。ヨハネの黙示録における意味だけで「天国」を説明しますと、不満が生じる可能性がないと限りません。

なぜなら、その意味での「天国」は、先ほど申し上げたとおり、地上においてイエス・キリストへの信仰を与えられ、信仰共同体としての教会の仲間に加えられたうえで、ローマ皇帝の像の前で忠誠を誓う皇帝礼拝を拒否したことで迫害を受け、殉教した人々の信仰の努力に対する報いとして与えられるものだからです。

すでに疑問を感じておられる方がいらっしゃるのではないかと思います。私自身もこの説明をしながらすでに葛藤しています。もしそれが「天国」だというなら、地上で信仰を持たなかった、教会に通わなかった、あるいは、ある時期までは熱心に教会に通っていたけれども人生の途中でそれをやめてしまった、その人々はいったい今どこにおられるのだろうという問いが、おそらく必ず誰の心の中にも起こるであろうからです。

どんなことであれ、わたしたちがいろんなことについて筋道を立てて順を追って考えるときに必ずするのは、ひとつのことの表側だけではなく、裏側まで考えることです。「このような人々が天国に受け入れられる」という話を聞くだけで、「その説明に該当しない人々は、どこに受け入れられるのか」ということをだれでも必ず考えます。そこが天国でないなら「地獄」なのか。それとも、天国でも地獄でもない「第三の」場所なのか。そんなところが本当に存在するのかと。

それだけではありません。そもそも、迫害だとか殉教だとかを耐えて我慢してまで信仰を守り、教会の交わりにつながることを、神が本当に求めておられるのか。そのような苦しみに堪えられない弱い人々を、神は切り捨て、我慢強い人々だけの「天国」を神が要求しておられるのかと。

もしそれが神だというのなら、私にとっては堪えられない神なので、信じることができないし、信じることで苦しみ、信じることで死なねばならないなら、信じるのをやめて楽になり、生きる道を選ぶほうが救いだろうにと考える人々は必ずいるだろうと、私には思えてなりません。

しかし、今申し上げているのは結論ではありません。ただ「考えている」だけです。はっきりしているのは、わたしたちの神は弱い人を切り捨てる方では断じてないということです。しかしまた、信仰をもって生き抜き、教会の交わりの中にとどまり続ける人々を神は喜んでくださり、「天国」を約束してくださっています。その2つのことは矛盾しないと私は考えます。そのことを皆さんに納得していただける言葉で、うまく説明できないだけです。言葉の限界を感じます。

(2021年10月17日 主日礼拝)

2021年10月10日日曜日

教会と政治(2021年10月10日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 443番 冠も天の座も 奏楽・長井志保乃さん

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「教会と政治」

ローマの信徒への手紙13章1~10節

関口 康

「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」

今日の宣教題を「教会と政治」としたのは、今日の朗読箇所の最初に「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」(1節)と記されている中の「上に立つ権威」は「国家」、あるいは一般社会的な意味での「政治的支配者」を指しているというのが、この箇所の伝統的な理解だからです。

続く箇所に「実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう」(3節)とか、「権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです」(4節)とか「あなたがたが貢を納めているのもそのためです」(6節)とか、「貢を覚めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい」(7節)と記されています。

いま一気に言いました。これは武器で悪人を取り締まる警察の存在や、税金で社会を整備する国家や政治を指しているということが、少しあるいはかなり分かりにくい書き方ではありますが、たしかに記されているということを確認したいと願うからです。

分かりにくいと申し上げたひとつの理由は、「国家」や「政治」とはっきりとは記されていないからです。その代わりに「支配者」や「権威者」と記されています。しかし、分かりにくい理由はそれだけではありません。

もっと分かりにくいのは、この箇所で「支配者」ないし「権威者」と呼ばれている存在が「神に由来しない権威はない」とか「すべて神によって立てられたもの」(1節)であるとか「神の定め」(2節)であるとか、「権威者は神に仕える者」(4節、6節)であるとか記されているところです。

これはキリスト教国の話でしょうか。いや、いくらなんでもローマの信徒への手紙が書かれた頃にキリスト教国は存在しない。ユダヤのことか。いや待て。この時代のキリスト教会はユダヤ教徒から迫害されていた。まるで手放しに彼らに従うべきだと言い出すのは考えにくい。当時のユダヤを支配していたローマ帝国のことか。ローマ帝国は神が立てたものであるとパウロが本気で言うだろうか。もしそうならそれは一体何を意味するのだろうと考え込んでしまうことになるからです。

「そうではない。これは教会のことを指している。神に由来する権威とは教会だ。それ以外は考えられない」と言いたいかもしれません。しかし、教会が剣で悪人を取り締まるでしょうか。貢や税を要求するでしょうか。そのほうがよほどおかしなことを言っていることになるでしょう。

結論を言えば、これは教会ではありません。やはり、国家ないし一般社会的な意味での政治のことです。王国の場合は王とその家来たちです。民主的な国の場合は「国民が主権者である」ということになるかもしれませんが、選挙で選ぶにせよ、とにかく国家権力や警察権力を委託した相手のことです。教会が武器を持つことはないし、税金を集めることはありません。そういうことをするなら、それは教会ではありません。

私は自分がよく知らないことについては、言わないようにしているつもりです。しかし、気になるのはカトリック教会の存在です。総本山のバチカンは独立国家です。軍隊は無いそうです。警察は永世中立国であるスイスからの傭兵が担当するそうです。それでも、バチカンが国であるという事実に変わりありません。しかし、同時に教会でもあるでしょう。

パウロが書いているのは、現代のバチカン市国のことでしょうか。要するにローマ教皇の権威に従うべきだという意味でしょうか。そうではないということを、「わたしたちはプロテスタントだから」という理由からではなく、別の理由から申し上げる必要があると私は考えます。

分かりやすく説明するのは難しいです。申し上げたいのは、この箇所の「神に由来する権威」は現代のバチカンではない、ということです。キリスト教国に限定される意味でもありません。

そうではなく、教会とは区別される別の存在としての一般社会的な意味での国家であり、政治のことです。それは西暦1世紀のパウロをとりまく社会そのものです。キリスト教会を容赦なく迫害してくる強大な国家権力です。一方にユダヤの王とその家来、他方にローマ帝国。その両者からキリスト教会は迫害を受け、死に至らしめられました。

しかし、そのようなキリスト教会の敵対者を指して、パウロが「神に由来する権威」と呼び、「神によって立てられた権威」と書いていることに、わたしたちは大いに驚くべきです。

納得できない方がおられるでしょう。今のわたしたちでいえば、この日本の政治家や警察官、さらに天皇の存在を考えざるをえなくなるからです。あの人々が一体どの意味で「神に由来する権威」なのか全く理解に苦しむと思われる方がおられるでしょう。

納得できないとおっしゃる方にどう説明すればよいか迷うばかりです。しかし、そういう場合は逆のことを考えてみるとよいかもしれません。わたしたちが納得できる存在になるまでは国家権力や警察に従う必要はなく、税金を納める必要もないと考えてよいかどうかです。その理屈が成り立たないことは、だれでも分かります。しかし、問題はどのように説明するかです。

これを「パウロの信仰」と呼ぶべきかどうかは疑問です。私は「聖書の教え」と言いたいです。それは、「神」への「信仰」があるかどうかにかかわらず、一般社会的な意味での政治ないし国家による統治が、人間同士が争い合い、殺し合うのを防ぐために必要であることを神さまがお考えになり、人間社会にそのような制度を神さまが作られたということです。

神は無政府主義者ではありません。神は人間を政治的な存在に造られた、とも言えるでしょう。人間である以上、愛し合い、助け合うことにおいても司法・律法・行政のような政治機構が必要であるということです。無秩序の中では人間同士の愛は成立しない、ということです。

信仰の有無は関係ありません。ひとつの国が「神を信じない人は追放されなければならない」と言うならば、それは国ではありません。宗教団体です。しかも悪い宗教団体です。

家族も同じです。「神を信じない家族には生活費も食事も与えない」と言い出すなら、家族でもなんでもなく、凶悪な宗教団体です。「クリスチャンホームだから」は理由になりません。それは虐待であり、犯罪です。信仰の衣を着た狼です。その手のとんでもないたぐいを取り締まるために、神さまは教会とは別の権威をお立てになりました。そのように考えることができます。

イエスさまがおっしゃったではありませんか、「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5章45節)と。神さまは、その人が信仰を持っているかどうかに関係なく、すべての人の命と生活を守ってくださいます。そしてそうするために、神さま御自身が、国の存在とその中で営まれる政治を要求されるのです。

(2021年10月10日 主日礼拝)

2021年10月3日日曜日

信仰による生涯(2021年10月3日 主日礼拝)

台風16号通過後の青天(2021年10月2日)
字は関口牧師が書きました(2021年10月2日)
 
讃美歌21 458番 信仰こそ旅路を 奏楽・長井志保乃さん


「信仰による生涯」

ヘブライ人への手紙11章13~16節

関口 康

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」

9月末をもって政府の緊急事態宣言が全面的に取り下げられ、すべて終わったかのような空気が蔓延している感があります。しかしそれこそ蔓延防止対策が必要ではないかとかえって警戒心を抱きながらの3日目を、私自身は迎えています。

もっとも私は、現時点においては、週に4日は電車やバスに長時間乗って学校で教える働きをさせていただいている関係上、首都圏の現状を肌感覚で知らずにはいないつもりです。

そのような中で、わたしたちの教会が、9月から礼拝堂での礼拝を再開し、みんなで集まることをしてきたのは良かったと私は考えています。礼拝出席者は以前と同じか、少し多くなってきているようにも感じます。

今教えている高校で一昨日したばかりの話ですが、「教会」はギリシア語で「エクレーシア」と言い、「集会」とか「集まり」という意味です。これは教科書の言葉です。さらに次のように書かれています。「個人の家や公共の建物、時には野外で、イエス・キリストの名のもとに集まり、祈りや礼拝がささげられ、継続的な集会を持っている共同体はすべて、礼拝堂があってもなくても教会と言います」(キリスト教学校教育同盟編『キリスト教入門』創元社、2015年、36ページ)。

この教科書の著者が強調しようとしている点は明白です。「教会」(エクレーシア)とは、人が集まることそれ自体であり、集会そのものであり、集まる人を指すのであって、建物を指すのではないということです。建物としての「礼拝堂」は英語でチャペル(chapel)と言うが、「教会」はチャーチ(church)と言う、という説明まであります。

わたしたち自身が判断して行ったことを否定するつもりはありません。しかし、「各自自宅礼拝」がエクレーシア(教会)かどうかは、よく考えるべき課題です。インターネットの「オンライン礼拝」はエクレーシア(教会)かどうかの問題も同様です。団体を維持できるかどうかの問題ではありません。わたしたちの心の問題、信仰の問題です。独りでいることの寂しさの中で、心の支えを失うことの恐怖のほうが、他のどの恐怖よりも人を苦しめる場合が実際にあります。

今日開いていただいた新約聖書のヘブライ人への手紙は、昨年(2020年)6月28日の礼拝でも取り上げてお話ししたことを、記録で確認しました。そのときも申し上げましたが、この手紙が書かれた年代は西暦1世紀の終わり頃、80年代から90年代だろうと聖書学者が判断しています。つまり、イエス・キリストの死と復活、そして聖霊降臨(ペンテコステ)の出来事を通して地上に「教会」(エクレーシア)が生み出された西暦30年代から50年ないし60年の年月が経過した頃にヘブライ人への手紙が書かれたと考えることができます。

「ヘブライ人」とはユダヤ人のことです。イスラエル人と言っても意味は同じです。西暦1世紀のユダヤ人の中からイエス・キリストを信じて生きる人々の集まりとしての「教会」がいわば分かれ出た関係にあることは、歴史的な説明としては正しいと言えます。しかし、ユダヤ人以外の人々の目から見れば、ユダヤ教とキリスト教のどこがどう違うのかをはっきり区別できるほどの差はまだ無かったかもしれません。そのような時代に書かれた書物です。

昨年6月にこの手紙についてお話ししたときは12章18節から29節までを取り上げましたが、今日は11章13節から16節までです。しかし、この手紙の11章から12章にかけて書かれている内容は一貫しています。わたしたちがそう呼ぶところの「旧約聖書」を要約しています。「わたしたちがそう呼ぶ」とお断りするのはユダヤ教にとっては「新約聖書」は聖書ではなく、キリスト教会が「旧約聖書」と呼ぶ書物こそ、ユダヤ教の「聖書」だからです。

その意味では、ヘブライ人にとっての「聖書」全体を見通して、その中に登場する人々のことを思い起こし、そのひとりひとりの信仰と生きざまを思い起こしなさいと呼びかけているのが、今日わたしたちが開いている箇所の趣旨であると言えます。

なぜこの箇所にそのようなことが書かれ、そのような呼びかけがなされているのかについては、歴史的な文脈があると考えることができます。それは、西暦60年代から70年代にかけて、当時のユダヤを支配していたローマ帝国との間に大きな戦争があったことです。エルサレム神殿は破壊され、さらにその後の西暦135年にも決定的な戦争があり、ユダヤ人が完全に国土を失う事態になったことです。この手紙が書かれたのは、その戦争の最中だったということです。

そのような状況や情景を想像しながら、今日の箇所の特に13節に記された言葉の意味を考えるのは意義深いことです。「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました」の「この人たち」は、最初の人間として聖書に登場するアダムとエバの2人の子どものひとりであるアベルから始まります。アベル、エノク、ノア、そしてアブラハム、イサク、ヤコブです。この人たちは「約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表しました」と記されています。

彼らのどこが「よそ者」であり「仮住まいの者」なのかといえば、特にアブラハムが象徴的な存在ですが、実際に彼らが「遊牧民」だったという事実を考えることができます。文字どおりの移動生活者です。多くの家畜を飼いながらチグリス・ユーフラテスの2つの大きな川に挟まれたメソポタミア地方から、今のパレスティナを経由してナイル川流域のエジプト地方までをつなぐ「肥沃な三日月地帯」を西へ東へ移動していた遊牧民が、彼ら自身の先祖の姿です。

ヘブライ人への手紙の著者が、いにしえの遊牧民たちの姿を思い起こすことを西暦1世紀末の教会に呼びかけているのは、戦争によって神殿を失い、国土すら失いつつあったユダヤ人たちに対する希望と励ましのメッセージだったと考えることができます。

実は私もそうなのですが、移動生活者にとっては、愛着を抱くことができる礼拝堂(チャペル)はありません。神殿もありません。しかし信仰があり、礼拝があり、集会(エクレーシア)がありました。だからこそ、希望があり、喜びがあり、苦難に堪えて生きる勇気の源泉があったのです。

わたしたちはどうでしょうか。幸いなことに、昭島教会には立派な礼拝堂があります。「教会といえば建物のことを指す」と言う人がいても、完全な間違いであるとは言えません。逆に、この建物に集まって行う礼拝以外は教会の正規の礼拝とは言えない、とも言えません。しかし、大事なことは、集まること自体です。エクレーシア(集会)としての教会であるかどうかです。独りで孤立していないかどうかです。信仰の仲間と共に生きているという実感があるかどうかです。

(2021年10月3日 主日礼拝)

2021年9月28日火曜日

中古バイクを購入しました

牧師の機動力を高める目的で教会で中古バイクを購入しました。これからは自転車とバイクのハイブリッドで週報宅配等に行きます。車体選定は役員会にお任せし、昭島市内で定評ある山崎輪業さんが完璧に仕上げてくださった美しく素晴らしい車体になりました。ありがとうございます。

2021年9月28日 山崎輪業にて購入