ルカによる福音書2・41〜52
関口 康
今日、新しい年の最初の主の日より、これから、イエス・キリストの生涯について、新約聖書のルカによる福音書に基づいて、学んで行きたいと願っております。
昨年中は、7ヶ月にわたり、使徒パウロのガラテヤの信徒への手紙を学びました。
その中に「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました」(2・16)と書かれていました。
これは信仰義認の教理といいます。「義とされる」とは、わたしたち人間が罪人であるにもかかわらず神の御前で正しい者であると認めていただけることです。罪を赦していただけることです。
信仰義認の教理とは、救い主イエス・キリストを信じる人の罪を、父なる神が赦してくださり、永遠の命を与えてくださるという、とてもありがたい教えです。これは、ガラテヤの信徒への手紙全体のテーマ、と言ってもよいものです。
それでは、次なる問題は何か、と考えてみたわけです。
使徒パウロが「人が義とされるのはイエス・キリストへの信仰による」と言っている。
それでは、わたしたちが、そのお方を、ただ信じるだけで、このわたしの罪を赦していただくことができ、また、このわたしに永遠の命を与えていただくことができるという、それほどまでにありがたい、イエス・キリストというお方とは、いったい、どのようなご存在であられるのか。
この問題を次に考えてみたいと思ったわけです。
わたしたちが、その方を信じるだけで、わたしたちが神の前で正しい者と認めていただける、という、救い主イエス・キリストとは、どのようなお方か、です。
その最初に取り上げますのは、イエスさまの少年時代に起こった一つの驚くべき出来事です。
それは、十二歳のイエスさまが旅行先で、なんと三日間も両親からはぐれてしまい、行方不明者になってしまわれる、という出来事です。
「さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。」
その出来事が起こったのは、エルサレムでした。両親が真面目なユダヤ教徒で、毎年の過越祭にはエルサレム神殿に詣でることにしていましたので、十二才のイエスさまも両親について行かれたのです。
ところが、祭りが終わってガリラヤのナザレの村に帰る道の途中で、両親がはっと気づいたことが、自分の息子がいない、ということでした。
そのことに気づかないままで、一日分の道のりを歩いてしまった、というのですから、いくらなんでも、ちょっと鈍すぎるのではないか、と思われても仕方がありません。
しかし、考慮しなければならないことは、その場面は、お祭りの帰り道であった、ということです。
道一杯に人がいる。自分で歩いているのか、人に押されて歩かされているのかも、分からないような状態。そう、ちょうど、あの歩行者天国のような状態を思い浮かべることができます。
そして、まさか、十二才の男の子(今の小学六年生に当たります)が、公衆の面前で、お父さんやお母さんと手をつないで歩いたりはしないでしょう。
息子はたぶん一緒にいるのだろう、と思いながらも、実際にいるかどうかを確認できなかったのです。
親の過失もあると言えば、そのとおりです。しかし、十分に同情に値する状態であったと思われるのです。
それでは、イエスさまは、そのとき、どこで、何をしておられたのか、と言いますと、エルサレム神殿の中に、最初からずっと残っておられました。
そこで何をしておられたかについては、この続きに書かれています。
「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。」
なんと、イエスさまは、大人たちの真ん中に座って、聖書の御言についての議論をしておられました。
「学者たち」とは、ユダヤ教の律法学者たちのことです。律法学者たちが研究していたのは、わたしたちが持っているのと同じこの聖書であり、旧約聖書です。ですから、彼らのことを、わたしたちは、聖書学者と呼ぶこともできるのです。
また、そこにはおそらく、これから律法学者になるために聖書の研究をしていた神学生たちもいたのではないか、と考えられます。
当時のエルサレム神殿は、イスラエルの人々が集まって礼拝する場所であると同時に、律法学者を養成するための律法学校、ないし、われわれの言う「神学校」の役割を果たしていたことが知られています。
この点から言えば、イエスさまは、神学教授や神学生たちの中に紛れ込んで、三日間の“体験入学”をしていた、と語ることさえできるのです。
これを「早熟」と呼ぶならば、間違いなく早熟な子どもであった、と言えるでしょう。しかし、もう少しよく考えてみれば、このようなことは、わたしたち教会の中では、決して珍しいことではないと思われます。
今日は、浅野正紀神学生が帰ってきておられます。神学生は、神学校で高度な専門教育を受けています。しかし、その神学教育は、何のためにあるでしょうか。ひとえに、教会に仕えるためです。
そして、神学生や牧師たちは、教会の日曜学校で、子どもたちにも語ります。神学を学ぶ目的は、難しい話をするためではありません。子どもたちに理解できるほどに分かりやすく、聖書の御言を語れるようになるために、神学を学ぶのです。
山梨栄光教会で、特別伝道礼拝の講師として、神戸改革派神学校の牧田吉和校長に来ていただいたことがあります。
そのとき牧田先生には、日曜学校の礼拝の説教もしていただきました。非常に分かりやすく噛み砕いた言葉で丁寧に教えてくださいましたので、子どもたちは、本当に喜びながら牧田先生の語る御言に耳を傾けていました。
今年10月に計画している松戸小金原教会の特別伝道集会に、牧田先生をお招きすることになっています。日曜学校でもお話ししていただくかどうかは、まだ相談していませんが、ぜひお願いしたらよいと思います。
優れた神学者こそが、優れた児童説教者である。その良い模範を示していただけると思います。
子どもたちに分かるほどに丁寧に話を噛み砕くことができるのは、それだけよく聖書の内容を思想的・構造的に理解していることの証しなのです。
少し脱線してしまったかもしれません。わたしが申し上げたいことは、十二才のイエスさまがエルサレム神殿の律法学者たちを相手に議論しておられた、というのは、ただ単に早熟という言葉だけで片付けてしまうことはできないだろう、ということです。
子どもたちに聖書の御言など理解できるはずがない、と思わないほうがよいのです。それどころか、子どもたちのほうが、われわれ大人たちよりも、はるかに優れたセンスや関心を持っている場合があるのです。
脱線ついでに、もう一つのことを申し上げておきます。
幼稚園から高校まで一緒だったわたしの岡山の友人は、現在医者をしておりますが、小学六年生のとき(十二才!)、すでにアインシュタインの相対性理論を理解しておりました。
天才肌の人だったことは、間違いありません。しかし、ぜひご理解いただきたいのは、十二才の少年少女が持っている能力や可能性は、決して低いものではない、ということです。
わたしたちの教会の日曜学校でも、先生たちのほうが、たじたじする場面もあるくらいに、先生たちの話に真剣に耳を傾け、質問などもどんどんしてくれます。
イエスさまがエルサレム神殿でしておられたことも、まさにそのようなことです。聖書の御言を真剣に学び、また、そのことを心から楽しんでおられたのです。そのように理解することができるのです。
ところが、そのイエスさまを、三日経って、やっと見つけた両親は、イエスさまの姿を見つけるや否や、頭ごなしに叱りつけてしまいました。
「両親はイエスを見て驚き、母が言った。『なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。』」
イエスさまのほうも、悪いと言えば悪いかもしれません。理由は何であれ、大切な両親を心配させてしまったのですから。
しかし、イエスさまは、わるびれるところが全くありませんでした。「お父さん、お母さん、心配かけて、ごめんなさい」と謝ったりもされませんでした。その代わり、次のように言われました。
「すると、イエスは言われた。『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』」
非常に興味深い返答であると思います。「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だ」というこの言葉には、次の二つの側面がある、と思われます。
第一の側面は、イエスさまは、エルサレム神殿のことを、そこがまるで自分の実家であるかのように、安心して楽しむことができる場所であると見ておられる、ということです。
御言の学びや議論は、楽しいものです。イエスさまは、そのことを楽しんでおられました。
実家にいて、そこで楽しんでいて、何が悪いのか。わたしは当たり前のことをしていたのに、それを叱られるのは不条理ではないか、と反論しておられるのです。
この面について言えば、わたしたちにとって教会は、まさにそういう場所であると言えるでしょう。
わたしが教会に行くのは、当たり前である。教会に行かないことのほうが、不自然である。
このような気持ちを、おそらく、わたしたちは、すでに持っています。この点で、わたしたちは、イエスさまの言い分に、十分な意味で同意することができるはずです。
第二の側面は、イエスさまは、エルサレム神殿のことを、まさに文字通り「自分の父の家」であると語っておられる、ということです。
これは、第一の面とは根本的に異なる意味を持っています。父なる神の家にいる、このわたしは父なる神の御子である、ということです。
イエスさまは、母マリアから産まれました。しかし、この方こそ、神の永遠の御子であり、救い主キリストなのです。
そのことを、イエスさまはすでに十二才のときに自覚しておられたのです。
「しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」
両親はイエスさまの言葉の意味、また行動の意味を、すぐに理解することはできませんでした。それが理解できたのは、おそらくずっと後です。
イエスさまが十字架につけられて全人類の罪の贖いのみわざを行われ、そして三日目に甦って、神の御子としてのお姿を現されたときです。
マリアとヨセフは、なんとたいへんな子どもを、神さまから預かったことでしょうか。苦労も多かったでしょう。
しかし、それは、本当に光栄なことでした。
全人類の救い主を育てる光栄に与ったのです!
(2005年1月2日、松戸小金原教会主日礼拝)