ローマの信徒への手紙1章1~7節
関口 康
「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから」(1節)
ローマの信徒への手紙は、西暦57年の春頃、使徒パウロの第三宣教旅行の最中、コリントで書かれた文書とされています。これで分かることは、この手紙の著者は、おそらく50才台から60才台。熟年の域に達していただろう、ということです。
パウロは、人生の長い時間を、キリストの福音を世界に宣べ伝える仕事にささげた人です。当然のことですが、彼もまた歳をとって行きました。
また少しずつですが、長い年月の間に、宣教内容としての福音をとらえる思考パターンや立場が変わっていきました。何もかもすっかり変わり、福音以外のもの(異端的・異教的なるもの)になってしまうということではありえません。しかし、一つの具体的な問題に対する答え方が変わる。キリスト教教理の全体的理解において強調の置きどころが変わる、など。
こういう変化は、人間ならば当然ありうることです。
一例として、パウロの比較的初期の書簡であるガラテヤの信徒への手紙を見ると、眼前の論敵に対して、まるで火を吹いているような非常にはげしい批判の言葉が見られ、また論敵の立場ときびしく対峙する正統の立場としての「信仰による義認」の教理を、これまた強い言葉で主張しています。
しかし、ローマの信徒への手紙のパウロは、もう少し冷静であり、穏やかであり、包容力があります。論述の方法も、一つの特殊な問題をせまく深く掘り下げて書く、というよりも、全世界と全人類のために神が定められたすべての計画を<包括的・体系的に>書いていく、という広さと大きさを持っています。彼の変化は顕著です。
そして、もう一つ言いうることは、彼の手紙は、若い頃に書かれたものよりも少し年齢が進んだ時期に書かれたもののほうが、論点や話の筋がはっきりしていて、より理解しやすく、読みやすいということです。人生経験を重ねることの大切さもさることながら、事柄を<包括的・体系的に>把握する訓練が行き届いてくると、語る言葉に論理的筋道が生まれます。
パウロにおいて、信仰の変化と成長は、言葉の分かりやすさ(面白さ!)という点に現われています。
パウロは自分を「キリスト・イエスの僕(奴隷)」と呼びました。福音の主に生涯仕え、御言を宣べ伝えるこの一事において忠実であった人の姿を示しています。
(2001年5月27日、日本キリスト改革派山梨栄光教会主日礼拝、要旨)
2001年5月27日日曜日
2000年1月1日土曜日
ファン・ルーラーのことば
「真の休息とは、仕事を休むことではなく、仕事を楽しむ(エンジョイする)ことである。」
Ware rust is niet rust van het werk, maar rust in het werk.
「聖霊はヨハン・クライフにたとえられる。ドリブルしながらどこでもすり抜け、自分の行きたいところに至るのだ。」
De Heilige Geest is met Johan Cruijff te vergelijken. Hij pingelt overal tussendoor en komt waar hij wezen wil.
「良い説教とはエスカレーターのようなものである。それは救いの高みへと自動的に連れて行ってくれる。しかし、最初の一歩は自分で昇らなければならないのだ。」
Een goede preek is als een roltrap. Deze brengt je automatisch op de hoogte van het heil, al zul je zelf wel eens een stapje moeten doen.
「真に日曜日を聖別するとは、朝は礼拝に出席し、昼はハルヘンワート(注)に行き、夕に教理礼拝に出席することである。」
De ware zondagsheiliging is ´s morgens de kerkdienst,´s middags de Galgenwaard en ´s avonds de leerdienst.
あるときファン・ルーラーは、講義の中で、かの有名な神学者カール・バルトについて、次のように語った。
「ああ、それは『キリストが世界を創造された』と語った、スイス生まれの田舎者のことです。」
Over de bekende theoloog Karl Barth zei Van Ruler ooit tijdens een college: O, dat is die boer uit Zwitserland, die meent dat Christus de wereld heeft geschapen.
「我々は、人生の意味を問うよりも、人生そのものを楽しむべきである。」
We need to enjoy our life itself more than to ask the meaning of our life.
Ware rust is niet rust van het werk, maar rust in het werk.
「聖霊はヨハン・クライフにたとえられる。ドリブルしながらどこでもすり抜け、自分の行きたいところに至るのだ。」
De Heilige Geest is met Johan Cruijff te vergelijken. Hij pingelt overal tussendoor en komt waar hij wezen wil.
「良い説教とはエスカレーターのようなものである。それは救いの高みへと自動的に連れて行ってくれる。しかし、最初の一歩は自分で昇らなければならないのだ。」
Een goede preek is als een roltrap. Deze brengt je automatisch op de hoogte van het heil, al zul je zelf wel eens een stapje moeten doen.
「真に日曜日を聖別するとは、朝は礼拝に出席し、昼はハルヘンワート(注)に行き、夕に教理礼拝に出席することである。」
De ware zondagsheiliging is ´s morgens de kerkdienst,´s middags de Galgenwaard en ´s avonds de leerdienst.
あるときファン・ルーラーは、講義の中で、かの有名な神学者カール・バルトについて、次のように語った。
「ああ、それは『キリストが世界を創造された』と語った、スイス生まれの田舎者のことです。」
Over de bekende theoloog Karl Barth zei Van Ruler ooit tijdens een college: O, dat is die boer uit Zwitserland, die meent dat Christus de wereld heeft geschapen.
「我々は、人生の意味を問うよりも、人生そのものを楽しむべきである。」
We need to enjoy our life itself more than to ask the meaning of our life.
1988年7月10日日曜日
最初の確信(初芝教会)
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| 日本基督教団初芝教会(大阪府堺市) |
関口 康(東京神学大学学部4年)
ヘブライ人への手紙3章12拙~4章16節
夏の間、みなさんとご一緒に聖書の学びの時を送ることができます幸いを、心より感謝いたしております。
今年も東京神学大学から43名もの神学生が、全国各地の教会に派遣されておりまして、同じように夏期伝道実習をしております。
心から思いますことは、全国各地で、あるいは世界全体で、主イエス・キリストが宣べ伝えられ、喜びのうちに心からなる礼拝がささげられ、賛美の歌がうたわれている、また同じ志をもつ者が神さまと人とに仕えることを生きがいとして励んでいる、その事実は、何ごとにも換えがたくすばらしいことだ、ということです。
神学生たちはみんな若くてちゃらんぽらんに見えたりしますけれども、主イエス・キリストにとらえられて信仰をもって日を過ごすことの喜びを自ら知り、またそれを多くの人に宣べ伝えることにこのいのちすべてを賭けていこうと確信している者たちでありまして、夏期伝道となると、始まるのがうれしくってしょうがない。そこでありがたい訓練を受けて、将来みなさんのお祈りに支えられて、新たなる伝道の旅に出かけるための備えをするのであります。
信仰をもって日を過ごすことは、じつに喜ばしいことであるはずなのです。神さまにのみ一切の希望を抱き、決して絶望しない。神さまにのみ依り頼む者たちが召し集められている教会に連なり、支えあって、励ましあって、生涯を送る。友なくして生きていくことを欲しない。愛し合うことを学びあいながら成長していく。
教会は、聖霊降臨のときから今日に至るまで、神さまのお約束を固く信じて疑わない者たちの群れであり続けています。
そしてまた、その信仰を未だ受け入れていない者に対して、その人にもまた救いの御手が働いているのだということを、なんとかして知らせようと働く群れであります。
たとえば、親ならば、自分の子どもに信仰の継承をしていくこと、ただそれだけを生きがいとしていく、そのような「心の貧しい」伝道者たちであるはずなのです。
しかしながら、教会は、じつに初めから、新約聖書の時代から、その内側に常に一つの大きな問題を抱えてまいりました。
そもそもキリスト教会は、いつでも、外側からの攻撃、迫害といったことには強かったようです。かえってそのことによって結束力を固め、信仰は深まり、祈りは熱っぽくなる。教会が教会であることの確固たる根拠を追求するようになり、ちょっとやそっとでは崩されない、どんなことにでも怖気づかない群れとされていく、そういったものでありました。
しかしながら、教会は、内側から沸きあがって来る問題には甚だ弱く、ともすれば一切の希望を失い、そのことによって霊的な力を失い、それでもって弱く小さくなっていく。
今朝ご一緒に開きました聖書の個所、ヘブライ人への手紙の著者が問題にしていることは、まさに彼が深くかかわっているとある教会が、非常に深刻な事態に陥っていて、その問題の大きさたるや、まさに教会を教会でなくするような事柄なのだ、ということであります。
それは、キリスト者第二世代への信仰の継承の問題でした。つまり、主イエスの十字架と復活とを直接には知らない世代に対する伝道の問題でした。信仰は継承されていくものだ、と一言で申し上げましても、それが言葉で言うほど容易なことではないということは、みなさんもご経験なされていることと思います。
初めのキリスト者たち、たとえば、「使徒」と呼ばれた主イエスの弟子たちの勇ましいほどの信仰は、聖書にさまざまに記されているとおりですが、その初めのキリスト者たちの信仰を、歪めることなく正しく後に続くものたちに伝えていくことがいかに困難であったかということは、聖書の至るところに取り上げられていると言えます。このヘブライ人への手紙においてそれは中心的テーマでありました。
たとえば、第1章の14節には、「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか」と書かれています。この「救いを受け継ぐことになっている人々」というのが第二世代のキリスト者だというわけです。
また、第2章の1節をご覧ください。「だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます」と言われております。
主イエスがお語りになった御言葉、教会が信仰をもって語ってきた言葉、伝えられてきた言葉を「強く心に留めよ」(口語訳)とは、わたしたちにとっては、何をいまさらお説教されなくとも、信仰者ならば当たり前のことだ、と思われることかもしれません。
しかしながら、その当たり前のことが、当たり前でなくなっている。「そうでないと、押し流されて」しまう。確固たる信仰の基礎がゆるがせにされ、教会が教会でなくなってしまう。そのような危機が訪れているというのであります。
3章の12節にも、こう言われています。「兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。」
つまり、このヘブライ人への手紙の著者は、初めのキリスト者たちの抱いていた喜びと希望に満ちあふれた確固たる信仰を、第二世代のキリスト者たちが正しく受けとめることをせず、別の思いにとらわれて、信仰から離れてみたり、別の信念をもってみたりして、結局神さまと教会から失われてしまうかもしれない。いや、そうなってしまっていると。
さらにまた、神さまに希望を持つことができないのですから、あらゆるものに絶望しつつ、神も何とかもあるものかと神と人とを恨みながら、どうしていいのやら分からないうちに世を去っていくと。
そのような事態が教会の中にあることを、あたかも父親が自分の言うことを聞かない息子のことを心のうちで心配しながら、険しい顔で戒めるように、語るのであります。
そもそも、なぜこのような事態が起こってきたのか、ということについて考えてみますときに、必ずしも簡単に答えられるようなことでない、複雑な事情があったように思われます。ただ言うことを聞かない新人類、というようなことではないように思うのであります。
それはおそらく、初めのキリスト者たちが抱いていた信仰の根本問題と関係があったのであります。
いつでもそれはこう言われてきました。主イエス・キリストは苦難の生涯を歩まれた後、十字架につけられてこの世の罪を贖い、よみがえられて御神の栄光をあらわし、天に昇られたのだと。そしてその後、主イエスは終わりの日にもう一度おいでになるのだと。
わたしたちの主の祈りにありますように、わたしたちの信仰の核心部分には、たしかに「御国を来たらせたまえ」があります。神さまのご支配を早く実現してくださいと、そのために主イエス・キリストが再び来たりたもう日を待ち望んでまいりました。
しかし、主イエスは、まだおいでくださらない。この世に悪の力はなくならない。「御国を来たらせたまえ」という祈りには、いっこうに答えられない。
初代のキリスト者たちは、イエスさまはすぐにおいでくださるのだと、だから今どんなつらい目にあっても、どんなに苦しくてもこの信仰を捨ててはならんのだと、そう素朴に信じて外からの猛烈なほどの迫害の手に対してたじろぎもせずに、勇ましく、これこそが信仰だと言わんばかりに派手な殉教の死を遂げていったというわけであります。
キリスト者第二世代は、そうした最初の世代の人たちの殉教の死をおそらくは目の当たりにしながら、あるものは恐怖におびえながら、あるものは肉親を失った悲しみにうちふるえ、迫害者に対する復讐心もさることながら、主イエス・キリストを信じたゆえに殺されたと考えるときに、主イエス・キリストの救いに対する不信感、信仰そのものに対する疑いを持つようになる。
信じて祈ったが結局報われなかったではないか、父親や母親は死んでしまっていなくなってしまったではないか。天国で逢えるという言葉を信じて、どれほどの慰めがあるというのであろうか。せいぜいおとぎ話の、人をだますような、むなしい信仰。
キリスト者第二世代の者たちにとって、すさまじい迫害の前に次々と倒れていく殉教者群像を見ながら、それでももし、主はわれらの救い主なり、と心から告白するためには、相当の勇気と、力と、なにものにもまさる慰めの言葉とを必要としたかということを思うのです。
ですから、3章12節の御言葉の中の「信仰のない悪い心」というのは、何か大罪人の心の中にあるような不気味なドロドロとしたような思いというのとは少し語感が違うと思うのです。
その「信仰のない悪い心」とは、人間的にいうと同情に値するような、なぜなら信仰をもって死んでいった父や母、友や先生の姿を目の当たりにして、信仰の意味について深く考え込んでしまうような「信仰のない悪い心」なのですから。
また、何よりも、主イエス・キリストが、まだ来てくださらない。この世に悪の力はなくならない。福音の御言葉は結局嘘だったのか、信じるだけ馬鹿馬鹿しいことだったのかと考えてしまうような「信仰のない悪い心」なのでありますから、わたしたちにとって、受け入れるに耐えない、あまりにもひどい考え方と言ってしまえないものなのであります。
もし、キリスト者が個人個人孤独であって、たった一人で信仰生活を送れと言われたならば、誰がそれに耐えることができるのでしょうか。何か厳しい精進を経て悟りを開くようにして、この信仰を維持せよと言われて、誰がそれをなしえましょうか。
わたしたちはそんなに強くないのです。わたしたちは日々の生活の中で、常にドロドロとした人間関係の中ですぐにでも押しつぶされてしまいそうなほどにもみくちゃにされて、いやな思いにさせられる、すぐにでも恨み言、つらみ言を口にしてしまうほどに弱いのです。
それでも、まったくもって絶望してしまわず、何か依り頼むべきお方にすがるような気持ちで、信仰を持って来たのだと思います。あるいは、教会に来て、そこに集まってきた人々の赤裸々な、それでも何か純粋で素朴な信仰の証しの言葉に励まされながら、世を去る日までこの確信を抱き続けようと決心を新たにしてきたのだと思います。
ヘブライ人への手紙の著者は、その若者たちに本当の慰めの言葉を語り始めるのであります。第3章の初めから、押し流されてしまいそうな弱い信仰の持ち主たちに向かって、旧約聖書の詩編95編を紐解いて、説教しているのです。それはちょうど教会学校の先生が生徒に向かって、聖書を開いて、その中の一言一言をよく吟味しながら、「きょう」という題名で教え諭しているのと同じ光景を思い浮かべられたらよいと思います。
「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、
荒れ野で試練を受けたころ、
神に反抗したときのように、
心をかたくなにしてはならない。」
3章13節をご覧ください。「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい」とあります。
「罪に惑わされてかたくなになった人」がいたならば、叱り飛ばし、あるいはその罪を指摘して、交わりを絶ってしまいなさい、というようなことは、ここでは全く語られていないのであります。
「日々励まし合いなさい」という言葉は、信仰者には常に友が必要である、ということを指し示しているとも言えます。
しかも「今日」ということが、大切なのであります。明日の態度、将来の態度について問われてはいないのであります。初めのキリスト者は、迫害の中で明日も知れぬ身であったのです。その恐怖の真っ只中で、一日一日を厳かな思いをもって、涙の祈りをささげつつ、信仰を全うしていったのです。
それは、将来来たるべき神の国を夢見つつ、それをただ一つの慰めとして、今、その日、そのときを充実したものとして、受け取っていったのであります。それが主イエスを待ち望む信仰の本当の意味なのであります。
その信仰を継承する者たち、今にも乱れそうな、砕け散りそうな信仰の持ち主に向かって、その日一日、主に守られたことを感謝せよと、神さまのご臨在を信じて、安心して歩みなさいと、それ以上のことは求められていないのであります。
「荒れ野における試練の日々」、つまりエジプトを出たモーセ率いるイスラエルの一行が、約束の地カナンを目の前にして四〇年間入ることを許されずに、荒れ野で試練のときを送ったとき、神さまは決して約束を破られるような方ではないということは、彼らにはよく分かっていたにもかかわらず、目の前の食べ物は尽き、貧しくておいしくない、一日分のマナだけで生活することに耐えられなくなっていった。
「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない」(民数記11・4~6)と泣き叫ぶようになっていった。
モーセさえも弱気になって、こんな目に遭うならば、主よ、むしろわたしを一思いに殺してください、と祈りさえするようになってしまった。猜疑心が猜疑心を煽り立て、罪が罪を上塗りするようになった。それはイスラエルが神の言葉を「聞いたのに背いた」からだ、ということなのであります。それが、神さまに望みを失った者の哀れな姿なのであります。
3章14節に「わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです」とあります。
この「最初の確信」、このことが大切なのであります。これは、人間的な決心とか、思い込みの部類には決して属さないことなのであります。
信仰は決して一人では持ちえないと申し上げましたが、教会もまた各個教会では立ちえないのであります。もっと大きなキリストのからだなる教会、しかも歴史的な、初めのキリスト者たちから現代の私ども一人一人に至るまで、一つの幹に連なる枝としてつながっている、そのようなものとして教会は確固として立っているのであります。
その教会の「最初の確信」。それは、ここでは全世界の創造主なる神さまの安息のうちにわたしたち信じる者たちを入れてくださる、というお約束を信じることと結びつけられて語られています。それがキリストにあずかることなのだと。
信仰の継承は、個人的な信念の伝授ではありません。そうではなくて、歴史の中に脈々と伝えられてきた、決して絶望することのない、明るい希望の根拠、「最初の確信」を「最後まで」、つまり、この世界の終わりまで、主イエスの再び来たりたもうその日まで「しっかりと持ち続け」なさい、ということなのであります。
神さまの救いのみわざは真実であり、たしかである、ということを、どんなにそれが目に見えなくとも、それが全く疑わしいほどに困難な状況にあっても信じ続ける、そのような信仰が、今日に至るまで伝えられてきているのだと思います。
伝えられてきたことを、また伝えていく。それがわたしたちキリスト者の使命なのであります。
(1988年7月10日、日本基督教団初芝教会主日礼拝)
1987年10月1日木曜日
パウル・ティリッヒにおける霊的現臨と主体性の問題(1987年)
関口 康(東京神学大学4年)
序論
最近になって、パウル・ティリッヒの思想的発展は人間の主体性の宗教的再構築への関心によって動機づけられていた、ということが解明された。ティリッヒが再構築しようとした主体性とは、自立的主体を超え、それを、またその文化世界を神的な存在の根柢の上に再生させるような人間の主体性である。
そのことはティリッヒが現代における神律的文化の再建を目指して戦っている格闘の一側面にちがいない。ティリッヒは、われわれが継承してきた思想的伝統が唯名論的であることを問題視し、それが、世界観において、自然主義か超自然主義かといういずれにも満足しえない二者択一をせまるものであると考える。
自然主義か超自然主義かという二者択一は、彼にとって、啓示および自然的諸法則の侵害としての奇蹟についての超自然主義的観点への抵抗の道か、それとも自己充足的限定性としての自然主義的世界観への抵抗の道かという二者択一を意味し、両者ともティリッヒの神律概念にとって不適合である。トンプソンによると、ティリッヒの確信は「自然主義と超自然主義とのこの二分法は、唯名論的伝統固有のアンティノミーから生じるところの誤謬である」ということである。このアンティノミーを乗り越えることがティリッヒの神学的課題である。
このアンティノミーを克服するためにティリッヒが導入する方法は、いわゆる「認識の形而上学」であり、つまりそれは、認識行為の実存的性格の承認、存在と意味への問いにおける人間の実存的関わり合いの承認、である。唯名論的伝統における存在的歴史的主観と抽象的認識論的主観との混同、また存在論的客観と論理的客観との混同への傾向に端を発する世界と精神のリアリティについての疑念は、抽象的主観と抽象的客観との間に不自然な二分法を措定するが、然るに、現実的経験においてそれらは相関関係にあるのである。
従ってティリッヒは、存在と意味を問う「認識の形而上学」を神学に導入することによって、抽象世界における主観と客観の分裂を克服し、それによって人間の主体性の宗教的再構築を試みていると言ってよいであろう。そしてそれは、唯名論的伝統にとってかわる新しき世界観をわれわれに提供するものとなる。
ところで、ティリッヒにとって、人間の主体性の宗教的再構築及び神律文化の再建への要請とは、裏返してみるとそれらの崩壊が前提されているということを意味する。それはティリッヒの生の実存的状況が、ヨーロッパ的宗教支配文化の崩壊の最終段階においてあり、それに対する評価と対策においてまさに歴史的決断が神学者をして下されるべき時であったのである。そのような時にあって神学者は生について語る場合、思弁的抽象的には語り得ず、全実存をかけて語るのである。
ティリッヒが生について体系的に論ずるのは、彼の主著、『組織神学』の第四部門、「生と霊」の教説においてである。そしてそこに登場する「霊的現臨」(Spiritual Presence)の概念は、彼が提示する新しき世界観を解明するキイ・コンセプトである。
われわれは、ティリッヒの「霊的現臨」の概念を構造的に理解するために、第一章においてこの概念の歴史的位置づけを試みた後、第二章においてこの概念のティリッヒ神学における意味について論じたいと思う。
第一章 霊的現臨の歴史的位置づけ
(1)ルター主義的伝統において
ティリッヒの生がドイツ・ルター主義的環境を背景にして展開したことは、彼の神学的展開と霊的現臨の教説に根拠を与えた決定的要素とみなされるべきである。
彼の『自伝的考察』によると、当時のドイツ・ルター主義教会の有力者であった牧師を父にもつ彼にとって、幼少年期に過ごしたシェーンフリース、ケーニヒスベルクのルター主義的環境における「聖なるもの」の体験が「私のすべての宗教的および神学的研究の礎石になった」と述べ、また「宗教哲学において、私は、聖なるものの体験から出発し、そこから神の理念にいたったのであって、その逆ではない」と断言する。
彼の回想の中で言い表された、聖なるものの体験、すなわち「神的なるものの現臨体験」とは、もとよりルター主義の伝統的命題である「有限は無限を入れる」(finitum capax infiniti)という、いわゆるinfra Lutheranum(ルター的「下に」)の内容である。
このinfra Lutheranumとはカルヴァン主義とルター主義の論争という文脈において理解されてきたものであるが、カルヴァン主義の命題、「有限は無限を入れない」(finitum non capax infiniti)というextra Calvinisticum(カルヴァン的「外に」)の対立命題として、あらゆる有限なるものに現臨する無限者の観照、無限なるものの有限者の有限性の領域における内在を表現したものである。カルヴァン主義からすれば、ルター主義命題の「空間に関し容器のようにみなす見解」は単性論か汎神論として退けるが、ルター主義からすればカルヴァン主義は理神論であり二元論であるということになる。『自伝的考察』においてティリッヒは明らかに、現臨概念をルター主義的伝統のコンテクストの中で支持している。
ただし、ここで注意すべきことは、ティリッヒが現存する過去の宗教支配文化の残存形態の中に霊的現臨の顕現をみていることである。ティリッヒは霊的現臨を体験的に先取した上で、アポステリオリに霊的現臨の概念を組み立てたのである。
(2)神秘的実念論的伝統において
ドイツ観念論の課題が「カント哲学の克服」であったように、ティリッヒと彼の同時代人の多くもまたカント問題の解決に熱中していた。ティリッヒは『境界線の上で』のなかで「私自身の哲学的立脚点は、新カント主義、価値哲学、また現象学との批判的対話によって展開した」と述べている。1912年にティリッヒは、神学士号取得のために『シェリング哲学の発展における神秘主義と罪責意識』というシェリング研究を発表するが、そこで彼はシェリング哲学の価値を、カント問題の解決を示唆するという点に見出している。
明らかなことは、少なくともティリッヒの初期の段階において、自らの立場をカントからシェリングへという流れにおいて理解していたということである。それが後の彼の立場において当てはまるかどうかは議論のあるところである。しかしながらこのことにおいて彼が意図することは、カント問題のヘーゲル主義的本質主義的解決に対する批判である。ティリッヒは、第一次世界大戦の経験を通して、当時のドイツ国家の基礎づけが安易な同一性原理による統合によってできあがってきたことに気づいており、その時代の人々の人格的な苦悩と混沌がそれに意義を申したてていることの意味をよく知っていたのである。
カント問題は今日なお未解決である。ティリッヒが生涯シェリング主義者であったというようなことがたとえ支持し得ないとしても、彼がカントを思想的対論の相手と見なし、それを克服するために、シェリング、あるいはシェリング哲学と同じ方向性と性格づけをもった形而上学的な思想を導入しつつ、その難問と取り組んだということは確からしい。
カント問題とはティリッヒにとって、デカルトの懐疑主義の、カントによる方法論的正当化における問題性であった。それは換言すれば、現象と物自体の二元論であり、その統一的把握の根拠の欠如である。
この難問の解決のためにティリッヒは、デカルトからカントまでの批判的方法論的伝統と、ニコラウス・クザーヌスからシェリングまでの「神秘的形而上学的」伝統との総合を企てる。彼は『カイロスとロゴス 認識の形而上学的研究』において二つの伝統の対比について論じ「両者は相互補完的である」と述べている。彼が提唱する「メタ論理」(meta-logic)、すなわち「批判的弁証学的方法」(critico- dialectical method)とは二つの伝統の総合によるものである。
彼の霊的現臨の概念の形成のために重要である認識の実存的性格の承認は、後者の「神秘的形而上学的」伝統、すなわち中世における「神秘的実念論」(mystical realism)の伝統からひき出されたものである。特にティリッヒにとって、ニコラウス・クザーヌスの主要命題である「反対の一致」(coincidentia oppositorum)が重要である。
ティリッヒは『キリスト教思想史』講義において、「反対の一致」について次のように説明する。「有限なるすべてのもののなかに無限者が現臨する。すなわち宇宙全体の創造的統一を基礎づける力が現臨する。同じ仕方において有限が潜在性として無限のなかに含まれる。世界のなかで神が展開する一方、神のなかに世界は含まれる。有限は無限のなかに潜在的に存在する一方、無限は有限のなかに現実的に存在する。両者は相互のなかにある」。ここでも彼は、ルター主義の命題である「有限は無限を入れる」と全く同じことを思い描いている。つまり彼の霊的現臨の概念にとってこの命題のもつ意味は第一義的と言ってよいであろう。
ティリッヒの『組織神学』における現臨概念の展開は、従って、彼の「批判的弁証法的方法において、またそれによる「カント哲学の克服」の試みにおいて、あるいは、第一次世界大戦における原理的統合性の崩壊を再建する試みにおいて、極めて重要なものであると考えることができよう。そして彼にとってまず第一になされるべきと考えているのは、「有限は無限を入れる」という命題と、認識の実存的性格とへの承認であった。
この議論をさらに深めていくために、次のような考察をすることもできる。それは、一般にこれまではルターとクザーヌスの間には直接的にはもちろん、歴史的にも相互連関はないとされてきたが、両者に共通する「隠れたる神」(Deus absconditus)の思想をめぐる諸研究等を通じて、ルターがクザーヌスから間接的にせよ影響を受けていると結論づけることができる、という学説である。この学説がわれわれに与える有利性は、何よりも、ティリッヒが行なったルター主義と神秘的実念論との総合は、無理矢理なされたものではなく、もともと存在した歴史的連関の現代における継承として受けとることができるということである。
しかし、その学説において指摘されるルターとクザーヌスの思想的起源としての中世ドイツ神秘主義は、ティリッヒの現臨概念の起源としても考えうるのではないかとの推論も成立することになる。
ヴェンツラフ=エッゲベルトの『ドイツ神秘主義』の研究によると、ドイツ神秘主義は要するに「神秘的合一」(unio mystica)でもって説明されうるのであり、これはフィヒテやシュライエルマッハーの中にも見出され、ドイツ・ロマン主義を解明する鍵としてみなされるものである。このことは、われわれの関心からすると、ティリッヒの試みが結局中世的なものへの逆行、退行を意味するのか、それとも近代的なものの真の克服としての新しい世界観への格闘を意味するのか、という根本的評価に関わる問題を含むのである。
われわれは以上の考察によって、ティリッヒの霊的現臨の概念の歴史的位置づけについて、一応概観することができたとしよう。
次に、われわれはティリッヒの主著である『組織神学』第三巻第四部門における「生と霊」の教説のなかで霊的現臨の概念がどのような意味を与えられ、展開されているかについて考察する。
第二章 霊的現臨の意味
(1)精神の意味
ティリッヒは、現代における神律的文化的総合の再建の試みにおいて「精神」(spirit)の概念を吟味する。ヘーゲル同様、ティリッヒは、文化を主観的精神の領域、すなわち彼自身が創造され、その中で彼が「精神」として自己自身を意識するようになるという、人間の「第二の本性」に属するものとみている。例えばヘーゲルやヘルダーにおいて、文化とは語りや行為性における精神の自己表現であったように、特にドイツ的定義づけにおいて精神と文化は相互に関係づけられている。ティリッヒもまたこの関係づけのなかで両者を考えている。彼は「生と霊」の教説のはじめの部分において、精神の次元における生の多次元的統一についての議論を行い、その中でヘーゲルの精神概念について説明している。
「『霊』(Spirit)という言葉が宗教的領域で保存されてきたという事実は、部分的には宗教的領域における伝統の強さによるものであり、また部分的には(たとえば「創造主なる御霊よ、来たりませ」という讃美歌が示すように)、神の霊から力の要素を取り去ることは不可能であるということによるものである。God is Spiritは決してGod is MindともGod is Intellectとも訳すことができない。ヘーゲルの『精神現象学』さえもPhenomenology of the Mindとは決して訳され得なかった。ヘーゲルの精神の概念は意味と力とを統一している」。
ティリッヒの精神の概念は、ヘーゲルとのこれらの親近性とその評価とにもかかわらず、ヘーゲル主義的に解釈されるべきではない。むしろティリッヒ自身、積極的にヘーゲル主義を克服しようとする。それは彼によってわざわざ「本質主義的」な考察であるとの断りの下に論ぜられた「生の多次元的統一」を、「霊的現臨」論の前に置き、「霊的現臨」についての原理的、歴史的な説明をひと通り終えた後、もう一度、生の統一性の問題、つまり宗教、文化、道徳の問題について論じるという方法がとられたことの中に示されている。言い換えるならば、「霊的現臨」とはヘーゲル主義的本質主義的総合の曖昧性を超克し、生の諸次元的要素に「霊的」という語を冠するための概念だということである。
ティリッヒは霊的現臨についての説明のはじめのところで、精神という言葉を使用することの目的について二点挙げる。第一は、人間を人間として性格づけ、道徳、文化、宗教において実現されている生の機能に適切な名称を与えるため、第二には「神の霊」(divine Spirit)または「霊的現臨」というシンボルに用いられている象徴的素材を提供するためである。そして、精神の次元における人間的生の統一の経験が、霊としての神(God as Spirit)また神の霊について語ることを可能にする。したがって精神とは、生を通しての神的なるものの認識への形而上学的承認の契機である。「神の霊の教義は、精神を生の一次元として理解することなしには不可能であっただろう」。
ヘーゲルの精神概念との違いは、恐らく次の点に存するであろう。ヘーゲルのいう「真無限」(die wahrhafte Unendlichkeit)とは、具体的無限者が有限者をその内に含むことを意味する。有限者の自己認識とは自己を「概念」として知ることであり、それは絶対者である無限者がその内に含む有限者的対立の自覚を媒介にして真に絶対的な同一性を自覚することである。概念は意識の弁証法的運動の終極において成立するものであるが、その弁証法的運動の主体は精神としての絶対者である。
とすると、概念において精神はまさに自己として捉えられることになる。ヘーゲルの絶対者はこのようにして無限と有限との漠然とした内包理論によって基礎づけられており、結局無限と有限との間の存在論的差違は無くなってしまうのである。
量義治が結論づけるように、それは「有限者が無限者となること」を意味する。「ドイツ観念論の展開は無限者的立場への徹底であると言うことができるであろう。それは近代の人間中心主義的思想の観念論的表現である。…したがってドイツ観念論はカント哲学を克服した哲学ではなくて、カント哲学から堕落した哲学であると言うこともできよう」と言われるのと同様、ヘーゲルの絶対精神は神学的にも支持し難いものである。
ティリッヒは、無限的と理解される神的霊(Spirit)と有限的な人間精神(spirit)との間にはっきりとした存在論的差違を措定する。ティリッヒは次のように述べる。「もし神の霊が人間の精神に突入すれば、それは神の霊が人間の精神の中にとどまっていることを意味しない。それは神の霊が人間の精神をそれ自身から追い出すことを意味する。神の霊のinは、人間の精神にとっては、outである」。このことは彼にとって、霊的現臨によって把えられた存在の状態を表現する「脱自」(ecstasy)の意味である。
またティリッヒは「有限者は無限者を強いることができない」(The finite cannot force the infinite)ということにおいて有限性原理を命題化する。ティリッヒは脱自理論を用いることによって有限性原理を保持しつつ、神的なるものと人間的なるものの相互連関を論じることにおいてヘーゲルを克服せんとしているのである。
しかしティリッヒは以上のことが再び超自然主義的二元論へと逆戻りしないように、無限と有限との本質的一致ということを「一時的」「予備的」と断りつつ支持している。「有限は無限を入れる」が、しかし「有限は無限を強いることはできない」。
(2)脱自の意味
前節でふれたように、ティリッヒの霊的現臨の概念にとって「脱自」は重要である。彼は脱自理論を新約聖書の聖霊理解、特にパウロから学んでいると考えているところが非常に興味深い。彼は次のように述べる。
「パウロは第一義的に聖霊の神学者であった。彼のキリスト論と終末論とは、彼の思想のこの中心点に依存している。彼の信仰と恩恵による義認の教義は、この中心的な主張、すなわちキリストの出現と共に、聖霊によって創造された新しい事態が到来したということを支持し、弁護するためのものであった。パウロは霊的現臨の経験における脱自的要素を強く主張した」。
今日の聖書学においてこれが支持され得るかどうかは疑問であるが、ティリッヒがパウロの祈りについて「このような祈りは人間の精神には不可能である。…しかし、神の霊には、人間を通して祈ることが可能である」と述べていることが、彼の霊と精神との存在論的差違性の議論からのみ導き出されているものではないことは確からしい。
ティリッヒはパウロにおいて構造性と脱自性との一致をみているが、このような議論をもちだすことの目的は、現代におけるカトリシズムとプロテスタンティズムにおける聖餐理解の偏重性に対して警告を与えるためであった。カトリシズムにおける聖霊の制度的理解、プロテスタンティズムにおける聖霊の道徳的理解は、いずれも教会の世俗化をひき起こす要因となってしまうのである。
そしてまたもう一つの目的は、霊的現臨において、またそれが惹きおこす人間精神の脱自において、主観‐客観構造が超克され、またそれによって新しき認識が創造されるということを支持するためである。「脱自的経験の最善にして、もっとも普遍的な例は祈りの形態である。…神に向かって語るということは、神を祈祷者の対象とすることを意味する。しかしながら、神は同時に主体となることなしに、客体となることはできない。…祈りは主観-客観の構造が克服されている限りにおいて可能である」。ティリッヒは、脱自的可能性としての祈りが、教会的領域の統一性の鍵としてみられるのみならず、普遍的文化的領域における無限と有限の主観‐客観構造のアンティノミーを統一する鍵とみているといってよいであろう。
(3)霊的共同体における主体性
ティリッヒの霊的現臨の概念は、祈りと結びつけられて論じられるのと同様、伝統的キリスト教的諸概念と結びつけられる。霊的現臨の媒介としての伝統的サクラメントが取り上げられ、またその規準としての聖書が取り上げられる。あるいは霊的現臨の内容としての信仰と愛とが論じられる。しなしながら、ティリッヒは、そうした伝統的キリスト教的なるものによる定義づけをもって排他主義的なことを考えてはいない。しばしば彼が「霊のみが霊を見分ける」と述べるのは、霊の自由をさまたげるようなあらゆる試みに対して批判的スタンスをとっているからである。
その際、彼の「霊的共同体」(Spiritual Community)の理念が問題になる。彼は「霊的共同体」と「教会」(Church あるいはchurch)とを分別して考えるからである。
ティリッヒは、人類における霊的現臨の創造性を三つに分ける。1.神的霊の中心的顕現への準備としての人類全体における創造の働き、2.神的霊の中心的顕現そのものにおける創造の働き、3.かの中心的出来事の創造的衝迫の下における霊的共同体の出現における創造の働き、である。これらはティリッヒにおいて時間的経過と結び合わされ、宗教史的、また救済史的なプロセスとして考えられている。言うならば、霊的現臨の自己展開としての宗教史ということになろう。
この第三の時間区分に属する、霊的現臨が創り出す霊的共同体とは、「新しき存在」(New Being)であり、「曖昧ならざる生の顕現」「曖昧ならざる神の愛の創造」であるとされる。そこで顕示される曖昧ならざる生は、キリストとしてのイエスにおいて、またキリストを待望した人々において顕われた曖昧ならざる生と同一である。ゆえに「霊的共同体」と「教会」は同一ではない。ティリッヒは「教会」という言葉を宗教的曖昧性において把えていて、彼がこれを用いる時は「潜在的」(latent)とか「隠された」(hidden)とかいう語と共により隠喩的に考えている。
「霊的共同体」を「教会」と同一視しないティリッヒの立場は例えば次のような言葉にあらわれている。「イスラム教の礼拝共同体の中に、モスクの中に…潜在的霊的共同体がある」。ティリッヒはこのことによって、キリスト教の宣教活動と関連して、「最も重要なことは、異教徒、ヒューマニスト、ユダヤ人たちを、潜在的霊的共同体のメンバーとして考え、外部から霊的共同体へと招かれている全くの異邦人たちと考えないことである」と述べる。
しかし霊的共同体にはその性格づけを記述し判定する基準があるのであって、それが霊的現臨の内容としての信仰と愛である。
新しき存在の共同体として、霊的共同体は信仰の共同体である。霊的共同体は、信仰によって神的生の神聖性に参与するがゆえに、聖である。霊的共同体は教会の不可見的な霊的本質である。
新しき創造の共同体として、霊的共同体は愛の共同体である。霊的共同体は聖なるものであって、愛を通して、神的生の神聖性に参与し、宗教的共同体、すなわち教会に聖性を賦与する。霊的共同体は教会の不可見的な霊的本質である。
以上のことが意味することは、すべての人間的な宗教的営為に先行する、創造主なる霊的共同体の顕現としての霊的共同体、ということであって、宗教に先立つアプリオリな性格をもつ理念としての霊的共同体性ということとなる。とすると、ティリッヒにおいて、この霊的共同体性とキリスト教性(Christianity)との関係はどうなるのかという問いがあらわれるに違いない。
第一章においてわれわれがすでに見たように、ティリッヒはルター主義的環境の中で育まれ、その中において神的なるもの、すなわち霊的現臨の体験からアポステリオリに記述する帰納論的アプローチを行うのである。言わば彼はキリスト教の内部から全ての発言をしている。霊的共同体性の論議についても、確かに彼はそれを他宗教の中にも潜在すると述べはするが、彼のパウロ的聖霊理解への親近性、あるいはペンテコステの物語へのかなり立ち入った言及等から考えるならば、原始キリスト教に対する親近性から導き出されたものと考えられるであろう。つまり霊的共同体性とは原始キリスト教性と言い換えてもさほど問題にならないものということになる。
従って霊的現臨の顕現としての霊的共同体とは、原始キリスト教的な共同体を意味し、それが今日営まれているキリスト教に潜在的であるところの曖昧ならざる生の実現の場であるということができよう。そしてティリッヒはキリスト教の内側にとどまりつつ、原始キリスト教的なるものを今日のキリスト教の反省材料とみなして、より曖昧ならざる共同体の実現をめざしたのであろう。しかも、他宗教においてさえ霊的共同体性を見出すことによって、彼は排他主義的いき方を退けつつ、開かれたキリスト教的共同体について考えを深めていったものと思われる。
そしてティリッヒは、霊的現臨の顕示の下にもう一度精神的生、すなわち道徳、文化、宗教の再統合を試みる。「この統一は人間の本質において、前もって形成され、実存の諸条件の下で分裂し、霊的共同体が宗教的・世俗的グループにおいて生の曖昧性と戦う中で、霊的現臨によって把えられている」と述べる時、かの「有限は無限を入れる」は逆転している。すなわち「無限は有限をとらえる」(infinitum capax finiti)。
この無限と有限との逆転関係はいわば「神律的相互関係」である。無限が有限を把えることによって、有限は曖昧ならざるものとなり、確固たる有限を意味するようになる。これが人間としての主体性の根柢となるのである。無限と有限との相互の関係づけが主観‐客観構造を超克し、真の主体性の確立をめざす道を示すのである。つまり主体性の根柢とは霊的現臨なのである。
結論
以上の考察は、パウル・ティリッヒが重んじる霊的現臨の概念についての把握としてはまだ不充分にちがいない。ただし、すでにわれわれが見てきたことにおいていくつか結論的に述べることができよう。
1.ティリッヒは現代社会の分裂、疎外状況の根柢に、不自然な二分法を生みだす唯名論的世界観があるとし、唯名論的伝統に対する批判をすることによって、原理的統合性の再建を目指す。
2.しかしその崩壊している原理的統合性の再建、回復はヘーゲル主義的本質主義的にはなし遂げられない。実存的にたち向かわねばならない。
3.再建の鍵は霊的現臨である。これが相対主義的な不確実性の時代において、確固として存在的に在したもうのである。われわれキリスト者たるの主体性は新しい存在によってのみささえられる。
伝道者は霊的現臨によってのみ立つことができる。御霊が共に在したもうて、私をおつかわし下さったということなしに、どうして確固として説得的に語り得ようか。語ること全てがキリスト者の主観的な見方であると批判されて、霊的現臨の体験なしにそれ以上語り続けうるか。主体性の確立とはまさにキリスト者としての自覚を深めることに外ならないのである。そしてそれは「創り主なる御霊よ、来たりませ」と祈りつつ歌いつつなされることなのである。
(東京神学大学組織神学学部演習論文、1987年)
序論
最近になって、パウル・ティリッヒの思想的発展は人間の主体性の宗教的再構築への関心によって動機づけられていた、ということが解明された。ティリッヒが再構築しようとした主体性とは、自立的主体を超え、それを、またその文化世界を神的な存在の根柢の上に再生させるような人間の主体性である。
そのことはティリッヒが現代における神律的文化の再建を目指して戦っている格闘の一側面にちがいない。ティリッヒは、われわれが継承してきた思想的伝統が唯名論的であることを問題視し、それが、世界観において、自然主義か超自然主義かといういずれにも満足しえない二者択一をせまるものであると考える。
自然主義か超自然主義かという二者択一は、彼にとって、啓示および自然的諸法則の侵害としての奇蹟についての超自然主義的観点への抵抗の道か、それとも自己充足的限定性としての自然主義的世界観への抵抗の道かという二者択一を意味し、両者ともティリッヒの神律概念にとって不適合である。トンプソンによると、ティリッヒの確信は「自然主義と超自然主義とのこの二分法は、唯名論的伝統固有のアンティノミーから生じるところの誤謬である」ということである。このアンティノミーを乗り越えることがティリッヒの神学的課題である。
このアンティノミーを克服するためにティリッヒが導入する方法は、いわゆる「認識の形而上学」であり、つまりそれは、認識行為の実存的性格の承認、存在と意味への問いにおける人間の実存的関わり合いの承認、である。唯名論的伝統における存在的歴史的主観と抽象的認識論的主観との混同、また存在論的客観と論理的客観との混同への傾向に端を発する世界と精神のリアリティについての疑念は、抽象的主観と抽象的客観との間に不自然な二分法を措定するが、然るに、現実的経験においてそれらは相関関係にあるのである。
従ってティリッヒは、存在と意味を問う「認識の形而上学」を神学に導入することによって、抽象世界における主観と客観の分裂を克服し、それによって人間の主体性の宗教的再構築を試みていると言ってよいであろう。そしてそれは、唯名論的伝統にとってかわる新しき世界観をわれわれに提供するものとなる。
ところで、ティリッヒにとって、人間の主体性の宗教的再構築及び神律文化の再建への要請とは、裏返してみるとそれらの崩壊が前提されているということを意味する。それはティリッヒの生の実存的状況が、ヨーロッパ的宗教支配文化の崩壊の最終段階においてあり、それに対する評価と対策においてまさに歴史的決断が神学者をして下されるべき時であったのである。そのような時にあって神学者は生について語る場合、思弁的抽象的には語り得ず、全実存をかけて語るのである。
ティリッヒが生について体系的に論ずるのは、彼の主著、『組織神学』の第四部門、「生と霊」の教説においてである。そしてそこに登場する「霊的現臨」(Spiritual Presence)の概念は、彼が提示する新しき世界観を解明するキイ・コンセプトである。
われわれは、ティリッヒの「霊的現臨」の概念を構造的に理解するために、第一章においてこの概念の歴史的位置づけを試みた後、第二章においてこの概念のティリッヒ神学における意味について論じたいと思う。
第一章 霊的現臨の歴史的位置づけ
(1)ルター主義的伝統において
ティリッヒの生がドイツ・ルター主義的環境を背景にして展開したことは、彼の神学的展開と霊的現臨の教説に根拠を与えた決定的要素とみなされるべきである。
彼の『自伝的考察』によると、当時のドイツ・ルター主義教会の有力者であった牧師を父にもつ彼にとって、幼少年期に過ごしたシェーンフリース、ケーニヒスベルクのルター主義的環境における「聖なるもの」の体験が「私のすべての宗教的および神学的研究の礎石になった」と述べ、また「宗教哲学において、私は、聖なるものの体験から出発し、そこから神の理念にいたったのであって、その逆ではない」と断言する。
彼の回想の中で言い表された、聖なるものの体験、すなわち「神的なるものの現臨体験」とは、もとよりルター主義の伝統的命題である「有限は無限を入れる」(finitum capax infiniti)という、いわゆるinfra Lutheranum(ルター的「下に」)の内容である。
このinfra Lutheranumとはカルヴァン主義とルター主義の論争という文脈において理解されてきたものであるが、カルヴァン主義の命題、「有限は無限を入れない」(finitum non capax infiniti)というextra Calvinisticum(カルヴァン的「外に」)の対立命題として、あらゆる有限なるものに現臨する無限者の観照、無限なるものの有限者の有限性の領域における内在を表現したものである。カルヴァン主義からすれば、ルター主義命題の「空間に関し容器のようにみなす見解」は単性論か汎神論として退けるが、ルター主義からすればカルヴァン主義は理神論であり二元論であるということになる。『自伝的考察』においてティリッヒは明らかに、現臨概念をルター主義的伝統のコンテクストの中で支持している。
ただし、ここで注意すべきことは、ティリッヒが現存する過去の宗教支配文化の残存形態の中に霊的現臨の顕現をみていることである。ティリッヒは霊的現臨を体験的に先取した上で、アポステリオリに霊的現臨の概念を組み立てたのである。
(2)神秘的実念論的伝統において
ドイツ観念論の課題が「カント哲学の克服」であったように、ティリッヒと彼の同時代人の多くもまたカント問題の解決に熱中していた。ティリッヒは『境界線の上で』のなかで「私自身の哲学的立脚点は、新カント主義、価値哲学、また現象学との批判的対話によって展開した」と述べている。1912年にティリッヒは、神学士号取得のために『シェリング哲学の発展における神秘主義と罪責意識』というシェリング研究を発表するが、そこで彼はシェリング哲学の価値を、カント問題の解決を示唆するという点に見出している。
明らかなことは、少なくともティリッヒの初期の段階において、自らの立場をカントからシェリングへという流れにおいて理解していたということである。それが後の彼の立場において当てはまるかどうかは議論のあるところである。しかしながらこのことにおいて彼が意図することは、カント問題のヘーゲル主義的本質主義的解決に対する批判である。ティリッヒは、第一次世界大戦の経験を通して、当時のドイツ国家の基礎づけが安易な同一性原理による統合によってできあがってきたことに気づいており、その時代の人々の人格的な苦悩と混沌がそれに意義を申したてていることの意味をよく知っていたのである。
カント問題は今日なお未解決である。ティリッヒが生涯シェリング主義者であったというようなことがたとえ支持し得ないとしても、彼がカントを思想的対論の相手と見なし、それを克服するために、シェリング、あるいはシェリング哲学と同じ方向性と性格づけをもった形而上学的な思想を導入しつつ、その難問と取り組んだということは確からしい。
カント問題とはティリッヒにとって、デカルトの懐疑主義の、カントによる方法論的正当化における問題性であった。それは換言すれば、現象と物自体の二元論であり、その統一的把握の根拠の欠如である。
この難問の解決のためにティリッヒは、デカルトからカントまでの批判的方法論的伝統と、ニコラウス・クザーヌスからシェリングまでの「神秘的形而上学的」伝統との総合を企てる。彼は『カイロスとロゴス 認識の形而上学的研究』において二つの伝統の対比について論じ「両者は相互補完的である」と述べている。彼が提唱する「メタ論理」(meta-logic)、すなわち「批判的弁証学的方法」(critico- dialectical method)とは二つの伝統の総合によるものである。
彼の霊的現臨の概念の形成のために重要である認識の実存的性格の承認は、後者の「神秘的形而上学的」伝統、すなわち中世における「神秘的実念論」(mystical realism)の伝統からひき出されたものである。特にティリッヒにとって、ニコラウス・クザーヌスの主要命題である「反対の一致」(coincidentia oppositorum)が重要である。
ティリッヒは『キリスト教思想史』講義において、「反対の一致」について次のように説明する。「有限なるすべてのもののなかに無限者が現臨する。すなわち宇宙全体の創造的統一を基礎づける力が現臨する。同じ仕方において有限が潜在性として無限のなかに含まれる。世界のなかで神が展開する一方、神のなかに世界は含まれる。有限は無限のなかに潜在的に存在する一方、無限は有限のなかに現実的に存在する。両者は相互のなかにある」。ここでも彼は、ルター主義の命題である「有限は無限を入れる」と全く同じことを思い描いている。つまり彼の霊的現臨の概念にとってこの命題のもつ意味は第一義的と言ってよいであろう。
ティリッヒの『組織神学』における現臨概念の展開は、従って、彼の「批判的弁証法的方法において、またそれによる「カント哲学の克服」の試みにおいて、あるいは、第一次世界大戦における原理的統合性の崩壊を再建する試みにおいて、極めて重要なものであると考えることができよう。そして彼にとってまず第一になされるべきと考えているのは、「有限は無限を入れる」という命題と、認識の実存的性格とへの承認であった。
この議論をさらに深めていくために、次のような考察をすることもできる。それは、一般にこれまではルターとクザーヌスの間には直接的にはもちろん、歴史的にも相互連関はないとされてきたが、両者に共通する「隠れたる神」(Deus absconditus)の思想をめぐる諸研究等を通じて、ルターがクザーヌスから間接的にせよ影響を受けていると結論づけることができる、という学説である。この学説がわれわれに与える有利性は、何よりも、ティリッヒが行なったルター主義と神秘的実念論との総合は、無理矢理なされたものではなく、もともと存在した歴史的連関の現代における継承として受けとることができるということである。
しかし、その学説において指摘されるルターとクザーヌスの思想的起源としての中世ドイツ神秘主義は、ティリッヒの現臨概念の起源としても考えうるのではないかとの推論も成立することになる。
ヴェンツラフ=エッゲベルトの『ドイツ神秘主義』の研究によると、ドイツ神秘主義は要するに「神秘的合一」(unio mystica)でもって説明されうるのであり、これはフィヒテやシュライエルマッハーの中にも見出され、ドイツ・ロマン主義を解明する鍵としてみなされるものである。このことは、われわれの関心からすると、ティリッヒの試みが結局中世的なものへの逆行、退行を意味するのか、それとも近代的なものの真の克服としての新しい世界観への格闘を意味するのか、という根本的評価に関わる問題を含むのである。
われわれは以上の考察によって、ティリッヒの霊的現臨の概念の歴史的位置づけについて、一応概観することができたとしよう。
次に、われわれはティリッヒの主著である『組織神学』第三巻第四部門における「生と霊」の教説のなかで霊的現臨の概念がどのような意味を与えられ、展開されているかについて考察する。
第二章 霊的現臨の意味
(1)精神の意味
ティリッヒは、現代における神律的文化的総合の再建の試みにおいて「精神」(spirit)の概念を吟味する。ヘーゲル同様、ティリッヒは、文化を主観的精神の領域、すなわち彼自身が創造され、その中で彼が「精神」として自己自身を意識するようになるという、人間の「第二の本性」に属するものとみている。例えばヘーゲルやヘルダーにおいて、文化とは語りや行為性における精神の自己表現であったように、特にドイツ的定義づけにおいて精神と文化は相互に関係づけられている。ティリッヒもまたこの関係づけのなかで両者を考えている。彼は「生と霊」の教説のはじめの部分において、精神の次元における生の多次元的統一についての議論を行い、その中でヘーゲルの精神概念について説明している。
「『霊』(Spirit)という言葉が宗教的領域で保存されてきたという事実は、部分的には宗教的領域における伝統の強さによるものであり、また部分的には(たとえば「創造主なる御霊よ、来たりませ」という讃美歌が示すように)、神の霊から力の要素を取り去ることは不可能であるということによるものである。God is Spiritは決してGod is MindともGod is Intellectとも訳すことができない。ヘーゲルの『精神現象学』さえもPhenomenology of the Mindとは決して訳され得なかった。ヘーゲルの精神の概念は意味と力とを統一している」。
ティリッヒの精神の概念は、ヘーゲルとのこれらの親近性とその評価とにもかかわらず、ヘーゲル主義的に解釈されるべきではない。むしろティリッヒ自身、積極的にヘーゲル主義を克服しようとする。それは彼によってわざわざ「本質主義的」な考察であるとの断りの下に論ぜられた「生の多次元的統一」を、「霊的現臨」論の前に置き、「霊的現臨」についての原理的、歴史的な説明をひと通り終えた後、もう一度、生の統一性の問題、つまり宗教、文化、道徳の問題について論じるという方法がとられたことの中に示されている。言い換えるならば、「霊的現臨」とはヘーゲル主義的本質主義的総合の曖昧性を超克し、生の諸次元的要素に「霊的」という語を冠するための概念だということである。
ティリッヒは霊的現臨についての説明のはじめのところで、精神という言葉を使用することの目的について二点挙げる。第一は、人間を人間として性格づけ、道徳、文化、宗教において実現されている生の機能に適切な名称を与えるため、第二には「神の霊」(divine Spirit)または「霊的現臨」というシンボルに用いられている象徴的素材を提供するためである。そして、精神の次元における人間的生の統一の経験が、霊としての神(God as Spirit)また神の霊について語ることを可能にする。したがって精神とは、生を通しての神的なるものの認識への形而上学的承認の契機である。「神の霊の教義は、精神を生の一次元として理解することなしには不可能であっただろう」。
ヘーゲルの精神概念との違いは、恐らく次の点に存するであろう。ヘーゲルのいう「真無限」(die wahrhafte Unendlichkeit)とは、具体的無限者が有限者をその内に含むことを意味する。有限者の自己認識とは自己を「概念」として知ることであり、それは絶対者である無限者がその内に含む有限者的対立の自覚を媒介にして真に絶対的な同一性を自覚することである。概念は意識の弁証法的運動の終極において成立するものであるが、その弁証法的運動の主体は精神としての絶対者である。
とすると、概念において精神はまさに自己として捉えられることになる。ヘーゲルの絶対者はこのようにして無限と有限との漠然とした内包理論によって基礎づけられており、結局無限と有限との間の存在論的差違は無くなってしまうのである。
量義治が結論づけるように、それは「有限者が無限者となること」を意味する。「ドイツ観念論の展開は無限者的立場への徹底であると言うことができるであろう。それは近代の人間中心主義的思想の観念論的表現である。…したがってドイツ観念論はカント哲学を克服した哲学ではなくて、カント哲学から堕落した哲学であると言うこともできよう」と言われるのと同様、ヘーゲルの絶対精神は神学的にも支持し難いものである。
ティリッヒは、無限的と理解される神的霊(Spirit)と有限的な人間精神(spirit)との間にはっきりとした存在論的差違を措定する。ティリッヒは次のように述べる。「もし神の霊が人間の精神に突入すれば、それは神の霊が人間の精神の中にとどまっていることを意味しない。それは神の霊が人間の精神をそれ自身から追い出すことを意味する。神の霊のinは、人間の精神にとっては、outである」。このことは彼にとって、霊的現臨によって把えられた存在の状態を表現する「脱自」(ecstasy)の意味である。
またティリッヒは「有限者は無限者を強いることができない」(The finite cannot force the infinite)ということにおいて有限性原理を命題化する。ティリッヒは脱自理論を用いることによって有限性原理を保持しつつ、神的なるものと人間的なるものの相互連関を論じることにおいてヘーゲルを克服せんとしているのである。
しかしティリッヒは以上のことが再び超自然主義的二元論へと逆戻りしないように、無限と有限との本質的一致ということを「一時的」「予備的」と断りつつ支持している。「有限は無限を入れる」が、しかし「有限は無限を強いることはできない」。
(2)脱自の意味
前節でふれたように、ティリッヒの霊的現臨の概念にとって「脱自」は重要である。彼は脱自理論を新約聖書の聖霊理解、特にパウロから学んでいると考えているところが非常に興味深い。彼は次のように述べる。
「パウロは第一義的に聖霊の神学者であった。彼のキリスト論と終末論とは、彼の思想のこの中心点に依存している。彼の信仰と恩恵による義認の教義は、この中心的な主張、すなわちキリストの出現と共に、聖霊によって創造された新しい事態が到来したということを支持し、弁護するためのものであった。パウロは霊的現臨の経験における脱自的要素を強く主張した」。
今日の聖書学においてこれが支持され得るかどうかは疑問であるが、ティリッヒがパウロの祈りについて「このような祈りは人間の精神には不可能である。…しかし、神の霊には、人間を通して祈ることが可能である」と述べていることが、彼の霊と精神との存在論的差違性の議論からのみ導き出されているものではないことは確からしい。
ティリッヒはパウロにおいて構造性と脱自性との一致をみているが、このような議論をもちだすことの目的は、現代におけるカトリシズムとプロテスタンティズムにおける聖餐理解の偏重性に対して警告を与えるためであった。カトリシズムにおける聖霊の制度的理解、プロテスタンティズムにおける聖霊の道徳的理解は、いずれも教会の世俗化をひき起こす要因となってしまうのである。
そしてまたもう一つの目的は、霊的現臨において、またそれが惹きおこす人間精神の脱自において、主観‐客観構造が超克され、またそれによって新しき認識が創造されるということを支持するためである。「脱自的経験の最善にして、もっとも普遍的な例は祈りの形態である。…神に向かって語るということは、神を祈祷者の対象とすることを意味する。しかしながら、神は同時に主体となることなしに、客体となることはできない。…祈りは主観-客観の構造が克服されている限りにおいて可能である」。ティリッヒは、脱自的可能性としての祈りが、教会的領域の統一性の鍵としてみられるのみならず、普遍的文化的領域における無限と有限の主観‐客観構造のアンティノミーを統一する鍵とみているといってよいであろう。
(3)霊的共同体における主体性
ティリッヒの霊的現臨の概念は、祈りと結びつけられて論じられるのと同様、伝統的キリスト教的諸概念と結びつけられる。霊的現臨の媒介としての伝統的サクラメントが取り上げられ、またその規準としての聖書が取り上げられる。あるいは霊的現臨の内容としての信仰と愛とが論じられる。しなしながら、ティリッヒは、そうした伝統的キリスト教的なるものによる定義づけをもって排他主義的なことを考えてはいない。しばしば彼が「霊のみが霊を見分ける」と述べるのは、霊の自由をさまたげるようなあらゆる試みに対して批判的スタンスをとっているからである。
その際、彼の「霊的共同体」(Spiritual Community)の理念が問題になる。彼は「霊的共同体」と「教会」(Church あるいはchurch)とを分別して考えるからである。
ティリッヒは、人類における霊的現臨の創造性を三つに分ける。1.神的霊の中心的顕現への準備としての人類全体における創造の働き、2.神的霊の中心的顕現そのものにおける創造の働き、3.かの中心的出来事の創造的衝迫の下における霊的共同体の出現における創造の働き、である。これらはティリッヒにおいて時間的経過と結び合わされ、宗教史的、また救済史的なプロセスとして考えられている。言うならば、霊的現臨の自己展開としての宗教史ということになろう。
この第三の時間区分に属する、霊的現臨が創り出す霊的共同体とは、「新しき存在」(New Being)であり、「曖昧ならざる生の顕現」「曖昧ならざる神の愛の創造」であるとされる。そこで顕示される曖昧ならざる生は、キリストとしてのイエスにおいて、またキリストを待望した人々において顕われた曖昧ならざる生と同一である。ゆえに「霊的共同体」と「教会」は同一ではない。ティリッヒは「教会」という言葉を宗教的曖昧性において把えていて、彼がこれを用いる時は「潜在的」(latent)とか「隠された」(hidden)とかいう語と共により隠喩的に考えている。
「霊的共同体」を「教会」と同一視しないティリッヒの立場は例えば次のような言葉にあらわれている。「イスラム教の礼拝共同体の中に、モスクの中に…潜在的霊的共同体がある」。ティリッヒはこのことによって、キリスト教の宣教活動と関連して、「最も重要なことは、異教徒、ヒューマニスト、ユダヤ人たちを、潜在的霊的共同体のメンバーとして考え、外部から霊的共同体へと招かれている全くの異邦人たちと考えないことである」と述べる。
しかし霊的共同体にはその性格づけを記述し判定する基準があるのであって、それが霊的現臨の内容としての信仰と愛である。
新しき存在の共同体として、霊的共同体は信仰の共同体である。霊的共同体は、信仰によって神的生の神聖性に参与するがゆえに、聖である。霊的共同体は教会の不可見的な霊的本質である。
新しき創造の共同体として、霊的共同体は愛の共同体である。霊的共同体は聖なるものであって、愛を通して、神的生の神聖性に参与し、宗教的共同体、すなわち教会に聖性を賦与する。霊的共同体は教会の不可見的な霊的本質である。
以上のことが意味することは、すべての人間的な宗教的営為に先行する、創造主なる霊的共同体の顕現としての霊的共同体、ということであって、宗教に先立つアプリオリな性格をもつ理念としての霊的共同体性ということとなる。とすると、ティリッヒにおいて、この霊的共同体性とキリスト教性(Christianity)との関係はどうなるのかという問いがあらわれるに違いない。
第一章においてわれわれがすでに見たように、ティリッヒはルター主義的環境の中で育まれ、その中において神的なるもの、すなわち霊的現臨の体験からアポステリオリに記述する帰納論的アプローチを行うのである。言わば彼はキリスト教の内部から全ての発言をしている。霊的共同体性の論議についても、確かに彼はそれを他宗教の中にも潜在すると述べはするが、彼のパウロ的聖霊理解への親近性、あるいはペンテコステの物語へのかなり立ち入った言及等から考えるならば、原始キリスト教に対する親近性から導き出されたものと考えられるであろう。つまり霊的共同体性とは原始キリスト教性と言い換えてもさほど問題にならないものということになる。
従って霊的現臨の顕現としての霊的共同体とは、原始キリスト教的な共同体を意味し、それが今日営まれているキリスト教に潜在的であるところの曖昧ならざる生の実現の場であるということができよう。そしてティリッヒはキリスト教の内側にとどまりつつ、原始キリスト教的なるものを今日のキリスト教の反省材料とみなして、より曖昧ならざる共同体の実現をめざしたのであろう。しかも、他宗教においてさえ霊的共同体性を見出すことによって、彼は排他主義的いき方を退けつつ、開かれたキリスト教的共同体について考えを深めていったものと思われる。
そしてティリッヒは、霊的現臨の顕示の下にもう一度精神的生、すなわち道徳、文化、宗教の再統合を試みる。「この統一は人間の本質において、前もって形成され、実存の諸条件の下で分裂し、霊的共同体が宗教的・世俗的グループにおいて生の曖昧性と戦う中で、霊的現臨によって把えられている」と述べる時、かの「有限は無限を入れる」は逆転している。すなわち「無限は有限をとらえる」(infinitum capax finiti)。
この無限と有限との逆転関係はいわば「神律的相互関係」である。無限が有限を把えることによって、有限は曖昧ならざるものとなり、確固たる有限を意味するようになる。これが人間としての主体性の根柢となるのである。無限と有限との相互の関係づけが主観‐客観構造を超克し、真の主体性の確立をめざす道を示すのである。つまり主体性の根柢とは霊的現臨なのである。
結論
以上の考察は、パウル・ティリッヒが重んじる霊的現臨の概念についての把握としてはまだ不充分にちがいない。ただし、すでにわれわれが見てきたことにおいていくつか結論的に述べることができよう。
1.ティリッヒは現代社会の分裂、疎外状況の根柢に、不自然な二分法を生みだす唯名論的世界観があるとし、唯名論的伝統に対する批判をすることによって、原理的統合性の再建を目指す。
2.しかしその崩壊している原理的統合性の再建、回復はヘーゲル主義的本質主義的にはなし遂げられない。実存的にたち向かわねばならない。
3.再建の鍵は霊的現臨である。これが相対主義的な不確実性の時代において、確固として存在的に在したもうのである。われわれキリスト者たるの主体性は新しい存在によってのみささえられる。
伝道者は霊的現臨によってのみ立つことができる。御霊が共に在したもうて、私をおつかわし下さったということなしに、どうして確固として説得的に語り得ようか。語ること全てがキリスト者の主観的な見方であると批判されて、霊的現臨の体験なしにそれ以上語り続けうるか。主体性の確立とはまさにキリスト者としての自覚を深めることに外ならないのである。そしてそれは「創り主なる御霊よ、来たりませ」と祈りつつ歌いつつなされることなのである。
(東京神学大学組織神学学部演習論文、1987年)
1986年8月24日日曜日
取税人ザアカイ(宍喰教会)
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| 日本基督教団宍喰教会での礼拝説教の原稿 |
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| 宍喰教会の方々との出会い(右隣は高橋恵一郎神学生(当時)) |
説教「取税人ザアカイ」
ルカによる福音書19・1~10
「さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。イエスは、その場所にこられたとき、主を見上げて言われた。『ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから』。そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。人々はみな、これを見てつぶやき、『彼は罪人の家にはいって客となった』と言った。ザアカイは立って主に言った。『主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します』。イエスは彼に言われた。『きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである』」(口語訳)。
私が生まれてはじめて訪れたこの宍喰の町での教会奉仕も今日が最終日ということになりました。みなさまのお祈りと励ましによって44日間という日程を全うすることができましたことを心より感謝いたします。
この教会に与えられている大きな使命、数え切れないほど多くの問題について、今ひとたび思いかえすのですが、やはりどうして私のような大任にふさわしからざる小さく愚かしい者を神様がお遣わしになられたのかということは、不思議でなりません。
私のような人生経験のまずしい者が、今まで学んできたこと、今まで生きてきた歩み、考えてきたこと、感じてきたことを全部語りつくしてしまったところで、みなさんにとってはすでによく知っておられることでありまして、わざわざ私の口からして語るに及ばないことに過ぎないと思うのです。
しかし、そうはいいましても、またよくよく思いかえしてみるに、では私のようなものがどうして神学大学などで学んでいるのだろうか、将来伝道者として立たせていただこうとしているのだろうか、ということになると、ますます疑問なのであります。何かおまえに牧師になる資質でもあったから、神様はおまえを選んだとでもいうのか。いや全くそうではなかったのです。
ある世界的に有名な、今日のキリスト教会に大きな影響を与えた牧師先生がこう言ったそうです。「わしがどんなに罪が深くたって、牧師でおれるなどということは、こりゃ何としても合点のいかない恵みですわい」。偉大な牧師先生でさえこのように言われるのですから、私などはほんとに神様の恵みによるほか何もないといえます。
だからして、私はこの夏期伝道においても、私のようなバカ者でさえ選んで下さる神様の大いなる恵み以外語ることを知らないのであります。どんな者をも包みこむ神様の恵みの豊かさ、ただそれだけを今まで語らせていただいてきたつもりです。今日は最後ということで、今までの総まとめ、おさらいをするつもりで聞いていただきたいと思います。
とにかく同じことばかり語ってきたのです。すばらしい説教は何度聞いても心をうたれる、といいますが、未熟な私にはそんな芸当はできません。ただ1つのことを知っていただくほかないのです。私にはそれしかできませんでした。
友達がおもしろいことを言ってくれました。「聖書って金太郎あめみたいだね。どこで切っても、どこを読んでも同じようなことばっかり書いてある。つまらないけど、でもおもしろいね」。私の説教も、きっと金太郎あめみたいだったでしょう。でも、もしそれが聖書的だったとしたら光栄です。これからも金太郎あめのように生きていかれたらと思います。
今日共に開いた聖書の箇所も、結論は、いつもどおり「神、罪人を救いたもう」であります。大変有名な「取税人ザアカイ」の物語であります。教会学校や保育所の子供たちもよく知っているザアカイさんのお話です。わたしたちも今ひとたび、幼子のようになって、神様の救いの恵みについて学びたいと思います。
取税人とは、ローマのためにユダヤの人々から税金をとりたてる人です。ユダヤの人たちから大変きらわれていました。私たちでも税務所ときくと、どうも苦手であるように思います。あまり裕福でない人にとっては税務所が悪魔のように見えたりします。社会のため、国のため、よいことのためと言われても、やはりあまりイイ気がしません。
しかし、このイエス様の時代の人たちがザアカイたち取税人を見るときの感情は、私たちの税務所に対するものと、ちょっと違う性質をもっていました。それというのも、その時代、ユダヤはローマの属州でありました。ユダヤの人たちはローマ帝国の支配下にあって、大変苦しい、辛い目にあっていました。亡国のうき目にあって精神的にも肉体的にも絶望のどん底にありました。その中にあってザアカイたち取税人は、ローマ帝国のために納める税金を、その苦しんでいたユダヤ人たちから取りたてて、ついでにその手数料を高くとって、それで生活している人たちだったのです。
それも、ザアカイは正真正銘、きっすいのユダヤ人でありました。ザアカイという名前は、純粋なイスラエルの名前で、意味も「純粋」というのですから、純くんだか、純一郎くんだか、そのようなものでした。それにもかかわらず、苦しんでいる貧しいユダヤ人を裏切るかのようにして、うらめしい手数料によって富めるユダヤ人であったのです。ローマ帝国に対するユダヤ人のうらみつらみが、最も極度の形で、彼ら取税人に向かっていくのは当然のなりゆきともいえるでしょう。
特にザアカイ、純一郎くんは、取税人のかしらでありました。もっとも財力のある、もっとも大金持ちの、それゆえ、最もうらめしい対象であったわけです。「われわれは苦しんでいる。けれどもユダヤ人であること、神様がわれわれを選んでくださった約束をひとときも忘れたことはない。だけど、あの取税人ザアカイの野郎は何だ。あいつは売国奴だ、裏切り者だ、ひきょう者だ」と思われていたにちがいないのです。
ローマの属州となってしまっている以上、税金をとり上げられることはさけることができませんでした。ユダヤ人たちが何と考えようと、現実はそうでした。
そして、その税金を集める役をだれかがしなければならなかったのです。憎まれ役を誰かが引き受けなければならなかったのです。ユダヤ人としての誇りをもっている人なら、最初からそのような憎まれることがわかり切っているような役を好んでひきうけたはずはないのです。最初からしたくてしたくてたまらなかったわけではないのです。イヤイヤながらはじめたのです。自分をこのような目にあわせたローマ帝国をうらみつつ、ユダヤ人には申しわけないと思いつつ、小さくなりながらはじめたのです。
しかしながら、人間の成金根性といいましょうか、お金の誘惑に対する弱さといいましょうか、次第に自分の立場に誇りをもちはじめ、ほんとにきらわれようが、1人ぼっちになろうが、村八分にされようが、しかたないほどの取り立てをはじめてしまったのです。
いったん信用をうしなったらそれをとりもどすまで最低10年はかかるといわれています。しかしそれも、努力してとりもどそうとしたらの話です。ザアカイの場合、裏切り者として見離され、なお続けて税金のとりたてをしているのですから、2度と見直されることはないことは確実だったのです。そして、それが確実になった以上、共同体から離れて1人で生きていくことに生きがいを見出すほかに生きる道はなかったのです。ザアカイの場合、お金が唯一の生きがいであり、慰めであったのです。
ユダヤ人はもはや誰も私のほうを見向きもしない。しかし、お金は私の思い通りに働いてくれる。私のために光り輝いてくれるという思いだけで、ザアカイは生きていたのです。ザアカイはそのようなものすごい自己分裂の中にいたといってよいでしょう。
ザアカイの内面的葛藤をよくよく理解することもなく、ユダヤ宗教共同体は、彼を罪人として追放しました。お宮では、まじめで信仰深い人たちが取税人を指さして「この取税人のような人間でないことを感謝します」と祈るようになりました。
教育ママが、自分の子供を教育するとき、ぐうたらでできそこないの自分の夫を指さして、「あなたはあんなパパのようにだけは、ならないでちょうだいね。ああいうふうにはなりたくないわねえ」というような具合、ちょうど同じような言われ方を、取税人たちがされていたのだ、と考えればいいと思います。
いや、そんな軽いものではなかったかもしれません。宗教的な群が自分たちの憎むべき相手に対抗する場合、神様の永遠の裁きを願い求めるのです。「あの男はわれわれの神様を捨てたのだ。どうか、あの男を滅ぼしたまえ」と祈られるのです。宗教的に断罪されるということは、究極的で最も根深い、のろわれ方であるのです。人間にとって生き地獄。ものすごい崖っぷちからつきおとされるかのごとく、激烈な絶望の中にたたきこまれるのです。
そのような中に、ザアカイはいたのです。彼にとって、何が慰めとなるというのでしょうか。何が楽しくて生きているというのでしょうか。話し相手も、仲間も、冗談言って笑う友人もいないところで、自分に運命的に与えられた仕事に埋没して、金でももうけている以外、どこに慰めがあるというのでしょうか。
そうです。誰が彼の金もうけを責めたてることができるというのでしょうか。ローマ帝国の支配下にあったのです。自由など何一つ許されない奴隷なのです。いくら正義とはなんだ、律法に絶対そむいてはならないのだ、と確信していることがあっても、それだけをただふりまわしても、現実を現実として生きる段になりますと、そんなことそっちのけで、精一杯、日ごとの糧とひとすくいの生きがいを、とにかく求めなければ生きていけないのです。あいつが悪い、あいつが間違っているという前に、自分たちのまわりの現実に対してもっと忠実になるべきでありますし、その間違っている相手のまわりにある現実を理解しなければならないのです。
ただ、ひとたびユダヤ人の立場に立って、ザアカイのほうを見てみますと、今まで言ってきたようにして、ザアカイのかたもちばかりをしていられなくなるのです。
ザアカイが苦しんでいる貧しいユダヤ人たちから高額の手数料をとって苦しめていたのは厳然たる事実です。いくらわたしたちが非行少年を見るとき、いくらその家庭環境が悪かったの、友達が悪かっだの、ついちょっとという気持ちは誰にでもあるのだからしかたないだとか、人道主義的に同情をよせてみても、彼の行った非行の事実はかくれてしまったりするものではないのと同じです。
私たち説教者がこの説教壇からまちがったことをいってしまって人をつまずかせてしまったときでも、いくらまだ先生は若いからとか、だれでもまちがいの一つや二つはあるもんだとか慰められたところで、その人がつまずいてしまったという事実は全く変わりなく残るというのと同じです。ザアカイは何としても弱い人を苦しめていたことには変わりがないことは認めざるを得ないのです。
では、やはりザアカイはイスラエル共同体から追い出され、憎まれてもしかたがなかったのでしょうか。もともとキリスト教信仰は人道主義とは縁もゆかりもないものなのです。正しいことを正しい、まちがっていることをまちがっているとはっきりということもできないような価値観はもっていません。いくら愛ということを説く宗教であっても、単なる同情心とかなれあいのようなものによって、黒を白としてしまうようなことはしないのです。ザアカイが罪を犯したことは明白なのです。
ではザアカイはいったいどのように裁かれるべきなのでしょうか。ザアカイとユダヤ人たちの前に、ついにイエス様がやってこられました。ひとたびイエス様の判断を仰ごうではありませんか。私たちがどう考えるかは、それからでもいいように思います。
ザアカイはイエス様がどんな人か見たいと思って、とにかくはせさんじました。あ、ザアカイのやつがきた、とユダヤ人たちは思ったにちがいありません。ザアカイは背が低かったとあります。それで集まった群衆にさえぎられたので、イエス様のことがよく見える木の上にのぼったのです。いちじく桑の木はぐねぐねまがっていて足をかけるところがあり、登りやすいのです。上からのぞきこむようにして、下を通るイエス様をながめるのです。
するとイエス様は、その木のちょうど真下にこられた時、真上をみあげられたのです。下からの視線と上からの視線がバチバチとあうのです。「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。ザアカイは驚いたことでしょう。今まで誰も彼のほうをふりむいてくれた人はいませんでした。彼がいると気づくと、かえって目をそらして、フンとでも鼻であざけ笑われたことでしょう。しかし、イエス様は彼を見上げられたのです。偶然ではありません。あきらかに意志をもって、イエス様はザアカイをぎょうしされたのであります。
そして、ザアカイの家に泊まることにしてある、といわれるのです。人の家にとまって寝食を共にするということがどういう意味をもっているか、わたしたちはよく知っているのです。寝首をかかれるといいますが、全く無防備になるのです。首をかかれようが、頭をなぐられようが、いっさいを信頼し、相手に身をゆだねるのです。日本人がおじぎをするのと同じ意味をもっています。イエス様がザアカイに対してあたかもおじぎをするかのごとく、せまっているのです。しかも全く同時に、威厳をもって、力強くせまっておられるのであります。
そして、ザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエス様を迎え入れたのです。ザアカイは他の誰からも見向きもされないこと、そのことには何ら変わりのない中で、イエス様のほうから、友人として、客として入ってこられることによって、見出されるのであります。イエス様は、取税人を軽蔑する人々が群がっている中で、まさに自分たちこそ正しく、ザアカイこそまちがっていると信じて疑わない人々のまっただ中で、罪人であるザアカイと、彼1人をつかまえて、いのちの交流、心の真実なる交わりをはじめられたのであります。
罪人の赦しというのは、まさにこのような形でもって、わたしたちによろこびを与えるのです。これによってまたイエス様も、ユダヤ人たちから軽蔑され、つき従ってきた人々を落たんさせるにちがいないのです。類は友を呼ぶとかいわれて、イエス様もまた、ああ罪人とつきあうような同類かと、さげすまれるのです。イエス様が罪人の労苦と重荷を共に担おうとされるというのは、まさにこのような仕方でしか表わすことのできないものなのです。
今やザアカイは、イエス様のものであり、イエス様に追い求められ、イエス様に引きよせられ、守られているのであります。
そしてザアカイはかわっていくのです。日本には、三つ子のたましい百までとか、あの家にはゴクアクニンの血が流れているとか、人間とは変わることができない者なのだ、一度罪を犯したものは一生涯、また再び罪を犯すかもしれないという不信のまなざしのもとにおかれ、あいつは昔こうだったから、ということにいつまでもこだわられるのです。しかし聖書は人間というものが変わるものなのだ、神様によって赦しの言葉をうけると変わるのだと教えています。
私たちは、神様の教えの正しさをよく知っておりつつ、それに従うことのできない現実の中にいます。正義とは何か、愛とは何か、真理とは何かということを常日頃から学ぶ機会を与えられ、それをよく知っているのですが、現実の不条理の中で、今ここでやらなければならない仕事の中で、ひきょうといわれようと、さげすまれようと、それを見て見ぬふりをしつつ、策略と、小細工をくりかえしながら、商売をし、うまい世渡りをしてきました。人とつきあっている時でも、顔はにこやかにしてやっている時でも、心の中ではペロッとしたを出して、やりすごすことがままあると思うのです。そうでもしなければ、やっていけない、不条理な世界が、今ここにわたしたちの周りをとりかこんでいるように思えてならないのです。私たちもまたザアカイと同じなのです。ザアカイの罪は、私たちの罪でもあるのです。私たちはザアカイなのです。
イエス様はザアカイの罪を一方的に赦しました。ザアカイは、ただイエス様のところへ来た、たったそれだけのことをしたに過ぎないのです。保育所の紙しばいとか、いろいろな注解者が、ザアカイのイエス様のところにきた動機について、ザアカイは友達がいなくてさびしかったのだろうとか、ザアカイは取税人という罪人の仕事の中にむなしさを感じていたのだろうとか、いろいろな空想をこらしていますけれども、聖書にはただイエスがどんな人か見たいと思っていた、としか書かれていないのです。さびしかったとも空しかったとも書いていないのです。
彼はもしかすると、さびしかったのかもしれませんし、空しかったのかもしれません。けれどもまた、もしかすると、ただ単にイエス様の顔がどんな立派なものなのか、イエス様のことをただ見物しにきたのかもしれないのです。どんな立派な話をするのか聞いてやろうじゃないかと、物見ゆさんで来たかもしれないのです。
結局、とどのつまり、私がもしザアカイだったら、このときこういう状態だったにちがいないという想像にまかせるしかないのです。いや、もっというならば、イエス様のところに来た動機などどうでもいいことのように聖書が黙って語っているのだと思いたいのです。
ただイエス様のところに来た、その一事、それが大切なのです。ザアカイは、イエス様のもとにひざまずいて、あのマルタとマリヤの話のマリヤのごとく、弟子入りのスタイルをとって、おもむいていったわけでもないのです。無礼千万、上から見下(おろ)すように、見下(くだ)すといったら言いすぎでしょうか、そのような状態で、イエス様のところに近づいていったのでした。動機も問わない。方法も問わない。それにもかかわらず、イエス様は、ただ御自分のところに「きた」という罪人ザアカイを一方的に赦したのだ、ということを聖書は言わんとしているのではないでしょうか。
私たちは、このような人が教会に来るということが、どうも苦手なのではないでしょうか。動機が不純、教会にきたはいいけれど、あくびはするは、いねむりはするは、ついでにもともと前科者だというと、かんべんしてくれと言いたくなるのではないでしょうか。しかし、そのような人も、イエス様の下にくることによって、その全くもって一方的な赦しの御言葉をきき、うけ入れることによって、そのような人でさえ変えられていくのだということを、このザアカイ物語は語らんとしているのです。
私たちの教会に最初に訪れたときのことを思い出してみてください。動機は、と聞かれて、何か人にほこることができるようなものをもっている人がいるでしょうか。ただなんとなく、とか、親につれられて、友達にさそわれて、とかいうことで精一杯なのです。
しかし、きてみてはじめて、神様のことを知り、その愛を知り、それから自分自身の罪の深さを知り、そして、それをもまた赦し、受け入れてくださる神様の愛のかぎりなきあわれみと忍耐を信じることができるようになり、神様の約束を信じることができるようになったのでしょう。そして、その喜びの中で隣人にもまた、神様に教えられた愛のあり方によって愛することができるようになってきたのでしょう。
決して一朝一夕にわれわれの生活のあり方がかわるわけではありません。長い年月と苦労が必要でしょう。しかし、赦されたという事実は一瞬の出来事であり、われわれの生活のあり方が何ら変わらない時にも、罪のゆるしの事実もまた変わらずにあるのです。地球が自分自身では何ら光をはなつことはないにもかかわらず、太陽がいっぽうてきにこちらをてらすことによって、その光によって地球が光りはじめるのと同じです。
その何らよいことをしないままのザアカイを、先にイエス様がゆるされたことによって、ザアカイは、あふれる喜びのもとに、貧しい人にほどこしをし、今までしてきた搾取を4倍にしてかえそうという思いにみちびかれたのであります。
神様の豊かな愛を知って、自分自身の貧しさ、愚かさ、罪の深さを知り、もう、神様の赦しの御言葉をきかなければ、この先一歩も歩んでいくことができない。神様の赦しの御言葉、ただそれさえいただくことができれば、私は生きていくことができる。そのような群が、教会であります。
イエス様は十字架の上でいったい何を言われたのか、おもい出して欲しいのです。このルカによる福音書は、こう伝えているのです。「父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。
御自分をまさに無実の罪で死刑台に、十字架にかけようとしている人々の罪をゆるして下さいと、イエス様は神様に向かって祈っておられたのです。私たちは、自分自身が何をしているのか、わからずにいるのです。何となく、世間の流れにまかせて、あるいは根拠のない自分の信念にまかせて、生きていって、神の御子を十字架にかけてしまうのです。だから主は、この祈りを祈りつつ、十字架にかけられて、罪の現実を見なさい、これが人間の罪だと、知らしめてくださっているのです。
ほんとに、どんな話でも十字架にくっつけるとか、キリスト教のことをあまりよく思わない人がいいます。それこそ、たしかに金太郎あめのように、いっつも十字架、十字架って言っているのが、キリスト教会です。二千年いいつづけてまいりました。宗教改革者マルティン・ルターの言葉を引用させていただきます。
「平安、平安と呼ぶ神父にわざわいあれ。
彼の下には十字架しかない。
十字架、十字架とつぶやく牧師に平安あれ。
彼はもはや十字架の下にいない。」
わたしたちは、人間の悲惨な現実をあばきだし、それを見せつけることとは全く無縁なのであります。そんなものは教会の目的でもなければ、手段でもありません。そんなものは私たちが日常の生活を真剣に生きようとしていたら、とっくの昔によく知っていることなのであります。自分の愚かさなど、よく知っているのであります。だから、赦しの言葉、ただそれだけが欲しいのです。
私たちは、この宍喰の町で礼拝を守っております。これから教会が成長していくのだという希望を与えられています。そのときに、わたしたちに与えられている一つの大きな課題は、ザアカイをわたしたちはうけ入れていかなければならないのだということなのであります。
今まで私たちのことを、ああキリストかと言って鼻で笑った人、過去において私たちを何かいやな目にあわせた人、感情的にイケスカない人、そのような人たちが何かのきっかけで教会に訪れて礼拝に出席しようという気になったとき、自分もまたザアカイであったのだ、ということを思いかえし、受け入れることができるか、ということ一点にかかっているのです。
できないのかもしれません。この聖書の箇所に、人々がザアカイをうけいれたかどうか何もかたられていません。この答えはみなさんに与えられた宿題なのかもしれません。
私の召命観というもの、伝道者にならせていただこうということの根本には、終始このことがあると思うのです。私のようなものでさえゆるされたのだ。罪がより深いものほど、赦されたときは多く赦されているのだと。その喜びを人にのべつたえようと。(ここで原稿は終わっている。)
(1986年8月24日、日本基督教団宍喰教会主日礼拝)
「さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。イエスは、その場所にこられたとき、主を見上げて言われた。『ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから』。そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。人々はみな、これを見てつぶやき、『彼は罪人の家にはいって客となった』と言った。ザアカイは立って主に言った。『主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します』。イエスは彼に言われた。『きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである』」(口語訳)。
私が生まれてはじめて訪れたこの宍喰の町での教会奉仕も今日が最終日ということになりました。みなさまのお祈りと励ましによって44日間という日程を全うすることができましたことを心より感謝いたします。
この教会に与えられている大きな使命、数え切れないほど多くの問題について、今ひとたび思いかえすのですが、やはりどうして私のような大任にふさわしからざる小さく愚かしい者を神様がお遣わしになられたのかということは、不思議でなりません。
私のような人生経験のまずしい者が、今まで学んできたこと、今まで生きてきた歩み、考えてきたこと、感じてきたことを全部語りつくしてしまったところで、みなさんにとってはすでによく知っておられることでありまして、わざわざ私の口からして語るに及ばないことに過ぎないと思うのです。
しかし、そうはいいましても、またよくよく思いかえしてみるに、では私のようなものがどうして神学大学などで学んでいるのだろうか、将来伝道者として立たせていただこうとしているのだろうか、ということになると、ますます疑問なのであります。何かおまえに牧師になる資質でもあったから、神様はおまえを選んだとでもいうのか。いや全くそうではなかったのです。
ある世界的に有名な、今日のキリスト教会に大きな影響を与えた牧師先生がこう言ったそうです。「わしがどんなに罪が深くたって、牧師でおれるなどということは、こりゃ何としても合点のいかない恵みですわい」。偉大な牧師先生でさえこのように言われるのですから、私などはほんとに神様の恵みによるほか何もないといえます。
だからして、私はこの夏期伝道においても、私のようなバカ者でさえ選んで下さる神様の大いなる恵み以外語ることを知らないのであります。どんな者をも包みこむ神様の恵みの豊かさ、ただそれだけを今まで語らせていただいてきたつもりです。今日は最後ということで、今までの総まとめ、おさらいをするつもりで聞いていただきたいと思います。
とにかく同じことばかり語ってきたのです。すばらしい説教は何度聞いても心をうたれる、といいますが、未熟な私にはそんな芸当はできません。ただ1つのことを知っていただくほかないのです。私にはそれしかできませんでした。
友達がおもしろいことを言ってくれました。「聖書って金太郎あめみたいだね。どこで切っても、どこを読んでも同じようなことばっかり書いてある。つまらないけど、でもおもしろいね」。私の説教も、きっと金太郎あめみたいだったでしょう。でも、もしそれが聖書的だったとしたら光栄です。これからも金太郎あめのように生きていかれたらと思います。
今日共に開いた聖書の箇所も、結論は、いつもどおり「神、罪人を救いたもう」であります。大変有名な「取税人ザアカイ」の物語であります。教会学校や保育所の子供たちもよく知っているザアカイさんのお話です。わたしたちも今ひとたび、幼子のようになって、神様の救いの恵みについて学びたいと思います。
取税人とは、ローマのためにユダヤの人々から税金をとりたてる人です。ユダヤの人たちから大変きらわれていました。私たちでも税務所ときくと、どうも苦手であるように思います。あまり裕福でない人にとっては税務所が悪魔のように見えたりします。社会のため、国のため、よいことのためと言われても、やはりあまりイイ気がしません。
しかし、このイエス様の時代の人たちがザアカイたち取税人を見るときの感情は、私たちの税務所に対するものと、ちょっと違う性質をもっていました。それというのも、その時代、ユダヤはローマの属州でありました。ユダヤの人たちはローマ帝国の支配下にあって、大変苦しい、辛い目にあっていました。亡国のうき目にあって精神的にも肉体的にも絶望のどん底にありました。その中にあってザアカイたち取税人は、ローマ帝国のために納める税金を、その苦しんでいたユダヤ人たちから取りたてて、ついでにその手数料を高くとって、それで生活している人たちだったのです。
それも、ザアカイは正真正銘、きっすいのユダヤ人でありました。ザアカイという名前は、純粋なイスラエルの名前で、意味も「純粋」というのですから、純くんだか、純一郎くんだか、そのようなものでした。それにもかかわらず、苦しんでいる貧しいユダヤ人を裏切るかのようにして、うらめしい手数料によって富めるユダヤ人であったのです。ローマ帝国に対するユダヤ人のうらみつらみが、最も極度の形で、彼ら取税人に向かっていくのは当然のなりゆきともいえるでしょう。
特にザアカイ、純一郎くんは、取税人のかしらでありました。もっとも財力のある、もっとも大金持ちの、それゆえ、最もうらめしい対象であったわけです。「われわれは苦しんでいる。けれどもユダヤ人であること、神様がわれわれを選んでくださった約束をひとときも忘れたことはない。だけど、あの取税人ザアカイの野郎は何だ。あいつは売国奴だ、裏切り者だ、ひきょう者だ」と思われていたにちがいないのです。
ローマの属州となってしまっている以上、税金をとり上げられることはさけることができませんでした。ユダヤ人たちが何と考えようと、現実はそうでした。
そして、その税金を集める役をだれかがしなければならなかったのです。憎まれ役を誰かが引き受けなければならなかったのです。ユダヤ人としての誇りをもっている人なら、最初からそのような憎まれることがわかり切っているような役を好んでひきうけたはずはないのです。最初からしたくてしたくてたまらなかったわけではないのです。イヤイヤながらはじめたのです。自分をこのような目にあわせたローマ帝国をうらみつつ、ユダヤ人には申しわけないと思いつつ、小さくなりながらはじめたのです。
しかしながら、人間の成金根性といいましょうか、お金の誘惑に対する弱さといいましょうか、次第に自分の立場に誇りをもちはじめ、ほんとにきらわれようが、1人ぼっちになろうが、村八分にされようが、しかたないほどの取り立てをはじめてしまったのです。
いったん信用をうしなったらそれをとりもどすまで最低10年はかかるといわれています。しかしそれも、努力してとりもどそうとしたらの話です。ザアカイの場合、裏切り者として見離され、なお続けて税金のとりたてをしているのですから、2度と見直されることはないことは確実だったのです。そして、それが確実になった以上、共同体から離れて1人で生きていくことに生きがいを見出すほかに生きる道はなかったのです。ザアカイの場合、お金が唯一の生きがいであり、慰めであったのです。
ユダヤ人はもはや誰も私のほうを見向きもしない。しかし、お金は私の思い通りに働いてくれる。私のために光り輝いてくれるという思いだけで、ザアカイは生きていたのです。ザアカイはそのようなものすごい自己分裂の中にいたといってよいでしょう。
ザアカイの内面的葛藤をよくよく理解することもなく、ユダヤ宗教共同体は、彼を罪人として追放しました。お宮では、まじめで信仰深い人たちが取税人を指さして「この取税人のような人間でないことを感謝します」と祈るようになりました。
教育ママが、自分の子供を教育するとき、ぐうたらでできそこないの自分の夫を指さして、「あなたはあんなパパのようにだけは、ならないでちょうだいね。ああいうふうにはなりたくないわねえ」というような具合、ちょうど同じような言われ方を、取税人たちがされていたのだ、と考えればいいと思います。
いや、そんな軽いものではなかったかもしれません。宗教的な群が自分たちの憎むべき相手に対抗する場合、神様の永遠の裁きを願い求めるのです。「あの男はわれわれの神様を捨てたのだ。どうか、あの男を滅ぼしたまえ」と祈られるのです。宗教的に断罪されるということは、究極的で最も根深い、のろわれ方であるのです。人間にとって生き地獄。ものすごい崖っぷちからつきおとされるかのごとく、激烈な絶望の中にたたきこまれるのです。
そのような中に、ザアカイはいたのです。彼にとって、何が慰めとなるというのでしょうか。何が楽しくて生きているというのでしょうか。話し相手も、仲間も、冗談言って笑う友人もいないところで、自分に運命的に与えられた仕事に埋没して、金でももうけている以外、どこに慰めがあるというのでしょうか。
そうです。誰が彼の金もうけを責めたてることができるというのでしょうか。ローマ帝国の支配下にあったのです。自由など何一つ許されない奴隷なのです。いくら正義とはなんだ、律法に絶対そむいてはならないのだ、と確信していることがあっても、それだけをただふりまわしても、現実を現実として生きる段になりますと、そんなことそっちのけで、精一杯、日ごとの糧とひとすくいの生きがいを、とにかく求めなければ生きていけないのです。あいつが悪い、あいつが間違っているという前に、自分たちのまわりの現実に対してもっと忠実になるべきでありますし、その間違っている相手のまわりにある現実を理解しなければならないのです。
ただ、ひとたびユダヤ人の立場に立って、ザアカイのほうを見てみますと、今まで言ってきたようにして、ザアカイのかたもちばかりをしていられなくなるのです。
ザアカイが苦しんでいる貧しいユダヤ人たちから高額の手数料をとって苦しめていたのは厳然たる事実です。いくらわたしたちが非行少年を見るとき、いくらその家庭環境が悪かったの、友達が悪かっだの、ついちょっとという気持ちは誰にでもあるのだからしかたないだとか、人道主義的に同情をよせてみても、彼の行った非行の事実はかくれてしまったりするものではないのと同じです。
私たち説教者がこの説教壇からまちがったことをいってしまって人をつまずかせてしまったときでも、いくらまだ先生は若いからとか、だれでもまちがいの一つや二つはあるもんだとか慰められたところで、その人がつまずいてしまったという事実は全く変わりなく残るというのと同じです。ザアカイは何としても弱い人を苦しめていたことには変わりがないことは認めざるを得ないのです。
では、やはりザアカイはイスラエル共同体から追い出され、憎まれてもしかたがなかったのでしょうか。もともとキリスト教信仰は人道主義とは縁もゆかりもないものなのです。正しいことを正しい、まちがっていることをまちがっているとはっきりということもできないような価値観はもっていません。いくら愛ということを説く宗教であっても、単なる同情心とかなれあいのようなものによって、黒を白としてしまうようなことはしないのです。ザアカイが罪を犯したことは明白なのです。
ではザアカイはいったいどのように裁かれるべきなのでしょうか。ザアカイとユダヤ人たちの前に、ついにイエス様がやってこられました。ひとたびイエス様の判断を仰ごうではありませんか。私たちがどう考えるかは、それからでもいいように思います。
ザアカイはイエス様がどんな人か見たいと思って、とにかくはせさんじました。あ、ザアカイのやつがきた、とユダヤ人たちは思ったにちがいありません。ザアカイは背が低かったとあります。それで集まった群衆にさえぎられたので、イエス様のことがよく見える木の上にのぼったのです。いちじく桑の木はぐねぐねまがっていて足をかけるところがあり、登りやすいのです。上からのぞきこむようにして、下を通るイエス様をながめるのです。
するとイエス様は、その木のちょうど真下にこられた時、真上をみあげられたのです。下からの視線と上からの視線がバチバチとあうのです。「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。ザアカイは驚いたことでしょう。今まで誰も彼のほうをふりむいてくれた人はいませんでした。彼がいると気づくと、かえって目をそらして、フンとでも鼻であざけ笑われたことでしょう。しかし、イエス様は彼を見上げられたのです。偶然ではありません。あきらかに意志をもって、イエス様はザアカイをぎょうしされたのであります。
そして、ザアカイの家に泊まることにしてある、といわれるのです。人の家にとまって寝食を共にするということがどういう意味をもっているか、わたしたちはよく知っているのです。寝首をかかれるといいますが、全く無防備になるのです。首をかかれようが、頭をなぐられようが、いっさいを信頼し、相手に身をゆだねるのです。日本人がおじぎをするのと同じ意味をもっています。イエス様がザアカイに対してあたかもおじぎをするかのごとく、せまっているのです。しかも全く同時に、威厳をもって、力強くせまっておられるのであります。
そして、ザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエス様を迎え入れたのです。ザアカイは他の誰からも見向きもされないこと、そのことには何ら変わりのない中で、イエス様のほうから、友人として、客として入ってこられることによって、見出されるのであります。イエス様は、取税人を軽蔑する人々が群がっている中で、まさに自分たちこそ正しく、ザアカイこそまちがっていると信じて疑わない人々のまっただ中で、罪人であるザアカイと、彼1人をつかまえて、いのちの交流、心の真実なる交わりをはじめられたのであります。
罪人の赦しというのは、まさにこのような形でもって、わたしたちによろこびを与えるのです。これによってまたイエス様も、ユダヤ人たちから軽蔑され、つき従ってきた人々を落たんさせるにちがいないのです。類は友を呼ぶとかいわれて、イエス様もまた、ああ罪人とつきあうような同類かと、さげすまれるのです。イエス様が罪人の労苦と重荷を共に担おうとされるというのは、まさにこのような仕方でしか表わすことのできないものなのです。
今やザアカイは、イエス様のものであり、イエス様に追い求められ、イエス様に引きよせられ、守られているのであります。
そしてザアカイはかわっていくのです。日本には、三つ子のたましい百までとか、あの家にはゴクアクニンの血が流れているとか、人間とは変わることができない者なのだ、一度罪を犯したものは一生涯、また再び罪を犯すかもしれないという不信のまなざしのもとにおかれ、あいつは昔こうだったから、ということにいつまでもこだわられるのです。しかし聖書は人間というものが変わるものなのだ、神様によって赦しの言葉をうけると変わるのだと教えています。
私たちは、神様の教えの正しさをよく知っておりつつ、それに従うことのできない現実の中にいます。正義とは何か、愛とは何か、真理とは何かということを常日頃から学ぶ機会を与えられ、それをよく知っているのですが、現実の不条理の中で、今ここでやらなければならない仕事の中で、ひきょうといわれようと、さげすまれようと、それを見て見ぬふりをしつつ、策略と、小細工をくりかえしながら、商売をし、うまい世渡りをしてきました。人とつきあっている時でも、顔はにこやかにしてやっている時でも、心の中ではペロッとしたを出して、やりすごすことがままあると思うのです。そうでもしなければ、やっていけない、不条理な世界が、今ここにわたしたちの周りをとりかこんでいるように思えてならないのです。私たちもまたザアカイと同じなのです。ザアカイの罪は、私たちの罪でもあるのです。私たちはザアカイなのです。
イエス様はザアカイの罪を一方的に赦しました。ザアカイは、ただイエス様のところへ来た、たったそれだけのことをしたに過ぎないのです。保育所の紙しばいとか、いろいろな注解者が、ザアカイのイエス様のところにきた動機について、ザアカイは友達がいなくてさびしかったのだろうとか、ザアカイは取税人という罪人の仕事の中にむなしさを感じていたのだろうとか、いろいろな空想をこらしていますけれども、聖書にはただイエスがどんな人か見たいと思っていた、としか書かれていないのです。さびしかったとも空しかったとも書いていないのです。
彼はもしかすると、さびしかったのかもしれませんし、空しかったのかもしれません。けれどもまた、もしかすると、ただ単にイエス様の顔がどんな立派なものなのか、イエス様のことをただ見物しにきたのかもしれないのです。どんな立派な話をするのか聞いてやろうじゃないかと、物見ゆさんで来たかもしれないのです。
結局、とどのつまり、私がもしザアカイだったら、このときこういう状態だったにちがいないという想像にまかせるしかないのです。いや、もっというならば、イエス様のところに来た動機などどうでもいいことのように聖書が黙って語っているのだと思いたいのです。
ただイエス様のところに来た、その一事、それが大切なのです。ザアカイは、イエス様のもとにひざまずいて、あのマルタとマリヤの話のマリヤのごとく、弟子入りのスタイルをとって、おもむいていったわけでもないのです。無礼千万、上から見下(おろ)すように、見下(くだ)すといったら言いすぎでしょうか、そのような状態で、イエス様のところに近づいていったのでした。動機も問わない。方法も問わない。それにもかかわらず、イエス様は、ただ御自分のところに「きた」という罪人ザアカイを一方的に赦したのだ、ということを聖書は言わんとしているのではないでしょうか。
私たちは、このような人が教会に来るということが、どうも苦手なのではないでしょうか。動機が不純、教会にきたはいいけれど、あくびはするは、いねむりはするは、ついでにもともと前科者だというと、かんべんしてくれと言いたくなるのではないでしょうか。しかし、そのような人も、イエス様の下にくることによって、その全くもって一方的な赦しの御言葉をきき、うけ入れることによって、そのような人でさえ変えられていくのだということを、このザアカイ物語は語らんとしているのです。
私たちの教会に最初に訪れたときのことを思い出してみてください。動機は、と聞かれて、何か人にほこることができるようなものをもっている人がいるでしょうか。ただなんとなく、とか、親につれられて、友達にさそわれて、とかいうことで精一杯なのです。
しかし、きてみてはじめて、神様のことを知り、その愛を知り、それから自分自身の罪の深さを知り、そして、それをもまた赦し、受け入れてくださる神様の愛のかぎりなきあわれみと忍耐を信じることができるようになり、神様の約束を信じることができるようになったのでしょう。そして、その喜びの中で隣人にもまた、神様に教えられた愛のあり方によって愛することができるようになってきたのでしょう。
決して一朝一夕にわれわれの生活のあり方がかわるわけではありません。長い年月と苦労が必要でしょう。しかし、赦されたという事実は一瞬の出来事であり、われわれの生活のあり方が何ら変わらない時にも、罪のゆるしの事実もまた変わらずにあるのです。地球が自分自身では何ら光をはなつことはないにもかかわらず、太陽がいっぽうてきにこちらをてらすことによって、その光によって地球が光りはじめるのと同じです。
その何らよいことをしないままのザアカイを、先にイエス様がゆるされたことによって、ザアカイは、あふれる喜びのもとに、貧しい人にほどこしをし、今までしてきた搾取を4倍にしてかえそうという思いにみちびかれたのであります。
神様の豊かな愛を知って、自分自身の貧しさ、愚かさ、罪の深さを知り、もう、神様の赦しの御言葉をきかなければ、この先一歩も歩んでいくことができない。神様の赦しの御言葉、ただそれさえいただくことができれば、私は生きていくことができる。そのような群が、教会であります。
イエス様は十字架の上でいったい何を言われたのか、おもい出して欲しいのです。このルカによる福音書は、こう伝えているのです。「父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。
御自分をまさに無実の罪で死刑台に、十字架にかけようとしている人々の罪をゆるして下さいと、イエス様は神様に向かって祈っておられたのです。私たちは、自分自身が何をしているのか、わからずにいるのです。何となく、世間の流れにまかせて、あるいは根拠のない自分の信念にまかせて、生きていって、神の御子を十字架にかけてしまうのです。だから主は、この祈りを祈りつつ、十字架にかけられて、罪の現実を見なさい、これが人間の罪だと、知らしめてくださっているのです。
ほんとに、どんな話でも十字架にくっつけるとか、キリスト教のことをあまりよく思わない人がいいます。それこそ、たしかに金太郎あめのように、いっつも十字架、十字架って言っているのが、キリスト教会です。二千年いいつづけてまいりました。宗教改革者マルティン・ルターの言葉を引用させていただきます。
「平安、平安と呼ぶ神父にわざわいあれ。
彼の下には十字架しかない。
十字架、十字架とつぶやく牧師に平安あれ。
彼はもはや十字架の下にいない。」
わたしたちは、人間の悲惨な現実をあばきだし、それを見せつけることとは全く無縁なのであります。そんなものは教会の目的でもなければ、手段でもありません。そんなものは私たちが日常の生活を真剣に生きようとしていたら、とっくの昔によく知っていることなのであります。自分の愚かさなど、よく知っているのであります。だから、赦しの言葉、ただそれだけが欲しいのです。
私たちは、この宍喰の町で礼拝を守っております。これから教会が成長していくのだという希望を与えられています。そのときに、わたしたちに与えられている一つの大きな課題は、ザアカイをわたしたちはうけ入れていかなければならないのだということなのであります。
今まで私たちのことを、ああキリストかと言って鼻で笑った人、過去において私たちを何かいやな目にあわせた人、感情的にイケスカない人、そのような人たちが何かのきっかけで教会に訪れて礼拝に出席しようという気になったとき、自分もまたザアカイであったのだ、ということを思いかえし、受け入れることができるか、ということ一点にかかっているのです。
できないのかもしれません。この聖書の箇所に、人々がザアカイをうけいれたかどうか何もかたられていません。この答えはみなさんに与えられた宿題なのかもしれません。
私の召命観というもの、伝道者にならせていただこうということの根本には、終始このことがあると思うのです。私のようなものでさえゆるされたのだ。罪がより深いものほど、赦されたときは多く赦されているのだと。その喜びを人にのべつたえようと。(ここで原稿は終わっている。)
(1986年8月24日、日本基督教団宍喰教会主日礼拝)
1983年9月10日土曜日
玩具の心(1983年)
物語は終りに近づき、盛大な音楽とともに最大級の盛り上がりの場を迎えた。
それは、鬼のような子供のような主人公が彼の親の胸にすがりついて泣いた、と思いきや彼の隠し持っていたナイフは真紅の血と一緒になって彼の手と親の心臓とを連結した。
戦慄は視ている者の健全なる精神をわななかした。それは沈黙以外の何をも要求していない。ハルヲは映画に飽きたので席を立った。
外は恰かも深夜であるかのように、夕闇のゴールデン街は、人々が彼等の時間を楽しみながら多くの人々で賑わっていた。遠くを見遣ると暗い山の稜線が、高く長く遠吠えした。
しばらく目を瞠っていると、近くでラヂオだろうか、テレビからだろうか、標準時を知らせる時報の音が耳の底に響いた。
目をそっと開けたハルヲは、その刹那、自分の位置をふと見失った。心が乱れた。
どこだろう、ここは。ハルヲの瞳には、何だか全く見慣れた風景が次第に明るさを帯びて、初めは羅馬字のように、像として映り始めている。
それは思想であった。恐らく頭脳なのだろうが、今日は胃の調子が悪いのでとても複雑となっていたし、ハルヲの思いと裏腹に、それは忘却の彼方へ押し流されている途中だった。
もうすこし歩くと、彼女がいた。それが誰であるかをハルヲはよく知っていた。女は、白く油気のないきれいな顔をしているのだが、今日は頬のあたりが赤い。その目はとても明るい。モスキートがたくさんたかっている白々とした自動販売機の前で、女はビールを二本買ってじっとつっ立って待っていた。空の月は完全に黒く化した雲の中に、音もたてずに隠れていく。
彼女の方からハルヲに声をかけて来た。
「ああ、もうたくさん。酔っぱらっちゃった。あーあ。ねえ、ハルちゃん、助けてよ、ね。はあ、いいキモチ。はい、ハルちゃんの。」
女はハルヲの分として一本さし出した。
「またやってんのか。そんなにやると体に悪いぞ。」
ハルヲは自分の言葉に忠告を込めてそう言ったつもりだったが、なぜだろうか、同情のようなニュアンスになってしまっている事を自分でも感じた。ともかく彼女の白い手から取り上げて、一気に五臓六ぷを刺戟した。彼女はすると、玩具を取り上げられた子供のように泣きだした。
そうこうしている間にも、彼らの周囲を大勢の人が過ぎ去っていく。何て人の多い街なんだろう。
雨、が降りだした。傘を持っているはずもない二人はともかく通りのつき当りにある駅へかけて行った。酒に弱い彼女は、走るとまわるらしく、多少えらそうだ。
駅へ入ると、ふいにハルヲは大きな声を上げてしまった。彼の目の前を談笑しながら横切っていた女子学生達がビクッとして彼の方に振り向いたので、ちょっと恥ずかしくなってうつむいた。女子学生は互いに目くばせをして、薄笑いを浮べながら歩いていった。
「どうしたの。」
隣の女が尋ねた。その女には名前がなかった。白い肌と明るい瞳をもった女。男はその質問に答えなかった。なぜならその女は名前も無いくせに千鳥足で歩いていたからである。しかしハルヲはその女が好きだった。
大声をあげたのは、追っても追っても逃げていく、あの必死で追いかけていた昨日の記憶を、思い出してしまったからであった。
待合室のベンチに座った彼らは、目の前を通り過ぎていく若い女の、高く整った鼻から立ちのぼる煙草の煙を見つめた。その向こうのベンチでは、背が低く白髪で、髭をのばした老人が、痛そうな腰を用心そうに曲げて腰かけ、駅弁をゆっくりと食べていた。慣れない箸でもないだろうに、その老人は箸を持った手を震わせ、おぼつかない不器用な手つきでご飯粒を口に運んでいる。みると目からは涙がこぼれていた。箸を口に含んだまま老人はじっとうずくまって動こうとしない。箸を伝って涙は弁当さえ濡らしていた。がっくり落ちた肩の上にはえが一匹とまっていた事をハルヲは見逃さなかった。さっき食べた夜鳴きそばの味がビールの炭酸と一緒になって胃のあたりから立ちのぼってくるのをのどに感じ、吐き気をもよおした。
女はいつの間にか駅弁を手にしていた。
「おなかすいちゃった。」
その老人の隣にちょこんと座り込むと、老人のと同じ弁当を楽しそうに食べ始めた。それをハルヲは先程からじっと座ったままで見ていたのだが、その女の顔は、彼女が二十歳であるという事を感じさせない、十五・六のお嬢さんとしかいいようのない見かけだ、と何処かため息をつきながらそう思った。彼は冷笑を浮べると、ふと雨の匂いを感じた。
その時、小さく何かを刻むような音が聞こえてきた。ハルヲは腕に時計をつけていなかったが、駅の時計は音をたてずに何かを刻んでいた、それ以上にその音はハルヲの心臓を刻み、また女の心を刻んだ。その音が次第に大きくなり、誰の耳にもはっきり聞こえるようになり、誰の心の刻音もがユニゾンで共鳴し始めた時、ハルヲの頭の中に列車の警笛が大音響をもって爆発した。
女は黙って遠くを見ていた。満腹感で恍惚でいるが、その目は翳りというものを知らない。赤い頬は湿り気を帯びているが決して油気はない。肩まである髪をふとかき上げたその手の白さが妙に輝いていた。
ハルヲは顔をあげると、そこには別の女性がいた。その女性には、名前があった。
隣に静かに腰をおろしてくる。ハルヲはその女性に何か強くひき付けられるものがあった。いい香水のいい匂いがするが、そう気にならなかった。名前のある女性はとてもいい気持ちだ。知らない女性なのに、その柔らかくて冷たい膝に頭をうずめると、彼女は髪をなでたり、かきむしったり、もて遊んだ。
*
ハルヲは、ひどく長い夢を見た。
やけに蒸暑い潮風にのって夕日の赤が男の顔に付着した。彼は無くて体は形容詞だった。心は宙を舞い、常に新奇な刺戟の一単位を欲求した。新奇は実は陳腐の極限であるが彼は無知で無視した。彼の内部では、男はロマンで女はサスペンスだったが、夜空に浮かぶハーフムーンは暗黒の砂漠だった。彼は物質認識に偏屈だった。
彼は二年前、思想を排泄してしまったので、彼は単なる無秩序な馬鹿だった。だが自己陶酔症の狂人よりはまだ人に好かれた。
夕日の赤は彼の鼻先から飛びたったが、それは彼の生活の陳腐性を明示していた。
彼は馬鹿と呼ばれる事をひどく恐れた。なぜなら彼の内部にある馬鹿はまさしく彼であって、彼自身の具体に訴えかけられる馬鹿はこの世に存在しないからである。それは馬鹿というものの性質の上で大きな役割を果たしているのだ。(夢はしばしば、つじつまが合わない。)
思想は玩具だ。所有する事によって心に安心と快楽を、また壊れる事によって不安と絶望をもたらす。そして人からもらう事も捨てる事も取り代えることも可能である。
しかしその男は玩具を捨てたのである。小人が成長するとそうするように。
ハルヲは目が覚めた時、その夢を思いかえしてみて、その男はまさに彼の目標としている人間像かもしれない、と思った。ハルヲは何か物事を考え始めると、苦しい程に胸が高まる。それは恰かも他人に聞こえるが如く、心臓が大きな音をならすのであった。それが苦痛であった。
ハルヲは抽象的事象とか、理論とかそういうものが決してきらいではないのだが、理屈いって人にきらわれたりする事がいやだったのだ。
朝の光は、妙に冷たい風を伴ってハルヲの目を刺戟した。
「おはよう。」
名前の有る女だ。(ここはどこだ。)
彼女は服を着ているというよりはむしろ、着ていないのではないかというのが当たっていた。長い髪は懇意に愛撫された後らしく、ドライヤーの熱を帯びて香る。嗅覚が敏感なハルヲは、いい匂いに興奮する、変でもない生理を持っていた。
部屋を見回したハルヲは、その部屋に時計というものが無い事に気付いた。
「時計はどこ。」
「ここよ。」
女はそういってハルヲのジャンパーを箪笥から出し、そのポケットから外国製の時計を取り出した。それは彼のジャンパーから出てきたにも関わらず、彼のではなかった。
「あげるわ。」
黙ったままハルヲはそれを受取り、時間がもう昼に近いと知ると、起き上がってもうすでに出来上がっていた朝食を食べた。名前のある女と食べる初めての朝食は、とてもまずかったので、ハルヲは一晩だけの知り合いなのに、その女の事を一生忘れなかった。
ハルヲは、何かたわいのないどうでもいいような事を自分の浅はかな知恵と思慮の中でかき混ぜ、溶かし固めながらひとつの自分なりの結論を見いだしては、その行為を楽しんでいるのかと言えばそうではなく、むしろそれを苦痛としている、そんな癖があった。それが無意味なものであればある程結論はよりアイロニカルにどろどろとしてくる、それにさえ快感ではなく不快感を感じてしまう自虐的な皮肉屋だった。彼は情熱・熱中・青春といった一連の用語を忌み嫌っていた。なぜなら、それらはモラトリアム期における自己陶酔の結果としての情動の偏向性および自己忘却という目も当てられない程の低俗性、幼稚性の自認を意味しているにも関わらず、それらの欺マン的効用の有効性の方ばかりに誰もが傾けて使うからである。彼は最大の弱点を持った。それは若さであった。いくら物事に批判の視点を見出だし、自分の理想とする心象との差異をいかにして表現し、自分の方に正義と真実の軍配をあげる事による自己の存在意義の明示を欲しても、宿命的若さゆえ時間という辞引からのヴォキャブラリイを彼は取得する事が不可能な為、それが可能な大人達に勝利する事ができないのである。だから彼はいくらそんな用語が嫌いで、この世から消え去ってしまえとさえ思っても、批判の対象というよりは皮肉の対象とした。シニシズムにはしる事が唯一大人に勝てる方法だった。(外国製の時計はもう狂っている。)
だが彼は、そんな冷めた性格を持つ一面、嗅覚といった原始的な感覚に自分の感情をまかせているという面を同一方向に所有していた。確かにそれは矛盾としか名付けようがないが、それに対して彼は決して弁護をしなかった。なぜなら矛盾弁護の行為を客観視する事によってそんな行為こそがモラトリアム的行動の展型であるのだ、と彼は自覚していたからであった。しかし、そんな事は今の彼にとって全くどうでもいい事でもあった。
家に帰ると、名前のない女が部屋の中で待っていた。同い年なのに、三つ位年少に見える。彼女は今度は煙草をのんでいた。小さくすぼんだ唇の真ん中からヒュウとばかりにハルヲの顔に煙を吹きつけたその女は、小悪魔の様に笑った。(その女には、本当は名前がある事をここで白状したい。)ハルヲはアキコが顔に吹きかけてきたその匂いを嗅いで、その死臭にもがいた。
朝霧の中のゴールデン街は、それがひどく閑散としていて、石一個蹴飛ばすだけで街全体の人々が目を覚ますのではないかと思われる程冷たい動かぬ空気が張りつめていたので、散歩に出かけたアキコは、この街のはずれに位置するハルヲの下宿を出る折ひどくおびえた。何となくそれが義務であるかのように街を忍び足で歩いてその道の終わりまで来た時アキコは、よういどんとばかりに走りだした。
アキコのいってしまった後のハルヲの部屋は、それが急速に冷却されていくのを肌で感じながら、その冷気は雀が連れてきたのだと誤解を信じたくなるような、外の雀たちの鳴声が時間と共に騒々しさを増した。
胃の調子、今日も悪いな、とハルヲは胃の辺を押えながら思った。吐き気がして吐いた。
(『朝日文学』岡山県立岡山朝日高等学校生徒会文学部、1983年(昭和58年)9月10日発行)
それは、鬼のような子供のような主人公が彼の親の胸にすがりついて泣いた、と思いきや彼の隠し持っていたナイフは真紅の血と一緒になって彼の手と親の心臓とを連結した。
戦慄は視ている者の健全なる精神をわななかした。それは沈黙以外の何をも要求していない。ハルヲは映画に飽きたので席を立った。
外は恰かも深夜であるかのように、夕闇のゴールデン街は、人々が彼等の時間を楽しみながら多くの人々で賑わっていた。遠くを見遣ると暗い山の稜線が、高く長く遠吠えした。
しばらく目を瞠っていると、近くでラヂオだろうか、テレビからだろうか、標準時を知らせる時報の音が耳の底に響いた。
目をそっと開けたハルヲは、その刹那、自分の位置をふと見失った。心が乱れた。
どこだろう、ここは。ハルヲの瞳には、何だか全く見慣れた風景が次第に明るさを帯びて、初めは羅馬字のように、像として映り始めている。
それは思想であった。恐らく頭脳なのだろうが、今日は胃の調子が悪いのでとても複雑となっていたし、ハルヲの思いと裏腹に、それは忘却の彼方へ押し流されている途中だった。
もうすこし歩くと、彼女がいた。それが誰であるかをハルヲはよく知っていた。女は、白く油気のないきれいな顔をしているのだが、今日は頬のあたりが赤い。その目はとても明るい。モスキートがたくさんたかっている白々とした自動販売機の前で、女はビールを二本買ってじっとつっ立って待っていた。空の月は完全に黒く化した雲の中に、音もたてずに隠れていく。
彼女の方からハルヲに声をかけて来た。
「ああ、もうたくさん。酔っぱらっちゃった。あーあ。ねえ、ハルちゃん、助けてよ、ね。はあ、いいキモチ。はい、ハルちゃんの。」
女はハルヲの分として一本さし出した。
「またやってんのか。そんなにやると体に悪いぞ。」
ハルヲは自分の言葉に忠告を込めてそう言ったつもりだったが、なぜだろうか、同情のようなニュアンスになってしまっている事を自分でも感じた。ともかく彼女の白い手から取り上げて、一気に五臓六ぷを刺戟した。彼女はすると、玩具を取り上げられた子供のように泣きだした。
そうこうしている間にも、彼らの周囲を大勢の人が過ぎ去っていく。何て人の多い街なんだろう。
雨、が降りだした。傘を持っているはずもない二人はともかく通りのつき当りにある駅へかけて行った。酒に弱い彼女は、走るとまわるらしく、多少えらそうだ。
駅へ入ると、ふいにハルヲは大きな声を上げてしまった。彼の目の前を談笑しながら横切っていた女子学生達がビクッとして彼の方に振り向いたので、ちょっと恥ずかしくなってうつむいた。女子学生は互いに目くばせをして、薄笑いを浮べながら歩いていった。
「どうしたの。」
隣の女が尋ねた。その女には名前がなかった。白い肌と明るい瞳をもった女。男はその質問に答えなかった。なぜならその女は名前も無いくせに千鳥足で歩いていたからである。しかしハルヲはその女が好きだった。
大声をあげたのは、追っても追っても逃げていく、あの必死で追いかけていた昨日の記憶を、思い出してしまったからであった。
待合室のベンチに座った彼らは、目の前を通り過ぎていく若い女の、高く整った鼻から立ちのぼる煙草の煙を見つめた。その向こうのベンチでは、背が低く白髪で、髭をのばした老人が、痛そうな腰を用心そうに曲げて腰かけ、駅弁をゆっくりと食べていた。慣れない箸でもないだろうに、その老人は箸を持った手を震わせ、おぼつかない不器用な手つきでご飯粒を口に運んでいる。みると目からは涙がこぼれていた。箸を口に含んだまま老人はじっとうずくまって動こうとしない。箸を伝って涙は弁当さえ濡らしていた。がっくり落ちた肩の上にはえが一匹とまっていた事をハルヲは見逃さなかった。さっき食べた夜鳴きそばの味がビールの炭酸と一緒になって胃のあたりから立ちのぼってくるのをのどに感じ、吐き気をもよおした。
女はいつの間にか駅弁を手にしていた。
「おなかすいちゃった。」
その老人の隣にちょこんと座り込むと、老人のと同じ弁当を楽しそうに食べ始めた。それをハルヲは先程からじっと座ったままで見ていたのだが、その女の顔は、彼女が二十歳であるという事を感じさせない、十五・六のお嬢さんとしかいいようのない見かけだ、と何処かため息をつきながらそう思った。彼は冷笑を浮べると、ふと雨の匂いを感じた。
その時、小さく何かを刻むような音が聞こえてきた。ハルヲは腕に時計をつけていなかったが、駅の時計は音をたてずに何かを刻んでいた、それ以上にその音はハルヲの心臓を刻み、また女の心を刻んだ。その音が次第に大きくなり、誰の耳にもはっきり聞こえるようになり、誰の心の刻音もがユニゾンで共鳴し始めた時、ハルヲの頭の中に列車の警笛が大音響をもって爆発した。
女は黙って遠くを見ていた。満腹感で恍惚でいるが、その目は翳りというものを知らない。赤い頬は湿り気を帯びているが決して油気はない。肩まである髪をふとかき上げたその手の白さが妙に輝いていた。
ハルヲは顔をあげると、そこには別の女性がいた。その女性には、名前があった。
隣に静かに腰をおろしてくる。ハルヲはその女性に何か強くひき付けられるものがあった。いい香水のいい匂いがするが、そう気にならなかった。名前のある女性はとてもいい気持ちだ。知らない女性なのに、その柔らかくて冷たい膝に頭をうずめると、彼女は髪をなでたり、かきむしったり、もて遊んだ。
*
ハルヲは、ひどく長い夢を見た。
やけに蒸暑い潮風にのって夕日の赤が男の顔に付着した。彼は無くて体は形容詞だった。心は宙を舞い、常に新奇な刺戟の一単位を欲求した。新奇は実は陳腐の極限であるが彼は無知で無視した。彼の内部では、男はロマンで女はサスペンスだったが、夜空に浮かぶハーフムーンは暗黒の砂漠だった。彼は物質認識に偏屈だった。
彼は二年前、思想を排泄してしまったので、彼は単なる無秩序な馬鹿だった。だが自己陶酔症の狂人よりはまだ人に好かれた。
夕日の赤は彼の鼻先から飛びたったが、それは彼の生活の陳腐性を明示していた。
彼は馬鹿と呼ばれる事をひどく恐れた。なぜなら彼の内部にある馬鹿はまさしく彼であって、彼自身の具体に訴えかけられる馬鹿はこの世に存在しないからである。それは馬鹿というものの性質の上で大きな役割を果たしているのだ。(夢はしばしば、つじつまが合わない。)
思想は玩具だ。所有する事によって心に安心と快楽を、また壊れる事によって不安と絶望をもたらす。そして人からもらう事も捨てる事も取り代えることも可能である。
しかしその男は玩具を捨てたのである。小人が成長するとそうするように。
ハルヲは目が覚めた時、その夢を思いかえしてみて、その男はまさに彼の目標としている人間像かもしれない、と思った。ハルヲは何か物事を考え始めると、苦しい程に胸が高まる。それは恰かも他人に聞こえるが如く、心臓が大きな音をならすのであった。それが苦痛であった。
ハルヲは抽象的事象とか、理論とかそういうものが決してきらいではないのだが、理屈いって人にきらわれたりする事がいやだったのだ。
朝の光は、妙に冷たい風を伴ってハルヲの目を刺戟した。
「おはよう。」
名前の有る女だ。(ここはどこだ。)
彼女は服を着ているというよりはむしろ、着ていないのではないかというのが当たっていた。長い髪は懇意に愛撫された後らしく、ドライヤーの熱を帯びて香る。嗅覚が敏感なハルヲは、いい匂いに興奮する、変でもない生理を持っていた。
部屋を見回したハルヲは、その部屋に時計というものが無い事に気付いた。
「時計はどこ。」
「ここよ。」
女はそういってハルヲのジャンパーを箪笥から出し、そのポケットから外国製の時計を取り出した。それは彼のジャンパーから出てきたにも関わらず、彼のではなかった。
「あげるわ。」
黙ったままハルヲはそれを受取り、時間がもう昼に近いと知ると、起き上がってもうすでに出来上がっていた朝食を食べた。名前のある女と食べる初めての朝食は、とてもまずかったので、ハルヲは一晩だけの知り合いなのに、その女の事を一生忘れなかった。
ハルヲは、何かたわいのないどうでもいいような事を自分の浅はかな知恵と思慮の中でかき混ぜ、溶かし固めながらひとつの自分なりの結論を見いだしては、その行為を楽しんでいるのかと言えばそうではなく、むしろそれを苦痛としている、そんな癖があった。それが無意味なものであればある程結論はよりアイロニカルにどろどろとしてくる、それにさえ快感ではなく不快感を感じてしまう自虐的な皮肉屋だった。彼は情熱・熱中・青春といった一連の用語を忌み嫌っていた。なぜなら、それらはモラトリアム期における自己陶酔の結果としての情動の偏向性および自己忘却という目も当てられない程の低俗性、幼稚性の自認を意味しているにも関わらず、それらの欺マン的効用の有効性の方ばかりに誰もが傾けて使うからである。彼は最大の弱点を持った。それは若さであった。いくら物事に批判の視点を見出だし、自分の理想とする心象との差異をいかにして表現し、自分の方に正義と真実の軍配をあげる事による自己の存在意義の明示を欲しても、宿命的若さゆえ時間という辞引からのヴォキャブラリイを彼は取得する事が不可能な為、それが可能な大人達に勝利する事ができないのである。だから彼はいくらそんな用語が嫌いで、この世から消え去ってしまえとさえ思っても、批判の対象というよりは皮肉の対象とした。シニシズムにはしる事が唯一大人に勝てる方法だった。(外国製の時計はもう狂っている。)
だが彼は、そんな冷めた性格を持つ一面、嗅覚といった原始的な感覚に自分の感情をまかせているという面を同一方向に所有していた。確かにそれは矛盾としか名付けようがないが、それに対して彼は決して弁護をしなかった。なぜなら矛盾弁護の行為を客観視する事によってそんな行為こそがモラトリアム的行動の展型であるのだ、と彼は自覚していたからであった。しかし、そんな事は今の彼にとって全くどうでもいい事でもあった。
家に帰ると、名前のない女が部屋の中で待っていた。同い年なのに、三つ位年少に見える。彼女は今度は煙草をのんでいた。小さくすぼんだ唇の真ん中からヒュウとばかりにハルヲの顔に煙を吹きつけたその女は、小悪魔の様に笑った。(その女には、本当は名前がある事をここで白状したい。)ハルヲはアキコが顔に吹きかけてきたその匂いを嗅いで、その死臭にもがいた。
朝霧の中のゴールデン街は、それがひどく閑散としていて、石一個蹴飛ばすだけで街全体の人々が目を覚ますのではないかと思われる程冷たい動かぬ空気が張りつめていたので、散歩に出かけたアキコは、この街のはずれに位置するハルヲの下宿を出る折ひどくおびえた。何となくそれが義務であるかのように街を忍び足で歩いてその道の終わりまで来た時アキコは、よういどんとばかりに走りだした。
アキコのいってしまった後のハルヲの部屋は、それが急速に冷却されていくのを肌で感じながら、その冷気は雀が連れてきたのだと誤解を信じたくなるような、外の雀たちの鳴声が時間と共に騒々しさを増した。
胃の調子、今日も悪いな、とハルヲは胃の辺を押えながら思った。吐き気がして吐いた。
(『朝日文学』岡山県立岡山朝日高等学校生徒会文学部、1983年(昭和58年)9月10日発行)
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