現在来日しておられるヘリット・イミンク先生とファン・ルーラーの関係については、そのうちご紹介しなければならないと思っていました。ぼくでよければ、近いうちにちゃんと論文を書きますよ。
ファン・ルーラーが62歳で突然亡くなった1970年の翌年の1971年にイミンク先生はユトレヒト大学神学部に入学されましたので、直接の面識は無いそうです。でも、イミンク先生にファン・ルーラーの影響が顕著であることは断言できます。
2008年12月10日の「国際ファン・ルーラー学会」においても、イミンク先生は何人かのメイン講師の一人として講演をなさいました。そのときの講演集は立派な本として出版されていますので、日本語に翻訳することも可能です。
「神の言葉の神学に立つ」という点ではファン・ルーラーも全く同じ出自ですし、そもそも20世紀のオランダ改革派教会の中で神の言葉の神学と無関係でありえた神学者は皆無と言っていいくらいです。
しかし、彼らの問題意識は、神の言葉の神学にも限界や欠点があるので、その限界や欠点をどうしたら乗り越えることができるのかということだったわけです。
そして、その克服すべき重要なポイントは「視野を広げること」にあったと言えます。神の言葉の神学はファン・ルーラーあたりに言わせれば「視野が狭すぎる」んです。
「キリスト論的集中」はバルト神学のチャームポイントでもありますが、反面の「視野の狭さ」を併せ持っています。
神は御子だけではなく、御父も御霊もおられます。神は「キリストのみ」(solus Christus)ではなく、父・子・聖霊なる「三位一体の神」です。
「キリスト論的視点」からだけの考察で神学的真理は已まず、「父神論的視点」からも、また「聖霊論的視点」からも、同時に徹底的に考え抜かなくてはなりません。
一つの物事を、オモテからもウラからも、ウエからもシタからも、ナナメからもショウメンからも観なくてはなりません。まるで大道芸人のジャグリングのように、複数のピンを同時に投げ上げ、同時にキャッチしなくてはなりません。
ファン・ルーラーの神学は、そういう神学です。そもそも「きわめて教会的実践に即した神学」でしたので、ファン・ルーラーの神学は、そもそも「実践神学」との親和性がきわめて高い組織神学だったのです。
分かりました。論文、ぼく書きます。一つだけヒントを明かしておきます(ネタバレ)。
それは、ファン・ルーラーが「視野を広げる」ための方法です。
ファン・ルーラーにとっては、神学以外の諸学(社会学や心理学や政治学など)、あるいは神学諸科における組織神学以外の諸教科(聖書神学、教会史、実践神学)の手を借りることの意義を否定することはありえないことでした。
しかし、もしその手を借りないとしても、組織神学、とくに教義学の中に本来的に潜在・伏在している「論理」を用いて「視野を広げる」ことが可能であると彼は考えていました。
そこに、彼の神学の面白さがあります。
教義学はまだ「終わって」いません。「オワコン」ではないのです。
2012年11月25日日曜日
天国は平等です
マタイによる福音書20・1~16
「『天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、「あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう」と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と尋ねると、彼らは、「だれも雇ってくれないのです」と言った。主人は彼らに、「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、「労働者たちを呼んで、最後に来た者から初めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい」と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。」主人はその一人に答えた。「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。』」
今日も最初に少し、説教のタイトルのことに触れることから始めさせていただきます。「天国は平等です」と書きました。これは、今お読みしました聖書の個所でイエスさまがおっしゃっていることを短く一言でまとめるとこうなる、という意味で書かせていただきました。
そうしましたところ、ご覧になった方から「本当ですか」というご意見をいただきました。「とても信じられない」というニュアンスでした。なぜ信じられないのか、その理由は何となく分かります。おそらく、天国は不平等なところに違いないと思っておられるのです。
なぜそう思われるのでしょうか。その理由もだいたい分かります。天国は不平等であると思っている人は、この地上の世界こそが不平等であると感じているのです。
地上の世界は不平等です。それははっきりしています。世界にはいろんな人がいるということは、小さな子どもでも知っています。背が高い人や低い人、体力や能力や財力がある人と無い人、国籍や人種や性別。平和な国と戦争の絶えない国。世界は不平等である。しあわせな人と、ふしあわせな人がいる。
そのことを納得しなさい、受け入れなさい、我慢しなさいと言われても、それは無理だと反発する人は多いでしょう。「地上の世界なんて所詮そんなもんだ」というようなニュアンスの理解を示すことくらいはできるという人はいるかもしれません。
しかし、深刻な問題はそこから先です。「天国は平等である」という字を見ると「本当ですか」と反応し、「信じられません」という気持ちを抱く人たちは、本当は、この世界が不平等であると思っているのではないのです。あなたがた教会はどうなのですか。教会は不平等ではありませんか。そういう気持ちを抱いているのです。
このような問いかけに教会はどのように応えるべきでしょうか。今日皆さんと一緒に考えたいことは、この問題です。しかし、回りくどい話はしたくありません。すぐ結論を言っておきます。
それはイエスさまの出された結論です。イエスさまがおっしゃっていることは「天国は平等です」ということです。もしそうであるならば、教会においてもできるかぎり平等を実現していかなくてはならないのです。「天国は平等かもしれないけれども、教会は不平等であってもよいのだ」などと開き直るべきではありません。わたしたちは、他人に厳しく、自分に甘いというようであってはなりません。
わたしたちは主の祈りの中でいつも「御心が天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ります。その意味は、神の御心が天国で実現しているように、地上でも実現できるようにしてくださいということです。地上の教会は完全なものではなく、不完全なものです。しかし教会は、天国において実現されている神の御心を、不完全ながらも地上で実現することを目指すことが求められているのです。
そのため、もし天国が平等なところであるならば、地上の教会もまた平等であることを目指さなくてはならないのです。
今日の個所に書かれているのは、イエスさまのたとえ話です。「天の国は次のようにたとえられる」と書いてあるとおりです。その内容は次のとおりです。
ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行きました。その主人は、一日働けば一デナリオンを支払いますという約束で労働者を雇い、ぶどう園に送りました。
そうしたところ、九時ごろ行くと、何もしないで広場に立っている人たちがいました。「きみたちは何もしていないなら、ぼくのぶどう園で働いてくれ。一日働けば一デナリオン支払うから」と、彼らを雇ってくれました。
十二時ごろにも三時ごろにも、何もしないで広場に立っている人たちがいたので、またその主人は、その人たちを一日一デナリオンでぶどう園に雇ってくれました。五時ごろにも行くと、同じように、何もしていない人たちがいたので、彼らも同じように雇ってくれました。
夕方になって、その日の給料を払う時間になったので、その支払いが始まりました。最初に給料を受け取ったのは、いちばん最後、五時ごろに雇われた人たちでした。約束どおり彼らに一デナリオンが支払われました。
それを見て、朝早く雇われた人たちが、ある期待を抱いたのです。五時ごろからたった一時間だけ働いた人たちに一デナリオンが支払われたのであれば、朝早くからまる一日働いたぼくたちには、もっと多くの支払いがあるだろうと考えました。しかし、その人たちに主人が支払ったのも一デナリオンだったのです。
それで、彼らは不満を感じました。しかし、主人は次のように答えました。
「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか」。
これが、イエスさまがお語りになった「天国のたとえ」です。天国というのは、このようなところであるとイエスさまはたとえを用いて説明なさったのです。
これは何の話なのか皆さんにはお分かりでしょうか。話が分かりやすくなるようにするとしたら、イエスさまがおっしゃっている「天の国」という言葉を「救い」という言葉で言い換えた上でもう一度最初から読み直してみるとよいのです。そのように言い換えることは可能です。聖書の中で「天国に行くこと」と「神の救いにあずかること」「神に救われること」は同義語だからです。
それでは「ぶどう園に雇われて働くこと」で、イエスさまは何をたとえておられるのでしょうか。これも結論だけを言います。
それは、わたしたち人間がこの地上の世界において神の御心を行うことを指しています。しかも、わたしたちがこの地上で神の御心を行うために、その前にしなければならないことは、そもそも神の御心とは何かを知ることであり、それを信じることです。具体的にいえば、神の御心が記されている聖書のみことばを学ぶことであり、それを信じることです。
聖書のみことばを学ぶためにわたしたちにできることは、地上の教会に属し、礼拝に参加することです。そのことをイエスさまも考えておられます。イエスさまもまた(シナゴーグで)安息日ごとに行われた礼拝の中で、聖書のみことばを説教しておられたからです。
ここまで申し上げれば、朝早くから雇われた人と、九時ごろ雇われた人と、十二時ごろ雇われた人と、三時ごろ雇われた人と、五時ごろ雇われた人の区別においてイエスさまが何をたとえておられるのかがお分かりになるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。まだ分からないでしょうか。
これも結論だけを言います。ぶどう園での「一日」は、わたしたちの一生です。朝早くと、九時と、十二時と、三時と、五時。これはわたしたちの年齢です。「朝早く」は生まれたばかりのとき、「九時」は子ども時代、「十二時」は青年、「三時」は中年、「五時」は高齢であると考えてよいでしょう。
たとえば私は先々週、47歳の誕生日を迎えました。47年間のすべてにおいて教会に通ってきました。これは威張って言うことではありません。べつに威張るようなことではありません。しかしとにかく私は47歳で47年間、教会に通ってきました。そのような者である私は「朝早くから雇われた人」に当てはまると考えることができるはずです。
このように考えれば、イエスさまのおっしゃっていることの意味はもうお分かりになるでしょう。このぶどう園の主人は、一時間しか働かなかった人にも、まる一日働いた人にも、同じ一デナリオンを支払ってくださるという、とても気前の良い方です。その方は、子どもの頃から教会に通ってきた人にも、高齢になってから教会に通いはじめた人にも、天国においては全く等しい報いを与えてくださる方であるということです。
イエスさまがおっしゃっていることは、まさにそのことです。地上における教会生活にはたくさんの苦労が伴います。つらいことだらけ、嫌なことばかりという面も無きにしもあらず、です。しかし、だからといって、天国においては教会生活の長い人と短い人との差別は無いのです。天国に別の部屋は無いのです。神はどちらの人にも等しい天国の恵みを与えてくださるのです。それが今日の説教の「天国は平等です」というタイトルの意味です。
このような話を聴いて「ねたみ」を起こすのは、教会生活が長いほうの人々かもしれません。神はずるいとか、教会生活の長さは関係ない、天国の報いは同じであるというなら、教会生活そのものがばからしいなどと言い出しかねないのは。
教会生活の経歴が長い人たちは、地上において、すでに長い間、神の恵みと祝福を豊かにいただいてきたことに感謝すべきです。しかし、教会も間違いを犯すことがありえます。教会生活の長い人と短い人とで差をつけようとする。奇妙な配慮が働いたりする。
そういうことを教会がしてしまうとき、「天国は平等です」と教会が言っても「本当ですか」と疑われてしまうのです。そのようなことで教会が間違いを犯さないようにイエスさまが戒めておられるのです。
(2012年11月25日、松戸小金原教会主日礼拝)
2012年11月20日火曜日
日本人の神学者はもっと「英語の」論文を書くべきか
日本の神学(聖書学、教会史、組織神学、実践神学)の国際的評価を上げるために、日本人の研究者たちは、もっと「英語の」論文を書くべきか。
この問題は、大学や神学校の教育に一度も関わったことがないぼくごときでも、一度ならず悩んできたことです。
ぼくは、18歳から「神学」なるものに接し、いま47歳ですから、かれこれ29年になります。
大先輩たちにはとてもとても敵いませんが、ぼく的には、よくも飽きずに続けて来られたものだと、自分に呆れる思いです。
それくらいのスパンで「神学」なるものを続けてきた者としての、上の問いへの(暫定的な)答えは、「否」です。
* * *
聖書学に関してはガチのシロウトなので、的外れのことを感じているだけかもしれません。
しかし、こと聖書にとっての重要な問題が「翻訳」にあるとぼくは考えているので、英語の論文が多産されるよりも、日本においてなら「日本語の」論文がたくさん書かれるべきだと思う。
ヨハネ福音書ならヨハネ福音書の、この言葉・あの言葉が、現代の日本語においてどのようなニュアンスと響きを持ち、意義と価値があるかが解明されていくほうに、もっともっと時間と力が注がれるべきではないかと、愚考するばかりです。
たとえばの話ですが、もしぼくがヨハネ福音書について、論文という形で何か書けと言われた場合に選ぼうとするのは、3章16節の「神はそのひとり子をお与えになったほどに《コスモス》を愛された」の《コスモス》で、現代人は何をイメージすればよいのか、というようなテーマだったりします。
それが英語(圏)でイメージされていることと、日本語でイメージすべきこととがズレている気がしているから。
それを日本語でどう「翻訳」すべきかを徹底的に考え抜き、苦悶し、それをまとめて論文にする。
この論文は、ぼくは日本語でしか書けないと思うし、翻訳不可能なものだと思う。
これは聖書学だけのことではないですよね。教会史でも組織神学でも実践神学でも同じです。
最初から日本語の言語体系の中で考え抜いて書かなければ、決して表現できない神学というのがある。
それは翻訳不可能です。
本来的に翻訳不可能なものが「英語」に訳されていなければ国際的に評価されない、というのであれば、それは国際学会のあり方自体が歪んでいるんだと思います。
* * *
まあ、でも、二つに分かれますよね。
ぼくが関わったことがある国際学会といえば、「アジア・カルヴァン学会」とか「国際ファン・ルーラー学会」くらいですが、この二つの学会はまさに対照的でした。
「アジア・カルヴァン学会」は、原則として毎年一回、日本、韓国、台湾等に集まっています、どの国で開催する場合でも、集まる人たちがアジア人ばかりでも、すべて英語で発表します。アジア・カルヴァン学会は国際カルヴァン学会のブランチで、会長はオランダ人ですが、その会長が英語で講演します。
「国際ファン・ルーラー学会」は、史上一回しか行われたことがありませんが、オランダ人、ドイツ人、アメリカ人、南アフリカ人、そして我々日本人が合計200人ほどアムステルダムに集まりましたが、レジュメ一枚配られず(?!)、全員が自分の母語で(!!)講演しました。
「分っかるかい!」と腹が立ちましたが、すっごいビックリしたし、目からうろこが落ちました。これこそ「本来の」国際学会だと思いました。200人の神学者たちは、それぞれの言語を聞きわけて、うなずいたり、笑ったりしていました。
* * *
日本の評価を上げるために、日本の研究者が、なにがなんでも「英語で」論文を書かなくてはならないということになるでしょうか。それこそ自虐かもしれませんが、日本の研究者が英語で書いたような論文を、海外の研究者がどれくらい読み、評価してくれるでしょうか。あまり期待しないほうがよいのではないか。
「グローバルスタンダード」という美名のもとなる英語至上主義みたいなものも、趨勢としてはやむを得ない面もあるでしょう。
だけど、英語は万能なわけじゃない。こと微細なニュアンスを考え抜かなくてはならない文系の学問では、英語なんかに訳せっこない論文もあるはずですよね、と思う。
「コスモス」の話を繰り返せば、英語ならworldとかuniverseとか訳しておけばいいかもしれませんが、それは宇宙なのか万有なのか、世なのか世界なのか、世間とか俗世とか訳さなくてはならないのか、そんなふうに訳して今の子たちに意味が理解できるのか、みたいなことをえんえんと、あーでもない・こーでもないと考えてみることが、日本のコンテキストでは重要だと、ぼくは思う。
そういうのって、他国の言葉に訳せますかね?
オランダのライデン大学神学部で長く教えた著名な教理史家のハイデルベルク信仰問答やベルギー信仰告白やドルトレヒト信仰規準の研究書など見ると16、17世紀のオランダ語と現代のオランダ語の比較とかしている。
それ、どうやって日本語に訳すんですかね?英語にさえ訳せそうにないです。
アタマ抱えますよ、ガチで。
この問題は、大学や神学校の教育に一度も関わったことがないぼくごときでも、一度ならず悩んできたことです。
ぼくは、18歳から「神学」なるものに接し、いま47歳ですから、かれこれ29年になります。
大先輩たちにはとてもとても敵いませんが、ぼく的には、よくも飽きずに続けて来られたものだと、自分に呆れる思いです。
それくらいのスパンで「神学」なるものを続けてきた者としての、上の問いへの(暫定的な)答えは、「否」です。
* * *
聖書学に関してはガチのシロウトなので、的外れのことを感じているだけかもしれません。
しかし、こと聖書にとっての重要な問題が「翻訳」にあるとぼくは考えているので、英語の論文が多産されるよりも、日本においてなら「日本語の」論文がたくさん書かれるべきだと思う。
ヨハネ福音書ならヨハネ福音書の、この言葉・あの言葉が、現代の日本語においてどのようなニュアンスと響きを持ち、意義と価値があるかが解明されていくほうに、もっともっと時間と力が注がれるべきではないかと、愚考するばかりです。
たとえばの話ですが、もしぼくがヨハネ福音書について、論文という形で何か書けと言われた場合に選ぼうとするのは、3章16節の「神はそのひとり子をお与えになったほどに《コスモス》を愛された」の《コスモス》で、現代人は何をイメージすればよいのか、というようなテーマだったりします。
それが英語(圏)でイメージされていることと、日本語でイメージすべきこととがズレている気がしているから。
それを日本語でどう「翻訳」すべきかを徹底的に考え抜き、苦悶し、それをまとめて論文にする。
この論文は、ぼくは日本語でしか書けないと思うし、翻訳不可能なものだと思う。
これは聖書学だけのことではないですよね。教会史でも組織神学でも実践神学でも同じです。
最初から日本語の言語体系の中で考え抜いて書かなければ、決して表現できない神学というのがある。
それは翻訳不可能です。
本来的に翻訳不可能なものが「英語」に訳されていなければ国際的に評価されない、というのであれば、それは国際学会のあり方自体が歪んでいるんだと思います。
* * *
まあ、でも、二つに分かれますよね。
ぼくが関わったことがある国際学会といえば、「アジア・カルヴァン学会」とか「国際ファン・ルーラー学会」くらいですが、この二つの学会はまさに対照的でした。
「アジア・カルヴァン学会」は、原則として毎年一回、日本、韓国、台湾等に集まっています、どの国で開催する場合でも、集まる人たちがアジア人ばかりでも、すべて英語で発表します。アジア・カルヴァン学会は国際カルヴァン学会のブランチで、会長はオランダ人ですが、その会長が英語で講演します。
「国際ファン・ルーラー学会」は、史上一回しか行われたことがありませんが、オランダ人、ドイツ人、アメリカ人、南アフリカ人、そして我々日本人が合計200人ほどアムステルダムに集まりましたが、レジュメ一枚配られず(?!)、全員が自分の母語で(!!)講演しました。
「分っかるかい!」と腹が立ちましたが、すっごいビックリしたし、目からうろこが落ちました。これこそ「本来の」国際学会だと思いました。200人の神学者たちは、それぞれの言語を聞きわけて、うなずいたり、笑ったりしていました。
* * *
日本の評価を上げるために、日本の研究者が、なにがなんでも「英語で」論文を書かなくてはならないということになるでしょうか。それこそ自虐かもしれませんが、日本の研究者が英語で書いたような論文を、海外の研究者がどれくらい読み、評価してくれるでしょうか。あまり期待しないほうがよいのではないか。
「グローバルスタンダード」という美名のもとなる英語至上主義みたいなものも、趨勢としてはやむを得ない面もあるでしょう。
だけど、英語は万能なわけじゃない。こと微細なニュアンスを考え抜かなくてはならない文系の学問では、英語なんかに訳せっこない論文もあるはずですよね、と思う。
「コスモス」の話を繰り返せば、英語ならworldとかuniverseとか訳しておけばいいかもしれませんが、それは宇宙なのか万有なのか、世なのか世界なのか、世間とか俗世とか訳さなくてはならないのか、そんなふうに訳して今の子たちに意味が理解できるのか、みたいなことをえんえんと、あーでもない・こーでもないと考えてみることが、日本のコンテキストでは重要だと、ぼくは思う。
そういうのって、他国の言葉に訳せますかね?
オランダのライデン大学神学部で長く教えた著名な教理史家のハイデルベルク信仰問答やベルギー信仰告白やドルトレヒト信仰規準の研究書など見ると16、17世紀のオランダ語と現代のオランダ語の比較とかしている。
それ、どうやって日本語に訳すんですかね?英語にさえ訳せそうにないです。
アタマ抱えますよ、ガチで。
2012年11月15日木曜日
オトナたちの、その「永遠の被害者意識」がコドモたちの邪魔になっている(3)
仕事が「収入」で、勉強は「支出」。
それ、単純すぎる考え方だと思いますよ、ね?
仕事ができる(=収入を得られる)ようになるために勉強する(=投資的に支出する)、のかなあ。
それも違うと思うにゃー。
勉強って、やればやるほど自分の無知が分かって謙遜になれると、大昔の人は考えた。
なんか、今さらながら、そういうことじゃないかなっと思うんですけどね。
つまりは、勉強を完全に放棄してしまったオトナみたいな感じになることが、いちばん傲慢な態度だってことですね。
やだなー。自戒、自戒。
しかし。
今の子どもたちの多くは、よほど資産家の子弟でもなければ、大学を卒業した時点で、500万以上の「借金」(多くは「日本育英会の奨学金」という名の「借金」)を抱えています。
それは「将来の就職のために必要な先行投資。就職すればすぐに取り返せる」という“見通し”に基づく話でしたが、今は大学を卒業して10年経っても20年経っても定職に就けない人が少なくない。
言っておきますが、定職に「就けない」(cannot)のは、その人のせいではないですよ。どこの会社も新規採用の門を極端に狭めているのだから。”ある世代”の人たちを保護するために。
だから、子どもたちは、大学に支払った分の「借金」を返すことができない。請求書は怒涛のごとく。「人から借りたものは返すのが人の道ってもんよのお」という任侠道の人たちの出番が生じる。
しかし、仕事は無い。その「借金」を返済できるほどの「収入」はない。
それで、多くの人が、”逆算して”後悔している可能性が高い。
(1)あの「借金」(=奨学金貸与)は無駄だった。「大学」なんか行かなきゃよかった。
(2)しても意味の無い(=「借金」の返済もできず、見ず知らずの任侠系の人たちから脅迫を受け続ける人生を送らなければならなくなるような)「勉強」など、しなきゃよかった。
(3)勉強よりも、「体で」稼げば良かった。
こういう悶絶ものの歯車(実践的三段論法!)の中で、今の若者たちは切り刻まれています。
「人間が勉強すること」を資本主義的な集金システムの中に組み込みすぎた現代社会を、ぼくは心のどこかで憎んでいるのかもしれません。
ぼくごときが何を言っても、多勢に無勢ですけどね。
それ、単純すぎる考え方だと思いますよ、ね?
仕事ができる(=収入を得られる)ようになるために勉強する(=投資的に支出する)、のかなあ。
それも違うと思うにゃー。
勉強って、やればやるほど自分の無知が分かって謙遜になれると、大昔の人は考えた。
なんか、今さらながら、そういうことじゃないかなっと思うんですけどね。
つまりは、勉強を完全に放棄してしまったオトナみたいな感じになることが、いちばん傲慢な態度だってことですね。
やだなー。自戒、自戒。
しかし。
今の子どもたちの多くは、よほど資産家の子弟でもなければ、大学を卒業した時点で、500万以上の「借金」(多くは「日本育英会の奨学金」という名の「借金」)を抱えています。
それは「将来の就職のために必要な先行投資。就職すればすぐに取り返せる」という“見通し”に基づく話でしたが、今は大学を卒業して10年経っても20年経っても定職に就けない人が少なくない。
言っておきますが、定職に「就けない」(cannot)のは、その人のせいではないですよ。どこの会社も新規採用の門を極端に狭めているのだから。”ある世代”の人たちを保護するために。
だから、子どもたちは、大学に支払った分の「借金」を返すことができない。請求書は怒涛のごとく。「人から借りたものは返すのが人の道ってもんよのお」という任侠道の人たちの出番が生じる。
しかし、仕事は無い。その「借金」を返済できるほどの「収入」はない。
それで、多くの人が、”逆算して”後悔している可能性が高い。
(1)あの「借金」(=奨学金貸与)は無駄だった。「大学」なんか行かなきゃよかった。
(2)しても意味の無い(=「借金」の返済もできず、見ず知らずの任侠系の人たちから脅迫を受け続ける人生を送らなければならなくなるような)「勉強」など、しなきゃよかった。
(3)勉強よりも、「体で」稼げば良かった。
こういう悶絶ものの歯車(実践的三段論法!)の中で、今の若者たちは切り刻まれています。
「人間が勉強すること」を資本主義的な集金システムの中に組み込みすぎた現代社会を、ぼくは心のどこかで憎んでいるのかもしれません。
ぼくごときが何を言っても、多勢に無勢ですけどね。
オトナたちの、その「永遠の被害者意識」がコドモたちの邪魔になっている(2)
データ的な根拠があるわけではありません。社会学者や政治学者や心理学者に正確な調査をお願いしたいです。
また、ぼくの出会ってきた人たちの悪口を言いたいのでもありません。
しかし、反論や批判を覚悟であえて言えば、1930年代から40年代までの間に生まれたコドモたちの中に、ぼくがそう感じるところの「永遠の被害者意識」をいまだに持ち続けている人たちが少なくないように思います。
彼らの共通点は、当時はまだコドモで、戦地には行く由も無く、ただ親や友人や町を失い、ひたすらひもじい思いに苦しんだという、まさに戦争の「被害当事者」としての意識だけを鮮明に持っている、ということです。
しかし、その人々の意識内容は、いずれにせよ早晩「戦争を知らないコドモたち」にとっては「神話化」するところとなり、アンタッチャブルなものになった。
そこに悲劇も始まったのだと思います。
まあ、でも、ほんのちょっとだけ、ぼくの言いたいことを明け透けに書いておきますよ。ほんのちょっとだけですけどね。
やっぱりぼくは、自分の子どものことをどうしても考えます。ぼくがまもなく47歳。長男が来月18歳です。長女も来年2月で15歳。
「彼らの世界」は、まだ始まったばかりなんですよ。どう考えてもね。
歴史の終末だ、世界の終わりだと、やたら終わらせたがっている人たちがいるのが、ぼくは気になります。勝手に終わらせるなよ、と言いたいです。
で、ぼくは47歳、中年男子、二児の父。
62年間(も)の「豊かさ」を享受してきた世代のオトナたちと、
「失われた二十年」だ、いや、まだまだ続くかもと、経済不況、就職氷河期、長期継続中。そこに加えて震災、原発事故と、これでもか・これでもかと降り注ぐ災難の中、それでも「新しい世界」を始めようとしているコドモたちと、
どちらの支援を選ぶべきかと問われれば、迷わず後者を選ぶ。
そう言いたいだけです。
今のオトナたちが全員いなくなった後も、今のコドモたちが「彼らの世界」を生き続けますよ。
そうやって歴史は続いてきたんですよ。
それでいいじゃん、みたいなことです、ぼくが考えていることは。
また、ぼくの出会ってきた人たちの悪口を言いたいのでもありません。
しかし、反論や批判を覚悟であえて言えば、1930年代から40年代までの間に生まれたコドモたちの中に、ぼくがそう感じるところの「永遠の被害者意識」をいまだに持ち続けている人たちが少なくないように思います。
彼らの共通点は、当時はまだコドモで、戦地には行く由も無く、ただ親や友人や町を失い、ひたすらひもじい思いに苦しんだという、まさに戦争の「被害当事者」としての意識だけを鮮明に持っている、ということです。
しかし、その人々の意識内容は、いずれにせよ早晩「戦争を知らないコドモたち」にとっては「神話化」するところとなり、アンタッチャブルなものになった。
そこに悲劇も始まったのだと思います。
まあ、でも、ほんのちょっとだけ、ぼくの言いたいことを明け透けに書いておきますよ。ほんのちょっとだけですけどね。
やっぱりぼくは、自分の子どものことをどうしても考えます。ぼくがまもなく47歳。長男が来月18歳です。長女も来年2月で15歳。
「彼らの世界」は、まだ始まったばかりなんですよ。どう考えてもね。
歴史の終末だ、世界の終わりだと、やたら終わらせたがっている人たちがいるのが、ぼくは気になります。勝手に終わらせるなよ、と言いたいです。
で、ぼくは47歳、中年男子、二児の父。
62年間(も)の「豊かさ」を享受してきた世代のオトナたちと、
「失われた二十年」だ、いや、まだまだ続くかもと、経済不況、就職氷河期、長期継続中。そこに加えて震災、原発事故と、これでもか・これでもかと降り注ぐ災難の中、それでも「新しい世界」を始めようとしているコドモたちと、
どちらの支援を選ぶべきかと問われれば、迷わず後者を選ぶ。
そう言いたいだけです。
今のオトナたちが全員いなくなった後も、今のコドモたちが「彼らの世界」を生き続けますよ。
そうやって歴史は続いてきたんですよ。
それでいいじゃん、みたいなことです、ぼくが考えていることは。
2012年11月13日火曜日
オトナたちの、その「永遠の被害者意識」がコドモたちの邪魔になっている(1)
ひとりごと。
第二次大戦後の「食糧難」は、5年間(1945年~1950年)だったそうですね。
まあ、でも、その後、1950年から2012年までの62年間は、
よく食べ、よく飲み、よく遊んだわけですよね。
「たった5年間」とは言いませんよ。
だけど、「その後の62年間」が、まるで無かったことかのように、
いつまでも「永遠の被害者意識」を持ち続けるのって、どうなんだろうと、
この数年、しきりと考えさせられています。
オトナたちの、そのコドモじみた「永遠の被害者意識」が、
これからの世界を作ろうとしているコドモたちの邪魔になっています。
戦争肯定論じゃないです。維新にも改憲にも(老害新党にも)明確に反対。
だけど、オトナたちの「永遠の被害者意識」はコドモたちの迷惑だ。
「そんなの関係ねえ」ことだもん。
ぼく、今週47歳になるんですけど、まだ言わせてもらえませんかね。
ずっと我慢してきたんですけど。
第二次大戦後の「食糧難」は、5年間(1945年~1950年)だったそうですね。
まあ、でも、その後、1950年から2012年までの62年間は、
よく食べ、よく飲み、よく遊んだわけですよね。
「たった5年間」とは言いませんよ。
だけど、「その後の62年間」が、まるで無かったことかのように、
いつまでも「永遠の被害者意識」を持ち続けるのって、どうなんだろうと、
この数年、しきりと考えさせられています。
オトナたちの、そのコドモじみた「永遠の被害者意識」が、
これからの世界を作ろうとしているコドモたちの邪魔になっています。
戦争肯定論じゃないです。維新にも改憲にも(老害新党にも)明確に反対。
だけど、オトナたちの「永遠の被害者意識」はコドモたちの迷惑だ。
「そんなの関係ねえ」ことだもん。
ぼく、今週47歳になるんですけど、まだ言わせてもらえませんかね。
ずっと我慢してきたんですけど。
ガチそのとおりだと思うよ
そうだよ、オトナ。
勝手にあきらめんなよ。
勝手に絶望して、勝手にぶっ壊すな。
「我らの世界は まだ始まったばかりだ」〔※)
この世界はもう、てめえらのもんじゃねんだよ。
コドモの分までオトナが食うな。
もう枯れてもいんじゃねーの。
(※)ももいろクローバーZ 「サラバ、愛しき悲しみたちよ」より
勝手にあきらめんなよ。
勝手に絶望して、勝手にぶっ壊すな。
「我らの世界は まだ始まったばかりだ」〔※)
この世界はもう、てめえらのもんじゃねんだよ。
コドモの分までオトナが食うな。
もう枯れてもいんじゃねーの。
(※)ももいろクローバーZ 「サラバ、愛しき悲しみたちよ」より
2012年11月12日月曜日
キリスト教記者クラブの「オフ会」にお招きいただくことになりました。
http://blogs.yahoo.co.jp/cjc_skj/30281506.html
えーっと、こういうの(↑)に出させていただくことになりました。キリスト教記者クラブの「オフ会」とのことです。
富士見町教会は「アジア・カルヴァン学会 第2回講演会」(2006年9月22日)のときにお借りして以来です。
あの講演会は、『カルヴァン説教集 命の登録台帳 エフェソ書第1章(上)』(キリスト新聞社、2006年)の出版感謝会を兼ねて行いました。講師は野村信先生(現在、東北学院大学教授)と久米あつみ先生(フランス文学者)でした。
ぼくは、翻訳の総責任者である野村信先生の発題に対するコメンテーターとして、ステージ側に並びました。なんだか懐かしいです。
えーっと、こういうの(↑)に出させていただくことになりました。キリスト教記者クラブの「オフ会」とのことです。
富士見町教会は「アジア・カルヴァン学会 第2回講演会」(2006年9月22日)のときにお借りして以来です。
あの講演会は、『カルヴァン説教集 命の登録台帳 エフェソ書第1章(上)』(キリスト新聞社、2006年)の出版感謝会を兼ねて行いました。講師は野村信先生(現在、東北学院大学教授)と久米あつみ先生(フランス文学者)でした。
ぼくは、翻訳の総責任者である野村信先生の発題に対するコメンテーターとして、ステージ側に並びました。なんだか懐かしいです。
2012年11月4日日曜日
自分の十字架を背負いなさい
マタイによる福音書16・21~28
「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、べトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。『主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。』イエスは振り向いてペトロに言われた。『サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者、神のことを思わず、人間のことを思っている。』それから、弟子たちに言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。』」
先日行いました秋の特別集会(2012年10月21日、松戸小金原教会)が終わった後、おひとりの方が貴重なご意見を寄せてくださいました。
それは、この教会に初めて来られる方の中には、礼拝堂の室内のどこにも十字架の像が無いことに驚きを感じる人は少なくないはずだ、ということでした。
屋根の上には十字架が立っているのです。しかし、礼拝堂の中にも十字架が付いている教会は少なくない。改革派教会のことをご存じない方は、当然どこかに十字架がついているし、その上にキリストの像がはりつけられていると考えておられるだろう。しかし、この教会にはそれが無い。どうして無いのかということを、牧師から説明すれば、関心をもつ人は多いのではないか、というご意見でした。
なるほど、と思いました。私はそのことについては、考えることさえほとんど無くなっています。なぜ付いていないのかということについて疑問に思うことさえない。しかし、そのことを疑問に思うことがない我々の姿が、この教会に初めて来られる方々から奇異に見えるかもしれません。そして、その我々の姿が奇異に見えるということにも気づくことさえない。
どうやらそういう事情のようです。私もその方に指摘していただいて初めて気づきました。ありがとうございます。
この礼拝堂に十字架が無いことの理由は単純明快です。最大の根拠はモーセの十戒の第二戒です。「あなたは、自分のために、きざんだ像をつくってはならない」という戒めです。
第二戒で言われている「きざんだ像」とは、宗教的な目的でそれを拝んだり手を合わせたりするために作られる像のことです。そのような目的ではない、いわゆる芸術的な意図で作られた彫刻などまで禁止されているということではありません。
しかし、ある意味でわたしたちは、そのような芸術作品に対してもかなりの警戒心を抱いて来たことは否定できません。美しいものを目にすると、思わず手を合わせてしまう。思わず拝んでしまう。そういうことはわたしたちにはありうることだからです。
たとえそれがイエス・キリストの像であろうと、十字架であろうと、その像そのものに、思わず手を合わせ、思わず拝んでしまうようなものになってしまう可能性があるようなものをわたしたちは警戒してきました。
わたしたちの礼拝堂の室内のどこにも十字架が無いし、イエス・キリストの像が無いことの理由はそれです。そのことを私自身は行き過ぎであるとは思っていません。しかし、結果的に、改革派教会の礼拝堂が殺風景のがらんどうになっていることは否定できない事実です。
今の説明でご理解いただけるかどうかは分かりません。しかし、ぜひご理解いただきたいことは、そのようなあり方こそが改革派教会の最も基本的な姿勢であるということです。
像を置かないことや作らないことだけが重要なことではありません。いかなる意味でも目に見えるものを拝まないということが重要です。あるいは、西だの東だのという一定の方角に向かって拝まなければならないというような考え方がありません。そういうのは端的に偶像礼拝の考え方であると我々は認識します。そういうことはわたしたちにとっては全く意味が無いことなのです。
いわばその代わりに、わたしたちは、目をつぶり、あるいは目を開けたまま、わたしたちの心の中に住んでおられる神に向かって拝み、手を合わせるのです。神は我々の目には見えません。我々の心が目に見えないのと同じです。
心の中の神を拝むと言いましても、自分の胸元を見ながら手を合わせても、意味はありません。重要なことは、わたしたちの心の中に住んでくださる神は、言葉を発せられる方であるということです。その言葉に耳を傾けること、従うことが、わたしたちの心の中の神を拝むことなのです。
聖書に関しても同じです。わたしたちはこの本そのものを拝んだりしません。講壇上の大きな聖書は拝むために置いているのではありません。聖書は拝むためにあるのではなく読むためにあるのです。これは飾りではありません。金色に輝いていますが、こんなものを拝まないでください。
その代わりに、わたしたちの教会にあるのは、わたしたち自身です。わたしたちの教会にはわたしたちしかいません。この教会には人間がいるだけです。あとは殺風景のがらんどうです。
今申し上げていることにおいて、独善的な意味で改革派教会の自慢をしているつもりはありません。他の教会を批判したり否定したりする意図で申し上げているのでもありません。しかし、ぜひご理解いただきたいのです。
それはわたしたちが教会の中にイエス・キリストの像や十字架の像を置かない最大の理由です。そのようなことをイエス・キリスト御自身が望んでおられないから、です。イエス・キリストの像や十字架の像を作ることは、イエス・キリスト御自身の御心に反することなのです。
なぜそのように言えるのでしょうか。今日の個所でイエスさまが弟子たちに対して語っておられる言葉は「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(24節)です。
この御言葉を私の考えに強引にこじつけるつもりはありません。しかし、はっきり言えることは、イエスさまが弟子たちに命ぜられたことは、イエス・キリストの像を拝みなさいということではないし、十字架を拝みなさいということでもないということです。そのようなことは、イエス・キリスト御自身が最もお嫌いになったことなのです。
イエス・キリストについていくことを願い、決心し、約束した人々がしなければならないことは、その人自身の十字架を背負うことであり、イエス・キリストに従うことであり、御言葉に従って行動することです。そのように生きることです。生活することです。十字架は拝むものではない。飾りではない。アクセサリーではない。ペンダントではない。十字架は背負うものです。自分で背負うものなのです。
厳しい言い方になるかもしれませんが、像など拝んでも何も変わりはしません。わたしたちが一つの像に向かって毎日手を合わせれば、何かが良い方向に変わるでしょうか。何かにすがりたい思いをもっている人々を軽蔑してはいけません。そういうのはダメです。しかし、たとえば受験生がすべきことは像を拝むことよりも勉強です。物を拝むだけなら、現実逃避であると言われても仕方がない。
イエス・キリストに従って生きるとは、イエス・キリストの願いどおりに生きることです。十字架の像を拝むことは、イエス・キリストの願いに反することです。矢印が正反対を向いているのです。
しかし、それでは「自分の十字架を背負う」とはどういう意味なのでしょうか。
イエス・キリストが弟子たちに求められたことはそのことでした。今日の個所にはイエスさまが、御自分がエルサレムで多くの苦しみを受けて殺されること、三日目に復活されることになるということを弟子たちに打ち明け始められたと書かれています。するとイエスさまが殺されるという話を聞いてびっくりした弟子のペトロが「そんなことがあってはなりません」とイエスさまを諌めたというのです。その弟子たちにイエスさまが語られたのが「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」という御言葉でした。
この文脈から考えられることは、「自分の十字架を背負うこと」と「自分を捨てること」は同じことの言い換えであるということです。別の話ではないのです。同じことです。
それでは「自分を捨てる」とは何のことかが問われなくてはなりませんが、書いてあるとおりですとしか言いようがありません。文字どおり自分を捨てることです。
この言葉の反対の言葉は何かを言えば、その意味を理解できるかもしれません。自分を捨てることの反対は自分を守ることです。自己保身です。自己保身のためなら、自分以外のだれが犠牲になろうとも、自分の家族が犠牲になろうとも構わないというようなタイプの生き方を思い浮かべるとよいかもしれません。その反対が「自分を捨てること」です。
そして、それが「自分の十字架を背負うこと」と同じ意味になります。神、そして隣人を尊敬し、愛するために、自分自身を喜んで犠牲として差し出すことです。そういうことができるようでなければならないと、そのことをイエス・キリストは弟子たちに、イエス・キリストを信じるすべての人々に、そしてわたしたちに求めておられるのです。
わたしたちの教会に像が無いのはそのことにも関係しています。教会の建物の中に拝むべきものが何も無いのですから、礼拝が終わり、教会での活動が終わったら、なるべく早く家に帰ることが重要です。
さっさと帰ってください。この礼拝堂は居心地が良いのです。しかし、ここにじっと留まってはいけません。私の邪魔だと言いたいのではありません(まさか)。日常生活に戻ること、そして常に共に生きている隣人を愛することが、我々の信仰において最も重要なことであると言いたいのです。
わたしたちがいま毎週の礼拝の最後に歌っている「御民に仕えます」(Here I am Lord、芦田高之訳)という賛美歌の主旨は、まさにそのことです。「わたしを遣わし、みわざをなしてください。心を尽して、御民に仕えます」。
この歌詞の意味は、主なる神がこのわたしをこの世に派遣してくださり、このわたしを用いて神御自身のみわざを行ってください、ということです。このわたしは、心を尽して御民に仕えます。ここで「御民」とは洗礼を受けた人たちだけのことではありません。神が造られた全世界の人々のことであり、わたしたちの隣人のことです。
神は今日も、わたしたちを教会からこの世へと派遣してくださいます。たとえこの世の現実がどんなに厳しいものであろうとも、わたしたちはこの世の中で生きるべきです。それが「自分の十字架を背負うこと」です。
それは自分の家に帰ることです。自分の職場に帰ることであり、地域社会のために働くことであり、自分の日常に帰ることです。
そのとき、わたしたちと共に、御自身もまた「自分の十字架」を背負われた、わたしたちの救い主イエス・キリストがいてくださるのです。
(2012年11月4日、松戸小金原教会主日礼拝)
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