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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
2024年7月29日月曜日
善いサマリア人
2024年7月22日月曜日
信念はあるか
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
2024年7月17日水曜日
翻訳中の『キリスト教教義学』は驚きの連続
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| キリスト教教義学(左端) |
【翻訳中の『キリスト教教義学』は驚きの連続】
いま翻訳中の、ファン・デン・ブリンク、ファン・デア・コーイ共著『キリスト教教義学』(2012年)に”Pastor Bonus”という言葉が出てきて「牧師のボーナスか。いいね」と一瞬思ったが、意味が違う。
これはラテン語で「善き羊飼い」(The Good Shepherd)。ヨハネ・パウロ二世が1988年に公布した公文書の名前にもなったようだが、私が訳している本の当該箇所の主旨とは違う。
それにしても驚きの連続。以下『キリスト教教義学』から引用。
「対話と教育という点では教理問答(カテキズム)形式の古典的教会教育に加えて、ディスカッショングループ、アルファコース、ワールドユースデーなど主要なイベント、リトリート、テゼの祝い、テレビ礼拝、聖書黙想会(lectio divina)、インターネット、ソーシャルメディアを使用しうる」
「各種イベントと新しい (ソーシャル)メディアは、明示的に名を呼んで評価する必要がある。それらはコミュニティ構築の現代的な形式であり、そこで相互コミュニケーションが行われ、人々はそこから文化形成(culturele vorming)を導き出す」
「新しいメディアは、人々を信仰において訓練し、救いにあずからせ、留めるための手段である」
「永続的かどうか、制度的かどうか、液体のように流れて行くかどうかにかかわらず、その手段と形態は聖書の源泉から生じている。源泉とのつながりを保ち、それによって規範されることを許可している限り、それらは現代的な形をとった神の言葉の宣教(praedicatio Dei vervi)である」
「(大文字の)『言』(het Woord)としてのキリストは、(小文字の)言葉(woorden)やツイート(tweets)などの人間の道具を用いる。それらが人間を作り上げる。概念的な内容のコミュニケーションは、出会い、つながり、共通性など、あらゆる種類の接触に組み込まれている」
「神の声は、説教者、友人、歌手の生きた声(viva vox)として、音や噛みつきの中で聞かれる」
(G. van den Brink en C. van der Kooi, Christelijke dogmatiek, 2012, p. 553-554)
ネットとSNS(ツイッター!)をここまで評価してくれた教義学を、私はこれまで見たことがない。楽しくなってきた。
「善き羊飼い」(Pastor Bonus)について言及される『キリスト教教義学』(2012年)の当該箇所を拙訳で紹介する。
(原文)
Een dargelijk pastoraal gesprek - tegenwoordig ook wel geestelijke begeleiding gonoemd - wordt gevoerd in de verwachting dt de Goede Herder zelf zal spreken. Het (ambtelijk) gebed is daarvan de uitdrukking. In het gebed worden de dingen opgelegd voor God en treeedt de figuur van de pastor terug ten gunste van de Pastor Bonus. (Christelijke dogmatiek, 2012. p. 553)
(拙訳)
「こうした牧会的対話(今日では『霊的指導』とも呼ばれる)は、善き羊飼い自身がお語りになることを期待して行われる。(牧会上の)祈りはそれを表現したものである。祈りにおいて、物事は神の前に置かれ、善き羊飼い(Pastor Bonus)へと委ねられ、祈る牧師自身の姿はフェードアウトする。」
拙訳では伝えきれないが、何度も読み返したくなる感動的な文章だ。
2024年7月16日火曜日
9月8日(日)に「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」を行います
敬愛する各位
わたしたち足立梅田教会(創立1953年9月13日)は昨年(2023年)「創立70周年」を迎えました。70周年記念行事として今年4月に『70周年記念誌』(非売品)を発行しました。そして今年9月8日(日)に「70周年記念礼拝」を行います。
「70周年記念礼拝」の説教者に当教会第2代牧師の北村慈郎先生をお迎えいたします。ぜひ多くの方にご出席いただきたく、謹んでご案内申し上げます。
わたしたちは、北村先生へのご挨拶と打ち合わせを兼ねて、本日7月15日(月)市川三本松教会で行われた「フルートとオルガンによる北村慈郎牧師支援コンサート」に出席しました。
コンサートは約100名出席。演奏会第1部は三・一教会牧師の表見聖先生によるオルガン演奏。第2部は紅葉坂教会員の佐治牧子氏のフルート演奏、吉岡望氏のオルガン演奏。そして支援会代表の荻窪教会牧師の小海基先生による支援アピール。最後に北村先生ご自身が挨拶されました。
北村先生はとてもお元気でした。「みなさんによろしくお伝えください」と言づてをいただきました。9月8日(日)「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」のため、説教者の北村慈郎先生のためにお祈りいただけますと幸いです。
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| 北村慈郎牧師支援コンサート(2024年7月15日 市川三本松教会) |
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| 北村慈郎先生(2023年7月15日 市川三本松教会) |
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| 『合同教会の「法」を問う』(新教出版社、2016年) |
2024年7月14日日曜日
助け船はあるか
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
説教「助け船はあるか」
使徒言行録27章27~44節
関口 康
「どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」(34節)
「14日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた」(27節)という、わたしたちにとって日常的とは言いにくい、たいへん衝撃的な描写から始まる箇所を、今日は朗読していただきました。
一体、何が起こったのでしょうか。
先週の箇所で使徒パウロはローマ総督フェリクスの前で弁明していました。弁明の主旨は、自分は何も悪いことをしていない、ということでした。
フェリクスの在任期間は紀元53年から55年まで(諸説あり)。主イエスの十字架刑の20年後。主イエスが総督ポンティオ・ピラトの前に引き出されたのと同じように、パウロも総督の前に引き出されました。
フェリクスは、自分がキリスト教を信じることはありませんでしたが、理解を示してくれました。フェリクスはユダヤ人の要求をかわして、パウロの死刑を延期しました。
フェリクスは善人だったと、著者ルカが言いたいのではありません。フェリクスについて「パウロから金をもらおうとする下心もあった」(24章26節)と記されています。パウロがそんなお金を持っていたとは思えないのですが。
その2年後、パウロの拘留状態は変わりませんが、ローマ総督がフェリクスからフェストゥスに交代しました(24章27節)。パウロを拘留する側の責任者が交代したことを意味します。
このフェストゥスの性格も前任者フェリクスと大差ありません。「ユダヤ人に気に入られようとして」(25章9節)行動するタイプの総督だったことを著者ルカが明らかにしています。
フェストゥスがパウロに「わたしの前で裁判を受けたいと思うか」と問いました。その答えは「私は皇帝に上訴します」(25章11節)というものでした。フェストゥスは驚きました。「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」(25章12節)と返さざるをえませんでした。
パウロは外地タルソスで生まれ育ったユダヤ人。ローマ帝国の市民権を持っていました。そのため、自分の死刑が問われる裁判において、イタリアにいるローマ皇帝への直訴の権利を持っていたのです。
それでフェストゥスは次の段階としてパウロをユダヤのアグリッパ王に会わせました。アグリッパ王としては、ローマ総督の側から要請を受けることは、両国の力関係を考えると悪い気はしなかったはずです。
パウロが面会を許可されたアグリッパ王の謁見室には、フェストゥス、ローマ軍の千人隊長、町のおもだった人たちが同席しました(25章23節)。
フェストゥスはパウロを最初はかばってくれました。ユダヤ人たちが「こんなやつ生かしちゃおけねえ」とめちゃくちゃに騒いで暴れるんですが、私にはどうしてもこの男が悪い人間に見えないんです。だけど、当の本人が「ローマ皇帝に上訴する」だと、とんでもないことを言い出すもんですから、イタリアまで船で護送することにしました、と言う(25章24~27節)。
そこまで聞いてアグリッパも直接パウロから話を聞きたくなったようで「お前は自分のことを話してよい」と許可し(26章1節)、パウロが怒涛の弁明を始めます(26章2~23節)。
すると、フェストゥスがいらいらしはじめます。特にキリスト教の「死者の復活」の教理についてパウロが話し始めたあたりから、聴くに堪えないと思えたようです。あからさまな暴言を吐いて、パウロの弁明を妨害しはじめます。
このやりとりが記されているのは26章24節から32節までです。私はこの箇所のやりとりが大好きです。ぜひ一流の俳優さんたちに演じていただきたいです。
私が考えた配役は次の方々です。使徒パウロは堺雅人さん、フェストゥス総督が香川照之さん、アグリッパ王は北大路欣也さん。TBS日曜劇場「半沢直樹」(2013年、2020年)のメインキャストのみなさんです。
フェストゥス(香川さん)
「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ」
パウロ(堺さん)
「フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきり申し上げます。(中略)アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います」
アグリッパ(北大路さん)
「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」
パウロ(堺さん)
「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが」
みんな唖然としたところで、三者のやりとり終了。アグリッパがフェストゥスに「あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに」と耳打ちして終わる。
こうしてパウロはローマへ護送されることになりました。航路については、新共同訳聖書の聖書地図9 「パウロのローマへの旅」をご覧ください。その船が嵐に巻き込まれて難破し、「アドリア海」で漂流しました。それが今日の箇所の状況です。
「アドリア海」は、現在は「イタリア半島とバルカン半島の間の海域」を指しますが、当時は「シチリア島とクレタ島の間の海」を指します。聖書地図の航路は間違っていません。
船に乗っていたのは「276人」(27章37節)。パウロの拘留地エルサレムから出発。地中海へと出航したのはシドンの港から。クレタ島の「よい港」までたどり着けました。
しかし、季節は冬。パウロはこれ以前に2回も伝道旅行を経験してきた人で、旅の知識がありました。冬の船旅は危険なので、これ以上は進むべきでないと乗船者に忠告しますが、百人隊長は船長や船主のほうを信頼し、パウロの忠告を聞き入れませんでした。囚人の言うことに従う軍人がいるだろうかと考えると、無理もない気がします。
とにかく彼らはクレタ島で冬を過ごしましたが、南風が吹いてきたので、これはチャンスと錨(いかり)をあげて、イタリアに向かって出航しました。するとそのとき「エウラキオン」と呼ばれる真逆の北東からの暴風に襲われ、あっという間に難破船になってしまいました。
浮力を保つために、積み荷を捨て、船具まで捨てました。「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた」(27章20節)という描写は、鬼気迫るものがあります。
そのときパウロが立ち上がります。彼が始めたのは、全員を励ますことでした。
「私の言い分を聞いていればこんなことにはならなかった」とは言いました。しかし「ざまあみろ」と吐き捨てませんでした。絶望している人々に追い打ちをかけませんでした。「元気を出しなさい」(27章22節)と言いました。「勇気を出しなさい」とも訳せます。
もうひとつ、パウロがしたのは、食事をとることをみんなに訴えることでした。絶望して食事がのどを通らなくなった人々に「どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」(27章34節)と言いました。
発言は単純です。「元気出してね」と「ごはん食べてね」です。それがすごいと思いませんか。
状況は同じだし、むしろ不利な立場の囚人なのに、なぜかひとりだけ心が折れていないし、他の人を全力で励ます。
こういう人になりたい、どうすればなれるか知りたい、と思いませんか。
今日の聖書箇所がわたしたちに教えていることは、276人を乗せた絶望の難破船の「助け船」は、その中に乗っていたひとりの囚人、パウロその人だったということです。
「助け船」の意味は、「水上の遭難者、または遭難船を救助する船。転じて、困っているときに力を貸してくれるもの」。
あなたの「助け船」は誰ですか。あなたは、誰の「助け船」になりたいですか。
教会学校のお知らせ
2024年7月11日木曜日
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これまでご不便をおかけし、申し訳ありませんでした。
2024年7月11日
ブログ管理者 関口 康
2024年7月7日日曜日
希望はあるか
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2024年6月30日日曜日
いのちの重さ
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使徒言行録9章36~43節
関口 康
「やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた」(39節)
今日の朗読箇所は、使徒言行録9章36節から43節までです。今日の箇所の内容に入る前に、大前提の話をします。それは、使徒言行録が描く教会の歩みの「主役」はだれかと言う問題です。
「教会史の主役はイエス・キリストです」と言って済まされることがあります。反論しにくいです。しかし、そればかり言われると、弟子たちはまるで操り人形です。暴力性を帯び始めます。
現実の教会は多くの方々の献身的奉仕によって築かれたものです。ひとの働きの評価の問題を言いたいのではありません。事実として存在するひとが無視されてはならないと申しています。
使徒言行録の主役は複数います。1章から5章まではペトロ。6章から7章まではステファノ。8章はフィリポ。9章前半(1~31節)はサウロを名乗っていた頃のパウロ。9章の後半(32節)から12章までは再びペトロ。13章から28章までは回心後のパウロです。
「サウロ」はヘブライ語。イスラエル王国初代国王の名前。キリスト教への改宗後、国際的に通用するギリシア語名「パウロ」を名乗り、異邦人伝道に出かけました。
使徒言行録の「主役」は、ペトロ、ステファノ、フィリポ、パウロの4人です。この4人を2つのグループに分けることができます。ペトロとパウロは「使徒」です。現代の教会組織の中で最も近いのは「牧師/説教者」です。ステファノとフィリポは「奉仕者」です。現代で最も近いのは「役員」です。
「牧師/説教者」と「役員」を差別したいのではありません。「使徒/説教者」だけが主役ではなく、「奉仕者」が十分な意味で主役であることが、西暦1世紀においてすでに認められていたことをご紹介したいのです。
教会の歴史における最初の殉教者ステファノは「使徒」ではなく「奉仕者」でした。殉教を美化する意図はありませんが、文字通り命がけで信仰を守り、結果として死に至りました。
フィリポも大活躍しました。「外へ外へと信仰を広める働き」をした人です。フィリポはユダヤ人が忌み嫌ったサマリア人に伝道した人です。またエチオピアの女王の高官に伝道して、洗礼まで授けました。
現代のエチオピアは、人口の6割以上がキリスト者です。そのことと聖書の記述をダイレクトに結ぶのは難しいかもしれません。しかし、少なくとも最初の種をフィリポが蒔いたことが、聖書に記されているという事実が重要です。
12人の使徒以外に、ステファノとフィリポを含む7人の奉仕者が選ばれることになった経緯は、6章1~7節に記されています。西暦1世紀の教会の大切な活動として、生活困窮者を助ける働きがありました。しかし、日々の分配の問題で教会の中に紛争が起こりました。しかし、使徒たちには説教の準備があるので、分配担当の7人の奉仕者を選ぶことにしました。
しかし、これは本当に誤解されやすいので、よくよく気を付けなければなりません。使徒たちは、「説教の準備」と「生活困窮者への支援」とを天秤にかけて、前者は後者より重要なので、重要度の低い後者にはかかわりたくないと言ったわけではありません。
使徒たちの意図は、”説教”と”福祉的な働き”は、教会の中でクルマの両輪の関係にあるので、後者を決して失ってはならないという決意として、奉仕者を選ばなければならないと考えた、ということです。軽んじる意味ではなく重んじる意味だったことを、ぜひご了解いただきたいです。ここで「愛恵学園」が思い起こされて然るべきです。
今日の箇所の話をする時間が少なくなりました。今日の箇所の「主役」はペトロです。しかし、主役だけでドラマは成立しません。主役ではないけれども、きわめて重要な役割を果たす人物がいて初めてドラマ全体が輝きます。
「きわめて重要な」登場人物は、ヤッファという町にいた「タビタ(アラム語名)/ドルカス(ギリシア語名)/どちらの意味も“かもしか”」という女性です。もうひとり、直前の段落の、リダという町にいた「アイネア」という男性も重要です。
ヤッファとリダとエマオとエルサレムの関係は、巻末の聖書地図で分かります。ヤッファは、今のテルアビブ。地中海に面した港町。エルサレムからヤッファまでの直線上にリダがあります。エマオは少し南。ガザはヤッファよりずっと南です。
リダのアイネアは「中風で8年前から床についていた」(33節)。その人にペトロが「イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい」と言うと、すぐ起き上がったというのです。
アイネアがキリスト者だったかどうかは分かりません。しかし、次に登場するタビタが「婦人の弟子」と呼ばれているのに対し、アイネアはそう呼ばれていないので、アイネアはキリスト者でなかった可能性があると考える人がいます。そのほうが意義深いと私は感じます。
しかも、この「イエス・キリストがいやしてくださる」というペトロの言葉は「言葉遊び」、要は「だじゃれ」である可能性があります。
「イエスがいやす」は、ギリシア語で「イアタイ・イエスース」(ιαται [σε] Ιησους)。これが「ギリシア人の耳には同じ語源に聞こえた可能性は十分ある」というのです(※注)。
(※注 F. F. ブルース『使徒行伝』聖書図書刊行会、1958年、230頁。このブルース(Prof. Frederic Fyvie Bruce [1910-1990])の見解をオランダの権威ある註解書『新約聖書の説教』(De prediking van het Nieue Testament (PTN))の「使徒言行録」の著者、アムステルダム大学のリンディエ教授(prof. dr. Cord Hendrik Lindijer [1917-2008])が支持しています)。
日本語でもだじゃれが成立しそうです。「いえすが、いやす」。しかしこの場面でペトロが冗談を言ったと考えるのは、さすがに無理があるでしょう。私まで不謹慎なことを言っているような気持ちになります。
しかし、先ほど申し上げた「アイネアがキリスト者でなかったかもしれないという可能性」との関係を考えるとどうでしょうか。信仰を持っていない相手に信仰を強いるような言い方をペトロが“しなかった”と考えることができるとしたら。「神を信じなさい」ではなく、ユーモアをこめた言葉遊びを用いてペトロが語ったと考えることができるとしたら。
そして、最も大事な点は35節に記されています。「リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った」。
「ペトロを見て」でなく「アイネアを見て」であることが重要です。「アイネアは“主を信じたから”いやされた」と記されていないことも重要です。アイネアが立ち上がることは絶対にありえないと、そちら側のほうに確信を持っていた人たちの、その確信が崩されたことが重要です。それをアイネアが実現したのです。アイネアは偉い人です。
ヤッファのタビタ(ドルカス)も偉い人です。「婦人の弟子」と明記されているとおりキリスト者でした。「たくさんの善い行いや施しをしていた」とあります。ヤッファの教会の福祉的な働きを中心的に支えたひとりでした。教会のみんなから慕われ、尊敬されていたことが伺えます。
そのタビタが病気で亡くなりました。タビタの体をきれいに洗い、みんなで2階に運んで安置しました。隣町のリダにペトロがいることが分かったので、ヤッファまで来てもらって葬式をしました。すると、教会で命拾いしたやもめ(widow、寡婦、未亡人、「屋守女」説)たちが、タビタが自分たちのために作ってくれた下着や上着をペトロに見せたというのです。
このときの様子を想像すると、私は胸が苦しくなります。「下着」にすら困るという追い詰められた状況の中にいた女の子たちを見かねたタビタが、得意の裁縫で下着や上着を作ってくれた。それをみんな思い出して泣いていたというのです。
そのタビタをペトロがよみがえらせたことが記されています。復活を信じることは、現代人には難しいです。ギリギリの線で考えることを許していただけないでしょうか。
ペトロは葬式で「タビタは生きている」と説教し、そのようにみんなが信じたのです。
「教会に来ると、生活に行き詰まって苦しかった頃の私を親身になって助けてくださったあの人を思い出す」という方がおられないでしょうか。「私のいのちの恩人」が教会の中にいた。教会に来るたびにその人を思い出す。それもまた、ひとつの復活ではないでしょうか。
ペトロとパウロ(牧師/説教者)だけで、教会は成立しません。ステファノとフィリポ(役員)だけでも成立しません。アイネアとタビタ(共に生きる仲間)が必要です。3者が協力するとき「いのちの重さ」を実感できます。
(2024年6月30日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)
2024年6月27日木曜日
伊豆大島の教会を訪問しました
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| 日本基督教団大島元村教会 |
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| 日本基督教団波浮教会 |
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| 大島の海は美しかったです |
あくまで個人的な動きですが、今月2024年6月3日(月)4日(火)5日(水)の2泊3日、伊豆大島行きのジェット船で、日本基督教団大島元村教会と波浮教会を兼任されている菅野勝之牧師、菅野百合子牧師をお訪ねしました。
宿泊先は、大島元村教会から徒歩10分の「ペンションすばる」でした。
2日目は本町港近くの「レンタサイクルらんぶる」で借りた110ccのスクーターで大島をひとりで一周し、港や浜辺を眺め、三原山の登山口や裏砂漠に行きました。
どなたにも迷惑をかけないように心がけました。
しかし、結局3日間、菅野先生にお世話になりました。初日も最終日も本町港まで送り迎えしてくださり、観光名所や美味しい食堂に連れて行っていただきました。ありがとうございます!
菅野先生と私は東京神学大学の同級生ですが、30年以上お会いできていませんでした。
久々の再会は、私が足立梅田教会に今年2024年3月1日(金)に着任した直後の3月12日(火)に富士見町教会で開催された東京教区東支区総会でした。
まるで昨日まで一緒にいたかのように、目と目で通じ合う関係でした。
菅野先生との再会を機に、互いに励まし合うことの大切さを思い知りました。
風の便りだけでなく、電話やメールやSNSだけでなく、直接お会いして励まし合うことの大切さを。
東京教区東支区の「伊豆諸島伝道委員会」が「離島教会交流活動」の呼びかけを開始したことを上記の今年3月12日の東支区総会で知りました。
「さあみんなで島の教会へ行こう」と呼びかけるポスターが東支区の各教会に配布されました。「助成金」も出るそうです。
ぜひ多くの方が伊豆諸島の諸教会を訪問なさって、善き交流がなされますように、心からお祈りいたします。
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| 「さあ みんなで島の教会へ行こう」 |
(2024年3月1日より当教会牧師、2024年6月27日記す)














