2024年7月17日水曜日

翻訳中の『キリスト教教義学』は驚きの連続

キリスト教教義学(左端)


【翻訳中の『キリスト教教義学』は驚きの連続】

いま翻訳中の、ファン・デン・ブリンク、ファン・デア・コーイ共著『キリスト教教義学』(2012年)に”Pastor Bonus”という言葉が出てきて「牧師のボーナスか。いいね」と一瞬思ったが、意味が違う。

これはラテン語で「善き羊飼い」(The Good Shepherd)。ヨハネ・パウロ二世が1988年に公布した公文書の名前にもなったようだが、私が訳している本の当該箇所の主旨とは違う。

それにしても驚きの連続。以下『キリスト教教義学』から引用。

「対話と教育という点では教理問答(カテキズム)形式の古典的教会教育に加えて、ディスカッショングループ、アルファコース、ワールドユースデーなど主要なイベント、リトリート、テゼの祝い、テレビ礼拝、聖書黙想会(lectio divina)、インターネット、ソーシャルメディアを使用しうる」

「各種イベントと新しい (ソーシャル)メディアは、明示的に名を呼んで評価する必要がある。それらはコミュニティ構築の現代的な形式であり、そこで相互コミュニケーションが行われ、人々はそこから文化形成(culturele vorming)を導き出す」

「新しいメディアは、人々を信仰において訓練し、救いにあずからせ、留めるための手段である」

「永続的かどうか、制度的かどうか、液体のように流れて行くかどうかにかかわらず、その手段と形態は聖書の源泉から生じている。源泉とのつながりを保ち、それによって規範されることを許可している限り、それらは現代的な形をとった神の言葉の宣教(praedicatio Dei vervi)である」

「(大文字の)『言』(het Woord)としてのキリストは、(小文字の)言葉(woorden)やツイート(tweets)などの人間の道具を用いる。それらが人間を作り上げる。概念的な内容のコミュニケーションは、出会い、つながり、共通性など、あらゆる種類の接触に組み込まれている」

「神の声は、説教者、友人、歌手の生きた声(viva vox)として、音や噛みつきの中で聞かれる」

(G. van den Brink en C. van der Kooi, Christelijke dogmatiek, 2012, p. 553-554)

ネットとSNS(ツイッター!)をここまで評価してくれた教義学を、私はこれまで見たことがない。楽しくなってきた。

「善き羊飼い」(Pastor Bonus)について言及される『キリスト教教義学』(2012年)の当該箇所を拙訳で紹介する。

(原文)

Een dargelijk pastoraal gesprek - tegenwoordig ook wel geestelijke begeleiding gonoemd - wordt gevoerd in de verwachting dt de Goede Herder zelf zal spreken. Het (ambtelijk) gebed is daarvan de uitdrukking. In het gebed worden de dingen opgelegd voor God en treeedt de figuur van de pastor terug ten gunste van de Pastor Bonus. (Christelijke dogmatiek, 2012. p. 553)

(拙訳)

「こうした牧会的対話(今日では『霊的指導』とも呼ばれる)は、善き羊飼い自身がお語りになることを期待して行われる。(牧会上の)祈りはそれを表現したものである。祈りにおいて、物事は神の前に置かれ、善き羊飼い(Pastor Bonus)へと委ねられ、祈る牧師自身の姿はフェードアウトする。」

拙訳では伝えきれないが、何度も読み返したくなる感動的な文章だ。