2021年12月24日金曜日

クリスマスの平和(2021年12月24日 イブ礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

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ルカによる福音書2章1~7節

関口 康

「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」

クリスマスおめでとうございます。クリスマスイブ音楽礼拝にお集まりいただき、ありがとうございます。

昨年は行うことができませんでした。今年はこんなに大勢の方々がご出席くださり、本当にうれしく思います。

私は今年、昭島教会の牧師をしながら、3つの学校で聖書を教えています。どうもその悪影響が出ているようです。教会の方から「最近の関口先生の説教は聖書の知識についての話ばかりで、まるで学校の先生のようです」というご指摘がありました。学校に染まりすぎかもしれません。

しかし、今日もお許しください。今日の箇所に登場する「皇帝アウグストゥス」とは何者なのかの説明から話を始めます。歴史的な説明を避けることができません。

ジュリアス・シーザーの名前は、ご存じでしょうか。シェークスピアの劇で、暗殺されるとき「ブルータス、お前もか」と叫ぶ人。あのシーザー(ユリウス・カエサル)の後継者がアウグストゥスです。

シーザーまでのローマは共和制でした。まだ比較的みんなで相談して決める政治の形が残っていました。しかしシーザーが独裁者になって暴走しはじめたので、それを食い止めるためにブルータスたちによって暗殺されました。それは悲劇でした。

しかし、そのシーザーの後継者がアウグストゥスです。アウグストゥスはシーザー以上の独裁者になりました。地中海沿岸のほとんどの地域を強大な軍事力で制圧し、支配しました。

ところが、その独裁者とは真逆の姿で真の救い主がお生まれになったというのが、今夜の箇所の主旨です。「皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た」(1節)のは、ローマ帝国に税金を納める人の人数を調べるためです。

それでやむをえず、イエスさまがお腹にいる母マリアと夫ヨセフが、その住民登録のために遠くまで旅をしなければなりませんでした。強いられた感、やらされている感の中で、ひきずりまわされ、ひどく辛い目に遭わされました。

しかし、同じ目的で移動中の宿泊者が多く、宿屋に空き部屋が無かったので、なんと惨めなことに、家畜小屋で出産となり、なんと見すぼらしい飼い葉桶の中に生まれたばかりのイエスさまを寝かさざるをえなかった、という話です。

しかし、今日お話ししたいのはもう少し先のことです。実は今夜開いているルカによる福音書と、もうひとつ新約聖書の使徒言行録という書物は、同じ著者が書いたものです。そして、使徒言行録の最後に書かれているのは、使徒パウロがローマ帝国の首都ローマにたどり着き…イエス・キリストについて教え続けた(使徒言行録28章31節)事実です。

つまり、ルカによる福音書と使徒言行録の2冊の書物を書いた人は、イエスさまがお生まれになった時代のローマのひどい独裁者のせいでイエスさまも含めた多くの人々がひどい目にあった事実から書きはじめて、使徒パウロがローマでイエス・キリストの福音を宣べ伝えはじめるまでのすべてを関連付けて考えたうえで、今日の箇所の出来事についても書いていると言えます。

これで私が何を言いたいか。今夜はクリスマスイブです。クリスマスにおいてわたしたちが、イエスさまがお生まれになったことをお祝いするのも大事です。しかし、「イエスさまがお生まれになった」で話が終わらないことが大事です。

真の救い主としてイエスさまがお生まれになったことを信じて受け入れ、イエスさまの教えと生きざまに倣って生きて来た「教会」が世界中に生まれたことこそが、イエスさまの存在に匹敵するほど大事である、ということです。

クリスマスが12月25日であるのは、イエスさまが「12月25日生まれ」であるということではありません。詳しい説明はやめますが、今から1600年ほど前に、イエスさまのお誕生をお祝いする日を「12月25日」にしましょうと決めただけです。そしてそれ以来、毎年教会でクリスマスが祝われるようになりました。それをしたのは「教会」です。

今日お話ししたいのは「教会なしにクリスマスはない」(No Church No Christmas)ということです。今では世界中でクリスマスが祝われています。しかし「教会のことが忘れられていませんか」と思うことが多いです。

「教会、教会」としつこく言いますと、クリスマスイブ音楽礼拝の楽しい時間を台無しにしてしまいますので、これでやめます。

しかし、「教会」を忘れないでいただきたいです。もし可能でしたら、日曜日に教会に通ってください。昭島教会が遠い方は近所の教会に通ってください。ぜひよろしくお願いいたします。

(2021年12月24日、クリスマスイブ音楽礼拝)


2021年12月19日日曜日

キリストの降誕(2021年12月19日 クリスマス礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
クリスマス讃美歌メドレー 奏楽・長井志保乃さん 字幕:富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きいただけます

週報(第3599号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

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「キリストの降誕」

ルカによる福音書2章8~20節

関口 康

「天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

クリスマスおめでとうございます。

昭島教会の2021年度のクリスマス礼拝です。クリスマスは世界の大多数の教会で12月25日がそれだとされています。そして12月25日に近い日曜日にクリスマス礼拝をするのが日本の多くの教会が採っている形です。

「大多数が」と言いましたのは例外があるからです。今はインターネットで何でもすぐ調べることができます。アルメニアという国では、1月6日がクリスマスだそうです。クリスマス礼拝を日曜日にすることも、教会によって考え方が違うので、例外なく、おしなべて、世界共通の、という言い方をしないほうがよいです。

昭島教会のことを申し上げます。11月7日に「昭島教会創立69周年記念礼拝」を行いました。つまり、今日は昭島教会の「第69回」クリスマス礼拝です。来年は「第70回」です。

今日の週報の通し番号が「第3599号」です。この番号は昭島教会の聖日礼拝の回数を表しています。今日は昭島教会の3599回目の礼拝であり、来週は3600回目の礼拝です。「3600」を一年の日曜日の回数の「52」で割ると「69.2307…」です。

その間、石川献之助先生が今日に至るまで昭島教会の牧師を続けてこられたことは、みなさんのほうがご存じです。しかし、牧師がひとりでいることが礼拝ではないし、教会でもありません。教会のみなさんが教会であり、みんなで集まることが礼拝です。来週3600回目の聖日礼拝を行う昭島教会の69年の歩みの中で、牧師以外だれもいない礼拝が行われたことはないことを意味していると思います。これは本当に素晴らしいことです。

昭島教会の話をしているのに私の話をするのは場違いですが、来週12月26日の日曜日が私の受洗記念日です。ちょうど50年前の1971年12月26日も日曜日だったのですが、日本キリスト教団岡山聖心教会のクリスマス礼拝の中で私の洗礼式が行われました。

50年前は私は小学校に入学する前で、岡山聖心教会の附属幼稚園の年長組に属する6歳だったのですが、はっきり言わせていただきたいのですが、だれから勧められたわけでもなく、明確な自分の意志で「洗礼を受けたい」と志願して、洗礼を授けていただきました。

その日から来週で50年です。自分で志願しましたので、責任があります。50年、風邪を引いたとき以外は聖日礼拝を休んだことがありません。1年52回の日曜日を50年で掛けると2600回の礼拝です。昭島教会より1000回足りませんが、今年56歳の私が50年、礼拝に通ってきました。

いばっているのではなく、教会とはそういうものだと申し上げたいのです。1回1回の礼拝は地味な営みです。私は50年、昭島教会は70年、石川先生は94年、続けてきたその中で得られるものがあったかもしれない、なかったかもしれないという程度です。「なかったかもしれない」は余計ですが、自分では分からないという意味です。子どものころ、自分の身長が伸びたことを、周囲の人から「大きくなった」と言われて初めて自覚するのに似ています。

今日の聖書の箇所とは関係ない話をしているつもりはありません。先週イザヤ書40章についてお話ししたこととも関係あります。イザヤ書40章は紀元前6世紀にユダヤ人の国が新バビロニア帝国によって滅ぼされ、3千人とも1万人とも言われるユダヤ人がバビロニアの首都バビロンに連行された「バビロン捕囚」という歴史的事件と関係あると申し上げました。イザヤ書40章には、約70年の捕囚から解放されたユダヤ人がパレスチナに帰還する状況が描かれています。

ユダヤ人たちがパレスチナに戻れたのは、彼らを支配していたバビロニアをペルシアが倒したからですが、彼らが独立したわけでなくペルシアの支配下に移されただけです。その後ペルシアをギリシアのアレクサンダーが滅ぼし、ギリシアからシリアがパレスチナを奪い、さらにシリアからローマへとパレスチナの支配権が移っていきます。

イエス・キリストがお生まれになったのは、ユダヤ人がローマ帝国に支配されていた頃です。「バビロン捕囚」言い換えれば「敗戦と国家滅亡」から数えて500年の時間が経過しています。ユダヤ人の願いは、もう一度自分たちの独立国家を立て直すことでした。彼らが待ち望んでいた「救い主」は、自分たちの国を取り戻してくれる強い政治的指導者でした。

しかし、大切なことは、ユダヤ人の願いが叶うかどうかではなく、神が何を願っておられるかです。神の御心は何かです。ベツレヘムの羊飼いたちに天使が告げた神の御心は「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるだろう。これがあなたがたへのしるしである」(11~12節)というものでした。

この意味は、「ダビデの町で生まれる救い主」は、小さく弱く貧しく目立たない姿でお生まれになった、ということです。強力な政治的指導者になって強大な権力と軍事力を手に入れてローマ帝国だろうとどこだろうと戦争を仕掛けて勝利して、国土を取り戻し、500年前に失った自分たちの独立国家を立て直す、そのような存在が生まれることが神の御心ではない、ということです。

そうではなく、小さく弱く貧しく目立たない、社会の中で無きものと同然の扱いを受けているような人々と共に生き、助け、慰めてくださる存在。その方こそ「救い主」であり、そのような方がお生まれになったことこそが、神の御心である、ということです。

なぜこの話と、昭島教会の話や、私の話が関係あるか。教会の歩み、クリスチャンの歩みは、イエスさまがそうであると言われているように、布にくるまれて飼い葉桶の中に寝かされるような小さく弱く貧しく目立たない存在であるし、そうであってよいのです。

礼拝を何千回続けようと、社会に影響があるわけでなし、有名人になれるわけでなし、どこにメリットがあるか分からないと言われれば、そのとおりです。しかし、イエスさまがそういう方だったのですから、わたしたちの心がくじけたり、折れたりすることはありません。

地味で地道な歩みのほうが長続きします。若者のために、教会の活性化のために、というような理由で大騒ぎしたり興奮したりする要素が礼拝に求められることがありますが、息切れします。

ベツレヘムの羊飼いたちが、イエスさまを囲んでささげた最初のクリスマス礼拝は動物たちの鳴き声が聞こえていただけです。この教会の牧師館で初めて朝を迎えたとき、幼稚園のにわとりがコケコッコと鳴いて私を起こしてくれたことを思い出します。のんびりした心地よい朝でした。

わたしたちの教会は、それでよいのです。小さく弱く貧しく目立たない存在であり続けてよいのです。これからも地味で地道な礼拝を重ねて行こうではありませんか。そのような礼拝こそが、わたしたちの人生をしっかり支える力になります。

(2021年12月19日 クリスマス礼拝)


2021年12月12日日曜日

主の道を備える(2021年12月12日 待降節礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

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「主の道を備える」

イザヤ書40章1~11節

関口 康

「呼びかける声がある。主のために荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために荒れ野に広い道を通せ。」

今日の聖書の箇所は旧約聖書のイザヤ書40章です。イザヤ書についてはだいたい定説になっている読み方があることを確認する必要があります。それはイザヤ書の1章から39章までを書いた預言者イザヤと、40章以下を書いた預言者とは、別の時代の別の人であるということです。

なぜそのように言えるか。1章から39章までを書いた預言者イザヤは、この人が紀元前8世紀の南ユダ王国のウジヤ王の顧問官だったことが分かる内容が記されています。それに対し、40章以下に描かれているのは紀元前6世紀の出来事です。特に44章28節に出てくる「キュロス」という名前の人物は、紀元前6世紀のペルシアの王です。

そのため、紀元前8世紀の「本来の」イザヤが2世紀も隔たりがある紀元前6世紀のペルシアの王の名前を知っていたはずがないという推論が働き、要するに40章以下は紀元前6世紀の人が書いたとしか言いようがないという結論になったという次第です。イザヤ書40章以下を、39章までの預言者と区別するための学説上の名称は「第二イザヤ」と言います。

さらにもう少し言えば、「第二イザヤ」の範囲は40章から始まってイザヤ書の最後まで、ではなく、「第二イザヤ」の終わりは55章までで、56章から66章まではさらに別の預言者が書いたものだと言われます。その部分の著者を、学説上の名称で「第三イザヤ」と言います。

「第三イザヤ」の時代は「第二イザヤ」と同じ紀元前6世紀です。しかし、「第二イザヤ」との違いは思想や用語が違うと言われます。ヘブライ語の聖書を読むことができる学者がイザヤ書を読むと、55章から56章に移るところでがらっと文体や語調が変わる様子が分かるそうです。

しかし、このような、同じ「イザヤ書」の中に異なる時代の別の預言者の言葉が含まれているという学説は、それが定説として受け入れられるまでにしばらくの年月がかかったと思われます。もっとも私は、この学説が教会に受容された詳しい消息を知っているわけではありません。

しかし、このような聖書に関する、聖書に直接書いてあるわけでない学説上の知識の話を教会の中でするだけで嫌悪感や拒絶反応を表明されることがあるので要注意だと思っています。私も、自分が知っていることのひけらかしをしたいわけではありません。聖書という書物を歴史的背景や文脈を無視して、まるで占いの本であるかのように読んではいけないと思うだけです。

かろうじて21世紀まで生きた私たちです。しかし、2世紀後の23世紀の世界がどうなるかを知ることは不可能です。そのとき世界はどうなるかについて勝手なことを言うのは、ある意味で簡単です。しかし、23世紀にもなお日本という国があるとして、そのときもまだ天皇や総理大臣などの制度が仮に存続しているとして、その人たちの名前を今のわたしたちが言い当てることは不可能です。それとイザヤ書の時代的区分の話は同じだと思っていただきたいです。

イザヤ書40章からの「第二イザヤ」は紀元前6世紀の人です。紀元前11世紀に成立したイスラエル王国が初代サウル王時代、二代目ダビデ王時代、三代目ソロモン王時代を経て、ソロモンの子どもたちが王位継承権を争い、北と南の2つの国へと分裂しました。それが前10世紀です。

その後、北王国は紀元前8世紀にアッシリア帝国によって滅ぼされ、南王国は紀元前6世紀に新バビロニア帝国によって滅ぼされます。

特に、南王国が新バビロニア帝国によって滅ぼされたときは、南王国の指導者層の人々(その人数は3千人とも1万人とも言われる)と、両眼をつぶされ、青銅の足かせをかけられた南王国最後の王ゼデキヤとが新バビロニア帝国の首都バビロンに連行され、そこで約70年とらえられた状態にありました。それを「バビロン捕囚」と言います。

その後、新バビロニア帝国はペルシア帝国によって滅ぼされ、ペルシアの王キュロスはユダヤ人をバビロンにとらえたままにする必要がないと判断し、ユダヤ人をパレスチナに返しました。それで、バビロンから解放されたユダヤ人たちは、祖国の首都エルサレムに戻り、新バビロニア帝国によってめちゃくちゃに破壊された町や神殿を、時間をかけて再建しました。

今日開いたイザヤ書40章以下の「第二イザヤ」は、キュロスによってバビロンからユダヤ人が解放され、祖国再建の夢を抱いてパレスチナに帰還したその出来事をまさに描いています。これは紀元前6世紀の出来事なので、紀元前8世紀の本来のイザヤがそれを知りえたはずがない、というのが今日の最初に説明したことです。

私は聖書の講義をしているわけではありません。聖書の言葉を歴史的な文脈を無視して読んで、その中の印象的な言葉を書にして、額縁に入れて飾るだけでは何の意味もないと思っているだけです。それだけであれば、聖書はただのファッションです。聖書の言葉は自分を心地よい気持ちにしてくれるだけのアクセサリーではありません。

しかも、今日の箇所を含むイザヤ書40章以下の「第二イザヤ」が描いている状況は、ユダヤ人たちがバビロン捕囚から解放されてエルサレムに戻って祖国を再建する夢と希望を抱く場面です。「バビロン捕囚、バビロン捕囚」と言いますが、それは要するに戦争とその結果です。自分の国が負けて敵国の支配下に置かれ、自分たちの思い通りにならなくなることです。

高齢者になって、若いころにはできたことができなくなって、若い人たちに支配された状態に置かれることも、ある意味で似ているかもしれません。自由でない状態に我慢ができなくなって爆発的に騒ぐ人たちがいますが、それも似ています。戦争に負けて自分たちの自由を奪われた人たちの希望と目標は、自分たちの思いどおりにできるようになることでしょう。彼らにとってはそれが「バビロン捕囚からの解放」の意味です。

このイザヤ書40章以下の言葉と、ユダヤ人のバビロン捕囚からの解放の出来事が、新約聖書のマタイによる福音書に直接影響を与えていることは明白です。マタイ1章1節以下の「イエス・キリストの系図」の最後に「アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまで14代」(17節)と書かれているのは、マタイによる福音書がキリストを「バビロン捕囚からの真の解放者」だと考えているからだと私は考えます。

しかし、イエス・キリストはユダヤ人を政治的に解放して新しい国を作るために来られたわけではないというのがマタイによる福音書を含む新約聖書の教えであり、わたしたちキリスト教会の信仰です。「バビロン捕囚」は「敗戦」という言葉に置き換えることができます。敗戦を実際に体験した世代の方々には「敗戦」と言うほうがピンと来るかもしれません。

戦争に負けた敗戦国がめざすことは、敵国への復讐を果たして戦争以前の国を取り戻すことではなく、人と人が争い合うこと自体をやめ、真の平和の実現のために人間の心の問題に取り組み、神による魂の救いを体験することです。イエス・キリストが来てくださったのは、そのためです。

(2021年12月12日 待降節礼拝)

2021年12月5日日曜日

受胎告知(2021年12月5日 待降節礼拝)

日本キリスト教団昭島教会〔東京都昭島市中神町1232-13)

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「受胎告知」

ルカによる福音書1章26~38節

関口 康

「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』そこで、天使は去って行った。」

今日から、礼拝の司会を牧師が行う緊急事態方式を終了し、本来の方式に戻します。現時点では日本国内は爆発的感染と言えるような状況にないからです。またどうなるか分からないというのが正直な気持ちであり、みなさんも同じお気持ちでしょう。しかし、それでも「できることをできるうちにする」という姿勢が大事です。

礼拝の司会の件は、それをだれがすべきかという議論が目的ではなく、礼拝当番表を作成するのを中止することが目的でした。教会のすべての奉仕は自発的なものでなければならず、義務や責任という観点からうんぬんされるべきではありません。しかし、当番表があると礼拝の出席や奉仕が強制的なものと感じられ、感染症対策の観点から外出を控えたくても義務感が生じるので、当番表の作成自体をストップしましょうと役員会で決めた次第です。

しかし礼拝の司会をすべて牧師が行う方式は長く続けるべきではありません。礼拝の雰囲気がどうしても一本調子になります。慣れるとそのほうが良くなるかもしれませんが、まさにそれが危険です。

学校も似ている面があります。感染症対策の観点から校舎での対面授業をすべて取りやめて、インターネットを活用したリモート授業に切り替える措置をとった学校が多くありました。それにみんなが慣れてくると、もうずっとそのほうがいいという空気になりそうな勢いを感じました。しかし、リモート授業は本来の形ではなく、緊急措置です。対面授業とリモート授業は全く別のものです。良し悪しの問題ではなく、異なるものを同一視してはいけません。

教会の礼拝も、牧師の声だけが響く形でなく、教会のみんなで作り上げていく形が、昭島教会の本来の礼拝です。異なるものを同一視してはいけないという観点を忘れずにいましょう。再び状況が悪化してきたら、いつでも緊急自体方式に移行するという柔軟な姿勢でいたいと願います。

さて、今日は待降節第2主日です。クリスマス礼拝が再来週の12月19日に迫りました。会社の方々は年末年始は忙しいでしょうし、学校は期末試験の最中です。受験生は大詰め段階です。そのような中で迎えるクリスマス礼拝ですので、とにかく安心できる、ほっとする、慰められる、ほめてもらえる礼拝になりますようにと願うばかりです。

先ほど司会者に朗読していただいた聖書の箇所に記されていました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(28節)。天使ガブリエルがマリアに告げた言葉です。

1989年版の改定英語訳聖書(The Revised English Bible)で「おめでとう」は“Greetings”と訳されています。英語でメールを書く仕事をしておられる方がおられると思います。特に公式のメールを書くとき、毎回のようにGreetingsと、冒頭か末尾に書くならわしがあることを私も知っています。その意味は「おめでとう」でもあり「こんにちは」でもあります。

もちろん、この「おめでとう」という天使ガブリエルの言葉を聞いた直後のマリアの反応が、ただ戸惑いでしかなく、もっとはっきりいえば恐怖でしかなく、あまりに大きな精神的ダメージを受けて立ち直れなくなりそうなほどであったことをわたしたちは知っています。

結婚する前のマリアであったということもさることながら、天使ガブリエルの言葉によると、生まれる子どもは「偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」(32~33節)というのですから、マリアに求められたのが王の母になる覚悟と準備であるのは間違いありません。

それがマリアにとって「おめでたい」話だったとは思えません。当時の状況を考えると、天使ガブリエルの言葉を聞いたマリアが何の驚きもためらいもなく「了解です」と反応したとしたら、皮肉な言い方になりますが、マリアは相当おめでたい人です。

なぜそう言えるかといえば、当時の状況を考えれば、「ダビデの王座」や「ヤコブの家の支配」は、あのヘロデ王が継承しているとみなされていた時代です。地域差別や職業差別をする考えは、私にはありません。しかし、ナザレというガリラヤの町で大工を営むヨセフといいなずけの関係にあったマリアが、自分から生まれる子どもに王位継承権があると本気で信じたのだとすれば、マリア自身が自覚しなければならなかったのは、自分から生まれる子どもは、現政権を維持するために生まれるのではなく、それを根本的に破壊し、くつがえし、新しい国にするほどの革命家の母になることの覚悟と準備であったとしか言いようがありません。

しかし、ルカによる福音書に記されているマリアの反応は、今申し上げた方向ではなく、私はまだ結婚していないのにどうして子どもが生まれるのだろうとか、そちらの方向に膨らんでいるのは、いかにも幼稚です。そんなことはどうでもいいとは申しません。しかし、本気で政権交代をめざす子どもの親になりなさいと、まるでそう言われたかのような天使の声に対して、マリアがそのとき何を考え、どう応えるべきだったかは、別の問題に属する気がします。

しかし、かなり混乱しながらも、最終的にマリアが出した結論と答えは素晴らしいものです。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(38節)とマリアは天使ガブリエルに答えました。

先ほどご紹介した1989年版の改定英語訳聖書(REB)には、次のように訳されています。“I am the Lord’s servant. May it be as you have said”.この英語は理解が難しいかもしれません。もっと前の1946年版の改定標準訳聖書(Revised Standard Version)では、次のように訳されています。“I am the handmaid of the Lord; Let it be to me according to your word”.

そうです、ビートルズです。レット・イット・ビーは「なるがままに」とか「放っておけ」などと訳されます。ビートルズの場合は、困ったときにマリアが来てくれて「レット・イット・ビー」と言ってくれる歌です。しかし、改定標準訳聖書(RSV)に従えば、「レット・イット・ビー」は、マリアが天使ガブリエルに答えた言葉です。

しかし、それは「どうにでもなれ」「そんなの知るか」という自己放棄ではなく、「神の言葉がこの私の存在において実現しますように」という祈りです。「私は一切関わりたくありませんが、神の言葉は実現しますように」という祈りでもありません。「私をどのようにでもお用いください。私はあなたに服従いたします」という神への信頼と服従の表明であり、態度決定です。

わたしたちはどうだろう、私はどうだろうと、何度も自分に問いかける必要がありそうです。

(2021年12月5日 待降節礼拝)

2021年11月21日日曜日

信仰を受け継ぐ(2021年11月21日 主日礼拝)

収穫感謝礼拝(2021年11月21日)
讃美歌21 358番 小羊をばほめたたえよ! 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

週報(第3595号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

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「信仰を受け継ぐ」

サムエル記上16章5b~13節

関口 康

「サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼(ダビデ)に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。」

先週の説教の冒頭で申し上げたことを繰り返します。いま私が毎週の聖書箇所を決めるために用いている日本キリスト教団聖書日課『日毎の糧』で、クリスマスの前に旧約聖書を取り上げることになっていることには意味があります。

イエス・キリストのご降誕をお祝いするのがクリスマスです。イエス・キリストのご降誕には旧約聖書に示された神の約束が実現したという意味があります。その意味を明らかにするために、クリスマスの前に旧約聖書を学ぶことが大事です。

信仰の父アブラハムから始まるイスラエルの歴史の中で待ち望まれたキリストが本当に来てくださったと、十字架にかかって死に、三日目に復活されたナザレ人イエスと初めて出会った人々が信じました。イエス・キリストは苗字と名前ではありません。「旧約聖書に約束されたキリストがこのイエスである。このイエスこそあのキリストである」という関係をあらわす言葉です。

「イエス」は固有名詞です。「キリスト」はいわば肩書きであり、職務です。「キリストという仕事」があるという意味になります。そのことを具体的にあらわすために、イエスとキリストの間に中黒(・)ではなく、等号(=)を書く人がいます。新約聖書の中にも「イエス・キリスト」という語順だけでなく、「キリスト・イエス」と逆になっている箇所があります(ローマの信徒への手紙1章1節、テサロニケの信徒への手紙一2章14節、テトスへの手紙1章4節など)。

しかし、日本語の旧約聖書のどこを開いても「キリスト」は出てこないではないかと思われる方がおられるかもしれません。それは日本語の聖書だからです。「キリスト」はギリシア語ですが、旧約聖書はヘブライ語で書かれました。ヘブライ語の「メシア」(マーシアハ)のギリシア語訳が「キリスト」(クリストゥス)です。メシアは旧約聖書に登場します。「旧約聖書にはキリストは出てこない」という説明は間違いです。しっかり登場しています。

しかも旧約聖書に「メシア」はたくさん出てきます。たとえば、今日開いている聖書の箇所にまさに出てきます。旧約聖書の「メシア」の意味は「油を注がれる者」という意味です。この意味の「メシア」が「キリスト」です。言い方を換えれば、旧約聖書に「油を注がれる者」と記されている箇所のすべてを「キリスト」と訳しても間違いではないということです。

今日の箇所はサムエル記上16章です。何人かの人が登場しますが、この中で特に重要な人物はサムエル、サウル、ダビデ、エッサイの4人です。サムエルは預言者です。サウルはイスラエル王国の初代国王です。ダビデは第2代国王です。エッサイはダビデの父親であり、羊飼いです。

この4人の中に3人「キリスト」がいます。サムエルもサウルもダビデも「キリスト」です。それは、この3人は「油を注がれた者」(メシア)であるという意味です。この3人だけが「油を注がれる者」(メシア)であるという意味ではありません。旧約の時代には、預言者、王、祭司の3つの職務に就く人々の頭に油が注がれました。それらすべての人が「キリスト」です。

今日の箇所に記されているのは、預言者サムエルがイスラエル王国の初代国王のサウルに油を注いだけれども、サウルが職務を継続するのが不可能になったために、サウルを退け、サウルの代わりに新しい王としてダビデを選び、ダビデの頭に油を注いだ場面です。

最初に申し上げたとおり、イスラエル民族の歴史はアブラハムから始まりましたが、最初は遊牧民の一家族にすぎませんでした。しかし、神の約束の通り、空の星の数ほど、大地の砂粒の数ほど、数えきれない多くの子孫を与えられ、ついにひとつの国家を作ることになりました。

それで、預言者サムエルが王国としてのイスラエルを率いる初代国王になるサウルの頭に油を注ぎましたが、サムエルはイスラエルが王国になることに否定的でした。そのことがサムエル記上8章にはっきり記されています。ぜひじっくり読んでみていただきたいです。

サムエルはなぜイスラエルが王国になることに対して否定的だったかといえば、イスラエルは本来的に信仰共同体であるべきであるという認識をサムエルが持っていたからです。信仰共同体の勢力が増したからといって国家になり、政治の共同体になってしまうと、「神」を信じる信仰が、いつの間にか、強いリーダーシップと権力を持つ「人間」への信頼や期待に置き換えられ、それによって共同体の内実が変質してしまうからです。

教会も同じです。教会に集まる人々は、神への信仰を求めて集まります。しかし、教会の勢力が拡大してくると、強いリーダーシップや権力を持つ人が、おのずから登場する面があるのと、そのようなリーダーをみんなが要求しはじめる面もあり、教会の内実が変質します。神に従っているのか、強いリーダーに従っているのかが分からなくなってしまうのです。

しかし、イスラエルの人々の中から強いリーダーを求める声が強くなり、それに逆らうことができなくなったので、サムエルは王を選ぶことにし、初代の王としてサウルに油を注ぎました。サウルは最初の頃は良かったのですが、高齢になって晩節を汚す言動を繰り返すようになったので、サムエルがサウルに代わる2代目の王を探すことになりました。

それで、サムエルは羊飼いだったエッサイの子どもたちの中からダビデを選び、その頭に油を注ぎました。サウルは自分が職務から退けられ、自分の代わりにダビデが新しい王になることを知ったとき、嫉妬にかられて怒り、ダビデを殺そうとします。しかし、ダビデは、自分がサウルから殺されそうになったときも、その後も一貫してサウルに対する敬意を持ち続けました。

なぜダビデが自分のことを殺そうとまでする先代の王サウルに対して敬意を持ち続けることができたのかといえば、その理由がまさに「サウルは油を注がれた人だから」ということでした。そのことがはっきり記されているのがサムエル記上26章です。「主が油を注がれた方に、わたしが手をかけることを主は決してお許しにならない」(11節)とダビデが語っています。

ダビデはサウルの人間性やリーダーシップを尊敬したのではありません。その面には失望し、軽蔑すらしていたでしょう。しかし、ダビデは最後までサウルを尊敬しました。それがダビデにできたのは、サウルが「油を注がれた者」であること、つまり、神がなされた行為に対する畏れと信仰を最後まで重んじたからです。

教会も同じです。これからも教会の歴史は続いていくでしょう。それはいま生きている私たちの信仰を、次の世代の人々が受け継いでくれることを意味します。しかしそれは、今の私たちを尊敬してほしいと次の世代の人々に要求することとは違います。「私たち」でなく「神」を信じてほしいと願うだけです。その点が不明であれば次の世代の人々の中に不信感が生まれます。

(2021年11月21日 主日礼拝)

2021年11月14日日曜日

信仰と決断(2021年11月14日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 474番 わが身の望みは 奏楽・長井志保乃さん、字幕・富栄徳さん

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「信仰と決断」

創世記13章8~18節

関口 康

「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。」

先々週、先週、そして今日と、3回続けて旧約聖書の創世記を開いています。日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に従っています。

この時期に旧約聖書の学びをするのは、クリスマス礼拝が近づいていることと関係あります。新約聖書とキリスト教会の視点から言うと、わたしたちの救い主イエス・キリストがお生まれになったことには旧約聖書の神の約束が実現したという意味があるからです。

今日の箇所の登場人物も、先週と同じアブラハムです。「信仰の父」と呼ばれることがある存在です。イスラエル民族の初代族長です。アブラハムが旧約聖書で初めて登場するのは創世記11章27節です。

それはアブラハムの父の名がテラと言い、そのテラの系図の中にアブラハムの名前が出てくる箇所です。ただし、そこに記されているのは「アブラム」という名前です。「テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれた」と書いてあるとおりです。

この「アブラム」がその後「アブラハム」と名前を変える場面も、創世記の中にしっかり記されています。17章5節に神さまの言葉として「あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである」と書かれているとおりです。

この改名にはもちろん意味があります。「アブラム」という名前の意味は「偉大な父」であるのに対し、「アブラハム」の意味は「多くの民の父」です。

このアブラハムが「イスラエル民族の初代族長である」と先ほど言いましたが、「イスラエル」という呼び名はアブラハムの頃にはまだなく、この名前が登場するのは創世記32章29節です。アブラハムの孫の三代目族長ヤコブに(おそらく)神が「お前の名はもうヤコブではなく、これからイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」とお話しになったことに由来します。

しかし、だからといってイスラエル民族がヤコブから始まったわけではありません。初代族長はアブラハム、二代目はアブラハムの長男のイサクです。ヤコブは三代目です。このようなことはすべて創世記、ひいては旧約聖書の中に記されています。

しかし、イスラエル民族の最初の出発点のアブラハムは、まだアブラムだったころ、妻サライ(創世記17章15節以降は「サラ」と改名)、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、父テラと共に生活していたハランの地で加わった人々を連れて、カナン地方に向けて旅をはじめました。そのときは「民族」ではなく、ひとつの「家族」でした。

「アブラムはハランを出発したとき75歳であった」(創世記12章4節)とも書かれています。亡くなった年齢は「175歳」だったことが創世記25章7節で明らかにされています。今の私たちと同じ年齢の数え方なのかそうではないのかを判断する根拠を、私は勉強不足で知りませんが、「アブラハムは長寿を全うした」(創世記25章8節)とは書かれていますので、「長寿」であるという認識はあったと思われます。

しかし、しかし、と何度も話を引き戻さなくてはなりません。今日開いている箇所に記されているアブラハムの姿も、先週の箇所の彼の姿も、「偉大な父」あるいは「多くの民の父」になっていく前の、むしろ孤独で小さな存在であった頃の彼であるということを言わなくてはなりません。

そして、このようなことを学びながらわたしたちが考えるべきことは、教会のことです。聖書の時代の族長物語についての知識を得ることも大事です。しかし、単なる知識に終始するだけだと「だからどうした」という疑問がわいてきます。

むしろ大切なのは、アブラハム自身にせよ、その後のイスラエル民族のあり方にせよ、わたしたち自身の姿、教会の姿と重ね合わせて読んでいくことで、わたしたちのあり方、教会のあり方を考えることです。

アブラハムも最初は、実家を飛び出して、むしろ孤立した夫婦と甥と一緒に働く人だけだった。そこから一大民族になるまで相当の時間がかかったということを学ぶべきです。教会も同じです。教会の規模が小さい、人が少ないといろいろ言いたくなるのも分かりますが、規模が大きくなるまでに世代を重ねて行かなくてはなりません。

しかし、まだ今日の箇所である創世記13章に書かれていることには、触れていません。やっと前提の話をし終えたところです。今日の箇所に記されているのは、アブラハムとサラの夫婦と、甥のロトが別れて、その後は別の道を進むことにした、その決断の場面です。

なぜ別れることになったかは13章5節以下に記されています。「アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた」が、「その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた」など、その経緯が縷々明らかにされています。

このままの状態が続くとけんかになると考えたアブラハムがロトに提案したのが、別々の道を進んでいくことだったというわけです。「わたしたちは親類どうしだ。わたしたちとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう」(9節)とアブラハムのほうから提案しました。

これが意味することは、アブラハムの側が譲歩したということです。右に行くか左に行くかの選択の優先権が私のほうにあるとアブラハムが主張せず、むしろロトの側に優先権を手渡したということです。こういうところにアブラハムの偉大さを私は感じます。

ロトが選んだのは、「ヨルダン川流域の低地一帯」で、「主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた」(10節)ほうでしたが、そちらに悪名高き滅びの町「ソドムとゴモラ」があったことが、後で分かります。

アブラハムに残されたのは、ヨルダンの低地と比較すると高く、牧畜に適さず、厳しい環境の「カナン地方」でした。そのカナン地方に数百年後、イスラエル王国が築かれます。

歴史の分かれ目に、そこに立ち会う人々の信仰と決断が問われます。決して悪い意味ではなく、むしろ大いに良い意味で「人の思いが働く」のです。人間が何もしないで手をこまねいたままで歴史が勝手に動くわけではありません。

教会も同じです。わたしたちの信仰と決断が、明日の教会、未来の教会を作り出すのです。

(2021年11月14日 主日礼拝)

2021年11月7日日曜日

神の民(2021年11月7日 教会創立69周年記念礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

オリジナル讃美歌「善き力にわれかこまれ」


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「神の民」

創世記15章1~15節

関口 康

「主は彼を外に連れ出して言われた。『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。』そして言われた。『あなたの子孫はこのようになる。』」

今日は「昭島教会創立69周年記念礼拝」です。今日の週報に記しましたように、1952年11月2日に日本キリスト教団昭和町伝道所として最初の礼拝を守り、今年は数えて69年になります。

昭島教会50周年誌『み足のあと』(2002年)の「年表」によると、1952年11月2日の週報が「第1号」です。そして今日の週報が「第3593号」です。それは3593回の聖日礼拝が行われたことを意味します。最初の礼拝から今日まで69年間、石川献之助先生が昭島教会の伝道と牧会を続けて来られました。途中で一度隠退されましたが、協力牧師の立場にとどまられ、その後主任牧師に復帰されました。今年からは名誉牧師になられました。

ただし、今日の礼拝を含めた3593回の礼拝の中に、昨年(2020年)4月からたびたび出された緊急事態宣言との関係で「各自自宅礼拝」として行った回が含まれています。週報についても、合併号を作成して発行部数を少なくした時期もありますが、礼拝の回数は間違っていません。

しかし、『日本基督教団年鑑』では昭島教会の設立日は「1951年4月30日」であるとされています。そのとおりであれば、今年は創立70周年です。なぜこの違いが生じたのでしょうか。これも昭島教会50周年誌に答えがあります。教団年鑑記載の「1951年4月30日」は青梅教会の久山峯四郎牧師が兼務担任教師として昭和町伝道所の設立届を提出した日です。しかし教会員はゼロでした。だれもいないところに石川先生が招聘されました。そして最初の礼拝を行ったのが69年前の「1952年11月2日」ですので、その日が創立記念日であることに十分な理由があります。

この問題には「教会とは何か」という根本的な問いが含まれています。『み足のあと』によると、昭和町に阿佐ヶ谷教会員の石黒トヨ姉と淀橋教会の本多弥蔵兄がおられ、両家が集まる家庭集会で「この地に教会が与えられるように」と祈りがささげられていました。

また在日米軍横田基地で働いていた近藤駿兄が基地内教会で洗礼を受け、昭和町で街頭子ども会を開いていたのを基地内教会のチャプレンのハプソン氏が応援して、献金を集めて木造の教会堂を八清公園に建てて、日本キリスト教団東京教区に寄贈しました。それを教会にしようと考えた東京教区伝道委員会が、久山先生に伝道所設立届を出してもらったというわけです。

それが「教会」なのかというと、そうではありません。それがわたしたちの立場だと私は理解します。建物があるから、この地に教会が与えられるようにと祈っていた人々がいたから、伝道所設立届が教団に受理されたから、だから「教会」なのか。そうではありません。69年前の今日は石川先生が専任教職として赴任された日でもありません。最初の聖日礼拝が行われた日です。この「礼拝が行われた」という生きた事実が出発点であるという理解に立つことが重要です。

しかしまた、今申し上げた理解に立って「教会」をとらえることは、わたしたちにとっては、ある意味で厳しい問いと絶えず向き合っていることも意味します。なぜなら、あえて逆の考え方をすると、もし日曜日にだれも集まらず、「礼拝」を行うことができなくなったら、それが「教会」の終わりであることを意味せざるをえないからです。

そのような日が来ることはありえないとどうして言えるでしょう。牧師である者たちのみんながみんな同じではないかもしれませんが、教会の皆さんに対して失礼な言い方に違いなくて申し訳ありませんが、土曜日を迎えるたびに「明日の礼拝に、もしだれもいなかったらどうしよう」と悩む牧師は、たぶん少なくありません。私がどう思うかは言わないでおきます。内緒です。

石川先生は69年間、その問いと向き合ってこられたはずです。私も牧師の末席を汚す者として、どれほどのプレッシャーであるかを知らずにはいません。私の言動のせいで、あの人もこの人もつまずいて礼拝に来られなくなってしまった、と悔いる思いは、私にもあります。

しかし、今申し上げたことは、言わないほうがよかったもしれないと、言ったそばから悔いています。これはやはり、教会の皆さんに対して失礼な言い方です。まるで牧師がひとりで教会を切り盛りしているかのようです。それは甚だしい誤解です。牧師ひとりでは何もできません。

今日は「昭島教会の」69歳の誕生日です。それは、教会の皆さんの汗と涙の歴史を思い起こし、それでも教会は生きていること、そして、生きた礼拝が今日まで続けられてきたし、これからも続けられていくであろうことを喜び、感謝し、お祝いする日であることを意味します。

それはまた、別の観点から言い直せば、昭島教会に連なるわたしたちひとりひとりの「信仰」の問題であると言えます。わたしたちに問われているのは、今日朗読した聖書の箇所に登場するアブラハムが神から問われた「信仰」と本質的に同じです。

アブラハムはイスラエル民族の初代族長です。アブラハムは生まれ故郷を離れ、妻サラと共に旅人になります。生まれ故郷は異教の神々が礼拝される異教の地でした。そこから飛び出して、真の神を信じる信仰を求めるために旅を出かけたとも言われます。

そのアブラハムに神さまが「あなたを大いなる国民にする」(創世記12章2節)という約束をしてくださいました。その約束の意味は、多くの子孫を与えるということでした。

しかし、その約束を示されてから何年経ってもアブラハムと妻サラとの間に子どもが与えられませんでした。神の約束を疑う思いを抱いた日が全く無かったわけではありません。その疑いの言葉が今日の箇所にも記されています。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません」(2節)。あの約束は嘘だったのですかと。

アブラハムに神が改めて約束してくださいました。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」(5節)。この約束をアブラハムは信じ、その信仰を神さまが「彼の義と認められた」(6節)と記されています。

アブラハムが生きていた時代は紀元前2000年頃だと考えられています。今から4000年前です。そう考えると途方も無い昔の話に思えます。しかし、そのアブラハムのことを今から2000年前の使徒パウロがローマの信徒への手紙の4章で大きく取り上げています。特に「アブラハムの子孫」の意味は、彼の血縁関係にあるユダヤ人だけでなく、「信仰を受け継ぐ者」のことであり、イエス・キリストへの信仰を持つ「わたしたち」のことだと書いています。

その線で言えば、今日のわたしたち「教会」は「アブラハムの子孫」です。わたしたちが週末を迎えるたびに「明日の礼拝にひとりもいなかったらどうしよう」と悩む思いと、アブラハムが神の約束を疑った思いは本質的に同じだということです。だとしたら、わたしたちもアブラハムのように、星の数ほど多くの人と共に礼拝をささげる日が訪れることを信じようではありませんか。先週の永眠者記念礼拝で覚えた132名の信仰の先達がたは、昭島教会の星です。もっと多くの、さらに多くの星を見上げながら、昭島教会の歴史をこれからも築いて行こうではありませんか。

(2021年11月7日 昭島教会創立69周年記念礼拝)

2021年10月31日日曜日

救いの約束(2021年10月31日 永眠者記念礼拝 宗教改革記念礼拝)

讃美歌21 510番 主よ、終わりまで 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「救いの約束」

創世記45章1~8節

関口 康

「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。」

今日の礼拝は「永眠者記念礼拝」です。同時に「宗教改革記念礼拝」でもあります。さらに来週11月7日(日)は「昭島教会創立69周年記念礼拝」です。この3つの「記念礼拝」は、昭島教会で毎年この時期に行っていますので、ぜひご予定ください。

その中で「永眠者記念礼拝」は世界のキリスト教会が重んじ、日本キリスト教団も準じている教会暦にある「聖徒の日(永眠者記念日)」が11月1日で、「記念礼拝」は11月の第1日曜日に行うことになっているので、教会暦どおりなら今年は11月7日(日)です。

しかし、昭島教会はいつからそうするようになったかは私には分かりませんが、その教会暦の「聖徒の日(永眠者記念日)」よりも1週前に永眠者記念礼拝を行うことにしています。教会暦はわたしたちが絶対守らなければならないものではありません。あくまでも参考にするだけです。

1週ずらして行う理由は2つあると聞いています。ひとつは、永眠者記念礼拝の午後に墓前礼拝を行いますが、昭島教会墓地の周囲一帯がキリスト教墓地で、他の教会の墓前礼拝と重なって混み合うケースがあるので、それを避けるため、という実際問題です。

もうひとつは、必ず11月の第1日曜日には昭島教会の創立記念礼拝を行うので永眠者記念礼拝と重ならないようにするためです。昭島教会は1952年11月2日に「日本基督教団昭和町伝道所」として伝道を開始しました。その日から数えて今年で69年になります。

3つの「記念日」はすべて日付が決まっています。早い順でいえば、10月31日が宗教改革記念日です。翌日の11月1日が聖徒の日です。その翌日の11月2日が昭島教会の創立記念日です。それぞれの「記念礼拝」は最も近い日曜日に行います。

説明に時間を割いているのは、3つの「記念日」は関係あると申し上げたいからです。宗教改革記念日が10月31日になったのは、11月1日の「聖徒の日」の前日だったからです。古い本ですが、ベイントン『宗教改革史』(出村彰訳、新教出版社、第5版1977年)から以下引用します。

「ルター自身の領主、ザクセンのフリードリヒ賢公(1463~1525)は、毎年、万聖節(11月1日)の前夜に贖宥券を頒布する特権を与えられていた。1516年中に、ルターは二度にわたってこの慣習に抗議した。贖宥券は聖徒の余剰の功徳という誤った仮定に基づいているゆえに、欺瞞的かつ邪悪であり、痛悔よりも自己満足をもたらすことは確かである」(45頁)。

「万聖節」と訳されているのが「聖徒の日」です。16世紀にはすでに「聖徒の日」があったということです。その前日の10月31日に、「贖宥券」が頒布されたというわけです。「厳密に言えば、贖宥券は売られたのではなく、恵与されたのであるが、この恵与は支払い能力に応じて定められた献金と、全く時を同じくして行われた」(同上頁)ともベイントンが記しています。

その「贖宥券」(「免罪符」とも呼ばれる)を手に入れるとどうなるかについては、これも古い本ですが、岸千年『改革者マルティン・ルター』(聖文舎、1978年)に次のように記されています。

「中世の民衆は、地獄よりも煉獄を恐れていたが、その理由は、地獄における刑罰は悔い改めによってのがれることができるが、煉獄の刑罰は、教会が定めた苦行によるほかはないと教えられていたからである。この苦行はきびしく、パンと水だけで数年間の断食をしたり、長い年月にわたる巡礼をしたりしなければならなかった。民衆は、こうした苦行をどうにかして軽くしようと考えていたが、教会においても、よい行為の報酬として苦行の一部をゆるす方法を考え出した」(76~77頁)。それが「贖宥状」(免罪符)だったというわけです。

しかし、そのような思想そのものが間違っていると抗議したのがマルティン・ルターでした。その抗議の内容を記した「95か条の提題」をドイツ・ヴィッテンベルクの城教会で公開した日付が、ザクセンのフリードリヒ賢公が贖宥券を頒布する日である聖徒の日前夜の1517年10月31日だったので、その10月31日が「宗教改革記念日」になりました。つまり、「宗教改革記念日」と「聖徒の日(永眠者記念日)」は歴史的に明白な関係があるということです。

その関係をひとことで言えば、ルターの宗教改革の出発点は、「人は死んだらどこに行くのか」という最も根本的で深刻な問いに対して当時のローマ・カトリック教会が示した結論が間違っていることに対する徹底的な抗議だったということです。2つの記念日は表裏の関係にあります。

それでは、昭島教会の創立記念礼拝はどういう関係にあるか。69年前から「宗教改革記念日」と「聖徒の日」との関係を考えて1952年11月2日をもって伝道を開始なさったかどうかは私には分かりません。しかし、そのことよりもむしろ、年月を重ね、今日この礼拝堂に飾られている多くの信仰の先達がたのお写真を拝見しながら深まる思いが私にはあります。

教会は歴史的な存在です。地上で生を営んでいるわたしたちだけでなく、今は天国におられる信仰の先達がたこそ、教会の歴史を築き、作り上げてくださいました。

昭島教会の「創立記念礼拝」の関心は、69年前にどうだったかではなく、むしろ逆に、69年後の今がどうなのか、です。そして、今は「聖徒の日」として、「永眠者記念礼拝」として、教会の歴史を築き上げてくださった方々のことを覚えつつ、さらにこれからの昭島教会の歩みを続けていくことの決心と約束をすることこそ「教会創立記念礼拝」の趣旨でなければならないでしょう。その意味で、3つの記念礼拝は相互に関係している、ということです。

最後に今日の聖書箇所について短く説明します。ここに登場するのはヨセフです。アブラハム、イサク、ヤコブと3代続く族長の3代目のヤコブの12人の子どもの11番目のヨセフです。

ヨセフは父ヤコブの寵愛を受けたため、10人の兄たちから憎まれ、エジプトの奴隷商人に売り飛ばされます。しかし、エジプトで苦労して王のもとで司政官になり、エジプトやカナン地方を襲った大飢饉の中でエジプト人を救い、またカナンに住んでいた父ヤコブとその子どもたちにも食糧を分けて助けました。ヨセフは、自分を憎み、金で自分を売り飛ばした兄たちの罪を赦し、受け入れました。そのことがヨセフにできたのは、彼には神を信じる深い信仰があったからです。兄たちが自分をエジプトに売り飛ばしたのは、神が自分を兄たちよりも先にエジプトへと遣わし、兄たちを救うためだったと、そういう信仰をヨセフが持っていた、ということです。

神を信じる信仰とは、そういうものです。救いの約束はしばしば隠れています。人間には最初は分からないし、むしろ人間にとっては理不尽なことだらけです。神がわたしを見放されたのではないかと絶望する思いになることの連続です。しかし、理不尽の中で神が常に働いてくださり、ご自身のご計画を進め、世界を救ってくださいます。「信仰」こそがわたしたちの最後の砦です。

(2021年10月31日 永眠者記念礼拝 宗教改革記念礼拝)

2021年10月17日日曜日

天国(2021年10月17日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)


讃美歌21 504番 主よ、み手もて 奏楽・長井志保乃さん

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「天国」

ヨハネの黙示録7章9~17節

関口 康

「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」

今日は新約聖書のヨハネの黙示録を開いています。旧約聖書39巻、新約聖書27巻、合計66巻の最後の66番目の書物です。旧約と新約の書物の数は「さんく、にじゅうしち」と九九(くく)の語呂合わせで覚えると忘れません。

ヨハネの黙示録が書かれた時代的背景として考えられているのは西暦1世紀末、特に紀元81年から96年までローマ帝国がドミティアヌス皇帝によって支配されていたことと関係あるだろうということです。

ドミティアヌス皇帝は、ローマ帝国が支配する地域の至るところに自分の像を建てさせ、その像の前で自分に対する忠誠を誓わせた人です。ローマ皇帝を神として礼拝させる行為です。像を拝もうとしない人々は迫害し、殺害しました。そのような行為は偶像礼拝であるとみなして拒否するユダヤ人やキリスト者は、迫害と殺害の対象でした。

今のわたしたちにそのようなことはないと言い切れるかどうかは、考え方次第です。私自身は体験的には知らない世代ですが、80年前の大日本帝国の時代には、それときわめて近い、または同じと言いうる状況だったことを実際に体験なさった方々がおられるでしょう。

戦後はどうでしょうか。宮城遥拝をしない者は逮捕抑留されるという状況はなくなりました。しかし、違う形のもっと巧妙な方法による宗教抑制が今でも続いていると私は感じます。うまく説明できませんが、何かしら抑制をかけられている気がしてなりません。

日本のキリスト者人口が何十年も国民の1%を越えないことは、諸外国の教会の謎だそうです。以前もお話ししましたが、アメリカ人の宣教師から直接聞いたのは、日本でキリスト教を広めるために多くのアメリカ人の献金と人材を送ってきたのに一向に伸びない。同じだけのお金と人材をミャンマー伝道へと振り替えれば日本の教会の何十倍も多くの信徒を得られることが分かったので、日本伝道から撤退しようという提案が何度となくなされるという話です。

しかし、その話をしてくれた宣教師たちはなんとか日本にとどまって伝道を続けたいので本国教会で事情を説明しなくてはならないが、うまく説明できなくて悩むというのです。

作り話ではなく、まだ10年ほど前に、私のこの耳で、しかもアメリカ教会と日本教会の正規の会議の場で実際に聞いた話です。

そういう話を聞くと「わたしたちは」と言っておきますが、日本のキリスト者は真面目なので、自己責任を感じやすいところがあり、自分たちの努力が足りないから教会が伸びない、キリスト者人口が増えないと当然考えるわけですが、本当にそうなのか、理由はそれだけなのか、わたしたちの努力不足なのかという点は、一向に分からずじまいです。

それでも何らかの説明をしなければならないので、「日本の風土や伝統文化にキリスト教は適合しにくい」とか「日本古来の強大な宗教の壁はあまりにも厚い」などの理由を考えることになりますが、私に言わせていただけば、どの説明を聞いてもよく分からないし、納得が行きません。

これだけは言わせてほしいです。個人的な努力や小さな集団の努力だけでは如何ともしがたい、政治や経済という大きな力が働いているような気がしてならないということは、決して責任逃れの意味ではなく思うところです。今のわたしたちはまるで、ローマ帝国の全領土の住民にローマ皇帝の像を拝むように強いられた只中にいた、西暦1世紀の教会さながらです。

そのような圧力も障害も何もないと言うかどうかは考え方次第です。私には、どうしてもそのように思えないです。圧力も障害も「ある」としか言いようがありません。

その中で、イエス・キリストへの信仰を守り、かつ信仰共同体としての教会の存在にとどまり続けた人々に待ち受けるのは迫害と殉教の道だったわけですが、その道を貫いた人々を神御自身が、神の小羊なるイエス・キリストがそこで待っておられる「天国」へと受け入れてくださるというのが、ヨハネの黙示録の基本思想であると言えます。

ヨハネの黙示録が描く「天国」だけが聖書における天国の意味ではないと言うべきかもしれません。確かに「天国」にはもっと他にも多くの異なる意味があります。ヨハネの黙示録における意味だけで「天国」を説明しますと、不満が生じる可能性がないと限りません。

なぜなら、その意味での「天国」は、先ほど申し上げたとおり、地上においてイエス・キリストへの信仰を与えられ、信仰共同体としての教会の仲間に加えられたうえで、ローマ皇帝の像の前で忠誠を誓う皇帝礼拝を拒否したことで迫害を受け、殉教した人々の信仰の努力に対する報いとして与えられるものだからです。

すでに疑問を感じておられる方がいらっしゃるのではないかと思います。私自身もこの説明をしながらすでに葛藤しています。もしそれが「天国」だというなら、地上で信仰を持たなかった、教会に通わなかった、あるいは、ある時期までは熱心に教会に通っていたけれども人生の途中でそれをやめてしまった、その人々はいったい今どこにおられるのだろうという問いが、おそらく必ず誰の心の中にも起こるであろうからです。

どんなことであれ、わたしたちがいろんなことについて筋道を立てて順を追って考えるときに必ずするのは、ひとつのことの表側だけではなく、裏側まで考えることです。「このような人々が天国に受け入れられる」という話を聞くだけで、「その説明に該当しない人々は、どこに受け入れられるのか」ということをだれでも必ず考えます。そこが天国でないなら「地獄」なのか。それとも、天国でも地獄でもない「第三の」場所なのか。そんなところが本当に存在するのかと。

それだけではありません。そもそも、迫害だとか殉教だとかを耐えて我慢してまで信仰を守り、教会の交わりにつながることを、神が本当に求めておられるのか。そのような苦しみに堪えられない弱い人々を、神は切り捨て、我慢強い人々だけの「天国」を神が要求しておられるのかと。

もしそれが神だというのなら、私にとっては堪えられない神なので、信じることができないし、信じることで苦しみ、信じることで死なねばならないなら、信じるのをやめて楽になり、生きる道を選ぶほうが救いだろうにと考える人々は必ずいるだろうと、私には思えてなりません。

しかし、今申し上げているのは結論ではありません。ただ「考えている」だけです。はっきりしているのは、わたしたちの神は弱い人を切り捨てる方では断じてないということです。しかしまた、信仰をもって生き抜き、教会の交わりの中にとどまり続ける人々を神は喜んでくださり、「天国」を約束してくださっています。その2つのことは矛盾しないと私は考えます。そのことを皆さんに納得していただける言葉で、うまく説明できないだけです。言葉の限界を感じます。

(2021年10月17日 主日礼拝)

2021年10月10日日曜日

教会と政治(2021年10月10日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 443番 冠も天の座も 奏楽・長井志保乃さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きいただけます

週報(第3589号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

「教会と政治」

ローマの信徒への手紙13章1~10節

関口 康

「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」

今日の宣教題を「教会と政治」としたのは、今日の朗読箇所の最初に「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」(1節)と記されている中の「上に立つ権威」は「国家」、あるいは一般社会的な意味での「政治的支配者」を指しているというのが、この箇所の伝統的な理解だからです。

続く箇所に「実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう」(3節)とか、「権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです」(4節)とか「あなたがたが貢を納めているのもそのためです」(6節)とか、「貢を覚めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい」(7節)と記されています。

いま一気に言いました。これは武器で悪人を取り締まる警察の存在や、税金で社会を整備する国家や政治を指しているということが、少しあるいはかなり分かりにくい書き方ではありますが、たしかに記されているということを確認したいと願うからです。

分かりにくいと申し上げたひとつの理由は、「国家」や「政治」とはっきりとは記されていないからです。その代わりに「支配者」や「権威者」と記されています。しかし、分かりにくい理由はそれだけではありません。

もっと分かりにくいのは、この箇所で「支配者」ないし「権威者」と呼ばれている存在が「神に由来しない権威はない」とか「すべて神によって立てられたもの」(1節)であるとか「神の定め」(2節)であるとか、「権威者は神に仕える者」(4節、6節)であるとか記されているところです。

これはキリスト教国の話でしょうか。いや、いくらなんでもローマの信徒への手紙が書かれた頃にキリスト教国は存在しない。ユダヤのことか。いや待て。この時代のキリスト教会はユダヤ教徒から迫害されていた。まるで手放しに彼らに従うべきだと言い出すのは考えにくい。当時のユダヤを支配していたローマ帝国のことか。ローマ帝国は神が立てたものであるとパウロが本気で言うだろうか。もしそうならそれは一体何を意味するのだろうと考え込んでしまうことになるからです。

「そうではない。これは教会のことを指している。神に由来する権威とは教会だ。それ以外は考えられない」と言いたいかもしれません。しかし、教会が剣で悪人を取り締まるでしょうか。貢や税を要求するでしょうか。そのほうがよほどおかしなことを言っていることになるでしょう。

結論を言えば、これは教会ではありません。やはり、国家ないし一般社会的な意味での政治のことです。王国の場合は王とその家来たちです。民主的な国の場合は「国民が主権者である」ということになるかもしれませんが、選挙で選ぶにせよ、とにかく国家権力や警察権力を委託した相手のことです。教会が武器を持つことはないし、税金を集めることはありません。そういうことをするなら、それは教会ではありません。

私は自分がよく知らないことについては、言わないようにしているつもりです。しかし、気になるのはカトリック教会の存在です。総本山のバチカンは独立国家です。軍隊は無いそうです。警察は永世中立国であるスイスからの傭兵が担当するそうです。それでも、バチカンが国であるという事実に変わりありません。しかし、同時に教会でもあるでしょう。

パウロが書いているのは、現代のバチカン市国のことでしょうか。要するにローマ教皇の権威に従うべきだという意味でしょうか。そうではないということを、「わたしたちはプロテスタントだから」という理由からではなく、別の理由から申し上げる必要があると私は考えます。

分かりやすく説明するのは難しいです。申し上げたいのは、この箇所の「神に由来する権威」は現代のバチカンではない、ということです。キリスト教国に限定される意味でもありません。

そうではなく、教会とは区別される別の存在としての一般社会的な意味での国家であり、政治のことです。それは西暦1世紀のパウロをとりまく社会そのものです。キリスト教会を容赦なく迫害してくる強大な国家権力です。一方にユダヤの王とその家来、他方にローマ帝国。その両者からキリスト教会は迫害を受け、死に至らしめられました。

しかし、そのようなキリスト教会の敵対者を指して、パウロが「神に由来する権威」と呼び、「神によって立てられた権威」と書いていることに、わたしたちは大いに驚くべきです。

納得できない方がおられるでしょう。今のわたしたちでいえば、この日本の政治家や警察官、さらに天皇の存在を考えざるをえなくなるからです。あの人々が一体どの意味で「神に由来する権威」なのか全く理解に苦しむと思われる方がおられるでしょう。

納得できないとおっしゃる方にどう説明すればよいか迷うばかりです。しかし、そういう場合は逆のことを考えてみるとよいかもしれません。わたしたちが納得できる存在になるまでは国家権力や警察に従う必要はなく、税金を納める必要もないと考えてよいかどうかです。その理屈が成り立たないことは、だれでも分かります。しかし、問題はどのように説明するかです。

これを「パウロの信仰」と呼ぶべきかどうかは疑問です。私は「聖書の教え」と言いたいです。それは、「神」への「信仰」があるかどうかにかかわらず、一般社会的な意味での政治ないし国家による統治が、人間同士が争い合い、殺し合うのを防ぐために必要であることを神さまがお考えになり、人間社会にそのような制度を神さまが作られたということです。

神は無政府主義者ではありません。神は人間を政治的な存在に造られた、とも言えるでしょう。人間である以上、愛し合い、助け合うことにおいても司法・律法・行政のような政治機構が必要であるということです。無秩序の中では人間同士の愛は成立しない、ということです。

信仰の有無は関係ありません。ひとつの国が「神を信じない人は追放されなければならない」と言うならば、それは国ではありません。宗教団体です。しかも悪い宗教団体です。

家族も同じです。「神を信じない家族には生活費も食事も与えない」と言い出すなら、家族でもなんでもなく、凶悪な宗教団体です。「クリスチャンホームだから」は理由になりません。それは虐待であり、犯罪です。信仰の衣を着た狼です。その手のとんでもないたぐいを取り締まるために、神さまは教会とは別の権威をお立てになりました。そのように考えることができます。

イエスさまがおっしゃったではありませんか、「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5章45節)と。神さまは、その人が信仰を持っているかどうかに関係なく、すべての人の命と生活を守ってくださいます。そしてそうするために、神さま御自身が、国の存在とその中で営まれる政治を要求されるのです。

(2021年10月10日 主日礼拝)

2021年10月3日日曜日

信仰による生涯(2021年10月3日 主日礼拝)

台風16号通過後の青天(2021年10月2日)
字は関口牧師が書きました(2021年10月2日)
 
讃美歌21 458番 信仰こそ旅路を 奏楽・長井志保乃さん


「信仰による生涯」

ヘブライ人への手紙11章13~16節

関口 康

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」

9月末をもって政府の緊急事態宣言が全面的に取り下げられ、すべて終わったかのような空気が蔓延している感があります。しかしそれこそ蔓延防止対策が必要ではないかとかえって警戒心を抱きながらの3日目を、私自身は迎えています。

もっとも私は、現時点においては、週に4日は電車やバスに長時間乗って学校で教える働きをさせていただいている関係上、首都圏の現状を肌感覚で知らずにはいないつもりです。

そのような中で、わたしたちの教会が、9月から礼拝堂での礼拝を再開し、みんなで集まることをしてきたのは良かったと私は考えています。礼拝出席者は以前と同じか、少し多くなってきているようにも感じます。

今教えている高校で一昨日したばかりの話ですが、「教会」はギリシア語で「エクレーシア」と言い、「集会」とか「集まり」という意味です。これは教科書の言葉です。さらに次のように書かれています。「個人の家や公共の建物、時には野外で、イエス・キリストの名のもとに集まり、祈りや礼拝がささげられ、継続的な集会を持っている共同体はすべて、礼拝堂があってもなくても教会と言います」(キリスト教学校教育同盟編『キリスト教入門』創元社、2015年、36ページ)。

この教科書の著者が強調しようとしている点は明白です。「教会」(エクレーシア)とは、人が集まることそれ自体であり、集会そのものであり、集まる人を指すのであって、建物を指すのではないということです。建物としての「礼拝堂」は英語でチャペル(chapel)と言うが、「教会」はチャーチ(church)と言う、という説明まであります。

わたしたち自身が判断して行ったことを否定するつもりはありません。しかし、「各自自宅礼拝」がエクレーシア(教会)かどうかは、よく考えるべき課題です。インターネットの「オンライン礼拝」はエクレーシア(教会)かどうかの問題も同様です。団体を維持できるかどうかの問題ではありません。わたしたちの心の問題、信仰の問題です。独りでいることの寂しさの中で、心の支えを失うことの恐怖のほうが、他のどの恐怖よりも人を苦しめる場合が実際にあります。

今日開いていただいた新約聖書のヘブライ人への手紙は、昨年(2020年)6月28日の礼拝でも取り上げてお話ししたことを、記録で確認しました。そのときも申し上げましたが、この手紙が書かれた年代は西暦1世紀の終わり頃、80年代から90年代だろうと聖書学者が判断しています。つまり、イエス・キリストの死と復活、そして聖霊降臨(ペンテコステ)の出来事を通して地上に「教会」(エクレーシア)が生み出された西暦30年代から50年ないし60年の年月が経過した頃にヘブライ人への手紙が書かれたと考えることができます。

「ヘブライ人」とはユダヤ人のことです。イスラエル人と言っても意味は同じです。西暦1世紀のユダヤ人の中からイエス・キリストを信じて生きる人々の集まりとしての「教会」がいわば分かれ出た関係にあることは、歴史的な説明としては正しいと言えます。しかし、ユダヤ人以外の人々の目から見れば、ユダヤ教とキリスト教のどこがどう違うのかをはっきり区別できるほどの差はまだ無かったかもしれません。そのような時代に書かれた書物です。

昨年6月にこの手紙についてお話ししたときは12章18節から29節までを取り上げましたが、今日は11章13節から16節までです。しかし、この手紙の11章から12章にかけて書かれている内容は一貫しています。わたしたちがそう呼ぶところの「旧約聖書」を要約しています。「わたしたちがそう呼ぶ」とお断りするのはユダヤ教にとっては「新約聖書」は聖書ではなく、キリスト教会が「旧約聖書」と呼ぶ書物こそ、ユダヤ教の「聖書」だからです。

その意味では、ヘブライ人にとっての「聖書」全体を見通して、その中に登場する人々のことを思い起こし、そのひとりひとりの信仰と生きざまを思い起こしなさいと呼びかけているのが、今日わたしたちが開いている箇所の趣旨であると言えます。

なぜこの箇所にそのようなことが書かれ、そのような呼びかけがなされているのかについては、歴史的な文脈があると考えることができます。それは、西暦60年代から70年代にかけて、当時のユダヤを支配していたローマ帝国との間に大きな戦争があったことです。エルサレム神殿は破壊され、さらにその後の西暦135年にも決定的な戦争があり、ユダヤ人が完全に国土を失う事態になったことです。この手紙が書かれたのは、その戦争の最中だったということです。

そのような状況や情景を想像しながら、今日の箇所の特に13節に記された言葉の意味を考えるのは意義深いことです。「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました」の「この人たち」は、最初の人間として聖書に登場するアダムとエバの2人の子どものひとりであるアベルから始まります。アベル、エノク、ノア、そしてアブラハム、イサク、ヤコブです。この人たちは「約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表しました」と記されています。

彼らのどこが「よそ者」であり「仮住まいの者」なのかといえば、特にアブラハムが象徴的な存在ですが、実際に彼らが「遊牧民」だったという事実を考えることができます。文字どおりの移動生活者です。多くの家畜を飼いながらチグリス・ユーフラテスの2つの大きな川に挟まれたメソポタミア地方から、今のパレスティナを経由してナイル川流域のエジプト地方までをつなぐ「肥沃な三日月地帯」を西へ東へ移動していた遊牧民が、彼ら自身の先祖の姿です。

ヘブライ人への手紙の著者が、いにしえの遊牧民たちの姿を思い起こすことを西暦1世紀末の教会に呼びかけているのは、戦争によって神殿を失い、国土すら失いつつあったユダヤ人たちに対する希望と励ましのメッセージだったと考えることができます。

実は私もそうなのですが、移動生活者にとっては、愛着を抱くことができる礼拝堂(チャペル)はありません。神殿もありません。しかし信仰があり、礼拝があり、集会(エクレーシア)がありました。だからこそ、希望があり、喜びがあり、苦難に堪えて生きる勇気の源泉があったのです。

わたしたちはどうでしょうか。幸いなことに、昭島教会には立派な礼拝堂があります。「教会といえば建物のことを指す」と言う人がいても、完全な間違いであるとは言えません。逆に、この建物に集まって行う礼拝以外は教会の正規の礼拝とは言えない、とも言えません。しかし、大事なことは、集まること自体です。エクレーシア(集会)としての教会であるかどうかです。独りで孤立していないかどうかです。信仰の仲間と共に生きているという実感があるかどうかです。

(2021年10月3日 主日礼拝)

2021年9月28日火曜日

中古バイクを購入しました

牧師の機動力を高める目的で教会で中古バイクを購入しました。これからは自転車とバイクのハイブリッドで週報宅配等に行きます。車体選定は役員会にお任せし、昭島市内で定評ある山崎輪業さんが完璧に仕上げてくださった美しく素晴らしい車体になりました。ありがとうございます。

2021年9月28日 山崎輪業にて購入


2021年9月23日木曜日

にじのいえ信愛荘(教団隠退教職ホーム)訪問

2021年9月23日(木) 昭島教会を代表して関口康牧師と滝澤操一兄が日本キリスト教団隠退教職ホーム「にじのいえ信愛荘」(東京都青梅市)を訪問し、以前昭島教会で牧師としてお働きくださった2組の牧師ご夫妻を訪問しました。共同生活を営む隠退教職の方々の健康と安全が守られるようお祈りください。

にじのいえ信愛荘にて(動画)
みんなで寄せ書きした色紙と花束
教会の上空はおおむね好天。暑い
青梅マラソンスタート地点を通過
にじのいえ信愛荘に到着
鈴木正三先生、鈴木信子姉と
滝澤操一さんと鈴木先生ご夫妻
長山恒夫先生、長山篤子姉ご夫妻と
にじのいえ信愛荘の近くを散策
帰り道に多摩川の清流のほとりまで
ままごと屋(青梅線沢井駅すぐ)で食事
多摩川を渡るつり橋の前で
鮎釣りの方ががんばっておられた
青梅市のまちおこし「レトロ映画看板」



2021年9月19日日曜日

新しい戒め(2021年9月19日 主日礼拝)

ご長寿をお慶び申し上げます(2021年度 敬老はがき)
讃美歌21 155番 山べに向かいて 奏楽・長井志保乃さん


「新しい戒め」

エフェソの信徒への手紙5章1~5節

関口 康

「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。」
明日9月20日が敬老の日で国民の祝日です。昭島教会としても、毎年恒例ですが、75歳以上の方に敬老のはがきを今年もお贈りします。

村上明子さんが生けてくださった美しいいけばなの写真と聖書のみことば付きのはがきです。一言メッセージを私の下手な手書きで書かせていただきました。

送り先のご住所とお名前も、ご奉仕くださった方々がそれぞれ手書きで書いてくださいました。75歳以上の方はどうぞ遠慮なさらず、ぜひお受け取りくださいますようお願いいたします。

手書きであるということを強調させていただきました。下手な字よりもワープロの活字のほうが読みやすくてきれいではないかとお思いになる方がおられるかもしれません。それどころか、21世紀なのだから、紙のはがきより電子メールのほうがかさ張らなくていいのではないかというご意見をお持ちの方がおられるかもしれません。

しかし、こういうことを言いながら笑いが止まらなくなっています。すべて冗談です。不謹慎で申し訳ありません。手書きのほうがいいに決まっているではありませんか。すべて活字の手紙などをもらっても、ありがたくもなんともありません。手書きのほうが、気持ちが伝わる、心の思いが伝わる、それは人間として当然のことです。

この話の流れで申し上げておきたいことがあります。それは、このコロナ状況になって以来、昭島教会の新しい取り組みとして、教会のブログと電子メールを活用して、礼拝開始チャイム、オルガンやピアノによる讃美歌の奏楽、教会が毎週発行している週報、そして宣教要旨などを、インターネット経由で電子的にお配りしていることについてです。

手書きの要素は全く無く、すべて活字です。また、物質的な紙ではなく、電気信号を人間の脳が解読可能な文字に変換して、コンピュータやスマートフォンなどの画面に表示する形です。

敬老はがきも、メールに添付したPDFという形でお送りすれば、いけばなの見事に美しい写真を見ていただくことができますし、字が小さくて読みにくい場合は指先でピッと大きくして見ることができたりします。紙ではないので、汚れたり朽ちたりかびたりすることはありません。

しかし、どうでしょう。電子メールで敬老はがきが届いて「うれしい」と思う方がどれくらいおられるでしょうか。ひとりもおられないとは思いませんが、少数派だろうなと思います。

当然です。そんなのが届いてもありがたくもなんともないです。どうしてだと思われますか。私なりの答えですが、その方法であれば送る側の手間が省け、いとも簡単に大量生産できるからです。100人分でも1000人分でも同じ労力で作ることができます。

そんなものが届いて「うれしい」と思うご高齢の方はおられないと思います。大変失礼なことだと思います。冗談じゃない、どれだけの苦労、どれだけの手間をかけて今日まで生きてきたと思っているんだ、それをなんだ、大量生産の画一的な敬老はがきなど送りつけてきて、失礼にも程があると、お叱りを受けて当然です。

週報や宣教要旨をお送りするメールについても全く同じことが言えると、私は考えています。こんな失礼なものを毎週お送りするのは申し訳ないと本気で考えています。しかし、新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、やむをえず始めたことです。

また、メールやブログで伝えるだけで済むなどと決して考えず、太古の時代から人類の歴史において受け継がれてきた最も素朴な方法で直接お伝えすることと併用することで、なんとか補うという考え方を決して忘れてはなりません。表情と共に、口で、言葉で伝えること。今はマスクで口が塞がれているので、目の表情や声のトーンが大事です。

また、紙と鉛筆や筆で、ひとりひとり固有の、だれが書いたか分かるほど個性ある字で伝える。そのようなことが大事です。お体がご不自由で、字を書いたりすることがおできにならない方を責める意図などは全くありません。そんなことを言いたいのではないということは活字では正確に伝わらないかもしれません。しかし、直接お会いして、目と声の表情を伝え合いながらお話しすれば、必ず真意が伝わるはずです。

今日は、エフェソの信徒への手紙5章の1節から5節までを朗読しました。この中で特に今日、敬老のお祝いとの関係で申し上げたいのは、2節に「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」と記されていることについてです。

ここに書かれている意味の「供え物」とか「犠牲」は、ユダヤ教では今でも行っている、動物を屠殺して火で焼いて祭壇に置く儀式のことを指しています。それで分かるのは、供え物から立ちのぼる「良い香り」は、香水のかおりではなく、動物の肉を焼いた薫りのことだということです。

動物ならば「おいしそうだ」で済む話ですが、イエス・キリストの場合はそれでは済みません。イエスさまがお受けになったのは火炙りの刑ではありません。しかし、文字通りの命を献げて、全人類を愛し、弟子たちを愛し、わたしたちを愛してくださっています。

そのイエス・キリストの愛に倣ってわたしたちも互いに愛し合い、愛によって歩むべきであることが勧められています。ということは、互いに愛し合いながら生きていくわたしたちから立ちのぼる香りも、動物の肉が火で焼かれて食用にされるときと同じような性質のかおりであることを想像するほうが正しいということです。

もちろん、すべてはたとえです。実際に自分の体を焼いたりしないでください。そんなことをしてはいけません。しかし、イメージとしては、実際に自分の体が現実の火で焼かれているような痛みや苦しみを味わい、最終的に地上の命そのものが終わるのと同じであるということです。

人生というのは、そういうものでしょう。先輩がたはそのことをよくご存じでしょう。現実の火で現実の体を焼かれているのと同じほどの激しい痛みや苦しみを味わいながら生きていくのが人生であり、逃げ場がないオーブンや鍋の中に入れられて焼き殺されるのと大差ないことを。

それだけの痛みや苦しみを現実に味わい続けて来られた方々だからこそ敬老のお祝いをさせていただきたいのです。それは犠牲の愛であり、息の長い、時間をかけた、熟練した愛です。

その愛を、いとも簡単に大量生産が可能なインターネットのメールやブログ、またすべて活字で埋め尽くされた印刷物で伝えることは不可能です。「これですべて片付いた」と私は全く考えることができません。その方向に突き進んで行ったりは決していたしませんので、ご安心ください。

いろんな制約や苦労を伴う形であっても「対面」で行う礼拝や集会を、これからも重んじます。

(2021年9月19日 主日礼拝)

2021年9月17日金曜日

平和学園小学校 児童礼拝


ヤコブの手紙2章1節

関口 康

「わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません」

おはようございます。平和学園小学校で今年、5年生と6年生の聖書の授業をしている関口康です。先ほど朗読してもらいました聖書の箇所のお話をします。

「わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません」(ヤコブの手紙2章1節)と書かれています。どういう意味でしょうか。

皆さんは「差別(さべつ)」という言葉を知っていますか。まだ知らない、よく分からない人がいるかもしれません。高学年の皆さんは知っていると思います。

今日の聖書の箇所に書かれているのはそのことです。「人を分け隔てしてはなりません」というのは「差別してはいけません」という意味です。

「差別」という言葉をまだ知らない人も含めて、みなさんにお尋ねします。差別することは、いいことですか、悪いことですか。知らない人は「なんとなく」でいいです。差別しても「いい」ですか、それとも「悪い」ですか。

その答えは「悪い」です。人を差別してはいけません。でも、人を差別するとはどういうことかは、人それぞれ考え方やとらえ方が違うかもしれません。「差別」とは具体的にどういうことなのかが続きに書かれています。

「あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、『あなたは、こちらの席にお掛けください』と言い、貧しい人には、『あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい』と言うなら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか」(2~4節)。

小学生の皆さんが学校に「金の指輪」をはめてくることは無いと思います。でも仮にそういう人がいることを想像してみてください。ダメですけどね。お母さんから金の指輪を借りて来ないでくださいよ。もししてきたら、校長先生に預かってもらいますからね。あくまでも仮の話です。

そういう「立派な身なりの」人が、この学校のこの部屋に入って来る。その人には特別に立派な椅子があって、「どうぞそちらにお座りください」と誰かが言う。

そこに別の人が入って来る。その人は、聖書の表現をそのまま使うと「汚らしい服装」である。この言い方悪いね。「きたならしい」は、もうちょっといい言葉ないかなと思いますけどね。その「きたならしい」人には、椅子がないの。座らせてもらえないの。「そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言われるの。

どうして座らせてもらえないのでしょうかね。さっきみんな外でドッジボールをしていましたが、そういうときはみんなが泥だらけで「きたならしい」ので、いいのです。そうではなくて、その人ひとりだけが「きたならしい」から、目立つんだよね。そういう人には、そこに立ってなさい、それか、地べたに座ってなさい、椅子が汚れるから、と言われているのだと思います。

しかも、今日の聖書の箇所を読むと分かるのは今から二千年前の話です。イエスさまを信じる人たちが集まる教会の中でそんなことが実際にあった、ということです。

イエスさまを信じている人たちですよ。その人たちが、「汚らしい服の人は、その椅子に座るな、立っているか、地べたに座っていろ」とか言って、美しい身なりの人とそうでない人たちを差別する人がいた、というのです。

ダメでしょ、これ。いいと思いますか、ダメですよね。そんなことを言われた日には、教会なんか一生行くものかと、だれだって思うでしょう。神さまだとかイエスさまだとか、そんなもん、信じてやるもんかと思うでしょう。イエスさまを信じているとか言っている人たちが、そんなひどいことをするなら、何を信じたって意味ないよと、だれだって、そう思うでしょう。

そんなことをしていいと思っているのですか、ダメでしょうという意味のことが、今日の聖書の箇所に書かれています。

これは2千年前の話です。でも、今はこんなことは絶対にない、教会に限っては絶対にないと言えるかどうかは正直ちょっと心配になるときがあります。

私はいま55歳です。ふだんは教会の牧師さんです。牧師さんは、70歳か75歳ぐらいまでは、なんとか仕事ができると思います。なので、私もあと20年ぐらいは牧師さんを続けられるのではないかと思っています。

20年後、みなさんは26歳から32歳までくらいです。ですよね。その頃もたぶん私は牧師さんです。そのころに、皆さんとぜひまたお会いしたいです。ぜひ教会に来てください。皆さんのことを待っています。

そのとき、皆さんがもし「汚らしい服装」で来ても、「どうぞこちらにお座りください」と大切なお客さまをお迎えできる教会の牧師さんでありたいと願っています。

人生いろいろあるんです。30歳にもなると、いろいろ困ったことに直面します。会社をクビになったとか、友達と大ゲンカしたとか、お金が無くなっちゃったとかね。

そういうときに私の教会に来てください。「平和学園小学校の卒業生です」と言ってくれれば、大歓迎します。私もちゃんと覚えてますからね。

そのとき、服を買うお金も無くなって「きたならしい」格好で来てくれても、もちろん大歓迎します。みんなが教会に来てくれたら、そのとき私がみんなのために美味しいラーメンを作ります。美味しいですよ。

いま毎日、ラーメンを作る練習をしてるんです。今から20年も練習したら、ラーメンのプロです。その頃はコロナの心配はなくなっていると思うので、大丈夫です。

20年後にみんなが教会に来てくれるまで、私も教会の牧師さんとしてがんばります。みんなでラーメン食べようね。その日まで「どんな人が来ても絶対に差別しない教会」を目指してがんばります。

だから、みなさんも「絶対に人を差別しない」と心に誓って生きていってほしいです。よろしくお願いします。

(2021年9月17日 平和学園小学校 児童礼拝)


2021年9月12日日曜日

隣人(2021年9月12日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
  
讃美歌21 510番 主よ、終わりまで 奏楽・長井志保乃さん


「隣人」

ヤコブの手紙2章5~13節

関口 康

「憐れみは裁きに打ち勝つのです」

ヤコブの手紙についての宣教を、昭島教会で過去2回させていただいたことが、手元の記録で確認できました。2回とも2年前の2019年で、その年の9月1日と10月13日です。しかも今日は2章5節から13節までを朗読しましたが、2年前の2019年10月13日に2章の1節から9節までを朗読し、その箇所についてのお話をしましたので、重複しています。

そのときの原稿を読み直しました。それで分かったのは、私の聖書の読み方は変わっていないということです。2年くらいで変わってしまうようでは信用ならない説教者であると言われても仕方がありません。私の信仰がブレていないという意味だろうと、よく解釈しておきます。

この手紙の2章は、新共同訳聖書が「人を分け隔てしてはならない」という小見出しを付けているとおり、《差別》の問題を取り上げています。1節以下に次のように記されています。

「わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、『あなたは、こちらの席にお掛けください』と言い、貧しい人には、『あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい』と言うなら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか」(1~4節)。

ほとんどはっきり言えるのは、これは空想の話や仮定の話でなく、西暦1世紀のキリスト教会の中で現実に起こった出来事についての、あからさまな描写であろうということです。どうしてそのようなことが「ほとんどはっきり言える」と言えるのかといえば、どの時代のどの国のどの教会の中でも実際に起こってきたし、今のわたしたちが全く無関係であると言えるだろうかと自分自身に問いかけてみるとおそらくすぐ答えが出るだろうことだからです。

昔も今も人間は変わっていないし、教会も変わっていません。この箇所に描写されているような状況の中で、人が考えること、行動することに大差はありません。しかし、だからといって、教会の中ですら差別が起こるのはやむを得ないことだと開き直って、それをまるで抵抗しえない運命であるかのように言い張るようなことでもするとしたら、果たしてそれはイエス・キリストの体なる教会なのでしょうか、教会ならざる別の集団へと成り代わってしまっているのではないでしょうかと、わたしたち自身も激しく自問自答すべきですし、ヤコブの手紙の著者ヤコブも、同じ問いの前に立たされていたのではないかと、容易に想像することができます。

昭島教会でこのようなことを私が見かけたことは一度もありませんが、美しい身なりの人には「どうぞこちらへ」と勧められる席があり、そうでない人には(椅子が汚れるから、でしょう)「立っていなさい」と言われてみたり、「地べたに座っていろ」と言われてみたり。そんなとんでもないことは、教会に限った話ではなく全世界の全領域において起こってはならないことですが、百歩譲ってせめて教会の中では完全に否定されなければなりませんが、現実はどうでしょうか。

5節に大切なことが記されています。「わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか」(5節)。

これは、最初にイエスの弟子になった12人の使徒を中心にした弟子集団、そしてまたイエス・キリストの復活と昇天、さらに聖霊降臨の出来事を経て誕生したキリスト教会を指しています。その人々が「世の貧しい人たち」であるというのは、社会的・経済的な意味での貧困層に属していた人々を指します。神はそういう人たちを「あえて」選んだと言われているのは、そこに神の明確な御意志が働いていたという意味です。

もちろん人それぞれの面があるでしょうけれども、教会に初めて足を運び、門をくぐる気持ちになったきっかけが、必ずわたしたちひとりひとりにあるでしょう。「貧しさ」ゆえに現実の生活が立ち行かなくなり、助けを求めて彷徨い、教会にたどり着いたという人もいるでしょう。

しかしまた、その教会自身も、ほとんど同じ境遇の中で、それぞれの個人の歴史の中で貧困を体験し、助けを求めて彷徨って、イエスさまのもとへと、あるいはイエスさまを信じる信仰へとたどり着いた人々の集まりであって、特定の篤志家が築いた財団であるわけでない。教会に援助を求めたとしても、さっとお金を渡してもらえるわけではない。長い年月をかけての地味で地道な助け合いと支え合いの中で各自の人生を立て直していく、その意味での「生活共同体」として教会がある。その事情は二千年の教会の歴史の初めからそうだった、ということです。

そうだったはずでしょうと、ヤコブは読者に問いかけたがっています。「だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた」(6節)。教会は初心を忘れてしまったのか、と。身なりの良し悪しなどで差別するような集団に、どうしてなってしまったのでしょうか、と。

「富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか。また彼らこそ、あなたがたに与えられたあの尊い名を、冒瀆しているではないですか」(6~7節)とあるのは、当時実際に起こった具体的な出来事を指していると思われます。

イエス・キリストの名を冒瀆する人々が、教会を妨害するための口実を見つけては裁判所に訴えて、教会の活動を妨げる判決を引き出そうとしていたかもしれません。お金が物を言う場合があります。貧しい人たちには太刀打ちできません。そのような妨害者たちが使う手口と、教会がすることと同じでもよいと思いますか、おかしいと思いませんかとヤコブは問いたがっています。

「憐れみは裁きに打ち勝つ」(13節)とヤコブが書いています。この文脈での「裁き」の意味は、裕福な人たちがお金と権力を用いて思いのままに動かす裁判所の判決のことであると思われます。裕福な人たちは自分たちに都合の良い判決を引き出し、弱い人たちを敗訴に追い込もうとするが、人を差別している時点でその人たち自身が重大な罪を犯しているので、神の裁きにおいて敗けているのはその人たちのほうだ、という意味です。

ですから、「人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます」(13節)の意味は、支配力をほしいままにして弱い人を虐め、貧しい人を嘲笑したりしてきた人は、神の厳しい裁きを受けるということです。そのようなことをしなければよいのです。神の厳しい裁きを免れるでしょう。「隣人」に対する(良い意味での)「憐れみ」を持つことを決して忘れてはなりません。

わたしたちに直接当てはまることかどうかは各自で考えることです。「耳が痛い」と感じる点があるとすれば、そこがわたしたちの急所です。教会だけが例外であることはありません。

(2021年9月12日 主日礼拝)

2021年9月5日日曜日

教会の一致と交わり(2021年9月5日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 390番 主は教会の基となり 奏楽・長井志保乃さん



「教会の一致と交わり」

コリントの信徒への手紙一 1章10~17節

関口 康
「皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」

今日から礼拝堂での主日礼拝を再開することにしたのは、先週までの状況と比べて今日の状況に大きな変化があったからではありません。それどころか、もしかしたら先週より状況がもっと悪化していると考えなければならないのかもしれません。

8月1日(日)にわたしたちは礼拝堂で礼拝を行いました。しかし、その翌日の8月2日(月)に政府が「重症患者や重症リスクの高い方以外は自宅での療養を基本とする」という声明を発表したことを知り、事実上の「医療崩壊」が公言されたと判断しました。それは、最初は私個人の判断でしたが、役員会の全員が同意してくださいましたので、8月8日(日)から8月末まで礼拝堂での礼拝を取りやめ、各自自宅礼拝の形に切り替えさせていただきました。

しかし、誤解が無いようにはっきり申し上げます。昨年度も今年度も、当教会を含む宗教法人に対する礼拝堂封鎖のようなことが要請されたことは一度もありません。もしそのような要請があるとしたら、言い方は悪いですが「お役所仕事」ですので、紙に印刷された通知の書面が政府名義で全宗教法人に必ず届くはずですが、そのような書面は存在しません。

悪口や当てこすりを言いたいのではありません。しかし、全国の教会の中に「緊急事態宣言が発出されたので」という理由で各自自宅礼拝やオンライン礼拝に切り替えたところがあることを私は知っています。しかし「されたので」と関連付けて言ってしまいますと、まるで政府が教会に何かを命令したかのように誤解する人が出てきかねません。しかも政府は「発令」という言葉を一度も使っていないはずですが、何かにつけて「発令」と言いたがる向きを感じます。誤解や誇張があると言わざるをえません。

なぜこんな話を長く続けているかというと、「まだ緊急事態宣言は終わっていないではないか、さらに延長する可能性があるらしいではないか、それなのにどうして今日からの再開なのか」という疑問があるだろうと思うからです。

結論からいえば、我々は「緊急事態宣言が出たので」礼拝堂を閉鎖するとか、「解除されたので」礼拝堂での礼拝を再開するという関係にない、ということです。だれが何と言おうとお構いなしにやりたい放題やってよいということではありません。冗談にも口にすべきでない。そうでなくわたしたちは、政府とは別に独自の判断をせねばならないということです。

わたしたちが自主的になすべき判断の根拠や基準は何なのかは、必ず問われることになりますが、それは別問題だと私は考えます。このあたりで今日の聖書の箇所に記されていることが深く関係してくると思いますので、そろそろ聖書の話に移ります。

しかし、その前に言うべきことがあります。「主の日」と呼ばれる日曜日ごとに、共に集まって礼拝をささげること自体は、それを「する」か「しない」かを教会ごとに判断するという関係にありません。「する」ことが教会にとって自明なことであり、「しない」という選択肢は教会にはありません。教会の信仰によれば、天地創造の初めから神ご自身が6日働いて7日目に休まれたという教えに基づき、7日ごとに神の前で安息を得るために礼拝することが教会の存在理由です。

ただ、その「共に集まる」の意味する内容が広がってきたことも事実です。特に今日インターネットを用いて「ヴァーチャルに集まる」ことが可能になってきました。それが今のわたしたちのギリギリの判断です。しかし礼拝を「する」か「しない」かは、わたしたちが自由に決める問題ではありません。その選択肢が自分たちの手中にあると思い込んでいるとしたら、もはや「教会」ではありません。

それで今日の聖書の話です。使徒パウロがコリントの教会に宛てて書いた手紙の、比較的冒頭に近い部分です。そこに「皆、勝手なことを言わず、仲違いせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい」(10節)と記されています。

「勝手なことを言わず」というのは、ずいぶんきつい言い方ですが、理解はできます。大切なのは「心を一つにし思いを一つにする」ことです。それが「教会」だとパウロは確信しています。心も思いも一つにすることができない状態が続くことを、パウロは懸念しています。

今日の箇所に書かれている内容は、比較的よく知られていることです。コリント教会の設立者はパウロです。パウロが開拓伝道者です。しかし、この手紙を書いているパウロはもうコリントにはいません。別の地で伝道しています。コリント教会にパウロの後に来た伝道者がアポロです。しかし、どうやらアポロの言うこととパウロの言うことに違いや差があったようです。それで、コリント教会の中にどちらが正しいかの論争が始まりました。

しかし、どちらも正しくないと考える人たちが出てきました。当時のキリスト教会の最高責任者は、最初にイエスさまの弟子になったペトロでした。「ペトロ」はギリシア語人名ですが、その意味は「岩」です。当時イエスさまもペトロもアラム語で話していました。「ケファ」は「岩」のアラム語です。つまり、聖書に登場する「ケファ」は使徒ペトロのことです。

パウロの言うこともアポロの言うことも、どちらも正しくないと考えた人たちが、当時の教団の最高責任者のペトロに従おうと考えました。それが「わたしはケファに」(12節)の意味です。いや違う、我々が従うべきは、生前のイエスさまの最初の弟子のペトロだとかではないし、生前のイエスさまに直接会ったことがあるわけでないパウロやアポロでもなく、イエスさまご自身だ、キリストだと言い出した人たちもいました。それが「わたしはキリストに」(同上節)の意味です。

そのような言い争いをしているコリント教会にパウロが言いたいことは、「わたしは誰につく」という発想そのものをやめなさい、ということです。「キリストにつく」という答えが最も正しいという説明を私もどこかで聞いたことがありますが、パウロが言っていることとは違います。

パウロの主旨は、けんかをやめなさい、心と思いを一つにしなさいです。この点、わたしたちは惑わされてはいけません。もし「キリストにつく」だけが正しい選択肢で、パウロもアポロもペトロも神でも救い主でもなく、ただ邪魔なだけで信仰とは関係ないなどと言って、蹴散らしてしまうのであれば、わたしたちが新約聖書を読む意味がなくなってしまうでしょう。なぜなら、新約聖書のすべてがイエスさまの(広い意味での)弟子たちが書いたものなのですから。

回りくどい話になりました。わたしたちが今日から礼拝堂での礼拝を再開するのは、「心と思いを一つにする」ためです。「各自自宅礼拝」が長期化すると、この点が難しくなります。とにかく集まり、顔と顔を合わせて共に礼拝する。それが「教会」です。

礼拝堂での礼拝を再開する「判断基準」があるとすれば、「心と思いが一致しているかどうか」にかかっています。そうかどうかを確認できなくなっていくことが教会にとって最も危機です。インターネットが「共に集まる」の趣旨にぴったり当てはまるかどうかは、今後の課題です。

(2021年9月5日 主日礼拝)

2021年8月29日日曜日

福音の世界(2021年8月29日 各自自宅礼拝)

「雲の中の虹(創世記9章16節)」2021年8月19日午前5時 関口康撮影
讃美歌21 218番 日暮れてやみはせまり 奏楽・長井志保乃さん

「福音の世界」

昭島教会 秋場治憲兄

ローマの信徒への手紙人3章19~28節、4章4~5節

「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して神の恵みにより無償で義とされるのです。」

私達は今新型コロナウイルスによる感染症予防のため、自宅での礼拝が余儀なくされています。何度も収束するかに思われながらもその都度ぶり返し、現在は更に感染力を増したデルタ株なるものが猛威を振るい、東京都では病床の確保が困難な状況が続いています。しかし同時に新たなワクチンの開発も進んでいるということが報道されています。私達はこの災禍が一日も早く終息することを祈りながら、罹患された方々の回復を祈りながら、今朝も聖書の言葉に耳を傾けたいと思います。

この状況は、しかし、同時にじっくりと腰を据えて、時間無制限で聖書の学びに注力できるという状況でもあるのではないかと思います。語る方も時間を気にせず、皆様もコーヒーブレイクをはさみながら読んでいただければと思い、いつもよりたっぷりの分量をお届けしたいと思います。分からないところは読み飛ばし、分かるところを拾い読みしてください。終わりまで行くと、分からなかった所が分かるようになります。

私は前回5月23日、ペンテコステ礼拝(聖霊降臨日)にお話を致しました。神はその御子イエスの上にアダム以来猶予してきた人間のすべての罪を置き、これを徹底的に打ち砕かれた。そのことによって神は罪に対するご自分の正義を示し、同時に我々罪にまみれた人間が赦される道を開かれた。わずかに50日前の過ぎ越しの祭りにおいて、「殺せ、殺せ、十字架につけよ」と叫んだユダヤ人たちも、主イエスを置き去りにして逃げ去り、自らの身の安全をはかった弟子たちも、また自分の言っていることが真実でないなら、自分は神に呪われてもいいとまで断言したペテロも、その罪が赦されて生きる道が示されたのでした。神はかつてバベルの塔を建設し、神の座に座ろうとした者たちの言葉を通じなくし、地の表に散らされた。しかしペンテコステにおいては罪が赦されたことを知らされた者たちは、深く悔い改め、神に栄を帰す者とされたのです。そして栄を神に帰す者たちは、その謙遜ゆえに互いにその言葉が通じる者たちとされ、ここに教会が誕生したのでした。ペンテコステはバベルの塔の回復となりました。しかしそれには神がアダム以来犯されてきた人間のすべての罪をその独り子イエスの上に置き、十字架の上で断罪するということがなければなりませんでした。

この審きに対して御子イエスは「出来ることなら、この杯を我より取り去り給え」と三度も祈りながらも、「しかしわが思いではなく、御心がなりますように」と祈り、この審きに対して、「否」とは言わず、「御心がなること」を受け入れられた。父なる神はこのイエスをキリスト(油注がれた者、御心にかなう者、神の子)と認定され、よみの世界から高く引き上げ、そして神の右に座す者とされたのです。概略として、こういうお話を致しました。

聖霊はペテロたちにそして三千人のユダヤ人たちに対して、その心を強く刺し貫き、深く悔い改め、神に栄を帰すものとされ、それぞれの生まれ故郷へ送り返された。そしてそれぞれの生まれ故郷で、教会が誕生したのでした。これが使徒言行録2章に書かれていることの概略です。

そして次の3章になりますと、聖霊は300人どころか3人でさえない一人に向かうのです。この人はエルサレム神殿の東側にある「美しの門」を通って、祈りのために神殿にくる人たちに物乞いをするために置かれていた人です。聖霊は自分の力では歩くことも出来ない一人の男に向かうのです。ここから教会が始まるのです。奇しくもここは主イエスが、レプタ2枚を捧げたやもめ[1]に注目した場所でした。

 これらのことを念頭に置き、今日のテキストに入りたいと思います。ローマ人への手紙3:19からですが、19節と20節を読んでみます。

 19.さて、私達が知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。20.なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。」

マルチン・ルターが修道院の中で、神の前で義とされるために、修道院で定められたものにとどまらず更に多くの苦行をして清くなろうとした際、「手を洗えば洗うほど、汚くなる」と語った言葉が象徴的です。しかし21節以下には、次のように続きます。

21.ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。22.すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。23.人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、24.ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。25.神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。26.このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、ご自分が正しい方(義)であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。」(新共同訳)

ある新約学者は「ここはローマ人への手紙の中心かつ心臓部である」と言っています。確かにその通りなのですが、私はここを読んでいてどうもしっくりこない時期がありました。<ガッテン>と手を打ち鳴らすことが出来ない悶々とした時期がありました。それは「信仰」が救われるための条件なのか?ということでした。パウロは24節に「神の恵みにより無償で義とされるのです。」と言っていますが、22節の口語訳は「イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。」と「信仰」が前提となっています。

私の自主的、主体的な人間の業としての信仰により救われる、義とされるというのでは、本質的に律法の下にある行いと変わらなくなってしまう。そうすると19節で「律法によっては罪の自覚しか生じないのです。」という言葉通り、私達はまだ駄目だ、まだ駄目だ、これでもか、これでもかとなり、ルターが言うように「手を洗えば洗うほど、汚くなる」という立場を続けるほかないのです。

またパウロ自身も「善をなそうと思う自分には、いつも悪がつきまとっているという法則に気付きます。『内なる人』としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって、心の法則と闘い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。わたしは何と惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。[2]」と叫びながら、「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」と罪の法則のとりこになっている自分が、主イエス・キリストを通して救われたことを感謝しています。ここにはいつも悪にまとわりつかれているパウロ自身が、「手を洗えば洗うほど、汚くなってしまう」自分自身が、そのままで「神の恵みにより無償で[3]」(新共同訳)、「価なしに、神の恵みにより、」(口語訳)救われた、義とされたことに感謝をしています。

私達はペンテコステ礼拝において、ペテロも弟子たちも、三千人のユダヤ人達も、そのままで赦されたことを学んだばかりではなかったでしょうか。私達の罪はすべて御子の贖いによって、赦される道が開かれたのではなかったか。主イエスご自身も「律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている。[4]」(新共同訳)

3:23には「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています」とあります。RSVはここをsince all have sinned and fall short of the glory of God と訳しています。すべての人間は罪を犯したので、神の栄光に届かなくなってしまっている、欠けている、不足している、~を持っていない、というのです。しかし「24.ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」と続きます。これは私達の側からは神の栄光に(義に)届かなくなってしまっているけれども、神の側から「25.このキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。」という言葉が示す通り、神の義が私たちのところへ届けられた、というのです。

にもかかわらず22節の「イエス・キリストを信じることにより、」という言葉は、私達に自主的で、主体的な信仰と引きかえに神が救いを、義を与えるというニュアンスを拭い去ることはできず、以下に続く「無償で」「価なしに」「神の恵みにより」という言葉と整合性が取れなくなっています。もし神が私たちの信仰と引きかえに救いを、義を与えるというのなら、それは「無償で」「価なしに」「神の恵みにより」というのではなく、当然の「報酬[5]」であり、決して恵みということはできません。そしてもし私たちの自主的・主体的な信仰により神の義に到達することが出来たとするなら、その人は神の前に誇りうることでしょう。しかし聖書はその可能性を23節で「人は皆、・・・[6]」と全面的に否定しています。また、27節では、「では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました[7]どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。28.なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。」(新共同訳)しかし私のイエス・キリストを信じる信仰によって与えられた神の義であるなら、私達は誇りうるのではないでしょうか。

ここには翻訳の問題があります。英語で The love of God というと、これは「神の愛」(神の人間に対する愛)という意味であるということは分かると思います。しかしこの「of」にはもう一つの意味があります。「人間が神を愛する愛」という全く正反対の意味にもなります。これは文法的には「目的関係のof」と言われ、前者は「作者・作為者のof」と言われています。昔使った英和辞典を引っ張り出し、of の項目を上から下まで調べてみて下さい。

22節の言葉を使い分けて訳してみます。一つは聖書にあるように後者の訳(目的関係のofイエス・キリスト信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。

イエス・キリストを信じる私の信仰により、神の義が与えられる、というのです。

これを前者の(作者・作為者のof)で訳してみると、

「イエス・キリスト信仰による神の義が、信じる者すべてに与えらえます。[8]となります。

イエス・キリストの十字架の死に至るまで従順であったその信仰[9]に対して神がイエスに与えた神の義が、私達、不信心で不信仰なすべての者に与えられるということになります。この「信じる」は、私達の働きによることではなく、神の働きに帰せられるべきものであり、人はただ受け取るだけですから条件にはなりません。私達はただ受け入れるだけということになり、次に続く「無償で」「価なしに」「神の恵みにより」ということばと整合性がとれることになります。ペテロが、弟子たちが聖霊降臨によって息をふきかえしたこととも、パウロが「わたしは何と惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。[10]」と叫びながらも、『わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。』」という告白に至ったことにも整合性がつきます。

原典の構造は、

「義 つまり 信仰による イエス・キリストの(を) すべての者に 信じる[11]」 となっています。

これをイエス・キリスト信じる我らの自主的な信仰によって与えられる神の義と読むか、イエス・キリスト信仰(従順)によって与えられた神の義が、信じる(受け入れる)すべての者に与えられると読むかということによって、まったく別の世界が広がります。イエス・キリストの信仰(十字架の死に至るまでの従順)によって神からイエスに与えられた神の義が、私達すべての者に与えられるというのです。しかも「無償で」「ただで」「価なしに」与えられるというのです。有償では到達できない者に、価を差し出すことが出来ない者に、無償で、価なしに神の義が分け与えられるというのです。これこそ福音の世界ではないでしょうか。

思い出して下さい。アダムに対する神の怒りは、アダムの首をかすめるようにして、大地に突き刺さったのです。大地は茨を茂らせアダムは額に汗して、その食をえるものとされました。しかも神はアダムに対する刑罰どころか、罪を犯した二人に神が手ずから作った破れることのない皮の衣を着せてエデンの園から送り出されたのです。しかしこのことは「神の義」に対する曖昧さを醸し出す結果となりました[12]。あたかも蛇のエバに対する誘惑の言葉が真実であるかのような結果になっていたのです。「蛇は女に言った。5.決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。[13]」蛇は嘘は言ってない。人は確かに蛇がいうように善悪を知る者となった。しかし善悪を知ったアダムとエバは、神の歩かれる音にさえ怯えるものとなり、その責任を問われると、その責任を転嫁する者となったのです。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、たべました。」アダムは最終的に食べる決断をしたのは自分自身であるにもかかわらず、悪いのは私ではなく女であり、しかもその女を自分に与えたのは神様であり、悪いのは神様、あなたではありませんか、と言わんばかりに神に向かって抗論するのです。神の義ではなく、自分の義を立てようとしているのです。エバはと言えば、「蛇がだましたので、食べてしまいました。」と蛇にその責任を転嫁するのです。善悪を知った二人は、悪を退け善を選ぶのではなく、神をさえ悪者にしてでも<自分は悪くない>という者になってしまったのです。カインにおいても、ノアの時代の人々においても、またイスラエルの歴史においても多くの預言者たちの警告にもかかわらず、人間はその立場を悔い改めることはなかったのです。このことに対する神の刑罰は、イエス・キリストの登場まで猶予されてきたということが、25・26節以下に語られているのです。そしてこのことは既に、創世記3:15に福音の原型(キリストの受難と罪と死の力に対する勝利)として記されているということは、驚くべきことです。

25.神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。26.このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、ご自分が正しい方(義なる方)であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。」(新共同訳)

25.神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見逃しておられたが、26.それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。」(口語訳)

16.神は、その独り子をお与えになったほどに、世(私たち)を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。17.神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。18.御子を信じる者はさばかれない、信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。[14]」(新共同訳)

こうやって見てくると、バプテスマのヨハネの言葉、「見よ、世(私達)の罪を取り除く神の子羊[15]」とはなんと深く、悲しく響いてくることでしょう。そして私達の信仰の確かさは、私達がしがみつくことにあるのではなく、神が私たちを捉えて下さっているということを信じる(受け入れる)ことなのだということがわかるのではないでしょうか。神が人間の罪に対する責任をとられたのです。イエス・キリストの信仰による神の義が、不信仰、不信心な私達に届けられた、分け与えられたというのです。ここに私達の信仰の確かさがあるのです。私達が信じる不確かな信仰にあるのではなく、ゴルゴタの丘の上で示された事実にあるのです。

北森嘉蔵先生がこの事を分かり易く説明していますので、以下に引用しておきます。「この間の消息を明らかにするために、猿と猫のたとえを用いよう。猿の母子の場合には、母猿は四肢を使って木から木へと渡り歩くので、子猿をとらえているわけにはゆかない。子猿のほうから母猿をとらえていなければならない。したがって、子猿のほうが少しでもまどろんだり油断したりすると、転落するのである。ところが、猫の母子の場合には、全く異なる。そこでは母猫のほうが子猫を加えて移動するのである。したがって、子猫のほうが少しぐらいまどろんだり油断したりしても、けっして転落することはないのである。

聖書のいう意味での『信仰』は、猿式ではなくて猫式である。子である人間は父である神によって、知られ、とらえられているところに、確かさを与えられているのである。人間自身の信仰は、この『とらえられている』ことが人間の意識の上に反映しているにすぎない。それは反映であって、決定的なことは反映されている向こうがわにある[16]」。 猿式の信仰と猫式の信仰の背後には、こんなに深い意味が隠されていたのです。

この22節の理解の仕方は一人私の思い付きではなく、20世紀最大の神学者と言われたカール・バルトという人が、「福音と律法」という論文の中でも指摘しています。断っておきますが、私は決してカール・バルトの神学をよく知るものではありません。ドイツ語さえままならない者です。それでも時々井上良雄訳の書物を手にとるのは、難しい内容を部分的にでも理解できるように訳してあるからです。以下にその難しい論文のここに関する部分を引用しておきます。

これこそイエス・キリストが『その地上における全生涯にわたって、ことにその最後に当って、』われわれのためになし給うたことである。彼は全く端的に、信じ給うたのである(ローマ3:22、ガラテヤ2:16等の『イエスの信仰』[口語訳聖書では、「イエス・キリストを信じる信仰」] πιστις(ピスティス信仰)  Ιησου(イエースー 「イエスの」又は「イエスを」)は、明らかに主格的属格[17]として理解さるべきものである)。[18] 注参照。

我らの自主的・主体的な信仰は fall short of the glory of God 神の栄光に届かなくなっている、神の栄光を持っていない、と聖書が断言しているのに、私達は相も変わらず自らの奮闘、努力によって救いを、永遠の命を得ようとして、絶望に打ちひしがれていないでしょうか。これは「善きサマリヤ人」の譬に登場してきた律法学者の立場です。人間の側からの「働き」としての信仰を差し出さなくても、不信仰な者をそのままで義とされる神の恵みを受け入れるなら、その信仰が義と認められるというのです。義と認めるということは、私達の状態が義ではないにもかかわらず、価なしに、ただで、無償で義とみなされるということです。人間の状態が義でないということは、人間の側から救いの条件を満たし得ないということです。万が一にもその条件を満たし得るなら、キリストは十字架に架けられることはなかったのです。そのような不信仰な人間を、イエス・キリストの信仰の故に、神は義とみなされるのです。信仰とはこの神の恵みを受け入れることなのです。

私達が主と仰ぐイエス・キリストは私達に代わって、― 十字架は私達の罪に対する神の答えであり、亡びに至る道 ― その道を私達に代わって歩まれたのです。私たち自身はパウロが言うように、死せるもの以外の何物でもありません。以下はカール・バルトの「福音と律法」からの引用です。

「私はキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、私ではない。キリストが、私のうちに生きておられるのである。しかし、私が今肉にあって生きているのは、私を愛し、私のために御自身をささげられた神の御子の信じる信仰によって、生きているのである。(これを言葉通り理解すれば<私は決して神の子に対する私の信仰に由って生きるのではなくて、神の子が信じ給うことに由って生きるのだ>ということである。)」(ガラテヤ2:19以下)[19]したがって恩寵の下にある人は、「いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰に宿る人は、主に言うであろう、『わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神』と」(詩篇91:1)という旧約聖書の言葉によって、表現することが出来る。[20] 

ガラテヤ2:20を口語訳や新共同訳のように「神の御子を信じる信仰によって生きる」と理解するなら、これほど不確かなものはなく、そこは「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」とはならないことは、私達自身がもっともよく分かっていることではないでしょうか。その不確かな私達の信仰によってではなく、私達の代わりに、代理として、神の御子が十字架の死に至るまで従順に生きられたその信仰を神は義と認め、この御子に賜った「神の義を」、御子を信じる(受け入れる)すべての者に分け与えられるというのです。不信人で不信仰な人間をそのままで、神の子に与えられた義をもって覆われるというのです。丁度父の財産を使い果たしてボロボロになって、裸足で帰ってきた息子をはるか遠くに認めた父が、脱兎のごとく駆け寄り、抱きしめ、接吻し、最上の服を着せ、サンダルを履かせ、子としての証である指輪をはめ、肥えた子牛を屠って食べ祝おうではないか、というのです。子羊ではありません。子牛です。今風に言えばローストビーフかビフテキか、というところです。この放蕩息子の譬に先立って「無くした銀貨の譬」があり、「見失った羊の譬」があります。神は私達の帰還を待ちわびている様子が、手に取るように生き生きと描写されています。

エデンの園には「善悪を知る木」ともう一本「命の木[21]」がありました。神はアダムとエバをエデンの園から送り出した後真っ先にやったことは、エデンの園に至る道に「ケルビムときらめく剣の炎[22]」を置き、命の木に至る道を封鎖された。人間が罪あるままで永遠に生きることのないように。しかし今やこの「命の木」が、ゴルゴタの丘の上に立てられたのです。

そして今やすべての人間に再び神と共にあるエデンの園への帰還が呼びかけられているのです。神はそのためにエデンの園にあったもう一本の木、「命の木」をすべての人間の罪の贖いとして、ゴルゴタの丘の上に立てられたのです。このことがクリスマスの夜に、闇の中で誰よりも暁を待ち望む羊飼いたちに「恐れるな。私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。・・・」と真っ先に伝えられたことだったのです。

これらのことを念頭に置き、今一度今日のテキストを3:22を「イエス・キリストの信仰による神の義が、受け入れるすべての者に与えられる。そこにはなんらの差別もない。」と読みかえて読んでみて下さい。今までとは違ったニュアンスを感じられたなら幸いです。

祈ります。今日のこの新型コロナウイルスが猛威を振るうなかで、困難に直面している者、また悲しみのなかにある者、病の床にあり家族、友人との面会さえ出来なくなっている者達と、あなたが共にあり慰め、励まし、その心を平安で満たして下さいますよう御前に切に祈ります。










[1] マルコによる福音書12章41~44







[2] ローマ人への手紙7:21~24







[3] ローマ人への手紙3:24







[4] ルカによる福音書16:16「律法と預言者とはヨハネの時までのものである。それ以来、神の国が宣(の)べ伝えられ、人々は皆これに突入している。」(口語訳)神の国の福音が告げ知らされ、どうして人々が「力づくで」そこに入ろうとしているのか不明です。むしろ口語訳のようにそれまで、律法の世界から排除されていた取税人、遊女、五体の自由がきかない人、目の不自由な人等が、無条件で、無代価で、価なしに喜びに満たされてこの神の国に突入している、という理解のほうがこの箇所の解釈としては適切と思われる。







[5] ローマ人への手紙4:4







[6] ローマ人への手紙3:23「すべての人は・・・」(口語訳)







[7] ローマ人への手紙3:27「すると、どこに私たちの誇りがあるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。」(口語訳)







[8] The righteousness of God through faith
in Jesus Christ
for all who believe,
 RSV(下線部が主部 イエス・キリストにおける信仰による神の義が、信じるすべての者に)







[9] ピリピ人への手紙2:6以下参照







[10] ローマ人への手紙7:21~24







[11] Δικαιοσυνη δε θεου δια πιστεως
Ιησου Χριστου εις παντας τους πιστευοντας ου γαρ εστιν διαστολη
(参考)







[12] ローマ人への手紙3:25 







[13] 創世記3:4~5







[14] ヨハネによる福音書3:16~18







[15]ヨハネによる福音書1:29







[16] 聖書百話 北森嘉蔵著 P.45







[17] 主格的属格というのは、「イエス・キリスト信仰」ということになります。これに対して新共同訳、口語訳の「イエス・キリスト信じる信仰」というのは、目的格的属格ということになります。



難しい文法的な言い方は理解する必要はありません。「イエス・キリストを信じる信仰によって義とされる」のか「イエス・キリストの信仰による神の義が、信じるすべての者に与えられる」のかという二つの読み方があり、カール・バルトは、ここは明らかに「イエス・キリストの信仰による神の義が、信じるすべての者に与えられる」という読み方を取るべきであると言っているということです。







[18] 「啓示・教会・神学 福音と律法」カール・バルト著 井上良雄訳 新教出版 P.69~70







[19] 前掲書P.73







[20] 同書P.73~74







[21] 創世記2:9







[22] 創世記3:24





(2021年8月29日 各自自宅礼拝)