2004年5月2日日曜日
キリストの僕として生きる
ガラテヤの信徒への手紙1・1~10
「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、ならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ。わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」
この手紙の著者は使徒パウロです。パウロは、自分自身を指して「使徒」と呼んでいます。「使徒」とは、神が彼に与えた仕事の名前です。その意味は「遣わされる者」です。
彼らは"どこから"あるいは"誰から"遣されるのでしょうか。「人々からではない」、すなわち、使徒は人間が遣わした者ではない、とパウロは書いています。そして「人々を通してでもない」。この意味は、人間の仲介によらない、ということです。遣わしてくださる方と、遣わされるこのわたしとのあいだに、誰ひとり別の人間が介入していない、という意味です。
そうではない。使徒は、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神御自身が遣わしたのだ、というわけです。
これは、パウロだけのことではありません。すべての使徒は、父なる神と御子イエス・キリストから遣わされた者です。
それでは、彼らは"どこへと"、あるいは"誰へと"遣わされるのでしょうか。そのことは、書かれていません。しかし、答えは明らかです。父なる神と御子キリストがおられるのは天です。遣わされる先は、天とは対極の場所です。この地上の世界です。私たち人間が生活している、この地上の現実の世界です。
使徒は、天から地へと、神から人間へと遣わされる者である。わたしはそれである、とパウロは、自分自身をそのような者として理解しているのです。
それは何のためか、という問いが成り立つと思います。使徒は何のために、天から地へと、神から人間へと遣わされるのか。神の言葉、神の救いを、地上に住む多くの人々へと宣べ伝えるためです。彼らは、そのために、特別に選ばれた人々なのです。
さて、いきなりという感じもしますが、パウロは、今日私たちが開いているこの手紙の冒頭の部分で、非常に険しい調子で、ある人々のことを非難しています。
「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この世の悪からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン。キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。」
キリストは、父なる神の御心に従い、わたしたちを、この世の悪から救い出すために、御自身を献げてくださいました。このキリストの恵み、つまり、キリストがわたしたちに与えてくださった"この世の悪からの救い"という内容を持つ恵みへと招いてくださった方とは、父なる神のことです。
この父なる神から、あなたがたが、こんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしている。そのことにわたしはあきれ果てている、とパウロは書いています。
パウロがあきれ果てている理由は、ここを読むかぎり、二つあります。第一は「こんなにも早く」という点です。第二は「ほかの福音に乗り換えようとしている」という点です。
ただし、パウロは、間髪を入れず、「ほかの福音」などというものは存在しない、と付け加えています。福音は一つしかない。二つも三つも無い、というわけです。ほかの福音があると考えている人は、だまされているだけだ、というわけです。かなり厳しい言葉です。
「キリストの恵みへ招かれる」とは、おそらく、イエス・キリストを信じる信仰を告白し、洗礼を受けることと、別のことではありません。洗礼を受けたばかりの人々は、教会にとっては、生まれたばかりの赤ちゃんです。大切な、大切な宝物です。
その人々が、しかし、こんなにも早く、ほかの福音に乗り換えようとしている、というわけです。一つの福音、正しい信仰を捨てて、間違った教えに引きずられてしまっている。産みの親パウロは、彼らの変わり身の早さに、嘆き悲しんでいるのです。
どれくらい早かったかということは、書かれていないので分かりません。一年くらいでしょうか。五年くらいは保っていたのでしょうか。あまりにも早すぎる、なぜこんなことになってしまったのか。そのことに、パウロは、苛立ちもし、腹を立ててもいるのです。
しかし、パウロは、さすがというべきでしょうか、まさに彼らの産みの親として、彼らのことを悪く言いたくなさそうです。本当に責められるべきは、惑わされている彼ら自身ではなくて、彼らを惑わしている人々である。間違った教えを宣べ伝えている教師たちが悪い。生徒たちは、その教えに忠実に従っていただけなのです。
「しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。」
パウロは、呪いの言葉さえ口にします。しかし、ここはどうか、理解していただきたいと願います。洗礼を受けたばかりの人を躓かせることや、間違った教えに誘うことは、本当に悪いことです。
そうではありませんか。一人の人生を台無しにしてしまうことを意味しています。万死に値する大罪です。
もちろん、躓いたその人の側には、全く何の責任も無い、とは言い切れない場合もあるでしょう。聖書の御言も教会の事情もよく分からないうちに、なんとなく洗礼を授けられてしまった。そして、よく分からないうちに躓いてしまった、というケースも耳にします。誰が責められるべきか、誰にも責任がないのか、判断に苦しむケースもあるでしょう。
しかし、しかし、です。パウロは、生まれたばかりの大切な赤ちゃんを鞭で打つようなことは、しません。責められるべきは教師たちであり、信仰の先輩たちです。洗礼を受けたばかりの人々を、パウロは、体を張ってでも、かばうのです。
パウロは、ローマの信徒への手紙14・1に、「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません」と書いています。同書15・1には、「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません」とも書いています。
これが今日の個所にも当てはまります。パウロは、産まれたばかりの赤ちゃんを心から愛しているのです。だからこそ、次のような言葉が出てくるのかもしれません。
「こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。」
弱い人々をかばう。その人々の存在や立場を擁護する。そのことは、いずれにせよ、逆の立場の人々と対峙することを余儀なくされます。そのようなやり方は人気取りである。票集めの手段である、という中傷誹謗を受けやすくなります。
また、もう一つの点として、パウロが宣べ伝えていた福音は、人を真に自由にするものであった、というこのことが、逆の立場にいる人々にとって大きな問題でした。
自由にすることと、いいかげんにすることは、紙一重です。反対者からすれば、パウロは、信仰の弱い人々をかばおうとする勢い、信仰そのものをいいかげんにしてしまう張本人である、というふうにも見えてくるわけです。
あまり固いことを言わない。なんでもかんでも、「いいよ、いいよ」で済ませてくれる。そういう人(リベラルな人?)は、相対的に言って、固くて難しい人(保守的な人?)よりも人気がある、と言えます。
パウロも、そのように見られました。しかし、それは誤解であり、意図的な中傷誹謗でもありました。だからこそ、パウロは、そんなことではないのだ、ということを、口をすっぱくして言わなければなりませんでした。
キリストの僕(しもべ)たちが「強い者が強くない者の弱さを担わなければならない」のは、人気取りや票集めのためではありません。キリストの御前に差し出された一人の救われた魂の価値を重んじるためです。キリストの僕の役割は、キリストに仕えることです。自分の野心や名声に仕えることではありえない。このように語ることができると思います。
(2004年5月2日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年2月15日日曜日
伝道者という仕事(山梨栄光教会)
コリントの信徒への手紙一4・6~13
コリントの信徒への第一の手紙を学んできました。なかなか手ごわい手紙です。
パウロは、コリント教会の内部に起こっている、その教会にとってはまさに死活問題となりうる騒動を知り、その問題に介入することを決意しつつ、この手紙を書いております。
教会が分裂しかかっている。そんなことがあってはならない。そのようにパウロは確信しております。
教会は仲良くすべきです。まさか喧嘩をするために集まっているわけではないでしょう。パウロはコリント教会の人々に、喧嘩をやめて和解することを期待しています。そうでなければならないと考えています。
しかし、その一方で、パウロは、この手紙の宛先であるコリント教会の中にある一つの問題を、はっきりと見抜いていました。彼らの問題は一つだけではありません。非常にたくさん問題がありました。そのことはこの手紙の続きをずっと読んでいけば分かることです。
しかし、そのたくさんある問題の中でも最も根本的で最も大きな問題である、とパウロが考えていたに違いない、一つの問題がありました。それは何か、ということを、今日はお話ししたいと願いながら、準備してまいりました。
パウロは、そのことを、どうしても、コリント教会の人々に伝えなければなりませんでした。何とかして。何としてでも。
ところが、それを伝えることは、実際問題としては、とても難しいことでした。
狭い意味での伝道者、牧師とか宣教師とか呼ばれている人々にとって最も難しいと感じることがあるとすれば、そもそも自分が所属している教会に対して何かを物申すということ自体が、たいへん難しいことです。自分の存在を支えている教会の問題を率直な言葉で指摘する、ということ自体が、たいへん難しいことなのです。
わたしが心から愛してやまない人々である、と確信していないような相手に対してならば、何か厳しいことを、そっけなく言い放つことは、割合簡単なことです。もっと単純に言えば、嫌いだと思っている相手に対してなら、平気で何でも言えるわけです。
しかし、伝道者たちが、教会の人々のことを、心から嫌うことなど、ありえないではありませんか。そんなことは、本当にありえないことです。教会が嫌いな人は、伝道者にはなれません。牧師も宣教師も、本来、教会の仕事なのです。
ところが、その彼らが時々突き当たる壁があります。
それは、要するに、教会の中に、「これは教会の死活問題となりうる事柄である」と感じる問題を見つけてしまったときです。
そのことを、どうしても、厳しい言葉で、教会の中のある人々に向かって、指摘しなければならない問題を見つけてしまったときです。
言いたくないことを言わなければならない状況に追い込まれてしまったときです。
そんなことは、何も伝道者とか言わなくても、どんな仕事をしている人たちでも、家庭にいるときも、みんな経験していることだよと言われるなら、そのとおりかもしれません。伝道者だけを特別扱いするつもりはありません。
しかし、その上でなお思うことは、教会の中に大きな問題を見つけ、それを厳しい言葉で指摘しなければならない状況に立たされ、そうしなければその教会はもはや教会でなくなってしまう、と確信させられてしまうような窮地に追い込まれたとき、しかし、そこで口を開いて、そのことを語ったとたん、かえって教会が大騒ぎになり、彼ら自身が教会の混乱の原因になってしまうことがありうるのだ、ということです。
そして、そのことよりも、ある意味でもっと問題なことは、たとえそのような仕方で、彼らが語った言葉自体によって、かえってますます教会が混乱しはじめ、大騒ぎになってしまったときにも、彼らはキリスト者であることを辞めることができない、ということです。キリストを信じる者であることを辞めることができません。
また、それが真理である、と確信している言葉を、黙って飲み込むことも、おそらくできません。黙って飲み込むことができる人は、たぶん伝道者になろうとは思いません。それを語らざるをえないと感じている言葉を全く語らずに済ませる人は、たぶん伝道者には向いていません。
しかしまた、彼が語った言葉が、かえって教会の混乱の原因になることは、ありえます。彼らが本当に心の底から、困ったなあ、と頭を抱えて悩むのは、そういう時なのです。
今日開いていただいた個所の最初に、パウロが書いていることは、じつは、そのようなことなのです。
「兄弟たち、あなたがたのためを思い、わたし自身とアポロとに当てはめて、このように述べてきました。それは、あなたがたがわたしたちの例から、『書かれているもの以上に出ない』ことを学ぶためであり、だれも、一人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、高ぶることがないようにするためです」。
この最初の一文には、非常に翻訳しにくい言葉が使われていると一つの注解書に書いてありました。なるほど、たしかに、この新共同訳聖書の訳も、かなりの意訳です。もっと直訳しますと、すごい訳になります。
問題は「当てはめて」と訳されている言葉です。これを直訳しますと、「作り変える」となります。要するにパウロは、この手紙のこれまで書いてきた言葉は、あなたがたのために、つまり、コリント教会の人々を傷つけたくないという理由で、論点をぼやかした別の話に作り変えたものでした、と言っているのです。
これが意味することは、パウロが本当に書きたかったことは、自分とアポロの関係の話などではありませんでした、ということです。もっとはっきり言わなければならないことは、別のところにあるのです。しかし、そのことをズバリ指摘することは、これまでついに、できずに来たのです、と告白しているのです。
こういうふうに言われると、何とも言えず、嫌な感じがしてきます。最初からはっきり言ってくれたほうがよかったのに、と感じる人も、きっといたことでしょう。
しかし、先ほど少し紹介しました、わたしが読んだ注解書が、なぜ、この文章は非常に訳しにくい、と書いているか、その理由もよく分かるのです。
その注解者自身はその理由をほとんど何も書いていませんが、わたしが感じる一つの理由は、「作り変える」と訳してしまいますと、要するに、非常に意地悪っぽいというか、あまりにも意図的すぎるというか、パウロの人格を疑わせてしまうような悪いニュアンスを含ませてしまう危険性がある、ということです。
そうではないのです。そうではないということを、どのように説明すべきか、その言葉にまた悩みますが、とにかく、そうではないのです。最初は意図的に論点をずらして別の話をしながら、少しずつ少しずつ、核心に触れるところへと近づいていく、というような戦略的な語り方で、次第に相手を攻め落としていく、というようなことではないのです。
もっと単純なことです。言いにくいことを言えないできただけです。もっとシャイで、ある意味非常に臆病で、こんなことを言ったら教会のみんなはどう反応するだろうか、と深く悩み、毎日そのことばかり考えながら、書こうか書くまいか迷っているパウロの姿を思い浮かべるほうが、はるかに近いものがあるのです。
しかし、パウロはついに書き始めました。今まで書けずに来たことを、堰を切ったように、勢いよく。
「あなたをほかの者たちよりも、優れたものとしたのはだれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから」。
ここでパウロが言おうとしていることは何でしょうか。とんでもなく重大なことを書いているらしいということは、すぐに分かります。しかし、何を言わんとしているかは必ずしも明らかではないように思います。
ただ、この文章の真意を理解するための一つのキーワードがある、と感じます。それは8節にある「あなたがたは、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっている」という言葉です。
「わたしたち」とは誰のことでしょうか。その答えは9節にあります。9節にはっきりと「わたしたち使徒」と書かれているではありませんか。「使徒」と呼ばれるイエス・キリストの弟子たちのことです。当時の全世界の教会においてキリストの死と復活を証しするために特別に立てられた、教会の指導者たちのことです。また彼らは、伝道者でもありました。教会の牧師であり、御言葉の教師でもあり、福音の宣教師でもありました。
その意味での使徒たちを、あなたがたは、抜きにしているではないか、とパウロは指摘しています。使徒の存在を無視している。あるいは、使徒の存在を不要だと思っている。より端的に言い換えるなら、使徒不要論、伝道者不要論が、あなたがたのうちにあるではないか、とパウロは指摘しているのです。
しかし、本当にそうでしょうか、とパウロは問うているのだと思います。「あなたをほかの者たちよりも優れた者にしたのはだれです」と問うています。パウロはこの問いの答えを述べていません。「それはわたしです」とも、「それはわたしたち使徒です」とも答えていません。そんな恥ずかしいことを、パウロは、おそらく口が裂けても言わないでしょう。
しかし、だからと言って、パウロは、コリント教会の一部に存在したと思われる使徒不要論、伝道者不要論に対しては、どうしても、ひとこと言わなければならないことがある、と感じていたに違いないのです。
じつは、このことは、わたしたちがこの手紙の1・10以下を学んだときに、すでに確認していたことです。
当時、コリント教会の中には、「わたしはパウロにつく」とか「わたしはアポロにつく」とか「わたしはケファにつく」と主張していた人々と共に、「わたしはキリストにつく」と主張していた人々がいました。
この最後の「わたしはキリストにつく」と主張していた人々のことを、わたしは次のように説明しました。おそらく、この人々は、コリント教会の内部で起こっている論争に対して心の底から幻滅を感じていた人々に違いない、と。
パウロにつくか、アポロにつくか、ペトロにつくかなどという、結局人間の世話になることばかり考えているから、教会の問題は片付かない。
わたしたちを救うのは人間ではなく、神であり、キリストではないか。
わたしたちは人間を見るのではなく、神を見、キリストを見るべきである。
そのような理屈の中で、この人々は一種の人間不信に陥り、人間としての使徒、人間としての伝道者の存在を、事実上否定する立場に立っていた人々である、と思われるのです。
そのときわたしは同時に、このような考え方は、ある面で非常に魅力的なものでありうるとも申しました。
わたしたちを救うのは人間ではなく神であり、キリストであるという言葉は紛れも無い真実でもあります。人間としての使徒、人間としての伝道者は、多くの場面で、躓きの石になる、ということも否定できない事実でもあります。
また、もう一点付け加えることができるであろうことは、教会の中で「キリストにつく」と語る人々の言葉は、ある面で非常に正しい、また非常に美しい言葉に聞こえるはずです。彼らの言うことは全くの正論である、と聞いた人々が、当時のコリント教会の中にもいたのではないでしょうか。
なるほど、たしかにそのとおりです。しかし、だからといって、使徒たち、伝道者たちは、教会にとって本当に不要な存在なのでしょうか。単なる重荷にすぎず、できれば存在しないほうがよく、迷惑な存在にすぎないのでしょうか。
「あなたがたは・・・わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になってくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから」とパウロは書いています。この意味は、よく分かりません。やや興奮しながら書かれた文章ではないでしょうか。
ただ、「既に大金持ちになっており」ともあります。教会の人々が王様のように裕福になれば、伝道者たちも裕福になれる、という意味でしょうか。使徒たち、伝道者たちさえいなければ、教会の人々は裕福になれるのに、ということでしょうか。そんなふうに後ろ指を指されながら、伝道者たちは、なお教会の人々の前に立たなければならないのでしょうか。
「考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せるところもなく、苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています」。
ここでパウロは、コリント教会の一部に存在していた使徒不要論、伝道者不要論を全面的に肯定し、受け入れています。なるほど、わたしたちは、存在する価値の無い者たちである、と。「わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされている」と、ここまで言い切っています。
これは、口から出任せ、筆の勢いで書きなぐっている言葉ではないと、わたしは思います。本当に、心底から、わたしもそう思うと、パウロは言っているのです。
12節の後半には、「侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返しています」とあります。
パウロを侮辱し、迫害し、ののしっていたのは、いったい誰なのでしょうか。教会の外側にいる人々だけでしょうか。それだけではなく、使徒不要論、伝道者不要論を主張する人々も又、教会の外側にいる人々と一緒になって、パウロを侮辱し、迫害し、ののしっていたのではないでしょうか。
しかし、パウロは、それらの言葉を甘んじて受けてきたのです。なぜでしょうか。
「こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです」。
パウロは、教会を、そして教会の人々を、心から愛していたのです。何を言われても、言われっ放しでよい。世の屑と呼ばれ、すべてのものの滓と呼ばれても構わない。使徒たち、伝道者たちの側に非が無い、とは言い切れないし、何を言われても仕方が無い面があることを認める。
しかし、人間としての使徒、人間としての伝道者そのものが教会には不要であるという主張を黙って見過ごすことは、パウロにはできませんでした。「キリストにつく」という主張は、最も正しく、最も美しい言葉であると同時に、教会にとって最も危険な言葉にもなりうるのです。
今日の個所の初めに、パウロは、コリント教会の人々に、「書かれているもの以上に出ない」ことを学んでほしかった、という趣旨のことを述べています。「書かれているもの」とは、1・18に引用されている「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする」というイザヤ書29・14のことを指しています。
そして、パウロは、使徒たち、伝道者たちが語る説教という愚かな手段を通して、神は人を救う、と語ってきました。
世の屑であり、すべてのものの滓である者たち、教会ではお荷物、厄介者と思われている者たちを、神が用いてくださる。
そのことを、今日の個所で、パウロは、いかにも言いにくそうに述べているのです。
(2004年2月15日、山梨栄光教会主日礼拝)
コリントの信徒への第一の手紙を学んできました。なかなか手ごわい手紙です。
パウロは、コリント教会の内部に起こっている、その教会にとってはまさに死活問題となりうる騒動を知り、その問題に介入することを決意しつつ、この手紙を書いております。
教会が分裂しかかっている。そんなことがあってはならない。そのようにパウロは確信しております。
教会は仲良くすべきです。まさか喧嘩をするために集まっているわけではないでしょう。パウロはコリント教会の人々に、喧嘩をやめて和解することを期待しています。そうでなければならないと考えています。
しかし、その一方で、パウロは、この手紙の宛先であるコリント教会の中にある一つの問題を、はっきりと見抜いていました。彼らの問題は一つだけではありません。非常にたくさん問題がありました。そのことはこの手紙の続きをずっと読んでいけば分かることです。
しかし、そのたくさんある問題の中でも最も根本的で最も大きな問題である、とパウロが考えていたに違いない、一つの問題がありました。それは何か、ということを、今日はお話ししたいと願いながら、準備してまいりました。
パウロは、そのことを、どうしても、コリント教会の人々に伝えなければなりませんでした。何とかして。何としてでも。
ところが、それを伝えることは、実際問題としては、とても難しいことでした。
狭い意味での伝道者、牧師とか宣教師とか呼ばれている人々にとって最も難しいと感じることがあるとすれば、そもそも自分が所属している教会に対して何かを物申すということ自体が、たいへん難しいことです。自分の存在を支えている教会の問題を率直な言葉で指摘する、ということ自体が、たいへん難しいことなのです。
わたしが心から愛してやまない人々である、と確信していないような相手に対してならば、何か厳しいことを、そっけなく言い放つことは、割合簡単なことです。もっと単純に言えば、嫌いだと思っている相手に対してなら、平気で何でも言えるわけです。
しかし、伝道者たちが、教会の人々のことを、心から嫌うことなど、ありえないではありませんか。そんなことは、本当にありえないことです。教会が嫌いな人は、伝道者にはなれません。牧師も宣教師も、本来、教会の仕事なのです。
ところが、その彼らが時々突き当たる壁があります。
それは、要するに、教会の中に、「これは教会の死活問題となりうる事柄である」と感じる問題を見つけてしまったときです。
そのことを、どうしても、厳しい言葉で、教会の中のある人々に向かって、指摘しなければならない問題を見つけてしまったときです。
言いたくないことを言わなければならない状況に追い込まれてしまったときです。
そんなことは、何も伝道者とか言わなくても、どんな仕事をしている人たちでも、家庭にいるときも、みんな経験していることだよと言われるなら、そのとおりかもしれません。伝道者だけを特別扱いするつもりはありません。
しかし、その上でなお思うことは、教会の中に大きな問題を見つけ、それを厳しい言葉で指摘しなければならない状況に立たされ、そうしなければその教会はもはや教会でなくなってしまう、と確信させられてしまうような窮地に追い込まれたとき、しかし、そこで口を開いて、そのことを語ったとたん、かえって教会が大騒ぎになり、彼ら自身が教会の混乱の原因になってしまうことがありうるのだ、ということです。
そして、そのことよりも、ある意味でもっと問題なことは、たとえそのような仕方で、彼らが語った言葉自体によって、かえってますます教会が混乱しはじめ、大騒ぎになってしまったときにも、彼らはキリスト者であることを辞めることができない、ということです。キリストを信じる者であることを辞めることができません。
また、それが真理である、と確信している言葉を、黙って飲み込むことも、おそらくできません。黙って飲み込むことができる人は、たぶん伝道者になろうとは思いません。それを語らざるをえないと感じている言葉を全く語らずに済ませる人は、たぶん伝道者には向いていません。
しかしまた、彼が語った言葉が、かえって教会の混乱の原因になることは、ありえます。彼らが本当に心の底から、困ったなあ、と頭を抱えて悩むのは、そういう時なのです。
今日開いていただいた個所の最初に、パウロが書いていることは、じつは、そのようなことなのです。
「兄弟たち、あなたがたのためを思い、わたし自身とアポロとに当てはめて、このように述べてきました。それは、あなたがたがわたしたちの例から、『書かれているもの以上に出ない』ことを学ぶためであり、だれも、一人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、高ぶることがないようにするためです」。
この最初の一文には、非常に翻訳しにくい言葉が使われていると一つの注解書に書いてありました。なるほど、たしかに、この新共同訳聖書の訳も、かなりの意訳です。もっと直訳しますと、すごい訳になります。
問題は「当てはめて」と訳されている言葉です。これを直訳しますと、「作り変える」となります。要するにパウロは、この手紙のこれまで書いてきた言葉は、あなたがたのために、つまり、コリント教会の人々を傷つけたくないという理由で、論点をぼやかした別の話に作り変えたものでした、と言っているのです。
これが意味することは、パウロが本当に書きたかったことは、自分とアポロの関係の話などではありませんでした、ということです。もっとはっきり言わなければならないことは、別のところにあるのです。しかし、そのことをズバリ指摘することは、これまでついに、できずに来たのです、と告白しているのです。
こういうふうに言われると、何とも言えず、嫌な感じがしてきます。最初からはっきり言ってくれたほうがよかったのに、と感じる人も、きっといたことでしょう。
しかし、先ほど少し紹介しました、わたしが読んだ注解書が、なぜ、この文章は非常に訳しにくい、と書いているか、その理由もよく分かるのです。
その注解者自身はその理由をほとんど何も書いていませんが、わたしが感じる一つの理由は、「作り変える」と訳してしまいますと、要するに、非常に意地悪っぽいというか、あまりにも意図的すぎるというか、パウロの人格を疑わせてしまうような悪いニュアンスを含ませてしまう危険性がある、ということです。
そうではないのです。そうではないということを、どのように説明すべきか、その言葉にまた悩みますが、とにかく、そうではないのです。最初は意図的に論点をずらして別の話をしながら、少しずつ少しずつ、核心に触れるところへと近づいていく、というような戦略的な語り方で、次第に相手を攻め落としていく、というようなことではないのです。
もっと単純なことです。言いにくいことを言えないできただけです。もっとシャイで、ある意味非常に臆病で、こんなことを言ったら教会のみんなはどう反応するだろうか、と深く悩み、毎日そのことばかり考えながら、書こうか書くまいか迷っているパウロの姿を思い浮かべるほうが、はるかに近いものがあるのです。
しかし、パウロはついに書き始めました。今まで書けずに来たことを、堰を切ったように、勢いよく。
「あなたをほかの者たちよりも、優れたものとしたのはだれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから」。
ここでパウロが言おうとしていることは何でしょうか。とんでもなく重大なことを書いているらしいということは、すぐに分かります。しかし、何を言わんとしているかは必ずしも明らかではないように思います。
ただ、この文章の真意を理解するための一つのキーワードがある、と感じます。それは8節にある「あなたがたは、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっている」という言葉です。
「わたしたち」とは誰のことでしょうか。その答えは9節にあります。9節にはっきりと「わたしたち使徒」と書かれているではありませんか。「使徒」と呼ばれるイエス・キリストの弟子たちのことです。当時の全世界の教会においてキリストの死と復活を証しするために特別に立てられた、教会の指導者たちのことです。また彼らは、伝道者でもありました。教会の牧師であり、御言葉の教師でもあり、福音の宣教師でもありました。
その意味での使徒たちを、あなたがたは、抜きにしているではないか、とパウロは指摘しています。使徒の存在を無視している。あるいは、使徒の存在を不要だと思っている。より端的に言い換えるなら、使徒不要論、伝道者不要論が、あなたがたのうちにあるではないか、とパウロは指摘しているのです。
しかし、本当にそうでしょうか、とパウロは問うているのだと思います。「あなたをほかの者たちよりも優れた者にしたのはだれです」と問うています。パウロはこの問いの答えを述べていません。「それはわたしです」とも、「それはわたしたち使徒です」とも答えていません。そんな恥ずかしいことを、パウロは、おそらく口が裂けても言わないでしょう。
しかし、だからと言って、パウロは、コリント教会の一部に存在したと思われる使徒不要論、伝道者不要論に対しては、どうしても、ひとこと言わなければならないことがある、と感じていたに違いないのです。
じつは、このことは、わたしたちがこの手紙の1・10以下を学んだときに、すでに確認していたことです。
当時、コリント教会の中には、「わたしはパウロにつく」とか「わたしはアポロにつく」とか「わたしはケファにつく」と主張していた人々と共に、「わたしはキリストにつく」と主張していた人々がいました。
この最後の「わたしはキリストにつく」と主張していた人々のことを、わたしは次のように説明しました。おそらく、この人々は、コリント教会の内部で起こっている論争に対して心の底から幻滅を感じていた人々に違いない、と。
パウロにつくか、アポロにつくか、ペトロにつくかなどという、結局人間の世話になることばかり考えているから、教会の問題は片付かない。
わたしたちを救うのは人間ではなく、神であり、キリストではないか。
わたしたちは人間を見るのではなく、神を見、キリストを見るべきである。
そのような理屈の中で、この人々は一種の人間不信に陥り、人間としての使徒、人間としての伝道者の存在を、事実上否定する立場に立っていた人々である、と思われるのです。
そのときわたしは同時に、このような考え方は、ある面で非常に魅力的なものでありうるとも申しました。
わたしたちを救うのは人間ではなく神であり、キリストであるという言葉は紛れも無い真実でもあります。人間としての使徒、人間としての伝道者は、多くの場面で、躓きの石になる、ということも否定できない事実でもあります。
また、もう一点付け加えることができるであろうことは、教会の中で「キリストにつく」と語る人々の言葉は、ある面で非常に正しい、また非常に美しい言葉に聞こえるはずです。彼らの言うことは全くの正論である、と聞いた人々が、当時のコリント教会の中にもいたのではないでしょうか。
なるほど、たしかにそのとおりです。しかし、だからといって、使徒たち、伝道者たちは、教会にとって本当に不要な存在なのでしょうか。単なる重荷にすぎず、できれば存在しないほうがよく、迷惑な存在にすぎないのでしょうか。
「あなたがたは・・・わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になってくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから」とパウロは書いています。この意味は、よく分かりません。やや興奮しながら書かれた文章ではないでしょうか。
ただ、「既に大金持ちになっており」ともあります。教会の人々が王様のように裕福になれば、伝道者たちも裕福になれる、という意味でしょうか。使徒たち、伝道者たちさえいなければ、教会の人々は裕福になれるのに、ということでしょうか。そんなふうに後ろ指を指されながら、伝道者たちは、なお教会の人々の前に立たなければならないのでしょうか。
「考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せるところもなく、苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています」。
ここでパウロは、コリント教会の一部に存在していた使徒不要論、伝道者不要論を全面的に肯定し、受け入れています。なるほど、わたしたちは、存在する価値の無い者たちである、と。「わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされている」と、ここまで言い切っています。
これは、口から出任せ、筆の勢いで書きなぐっている言葉ではないと、わたしは思います。本当に、心底から、わたしもそう思うと、パウロは言っているのです。
12節の後半には、「侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返しています」とあります。
パウロを侮辱し、迫害し、ののしっていたのは、いったい誰なのでしょうか。教会の外側にいる人々だけでしょうか。それだけではなく、使徒不要論、伝道者不要論を主張する人々も又、教会の外側にいる人々と一緒になって、パウロを侮辱し、迫害し、ののしっていたのではないでしょうか。
しかし、パウロは、それらの言葉を甘んじて受けてきたのです。なぜでしょうか。
「こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです」。
パウロは、教会を、そして教会の人々を、心から愛していたのです。何を言われても、言われっ放しでよい。世の屑と呼ばれ、すべてのものの滓と呼ばれても構わない。使徒たち、伝道者たちの側に非が無い、とは言い切れないし、何を言われても仕方が無い面があることを認める。
しかし、人間としての使徒、人間としての伝道者そのものが教会には不要であるという主張を黙って見過ごすことは、パウロにはできませんでした。「キリストにつく」という主張は、最も正しく、最も美しい言葉であると同時に、教会にとって最も危険な言葉にもなりうるのです。
今日の個所の初めに、パウロは、コリント教会の人々に、「書かれているもの以上に出ない」ことを学んでほしかった、という趣旨のことを述べています。「書かれているもの」とは、1・18に引用されている「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする」というイザヤ書29・14のことを指しています。
そして、パウロは、使徒たち、伝道者たちが語る説教という愚かな手段を通して、神は人を救う、と語ってきました。
世の屑であり、すべてのものの滓である者たち、教会ではお荷物、厄介者と思われている者たちを、神が用いてくださる。
そのことを、今日の個所で、パウロは、いかにも言いにくそうに述べているのです。
(2004年2月15日、山梨栄光教会主日礼拝)
2003年12月1日月曜日
A. ファン・リューラー著『キリスト者は何を信じているか 昨日・今日・明日の使徒信条』(近藤勝彦・相賀昇訳、教文館、2000年)
本書は、20世紀オランダ・プロテスタンティズムを代表する改革派神学者アルノルト・アルベルト・ファン・リューラー(オランダ語Rulerの表記が「リューラー」か「ルーラー」かは議論がある)の最晩年における代表的著作の一つであり、彼の単行本の日本語版出版は、これが初めてである。
内容は、非常に優れている。ファン・リューラーの神学思想の特徴として知られる「三位一体神学」「神の国神学」「終末論的神学」「創造の神学」「喜びの神学」といった傾向が、満ち溢れている。われわれが人間として地上に生きていくために必要な喜びと勇気、そして希望を教えてくれる。
それが「使徒信条」の解説という形で表わされ、普遍的・公同的キリスト教信仰への入門書として、提示される。われわれは、本書の出版を大いに歓迎し、心から喜ぶものである。
ところで、本訳書の底本は、訳者が明らかにしているとおり、オランダ語版(オリジナルテキスト)ではなく、ドイツ語版であり、したがって本訳書は「重訳」と称せられる。
しかし、われわれが感じている、より根本的な問題は、重訳出版の是非ということ自体ではなく、底本とされているハインリヒ・クヴィストルプ氏の独訳書は信頼するに足りうるか、ということである。
評者自身、これから時間をかけて、オランダ語版とドイツ語版との比較をしていきたいと願っている。現時点ですでに語りうることは、ドイツ語版においては「敷衍」と語るのがはばかられるほどの思想的置き換え、また大規模な拡張が見られる、ということである。はっきり申せば、ファン・リューラーの神学思想に基づく独訳者H. クヴィストルプ氏の思想展開ではないかと疑われる個所が、多数見当たるのである。
そんなことは翻訳の世界では日常茶飯事で、問うに価しないと言ってしまえば、それまでである。また、この点の責任を、日本語版訳者や出版社に問うことはできまい。いずれの日か、わが国で、本書とは別にオランダ語版からの翻訳が出版されることを待ち望む他はあるまい。
底本の問題はともかく、ファン・リューラーの神学思想、そしてキリスト教信仰そのものへの入門として最適な本書を、日本のキリスト者たち、またわが国の多くの人々に、心から推薦したい。いずれにせよ、現時点でこの神学者の単行本の訳書は、これしかない。
(Amazonカスタマーレビュー掲載)
内容は、非常に優れている。ファン・リューラーの神学思想の特徴として知られる「三位一体神学」「神の国神学」「終末論的神学」「創造の神学」「喜びの神学」といった傾向が、満ち溢れている。われわれが人間として地上に生きていくために必要な喜びと勇気、そして希望を教えてくれる。
それが「使徒信条」の解説という形で表わされ、普遍的・公同的キリスト教信仰への入門書として、提示される。われわれは、本書の出版を大いに歓迎し、心から喜ぶものである。
ところで、本訳書の底本は、訳者が明らかにしているとおり、オランダ語版(オリジナルテキスト)ではなく、ドイツ語版であり、したがって本訳書は「重訳」と称せられる。
しかし、われわれが感じている、より根本的な問題は、重訳出版の是非ということ自体ではなく、底本とされているハインリヒ・クヴィストルプ氏の独訳書は信頼するに足りうるか、ということである。
評者自身、これから時間をかけて、オランダ語版とドイツ語版との比較をしていきたいと願っている。現時点ですでに語りうることは、ドイツ語版においては「敷衍」と語るのがはばかられるほどの思想的置き換え、また大規模な拡張が見られる、ということである。はっきり申せば、ファン・リューラーの神学思想に基づく独訳者H. クヴィストルプ氏の思想展開ではないかと疑われる個所が、多数見当たるのである。
そんなことは翻訳の世界では日常茶飯事で、問うに価しないと言ってしまえば、それまでである。また、この点の責任を、日本語版訳者や出版社に問うことはできまい。いずれの日か、わが国で、本書とは別にオランダ語版からの翻訳が出版されることを待ち望む他はあるまい。
底本の問題はともかく、ファン・リューラーの神学思想、そしてキリスト教信仰そのものへの入門として最適な本書を、日本のキリスト者たち、またわが国の多くの人々に、心から推薦したい。いずれにせよ、現時点でこの神学者の単行本の訳書は、これしかない。
(Amazonカスタマーレビュー掲載)
2003年10月4日土曜日
H. フィサー著『創造性、道標、奉仕提供 ポスト産業都市における教会の役割』(2000年)
Hans Visser, Creativiteit, wegwijzing en dienstverlening: de rol van de kerk in de postindustriele stad. Uitgeverrij Boekencentrum, Zoetermeer, Tweede druk, 2000.
全編オランダ語ですが、上記のタイトルの興味深い本を最近入手しました。2000年に出版され、同年中に第2版が出ていますので、たぶん良く売れているのでしょう。
何が興味深いか。著者の肩書は「オランダ改革派教会社会活動協議会理事長」(Directeur van de Stichting voor Kerkelijke Sociale Arbeid van de Hervormde)というものですが、(自他共に認める)「ファン・ルーラーの創造の神学の支持者」(aanhanger van de scheppingstheologie van A. A. van Ruler)である、と紹介されているのです!
これはいわゆる「宣教学」の本です。内容はタイトルにあるとおり「ポスト産業都市における『教会の』役割」に関するもので、「都市伝道」をテーマにしています。
論述は、「序」(第1章)に続き、最初に「産業都市」(industriele stad)の発生史から開始されています(第2章)。ここで、産業都市の歴史が「プレ産業都市」(=産業都市成立以前)→「産業都市時代」→「ポスト産業都市」(=産業都市崩壊後)と三つに区分されています。しかし、「ポスト産業都市」とはまさに現在の状況であり、イメージ獲得を模索中の課題であるわけです。
そこで、次に、そのイメージの獲得方法が紹介されています(第3章)。それは大別して二つあります。「都市に対する決定論的アプローチ」と「非決定論的アプローチ」です。この区別はクラウド・S. フィッシャー著『都市体験』(1984年)から採用されたものです。C. S. フィッシャーの区別と定義は以下のとおりです。
1、決定論的理論: 人間の社会的・人格的生活を決定する「都市主義」(urbanism)がある、とする理論。
2、非決定論的理論:決定論的なものに対して全く対立する理論。
3、サブカルチャー理論:上記二者の混合理論。
そして、「ポスト産業都市での生活」についての分析が続いています(第4章)。
以上で本書の第1部が終了します。
しかし、何と言っても、われわれにとって興味深いのは、「第2部 ポスト産業都市における教会」でしょう。
第2部最初の章のタイトルは「ポスト産業都市の成立史における教会の位置づけ」です(第5章)。それは「都市伝道者としてのパウロ」という点から開始されています。これは、考えてみれば、なるほど当然のことです。
著者は、アレン(Roland Allen)が描いた「パウロの伝道戦略」(Paulus' zendings-strategie)を、次のように紹介しています。
「パウロはローマの統治領域を勘案していた。彼はギリシア文明の中心地を訪ね、貿易センターに立ち寄った。パウロは、一つの都市に到着すると、まず最初にシナゴーグを訪ねた。そして、その次にユダヤ人以外の人々(異邦人)とのコンタクトを図った。明らかなことは、パウロは教会の会衆自身を全く統治しなかった、ということだ。彼は会衆を自立させ、独立させた」。
この点でアレンは、現代においてはしばしば、諸教会があまりにも独立させられすぎている、ということにおいて、現代の伝道を批判していると、著者は付け加えています。
歴史的論述はさらに進み、「ローマ帝国における都市教会の発生」、「コルプス・クリスティアーヌム発生後の都市における道標としての教会」、「西欧の中世の教会」、「プロテスタンティズムによる都市改革」等に及び、上述の三区分に基づき、「プレ産業都市における教会」、「産業都市下の教会」、「ポスト産業都市における教会」の、それぞれ果たしてきた「役割」(rol)が明らかにされています(第5章)。
そして、これに続く「第6章 ポスト産業都市の教会的イメージ形成 (Kerkelijke beeldvorming van de postindustriele stad)」の論述は圧巻です。わたしは、この章に最も感動しました。これまでに、「都市」というものについての、ここまで鋭く明快な分析を、読んだことも、聴いたことも無いと感じました。
教会が「都市」ないし「都会」に対して抱くイメージには、大別して二種類ある、と著者は考えています。「否定的な都市イメージ (Negatieve stadsbeelden)」と「肯定的な都市イメージ(Positieve stadsbeelden)」です。
まず最初に、「否定的な都市イメージ」を描いてきた(教会的)代表者として、著者は、アウグスティヌス、H. ヴィヘルン、そしてジャック・エリュールの三人の見解を紹介しています。とくに、アウグスティヌスについて、著者は次のように述べています。
「アウグスティヌスは、明らかに『否定的な都市イメージ』を描き出した、最初の重大な人物である」(189ページ)。
そして、アウグスティヌスの主著である(いわゆる)『神の国』(De Civitate Dei)が詳しく取り上げられます。そして、著者は、(われわれが従来「国」と訳してきた)Civitateの概念を、アウグスティヌスが、ギリシア(語)的な意味での「都市国家」(stadsstaat)として理解したことを問題にしています。つまり、アウグスティヌスのDe Civitate Deiは、「神の王国」ではなく、「神の都市」として考えられ、「人間的な(=邪悪な)都市」とのラディカルな対比において捉えられている、というわけです。
その上で、アウグスティヌスは、「地上の都市」と「神の都市」との葛藤(ないし闘争)を、「カインとアベルの関係」と「彼らと神との関係」という事柄へと「還元」(ないし縮小)しました。ここに「否定的な都市イメージ」の根源がある、と著者は見ています。この点で興味深いのが、「アウグスティヌスのcivitas Dei概念には十字架が欠落している」と述べた、カール・バルトのアウグスティヌス批判である。バルトによると、civitas Deiとは「ゴルゴタで十字架に架けられたキリストの連隊(het regiment van Christus, de op Golgotha gekruisigde)」である、と書かれています(198ページ)。
そして、「(教会における)否定的な都市イメージ」の次に「(教会における)肯定的な都市イメージ」が紹介されています。著者が紹介する「肯定的な都市イメージ」の代表者は、ハーヴェイ・コックスとハーヴィー・コーンです。
以上の歴史的分析に基づき、著者自身の描く「都市イメージ」が明らかにされているのは、「第7章 ポスト産業都市における教会生活」です。まさにこの章において、著者の「ファン・ルーラーの創造神学の支持者」たる所以が告白されています。ちょっと長いですが、核心に触れていると思われる文章を、引用しておきます。
「私はアーノルト・A. ファン・ルーラーの神学によって方向づけられてきた。彼の神学は、なるほど都市について何かを記しているわけではない。しかしファン・ルーラーは、健全な『創造の神学』(een deugdelijke theologie van deschepping)を発展させてきた。彼によると、創造は、それ自体において存在している。人間は、創造的活動(schepping)において、神と共なる共同創造者(medeschepper naast God)の役割を獲得する。世におけるキリストの到来は、人間の堕落の結果に最も深くかかわっている。キリストの到来は、救助(behoud)、救出(redding)、回復(herstel)、贖罪(verzoening)、解放(bevrijding)を含意する。キリストは再創造(herschepping)をもたらす。ここに大きな誘惑がある。それは、キリスト御自身ならびに世におけるキリストの体なる教会の救済的行為に基づいて都市問題にアプローチすることによって、独占的・排他的な救済的形態を教会に与えてしまうという誘惑である。ファン・ルーラーは、教会を、(たとえば)貧しい人々、家を失った人々、病気の人々、虐げられた人々といったような人間的堕落の犠牲者に配慮する存在、というふうには理解しなかった。なぜならそのとき、教会が描く(否定的な)イメージに基づく創造の業としての都市という理解に遭遇するからである。ファン・ルーラーによると、創造に対する救済論的アプローチは、実在についての歪んだイメージを提供する。そのとき、都市成立の発端としての市場(しじょう)がますます、悪の根源のように感じられるのである」(246ページ)。
あとは、推して知るべし、です。著者の立場は、明らかに、ファン・ルーラー神学に基づいて、「都市」ないし「都会」を肯定的に捉え、そこに生きる人々に「役立つ」伝道と教会形成を志向するものです。
日本でも、しばしば、「地方伝道」ないし「田舎伝道」と「都会伝道」との対比が語られます。どちらが「困難」で、どちらが「簡単」か、というようなことを議論しはじめる向きもありますが、その議論自体は空虚でしょう。
そんなことではなく、本当の問題は、「都会伝道」を考えるときに、「『あの邪悪な』都会!」と決めつけるところから、一切の理論と実践を引き出そうとすることにある、ということが、本書の著者と、著者の主張を裏打ちするファン・ルーラーの神学の言いたいところではないでしょうか。
とても大切な視座を教えられたような気がしました。謹んでご紹介いたします。
全編オランダ語ですが、上記のタイトルの興味深い本を最近入手しました。2000年に出版され、同年中に第2版が出ていますので、たぶん良く売れているのでしょう。
何が興味深いか。著者の肩書は「オランダ改革派教会社会活動協議会理事長」(Directeur van de Stichting voor Kerkelijke Sociale Arbeid van de Hervormde)というものですが、(自他共に認める)「ファン・ルーラーの創造の神学の支持者」(aanhanger van de scheppingstheologie van A. A. van Ruler)である、と紹介されているのです!
これはいわゆる「宣教学」の本です。内容はタイトルにあるとおり「ポスト産業都市における『教会の』役割」に関するもので、「都市伝道」をテーマにしています。
論述は、「序」(第1章)に続き、最初に「産業都市」(industriele stad)の発生史から開始されています(第2章)。ここで、産業都市の歴史が「プレ産業都市」(=産業都市成立以前)→「産業都市時代」→「ポスト産業都市」(=産業都市崩壊後)と三つに区分されています。しかし、「ポスト産業都市」とはまさに現在の状況であり、イメージ獲得を模索中の課題であるわけです。
そこで、次に、そのイメージの獲得方法が紹介されています(第3章)。それは大別して二つあります。「都市に対する決定論的アプローチ」と「非決定論的アプローチ」です。この区別はクラウド・S. フィッシャー著『都市体験』(1984年)から採用されたものです。C. S. フィッシャーの区別と定義は以下のとおりです。
1、決定論的理論: 人間の社会的・人格的生活を決定する「都市主義」(urbanism)がある、とする理論。
2、非決定論的理論:決定論的なものに対して全く対立する理論。
3、サブカルチャー理論:上記二者の混合理論。
そして、「ポスト産業都市での生活」についての分析が続いています(第4章)。
以上で本書の第1部が終了します。
しかし、何と言っても、われわれにとって興味深いのは、「第2部 ポスト産業都市における教会」でしょう。
第2部最初の章のタイトルは「ポスト産業都市の成立史における教会の位置づけ」です(第5章)。それは「都市伝道者としてのパウロ」という点から開始されています。これは、考えてみれば、なるほど当然のことです。
著者は、アレン(Roland Allen)が描いた「パウロの伝道戦略」(Paulus' zendings-strategie)を、次のように紹介しています。
「パウロはローマの統治領域を勘案していた。彼はギリシア文明の中心地を訪ね、貿易センターに立ち寄った。パウロは、一つの都市に到着すると、まず最初にシナゴーグを訪ねた。そして、その次にユダヤ人以外の人々(異邦人)とのコンタクトを図った。明らかなことは、パウロは教会の会衆自身を全く統治しなかった、ということだ。彼は会衆を自立させ、独立させた」。
この点でアレンは、現代においてはしばしば、諸教会があまりにも独立させられすぎている、ということにおいて、現代の伝道を批判していると、著者は付け加えています。
歴史的論述はさらに進み、「ローマ帝国における都市教会の発生」、「コルプス・クリスティアーヌム発生後の都市における道標としての教会」、「西欧の中世の教会」、「プロテスタンティズムによる都市改革」等に及び、上述の三区分に基づき、「プレ産業都市における教会」、「産業都市下の教会」、「ポスト産業都市における教会」の、それぞれ果たしてきた「役割」(rol)が明らかにされています(第5章)。
そして、これに続く「第6章 ポスト産業都市の教会的イメージ形成 (Kerkelijke beeldvorming van de postindustriele stad)」の論述は圧巻です。わたしは、この章に最も感動しました。これまでに、「都市」というものについての、ここまで鋭く明快な分析を、読んだことも、聴いたことも無いと感じました。
教会が「都市」ないし「都会」に対して抱くイメージには、大別して二種類ある、と著者は考えています。「否定的な都市イメージ (Negatieve stadsbeelden)」と「肯定的な都市イメージ(Positieve stadsbeelden)」です。
まず最初に、「否定的な都市イメージ」を描いてきた(教会的)代表者として、著者は、アウグスティヌス、H. ヴィヘルン、そしてジャック・エリュールの三人の見解を紹介しています。とくに、アウグスティヌスについて、著者は次のように述べています。
「アウグスティヌスは、明らかに『否定的な都市イメージ』を描き出した、最初の重大な人物である」(189ページ)。
そして、アウグスティヌスの主著である(いわゆる)『神の国』(De Civitate Dei)が詳しく取り上げられます。そして、著者は、(われわれが従来「国」と訳してきた)Civitateの概念を、アウグスティヌスが、ギリシア(語)的な意味での「都市国家」(stadsstaat)として理解したことを問題にしています。つまり、アウグスティヌスのDe Civitate Deiは、「神の王国」ではなく、「神の都市」として考えられ、「人間的な(=邪悪な)都市」とのラディカルな対比において捉えられている、というわけです。
その上で、アウグスティヌスは、「地上の都市」と「神の都市」との葛藤(ないし闘争)を、「カインとアベルの関係」と「彼らと神との関係」という事柄へと「還元」(ないし縮小)しました。ここに「否定的な都市イメージ」の根源がある、と著者は見ています。この点で興味深いのが、「アウグスティヌスのcivitas Dei概念には十字架が欠落している」と述べた、カール・バルトのアウグスティヌス批判である。バルトによると、civitas Deiとは「ゴルゴタで十字架に架けられたキリストの連隊(het regiment van Christus, de op Golgotha gekruisigde)」である、と書かれています(198ページ)。
そして、「(教会における)否定的な都市イメージ」の次に「(教会における)肯定的な都市イメージ」が紹介されています。著者が紹介する「肯定的な都市イメージ」の代表者は、ハーヴェイ・コックスとハーヴィー・コーンです。
以上の歴史的分析に基づき、著者自身の描く「都市イメージ」が明らかにされているのは、「第7章 ポスト産業都市における教会生活」です。まさにこの章において、著者の「ファン・ルーラーの創造神学の支持者」たる所以が告白されています。ちょっと長いですが、核心に触れていると思われる文章を、引用しておきます。
「私はアーノルト・A. ファン・ルーラーの神学によって方向づけられてきた。彼の神学は、なるほど都市について何かを記しているわけではない。しかしファン・ルーラーは、健全な『創造の神学』(een deugdelijke theologie van deschepping)を発展させてきた。彼によると、創造は、それ自体において存在している。人間は、創造的活動(schepping)において、神と共なる共同創造者(medeschepper naast God)の役割を獲得する。世におけるキリストの到来は、人間の堕落の結果に最も深くかかわっている。キリストの到来は、救助(behoud)、救出(redding)、回復(herstel)、贖罪(verzoening)、解放(bevrijding)を含意する。キリストは再創造(herschepping)をもたらす。ここに大きな誘惑がある。それは、キリスト御自身ならびに世におけるキリストの体なる教会の救済的行為に基づいて都市問題にアプローチすることによって、独占的・排他的な救済的形態を教会に与えてしまうという誘惑である。ファン・ルーラーは、教会を、(たとえば)貧しい人々、家を失った人々、病気の人々、虐げられた人々といったような人間的堕落の犠牲者に配慮する存在、というふうには理解しなかった。なぜならそのとき、教会が描く(否定的な)イメージに基づく創造の業としての都市という理解に遭遇するからである。ファン・ルーラーによると、創造に対する救済論的アプローチは、実在についての歪んだイメージを提供する。そのとき、都市成立の発端としての市場(しじょう)がますます、悪の根源のように感じられるのである」(246ページ)。
あとは、推して知るべし、です。著者の立場は、明らかに、ファン・ルーラー神学に基づいて、「都市」ないし「都会」を肯定的に捉え、そこに生きる人々に「役立つ」伝道と教会形成を志向するものです。
日本でも、しばしば、「地方伝道」ないし「田舎伝道」と「都会伝道」との対比が語られます。どちらが「困難」で、どちらが「簡単」か、というようなことを議論しはじめる向きもありますが、その議論自体は空虚でしょう。
そんなことではなく、本当の問題は、「都会伝道」を考えるときに、「『あの邪悪な』都会!」と決めつけるところから、一切の理論と実践を引き出そうとすることにある、ということが、本書の著者と、著者の主張を裏打ちするファン・ルーラーの神学の言いたいところではないでしょうか。
とても大切な視座を教えられたような気がしました。謹んでご紹介いたします。
2003年10月2日木曜日
書評 大木英夫著『組織神学序説 プロレゴーメナとしての聖書論』(2003年)
関口 康
このたび出版された大木英夫氏の『組織神学序説 プロレゴーメナとしての聖書論』(2003年)に対して本誌『改革派神学』の読者が抱く関心事の一つは、かつての本誌主筆岡田稔の代表的な論文である「植村・高倉神学の行方」 [1]の妥当性や如何に、という点にあるのではないだろうか。
もっとも、大木氏の主要著作を見るかぎり、高倉徳太郎への肯定的評価が語られている個所はほとんどない。同氏は「東京神学大学における植村の神学的伝統は、わたしにとりましては、熊野先生を通じて受けたものであります。・・・『植村の神学的伝統』とは植村から熊野へと継承発展させられてきた太い一線であります」と語ったことがある[2]。そして『組織神学序説』は、「故熊野義孝教授」と「故渡辺善太博士」に献呈されている。「熊野先生からは『教会』と『歴史』の感覚を受け継ぎ、渡辺先生からは『聖書正典』への理解を受け継いで、問題意識を少し広げ『組織神学序説』とした」と著者は書いている[3]。
こうして大木氏が「植村・熊野神学」を自覚的・主体的・責任的・学問的に継承していることは明白である。だとすれば、本誌読者の次なる関心は「植村・熊野・大木神学の行方」である、と表現しうるであろう。
岡田は「植村神学」の弱点について、「その因って生ずる根本を追及すれば、結局、聖書観と信条観にはいたいする」と断じた[4]。とりわけ植村の信条観に関して岡田は、日本基督一致教会の組織の際に「ウェストミンスター信仰告白、基督教略問答、ハイデルベルク信仰問答、ドルト教憲」が採用された当時の様子を「ほとんど首も回らぬしぎであった」と回顧した植村に対して、「はたして、この四つの信条文書を同時に持つことが、信仰の自由活動を束縛するしぎとなるだろうか」と問うた。
岡田は言う。信条は本来、説教者が聖書を解説する時の道案内である。説教者が毎日曜日の礼拝に自由に聖書のここかしこを解説する時、その所説に首尾一貫性を見出しうるだろうか。ロマ書の3章はアウグスティヌス主義で、12章はペラギウス主義でそれを解説するような危険が起こらぬと誰が保証できるか。まして、この教師とかの教師が同じ原理で説くことなどは、思いも及ばぬ。かくして信者は、何年教会に出席してもキリスト教の筋道さえ判然せぬまま死去することになりはしないか。このように、岡田は、聴く者に強い感銘を与えるきわめて実践的な判断によって、「植村の神学的伝統」としての「簡易信条主義」の弱点を鋭く指摘した[5]。
そしてまた、岡田と同世代に当たる熊野義孝がこの点において植村の路線を全く引き継いでいたため、岡田は熊野に次のように問わざるをえなかった。「何ゆえにニカイア、カルケドンを認めて、ドルト、ウェストミンスターを拒まねばならぬのか。古カトリック教会の信仰の告白としてのニカイア、カルケドンと、宗教改革の教会の信仰の告白としてのウェストミンスターとの関係にどんな実質的差違があるのだろうか」[6]。もちろん、実質的差違は無い、と言っているのである。
他方、植村や熊野の聖書観に対する岡田の批判は、その信条観に対するそれと比べると、必ずしも歯切れのよいものとは言いがたく、防戦一方の感を否めない。岡田は、自ら師事したメイチェンあたりの聖書観を一つの標準とみなしつつ、植村はメイチェンと軌を一にする立場をとったのに対し[7]、熊野はメイチェンをファンダメンタリストの代表者と認めるのを避けなかった[8]と述べるにとどまっている。はたして本誌の読者たちは、メイチェンの聖書観をいまだに支持しえているだろうか。
「植村・熊野神学」の路線を継承する、と自ら語る大木英夫氏の『組織神学序説』においては、岡田が提起した問題は克服されているのだろうか。これは日本プロテスタント神学史上、きわめて重要な問いであると思われる。
本拙論は単なる「書評」として本誌編集部から執筆を依頼されたものである。また、大木氏の『組織神学序説』はおよそ六百頁にも及ぶ大著であるので、事の詳細を評する余裕は無い。問題点を網羅的に抽出することも不可能である。ただ、非常に感銘を受けた点のみ指摘しておきたい。それは、大木氏が現代日本において「組織神学」を構築するための最も大切な土台がそれであるという仕方で、「契約神学の伝統の回復」という課題を前面に掲げている点である。これは、植村・熊野はじめ従来の日本の組織神学者の手で著されてきたいずれの教義学教本にも見られない、新しい方法である。
これがわれわれに感銘を与える理由は、次のように説明しうる。大木氏が「契約神学の伝統の回復」と呼んでいる事柄の実質的な内容は、かつて岡田が、一方の植村に向かって「四つの信条文書」を持つことが「信仰の自由活動を束縛するしぎとなるだろうか」と問い、他方の熊野に向かって「何ゆえにニカイア、カルケドンを認めて、ドルト、ウェストミンスターを拒まねばならぬのか」と批判したことに関する一つの重要な神学的レスポンスと認めうる、ということである。なぜなら、「契約神学の伝統」とは、まさに(植村が嫌忌した)あの「四つの信条文書」に代表される歴史的改革派教会の諸信条を通して現代の改革派諸教会へと脈々と受け継がれている、われわれの神学的伝統そのものだからである。
もっとも、大木氏は「日本基督教団立の神学校東京神学大学における組織神学の教授として神学教育にたずさわってきた者」[9]と自己規定しながら、「教義学(Dogmatics, Dogmatik)の課題は、通常であれば、みずからが所属する教会の信仰告白の解説を中心にすべきものであります」[10]と言い、「日本基督教団信仰告白は使徒信条に独自な前文をつけた短いものでありますが、その冒頭に聖書の正典性を認めており、それをもってプロテスタント的聖書原理に立つことを示しております」[11]と言い、「日本基督教団の教義学は、まずこの前提的課題との取り組みから開始せねばならないのであります。日本基督教団の教義学は、その背後にある長大なキリスト教思想史や教会史を遺産として受け継ぎながらも、『聖書によってたえず改革される教会』としてそれを改革的に継承すべきであり、しかも聖書に基づいての教会形成という建設課題として受け止めなければならないのであります。そのようなものとしてそれは、教会形成的教義学となるのであります」[12]と言う。これを旧来型の「簡易信条主義」の単なる反復と見るか、それとも植村・熊野からの一歩前進があると見るかは、微妙である。
そして最も疑問に思うことは、簡易信条主義を維持したままで「契約神学の伝統」を保持しうるのか、という点である。「契約神学の伝統」は、歴史的に見れば、キリスト教の主要教理の内容を精密に規定する「信条文書」と、その信条文書に基づいて教会裁判を行うことができる「長老主義的教会政治」の中でこそ保持されてきたのではないだろうか。「日本基督教団信仰告白」と「日本基督教団教憲教規」だけで、「契約神学の伝統」を保持できるのか。わたしは、それを信じることができない。
「契約神学の伝統の回復」というこの点に大木氏が強調を置くことは、大木氏独特の発想の奇抜さに依拠するというような事情では全くありえず、本書において明らかにされているとおり、「二十世紀における契約神学の発見」[13]という神学思想史的裏書きがある。大木氏はこの「発見」の立役者としてコッツェーユス研究(1923年)の著者G. シュレンク、『十七世紀のニューイングランド思想』(1953年)の著者P. ミラー、そして『ピューリタニズムの倫理思想』(1960年)の著者である大木氏自身の名を挙げている。
また、『組織神学序説』の中では紹介されていないが、最近出版された契約神学の巨大な研究書として、オランダ国立ユトレヒト大学神学部W. J. ファン・アッセルト教授の主著『ヨハンネス・コッツェーユスの神学』(英語版2001年)[14]を数えることができるだろう。さらに、ファン・アッセルト他編『宗教改革とスコラ主義』(2001年)[15]という論文集も出版されており、R. A. ムラー(米国カルヴァン神学校教授)、W. ファン・トゥ・スペイカー(オランダキリスト改革派教会(CGKN)立・アーペルドールン神学大学元教授)といった錚々たる研究者陣が優れた論文を寄稿している。彼らの神学的アイデンティティは明確に「改革派神学」にあるが、彼らがいかなる意味でも保守主義者ではないことは、研究成果を見れば明らかである。ちなみに、ファン・アッセルトは、かつてユトレヒト大学で教鞭をとったA. ファン・ルーラーの学生の一人でもある。このような前世紀から始まった国際的な契約神学研究の興隆の中で、このたび日本を代表する神学者大木英夫氏の『組織神学序説』が世に問われたことを、わたしは、氏に対し今でも学恩を感じている一人として、心から歓迎したいと思う者である。
ところで、一点だけ、大木氏の所説の内容に踏み込んだところにも、触れておきたい。それは、本書503ページ以下に出てくる「根源的契約」という概念についてである。
大木氏が(おそらく自身のタームとして)「根源的契約」と呼んでいる事柄は「内在的三位一体における父なる神と子なる神との契約」と定義されている。「契約神学の中には、父なる神と子なる神との間に契約があるという思想があります。それは三位一体の神においては、聖なる気まぐれのような意志ではない、その神秘は非合理的な気まぐれではなく、ことばをもつ契約的な意志だということであります。だからそれは『根源的契約』と呼ばれるにふさわしいのであります」[16]。このあたりを読むかぎり、これは、歴史的改革派神学において、とくに17世紀以来論じられてきたpactum salutisを指しているものと思われるが、このラテン語の訳語として定着してきたのは「贖いの契約」(verbond der verlossing)、または「平和の計画」(raad des vredes)であろう[17]。この概念が日本プロテスタント神学史の表舞台で語られたのは、大木氏の『組織神学序説』が初めてではないだろうか。
「贖いの契約」(pactum salutis/ Covenant of Salvation)とは、ウェストミンスター信仰告白などに繰り返し登場する「恵みの契約」(foedus gratiae/ Covenant of Grace、大木氏は「恩寵の契約」と訳す)や「業の契約」(foedus operum/ Covenant of Works)とは区別される概念である。残念なことは、「贖いの契約」の概念が、その決定的な重要性にもかかわらず、どの改革派諸信条の中にも出てこないことである。その理由は、この教理の発展が17世紀になってやっと実際に始まったからである、と説明しうる[18]。とはいえ、16世紀と17世紀との契約神学の差違を過度に強調すべきではない。『ハイデルベルク信仰問答』(1563年)の著者の一人と称されるカスパール・オレヴィアーヌスは、いちはやくこの方向で思索していた。それが『ハイデルベルク信仰問答』第12主日における「この方がキリスト(油注がれた者)と呼ばれる理由は、父なる神によって(以下のような職務へと)任命され(verordnen)、聖霊によって油注がれた者だからである」[19]という表現となって現われている。この「任命」(Verordnung)、すなわち「神の御子イエス・キリストの仲保者の職務への任職」(constitutio Mediatoris)こそが「贖いの契約」(pactum salutis)の意味である[20]。『ドルト教理規準』(1619年)第一教理第七条項の「永遠から任命されていた仲保者」[21]も、これである。
しかしながら、「贖いの契約」という概念については昔から多くの問題点が指摘されてきた。大木氏はコッツェーユスのpactum salutisに対するバルトの批判を知っているが、17世紀のオランダ改革派神学者ヘルマヌス・ヴィトシウス(1636~1708年)[22]が挙げたpactum salutisを支える聖書章節(ルカ17・29、ヘブライ7・22、ガラテヤ3・17、詩編68・19、イザヤ38・14、エレミヤ30・21、ゼカリヤ6・13)を紹介することによってバルトの批判を退けている。その上で大木氏は、「ヴィトシウスは、この三位一体内の根源契約に経綸的なもの(オイコノミア)の根拠を見ました。われわれはこの方法論的洞察に学ぶべきだと思っております」[23]と述べている。
このあたりで沸いてくる強い疑問は、はたして本当にヴィトシウスが挙げた聖書章節だけで「内在的三位一体内部における父なる神と子なる神との契約」を表わすpactum salutisという17世紀的概念を今日的にも保持し続けることができるだろうかということである。保守的なことで知られるオランダキリスト改革派教会(CGKN)の教義学者J. ファン・ヘンデレンは、この教理の今日的有効性を支持している有力な一人であるが、昔から多くの人々がこの教理の根拠としてきたゼカリヤ書6・13には神的諸位格(goddelijke Personen)に関することは何も記されていない、と述べている。むしろファン・ヘンデレンが「この教理の唯一の根拠」(enige grond voor de leer)として挙げている聖書章節は(ヴィトシウスが挙げていない)ヨハネによる福音書10・36である。またペトロの手紙一1・20は、ヘルマン・バーフィンクやJ. ヘインスなど20世紀の有力な改革派神学者も挙げているゆえに看過しえない個所として紹介されている[24]。
しかし、ファン・ヘンデレンと共に、筆者自身も重要と考える聖書章句は、エフェソの信徒への手紙1・3~14である。この個所は信徒が受領しうる神の祝福だけではなく、彼らのすべての救いがそこから溢れ出る神の永遠の愛(eeuwige liefde)と神の永遠の好意(eeuwige welbehagen van God)とに関係している、とファン・ヘンデレンは述べている[25]。さらに、この個所は岡田稔がその重要性を強調してやまなかった「神の聖定の教理」(The Doctrine of God’s Eternal Decree)を支える重要な根拠でもある。「神の好意」と訳しうるwelbehagen van God(英語でGood pleasure of God)はエフェソ1・5のευδοκια の訳である。新共同訳聖書では単に「御心」と訳されているが、これがひどくつまらない。ευδοκια もwelbehagenもGood pleasureも一致して「喜び」を意味する。せめて「神の喜びに満ちた御心」と訳したいところである。
ファン・ヘンデレンは、「協定(overeenkomst/ pactum)や契約(verbond)について聖書は、改革派神学が語ってきたほどには言及していない」ことを認めつつ、「だからといってこの思想は非聖書的であるとまでは言い切れない」という線に踏みとどまる[26]。わたしもそれで異存はない。しかし、さらにもう一歩先に進んで、内在的三位一体における御父と御子とのpactum salutis(大木氏の語る「根源的契約」)の内容は、いずれにせよευδοκιαであり、welbehagenであり、Good pleasureなのだから、それは結局「喜び」(vreugde)であると語られるべきではないか、とも思う。「植村・熊野・大木神学」と歴史的改革派神学の共通目標があるとしたら、それは「喜びの神学」(Theologie van de vreugde)ではないのか、とも感じるのである[27]。
大木氏の所説においては、「根源的契約」についての今日的展開とでも言うべき深入りは見当たらない。聖書的根拠に乏しい(と思われる)「契約」理解の紹介というあたりで踏みとどまり、「アメリカの契約社会の契約神学的背景」というような社会倫理的関心へと視線を移していく。
しかし、pactum salutisの内容は最終的には「喜びの交換(交歓)」と表現すべきではないだろうか。コッツェーユスは、「業の契約」と「恵みの契約」と「贖いの契約」という三つの契約概念におけるすべての関係性(神と人間、神と選民、御父と御子)を、おしなべてamicitia(フレンドシップ)という言葉で説明した[28]。「契約」をフレンドリーな概念としてとらえるというこの発想は、17世紀の状況においては正当な評価と十分な展開の場を持つことができなかったといえる。
しかし、21世紀においてはどうだろうか。改革派神学の発展は16世紀・17世紀のままで止まっているわけではなく(それを「死んでいる」という)、「21世紀の改革派神学」というものがありうる。
一例として、「父と子が永遠の契約を締結された」と物々しく語るよりも、「父と子がいつも楽しく遊んでいる」と陽気に語るほうが、神の国の聖書的イメージを正しく伝えることができるのではないだろうか。
天と地とその中のすべてを造られた神が、イエス・キリストにおいて、聖霊を通して、自身の被造物としての全世界と全人類の存在を、終末的完成の日をめざしつつ、「喜び」をもって保持し、支配し、導いておられるという福音の全使信を正しくかつ豊かに語るための説明の仕方は、何であろうか。
わたしの記憶の中の恩師大木英夫教授はユーモアを理解される方であった。このような夢見心地な空想にもきっとお付き合いいただけるものと信じている。大著の完成に際し、心から感謝と労いを申し上げたい。
注
[1] 岡田の当該論文は、日本基督改革派教会第三回大会講演(1948年)を基に書かれ、『改革派世界』第六号(1949年)に掲載。その後『改革派神学』第十輯(1972年)に再録され、最終的に『岡田稔著作集』第五巻(1993年)に収録された。
[2] 大木英夫『歴史神学と社会倫理』ヨルダン社、1979年、108頁。
[3] 大木英夫『組織神学序説』、590頁。
[4] 『岡田稔著作集』第五巻、26頁。
[5] 筆者は、岡田が書いたこの一節にも深い感動を覚え、遅ればせながら日本キリスト改革派教会への加入を決意した。
[6] 岡田稔、同上書、34頁。
[7] 岡田稔、同上書、24頁。
[8] 岡田稔、同上書、33頁。
[9] 大木英夫『組織神学序説』、314頁。
[10] 大木英夫、同上。
[11] 大木英夫、同上書、315頁。
[12] 大木英夫、同上。
[13] 大木英夫、同上書、471頁以下。
[14] W. J. van Asselt, The Federal Theology of Johannes Cocceius (1603-1669), Translated by Raymond A. Blacketer, Brill, 2001.
[15] Reformation and Scholasticism. An Ecumenical Enterprise. Edited by Willem J. van Asselt and Eef Dekker, Baker, 2001.
[16] 大木英夫、同上書、503頁。
[17] たとえば、J. van Genderen en W. H. Velema, Beknopte Gereformeerde Dogmatiek, Kok- Kampen, 1993 (Tweede druk), p. 193.参照。
[18] Ibid. p.197.
[19] Der Heidelberger Katechismus, Herausgegeben von Otto Weber, 4. Aufl. Guetersloher Verlagshaus -Gerd Mohn, 1990. S. 26.
[20] J. van Genderen en W. H. Velema, op. cit., p.194.
[21] エドウィン H. パーマー著『カルヴィニズムの五特質』(鈴木英昭訳、つのぶえ社、改訂第二版1987年)巻末の「ドルト信仰規準」(鈴木訳、191頁)を借用した。
[22] ヴィトシウスについての大木氏の紹介への補足として。ヘルマヌス・ヴィトシウス(Hermannus Witsius [1636-1708])年は、北ホーラントのエイクハイゼン生まれ、フローニンゲン、ライデン、ユトレヒトの各大学で学び、1656年から牧師になり、オランダ国内の三つの教会の牧会に当り、その後1675年からフラネカーで、1680年からユトレヒトで、1698年からライデンで神学教授を歴任。正統主義神学とコッツェーユスの契約神学との仲介役を務めようとしたが失敗した、とされる。
[23] 大木英夫、同上書、506頁。
[24] J. van Genderen en W. H. Velema, op. cit., p. 196.
[25] Ibid.
[26] Ibid. p. 197.
[27] このように書きながら、筆者は、「喜びの神学」の典型として、二十世紀中盤のオランダ改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk)において最も重要な役割を果たしたA. ファン・ルーラーの神学を思い浮かべている。
[28] W. J. ファン・アッセルト=H. G. レンガー共訳で1990年に出版されたコッツェーユスの『契約論』(オランダ語版)において、コッツェーユスのamicitiaという概念は、vriendschap(フレンドシップ、友愛、友情など)と訳されている。Vgl. Johannes Coccejus, De Leer van het Verbond en het Testament van God, Vertaling door W. J. van Asselt en H. G. Renger, Uitgeverij de Groot –Goudriaan, Kampen, 1990, p. 3.
(『改革派神学』、神戸改革派神学校、第30号特別記念号、2003年、105~112ページ掲載)
このたび出版された大木英夫氏の『組織神学序説 プロレゴーメナとしての聖書論』(2003年)に対して本誌『改革派神学』の読者が抱く関心事の一つは、かつての本誌主筆岡田稔の代表的な論文である「植村・高倉神学の行方」 [1]の妥当性や如何に、という点にあるのではないだろうか。
もっとも、大木氏の主要著作を見るかぎり、高倉徳太郎への肯定的評価が語られている個所はほとんどない。同氏は「東京神学大学における植村の神学的伝統は、わたしにとりましては、熊野先生を通じて受けたものであります。・・・『植村の神学的伝統』とは植村から熊野へと継承発展させられてきた太い一線であります」と語ったことがある[2]。そして『組織神学序説』は、「故熊野義孝教授」と「故渡辺善太博士」に献呈されている。「熊野先生からは『教会』と『歴史』の感覚を受け継ぎ、渡辺先生からは『聖書正典』への理解を受け継いで、問題意識を少し広げ『組織神学序説』とした」と著者は書いている[3]。
こうして大木氏が「植村・熊野神学」を自覚的・主体的・責任的・学問的に継承していることは明白である。だとすれば、本誌読者の次なる関心は「植村・熊野・大木神学の行方」である、と表現しうるであろう。
岡田は「植村神学」の弱点について、「その因って生ずる根本を追及すれば、結局、聖書観と信条観にはいたいする」と断じた[4]。とりわけ植村の信条観に関して岡田は、日本基督一致教会の組織の際に「ウェストミンスター信仰告白、基督教略問答、ハイデルベルク信仰問答、ドルト教憲」が採用された当時の様子を「ほとんど首も回らぬしぎであった」と回顧した植村に対して、「はたして、この四つの信条文書を同時に持つことが、信仰の自由活動を束縛するしぎとなるだろうか」と問うた。
岡田は言う。信条は本来、説教者が聖書を解説する時の道案内である。説教者が毎日曜日の礼拝に自由に聖書のここかしこを解説する時、その所説に首尾一貫性を見出しうるだろうか。ロマ書の3章はアウグスティヌス主義で、12章はペラギウス主義でそれを解説するような危険が起こらぬと誰が保証できるか。まして、この教師とかの教師が同じ原理で説くことなどは、思いも及ばぬ。かくして信者は、何年教会に出席してもキリスト教の筋道さえ判然せぬまま死去することになりはしないか。このように、岡田は、聴く者に強い感銘を与えるきわめて実践的な判断によって、「植村の神学的伝統」としての「簡易信条主義」の弱点を鋭く指摘した[5]。
そしてまた、岡田と同世代に当たる熊野義孝がこの点において植村の路線を全く引き継いでいたため、岡田は熊野に次のように問わざるをえなかった。「何ゆえにニカイア、カルケドンを認めて、ドルト、ウェストミンスターを拒まねばならぬのか。古カトリック教会の信仰の告白としてのニカイア、カルケドンと、宗教改革の教会の信仰の告白としてのウェストミンスターとの関係にどんな実質的差違があるのだろうか」[6]。もちろん、実質的差違は無い、と言っているのである。
他方、植村や熊野の聖書観に対する岡田の批判は、その信条観に対するそれと比べると、必ずしも歯切れのよいものとは言いがたく、防戦一方の感を否めない。岡田は、自ら師事したメイチェンあたりの聖書観を一つの標準とみなしつつ、植村はメイチェンと軌を一にする立場をとったのに対し[7]、熊野はメイチェンをファンダメンタリストの代表者と認めるのを避けなかった[8]と述べるにとどまっている。はたして本誌の読者たちは、メイチェンの聖書観をいまだに支持しえているだろうか。
「植村・熊野神学」の路線を継承する、と自ら語る大木英夫氏の『組織神学序説』においては、岡田が提起した問題は克服されているのだろうか。これは日本プロテスタント神学史上、きわめて重要な問いであると思われる。
本拙論は単なる「書評」として本誌編集部から執筆を依頼されたものである。また、大木氏の『組織神学序説』はおよそ六百頁にも及ぶ大著であるので、事の詳細を評する余裕は無い。問題点を網羅的に抽出することも不可能である。ただ、非常に感銘を受けた点のみ指摘しておきたい。それは、大木氏が現代日本において「組織神学」を構築するための最も大切な土台がそれであるという仕方で、「契約神学の伝統の回復」という課題を前面に掲げている点である。これは、植村・熊野はじめ従来の日本の組織神学者の手で著されてきたいずれの教義学教本にも見られない、新しい方法である。
これがわれわれに感銘を与える理由は、次のように説明しうる。大木氏が「契約神学の伝統の回復」と呼んでいる事柄の実質的な内容は、かつて岡田が、一方の植村に向かって「四つの信条文書」を持つことが「信仰の自由活動を束縛するしぎとなるだろうか」と問い、他方の熊野に向かって「何ゆえにニカイア、カルケドンを認めて、ドルト、ウェストミンスターを拒まねばならぬのか」と批判したことに関する一つの重要な神学的レスポンスと認めうる、ということである。なぜなら、「契約神学の伝統」とは、まさに(植村が嫌忌した)あの「四つの信条文書」に代表される歴史的改革派教会の諸信条を通して現代の改革派諸教会へと脈々と受け継がれている、われわれの神学的伝統そのものだからである。
もっとも、大木氏は「日本基督教団立の神学校東京神学大学における組織神学の教授として神学教育にたずさわってきた者」[9]と自己規定しながら、「教義学(Dogmatics, Dogmatik)の課題は、通常であれば、みずからが所属する教会の信仰告白の解説を中心にすべきものであります」[10]と言い、「日本基督教団信仰告白は使徒信条に独自な前文をつけた短いものでありますが、その冒頭に聖書の正典性を認めており、それをもってプロテスタント的聖書原理に立つことを示しております」[11]と言い、「日本基督教団の教義学は、まずこの前提的課題との取り組みから開始せねばならないのであります。日本基督教団の教義学は、その背後にある長大なキリスト教思想史や教会史を遺産として受け継ぎながらも、『聖書によってたえず改革される教会』としてそれを改革的に継承すべきであり、しかも聖書に基づいての教会形成という建設課題として受け止めなければならないのであります。そのようなものとしてそれは、教会形成的教義学となるのであります」[12]と言う。これを旧来型の「簡易信条主義」の単なる反復と見るか、それとも植村・熊野からの一歩前進があると見るかは、微妙である。
そして最も疑問に思うことは、簡易信条主義を維持したままで「契約神学の伝統」を保持しうるのか、という点である。「契約神学の伝統」は、歴史的に見れば、キリスト教の主要教理の内容を精密に規定する「信条文書」と、その信条文書に基づいて教会裁判を行うことができる「長老主義的教会政治」の中でこそ保持されてきたのではないだろうか。「日本基督教団信仰告白」と「日本基督教団教憲教規」だけで、「契約神学の伝統」を保持できるのか。わたしは、それを信じることができない。
「契約神学の伝統の回復」というこの点に大木氏が強調を置くことは、大木氏独特の発想の奇抜さに依拠するというような事情では全くありえず、本書において明らかにされているとおり、「二十世紀における契約神学の発見」[13]という神学思想史的裏書きがある。大木氏はこの「発見」の立役者としてコッツェーユス研究(1923年)の著者G. シュレンク、『十七世紀のニューイングランド思想』(1953年)の著者P. ミラー、そして『ピューリタニズムの倫理思想』(1960年)の著者である大木氏自身の名を挙げている。
また、『組織神学序説』の中では紹介されていないが、最近出版された契約神学の巨大な研究書として、オランダ国立ユトレヒト大学神学部W. J. ファン・アッセルト教授の主著『ヨハンネス・コッツェーユスの神学』(英語版2001年)[14]を数えることができるだろう。さらに、ファン・アッセルト他編『宗教改革とスコラ主義』(2001年)[15]という論文集も出版されており、R. A. ムラー(米国カルヴァン神学校教授)、W. ファン・トゥ・スペイカー(オランダキリスト改革派教会(CGKN)立・アーペルドールン神学大学元教授)といった錚々たる研究者陣が優れた論文を寄稿している。彼らの神学的アイデンティティは明確に「改革派神学」にあるが、彼らがいかなる意味でも保守主義者ではないことは、研究成果を見れば明らかである。ちなみに、ファン・アッセルトは、かつてユトレヒト大学で教鞭をとったA. ファン・ルーラーの学生の一人でもある。このような前世紀から始まった国際的な契約神学研究の興隆の中で、このたび日本を代表する神学者大木英夫氏の『組織神学序説』が世に問われたことを、わたしは、氏に対し今でも学恩を感じている一人として、心から歓迎したいと思う者である。
ところで、一点だけ、大木氏の所説の内容に踏み込んだところにも、触れておきたい。それは、本書503ページ以下に出てくる「根源的契約」という概念についてである。
大木氏が(おそらく自身のタームとして)「根源的契約」と呼んでいる事柄は「内在的三位一体における父なる神と子なる神との契約」と定義されている。「契約神学の中には、父なる神と子なる神との間に契約があるという思想があります。それは三位一体の神においては、聖なる気まぐれのような意志ではない、その神秘は非合理的な気まぐれではなく、ことばをもつ契約的な意志だということであります。だからそれは『根源的契約』と呼ばれるにふさわしいのであります」[16]。このあたりを読むかぎり、これは、歴史的改革派神学において、とくに17世紀以来論じられてきたpactum salutisを指しているものと思われるが、このラテン語の訳語として定着してきたのは「贖いの契約」(verbond der verlossing)、または「平和の計画」(raad des vredes)であろう[17]。この概念が日本プロテスタント神学史の表舞台で語られたのは、大木氏の『組織神学序説』が初めてではないだろうか。
「贖いの契約」(pactum salutis/ Covenant of Salvation)とは、ウェストミンスター信仰告白などに繰り返し登場する「恵みの契約」(foedus gratiae/ Covenant of Grace、大木氏は「恩寵の契約」と訳す)や「業の契約」(foedus operum/ Covenant of Works)とは区別される概念である。残念なことは、「贖いの契約」の概念が、その決定的な重要性にもかかわらず、どの改革派諸信条の中にも出てこないことである。その理由は、この教理の発展が17世紀になってやっと実際に始まったからである、と説明しうる[18]。とはいえ、16世紀と17世紀との契約神学の差違を過度に強調すべきではない。『ハイデルベルク信仰問答』(1563年)の著者の一人と称されるカスパール・オレヴィアーヌスは、いちはやくこの方向で思索していた。それが『ハイデルベルク信仰問答』第12主日における「この方がキリスト(油注がれた者)と呼ばれる理由は、父なる神によって(以下のような職務へと)任命され(verordnen)、聖霊によって油注がれた者だからである」[19]という表現となって現われている。この「任命」(Verordnung)、すなわち「神の御子イエス・キリストの仲保者の職務への任職」(constitutio Mediatoris)こそが「贖いの契約」(pactum salutis)の意味である[20]。『ドルト教理規準』(1619年)第一教理第七条項の「永遠から任命されていた仲保者」[21]も、これである。
しかしながら、「贖いの契約」という概念については昔から多くの問題点が指摘されてきた。大木氏はコッツェーユスのpactum salutisに対するバルトの批判を知っているが、17世紀のオランダ改革派神学者ヘルマヌス・ヴィトシウス(1636~1708年)[22]が挙げたpactum salutisを支える聖書章節(ルカ17・29、ヘブライ7・22、ガラテヤ3・17、詩編68・19、イザヤ38・14、エレミヤ30・21、ゼカリヤ6・13)を紹介することによってバルトの批判を退けている。その上で大木氏は、「ヴィトシウスは、この三位一体内の根源契約に経綸的なもの(オイコノミア)の根拠を見ました。われわれはこの方法論的洞察に学ぶべきだと思っております」[23]と述べている。
このあたりで沸いてくる強い疑問は、はたして本当にヴィトシウスが挙げた聖書章節だけで「内在的三位一体内部における父なる神と子なる神との契約」を表わすpactum salutisという17世紀的概念を今日的にも保持し続けることができるだろうかということである。保守的なことで知られるオランダキリスト改革派教会(CGKN)の教義学者J. ファン・ヘンデレンは、この教理の今日的有効性を支持している有力な一人であるが、昔から多くの人々がこの教理の根拠としてきたゼカリヤ書6・13には神的諸位格(goddelijke Personen)に関することは何も記されていない、と述べている。むしろファン・ヘンデレンが「この教理の唯一の根拠」(enige grond voor de leer)として挙げている聖書章節は(ヴィトシウスが挙げていない)ヨハネによる福音書10・36である。またペトロの手紙一1・20は、ヘルマン・バーフィンクやJ. ヘインスなど20世紀の有力な改革派神学者も挙げているゆえに看過しえない個所として紹介されている[24]。
しかし、ファン・ヘンデレンと共に、筆者自身も重要と考える聖書章句は、エフェソの信徒への手紙1・3~14である。この個所は信徒が受領しうる神の祝福だけではなく、彼らのすべての救いがそこから溢れ出る神の永遠の愛(eeuwige liefde)と神の永遠の好意(eeuwige welbehagen van God)とに関係している、とファン・ヘンデレンは述べている[25]。さらに、この個所は岡田稔がその重要性を強調してやまなかった「神の聖定の教理」(The Doctrine of God’s Eternal Decree)を支える重要な根拠でもある。「神の好意」と訳しうるwelbehagen van God(英語でGood pleasure of God)はエフェソ1・5のευδοκια の訳である。新共同訳聖書では単に「御心」と訳されているが、これがひどくつまらない。ευδοκια もwelbehagenもGood pleasureも一致して「喜び」を意味する。せめて「神の喜びに満ちた御心」と訳したいところである。
ファン・ヘンデレンは、「協定(overeenkomst/ pactum)や契約(verbond)について聖書は、改革派神学が語ってきたほどには言及していない」ことを認めつつ、「だからといってこの思想は非聖書的であるとまでは言い切れない」という線に踏みとどまる[26]。わたしもそれで異存はない。しかし、さらにもう一歩先に進んで、内在的三位一体における御父と御子とのpactum salutis(大木氏の語る「根源的契約」)の内容は、いずれにせよευδοκιαであり、welbehagenであり、Good pleasureなのだから、それは結局「喜び」(vreugde)であると語られるべきではないか、とも思う。「植村・熊野・大木神学」と歴史的改革派神学の共通目標があるとしたら、それは「喜びの神学」(Theologie van de vreugde)ではないのか、とも感じるのである[27]。
大木氏の所説においては、「根源的契約」についての今日的展開とでも言うべき深入りは見当たらない。聖書的根拠に乏しい(と思われる)「契約」理解の紹介というあたりで踏みとどまり、「アメリカの契約社会の契約神学的背景」というような社会倫理的関心へと視線を移していく。
しかし、pactum salutisの内容は最終的には「喜びの交換(交歓)」と表現すべきではないだろうか。コッツェーユスは、「業の契約」と「恵みの契約」と「贖いの契約」という三つの契約概念におけるすべての関係性(神と人間、神と選民、御父と御子)を、おしなべてamicitia(フレンドシップ)という言葉で説明した[28]。「契約」をフレンドリーな概念としてとらえるというこの発想は、17世紀の状況においては正当な評価と十分な展開の場を持つことができなかったといえる。
しかし、21世紀においてはどうだろうか。改革派神学の発展は16世紀・17世紀のままで止まっているわけではなく(それを「死んでいる」という)、「21世紀の改革派神学」というものがありうる。
一例として、「父と子が永遠の契約を締結された」と物々しく語るよりも、「父と子がいつも楽しく遊んでいる」と陽気に語るほうが、神の国の聖書的イメージを正しく伝えることができるのではないだろうか。
天と地とその中のすべてを造られた神が、イエス・キリストにおいて、聖霊を通して、自身の被造物としての全世界と全人類の存在を、終末的完成の日をめざしつつ、「喜び」をもって保持し、支配し、導いておられるという福音の全使信を正しくかつ豊かに語るための説明の仕方は、何であろうか。
わたしの記憶の中の恩師大木英夫教授はユーモアを理解される方であった。このような夢見心地な空想にもきっとお付き合いいただけるものと信じている。大著の完成に際し、心から感謝と労いを申し上げたい。
注
[1] 岡田の当該論文は、日本基督改革派教会第三回大会講演(1948年)を基に書かれ、『改革派世界』第六号(1949年)に掲載。その後『改革派神学』第十輯(1972年)に再録され、最終的に『岡田稔著作集』第五巻(1993年)に収録された。
[2] 大木英夫『歴史神学と社会倫理』ヨルダン社、1979年、108頁。
[3] 大木英夫『組織神学序説』、590頁。
[4] 『岡田稔著作集』第五巻、26頁。
[5] 筆者は、岡田が書いたこの一節にも深い感動を覚え、遅ればせながら日本キリスト改革派教会への加入を決意した。
[6] 岡田稔、同上書、34頁。
[7] 岡田稔、同上書、24頁。
[8] 岡田稔、同上書、33頁。
[9] 大木英夫『組織神学序説』、314頁。
[10] 大木英夫、同上。
[11] 大木英夫、同上書、315頁。
[12] 大木英夫、同上。
[13] 大木英夫、同上書、471頁以下。
[14] W. J. van Asselt, The Federal Theology of Johannes Cocceius (1603-1669), Translated by Raymond A. Blacketer, Brill, 2001.
[15] Reformation and Scholasticism. An Ecumenical Enterprise. Edited by Willem J. van Asselt and Eef Dekker, Baker, 2001.
[16] 大木英夫、同上書、503頁。
[17] たとえば、J. van Genderen en W. H. Velema, Beknopte Gereformeerde Dogmatiek, Kok- Kampen, 1993 (Tweede druk), p. 193.参照。
[18] Ibid. p.197.
[19] Der Heidelberger Katechismus, Herausgegeben von Otto Weber, 4. Aufl. Guetersloher Verlagshaus -Gerd Mohn, 1990. S. 26.
[20] J. van Genderen en W. H. Velema, op. cit., p.194.
[21] エドウィン H. パーマー著『カルヴィニズムの五特質』(鈴木英昭訳、つのぶえ社、改訂第二版1987年)巻末の「ドルト信仰規準」(鈴木訳、191頁)を借用した。
[22] ヴィトシウスについての大木氏の紹介への補足として。ヘルマヌス・ヴィトシウス(Hermannus Witsius [1636-1708])年は、北ホーラントのエイクハイゼン生まれ、フローニンゲン、ライデン、ユトレヒトの各大学で学び、1656年から牧師になり、オランダ国内の三つの教会の牧会に当り、その後1675年からフラネカーで、1680年からユトレヒトで、1698年からライデンで神学教授を歴任。正統主義神学とコッツェーユスの契約神学との仲介役を務めようとしたが失敗した、とされる。
[23] 大木英夫、同上書、506頁。
[24] J. van Genderen en W. H. Velema, op. cit., p. 196.
[25] Ibid.
[26] Ibid. p. 197.
[27] このように書きながら、筆者は、「喜びの神学」の典型として、二十世紀中盤のオランダ改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk)において最も重要な役割を果たしたA. ファン・ルーラーの神学を思い浮かべている。
[28] W. J. ファン・アッセルト=H. G. レンガー共訳で1990年に出版されたコッツェーユスの『契約論』(オランダ語版)において、コッツェーユスのamicitiaという概念は、vriendschap(フレンドシップ、友愛、友情など)と訳されている。Vgl. Johannes Coccejus, De Leer van het Verbond en het Testament van God, Vertaling door W. J. van Asselt en H. G. Renger, Uitgeverij de Groot –Goudriaan, Kampen, 1990, p. 3.
(『改革派神学』、神戸改革派神学校、第30号特別記念号、2003年、105~112ページ掲載)
2003年8月12日火曜日
人間的な喜びを肯定してもよいか
コヘレトの言葉3・12~13
「わたしは知った。人間にとって最も幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ、と。人だれもが飲み食いし、その労苦によって満足するのは神の賜物だ、と。青春の日々にこそお前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに、『年を重ねることに喜びはない』という年齢にならないうちに」。
この早天礼拝でご一緒に考えていただきたいことは、説教題に掲げました「人間的な喜びを肯定してもよいか」という問題です。
このたびの修養会の主題は「ウェストミンスター信仰規準について」です。ウェストミンスター信仰規準は、私たち日本キリスト改革派教会の憲法であり、信仰規準です。この信仰規準の中のウェストミンスター小教理問答の第1問の答えを、皆さんはよくご存知であると思います。
「人生の究極的な目的は、神の栄光を表わし、永遠に神を喜ぶことです」。
これは解釈が難しい言葉です。「神を喜ぶ」とは何のことでしょうか。「神と共に生きるこのわたしの人生を喜ぶこと」であると理解してよいのでしょうか。私たちは、自分の「人生」を喜んでよいのでしょうか。それとも、喜んでよいのは「神」だけでしょうか。「人生」を喜んではならないのでしょうか。
今朝開いていただきました聖書の御言は、コヘレトの言葉3・12~13です。この書物は以前広く使われていた口語訳聖書では、「伝道の書」と呼ばれていました。「コヘレト」とはこの伝道者の名前です。この人は、神の御言を語る説教者なのです。 コヘレトは次のように語っています。
「わたしは知った。人間にとって最も幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ、と。人だれもが飲み食いし、その労苦によって満足するのは神の賜物だ、と」。
伝道者であり、説教者であるコヘレトが非常にストレートに語っていることは、私たち人間にとって最も幸福なことは、喜びの人生を送ることである、ということです。
この場合の「喜びの人生」の意味は何か。それは、すなわち、私たち人間が飲んだり食べたりすることそれ自体であり、また、その労苦によって満足することそれ自体である、というわけです。
しかも、この場合の「満足する」の意味は、そのような気持ちになるとか、そのような気分を味わう、というだけではありません。飲んだり食べたりするために労苦する、というわけですから、そのためにお金を稼ぐという行為それ自体も、当然含まれてくるわけです。心理的・精神的、そして宗教的・信仰的な「満足」というだけではなく、物質的・金銭的・実際的な意味での「満足」ということが、ここで語られていることは明らかです。
ですから、ごく分かりやすく言い切ってしまうなら、私たちが一生懸命仕事をして、お金を稼ぎ、おいしいものを飲んだり食べたりして満足する、というまさに人間の喜び、「人間的な喜び」ということが、ここで語られている、と読むことができます。それが人間にとっての「最大の幸福である」と語られているのです。このような思想を「快楽主義」と呼ばずして、他に何と呼ぶことができるのでしょうか。
しかし、どうでしょうか。一体私たちは、このコヘレトの言葉をどのように理解したらよいのでしょうか。改革派信仰は、このような言葉をそのまま受け入れることができるでしょうか。「人生の究極的な目的は、神の栄光を表わし、永遠に神を喜ぶことである」という信仰告白との関係は、どういうことになるのでしょうか。
実際、これは、私たちにとって深刻な問題になりうるものです。その事情は少し説明が必要であると思います。
とくにここで問題になるのは、歴史的改革派教会の創始者である16世紀の宗教改革者ジャン・カルヴァンがその書物の中でしばしば引用する西暦4世紀の西方教会の教父アウグスティヌスの神学思想です。
このアウグスティヌスは、「神を喜ぶこと」と「神以外のもの(物)を喜ぶこと」とを厳密に区別しました。そしてアウグスティヌスは、私たちキリスト者に許されているのは「神を喜ぶこと」だけであって、「神以外のもの(物)」、すなわち、この世界に属するもの(物)については「喜ぶこと」が許されていない。それらについてはただ「用いること」だけが許されているのだ、というふうに、この問題を定式化しました。
「用いる」とは、使用するということです。私たちの肉体もお金も財産も、この世界に属するすべてのものは、ただ使用すること、利用することができるだけであり、それらの物自体を喜んだり楽しんだりしてはならないのである、とアウグスティヌスは考え、主張したのです。
これは一種の「禁欲主義」の勧めです。もし私たちが「禁欲主義」の反対を「快楽主義」という言葉で呼ぶならば、アウグスティヌスは、この「快楽主義」を事実上禁止したのです。
これで少し、問題の所在が見えてきたのではないかと思います。このことが私たちにとって問題となるのは、このアウグスティヌスの思想をカルヴァンがどの程度受け継いでいるのか、ということです。そして、カルヴァンの信仰を受け継ぐ私たち改革派教会は、このアウグスティヌスの思想をどのように理解し、受けとるべきか、ということです。
そして、それは結局どのようなことになるかと言いますと、私たち改革派教会の立場は、アウグスティヌス的な意味での「禁欲主義」そのものであるのか、それとも、「禁欲主義」の反対に位置づけられる「快楽主義」の要素を受け入れることができるものなのかどうか、ということになってくるのです。
そして、この問題がより具体的な仕方で私たちに迫ってくるのは、ウェストミンスター小教理問答第1問の「人生の究極的な目的」としての「永遠に神を喜ぶこと」の解釈はどうなるのか、という問いが鋭く突きつけられるときです。「神だけを喜び、それ以外の何ものをも喜んではならない」と解釈しなければならないのでしょうか。いや、そうではない。もちろん「神」も喜ぶであろう。しかし、それと同時に、神と共に生きる私たちの「人生」そのものをも喜んでよい、と解釈してよいのでしょうか。
わたしは、この決して小さくない問題を解決するためのひとつの鍵が、今日開いていただきましたコヘレトの言葉の中にある、と考えています。
先ほど申し上げましたとおり、コヘレトは、明らかにいわゆる快楽主義者の系譜に属する人です。そして、いずれにせよ間違いなく言いうることは、このコヘレトの言葉もまた、聖書の中に収められている神の御言そのものである、ということです。この書物を聖書の中から外して考えることは、私たちに許されていないことです。
もちろん、アウグスティヌスの思想も大切です。しかし、私たちにとってはアウグスティヌス以上に聖書が大切です。そのため、私たちは、コヘレトの言葉の真理を真剣に受けとめなければならないのです。
しかし、これだけですべての問題が解決するわけではありません。コヘレトの言葉の解釈は、人によってまちまちだからです。この書物の冒頭の御言は、「コヘレトは言う。なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」です。なんという絶望的な言葉でしょうか!
ある解釈者は、コヘレトはいわゆる「人生の負け組」に属する人である、と見ています。すなわち、コヘレトは、人生に失敗し、孤独になり、自暴自棄になり、エゴイストになり、すべてを疑い、常に皮肉とため息を口にし、最後に頼れるものはこの世の物質的な快楽だけである、と言い出した人である。このような人は、敬虔な信仰者たちにとっては「反面教師」としての存在意義しかないのであって、このような根暗な皮肉屋の言葉をまともに聞いてはならないのだ、というふうに考える人もいるのです。皆さんは、どのように思われるでしょうか。
ここで皆さんにはコヘレトの言葉12・1を開いていただきたいと思います。ここには以下のように書かれています。
「青春の日々にこそお前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに、『年を重ねることに喜びはない』という年齢にならないうちに」。
ここでコヘレトが語っていることは、何でしょうか。若いうちに、青春時代に、神を信じることの大切さということでしょう。その根拠としてコヘレトが挙げている理由は、人間とは、年齢を重ねていくうちに自分の人生にだんだん喜びを感じられなくなってしまう存在なのだ、ということです。
なるほど、そのとおりであると感じます。わたしは今37才ですが、20才の頃と比べると明らかに、肉体の元気さが奪い去られていると実感します。全く同じではありえません。17年前との違いとして、たとえば、当時いなかった妻も子どもも今はいます。子どもは現在二人です。そのこと自体は幸せなことですが、家族と共に生きる生活には当然、苦労もあります。
実際問題として、私たち人間は、生きた年数だけ、心や体に受ける傷の数も増えていきます。なかには「名誉の傷」もあるかもしれませんが、その多くは、いや、そのほとんどは、受ける必然性がなかった傷であり、受けなかったほうがよかった傷であると思います。仕事上の責任が重くなればなるほど、争いの矢面に立つ回数が増えるほど、受ける傷の深さも比例するでしょう。このことも、本当にそのとおりなのです。
そんなふうにならない前に、です!
この人生そのものが単純に「楽しい」と感じることができるうちに、です!
私たちの心や体が「傷物」になり、絶望に打ちひしがれる前に、すなわち、心の底から人生を喜べるうちに神を信じなさいと、コヘレトは私たちに教えているのではないでしょうか。
これは人間の存在、もしくは人間の現実をとことんまで知りぬいた人の言葉です。コヘレトの言葉は、皮肉や投げやりな言葉ではなく、この地上の現実を知りぬいた人の語る「オトナの言葉」であると、思われてなりません。
わたしの結論は、どうか皆さんには、このコヘレトの言葉をそのままに受け入れていただきたい、ということです。この説教者は、間違ったことを言っていません。この世界の現実を、人生の真理を、本当のことを、ありのままに、あっけらかんと、ストレートに語っているだけです。
そして、現実は、コヘレトの語っているとおりです。私たちは、この人生を大いに楽しんでよいのです。それが私たちの「最大の幸福」なのです。私たちはこの世界を楽しむために創造されたのであり、そのような者として生まれてきたのであり、そのような者として現に存在しているのです。憂うつな人生は、神を信じて生きる者たちにふさわしくないのです。
改革派信仰は、このことを否定していません。私たちはアウグスティヌスの言葉よりも聖書の御言を重んじなければなりません。
私たちは「人間的な喜び」を、聖書によって肯定してもよいのです!
(2003年8月12日、東部中会連合青年会夏期修養会 早天礼拝説教)
「わたしは知った。人間にとって最も幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ、と。人だれもが飲み食いし、その労苦によって満足するのは神の賜物だ、と。青春の日々にこそお前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに、『年を重ねることに喜びはない』という年齢にならないうちに」。
このたびの修養会の主題は「ウェストミンスター信仰規準について」です。ウェストミンスター信仰規準は、私たち日本キリスト改革派教会の憲法であり、信仰規準です。この信仰規準の中のウェストミンスター小教理問答の第1問の答えを、皆さんはよくご存知であると思います。
「人生の究極的な目的は、神の栄光を表わし、永遠に神を喜ぶことです」。
これは解釈が難しい言葉です。「神を喜ぶ」とは何のことでしょうか。「神と共に生きるこのわたしの人生を喜ぶこと」であると理解してよいのでしょうか。私たちは、自分の「人生」を喜んでよいのでしょうか。それとも、喜んでよいのは「神」だけでしょうか。「人生」を喜んではならないのでしょうか。
今朝開いていただきました聖書の御言は、コヘレトの言葉3・12~13です。この書物は以前広く使われていた口語訳聖書では、「伝道の書」と呼ばれていました。「コヘレト」とはこの伝道者の名前です。この人は、神の御言を語る説教者なのです。 コヘレトは次のように語っています。
「わたしは知った。人間にとって最も幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ、と。人だれもが飲み食いし、その労苦によって満足するのは神の賜物だ、と」。
伝道者であり、説教者であるコヘレトが非常にストレートに語っていることは、私たち人間にとって最も幸福なことは、喜びの人生を送ることである、ということです。
この場合の「喜びの人生」の意味は何か。それは、すなわち、私たち人間が飲んだり食べたりすることそれ自体であり、また、その労苦によって満足することそれ自体である、というわけです。
しかも、この場合の「満足する」の意味は、そのような気持ちになるとか、そのような気分を味わう、というだけではありません。飲んだり食べたりするために労苦する、というわけですから、そのためにお金を稼ぐという行為それ自体も、当然含まれてくるわけです。心理的・精神的、そして宗教的・信仰的な「満足」というだけではなく、物質的・金銭的・実際的な意味での「満足」ということが、ここで語られていることは明らかです。
ですから、ごく分かりやすく言い切ってしまうなら、私たちが一生懸命仕事をして、お金を稼ぎ、おいしいものを飲んだり食べたりして満足する、というまさに人間の喜び、「人間的な喜び」ということが、ここで語られている、と読むことができます。それが人間にとっての「最大の幸福である」と語られているのです。このような思想を「快楽主義」と呼ばずして、他に何と呼ぶことができるのでしょうか。
しかし、どうでしょうか。一体私たちは、このコヘレトの言葉をどのように理解したらよいのでしょうか。改革派信仰は、このような言葉をそのまま受け入れることができるでしょうか。「人生の究極的な目的は、神の栄光を表わし、永遠に神を喜ぶことである」という信仰告白との関係は、どういうことになるのでしょうか。
実際、これは、私たちにとって深刻な問題になりうるものです。その事情は少し説明が必要であると思います。
とくにここで問題になるのは、歴史的改革派教会の創始者である16世紀の宗教改革者ジャン・カルヴァンがその書物の中でしばしば引用する西暦4世紀の西方教会の教父アウグスティヌスの神学思想です。
このアウグスティヌスは、「神を喜ぶこと」と「神以外のもの(物)を喜ぶこと」とを厳密に区別しました。そしてアウグスティヌスは、私たちキリスト者に許されているのは「神を喜ぶこと」だけであって、「神以外のもの(物)」、すなわち、この世界に属するもの(物)については「喜ぶこと」が許されていない。それらについてはただ「用いること」だけが許されているのだ、というふうに、この問題を定式化しました。
「用いる」とは、使用するということです。私たちの肉体もお金も財産も、この世界に属するすべてのものは、ただ使用すること、利用することができるだけであり、それらの物自体を喜んだり楽しんだりしてはならないのである、とアウグスティヌスは考え、主張したのです。
これは一種の「禁欲主義」の勧めです。もし私たちが「禁欲主義」の反対を「快楽主義」という言葉で呼ぶならば、アウグスティヌスは、この「快楽主義」を事実上禁止したのです。
これで少し、問題の所在が見えてきたのではないかと思います。このことが私たちにとって問題となるのは、このアウグスティヌスの思想をカルヴァンがどの程度受け継いでいるのか、ということです。そして、カルヴァンの信仰を受け継ぐ私たち改革派教会は、このアウグスティヌスの思想をどのように理解し、受けとるべきか、ということです。
そして、それは結局どのようなことになるかと言いますと、私たち改革派教会の立場は、アウグスティヌス的な意味での「禁欲主義」そのものであるのか、それとも、「禁欲主義」の反対に位置づけられる「快楽主義」の要素を受け入れることができるものなのかどうか、ということになってくるのです。
そして、この問題がより具体的な仕方で私たちに迫ってくるのは、ウェストミンスター小教理問答第1問の「人生の究極的な目的」としての「永遠に神を喜ぶこと」の解釈はどうなるのか、という問いが鋭く突きつけられるときです。「神だけを喜び、それ以外の何ものをも喜んではならない」と解釈しなければならないのでしょうか。いや、そうではない。もちろん「神」も喜ぶであろう。しかし、それと同時に、神と共に生きる私たちの「人生」そのものをも喜んでよい、と解釈してよいのでしょうか。
わたしは、この決して小さくない問題を解決するためのひとつの鍵が、今日開いていただきましたコヘレトの言葉の中にある、と考えています。
先ほど申し上げましたとおり、コヘレトは、明らかにいわゆる快楽主義者の系譜に属する人です。そして、いずれにせよ間違いなく言いうることは、このコヘレトの言葉もまた、聖書の中に収められている神の御言そのものである、ということです。この書物を聖書の中から外して考えることは、私たちに許されていないことです。
もちろん、アウグスティヌスの思想も大切です。しかし、私たちにとってはアウグスティヌス以上に聖書が大切です。そのため、私たちは、コヘレトの言葉の真理を真剣に受けとめなければならないのです。
しかし、これだけですべての問題が解決するわけではありません。コヘレトの言葉の解釈は、人によってまちまちだからです。この書物の冒頭の御言は、「コヘレトは言う。なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」です。なんという絶望的な言葉でしょうか!
ある解釈者は、コヘレトはいわゆる「人生の負け組」に属する人である、と見ています。すなわち、コヘレトは、人生に失敗し、孤独になり、自暴自棄になり、エゴイストになり、すべてを疑い、常に皮肉とため息を口にし、最後に頼れるものはこの世の物質的な快楽だけである、と言い出した人である。このような人は、敬虔な信仰者たちにとっては「反面教師」としての存在意義しかないのであって、このような根暗な皮肉屋の言葉をまともに聞いてはならないのだ、というふうに考える人もいるのです。皆さんは、どのように思われるでしょうか。
ここで皆さんにはコヘレトの言葉12・1を開いていただきたいと思います。ここには以下のように書かれています。
「青春の日々にこそお前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに、『年を重ねることに喜びはない』という年齢にならないうちに」。
ここでコヘレトが語っていることは、何でしょうか。若いうちに、青春時代に、神を信じることの大切さということでしょう。その根拠としてコヘレトが挙げている理由は、人間とは、年齢を重ねていくうちに自分の人生にだんだん喜びを感じられなくなってしまう存在なのだ、ということです。
なるほど、そのとおりであると感じます。わたしは今37才ですが、20才の頃と比べると明らかに、肉体の元気さが奪い去られていると実感します。全く同じではありえません。17年前との違いとして、たとえば、当時いなかった妻も子どもも今はいます。子どもは現在二人です。そのこと自体は幸せなことですが、家族と共に生きる生活には当然、苦労もあります。
実際問題として、私たち人間は、生きた年数だけ、心や体に受ける傷の数も増えていきます。なかには「名誉の傷」もあるかもしれませんが、その多くは、いや、そのほとんどは、受ける必然性がなかった傷であり、受けなかったほうがよかった傷であると思います。仕事上の責任が重くなればなるほど、争いの矢面に立つ回数が増えるほど、受ける傷の深さも比例するでしょう。このことも、本当にそのとおりなのです。
そんなふうにならない前に、です!
この人生そのものが単純に「楽しい」と感じることができるうちに、です!
私たちの心や体が「傷物」になり、絶望に打ちひしがれる前に、すなわち、心の底から人生を喜べるうちに神を信じなさいと、コヘレトは私たちに教えているのではないでしょうか。
これは人間の存在、もしくは人間の現実をとことんまで知りぬいた人の言葉です。コヘレトの言葉は、皮肉や投げやりな言葉ではなく、この地上の現実を知りぬいた人の語る「オトナの言葉」であると、思われてなりません。
わたしの結論は、どうか皆さんには、このコヘレトの言葉をそのままに受け入れていただきたい、ということです。この説教者は、間違ったことを言っていません。この世界の現実を、人生の真理を、本当のことを、ありのままに、あっけらかんと、ストレートに語っているだけです。
そして、現実は、コヘレトの語っているとおりです。私たちは、この人生を大いに楽しんでよいのです。それが私たちの「最大の幸福」なのです。私たちはこの世界を楽しむために創造されたのであり、そのような者として生まれてきたのであり、そのような者として現に存在しているのです。憂うつな人生は、神を信じて生きる者たちにふさわしくないのです。
改革派信仰は、このことを否定していません。私たちはアウグスティヌスの言葉よりも聖書の御言を重んじなければなりません。
私たちは「人間的な喜び」を、聖書によって肯定してもよいのです!
(2003年8月12日、東部中会連合青年会夏期修養会 早天礼拝説教)
2002年12月29日日曜日
あなたの涙がぬぐわれる日
ヨハネの黙示録21・1~4
「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった」(1節)。
この御言の中で聖書的・キリスト教的・改革派的に最も重要な意味を持っているのは「新しい地」という表現です。ヨハネが見た新しい世界には、「天」だけではなく「地」もあったのです!ここで「天国」という言葉を持ち出すなら、天国には地面があると、ヨハネは書いているのです。
私たちが「天国の人」と聞いて思い浮かべる内容はしばしば、地上から離れた場所、空中に浮き上がった場所に住んでいる人ではないでしょうか。ヨハネが見たものは、明らかに違います。たしかに、「最初の地は去って行った」と書かれていますが、「地」は去りっぱなしではありません。「新しい地」がもう一度、私たちのために取り戻されるのです。私たちキリスト者の希望は、現在においてだけではなく、将来においても、また永遠においても、地上に生き続けること、地に足をつけて生きることにあるのです。
神の国を意味する「新しいエルサレム」は、「神の許を離れ、天から降ってくる」とあります。そのとおり、まさに神の国は天におられる神の側に実現するのではなく、地上に生きる人間の側に実現するのです。
「神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり」とあります。この出来事が起こるのは、新しい地に打ち立てられる「新しいエルサレム」、つまり「神の国」においてです。神にお会いするために、宇宙ロケットは必要ありません。私たちが「上」に昇っていくのではなく、神が「下」に降りてきてくださるのです。
そして、そのとき神が「彼らの目の涙をことごとく拭いとってくださる」。いつ、どこで流した涙でしょうか?もちろんこの人生の中で私たちが幾度となく流し続けてきた涙です!厄介な問題、苦労、挫折。心も体もボロボロに傷つく中で、これまでに流してきたし、これからも流し続けるであろうこの涙です。
この涙を主なる神御自身がぬぐい去ってくださる日が訪れます。それは、すべての人に「死」と共に自動的に訪れるものではありません。神と共に生きる喜びは、神を信じる者たちの中でこそ実現するでしょう。その喜びは私たちにとっては現在においてすでに、いくらか体験済みのことなのです。
(2002年12月29日、松戸小金原教会)
「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった」(1節)。
この御言の中で聖書的・キリスト教的・改革派的に最も重要な意味を持っているのは「新しい地」という表現です。ヨハネが見た新しい世界には、「天」だけではなく「地」もあったのです!ここで「天国」という言葉を持ち出すなら、天国には地面があると、ヨハネは書いているのです。
私たちが「天国の人」と聞いて思い浮かべる内容はしばしば、地上から離れた場所、空中に浮き上がった場所に住んでいる人ではないでしょうか。ヨハネが見たものは、明らかに違います。たしかに、「最初の地は去って行った」と書かれていますが、「地」は去りっぱなしではありません。「新しい地」がもう一度、私たちのために取り戻されるのです。私たちキリスト者の希望は、現在においてだけではなく、将来においても、また永遠においても、地上に生き続けること、地に足をつけて生きることにあるのです。
神の国を意味する「新しいエルサレム」は、「神の許を離れ、天から降ってくる」とあります。そのとおり、まさに神の国は天におられる神の側に実現するのではなく、地上に生きる人間の側に実現するのです。
「神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり」とあります。この出来事が起こるのは、新しい地に打ち立てられる「新しいエルサレム」、つまり「神の国」においてです。神にお会いするために、宇宙ロケットは必要ありません。私たちが「上」に昇っていくのではなく、神が「下」に降りてきてくださるのです。
そして、そのとき神が「彼らの目の涙をことごとく拭いとってくださる」。いつ、どこで流した涙でしょうか?もちろんこの人生の中で私たちが幾度となく流し続けてきた涙です!厄介な問題、苦労、挫折。心も体もボロボロに傷つく中で、これまでに流してきたし、これからも流し続けるであろうこの涙です。
この涙を主なる神御自身がぬぐい去ってくださる日が訪れます。それは、すべての人に「死」と共に自動的に訪れるものではありません。神と共に生きる喜びは、神を信じる者たちの中でこそ実現するでしょう。その喜びは私たちにとっては現在においてすでに、いくらか体験済みのことなのです。
(2002年12月29日、松戸小金原教会)
2002年10月1日火曜日
今なぜファン・ルーラーか(2002年)
関口 康
1999年2月、私たちは「ファン・ルーラー研究会」というメーリングリストを結成しました[a]。その目的は、20世紀中葉のオランダで活躍した改革派神学者、アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー[1908-1970]の神学論文や説教など、さらにファン・ルーラーを主題に取り上げた博士論文などを日本語に翻訳して紹介することです。メーリングリストでは、現代の教会と神学に関する各種情報交換も行っています。
現在のメンバーは60名強。全くの超教派グループです。また未信者の大学院生も参加しています。また、ユトレヒト大学のF. G. イミンク教授と、米国ニュージャージー州ニューブランズウィック神学校のP. R. フリーズ教授のお二人には、時々、メールを通してご指導いただいています。フリーズ教授は、1979年ユトレヒトでファン・ルーラーとシュライエルマッハーについての博士論文を書かれた方です。
メンバー同士はふだん、メールだけでやりとりしていますが、2001年9月3日日本キリスト改革派園田教会(尼崎市)で、初の公開シンポジウムを開催し、25名の参加を得ました。本誌主筆の深井智朗牧師も、友情をこめて参加してくださいました。講演・発題は、牧田吉和(神戸改革派神学校校長)、田上雅徳(慶應義塾大学助教授)、清弘剛生(教団大阪のぞみ教会牧師)、関口の4名が担当{b]。その内容は、近く創刊を予定している研究誌『ファン・ルーラー研究』(仮称)を通して世に問いたいと願っています。
研究会の最終目標は、日本語版『ファン・ルーラー著作集』の出版です。
さてここで、私たちが取り組んでいる神学者の生涯を、A. ド・フロート著「A. A. ファン・ルーラー教授略伝」の記述を中心に、手短にご紹介いたします。
ファン・ルーラーがその生涯において活動の主な拠点にした場所は、5箇所です(アーペルドールン、フローニンゲン、クバート、ヒルファースム、ユトレヒト)。
生誕の地はアーペルドールン(1908年)。両親は国教会系のオランダ改革教会(Nederlandse Hervormde Kerk)における「体験主義」の伝統を受け継ぐ家系で、父親はパン配達車を運転する人でした。貧しい家庭で、長男アルベルトが幼い頃から頭脳明晰であると知った両親は、小学校以上の進学をやめさせるつもりだったとか。最初職業学校に入学しますが、牧師になりたいという夢を実現するために、ギムナジウムに転校します。
フローニンゲン大学神学部に入学(1927年)。そこで、オランダ最初のバルト主義者T. ハイチェマの影響下にカール・バルトの教義学を学びますが、やがてバルトの神学が「信頼しうる実体をわずかしか持たない、冷たいもの」と知り、バルト批判に転じます。W. アールダースの指導下に書かれた卒業論文はヘーゲル、キルケゴール、トレルチの「歴史哲学」に関するものです。
大学卒業後、クバートの改革教会の牧師としての活動を始めます(1933年)。この時代のファン・ルーラーを有名にしているのは、学界デビュー作となる『カイパーのキリスト教的文化の理念』です。オランダの最も有力な改革派神学者アブラハム・カイパーの『一般恩恵論』を激烈に批判するものです。
その後、ヒルファースムの改革教会に転任(1940年)。第二次大戦に巻き込まれ、ナチス・ドイツ占領下のオランダにおいて、「セオクラシー」の理念に基づく反ナチ闘争を展開。1946年『宗教と政治』にはその時代の論文が収められています。第二次大戦後、「プロテスタント同盟」という政党の幹部となり、1946年総選挙用の党綱領や緊急政策を起草するなど活躍しますが、下院に議席を獲得できず惨敗。それを機に、彼は現実政治の舞台から退きます。1947年ハイチェマの指導下に神学博士号請求論文『律法の成就』を書き上げ、「最優秀賞」(cum laude)を受賞します。
同年、ユトレヒト大学神学部からの招聘を受け、神学教授としての活動を開始します。初めは聖書神学、国内教会史、国内・外国宣教学を担当。G. ブロミリーの英訳で有名な『キリスト教会と旧約聖書』は、この時期の聖書神学講義の成果です。1952年以降は教義学、キリスト教倫理学、国内改革教会史、信条と典礼文書、教会規則などの講義を担当します。1956年頃ドイツ各地で講演会を行ったとき、当時ヴッパータール神学校講師であった若きR. ボーレンとJ. モルトマンとの出会いがあり、「バルト後」の現代神学者に甚大な影響を与えたことは、有名です。
牧師・神学者としてのファン・ルーラーは、人気が高いラジオ説教者としても頭角を現わします。彼が亡くなる日まで二週に一度、朝の礼拝番組で説教を担当。放送後出版される説教集は、多大な読者を得ています。ラジオ局の調べでは、彼の説教を楽しみにしていたリスナーは、1245万人以上[c]。昨年日本で出版された使徒信条講解(『キリスト者は何を信じているか――昨日・今日・明日の使徒信条――』近藤・相賀訳、教文館、2000年)もラジオから生まれたものです。
1970年ファン・ルーラーは、62才で夭折します。妻J. A. ファン・ルーラー・ハーメリンクは、第一巻のみ夫自身の手で出版された『神学著作集』の続刊(第二巻から第六巻まで)や遺構集の編集を担当。彼女は5人の子育ての傍ら、教会法研究で法学博士号を取得するなど、多彩な人でした。
こうした彼の生涯は、少なくとも現代神学に関心を持つ人々にとってじつに興味深いものに違いないと、私は確信しています。
さて、私の知るところによりますと、現在日本国内でも海外でも多くの人々がファン・ルーラーの神学に強い関心を抱いています。今なぜファン・ルーラーなのでしょうか。
この問いに対して私は、ごく個人的な感想を語ることができるだけです。
私の確信によりますと、ファン・ルーラーの神学が持つ魅力は、その中において、一方で伝統的かつ古典的な「改革派教義学」なる契機があり、他方で「現代社会の世俗化」への強い肯定的評価に基づく斬新かつ通俗的な(!)提言の契機があり、その両契機が緊密に結び合っている点にあります。後者の契機にこの神学者固有の「アンガージュマン」を見ている研究者(J. レベル)がいます。
実際、彼の書物を読み始めると、その至る所に、きわめて厳密な神学的根拠を伴うユーモアやギャグ(!)が見つかり、度肝を抜かれること、しばしばです。
しかし、それは実にさわやかであり、教会と世界を明るくする言葉です。「世間」や「人間」の営みを極端に低く評価する高慢さから、キリスト者を解放する言葉です。罪と悪に対する楽観主義的態度に少しも陥ることなしに、神の創造としての人間と世界を全面的に肯定し受容しつつ、喜びと勇気をもって人が生きるための道を教える言葉です。これこそがキリスト教というものであり、神学というものではないでしょうか。多くの人々が、ファン・ルーラーの神学において、「喜びの神学」を見出して、魅了されているのです。
(小論、『形成』第372号、日本基督教団滝野川教会椎の樹会「形成」委員会、2002年、15-16頁)
編注(関口康)
[a] 「ファン・ルーラー研究会」は、2014年10月27日に解散した。
[b] 肩書きはすべて2002年時点。
[c] この数字は訂正する必要がある。再調査中。
1999年2月、私たちは「ファン・ルーラー研究会」というメーリングリストを結成しました[a]。その目的は、20世紀中葉のオランダで活躍した改革派神学者、アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー[1908-1970]の神学論文や説教など、さらにファン・ルーラーを主題に取り上げた博士論文などを日本語に翻訳して紹介することです。メーリングリストでは、現代の教会と神学に関する各種情報交換も行っています。
現在のメンバーは60名強。全くの超教派グループです。また未信者の大学院生も参加しています。また、ユトレヒト大学のF. G. イミンク教授と、米国ニュージャージー州ニューブランズウィック神学校のP. R. フリーズ教授のお二人には、時々、メールを通してご指導いただいています。フリーズ教授は、1979年ユトレヒトでファン・ルーラーとシュライエルマッハーについての博士論文を書かれた方です。
メンバー同士はふだん、メールだけでやりとりしていますが、2001年9月3日日本キリスト改革派園田教会(尼崎市)で、初の公開シンポジウムを開催し、25名の参加を得ました。本誌主筆の深井智朗牧師も、友情をこめて参加してくださいました。講演・発題は、牧田吉和(神戸改革派神学校校長)、田上雅徳(慶應義塾大学助教授)、清弘剛生(教団大阪のぞみ教会牧師)、関口の4名が担当{b]。その内容は、近く創刊を予定している研究誌『ファン・ルーラー研究』(仮称)を通して世に問いたいと願っています。
研究会の最終目標は、日本語版『ファン・ルーラー著作集』の出版です。
さてここで、私たちが取り組んでいる神学者の生涯を、A. ド・フロート著「A. A. ファン・ルーラー教授略伝」の記述を中心に、手短にご紹介いたします。
ファン・ルーラーがその生涯において活動の主な拠点にした場所は、5箇所です(アーペルドールン、フローニンゲン、クバート、ヒルファースム、ユトレヒト)。
生誕の地はアーペルドールン(1908年)。両親は国教会系のオランダ改革教会(Nederlandse Hervormde Kerk)における「体験主義」の伝統を受け継ぐ家系で、父親はパン配達車を運転する人でした。貧しい家庭で、長男アルベルトが幼い頃から頭脳明晰であると知った両親は、小学校以上の進学をやめさせるつもりだったとか。最初職業学校に入学しますが、牧師になりたいという夢を実現するために、ギムナジウムに転校します。
フローニンゲン大学神学部に入学(1927年)。そこで、オランダ最初のバルト主義者T. ハイチェマの影響下にカール・バルトの教義学を学びますが、やがてバルトの神学が「信頼しうる実体をわずかしか持たない、冷たいもの」と知り、バルト批判に転じます。W. アールダースの指導下に書かれた卒業論文はヘーゲル、キルケゴール、トレルチの「歴史哲学」に関するものです。
大学卒業後、クバートの改革教会の牧師としての活動を始めます(1933年)。この時代のファン・ルーラーを有名にしているのは、学界デビュー作となる『カイパーのキリスト教的文化の理念』です。オランダの最も有力な改革派神学者アブラハム・カイパーの『一般恩恵論』を激烈に批判するものです。
その後、ヒルファースムの改革教会に転任(1940年)。第二次大戦に巻き込まれ、ナチス・ドイツ占領下のオランダにおいて、「セオクラシー」の理念に基づく反ナチ闘争を展開。1946年『宗教と政治』にはその時代の論文が収められています。第二次大戦後、「プロテスタント同盟」という政党の幹部となり、1946年総選挙用の党綱領や緊急政策を起草するなど活躍しますが、下院に議席を獲得できず惨敗。それを機に、彼は現実政治の舞台から退きます。1947年ハイチェマの指導下に神学博士号請求論文『律法の成就』を書き上げ、「最優秀賞」(cum laude)を受賞します。
同年、ユトレヒト大学神学部からの招聘を受け、神学教授としての活動を開始します。初めは聖書神学、国内教会史、国内・外国宣教学を担当。G. ブロミリーの英訳で有名な『キリスト教会と旧約聖書』は、この時期の聖書神学講義の成果です。1952年以降は教義学、キリスト教倫理学、国内改革教会史、信条と典礼文書、教会規則などの講義を担当します。1956年頃ドイツ各地で講演会を行ったとき、当時ヴッパータール神学校講師であった若きR. ボーレンとJ. モルトマンとの出会いがあり、「バルト後」の現代神学者に甚大な影響を与えたことは、有名です。
牧師・神学者としてのファン・ルーラーは、人気が高いラジオ説教者としても頭角を現わします。彼が亡くなる日まで二週に一度、朝の礼拝番組で説教を担当。放送後出版される説教集は、多大な読者を得ています。ラジオ局の調べでは、彼の説教を楽しみにしていたリスナーは、1245万人以上[c]。昨年日本で出版された使徒信条講解(『キリスト者は何を信じているか――昨日・今日・明日の使徒信条――』近藤・相賀訳、教文館、2000年)もラジオから生まれたものです。
1970年ファン・ルーラーは、62才で夭折します。妻J. A. ファン・ルーラー・ハーメリンクは、第一巻のみ夫自身の手で出版された『神学著作集』の続刊(第二巻から第六巻まで)や遺構集の編集を担当。彼女は5人の子育ての傍ら、教会法研究で法学博士号を取得するなど、多彩な人でした。
こうした彼の生涯は、少なくとも現代神学に関心を持つ人々にとってじつに興味深いものに違いないと、私は確信しています。
さて、私の知るところによりますと、現在日本国内でも海外でも多くの人々がファン・ルーラーの神学に強い関心を抱いています。今なぜファン・ルーラーなのでしょうか。
この問いに対して私は、ごく個人的な感想を語ることができるだけです。
私の確信によりますと、ファン・ルーラーの神学が持つ魅力は、その中において、一方で伝統的かつ古典的な「改革派教義学」なる契機があり、他方で「現代社会の世俗化」への強い肯定的評価に基づく斬新かつ通俗的な(!)提言の契機があり、その両契機が緊密に結び合っている点にあります。後者の契機にこの神学者固有の「アンガージュマン」を見ている研究者(J. レベル)がいます。
実際、彼の書物を読み始めると、その至る所に、きわめて厳密な神学的根拠を伴うユーモアやギャグ(!)が見つかり、度肝を抜かれること、しばしばです。
しかし、それは実にさわやかであり、教会と世界を明るくする言葉です。「世間」や「人間」の営みを極端に低く評価する高慢さから、キリスト者を解放する言葉です。罪と悪に対する楽観主義的態度に少しも陥ることなしに、神の創造としての人間と世界を全面的に肯定し受容しつつ、喜びと勇気をもって人が生きるための道を教える言葉です。これこそがキリスト教というものであり、神学というものではないでしょうか。多くの人々が、ファン・ルーラーの神学において、「喜びの神学」を見出して、魅了されているのです。
(小論、『形成』第372号、日本基督教団滝野川教会椎の樹会「形成」委員会、2002年、15-16頁)
編注(関口康)
[a] 「ファン・ルーラー研究会」は、2014年10月27日に解散した。
[b] 肩書きはすべて2002年時点。
[c] この数字は訂正する必要がある。再調査中。
2002年9月1日日曜日
オランダ改革派の伝統と日本の教会(2002年)
関口 康
季刊『教会』編集部からご依頼いただきました小論のテーマは、「オランダ改革派の伝統に関する事なら何でも」というものでした。「エッセイ風に書いてください」との指示をいただいています。
私は1990年3月に東京神学大学大学院修了、97年まで日本キリスト教団教師でしたが、97年から98年まで神戸改革派神学校在学、現在は日本キリスト改革派教会の教師です。
移動に際し、神戸滞在中の私に与えられたテーマが「オランダ改革派の伝統と日本の教会」というものでした。
神戸改革派神学校の図書館には、世界の改革派神学・教会に関する多くの文献が収められています。オランダ語文献も豊富です。
残念に思ったこともありました。改革派神学校の図書館の中でさえオランダ改革派の文献の多くが、ほこりをかぶったまま眠っているように見えたのです。
眠らせたままでよいのだろうかという疑問を持ちました。そしてやや不遜ながら、眠らせておく位なら、私が読ませていただこうと思い立ち、オランダ留学の経験者である牧田吉和教授の指導の下、A. ファン・ルーラー(1908-70年)から学びはじめました。
私が教団時代から感じていたことは、現在の日本の神学と教会は、「オランダ改革派の伝統」を余りにも無視しすぎではないかということでした。
もちろん「改革派」はオランダだけに固有なものではありません。しかし、(日本キリスト改革派教会を含む)とくに旧日本基督教会の伝統を受け継ぐ諸教会は、歴史的に見て明らかに、「オランダ改革派の伝統」に負うものを持っているのです。
例えば、日本史上初のプロテスタント教団の「日本基督公会」を創立し、かつ日本のキリスト教的教育機関の先駆けとなるブラウン塾を作ったS. R. ブラウンは「米国オランダ改革派教会」の宣教師ではなかったのでしょうか。「公会主義」を受け継ぐ日本キリスト教団の皆様は、根本においてすでに「オランダ改革派の伝統」を受け継いでいるのです。
あるいは、日本キリスト教団の内部でさえ、「カルヴァン主義か、アルミニウス主義か」という議論がなされていたことをなつかしく思い起こしますが、アルミニウス自身は「オランダ改革派」の神学者であり、論争の本質はきわめてオランダ的な文脈の中でのみ理解しうるものではないのでしょうか。
それにもかかわらず、ブラウン塾の伝統を受け継ぐ東京神学大学にさえオランダ語講座、オランダ語神学書原典講読などの時間が、全く無い。最近では近藤勝彦教授がこの方面の講義をしておられると伺っていますが、私の記憶するかぎり、少なくとも十数年前の東神大において、バルトとの関係でG. ベルカウワーの名前が僅かに紹介されること以外、オランダ改革派神学者の名前や著作が本格的に紹介されることは、ほとんどありませんでした。
もちろん個人で学んでいる方々は、少なからずおられるでしょう。しかし、大学という公的機関の営みにならないかぎり組織的・継続的動きになりにくいのではないでしょうか。
現に、日本のキリスト教書店の書棚に、現代のオランダ改革派神学者の書物は皆無に等しい。まるで現代のオランダには偉大な神学者が一人も居ないかのようです。しかしそれは事実に反することであり、私たちの多くが知らない(知らされていない)だけです。
試しに一度でも現代のオランダ改革派神学者たちの書物を開いていただけば、その豊かさや学問的厳密さ、敬虔さを実感していただけることでしょう。これらが日本語で紹介されるなら、日本のキリスト者は大きな恩恵を受け取ることができると私は確信しています。
もっとも、今の私が思い描いている「オランダ改革派の伝統」とは、神学とりわけ組織神学と実践神学の分野に限定されるものです。
例えばファン・ルーラーのことを考えています。彼はユトレヒト大学神学部の教授として、国教会系の改革教会(Hervormde Kerk)を代表する教義学者でした。
ファン・ルーラー以前の国教会系内の代表的神学者には、フローニンゲン大学のT. ハイチェマ教授や、生涯牧師として働いたO. ノールトマンスがいました。
またファン・ルーラーの同時代人にはレイデン大学のH. ベルコフ教授やフローニンゲン大学のA. レケルカーカー教授がいました。レケルカーカーには教義学や礼拝学に関する著書の他、オランダ聖書学が総力を結集した注解シリーズ『新約聖書の説教』(De prediking van het nieuwe testament)の中の「ローマ書」全二巻があります。
ところで現在国教会系に属する神学者で私が最も尊敬するのは、先年二度も来日されたユトレヒト大学神学部G. イミンク教授です。同教授は、実践神学部門におけるファン・ルーラーの神学的後継者です。教授からのメールによると、ユトレヒトの教義学者でファン・ルーラーを継承している人は残念ながら皆無であるとのことでした。
また19世紀中に国教会系から分離して創立された改革派教会(Gereformeerde Kerken)においてはA. カイパー、H. バーフィンク、G. ベルカウワーと続くアムステルダム自由大学の神学的伝統があります。
バーフィンクの金字塔である『改革派教義学』全四巻は、米国の改革派神学者らを中心に結成されている「オランダ改革派神学刊行会」(Dutch Reformed Translation Society)によって英訳されているところです。
しかし、この伝統は1960年代に大きな変革の時期があり、新しい歩みを始めています。現在のアムステルダムグループの実践神学者であるG. ヘイティンク教授によると、この変革の意義は「ファンダメンタリズムからの解放」にあったとのことです。同教授の『実践神学』(1993年)は近・現代の思想史を踏まえて書かれた好著です。
同じく国教会系に属していない教派としてキリスト改革派教会(Christelijke Gereformeerde Kerken)があります。同教派と日本キリスト改革派教会との間には正式な連絡関係があります。
彼らが経営するアーペルドールン改革派神学大学は、J. ファン・ヘンデレン、W. H. フェレーマといった教義学者、またカルヴァン学者として国際的に有名な教会史家ファン・トゥ・スペイカー教授らの名前で知られています。ファン・ヘンデレンとフェレーマ共著の『改革派教義学概論』(初版1992年)は英語圏やドイツ語圏の現代神学者の成果を豊かに踏まえて書かれた最新・最良の教義学教科書です。
最後に、前記二者と同じ非国教会系として最も新しい歴史を持つオランダ改革派教会・解放派(Gereformeerde Kerken in Nederlands Vrijgemaakt)があります。彼らと日本キリスト改革派教会との間にも連絡関係があります。邦訳書もある教義学者K. スキルダーのリーダーシップによって生み出された教派として知られています。
私の見方では、現時点においてオランダ改革派の諸伝統の特徴や相違点を説明する際に「より保守的」とか「より聖書的」といったたぐいの区分表示を持ち出すことは、全く無意味とは言いませんが、有効な説明になっていないと感じます。
それどころか、日本の教会的状況からすれば、ほとんど一つの伝統に見えるはずです。
今や彼らは、再一致・再合同に向かって産みの苦しみを味わっているのです。
(日本基督教団改革長老教会協議会『季刊 教会』第48号、2002年、掲載)
季刊『教会』編集部からご依頼いただきました小論のテーマは、「オランダ改革派の伝統に関する事なら何でも」というものでした。「エッセイ風に書いてください」との指示をいただいています。
私は1990年3月に東京神学大学大学院修了、97年まで日本キリスト教団教師でしたが、97年から98年まで神戸改革派神学校在学、現在は日本キリスト改革派教会の教師です。
移動に際し、神戸滞在中の私に与えられたテーマが「オランダ改革派の伝統と日本の教会」というものでした。
神戸改革派神学校の図書館には、世界の改革派神学・教会に関する多くの文献が収められています。オランダ語文献も豊富です。
残念に思ったこともありました。改革派神学校の図書館の中でさえオランダ改革派の文献の多くが、ほこりをかぶったまま眠っているように見えたのです。
眠らせたままでよいのだろうかという疑問を持ちました。そしてやや不遜ながら、眠らせておく位なら、私が読ませていただこうと思い立ち、オランダ留学の経験者である牧田吉和教授の指導の下、A. ファン・ルーラー(1908-70年)から学びはじめました。
私が教団時代から感じていたことは、現在の日本の神学と教会は、「オランダ改革派の伝統」を余りにも無視しすぎではないかということでした。
もちろん「改革派」はオランダだけに固有なものではありません。しかし、(日本キリスト改革派教会を含む)とくに旧日本基督教会の伝統を受け継ぐ諸教会は、歴史的に見て明らかに、「オランダ改革派の伝統」に負うものを持っているのです。
例えば、日本史上初のプロテスタント教団の「日本基督公会」を創立し、かつ日本のキリスト教的教育機関の先駆けとなるブラウン塾を作ったS. R. ブラウンは「米国オランダ改革派教会」の宣教師ではなかったのでしょうか。「公会主義」を受け継ぐ日本キリスト教団の皆様は、根本においてすでに「オランダ改革派の伝統」を受け継いでいるのです。
あるいは、日本キリスト教団の内部でさえ、「カルヴァン主義か、アルミニウス主義か」という議論がなされていたことをなつかしく思い起こしますが、アルミニウス自身は「オランダ改革派」の神学者であり、論争の本質はきわめてオランダ的な文脈の中でのみ理解しうるものではないのでしょうか。
それにもかかわらず、ブラウン塾の伝統を受け継ぐ東京神学大学にさえオランダ語講座、オランダ語神学書原典講読などの時間が、全く無い。最近では近藤勝彦教授がこの方面の講義をしておられると伺っていますが、私の記憶するかぎり、少なくとも十数年前の東神大において、バルトとの関係でG. ベルカウワーの名前が僅かに紹介されること以外、オランダ改革派神学者の名前や著作が本格的に紹介されることは、ほとんどありませんでした。
もちろん個人で学んでいる方々は、少なからずおられるでしょう。しかし、大学という公的機関の営みにならないかぎり組織的・継続的動きになりにくいのではないでしょうか。
現に、日本のキリスト教書店の書棚に、現代のオランダ改革派神学者の書物は皆無に等しい。まるで現代のオランダには偉大な神学者が一人も居ないかのようです。しかしそれは事実に反することであり、私たちの多くが知らない(知らされていない)だけです。
試しに一度でも現代のオランダ改革派神学者たちの書物を開いていただけば、その豊かさや学問的厳密さ、敬虔さを実感していただけることでしょう。これらが日本語で紹介されるなら、日本のキリスト者は大きな恩恵を受け取ることができると私は確信しています。
もっとも、今の私が思い描いている「オランダ改革派の伝統」とは、神学とりわけ組織神学と実践神学の分野に限定されるものです。
例えばファン・ルーラーのことを考えています。彼はユトレヒト大学神学部の教授として、国教会系の改革教会(Hervormde Kerk)を代表する教義学者でした。
ファン・ルーラー以前の国教会系内の代表的神学者には、フローニンゲン大学のT. ハイチェマ教授や、生涯牧師として働いたO. ノールトマンスがいました。
またファン・ルーラーの同時代人にはレイデン大学のH. ベルコフ教授やフローニンゲン大学のA. レケルカーカー教授がいました。レケルカーカーには教義学や礼拝学に関する著書の他、オランダ聖書学が総力を結集した注解シリーズ『新約聖書の説教』(De prediking van het nieuwe testament)の中の「ローマ書」全二巻があります。
ところで現在国教会系に属する神学者で私が最も尊敬するのは、先年二度も来日されたユトレヒト大学神学部G. イミンク教授です。同教授は、実践神学部門におけるファン・ルーラーの神学的後継者です。教授からのメールによると、ユトレヒトの教義学者でファン・ルーラーを継承している人は残念ながら皆無であるとのことでした。
また19世紀中に国教会系から分離して創立された改革派教会(Gereformeerde Kerken)においてはA. カイパー、H. バーフィンク、G. ベルカウワーと続くアムステルダム自由大学の神学的伝統があります。
バーフィンクの金字塔である『改革派教義学』全四巻は、米国の改革派神学者らを中心に結成されている「オランダ改革派神学刊行会」(Dutch Reformed Translation Society)によって英訳されているところです。
しかし、この伝統は1960年代に大きな変革の時期があり、新しい歩みを始めています。現在のアムステルダムグループの実践神学者であるG. ヘイティンク教授によると、この変革の意義は「ファンダメンタリズムからの解放」にあったとのことです。同教授の『実践神学』(1993年)は近・現代の思想史を踏まえて書かれた好著です。
同じく国教会系に属していない教派としてキリスト改革派教会(Christelijke Gereformeerde Kerken)があります。同教派と日本キリスト改革派教会との間には正式な連絡関係があります。
彼らが経営するアーペルドールン改革派神学大学は、J. ファン・ヘンデレン、W. H. フェレーマといった教義学者、またカルヴァン学者として国際的に有名な教会史家ファン・トゥ・スペイカー教授らの名前で知られています。ファン・ヘンデレンとフェレーマ共著の『改革派教義学概論』(初版1992年)は英語圏やドイツ語圏の現代神学者の成果を豊かに踏まえて書かれた最新・最良の教義学教科書です。
最後に、前記二者と同じ非国教会系として最も新しい歴史を持つオランダ改革派教会・解放派(Gereformeerde Kerken in Nederlands Vrijgemaakt)があります。彼らと日本キリスト改革派教会との間にも連絡関係があります。邦訳書もある教義学者K. スキルダーのリーダーシップによって生み出された教派として知られています。
私の見方では、現時点においてオランダ改革派の諸伝統の特徴や相違点を説明する際に「より保守的」とか「より聖書的」といったたぐいの区分表示を持ち出すことは、全く無意味とは言いませんが、有効な説明になっていないと感じます。
それどころか、日本の教会的状況からすれば、ほとんど一つの伝統に見えるはずです。
今や彼らは、再一致・再合同に向かって産みの苦しみを味わっているのです。
(日本基督教団改革長老教会協議会『季刊 教会』第48号、2002年、掲載)
2001年10月2日火曜日
歴史的改革派信仰に基づく文書活動をさらに活発に
たった三年前、前世紀末(一九九八年七月)に日本キリスト改革派教会東部中会に教師加入させていただいたばかりの新参者に「二一世紀の日本キリスト改革派教会の課題」について書くようお命じになる大会常任書記局の要請には、正直真意を図りかねるものがあります。
しかし、大会の教師試験を受けなかったため大会時報に一度も顔写真が掲載されたことがないわたしには、自己紹介のよき機会になるのではと、いくらか自己中心的な動機をいだきつつ、以下、一つの提案をさせていただきたく思います。
それは、改革派教会の教師方には、できるだけ多くの書物を公表していただき、世に問うべきだ、ということです。いきなり不遜なことを申し上げるのをご寛恕いただけますと幸いです。
わたしは一九六五年一一月日本キリスト教団の信徒の家庭に生まれ、一九九〇年四月に教団の教師となり、一九九七年一月に神戸改革派神学校の聴講生になるまでの三一年余、改革派教会の活動に直接参加する機会はありませんでした。
そのわたしが教団を離脱し、改革派教会の歩みに加えていただくことを決心するに至った発端は、わたしが働きの場をえていた高知県の教会における上司(主任牧師)のご夫人が岡田稔先生のご長女であられ、その方が「父が書いた本です」と言われながらプレゼントしてくださった『改革派教理学教本』を読んだことでした。
素晴らしい本である、と思いました。東京神学大学で学んでいた間は、どの教授から紹介されたこともなく、おそらく今日ではほとんど無視されている書物です。しかし、わたしは、東神大や教団内で教えているどの教師が書いたものよりも、岡田先生の書物に感銘を受けました。
そして願わくは、この書物に表現されているようなすぐれたキリスト教信仰を公に告白している教会のなかで働かせていただきたいと祈り求めるようになりました。
そして、それ以来わたしは、「日本キリスト改革派教会」に関係する文書なら何であれ、キリスト教書店で、教会や神学校の本棚で、さらに極秘ルート(?)を通じて入手し、むさぼり読み、学びました。
神学や教理や宣言や教会規定に関する書物だけではなく、大・中会の議事録さえ入手し、行事や人事などの動向に至るまで関心を持ち、情報収集をしていました。
そしてすべての面において、改革派教会の皆様が語られる言葉、また諸問題への対応や判断は全く正当であり、すぐれていると感銘を受けました。
ですから、当時のわたしにとっては、吉岡先生も矢内先生も榊原先生も安田先生も石丸先生も小野先生も牧田先生も、その他の教師や信徒の方々(名前を挙げることができないのが残念です)も、みんな書物の中の登場人物であったわけで、今日いろいろな面で親しくしていただいていることを、夢の中にいるとさえ感じています。
ごく最近風の便りに聞き、不愉快に感じていることは、教団時代の友人たちの中に「関口は教団内のゴタゴタに絶望して飛び出した」というデマが流れているらしいことです。これは事実に反します。そんなつまらない理由に自分や妻子の生活をかけることなど、できるはずがないではありませんか。
理由はもっと前向きで積極的なものでした。書物を通して知る改革派教会の歩みがあまりにも輝いて見えたこと。今行動しなければ一生後悔するだろうと感じたこと。これ以外の理由はありません。
自分の話が長くなりすぎました。わたしの申し上げたいことは、ごく単純なことです。要するに、書かれた文章がもつ力に信頼をおくことの大切さ、ということです。
少なくともわたしは、改革派の皆様が書かれた文章によって、いわば「第二の回心」を経験し、心奮い立たされ、もう一度やれと言われたらおそらくできないであろうほどの(わたしにとっては)大きな行動をとることができました。
もちろん、この小さな者の行動が皆様にとって何の意味があろうかと自問するなら、言葉を失います。しかし、わたしも家族も、自分のしたことに後悔はありませんし、改革派教会の皆様に心から感謝しております。
そして、これから書くことは、皆様に向かって最も強く申し上げたいことです。
まさに今、日本の中に、信仰の確信も喜びも失ったまま漂っている「キリスト者」が大勢いる、ということを、皆様の視野の中から見失わないでいただきたいのです。端的に申せば、他教派の動向に不断の関心を持っていただき、そして、その人々を「愛して」いただきたいのです。
しかし、そういう人々でも、自分が属する教会を持っている限り、いろんな教会を渡り歩いて見聞を深めてみましょうとか、改革派教会のほうもちょっと覗いてみようかなというようなことは、いくらなんでも、そう簡単にはできないわけです。
けれども、書物は別です。どんな立場の人であろうとも、その意思さえあれば、いつでもどこでも読むことができます。そして、書物は、人を本当に現実に動かしていく力を持っているのです。
内容は、神学でも教理でも説教でも証しでもよいです。真理と喜びに満ちた歴史的改革派信仰に根ざした書物がたくさん現われることを渇望している人々が、皆様の文章をいっしょうけんめい読むでしょう。読者は改革派教会の外側にも大勢いる、ということを覚えていただきたく願っております。
大会の機構改革についての提案の意図に、忙しすぎる牧師に対する警鐘が含まれているならば、「牧師が書物をかく時間」をうみだしていただく方向で検討されることを期待しております。
(2001年、日本キリスト改革派教会大会書記局発行『大会時報』掲載)
しかし、大会の教師試験を受けなかったため大会時報に一度も顔写真が掲載されたことがないわたしには、自己紹介のよき機会になるのではと、いくらか自己中心的な動機をいだきつつ、以下、一つの提案をさせていただきたく思います。
それは、改革派教会の教師方には、できるだけ多くの書物を公表していただき、世に問うべきだ、ということです。いきなり不遜なことを申し上げるのをご寛恕いただけますと幸いです。
わたしは一九六五年一一月日本キリスト教団の信徒の家庭に生まれ、一九九〇年四月に教団の教師となり、一九九七年一月に神戸改革派神学校の聴講生になるまでの三一年余、改革派教会の活動に直接参加する機会はありませんでした。
そのわたしが教団を離脱し、改革派教会の歩みに加えていただくことを決心するに至った発端は、わたしが働きの場をえていた高知県の教会における上司(主任牧師)のご夫人が岡田稔先生のご長女であられ、その方が「父が書いた本です」と言われながらプレゼントしてくださった『改革派教理学教本』を読んだことでした。
素晴らしい本である、と思いました。東京神学大学で学んでいた間は、どの教授から紹介されたこともなく、おそらく今日ではほとんど無視されている書物です。しかし、わたしは、東神大や教団内で教えているどの教師が書いたものよりも、岡田先生の書物に感銘を受けました。
そして願わくは、この書物に表現されているようなすぐれたキリスト教信仰を公に告白している教会のなかで働かせていただきたいと祈り求めるようになりました。
そして、それ以来わたしは、「日本キリスト改革派教会」に関係する文書なら何であれ、キリスト教書店で、教会や神学校の本棚で、さらに極秘ルート(?)を通じて入手し、むさぼり読み、学びました。
神学や教理や宣言や教会規定に関する書物だけではなく、大・中会の議事録さえ入手し、行事や人事などの動向に至るまで関心を持ち、情報収集をしていました。
そしてすべての面において、改革派教会の皆様が語られる言葉、また諸問題への対応や判断は全く正当であり、すぐれていると感銘を受けました。
ですから、当時のわたしにとっては、吉岡先生も矢内先生も榊原先生も安田先生も石丸先生も小野先生も牧田先生も、その他の教師や信徒の方々(名前を挙げることができないのが残念です)も、みんな書物の中の登場人物であったわけで、今日いろいろな面で親しくしていただいていることを、夢の中にいるとさえ感じています。
ごく最近風の便りに聞き、不愉快に感じていることは、教団時代の友人たちの中に「関口は教団内のゴタゴタに絶望して飛び出した」というデマが流れているらしいことです。これは事実に反します。そんなつまらない理由に自分や妻子の生活をかけることなど、できるはずがないではありませんか。
理由はもっと前向きで積極的なものでした。書物を通して知る改革派教会の歩みがあまりにも輝いて見えたこと。今行動しなければ一生後悔するだろうと感じたこと。これ以外の理由はありません。
自分の話が長くなりすぎました。わたしの申し上げたいことは、ごく単純なことです。要するに、書かれた文章がもつ力に信頼をおくことの大切さ、ということです。
少なくともわたしは、改革派の皆様が書かれた文章によって、いわば「第二の回心」を経験し、心奮い立たされ、もう一度やれと言われたらおそらくできないであろうほどの(わたしにとっては)大きな行動をとることができました。
もちろん、この小さな者の行動が皆様にとって何の意味があろうかと自問するなら、言葉を失います。しかし、わたしも家族も、自分のしたことに後悔はありませんし、改革派教会の皆様に心から感謝しております。
そして、これから書くことは、皆様に向かって最も強く申し上げたいことです。
まさに今、日本の中に、信仰の確信も喜びも失ったまま漂っている「キリスト者」が大勢いる、ということを、皆様の視野の中から見失わないでいただきたいのです。端的に申せば、他教派の動向に不断の関心を持っていただき、そして、その人々を「愛して」いただきたいのです。
しかし、そういう人々でも、自分が属する教会を持っている限り、いろんな教会を渡り歩いて見聞を深めてみましょうとか、改革派教会のほうもちょっと覗いてみようかなというようなことは、いくらなんでも、そう簡単にはできないわけです。
けれども、書物は別です。どんな立場の人であろうとも、その意思さえあれば、いつでもどこでも読むことができます。そして、書物は、人を本当に現実に動かしていく力を持っているのです。
内容は、神学でも教理でも説教でも証しでもよいです。真理と喜びに満ちた歴史的改革派信仰に根ざした書物がたくさん現われることを渇望している人々が、皆様の文章をいっしょうけんめい読むでしょう。読者は改革派教会の外側にも大勢いる、ということを覚えていただきたく願っております。
大会の機構改革についての提案の意図に、忙しすぎる牧師に対する警鐘が含まれているならば、「牧師が書物をかく時間」をうみだしていただく方向で検討されることを期待しております。
(2001年、日本キリスト改革派教会大会書記局発行『大会時報』掲載)
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