ヤコブの手紙2章1節
関口 康
「わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません」
おはようございます。平和学園小学校で今年、5年生と6年生の聖書の授業をしている関口康です。先ほど朗読してもらいました聖書の箇所のお話をします。
「わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません」(ヤコブの手紙2章1節)と書かれています。どういう意味でしょうか。
皆さんは「差別(さべつ)」という言葉を知っていますか。まだ知らない、よく分からない人がいるかもしれません。高学年の皆さんは知っていると思います。
今日の聖書の箇所に書かれているのはそのことです。「人を分け隔てしてはなりません」というのは「差別してはいけません」という意味です。
「差別」という言葉をまだ知らない人も含めて、みなさんにお尋ねします。差別することは、いいことですか、悪いことですか。知らない人は「なんとなく」でいいです。差別しても「いい」ですか、それとも「悪い」ですか。
その答えは「悪い」です。人を差別してはいけません。でも、人を差別するとはどういうことかは、人それぞれ考え方やとらえ方が違うかもしれません。「差別」とは具体的にどういうことなのかが続きに書かれています。
「あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、『あなたは、こちらの席にお掛けください』と言い、貧しい人には、『あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい』と言うなら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか」(2~4節)。
小学生の皆さんが学校に「金の指輪」をはめてくることは無いと思います。でも仮にそういう人がいることを想像してみてください。ダメですけどね。お母さんから金の指輪を借りて来ないでくださいよ。もししてきたら、校長先生に預かってもらいますからね。あくまでも仮の話です。
そういう「立派な身なりの」人が、この学校のこの部屋に入って来る。その人には特別に立派な椅子があって、「どうぞそちらにお座りください」と誰かが言う。
そこに別の人が入って来る。その人は、聖書の表現をそのまま使うと「汚らしい服装」である。この言い方悪いね。「きたならしい」は、もうちょっといい言葉ないかなと思いますけどね。その「きたならしい」人には、椅子がないの。座らせてもらえないの。「そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言われるの。
どうして座らせてもらえないのでしょうかね。さっきみんな外でドッジボールをしていましたが、そういうときはみんなが泥だらけで「きたならしい」ので、いいのです。そうではなくて、その人ひとりだけが「きたならしい」から、目立つんだよね。そういう人には、そこに立ってなさい、それか、地べたに座ってなさい、椅子が汚れるから、と言われているのだと思います。
しかも、今日の聖書の箇所を読むと分かるのは今から二千年前の話です。イエスさまを信じる人たちが集まる教会の中でそんなことが実際にあった、ということです。
イエスさまを信じている人たちですよ。その人たちが、「汚らしい服の人は、その椅子に座るな、立っているか、地べたに座っていろ」とか言って、美しい身なりの人とそうでない人たちを差別する人がいた、というのです。
ダメでしょ、これ。いいと思いますか、ダメですよね。そんなことを言われた日には、教会なんか一生行くものかと、だれだって思うでしょう。神さまだとかイエスさまだとか、そんなもん、信じてやるもんかと思うでしょう。イエスさまを信じているとか言っている人たちが、そんなひどいことをするなら、何を信じたって意味ないよと、だれだって、そう思うでしょう。
そんなことをしていいと思っているのですか、ダメでしょうという意味のことが、今日の聖書の箇所に書かれています。
これは2千年前の話です。でも、今はこんなことは絶対にない、教会に限っては絶対にないと言えるかどうかは正直ちょっと心配になるときがあります。
私はいま55歳です。ふだんは教会の牧師さんです。牧師さんは、70歳か75歳ぐらいまでは、なんとか仕事ができると思います。なので、私もあと20年ぐらいは牧師さんを続けられるのではないかと思っています。
20年後、みなさんは26歳から32歳までくらいです。ですよね。その頃もたぶん私は牧師さんです。そのころに、皆さんとぜひまたお会いしたいです。ぜひ教会に来てください。皆さんのことを待っています。
そのとき、皆さんがもし「汚らしい服装」で来ても、「どうぞこちらにお座りください」と大切なお客さまをお迎えできる教会の牧師さんでありたいと願っています。
人生いろいろあるんです。30歳にもなると、いろいろ困ったことに直面します。会社をクビになったとか、友達と大ゲンカしたとか、お金が無くなっちゃったとかね。
そういうときに私の教会に来てください。「平和学園小学校の卒業生です」と言ってくれれば、大歓迎します。私もちゃんと覚えてますからね。
そのとき、服を買うお金も無くなって「きたならしい」格好で来てくれても、もちろん大歓迎します。みんなが教会に来てくれたら、そのとき私がみんなのために美味しいラーメンを作ります。美味しいですよ。
いま毎日、ラーメンを作る練習をしてるんです。今から20年も練習したら、ラーメンのプロです。その頃はコロナの心配はなくなっていると思うので、大丈夫です。
20年後にみんなが教会に来てくれるまで、私も教会の牧師さんとしてがんばります。みんなでラーメン食べようね。その日まで「どんな人が来ても絶対に差別しない教会」を目指してがんばります。
だから、みなさんも「絶対に人を差別しない」と心に誓って生きていってほしいです。よろしくお願いします。
(2021年9月17日 平和学園小学校 児童礼拝)