使徒言行録22・17〜21
2005年 松戸小金原教会新年礼拝
関口 康
今日、新年礼拝において思いを至らせたいと願っておりますことは、松戸小金原教会に連なるわたしたちが、新しい年になすべきこと、果たすべき使命は何か、ということです。
この教会の昨年一年間の歩みにおいておそらく最も大きかった出来事は、やはり、牧師の交代ではなかったかと思います。
わたしは東関東伝道協議会の機関紙『東関東伝道』に掲載された「新任教師の挨拶」の中で、教会がなすべき伝道のわざを「仲間集め」と表現させていただきました。
「伝道とは仲間集めである」。これは、もちろん、牧師だけの話ではありません。教会の皆さんにとってこそ、この表現が当てはまるし、ふさわしいのではないかと感じます。
伝道とは、文字通り、信仰の友達を増やしていくことです。教会の仲間、礼拝の仲間を集めていくことです。そのようにして、新しい人間関係を一から築いていくことです。
昨年は2人の方が洗礼を受け、全く新しくキリスト者としての歩みを始められました。その他にも、牧師家族を含めて9名の他教会からの転入者・加入者が与えられました。信仰の友達が増えた、と実感していただけたのではないでしょうか。
新しい年はどうでしょうか。わたしたちは何をなすべきでしょうか。もちろん、引き続き伝道です。一に伝道、二に伝道です。
しかしまた、このことを、より厳密に言いますならば、わたしたちがなす「仲間集め」とは、ただ単に、わたしたちの仲間を集めることではない、とも言わなければなりません。
より正確に言うならば、救い主イエス・キリストの仲間を集めることです。イエス・キリストは、今も生きておられます。そのキリストと共に生きる仲間、キリストの救いの恵みに共に与り、喜びと感謝を分かち合う仲間を集めるのです。
ここで、先ほどお読みしました聖書の御言にご注目いただきたいと思います。
この個所は、前後に鉤括弧が付けられていることで分かりますとおり、ある人が語った言葉の一部です。西暦1世紀に活躍した偉大なるキリスト教伝道者、使徒パウロの言葉です。
この言葉をパウロはどのような場所や状況で語っているかについては、使徒言行録21・17以下の一連の記事を読んでいただきますと、お分かりいただけます。
それは要するに、たいへん危険な状況であった、と語ることができます。
パウロは、キリスト教伝道者としての生涯において、三回の伝道旅行を行いましたが、第二回目の伝道旅行が終了し、エルサレムに帰ってきた、というのが、使徒言行録21・17以下に紹介されている、最も前提となる状況です。
第二回伝道旅行において、パウロは、非常に大きな成果を収めることができました。ところが、そのことを知って非常に腹を立て、怒り狂った人々がいました。エルサレムのユダヤ人たちでした。
パウロは、ユダヤ人たちが快く思っていないことを知っていましたので、エルサレムに滞在することになったときも、教会の長老たちと相談して、できるだけ慎重な態度を取っていました。
ところが、パウロがエルサレム神殿の境内にいるところが、ユダヤ人たちに見つかり、彼らは大いに怒り狂い、エルサレム中の群集が加わって暴徒と化し、パウロを捕まえて神殿の境内から引きずり出し、寄ってたかって、文字通りなぶり殺しにしようとしたのです。
その騒ぎがあまりに大きかったため、当時のエルサレムに駐留していたローマ帝国の軍隊が出動しなければならなかったほどでした。
そのような、ものすごく危険な状況の中で、パウロは、ユダヤ人たちに向かって、堂々とした態度で、今日の個所の言葉を語っているのです。
「『さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、主にお会いしたのです。主は言われました。「急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである」』」。
ここでパウロが語っているのは、彼がまだ、洗礼を受けて、キリスト者になったばかりの頃の話です。そのときパウロは、祈りの中で、我を忘れた状態になり、救い主イエス・キリストにお会いしました。
そして、その中で、イエス・キリスト御自身が、パウロに向かって「急げ。すぐエルサレムから出て行け」と命令されたのです。
なぜパウロがエルサレムから出て行かなければならないかというと、エルサレムのユダヤ人たちが、わたしについてのあなたの証しを受け入れないからである、とイエス・キリスト御自身が語られたからです。
ここでイエス・キリストがパウロに対しておっしゃっていることは、つまり、こういうことです。
イエス・キリスト御自身にとって、パウロが行くべき先は、パウロの証しを受け入れる人々のところであって、受け入れない人々のところではない、ということです。
ですから、これは、パウロ自身にとっては、ある意味で、おそらく非常に有難い話でもあったはずです。
「イエス・キリストについてのパウロの証し」は「イエス・キリストについてのパウロの説教」と言いなおしても、内容は同じです。
御言を語る者にとって、自分の語る説教を喜んで聞いていただけること以上の光栄も喜びもありません。日曜学校の先生たちにとって、一生懸命に準備したお話を、子どもたちが一生懸命に聞いてくれること以上の喜びはないでしょう。
全く拒絶されるとか、反発されるとか、非難されることが分かっている相手に向かって、何かを語り続けなければならないというのは辛いことです。
ですから、まさにこの点で、パウロの証しを受け入れない人々のところからは出て行きなさい、と言っていただけるならば、パウロにとっては、有難い話であるはずなのです。
ところが、です。ここで、パウロは、ちょっと変なことを言い出します。
「わたしは申しました。『主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいたりしていたことを、この人々は知っています。また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。』」
ここでパウロは、自分自身はかつて、熱心なユダヤ教徒として、熱心なキリスト教迫害者であった、という前歴を持っています、ということを語ろうとしています。
問題は、パウロはなぜ、このようなことを、イエス・キリストに対して述べているのか、です。
これには定説があります。このように語ることにおいて、パウロは、エルサレムで伝道すべきである、という自分の思いを告白しているのだ、と言われています。
要するに、これは、イエスさまに対するパウロの反論である、と考えられているのです。
わたしは熱心なユダヤ教徒として、熱心なキリスト教迫害者であった。しかし、そのようなわたしが回心し、キリスト者になった。そのことを彼らは知っている。
そのことを知っている彼らにこそ、このわたしが伝道すべきである。このようにパウロは言おうとしているのだ、と理解されています。
ところが、イエス・キリストのお答えは、パウロの考えとは、異なるものでした。
「すると、主は言われました。『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」。
パウロの考えは退けられました。そして「行け」と主は言われました。「わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」。
原文を見ますと「わたしが」〔エゴー〕という言葉が明らかに強調されています。とても強い強調です。
このイエス・キリストのお語りになる「わたし」の強調において明らかなことは、以下の点です。
第一点は、ひとを伝道へと遣わすのは、イエス・キリスト御自身であるということです。だれか人によってではなく、自分自身からでもなく、イエス・キリストがひとを伝道へと遣わすのです。
第二点は、ひとが伝道のために遣わされる先も、自分勝手に決めるのではなく、イエス・キリストがお決めになる、ということです。場合によっては、行きたくない場所に遣わされることもありうる、ということです。
第三点は、しかしながら、と加えるべきでしょう。イエス・キリストがひとを伝道のために遣わす先は、「わたしについてのあなたの証しを受け入れない人々」のところではなく、「喜んで受け入れる人々」のところである、ということです。伝道の喜びが溢れているところに、遣わしていただけるのです。
このようなことを、パウロは今や堂々と、怒り狂うユダヤ人たちの目の前で語っています。
パウロは「わたしがあなたを遣わす」とお語りになるイエス・キリストと共に語っているという確信を持っているゆえに、ちっとも怖くないのです。
新年礼拝の説教のタイトルに「希望と勇気」と付けさせていただきました。
パウロがもっていたのは、危険な状況の中にあっても真実を語る勇気であり、新しい出会いの中で信仰の仲間を集めてくる勇気です。
これらの勇気をパウロはイエスさまからいただきました。イエスさまは、わたしたちにも、勇気を与えてくださいます。
そして、わたしたちが、まさにこの勇気をもって伝道に励むとき、そこに教会の希望があり、伝道の活路が切り開かれていくのです。
(2005年1月1日、松戸小金原教会新年礼拝)