2004年10月10日日曜日
十字架のつまずき
ガラテヤの信徒への手紙5・7~12
「あなたがたは、よく走っていました。それなのに、いったいだれが邪魔をして真理に従わないようにさせたのですか。このような誘いは、あなたがたを召し出しておられる方からのものではありません。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませるのです。あなたがたが決して別な考えを持つことはないと、わたしは主をよりどころとしてあなたがたを信頼しています。あなたがたを惑わす者は、だれであろうと、裁きを受けます。」
「あなたがたは、よく走っていました。それなのに」と、パウロは言います。「いったいだれが邪魔をして真理に従わせないようにさせたのですか。」
このパウロの言葉の裏側には、ガラテヤ教会の人々をかばう思いがある、と言えます。あなたがたは惑わされているだけだ、と言ってあげている、という面があります。
しかし、本当のところを言えば、ガラテヤ教会の人々には全く責任が無い、というようなことは、ありえない話です。彼ら自身が、もう少し忠実にパウロの教えにとどまっていさえすれば、そのような問題は起こらなかったのです。
「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませるのです」とあります。「パン種」の意味は、ご存じでしょう。それ自体は小さくても全体に影響を及ぼす大きな力を持っているものについての例えです。しかし、ここでは悪い意味で使われています。
パウロは、これと同じ言葉をコリントの信徒への手紙一5・6にも書いています。この場合も「パン種」は悪い意味です。
イエスさまも「パン種」という言葉を悪い意味でお用いになりました。「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に、よく注意しなさい」(マタイによる福音書16・6)。
ふと気づかされたことがあります。「パン種」とは、一度練り粉の中に入ってしまったら、二度と取り除くことのできないもの、という意味があるのではないか、ということです。
たとえば、イエスさまは、「パン種を取り除け」とは言われませんでした。「注意しなさい」と言われただけです。"取り除くことのできないもの"だからではないでしょうか。
別の個所で、イエスさまは、似たようなことを、別の言葉で例えておられます。いわゆる「毒麦の例え」です(マタイによる福音書13・24~30)。良い種の蒔かれた麦畑に、敵が来て毒麦の種を蒔いていった。実ってみると毒麦も現れた。毒麦を抜きましょう、という僕の言葉を主人が打ち消して「そのままにしておきなさい」と答える、あの例えです。
この場合も問題になっているのは、良いものの中に悪いもののが混ざっている、ということです。ただし、毒麦の場合はある程度見分けがつきますが、パン種の場合は全く見分けがつきません。放っておくしかありません。「気をつけること」のほかには、なすすべがないのです。
しかし、いずれにせよ問題となっているのは、良いものの中に悪いものが混ざっている、ということです。そして、わたしには、このことが、今日の個所でパウロがストレートに表現している怒り、ないし苛立ちの原因になっているのではないかと思われるのです。
それはどういうことか、もう少し説明が必要でしょう。なぜパウロは、怒っているのでしょうか。苛立っているのでしょうか。その理由は次のように説明できると思います。
それは、今やガラテヤ教会を惑わしているユダヤ教的律法主義というものは、じつは、そもそもパウロ自身が持っていたものであり、今も、そしておそらくこれからも、その中から完全には抜け切ることはできず、彼の中に混ざり続けていくであろうものである、ということです。
そして、そこにこそ、パウロの弱点があった、ということです。そして、その弱点は、パウロに敵対する人々にも知られていました。敵というのは、いつでも必ず、こちらの弱点を攻めてくるのです。それは、戦術的にも・戦略的にも正しい当然のやり方かもしれませんが、攻められる側としては、たまったものではありません。
そして、パウロは実際に、そこで追い詰められる。そこで苦しむ。そして、そこで腹を立てるのです。図星を当てられたときに、人は腹をたてるのです。そうでない場合には、痛くも痒くもないのです。
実際、たとえば、パウロ自身は、幼い頃に割礼を受けています。彼は、生まれながらのユダヤ人です。熱心なユダヤ教徒になり、熱心なキリスト教迫害者にもなりました。ファリサイ派の律法学者でもありました。これは否定しようもない厳然たる事実です。
また、もう一つ、もっと重大と言いうる事件がありました。それが、使徒言行録16・3に紹介されています。
「パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを皆が知っていたからである」。
これは明らかに、パウロがキリスト者になり、伝道者になった後の出来事です。パウロ自身が弟子のテモテに割礼を授けた、というのです。「その地方に住むユダヤ人の手前」と書かれています。パウロは「ユダヤ人の手前」、つまり、ユダヤ人の目、人間の目を気にするがゆえに、自分の弟子に手ずから割礼を授けた、というのです。
そして、実際、どうやらこの事件をきっかけとして、ガラテヤ教会の中に「パウロは今なお割礼を宣べ伝えている」という噂が広がった、と考えられるのです。
11節にパウロが書いていることは、そのような背景を持っていると考えられます。“火の無いところに煙は立たない”のです。パウロ自身の側に全く責められるところが無かった、とは言い切れないのです。
ここでわたしに思い出されることがあります。
日本では一般的にも有名な内村鑑三氏は、ご承知のとおり、いわゆる「無教会主義」という立場を取りました。教会を否定する、というのですから、わたしたち教会の者たちとしては、立場が違うといわざるをえません。しかし、たいへん立派な方であり、わたしたちとしても尊敬すべきところの多い方であることは事実です。
その内村氏について、現在の無教会の指導者の一人から直接伺った話なのですが、内村氏は、じつを言うと、一度ならず、自分の弟子たちに洗礼を授けたことがある、というのです。
無教会主義と洗礼を授けることが原理的に矛盾していることは、明らかです。彼ら自身が洗礼を授けることも・受けることも拒否してきた歴史があるのです。しかし、実際の内村氏は、自分の弟子の数名に洗礼を授けた、というのです。
とくに興味深かったのが、内村氏が洗礼を授けた中の一人に、内村氏自身の実の娘さんがいた、というのです。その理由も聞きました。その娘さんが海外に留学することになったとき、海外でキリスト者として認められるためには洗礼を受けていなければ困る、という話になり、やむをえず洗礼を授けた、というのです。
こういう話を聞いてわたしたちが、「さもありなん」と言い放つとか、「やっぱり無教会主義には限界がある」というふうに断じたりすることは、事柄の取り上げ方としては、たいへん失礼な態度であると思います。内村氏としては、苦渋の選択という面もあったかもしれません。
しかし、それでもなお言わざるを得ないと感じることがあります。もし、その人が熱心に語ってきた主義・主張というものと、実際にその人が実践したこととが違っている、と見られてしまったときには、やはり、そのことについて、周りの人々に理解できる言葉で、きちんと説明することが必要である、ということです。それは誤解であるというなら、その誤解を解くために、公の場所で、きちんと語る説明責任がある、ということです。しかし、わたしは、内村氏によるそのような説明があったことを、寡聞にして知りません。
いわば(いわば、ですが)パウロも、内村氏と同じようなところに立たされた、と言えるかもしれません。内容的には異なりますが、状況は似ていると言えなくもありません。パウロの場合、他の人には「割礼を受けるべきではない」と語っておきながら、自分の弟子には割礼を授けた。あの人は信用できない、と言いだす人々が出てきたのではないでしょうか。
「兄弟たち、このわたしが、今なお割礼を宣べ伝えているとするならば、今なお迫害を受けているのは、なぜですか。そのようなことを宣べ伝えれば、十字架のつまずきもなくなっていたことでしょう。」
ここでパウロが書いていることは、明確です。このわたしが今なお割礼を宣べ伝えている、というのは全くの誤解である。もしそうであるなら、このわたしが今なお迫害を受けている理由が分からなくなるではないか、ということです。
ここで「迫害」とは、もちろんユダヤ教徒によるキリスト教徒に対する迫害です。これをわたしは、今なお受けているではないか。迫害を受けなくなるということは、ユダヤ人たちがパウロの存在を味方であると認めることを意味する。つまり、パウロがキリスト教の教えを捨てて、再びユダヤ教に戻ったと認めることを意味します。
わたしはそうなのか、と言いたいわけです。わたしはユダヤ教に戻ったのか。キリスト教を捨てたのか。そんなことはありえないことだ、と言いたいわけです。
わたしたちも、この日本の国の中で、とくに宗教という観点から、ものすごく悩む場面が今でもある、と思います。たとえば、葬式の場面しかり、お盆や正月の行事しかりです。しかし、今ここで、具体的な例を挙げていくことは控えます。
たとえば、そのような場面において、です。そこに集まっているのがみんなキリスト者ばかりである、というなら、なんと気楽なことでしょうか!しかし、実際にはそういうわけには行かないではありませんか!
実際には、いろんな宗教、いろんな立場や考えの人々がいます。そのような場面において、わたしたちが、それこそ「ユダヤ人の手前」というのと同じように、その人々の手前、周囲の人々の目を気にして、心にも無い宗教儀式に参加し、信じてもいない存在に向かって手を合せてみたり、拝んだふりをしてみたりしなければならないような場面が、全く無い、と言い切れるでしょうか。
しかし、そういうときに、手を合わせたから、お辞儀をしたから、だから、わたしはキリスト教を捨てたのか。仏教や神道の信者になったのか。このあたりのことは、時として、ものすごく難しい問題として、わたしたちの心を悩ませ、痛めつける問題として、襲いかかってくることがあるのではないでしょうか。
わたしは、この種の問題に明確で一義的な答えは無い、と考えています。パウロのように状況に応じて判断するという選択肢がありうる、と考えています。しかし、このようなことを、あまり開き直って言うつもりも、ありません。
パウロ自身は、自分自身がかつて確かに受けた割礼そのものを否定できたわけではありませんし、否定しようがありません。また、キリスト者になった後も、自分の弟子に割礼を授けました。
しかし、そのパウロが、断固として否定したことがある。すなわち、「割礼は救いのために必要かつ不可欠な条件である」というこのような考えを、パウロは断固として否定したのです。
ひとは、割礼を受けなくても救われる。割礼は、救いに至るための義務でも、責任でも、条件でもない。このようにパウロは語ったのです。
しかし、こういう考え方は、律法主義者たちには理解されないものです。パウロの立場を執拗に攻撃していた人々は、パウロが「割礼を受けるべきではない」と言ったとなると、彼は割礼そのものを否定しているのだ。ひいては、ユダヤ教の信仰そのものを否定し、結局はユダヤ人の存在そのものを否定しているのだ。だから、パウロはわれわれの敵なのだ、というふうに受け取るのです。このような三段論法こそが原理主義の特色である、と言えるでしょう。
しかし、実際のパウロは、もっともっと自由な人でした。イエス・キリストの十字架の福音によって自由なものにされていました。ひとが救われるために求められるのは、信仰だけである。問われるのは、これだけだ、と。
わたしが今なお割礼を宣べ伝えているなら、「十字架のつまずき」もなくなっていたことでしょう、とパウロは書いています。「つまずき」(スカンダロン)とは、スキャンダルの語源です。憤慨ないし激怒の対象、という意味です。
イエスさまの十字架に憤慨し、激怒するのは、もちろん、ユダヤ人たちです。しかし、なぜ彼らが憤慨し、激怒しなければならないのか。イエスさまを十字架につけて殺したのは、彼ら自身です。その彼らにとって、イエスさまこそが救い主であると語るキリスト教徒の言葉は、許しがたいものであり、憤慨と激怒の対象であった、というわけです。
このようことを、十字架の福音を、みんなの前ではっきりと語っている、このわたしパウロを差し置いて、「あいつはユダヤ教に戻った」などという噂を流すのは誰なのか。お願いですから、そのような中傷誹謗はやめてくださいと、言いたいのです。
「あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと自ら去勢してしまえばよい。」
ここでパウロは、この手紙の中ではおそらく最も過激な言葉を書いています。
わたしが実際に聞いた、この個所を説教された日本の有名な牧師が語った言葉を、今でも忘れることができません。「パウロが言っていることは、要するに、“根こそぎ切り取ってしまえ”、ということです」。
言ってみれば、それだけです。しかし、さらに調べていきますと、これは非常に痛烈で激しい皮肉であることが分かってきます。
旧約聖書の申命記23・2には、「去勢した者は主の会衆に加わることができない」ということが書かれています。そうだとすると、パウロの意図は、彼らは、自分の律法によって、自分自身が裁かれている、という意味になります。
また、別の解説によると、ここでパウロは、小アジア地方にあったとされる、キュベレという女神を祀っている大神殿に仕える宦官たちのことを考えているのかもしれない、と言われます。そうだとすると、彼らは、自分のユダヤ教信仰によって異教化している、という意味になります。
とはいえ、わたしたちまで、パウロのように、皮肉とか嫌味のようなことを、人に対して書き送る手紙のようなものの中に、勢いに任せて書き殴る、というようなやり方は如何なものかとも感じます。わたしたちは、こんなことまでパウロの真似をする必要はないでしょう。ただ、パウロの強い思いを読み取ることができれば、と思います。
(2004年10月10日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年10月3日日曜日
愛の実践を伴う信仰
ガラテヤの信徒への手紙5・2~6
「ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、霊により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」
ガラテヤの信徒への手紙は全部で6章ありますので、残すところ2章分となりました。全体の3分の2をやっと読み終えたところです。5ヶ月間、ただひたすらこの手紙だけを読んできましたので、少しお疲れになったかもしれません。
わたしの予定では、今日を含めてあと7回、11月21日の日曜日まで、この手紙を読んでいきたい、と考えております。そして、11月28日が今年のアドベント(待降節)第一主日ですから、その日から、クリスマスの準備として、イエス・キリストのご降誕についての話を始めたいと願っております。ご理解とご協力をお願いいたします。
さて、使徒パウロは、この手紙の中で、わたしたちキリスト者は、救い主イエス・キリストを信じる信仰によって、そしてまた、キリストご自身へと結ばれる(結合される)ことによって、全く自由にされた者である、ということを、一貫して語ってきました。
そのことが、先週はあまり十分な仕方ではお話しできなかった、5・1にも繰り返されていました。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。」
そしてまた、先週は「分からない、分からない」の一点張りで押し通して読み流してしまいました4・21~31にも、最後に「要するに」と、パウロ自身が自分の語ってきたことを要約している個所がありました。「要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。」
ここから読み取ることができる、一つのことがあります。それは、パウロが「自由な身の女」と呼んでいるのは、じつは、イエス・キリストのことである、ということです。
もちろん、聖書を読むかぎり、イエスさまは女性ではなく、男性としてお生まれになりました。しかし、これは例え話です。男性であるイエスさまを「母親」として例えることには、いくらか違和感があるかもしれませんが、このあたりはあまり気にしないことです。
むしろ、ここで大切なことは、自由な母から生まれた者が、自由な子どもと呼ばれるのである、ということです。
自由な母が、自分の子どもを自由な人間に育てるのです。
自由な母は、自分自身が自由になったことを心から喜んでいるゆえに、自分の子どもがかつて自分が経験した不自由な人生に戻っていくことを、黙って見ていられないのです。
そして、もちろん、そのようなことを黙って見ていられないのは、キリスト者の産みの親であるイエス・キリストご自身だけではありません。いわば育ての親であるパウロも、黙って見ていられません。だから、パウロも言います。「だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」
そして、もちろん、それはパウロだけの話でもありません。この点については、わたしたち自身も、同じです。最近ちまたで「ビフォー・アフター」という言葉を聞くことがあります。わたしたちにも、「ビフォー・アフター」があると思います。キリスト者になる「前」と「後」です。
ほとんど何も変わっていないようだ、とお感じになる方も、おられるかもしれません。もちろん、「違い」ばかりを無理に強調する必要はありません。
しかし、もし思い出していただけるものならば、ぜひ思い出していただきたいのです。おそらく、わたしたちのうちの多くは、「キリスト者になること」のために、激しい戦いや葛藤、あるいはまた、悶絶するような苦しみを味わい、しかし、それをたしかに勝ち取ってきた、という体験をしてきたのです。
わたしは、この松戸小金原教会に4月に転任させていただいて間もなくして、教会員の皆さんのお宅に訪問させていただきました。この秋には、客員や求道者の方々のお宅にも参りたいと願っておりますが、思うように事が運ばず、申し訳ない思いで一杯です。どうか、もう少しお待ちいただきたいと願っております。
しかし、まずは、教会員の皆さんのお宅に訪問させていただけましたことを、今は本当に良かった、と感じております。それは、やはり、皆さんの「生(なま)の声」を直接聞くことができたからです。いろいろな証しや、教会に対する思い、そして、率直なご意見を聞くことができました。
もちろん、皆さんからお話しいただいたことの多くは、わたしの胸の内にしまっておかなければならないことばかりです。しかし、本当にどなたも、率直に語ってくださいました。
そして、やはり、その中でとくに、皆さん自身が「キリスト者になること」のために、じつにさまざまな戦いや葛藤、痛みや苦しみを体験してこられた、しかし、それをたしかに勝ち取ってこられたことを、伺うことができたのです。
そして、まさにどなたからも伺うことができたことは、(神さまの前で証言いたしますが)、キリスト者になったこと、教会の交わりに加えられたことは本当に良かった、という喜びと感謝のお言葉でした。これは素晴らしいことです。
自分の人生そのもの、そして教会生活、信仰生活というものを、心から喜び、感謝することができる、というのは、素晴らしいことです。そうではないでしょうか。
そして、残念ながら、というべきでしょうか。わたしたちの人生には、少なくとも過去において、この人生そのものを、喜ぶことがも受け入れることもできなかった頃、というのが、たしかにあったのです。「ビフォー・アフター」の「ビフォー」です。
そんな昔のことは忘れた、と言われるかもしれません。しかし、おそらく、わたしたちは、このわたしの人生を十分な意味で喜ぶことができなかったのです。感謝をもって受け入れることができなかったのです。
ところが、まさにある日あるとき、たしかに何かが変わった。それ以前の生活との訣別といいますか、踏ん切りといいますか、新しい出発というべきものを、体験されたのです。
もちろん、わたし自身にも、そのような体験がありました。ただし、わたしの場合は、クリスチャンホーム育ちですので、キリスト者になる「前」(ビフォー)ということを、十分な意味で認識することができません。
しかし、ある日あるとき、救い主イエス・キリストというお方を、それ以前とは違った仕方で確信をもって受け入れることができたときのことを覚えています。そしてまた、「イエス・キリストを信じる信仰によって、自分の罪が赦された」ということを、真実として深く受け入れることができたときのことを覚えています。
そのような者として、わたしにも、パウロと同じ言葉を語る資格があると思っています。「だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」。
元の木阿弥になってはならない。後ろを振り向いて、後ずさりしてはならないのです。
自動車で、今来たその道を戻っていくことを「逆走」といいます。逆走は、道路交通法違反の現行犯で逮捕されなければなりません。逆走は、いけません。後ろではなく、前に進んでいかなければなりません。
わたしたちに今すでに与えられている、救い主イエス・キリストを信じて生きる人生を、心から受け入れて、喜びと希望をもって、前に進んでいきたい。そのように願うものです。
パウロは、今日開いていただいた5・2以下にも繰り返し、キリスト者になった者たちは、もはや、割礼というものを受ける必要はない、ということを強調して語っております。
最初の2節に、「わたしパウロはあなたがたに断言します」とあります。3節にも「割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います」とあります。
もっとも、ここで「断言します」とか「はっきり言います」というのは日本語としての翻訳上の強調であって、実際はそれほどのことが書かれているわけではない、と言えなくもないのですが、パウロの気持ちは、このとおりである、と言ってよいでしょう。
パウロは何を「断言し」、何を「もう一度はっきり言う」のか、といいますと、キリスト者になった者たちは割礼を受けるべきではない、ということです。
そして、パウロは「もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります」とまで言っています。口語訳聖書では「キリストはあなたがたに用のないものになろう」と訳されていました。さらに原意に即して訳すなら、「その場合は、あなたがたにとってキリストは、価値を失うことになるだろう」ということです。
キリストが「役に立たない」とか「用のない」とか「価値を失う」とは、どういうことでしょうか。
理解できない話ではないと思います。新共同訳聖書にも「あなたがたにとって」という言葉が正しく訳し出されています。あなたがたにとって、ということが強調されなければなりません。
なぜ強調されなければならないかと言いますと、キリストが「役に立たない」し、「用がない」し、「価値がない」と感じるのは、あくまでも、わたしたち側の「感じ方」の問題だからです。たとえわたしたちがキリストからどのような感じを受けようと、キリストご自身の価値が失われるわけではない、ということも申し上げておく必要があります。
宝石でも、豪勢な家屋敷でも、立派な自動車でも、それ自体が持っている価値と、それをわたしたちが「これは価値あるものだ」と感じるかどうかは別の問題です。
これから申し上げる言葉は、突然聞くとドッキリする言葉ですが、イエスさまがお語りになり、聖書に記されている言葉ですので申し上げます。「真珠を豚に投げてはならない」(マタイによる福音書7・6)。
価値あるものを、その価値が分からない者に与えてはなりません、というイエスさまご自身の教えです。その続きにイエスさまが言われたことは、こうです。「それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう」(マタイ7・6)。
しかし、問題は、なぜそうなのか、です。なぜ、すでにキリスト者であるものが割礼を受けると、その人自身にとってキリストは、「役に立たない」・「用のない」・「価値のない」ものになってしまうのでしょうか。
この問題は、わたしたちにとって、すぐに理解できるというほど簡単なものではないかもしれません。
といいますのは、ほとんど確実に言いうることは、わたしたち21世紀の日本でキリスト者である者たちが、「割礼を受けるべきかどうか」という問題で悩むことは、ほとんど無い、ということです。
ユダヤ教それ自体の影響が、日本の中にはあまり無い、と言いうる状況にあることも関係しています。たとえば、もし日本国内の至るところにユダヤ教のシナゴーグが立ち並んでいる、というような状況でもあるなら、「割礼を受けるべきかどうか」ということが、わたしたち自身の問題になるかもしれませんが、実際にそういうことはありません。
ですから、つい、このような個所を、わたしたちとはあまり関係ない他人事のように読み流してしまう可能性があるのです。
しかし、この点は考え置くとして、わたし自身、今日のこの説教の準備のために、パウロの言葉を繰り返し読みながら、ふと気づいたことがあります。それは6節の御言の中に書かれている一つの点です。
「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」
ここに、パウロは、はっきりと、「割礼の有無は問題ではなく」と書いています。これは別の読み方ができると思います。「問題は割礼の有無ではなく」、と。
つまり、今ここでパウロ自身が問題にしていることの中心にある事柄、核心的な事柄は「割礼を受けるべきかどうか」という問題そのものではないのだ、というふうにも読めるのです。
そうではなく、真の問題、本当の問題は、「愛の実践を伴う信仰があるかどうか」ということである、と。これが問題の核心である、と。
たしかに、「割礼を受けるべきかどうか」という問題は、今の日本では問題になりません。しかし、そのこと自体が問題ではない、と言われるなら、どうでしょうか。
「信仰があるかどうか」が問題である。「そこに愛の実践が伴っているかどうか」が問題である。こう言われるなら、わたしたちにも、他人事ではないでしょう。
「信仰がありますか。そして、愛がありますか」。
加えてパウロは「希望がありますか」と聞くかもしれません。さらに加えて「自由がありますか。そして、喜びがありますか」とも聞くかもしれません。
問われるのは、これらのことです。割礼は「問題にならない」のです。
(2004年10月3日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年9月26日日曜日
自由なる生の喜び
ガラテヤの信徒への手紙4・21~5・1
パウロが今日の個所に書いている内容は、もちろん、一つのたとえ話です。少し難しい言葉を使わせていただくなら、「寓喩」(アレゴリー)と言います。
寓喩とは、聖書の中に書かれてある言葉について、「じつは、これは、こういう裏の意味が隠されているのです」というような仕方で、全く予想もつかない意味を説明してみせるとか、あるいは、論理的には必ずしもつながりがあるとは思えないところに真意を見出す比喩の方法、というふうに説明できるかもしれません。
ところで、通常の場合、たとえ話というのは、一般的には分かりにくいことを、できるだけ分かりやすく説明するために用いられます。しかし、どうでしょうか。今日の個所のたとえ話についてのわたし自身の率直な印象は、これは非常に難しい、ということです。はっきり言えば、今日の個所に書いていることが、わたしには、さっぱり分かりません。
胸を張って言うようなことではないかもしれません。しかし、いくつかの聖書注解書に当たってみましたが、どの本を読みましても、十分に納得できるように解説してくれるものは見当たりませんでした。聖書には時々、このような個所が出てきます。
しかし、この期に及んで、そのようなことを言っている場合ではないのかもしれません。分からないなりに読んでいくうちに、少しくらいは分かる部分が見つかるかもしれません。今日の個所の最初にパウロが書いていることは、これです。
「わたしに答えてください。律法の下にいたいと思っている人たち、あなたがたは律法の言うことに耳を貸さないのですか。」
これは、とりあえず何とか理解できるところでしょう。パウロは、「律法の下にいたいと思っている人たち」に向かって語りかけている、ということが分かります。
ここで「律法」は、特別な意味であると思われます。わたしたちは、聖書全体を指して「律法」と呼ぶことがあるからです。
しかし、ここで、パウロは、明らかに「律法の下にいたいと思っている人たち」を厳しく批判しています。もしここで言われている「律法」の意味が、わたしたちの持っているこの「聖書」のことだけであるならば、パウロもまた聖書の御言を宣べ伝える伝道者の一人であるわけですから、なんだか奇妙な話になってしまいます。「聖書の下にいたいと思っている人たち」が悪いのでしょうか。そんなことを、パウロが言うでしょうか。それはちょっと、ありえないことです。
むしろ、ここで「律法」とは、今日の個所の最後に出てくる「奴隷の軛」という意味で語られていると思われます。
「軛」というのは牛や馬の頸(くび)にかける横木のことです。「くび」にかける「木」だから「くびき」です。これを人間にもかけると「奴隷の軛」となります。総じて、自由を束縛する道具や手段を指します。しかし、今のわたしたちの国では奴隷制度というものは禁じられておりますので、「奴隷の軛」を実際に見たことがある人は少ないと思います。
それはともかく、ここでパウロが「律法」という言葉を「奴隷の軛」と全く同じ意味で使っていることは明らかです。しかし、そうであるならば、やはり、これは、わたしたちにとって非常に驚くべき言葉である、と言わなければなりません。聖書全体という意味でもありうる「律法」が、人の自由を奪う道具ともなりうる、とパウロは考えているのです。
しかし、わたしたちは、このことを、今開いておりますガラテヤの信徒への手紙の全体の文脈から全く切り離して考えることはできません。今日は、少しこれまでのおさらいをしておきたいと思います。
パウロは、この手紙をガラテヤ教会の人々に書き送りました。パウロは、ガラテヤ地方にしばらく滞在して福音を宣べ伝えたのち、別の地に移動し、新たな伝道を始めました。そのパウロが立ち去った後のガラテヤ教会の中に、「異なる福音」を宣べ伝える別の教師が現れ、その教師を支持するグループができてしまった、というわけです。
この教師が宣べ伝えた「異なる福音」の内容とは、一言で言って、「ユダヤ教的律法主義への回帰」というべきものでした。その人々は、ユダヤ人以外の異邦人たちが信仰を告白してキリスト者になることのために、洗礼を受けるだけでは足りない、と主張しました。旧約聖書に基づくユダヤ教の伝統である割礼をも受けなければならない、と言いはじめました。異邦人たちは、まずユダヤ人になりなさい。ユダヤ人になってから、キリスト者になりなさい、と言うのと同じことを、彼らは異邦人たちに強要したのです。
そして、そのような「ユダヤ教的律法主義」を強要する教師たちの主張に対して、事もあろうに、当時のキリスト教会の最高指導者であった使徒ペトロまでもが同調しはじめました。そこに至って、これは全くとんでもないことだ、とパウロは怒りをあらわにしたのです。
洗礼を受けるだけでは足りない、という主張は、今のわたしたちの時代にも、いろいろと形を変えて、装いを新たにして、登場いたします。
わたしたち松戸小金原教会の歴史を考えていく中で決して忘れることができない出来事として、いわゆる「異言問題」というのがありました。具体的なことを申し上げるのは控えます。わたしは当時のことを正確に知っているわけではありません。いろいろと差し出がましいことを語るのは、慎まなければなりません。
しかし、一般論として「異言問題」というのは、基本的・本質的なところで、ガラテヤ教会の問題に通じるところがあるのです。
まず最初に、その人々は「水の洗礼」を受けるだけでは足りないと語りはじめるのです。「聖霊の洗礼」を受けなければならない。「聖霊の洗礼」を受けた者たちは「異言」というものを語りはじめるのだ。異言を語ることができないのは「聖霊の洗礼」を受けていない証拠なのだ、というふうな話に、必ずなっていくのです。
そこで起こる大きな問題は、わたしたちがキリスト者であるためには、信仰を告白し、洗礼を受ける、ということだけでは足りないという理由から、それ以外のいろんな条件がたくさん加えられていく、ということです。洗礼を受けただけの「偽物のキリスト者」とそれ以上の何かを持った「本物のキリスト者」という二種類のキリスト者という考えが出てくるのです。そのようにして、「教会の敷居」が、どんどん高くなっていく、ということが起こるのです。
しかし、それは違うのではないか、というのが、パウロの立場であり、信仰そのものでした。人がキリスト者となるために、洗礼だけでは足りず、割礼も受けなければならない、と言われることは、異邦人のための伝道者であるパウロの立場からすれば、「伝道の障害」以外の何ものでもありませんでした。
パウロにとっては、わたしたちがキリスト者であるために求められる唯一の事柄は、わたしたちの救い主イエス・キリストを信じることだけである。「なんだかんだ」という条件は、一切排除されるべきである、ということであったわけです。
そのことを、しかし、パウロは、ただ単に自分の信念であるとか、主義・主張である、ということだけで語ることは許されませんでした。牧師・説教者・伝道者の仕事は、自分の主義・主張を語ることではありません。聖書の御言に基づいて、真理を語ることです。おそらく、そのために、パウロは、今日の個所のたとえ話を書いているのです。
「あなたがたは律法の言うことに耳を貸さないのですか」とあります。もちろんここでパウロが言いたいことは明らかです。律法の下にいたいと思っているあなたがた。あなたがたが頼りにしている律法そのものが、聖書そのものが、あなたがたの主義・主張の根拠そのものが、あなたがたの主義・主張を否定していますよ、ということを言いたいのです。
このようなパウロのやり方は、間違いなく、論争的なかたちを必然的にとらざるをえません。ピリピリ張り詰めた雰囲気の中での厳しい言葉の応酬になります。こういうのは、本当に嫌なことであり、できれば避けたいことです。
しかし、大いに学びうることもあります。それは、教会の中にいろんな問題が起こったときに、わたしたちにできることは、とにかく徹底的に「聖書そのものを読んでいくこと」以外には無いだろう、ということです。聖書にどう書いてあるか。聖書が教えていることは何か。このことに、わたしたちは、常に立ち返らなければなりません。
とはいえ、もちろん、パウロにとっても、わたしたち自身にとっても、論争相手として登場する人々自身も、「わたしたちも聖書に基づいている」というふうに、必ず言います。解釈の違いである、というところで終わってしまうことが、しばしばです。
しかし、わたしは、「それでもよい」と思うのです。それでもよいから、とにかく聖書を読みましょう。聖書には何が書かれているのかということを、みんなで一緒に学んでいきましょう。ここに問題解決の糸口がある、と信じることが、わたしたちに許されている道なのです。
そして、その上でさらに申し上げておきたいことは、このような「聖書」の用い方こそが、わたしたちにとって最もふさわしい、ということです。わたしたちは、聖書の内容について自由に論じあってよいし、分からないことは「分からない」と言ってよいのです。
反対に、最も正しくない聖書の用い方がある、と思います。それがまさに「律法主義」です。聖書の御言を「奴隷の軛」とすることです。聖書の御言に基づいていると称して、わたしたちがキリスト者であるためにイエス・キリストを信じる信仰を告白すること以外のいくつもの条件を加えていくことです。「ああしろ、こうしろ」と無理難題を次々に積み上げて行くことです。しかし、わたしたちは、もっと自由であってよいのです!
今日の個所について、わたしに語りうるのは、この程度のことです。パウロが語っているたとえ話そのものは、正しく理解することが本当に難しいと感じます。
「アブラハムの二人の息子」とは、女奴隷の子イシュマエルと正妻サラの子イサクとの二人のことです。しかし、この二人の息子のどちらがわたしたちであり、もう一方が誰である、というようなことが書かれているのですが、それはなぜなのか、とか、それをどのように説明すればよいのかなど、考えれば考えるほど、さっぱり分かりません。
しかし、幸いなことに、パウロはこのたとえ話をしめくくるに当たり、「要するに」と、一言で要約してくれています。こういうのが有難いと思います。
「要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な女から生まれた子なのです。この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」
キリスト者の人生は、全く自由な人生です。わたしたちの救い主イエス・キリストが、わたしたちを自由な身にしてくださったのです。
律法主義の罠に陥らないよう、お互いに気をつけたいと思います。
(2004年9月26日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年9月24日金曜日
TCIファン・ルーラー研究会講義録「A. ファン・ルーラーの聖霊論」
「A. ファン・ルーラーの聖霊論」 講師 関口 康
TCIファン・ルーラー研究会の歩み
日 程 2004年 9月〜原則毎月一回(12月は休会)午後7時〜9時
会 場 東京キリスト教学園バルナバホール(千葉県印西市内野3-301-5)
第一講(2004年 9月24日)
第1節 資料
第2節 それは「聖霊論的神学」ではない
第3節 相対的に自立した聖霊論の必要性
第二講(2004年10月29日)
第4節 聖霊論の根本概念としての「聖霊の内住」
第三講(2004年11月18日)
第5節 キリスト論的視点と聖霊論的視点との構造的差異(序)
第四講(2005年 1月27日)
第6節 キリスト論的視点と聖霊論的視点との構造的差異(1)
第五講(2005年 2月17日)
第7節 キリスト論的視点と聖霊論的視点との構造的差異(2)
第六講(2005年 4月予定)
第8節 キリスト論的視点と聖霊論的視点との構造的差異(3)
2004年9月19日日曜日
キリストのかたち
ガラテヤの信徒への手紙4・19~20
「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。」
パウロは、今日の個所に、たいへん印象的な言葉を記しております。
「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。」以前広く用いられていた口語訳聖書では、次のように訳されていました。「あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする。」
ほとんど変わっていない感じですが、細かく見ればいくらか違いもあり、どちらの訳にもそれなりの魅力があります。しかし、今日は細かい話をするつもりはありません。
ここでパウロが語っていることは、要するに何なのか。このような、ごく大づかみな話をしたいと願っています。
ここには、「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで」、口語訳では「あなたがたの内にキリストの形ができるまで」、わたしは苦しんでいます、と書かれています。しかも、その苦しみは「産みの苦しみ」であると言われます。そして、その産みの苦しみを感じている「わたし」とは、もちろんパウロ自身のことです。
ここまでのところで明らかなことを、以下、三点にまとめておきます。
第一点は、パウロによると、イエス・キリストには「かたち」がある、ということです。
その「かたち」は、まさに「キリストのかたち」と呼ぶことができるほどの何かである。もちろん、それは目に見える「かたち」です。目に見えないものではありません。わたしたちの救い主は、目に見える「かたち」を持つ存在であられる、ということです。
第二点は、パウロによると、「キリストのかたち」ができる場所があるとしたら、それは「あなたがたの内」である、ということです。
ここで「あなたがた」とは、第一義的にはもちろん、ガラテヤ教会の人々です。しかし、彼らだけに限定される話ではありません。すべてのキリスト者の内に、「キリストのかたち」ができるのです。「心の内側に」というだけでは、おそらく足りないと思います。体の内側にも、わたしたち人間の存在そのものの内側にも、「キリストのかたち」ができるのです。
第三点は、パウロによると、「キリストのかたち」を「あなたがた」ガラテヤ教会の人々の「内」に形づくるのは、パウロ自身であるということです。
わたしが「産みの苦しみ」をする、と言っているのですから、そのように考えざるをえません。産みの苦しみというものを感じることができるのは、産む人だけです。産んだことがない人、産まない人が、産みの苦しみを感じることはありません。パウロが、ガラテヤ教会の人々の存在の内側に「キリストのかたち」を産むのです。それ以外のことを考えることはできません。
第一の、わたしたちの救い主イエス・キリストには、目に見えるかたちがある、という点から考えて行きたいと思います。まず、ここでパウロが言っている「かたち」の意味を考えます。
英語には「かたち」という意味の表現がいくつかあります。わたしたちが日常的によく使う言葉としてフォームとかスタイルとかタイプとかパターンなどがあります。「キリストのかたち」の場合はどれに当たるのか、と考えてみることもできるかもしれません。
しかし、わたしの答えは、どれか一つではなく、どれでもある、というものです。「キリストのフォーム」という意味もあるし、「キリストのスタイル」でもあるし、「キリストのタイプ」でもあるし、「キリストのパターン」でもあると申し上げておきます。
フォームとスタイルとタイプとパターンという四つの「かたち」を挙げました。これら四つに共通する点は、いずれも目に見えるものであるということです。その意味は、外面的ないし表面的な要素がある、ということです。自分だけが認識でき、他の人々には認識できないような、その意味で心の内側だけで表現しうるような「かたち」というよりも、むしろ、他の人々にこそ、第三者にこそ認識することができる外面的・表面的な「かたち」が、フォームであり、スタイルであり、タイプであり、パターンです。
もっと分かりやすく言い直す必要があるかもしれません。ここでわたしたちがぜひとも思い起こしたいことは、イエス・キリストというお方は、わたしたちと同じ人間の肉体を持っておられる神の御子である、という点です。この意味で、キリストは、わたしたちと全く同じ人間であられる、という点です。
わたしたちは、人間として、この地上の人生の中で、必ず、常に、ある種の「かたち」を持つ生活を送っています。砂を噛むような、とでも言うのでしょうか、大して面白くもない、ワンパターンな生活かもしれません。しかし、そうであっても、いえ、そうであるからこそ、わたしたちは、「パターン」という意味での「かたち」のある生活を送っていると語ることができるでしょう。
また、わたしたちは、人と付き合うときに、その相手をいろいろと分析しようとします。「あの人は、こういうタイプである。ああいう人に対しては、こういう付き合い方をしたほうがよい」というようなことを、必ず考えます。わたしたちは人から見ると、たいていの場合、どれかのタイプに属するようです。
そしてまた、わたしたちは、必ずや、何らかのスタイル、何らかのフォームを持つ生活をしています。この場合のスタイルとかフォームは、形式とか姿勢などの意味です。日本の中でわたしたちがキリスト者であるというとき、わたしたちは、明らかに、他の人とは少し違うスタイルやフォームを持つ生活を送っているはずです。日曜日には、朝早くから家を出て教会に行く。他の人々はそんなことをしていないようなことをしている。これは間違いなく、異なるスタイルないし異なるフォームを持つ生活です。
ここでパウロが「キリストのかたち」と呼んでいる場合の「かたち」の意味は、まさに今わたしが申し上げました外面的・表面的な意味でのフォームであり、スタイルであり、タイプであり、パターンであると説明することができます。
それは、別の言い方をするなら、新約聖書の最初に出てくる四つの福音書が描き出しているイエス・キリストの地上のご生涯には、まさに外面的・表面的な意味でのフォームがあり、スタイルがあり、タイプがあり、パターンがあった、ということでもあります。
ユダヤ教の安息日は土曜日ですから、みんなが会堂に集まるのは、土曜日です。そこでイエスさま御自身が、聖書の御言に基づいて説教をされる。また、イエスさまは説教だけをなさった方ではなく、もっと多くのことをされました。多くの人々と共に喜びを分かち合う、恵みに満たされた生活を送られました。
たとえば、そのようなイエスさまの人生そのもの、生き方そのものです。まさしくそのようなことを指して、今日の個所でパウロは「キリストのかたち」と呼んでいるのです。
ここで、第二の点に移ります。そのような「キリストのかたち」は、パウロによると、あなたがたの内に形づくられるものである、と言われます。これは、どういう意味でしょうか。
この文脈にあって、おそらく最も理解しやすいであろうと思われる表現は、「キリストの生活スタイル」という意味での「キリストのかたち」が、あなたがたの内にも形づくられる、という言い方です。
つまり、こういうことです。キリストの生活スタイルが、このわたしの生活スタイルになる。逆の言い方をするなら、このわたしの生活スタイルが、キリスト的な生活スタイルとなる。要するに、キリストに似たものになること、キリストの真似をすること、です。
十四世紀後半から十五世紀前半のドイツで活躍したローマ・カトリック教会の修道士であり、司祭にもなったトーマス・ア・ケンピスの名前は、日本でも多くの人々に知られています。この人の主著『キリストにならいて』(イミタチオ・クリスチ)の意味はキリストに似たものになることであり、キリストの真似をすることです。
イミタチオは、イミテーションの語源です。イミテーションというと、わたしたちは、すぐに「偽物」という言葉を思い浮かべてしまいます。しかし、トーマス・ア・ケンピスの場合のイミタチオは、決して悪い意味ではありません。良い意味で「真似すること」です。「まねび」とも言われます。しかも単なる真似でもありません。「信頼して服従すること」です。キリストの弟子になって、キリストの後ろからついて行くことです。
まさにこの「イミタチオ・クリスチ」、キリストの真似をし、キリストに似たものになること、そして、キリストの生活スタイルが、このわたしのものとなっていくこと、まさにこのことを、今日の個所でパウロが「キリストがあなたがたのうちに形づくられる」という言葉で、表現しているのです。
もちろん、ここに至って、改めて問うておきたいことは、はたして、わたしたち自身の生活スタイルは、本当に、キリストに似たものになっているだろうか、ということです。
それはかなり疑わしいと、きっと誰もが感じることでしょう。おそらくそれは感じてよいことですし、感じなければならないことであるとさえ言えるように思います。
その反対を考えてみるとよいのです。「わたしの生活は、キリストそっくりです」というようなことを、堂々と、胸を張って言い出す人がいるとしたら、どうでしょうか。「はたしてそれは本当のことだろうか」と疑う気持ちを、おそらく誰もが持つのではないでしょうか。
これは、ヒガミやヤッカミというような次元のことだけではありません。わたしの最も尊敬する一人の改革派神学者(A. ファン・ルーラー)が言っていることは、「キリストのかたち」の意味は、「謙遜であること」に他ならない、ということです。まことに神御自身の御子であられる方が、人となられた。ここに、キリストが示された謙遜、へりくだりの道があります。キリストに似ている、ということは、キリストと同じように謙遜であること、控えめであることに他ならないのです。
わたしはこの神学者の考えに、心から賛成します。そして、この意味で「わたしの生活は、キリストとそっくりです」と胸を張って言うことは、必ずしも「謙遜な態度」とはいえない場合がある、と申し上げておきたいのです。「キリストとそっくりです」と語るまさにそのことにおいて、キリストから最も遠ざかっている場合があるということを、覚えておかなければなりません。
そして、第三の点に移ります。パウロによると、あなたがたガラテヤ教会の人々の内にキリストのかたちを産み出すのは、他ならぬパウロ自身である。産みの苦しみを感じるのは、他ならぬパウロである、と言われている点です。
最初に触れましたように、新共同訳聖書では「わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」とありますが、以前の口語訳聖書では「わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする」と訳されていました。「あなたがたを産む」というのと、「あなたがたの内なるキリストのかたちを産む」とでは意味の違いを感じます。
しかし、内容的には同じことです。パウロがそれを産み出すために苦しんでいるのは「あなたがたの内なるキリストのかたち」であることは、全く明白なことです。
しかし、ここで立ち止まって考えておきたいことがあります。それは、今さら、なぜ、それをパウロが産み出さなければならないのか、という点です。パウロはガラテヤ教会を離れた人間です。言ってみれば、その直接的な関係は終わっています。しかし、いまだに、なぜパウロが苦しまなければならないのか、という点です。
この問いに対して、分かりやすい答えは無いかもしれません。差し当たり、この場合の「キリストのかたち」の意味は、先ほどから申し上げているとおり、ガラテヤ教会の人々の生活スタイルがキリストに似ているものであるかどうかにかかっています。彼らの生活スタイルの中に以前にはあった「キリストのかたち」が今では見えなくなってしまった。このことに、パウロは責任を感じ、苦しんでいるのです。牧会者なら当然の悩みである、と言うべきでしょう。
「かたち」ということで、わたしの頭に思い浮かぶのは、プリンとかゼリーのようなものです。プリンやゼリーが「かたちあるもの」になるまでには、少しの間、じっとさせておく時間が必要です。しっかり固まらないうちに、ジャカジャカと、せっかちに動かしてはならないのです。みんな崩れてしまいます。すべてが台無しです。
わたしたちの内なる「キリストのかたち」ができる過程においては、牧師の果たすべき責任も大きいところです。一例だけ挙げておきますと、頻繁に牧師が交代しているような教会は、この「じっとしていること」が難しいと言えます。
パウロの場合も、同じでした。パウロが去った後のガラテヤ教会が乱れました。「異なる福音」を宣べ伝える教師とそのグループによって、かき乱されました。ガラテヤ教会は、できてまもない群れでした。産まれたばかりの赤ちゃんでした。しかし、せっかくパウロが宣べ伝えた福音と、ガラテヤ教会の人々の内に産まれてきた「キリストのかたち」が、ジャカジャカと動かす人々によって、崩れてしまったのです。
もう一度、あなたがたを産みたい。
あなたがたの内なる「キリストのかたち」を元通りに復元したい。
これが、パウロの切なる願いでした。
(2004年9月19日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年9月12日日曜日
人の弱さを担う善意
ガラテヤの信徒への手紙4・12~18
「わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください。兄弟たち、お願いします」。
「あなたがたもわたしのようになってください」。これは、パウロの他のいくつかの手紙(一コリント4・16、11・1、フィリピ3・17、二テサロニケ3・7)にも出てくる「わたしのようになりなさい」とか「わたしに倣うものになりなさい」と全く同じ意味で書かれています。なんとなく自信過剰な人の言いそうなことだ、とお感じになるかもしれません。しかし、決してそういうことではありません、と申し上げておきます。
「あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです」(4・7)と書かれていました。しかし、そのあなた、すなわち「神の子」とされたあなたが「なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか」(4・9)と、パウロは問いました。その続きに「わたしのようになりなさい」と書かれているのです。
わたしは今や「神でない神々」の奴隷ではない。そのようなものの奴隷にはならないし、なりたくない。奴隷なんて、まっぴらだ。今、わたしは、全く自由の身である。あなたもわたしと同じように自由になったではないか。それなのに、なぜもう一度、逆戻りするのか。なぜ、不自由な人生に戻ろうとするのか。ぜひ、このわたしと一緒にこの自由を守り抜いて行きましょう。全く自由で喜びに満ちたこの人生を楽しみ続けましょう。どうか、わたしのように自由な者になってください。これがパウロの言葉の真意です。
ただし、これは、やはり、自分の生き方に自信や確信をもつことができる人だけが語りうる言葉である、ということは、おそらく事実です。今の時代、「自信たっぷり」というのは、あまり流行らないかもしれません。「人生いろいろ」と口を濁しておいたほうが無難かもしれません。しかし、真の神さまだけが与えてくださる自由なる人生は、わたしたちの大切な宝物です。それこそが、価値ある人生です。そのことを、できるだけ多くの人々に知っていただくことが、教会の伝道の目的です。
「あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました」。
ここでパウロは、自分自身とガラテヤ教会の人々との間で過去に起こった一つの出来事を回想しています。パウロがガラテヤ教会の人々と知り合った、そもそものきっかけは何であったか、という話です。
そのことをパウロは、「この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました」と表現しています。弱くなったのは、パウロ自身の体です。彼の体が何かの病気に冒されたのです。そのことが「きっかけ」であると書いています。
おそらくパウロは伝道旅行の最中に病気にかかったのです。そして、休むためにガラテヤの町に立ち寄り、教会の人々に看病してもらったのです。そして、おそらく彼が看病してもらっている最中か、癒された後に、福音を宣べ伝えたのです。あなたがたガラテヤ教会の人々は、わたしパウロに対してとても親切にしてくださいました、と言っているのです。パウロは、彼らに心から感謝しているのです。
「わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあった」とあります。これはどういう意味でしょうか。
ここで「試練」とは、誘惑されるという意味です。何に誘惑されるのでしょうか。ここでも考えられることは、真の神の子になる前の生活、「神ではない神々」の奴隷として仕えていた頃の生き方に逆戻りしてしまうことへの誘惑ということです。しかし、そういうことが、実際にあるのでしょうか。
その方は、まだ元気に生きておられますので、名前は伏せておきます。わたしの親しい人(年配の方)が、あるとき言いました。「わたしの牧師が病気で死ぬことは、ありえない」。まるで、牧師が病気にかかってはならないかのようでした。
しかし、そういう信仰というのが実際にはありうるのだと思います。この世の中には、あまり堂々と病気にかかってはいけない人というのがいるように思います。「人を助けなければならない人が、人に助けられてはならない」と言われてしまう人々がいるでしょう。その人が病気で苦しんでいる姿を他の人に見られることは「証しにならない」とか「つまずきになる」と言われることが実際にはあるのだと思います。そういうのは間違っている、と言っても仕方がないのです。パウロは、ガラテヤの人々に看病してもらっていたとき、そのあたりのことを、とても気にしていた様子が伺えます。
しかし、彼らは、パウロのことを、さげすんだり、忌み嫌ったりしませんでした。それどころか、パウロのことを神の使いであるかのように、イエス・キリストであるかのように、受け入れることができました。パウロは、その日そのときの、ガラテヤ教会の人々の優しさ、温かさを忘れていません。
「あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。」
パウロの病気は何だったのかということが、しばしば問題になります。その答えの根拠として引き合いに出される個所の一つが、ここです。
ガラテヤ教会の人々は、自分の目をえぐり出してもパウロに与えようとした。それくらいに、彼らは、パウロのことを大切な存在として扱った、ということです。しかし、ここに「目」ということが書かれていますので、パウロの病気は、おそらく目の病気であったに違いない、と言われるのです。
ただし、これは決定的な答えではありません。いくつかの説のうちの一つにすぎません。
もう一つ、しばしば引き合いに出されるのはコリントの信徒への手紙二12・7の「わたしの身に一つのとげが与えられました」という言葉です。「目にとげがささった」と、無理に関連づける必要はないでしょう。「とげのごとく刺すような痛み」であると説明されます。神経痛のようなものではないかとか、精神的な原因から来るものではないかと説明する人もいます。
しかし、わたしは、とくに最近になって、だんだん分かってきたことがあります。それは、人の病気というものは、どこが悪いと一言で言えないほどに、複雑に絡み合っているというか、互いに関係しあっているらしい、ということです。
少し仕事をしすぎた。すると、目が疲れて、肩がこって、頭が痛くなって、背中も腰も痛くなって、足も痛くなって、そのうちお腹も痛くなって、熱も出てきて、ついに倒れてしまう。どこが悪いと、一言では言えないのです。
この機会に、いちおう、お話ししておきたいことがあります。
わたしの体の中には健康のバロメーターがあります。疲れてくると最初に痛くなるのが、3年前にヘルニアを発症した椎間板です。もちろん、目も肩などは、しょっちゅう痛んでいます。もう少し疲れてくると、13年前に発症した尿管結石が、ゴロゴロと活動を再開します。最後に親知らずが痛みはじめると、終わりです。抵抗力がだんだん無くなっていく様子がよく分かります。段階を踏んで、力尽きていきます。
16世紀スイスの宗教改革者カルヴァンも、病気で苦しんだ一人です。
カルヴァンは55才で亡くなりました。ものの本によりますと、カルヴァンは主著『キリスト教綱要』の初版を書いていた頃、「一睡もせずに夜を徹し、昼も食事をしないくらいに勉強に精出して」いたそうです(ベノア著『ジァン・カルヴァン』森井真訳、日本基督教団出版部、1955年、32ページ)。そして、晩年のカルヴァンは「偏頭痛と胃痛と肺結核、尿路結石、神経痛」を患っていたと言われます(久米あつみ著『カルヴァン』講談社、192ページ)。
先ほど、パウロが「わたしのようになりなさい」と言っていました。しかし、それは、わたしのように病気になりなさい、という意味ではありません。また、わたしたち改革派教会の者たちはカルヴァンを尊敬しますが、病気の数や種類まで、カルヴァンをみならうべきではありません。そういうことではないのです。
しかし、実際には、悲しいかな、牧師とか伝道者とか神学者などと呼ばれる人々の中に、考えられないほどの数や種類の病気を患ってしまう人々がいることも事実です。
とはいえ、わたしは、自分の不摂生の言い訳のようなことは言いたくありませんし、同僚の牧師たちをかばうようなこともしたくありませんし、そんなことはすべきではない、と思っております。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんと、謝罪したい気持ちがあるだけです。本当に、ただ申し訳ございません。
しかし、実際には、そういうときには本当に、教会だけが頼りです。わたしの話をしているわけではありません。パウロの話です。パウロが重い病気にかかったとき、心を尽くして優しく看病し、祈りをもって支えた教会の人々がいたのです。「人の弱さを担う善意」を持っていた人々がいたのです!
「すると、わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵になったのですか。あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです。わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです。」
ガラテヤ教会の人々の心は、パウロが去った後、パウロから離れて行きました。本当に悲しいことです。しかし、パウロの悲しみは、単なる感傷ではありません。
パウロが宣べ伝えた「福音の真理」から彼らが離れていくことを、パウロは悲しんだのです。
(2004年9月12日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年9月5日日曜日
なぜ逆戻りするのか
ガラテヤの信徒への手紙4・8~11
「ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。しかし、今は神を知っている。いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です」。
ここでパウロが書いていることは、何でしょうか。最初に少し丁寧に、ゆっくりと分析してみたいと思います。
初めの文章に「あなたがたはかつて」とあり、次の文章に「しかし、今は」とあります。「あなたがた」とは、もちろんガラテヤ教会の人々のことです。「かつてのあなたがた」と「今のあなたがた」。まるで二種類のあなたがたがいるかのようです。
そして、明らかに言いうることは、二種類のあなたがたを区別するものは、彼らの人生の中で起こる時間の流れである、ということです。「過去のあなた」と「現在のあなた」とが区別されているのです。
どれくらいの時間が流れていたのでしょうか。5年くらいか、10年以上か。パウロは何も書いていません。時間の長さは、問題ではないのかもしれません。ここでパウロが問題にしていることは、「過去のあなた」と「現在のあなた」とでは、明らかに違いがある、ということです。
「過去のあなた」は、神を知らずに生きていた。しかし、「現在のあなた」は神を知っている。ここに大きな違いがある。パウロの言葉をさっと読むと、とりあえずこんな感じになると思います。しかし、続けて「いや、むしろ神に知られている」とも書かれています。これは何でしょうか。この問題は、少しあとで取り扱います。
それより前に扱っておきたい第一の問題は、「神を知らなかった過去のあなた」と「神を知っている現在のあなた」とでは、たしかに大きな違いがある、ということです。
「神を知っている」ということで思い浮かぶのは、神についての知識とか、その知識を身につけるための勉強、というようなことでしょう。「教会でも勉強しなければならないのか。勉強するのは学校である。教会は学校なのか」と思われるかもしれませんし、実際にそのように問われることがあります。
しかし、事実はそのとおりです。おそらくわれわれの多くが洗礼を受ける前に参加したでありましょう「受洗準備会」とか「求道者会」などと呼ばれる時間に行われることは、ひたすら勉強です。教会には学校的な面があります。わたしたちは、教会で、神について勉強しなければならないのです。
しかし、です。ここで、ちょっとだけ、ケンカ腰っぽい言い方をさせていただきます。
はたして、わたしたちは、教会で、どのくらい神について勉強したことがあるでしょうか。「毎週の礼拝も、聖書の勉強の時間である」と言えば、そのとおりです。しかし、時間は短いと思います。受験生と同じくらい、長い時間をかけて、まさに徹夜で、猛勉強をしたことがあるでしょうか。「しました」という方がおられるかもしれません。しかし、どれくらい分かったでしょうか。わたしたちは、神について、何を、どれくらい知っているのでしょうか。「全部分かりました」という方がおられるかもしれません。しかし、それは本当でしょうか。
こういうところに引き合いに出されると、ご本人は嫌がると思いますが、わたしが今、心から尊敬している先輩教師の一人は、神戸改革派神学校の校長をしておられる牧田吉和先生です。つい先々週、同じ研究会でご一緒しました。
この先生は本当によく勉強される方です。若い頃、ドイツとオランダに5年間留学してこられたご経験をお持ちです。今は60才を越えておられます。にもかかわらず、今でも毎日のように朝早くから夜遅くまで、辞書と首っ引きで猛勉強を続けておられます。
しかし、そのような先生が、先々週お会いした折にも頻りにおっしゃっていたことが「分からん、分からん」ということでした。「先生が分からないのに、なぜわたしたちに分かるのですか」と言いたくなるほどでした。牧田先生に限って、「わたしはすべてを知っている」というような顔や態度を見たことがないのです。
もちろん、牧田先生はたいへん謙遜な方である、ということも事実です。だからこそ、多くの尊敬を集めておられます。しかし、これは牧田先生お一人の話ではないでしょう。おそらくわたしたちのすべて、まさにすべての人間は、完全な意味で「神を知っている」と語ることができないのです。
そこで注目していただきたいのは9節です。「しかし、今は神を知っている。いや、むしろ神から知られている」。先ほど「少しあとで扱います」とお断りしました「神から知られている」とはどういう意味であるか、という今日の第二の問題を考えたいのです。
ご覧いただけばお分かりのとおり、ここでパウロは、最初に「あなたがたは神を知っている」と書き、「いや、むしろ」と続け、その後すぐに「あなたがたは神から知られている」と言い換えています。原文でも、このとおりになっています。「いや、むしろ」(マーロン)という言葉がはっきりと書かれています。英語のratherです。敷衍しながら意訳するとしたら、「よりよく語るとしたら」とか「もっとふさわしい言い方をするとしたら」というふうに訳すことができます。
パウロによるこの言い換えの意図は、明らかです。
思い浮かべていただきたいのです。パウロは、この手紙の、この個所の文章を書いています。「かつてのあなたがたは神を知らずに生きていた。しかし、今のあなたがたは、神を知っている」と、ここまで書きました。しかし、そこで筆が止まってしまった。「いや、むしろ」(マーロン)と続けたくなった。そのときパウロは、「神を知らなかった過去のあなた」と「神を知っている現在のあなた」との対比を描くだけでは、満足できないものを感じてしまったのです。
「いや、むしろ」、よりよく語るとしたら、もっとふさわしい言い方をするとしたら、「あなたがたは神から知られている」と書かなければならないのだ。このように、パウロは感じてしまったのです。
なるほど、確かなことは、「神を知っている」ということと、「神から知られている」ということとでは、全く正反対の方向を向いている、ということです。
わたしたちは、もちろん、神を知らなければなりません。神を知るために、神について勉強しなければなりません。このことも確かな真実です。
しかし、ここで付け加えなければならないことがあります。それはパウロの言葉どおり、「いや、むしろ」(マーロン)です。「もっとふさわしい言葉で語るならば」です。ありのままのわたしたちは「神から知られている」と語ることができるだけである、ということです。
そして、このことは、「神から知られている」ということは、だれにでも、はっきりと、遠慮なく、躊躇なく、大胆に、自信をもって語ることができます。
ただし、「だれにでも」という意味は「洗礼を受けている者ならば、だれにでも」ということです。洗礼を受けていないならば、このようなことを自信をもって語ることは難しいと思います。
すでに学んだとおり、このガラテヤの信徒への手紙の3・26以下に、「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」と書かれていました。「洗礼を受けること」と「キリストに結ばれること」とが、まさに一つのこととして語られていました。
洗礼は、結婚にたとえられるものです。「洗礼とは、キリストと結婚することである」と言い切っても構わないほどです。
しかも、神が(キリストを通して)わたしたちを知りたもう、と語られるときの「知る」の意味は、単なる「知識」ではありえません。神は何でもご存じの方ですから、「わたしたちを知る知識」という言い方は、変です。むしろ、ここでこそ、創世記4・1に出てくる「アダムは妻エバを知った」という場合の「知る」を思い浮かべるべきです。それは結婚関係、あるいは結婚的な関係において「愛しあう」という意味です。
洗礼を受けるとは、まさにそういうことです。「神がこのわたしを愛してくださっている」ということを知ることです。神とこのわたしが結婚関係、ないし結婚的な関係を結ぶことです。まさしくそのとおり、「神を知る」とは「わたしが神を愛すること」です。「神から知られる」とは「神がわたしを愛してくださること」です。
ですから、今日の個所のパウロの言葉は、次のように言い換えることができるでしょう。「あなたがたはかつて、神を愛していませんでした。もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。しかし、今は神を愛している。いや、むしろ、神から愛されている」。
はっと気づかされることがありました。ああそうか、と深く納得するものを感じました。それは、「神を愛する」という意味の「神を知る」という言葉は、「もともと神でない神々に奴隷として仕えること」ということの反対の意味で使われているに違いない、ということです。
もっと短く言い直します。「愛すること」の反対が「奴隷として仕えること」である、ということです。
「奴隷として仕えること」は「隷属する」とも言い直せるでしょう。しかし、実際的に考えると、「隷属」の実態は「させられること」でしょう。強制的に引きずり回されることでしょう。
むりやり引きずり回されることを自ら好む人もいるのでしょうか。人それぞれである、と言われたら、それまでです。しかし、それはまさか「愛」ではないでしょう。
愛のかたちはいろいろある、と言われたら、それまでです。しかし、奴隷として引きずりまわされる関係と、愛の関係は、全く異なるものです。
このことを、ガラテヤ教会の人々は、よく知っていました。そのことを彼らがよく知っている、ということを、パウロはよく知っていました。だからこそ、パウロは、彼らに、そのことを何とかして思い出させようとして、この手紙を書いているのです。
あなたがたは「神から知られている」、すなわち「神から愛されている」者になったではないか。神を愛し、神から愛される関係、神との結婚関係、すなわち洗礼を受けて、教会のメンバーに加わる、という神との契約関係に入ったではないか。もはや、すでに結婚の関係は、成立しているではないか。
それなのに、です。
あなたがたは「なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか」とパウロは続けています。
そして、こうも言っています。「あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です」。
ここでパウロが告白している「心配」を、わたしたちは、文字どおり受けとるべきです。
パウロも牧師の一人です。おそらく牧師ならばだれでも、教会から離れようとしている人がいるとか、信仰を捨てようとしている人がいるとか、そしてもちろん神から離れようととしている人がいたら、間違いなく、まさにここでパウロが書いている意味での「心配」をするでしょう。「うるさい」とか「わたしの勝手でしょ」とか「お節介を焼かないでもらいたい」と思われることを覚悟しながら、「心配」いたします。この意味での「心配」をしないような牧師は、如何なものか、と思います。もちろん、牧師だけではなく、教会全体が「心配」します。
しかし、その「心配」の中心にあるものを、ぜひ理解していただきたいのです。
あなたの非を責めているのではありません。「神の愛」から離れて生きようとするあなたの人生の行く末を「心配」しているのです。「無力で頼りないもの」へと逆戻りすることは、あなたにとって何の益にもならない、ということを「心配」しているのです。礼拝の出席者が減ると困る、というような次元の話をしているのではないのです。
まことの神だけが、あなたを自由にし、まことの喜びで満たしてくださるのです。
(2004年9月5日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年8月29日日曜日
献身の意味 ~何のための人生か~
マタイによる福音書9・35~10・15
松戸小金原教会の関口です。今朝、新浦安伝道所の皆さんと共に礼拝をささげることができます幸いに心より感謝しております。よろしくお願いいたします。
今朝開いていただきました聖書の個所は新約聖書マタイによる福音書9・35〜10・15です。少し長めに三つの段落を続けて読んでいただきました。まず最初に、この個所に何が書かれているかを申し上げたいと思います。
まず第一番目の段落に書かれていることは、わたしたちの救い主イエス・キリストが飼い主のいない羊のように弱り果てている群集の姿をご覧になったとき、深く憐れまれたということです。
続く第二番目の段落に書かれていることは、イエスさまがそのように困っている人々を何とかして助けるために十二人の弟子たちを特別にお選びになり、お遣わしになったということです。
そして第三番目の段落に書かれていることは、イエスさまがその十二人の弟子たちを派遣するに際し、非常に具体的な内容のアドバイスをお与えになったということです。ここにはイエスさまの弟子としての生き方が記されていると言えます。
しかし、今朝わたしがまず最初に申し上げたいことがあります。それは、この三つの段落に書かれている内容は、いわば当然のことながら、互いに深い関係を持っているということです。そして、この三つの段落の関係をよく理解することが、今日読んでいただきましたこの個所全体の内容を正しく理解するために重要であるということです。
それはどういうことかについてもう少し説明が必要であると思います。たとえば、今日の第二番目と三番目の段落にはイエスさまの十二人の弟子たちの派遣という出来事が記されているわけですが、その派遣の意味と目的は何かということを正しく理解するためには、第一番目の段落の内容をよく見る必要があるということです。
そして、その場合わたしたちがよく見る必要があるのは、「群集が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」というこの御言です。
このことは何を意味するのでしょうか。おそらくすぐにお分かりかと思います。弟子たちの派遣の意味と目的は、まさに彼らの目の前に「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」群集がおり、その人々には具体的な救いと助けとが必要であったというその事実そのものであるということです。
逆に言い直せば、もう少し分かりやすくなるかもしれません。ただし少し言葉が過激になってしまうかもしれません。しかし、あえて言葉に出して言うならばこうなります。もしそこに「弱り果て、打ちひしがれている」人々が一人もいなかったとしたら、イエスさまによる弟子たちの派遣は不必要であったということです。
ところが事実はそうではありませんでした。そこには実際に困っている人々、実際に弱っている人々、実際に打ちひしがれている人々がいたのです。だからこそイエスさまは彼らのことを憐れに思い、特別な十二人の弟子たちをお選びになり、その弟子たちを人々の中にお遣わしになったのです。
しかもここには「群集」と書かれています。一人や二人では「群集」とは言いません。一つの町や村の人口に当たるような規模の人々を「群集」と呼ぶのだと思います。
また「打ちひしがれている」とあります。この意味は何でしょうか。広辞苑を見ますと「打ちひしがれる」の意味は「強い衝撃で意気・意欲を完全になくすこと」です。ここでマタイが書いている意味も、まさにそのようなことです。
彼らの身に何が起こったというのでしょうか。とにかく彼らはおそらく生きる気力さえ失っていた。がっくりと肩を落とし、背中が曲がり、暗い顔で佇んでいた。そのような姿が思い浮かぶのです。
しかしこれはどういうことでしょうか。思わず考え込んでしまうような内容があると感じます。
私自身、ここで思わず考え込んでしまうことがあります。それは「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」そのような状態の人々にイエスさまが出会われた場所はどのようなところであったのだろうかという点です。
それはもちろん書かれているとおりです。イエスさまは「町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え」とあります。ここで「会堂」とは明らかに、当時のユダヤ教の礼拝堂のことです。シナゴーグのことです。イエスさまが回られた町や村には、イエスさまが行かれる前からユダヤ教の礼拝堂が存在したということです。
しかも、イエスさまが御国の福音を宣べ伝えられたのも、まさにそのユダヤ教の会堂(シナゴーグ)においてであったということです。
しかし、考えてみてください。そこにユダヤ教の会堂があったということは、いわば当然のこととしてユダヤ教の祭司や律法学者や長老たちもいたということを意味するのです。シナゴーグが建てられている町や村にはそのシナゴーグを仕事場にして働いている宗教の専門家たちもいたということです。建物だけがあったわけではないのです。
しかしそうなりますと事態はますます深刻なものに思われます。イエスさまが回られた町や村にはユダヤ教の会堂(シナゴーグ)は存在した。これは明言されています。そして、それならば、そこで働く祭司や律法学者や長老たちもまた存在したということも当然考えられるのです。
しかし、それにもかかわらず、です!その町や村の中に「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」群集、すなわち大勢の人々がいたと言われているわけです。
その町には教会の建物がある。伝統のある古い建物である。またそこには牧師も長老もいる。「いない」わけではないのです。それなのにそこには「飼い主がいない」と言われる。これはなんだかものすごく深刻な状況ではないでしょうか。
少なくとも私自身は、このような個所を読みますと、とても激しく胸が痛くなるものを感じます。
私は、今年で牧師という仕事を始めて14年目になります。そういう者として、ここで「群衆」と呼ばれている人々の立場や状況はよく分かるつもりです。しかしそれと同時に、ここで「会堂」と呼ばれている場所に住んでいる住人の気持ちも分かってしまうのです。
その町には「会堂」がある。牧師や長老もいる。もちろん信徒もいる。それなのに会堂の外側にも内側にも「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている群集」がいると言われる。これは会堂が、牧師や長老が、教会が、少しも人々の霊的なニード(必要)に応えていないということの何よりの証拠ではありませんか!
しかしそれが現実です。イエスさまの目は節穴ではありません。イエスさまの周りに集まってきた群集は、心の底から飢え渇き、助けを求めていた。ところが会堂の住人たちはこの群集の霊的ニードに少しも応えていなかった。そのことを鋭く見抜かれたイエスさまが十二人の弟子たちを、この群衆の中へと遣わされたのです。
だからこそイエスさまは、十二人を派遣するにあたり次のように命じられたのです。
「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。」
「イスラエルの家」の中にはユダヤ教の会堂も含まれています。会堂の中に「失われた羊」がいるというのです。その人々のところに行きなさいとイエスさまは弟子たちに命じられました。
そしてイエスさまは言われました。
「病人をいやし、死者を生き返らせ、らい病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。」
先ほども一度、仮定の話として、しかし、現実にはありえない話として申しました。もしそこに「弱り果て、打ちひしがれている」人々が一人もいなかったとしたらイエスさまによる弟子たちの派遣は不必要なことでした。しかし実際には一人もいないどころか大勢いました。だからこそ弟子たちの派遣が必要でした。
そのように考えますと、弟子たちが果たすべき役割ははっきりしたものになります。
イエスさまの弟子たちの仕事は、彼らの目の前にいる、現実に助けを求めている人々の(霊的)ニードに応えることです。病気の人がいればその病気をいやすことです。死者がいれば生き返らせることだと言われます。重い皮膚病を患っている人がいれば清くすることです。悪霊にとりつかれている人がいればその悪霊を追い払うことです。
このことも、逆の言い方をすればもっとはっきりするでしょう。
病気で苦しんでいる人々が求めていることは、間違いなく「その病気がいやされること」です。しかしそのとき、もしイエスさまの弟子たちが、その人々が少しも求めていないものを一生懸命に与えようとするなら、彼らは何を感じるでしょうか。
「そんなものはどうでもよい。わたしが今求めているものを与えてほしい」と思うでしょう。そして、それを与えてくれるところに出かけていくでしょう。自分のニードに応えてくれない人々には何も期待しないでしょう。それが現実なのです。
イエスさまは弟子たちに対し、続けてこうも言われました。
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。」
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」わたしたちは、これを文字通りのこととして理解すべきです。ここでイエスさまがお語りになっていることと同じようなことをユダヤ教も教えていたと言われます。ただしユダヤ教ではこんなふうに言いました。
「律法学者たちが律法の知識を私利私欲のために用いることは間違いである。なぜなら律法は金儲けの道具ではないからである。」
わたしたちの場合は「律法学者」という部分を「牧師」や「長老」あるいは「神学者」、そして「律法」という部分を「聖書」と読み替えることができると思います。
「牧師や神学者たちが聖書の知識を私利私欲のために用いることは間違いである。なぜなら聖書は金儲けの道具ではないからである。」
おそらくこれがイエスさまのお語りになる「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」の意味です。
ここで考えさせられることは、イエスさまが弟子たちになぜこのようなことを言わなければならなかったのかということです。その理由については、ここでは何も書かれていません。しかし、思い当たることがないわけではありません。
それは、繰り返しになりますが、イエスさまの周りに集まってきた群集がなぜあれほどまでに飢え乾いていたのかという点です。
彼らの町や村には会堂が存在しなかったわけではなく、祭司や律法学者や長老たちがいなかったわけでもありませんでした。ですから、もちろん彼らが聖書の御言の説教を耳にする機会が無かったわけではありませんでした。
それなのに、です。彼らは非常に飢え乾いていました。会堂で語られる説教、会堂の住人たちが提供する宗教的な行事や行為によって彼らの霊的ニードが満たされることは無かったのです。
その原因は何だったのでしょうか。少なくともその一つとして思い当たることがあります。
それがまさに、律法の知識を私利私欲のために用いる律法学者があまりにも多すぎたのではないかという点です。律法を悪い意味での金儲けの道具にしていた人があまりにも多すぎたのではないかという点です。
どうでしょうか。わたしたちの目も節穴ではありません。聖書の知識を私利私欲のために用いる教師、聖書を金儲けの道具にする教師の説教がどんなものであるかをわたしたちはすぐに見抜くことができるはずです。
そのような説教には人を救う力がないのです。それは助けを求めている人々に何も与えず、ただ奪うだけです。力を与えるどころか力が抜けていくのです。
イエスさまがおっしゃっていることは、助けを求めている人々には与えなければならないのであって、奪ってはならないということです。
イエスさまの弟子となり、またとくにイエスさまの御言葉を宣べ伝える者になることをわたしたちは、特別な意味で「献身」と呼びます。「献身」の一般的な意味を、これも広辞苑で調べてみました。「一身を捧げて尽くすこと。自己の利益を顧みないで力を尽くすこと。自己犠牲」と書かれていました。
意味はこのとおりで良いと思います。この意味のままわたしたちは、とくにイエスさまの弟子たちであるわたしたち自身に当てはめるのです。わたしも「ただで」救われたのだから、「ただで」与える人生を送るということです。
こんなふうに真剣に考え、生きていた人がイエスさまの時代にはいなかったのではないでしょうか。誰も彼もが自分の利益のために生きている。宗教家たちでさえそうである。だからこそ、さまよう人々も後を立たない。
わたしたちの時代はどうでしょうか。「飼い主のいない羊のように弱り果てている人々」はどこにいるでしょうか。わたしたち自身がそうでしょうか。
わたしたちの一度しかないこの人生をイエスさまの弟子として生きること、そして目の前にいる困っている人々を助けること、すなわち「献身」のために用いることができる人は幸いです。
新浦安伝道所のこれからの歩みのためにお祈りさせていただきます。
(2004年8月29日、新浦安伝道所主日礼拝、東関東伝道協議会講壇交換)
2004年6月27日日曜日
わがうちに生くるキリスト
ガラテヤの信徒への手紙2・17~21
「もしわたしたちが、キリストによって義とされるように努めながら、自分自身も罪人であるなら、キリストは罪に仕える者ということになるのでしょうか。決してそうではない。」
ここでパウロが書いている第一のことは、「キリストによって義とされた人」は、しかし依然として罪人のままである、ということです。「義とされる」と訳されています。「義と認められる」とか「義とみなされる」という訳もあります。いずれにしても微妙な言葉づかいであることには、変わりありません。
なぜ微妙でしょうか。どの訳を採用するとしても、結局のところ義とされた人々はただ単に「義とされた」だけであり、「義と認められた」だけであり、「義とみなされた」だけである、というように、常に何となく奥歯にものが挟まったような言い方になるからです。これらの言葉づかいの裏側に「実際にはそうではない」という、非常に強い否定の言葉が隠されているのです。
しかし、まさにこの"奥歯にものが挟まったような言い方"こそが、キリスト教信仰の特徴です。あなたは、ただ「義とされた」だけである。実際に「義人」になったわけではない。このような、聞く人によっては「詭弁でも聞かされているのではないか」と感じてしまうに違いないような、きわめて微妙な言葉で、わたしたちは、キリスト教信仰の核心部分を説明しようとします。
実際、たしかに、キリストを信じる信仰によって義とされた人は、しかし、その時点でもう二度と絶対に罪を犯すことがない、という意味で完全な義人になることができるわけではありません。
ちょ、ちょっと待ってください。そこのところで、「完全な義人になることができます」と言ってほしいです、と思われる方がおられるかもしれません。
しかし、それは無理な話です。すべてを捨てて新しく生まれ変わりたいという願いをもって洗礼を受けた人に、「いいえ、あなたはこれからも罪人のままなのです」と言わなければならないのが牧師の仕事です。夢も希望も無いかもしれません。しかし、それが現実です、と言うしかありません。
ここでパウロが語っていることは、そういうことです。パウロはきわめて現実主義者なのです。
しかし、もしそうであるならば、どうなるか。そのような、あいかわらず罪人のままであるような人間を、まるでそうではない者であるかのように義なる者とみなしてくださるキリストというお方は、結局のところ、罪を犯し続ける人間を、ただかばうだけの存在であるということになるのでしょうか、という問いが、当然のように出てくるでしょう。
それが「キリストは罪に仕える者ということになるのでしょうか」というパウロの問いの意味です。それが、ここでパウロが言おうとしている第二の事柄です。
「罪に仕える者」を原文から直訳すると「罪の奉仕者」となります。ここでパウロは、キリストは罪の奉仕者なのか、と問うています。あいかわらず罪人のままである者たちを、まるで罪人ではないかのようにみなすキリストは、黒いものを「白い」と言い張るだけの詭弁をあやつる悪徳弁護士なのか、という問いであると理解することができるでしょう。
「決してそうではない」とパウロは書いています。そんなことはありえません、と断言しています。そのような言葉でキリストを侮辱する人々を許すことができない、パウロの怒りの表明が、ここにあると言えます。
「もし自分で打ち壊したものを再び建てるとすれば、わたしは自分が違犯者であると証明することになります。わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。」
少し理解が難しい言葉が続いています。「自分で打ち壊したものを再び建てる」とは、何のことでしょうか。
ここでパウロは、おそらく律法について語ろうとしています。パウロは、律法を打ち壊したのです。しかし、それは、自分が持っている聖書を破り捨てた、というような意味ではないでしょう。そんなことをしても、意味がありません。そうではなく、律法の行いによって救われるという、パウロがキリストへの信仰に入る前に信じていた、ユダヤ教の律法主義的な生き方そのものを捨てたのだ、という意味であると思われます。
そのような生き方を、パウロは、全く捨てました。同じように、ペトロも捨てたはずでした。しかし、ペトロは、自分が一度捨てたものを、再び拾おうとしたわけです。ここが、ペトロとパウロとの決定的な違いとなりました。
何事においても、できるだけ、腹は立てないほうがよいと思います。しかし、少し長く生きてきますと、腹が立つ場面は、たくさんあります。何に腹が立つかといって、自分が捨てた者を拾おうとする人がいるときに、腹が立ちます。
大した価値の無いものであればともかく、少なくともかつての自分自身にとっては大いに価値があると信じてきたものに裏切られ、いわば泣きながら捨てたものを、易々と拾おうとする人がいる。しかも、その人自身も、一度は同じものを捨てたはずである。きっとあの人も、わたしと同じ思いで、必死の思いで捨てたのだろう、と思っていたら、そうではなかった。
なんだ、あの人の決意は、それほどのことでしかなかったのか。パウロがペトロに対してあからさまに示した怒りは、このあたりに真相があると思われます。心の底から、がっかりしたのです。
一度捨てたなら、もう二度と拾ってはなりません。最初に捨てたことの意味が無くなります。
なぜ捨てたのでしょうか。ユダヤ教的律法主義は、渋滞続きの旧国道です。何時間たっても前が見えず、目的地に到達することができません。だからこそ、父なる神は、イエス・キリストによる救いという別の道、パイパスを通してくださったのです。
せっかく便利な道が開通し、そこを通ってどんどん前に進んでいるのに、なぜまた渋滞している旧国道に戻ろうとするのか。それは愚かな人のすることです。二度と戻らない。戻りたくない。一度捨てたものをわたしは二度と拾わない。わたしはもはや「律法に対しては律法によって死んだ」のだから、とパウロは語っているのです。
「わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」
わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。 ここでパウロが明らかにしていることは、パウロがもはや過去の道、渋滞の道、ユダヤ教の律法主義の道に戻りたくないし、戻ることができない理由は、単なる彼の熱情とか、決心とか、決意によるものだけではないということの、いわば根拠です。
「わたしは、キリストと共に十字架につけられています」。わたしは、今や十字架につけられ"ちゃっている"。「ちゃっている」というのは、もちろん変な言い方です。しかし、パウロの心境を考えると、おそらくこんな感じになると思います。
「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」。パウロは、十字架に張り付けられているのです。自分で動くことは、もはやできない。ぷらぷらすることができない。なんだか都合よく、「今日はユダヤ教で行きます。明日はキリスト教で行きます」というふうに、思いのままに行ったり来たり。そんなことは、わたしにはできない、と言っているのです。
わたしの中には、もうすでに、キリストがおられるのだから!
ここはもう少し丁寧に、聖霊の働きによってキリストがわたしの中におられる、というべきところかもしれません。しかし、ここでパウロは、あまり神学的ではないように感じます。激しい愛の力をもってキリストに捕らえられている、自分自身のありのままの状態を、まったく率直に告白しているのです。
「わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」。ここでパウロは、「わたし」という言葉を繰り返しています。「わたしたち」ではありません。このわたしを、神の子イエス・キリストは愛してくださり、このわたしのために身を献げてくださった。この神の子を信じる信仰によって、このわたしは、今ここで、生きているのです。
この愛、キリストの愛によって、パウロは捕らえられました。わたしの中にキリストがおられる。この告白へと導かれました。それが、彼に与えられた救いそのものなのです。
「わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそキリストの死は無意味になってしまいます。」
もうあまりしつこく言葉を重ねる必要はないかもしれません。キリストに対するパウロの思いは、十分に理解していただけたのではないでしょうか。
パウロとキリストを結ぶ絆(きずな)は、愛です。このわたしを愛してくださるキリストを、わたしは愛している。プロポーズはキリストのほうが先です。だからこそ、その愛は「神の恵み」なのです。
どちらが先にプロポーズしたかということが、結婚してからも、いつまでも問題になることがあります。先に惚れた者の負け、という面もあります。
キリストは、愛されるよりも先に、愛してくださいました。だからこそ、その愛は真実です。まだ罪人であるときに、愛してくださいました。これからも罪人であり続けることが分かっていても、愛してくださいました。
そのようなお方を裏切ることはできない。キリストの死を無駄にしてはならない!
この思いが、パウロの信仰を支えました。
(2004年6月27日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年6月13日日曜日
ただ信仰によって
ガラテヤの信徒への手紙2・15~16
「わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。」
わたしたちがこの御言を正しく理解するために必要なことであるとわたしが考えている、少なくとも一つのことは、この御言を、前後の文脈から切り離さないで読むことです。
使徒パウロは、これまでご一緒に学んできましたように、この手紙の冒頭に、自分自身の身に起こった出来事、身の上話を、詳細に、縷々(るる)、述べてきました。
ちょっと皆さん、聞いてください!わたしの身にこんなことがあったのです、という感じに、全くあからさまに、あっけらんと、自分自身のこと、とくに過去に起こった出来事を、さらけだしてきました。
また、その中には当時のキリスト教会の最高指導者であった使徒ペトロに対する、これまたあからさまな批判も書かれていました。わたしはペトロに言いたいことがあったので、面と向かって罵倒しました、と。
読む人によっては"なんという言いたい放題か"とさえ感じるに違いないほどに、遠慮も反省もなく、ズケズケと書いてきました。
これまでの個所を読んできて、まず最初に分かることは、この人は、要するに、最後は黙っていられない人である、ということです。
それは、もちろん、正義感と責任感が強い人である、という意味です。悪い意味ではありません。どうしても今、語らなければならないことがある。そう感じたときには、たとえ相手が目上の人であれ、お構いなしに語る。自分の立場が危険にさらされようとも語る。ここまで来ると、だんだん悪い意味が含まれてくるかもしれません。
一般的に言って、こういうタイプの人が、はたして、牧師の仕事に向いているかどうかは、微妙です。牧師の仕事は、最も大きく分けるなら、説教と牧会の二つです。もし牧師の仕事が説教だけであるならば、黙っていられない人は、牧師に向いています。
しかし、牧師は牧会もしなければなりません。牧会の仕事の本質は、ひとの語る言葉に黙って耳を傾けることです。黙っていられない人は牧会には向いていません。説教と牧会は、互いに矛盾しあうところがあります。ここに難しさがあります。
しかし、わたしは、ここで、パウロは牧師に向いていない、と断定するつもりは、全くありませんし、そんなことをわたしに言えるはずがありません。
パウロは、だれでもかれでもお構いなしに、言いたい放題を言い放ったわけではありません。相手を選びました。相手がペトロだから、言ったのです。ペトロが教会の最高指導者にふさわしくない行動をとったことが、どうしても我慢できなかったのです。
ペトロが何をしたのかについては、先週学んだとおりです。ペトロは、ある人々が来るまでは、割礼を受けていない異邦人と一緒に食事をしていた。しかし、その人々が来て、何かを言った。その言葉を聞いたペトロは、異邦人たちと一緒に食事をすることをやめてしまった、というのです。
割礼を受けていない人とは、食事をしない。ということは、逆に言えば、このわたしと一緒に食事をしたければ割礼を受けなさい、ということを、教会の最高指導者たるペトロが異邦人キリスト者たちに対して暗に要求した、ということを意味するわけです。
だからこそ、パウロは、ペトロに向かって言いました。「どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」。今日の個所は、この文脈の中で理解されなければなりません。「わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません」とある中の「わたしたち」とは、だれのことでしょうか。このことをパウロは、文脈から言えば明らかに、ペトロに向かって言っています。
"なあ、ペトロさん、あなたとわたしは、なるほど、たしかに生まれながらのユダヤ人ではありますよ"、という感じです。
もちろん、パウロがここで語りかけている相手を、ペトロ一人に限定することはできないかもしれません。しかし、少なくともペトロのことが、他のだれよりも念頭に置かれている。ペトロに同意を求めている言葉であると、理解できます。
「異邦人のような罪人ではありません」とは何でしょうか。ここでパウロは、異邦人はすべて生まれたときから邪悪で罪深いが、ユダヤ人は生まれたときからすべて清く正しい人々である、というようなことを言いたいわけではありません。パウロは、ユダヤ人たちの犯した罪を、よく知っているわけですから、そんなことを言うはずがありません。
もう少し意味深長な言い方です。「異邦人という意味での罪人ではない」というくらいの意味です。異邦人たちは、ユダヤ人たちのように、生まれたときから教会に通っているとか、幼い頃から聖書を学んでいるとか、宗教的な道徳教育やしつけも行き届いている、というような人々ではないという意味で罪人であるということです。ユダヤ人たちがすべて善人であるとか、罪を犯したことがない、という意味ではありえません。
そして、パウロは言います。「けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました」。
なあ、ペトロさん、あなたもわたしも、イエス・キリストを信じるこの信仰によって義とされる、ということが分かったから、イエスさまを信じた者たちではないですか!そのことを、あなたは覚えているはずです!
それとも、あなたは、律法の実行によって義とされたと言いたいのですか。そうではなかったはずです!
こんなふうに、ここでパウロは語っています。
このように、わたしたちは、ここでパウロが語っている言葉の向けられている相手は誰なのか、ということを、理解することができます。
第一義的にはペトロです。しかも、それは、異邦人キリスト者たちを、事実上、教会の交わりから締め出そうとした教会の代表者ペトロです。割礼を受けていない人々と一緒に食事をしない。一緒に食事をしたければ、割礼を受けて、ユダヤ人のようになりなさい。しかし、このようなことは、教会の交わりに加えられるための条件ではありえないはずだとパウロは言いたいのです。
教会の交わりに加えられるために必要なことは、ただイエス・キリストを信じる信仰、それだけではないですか。それ以上の何が必要だと言うのですか。ペトロさん、あなたは、なぜ、異邦人たちに、これ以上、余計な負担を負わせようとするのですか、と非難しているのです。
そして、このパウロのペトロに対する言葉は、いわば、そのまま、教会全体に向かっても語りかけられていると、読むことができます。今日の個所を前後の文脈から切り離さずに読むと、パウロの意図が、明らかな教会批判であることが分かります。伝道という観点からの、教会の敷居はもっと低くあるべきだ、という要求であることが分かるのです。
そして、これは本当に厳しい言葉です。ひとが教会の交わりに加えられるために必要なものは、イエス・キリストを信じる信仰だけである。それ以外のことが条件とされるようなことは、それがたとえどんなことであれ、決して認められるものではありません。
ところが、実際の教会の中には、実にさまざまな条件が持ち込まれてきたし、今も持ち込まれ続けているのかもしれません。敷居がいつの間にか高くなっている。具体的な例を挙げることは控えます。
しかし、どうでしょう。あの人はああだから、この教会の交わりにはふさわしくない。この人はこうだから、この教会にはふさわしくない。こういうことを、わたしたちは、つい考えたり口にしたりしていないかどうか、よくよく反省してみることが大切です。
わたしたちは、教会には、できるだけたくさんの人々に集まってもらいたいと、心から願っています。だからこそ、いろいろな機会に、いろいろな方法で、何とかして、初めての人々にも、遠慮なく、教会の門をくぐっていただけるように、全力を尽くします。あの人はダメ、この人はダメと最初から人を選んだりしませんし、そんなことをしている教会は、決して成長しないでしょう。そんなやり方は、少しも面白くありません。
いろんな人がいるからこそ、教会です。そもそも、わたしたちは教会に、救いを求めてきたのです。自分には問題があり、神の助けが必要であるということを痛いほど身にしみている人々が、教会の門をくぐってきたのです。わたしたちがさまざまな問題を抱えていること自体が、人間の尊厳でもあります。
何の問題もない人間など、一人もいないのです。だからこそ、イエス・キリストは、わたしたちの身代わりに十字架にかかって、死んでくださいました。わたしたちの問題を全部引き受けてくださったのです。
この方がわたしの救い主であると信じる信仰。
これだけが、これだけが、わたしたちを義とするのです。
(2004年6月13日、松戸小金原教会主日礼拝)
登録:
コメント (Atom)