2014年2月6日木曜日

牧師室の本棚公開(2)

ちょっとだけですが、

牧師室の本棚公開の続き、やります。

日本教会史コーナー 一段目。


日本教会史コーナー、二段目。


日本教会史コーナー、三段目。


実践神学コーナー(実践神学概論、説教学、牧会学、礼拝学)。


宣教と社会コーナー。


牧師室の本棚公開(1)

牧師室の本棚公開。

新約学の本は、注解書を除けば、本棚三段分だけです。この写真の上の段が新約緒論、下の段がイエスさまだな(棚)です。


新約学の本、続き。三段目(この写真の下の段)は弟子だな(棚)です。


旧約学の本も少ないです。最弱ゆえに要強化ポイントです。


カルヴァン関係です。専門家の世界は遥か彼方。いえいえ、挑戦しようなんて思ってませんから。


2014年2月5日水曜日

古本を古本でアップデートしています

日本中の書店が「愛国・反アジア本」だらけになっているそうですね。

ぼくは繰り返し「最近、本屋に行ってない」と書いてきましたが、

「行っても虚しいだけ」という思いが含まれていることを書くのは、もしかしたら初めてかもしれません。

「行きたくない」原因が、やっとなんとなく分かった気がします。

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「最近本屋に行ってない」んですが、

書斎の本は増える一方です。

ぼくの哲コレのカンコレとヘーコレに新コレ。

『精神現象学』は30年前ペーパーバック版を入手しましたが、ついにハードカバー版購入!

写真の3冊すべてヤフオクです。合計1900円。


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まったくどうでもいい話ですが、

ぼくにとって今年(2014年)は神学大学入学(1984年)からちょうど30年です。

「神学30周年、おめでとう、ぼく!」

それもあって書斎の本がやたら古くなってきました。背表紙がパックリ割れているのをセロテープでくっつけてるのとかもいくつかあります。

ぼくの本棚にあるものは当時すでに古本として購入したものばかりなので、今では、いったいどんだけ古いんだな本だらけです。

それで最近、

すでにもっている本ではあるけど汚くなった本を思いきって捨てるために、同じ本の少しはきれいなものを古本屋で(もっぱらヤフオクですが)購入しはじめています。

「内容が同じ」(第○版などが一致)な本を入手できれば、古いほうの本を捨てることに、ぼくはあまり躊躇はありません。

人間の肉体も、分子レベルで言えば、一年もすればすべてが新しい細胞に入れ替わると言うじゃないですか。あれと同じですよ(同じかなあ...)。

「紙の本」には強い思い入れがありますが、さりとて、本の「紙」そのものに執着する思いは、ぼくにはほとんどありません。

辞典・事典類は、ほんとは最新版にアップデートしたいんですけどね。広辞苑はいまだに第4版のままだし。まあ、一度にすべて更新するのは不可能ですので、ボチボチですね。

2014年2月3日月曜日

ファン・ルーラーにおける「宗教と芸術」についての根本主張

ファン・ルーラーへの関心から私にご連絡くださった方(ありがとうございます)に、以下のことを書かせていただきました。

「宗教と芸術」というテーマは、ファン・ルーラーの神学思想のかなり中心部分にあります。彼は「世」あるいは「地上の生」を、「罪」の問題をいささかも軽視しないで、なおかつ非常に肯定的に評価するからです。

「自己愛」といえば、特に心理学方面の発想からすれば非常に悪いもののように言われる昨今です。しかし、ファン・ルーラーは堂々と「自分を愛しなさい」と語ることができます。「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」です。世と人と自分自身に対して「全面的肯定」をするように呼びかける神学です。

ですから、人間文化の最大かつ最良の美的表現としての芸術に対するファン・ルーラーの評価も全面的なものです。しかも、そこでの彼の鋭い問いかけは、キリスト者が取り組む芸術はいつでも「キリスト教的な芸術」なのか、そうでなければならないのか、ということです。

そしてそこで彼が必ず問うことは、その場合の「キリスト教的」とは何かという問いです。それはたとえば、聖書の登場人物を描いたり彫ったりすることだけが「キリスト教芸術」なのでしょうか、それ以外はいかなる意味でも「キリスト教芸術」ではないのでしょうか、というような問いです。

ファン・ルーラーの答えは、もちろん「否」です。彼自身の言葉でいえば、「キリスト教的なパンの焼き方とか、キリスト教的な石の積み方とか、そんなものはない」という感じになります。しかし、彼が言いたいことの中に、キリスト者が芸術に取り組むことを軽んじる意図は全くなく、むしろ逆です。

彼の意図は、人がそれに取り組む範囲を狭く小さく切り取るような意味で「キリスト教的なるもの」へと、芸術や人間文化全体を我々自身で自己規制したり狭隘化したりすべきでない、ということです。

つまりは、「キリスト者よ、自由かつ大胆に芸術せよ!」ということです。

2014年1月30日木曜日

「本」は背表紙ですよね

何をもって「電子書籍」と呼ぶか、その定義にもよると思いますが、(有料の)「電子書籍」、ぼくは結局、買う気も、利用してみようという意欲も、全く起こらないですね。無料で公開されている夏目漱石の小説とか、パラパラ(という音までする)めくってみましたが、途中でやめてしまいました。

ぼくにとって「本」の存在とは、ある意味で、第一義的に「背表紙」なんです。なぜなら、たとえば、ぼくの書斎にある大量の本は、一度にすべてを読めるわけではないからです。本棚に並んでいる「背表紙」と、そこに書いてあるタイトルや著者名だけを眺めながら、何年も、何十年も過ごして来ました。

買ってから実は一度も開いていない本も、ぼくの本棚の中にある。だけど、「背表紙」だけは何十年も見続けてきた。そして、その中に書かれていることは何かを、開くことも読むこともしないまま、ずっと想像し続けてきた「本」があります。だけど、電子の本には、そういうことはできないと思うのです。

だから、逆に言えば、「背表紙がない本」とか「背表紙に本のタイトルが書かれていない本」は、ぼくにとっては「本」として認識しづらいものでもあります。「背表紙」が付く厚さまであって「本」です。でも、新聞や(パソコンやら芸能やらの)雑誌は「電子書籍」で十分です。紙の新聞は読んでいません。

2014年1月24日金曜日

神学に取り組む《権利》はどうしたら獲得しうるか

「神学」は万人に公開されているもので、だれでも取り組むことができます。

ファン・ルーラーは「神学」を「最もポピュラーな学問」と呼んでいます。

することは、本を読むことと、字を書くことです。他にどうすることもできません。

本を読むことは、立ってでもできるし、座ってでも、歩きながらでもできます。

字を書くことは、どうでしょう、なるべくなら座ってのほうがいいような気がします。

でも、立ってでも歩きながらでも字を書くことができる人がいるなら、それもよし。

とはいえ、はっきりしていることは、

神学への取り組みとして本を読むことと字を書くことには、長大な時間がかかる、

ということです。

そして、それは「没頭すること」なしには、たぶんモノになりません。

しかし、困ったことがあります。

本を読み、字を書いている人の姿は、

ハタから見ると「何もしていない」ように見えることがあります。

だから、その人は「売れる本」を書かねば「仕事している」と認められません。

ですが、「売れる本」を書くために、たとえば小説家のような人は、

ほとんどすべての時間を「本を読み、字を書くこと」に費やしています。

「神学」も、たぶん同じです。

そうすることが「仕事」であると認めてもらう《権利》を獲得することなしに、

長大な時間を「本を読み、字を書くこと」に費やすことはできません。

しかし、その《権利》は、どのようにして獲得すればよいのでしょうか。

やっぱり修道院が必要でしょうかね。

インディーズ系の神学は、いつまで経ってもオタク呼ばわりですかね(自暴自棄)。

「一気に」ファン・ルーラーが分かります


思想とキリスト教研究会機関誌『途上』第28号に掲載された

拙論「A. A. ファン・ルーラーの神学思想の特質」

をご一読いただいた方々から感想が届いています。

2人の方が「一気に読みました」と同じ言葉を書いてくださいました。

うれしいです。

「一気読み」できます。

「一気に」ファン・ルーラーが分かります。

みなさま、ぜひ「一気に」お願いします。

『途上』第28号、1,700円(税別)です。

2014年1月17日金曜日

阪神・淡路大震災の記憶


ぼくも「阪神・淡路大震災の記憶」を書きます。

1995年1月16日(月)と17日(火)、

ぼくは岡山市内にいました。

「ニケア信条を学ぶ研修会」(講師 関川泰寛先生)に出席するためでした。

その前日の1月15日(日)は、前年(1994年)12月26日(月)に生まれたばかりの長男に、父(ぼく)の手で幼児洗礼を授けた日でもあります。

つまり、当時、長男は生後3週間。

その子と妻を高知県南国市の牧師館に残して、ぼくは「ニケア信条を学ぶ研修会」に出席するために岡山市にいました。

一日目の学びが終わり、岡山市に実家があるぼくは、他の出席者と別れ、実家で宿をとりました。

翌朝5時46分。ぼくはまだ就寝中。

「枕が揺れる~」という違和感がありました。でも、目が覚めるというほどではなく、夢の中のようでした。兵庫県の隣県にもかかわらず、岡山市内の揺れはその程度でした。

その直後、テレビをつけた父が

「おお、康。神戸がたいへんだ」

と言ったことを忘れることができません。

それで飛び起き、眠い目をこすりながら支度して、

「ニケア信条を学ぶ研修会」の会場の蕃山町教会に行きました。

当然、二日目の学びは中止。この会の出席者は、遠くは和歌山あたりから大阪、兵庫くらいまでの教師・信徒でした。

自分の家と連絡がつかない!

道路も電車も止まっている。どうする。

それでみんなで思いついたのは、紀伊半島や大阪方面からの出席者を、岡山から瀬戸大橋経由で徳島港まで送り、フェリーで帰っていただくことでした。

ぼくは四国からの参加組でしたので、ぼくの車にも紀伊半島在住の何人かの方が乗り、徳島港まで行きました。

そのことに必死になっている間、意識の外に置いてしまっていたのは、高知の牧師館の二人のことでした。

高知もかなり揺れたそうです。

帰宅後、長男は「ああ、こわかったー」とは言いませんでしたが(生後3週間でしたので)、妻の表情が若干こわかったことを、忘れることができません。

大きな被害に遭われた方々のことを知るにつけ、胸が痛みました。

そして、「いろんな意味で」阪神・淡路大震災は、ぼくの人生の転機になりました。

1995年時点で父が「神戸がたいへんだ」と言ったことの背景には、その数年前からぼくと神戸改革派神学校(日本キリスト改革派教会立)との関係がありました。

2年後の1997年1月にその神学校の2年に編入しました。

編入後、神学生から震災時の苦労を教えてもらいました。

2014年1月14日火曜日

日記「奇跡が起こりました!」

奇跡が起こりました!信じるか信じないかは、あ・な・た次第。

【事件編】

たった今です(2014年1月14日火曜日の夕方)。

「ごめんくださーい。郵便局でーす」

「(なんだろ?)はーい。どうぞー」

カチャ(教会の玄関が開く音)

「お荷物でーす。サインお願いしまーす」

「はーい。サイン、ここでいいですかー」

「そうでーす。ありがとうございましたー」

「どもー」

で、デカイ小包がドスン。

「(なんだろ?)」

ビリリ(粘着テープをはがす音)。

え、え、え、えーーーーーっ???!!!


【解決編】

デカイ小包の中身は、二人の有名なギリシア人でした。

それはもうスゴイ勢いで箱から飛び出して、すっくと立ちました。

召還したのは、ぼくじゃないです。

昨日お祈りはしました。

だけど、まさか翌日に二人が来てくれるだなんて、めっちゃびっくりしました。

ありがとうございました!とてもうれしいです。


【番外編】

今日来てくれた二人のギリシア人と、以前からのぼくの部屋の住人との比較です。


「月報」コンプリートです!うしっ!


「新刊案内」もほとんど揃ってました。やたっ!


地に足をつけるとは、ゆっくり歩くことのようだ


19世紀を「ついこないだ」とか言ってしまう。

そんな加速装置を持つ「神学」だ「哲学」だに頭を悩ましていると、

どこにも行ってないのに時差ボケが起きる。

時差ボケ解消の有効な方法は「歩くこと」だと、今さらながら気づく。

ここは50年前のニュータウン。

今はオールドタウンだ。

年齢についての話題を書くと傷つく方がおられるので、書かないでおく。

交差点の信号待ちをしていたとき、

ぼくの目の前にいた80歳くらいの男性が、タバコを吸いながら、

携帯電話で大きな声で話していた。

「おれはあの店ヤだよ。

 だってタバコ吸えないでしょ。

 他の店探してよ。

 タバコ吸える店がいいよ。」

その話題をえんえんと続けていた。

その話を聞いていて(聞き耳を立ててたわけではない)

やっと、加速装置を解除できたような気がした。

地に足をつけるとは、ゆっくり歩くことのようだ。

まあ、これはこれで、けっこう楽しいな。