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| 夕日に映える教会の看板(2024年9月4日 17時46分撮影) |
2024年9月5日木曜日
あと3日です!
2024年9月1日日曜日
エレミヤの預言
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
説教「エレミヤの預言」
エレミヤ書28章1~17節
関口 康
「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる、わたしは、これらの国すべての首に鉄の軛をはめて、バビロンの王ネブカドネツァルに仕えさせる」(14節)
今日のテーマは「エレミヤの預言」です。
エレミヤ書はユダヤ教聖書の第二部「預言者」(ケトゥビーム)の第二部(3大預言書と12小預言書)の前者3大預言書(イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書)に位置します。
エレミヤは「記述預言者」(Writing Prophets)の一人ですが、エレミヤ書は書記バルクが書いたものであることが、36章4節に記されています。
「3大」と「12小」の違いは「3人の偉大な預言者と、12人の小物」ではなく、巻き物の長さ、書物の規模の違いです。
エレミヤ書は3つに区分することができます。彼の生涯は約40年でした。
第1期 ヨシヤ王時代(1~6章):前627年(または626年)~前609年
第2期 ヨヤキム王時代(7~20章):前609年~前598年
第3期 ゼデキヤ王時代(21~52章):前598年~580年代(?)
第1期:ヨシヤ王時代(1~6章)
ヨシヤは8歳で南ユダ王国の王になりました(歴代誌下34章3節)。15歳から16歳の頃に宗教に目覚め、20歳の頃から大規模な偶像破壊運動を始めました。「ヨシヤの宗教改革」と呼ばれます。
エレミヤが預言者として活動を始めたのはヨシヤの宗教改革の開始直後でした。そのため宗教改革にエレミヤが賛成していたかどうかが議論されます。浅野順一先生は「賛成していた」というお考えでした(『浅野順一著作集』第1巻「予言者研究Ⅰ」288頁)。しかし、「賛成していなかった」と考える人もいます(たとえば左近淑先生)。
幼いヨシヤが王になったのは本人の実力ではなく、彼を利用して自分たちの思い描く理想の政治を実現しようとするオトナの力によるもので、ヨシヤは国家官僚たちの傀儡でした。ヨシヤの宗教改革は、異教の偶像や施設を武力で破壊するだけの外面的な改革でした。
エレミヤは言いました。「ユダの人、エルサレムに住む人々は、割礼を受けて主のものとなり、あなたたちの心の包皮を取り去れ」(4章4節)。
エレミヤは心の改革、内面の改革を訴えました。ヨシヤの宗教改革とは方向性が違います。
第2期:ヨヤキム王時代(7~20章)
ヨシヤ王の死をもって南王国の宗教改革は頓挫しました。次に王になったヨヤキムはヨシヤの子でした。
国家は滅亡前夜。政権は弱体化していました。国力の弱さを知る例として挙げられるのは、ヨヤキム王が元はエルヤキムという名前だったのに、エジプト王ファラオ・ネコによってヨヤキムという名前へと改めさせられたことです。
ヨヤキムはエジプトの傀儡でした。国民はエジプト王に納めるための重い税金を課せられました。
その状況の中でヨヤキム王がしたのは、宗教的な熱狂をあおることでした。エレミヤは、ヨヤキム王の政策に反対する預言をしました。「神殿説教」と呼ばれます。
「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない」(7章2~6節)。
「主の神殿」の連呼は、宗教的な熱狂主義を煽る表現です。そのような扇動をヨヤキム政権が行い、国内の宗教的右翼に頼り、政権を維持しようとしました。
そのことにエレミヤは反対し、自国の滅亡を預言し、我々はバビロンのネブカドネツァルの軛にかかるべきであると訴えました。それは戦争の中で犠牲になりやすい、立場が弱い人たちの保護を求めるためでした。とても人道的な訴えでした。
エレミヤは自国の滅亡を預言したため、売国奴呼ばわりされ、孤立しました。悲しみの中でエレミヤは神に訴えました。
「主よ、あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされてあなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中笑い者にされ、人が皆、わたしを嘲ります。わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり、『不法だ、暴力だ』と叫ばずにいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中恥とそしりを受けねばなりません。主の名を口にすまい、もうその名によって語るまいと思っても主の言葉はわたしの心の中、骨の中に閉じ込められて火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして、わたしは疲れ果てました。わたしの負けです」(20章7~9節)。
孤立など本当はしたくないのだ、しかし、神が語れと命じる言葉を押さえつけると、神の言葉が自分の中で火のように燃え上がるので、語らざるをえないのだと、神の御前で叫びました。エレミヤは苦難の多い預言者でした。
第3期:ゼデキヤ王時代(21~52章)
南ユダ王国最後の王ゼデキヤは、バビロニアの傀儡でした。
バビロニアに従えば生かしてもらえたのですが、最後に反旗を翻して捕らえられ、ネブカドネツァルはゼデキヤの両眼をつぶし、青銅の足枷をはめて、バビロンに連行しました(エレミヤ書39章7節)。それが「第二次バビロン捕囚」(前587年)と呼ばれます。
その10年前、ユダヤ人の中の指導的な立場にあった人たちや、これからそういう立場に立ちそうな人たちがバビロンに連行されました。それが「第一次バビロン捕囚」(前597年)です。
その人数は、「3千人ほど」と記した箇所(エレミヤ書52章28節)と「1万人ほど」と記した箇所(列王記下24章14節、16節)があり、どちらが正しいかは分かりません。
エレミヤの活動が終了したのは「第二次バビロン捕囚」(前587年)の直後です。ユダヤ人の中の宗教的に熱狂的な立場の人々によって誘拐され、エジプトで消息不明になります。おそらく殺害されました。
さて、今日の箇所です。
第28章に描かれているのは、ゼデキヤ王時代のエレミヤです。エレミヤの前に立ちはだかったのは、正反対の言葉を語る預言者ハナンヤでした。
ハナンヤの預言は「主はバビロンの軛を打ち砕く」というものでした。「あらゆる国々の首にはめられているバビロンの王ネブカドネツァルの軛を打ち砕く、と主は言われる」(11節)。
これは、戦争を煽る言葉です。主の約束は、この戦争には絶対に勝利できるということなので、最後まで戦い抜け、ということです。
エレミヤは正反対でした。「軛の横木と綱を作って、あなたの首にはめよ」。その意味は、バビロニアに対して敗戦を認め、敵国の捕虜になるべきだということです。それも人道的観点から述べられたことでした。
「どうして、あなたもあなたの民も、剣、飢饉、疫病などで死んでよいだろうか」(27章13節)とエレミヤは訴えました。その意味は、捕虜になれば国民の生命は守られるが、戦死すれば国民は助からない、ということです。
自分とは反対の言葉を語るハナンヤにエレミヤは立ち向かいました。「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ」(15節)。
エレミヤとハナンヤ。どちらの生き方が正しいでしょうか。「わが国は必ず勝利する」と甘い言葉を語るハナンヤは人気があったでしょう。その反対のエレミヤは孤立しました。
わたしたちはどちらを目指すべきでしょうか。偽りではなく真理を語り、弱い人の側に立つことが大事ではないでしょうか。
2024年8月27日火曜日
足立梅田教会創立70周年記念礼拝のお知らせ
再来週9月8日(日)午前10時30分より、足立梅田教会創立70周年記念礼拝を行います。当教会第2代牧師の北村慈郎先生を説教者にお迎えします。どなたもぜひご出席ください。
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| 足立梅田教会創立70周年記念礼拝ポスター |
(ウェブ版)
https://www.adachiumeda.church/2024/08/70thAnniversary.html
(モバイル版)
https://www.adachiumeda.church/2024/08/70thAnniversary.html?m=1
2024年8月25日日曜日
全地よ、喜びの叫びをあげよ
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
説教「全地よ、喜びの叫びをあげよ」
詩編98編1~9節
関口 康
「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え」(4節)
今日の説教の準備は難しかったです。詩編98編について書かれた解説書がなかなか見つかりませんでした。
浅野順一先生の全11巻ある『浅野順一著作集』(創文社)の第4巻(1982年)が「詩篇研究」ですが、詩編98編の解説はありませんでした。
私が1980年代後半の東京神学大学で旧約聖書緒論を教わった左近淑先生の『詩篇研究』(新教出版社、初版1971年、復刊1984年)の中にも、詩編98編の解説はありませんでした。
ハイデルベルク大学のヴェスターマン教授(Prof. Dr. Claus Westermann [1909-2000])の『詩編選釈』(大串肇訳、教文館、2006年)にも詩編98編の解説はありませんでした。
やっと見つけたのはドイツの聖書註解シリーズ『ATD(アーテーデー)旧約聖書註解』第14巻「詩編90~150篇」です。この中に詩編98編の解説がありました。
著者はテュービンゲン大学神学部の旧約聖書学者アルトゥール・ヴァイザー教授(Prof. Dr. Artur Weiser [1893-1978])です。しかし解説はかなり古風でした。歴史的な読み方への踏み込みが足りない感じでした。
私が愛用しているオランダ語の聖書註解シリーズにも、詩編98編の解説が見つかりました。最初に調べれば良かったですが、オランダ語がすらすら読めるわけではないので、最後にしました。De Prediking van het oude testament(旧約聖書説教)というシリーズですが、学問的な聖書註解です。
詩編98編の解説を書いたのはタイス・ブーイ博士(Dr. Thijs Booij)です。1994年に出版された『詩編 第3巻(81~110編)』です。
“Thijs Booij (1933) studeerde aan de Vrije Universiteit Amsterdam theologie”(タイス・ブーイ(1933年)はアムステルダム自由大学で神学を学んだ)という記述がネットで見つかりました。1933年生まれだと思います。今も生きておられたら91歳です。
ブーイ先生の解説に私は納得できました。手元にこれ以上の材料はありませんので、ブーイ博士の解説に基づいて詩編98編について説明し、今日的意味を申し上げて今日の説教とさせていただきます。
私は学問をしたいのではありません。聖書を正確に読みたいだけです。自分が読みたいように読むことが禁じられているとは思いません。しかし、たとえば今日の箇所に「新しい歌を主に向かって歌え」と記されていますが、これはどういう意味でしょうか。「作詞家と作曲家に新しい歌を作ってもらって、みんなで歌いましょう」という意味でしょうか。
その理解で正しいとして「新しい歌」でなければならない理由は何でしょうか。「古い歌は時代遅れなので歌うのをやめましょう」ということでしょうか。この詩編が何を言いたいのかを知るために、歴史的な背景を調べる必要があるのではないでしょうか。
ブーイ博士の解説に第一に記されているのは「詩編98編は詩編 96 編と強く関連している」ということです。
「どちらも主(ヤーウェ)の王権について語り、万民の裁判官として来られる主を敬うよう被造物に呼びかける讃美歌である。主の王権については『王なる主』(6 節)として言及されている。主は王として地を裁くために来られる。詩編 98 編はティシュリ月の祝祭を念頭に置いて作曲された。
主の王権は多くの文書の中でシオンと神殿と結びついている。この曲が宗教的な目的以外の目的で作曲されたとは考えにくい。ユダヤ人の伝統では、主の王権はティシュリ月の初日の新年の祝賀と結びついている。」(Ibid.)。
「ティシュリ月」とはユダヤの伝統的なカレンダーです。太陰暦の7月であり、太陽暦の9~10月であり、農耕暦の新年の初めです。ブーイ博士の説明を要約すれば、ユダヤ人の「新年」は秋に始まり、新年祭のたびに「主(ヤーウェ)こそ王である」と宣言する儀式が太古の昔から行われていて、その儀式で歌うために作られた讃美歌のひとつが詩編98編だろう、ということです。
同じ新年祭の儀式で歌われた、時代的にもっと古い讃美歌は詩編93編であるとのことです。詩編93編は、言葉づかいやリズムの格調が高く儀式にふさわしいというのが、そうであると考える理由です。
ブーイ博士が第二に記しているのは「詩編 98 編のもうひとつの特徴は、第二イザヤとの強い親和性(verwantschap)にある」ということです。
「第二イザヤ」(Deuterojesaja; Tweede Jesaja)とは、南ユダ王国で前8世紀に活動した預言者イザヤ(イザヤ書1章から39章までの著者)とは別人です。
イザヤ書44章28節の「キュロス」が前6世紀のペルシア王の名前です。その名前を前8世紀のイザヤが知っていたとは考えにくいというのが、第一と第二を区分する、わりと決定的な理由です。
「第二イザヤ」は、40章から55章までを記した前6世紀のバビロン捕囚とそれに続く時期に活動した預言者です。「第三イザヤ」は56章から66章までの著者です。第二イザヤと同じ前6世紀の人ですが、聖書学者の目でヘブライ語の聖書を読むと文体や思想が全く違って見えるそうです。
詩編98編と第二イザヤの「親和性」についてのブーイ博士の説明に基づいて作成した表は次の通り。
|
第二イザヤ(イザヤ40~55章) |
詩編98編 |
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42章10節a |
新しい歌を主に向かって歌え。 |
1節b |
新しい歌を主に向かって歌え。 |
|
52章10節a
|
主は聖なる御腕の力を国々の民の目にあらわにされた。 |
2節b
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主は恵みの御業を諸国の民の目に現し
|
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52章10節
|
地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ |
3節b
|
地の果てまですべての人はわたしたちの神の救いの御業を見た。 |
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44章23節
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天よ、喜び歌え、主のなさったことを。地の底よ、喜びの叫びをあげよ。 |
4節
|
全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。 |
|
52章 9 節
|
歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃墟よ。 |
5節b
|
琴に合わせてほめ歌え。琴に合わせ、楽の音に合わせて。 |
|
55章12節b |
山と丘はあなたたちを迎え、歓声をあげて喜び歌い、野の木々も、手をたたく |
8節 |
潮よ、手を打ち鳴らし、山々よ、共に喜び歌え。 |
ブーイ博士によると「これらの類似点は、詩編98編の作者が第二イザヤの預言に精通し、そこから当時の出来事を理解していたという意味で説明しうる。詩編98編は前538年以降のイスラエルの復興を歌っている。バビロン捕囚からの解放後の初期のものと考えられる」とのことです。
「当時の出来事」とはバビロン捕囚(前597~538年)です。
ブーイ先生の解説の紹介はここまでにします。これで分かるのは、「新しい歌」の「新しさ」とは、国家滅亡という究極の喪失体験(バビロン捕囚)を経て、そこから解放されて国家再建を目指す人々に求められる、心の入れ替えを意味する、ということです。
もはや古い歌(讃美歌)で十分でないのは、主が前代未聞の奇跡を起こしてくださったからです。
わたしたちはどうでしょうか。世界はどうでしょうか、日本はどうでしょうか。足立梅田教会はどうでしょうか。
足立梅田教会に限らせていただけば、最近起こった出来事は牧師が交代したことです。以前と今と何も変わっていないでしょうか。
もし変わったとして、どのように変わったかは私が言うことではありません。もし「新しい時代の訪れ」を感じるなら「新しい歌を歌うこと」が求められています。
1954年版の讃美歌はやめて「讃美歌21」に取り換えましょう、という程度の意味ではありません。「歌は心」です(淡谷のり子さん)。根本的な心の入れ替えが必要です。
神の御業が更新されたなら、わたしたちにも「新しい思い」が必要です。喜びと感謝をもって共に前進しようではありませんか。
(2024年8月25日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)
2024年8月18日日曜日
モーセの契約
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
説教 「モーセの契約」
出エジプト記34章1~9節
関口 康
「主はモーセに言われた。『前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう』」(1節)。
みなさんはモーセをどれくらいご存じでしょうか。再び旧約聖書学の視点でお話しいたします。ユダヤ教聖書の第一部「律法(トーラー)」が、キリスト教聖書の最初の5巻と同じです。これらが「モーセ五書」と呼ばれてきました。五書の著者はモーセであるとキリスト教会の長い歴史の中で信じられてきたからです。
しかし、そのように今日主張する人は、よほど極端な立場の人か、中身を読んでいない人です。最も単純な理由は、申命記34章5節に「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ」と記されていることです。自分の死を自分で書ける人はいないだろうというわけです。それだけでなく、中身を読めば読むほど五書をひとりの著者が書いたと考えることが不可能であることを示す証拠が次々と見つかりました。
それで現在考えられているのは、いわゆるモーセ五書は全く異なる時代や文化的背景の中で成立した4つほどの資料が組み合わされてできたものであるということです。資料名を古い順に言えば、「ヤーヴィスト資料(J)」(前10~9世紀、南ユダ王国で成立)、「エローヒスト資料(E)」(前8世紀、北イスラエル王国で成立)、「申命記資料(D)」(前7世紀 北王国で核の部分が書かれ、南王国で成立)、「祭司資料(P)」(前6~5世紀、バビロン捕囚とそれに続く時期)です。
これで分かるのは、五書が最終形態に至ったのは、「祭司資料(P)」が成立する紀元前6世紀以降である、ということです。しかし、モーセが活躍したのはエジプトの王(ファラオ)がラメセス2世だった頃なので、前1250年頃(前13世紀)です。全く異なる時代です。
創世記以外の4巻(出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の内容はすべて「モーセの生涯」です。創世記の内容は、1章から11章までが「神話」、12章から50章までが三代続く「族長物語」(アブラハム、イサク、ヤコブ)と「ヨセフ物語」です。
創世記は、続く4巻と無関係でなく、モーセの生涯の「前史」としての意味があります。「なぜユダヤ人のモーセがエジプトにいたのか」についての説明が創世記に書かれています。
モーセの生涯にとって最も決定的な意味を持つのは、直前のヨセフとの関係です。アブラハムの子であるイサクの子であるヤコブに12人の子どもがおり、11番目の子がヨセフです。ヨセフは父の溺愛を受け、10人の兄がヨセフに嫉妬し、ヨセフをエジプトに下る奴隷商人に売り飛ばし、ヨセフがエジプトに行くことになりました。しかし、ヨセフがエジプトで出世して王(ファラオ)に仕える司政官になり、エジプトを大飢饉の危機から救った英雄になりました。
そのとき、カナンにいたヨセフの父ヤコブ、ヨセフの10人の兄、そしてヨセフの後に生まれた12番目の子が飢饉の危機にあり、エジプトに助けを求めて来ました。自分をエジプトに売った兄たちが自分にひれ伏すのを見たヨセフは、最初は意地悪な対応をしますが、我慢できなくなって自分はあなたがたがエジプトに売り渡したヨセフであると告白します。そしてヨセフの計らいで父ヤコブと11人の兄弟がエジプトに移住することになりました。
しかし、その頃のエジプトとユダヤ人の良好な関係は、時代の流れの中で失われていきました。ヨセフのことをもはや知らない時代のエジプト王(ファラオ)が、国内に増え過ぎたユダヤ人に自分の国を乗っ取られると危機感を抱き、ユダヤ人に奴隷労働を課し、ユダヤ人家庭に生まれる男子をすべてナイル川に投げ込めと命令を出しました。
しかし、その命令に逆らって、生まれた子を生かすことにした父アムラムと母ヨケベドが、その子を葦で編んだかごに入れ、ナイル川のほとりの葦の中に隠しました。川に水浴びに来たファラオの娘がそのかごを見つけ、抱き上げました。
その様子を見ていた、その子の実の姉ミリアムがファラオの娘のところに駆け寄り、その赤ちゃんに乳をあげる乳母を紹介しましょうかと言いました。ファラオの娘は了解し、ミリアムが連れて来たのが、実の母ヨケベド。ファラオの娘が赤ちゃんにつけた名前が「モーセ」でした。
モーセはエジプトの王宮でファラオの子どもと等しい教育を受けました。しかし、ユダヤ人を虐待するエジプト人の姿を見て、憤慨し、殺してしまいます。殺人罪でエジプトを追われる身となり、シナイ半島のミディアンへ逃亡し、そこで妻ツィポラと結婚し、子どもが与えられて幸せな生活を送っていました。
しかし、エジプトで奴隷労働を強いられているユダヤ人たちへの思いがモーセの中で強くなりました。そのとき、主なる神がモーセに現れ、ユダヤ人たちをエジプトから、元いたカナンの地まで連れ帰る仕事をあなたがしなさいと命令しました。
それで、モーセはエジプトに戻ってファラオと交渉し、ついにファラオが折れて、ユダヤ人を去らせることを許可しました。しかし、実際にユダヤ人が出て行こうとするとエジプト軍の戦車600台がユダヤ人を追い、紅海の前まで追い詰めました。モーセが杖をあげると、紅海が真っ二つに割れて海の中に道ができ、ユダヤ人たちが通って向こう岸にたどり着きました。エジプト軍が全員紅海に入ったときモーセが杖を下げると海が元に戻り、エジプト軍が全滅しました。
しかし、そこまでして苦労してエジプトを脱出したユダヤ人たちが、430年間にわたるエジプトでの奴隷労働に慣れてしまい、奴隷的な意味で命令に従うことはできても、自分の意志と主体性をもって立つことができませんでした。自由になったはずの彼らが、砂漠には水がない、食べ物もないと不平不満を言いました。「お前のせいでこうなった、どうしてくれる」とモーセに食ってかかりました。
そこでモーセは神から示されてシナイ山に登り、山の上で二枚の石板を切り出し、十の戒めを石板に刻みました。それがモーセの十戒(出エジプト記20章、申命記6章)です。
しかし、問題はその先です。今日の箇所に描かれているのは、モーセが二枚の石板をシナイ山から民のもとに持ち帰ったとき、民はモーセが自分たちを捨てて逃げ去ったと思い込み、モーセと主なる神に頼ることをやめ、金で子牛の形の偶像をつくり、それをみんなで拝んでいました。
それを見たモーセは激怒し、二枚の石板を投げつけて破壊し、金の子牛を火で焼いて粉々にして水の上にまき散らして、民に飲ませました。それで、反省したユダヤ人たちに、神がもう一度、二枚の石板を与えてくださった、というのが今日の箇所の内容です。
今日の結論は単純です。主なる神はご自身の民を奴隷状態の暴力やあらゆる苦しみの中から救い出す、強い意志を持っておられます。人間は奴隷状態のままでいてはいけない、自由に生きなければならないと、神が強く望んでおられます。人間は自分の都合次第で、どんな相手でも裏切ります。しかし、主なる神は一度かわした約束をご自身のほうから破ることはありえない方です。
だからこそ、神はその民に何度でも石板を与えてくださいます。民は神への信頼を忘れ、金の子牛の偶像を拝み、モーセは怒ってその石板を叩き割ってしまいました。しかし、神は何度でも民に悔い改めの機会を与え、何度でも十戒を石板に書くように、モーセに命じました。モーセの十戒は、神がその民との間でかわしてくださった、不変の愛の約束です。
イエス・キリストにおいて示された神の愛も、同じ形をしています。わたしたちは欠けが多く、どうしようもなく罪深い存在です。しかし、イエス・キリストにおいて神はわたしたちを何度でも赦してくださり、どこまでも愛し続けてくださいます。神がわたしたちを救う意思は、不変で確実です。人間は変わっても、神は変わりません。
(2024年8月17日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)
2024年8月12日月曜日
ヨブの苦難
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
2024年7月29日月曜日
善いサマリア人
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
2024年7月22日月曜日
信念はあるか
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
2024年7月17日水曜日
翻訳中の『キリスト教教義学』は驚きの連続
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| キリスト教教義学(左端) |
【翻訳中の『キリスト教教義学』は驚きの連続】
いま翻訳中の、ファン・デン・ブリンク、ファン・デア・コーイ共著『キリスト教教義学』(2012年)に”Pastor Bonus”という言葉が出てきて「牧師のボーナスか。いいね」と一瞬思ったが、意味が違う。
これはラテン語で「善き羊飼い」(The Good Shepherd)。ヨハネ・パウロ二世が1988年に公布した公文書の名前にもなったようだが、私が訳している本の当該箇所の主旨とは違う。
それにしても驚きの連続。以下『キリスト教教義学』から引用。
「対話と教育という点では教理問答(カテキズム)形式の古典的教会教育に加えて、ディスカッショングループ、アルファコース、ワールドユースデーなど主要なイベント、リトリート、テゼの祝い、テレビ礼拝、聖書黙想会(lectio divina)、インターネット、ソーシャルメディアを使用しうる」
「各種イベントと新しい (ソーシャル)メディアは、明示的に名を呼んで評価する必要がある。それらはコミュニティ構築の現代的な形式であり、そこで相互コミュニケーションが行われ、人々はそこから文化形成(culturele vorming)を導き出す」
「新しいメディアは、人々を信仰において訓練し、救いにあずからせ、留めるための手段である」
「永続的かどうか、制度的かどうか、液体のように流れて行くかどうかにかかわらず、その手段と形態は聖書の源泉から生じている。源泉とのつながりを保ち、それによって規範されることを許可している限り、それらは現代的な形をとった神の言葉の宣教(praedicatio Dei vervi)である」
「(大文字の)『言』(het Woord)としてのキリストは、(小文字の)言葉(woorden)やツイート(tweets)などの人間の道具を用いる。それらが人間を作り上げる。概念的な内容のコミュニケーションは、出会い、つながり、共通性など、あらゆる種類の接触に組み込まれている」
「神の声は、説教者、友人、歌手の生きた声(viva vox)として、音や噛みつきの中で聞かれる」
(G. van den Brink en C. van der Kooi, Christelijke dogmatiek, 2012, p. 553-554)
ネットとSNS(ツイッター!)をここまで評価してくれた教義学を、私はこれまで見たことがない。楽しくなってきた。
「善き羊飼い」(Pastor Bonus)について言及される『キリスト教教義学』(2012年)の当該箇所を拙訳で紹介する。
(原文)
Een dargelijk pastoraal gesprek - tegenwoordig ook wel geestelijke begeleiding gonoemd - wordt gevoerd in de verwachting dt de Goede Herder zelf zal spreken. Het (ambtelijk) gebed is daarvan de uitdrukking. In het gebed worden de dingen opgelegd voor God en treeedt de figuur van de pastor terug ten gunste van de Pastor Bonus. (Christelijke dogmatiek, 2012. p. 553)
(拙訳)
「こうした牧会的対話(今日では『霊的指導』とも呼ばれる)は、善き羊飼い自身がお語りになることを期待して行われる。(牧会上の)祈りはそれを表現したものである。祈りにおいて、物事は神の前に置かれ、善き羊飼い(Pastor Bonus)へと委ねられ、祈る牧師自身の姿はフェードアウトする。」
拙訳では伝えきれないが、何度も読み返したくなる感動的な文章だ。
2024年7月16日火曜日
9月8日(日)に「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」を行います
敬愛する各位
わたしたち足立梅田教会(創立1953年9月13日)は昨年(2023年)「創立70周年」を迎えました。70周年記念行事として今年4月に『70周年記念誌』(非売品)を発行しました。そして今年9月8日(日)に「70周年記念礼拝」を行います。
「70周年記念礼拝」の説教者に当教会第2代牧師の北村慈郎先生をお迎えいたします。ぜひ多くの方にご出席いただきたく、謹んでご案内申し上げます。
わたしたちは、北村先生へのご挨拶と打ち合わせを兼ねて、本日7月15日(月)市川三本松教会で行われた「フルートとオルガンによる北村慈郎牧師支援コンサート」に出席しました。
コンサートは約100名出席。演奏会第1部は三・一教会牧師の表見聖先生によるオルガン演奏。第2部は紅葉坂教会員の佐治牧子氏のフルート演奏、吉岡望氏のオルガン演奏。そして支援会代表の荻窪教会牧師の小海基先生による支援アピール。最後に北村先生ご自身が挨拶されました。
北村先生はとてもお元気でした。「みなさんによろしくお伝えください」と言づてをいただきました。9月8日(日)「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」のため、説教者の北村慈郎先生のためにお祈りいただけますと幸いです。
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| 北村慈郎牧師支援コンサート(2024年7月15日 市川三本松教会) |
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| 北村慈郎先生(2023年7月15日 市川三本松教会) |
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| 『合同教会の「法」を問う』(新教出版社、2016年) |











